葛川
散策:2008年09月中旬
【街角散策】 葛川
概 要 葛川は秦野市南が丘に源を発し、中井町・二宮町・大磯町を経て相模湾へ注ぐ延長7.6kmの二級河川です。 今回は二宮町と中井町の町境から上流へ向かって、田んぼや畑が続く風景の中を川沿いに歩いていきます。 途中には雰囲気のいい厳島湿生公園があって、地域の人々の憩いの場所にもなっています
起 点 二宮町 梅ノ木バス停
終 点 中井町 原バス停
ルート 梅ノ木バス停…田端橋…五分一橋…藤兵衛橋…田中橋…八幡神社…誠成館跡…東馬場橋…葛川橋…中津橋…中津いこい広場…米倉寺…厳島湿生公園…厳島神社…上中橋…宮向橋…宮上橋…宮原橋…原バス停
所要時間 2時間20分
歩いて... 葛川沿いに続く田んぼには実った稲が重たい頭を垂れていて、刈り取りの時期が近づいているようでした。 途中にある厳島湿生公園には散策木道が巡っていて、水辺と間近に触れ合える場所になっていました。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
梅ノ木(うめのき)バス停
二宮駅(JR東海道線)の北口から、[秦60][秦63][秦91]秦野駅南口行きバスにて11分、 1時間に2本程度の便があります。
反対方向からは、秦野駅(小田急小田原線)の南口から、[秦60][秦91]二宮駅北口行きバスにて14分から21分、 1時間に2本程度の便があります。
二宮駅方向へ20mほど進んだ所から、右手に戻り気味に分かれていく道へ入っていきます。
田端橋
民家と生垣の間を進んで畑地に出ると、すぐ先の所に、葛川田端橋が架かっています。 今回はここから葛川に沿って上流へと歩いていきます。 田端橋の手前を右折して葛川の左岸を進んでいくと、道端にはコスモスの花が綺麗に咲いていました。
(梅ノ木バス停と田畑橋の間が、二宮町と中井町の境界になっているようです)
民家の脇を過ぎていくと小さな流れを渡っていきます。 草が少し生えるようになった道の右手には田んぼが広がっていました。 稲穂が重そうな頭を垂れていて、刈り取りの時期が近づいているようでした。 田んぼの中ほどまで来ると、鉄板製の小さな橋が架かっています。 正面に続く道は少し先で行止まりになっているので、この橋を渡って右岸を進んでいきます。
五分一橋
綺麗に護岸工事が施された葛川の右岸を進んでいきます。 段差になった所では、流れ落ちる水が心地よい音を響かせていました。 軽く登って民家の脇を過ぎていくと五分一橋が架かっています。 橋を渡ってすぐに左折して、葛川の左岸を進んでいきます。
砂防指定地 葛川
指定地は川の中心10mです。
この地域内において土地の掘さく等の行為をする場合は許可が必要です。 松田土木事務所にご相談して下さい。
 (神奈川県)
土手道を葛川沿いに進んでいくと、右手には田んぼや畑が広がってきます。 葛川が流れている所は浅くて広い谷筋になっていて、雰囲気のいい所でした。
鉄板製の小さな橋を過ぎていくと、サトイモ畑がありました。 その脇にはコンクリート製の水路があって、水が勢いよく流れていました。 畑の先の田んぼの方から流れてきているようでした。
鉄板製の小さな橋を過ぎていくと、田んぼの畦道には彼岸花が少し咲いていました。 歩いていると汗が少し滲んできたりもして、夏の暑さはまだ残っていますが、 稲穂も重そうな頭を垂れていて、本格的な秋がやってきたのを実感したりします。
藤兵衛橋
夏草が生い茂るようになった土手道を進んでいくと藤兵衛橋が架かっています。 橋を過ぎていくと、正面にこんもりとした森が近づいてきます。 手元の地図によると八幡神社のある森のようです。 その森を目指して葛川の左岸に沿って続く土手道を進んでいくと、 田んぼには刈り取った草のようなものが、小山のように幾つも積み上げられて列を作っていました。 刈り取った稲を田んぼで脱穀し、残った藁を細切れにして積み上げているのかも知れません。
田中橋
更に近づいてくる森を眺めながら川沿いに進んでいくと田中橋が架かっています。 土手道はこの先へと続いていますが、右手すぐの所に見えている森へ向かっていきました。
八幡神社
田中橋から右手へ進んでいくと、道の右手に鳥居が立っています。 鳥居の脇には「八幡神社」と刻まれた石柱が立っていました。 石段を登って鳥居をくぐり、その先の石段を登っていくと八幡神社の境内に着きました。 「八幡神社」の扁額の架かる社殿の中には、小振りの白木の社が納められていました。 由緒などを記したものは見かけませんでしたが、 この地区を守る神社なのでしょうか、静かな佇まいでした。
八幡神社の境内の左手には石仏などが沢山並んでいました。 双体の石仏や「地神社」と刻まれた丸まった石碑などがありました。 また小さな石祠もあって、その脇には陶器の馬の置物があったりもしました。 農耕馬を祀っている祠なのでしょうか。
誠成館跡
八幡神社の社殿の左手にある短い石段を降っていくと、すぐに道路に降り立ちます。 そこから左前方へ進んでいくと、右手へ曲がっていく角に「誠成館跡」と刻まれた石柱が立っていました。 その先の小広くなった敷地へ入っていくと下井ノ口自治会館がありました。 以前には小学校があった所のようです。 そう云えばこの自治会館は校舎だった雰囲気もしますが、往時からある建物なのでしょうか。 脇には滑り台などの遊具が少しあって、今では子供達の遊び場にもなっているようでした。
誠成館跡
誠成館は、明治4年(1871)有志により米倉寺に設立され、明治6年(1873)新学制により誠成館本校となる。 明治8年、第一大学区、第二八中学区、第一一三小学区公立小学誠成館井之口支校(本校は比奈窪)となる。 明治11年(1878)上郡井之口村、大住郡五分一村、余綾郡一色村の三村組合立学校となり その中心となるこの地(井之口村田中)に米倉寺より移転、10月、本支校それぞれ独立したため、「井口学校」と称す。 明治19年井之口村と五分一村が合併、同年4月、小学令により井之口村立尋常高等井口小学校と改める。 明治23年には一色村が学区から離れ、明治26年(1893)9月、この場所が井之口村の南にかたよっていたため 井之口村西窪(現在の井ノ口小学校)に移る。 15年間の激動の中、この地に学校の歴史が存在していたものは、今は何も見あたらない。
 (中井町教育委員会)
(解説文にある「米倉寺」はこの北側400mほどの所にあります)
東馬場橋
誠成館跡から出て左手(八幡神社から来る向きには右手)へ降っていきます。 袂に石仏や五輪塔が並んだ火の見櫓の所まで来ると東馬場橋が架かっています。 橋の手前を右折して、葛川の左岸に沿って進んでいきます。 ナス畑の縁には彼岸花が咲いていたりもしました。
葛川橋
畑が終わって田んぼが続くようになると、川沿いに白い柵が設置されています。 右手の建物のコンクリート壁沿いに登り気味に進んでいくと道路に出ました。 左手の葛川には葛川橋が架かっています。 土手道は道路を渡ってその先へと続いていますが、その先の車道の所で行止まりになっています。 右岸はどうかと見てみても、同じように行止まりのようでした。 仕方がないので、ここは右手すぐの所を通っている車道を進んでいくことにしました。 右手にある建物は中井町立井ノ口下児童館というようです。 車道に出たすぐ右手には下井ノ口バス停がありますが、左手へと進んでいきます。
中津橋
車道を左手へ100mほど進んでいくと、大きな中津橋が架かっています。 その手前から右手へ分かれて葛川の左岸へ続く道もありますが、今回は中津橋を渡っていきました。 橋を渡ってその先のガードレールが途切れる所から右手に折り返して降っていくと、すぐに葛川沿いに出ます。
中津いこい広場
葛川の右岸に沿って進んでいきます。 石垣沿いに進んでいくと、川へ降っていく階段の先で舗装路に出ました。 舗装路を川沿いに100mほど進んでいくと北窪橋が架かっています。 その手前の左手にはちょっとした広場がありました。 標柱によると「中津いこい広場」というようです。 藤棚やベンチが設置されていて、ひと休みしていくのには良さそうな所でした。 入口の階段の脇には道標が立っていて、今来た道は「米倉寺」、 この先の道は「厳島神社・厳島湿生公園」となっています。 北窪橋の左手の民家の庭先には「三光院跡」と刻まれた石柱が立っていましたが、 解説板などは見かけませんでした。 北窪橋を見送って、葛川の右岸をその先へと進んでいきました。
(米倉寺の正門は、先ほどの車道をそのまま200mほど進んでいった所にあります)
民家の脇に続く道を葛川沿いに進んでいきます。 名も無い橋を過ぎていくと、道は左手へと曲がっていきます。 角には先ほどの同じような感じの道標が立っていて、 左手に曲がっていく道は「厳島神社・厳島湿生公園」、今来た道は「米倉寺」となっていました。 右手には小さな橋が架かっていて、葛川の左岸沿いに道が続いています。 手元の地図によると厳島湿生公園へ続いているようでしたが、 今回は道標に従って、左手へと登り気味に続く道を進んでいきました。
立派な植え込みなどがある民家を過ぎていきます。 黄色く塗られたエステティックサロンを過ぎて、傾斜の増した坂道を登っていきます。 道端のコンクリートブロックで囲われた一角には、双体のお地蔵さんや五輪塔が並んでいたりもしました。 赤茶色の屋根の民家を過ぎで石垣の所まで来ると、左手へ道が分かれていきます。 左手の方には何やら大きな屋根や墓などが見えていました。 手元の地図によると米倉寺のようです。 厳島湿生公園はこのすぐ先にあるのですが、これまでの道標にも載っていたし、 米倉寺とはどんな所なのかと思って、ちょっと立寄っていくことにしました。
米倉寺
坂道を登って緩やかになってくると、左手にゲートボールが出来る広場がありました。 そこを右手から回り込むようにして進んでいくと墓地があります。 正面にはお寺の建物が見えています。 墓地を右手から回りこんでいくと裏口があったので、そこから米倉寺の中へと入っていきました。 本堂と隣の建物を結ぶ渡り廊下の下をくぐって、綺麗な庭園風になった境内へ入っていくと、 振り返った正面には立派な本堂がありました。 その右手には庫裡と思われる建物がありましたが、これまた立派な建物になっていました。 左手にも渡り廊下で繋げられた大きめの建物がありました。
米倉寺由緒
井宝山と号し曹洞宗に属す 由緒には往古当地に用国 院と称ぶ寺あり 最乗寺直末伊豆普門院を本寺と仰ぎ 宮鳳安寺を末寺に従えし処 甲州武田家臣米倉丹後守 種継公井之口居住の砌り 両親追善と自己安住の為天 文元年再建。蔵林寺二世天宥宗高大和尚を勧請し 天 正年間に米倉寺と改名 蔵林寺を本寺に 大泉寺を末 寺に替えて今日に至ると伝う  天明年間建立の法堂 は八尺間白壁に米倉丹後家家紋を浮彫り 欄間は天保 三年梅沢彫工杉崎佐吉政貴の彫刻等 禅寺の代表的建 築と高評 古文書 古物 飛騨甚五郎作阿吽の二竜は 県のむかしばなし五十選に水を飲みに出た竜として紹 介 三百数十年の寒暑に耐えた梵鐘 開基歴代の墓所 には宝筺印塔等存在す  米倉寺は江戸末期に寺子屋 を兼ね やがて 井口小学校の前身誠成館に発展した 発祥の寺であり 学校が独立するや井之口村役場とな り 昭和に入り季節託児所 疎開児童を受入れ 最近 は境内に幼児の霊を弔う水子供養地蔵尊を奉安す
     維時 昭和五十七壬戌年初春吉祥日
     井宝山米倉禅寺廿九世楳山芳宏 誌之
本堂の正面には山門へと続く参道が真っ直ぐに伸びています。 その両側には藤棚がありましたが、花の季節ではないので咲いてはいませんでした。 井口小学校の前身である誠成館が置かれた所というだけあって、立派な佇まいのお寺でした。 山門を出て坂道を降っていくと、「曹洞宗 井宝山 米倉禅寺」と刻まれた立派な門柱が立っていました。 そちらがお寺の正面入口のようでした。
(写真は山門の前から振り返って本堂方面を写したものです)
米倉寺
井宝山米倉寺と号し、曹洞宗に属す。 天文元年(1532)の開創で、開山は天宥宗高大和尚(秦野市堀山下の米倉一族の菩提寺、蔵林寺の二世)。 由緒によれば、往古この地に用国院と呼ぶ寺院があり、 伊豆の普門院を本寺と仰ぎ、宮の鳳安寺を末寺に従えていた。 その後、甲斐武田家臣米倉丹後守種継公が井ノ口に移住して来たときに、用国院を再建して米倉寺と改名、 その後、蔵林寺の末寺となり鴨沢大泉寺を末寺とした。
中井町指定重要文化財第16号 ◎梵鐘 (寛永7年鋳造)
中井町指定重要文化財第17号 ◎本堂大間・内陣の欄間彫刻6基 (天保3年)
中井町指定重要文化財第18号 ◎米倉一族の墓石・供養塔10基 (慶長5年〜天和3年)
「かながわのむかしばなし50選」 ◎水を呑みに出た龍
 (中井町教育委員会)
山門の脇には水子供養地蔵尊がありました。 大きな地蔵の前には15cmほどの子供の石像がありました。 水子が具現した姿なのか、水子に代わってお祈りするお寺の小僧さんでしょうか、 小さな掌を胸の前で併せて数珠を掛けて一心に祈っている姿でした。
水子地蔵御和讃
浮かびて 小さき 泡一つ はかなく水に 消え行きぬ
 面影さえも ありなしの おうにすべなき 哀れさよ
  南無や能化の 地蔵尊 なむやのうけの じぞうそん
育ちて あれば 微笑みて 母とし呼びて 縋り来ん
 その名を呼べば 顔上げて 聲も明るく 駆け寄らん
  南無や能化の 地蔵尊 なむやのうけの じぞうそん
胸には迫る 歎きあり 母には母の 涙あり
 この世の縁は 浅くとも 深く契らん 次の世に
  南無や能化の 地蔵尊 なむやのうけの じぞうそん
 (昭和53稔秋 発願、米倉禅寺廿九世楳山芳宏 誌之)
米倉寺から元の道まで引き返して坂道を登っていくと、 右手に白い手摺の付いた石段が分かれていきます。 厳島湿生公園の南端へ降りていけますが、そのまま道路を進んでいきます。 登り傾斜が緩やかになって北窪自治会館の所まで来ると、公園からの道が右手から登ってきます。 そのすぐ先には「水と緑に恵まれた町 中井町」と題した案内板が設置されています。 町内の見所などが紹介されていて、今回訪ねる厳島湿生公園も載っていました。 また、案内板の横には「厳島湿生公園」と題した案内図もあって、 公園内の地図が掲載されているので参考にしましょう。 そのすぐ先で道が二手に分かれていく所から右手の谷筋へと降っていく石段があります。 両側には石灯籠が立っていて、その脇には「厳島神社」と刻まれた石柱もありました。 また道標も立っていて、右手へ降っていく石段は「厳島神社」、 正面へと続く道は「井ノ口公民館」、今来た道は「米倉寺」となっています。
厳島湿生公園
石燈籠の脇に生える樹木の間に渡された注連縄をくぐって、その先へ続く幅の広い石段を降っていくと、 正面には厳島湿生公園が広がっています。 入ってきた所は公園の西側で、北側にはトイレや駐車場があり、東側には広場や東屋などがあります。
注意
この湿生地には、アブラハヤ・シマドジョウ・ホトケドジョウ等の水辺の生きものが生息しています。 生態系をくずす様な魚類の放流は禁止します。 公園内の草花を取らないで下さい。
 (中井町役場)
厳島湿生公園は葛川のすぐ傍にある湿地帯の公園で、中ほどの小島には厳島神社があります。 その周囲は浅い池や湿地になっていて、 チップ広場、チガヤ、湧水池、孟宗竹、見晴広場、セキショウ群生地、クレソン・セリ群生地、クサヨシ群生地、 芝生広場、水田などが取り巻いています。 園内には散策木道が巡っていて、各所に厳島湿生公園に関する解説板が設置されています。 そんな解説板を読んだりしながら、ゆっくりと散策してきました。
湿地の脇の方にはホタルの幼虫が放流されている一角があります。 5月にはこの一帯にホタルが飛ぶ姿が見られるようです。
蛍の幼虫を放流
昨年の5月、蛍の卵をふ化させ会員が自宅で10ヶ月大切に幼虫を育てました。 幼虫は水の中より土にもぐりサナギになって成虫(蛍)になる日を待っています。 この柵内の土を絶対にふまないで下さい。 5月には皆さんで蛍を見に来て下さい。
 (中井町役場まち整備課、中井町の自然とふれあう会)
厳島神社
散策木道を通って湿地帯の中ほどにある小島へ渡っていくと厳島神社があります。 狭い小島ですが、社殿の周囲には大きな樹木も生えていて、厳かな雰囲気が漂っていました。
厳島神社
この神社は文化4年(1807)に建てられ、天保11年(1840)、安政4年(1857)及び昭和62年(1987)に改築された。 祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、 祭日は4月16日であったが、現在は、蓑笠神社の祭日と同じ日に行っている。 また、周囲は清水が豊富に湧出ていて、蛍やシマドジョウなどの清く澄んだ水にしかいない小動物が、 今でも生息する湿原である。
 (中井町教育委員会)
田んぼや芝生広場がある葛川の方へ進んでいくと、「水の妖精」と題した像がありました。 水滴のように尖った形の頭をしていて、腕組みをして胡坐をかいています。 「水」の妖精であることを表現した姿のようですが、瞑想しているようにも思えてきました。 この湿地を生んだ妖精とのことで、その謂れが記されていました。
水の妖精
昔、妖精の中で一番位の高い、水の妖精が、空を、雲といっしょにとびかっていて、 森の深い所に泉を持っていました。 その泉はつかるだけで、けがでも病気でも治ってしまうので、 人や動物たちでいつもいっぱいでした。 ところが・・・土の神は、泉の水を取り込んで強くなろうとしました。 そこで怒った水の妖精は、土の神をけちらしました。 ほっとしたその時、土の神の仲間たちが地面からむくむくと出てきて、 次々と水の妖精にとびかかりました。 水の妖精は、必死に抵抗しましたが、負けてしまいました。 悲しんだ森の精たちは、死んでしまった水の妖精を、森の外の窪んだ地に葬りました。 すると、そこから水が湧いてきて、美しい湿地帯になりました。
 (彫刻 高田大、ものがたり 高田風)
東屋のあるチップ広場の中ほどから葛川沿いに出ると橋が架かっています。 そこから葛川の右岸に沿って、蝦茶色をした遊歩道が続いています。 左岸にも土手道が続いていましたが、今回は右岸の遊歩道を歩いていきました。 葛川の左岸には早くも稲刈りが終わった田んぼもあって、刈り取られた稲が田んぼの中に干されていました。
(写真は公園の南側から橋を写したものです)
葛川の右岸に沿って遊歩道を進んでいきます。 鉄板製の細い橋を過ぎていくと、公園から300mほどの所に橋が架かっています。 橋の名前は見かけませんでしたが、車が通っていけるだけの幅はありました。 その橋を過ぎて、葛川沿いを更に進んでいきます。 葛川はコンクリート護岸されていて趣きに欠けるかなと思いながら歩いていると、 川の中に数羽のカモがいました。 浅そうな川を行ったり来りと急がしそうに泳ぎ回っていました。 この写真には三羽しか写っていませんが、この他にもいました。
上中橋
民家の石垣沿いに続く遊歩道を軽く登るようにして進んでいくと、二車線になった県道77号に出ました。 右手には上中橋が架かっていますが、道路を渡って、更にその先へと葛川沿いに進んでいきます。 左手のゲートボール場を過ぎていくと、葛川に流れ込む細い流れを渡っていきます。
宮向橋
民家の脇を進んでいくと宮向橋の架かる道路に出ました。 これまで続いてきた蝦茶色の遊歩道は、ここで終わりになっていました。 葛川の左岸には畑が続いていて雰囲気が良さそうでしたが、そのまま右岸に続く道路を進んでいきました。
(写真は宮向橋の中ほどから上流側を写したものです)
宮上橋
中央橋宮中橋を過ぎていくと、葛川の左岸の畑地にはビニールハウスが幾つも並んでいました。 更にその先へ進んでいくと宮上橋が架かっています。 少しずつ細くなりながらも続いてきた葛川は、ここで一気に幅を狭めます。 魚道のような感じの坂を経て、その先の一段高い所から上流へと続いています。 道路を渡って、狭くなった葛川沿いに更に進んでいきます。
(写真は宮上橋から上流側を写したものです)
宮原橋
畑地が終わって住宅が続くようになった葛川沿いを進んでいくと、短い宮原橋が架かっています。 道路は橋を渡って左岸へと続いています。 正面には民家があって、道はその庭へ入っていって行き止まりのように見えますが、 実はそこは庭ではなくて、川沿いに細い砂利道が続いていました。 金網柵には鉢植えが幾つも吊り下げられていて、綺麗な花を咲かせていました。
(写真は宮原橋から正面の民家の脇に続く道を写したものです)
民家沿いに進んでいって少し登り坂になってくると、葛川には再び段差があり、更に川幅が狭くなります。 そのまま川沿いに進んで、駐車場の横を登っていくと車道に出ました。 細い流れになった葛川は車道をくぐってその先へと続いているようでしたが、 今回はここで散策を終えることにしました。
原(はら)バス停
車道に出て右折していくと、すぐの所にある信用金庫の前に原バス停があります。
二宮駅(JR東海道線)まで、二宮駅北口行きバスにて16分、1時間に2本程度の便があります。
平塚駅(JR東海道線)まで、平塚駅北口行きバスにて43分、1時間に1本程度の便があります。
道路向かいのバス停からは、秦野駅(小田急小田原線)まで、秦野駅南口行きバスにて15分、 1時間に4本から5本程度の便があります。
(写真は秦野駅方面のバス停を写したものです)