狩川
散策:2008年03月上旬
【街角散策】 狩川
概 要 狩川は酒匂川の支流で、箱根外輪山の明神ヶ岳付近を源流域とする延長16kmの二級河川です。 今回は酒匂川の河口付近の酒匂橋から狩川の花下橋までの右岸を歩いていきます。 途中の土手道からは、箱根外輪山や丹沢山系の山並みが広がっていて、 富士山が頭を覗かせていたりもする眺めのいい所です。
起 点 小田原市 城東高校前バス停
終 点 南足柄市 和田河原駅
ルート 城東高校前バス停…八幡神社…酒匂川…酒匂川スポーツ広場…小田原大橋…酒匂川橋梁…飯泉取水堰…飯泉橋…小田急小田原線…蓮正寺橋…水道橋…仙了川合流…飯田岡橋…霞堤…相模沼田駅…要定川合流…洞川合流…岩原水位観測所…岩原橋…塚原橋…塚原駅…駒千代橋…明神橋…天王院…山下橋…花下橋…玉傳寺…生駒熊野神社…七ッ石…若宮神社…和田河原駅
所要時間 3時間30分
歩いて... 土手道が途切れていて車道を歩く場面も少しありましたが、 概ねは酒匂川と狩川の右岸に沿って道が続いていました。 川面ではカモ・シラサギ・カモメ・カワウなどの水鳥を沢山見かけました。 土手道の脇では菜の花も咲いていたりして、春はもうすぐそこまで来ているようでした。
関連メモ 久野の里
コース紹介
城東高校前(じょうとうこうこうまえ)バス停
小田原駅(JR東海道線)の東口のバスターミナルから、国府津駅行きバス, または,ダイナシティ行きバスにて10分、1時間に5本程度の便があります。
バス停のすぐ先に城東高校前交差点があります。 その角にあるガソリンスタンドの左手に続く路地へと入っていきます。
八幡神社
路地を100mほど進んでいくと、右手へ曲がっていく角に鳥居が立っていました。 狩川へは道なりに右手へ曲がっていくのですが、その前にちょいと神社に立寄っていきました。 石門を過ぎて「八幡神社」と刻まれた石碑の脇を過ぎていきます。 すぐの所にある鳥居をくぐっていくと、 右手には八幡神社社務所と網一色公民館が並んで建っていました。 小さな石橋を渡った先に玉垣に囲まれた八幡神社がありました。 境内には巨大な松の木が林立していて、何やら厳かな雰囲気が漂っていました。 小田原市の保存樹林にも指定されているようで、立派な大木でした。 「水神」や「天社神」と刻まれた石碑もあって、この地区の鎮守の森になっているようでしたが、 謂れなどを記したものは見かけませんでした。
地名考
手元の地図によると、この辺りは小田原市東町5丁目というようですが、 「網一色」というのは町名が変更される前の名前なのでしょうか。 小田原市に限らず他の都市でもそうですが、 旧来の町名が廃止されて「…丁目」という一見今風の名前に変わっている所が多いようです。 しかしながら果たして分かりやすくなったのでしょうか。 町名はその地区の歴史も現す大切なものだと思うのですが、 それらをすべて無視して、味気ない新興の洋風の名前に変えてしまうのは如何なものかと思います。
小田原市指定保存樹林
この樹林は、小田原市緑を豊かにする条例に基づき、 小田原市と市民が一体となって緑豊かな住みよい都市づくりをするために指定されたものです。
一、指定番号 第2号
一、指定年月日 昭和49年4月1日
一、所在地 東町5丁目6番30号網一色八幡神社
一、主な樹種 マツ
一、面積 1,400u
 (小田原市ふるさとみどり基金)
神社ノ境内ニ駐車オ禁ズ
 (氏子会長)
酒匂川
八幡神社から元の道に戻ってその先へと進んでいきます。 小さな水路を過ぎていくと、左手に曲がっていく角から酒匂川の土手道が分かれています。 今回は酒匂川からその支流の狩川に続く土手道を歩いていきます。 右手のすぐ先には国道1号線の酒匂橋が間近に見えていますが、 酒匂川の右岸に続く土手道を進んでいきます。
右岸と左岸
川の右岸と左岸はどちら側を示しているのか一瞬迷ったりもしますが、 水が流れていく方向、すなわち川の下流に向かって、右側を「右岸」、左側を「左岸」というようです。 下流の平野部に住んでいる人や海からやってくる人にとっては逆に考えたくなるところですが、 あくまでも川を流れる水の方向を基準にして呼ぶようです。
津波に注意
・地震があったら津波に用心、すぐ海岸からはなれる。
・地震のゆれが小さくても、津波情報に注意
・津波注意報でも、すぐ非難
・津波は一度だけではない、くりかえしおそってくる。
・情報はラジオ、防災無線、広報車、サイレンなどで
 (小田原市)
危ない!! 水が急に増えます
この川の上流1.7キロメートルの所に飯泉取水ぜきがあり、ときどきせきから水を流しますので、 川の水が急に増えることがありますから注意して下さい。 また、せきから水を流すときはサイレンやスピーカーなどで知らせますので、 そのときは危険ですから川原に降りないで下さい。
サイレン吹鳴方法
1分・5秒休止・1分・5秒休止・1分
 (神奈川県、神奈川県内広域水道企業団、小田原警察署)
酒匂川スポーツ広場
酒匂川の土手道を進んでいきます。 最初のうちは舗装路になっていますが、1分ほどして道が二股に分かれていく所から土の道になってきます。 右手に続く酒匂川の河川敷は酒匂川スポーツ広場になっています。 細長く続く広場には、芝ゲートボール場・ゲートボール場・少年野球場・ソフトボール場などが続いています。 この時は休日とあって、ソフトボールをする少年チームを見かけたりもしました。 試合でもあるのか、親御さんも応援に来ているようでした。 川向こうには丹沢の山並みが広がり、西側には箱根外輪山が続いていて、眺めのいい所でした。 河川敷から登ってくる道の所までくると、再び舗装路に変わってきます。
酒匂川鳥獣保護区区域図
この区域は鳥獣の捕獲が禁止されております。 鳥獣の保護にご協力をお願いします。
 (神奈川県)
小田原大橋
程なくして県道720号の小田原大橋が見えてきます。 その手前から県道の下をくぐっていく歩道が分かれています。 土手道をそのまま進んでいくと県道に出てしまうので、 左手に分かれていく歩道を通って県道の向こう側へと進んでいきます。 小田原大橋の上流側も酒匂川スポーツ広場になっていて、サッカー場や野球場などがあります。 この時には少年のサッカーチームや野球チームが元気に練習試合をしていました。
酒匂川スポーツ広場
みなさんの施設です。 きまりを守ってご使用ください。
一、使用するときは、あらかじめ教育委員会スポーツ課へ申込みのうえ、許可を得てから使用すること。
二、使用時間を守り、時間内に整備、清掃すること。
   A.使用後はトンボ掛け等のグラウンド整備をすること。
   B.ゴミ、空き缶、空きビンは持ちかえること。
三、車は駐車場に駐車し、堤防のうえには止めないこと。
四、ダムの警報が鳴ったら、速やかに広場から避難すること。
五、ゴルフの練習、ラジコンは禁止する。
六、その他職員の指示に従うこと。
 (小田原市教育委員会スポーツ課)
災害時臨時ヘリポート
このスポーツ広場は災害時にヘリコプターが緊急活動を行うために臨時の発着場として指定された場所です。
 (小田原市)
酒匂川橋梁
酒匂川スポーツ広場が続く土手道を進んでいくと、正面に鉄道の橋梁が見えてきます。 JR東海道線と東海道新幹線の酒匂川橋梁になります。 二つの橋梁が並んでいる下をくぐっていきます。
酒匂川橋りょう
位置 鴨宮〜小田原間 81k909m50
支間 11m50
塗装年月 2006年4月
塗装回数 4回塗
塗装種別 下下中塗厚膜型変性エポキシ樹脂系塗料
東海道本線(124)酒匂川ガード
お願い
自動車等が衝突したのを見た方は、至急御連絡下さい。
 (JR東日本 東京施設指令)
ゴミを捨てるのはあなたですか!!
海・山・川 この自然を大切に!!
小田原市では「ごみの持ち帰り運動」を行っています。
 (小田原市生活環境課)
飯泉取水堰
橋梁をくぐっていくと車道に出ます。 明確な歩道の設けられていない道ですが、通っていく自動車の量はそれ程多くはないので、 何とか歩いていくことができました。 橋梁をくぐってから5分ほど進んでいくと、酒匂川を堰き止めるような形の飯泉取水堰があります。 監視室でしょうか、堰の上には1〜9の番号が付けられた塔のような建物が取り付けられていました。
注意
この取水ぜきは自動調整のため一時に多量の水が放流さえることがあり、 大変危険な場所でありますので立入らないで下さい。 なお許可なしにこの区域に立入った場合、軽犯罪法第1条32号により罰せられることがあります。
 (神奈川県内広域水道企業団、小田原警察署)
注意
この付近でも水泳・水浴・舟遊び等は危険ですから禁止します。
 (神奈川県内広域水道企業団、小田原警察署)
取水えん堤上流端より上流へ120米の地点迄、及び同えん提下流端より下流へJR本線鉄橋橋脚下流端迄の区間は 禁漁区に付、一切の魚取を禁ず。 此に違反すると法により処罰されます。
 (神奈川県、小田原警察署、酒匂川漁業協同組合)
小田原市緑と生き物を守り育てる条例に基づく「野生の生き物保護区」
コアジサシ
平成7年8月、本市が市の鳥に指定したコアジサシは、4月から8月にかけて繁殖のため渡来します。 しかし、近年、繁殖地となる河川等の環境破壊のため、世界的に減少している種でありますが、 酒匂川では比較的多くの個体を観察でき、日本有数の繁殖地となっています。 小田原の環境保全のシンボルとして、いつまでも子育てや大空を自由に飛翔するコアジサシの姿を観察できるように、 皆様であたたかく見守りましょう!
酒匂川を中心に、千代・栢山の水田、お堀、片浦・江之浦海岸で観察できます。 採餌の際は、停空飛翔(ホバリング)しながら、アユ・オイカワ・ボラ・アジ等をダイビングして捕らえます。
飯泉橋
飯泉取水堰を過ぎて車道を更に進んでいくと、正面に飯泉橋が見えてきます。 送電線の鉄塔「足柄線No.22」の先で歩道が左手に分かれていますが、すぐ先で再び合流します。 軽く登り気味に進んでいくと、国道255号の飯泉橋西交差点に出ます。 この飯泉橋のすぐ先で、酒匂川から狩川が分かれていきます。
飯泉橋西交差点を渡って、正面に続く植え込みのある歩道を降り気味に進んでいきます。 ここからしばらくは川から少し離れた所を歩いていきます。 左手の箱根外輪山の奥には、雪化粧した富士山が頭を覗かせていました。
歩道を更に進んで松が並木を作るようになってくると、道端にお地蔵さんが祀られていました。 キチンとした屋根が付いていてコンクリートブロックの壁で囲われていました。 かなり昔からあるものなのか、いずれも丸まった姿をしていました。 脇には「水神」と刻まれた石碑もありました。
小田急小田原線
植え込みが続く歩道を更に進んでいきます。 松並木を過ぎていくと桜が並木を作っていました。 右手には「酒匂川流域下水道右岸処理場」が続いていました。 まだ開発の途中なのか、「完成予想図」が掲げられていました。 酒匂川から分かれた狩川の入口の所に位置しているようです。 飯泉橋から700mほど進んでいくと扇町6丁目交差点に出ます。 信号を渡っていくと、正面には小田急小田原線の線路が通っています。 少し右手にある鉄橋の下をくぐって向こう側へと進んでいきます。
蓮正寺橋
住宅地の中に続く道を進んでいきます。 道なりに左手へ曲がっていくと、小さな広場のような所の脇を過ぎた先で県道74号(小田原山北線)に出ました。 そこを右折して上多古バス停を過ぎていくと、正面に小田原厚木道路の高架橋が見えてきます。 その手前から右手に戻るようにして分かれていく道へ入り、すぐに左折して狩川へ向かっていきます。 穴部新田公民館の脇を過ぎて真っ直ぐに進んでいきます。 やがて登り坂になって土手の上に出ると蓮正寺橋が架かっています。 土手道は右手にも続いていますが、小田急の線路の所で行止まりになっています。 ここは蓮正寺橋の手前を左折して、狩川の右岸に続く土手道を進んでいきます。
すぐにある小田原厚木道路の橋の下をくぐっていきます。 左側には田んぼなどが続いていました。 土手の斜面には菜の花が咲いていたりもして、春の訪れを感じたりしました。 左手から正面にかけて箱根外輪山がそびえていて、特徴的な姿をした矢倉岳もよく見えていました。 少し雲が出てきたこともあってか、いつしか富士山は見えなくなってしまいました。 川面にはカモと思われる水鳥が沢山浮かんでいました。
水道橋
雰囲気のいい土手道を進んでいくと、やがて水道橋が架かっています。 橋を過ぎて土手道を更に進んでいきます。
仙了川合流
水道橋のすぐ先で、仙了川が右手から合流してきます。 間にある葦の生える中州のような所にはシラサギと思われる鳥が一羽佇んでいました。 一心に川面を見つめているように思えたので、魚でも狙っていたのでしょうか。
飯田岡橋
やがて川沿いにガードレールが設置されるようになります。 取水口の設備を過ぎて金網柵が続くようになった土手道を進んでいくと飯田岡橋があります。 車道と歩道とに分かれた立派な橋になっています。 その手前には馬頭観世音の石碑が沢山並んでいて、小さな祠もあったりしました。 左手すぐの所には伊豆箱根鉄道大雄山線の飯田岡駅がありますが、 その先に続く土手道を更に進んでいきます。
霞堤
やがて土手道の脇に民家が建ち並ぶようになります。 左手に舗装路が現れると、道端にはちょっとした花壇のような所が続くようにないます。 菜の花や細い木などが植えられていました。 左手へ曲がっていく舗装路をやり過ごして土手道を更に進んでいくと、 土手が途切れて開いた形になった所に出ます。 洪水時には大丈夫なのかと思ったりもしますが、これは霞堤というものなのだそうです。 洪水時に堤の間や外へ一部の水を氾濫させ水位を下げることで、堤防全体の決壊を防ぐためのもののようです。 道は左手へと曲がってその先で行止まりになっているので、 少し引き返して、左手へ曲がっていく舗装路を進んでいきました。
相模沼田駅
伊豆箱根鉄道大雄山線の沼田向河原踏切を渡ってすぐに右折し、線路沿いに続く道を進んでいきます。 突き当たりを道なりに左へ曲がっていくとT字路に出ます。 そこを右折していくと、道沿いには水路が並行するようになります。 小さな橋を渡ってその先へ進んでいくと、右手に伊豆箱根鉄道大雄山線の相模沼田駅があります。 一見民家風の建物ですが、看板が掲げられているのでそれと分かります。 駅前は駐輪場になっているようで、多くの自転車が止められていました。
相模沼田駅を過ぎて水路沿いの道を更に進んでいくと、程なくして沼田踏切があります。 踏切を渡った所にある工場の前を左折して線路沿いに進んでいくと踏切の警笛が鳴り出しました。 しばらく待っていると、3両編成の可愛い電車が通っていきました。 江ノ電と同じく、庶民の足として利用されている電車のようです。 1時間に5本程度の割合で運行されていて、なかなか便利ではあります。
要定川合流
線路から少し離れていく道を進んでいくと車道に出ます。 そこを渡って水路沿いの道をその先へ進んでいくと、程なくして十字路があります。 水路に架かるコンクリート橋の脇は「会員専用ごみ収集所」になっています。 そこを右折して住宅地の道を進んでいきます。 整体治療院の脇を過ぎていくと再び土手道に出ました。 右手すぐの所には青い色をした山道橋が見えていますが、 左折して舗装された土手道を進んでいきます。 程なくして要定川が右手から合流してきます。 カモメでしょうか、川面には白い色をした鳥が沢山いました。
洞川合流
土手道を200mほど進んでいくと、洞川が右手から合流してきます。 川向こうには丹沢の山並みが続いていて、眺めの広がる所でした。 カワウでしょうか、黒っぽい色をした鳥が数羽、川面にいました。
岩原水位観測所
洞川合流地点を過ぎていくと、コンクリートブロックで堰止めされたような所がありました。 取水口になっているのか、脇にはバルブのような設備もありました。 堰止めのすぐ上流には、川に突き出した所に、青い円筒の上に白い小屋がありました。 「岩原水位観測所」というのだそうです。
岩原水位観測所
この施設は、川の水位を自動的に観測する設備で、 観測データは15分ごとに無線で三保ダムの電子計算機に送り込まれています。 このデータは、三保ダムで洪水を調節したり、水を有効に利用するための資料として重要な役割をはたしています。
 (神奈川県三保ダム管理事務所)
岩原橋
岩原水位観測所を過ぎて100mほど進んでいくと岩原橋が架かっています。 その先では河原の整備工事が行われていました。
塚原橋
岩原橋を過ぎて400mほど進んでいくと塚原橋が架かっています。 鉄道の鉄橋のような形をしていて、車道と歩道に分かれた立派な橋です。 道路を横切って土手道をその先へ進んでいくと、電車の線路の所で行止まりになっています。
塚原駅
塚原橋の袂まで引き返して右手(最初の方角からは左手)へ曲がっていきます。 車道を緩やかに降っていくと、左手に伊豆箱根鉄道大雄山線の塚原駅があります。 塚原踏切を渡って塚原駅入口交差点を右折して、県道74号(小田原山北線)を進んでいきます。
駒千代橋
塚原郵便局を過ぎていくと、道が二手に分かれています。 その下には狩川へ流入する川が流れていて、その川と狩川の上に橋が架かっている形になっていますが、 道路と一体化していて、橋という雰囲気は余りありません。 名前を確認していると、左右の橋とも駒千代橋というようです。
左右の道の真ん中には塚原駒千代観音堂があります。 脇には馬頭観世音の石碑などが並んでいましたが、謂れなどを記したものは見かけませんでした。
明神橋
左右に分かれている駒千代橋の左手の方の道を進んでいきます。 道端には菜の花が咲いていて、いい雰囲気になっていました。 駒千代橋から300mほど進んでいくと明神橋が架かっています。 右半分は鉄骨造りになっていて、鉄道の鉄橋のような感じになっていました。 この橋も車道と歩道に別れた形になっていました。
明神橋の架かる道路を横切って、土手道を更に進んでいきます。 土手の斜面には菜の花が咲いていて、奥の山並みを背景にして雰囲気のいい景色が広がっていました。
明神橋を過ぎて2分ほど進んでいくと、左手に道が分かれていきます。 その角には「天王禅院参道」と刻まれた石柱が立っていました。 左手の道の奥には山門が見えていたので、ちょっと立寄っていくことにしました。 塚原保育園の横を過ぎて小さな橋を渡っていくと、 道の左手に「碧落山」、右手に「天王院」と刻まれた表札の掛かる門柱があります。
天王院
門柱を過ぎた先の坂道を登っていくと老大木が聳えています。 老大木と関連があるのか、その脇には石碑があって 「水冷池無三伏夏風高松有一聲秋」と刻まれていましたが、 無学の私には意味は分かりませんでした。 老大木の横の門をくぐって綺麗に剪定された梅の木が幾つも生える庭のような所を過ぎていくと、 六地蔵が並ぶ山門があり、「天王院」の扁額が架かっています。 その山門をくぐっていくと、正面に天王院の本堂がありました。 大きな鐘楼や「汲古堂」の扁額の架かる水場のような所もありました。 由緒がありそうなお寺のようでしたが、謂れなどを記したものは見かけませんでした。
山下橋
天王院から元の土手道まで引き返してその先へと進んでいきます。 狩川の流れを間近に感じながら4分ほど進んでいくと、左手にある小山の脇を進むようになります。 作業場のような所の先まで来ると道が二手に分かれています。 脇には「仲屋敷観世音」と書かれた小祠があり、その中に石仏が納められていました。 かなり古くからある石仏なのか、角がとれて丸くなっていました。 真新しい花が手向けられているところをみると、今でも篤く信仰されているようでした。 正面へ軽く登っていく坂道は見送って、右手の狩川に架かる山下橋を渡っていきます。
花下橋
山下橋を渡っていくと正面に道標が立っていました。 右手の道は「駒千代橋0.7km」、左手の道は「大雄橋2.2km」となっていて、 狩川の左岸は散策路になっているようでした。 ここは左折して狩川の左岸に続く道を進んでいきました。 特徴的な姿をした矢倉岳を正面に望みながら狩川沿いの土手道を進んでいくと花下橋が架かっています。 この時には花下橋とその周辺は工事中のために車両通行止になっていましたが、 人が何とか通っていけるように迂回路が出来ていました。
花下橋から続く道を横切った先の分岐を右手へ曲がっていきます。 黒い塀に沿って進んでいくと、左右に通る道に出ます。 その左手すぐの所にある幅1mほどの水路を渡っていくと、 「真言宗 生駒山 玉傳寺」と刻まれた石柱が立っています。 左手には道路があって、水路を挟んで玉傳寺への道が続いています。 水路の右手に続く道を進んでいくと、駐車場のような所の先に山門があります。
玉傳寺
山門から入っていくと玉傳寺の境内になります。 六地蔵ならぬ六観音に出迎えられて境内に入っていくと、立派な本堂がありました。 境内には立派な鐘楼や宗祖弘法大師修行像や六地蔵や金色をした観音像もありました。 六地蔵の前掛けには真言宗のお経「般若心経」がびっしりと書き込まれていました。 煩悩が多過ぎる私などは、到底「色即是空」の境地に至れそうにはありません。 また境内には小振りの池もあって、綺麗な色彩の錦鯉が沢山泳いでいたりもしました。
木造不動明王座像(玉傳寺)
当寺の本尊不動明王である。 像高は59.5センチ、脇侍は矜羯羅(こんがら)童子だけで、制咤迦(せいたか)童子は失われている。 寄木造・玉眼・菜食の量感豊かで、面部及び衣文等にも中世の作風がよくあらわれている。 右手に宝剣、左手に羅索をもっている不動明王の標準的な形で、室町時代の作である。 「新編相模国風土記稿」には「智證作」とある。 不動明王は、五大明王または八大明王の一つで、大日如来が衆生を折伏教化するため、 恐ろしい姿をかりに現した忿怒像で、火焔を持って汚れを焼き浄め、密教の修行者を守る明王として信仰された。 日本では平安初期以来密教が広まると共に尊崇され今日に至っている。
 (南足柄市教育委員会)
矜羯羅(こんがら)童子像(玉傳寺)
本尊不動明王の脇侍である。 像高は54.2センチ、木寄せは不明で寄木造の可能性もある。 玉眼・彩色で室町時代の作と考えられる。 失われている制咤迦(せいたか)童子と共に不動明王の脇立ちの童子で、本尊の左側に立つ。 合掌して金剛杵を親指と人差指の間に横に挟み、身白肉色で童子の姿をとり裳天衣等をつける。
玉傳寺は昔、飯田山金蔵院と称し、保延2年(1136)飯田郷内に建立の古義真言宗の寺だが、 洪水のため永正15年(1518)に僧賢乗がここに移して再興し、中興開山となられた真言宗の寺である。
 (南足柄市教育委員会)
「真言宗 生駒山 玉傳寺」と刻まれた石柱の所まで引き返してきて、 水路に沿って戻るようにして道路を進んでいきます。 何処かの学校かとも思える立派な建物の南足柄市中部公民館を過ぎていくと、 右手にこんもりとした小山が現れます。 道はその先で二手に分かれていて、今回の終点である和田河原駅へはその右手の道を進んでいくのですが、 小山の手前から右手に戻るようにして分かれていく坂道もあります。 手元の地図によるとその先に神社があるようなので、ちょっと立寄っていきました。
生駒熊野神社
坂道を登り切って背の低い石垣に沿って降っていくと、 右手へ曲がっていく角に生駒熊野神社がありました。 この時は祭礼の日だったようで、境内には多くの人が詰め掛け、 紅白の垂れ幕が取り付けられたトラックには神輿が乗せられていました。 こでれ町内を巡ってきたのでしょうか。 神輿は担ぐものだという思いがある私にはちょっと寂しい気もしました。 神主と思われる衣装姿の人も見かけました。 「どうもご苦労様でした」という声が聞こえていたので、丁度祭礼が終わったところのようでした。 古くからある神社のようで、今でも篤い信仰で守られているようでした。
生駒熊野神社
生駒の熊野神社は、炭焼所(現生駒)の鎮守の神として、 先祖代々氏子中の厚い信仰を得て今日まで守り継がれてきました。 御祭神は、日本武尊と言い伝えられてきましたが、昭和27年宗教法人資格取得の登録申請時に、 熊野神社の祭神は、素戔鳴尊一柱である旨明記され、 素戔鳴尊が公に生駒熊野神社の御祭神であると認定されていることが明らかになりました。 建立については定かではありませんが、 平安時代「熊野詣」が全国的に広がりをみせ、地方の領主・武士・農民に至るまで熊野信仰が伝わりましたが、 戦国時代の終わる頃、伊勢信仰の波に熊野信仰にかげりが出てきたために、 各地域の鎮守の神として熊野神社が建立されました。 わが熊野神社の建立も、それと時を同じくしたのではないかと推定されます。 日本武尊の御祭神との言い伝えについては、安永9年(1780)足柄神社再建のおりに 「東征に残された事跡とこの地に関係の深きをもって、神祇領の裁可を得て、足柄神社に合祀した」とされています。 つまりその事と時を同じくして、わが熊野神社も、日本武尊を祭神として、複合、重層するかたちでまつり、 以後深い信仰に支えられ、今日まで言い伝えられたとも考えられます。 ご祭神、素戔鳴尊は、古事記、日本書紀によれば、出雲の国、簸の川で八岐大蛇を退治され、 天叢雲剣を天照大神に献上し、国土の経営に尽くされたとあります。 また、植林を全国に奨められたほか、誓約の神、正邪を正す神として崇められたとあります。 出世、繁栄の神、人々を悪疫から守り、秩序ある神として庶民の信仰を得て今日に至っております。
大正12年の関東大震災には、神殿ことごとく倒壊、2年後に再建され現在に至りましたが、 老朽化が進んだため、平成10年1月より改築資金の勧募活動を開始し、 平成11年2月、神戸建設工業の施工により完成しました。 改築に必要な建設資金2500万円のうち1900万円は、生駒居住者・関係企業・事業所からの浄財寄進、 600万円は、自治会による建設資金積立てにより新しい社殿が誕生しました。
 (生駒熊野神社建設委員会)
七ッ石
生駒熊野神社から先ほどの分岐まで引き返して、小山の左側に沿って続く道を進んでいきます。 少し登り坂になってくると左右に通る車道に出ます。 左手すぐの所には天神山バス停がありますが、平日に僅かな便があるだけで週末には運行されていません。 車道を横切ってその先へ進んでいきます。 開けた感じの所を過ぎて民家と石垣の間の狭い道を抜けていくと、左右に通る道路に出ます。 道路を横切っていくと、道の脇に丸まった大きな石がありました。 「七ッ石」というようで、解説板も設置されていました。 その左手から先へと続く坂道を降っていきます。
七ッ石の由来
七ッ石は、曽我五郎が投げた石が七裂して、その一つがこの地に落ちたと伝えられ、古来七ッ石と呼ばれている。 この石に心願すると必ず成就すると言われた。 明治より大正初期まで20年間に、7年毎に和田河原字押切では4回も火事が発生していた。 祈祷者によると「七ッ石をお祭りすれば火事はなくなるだろう」とのお告げが有り、 それから約80年間和田河原字押切には火事が発生しなくなった。
 (氏子)
若宮神社
和田河原公民館を過ぎていくと、右手の広めの境内に神社がありました。 社殿の前に下がっている提灯によると若宮神社というようです。 屋根には3本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳える立派な姿をした社殿でしたが、 由緒などを記したものは見かけませんでした。 境内の周囲には紅白の幕が設置されていたので、この神社も祭礼の日だったのでしょうか。 境内の脇にある小屋の扉が開いていて、山車やその木製の車輪などが格納されているのが見えていました。
和田河原(わだがはら)駅
若宮神社の所のT字路を左折していくと、信号機の設置された十字路があります。 その右前方に和田河原駅(伊豆箱根鉄道大雄山線)があります。 駅舎は集合住宅を兼ねたような建物になっていました。 「わだがわら」と読むとばかり思っていると「わだがはら」なのだそうです。
小田原駅(JR東海道線)まで18分、1時間に5本程度の便があります。
駅前にはバスターミナルがありますが、 開成駅(小田急小田原線)までの便が平日に1時間に1本程度あるだけです。