帷子川
散策:2008年08年下旬
【街角散策】 帷子川
概 要 帷子川は横浜市旭区上川井地区を源流として、支流を合わせたり分流したりしながら横浜港へと注ぐ延長17kmほどの二級河川です。 川沿いには散策路が整備されていて、市民の憩いの場所にもなっています。 今回は鶴ヶ峰駅から帷子川の源流域まで続く散策コースを歩きます。
起 点 横浜市 鶴ヶ峰駅
終 点 横浜市 地区公園バス停
ルート 鶴ヶ峰駅…鶴ヶ峰まちかど広場…鎧橋…鎧の渡し緑道…首塚…畠山重忠公碑…帷子川ルート…帷子川…公園橋…清来寺橋…清来寺…今宿南橋…御殿橋…水道道プロムナード…トロッコ跡…明神橋…神明神社…長源寺…上川井交差点…大貫谷戸水路橋…上川井小川アメニティ…帷子川源流…地区公園バス停
所要時間 3時間20分
歩いて... 初めのうちは広くて立派な姿をしていた帷子川も、 源流域まで遡っていくと僅かな幅しかない溝のようになってきて、 石に開けられた穴から水が湧き出している所で終りになっていました。
関連メモ ふるさと尾根道
コース紹介
鶴ヶ峰(つるがみね)駅
鶴ヶ峰駅(相模鉄道本線)から歩いていきます。
改札口を出て北口の階段を降り、正面に続く鶴ヶ峰商店街を進んでいきます。 今回は横浜市のホームページに載っている グリーンロードウォークマップの「帷子川コース」に沿って源流域まで歩いていきます。 マップを印刷して持参すると参考になります。
帷子川コース
鶴ヶ峰駅と上川井町の帷子川源流域を帷子川に沿って結ぶ約6.7kmの緩やかなコースです。 コース沿いには、由緒あるお寺やトロッコ橋、全長約300mの水路橋、小川アメニティなど、 たくさんの見どころがあります。 コースの終点では、帷子川の源流に触れることができます。
 (出典:横浜市ホームページより抜粋)
「帷子川」の名前の由来
帷子川(かたびらがわ)という名前の由来についてはいくつかの説があるようですが、 「保土ヶ谷区歴史資料地図」によると、 現在の天王町一帯は昔、一方が山で他方が田野で平らな地形をしていたため、 片平(かたひら)と呼ばれ、その中を流れていた川を(かたびらかわ)と呼んでいたそうです。 また漢字の「帷子川」」ついては、文明12年(1480)の太田道灌の平安紀行に 「帷子」という地名(現在の天王町付近)があり、現在の帷子川はここからきたものとされています。 他にも海が入江となっていたことから「潟かた」と呼ばれ、これが転化したという説、 または、地形が衣料の帷子に似ているからという説などがあります。
 (出典:神奈川県ホームページより抜粋)
鶴ヶ峰まちかど広場
鶴ヶ峰商店街を1分ほど進んでいくと、左手から正面へと続く広めの道に出ます。 左手からの道を合わせて正面へ続く鶴ヶ峰商店街を数10m進んでいくと、 T字路の角に水が流れ出ている鶴ヶ峰まちかど広場があります。 その脇に「旭区グリーンロード ふるさと尾根道ルート」の案内標識があって、 正面の道は「鶴ヶ峰公園80m、旭区総合庁舎250m」となっています。
鶴ヶ峰商店街の「すず風舗装」
横浜市では「ヒートアイランド現象の緩和への取組」を積極的に進めております。 ここ鶴ヶ峰商店街では「すず風舗装整備事業」として、車道舗装面に保水性舗装、 歩道舗装面には保水性ブロック舗装を実施しました。 この舗装は舗装内に保水した水分の気化熱で舗装表面の温度を低下させます。
 (横浜市旭区旭土木事務所)
鎧橋
バスターミナルへの道を右手に分けて商店街を真っ直ぐ進んでいくと、 横断歩道の先に「横浜市水道局」と刻まれた橋の欄干があります。 かつてここを流れていた帷子川に架かっていた鎧橋の名残なのだそうで、その解説板も設置されていました。 右手には鶴ヶ峰公園が続いていて、左手には鎧の渡し緑道が続いています。
「鎧橋」と「帷子橋」
鶴ヶ峰公園のこのあたりは、古くは帷子川として流水をたたえたところですが、 河川改修により埋め立てられ誕生しました。 鎧橋は、明治時代に横浜水道敷設のために造られた水道みちと帷子川が交差していたこの場所に架けられました。 当初、木で造られていた橋は、時代とともに架け替えられながら永く親しまれてきましたが、 平成15年の道路改修工事によりはずされました。 鎧橋という名の由来は定かではありませんが、一説には、 やや上流の旭区役所付近に「鎧の渡し」と呼ばれた渡し場があったことから名づけられたといわれています。
 (旭区役所)
鎧の渡し緑道
脇には「水道みち「トロッコ」の歴史」と題した解説板もありました。 三井用水取入所から川井接合井を経て野毛山浄水場までの水道管を敷設するためのトロッコが通っていた道で、 ここは三井用水取入所から35kmの地点になるようです。 今回はここから左手へ続く鎧の渡し緑道を進んでいきます。 鎧の渡し緑道は帷子川の旧河川跡地を活用したプロムナードで、花と緑豊かな緑道になっているようです。
(右手の道は「ふるさと尾根道」を参照)
水道みち「トロッコ」の歴史
この水道みちは、津久井郡三井村(現・相模原市津久井町)から横浜村の野毛山浄水場(横浜市西区)まで約44kmを、 明治20年(1887)わが国最初の近代水道として創設されました。 運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷き、トロッコを使用し水道管を敷設しました。 横浜市民への給水の一歩と近代消防の一歩を共に歩んだ道です。
 (横浜市水道局)
階段を降りてなだらかになった道を進んでいくと、程なくして右手へ曲がっていきます。 竹林の横を過ぎていくと、旭区総合庁舎の裏手に出ます。 その手前はちょっとした広場のようになっていて、脇には「旭区グリーンロード 帷子川ルート」の案内板があって、 「畠山重忠公の足跡 二俣川・鶴ヶ峰古戦場」が紹介されていました。 今回の帷子川コースから外れる所もありますが、コースに沿った史跡を訪ねていきます。
旭区グリーンロード 帷子川ルート
帷子川ルートは鶴ヶ峰駅と上川井町の帷子川源流域付近を帷子川に沿って結ぶ約6kmのコースです。
畠山重忠公について
畠山重忠公は鎌倉時代の武将で、源頼朝の忠臣として幕府の創設に尽くし、 智・仁・勇を兼ね備えた武将として名声をはせていました。 しかし幕府の実権を巡る争いにまきこまれ、旭区の二俣川付近で戦死しました。 区内の二俣川から鶴ヶ峰にかけては、重忠公ゆかりの史跡が多く残っています。 これらの史跡は、旭区民が重忠公に親しみをもち、大切に守ってきたものです。
首塚 重忠公の首が愛甲三郎によって斬られ、祭られた所といいます。 今は西向きですが以前は南を向いていたそうです。
鎧の渡し
越っ場
首洗い井戸
鎌倉街道が帷子川を渡る場所でした。 以前は川幅も広く、武士がここを渡るときに頭に鎧をのせた渡ったと伝えられています。 ここにはまた重忠公の首を洗い清めたといわれる井戸がありました。 以前は河原に直径1m程の穴があり、水が湧いていたといいますが、 川の流れが変わって失われてしまいました。
さかさ矢竹 重忠公が矢に当たって討ち死にする前に、矢を2本地面に突き刺したものが根づき、 毎年2本ずつ増えて茂り続けたといわれています。 最近では見ることが出来なくなってしまいましたが、平成17年6月22日、 重忠公没後800年にあたり、さかさ矢竹の再びの繁茂を期待して、畠山重忠公碑の横に植竹しました。
畠山重忠公碑 昭和30年6月22日、重忠公没後750年を記念し、地元・鶴ヶ峰と埼玉県川本村の有志により建立されました。
駕籠塚 重忠公の内室「菊の前」は合戦の報に接し、急ぎ駆けつけました。 しかし、この地で重忠公の戦死を聞いて自害して果て、その場所に駕籠ごと埋葬されたといわれています。 以前は浄水場の中に周りを竹で囲まれた大きな塚があったそうです。 昭和30年に場外に移され、その後昭和49年に現在の姿に整備されました。
六ツ塚(薬王寺) 重忠公をはじめ、一族郎党134騎を埋めたと伝えられている6つの塚があります。 霊堂である薬王寺には重忠公の霊が祭られており、毎年命日の6月22日には旭区観光協会の協力のもと、 盛大な慰霊祭が催されます。
すずり石水跡 重忠公が陣をはった時、この水で墨をすったと伝えられています。 谷戸の奥にあたる場所で、昭和初期まで崖からの湧き水がったそうです。
矢畑
越し巻き
二俣川の合戦のおり、北条勢から射た矢があたり一面に落下し、矢の畑のようになったといわれます。 また、このあたりで取り囲まれたということで越し巻きといいます。 一説には矢が腰巻きのようにぐるりと取り巻いたためこの名ありとも伝えられます。 実際の正確な場所は不明です。
清来寺 江戸時代末期に、重忠公の武勇をたたえるために編集された「夏野の露」という絵巻が伝えられています。 境内には、鎌倉時代に、伝令として使った鏡があったという鏡楼塚があります。 この塚には、重忠公の所持していた観音像が埋められているので観音塚と呼ぶとも伝えられています。
首塚
広場の正面には「首洗い井戸」と「鎧の渡し」の標柱が立っていますが、 それらしい跡などは見かけませんでした。 そこを右折して民家の間に続く路地を進んでいくと、道の右手に首塚がありました。 10段ほどの石段を登っていくと、小祠の中には赤い頭巾と前掛けをしたお地蔵さんが安置されていました。 祠の右手には石製の七重の塔がありました。
畠山重忠公碑
首塚を後にしてその先へ続く坂道を登っていきます。 100mほど進んでいくと、県道40号(厚木街道)と水道道とが交差している鶴ヶ峰駅入口交差点に出ます。 正面の横断歩道を渡って県道40号の向かい側へいくと、角に「畠山重忠公碑」の標識や 「吾妻鏡 鶴ヶ峰・二俣川合戦の地、畠山重忠公終焉の地」の標柱が立っています。 柵で囲まれた中の花が咲く小綺麗な一角の奥に「畠山重忠公碑」がありました。 その脇には若い竹が植えられていて、「さかさ矢竹の由来」の解説板も設置されていました。 「畠山重忠公碑」は旧字体で書かれていて、無学の私には読めない字もありました。 誤読している箇所があるかも知れませんが、一応載せておきます。 (_は入力不能文字)
畠山重忠公碑
鎌倉時代の武将・畠山重忠公は、元久2年(1205)6月にこの地で戦死しました。 この碑は、重忠公没後750年を迎えた昭和30年(1955)6月に、 地元・鶴ヶ峰と埼玉県川本村(現・川本町)の有志により建立されたものです。
 (旭区制25周年記念施設)
畠山重忠公碑
武州鶴峯畠山重忠公古戦場跡碑
天雲変朝暮地有而天災山河変其脉生者亦有限然世四恩興天長地久萬古不_唯此所畠山公名丹心 諱重忠糸平而良文八世裔也烈祖世仕源家重忠亦従源頼朝父重能母三浦義明女也称幼名氏王丸天 資敦厚兼智仁勇忠亮誠愿雅量恢弘公明無私心助頼朝成霸業功烈史乗_奕重忠沖退具威徳頼朝大 信任託輔頼家執権個室望蜀頻忌重忠穎秀_嗾醜類鎌倉誘致進大兵督路欲殪招重忠菅谷発途就至 二股川渡畔吾遮覚数萬伏兵臣親恒成清等急還州拒敵雖勧不用謂而曰吾毎倶臣等守正義人道至今 日構陷何不怖弓箭道無貮心死而不失義乃屯鶴峯郭日臨敵勿装甲然坐受刄亦似勇無敵皆弓馬朋怯 怕嗤不貽決戦令勇人馬望敵陣兵白旗如雲霞重忠呼聲拂山風林樹怒髪衝冠自率寡推鋭破堅衝敵三 仁萬矢叫刀槍_如雷雨正義鋒先鋭更鋭亦鋭奮戦欲敵数反英気雖餘有寡衆不敵然我従兵皆勇戦鮮 血淋漓戒衣染緋及_隠箭風斫重忠中無念一言鶴峯川畔倒林丘古今無双英将重忠悲風惨雲下自刄 年四十二従兵百三十四士悉公殉時元久二年水無月二十二日也依_雖明覆去巳戦雲漏衣潔二鶴川 流共無實甄明誰有不悲焉者哉重忠素忠而死説得何其應報逆也九挺咸悼噫重忠丹心節義深感人心 久星霜七百五十年遺烈薫_遺蹟不易風萬古芳不顧私不文陪世変遷惜遺蹟湮滅_鶴峯地元議旧友 重忠公自刃所祀寶珠七重塔建今楢川畔彷徨憫殉烈士合祀其丹心讃揚銘永鑑    大正七年起案昭和三十年水無月二十二日 篆額文撰謹書 新堀九十
さかさ矢竹の由来
鎌倉武士の鑑・畠山重忠公は、この地で僅かの軍兵で、北條勢の大群と戦って敗れた。 公は戦死の直前に「我が心正しかればこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ」と、矢箆二筋を地に突きさした。 やがてこの矢が自然に根付き年々二本ずつ生えて茂り続けて「さかさ矢竹」と呼ばれるようになったと伝えられる。 このさかさ矢竹も昭和40年代の中頃までは、現在の旭区役所北東側の土手一面に繁っていたが、 その後すべて消滅してしまった。 この度重忠公没後八百年にあたり、ここにさかさ矢竹を植えて再びその繁茂を期待いたします。
 (横浜旭ロータリークラブ)
畠山重忠公碑を後にして県道40号を南へ進んでいくと、下川橋を渡った所に下川橋際交差点があります。 そこを右折して少し先の分岐を右手へ進んでいくと、右手の下にちょっとした広場があります。 短い階段を降りていくと、帷子川とその支流の二俣川の合流地点になっていました。 先ほどの畠山重忠公碑は、川が合流した先の帷子川捷水路トンネルの脇にあるようでした。 広場から帷子川沿いの道まで戻ってくると、 脇には「帷子川(合流点付近)の歴史と畠山重忠」と題した大きな看板が立っていました。
下川橋の欄干には「帷子川」と刻まれていましたが、 手元の地図によると、その下を流れている川は帷子川の支流である「二俣川」になるようです。
武将・畠山重忠
帷子川(合流点)付近の歴史を語るうえで、最も重要な人物のひとりとして、 鎌倉時代の武将畠山重忠があげられます。 畠山重忠は、長寛2年(1164)平氏全盛の時代に、埼玉県大里郡川本町大字畠山にある畠山館で生れました。 治承4年(1180)源頼朝の旗揚げに伴って頼朝に仕え、宇治川の戦い、一の谷の戦い、 壇の浦の戦いと数々の戦で功績をあげ、鎌倉幕府創設に多大な貢献をしました。 また、源義経の側室静御前が鶴岡八幡宮で舞を奉納したときに、銅拍子の役を務めたことなど数々のエピソードで、 文武に秀でた武将であったことが今に伝えられています。 頼朝の死後、幕府の実権を巡る争いに巻き込まれ、元久2年(1205)鎌倉に向かう途中、 鶴ヶ峰村付近で北条氏の待ち伏せに合い、討ち死にしました。 帷子川、二俣川をはさんで現在の鶴ヶ峰本町から万騎が原にかけての広い一帯が戦場となり、 4時間に及ぶ激戦の末、畠山勢134騎はことごとく討ち死にしたと言い伝えられています。 700年以上もたった今でも、帷子川(合流点)付近には、重忠ゆかりの伝承をもつ史跡が数多く残っており、 時代の流れとともに街や川の姿は変わっても、人々に大切に守られています。
昭和14年ごろのすがた
帷子川は農業用水、飲料水、舟運工業水などに広く利用されていましたが、 蛇行が激しく集中豪雨や高潮の時にはたびたび氾濫し、暴れ川と呼ばれてきました。 右の地図は、縄文時代より流れてきた歴史が近代化に向け変貌する直前の姿です。
昭和59年ごろのすがた
帷子川沿いに開けた道は、八王子−町田−横浜に至る「絹の道」として、横浜開港以来主要交通路でした。 昭和27年内陸工業と港機能を結ぶ主要幹線として、国道16号となりました。 川沿いには特にスカーフ等を対象とした捺染工業が多くみられました。 昭和30年以降、経済の急成長に伴い、さらに工場や住宅が建設されるようになると排水が帷子川に流れ込み、 次第に汚れてしまいました。
改修後のすがた
昭和33年の台風22号(狩野川台風)によって大きな被害をうけたのをきっかけに、本格的な改修工事が始まりました。 周辺の下水道整備もほぼ完了し、川の水もきれいになってきました。 蛇行していた川は直線化されましたが、残された旧川敷きの一部は、 街に潤いと安らぎをもたらす緑の空間として生まれ変わっていきます。
 (旭土木事務所)
帷子川ルート
看板の隣りには「ぐるぐる歩こう旭区グリーンロード」の帷子川ルートの案内板がありました。 道標も兼ねているようで、この先の道は「中原街道へ2.6km」、 今来た道は「鶴ヶ峰駅へ0.7km」となっていました。 ここから帷子川沿いに上川井地区の源流域まで続くコースを歩いていきます。
この案内板に載っているコース図と、ホームページに載っているコース図では、 鶴ヶ峰駅からここまでのルートが若干異なっているようでした。
旭区グリーンロード構想とは
多くの公園や見どころに恵まれた旭区内を、緑の遊歩道で結んでいこうという構想です。
帷子川ルートについて
鶴ヶ峰駅と上川井町の帷子川源流域付近を帷子川に沿って結ぶ約6kmのコースです。 コース途中には由緒あるお寺や、全長約300mの水路橋、 源流域には自然の景観をそのまま残した小川アメニティーもあります。
周辺の見どころ
・帷子川  帷子川の名の由来は、その昔、北側の河口部沿岸がなだらかで片側だけが平地だったことから 片平(かたひら)の名が起こり、それが「帷子」となった、といわれています。 かつては、浸水被害をもたらした川でしたが、改修工事がすすみ、 旧河川敷となった部分は、人々の憩いの空間となりつつあります。
・畠山重忠公碑  畠山重忠は元久2年(1205)6月、この地で戦死しました。 没後750年を迎えた昭和30年6月に、地元鶴ヶ峰と埼玉県川本町の有志によってこの碑が建立されました。
・鶴ヶ峰本町公園プール  オムツのとれた子どもから大人まで太陽の下で遊べるプールです。 飽きたらブランコ、砂遊び、読書なども。
・今川公園  公園の尾根道にたつと、芝生広場や運動広場から若者達の歓声が聞こえてきます。 目を移すと、そこは華やかなテニスボールの飛び交う世界。 さらには、幼児の遊具広場や散歩コースの緑と花も豊かです。
・水道道プロムナード  川井浄水場から西谷浄水場までを魅力ある道路づうりの一環として整備がすすめられています。
・長屋門  江戸後期の建物で、地域のシンボルとして親しまれてきた民家形式の長屋門です。
 (旭区)
帷子川
広場を後にして、帷子川に沿って続く道を歩いていきます。 100mほど進んでいくと今川橋が架かっています。 この辺りでは帷子川はまだ広くてしっかりとした川の様相を呈しています。 昭和33年の台風を契機にして改修されたということで、綺麗に護岸された川になっていました。
あぶない!
大雨のときは、川が増水しますので、川の中には入らないで!!
やめよう!
川にゴミを捨てないでください。
 (横浜市環境創造局)
公園橋
今川橋を過ぎていくと、左手に「いちご園」のビニールハウスが見えてきます。 「朝摘みいちご直売」とのことですが、この時には季節はずれのようで、売ってはいませんでした。 今川親水橋を過ぎていくと、川から少し離れて登り坂になってきます。 畑地や住宅が続く坂道を進んでいくと、今川親水橋から300mほどの所で、右手に分かれていく道があります。 角には旭区散策コースの道標が立っていて、 右手に降っていく道は「30m先左折 清来寺まで1040m」となっています。 道標に従って右手の道を降っていくと公園橋が架かっています。 欄干には水鳥や鯉などのモチーフが取り付けられていたりもしました。 橋の手前から左手へと帷子川沿いに道が続いています。 また橋を渡った所からも左手に道が続いています。 道標の「30m先左折」とはどちらの道を指しているのかと考えるに、どうも手前の道のように思えましたが、 ホームページに載っているルートは橋を渡って帷子川の左岸を進むようになっているので、 今回は橋を渡って左岸を進んでいきました。
住宅地と帷子川の間に続く道を進んでいきます。 右手へ分かれていく道を見送って川沿いに進んでいくと、広めの道路に出ます。 そこから更に川沿いに進んでいくと、すぐの所に越巻橋が架かっています。 桃色の花の咲く樹木などを眺めながら進んでいくと、道が二手に分かれています。 右手へ登っていく道を見送って、車止めを抜けて川沿いに進んでいくと、柵の一部が開いていて、 川辺へ降りていける所がありました。 階段を降りていくと、帷子川に細い川が合流してくる地点になっていました。
注意
・この階段は川の一部です。
・雨が多く降ると、階段の上のところまで川の水がきます。
・雨のときや、雨の後など水の多いときはキケンですから階段の中に入らないでください。
 (横浜市旭土木事務)
コイヘルペスウィルス病既発生河川につき、コイの持出しを禁止します。
 (旭土木事務所)
川から上がってその先へ進んでいくと車道に出ます。 川沿いに車道を進んでいくと、すぐに信号機の設置された交差点があります。 その左手には今宿東橋が架かっていました。 道の脇には「水道道」の標識も立っていました。 最初の鎧橋の所から続いている道のようです。 川向こうを見ると、あちら側にも散策路が続いているようでした。 こちら側の道は舗装されていて散策路という雰囲気が乏しかったので、 どうも先ほどの公園橋の手前を左折して帷子川の右岸を進むルートが正解のように思えました。 しかし、今宿東橋を過ぎてからは車道の脇の歩道の両側には植え込みが続くようになって、 雰囲気が良くなってきました。 咲き終えて枯れる寸前のアジサイの花もあったりしました。
程なくして、帷子川に流れ込む小さな川を渡っていきます。 歩道と車道に分かれていて、鉄パイプ柵で区切りられていました。 欄干には「山橋」と刻まれていたので、その橋の名前のようでした。 そのすぐ先に高山橋が架かっています。 脇には並行するようにして高山人道橋も架かっていました。 橋を過ぎて更に進んでいくと、再び植え込みが続くようになります。 程なくして、川向こうにこんもりとした森が見えてきます。 手元の地図によると、清来寺のある一角のようでした。
清来寺橋
川向こうの森に続く白いガードレールを見ながら川沿いに進んでいくと、清来寺橋交差点があります。 その左手には清来寺橋が架かっていました。 コースはこのまま帷子川の左岸沿いに続いているのですが、左手にある清来寺へ寄っていくことにしました。 橋を渡った所の石垣の上には、植え込みを剪定して、 「せ・い・ら・い・じ・よ・う・ち・え・ん」の文字が形作られていました。
清来寺
擬宝珠が取り付けられた趣きのある清来寺橋を渡っていきます。 左折していくとすぐに道が二手に分かれていますが、右手の坂道を登っていきます。 「浄土真宗本願寺派 鶴遊山清来寺」と刻まれた石柱を過ぎていくと、右手の高みには清来寺幼稚園があります。 正面の石段を登って立派な山門をくぐっていくと、綺麗な庭園になった清来寺があります。 小さな池を過ぎていくと、正面に本堂があり、その右手に庫裡と思われる建物がありました。 お寺の謂れなどを記したものは見かけませんでしたが、畠山重忠ゆかりのお寺なのだそうです。
今日一日がわたしのいのち 今日一日をどう生きる
 (浄土真宗 清来寺)
清来寺から帷子川沿いに戻ってその先へと進んでいきます。 ホームページに載っているルートは左岸を進んでいくのですが、 右岸にも散策路が続いていたので、清来寺橋を渡らずに右岸をそのまま川沿いに進んでいきました。 左手に登っていく道を見送って川沿いに進んでいくと今宿新橋が架かっています。 今宿新橋を過ぎて左手の石垣の上にある今宿保育園を見ながら緩やかに登っていくと用地橋が架かっています。 用地橋を過ぎて、左手に続く団地の集合住宅を見ながら、赤レンガ敷きになった道を進んでいきます。 柵に咲く紅色や紫色のアサガオを眺めながら進んでいくと団地橋が架かっています。 団地橋を過ぎて、更に団地に沿って進んでいきます。 川沿いの柵には「帷子川はふるさとの川の会」などのイラスト入りの手作りの注意書きがあったりもしました。
みんなで川をきれいにしてね
僕元気、私も元気よ、こっちにこ〜いかに〜。
 (帷子川はふるさとの川の会)
糞を持ちかえってね
後は頼んだワン
 (水辺愛護会、帷子川はふるさとの川の会)
今宿南橋
団地が終わって赤レンガから土の道になってくると日影橋が架かっています。 橋を過ぎて更に進んでいくと今宿南橋が架かっています。 コースはここから橋を渡って帷子川の左岸に続いているのですが、 右岸の道はこの先へも続いていたので、更に右岸を進んでいきました。 このすぐ先で、左手から川が合流してきます。 手元の地図によると矢指川というようです。
(写真は今宿南橋の中ほどをから上流方面を写したものです)
帷子川の右岸を進んでいくと、すぐに合流してくる矢指川沿いを進むようになります。 矢指川に架かる耕作橋を渡って、すぐ右手にある車止めの所から木立の中へ入っていきます。 再び帷子川沿いに戻ってくるとベンチが設置されていて、ちょっとした広場のようになっていました。 脇にある竹林を過ぎて、帷子川沿いの散策路を進んでいきます。
帷子川
みんなの 心がけで きれいな川
 (「ヨコハマさわやか運動」旭区本部、横浜市環境創造局)
民家と帷子川の間に続く散策路を進んでいくと、左手が少し膨らんできます。 ベンチも幾つか設置されていて、ちょっとした広場のようになっていました。 ここから川辺へ降りていける階段がありました。 脇にある看板によると「階段護岸」と云うようです。 その横に「旭区グリーンロード 帷子川ルート」の案内標識があって、 正面に続く道は「中原街道へ0.3km」、今来た道は「鶴ヶ峰駅へ3.0km」となっていました。 やはり、ホームページに載っているルートと、現地にある標識が示すルートとは若干の相違があるようでした。
階段護岸について
・この施設は、災害緊急時の消火などに使う水を取る施設です。
・雨や水の多いときは危険です。階段の中に入らないで下さい。
 (横浜市旭土木事務所、横浜市下水道局河川管理課)
御殿橋
階段護岸を過ぎていくと、左手に空き地のような所が続きます。 そのすぐ先に都岡橋が架かっています。 都岡橋を過ぎていくと、再び階段護岸があります。 そこを過ぎて左手への道を見送って緩やかに真っ直ぐ登っていくと広い車道に出ます。 先ほどの標識にもあった県道45号(中原街道)になります。 右手には立派な御殿橋が架かっています。 道標類は見かけませんでしたが、ホームページのルート図を参考にして、 ここは右手の御殿橋を渡っていきます。
水道道プロムナード
100mちょっと進んでいくと、国道16号(八王子街道)と中原街道とが交差している都岡町交差点があります。 左手の横断歩道を渡り、その先の横断歩道を更に渡っていくと、ラーメン店の手前から左手へ入っていく道があります。 その左手の花壇のような円い囲いの中に樹木が植えられています。 車止めもあって、一般車は通行止めになっているようです。 道標類は見かけませんでしたが、ここから続いている道が「水道道プロムナード」になるようです。 川井浄水場から西谷浄水場まで魅力ある道路づくりの一環として整備された道とのことです。
プロムナードは少し蛇行するような形になっていて、沿道には樹木などが植えられていました。 1分ほど進んだ所に「水道みち「トロッコ」の歴史」と題した円い案内板がありました。 鎧の渡し緑道の所にあったのと同じ内容になっていますが、 三井用水取入所から32kmの地点とのことでした。 左右に分かれていく道を見送って道なりに進んでいくと、車道と並行するようになります。 下宿バス停を過ぎていくと、車道から少し離れて左手へと続いています。 樹木が増えてくると、帷子川の支流の小さな流れに架かる小橋を渡っていきます。
トロッコ跡
住宅が建ち並ぶ間に続く道を進んでいくと、再び国道16号(八王子街道)に出ます。 国道を少し進んでいくと川井宿町交差点があります。 その少し先には川井本町交差点があって、川井本町歩道橋も架かっています。 横断歩道か歩道橋を渡って国道の反対側へ行くと、細くなってきた帷子川に小橋が架かっています。 その手前には「水道みちトロッコの歴史」と題した円い解説板が設置されていて、 往時の様子を写した写真も載っていました。 小橋には往時のトロッコの線路の一部が保存されています。 確認は漏らしましたが幅50cmほどの狭い軌道でした。
水道みちトロッコの歴史
明治20年(1887)わが国最初の近代水道が横浜に創設されました。 この水道みちの橋に架かる2本のレールは、運搬手段のなかった当時、 津久井郡三井村から横浜村(三井取入所から野毛山浄水場)まで44kmの水道みちに敷設され、 鉄管や資機材の運搬に活躍したトロッコのレールです。 水道みちに唯一現存するこのレールを近代水道拡張の歴史的文化遺産として保存するものです。
 (旭区区役所、旭土木事務所、横浜市水道局)
国道16号沿いに続く歩道を更に進んでいきます。 旭高校入口交差点を過ぎて福泉寺前交差点までくると、水道道は国道から離れて少し左手に続くようになります。 その入口には「水道みち「トロッコ」の歴史」と題した円い案内板がありました。 これまでにあったのと同じ内容になっていますが、三井用水取入所から31kmの地点とのことでした。 洋風な建物の病院の前には旭区散策コースの道標が立っていて、 民家の建ち並ぶ間に続く正面の道は「長源寺1190m」となっていました。
明神橋
赤茶色の舗装路になった道を200mほど進んでいくと、 幅が狭くなってきた帷子川に五反田橋が架かっています。 それほど交通量は多くなさそうですが、車道と歩道に分かれた橋になっていました。 橋を渡って更に進んでいくと、左手の畑の一部が広場のように整備された所がありました。 ちょっとした遊具などもあって、近所の子供達の遊び場になっているようでした。 そこを過ぎていくと、帷子川に明神橋が架かっています。 この橋も車道と歩道に分かれた形になっていました。 コースは橋を渡ってこの先へと続いていますが、 手元の地図によると、この右手の方に神明神社があるようなので、ちょっと立寄っていくことにしました。 橋の手前から右手へ分かれていく小径に入っていきます。
帷子川 2級河川
みんなの 育てよう きれいな川
 (ヨコハマさわやか運動旭区本部、横浜市環境創造局)
神明神社
民家の脇を過ぎていき、突き当たりを右・左とクランク形に曲がっていくと国道16号に出ます。 正面にあるこんもりとした森が神明神社になります。 左手にあるガソリンスタンドの前の横断歩道を渡って道路の向こう側へ行き、 大きめの白木の鳥居をくぐってその先にある石段を登っていくと、神明神社の境内になります。 小広い境内の正面に本殿と拝殿があります。 由緒などを記したものは見かけませんでしたが、奥から出た所にある掲示板によると、 「みこし大会」が9月14日に挙行されるようでした。 本殿と拝殿の屋根はトタン葺きになっているようで、鰹木や千木は乗っていませんでした。 右手には舞殿のような建物があり、左手には小祠がありました。
神明神社から元の水道道まで引き返してきて、その先へと進んでいきます。 左手の山際にある病院などを眺めながら真っ直ぐに進んでいきます。 送電線の下を過ぎて軽い登り坂になった道を進んでいきます。 生コンの塔がある所まで来ると、右手を流れる帷子川の改修工事が行われていました。 そこを過ぎてなだらかな道になってくると、カーブミラーの設置された十字路があります。 その角に旭区散策コースの道標が立っていて、右手の道は「長源寺360m」となっていました。 コースはこのまま真っ直ぐ続いていますが、ここでも長源寺に立寄っていくことにしました。
左右に分かれる道を見送って坂道を真っ直ぐに降っていくと、 帷子川へ流れ込む小川に架かる小さな大東橋を渡っていきます。 僅かに登り気味になってきた道を進んでいくと国道16号に出ます。 左手にある旭区上川井町第一歩道橋を渡って道路の向かい側へ降り、その先へと更に進んでいきます。 正面の高台に見える青緑色の屋根の建物が長源寺になります。 小川沿いに進んで道なりに左へ曲がっていくと、帷子川に架かる短い学校橋を渡っていきます。 軽い登り坂を進んでいくと、細めのバス道路の向かい側に真新しい石灯籠が立っています。 高い所には「旧小机領子歳観音霊場第二十七番札所 高野山真言宗 長源寺」と書かれた看板もありました。
過去を自慢するのは 進歩の止まった証拠
 (川井山長源寺)
長源寺
石灯籠の間から奥へ続く参道を進んでいくと、 脇には「三界萬霊」と刻まれた石仏や、入船地蔵がありました。 参道の先へ進んでいくと石段が現れます。 左手には六地蔵や「湯殿山」と刻まれた石碑などが並んでいました。 右手に坂道もありましたが、今回は正面に続く石段を登っていきました。 石灯籠が並ぶ石段を登っていくと長源寺の境内に着きました。 本堂は新しい様子でしたが、かなり長い歴史のある古刹のようでした。 謂れなどを記したものは見かけませんでしたが、 開山は天平11年(739)と推定され、永長年中(1096)には源義家が鎧を納めたとも伝えられているようです。
横浜市指定有形文介在(彫刻) 木造 大日如来坐像
所有者 宗教法人 長源寺
所在地 旭区上川井町214番地
時代 室町時代
構造及び形式 技法 寄木造、玉眼、肉身部金泥、着衣部漆箔
寸法 像高33.0cm
このお像は長源寺の本尊で、頭髪を高く結い上げて銅造の宝冠をかぶり、 胸の前で智拳印を結ぶ金剛界の大日如来坐像です。 張りの強い面部や下半身の装飾的な衣の皺の刻出などに鎌倉時代の作風を受け継ぎ、 丁寧にまとめられており、像底部の銘文から、東国仏教界に強い影響を与えた高僧の印融が、 永正10年(1513)に寄付したことがわかります。 印融は、永享7年(1435)に、現在の緑区三保町に生まれ、港北区鳥山町の三会寺や鶴岡八幡宮で学んだあと、 高野山で修業し、のちに関東に戻り三会寺を拠点に、真言密教の復興に努めました。 このお像は、当代の佳例であるうえ、印融のおこなった真言密教復興運動の一相を示してくれるなど、 資料的価値も高いといえます。
 (横浜市教育委員会)
本堂の左手には観世音を祀るお堂があります。 御歌を刻んだ石碑や石灯籠の奥にあるお堂の正面には、御歌や御真言を記した額が掲げられていました。
旧小机領三十三所寺年観世音 第二十七番霊場川井観世音
御歌 観音の 誓いも深き 川井にて 筧の音も 絶えぬ御手洗
川井山観世音御歌
かんのんのちかいもふかきかわいにてかけひのおともたえぬみたらし
御本尊十一面観世音菩薩
御真言 おんろけいじんばらきりくおんまかきやろにきやそわか
上川井交差点
長源寺から元の道まで引き返してきてその先へと進んでいきます。 150mほど進んでいくと、赤茶色に塗られた東根谷橋を渡っていきます。 帷子川へ流れ込む小川に架かっていますが、道路と一体化していて、「橋」という雰囲気はほとんどありません。 僅かにずれた十字路を過ぎていくと、軽い登り坂になってきます。 道なりに真っ直ぐ進んでいくと、国道16号の上川井交差点に出ます。
交差点の左手にある横断歩道を渡った所から正面へ続く坂道を降っていくと、 すぐに短い中井橋が架かっています。 この辺りまでくると帷子川も幾つもの細い小川に分流していて、どれが本流なのか分からない雰囲気になってきます。 中井橋の架かる小川も、そんな中のひとつのようです。
大貫谷戸水路橋
工務店や集合住宅を過ぎて竹垣に沿って進んでいくと車道に出ます。 その右手すぐの所にある若葉台団地入口交差点を左折していきます。 コンビニの先にある大貫橋バス停を過ぎていくと、沿道には並木が続くようになります。 交差点から200mほど進んでいくと、頭上に長い橋が通っています。 この辺りは浅い谷戸になっているようで、その谷を渡るようにして橋が架けられています。 コース案内図によると大貫谷戸水路橋と云うようです。 「神奈川の橋100選」にも選ばれていて、横浜市水道局の鋼鉄製水路で、延長約300mあるのだそうです。
水路橋を過ぎて200mほど進んでいくと若葉台南側交差点があります。 そこを道なりに左手へ進んでいくと、すぐに左手へと道が分かれて降っていきます。 角には旭区散策コースの道標が立っていて、 左手の道は「上川井小川アメニティー 10m先左折」となっています。 道標に従って左手の道を進んでいきます。 「10m先左折」と書かれているのですぐに左手へ分かれていく道があるのだろうと思っていても、 それらしい道はありません。 そのまま進んでいくとT字路に出てしまいました。 何だか変だと思って引き返してくると、左手(降っていく向きでは右手)に、 熊笹が生い茂る石畳の道が分かれていました。 どうやらこの道のようだと思って、その道を進んでいきました。 車道に立っている道標は、「右」と「左」が間違っているようでした。
上川井小川アメニティ
熊笹や樹木などが両側に生い茂る石畳の道へ入っていくと、程なくして僅かな広場のような所がありました。 半円形のベンチのような石積みもあって、ひと休みしている人を見かけました。 そこから更に進んでいくと、左手には川の流れが現れました。 先ほどの大貫谷戸水路橋の辺りから暗渠を通ってきた帷子川になるようでした。 少し降るようになってくると川沿いに出ました。 帷子川も二俣川との合流地点ではかなり広い川でしたが、 この辺りまで来ると僅かな幅になってきて、「水路」という雰囲気になってきます。 小川に並行して道路もありますが、それとは別に小川沿いに散策路が設けられています。 すぐ先には「上川井小川アメニティ」と書かれた道標も立っていました。 ここからは小川アメニティに沿って進んでいきます。 解説板は見かけませんでしたが、水路を活用した延長約900mのせせらぎとのことです。
道路と並行するようにして続く小川アメニティを進んでいくと、藤棚があったりもします。 一段と幅が狭まってきた小川沿いに進んでいきます。 少し右手へS字に曲がりながら進んでいくと、再び藤棚があります。 ベンチも設置されていて、ひと休みするのに良さそうでした。 左手には地域交流施設や特別養護老人ホームがあり、温泉も併設されているようでした。 入口には温泉を販売するセルフサービス型のスタンドがありました。
地域交流施設 横浜温泉チャレンジャー
横浜唯一の高温泉
泉質 ナトリウム・塩化物泉・弱アルカリ性
保養・健康増進のためご気軽にご利用下さい。
入浴料500円、幼児から高齢者までどなたでもご利用いただけます。
源泉の宅配いたします(特にアトピーの方におすすめです)
温泉スタンド利用方法
1.温泉スタンド給湯可ランプが点灯しているか確認して下さい。
2.お持ちかえり容器を並べて下さい。
3.硬貨を入れ(お釣りは出ません)給湯口をポリ缶に入れ給湯ボタン赤を押す。
     10リットル100円 18リットル180円 20リットル200円
4.ポリ缶以外の方は、恐れ入りますが温泉カウンターでお買い求め下さい。
5.給湯後は給湯ホースを元の位置に必ず戻して下さい。
温泉スタンド利用案内
1.スタンド営業時間…24時間
2.給湯量…10円硬貨1枚に対し1リットル(50円5リットル、100円10リットル)
3.次の方の利用は禁止します…営利目的としての利用
施設へと続く広い道路に出てその先へ進んでいくと、 駐車場の辺りから、再び右手に小川アメニティが続くようになります。 流れに沿って続く散策路を進んでいくと、左手には畑地が続くようになります。 益々細くなってくる帷子川は、もう「溝」という感じになってきます。 アメニティには東屋やベンチが設置されていたりもします。
大きな集合住宅の脇まで来て少し登り坂になってくると、 石垣で護岸された小川アメニティは右手の林の中へ入っていきます。 入口は道らしくなってはいませんでしたが、 「上川井町小川アメニティ」の道標に従って流れに沿って進んでくと、すぐに道が現れました。 木柵が続く土の道を流れに沿って進んでいくと、小さな板橋を渡った先で、流れは終わっていました。
帷子川源流
石に開けられた穴から噴水のようにして勢い良く水が湧き出していて、そこから水路へと流れが続いていました。 以前にはこの先へと更に流れが続いていたように思えますが、 すぐ上を通っている車道の建設に伴って、このような形に工事されたようです。 ここが、幾つにも枝分かれした帷子川の源流のひとつになるようです。 今回の帷子川の散策はここで終りになります。
地区公園(ちくこうえん)バス停
右手にある幅の広い横木の階段をひと登りすると車道に出ます。 そこから右手へ200mほど進んでいくとあかね交差点があります。 交差点を左折して茜歩道橋の下を過ぎて真っ直ぐ進んでいくと、陸橋の先に地区公園バス停があります。
青葉台駅(東急田園都市線)まで、青葉台駅行きバスが1時間に3本から4本程度あります。
長津田駅(JR横浜線・東急田園都市線)まで、長津田駅行きバスが1時間に2本程度あります。
三ツ境駅(相模鉄道本線)まで、三ツ境駅行きバスが1時間に2本程度あります。