念仏山
散策:2008年11月上旬
【低山ハイク】 念仏山
概 要 念仏山は丹沢山塊の南にある低山で、天気がいいと箱根の山々や富士山も望むことが出来ます。 関東ふれあいの道の枝道「野菊と信仰のみち」が通っている山でもあります。 今回はその北東にある340m峰から454m峰へ登り、念仏山を経て名古木地区へと降るルートを歩きます。
起 点 伊勢原市 神戸バス停
終 点 秦野市 御嶽神社入口バス停
ルート 神戸バス停…比々多神社…栗原大橋…保国寺…万松寺分岐…林道分岐…勝興寺分岐…340m峰…山道出合…454m峰…念仏山…14番鉄塔…梅林…31番鉄塔…山之神社…御嶽神社…御嶽神社入口バス停
所要時間 4時間20分
歩いて... 勝興寺分岐から340m峰の手前までは踏み跡もはっきりとはせず、25分ほどの薮漕ぎ状態が続きます。 アオキや笹竹が中心なので、冬枯れの季節になっても状況はあまり好転しないものと思われます。 国道246号から三島神社を経て南側の尾根から340m峰に登る方がずっと歩き易くなっています。
関連メモ 高取山, 高取山, 高取山, 念仏山
コース紹介
神戸(ごうど)バス停
鶴巻温泉駅(小田急小田原線)の北口から、[伊59]伊勢原駅北口行きバスにて9分、 朝と夜には1時間に2本程度、お昼前から夕方にかけては1時間に1本程度の便があります。
伊勢原駅(小田急小田原線)の北口から、[伊59]鶴巻温泉駅行きバスにて8分、 朝と夜には1時間に2本程度、お昼前から夕方にかけては1時間に1本程度の便があります。
バス停の近くの比々多小学校交差点を右折していきます。 角にはガソリンスタンドがあります。
今回は地形図に載っている454m峰の東側にある破線の道を登っていきます。 栗原地区から万松寺や清掃工場の北側を通り、340m峰を経て454m峰へと至る尾根ルートになります。
比々多小学校の左手に沿って進んでいくと分岐があります。 正面にはちょっとした駐車場があります。 そこを左折していくと十字路に出ます。 角には木の祠に納められたお地蔵さんが立っています。 そこを右折して住宅地に続く僅かな坂道を登っていきます。 「三之宮比々多神社参道」と刻まれた石碑の立つT字路を直進して傾斜がなだらかになってくると、 正面に東名高速道路が通っています。 左右はちょっとした公園のようになっていて、樹木が植えられベンチなども設置されていました。 脇にある解説板によると「ハイウェイパーク」というようです。 正面の高架の下をくぐっていきます。
高架をくぐっていくとすぐに三之宮比々多神社入口交差点があります。 そこを直進して軽く登ると、左右には畑地が広がっていました。 正面の奥に聳えているのが丹沢大山、山頂に電波塔の見える左手の山が高取山、 その右前方の樹木が薄れた所が聖峰、高取山の左手にある山が454m峰のようです。 高架から2分もしない所にT字路があります。 角に立つ道標によると、正面の道は「高取山4.0km・聖峰2.9km」、 右手の道は「三之宮比々多神社0.4km」、今来た道は「神戸バス停0.7km」となっています。 また脇に立つ電柱には「三之宮比々多神社ここ入る」の看板が取り付けられていて、右手の道を指しています。 今回の340m峰への登り口は正面の道を進んでいけばいいのですが、 すぐの所に比々多神社があるので立寄っていくことにしました。
T字路を右折して畑や刈り取られたたんぼなどを眺めながら進んでいきます。 鉄工所を過ぎ比々多神社バス停を過ぎていくと、僅かに登った所から左手に分かれていく道があります。 正面の石垣の上の植え込みの中に「三之宮比々多神社入口」の看板があって左手の道を指しています。 看板に従って左手に分かれていく坂道を登っていくと、1分もせずに比々多神社の入口に着きます。 手前には関東ふれあいの道の道標が立っていて、右手の道は「上粕屋神社1.8km」、 左手の道は「長福寺1.3km」となっています。 この比々多神社は、関東ふれあいの道「太田道灌・日向薬師のみち」のルートが通っている所でもあります。
比々多神社
鳥居をくぐってその先の短い石段を登っていくと、正面に比々多神社の社殿があります。 この時には「七五三まいり」をする着飾った親子連れを多く見かけました。 参拝客を目当てにするのか、綿飴を売る露店も出ていました。 比々多神社菊華会のテント張りも出ていて、菊の大輪や盆栽などが展示されていました。 「成長のはかり」というのもあって、靴を脱いで身長を測るようになっていたりします。 朱塗りの傘も設置されていて、その袂の長椅子に腰掛けて記念写真に収まっている親子連れも見かけました。 紅白の垂れ幕が引かれたテントも設営されて、華やいだ雰囲気になっていました。
相模国三之宮 比々多神社
鎮座地 神奈川県伊勢原市三之宮1468番地
御祭神 豊国主尊、天明玉命、雅日霊命、日本武命、大酒解神、小酒解神
由緒 神武天皇6年国土創建民族興隆を祈念し、日本国霊として当社を創建したと伝えられる。 崇神天皇の御代神地神戸を奉られ、大化元年(645)社殿修復の際、木彫の狛犬一対(市重要文化財)を奉納、 又此年に酒解神を合祀、うずら瓶(県重要文化財)を納められた。 天平15年(743)大宮司に竹内宿弥の後孫紀朝臣益麿を迎えて初代宮司に任命、勅して荘園を賜り真田を称す。 天長9年(832)6月国司橘朝臣峯嗣を勅使として相模国の総社として冠大明神の神号を奉られた。 鎌倉時代にはいり将軍源頼朝が文治元年(1185)に国土安泰の御願書を奉り、 建久3年(1192)には妻政子の安産を祈り神馬を奉納された。 南北朝、室町時代に戦さに巻込まれ神領の大半を失い衰微したが、 徳川時代当社が相模国の名社であることを知った家康公により社領を新に寄進され、以下十四代将軍まで続いた。 よって社運も持直し、明治時代には社格は_社とし、社格制度廃止後、指定神社となる。
御神徳 主祭神豊国主尊様は国土創造の神様で、大地を整えることは元より、 地上に生存する万物の芽組みと育成又は、あらゆる機物を考え出し組み立てる大元を司りになられます。 これは私達が生活する中で子供の成長、縁組そして家庭内の平和、 又諸産業の発展へと御神威をお持ちになり発揚せられます。 御参拝の皆様方も大神様の御加護を戴き、よりよき生活が営まれ、御多幸あられますことを御祈念申し上げます。
社殿の左手の奥には「神輿殿」があって、三基の神輿が安置されています。 中央には今使われている神輿、左手には平成5年まで使われていた神輿、 右手には相模国府祭用の白木の神輿があります。 屋根には5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が伸びている姿をしています。 神輿殿の前には「秋葉神社」の札の立つ石祠もありました。
相模国府祭(さがみこうのまち)は、相模国の総社である六所神社と 寒川神社・川匂神社・比々多神社・前鳥神社・平塚八幡宮が一同に会する祭りです。 この比々多神社はその中で「暴れん坊」としての役回りになっていて、 まるで酔ったような感じで揺れながら神輿を担いで登場します。 神揃山で行われる一之宮の位を競う寒川神社と川匂神社の座問答に、 『いずれ明年まで』という言葉で仲裁する宮司を出す神社でもあります。 (「相模国府祭」を参照)
右、白木神輿 昭和15年、皇紀2600年記念に造られました。(国府祭用)
中央、神輿 平成6年3月に新造。(大祭用)
左、神輿 安政年間(1850年代)に宮大工、手中明王太郎により製作。 平成5年までの130年間の長い間にわたり、巡幸に勤めた神輿です。
伝統・継承・感謝
社殿の左手にある古札納所の前を過ぎて、境内の左手から出ていきます。 鳥居のある分岐の所から左手に続く道に出ると、正面に小さな池があって、鯉や鴨が沢山泳いでいました。 写真を撮っていると、何か貰えると思うのか、鴨が近寄ってきたりもしますが、 しばらくして何も貰えないと分かると向こうへと去っていったりしました。 池の袂には関東ふれあいの道の道標が立っていて、 池の左手へと続く正面の道は「長福寺」、左手の道は「比々多神社入口」となっています。 右手の道は何も示されてはいませんが、今回は右手へと進んでいきます。 三之宮自治会館を過ぎて畑地の中を進んでいくと、広い車道に出ます。 東名高速道路の高架をくぐって真っ直ぐに進んできた道になります。 右手の少し先には恵泉女学園園芸短期大学があり、その脇には恵泉女学園前バス停があります。 伊勢原駅からここまで来るバスもありますが、便数は僅かしかありません。
栗原大橋
バス停を過ぎて緩やかに降っていくと、民家の先に分岐があります。 角に立つ道標によると、正面の栗原川に架かる栗原大橋を渡っていく道は 「高取山1時間30分・聖峰40分」となっています。 「栗原ふれあいの里」と題した大きな看板があって、この付近の道が図示されているので参考にしましょう。 コスモスも沢山咲いていましたが、少し時期を過ぎているようでした。 「比々多神社お水とり三段の滝」の看板もあって右手の道を指していますが、 ここは正面に架かる栗原大橋を渡っていきます。
保国寺
民家の建ち並ぶ栗原地区に続く坂道を真っ直ぐに登っていきます。 栗原自治会館を過ぎて更に登っていくと左右に通る道に出ます。 正面には道標が立っていて、左手の道は「聖峰36分・高取山1時間27分」となっています。 また「保国寺」を指す看板もあって同じく左手の道を指しています。 左折して降り坂になった道を進んでいくと、右手の山際に保国寺が見えてきます。 再び登り坂になった道を進んでいくと、右手へ入っていく道があります。 角には「曹洞宗 久昌山 保国寺」と刻まれた石碑があり、「地蔵尊の名刹 保国寺」の標識も出ています。 そこから右手へ入っていきます。 赤い前掛けをした六地蔵や門柱を過ぎていくと、駐車場の先に保国寺があります。 左手は墓地になっていて、右手には庫裡と思われる民家風の建物がありました。 「いそがずあわてずゆとりをもとう」と刻まれた石碑の前には、 大きな木魚に寄り掛かる仏様の石像もありました。
本堂落慶記念
保国寺は永禄3年今から440年前開山布州東幡大和尚により創建された。 天正・享保年間に幾多の災害に見舞われ、享保4年10月当山第八世中興深渕玄龍大和尚により再建され、 約281年間歴代住職により維持管理されてきたが、大正12年関東大震災時に多大な被害を被り大修理を行なった。 年月が進むにつれ更に老朽化も激しいため、平成7年4月檀徒総会において本堂再建の御賛同のもと 当山廿四世昌彦代に総代・世話人の他建設委員会を組織し、5ヶ年計画で着工に取りかかった。 予定通り平成11年11月15日に完成し、今回建設委員で記念としてこの水屋建立する。
 (当山廿四世昌彦代)
たった一言が人の心を傷つける
たった一言が人の心を暖める
左手の墓地の一段高い所には「子育地蔵」があります。 中を伺ってみると、杓丈を手にした金ぴかの大きな仏像が安置されていました。 お堂の左手前には幾つもの石仏が四角推の形に積み上げられて小山のようになっていました。
子育て廻り地蔵(一夜地蔵)
栗原村保国寺(曹洞宗)の第十世孝戒和尚が幼児の死亡をあわれみ、弟子の隆光喝音と力をあわせ、 幼児の健全な生育を希って丈六の地蔵尊大像と小像の廻り地蔵尊百体の造立発願がされたのは宝暦12年(1762)であった。 孝戒和尚の大悲願が達成されたのは安永4年(1775)で13年の年月を経ている。 丈六の大像は保国寺地蔵堂に安置されて「親地蔵さん」とよばれ、 百体の小像は近郷百ヶ村に配され、各戸毎の祈願供_をうけながら巡廻したので「廻り地蔵さん」 又は「一夜地蔵さん」の名がある。 親達は子どもの晴れ衣の端切れで三角の縫いぐるみを作り、子どもの名を記して「ようらく」とした。 むかしは年に一度小像は親地蔵のもとに集まり「大会念仏(おおがいねんぶつ)」が行なわれたと聞く。
 (保国寺二十四秀峰昌彦代)
子育地蔵の左手から道路に出ると「保国寺」と書かれたバス停の標識が立っていますが、 今では廃線になったのか、時刻表は付いていませんでした。 その先へ坂道を登っていくと、すぐの所に分岐があります。 角には道標が立っていて、正面の道は「聖峰32分・高取山1時間24分」、 左手の道は「坪ノ内バス停24分」となっています。 また「聖峰・高取山」や「コスモス園」の看板もあって正面の道を指しています。 正面の石垣の上には双体の石仏が佇んでいたりもします。 正面の道はコスモス園を経て聖峰へと登っていけますが、今回は左手の道を進んでいきます。
民家が点在する道を進んでいくと降り坂になってきます。 小さな沢を渡っていくと道が二手に分かれています。 道標などは見かけませんでしたが、今回は右手へ続く坂道を登っていきます。
角に建つ民家の前には「味の散歩道 地場産物即売」の幟が出ていて、 農産物の直売所になっていました。 この時には柿や里芋など何種類かの野菜が売られていました。 ひと袋100円とのことで興味はあったのですが、これから山登りをする身には荷物になるので、 買うのは止めておきました。
万松寺分岐
左手には竹林、右手には石垣が続く坂道を登っていきます。 右手へ曲がっていく辺りまで登っていくと小道が左手へ分かれていきますが、 そのまま右手へ曲がっていく舗装された道を登っていきます。 高台に出ると畑地が広がっていました。 道なりに登っていくと、道が三方に分かれています。 広めの舗装路は左手へ降っていき、正面と右手に細めの道が分かれていきます。 手元の地形図によると、340m峰へと続く道から万松寺へと降っていく道が分かれている所になるようです。 周囲に道標類は見かけませんでしたが、ここは正面に続く真ん中の道を登っていきます。
林道分岐
コンクリート舗装された道を登っていきます。 振り返ると、左手のミカン畑越しには街並みや相模湾を望むことが出来ました。 畑を過ぎていくと森の中へ入っていきますが、引き続き舗装された道が続きます。 森から出て再びミカン畑の脇を進むようになると、電波塔の立つ高取山が正面に見えてきます。 その辺りから細めの舗装路が左手へ分かれていく所があります。 正面に続く道は林道になっているようで、「車両通行禁止」の看板が立っていました。 左手の道はすぐ先の畑へ続く枝道のように思えますが、340m峰へと続く道は左手の道になります。 手元の地形図では、実線の道から破線の道へ変わっていく辺りになるようです。 神戸バス停から1時間ほどで到着しました。
車両通行禁止
但し次の車両を除く
1 林道関係者 2 地元関係者 3 林道沿線施設関係者
 (伊勢原市)
注意
ハンターのみなさん! この附近に農耕地があります。 狩猟に注意しましょう。
 (神奈川県)
左手の舗装路を登っていくと、すぐに畑のある高台に出ます。 1分ちょっと進んでいくと、右手へ曲がっていく角に、青く塗られたトタン張りの小屋が建っています。 手前には手製の標識「広孝 便所(4)上段の通路足を入れぬ事」が立っていて左手へ分かれていく土の道を指していますが、 右手へと曲がっていく舗装路を進んでいきます。 高台はミカン畑になっていて、栗原地区観光農業推進組合の「みかんオーナー」の幟もはためいていました。 ミカンの木には「オーナー」と思われる個人名を書いた板切れが括り付けられていました。 品種が違うのかどうかは分かりませんが、黄色く色づいた木やまだ青々とした木などがありました。
勝興寺分岐
林道分岐から4分ほど進んでいくと舗装路は終わって、森の中へと入っていきます。 その入口には鹿避け柵があります。 扉を開けてその先へと入って、雑木混じりの植林帯の尾根を柵沿いに登っていきます。 5分ほど登っていくと、柵は尾根から外れて左斜面へと曲がっていきます。 手元の地形図によると、柵沿いの道は340m峰へと続く破線の道から分かれて、 清掃工場の裏手から勝興寺方面へ降っていく道になるようです。 林道分岐から10分ほどの所になります。 正面の尾根にははっきりとした道は見受けられませんでしたが、 地形図に載っている340m峰へと続く破線のルートは正面の尾根になると思われます。 ここは樹木が生い茂る正面の尾根を登っていきました。
左手の柵沿いに2分ほど進んでいくと、高い煙突が2本立っている清掃工場の裏山に出ます。 柵沿いの道は更にその先へと続いていたので、地形図にある通り、 勝興寺から国道へと降りていけるように思えましたが、確かめるのは省略して引き返してきました。
アオキや笹竹が生い茂る尾根を登っていきます。 地形図には載っている破線の道ですが、それらしい跡はほとんど見受けられませんでした。 薮漕ぎ状態になりながらも、丸い尾根の背を外れないように上へ向かって登っていきました。 踏み跡のような所も時折あったりしますが、すぐに途絶えてしまいます。 何だか心細くなってきますが、上へ向かってさえ行けば山頂に着くはずだと信じて登っていきました。 尾根の背を薮漕ぎしながら登っていくと、勝興寺分岐から17分ほどでちょっと開けた感じの所に出ました。 周囲の樹木には真新しい青テープが幾つも巻かれていました。 山愛好家のハイキング会でも行なわれたのか、これから向かう454m峰まで点々と取り付けられていました。
時折見かける青テープを確認しながら、上へ向かって尾根を登っていきます。 浅くU字形に抉れた所に道らしいものが続いていましたが、倒木があって歩き難かったので、 その脇の高みを進んだりしながら登っていきました。 勝興寺分岐から25分ほど登って傾斜が緩やかになってくると、笹やアオキが減って歩き易くなってきました。 これまでの薮漕ぎ状態から解放されてホッとする所でもあります。
緩やかで歩き易くなった尾根を進んでいくと、左手が開けて展望が得られる所があります。 眼下には伊勢原から鶴巻温泉にかけての街並みが見下ろせ、その奥には相模湾が広がっていました。 その先へ1分ほど進んだ所からも同様の眺めが広がっていました。 そんな景色を眺めながら、薮漕ぎで滅入った気持ちを癒していきました。
340m峰
樹間からの景色を眺めたりしながら、ゆったりとした気持ちで緩やかな尾根を進んでいきます。 笹竹が僅かに生えていたりもしますが、これまでの薮漕ぎに比べると何でもありません。 端の辺りまでやってくると、植林帯の中に石祠が建っていました。 どうやらこの辺りが地形図にある340m峰になるようです。 勝興寺分岐から30分ほどで登って来られました。 石祠の脇には「大山祇命神」と書かれた小さな板が落ちていました。 また石祠の横面には「文化元甲子年十二月吉祥旦」と刻まれていたので、 江戸時代の後期(1804年)に建立された祠のようでした。 脇には平たい礎石のようなものもあったので、以前にはその上に祠か何かがあったのかも知れません。 周囲には樹木が生えていて展望は得られないので、 手前にあった眺めのいい所まで引き返してひと休みしていきました。
340m峰からは尾根が左右に分かれています。 石祠は南東を向いて建っていますが、北西方向と南西方向に降っていく道があります。 454m峰へは右手の道で、「の」字に曲がった樹木の右側から降っていきます。 石祠の丁度裏手の方向になります。 アオキが生い茂ってはいますが、道はしっかりと確認できる状態で、 これまでのような薮漕ぎ状態はこの先にはもうありません。
左手の道
左手の尾根の背に続く道を降っていくと、所々で笹竹などが生い茂る所もありますが、何とか道は続いています。 植林帯へ入って真っ直ぐに降っていくと、山頂から14分ほどで左右に続く鹿避け柵に阻まれます。 そこから柵に沿って植林帯を右手に4分ほど降っていくと、舗装路に降り立ちます。 手元の地形図によると、三島神社を経て国道246号へと続く実線の道になるようでした。
(340m峰から舗装路へ降りる道はルート図に青色で表示、 「高取山」を参照)
所々に巻きつけられている青テープを確認しながら尾根の背を降っていきます。 数分降って僅かな鞍部に着いて、その先へと登り返していきます。 引き続きアオキなどが生い茂ってはいますが、道は広めでしっかりと続いていました。 しかしあまり歩く人がいないのか、踏み固められた道ではありません。 その上かなり傾斜があって滑り易くなっていました。 340m峰から8分ほど進んでいくと、大きな樹木の脇を過ぎていきます。
細木が生い茂るようになった尾根を登っていきます。 引き続き広くて明瞭な道が続いていますが、かなり傾斜があって脹脛が痛くなってきたりもするので、 休み休み登っていきました。 振り返ると、先ほどの340m峰が聳えていたりもします。 細木の生えた所を過ぎて植林帯になってくると、 頭を赤く塗られた「山火事注意」の白い標柱が立っていました。 それに書き込まれたメモによると、正面の尾根道は「P454m」、今来た道は「万松寺」となっています。 人跡を見つけて何だかホッとしたりしながら、急坂を登っていきました。
岩が幾つかゴロゴロしている所を過ぎて更に登っていきます。 細木が道端に生い茂るようになった所を過ぎていくと、再び大きな樹木が生えていました。 林床が切り払われていて開けた感じがする所になっていました。
山道出合
その先のアオキなどが生えている所を過ぎていくと、道は尾根の右斜面を進むようになります。 その曲がり角にも青テープが巻かれていて、道を示しているようでした。 植林帯の斜面に沿って登り気味に進んでいくと、左右に通る道に出ました。 その手前には青テープが幾つか巻かれていて、ペットボトルが枝に刺してありました。 赤い境界杭もありました。 手元の地形図によると、右手から登ってくる道は、北東側から合流してくる破線の道のようでした。 ここは左手へ続く道を更に登っていきます。
454m峰
程なくして傾斜が緩やかになって尾根の背を進むようになると、山道出合から3分ほどで山頂に着きました。 山頂には「銃猟禁止区域」の赤い看板が立っていて、その支柱に「P454m」と書き込まれていました。 ここが454m峰になるようです。 340m峰から30分ほどで到着しました。 支柱には「六角山」とも書き込まれているという情報を得ていたのですが、 見落としたのか、この時には気が付きませんでした。 周囲は樹木に囲まれていて展望は得られません。
ここでひと息入れてから、念仏山へと向かっていきました。 山頂からは道が二手に分かれています。 いずれも踏み跡程度ですが、薮漕ぎするほどではありません。 看板の支柱には「念仏山←」と書き込まれていて左手の道を指していました。 左右の道の両方とも、高取山から念仏山へと続くハイキングコースに降りていけるようですが、 今回は念仏山へ向かって左手の道を降っていきました。
(右手の道はかなり急坂になっています。「高取山」を参照)
尾根の背に続く植林帯を降っていきます。 所々で倒木が道を塞いでいたりもしますが乗り越えていくと、 山頂から5分ほどで、関東ふれあいの道の枝道「野菊と信仰のみち」にもなっているハイキングコースに降り立ちました。 ハイキングコースは454m峰の西側を巻くようにして続いていて、 右手から巻いてきて正面の尾根へと続いています。 角には道標が立っていて、右手の道は「大山・蓑毛」、正面の道は「鶴巻・弘法山」となっています。 伊勢原市消防署の設置する「山火事注意 通報番号51」の標識も立っています。 ここからは一般ハイキングコースで、歩き易い道になります。
雑木混じりの植林帯に続く尾根道を2分ほど進んでいくと、右手に金網柵が現れます。 雑木林になった尾根道を金網柵に沿って登っていきます。 ハイキングコースに降りてから5分ほど進んでいくと、 正面に現れる高みの手前で、金網柵から離れて左手へと道が曲がっていきます。 正面の高みへと真っ直ぐに続く金網柵に沿っても細い道がありましたが、道なりに左へ進んでいきました。 左へ曲がっていくとすぐに「山火事注意 通報番号52」の標識が立っていて、 その脇から高みへと細い道が分かれていました。 手元の地形図によると、454m峰の南西450m辺りにある標高430mほどの高みのようですが、 登っていっても周りは植林帯になっていて展望は得らず、特に何があるという訳でもないので、 今回はそのまま尾根道を進んでいきました。。
高みを巻いていくと、右手から金網柵沿いに降ってくる道と合流します。 角には道標が立っていて、金網柵に沿って降っていく左手の道は「鶴巻・弘法山」、 今来た道は「大山・蓑毛」となっています。 道標に従って、雑木林と植林帯を分ける尾根に続く金網柵沿いの道を降っていきます。 途中で僅かな道が左手へ分かれていましたが、金網柵に沿って真っ直ぐに降っていきます。 かなり傾斜があったりもしますが、8分ほど降っていくと緩やかな道になってきます。 鞍部の一番浅い所だろうと思われる辺りまで進んでいくと道標が立っていました。 先ほどのと同じ内容で、この先に続く道は「鶴巻・弘法山」となっていました。
念仏山 (標高347m)
道標を過ぎていくと登り坂になってきますが、これまでの降りよりも傾斜は緩やかで歩きやすくなっていました。 木の根が張り出したような道を登っていくと、鞍部から5分ちょっとで念仏山に着きました。 454m峰から30分ほどで到着しました。 ベンチが設置された山頂には「念仏山 標高357m」と書かれた大きな標識が設置されていますが、 標高がマジックで347mに訂正されていました。 手元の地形図には念仏山の表記はありませんが、 この辺りは標高340mの等高線で囲まれていることを考えると、347mの方が正しいように思えます。 「山火事注意 通報番号53」の標識も立っていて、 その袂には「ここは念仏山、高取山・大山・右へ」と書かれた標識もあって、今登ってきた道を指していました。 「念仏山」の標識には、何故だか涙を流す仏の絵が描かれていたりもしました。 今回は家を出るのが遅かったのでお昼をかなり過ぎていましたが、 ベンチに腰を降ろして昼食タイムにしました。
山頂からは、樹木越しに秦野の街並みなどを眺められる景色が広がっていました。 この日は比較的空気が澄んでいたのか、二子山や駒ヶ岳と思われる箱根の山々もよく見えていました。 右手の方へ目を移すと、矢倉岳や金時山と思われる特徴的な姿の山も見えていました。 条件がいいと富士山も望めるのだそうです。 手元の地図によると、矢倉岳の右手の方に見えるようですが、 樹木が邪魔をしていたのか、雲に隠れていたのかは分かりませんが、この時には見えませんでした。
念仏山の右手の方へ僅かに進んでいくと、赤い頭巾をした石仏と丸い感じの石碑と石祠がありました。 各々の前には赤い前掛けをした小さな地蔵が幾つか並んでいて、 賽銭受けになっている真新しい一合枡も置いてありました。 石祠の前には「太郎坊」と刻まれた石もありました。 脇には「念仏山の由来」と題した解説板が設置されていました。 それによると、この山は古くからこの地区の信仰の山であったようです。 野菊が群生する所とのことですが、この時は花の季節ではなかったので、確認は出来ませんでした。 小蓑毛から善波峠の先まで続く尾根道を「野菊と信仰のみち」と呼ぶのは、 この念仏山にその源があるようです。
念仏山の由来
この山は、地図に記載されていない山ですが、 昭和15年頃(1940)まで旧名古木村の村人によって、この山頂で念仏講が行なわれていました。 念仏とは、仏を信じて南無阿弥陀仏を唱えることであり、 この山頂で南無阿弥陀仏を唱えると山裾の集落まで聞こえたと言われております。 相模風土記によると、 秋葉・愛宕・金比羅を合社、 太郎坊・次郎坊・山乃神・稲荷を合祀して末社と記載されている。
秋葉とは、静岡県の秋葉神社 祭神 火之迦具土神・総本社は火伏の神
愛宕とは、京都府の愛宕神社 (おおむね小高い丘や山頂にまつり信仰されている)
金比羅とは、香川県の金比羅宮 祭神 大物主神
山乃神とは、大山阿夫利神社 祭神 大山津見神
稲荷とは、京都府伏見稲荷大社 祭神 宇迦之御魂神
太郎坊・次郎坊とは、天狗
 (平成18年3月吉日 名古木里山保全協議会)
14番鉄塔
念仏山を後にして、道標「鶴巻4.2km・弘法山2.2km」に従って、 左手の雑木林に続く広い尾根道を降っていきます。 間隔の広い横木の階段混じりの道を降っていくと、右手から再び金網柵が近づいてきます。 柵に沿って緩やかになった尾根道を進んでいきます。 少し降るようになると、念仏山から4分ほどで、 送電線の鉄塔「東秦野線No.14」が立っています。 左右が開けていて街並みなどを見渡せる眺めが広がっていました。
鉄塔の下の過ぎてその先に続く道を進んでいくと、1分も経たない所に鹿避け柵があります。 先ほどから続いていた金網柵が道を横切っている所です。 扉を開けていくと、向こう側から見える向きに 「大山・高取山・念仏山 直進」と書かれた板切れが取り付けられていましたが、 かなり擦れていて、ほとんど読めなくなっていました。 扉を閉めてその先へ緩やかに降っていくと、14番鉄塔から3分ほどで、道が二手に分かれています。 脇にはベンチがひとつ設置されていました。 角に立つ「野菊と信仰のみち」の道標によると、正面の道は「鶴巻・弘法山」、 今歩いてきた道は「大山・蓑毛」となっています。 正面の尾根道は善波峠を経て弘法山や吾妻山へと続いていますが、 今回は以前から気になっていた右手の道を降っていきました。
お願い
この柵は有害鳥獣(鹿、猪等)の被害対策用の柵です。 開けたら必ず扉を閉めて縛って下さい。
梅林
植林帯から雑木林へと変わっていく斜面に続く道を降っていきます。 これまでの尾根道と同様に、広くてしっかりとした道になっていました。 2分半ほど降っていくと正面に畑が現れます。 植えられた樹木の様子からすると梅林のようでした。 道は畑の手前から左手へと曲がっていくのですが、ちょいと畑の上辺に出てみると、 箱根方面の山並みを望む眺めが広がっていました。
31番鉄塔
梅林を後にして左手の雑木林に続く道を進んでいきます。 一段と広くなってとても歩き易い道になってきます。 畑地を左手から遠めに巻くようにして降っていくと、再び畑地の横に出ます。 道はそこから更に左手へと続いています。 道は更に広くなって、作業用の軽トラックなら走れるだけの幅になってきます。 雑木林の斜面に続く緩やかで広い道を進んでいくと、送電線の鉄塔「善波線31」が立っています。 尾根にあった分岐から8分ほどの所になります。 道はこの先から右手へと傾斜を増しながら降っていきます。
山之神社
曲がり角の正面にも道が分かれていて、その先には「ふる里の里山林」の看板が設置されていました。 また左手には「山之神 道場才玉講中」と書かれた標柱が立っていて、 その先には「山之神社」の扁額が架かる鳥居がありました。 鳥居の少し上には石祠が二つ並んでいました。 側面には「道場村・才玉村」,「明治十二卯二月十七日」などと刻まれていました。 その他にも文字は見受けられましたが、よく分かりませんでした。
ふる里の里山林
第2里山 面積10,047u
この山は昔から「まき山」として利用されてきました。 里山林を皆さんと考えながら整備をします。
事業内容
1. 山の仕事を体験、学習する。
2. 里山林の動植物を守る。
3. 里山林の資源を利用、活用する。
4. 里山林を自然環境の学習の場として子供達に提供する。
活動日 毎月第1土曜日御前10時から12時まで
活動団体 名古木里山を守る会
山之神社で5分ほど費やしてから、鉄塔の左手から続く坂道を降っていくと、程なくして緩やかになってきます。 明るい雑木林の斜面に沿って右手へ曲がりながら続く道を降っていくと、開けた所に出ました。 尾根から17分ほどで降りて来られました。 右手の一段高い所は畑のようになっていて、 その右手から上の方へ向かう道が分かれていましたが、正面に続く道を進んでいきます。 左手には先ほどの梅林からと同じように、箱根方面を見渡せる眺めが広がっていました。 土の道はここで終わって、この先からは舗装路に変わり、道幅も一段と広くなってきます。
杉並木になった舗装路を緩やかに降っていきます。 1分ほど降っていくと、左手へ曲がっていく角から、土の道が右手へ分かれていきますが、 そのまま舗装路を左手へと降っていきます。 竹林の脇を過ぎて送電線の鉄塔「東秦野線No.13」への道を分けていくと、森を抜けて高台の畑地に出ました。 舗装路に変わった所から3分ほどの所で、手元の地形図では、実線の道が始まる辺りになります。 正面に箱根の山並みを眺めながら、舗装路を緩やかに降っていきます。 程なくしてT字路がありますが左手へと降っていきます。 左右に広がる畑地や山並みを眺めながら降っていきます。 大きな木やビニールハウスを過ぎて降っていくと、 右手には刈り取られた棚田が続いて、雰囲気のいい眺めが広がっていました。
ビニールハウスのすぐ先にある竹林の手前を道なりに左へ曲がって降っていくと、 民家の建ち並ぶ道路に降り立ちます。 脇には「曹洞宗 玉伝寺」と書かれた標識が立っていて右手の道を指していますが、 生垣や畑の間に続く坂道を左手へ降っていきます。 コスモスが咲く畑を過ぎていくとT字路に出ました。 舗装路に変わった所から16分ほどで降りて来られました。 脇には道祖神・天社神・庚申塔などの石碑が並んでいました。 道標類は見かけませんでしたが、ここを左折していきます。
御嶽神社
2分ほど進んだ所にあるT字路を右折していくと、 道路の右側に民家風の名古木会館があり、左側に御嶽神社がありました。 赤い鳥居から境内へ入っていくと左手に社殿がありました。 本殿と拝殿になった社殿で、本殿の屋根には6本の鰹木が乗り、外削ぎの千木が聳えていました。 神社の由緒などを記したものは見かけませんでした。 社殿の右側には小振りの祠がふたつ並んで合祀されていました。 右手の祠には「八幡神社」、左手の祠には「津島神社・八坂神社」と書かれた板が取り付けられていました。 八幡神社の祠は小振りながらも、3本の鰹木が乗り、外削ぎの千木が聳える堂々とした姿をしていました。
御嶽神社入口(みたけじんじゃいりぐち)バス停
御嶽神社から元の道に戻ってその先へ降っていくと、家具・インテリア店の所で道が左右に分かれています。 そこを左手へ進んでいくと、国道246号名古木宮前交差点があります。 その右手数10mの所に御嶽神社入口バス停があります。 尾根にあった分岐から48分ほどで到着しました。
秦野駅(小田急小田原線)までの便がありますが、かなり少なくなっています。
 土日曜 9:22 10:02 10:42 11:22 12:02 14:22 15:02 15:42 16:32
県道70号にある落合入口バス停まで歩いていくと、1時間に3本程度の便があります。 国道246号を右手へ500mほど進んだ所の名古木交差点を右折して100mほどの所にあります。