大野山
散策:2009年01月中旬
【低山ハイク】 大野山
概 要 大野山は丹沢山塊の南西部に位置しています。 山頂附近は牧場になっていて、比較的簡単に登れることと併せて、家族連れや子供達にも人気のコースになっています。 山頂からは富士山や丹沢山塊、相模湾などを見渡せるる眺めが広がっています。 今回は谷峨駅から大野山へ登り、高杉地区や市間地区を経て山北駅へと向っていきます。
起 点 山北町 谷峨駅
終 点 山北町 山北駅
ルート 谷峨駅…吊り橋…ハイキングコース入口…奥山家古道…頼朝桜…湯触分岐…旧道…大野山林道…東屋…電波反射板…大野山…イヌクビリ…古宿分岐…663m峰…神明社…高杉地区…市間地区…363番鉄塔…市間橋…東名高速道路…川入堰石碑…山北駅
所要時間 4時間40分
歩いて... 今回は天候に恵まれて、登山道や山頂からは雪化粧した綺麗な富士山を望むことが出来ました。 神明社から山北駅までは、集落内の道路や車道をかなり長い時間歩くことになるのが難点ですが、 偶然ながら、山北駅前大通りでは、道祖神祭の花車や神輿の巡行が丁度始まるところに出合えました。
関連メモ 大野山
コース紹介
谷峨(やが)駅
谷峨駅(JR御殿場線)から歩いていきます。 駅前を通る県道76号に出て右手へ進んでいきます。
登山者の皆様へ
−計画書を出して楽しい登山−
1. 遭難者のほとんどは枝道や脇道に入り、道に迷っています。 おかしいなと思ったら引き返すか、夜間はその場から動かないようにしましょう。
2. 道に迷った時に無理に下ると、滝壺にはまってしまうことがあります。
3. 日帰りのつもりで予備食を持たず、飲まず食わずで救助を待った人がいます。
4. 登山計画書を必ず出しましょう。
安全で楽しい登山になるようお祈りします。
 (松田警察署、山北町)
谷峨駅50周年記念
いでてはくぐるトンネルの 前後は山北・小山駅 今も忘れぬ鉄橋の 下ゆく水のおもしろさ
 (清水地区振興協議会、三保地域振興会)
吊り橋
正面に架かる東名高速道路の朱色の陸橋を眺めながら緩やかな坂道を2分ほど登っていくと、 右手へ分れていく道があります。 入口には「大野山ハイキングコース→」の標識が取り付けられていて、右手の道を指しています。 標識に従って右手へ曲がり、線路の上を渡って降っていくと、国道246号の脇に出ます。 更にその先へ降っていくと、右手に戻るようにして道が分かれていきます。 角には道標「大野山1時間50分」が立っていて、右手の道を指しています。 田んぼの間に続く道を進んでいくとT字路があります。 正面に立つ道標「大野山1時間45分」に従って左折していくと吊り橋が架かっています。 橋の入口にも道標が立っていて「大野山1時間40分」となっています。 その脇には木の杖の入れ物がありましたが、この時には1本も入っていませんでした。
ハイキングのみなさまへ
木の杖です。ご自由にお使い下さい。 杖は下山の時、大野山入口(山北側)の珈琲屋の所にお返し下さい。
渡橋条件
一、この橋は600kg以上の重量物は渡れません。
二、この橋は20人以上の人が同時に乗れません。
三、無理な振動を与えると危険です。
 (山北町)
吊り橋を渡っていきます。 しっかりとした橋になっていて、揺れることはありませんでした。 橋を渡り終えて、支柱に貼り付けられた「←大野山」の標識に従って、県道727号を左へ進んでいきます。 川には堰のようなものがあって、横から水が勢い良く流れていました。 電力会社の建物もあったので発電用の設備なのでしょうか。 200mほど進んでいくと、降っていく道と登っていく道の二手に分かれています。 どちらへ進んだものかと考えていると、右手に登っていく坂道の少し先に道標が立っていて、 「大野山1時間30分」となっていました。 道標に従って、右手の坂道を登っていきます。
ハイキングコース入口
かなり傾斜のある坂道を登っていきます。 竹林や茶畑などの脇をくねくねと曲がりながら登っていくと大きな建物がありました。 左手を見ると雪化粧した富士山が頭を覗かせていました。 雪が蒸発して雲になったのか、山頂付近には薄い雲のようなものが纏わりついていました。 そんな景色を眺めたりしながら坂道を登っていって民家が現れると、左手へ細い道が分かれていきます。 先ほどの分岐から11分ほど、谷峨駅から32分ほどで到着しました。 角には可愛らしい乳牛の看板が設置されていて「大野山ハイキングコース入口」と書かれています。 民家の脇に続く細い道を登っていきます。
コンクリート舗装された細い道を登っていくと、程なくして森の中へ入っていきます。 土に変わった道には横木の階段が設置されていたりもしますが、 段差はそれほど高くはなくて、歩き易くてしっかりとした道が続いていました。 時折見える富士山を眺めたりしながら山道を登っていきます。 樹木が伐採されて開けた感じの所を過ぎていくと送電線の鉄塔が立っています。 鉄塔を過ぎて植林帯を抜けて雑木林を更に登っていくと石段が現れます。 10数段の石段を登り終えると、左手へ道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、正面の道は「大野山55分」、左手の道は「行き止まり」、 今登ってきた道は「谷峨駅30分」となっています。 正面の道も左手の道もコンクリート舗装されていましたが、 道標に従って正面へと進んでいきます。
奥山家古道
軽い登り坂になった道を1分ほど進んだ所にある階段を登ると、左右に通る広い舗装路に出ました。 ハイキングコース入口から15分ほどで登って来られました。 手元の地図によると、都夫良野地区から湯触地区へと続く道で、町道共和清水線というようです。 出た所に道標「大野山」が立っていて、左手の道を指していました。 正面には「かながわの古道50選」の大きな解説板が設置されていて、 沿道にある萩原地蔵尊・掘割・川村関所跡・大野山入口付近・都夫良野・頼朝桜・鼓掛けの紅葉・長光院などが紹介されていました。 それによると、この道は「奥山家古道」とも呼ばれているようです。
かながわの古道50選
歴史的遺産が数多く残っている古代・中世・近世のみちを保存整備し、県民が親しみを深められるようにと、 平成5年12月に県が選定したもの。 昭和51年から始まった「かながわの50選・100選シリーズ」の第18弾で、 県民や市町村から推薦があった292名の古道を対象に、「明治以前からあり、現在も使われている道」であること、 「人や物の動きが頻繁だった」、「歴史の舞台となった」などを基準に選定されました。
奥山家古道の都夫良野付近
天保年間に編さんされた「新編相模国風土記稿」によると、 近世(江戸時代)の山北には、川村山北、川村岸、川村向原の3ヶ村と、 西山家9ヶ村(皆瀬川、都夫良野、湯触、川西、山市場、神縄、玄倉、世附、中川)がありました。 この西山家9ヶ村のうち、玄倉、世附、中川は、西山家の奥、西丹沢の山深いところにあったため、 奥山家3ヶ村とも呼ばれていました。 この奥山家へ通じる道であることから、奥山家道と呼ばれました。
※西山家は、高松山から丹沢山へ続く尾根の西側にある村を指しています。 これの東側にあたる虫沢・宇津茂・柳川・菖蒲など11ヶ村は東山家と呼ばれていました。
 (山北町)
頼朝桜
道標に従って左手へ進んでいくと、すぐの所に大きな桜の木が生えていました。 「頼朝桜」というようで、脇には解説板も設置されていました。 春には枝一杯に花を咲させるのでしょうか。
山北町指定天然記念物 都夫良野の頼朝桜
さくらはバラ科の落葉高木で、中国大陸、ヒマラヤにもあるが、日本にもっとも種類が多い。 古くは花といえば桜を指し、日本国の花である。 頼朝桜は、天保年間、徳川幕府編さんに成る「新編相模国風土記稿」に挿絵と共に載っている。 元樹は明治14年の台風によって倒損し、現在の木は蘖の成長したものと伝えられる。 樹高11.6メートル、根廻り2.4メートルである。(この付近は桜平と呼ばれている)。 材質は緻密で家具や船材等に用いられる。 園芸品種は非常に多く、春、白色または淡紅色の五弁花を開く。 郷土の貴重な天然記念物として、指定し保存するものである。
 (山北町教育委員会)
頼朝桜
町指定天然記念物。 昔、源頼朝がここを通った際、杖をついて休んだところ、その杖が根付いてこの桜になったと伝わっています。 現在の桜は蘖(ひこばえ:切った株や根から生えた芽)が成長したものです。
 (山北町)
湯触分岐
頼朝桜を過ぎて、これから向かう大野山を正面に見ながら1分ほど進んでいくと、 真新しいトイレの脇から、細めの坂道が右手へ分かれていきます。 谷峨駅から50分ほどの所になります。 角に立つ道標によると、正面に続く道は「野背開戸湯触方面」、 右手の道は「大野山」、今来た道は「谷峨駅」となっています。 脇にはハイキングコースの案内図も設置されています。 谷峨駅から大野山へ至る今回のコースが載っているので参考にしましょう。 それによると、谷峨駅からここまでは45分で、この先は、旧道まで10分、大野山林道まで15分、 休処まで25分、大野山山頂まで15分で、ここから山頂まで合計で1時間5分となっています。 道標に従って、右手に続く坂道を登っていきます。
今回も写真を多く撮ったりしながらゆっくり登っていきましたが、 案内図に載っているのと時間配分は多少違うものの、合計ではほぼ同じ時間で大野山の山頂に着きました。
山はみんなの宝物
自然と仲良く過ごしましょう。
 (山北町観光協会、山北町産業観光課)
旧道
舗装された坂道を登っていきます。 振り返って富士山を何度も眺めながら6分ほど登っていくと、左右に通る道に出ました。 先ほどの案内図にあった旧道のようです。 左右を覗っていると、左手の先に道標が立っていました。 舗装路は左手へと曲がりながら降っていきますが、その角から横木の階段が右手へと分かれていきます。 道標によると、横木の階段は「大野山55分」、右手へ伸びる道は「山北方面1時間30分」、 今登ってきた道は「谷峨駅35分」となっています。 左手へ曲がっていく舗装路は何も示されてはいませんでした。 ここは道標「大野山」に従って、横木の階段を登っていきます。
広くて歩き易い道が尾根に続いています。 前夜は冷え込んだようで、日陰になった所には霜柱があったりもしました。 道標「大野山50分」を過ぎていくと、旧道から6分ほどで、道の脇に送電線の鉄塔が立っていました。 鉄塔の脇に出てみると、雪化粧した富士山が頭を覗かせていました。
大野山林道
鉄塔を過ぎて植林帯へ入っていくと、「大野山45分」の道標が立っています。 間隔の広い横木の階段混じりの道を登っていくと、左右に通る舗装路に出ました。 先ほどの案内図にあった大野山林道になるようです。 湯触分岐から17分ほどで登って来られました。 左手のすぐ先から正面の山へと横木の階段が登っています。 登り口には東屋も建っていて、脇では果物などが現地販売されていました。 道標によると、左手の道は「湯触経由用沢50分」、右手の道は「山北方面1時間30分」、 正面の山へ登っていく道は「大野山40分」、今来た道は「谷峨駅45分」となっています。
幅が広くて歩き易い道を登っていきます。 横木の階段も設置されていますが、段差も低くて歩き難くはありません。 振り返ると富士山が聳えていて、その南側には愛鷹連邦もよく見えていました。 登るにつれて次第に雪片が道端に見られるようになりました。 「休憩所15分」の道標を過ぎて、道の両側に笹竹が生い茂る所を抜けて更に登っていくと、 大野山林道から12分ほどで、開けたカヤトの原に出ました。 振り返ると、箱根外輪山が綺麗に見えていました。 その左手の奥には相模湾が陽光を浴びて煌いていました。
両側に鉄線柵が続くカヤトの原を登っていくと、富士山が綺麗に見えるようになってきます。 右手の方には、牧場設備の奥に丹沢山系が聳えていて、山頂付近には雪が積もっているようでした。 アルプスのような牧歌的な雰囲気もして、味わいのある眺めでした。
牛舎のようなトタン屋根の所を過ぎて、 「大野山15分」の道標に従って木柵が続くようになった緩やかな道を進んでいくと、 正面に富士山と愛鷹連邦を一望できる素晴らしい眺めが広がっていました。 何枚も写真を写しながら、眺めを楽しんでいきました。
東屋
木柵に沿って進んでいくと東屋が建っていました。 大野山林道から25分ほどで登って来られました。 湯触分岐にあった案内図の「休処」のようです。 案内図には「カメラスポット」とも記されていて、眺めが広がる所になっています。 ここでも富士山を間近に写したりしながら眺めを堪能していきました。
東屋を過ぎて木柵沿いに更に進んでいくと舗装路に出ました。 右手には車止めゲートがあり、左手にも鎖止めがされていました。 牧場内を通る作業用の道のようでした。 角には道標「大野山山頂」が立っていて、舗装路の先を指していました。 舗装路を渡って左手へ登って横木の階段になってくると、再び道標が立っていて、 「大野山山頂10分」となっていました。 もう少しで山頂に着くようだと元気付けられて、両側に笹竹が生い茂る幅の広い横木の階段を登っていきます。
電波反射板
日陰になった所には前々日に降ったと思われる残雪がありましたが、 量は少なくて歩くのには支障はありませんでした。 5分ほど登っていくと大きな電波反射板と思われる設備がありました。 そこを左手から巻くようにして過ぎていくと、残雪が一段と増えてきましたが、 苦労することもなく歩いていけました。 振り返ると、牧草地越しに富士山が綺麗に見えていました。 朝方は雲ひとつない晴天でしたが、日が昇るにつれて、次第に雲が湧き出しているようで、 この時には富士山に少し雲がかかってきていました。
電波反射板を過ぎて3分ほど進んでいくと、左右に通る舗装路に出ました。 角に立つ道標によると、右手の道は「大野山山頂」、今来た道は「谷峨駅1時間15分」となっています。 道標に従って舗装路を右手へと進んでいきます。 日陰になっていて、路面は凍結していましたが、中ほどの軟らかい部分を選んで歩いていきました。 左手には丹沢山塊が続いていて、綺麗な眺めでした。
大野山 (標高723.1m)
舗装路を真っ直ぐに5分ほど進んでいくと、広くなった大野山の山頂に着きました。 湯触分岐から1時間2分ほど、谷峨駅から1時間54分ほどで登って来られました。 山頂には「大野山山頂723.1メートル」と書かれた標柱が立っています。 大野山は「山北町からの富士」として「関東の富士見100景」にも選ばれています。 お昼にはまだまだ早かったのですが、東屋に腰を降ろして昼食タイムにしました。
山頂には薄っすらと残雪が覆っていましたが、 風はほとんど吹いていなかったので、気温が低い割りには凌ぎやすい気候でした。 南側には相模湾が広がり、沖の方には伊豆大島と思われる大きな島影も見えていました。 北側には丹沢山塊が横たわっていましたが、 西側は樹木に遮られていて、箱根連山は見え難くなっていました。 北側の眼下には丹沢湖も湖面を覗かせていました。 山頂には「大野山の山頂全方位板」というのが設置されていて、 ここから見える山などが記されていました。
お腹も満ちて景色も堪能したら大野山から下山していきます。 今回はまだ歩いたことのない高杉地区へと降っていくことにしました。 左手にある電波施設への道を見送って右手へ続く坂道を降っていきます。 右手には相模湾が広がり、伊豆大島の島影もよく見えていました。 三浦半島や江の島辺りも見えるのでしょうが、この時には霞んでいてはっきりとはしませんでした。 前方に663m峰と思われる高みを見下ろしながら降っていきます。
イヌクビリ
程なくして車止めゲートがあります。 脇には道標が立っていて「山頂まで300m」となっていました。 左手にあるトイレを見ながらゲートを過ぎていくと、山頂から7分ほどでX字路があります。 この場所を示すものは見かけませんでしたが、「イヌクビリ」というのだそうです。 その昔に、人を襲うオオカミを退治した処なのだそうです。 脇には大きな「神奈川県立大野山乳牛育成牧場案内図」や「大野山周辺観光案内」があるので参考にしましょう。 左手は湯本平や丹沢湖へ続く道、右手は深沢地区や鍛冶屋敷地区へと降っていく道ですが、 今回は正面の道を進んでいきます。
広い舗装路を緩やかに降っていきます。 鞍部に着いて登り返していくと、イヌクビリから4分ほどで、右手へと山道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、右手の道は「山北駅1時間50分」、今来た道は「大野山15分」となっています。 舗装路は正面へと更に続いていますが、車止めゲートが設置されていて、 「これより先は入らないでください」との注意書きがありました。 663m峰へは正面の道を進んだ方が歩き易いし近道なのですが、 道標に従って右手の山道を進んでいきました。
古宿分岐
道端に笹竹などが生い茂る道を進んでいきます。 道幅は広くなっていますが、日陰になった所には残雪があったりもします。 やがて南を向いて横木の階段を降っていくと、先ほどの舗装路から2分ほどで分岐があります。 角に立つ道標によると、右手から正面へと降っていく階段は「山北駅」、 左手の道は「高杉・市間方面」となっています。 正面の階段は古宿地区や鍛冶屋敷地区を経て山北駅へと降っていけますが、 今回は高杉地区や市間地区を経て山北駅へ向かう道を歩くことにしました。
牧草地の斜面を横切るようにして続く細い道を登り気味に進んでいきます。 日陰にある残雪を踏みしめながら登っていくと、古宿分岐から6分ほどで、舗装路に出ました。 この舗装路は、手前にあった車止めゲートから続いているようでしたが、 こちら側には車止めはありませんでした。 逆向きに歩く場合にはそのままゲートまで行ってしまうだろうにと思いながら辺りを見回していると、 道の脇に道標が立っていて、右手の道は「高杉40分」、今来た道は「大野山30分」となっていました。 ここは道標に従って、舗装路を右手へと緩やかに登っていきます。 左手には丹沢の峰々が横たわり、振り返ると、大野山の奥には富士山が頭を覗かせていました。
663m峰
2分ほど進んで正面の森まで来ると、道は緩やかになってきます。 手元の地形図にある663m峰になるようです。 少し開けた所から振り返ると、大野山の奥に富士山が聳えていました。 高みを越えていくと、僅かに降るようになります。 左手の牛舎のような建物を過ぎていくと、右手へ曲がった所で道は行き止まりになっていました。 どうしたものかと思っていると、鉄柵の一部が開いていて、そこから山道が続いていました。 ここからも大野山や富士山や愛鷹連邦がよく見えていましたが、 この辺りまでくると、かなり雲が湧き出していて、富士山も隠れ気味になっていました。 今回のコースでは富士山を眺められる最後の場所になります。 眺めを楽しんでから、柵に囲まれた道を降っていきました。
牧草地に続く鉄線柵で囲まれた道を降っていきます。 正面には相模湾が広がっていい眺めでした。 5分ほど降って樹木が生えるようになると、道端にコンクリートブロックの祠に納められた石碑がありました。 そこを過ぎていくと、左手には丹沢の山並みが広がるようになってきます。
石碑を過ぎて3分ほど降っていくと植林帯へ入っていきます。 1分半ほどで植林帯を抜けると雑木林になってきますが、 1分ちょっとで再び植林帯になってきます。 冬枯れの季節ですが、林床にはユリのような植物が生い茂っていました。 花は咲いていませんでしたが、緑色を見て何だかホッとしたりもしました。
山歩く 心にいつも 火の用心
山火事注意
 (神奈川県)
神明社
しっかりとして歩き易い道を2分半ほど降っていくと舗装路に降り立ちました。 大野山から43分ほどで降りて来られました。 左手には神明社がありました。 「神明社」の扁額が掲げられた四脚門のような白木の鳥居の先の石段を登った所に、 外削ぎの千木が聳える社殿がありました。 社殿の中を覗いてみると、大きめの白木の社がふたつと、小振りの社がふたつ安置されていました。 大きめの社の屋根には4本の鰹木が乗り、外削ぎの千木が聳えていました。 由緒などを記したものは見かけませんでしたが、 古宿地区で見かけた解説板の内容を参考までに載せておきます。 「お峰入り」の祭りに関連がある神社のようですが、詳細はよく分かりませんでした。
国指定重要無形民俗文化財 山北のお峰入り(発祥地)
お峰入りとは、氏神である高杉大神宮の祭礼の際、 ほぼ10年〜20年の間隔で行われたといわれる。この歴史は南北朝対立時代、 宗良新王が河村城に難を逃れた時から始まったといわれている。 「新編相模国風土記稿」によれば、高杉大神宮には内宮と外宮の二つの祠があり、 共に歴史が古く例祭は8月16日と記されている。 なお、文久3年(1863)8月16日にこの行事が行われた記録がある。 お蜂入りに当たる年は全戸主(世帯主)や長男ら81人が悉く扮装し、 8種の古歌と舞踊をしながらの行列で山神祠のある竜集山(大野山)へ奉納する行事であった。
お峰入り踊
(1)みそぎ、(2)満月の歌、(3)棒振り、(4)鹿杖踊り、(5)修行踊り、 (6)歌の山、(7)四節踊り、(8)五色踊り、で、 他に例を見ない多くの特色を持ち、郷土の貴重な文化財として保護するものである。
 (山北町教育委員会)
高杉地区
神明社を後にして、植林帯に続く舗装路を降っていきます。 くねくねと曲がりながら傾斜の急な坂道を5分ほど降っていくと、民家が点在する集落に降り立ちました。 手元の地図によると高杉地区になるようです。 正面に山並みを眺めながら、くねくねと曲がりながら続く道を降っていきます。 茅葺屋根の民家もあったり、鶏小屋があったりもして、長閑な山村風景が続いていました。
鶏小屋や茶畑などを過ぎていくと、集落に降りてから4分ほどで大きなカシの木がありました。 「かながわの名木100選」にも選ばれている大木です。 右側には金網柵が設置された区画があり、その奥には「水神宮」と刻まれた石があって、 注連縄が掛けられていました。
かながわの名木100選 高杉のウラジロガシ
幹が横を向き、そこから枝が上方に伸びている。 保水木として大切にされてきた古木である。 県の天然記念物に指定されている。
樹高21メートル 胸高周囲5.1メートル 樹齢約300年(推定)
ウラジロガシは、東北南部から沖縄の山地に生える常緑高木で、幹は直立し、よく枝を出す。 樹高25メートル、胸高周囲6メートル、樹齢約600年に達するものもあると言われている。
 (神奈川県)
神奈川県指定天然記念物 山北町高杉のウラジロガシ
ウラジロガシは、低地、台地上のシラカシにくらべて、 尾根状地、急斜面、山ろく部などの比較的土壌の浅い立地で生育し、 不連続にウラジロガシ林を形成していた。 近年開発が進み、ウラジロガシ林はもとより、ウラジロガシの大木、老木もほとんど県下では見られなくなった。 皆瀬川字南平の高杉の集落にあるウラジロガシは単木ではあるが、 樹高21メートル、根廻りの樹幹周囲5メートル、推定樹齢約300年とされ、 さらに樹冠が南北20メートル、東西17メートルに達している。 共同湧水場の斜面からほぼ水平に樹幹を伸ばし、 根元から約3.1メートルのところで二つの幹に分かれ、さらに、上部に伸びた幹は二つに分岐し、 三本の幹が広く、約340平方メートルの常緑の樹冠を形成している。 樹形にもよるが単木でこれだけの大きな樹冠を形成して地表をおおっているウラジロガシは、 今日きわめてまれで、共同湧水場の、いわば聖木として長い間守られてきたものと考えられる。 まだ樹勢も衰えていないので、珍しい郷土のウラジロガシの古木として、 将来にわたって保護されることが望ましいので県の天然記念物として指定した。
 (神奈川県教育委員会、山北町教育委員会)
カシの大木を過ぎて、斜面に続く砂利道を進んでいきます。 車一台が通っていけるだけの幅がある緩やかな道を進んでいきます。 左手の樹間から山並みを眺めながら進んでいきます。 右手の斜面がコンクリートで補強工事されたところを過ぎて舗装路になってくると、 カシの大木から11分ほどで分岐があります。 道標類は見かけなくてどちらへ進んだものかと暫く考えていましたが、 右手は市間地区の北側の集落へ続く道のように思えたので、 今回は左手の道を降っていきました。
市間地区
1分半ほど進んでいくと、右手へ急坂が登っていきますが、 その道も見送って正面に続く道を緩やかに降っていきます。 茶畑が広がるようになった道を降っていくと、右手には箱根外輪山が一望できるようになります。 建物もちらほら見かけるようになります。 この辺りは市間地区になるようです。 市間集会所を過ぎていくと、少し曲がった十字路があります。 道標類は見かけませんでしたが、正面へと更に降っていきます。
363番鉄塔
森の中を抜けて茶畑へ出ると、右手には送電線が通っています。 正面に山並みを眺めながら、茶畑の中に続く道を降っていくと、 右手へ曲がっていった角に、送電線の鉄塔「田代幹線363」が立っています。 神明社から35分の所になります。 道は鉄塔を回り込むようにして降っていきます。
右・左と曲がりながら続く舗装路を降っていきます。 やがて谷側にガードレールが続くようになります。 竹林を過ぎて、一旦途切れたガードレールが再び続くようになると、ヘアピンカーブがあります。 その角に「護美地蔵」と刻まれた木彫りのお地蔵さんが立っていました。 363番鉄塔から7分半ほどの所になります。 ゴミの不法投棄が絶えないようで、脇には「投棄禁止」の貼り紙もありました。
水源地はみんなの宝物。きれいに未来につなげよう。
 (共和連合自治会)
市間橋
お地蔵さんを過ぎて、植林帯に続く坂道を右・左と曲がりながら降っていきます。 かなり傾斜があって、登りルートには選びたくないなと思いながら降っていきました。 自動車がすれ違えるだけの道幅はないので、所々に退避所が設けられています。 「待ひ所マデ 50m←・→40m」のような内容の輪切りの標識が点々と設置されていたりもします。 やがて右下に川が見えるようになると、363番鉄塔から15分ほど、神明社から50分ほどで車道に降り立ちました。 降り立った車道は県道725号で、右手すぐの所には市間橋が架かっています。 車道に出る手前にも護美地蔵が立っていました。
山北・共和自然環境保全地域
1,480.0ha 自然を大切に。
建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県足柄上地区行政センター環境部、山北町産業観光課)
右手を流れる皆瀬川に架かる市間橋を渡って、県道725号を進んでいきます。 1分ほど進んでいくと堰提があって、水が勢い良く流れ落ちていました。 水道施設も併設されているようで、「立入禁止」の看板が出ていました。 この辺りには第二東名高速道路の建設が計画されているようで、 その旨の位置を示す標識が幾つか立っていました。 暫定施工時は4車線で、完成時は6車線になるようでした。
立入禁止
水道施設につき無断で立入ると水道法により罰せられます。
 (山北町、神奈川県水道協会)
東名高速道路
足柄西部環境センターの大きな建物を過ぎていきます。 民家風の建具店を過ぎていくと、正面には東名高速道路の朱色の橋梁が見えてきます。 皆瀬川浄水場への坂道を見送っていくと、建物が増えてきます。 市間橋から24分ほどで東名高速道路の下を通っていきます。
川入堰石碑
東名高速道路の下を過ぎたすぐの所から左手へ分れていく道があります。 このまま車道を進んでいってもいいのですが、山北駅へ向かうには左手の道の方が近そうだったので、 今回は左手の道へ入っていきました。 入口のすぐ先にある石祠を過ぎて坂道を登っていって傾斜が緩やかになると、 大きな樹木の袂に「川入堰石碑」がありました。 石碑・石祠・石仏などが幾つか並んでいて、石仏の前には小銭がお供えされていました。
「川入堰」石碑
元禄16年(1703)の大地震と宝永4年(1707)の富士山噴火により、 これまで山北を東に流れ向原で酒匂川に合流していた皆瀬川が、土砂降灰の氾濫を繰り返したため、 この地を堀割って現在の皆瀬川となった。 しかし、このために新しく用水堰をつくる必要にせまられ、享保19年(1734)時の名主湯山弥五右衛門父子を中心に、 山北・向原の村民によって、山裾を東へ向原に至る用水路がつくられ、これを入川堰と呼んでいる。 この堰の完成を記念して建立されたのがこの碑である。 碑文は風化して判読困難であるが、次のとおり刻まれている。
相州川村山北掘割之由来者宝永年中富士山忽然焼出し砂石降積民屋及大変就中当村皆瀬川従山奥砂石流来 山北向原原河内迄既成亡所也時名
主弥五右エ門父子不忍見之拠一命即伊奈半左エ門様御支配之時酒匂川エ堀落之奉御願依之仲山出雲守様 河野勘右エ門様御見分之上被仰付御
手伝藤堂和泉守様御普請被成下数多之百姓助申事不量其数其後享保年中御代官蓑笠之助様用水堰被仰付水 惣百姓相続仕故此事記之謹可
謝清恩長為堅固祈奉地蔵菩薩建立依拝上者也
元文二丁巳歳四月吉祥日
水下施主 湯山三太夫
九左エ門、勘左エ門、市郎左エ門、七左エ門
水下村中百八人
山北向原村中
 (山北町教育委員会)
左右の路地を見送って住宅地に続く道を真っ直ぐ進んでいくと県道76号に出ます。 正面にはガソリンスタンドがあります。 県道を渡って正面に続く山北町駅前大通りを進んでいきます。 カメラを下げた人達が向こう側を向いて何やら待っていました。 何だろうと思いながら通りを進んでいくと、 山北体育館の所に花車などが待機していました。 この時は道祖神祭の日だったようで、花車や神輿の巡行が丁度始まるところでした。 少し待っていると、太鼓や笛などが賑やかに鳴らされて、 花車や神輿などが手綱に引かれるようにして次々と出発していきました。
山北(やまきた)駅
総てが出発するのを見送ってから大通りをその先へと進んでいきました。 山北町商工会館を過ぎていくと、通りの上に「山北駅前大通り」と書かれた門が立っています。 その門をくぐっていくと、右手に山北駅(JR御殿場線)があります。 市間橋から40分ほど(祭り見物は除く)で到着しました。
松田駅や国府津駅方面へ1時間に2本程度の便があります。
電車の発車まで時間があるようなら、駅の傍にある山北町ふるさと交流センターを訪ねていきましょう。 以前の東海道線が通っていた往時の山北駅の様子や、周辺の自然などが紹介されています。 また山北駅跨線橋を渡って南側へ行くと、山北町健康福祉センターの西側に鉄道公園があって、 往年の蒸気機関車「D52」が野外展示されています。 運転席にも登っていけるようになっています。
D5270号ごあいさつ
私は52形蒸気機関車といって、日本で一番大きく力の強かったテンダー機関車です。 そしてD52形兄弟の70番目の生まれです。 私は昭和19年4月に生まれてから山陽線や東海道線で働き、 昭和26年2月国府津機関区に配属になってからは、ほとんど御殿場線で活躍し、 皆様と一緒にこの山の間を何百回と走りました。 私の走った全距離は862,275kmです。 私は本来貨物列車用ですが、御殿場線のような山線で勾配の大きい線路では旅客列車も引いておりました。 御殿場線が昭和43年8月1日全線に電車が走るようになったので私のつとめも終りになりましたので、 この山北町の皆様と国鉄当局のご協力によって、この場所に記念として置いて下さるというので安心しました。 これからは皆様と一緒に昔なつかしい思い出ばなしをいたしましょう。 どうか皆様、お子様も可愛がって下さい。
私の大きさ
D形(動輪四対、貨物用)52形(テンダー機関車)
最大馬力 1,600馬力(最高速度)75km/H
機関車の全長 20,550mm(先水車長さ8,775mm)
機関最大高さ 3,980mm(先水車高さ3,060mm)
機関全重量 96t(機関部74t+炭水車22t)
石炭の積載量 10t
炭水車水容量 25t
車輪の直径 (動輪1,400mm 炭水車車輪860mm)