弘法山公園
散策:2008年12月中旬
【低山ハイク】 弘法山公園
概 要 弘法山公園は丹沢の南側の低い丘陵にある公園で、弘法山・権現山・浅間山などがあります。 今回は南東側から弘法山へ登り、善波峠から善波隧道へ降りて矢倉沢往還へ入り、 途中から分かれて尾根を越えて南側へ降るコースを歩きます。 一部にはマイナールートも含まれていますが、尾根道は快適はハイキングコースになっています。
起 点 秦野市 東海大学前駅
終 点 秦野市 東海大学前駅
ルート 東海大学前駅…東名高速道路…八幡神社分岐…自興院分岐…弘法山…長坂分岐…乗馬クラブ分岐…204m峰…善波峠分岐…善波御夜燈…善波峠…善波隧道…国道246号…矢倉沢往還…3番鉄塔…199m峰…おおね台分岐…おおね台団地…鉾ノ木橋…東海大学前駅
所要時間 3時間30分
歩いて... 弘法山へ登る途中からは眺めの広がる所がありますが、今回は生憎と遠くの方は霞んでいました。 低い山にしては弘法山への登り道や矢倉沢往還から尾根への登り道はかなり傾斜があるので、 ゆっくりと登っていきましょう。
関連メモ 弘法大師と桜のみち, 高取山, 弘法山公園, 高取山, 弘法山公園, 弘法山公園, 念仏山, 弘法山公園, 弘法山公園,
弘法山公園
コース紹介
東海大学前(とうかいだいがくまえ)駅
東海大学前駅(小田急小田原線)から歩いていきます。
改札口の右手の北口から駅を出て、左手へ降っていきます。 階段と坂とに分かれていますが、いずれでも同じ所に降りていけます。 車道に降りて、秦野駅方向へ線路沿いに進んでいきます。
(写真は車道に降りた所から振り返って写したものです)
踏切を見送った先の東海大学前駅バス停や学習塾を過ぎていくと、右手から坂道(*)が降ってきます。 その道を合わせていくと、秦野市消防団第5分団の車庫の先で道が二手に分かれています。 道標類はありませんが、ここを右折して真っ直ぐに進んでいきます。
*右手の坂道はおおね台団地から続いていて、今回の散策の最後に降ってくる道になります。
東名高速道路
住宅越しに、吾妻山から弘法山へと続く山並みを眺めながら真っ直ぐ進んでいくと、 秦野市立北矢名児童館を過ぎた先に、東名高速道路が通っています。 手前にある少し曲がった十字路を直進して、高速道路の下をくぐっていきます。
高速道路の下を過ぎていくと、すぐに北矢名交差点があります。 そこを左折していきます。 青色の網で囲まれた畑の脇を軽く登っていって傾斜が緩やかになってくると、 右手へ分れていく道があります。 角には自動販売機が2台並んで設置されていて、カーブミラーも立っています。 ここを右折していくとすぐに右手へ道が分かれていきますが、正面に続く坂道を登っていきます。 住宅地の中のかなり傾斜のある坂道を1分ちょっと登っていくと、左手へ道が分かれていきますが、 そのまま正面に続く坂道を登っていきます。
(写真は右手を向いて写したものです)
ミカン畑の脇を登っていって正面にヒノキが数本並んで生えている所までくると、 手摺の付いた階段が現れます。 20段ほどの階段を登っていくと高台の畑地に出ます。 振り返ると、東名高速道路越しには、大磯町の鷹取山と思われる山並みが横たわっていました。 右手のミカン畑に沿って続くコンクリート舗装された細い道を進んでいきます。 駐車場の脇を過ぎていくと住宅地にある十字路に出ます。 正面にはこれから登る弘法山の山頂部が僅かに見えていました。 十字路を直進して住宅地の中の道を緩やかに登っていきます。 程なくして舗装路は終りになりますが、その先へと土の道が続いていました。 車止めと思われる柱が1本立っていましたが、脇を抜けて登り坂になった細い道を進んでいきます。
細い道を登っていくと、すぐに開けた高台に出ました。 正面にはこれから登る弘法山が聳えていました。 右手の方にも山並みが続いていました。 緩やかになった道を真っ直ぐに進んでいきます。 道端にススキが生えた広めでならだらな道を進んでいくと、広場のような所があります。 振り返ると、広場からは街並みや山並みを見渡せる眺めが広がってました。 犬を数匹連れて散歩している地元の方も見かけました。 ベンチも幾つか設置されていて、憩いの場所のようになっていました。
広場の左手に続く広めの道を更に進んでいきます。 幅の広い10段ほどの横木の階段を登っていくと、左右に通るコンクリート舗装された道に出ます。 東海大学前駅から32分ほどで着きました。 手元の地形図にある146.8m峰の東側に通る実線の道のようです。 ここを左折して、小型車なら1台は通れる緩やかな舗装路を進んでいきます。
終盤を迎えた紅葉を眺めながら緩やかな舗装路を進んでいきます。 2分ほど進んでいくと、道端に石碑が佇んでいました。 前にはススキや南天などが手向けられ、上面には小銭がお供えされていました。 裏をみると箒や塵取りが立て掛けられていて、今でも掃除などの手入れがなされているようでした。 正面には仏の浮き彫りがあり、その下に「念佛_」と刻まれていました。 三文字目はよく分かりませんでした。 読み間違いがあるかも知れませんが、 側面には「南 十日市場道」,「寛政二庚戌年九月 北 いせはらみち」と刻まれているようでした。 寛政2年(1790)と云えば江戸時代の後期に建立された石仏のようで、道しるべも兼ねていたようです。 この道は古くからあるようです。
(十日市場とは当時の曽屋村のことで、今では秦野市の曽屋地区になっています)
ミカン畑の脇を過ぎていくと、左手に海まで見渡せる眺めが広がっていましたが、 生憎と遠くは霞んでいてはっきりとは見えませんでした。 左下にある建物へ続く架け橋を見送っていくと、道が左手へ分かれていきます。 その道を見送っていくと、左手にはテーブル・ベンチが幾つか設置された所があります。 そのすぐ先がT字路になっています。 舗装路に出てから10分ほどで着きました。 道標類は見かけませんでしたが、弘法山へは右手へと登っていきます。 すぐに雑木林へ入っていきます。 右へ曲がって舗装路が終わると、道が二手に分かれています。 道標類は見かけませんでしたが、右手の道は農地へ続いているように思えたので、 左手に戻るようにして登っていく山道を進んでいきました。 この道は、手元の地形図に載っている破線の道になるようです。
八幡神社分岐
浅くU字形に抉れた広めの道には落ち葉が厚く積もっていました。 サクサクサクと音を立てながら登っていきます。 右手の高みを巻くようにして緩やかで歩き易い道が続いていました。 右手の高みは地形図にある146.8m峰のようです。 少し降るようになると分岐があります。 山道になってから7分ほどの所になります。 角には道標が立っていて、左手から登ってくる道は「東海大学前駅」、 正面に続く道は「弘法山」となっていて、今来た道は何も示されてはいません。 左手の道は八幡神社を経て山王下バス停辺りへ降っていく道になりますが、 弘法山を目指して正面の道を登っていきます。
(左手の道は「高取山」を参照)
自興院分岐
広めで歩き易い尾根道を進んでいきます。 U字形に抉れて岩が剥き出しになった所を登っていきます。 傾斜が緩やかになってくると、道端に丸太のベンチが設置されていたりもしますが、 周りは樹木に囲まれていて展望は得られません。 そこを過ぎて樹木が低くなって明るくなった道を進んでいくと、右手から道が合流してきます。 八幡神社分岐から5分ほどの所になります。 脇には丸太のベンチが設置されています。 角に立つ道標によると、今来た道は「東海大学前駅 八幡神社経由」となっています。 右手の道へ少し入った所に別の手製の標識が立っていて「北矢名方面(東海大駅)3km」となっています。 右手の道は自興院から登ってくる道ですが、このまま正面の道を登っていきます。
(右手の道は「弘法山公園」を参照)
自興院からの道を合わせたすぐ先の所で、正面の道と左手の尾根に登っていく道の二手に分かれています。 正面の道の行く末は分かりませんが、少し先で左手の尾根へ登っていく階段があって、 左手の尾根に続く道と合流しています。 今回は左手に続く横木の階段を登っていきました。 1分ほど登って緩やかな道になると、半球の石碑が立っていました。 半年ほど前に来た時には上に石柱が乗っていたのですが壊れてしまったようで、 この時には脇に並べて立てかけられていました。 また壊れた解説板も落ちていました。 読めない部分もかなりありましたが「浅間大神」の跡のようでした。
浅間大神の碑
江戸時代富士山信仰が盛んだったころ村の人々が富士山の神(浅間大神)をまつり___したものです
浅間大神を後にして、緩やかになった尾根道を進んでいきます。 目指す弘法山を正面に眺めながら、ススキが生える道を進んでいきます。 丸太のベンチを過ぎていくと、先ほど分かれた道が右下に続いていて、 そこへ降りていく横木の階段が分かれている所がありました。
左手には箱根方面の山並みが広がっていました。 手前にあるこんもりとした山は、権現山の南東700m辺りにある標高170mほどの高みになるようです。 海の近くまで迫るようにして続く山並みは、不動山から国府津へと伸びている曽我丘陵でしょうか。 振り返ると、街並みの向こうに、相模湾を見渡すこともできました。
次第に登り傾斜が増してくると、弘法山の山頂へ続く横木の階段が始まります。 道はしっかりとしていて歩きにくくはありませんが傾斜が結構あるので、 振り返って秦野の街並みを眺めたりしながら、ゆっくりと登っていきましょう。
弘法山 (標高235m)
横木の階段を4分ほど登っていくと、弘法山の山頂に着きます。 自興院分岐から11分ほどで到着しました。 山頂は広くなっていて、テーブルやベンチが設置されています。 山頂にある釈迦堂は御開帳されていて、安置されている弘法大師像を見ることができました。 綺麗な花も飾られていて、丁寧に祀られているようでした。 釈迦堂は大師堂とも呼ばれているようです。
この弘法山から西にある権現山にかけての緩やかな山頂部は弘法山公園になっています。 山頂を結ぶ道はとても広くて、快適なハイキングコースになっています。
弘法山の歴史
弘法山の名前は弘法大師(774〜835)がこの山頂で修業したことから名付けられたとの伝承があり、 権現山(千畳敷)を含んで呼ぶこともある。 弘法山は麓の龍法寺と深い関わりを持ち、戦国期に真言宗から曹洞宗に変えた。 鐘楼の下に続く沢を真言沢と呼び、その名残りがある。 弘法山の鐘は、享保頃(1716〜35)に龍法寺5世無外梅師と行者の直心全国が発願し、 弘法山周辺の村々の有志や念仏講中の人々の寄進により宝暦7年(1757)12月に完成させた。 明和3年(1766)に山火事でひび割れ、 再び周辺村々の有志や江戸隅田の成林庵主で下大槻伊奈家出身の松操智貞尼の尽力により 徳川御三家や諸大名などから「多額の喜捨」を得て享和元年(1801)5月に完成した。 鐘は当初から「時の鐘」として親しまれ、災害の発生も知らせながら昭和31年まで撞き続けた。 現在の鐘楼は慶応3年(1867)に再建したものである。
 (秦野市)
釈迦堂(しゃかんどう)
山頂には弘法大師の旧跡であることから、古くより福泉庵という堂があった。 江戸時代の中頃に龍法寺の僧馨岳永芳はこの荒廃を嘆き新たに堂を建て釈迦如来像と弘法大師像を祭って釈迦堂としたが、明和3年の火災で釈迦像が焼失し、石造であった弘法大師像はこの時から露座となった。堂の再建後は弘法大師の木造のみを安置していたが、関東大震災や昭和7年の台風で被害を被り長く仮堂であったが、昭和39年に現在の釈迦堂が完成した。
経塚  釈迦堂の後部には鎌倉時代後期の経塚があった。 経塚は経典を書写したものを埋納した仏教上の施設で、末法思想から生まれた。 日本では平安時代末期に出現し、藤原道長が金峰山に般若心経一巻他を埋納した事が知られている。 弘法山の経塚は昭和7年に神奈川県により調査され当時は大甕の口縁部が露出した状態で、経石も散乱していた。
 口縁部が楕円形をし、長径68cm、深さ75cm、腹部から急に細くなっている。
経石 「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」の一字一石経、経題のみ大型石に記載されていた。
経筒 鋳銅製経筒の一部と見られる破片が出土、推定直径12cm。その他陶製の灯明皿が出土している。
 (秦野市)
弘法山の山頂は樹木に覆われていて展望は余りよくありませんが、東側が開けています。 遠くは霞んでいましたが、手前の樹木に邪魔をされながらも秦野の街並みなどを望むことができました。 お昼にはまだ早い時刻でしたが、既に多くのハイカーが登ってきていて、 休んだり食事をしたり眺めを楽しんだりと、思い思いのひと時を過ごしていました。 私もベンチに腰掛けて、早めの昼食タイムにしました。
弘法山の山頂には「弘法の乳の水」という井戸もあり、今でも手押しポンプで汲み上げて飲むことができます。 時を知らせるために撞かれたという大きな鐘楼や、秦野市出身の歌人・原久胤の歌碑も建っています。 また、この弘法山は関東ふれあいの道「弘法大師と桜のみち」のルートが通っていて、 解説板も設置されています。 弘法山から国道246号に降りて新善波隧道を抜け、矢倉沢往還を経て吾妻山へ登っていくコースです。 今回はそのコースと一部重複するルートを歩きます。
弘法の乳の水
この井戸は、昔から「弘法の乳の水」と呼ばれています。 この井戸から湧き出た水は、白くにごり、いつも乳の香りがしていたそうです。 いつの頃からか「真夜中に、誰にも知られずに山に登り、 乳の水を飲むと、乳がどくどくと出るようになる」と伝えられ、 この水をいただきに山に登る人が後を断たなかったと言われています。 いつの世も、子を持つ親の心は変わりません。 乳の出ない辛さにワラをもつかむ気持ちだったのでしょう。 その救いの神がこの白い井戸水でした。 なぜこんな山頂に不思議な白い水が・・・。 それは弘法さまのお力だと伝えられています。
 (秦野ラインズクラブ)
乳の井戸
山頂に白色の水の湧く古井戸がある。 これで粥を炊き食すれば乳が出るという信仰から「乳の水」と称して 昭和30年代初めまで授乳期の母親や妊婦が遠方からも水を求めてきた。 かつてはこの井戸の脇に二つの池があり、夏には太い柳の下で蛙が鳴き、 金魚の紅い色が水面に映じて美しく静かな時が流れていたが、 関東大震災の後に水涸れが起こり一つを埋めてそこに桜を植えた。
 (秦野市)
鐘楼
ハイカーの皆様へ。 この鐘は、時を知らせる鐘として、正午、3時、夕刻等につかれ、長い間地域の人達に親しまれておりました。 大切に扱うとともに、むやみに鐘をつくことは御遠慮下さい。
 (秦野市観光協会)
関東ふれあいの道
関東ふれあいの道は、一都六県を巡る自然歩道です。 沿線の豊かな自然にふれ名所や史跡をたずねながら、ふる里を見直してみませんか。
弘法大師と桜のみち  このみちは県内17コースのうち9番目のコースです。 秦野市南平橋から桜の名所権現山・弘法山へ、 旧矢倉沢街道を経て伊勢原市国道246号坪ノ内バス停までの全長9.4kmの道です。 なお、途中から鶴巻温泉や善波峠を経て高取山、浅間山へも行くことができます。
 (環境省、神奈川県)
弘法山を後にして、釈迦堂の裏手に生えている大木の脇から続く幅の広い横木の階段を降っていきます。 「鶴巻温泉3.9km」,「吾妻山3.0km」,「弘法の里湯・宮永岳彦記念美術館3.8km」, 「聖峰4.6km・高取山4.0km」などの道標が幾つか立っていて、その階段を指しています。
かながわの探鳥地50選 弘法山公園
この付近で見られる主な野鳥
メジロ、シジュウカラ、ホオジロ、コジュケイ、エナガ、エゾビタキ、アオジ、コゲラ、イカル、キジバト
 (鳥もすめる環境都市 秦野市)
美化ボランティア推進運動 弘法山をきれいにする会
この公園は、わたしたちボランティアが美化・清掃等の活動を行っています。 美化ボランティア活動への協力と参加をお願いします。
 (秦野市)
横木の階段は程なくして終り、雑木林に続く広い尾根道を降っていきます。 3分ほど降っていくと、左手からも広い道が合流してきます。 角に立つ道標「鶴巻温泉3.7km」に従って、右前方へと続く道を更に進んでいきます。 古めの道標「鶴巻温泉駅」を過ぎていくと、山頂から5分ほどの所で再び分岐があります。 ここでも左手から合流してくる道を合わせて、正面に続く道を進んでいきます。
更に3分ほど進んで降り傾斜が増してくると、左手に金網柵が現れます。 その向こうには山並みが広がっていました。 念仏山から高取山や浅間山へと続く峰の先には丹沢大山が聳えていましたが、 生憎と山頂の辺りには雲がかかっていました。
長坂分岐
落ち葉の積もる道を柵沿いに降っていくと舗装路に降り立ちます。 脇に立つ道標によると、左手の道は「めんようの里」、正面の道は「吾妻山へ」、 今来た道は「弘法山0.5km」となっています。 ここから右手へと細い山道が降っています。 脇に立つ道標によると「長坂を経て自興院に至る」となっていますが、 正面に続く舗装路を進んでいきます。
(後日に右手の道を歩きました。「弘法山公園」を参照)
乗馬クラブ分岐
正面の道を10mほど進んだ所で、道が二手に分かれています。 角に立つ道標によると、左手へ降っていく坂道は「国道246号」、 正面の道は「鶴巻3.4km・聖峰4.1km・高取山3.5km」、今来た道は「弘法山0.5km」となっています。 関東ふれあいの道「弘法大師と桜のみち」は左手の舗装された急坂を降っていきますが、 今回は正面に続く道を進んでいきます。
写真を撮ったりしていると、カッポ・カッポという音が聞こえてきました。 何だろうと思っていると、正面の道から馬に乗った人がやってきて、左手の道へ降っていきました。 この左下の方には秦野国際乗馬クラブがあるので、そのクラブ所属の馬のようでした。
(左手の道は「弘法大師と桜のみち」, 「弘法山公園」を参照)
204m峰
左手には植林帯が、右手にはミカン畑が続く道を登っていきます。 丁度ミカンの収穫時期のようで、家族総出で収穫作業が行われていました。 畑の脇では袋詰めにして販売されてもいました。 ミカン畑が終わって傾斜が緩やかになってくると、土の道になってきます。 分岐から4分ほど登っていくと僅かな高みに着きます。 手元の地形図にある204m峰のようでした。 高みを過ぎて、広い尾根道をその先へと降っていきます。
善波峠分岐
緩やかに降ってから登り返して僅かな高みに着くと、左手へと踏み跡が分かれていきます。 入口にはベンチがふたつほど設置されています。 正面の樹木には「鶴巻温泉→」と書かれた板切れが括り付けられていて、右手へ降っていく道を指しています。 左手に分れていく道には何も示されてはいませんが、 御夜燈を経て善波峠へ降りていく道になります。 吾妻山へと続くハイキングコースは右手へ降っていくのですが、 今回はここから左手へ分かれていく道に入って、善波峠へと降りていきます。
右手の道を進んでいっても善波峠へ行けます。 降った所に分岐があって、この高みを巻くようにして善波峠までの道が続いていますが、 この左手の道の方が近道だし、途中には御夜燈もあるので、今回は左手の道を選びました。 (右手の道は「弘法山公園」, 「弘法山公園」を参照)
善波御夜燈
左手の道に入って、緩やかな道を1分ほど進んでいくと、右手へ道が分かれていきます。 どちらの道を進んでも善波峠へ降りていけますが、 御夜燈に立寄るには正面の道の方が便利です。 分岐を過ぎていくと降り傾斜が増してきます。 横木の階段を降るようになると、正面には切通しになった善波峠が現れます。 その手前から右へ曲がりながら横木の階段を降っていくと、 尾根道から分かれて2分半ほどで善波御夜燈があります。 石積みの上に設置されていて、脇には解説板もありました。
御夜燈(おんやとう)
この御夜燈は文政10年(1827)に、旅人の峠越えの安全のために道標として建てられました。 点灯のための灯油は、近隣の農家が栽培した菜種から抽出した拠出油でした。 この下に峠の茶屋があり、その主人八五郎さんの手により、明治末期まで点灯し続けられていました。 その後放置されたままになっていましたが、平成6年(1994)地元の 「太郎の郷づくり協議会」の手により復元されました。
 (伊勢原市)
善波峠
御夜燈を過ぎていくと、すぐに右手から坂道が合流してきます。 手前にあった分岐から分かれてきた道で、ロープが張られた急坂になっています。 その道を合わせて左手へ続く横木の階段を降っていくと、切通しになった善波峠に降り立ちました。 弘法山から26分ほどで降りて来られました。 降りた所には「善波御夜燈」の道標が立っていて、今降ってきた道を指していました。 切通しの脇には石仏が幾つか並んでいました。 どういう訳か石仏の頭はなくなっていて、代わりに小石が乗せてありました。 脇には「矢倉沢往還」の解説板が立っていましたが、かなり擦れていてほとんど読めなくなっていました。 以前にここへ来た時にはまだ何とか読めていたので、その時の内容を載せておきます。
矢倉沢往還
近世の交通路は五街道を中心に、本街道の脇にある脇往還が陸上交通の要として整備され、 矢倉沢往還は東海道の脇往還として発達し、江戸から厚木・伊勢原・秦野・関本を抜け、 足柄峠を越え駿州まで延びていまいした。 大山への参詣路として多く利用されていたため、大山街道と呼ぶ所もありました。 また、十日市場(曽屋村)の市立の日の物資運搬にも大きな役割を果たしていました。
解説板にはこの峠が矢倉沢往還の一部だったということは書かれていません。 現在ではこの下に善波隧道が通っていますが、 その東側から山際に矢倉沢往還だった道が今でも続いていて、 関東ふれあいの道「弘法大師と桜のみち」の一部にもなっています。 善波御夜燈の話などからすると、 善波隧道がなかった当時の矢倉沢往還は、この峠を越えて続いていたように思われます。
善波峠からは道が三方に分かれています。 角に立つ「野菊と信仰のみち」の道標によると、正面の右手へ曲がりながら登っていく道は「大山・蓑毛」、 右手に戻るようにして続く道は「鶴巻3.1km・弘法山」となっています。 また別の道標もあって、正面の右手へ続く道は「聖峰3.5km・高取山2.9km」、 右手の道は「弘法山1.1km・鶴巻3.1km」となっていました。 左手の道には何も示されてはいませんが、斉玉地区へ降っていく道になります。 正面の右手へ登っていく道は念仏山から高取山へと続いていて、野菊と信仰のみちにもなっています。 この善波峠は、伊勢原市と秦野市の市境にもなっています。 今回はここから左手へ続く道を降っていきます。
野菊と信仰のみち
「野菊と信仰のみち」は関東ふれあいの道「弘法大師と桜のみち」の枝線で、 小蓑毛から高取山や念仏山を経て、この右手の道を進んで尾根道に出た所で終わりになっています。 そこに「野菊と信仰のみち」の案内板が設置されています。
コンクリート舗装された広い坂道を1分半ほど降っていくと、広くなった草地の脇に出ます。 白いガードレールに沿って緩やかに降っていくと、造成地の上に出ます。 右手から回り込んで降っていくと、右手から広めの道が合流してきます。 善波峠から念仏山へと登っていく途中にある分岐から分かれて降ってくる道のようでした。 その道を合わせて造成地の脇を更に降っていくと、善波峠から5分ほどで、 舗装路の曲がり角にある十字路に降り立ちました。 右手にはホテルが建っています。 手前には道標が立っていて、今降ってきた道は「高取山・善波峠」となっています。 電力会社の巡視路を示す黄色い標柱もあって、今降ってきた道は「鶴巻線1号に至る」となっています。 また正面にも小さな標識が立っていて、 右手の道は「国道246号へ」、正面へ降っていく坂道は「秦野駅へ」となっています。 左手の道には何も示されてはいませんが、善波隧道へは左手へ進んでいきます。
送電線の鉄塔「鶴巻線1」は、善波峠から正面の右手へ登っていく道の数分先に立っています。
(正面の道は「弘法山公園」を参照)
善波隧道
民家風の教会を過ぎて緩やかな坂道を登っていきます。 左上には先ほど過ぎてきた造成地があるようでした。 山を切り開いて造ったと思われる道を進んでいくと、善波隧道があります。 その上部は鞍部になっていて、善波峠の真下に位置しているようでした。 トンネルの入口には「善波隧道昭和三年三月成」と刻まれた銘板が掲げられています。 長さ150mほどのトンネルの内部はブロック積みになっていて真っ直ぐに続いています。 薄暗い内部には照明が点々と付けられているので、懐中電灯などがなくても歩いていけます。 少し離れた所に新たに新善波隧道が造られたこともあって、 今ではこの善波隧道を通っていく自動車は僅かしかありません。
この善波隧道が出来る昭和3年よりも前は、 秦野市名古木地区と伊勢原市善波地区の境に続くこの尾根を越えていくのには、 直上にある善波峠を通っていく矢倉沢往還が利用されていたようです。 現在では善波峠へ続く道は秦野市側だけにあって、伊勢原市側には残っていません。 往時の矢倉沢往還のルートはよく分かりませんが、 この善波隧道へ通じる道を造るための掘削作業のために、 ルート変更を余儀なくされたり消えていったりしたのかも知れません。
国道246号
善波隧道を抜けて、両側にホテルが建ち並ぶ道を降っていくと国道246号に出ます。 右手の奥の方には伊勢原方面と思われる街並みが広がっていました。 旧道は国道を横切って斜め前へと続いていますが、右折して国道を進んでいきます。 歩道を1分ほど進んで自動車用品店の前まで来ると、右手に戻るようにして分れていく道があります。 草や看板に隠れて少し見難くなってなっていますが、角には関東ふれあいの道の道標が立っていて、 右手の道は「矢倉沢道」、今来た道は「弘法山」となっています。 ここは道標に従って、右手へ戻るように続く土の道を降っていきます。
(写真は分岐を過ぎて振り返って写したものです)
小型車なら通っていける程の道を軽く降っていくと、すぐにススキの生い茂る鞍部に着きます。 小さな畑の脇を過ぎていくと細い竹の林に入っていきます。 軽く登って左手へ曲がっていくと道が二手に分かれています。 広めの道は左へと曲がっていきますが、細めの道が右手へ登っていきます。 辺りには道標類が見当たらず、どちらへ行けばいいのか迷う所です。 道幅からすると左手に進んでいきそうですが、矢倉沢往還へは鉄塔の見えている右手の道を進んでいきます。 笹の生い茂る道を登っていくと、すぐに送電線の鉄塔「鶴巻線2」の袂に出ます。 金網柵に沿って角までいくと関東ふれあいの道の道標が立っていて、 右手へ曲がっていく道は「矢倉沢道」、今来た道は「国道246号」となっています。 その脇には電力会社の「鶴巻線3号に至る」の黄色い標柱も立っていて、同じく右手の道を指しています。 どうせなら手前の分岐の所に立てておけばいいものをと思ったりします。
(左手の道は「弘法山公園」を参照)
矢倉沢往還
道標に従って柵に沿って右折していくと、すぐに谷あいにある畑地に出ます。 畑地の中の道を緩やかに降っていくと、細い流れが始まる角に丸太の木橋が架かっています。 橋を渡ってその先へ進んでいくと雑木林の中へと入っていきます。 広くなった道を進んでいくと、国道から5分ほどで左右に通る道に出ました。 角には関東ふれあいの道の道標が立っていて、 左手の道は「矢倉沢道」、今来た道は「国道246号」となっています。 また里程標もあって、左手の道は「坪ノ内3.65km」、今来た道は「下大槻5.75km」となっています。 電力会社の「鶴巻線3号に至る」の黄色い標柱もあって左手の道を指しています。 脇には「矢倉沢往還」の解説板が設置されていました。 右手の道もしっかりとしていましたが、 「この農道はこの先通り抜けできません」との看板が立っていました。
矢倉沢往還
この道は奈良時代に開かれ、箱根越えの東海道が出来るまで官道の役割をしていました。 江戸時代には裏街道として賑わい、伊豆・沼津から足柄・秦野・伊勢原・厚木・荏田を経て、 日常生活に必要な炭・わさび・干し魚・茶、それに秦野のたばこなどが馬の背で江戸へ運ばれ、 人々に矢倉沢往還(矢倉沢街道)と親しまれていました。 また、大山・阿夫利神社に詣る道ということから大山街道の名でも親しまれていました。
 (環境省、神奈川県)
善波隧道が出来るまでの矢倉沢往還は、ここから善波峠までどのルートを通っていたのでしょうか。 手元の地形図を見ると、右手の道は峠の近くまで続いているようです。 今回歩いてきた善波隧道からここまでの道は不自然なほど遠回りのルートになっていることからすると、 善波隧道を通すために山を切り開く以前の矢倉沢往還は、 この右手の道から峠へと直に続いていたように思えてきます。
道標に従って、左手へと続く矢倉沢往還を進んでいきます。 往時には官道だったというだけあって、広くて緩やかな道が山際に続いていました。 そんな道を1分半ほど進んでいくと、右手の山へと登っていく道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、 右手の道は「太郎の郷さんぽ 弘法山ハイキングコースへ」となっています。 脇には電力会社の「鶴巻線3号に至る」の黄色い標柱も立っていて、同じく右手の道を指しています。 矢倉沢往還は正面へと更に続いていますが以前にも歩いているので、 今回は右手の山道を登っていくことにしました。
(正面の道は「弘法山公園」を参照)
太郎の郷さんぽ
この辺りのかつての領主であった善波太郎重氏に因んだ散策路のようですが、 どこからどこまで続いているコースなのかはよく分かりませんでした。
植林帯の縁に沿って続く道を登っていきます。 傾斜もそれほど急ではなくて歩き易くなっていました。 3分ほど進んで植林帯の端まで来ると、右手へ曲がっていきます。 植林帯と雑木林を分ける斜面を直登していくと、次第に登り傾斜が増してきます。 脹脛が痛くなるほどの急坂になってくるので、休み休み登っていきました。
3番鉄塔
急斜面に続く道を4分ほど登っていくと、傾斜が緩やかになってきます。 正面にある高みの手前で左手へ曲がって、緩やかになった道を進んでいくと、 弘法山から吾妻山へと続く尾根道に立つ送電線の鉄塔「鶴巻線3」の袂に出ました。 矢倉沢往還から8分ほどで登って来られました。 北側には樹木に邪魔されながらも丹沢の山並みが広がっていました。
199m峰
3番鉄塔から広い尾根道を右手へ僅かに登っていくと、ベンチが幾つか設置された高みに着きます。 手元の地形図にある199m峰になるようです。 周りは樹木に囲まれていて展望は得られません。
とって良いのは写真だけ
残して良いのは思い出だけ
ビン、カンの投げ捨て禁止!!
ごみは持ち帰りましょう!!
 (秦野あづまライオンズクラブ)
おおね台分岐
199m峰を過ぎて軽く降って、緩やかになった広い尾根道を進んでいきます。 僅かな高みに着くと尾根道は右へ曲がっていきますが、そこから細い踏み跡が左手へ分かれています。 おおね台団地へ降っていく道の枝道ですが、その道は見送って、広い尾根道をそのまま降っていきます。 坂を降り切る手前まで来ると、左から広めの道が合流してきます。 角に生えている樹木には「鶴巻温泉駅方面」と書かれた板が取り付けれていて、今降ってきた道を指していました。 このまま広い尾根道を進んでいく、善波御夜燈へと分れていった高みを経て弘法山へと続いていますが、 今回はここを左折して、おおね台団地へと降っていきました。
199m峰の先の僅かな高みから左手へ分れていく道を3分ほど進んでいくと今回の道と合流します。
(正面の道は 「高取山」, 「弘法山公園」, 「念仏山」, 「弘法山公園」を参照)
雑木林の斜面を横切るようにして続く緩やかな道を進んでいきます。 1分ほど進んでいくと、左手から僅かな踏み跡が合流してきます。 先ほどの手前にあった僅かな高みから左手へ分れていった道になります。 その道を合わせたすぐ先で道が二手に分かれています。 正面の尾根に続く道と、左手へ降っていく道になります。 道標類は見当たらず、どちらへ進んだものかとしばらく考えた末、 正面の道よりも左手の道の方がしっかりとしているように思えたので、 今回は左手の道を降っていきました。
尾根を越えて左傾斜の雑木林の斜面に続く道を降っていきます。 時折右手から踏み跡が合流してきます。 先ほどの分岐を直進していった道か、そこから更に分かれてきた道のように思えましたが、 確かめた訳ではありません。 分岐箇所を左手・左手と選んで降っていきます。 木の根が剥き出した段差があったり、少し岩が剥き出した所もあったりしますが、それほど歩き難くはありません。 少しU字形に抉れた所を過ぎて緩やかな道になってくると、少し開けた感じの所に出ました。 尾根道から8分ほど降ってきた所になります。 右手からは緩やかな道が合流してきていました。 道の様子からすると、逆向きに登ってきた時には、右手の道の方が自然な感じで続いていました。 どこから降ってくる道なのか興味はありましたが、正面に続く舗装路に変わった道を降っていきました。
おおね台団地
歩き易くなった舗装路を緩やかに3分ほど降っていくと、正面が開けた所のT字路に出ます。 右手にも広めの土の道が分かれていましたが、今回は左手へと続く舗装路を降っていきました。 椎茸の栽培にでも使っていそうな木が並んだ所を過ぎて右手へ曲がっていくと、民家の前に出ました。 降り立った所はおおね台団地の北西端になります。 尾根道から13分ほどで降りて来られました。 これで山道は終りになります。
民家の前を左手へ降っていくとT字路に出ます。 そこを右折して「おおね台団地」に続く道を真っ直ぐに降っていきます。 左右の道を見送っていくと、桜並木が続く広い通りになった「さくら道」に出ます。 右手へ進んでいくと自興院を経て弘法山へと登っていけますが、 今回はさくら道を横切って更に真っ直ぐ降っていきます。
(左右に通る道は「弘法山公園」を参照)
鉾ノ木橋
おおね台団地に続く道を真っ直ぐ降っていくと、1分半ほどでT字路があります。 そこを右折して1分半ほど降っていくと、カーブミラーのあるT字路に出ます。 そこを左折して一段と広くなった道を降っていくと、おおね台入口交差点があります。 そのすぐ先に通る東名高速道路に架かる鉾ノ木橋を渡っていきます。
鉾ノ木橋を渡ってその先へと降っていきます。 少し曲がっていたりもしますが、左右の分岐は見送って道なりに降っていきます。 道路の左手に続く畑地を過ぎていくと、右手に県営大根団地があります。 団地を過ぎて傾斜が増してきた坂道を降っていきます。 両側が土手になって雰囲気のいい坂道を過ぎて更に降っていくと、線路沿いの車道に降り立ちました。 最初に線路沿いの車道から分かれて東名高速道路へ向って右折していった所の手前にあった分岐になります。 ここを左折して、元来た道を東海大学前駅へと戻っていきます。
東海大学前(とうかいだいがくまえ)駅
線路沿いの車道を進んでいきます。 東海大学前駅バス停を過ぎていくと踏切があります。 踏切を過ぎた先の左手にある坂道か階段のいずれかを登っていくと、東海大学前駅(小田急小田原線)に着きます。 おおね台団地に降り立った所から23分ほどで到着しました。