富士見台
散策:2008年06月下旬
【低山ハイク】 富士見台
概 要 富士見台は北高尾山稜にある低山です。 山頂からは奥高尾の山並みの奥に丹沢や富士山を望む景色が広がっています。 今回は八王子城跡の御主殿跡の先の城山林道から裏高尾縦走路へ登り、そこから富士見台へ向かっていきます。 富士見台からは手前の分岐から木下沢林道へ降っていきます。
起 点 八王子市 霊園前バス停
終 点 八王子市 日影バス停
ルート 霊園前バス停…宗関寺…北条氏照墓…管理棟…城山川…大手の門跡…古道…曳橋…虎口…御主殿跡…御主殿の滝…城山林道…林道終点…沢合流…木梯子…縦走路…小ピーク…木下沢分岐…富士見台…急斜面…小滝…沢歩き…東屋…木下沢林道…木下沢…旧甲州街道…日影バス停
所要時間 4時間20分
歩いて... 富士見台の手前にある分岐から木下沢林道へ降る道には、 滑りやすい急斜面を降ったり石ゴロゴロの沢を歩く場面が続いていて、 城山林道から裏高尾縦走路へ登っていく道よりも大変でした。 足元が悪くなる雨が降った翌日などは避けた方がいいかも知れません。
関連メモ 北高尾山稜, 木下沢林道, 八王子城跡, 景信山
コース紹介
霊園前(れいえんまえ)バス停
高尾駅(JR中央線)の北口から、[高10]恩方車庫行きバス、 [高13]宝生寺団地行きバス、[高14]グリーンタウン高尾行きバス、[高14]高尾の森わくわくビレッジ行きバス、 [高30]大久保行きバス、[高33]陣馬高原下行きバス,または,[高34]美山町行きバスにて4分、 便は頻繁にあります。
バスを降りたすぐ先に「八王子城跡周辺案内」と題した大きな案内板があって、 これから向かう八王子城跡管理棟への道が図示されているので参考にしましょう。 今回は御主殿跡の先に続く城山林道の終点から, 八王子城跡の南側に伸びる縦走路へ登り、そこから富士見台へと向かっていきます。 バス停の数10m先にある八王子城跡入口交差点を左折して、石材店などが建ち並ぶ道を進んでいきます。
(霊園前バス停は中央自動車道の高架の真下にあります)
宗関寺
すぐの所に佇むお地蔵さんに挨拶をしてから、真っ直ぐに続く道を進んでいきます。 閑窓寺稲荷神社を過ぎていくと、 右手へ分かれていく八王子霊園への道を見送ったすぐ先に宗関寺があります。 角には「八王子城跡案内図」があって、管理棟や御主殿への道が図示されています。 「八王子城跡 約800m(約10分)」の標識も出ています。 八王子城跡へはお寺の左手から続く道を進んでいくのですが、ちょっと境内へ立寄っていきました。 大きな石門から中へ入っていくと、すぐ正面に本堂があり、その右手には庫裡と思われる建物がありました。 また門の右手には立派な梵鐘がありました。 自動的に撞くための装置が取り付けてあって、今時のお寺の要素も見られたりしました。
市指定有形文化財 宗関寺銅造梵鐘
この梵鐘は、元禄2年(1689)7月11日、宗関寺開基北条氏照百回忌供養のため鋳造されたものである。 鋳工は椎名伊予良寛、同兵庫重長と銘文にある。 寄進した中山信治は八王子城落城の折、討ち死にした中山家範の孫にあたり、水戸藩家老・中山家三代目当主。 口径72.5cm、高さ1.5mで、釣手に龍頭をあしらい、乳の間には一間五段五列の乳頭、 草の間には連続唐草文が鋳出されたみごとな梵鐘である。 池の間には、北条氏照百回忌追悼詩文が刻まれ、資料的にも貴重である。 太平洋戦争中、元禄年間(1688〜1704)以後の梵鐘は応召されたが、 市内ではこの梵鐘等数点のみが残されているだけである。
 (八王子市教育委員会)
宗関寺の左手の道端には庚申塔などが立ち、その脇には、 先ほどのよりも広範囲な周辺案内図と史跡などの解説文が沢山載っていました。 今回の散策と関連のある解説文を載せておきます。 八王子城は戦国時代を代表する城で、 2006年4月に「日本100名城」に選定されたのだそうです。
高尾駅(昭和36年、浅川駅から改称)
昭和2年(1927)、大正天皇大葬時の新宿御苑の仮停車場を移築したもの。 ホームの鉄骨には、アメリカ軍の機銃掃射の銃弾の痕が残る。
八王子の名前の由来と八王子神社
伝説によると、平安時代の延喜16年(916)、妙行という僧が深沢山(八王子城山)で修行をしていたころ、 牛頭天王が八人の往時とともに夢に現われた。 そこで妙行は深沢山と周囲八つの峰に祠を建てて牛頭天王と八人の王子(八王子権現)を祀った。 戦国時代の天正10年(1582)頃、北条氏照が深沢山に城を築いた時、 八王子権現を城の守り神としたので、城は「八王子城」、城下の町は「八王子」と呼ばれるようになった。 天正18年(1590)、八王子城が落城した後、城下の町は現在の市街地に移され、 江戸時代には新しい八王子の町となり、もとの八王子は元八王子と呼ばれるようになった。
宗関寺
牛頭山華厳院という寺跡に、文禄年間(1592〜96)に創建されたという。 天正18年(1590)八王子城の合戦で寺は焼失、その後再建され、明治25年(1892)には現在地に移転した。 現在の境内には八王子城の遺構、横地提が残っている。 元禄2年(1689)、北条氏照百回忌に水戸藩の附家老・中山氏が寄進した「宗関寺、朝遊山の額」、 市指定有形文化財の「宗関寺銅造梵鐘」がある。
 (八王子市教育委員会)
八王子城が「日本100名城」に選定!
「日本100名城」には、世界遺産の姫路城、国宝の彦根城・松本城、また東京都内では江戸城など、 そうそうたる名城が選定されており、八王子城は戦国の山城としての状態をよく残していることなどから選ばれました。 現在の八王子城は、北条氏照の居館跡である御主殿一帯を中心に整備されています。 一般的な城のイメージである立派な天守がない山城ですが、 その雰囲気と、四季折々の自然を味わいにしてはいかがでしょうか。
 (八王子市教育委員会生涯学習スポーツ部文化財課、財団法人日本城郭協会)
お知らせ
ここ宗関寺より西側一帯(城山)は国史跡となっておりますので、左記事項にご留意下さい。
一、名称 国指定史跡「八王子城跡」
一、所在 元八王子町三丁目、下恩方町
一、指定 昭和二十六年六月九日
史跡指定地内は、無断で現状を変更することは禁止されております。 やむをえず現状変更する場合は、文化庁の許可を受けてから実施して下さい。 なお詳細については、八王子市木養育委員会社会教育課へお問合せ下さい。
 (八王子市教育委員会)
宗関寺を後にしてその先へ進んでいくと、 道端に立つ「八王子城跡 約700m(約8分)」の標識の隣に 「国指定史跡八王子城跡案内図」がありました。 管理棟から古道や御主殿の滝などへと続く道が図示されていて、 各所の簡単な解説も載っているので参考にしましょう。 今回の散策と関連のある解説文を載せておきます。 また兜に鎧の姿をした可愛らしいイラストも描かれていました。 「うじてるくん」というのだそうで、 八王子城跡のマスコットキャラとして、幟やパンフレットなどにも描かれていたりします。
この「うじてるくん」は八王子城跡が日本100名城に選ばれた時に、 市職員によって創作された宣伝用のキャラクターなのだそうです。 ちょっぴりお茶目で可愛らしいマスコットです。 ニックネームの「うじてるくん」は八王子城主の北条氏照に因んで命名されたものだと思われます。
国指定史跡八王子城跡案内図
宗関寺 平安時代に華厳菩薩が開いた寺を氏照が永禄7年(1564)に再興したといわれています。 北条氏照百回忌法要のときに中山信治が寄進した宗関寺銅造梵鐘(市指定文化財)があります。
北条氏照及び家臣墓 この墓所は百回忌を機に中山信治によって建てられたものです。 北条氏照は天正18年(1590)に小田原城下で切腹し、現在は墓だけが小田原駅前に残っています。
八王子城跡管理棟 平成4年(1992)に完了した整備事業の一環で、見学者用トイレなどと同時に、 復元部分の管理のために建てられました。説明板あり、パンフレット配布。
大手の門跡 昭和63年(1988)に確認調査をし、門の礎石や敷石が見つかりました。 この門は、敵を防ぐ重要な位置に作られたものと考えられています。 現在は埋め戻されています。
古道 戦国時代に御主殿へ入る道として使われていました。 途中の木橋を架けた場所は、敵方の攻撃を阻止するために掘削した堀切です。
曳橋 古道から御主殿へ渡るために城山川に架けられた橋です。 現在の橋は、当時の道筋を再現するために現在の技術で戦国時代当時の雰囲気を考えて架けられました。
虎口 城の入口のことをいいます。 石垣や石畳はなるべく当時のものをそのまま利用し、できるだけ忠実な方法で復元しました。 御主殿入口の門は冠木門(かぶきもん)といい、当時の門をイメージして建てられました。
御主殿跡 落城後は徳川氏の直轄領、明治時代以降は国有林であったため、落城当時のままの状態で保存されていました。 発掘調査の結果、礎石をたくさん使った建物の跡や水路の跡、多数の遺物が出土しました。
御主殿の滝 落城時に、御主殿にいた北条方の女性や子ども、武将らが滝の上流で自刃し、次々と身を投じたといわれています。 その血で城山川の水は三日三晩赤く染まったと伝えれています。
案内板を過ぎて軽い登り坂になった道を進んでいくと、右手へ分かれていく道があります。 左手には道標が立っていて、正面の道は「八王子城跡管理棟約5分」、 右手の道は「北条氏照および家臣墓約十分」、今来た道は「霊園前バス停約15分」となっています。 右手の道の角にも道標が立っていて、右手の道は「八王子城主北条氏照の墓約260m(約3分)」、 正面の道は「国指定日本の100名城八王子城跡約400m(約5分)」となっていて、 「八王子城址歴史資料館」の看板も出ていました。 八王子城跡の管理棟へは正面の道を進んでいくのですが、 この右手に「北条氏照墓」があるようなので、ちょっと立寄っていきました。
10cm角ほどの大きさの石が敷き詰められた緩やかな道を進んでいくと、 民家風の八王子城址歴史資料館があります。 「御来館の方は右側のブザーを押して下さい」と書かれたいたりもします。 甲冑等の文化財が展示されているようですが、今回は訪ねるのは省略して、その先へと進んでいきました。 森の中へ入っていくと、右手へ曲がっていく所に木橋が架かっています。 石畳の道はここで終わっています。 橋を渡ったすぐ先から、左手のこんもりとした丘へと横木の階段が分かれています。 登り口には「北条氏照墓」や「北条氏照及び家臣墓」の標識があります。
花は見るもの 枝折らぬもの
北条氏照墓
幅の広い横木の階段を登っていきます。 横木は丸太のままではなくて角柱になっていて、歩きやすい階段でした。 途中にちょっとした踊り場のような所があって、その両側には丸太のベンチが設置されていたりもします。 そこを過ぎて更に登っていくと、小広くなった所に墓が幾つも並んでいました。 真ん中の一番大きいのが北条氏照の墓のようで、その周囲には家臣の墓が並んでいました。 手前の花立には綺麗な花が挿されていて、今でも篤く葬られているようでした。 手前には文字がびっしり書かれた板が置かれていましたが、かなり擦れていてよく読めませんでした。 奥の方にも墓が幾つも並んでいて、その先へと道が続いているようでした。 心源院や秋葉神社から八王子神社へと登っていく尾根に出られるようですが、 今回は先ほどの道まで引き返して、管理棟へと向かっていきました。
都旧跡 北条氏照および家臣墓
北条氏照は氏康の子で陸奥守を称した。滝山城主大石定久の後を襲い八王子に居住して、 八王子、榎本、古河、栗橋、小山などの数城を併有し、戦国時代広く勢力をもった。 永禄12年(1569)9月武田勢と戦い、さらには天正18年(1590)小田原攻めのとき豊臣秀吉の 武将前田利家、上杉景勝と戦い、このとき落城、7月11日小田原で自殺した。 享年46。「青霄院殿透岳宗関大居士」 この氏照の供養塔は百回忌追善の際建立したものである。 両脇は中山家範および信治の墓で、家範は八王子落城の際、 城とともに討死した中山勘解由家範である。 中山信治は家範の孫で水戸藩家老中山備前守信治である。
 (東京都教育委員会)
管理棟
元の道に戻って更に進んでいくと、 「日本百名城国指定史跡八王子城跡」と刻まれた大きな石柱の立つ「国史跡八王子城跡見学者専用駐車場」があります。 そこを過ぎていくと、左手へと土の道が分かれていきます。 「この先車両の出入り禁止」の標識も立っています。 名前は表示されていませんでしたが、城山林道の入口だと思われます。 その道を見送ったすぐ先に、八王子城跡の管理棟があります。 霊園前バス停から40分ほどで到着しました。 ここに八王子城跡に関する解説板や案内図が沢山設置してあるので、休憩も兼ねてちょっと勉強していきましょう。 ここではその中の一部を載せておきます。 また、パンフレットも何種類か置いてあるので貰っていきましょう。 裏面にはびっしりと解説文が載っていたりします。 管理棟の前には「史蹟八王子城跡」と刻まれた石柱もあります。
今回は霊園前バス停からここまで40分ほどかかりましたが、 パンフレットによると、バス停〜宗関寺が約10分、宗関寺〜管理棟が約10分となっているので、 寄り道や道草などしなければ20分ほどで歩いて来られるようです。
八王子城跡
八王子城跡は、戦国時代の終わり頃(16世紀後半)、北条氏照によって築かれた山城です。 広大な山地、その山麓、そして城山川に沿った谷間など、変化に富んだ地形を、巧みに利用して築城されています。 主要部は山頂部に本丸を構え、東を城の大手(表口)、北を搦手(裏口)としています。 八王子城跡は、戦国時代を代表する城跡として、現在約154haの範囲が国の史跡に指定され、保護されています。
八王子城の築城と落城
八王子城は北条氏照によって築城された山城です。 氏照は当初、多摩川と秋川の合流地点にある滝山城(八王子市・国史跡)を居城としていました。 その支配地は八王子はもとより、北は五日市・青梅・飯能・所沢の一帯、 南は相模原・大和から横浜の一部まで及んでいました。 氏照が居城を滝山城から八王子城に移した動機は、永禄12年(1569)武田信玄が滝山城を攻撃し、 落城寸前にまで攻められたことから、強固で広大な八王子城の築城を思い立ったといわれています。 築城の時期は明確ではありませんが、元亀から天正初め(1570年代)に築城が開始され、 天正年間の中頃に氏照が八王子城に移ったと考えられています。 天正16年(1588)には、豊臣秀吉の来攻に備え、兵糧の確保や兵士とその妻子の入城を命じ、 守護固めの準備を急いでいます。 天正18年6月23日、小田原在城の城主氏照を欠いたまま、豊臣秀吉の小田原攻めの一隊前田利家・ 上杉景勝などの軍勢の猛攻を受け、一日で落城しました。 八王子城の落城は、小田原城の開城をうながし、豊臣秀吉が天下を統一する上に大きな影響を与えました。
 (八王子市教育委員会)
城山川
ひと息入れたところで、管理棟を発って御主殿跡へと向かっていきます。 「御主殿跡・曳橋方面」の案内に従って幅の広い石段を降っていくと、 手前で分かれてきた城山林道に降り立ちます。 そこから城山川沿いに続く城山林道を進んでいきます。 沢を過ぎていくと「一級河川しろやまがわ上流端」の標識が立っていましたが、 川は更に上流へと続いています。 標識を過ぎた所から川へ降りていける道が分かれていたので、ちょっと立寄っていきました。 河原に出てみると、川幅は結構あるものの、水が流れているのは端の方の狭い部分だけでした。
野鳥の密猟は犯罪です
野鳥は環境大臣又は都知事の許可がなくては、捕ることも飼うこともできません。 これに違反すると罰金刑、懲役刑など厳重に処罰されます。 違反者を目撃された方は下記へご連絡下さい。
 (東京都多摩環境事務所自然環境課鳥獣保護管理係)
城山川から引き返して林道をその先へ進んでいくと、すぐに左手に立派な木橋が架かっています。 その袂には「御主殿跡・曳橋方面」の案内板があってその橋を指しています。 城山林道は正面へと続いていますが、今回は左手の木橋を渡って古道を進んでいきました。
タバコのポイ捨て禁止!
山火事の危険が
犬を放すのはやめてください!!
犬のお散歩はリード(綱)につないでお願いします。
※犬の散歩に関わるトラブルが増加しています。ご協力をお願いします。
 (八王子市教育委員会)
大手の門跡
木橋を渡っていくと、綺麗に整備された公園風の場所になっていました。 その左手から正面を横切って右手へと登っていく道が付けられています。 左手にある幅の広い縦杭の階段を登っていくと大手の門跡がありました。 今では埋め戻されているようで、脇に解説板が立っているばかりです。 ここから右手へと続く古道を進んでいきます。
国指定史跡八王子城跡 大手の門跡
昭和63年(1988)の確認調査でその存在が明らかになりました。 以前から八王子城の古図などで、このあたりに門等の施設があることは予想されていました。 発掘された礎石や敷石などから、いわゆる「薬医門」と呼ばれる形状の門と考えられています。
【コラム】 大手と搦手
一般的に、城の裏門にあたるところを「搦手」と呼びます。 なぜ裏門を搦手と呼ぶのかというと、 正門に攻めてきた敵を背後から"搦めとる"軍勢が出撃するためという説があります。 そのためか、正門は追手がなまって「大手」になったともいわれています。 八王子城の搦手は、城の北側の恩方方面にあったといわれ、滝の沢口ともいわれていますが、 滝は落ちるという意味に通じるので、当時は霧降ヶ谷と名前を変えたともいわれています。
 (八王子市教育委員会)
古道
敵方の攻撃を阻止するために掘削したという堀切に架かる木橋を渡っていきます。 緩やかでとても歩きやすい土の道が続いています。 木片チップでも敷いたのでしょうか、道の中ほどは色が変わっていました。 少し歩いていくと、道端に「古道(大手道)」の解説板がありました。 その少し先にはベンチが幾つも並んだ所があって、「古道」の解説板が立っていました。
古道(大手道)
葉靴調査では、当時の道は明確に検出できませんでしたが、 門跡の存在や橋台石垣の検出、さらに平坦部が尾根の中腹に連続していることから、 ここが御主殿にいたる大手道であったことが明らかになりました。 現在の道は、この地形を利用して整備したものです。 当時は、ここから城山川の対岸にアシダ曲輪や御主殿の石垣、 さらに城山の稜線にそって連なる多くの曲輪や建物が見渡せたと思われます。
国指定史跡八王子城跡 古道
戦国時代に御主殿へ入る道として使われていたと考えられています。 御主殿側の道は江戸時代に新たに作られた林道で、 城山川をはさみ、御主殿とは対岸にあるのがこの古道です。 当時は、さらに下流の方へと続いていたと考えられています。 途中の木橋を架けてある場所は、敵方の攻撃を阻止するために掘削された堀切です。
【コラム】 曳橋
古道から御主殿へ渡るために城山川に架けられた橋です。 橋の土台である橋台部が残っていただけなので、どのような構造の橋が架けられていたかはわかっていません。 現在の橋は、当時の道筋を再現するために、現在の技術で、戦国時代の雰囲気を考えて架けられました。
 (八王子市教育委員会)
曳橋
木塀の続く短い石段を登って右折すると、城山川に架かる曳橋があります。 真新しい白木の橋ですが、往時を想定して復元されたとのことです。 橋の下には城山川が流れ、その脇に沿って城山林道が通っています。 揺れることもない曳橋を渡って御主殿跡へと向かっていきます。
橋台石垣と曳橋
城山川の両岸の斜面に、橋を架けるための橋台石垣が発見され、御主殿へわたる橋の存在が確認されました。 当時は橋台に簡単な木橋を架け、この橋(曳橋)をこわすことによって敵の侵入を防いでいたものと考えられます。 橋台あ、検出した石垣の崩れた部分を新たに補い、想定復元したものです。 また、橋そのものは現代の工法で建造したものですが、史跡の景観に合うよう木造にしました。
虎口
曳橋を渡っていくと、高く聳える石垣の間に道が続いていて、お城の雰囲気がしてきます。 突き当たりを右・左と曲がっていくと、幅が広くて段差の高い石段が現れます。 虎口というのだそうで、 右足をヨイショ、左足をヨイショと片方ずつ引き上げながら登っていきました。
御主殿虎口
城や曲輪の出入口は虎口と呼ばれ、防御と攻撃の拠点となるようにさまざまな工夫がこらしてあります。 御主殿の虎口は、木橋をわたった位置から御主殿内部まで高低差約9mを「コ」の字形に折れ曲がった階段通路としていることが特徴です。 階段は全体で25段、踏面が平均1m、蹴上が36cmで、約5mの幅をもっています。 途中の2ヶ所の踊り場とともに、全面に石が敷かれているのは、八王子城独特のものです。
櫓門跡
この踊り場からは、4つの建物礎石が発見されました。 両側の石垣の下に、敷石の面より10cmほど高くなっている大きな石がそれです。 礎石の間は東西(桁行)約4.5m、南北(梁間)3.6mあります。 想定される建物は、通路の重要な位置にあることから、物見や指揮をするための櫓門であったかもしれません。 また、礎石のそばには、排水のための石組側溝も発見されています。 この礎石や石組側溝、大部分の石垣や敷石は、当時のものを利用しています。
御主殿跡
突き当たりを左手へ曲がっていくと木の門があります。 「冠木門(かぶきもん)」と云って、当時の門をイメージして造られたものだそうです。 そこから入っていくと、なだらかになった御主殿跡の草地が広がっていました。 管理棟から14分ほどで到着しました。 奥の方では超望遠レンズを三脚に乗せた人達が屯していました。 野鳥を写そうというのでしょう、しきりに周囲の樹木の方を眺めていました。
御主殿跡
この場所は、江戸時代はじめに描かれた八王子城古図に「北条陸奥守殿御主殿」と記されており、 城主北条氏照が居住していたところです。 今から約400年前の築城時に造成され、周囲を石垣と土塁で囲んだ長方形の前平地となっています。 特に東側は敵の侵入に対し厳重に防備するため、石垣で造られた虎口で守られています。 これまでの八王子市教育委員会の発掘調査では、平らな部分から規模の大きい建物跡等が確認されており、 今後も継続的に調査を実施し、その成果をもとに史跡整備を進める計画です。
国指定史跡八王子城跡 御主殿跡
御主殿跡は、落城後は徳川氏の直轄領、明治時代以降は国有林であったため、あまり人の手が入らず、 落城当時の状態のままで保存され、遺構の状態も良好でした。 平成4年(1992)から2年間発掘調査を行い、城主であった北条氏照が執務を行ったと考えられる、 大規模な礎石建物跡をはじめ、さまざまな遺構が発見されました。 調査の結果、氏照の生活の場はここからさらに奥に眠っていると思われます。 また、中国の磁器類の破片や国産の陶器、鉄砲弾をはじめとする武器・武具類などの遺物が発見されました。 中には当時の武人のたしなみであった茶道具や、 当時でも極めて珍しかったと思われるベンチア産のレースガラス器の破片も含まれ、 氏照の生活ぶりがうかがえます。
 (八王子市教育委員会)
御主殿の滝
御主殿跡の草地の中ほどから左手へ降っていくと、程なくして城山林道へ降り立ちます。 林道は正面の橋を渡ってその先へと続いていますが、 左手に10mほど戻った所に御主殿の滝があるので立寄っていきました。 道端にある石碑や解説板の脇から城山川へ降っていくと、 二筋・二段になった御主殿の滝がありました。 雨の季節ということもあるのか、かなり勢い良く水が流れ落ちていて、ヒンヤリとした空気が漂っていました。 写真を撮ったりしながら、しばらく休んでいきました。
国指定史跡八王子城跡 御主殿の滝
天正18年(1590)6月23日の豊臣秀吉の軍勢による攻撃で落城した際に、 御主殿にいた女性や子ども、将兵たちが滝の上で自刃をし、次々と身を投じたといわれています。 その血で城山川の水は三日三晩、赤く染まったとの言い伝えが残っています。
【コラム】 氏照の暮らしぶり
戦国時代はいつも合戦とその準備をしていたイメージがありますが、 八王子城から出土した遺構・遺物から見てみると、そのイメージとは程遠いものです。 中国から輸入された五彩色で華やかなお皿で、領国内から取れたアワビやサザエなどを食べたり、 ベネチアで作られたレースガラス器や信楽焼きの花器を飾り、 そのもとでお茶を飲んだ日々が思い浮かばれます。 これらの品々は、さぞ北条氏照の心を和ませていたのではないでしょうか。
 (八王子市教育委員会)
城山林道
御主殿の滝を後にして、城山林道をその先へと進んでいきます。 すぐにあるコンクリート製の堤防のような橋を渡っていくと植林帯に入っていきます。 広くて緩やかな林道を進んでいくと、植林帯を抜けた所で、再び堤防のような橋を渡っていきます。 橋を渡って再び植林帯へ入っていくと、日当たりのいい広くなった草地に出ました。 そこから短い草が生えるようになった林道を奥へと更に進んでいきます。 短いコンクリート橋を渡って植林帯に続く緩やかな林道を進んでいくと、 右手へと踏み跡が分かれていきます。 足元をみると白い小さな道標が立っていて、正面に続く林道は「裏高尾縦走路を経て富士見台60分」、 今来た道は「霊園前バス停・高尾駅」となっていました。 右手の踏み跡は見送って、引き続き林道を進んでいきます。
この付近は城山国有林です
1.森林は木材を供給するほか災害を防ぎ水資源および自然の風致を保つために重要な役割をはたしています。
2.林内でのたき火・たばこ等火の扱いには十分気をつけて下さい。
 (東京営林局平塚営林署)
林道終点
植林帯の中はそうでもないのですが、日当たりのいい所では夏草がかなり伸びていました。 しかし道を覆ってしまって分からなくなるほどではなかったので助かりました。 びっしりと生えたオオバコを踏みしめながら、 左手を流れる沢に沿って奥へと城山林道を進んでいきます。 両側から山が迫ってくる所を過ぎていくと、道端に木材などが置かれた所がありました。 そこに消えかかった看板が倒れていました。 「城山自然観察…」というような題名で、 「入山にあたってはたばこの火に注意し…」という内容のようでしたが、 ほとんど読めませんでした。 夏草が生い茂りながらも続きてきた城山林道は、そのすぐ先で終点になります。 御主殿の滝から12分ほどで到着しました。
城山林道の終点からは、右手の方にも僅かな踏み跡があるようでしたが、左前方に続く山道へと進んでいきました。 山道には夏草が生い茂っていて薮漕ぎ状態になるとイヤだなと思いながら進んでいきましたが、 狭いながらも道の部分には草が生えておらず、何とか歩いていけそうな雰囲気の道が続いていました。 林道終点から1分ちょっと進んでいくと、先ほどあったのと同じような白い道標が足元に立っていて、 この先の山道は「裏高尾縦走路・富士見台・荒井バス停」、 今来た道は「元八王子・御主殿跡・高尾駅・霊園前バス停」となっていました。 道標を過ぎた先で、左手を流れる小さな沢の向こう岸へ渡り、植林帯の斜面を登っていきます。 沢から1分半ほど登っていくと、再び沢を渡り返して、その先の植林帯の斜面を更に登っていきます。
沢合流
両側に樹木が並んで生えて回廊のようになった所を過ぎていきます。 先ほどの沢を渡った所から2分ほど進んでいくと、谷筋が二股に分かれています。 林道終点から6分ほどの所になります。 左右から流れてくる沢の合流地点にもなっていますが、 山道は左手の沢が流れる谷筋へと続いています。 僅かに水が流れる沢を渡って、左手の谷筋に続く植林帯を登っていきます。 砕石がゴロゴロした所もあったりしますが、すぐ終りになります。
木梯子
V字形になった谷筋に続く植林帯を登っていくと、 先ほどの沢合流の所から5分ほどで、右手から降り気味に道が合流してきます。 その道を合わせて沢沿いの道を更に奥へ進んでいくと、木梯子のような階段が現われます。 城山林道の終点から14分ほどの所になります。 それほど長くはない階段ですがかなりの傾斜があって、手摺だけではなくて、 黒色と黄色のトラロープも張られていたりします。 木の表面がしっとりと濡れていたりもするので、滑って踏み外したりしないように注意しながら、 1分半ほどかけて慎重に登っていきました。
木梯子を過ぎて谷筋を更に進んでいくと、1分もしない所で、 正面の道と、沢を渡って左手の斜面を登っていく道に分かれています。 どちらへ行ったものかと辺りを見回してみても道標類は見かけませんでした。 左手の道の上の方を見ると鉄パイプやロープが設置されているし、 正面の道よりもしっかりとしていそうな感じだったので、 ここは僅かに水が流れる沢を渡って、左手の植林帯の斜面に続く道を登っていきました。
縦走路
鉄パイプやトラロープが設置された急坂を登っていきます。 左手へ曲がって少し緩やかになった山道を登っていくと、左右に通る尾根道に登り着きました。 沢を渡ってから2分ほど、城山林道の終点から20分ほどで登って来られました。 手元の地形図によると、421m峰の数10m西側にある標高410mほどの鞍部になるようです。 登り着いた所には立派な道標が立っていて、右手の尾根道は「富士見台」、 今登ってきた道は「八王子城址下」となっています。 またマジックで書き込まれたメモによると、左手の道は「高尾駅・関所・荒井」となっています。 これまでに見かけた道標によると、登り着いたこの尾根は裏高尾縦走路というようです。 今回はここから富士見台へ向かって右手へ進んでいきました。
(左手の尾根道は「八王子城跡」を参照)
尾根道を右手へ進んでいくと、いきなり急な登り坂が始まります。 黒色と黄色のトラロープが張られていたりもしますが、登っていく分にはそれほど必要ではありませんでした。 3分ほど登っていくと、傾斜が少し緩やかになってきます。 左右に背の低い笹が生えるようになった尾根道を進んでいくと、再び登り傾斜が増してきます。 正面の植林帯から少し右手へ回って、細木の生い茂るようになった道を登っていきます。
細木や草などが生い茂る尾根を折れ曲がりながら登っていきます。 振り返ると、樹間からは山並みが見えたりもします。 時折吹き上がってくる谷風に心地よさを感じながら登っていきます。 4分ほど登っていくと、背の低い笹が生い茂る緩やかな尾根道になってきます。 少し登りの傾斜が増してきてちょっとした高みに着いて、左手へと曲がっていく尾根道を進んでいきます。
小ピーク
緩やかになった尾根道を登り気味に進んでいくと、ちょっとした小ピークに着きました。 尖ったピークという感じではなくて、緩やかに続く高みという雰囲気の所です。 手元の地形図によると、縦走路にある421m峰の西北西450m辺りにある標高530mほどの高みになるようです。 縦走路に登り着いた所から18分ほどで到着しました。 脇には東京営林局が設置した赤い標識「境界見出標280」が設置されていました。 周りは樹木に囲まれていて展望は得られませんが、 御主殿の滝からほとんど休まずに歩いてきたので、脇にある切り株に腰を降ろして休憩していきました。
小ピークで10分ほど休憩して疲れも癒えたところで、富士見台へ向かって尾根道を降っていきます。 植林帯の丸い尾根の背に広がるようになっていて、どこが道なのかよく分からなかったりします。 道が二手に分かれているようでしたが、磁石で方角を確認して、右手の方の道を降っていきました。 かなりの傾斜がある坂道を5分ほど降って大きなモミの木を過ぎていくと、緩やかな尾根になってきます。 馬の背のような感じの尾根ですが、幅はそれほど狭くはなくて、歩きやすい道がしばらく続きます。
木下沢分岐
軽く登ったりしながら緩やかに続く尾根道を4分ほど進んでいくと、登りの傾斜が増してきます。 木の根が張り出していたり、トラロープが張られていたりもします。 一旦緩やかになって再び傾斜の増してきた尾根道を登っていくと、 先ほどの小ピークから15分ほどで分岐があります。 右手には背の低い白い道標が立っていて、今登ってきた道は「高尾駅・荒井・駒木野バス停80分」となっています。 左側には「保健保安林」の看板も立っていますが、何故だか尾根の外側を向いて設置されています。 その裏面にマジックで書き込まれたメモによると、 ここから左手へ分かれて降っていく道は「日影バス停1時間」となっています。 左手の道は木下沢林道へ降りていく道で、今回の降りルートに使うのですが、 その前に、このすぐ先に富士見台があるので、そこまで往復してくることにしました。
今回はここから日影バス停まで1時間30分ほどかかりましたが、 途中で寄り道したり写真を撮りまくったりせずに真っ直ぐバス停へ向かっていけば、 書き込みメモにある1時間ほどで着いたように思われます。
保健保安林
森林の緑は、安らぎを与えてくれます。
森林は、汚れた空気をきれいにし、森林浴などの森林レクレーションの場を提供してくれます。 このような森林の働きを発揮させるため、指定されているのが保健保安林です。(当保安林面積95ha) みんなの森林を大切に守るため、火の始末に気をつけましょう。
この山道は、大下から高尾に通じています。
 (東京都林務課)
富士見台 (標高556m)
尾根の背に続く広くて歩きやすい坂道を数10m登っていくと富士見台に着きます。 縦走路に登り着いた所から45分ほどで到着しました。 山頂の少し先にはテーブル・ベンチが一組だけ設置されています。 朝早くに出発したこともあってお昼にはまだ時間がありましたが、 景色を眺めたりしながら、ここで早めの昼食タイムにしました。
山頂にある標識「富士見台」には、マジックで「556m」と書き込まれていました。 この富士見台の標高だと思われます。
富士見台の山頂は南西側が開けていて、山並みを望む景色が広がる所です。 手前にあるのが景信山から東側へ伸びる東尾根で、 その奥に横たわっているのが、高尾山から小仏城山を経て景信山へと続く奥高尾の尾根になります。 鉄塔のような物がふたつほど立っている山は、方角からすると小仏城山のようです。 条件がいいと、更にその奥に丹沢の稜線や富士山も望めるのですが、 この時は生憎と曇天だったので見えませんでした。
山火事注意
 (八王子消防署、八王子市消防団)
20分ほど過ごした富士見台から下山していきます。 富士見台の先には、堂所山まで続く北高尾山稜や八王子城跡のある山などへ続いていますが、 今回は先ほどの木下沢分岐まで引き返して、西側へ分かれていく道を降っていきました。 雑木林の斜面を横切るようにして続く道を降っていきます。 2分ほど降っていくと、植林帯と雑木林を分ける緩やかな尾根になってきます。 浅い鞍部から僅かに登り返していくと、尾根から3分ほどでちょっとした高みに着きました。 手元の地形図によると、富士見台の西南西100m辺りにある標高520mほどの高みのようです。 樹木に白ペンキを塗った上に書かれた案内「木下沢林道」が、 この先へ降っていく道を指していました。
(富士見台から先の道は 「北高尾山稜」, 「八王子城跡」を参照)
急斜面
案内に従って高みの先へと尾根を降っていきます。 少し傾斜はあるものの幅が広くてしっかりとした道になっていて、快適に降っていきました。 3分ほど降っていくと、白ペンキの地に 「木下沢林道起点付近」と書かれた案内があって、 その先から始まる急傾斜の斜面に続く道を指していました。 緩やかな所も一部にあるものの、概ねは植林された急斜面をジグザグに降るようになります。 崩れやすい土になっているばかりか、谷側へ少し傾斜していたりもするので、 踏み外したりすると谷底まで一気に滑り落ちてしまいそうな感じがする道です。 足元に十分注意しながら慎重に降っていきました。 分岐などは特になくて、道に迷うことはないのがせめてもの救いですが、それにしてもかなりの傾斜があります。 こんな急斜面を植林するのは大変な作業だったろうと思いながら降っていきました。
(写真は急斜面を振り返って写したものです)
小滝
植林帯の急斜面を降っていくと、何やら水音が聞こえてきました。 目指す木下沢を流れる水音にしては時間的にまだ早いし、支沢があるのだろうと思ったりしていると、 先ほどの高みから16分ほどで、右手に続くの脇に出ました。 沢には水は流れていませんでしたが、上の方に滝でもあるのかと思って、 石ゴロゴロの沢をちょっと登っていきました。 沢を2分ほど登っていくと、崖から流れ落ちる小さな滝がありました。 先ほどから聞こえていたのは、この小滝を流れ落ちる水の音だったようです。 写真を撮ったりしながらひと息入れていきました。
(滝を流れ落ちた水は沢の地下へ潜っていくようで、沢の表面に水は流れていませんでした)
沢歩き
往復8分ほどかけて小滝から引き返してきて、斜面を横切るようにして降っていくと、 次第に傾斜が緩やかになってきます。 先ほどの沢から2分ほど降っていくと、再びに出ました。 手前の樹木には白ペンキが塗られた上に黄テープと赤テープが巻かれていたりもしました。 ここからは石ゴロゴロの沢を歩いたり、沢の脇に続く道を歩いたりしながら降るようになります。 僅かに水が流れるようにもなってくるので、滑って転んだりしないよう注意しながら降っていきました。 所々の岩には赤ぺンキで矢印が書かれていて、道案内をしてくれます。
3分半ほど降っていくと、すぐ先に滝がありそうな雰囲気のする所に出ました。 その手前で沢から上がって右手へと道が分かれていきます。 黒色と黄色のトラロープが張られていたりもしますが、大したことはありませんでした。 しかしロープがなくなった先から、降りの急坂が始まります。 周囲に生える細木などに捉まりながらでないと滑り落ちてしまいそうな急傾斜になっていて、 ここにこそロープを張っておくべきだろうと思いながら降っていきました。 こんな急坂があることを思うと、沢の先はやはり滝になっているのだろうと思ったりもしました。 正面には景信山の東尾根や奥高尾の山並みが僅かに見えていましたが、 景色を愛でている心の余裕はありませんでした。
(写真は急斜面の手前の所から見える眺めです)
東屋
2分ほどかけて急坂を降り切ってその先へ進んでいくと再び沢に出ます。 赤ペンキの矢印などを確認しながら石ゴロゴロの沢を6分ほど降っていくと、 沢から上がって左手へ分かれていく道が現れます。 背丈の低い夏草が生い茂るようになった植林帯を緩やかに降っていくと沢に出ます。 沢に架かる丸太の木橋を渡って植林帯を進んでいくと、すぐに東屋がありました。 小滝から引き返してきた所から20分ほど、富士見台から48分ほどで降りて来られました。 東屋の中を覗いてみると、毛布が2枚ほど架けられていたりもしました。 脇には物置のようなものや丸太を井桁に組んだものなどがありました。 ここまで来れば木下沢林道はもうすぐそこです。
御成婚記念第二小下沢造林地
所在地八王子市裏高尾町1301-11
植栽面積100ha
植栽年度昭和39年
植栽樹種杉、桧
注意 この森林は都行造林地です。許可なく林内の立入及び林産物の採取等の行為は出来ません。
 (昭和56年度設置 東京都南多摩経済事務所)
木下沢林道
正面に山並みを眺めながら、夏草や細木などが生い茂るようになった道を降っていきます。 植林帯に出て細木がなくなって歩き易くなった道をその先へ降っていくと木下沢林道に降り立ちました。 先ほどの東屋から4分ほど、富士見台から52分ほどで降りて来られました。 これで山道は終りになります。 降り立った所には「心をはぐくむ「こげさわの森」」と題した 真新しい案内板が設置されていました。 脇に立つ白い小さな道標によると、左手の道は「大下バス停・高尾駅」、右手の道は「景信山・水場」、 今降って来た道は「北高尾山稜・富士見台80分・城山城跡120分」となっていました。 また保健保安林の看板も立っていて、 それに書き込まれたメモによると、今降って来た道は「富士見台へ80分、ハッスル組50分」となっていましたが、 最近になって看板を移動したのか、書き込まれた矢印が変な方向を指していました。
道標には「小下沢林道」となっていましたが、保健保安林にある図では「木下沢林道」となっていました。 「こ」の字には「小」と「木」の両方が使われているようですが、 ここでは「木下沢」の表記にしておきます。
高尾の森を愛するみなさまへ 心を育む「こげさわの森」 2009年4月オープン予定
この森は、皆様に、森に親しみ、心を育んでいただく保健保安林です。 社団法人ゴルファーの緑化促進協力会の創立30周年記念事業として、 東京都、森林ボランティア、地元住民の方々など、多くの人々の協働で森づくりを実施しています。 皆様も参加して、心も体も健康に暮らせる未来をともに創りませんか。
 ((社)ゴルファーの緑化促進協力会、東京都)
 ((財)東京都農林水産振興財団・NPO法人森づくりフォーラム)
木下沢林道へ降り立つと、青色をした小さな蝶が一斉に舞い始めました。 多くの蝶がヒラヒラと低い所を乱舞して何とも綺麗な眺めでした。 羽を休めたところ見ると、裏側は白くなっていて、表側だけが青い色をしているようでした。 羽を畳むと一円玉ほどの大きさの蝶でしたが、名前などは分かりませんでした。 急斜面や石ゴロゴロの沢を降ってきた私を出迎えてくれているようにも思えたのでした。
林道に並行するようにして木下沢が流れています。 沢へ降りていける所が近くにあるようで、沢辺で遊ぶ親子連れを見かけたりもしました。 道標「大下バス停・高尾駅」に従って、木下沢沿いに続く木下沢林道を左手へと進んでいきました。
(写真は木下沢林道に降りてから振り返って写したものです)
(右手へ続く木下沢林道は「木下沢林道」, 「景信山」を参照)
保健保安林
所在場所 八王子市裏高尾町1301番2ほか
山火事に注意しましょう。
私たちの郷土とくらしを守る保安林を大切にしましょう。 保安林についての問合せは都庁森林課又は森林事務所へ。
 (東京都)
木下沢
木下沢林道を左手へ進んでいくと、すぐに沢を過ぎていきます。 左手から流れてきて林道の下をくぐって右手の木下沢へと流れ落ちていました。 先ほど降ってきた沢だと思われます。 沢へと続く踏み跡があったのでちょっと降りてみると、 小さな滝があって水が勢い良く流れていました。 林道に戻ってその先へ4分ほど進んでいくと、右手を流れる木下沢へ降りていける所がありました。 太い樹木の袂から降りていくと、沢には勢い良く水が流れていて、心地よい音をたてていました。 写真を撮ったりしながら、沢辺でひと休みしていきました。
木下沢から林道へ上がってその先へ進んでいくと、 すぐに「林道木下沢線起点」の標識が向こう側を向いて立っています。 木下沢林道はここを起点にして、木下沢の奥にある関場峠の直下まで続いています。
林道 木下沢線(KOGESAWA)起点
 (東京都)
林道 木下沢線
これから先は林業経営のため開設された林道です。 一般車輌の通行はご遠慮ください。 止むを得ず乗入れる場合は次の事項にご注意ください。
1.道路が狭い
2.急カーブ、急勾配の連続
3.路面未舗装、落石、崩土が多い
4.単車線で交換場所が少ない
 (東京都林業事務所浅川林務出張所)
林道起点を過ぎていくと、道の左手の斜面には梅林が続くようになります。 木下沢梅林というようですが、道の両側には金網が設置されていて、 梅林には立ち入れないようになっています。 程なくして右手に開けた空き地が現れます。 運搬木材や山火事消火用資材置場になっているようです。 そこを過ぎていくと、正面には中央自動車道の陸橋が架かっています。 橋の手前から舗装路になった道をその先へと降っていきます。
入山者の方へ
東京都動物の愛護及び管理に関する条例第9条により、 犬を放すことは禁止されていますので、犬は絶対に放さないで下さい! また、この付近にはイノシシ捕獲用のワナが仕掛けてありますので、注意して下さい。
 (八王子市農林課)
野生獣にエサを与えないで下さい!
八王子市の西部地域では野生獣(サル・イノシシ・ハクビシン等)による農作物被害が多発し、 地域の農業振興に弊害が出ています。 その対策として、市ではボランティアによる野生獣追い払いを実施し、 農地に出没した野生獣を山へ追い返すことで、農作物被害を未然に防いでいます。 野生獣にエサを与えることで、せっかく山へ追い返しても、再び農地に出没し、 農作物に被害を与えてしまいます。 また、やがては人なれし、人間にも危害を加える可能性もあります。 従って、野性獣にはエサを与えないで下さい。
 (八王子市農林課)
野鳥の密猟は犯罪です
野鳥は環境大臣又は都知事の許可がなくては、捕ることも飼うこともできません。 これに違反すると罰金刑、懲役刑など厳重に処罰されます。 違反者を目撃された方は下記へご連絡下さい。
 (東京都多摩環境事務所自然環境課鳥獣保護係)
旧甲州街道
中央自動車道の陸橋の下を過ぎていくとJR中央線の上に出ます。 線路と並行するようにして降っていくと旧甲州街道に降り立ちました。 右手の先には大下バス停が、左手の先には日影バス停があります。 大下バス停の方が幾分近いようにも思われますが、 今回は左手にある線路下のレンガ造りのトンネルをくぐって、日影バス停へと向かっていきました。
《こげさわ》
脇の石垣に取り付けられた標識によると、 右手の道は「小仏梅林」、今降ってきた道は「梅の里・木下沢梅林」となっていました。 「小下沢」は「こげさわ」と読んで「木下沢」とも書くようです。 地図には「小下沢」と書かれているようですが、現地では「木下沢」の文字の方をよく見かけました。 「小下」と「木下」では意味がかなり違うように思えますが、 いずれも「こげ」という音に漢字を当てただけで、漢字本来の意味は関係ないのかも知れません。 韓国語で「峠」を意味する「こげ」と何か関連があるのでしょうか。
日影(ひかげ)バス停
線路の下をくぐって小仏川に沿って続く旧甲州街道を進んでいきます。 小仏城山へと続く日影沢林道を右手に見送って進んでいくと、 小仏川へ流れ込む木下沢に架かる木下沢橋を渡った先に日影バス停があります。 木下沢林道へ降り立った所から寄り道も含めて30分ほどで到着しました。
(寄り道しなければ20分もあれば着きます)
高尾駅(JR中央線)まで、[高01]高尾駅北口行きバスにて12分、 1時間に1本から2本程度の便があります。
 土日曜 ...12:43 13:13 13:43 14:13 14:43 15:13 15:43 16:13 16:43 17:43 18:43 19:43 20:43