三渓園
散策:2008年11月上旬
【街角散策】 三渓園
概 要 開国時代に横浜市の実業家であった原三渓氏の所有地であった所が「三渓園」として一般に公開されています。 広い園内には日本庭園や昔の建造物などが多くあって、伝統ある日本に出会うことができます。 四季折々に色々な催し物が開催されていて、秋には綺麗な紅葉を楽しめる所でもあります。
起 点 横浜市 本牧バス停
終 点 横浜市 間門小学校前バス停
ルート 本牧バス停…本牧道祖神…亀の子石…三渓園正門…外苑…三渓記念館…内苑…三渓園南門…本牧市民公園…間門小学校前バス停
所要時間 2時間20分
歩いて... 園内はかなり広くて茶屋などもいくつかあり、家族連れでも楽しむことができます。 梅林のある谷筋では人工霧の演出もあって、幻想的な光景に出会えました。 この時には菊花展やいけ花展が開催されていました。 また、本牧市民公園では陶芸祭が行われていました。
関連メモ 三渓園
コース紹介
本牧(ほんもく)バス停
根岸駅(JR根岸線)から、[58]横浜駅前行きバス、[99]桜木町駅前行きバス, または,[101]保土ヶ谷車庫前行きバスにて9分、便は頻繁にあります。
山手駅(JR根岸線)から、[222]山手駅前行きバスにて15分、1時間に3本程度の便があります。
桜木町駅(JR根岸線)から、[101]根岸駅前行きバス、[8][106][148]本牧車庫前行きバス, または,[58][99]磯子車庫前行きバスにて18分から21分、便は頻繁にあります。
(写真は根岸駅方面のバス停です)
本牧道祖神
根岸駅方面のバス停の根岸駅寄りにコンビニがあります。 その先の交差点を左折していきます。 角には「三渓園600m先」の看板が出ていて左手の道を指しています。 雰囲気のいい並木が続くこの道は本牧桜道というようで、沿道の樹木は桜の木のようです。 春には綺麗な桜並木になるのだろうと思いながら2分ほど進んでいくと、 十字路の角に趣きのある寿司店の建物がありました。 岐阜県の大垣城の櫓を形どった建物で、昭和48年(1973)に完成したようです。 その前には、「本牧道祖神」の祠や、 山下公園にある像と同じ形をした「赤い靴はいてた女の子」の像が立っていました。 その寿司店とは直接の関連はなさそうに思えましたが、設置場所を提供しているということなのでしょう。
本牧道祖神 "いわれ"
道祖神とは昔から塞の神といわれ、幸福の神、歳の神でもあります。 塞とは遮ぎるの意で、外から悪霊などが入り込まないように防ぐための神でもあります。 本来は、村境とか村里の辻・峠などに奉られたそうです。 特にこの本牧道祖神は交通安全・縁結び・子授り・安産を祈願して奉られてあります。 本牧へお越しの際は、この本目道祖神をお参り下さい。 一度お参りしますと願いごとが叶い、再びここ本牧に来られるといい伝えられております。 毎月四の日が縁日です。
赤い靴はいてた女の子
大正10年、詩人野口雨情は美しい横浜の情景に魅せられてこの詩を詠み、 本居長世の曲によって人々の心を打ちました。 私たちはこれを横浜の心として形に残し、大人には去りし日の郷愁を、 そして青少年には夢と希望と勇気を与えたいと願い、市民運動を展開しました。 幸い多くの方々の賛同を得て山下公園に建設し、今や横浜の新しい顔として定着して、 訪れる内外の人々に愛され親しまれております。 私達はこの永遠の小さな恋人を、コペンハーゲンの人魚姫の像とブリュッセルの小便小僧と共に、 世界の三大メルヘン像として、このヒューマニズムと愛を後世に伝え続けていきたいと思います。
 (童謡 赤い靴を愛する市民の会)
亀の子石
道祖神を過ぎていくと、信号機のある十字路があります。 そこを直進して本牧三之谷町内会館を過ぎていくと、 道路の左手に「亀の子様」の扁額の架かる鳥居が立っていて、 その奥には「亀の子石」と刻まれた石碑がありました。 手前には「亀の子たわし」や小銭がお供えされていました。 今でも篤く信仰されているようで、お供えされている「たわし」は真新しいものでした。
亀の子石の由来
大昔のこと、漁師の網にかかった大亀がそのまま石に化したのだと伝えられている。 いつの頃からかこの亀の子石はのどを守る神、特に百日咳に効験ありとして信仰され、 百日咳などを患うと、この神様からたわしを借りてのどをこすり、 また小児の食した茶碗をこのたわしで洗うと不思議に咳が治るといわれている。 三七の結願で治ると亀の子たわしを倍にして返礼する習わしがある。
 (本牧三之谷町内会、横浜本牧観光協会)
三渓園正門
商店などの前を過ぎていくと、三渓園正門があります。 道路向かいには「かながわの景勝50選 三渓園」の石碑が立っています。 入場券を買って、竹垣で出来た門から中へと入っていきます。 入口で園内のパンフレットなどを貰ってから散策へと向かっていきます。
本牧風致地区
本牧は江戸期より、風光明媚な海辺の絶景地として、文人墨客に愛されてきました。 明治になってからは居留地に住む外人達の散策の地となり、横浜市民にも広く愛されるようになりました。 横浜の生糸商、原富太郎氏がつくった三渓園が明治39年に開園し、 周辺一帯は閑静な住宅地としても開けてゆきました。 三渓園に隣接して、本牧市民公園も整備され、一帯は市民の文化レクリエーションの地として親しまれています。 そのため、三渓園・本牧市民公園周辺の景観風致を保全するとともに、 良好な住環境を維持するために、横浜市は本牧風致地区を指定しています。
 (横浜市)
外苑
正門から園内に入ると、正面には大池が広がっています。 池畔には枝垂れ柳も並木を作っていて、風情のある景観になっています。 大池の向こう側の高台の上には旧燈明寺三重塔が聳えています。 大池を中心とした外苑にあるお寺や古民家などを順に見ていきます。 園内には通常の解説板に混じって「開園100周年記念野外写真展 三渓園 昔むかし」と題して、 その昔の園内の様子などを写した解説付きの写真が掲示されていました。 当初は1年間の予定だったところが、『好評につき常設となりました』とのことでした。 入口の先にある藤棚の傍では盆栽展も催されていました。
開園100周年記念野外写真展 三渓園 昔むかし
「優美な自然景観は私有するものでなく、むしろ万人が楽しむべきもの」。 こうした考えのもと、横浜の生糸貿易商 原三渓が自らの邸宅であったこの地を一般開放したのは 明治39年(1906)5月1日、今からちょうど100年前のことです。 以来、今日まで三渓園は横浜の名所・行楽の地として、近隣のみならず国内各地から、 さらに港から上陸した外国人に至るまで、多くの人々に親しまれてきました。 今では"日本庭園"という枠におさめられている三渓園ですが、 往時この地では誰もが昼夜を問わず自由に入園ができ、無料で茶がふるまわれ、 海水浴や釣り・潮干狩りなどもできるといった、格式ばらない気楽さもありました。 この野外写真展では、当時みやげ物として周辺で売られていた絵はがきの写真28点を、 その写真が撮影された園内の同じ場所に展示し紹介します。 これらの写真には、今では失われてしまった風景や、その頃の人々の風俗・生活が写しだされているばかりでなく、 原三渓が理想郷として創りあげた当時の三渓園が持っていた自由で気取りのない空気も感じとれるはずです。 園内を散策しながら、暫し三渓園100年の歴史をお楽しみください。
※写真の展示マップは正門・南門などで配布しています。
 (三渓園)
八つ橋から三渓園天満宮・観心橋・涵花亭・旧燈明寺本堂と訪ねていきました。 本堂の前ではよしず張りのテントの中に大輪の菊が並べて展示されていました。 茎の長いグループや短いグループがあり、黄・白・紅などの綺麗な花を咲かせていました。
待春亭・旧矢箆原家住宅・旧東慶寺仏殿と訪ねて梅林のある小さな谷筋まで来ると、霧が漂っていました。 何故こんな時に霧が…などと考えていると、人工的に発生させているようでした。 「雨月物語−断崖の滝」と題され、小滝の上と竹林の斜面の辺りに霧発生装置が設置されているようでした。 風の状況に呼応して制御しているのだそうです。 霧がまるで滝のように流れ出してきて、辺り一面は見る見るうちに白いベールで包まれてしまいました。 時折光が明滅したりもして、幻想的な雰囲気を醸し出していました。
雨月物語−断崖の滝
不可視の風の無定形な運動が、人の手を介することなく、自然の力で物語を語りはじめる。 風の化身となった霧は、あたりの幽かな気配を読み取りながら、 従順に、時にはしなやかに舞い、漂い、沈黙し、また時として荒々しく乱舞してその本性をあらわにする。 変幻自在な霧の動きの無限循環。 音もなく立ち現れて、霧は、見慣れた風景を一瞬のうちに非日常の異空間へと変容し、 白い闇や人びとを包み込み、万物の根源、エレメンタルな世界へといざなう。 大気の息遣いに自らを委ねるように、だれしもが知らぬ間に囚われの身となり、 大自然の無限循環の一部となるのである。
 (中谷芙二子)
霧発生装置
旧東慶寺本堂脇に位置する滝の後方に庭木戸を立てる。 戸口に96個のノズルをとりつけ、人工霧を発生させて。「懸崖の滝」に見立てる。 山側斜面に配置された180個のノズルから、幻の滝に呼応するように山霧が湧き立ち、一帯は白い霧に包まれる。 人工霧の制御に自然の側に委ねるひとつの方法として、風と光による自動制御を試みた協同作品。
霧制御システム
風向風速センサーからリアルタイムで送られてくるシグナルで、霧の発生は自動制御される。 風が薙ぐと霧発生装置が作動し、中空から霧の滝が現れる。 幽かな風を捉えてセンサーが霧の発生を休止すると、谷間に漂う霧は風に吹かれて消えていく。 制御システム開発とプログラムは市川創太による。
照明プログラム
2ヶ所に設置された赤外線センサーが人の気配を感知すると、数ヶ所に仕込まれたLEDの照明が明滅する。 無機質な光を捉えて息吹はじめる。 照明デザインとプログラムは藤本隆行による。
横笛庵・初音茶屋・林洞庵などを訪ねていくと、 大池の畔には三渓園茶寮や月影の茶屋・雁ヶ音茶屋などが並んでいます。 お昼を少し回って小腹が空いたので、その中の一つに入っておでんなどを頂いたのでした。
茶屋の傍にはよしず張りの中に懸崖造りの菊や大輪の菊などが展示されていました。 その内に定刻になって、説明員が菊花展についての説明をしていました。
大池には鴨や鯉が沢山泳いでいます。 茶屋でエサを買って、与えている人もかなり見かけました。 何匹もの鯉が群がって大きな丸い口を水上に開けてパクついていました。 こんな姿は普段あまり見かけないので、ちょっと驚きでした。 エサが投げられると鴨も急いで寄って来てつついていました。 普段見かける優雅さとは違って、何だか活きるための凄まじさを感じたりもしました。
鶴翔閣へ向かっていくと、広山流のいけ花展が催されていましたが、 靴を脱いで上がるのがちょいと面倒だったりします。
鶴翔閣(旧原家住宅・横浜市指定有形文化財)
鶴翔閣(旧原家住宅)は原富太郎(三渓)が明治30年代に自邸として建てた住宅で、 楽室棟・茶の間棟・書斎棟・客間棟・仏間棟・倉などの建物群で構成されています。 この建物は居住用と来客用の機能をあわせ持ち、横浜市域の近代和風建築を代表すると共に、 横山大観ら日本美術院の作家たちがたびたび出入りし、 近代の日本画壇に大きく貢献した記念物としての価値も認められます。
内苑
鶴翔閣から引き返してきて、睡蓮池の畔を過ぎていくと、 池には亀や鯉が沢山泳いでいました。 内苑への入口の門から入っていき、三渓記念館を一通り見学します。 そこから御門へ回って白雲邸を過ぎていくと、右手の谷筋の入口に臨春閣があります。 手前には池もあって風格のある建物です。 三つの建物が繋がったような形をしています。
臨春閣(重要文化財)
この建物は、紀州候初代の徳川頼宣によって慶安2年(1649)に、 和歌山県那賀郡岩出町の紀ノ川沿いに建てられた夏の別荘巌出御殿といわれています。 8代将軍吉宗は幼時この巌出御殿に育ち、享保元年(1716)に将軍になりました。 また、この建物は数奇屋風書院造として、宮家別荘桂離宮と共に我国住宅史上において 別荘建築の双璧といわれています。 三渓苑には大正6年(1917)に移築されました。
旧天瑞寺寿塔覆堂・亭しゃ(木遍に射)を過ぎて石段を登っていくと、 月華殿・金毛窟・天授院などがあります。 そこから引き返してきて、谷筋のせせらぎに続く遊歩道を降っていきます。
写真家とそのお弟子さんと思われるグループが写真を撮っていました。 ちょいと見ているとフィルムカメラのようでした。 お弟子さんがフィルムを詰めて1コマ目まで空シャッターと手動巻き上げをしていたりもして、 懐かしい光景に出会えました。 今ではすっかりデジカメ漬けになっていますが、 以前には手巻きのマニュアルカメラを使っていたことを思い出したりしました。 フィルムだと写せる枚数に限りもあるし、今と当時とでは撮影スタイルも随分違ってきたように思います。
聴秋閣・春草蘆を経て海岸門から内苑を出ていきます。 正面へ進んでいくと園内の大きな案内図がありました。 高台を訪ねるのがまだ残っていたので、案内板の右手から続く坂道を登っていきました。 大池の方から登ってくる道を合わせて右手へ登っていくと、 竹が道の上まで覆っていて回廊のようになっていました。 何だか異空間に迷い込んだような雰囲気がしてきます。 左へと曲がっていく角から横木の階段が分かれていたので、その階段を登っていきました。
すぐに広い道に出て右手へ進んでいくと松風閣があります。 二階に上がれるようになっていて展望台のようになっていますが、 手前の樹木に邪魔をされて、眺めはいまひとつです。
No.12 松風閣
初代・善三郎が別荘として明治20年ごろに築造した建物で、その名称は伊藤博文によるものである。 写真はレンガ造の玄関部分で、窓などは中国風の意匠が見られる。 断崖に立ち東京湾の絶景を望むことができる松風閣は、三渓の代となり本邸・鶴翔閣が建てられると、 重要な客をもてなす、いわゆるゲストハウスとして増築がなされた。 大正5年(1916)には、アジア人初のノーベル賞受賞者であったインドの詩人・思想家のラビンドラナート・タゴールが アメリカへの講演旅行の途中、ここに数ヶ月滞在し、詩「さまよえる鳥」をのこしている。 また、その一室"観山の間"には三渓が支援した中で最も好んだ日本画家・下村観山が描いた 「四季草花図」の障壁画があったが、大正12年(1923)の関東大震災により建物とともに消失した。
松風閣から引き返して竹の回廊を抜けていくと、正面に旧燈明寺三重塔が聳えています。 関東では最古の塔とのことです。 周りには柵が設置されていて、中に入っていくことはできません。
旧燈明寺三重塔(重要文化財)
この建物は、もと京都府相楽郡加茂町の燈明寺にあったものを大正3年(1914)三渓園に移築したものです。 寺伝によりますと燈明寺は天平7年(735)聖武天皇の勅願によって建てられた寺院とされています。 建物の様式などから、室町時代に建てられたものと推定されます。 関東では最古の塔です。
三渓園南門
三重塔のある高台から降りて南門へと向かっていきます。 松の並木に沿って緩やかに降っていくと南門があります。 以前はこの辺りは遠浅の海岸だったのだそうで、一之谷・二之谷・三之谷と三つの谷があり、 三渓園の「三」はその中の三之谷に造られたことによる名称のようでした。
No.7 納涼台
埋立てにより今では本牧市民公園となっているこの一帯も、昭和30年代までは東京湾の 雄大なパノラマが眺められる遠浅の海岸であった。 潮干狩りや魚釣り、海水浴などもでき、当時の三渓園には現在とは別の気取りのなり楽しみもあった。 干潮の時を見はからい海岸伝いに歩いて園内に入ったり、船で乗りつけて上陸したりすることもあったようである。 石垣にせり出すように造られたこの木造の納涼台は、しばしば下からの強い波を受け破損したことがあったという。
No.8 海岸
当時沖からこのあたりに陸地を望むと、海に向かって開く3つの並んだ谷、 "一之谷"・"二之谷"・"三之谷"が確認できた。 三渓園は、現在でも地名として残る、三之谷に造られたことによる名称である。 幕末、横浜に来航したペリー一行は、この附近のみかん色の崖を"マンダリン・ブラフ"と親しみを込めて呼んだ。 そして開港以降、横浜は多くの外国船が行き交う国際的な港として発展したが、 そのすぐそばにありながらも三渓園界隈の海岸では昔ながらの漁や海苔の養殖などが依然行われ、 日常の人々の生活風景がそこにあった。 昭和30年代までは帆掛舟の姿も見られた詩情豊かな海であった。
本牧市民公園
南門から出て橋を渡っていくと、左右には本牧市民公園とんぼの池が広がっています。 池には蓮が一面に生えていて、鴨が何羽も泳いでいたりします。 池には上海横浜友好園があるので、ちょっと立寄っていきました。
竹垣の門から入って九曲橋を渡っていくと、正面に特徴的な姿をした朱塗りの湖心亭がありますが、 この時には腰かけの背もたれが弱くなっているとのことで、柵で閉ざされていました。 右手へ曲がっていくと玉蘭庁があります。 九曲橋・湖心亭・玉蘭庁から成るこの上海横浜友好園は、 横浜市と上海市との友好都市提携15周年を記念して、上海市より横浜市へ寄贈されたものだそうです。
上海横浜友好園
この友好園は、横浜市と上海市が昭和48年友好都市を結び、 15周年を記念し横浜市から「横浜上海友好館」を上海市に建築寄付したお礼として、横浜市に贈られたものです。 建設にあたっては、約3,000uの敷地内に中国から大部分の資材を運び、 建築の職人など13名が建設チームを編成し、約3ヶ月かけ平成元年4月に完成したものです。 この庭園と建築は、江南様式といわれ、落ち着いた雰囲気をもった造りで、 北方式庭園の皇帝の権力を誇示する意図をもって造られた華麗で重厚な造りと区別されています。 庭院入口は非常に細かくしたレンガ細工で門を構え、玉蘭庁の正面には一組の太湖石を配置し、 舗装は卵状の石やレンガを用いた花模様を形づくっています。 池中にある石灯籠は大理石で、連絡道となっている曲橋は花崗岩造りで、 曲がる度に違った景観を楽しめるよう配置されています。 玉蘭庁内には、背もたれに山水画を配した椅子や家具を始め上海市から贈られた、 香炉や壺、書画などを展示しています。 また、竹門楼の屋根はシュロの皮で葺かれ、その先には六角形の湖心亭があり、 女性的な曲線をもつあずまや造りとなっています。 中国の趣きを感じさせます朱色の建物や庭園と、広大な歴史の深い中国に思いを寄せてはいかがですか。
上海横浜友好園から引き返して橋を過ぎていくと、青少年陶芸センターでは陶芸祭が催されていました。 紅白の垂れ幕が下がった一角では楽焼などが展示されていました。 その右手を過ぎていくと、池沿いの道は崖崩れのために通行止めになっていたので、 車道側の散策路を進んでいきました。
間門小学校前(まかどしょうがっこうまえ)バス停
松並木になっていて雰囲気のいい散策路を進んでいくと、国道357号に出ます。 その上には高速道路が通っています。 国道を右手へ進んだ所にある間門小学校前交差点の横断歩道を渡って向かい側へいくと、 右手の先に間門小学校前バス停があります。
根岸駅(JR根岸線)まで、根岸駅前行きバスにて5分、1時間に6本程度の便があります。
神奈川臨海鉄道
道路の海側には金網を挟んで鉄道の線路が通っていました。 神奈川臨海鉄道というのだそうで、 根岸駅から横浜本牧駅を経て本牧埠頭や国際埠頭へと続く貨物専用の鉄道のようです。 ここを通っているのは本牧線で、その他にも、川崎貨物駅からの浮島線・千鳥線・水江線があるようです。