城ヶ島
散策:2008年03月上旬
【海辺散策】 城ヶ島
概 要 城ヶ島は、三浦半島の最南端の海上に浮かぶ神奈川県で一番大きな島です。 陸地とは城ヶ島大橋で結ばれていて、歩いていくこともできます。 城ヶ島の東側・南側・西側は岩畳の磯浜で、民家は北側に集中しています。 高台には城ヶ島公園をはじめとして緑が広がり、気持ちのいい散策を体験できます。
起 点 三浦市 城ヶ島バス停
終 点 三浦市 城ヶ島バス停
ルート 城ヶ島バス停…城ヶ島灯台…長津呂崎…長津呂の磯…馬の背洞門…赤羽根…ウミウ展望台…スイセン畑…城ヶ島公園…うみのね広場…ピクニック広場…安房崎…安房崎灯台…尾根道入口…尾根道出口…城ヶ島バス停
所要時間 2時間30分
歩いて... 城ヶ島公園の展望台からは360度の大パノラマが広がっています。 条件がいいと富士山も望めるようですが、この時は霞んでいて見えませんでした。 背の高い笹竹が生い茂る高台には小径が続いていて、 海岸沿いのハイキングコースとはまた違った雰囲気を味わえたりもします。
関連メモ 城ヶ島
コース紹介
城ヶ島(じょうがしま)バス停
三崎口駅(京浜急行久里浜線)から、[三9]城ヶ島行きバスにて26分、 1時間に2本程度の便があります。
バス停の脇に「城ヶ島観光案内」と題した看板が設置されていて、 今回歩く南側の海岸沿いのハイキングコースが載っているので参考にしましょう。 ハイキングコースはここから海岸を一周して白秋碑前バス停まで続いていますが、 現在は「水垂れ」の所が通行止めになっていて、その手前までしか行けません。 今回は、城ヶ島灯台・ながとろの磯・馬の背洞門・ウミウ展望台・城ヶ島公園・安房崎灯台と巡り、 島の中ほどの高台に続く尾根道を通ってここまで戻ってくるルートを歩きます。
「城ヶ島観光案内」には尾根道のルートも載っています。 少し見難いですが、ルート欄のMAPアイコンをクリックすると表示します。
バス停を出て右折して、土産物店などが建ち並ぶ路地へ入って1分ほど進んでいくと、 白壁の所から右手へ登っていく階段が現れます。 登り口には「城ヶ島燈台公園」と書かれた標柱が立っていて、 「灯台入口→」の看板も右手の階段を指しています。 ここから城ヶ島灯台へ登っていきます。 簾の子状になったゴム製の歩きやすい階段を登ってコンクリート製の道になると、 路面には三浦市に関わる「はまゆう」・「くろまつ」・「うみう」の絵が描かれたタイルが埋め込まれていました。
階段の下の草花に水や光がとどくように自然にやさしいミゾのある階段になっておりますので、 特にハイヒールを履いている方は気をつけてください。
市の花 はまゆう
関東南部から以南以西の海岸の砂地にはえる大型の常緑多年生草木である。 夏に葉の間から70cmぐらいの花茎を出し、先に10数個の白い花がカサ形に咲き、 大変よい香りをただよわせる。 三浦半島南部が自生の北限で市内の海岸一帯にも多くみられ、 「はまおもと」とも呼ばれ、清楚な姿の花である。
市の木 くろまつ
日本全国に海岸地方に広く分布しており、三浦市内にもいたるところに自生している。 高さ40m、直径2mになるものもあり、常緑樹で「おまつ」とも呼ばれている。 初声町和田海岸のくろまつ林は特にみごとで、県内でもこれだけの海浜自然林はめずらしいと言われている。
市の鳥 うみう
全長80cm余り、首、くちばしが長く、全体が黒褐色で海岸のガケや岩ダナに集団で巣をつくってすんでいる。 城ヶ島南西の赤羽根海岸から安房崎に至る岩壁には、 毎年10月から翌年5月にかけて約3000羽のうみうが群旗し、 日本でも指折りの生息地であり、県の天然記念物に指定されている。
階段を登り切ると、右手にはテラスがあって、三崎の街並みを一望できます。 「海への祈り」と題された彫刻を過ぎていくと、正面に城ヶ島灯台が見えてきます。
その手前から左手に分かれていくボードウォークを進んでも、 正面の花壇に続く小径を進んでも、すぐ先で合流します。
海への祈り
海、それは無限の可能性とロマンを秘めた人類最後のフロンティアである。 古来日本は蛋白資源の多くを海に求め、今も海との共存がつづいている。 そしてこの果てしなく広がる大海原には海に殉じた男達の物語りがある。 母なる海は、時には怒りの海ともなる。 怒涛逆巻く海の彼方で妻子を忍びつつ奮闘したあたな達がいたからこそ、今の水産日本がある。 この像は海にかかわる有志がつどい、はるかなる海へ、 航海の安全と豊漁、家族のしあわせを願って、この丘に建て、あなた達の勇姿を永遠に顕彰するものである。
 (三崎港海の顕彰碑建立実行委員会)
城ヶ島灯台
灯台への入口と正面には解説板がありました。 5年ほど前に訪れた時から解説板が新しくなっていて、灯台の位置や光の強さに関する内容が変わっていました。 以前の解説板に書かれていた位置は北緯35度7分54秒、東経139度36分51秒だったのですが、 今回見かけた解説板では北へ12秒、西へ11秒だけ変化していました。 これは島がそれだけ移動したということなのでしょうか。 北緯35度辺りの1秒というのは距離にすると25mほどになるので、300mほども移動したことになります。 近年にこれほどまでの地殻変動があったのかどうかはよく分かりませんが、 単なる測定誤差や記述誤りではないとすると、これは大変なことなのだろうと思います。
城ヶ島灯台
城ヶ島灯台の歴史は古く、慶安元年(1648)、当時三崎奉行であった安部次郎兵衛が徳川幕府の命によって、 航行する船のために、島の東端安房崎に烽火台を設けたのが始まりで、 延宝6年(1678)にこれを廃して、島の西端に灯明台を設けました。 その後、享保6年(1721)に代官河原清兵衛がふたたびかがり火に代えましたが、 この火光については「晴夜光達約8里」と伝えられ、燃料費は浦賀入港の船舶から徴収したと言われます。 このかがり火による灯台は、明治3年8月12日夜まで続きましたが、以後フランス人技師の設計増築による 新灯台に代わりました。 この新灯台は横須賀市の観音崎灯台に次ぐわが国2番目の白色光の様式灯台で、関東大震災(1923年)で 破損しましたが、大正15年に改築、現在の灯台は「灯質閃白光15秒に1閃光、燭光数40万カンデラ、 光達距離2万8700メートル、灯器電灯750ワット、灯高地上から頂部11.5メートル、 平均海面上29.4メートル」で、今日まで城ヶ島沖を航行する船人の心の灯となっています。
 (三浦市)
城ヶ島灯台〜東京湾の入り口を照らす灯台〜
城ヶ島灯台は、明治3年(1870)横須賀製鉄所首長フランス人ヴェルニーにより、 西洋式灯台として設置点灯されました。 このレンガ造円形、灯高基礎上5.76メートルの灯台は、大正12年(1923)9月1日の関東大震災によって、 一瞬に建物の基礎から倒壊し、大正15年(1926)8月1日に改築されたのが現在の灯台です。 灯台は船舶が安全に航行するための大切な施設です。 この施設の異常を発見した場合や、何かお気づきの点がございましたら、横須賀海上保安部までお知らせください。
位置北緯35度08分06秒、東経139度36分40秒
光り方15秒毎に白光を1閃光(単閃白光)
光の強さ31.0万カンデラ
光の届く距離16.0海里(約29キロメートル)
高さ地上から灯台頂部:約11.5メートル、水面から灯火:約30.1メートル
管理事務所横須賀海上保安部
 (海上保安庁、燈光会、日本財団)
長津呂崎
城ヶ島灯台の先へ続く石段を降っていくとホテルの裏手に降り立ちます。 そこから左手へ路地が続いていますが、正面に広がる磯浜を廻っていくことにしました。 手前には田辺大愚句碑があります。 その先には岩盤になった長津呂崎が広がっていました。 左手にある磯魚料理店を右手から廻り込むようにして広い岩盤の上を進んでいきます。
走りちる 舟虫時雨 とは言わん
田辺大愚本名高七明治20年大和市に生る。 大正10年三浦三崎に居住し30余年其風土に親しむ。 俳句は高浜虚子松本たかしに師事、ホトトギス派に属す。
 (三崎俳句会)
磯から陸地側へ寄って進んでいくと土の道が現れます。 その道を軽く登っていくと、程なくして左右に通る舗装路に出ます。 城ヶ島灯台から降りてきた所から左手へ続いていた道になります。 その舗装路に出て飲食店などを左手に見ながら降り気味に進んでいくと、 左手へ曲がっていく角に「城ヶ島めぐり遊び船案内」の看板が掲げられた小屋が建っています。 ここから船が出ていて、地元の漁師さんに穴場スポットを案内してもらえるようですが、 冬場には運行していないのか、係員の姿は見えず時刻表なども見当たりませんでした。
城ヶ島めぐり遊び船案内
城ヶ島1/3コース城ヶ島一周コース
所要時間15分所要時間30分
一人の場合 1,200円一人の場合 2,500円
二人の場合 1,500円二人の場合 3,000円
三人以上一人に付き 700円三人以上一人に付き 1,300円
長津呂の磯
小屋の脇には「城ヶ島観光案内」と題した案内板が立っているので参考にしましょう。 島内のハイキングコースなどが紹介されていました。 入り江になったこの辺りは長津呂(ながとろ)の磯と云うようです。 曲がり角には道標が立っていて、左手の道は「バス発着所0.3km」、 正面の磯へと続く道は「馬の背洞門0.8km・県立公園1.1km」となっています。 ここは正面の磯へと続く道を進んでいきます。
城ヶ島観光案内
●ハイキングコース(3.5km/約90分コース)
城ヶ島の海岸線をほぼ一周するコースです。 バードウォッチングやフラワーウォッチングに最適なコースです。
白秋碑前バス停…20分…水垂れ…10分…安房崎…10分…県立公園…15分…ウミウ展望台…10分…馬の背洞門…25分…城ヶ島バス停
※水垂れへは、現在海岸線が一部通行止めとなっておりますので、県立公園から行き、見学後は戻って下さい。
●県立城ヶ島公園
島の東半分をしめ、初夏にアジサイ、夏はハマユウ、秋はハチジョウススキ、冬はスイセンが咲き誇ります。 公園の南側の弾劾には、神奈川県の天然記念物に指定されている「ウミウ・ヒメウ及びクロサギの生息地」があり、 毎年11月から4月まで約千羽のウが羽を休めます。
白秋文学コース(22) ながとろの磯
春過ぎて 夏来るらし 白妙の ところてんぐさ 採る人のみゆ
一心に 船を漕ぐ男 遥に見ゆ 金色の日が くるくると射し
丘にのぼって大地の作物に歓喜したように、白秋は海にでても楽しみがありました。 城ヶ島の荒磯や島山に、白秋の足跡はどこまでもつづいています。 苦悩する白秋の三崎の生活にようやくなじんでくると、 それまで多かった哀傷歌から三崎の風物や習俗に瞳をこらすようになっています。 そして「金色の日」や「金の光」など日や光への賛歌が多く見られるようになりました。
ある時は ただ専念に 一匹の 大鯛釣ると 座りたりけり
ここ「ながとろの磯」は昔、北条早雲の臣、長津呂仁左衛門の屋敷下だといわれています。 また、この入江の付近は埼玉県の長瀞の景に似ているというところから、この名が出たといわれています。
 (三浦市)
「かわや長津呂」との銘板がある民家風の立派なトイレの脇を過ぎて岩場をひと登りしていくと、 岩畳になった磯が続いています。 海辺の方へ出てみると、風が強くなってきて白波も打ち寄せていました。 時々は波の飛沫が飛んできたりもしたので、早々に丘の方へと引き返したのでした。
海のルールのお知らせ
この海は漁業権が設定されています。 一般の方がアワビ、サザエ、トコブシなどの貝類やワカメ、ヒジキなどの海藻類、イセエビやタコなど、 漁業権で指定された水産物は採ることが禁止されています。 また、指定のない水産物についても、次の行為は禁止されています。
1. 水中めがねをかけてイソガネやヤスを使用したり、水中銃、潜水器具を使用して、魚や貝、海藻類を採ること。
2. 魚や貝、海藻類に有害なものを海に捨てたり流したりすること。
3. 電流や薬品を使用して魚や貝、海藻類を採ること。
違反した人は法令により処罰されることがありますので注意してください。
 (神奈川県横須賀三浦地域県政総合センター、神奈川県警、海上保安庁、漁業協同組合)
引き続き岩畳になった磯を進んでいきます。 砂地になったり芝などが生えていたりする所もあったりしますが、大体は岩が剥き出した磯が続きます。 この日はかなり風が強くて、丘の岩陰の窪みに身を寄せて休憩しているグループもありました。 「遊び船」発着場の小屋から10分ほど磯を進んでいくと、正面の奥に海に突き出た所が見えてきます。 これから向かっていく馬の背洞門のようです。
馬の背洞門
砂浜が続くようになった海岸線を7分ほど進んでいくと、 海に突き出た岩に穴が開いた形の馬の背洞門に着きました。 城ヶ島灯台から30分ほどで歩いて来られました。
馬の背洞門
これは自然が作った海蝕洞穴で、 長い年月をかけて波浪、風雨等に侵蝕されてこのような見事な形となったものです。 地層は第三紀層、鮮新統、三浦層群に属し、土質は凝灰質砂礫岩という軟かい岩質です。 高さ8m、横6m、厚さ2mで、土地の人は「馬の背の洞門」のほか、「めぐりの洞門」、 「眼鏡の洞門」などど呼んでいます。 そのどの名前もみな洞門の形から推して名付けたものです。 明治の文豪、大町桂月はここを訪れて次のように述べています。
「・・・馬の背に至る。怒涛脚下の厳を噛む。左は房州、右は伊豆、前には雲の峰聳ゆ。 その雲の峰少し薄らぎて中より大島あらわる。馬の背はやがて馬の首となり、長厳海に突出す。云々」
 (三浦市)
右手の大きい穴と、その左手にも小さな穴が開いていて、向こう側の海が見えていました。 磯歩きはここで終わって、左手に続く階段を登っていきます。
おねがい
馬の背洞門は岩がもろく危険ですから、洞門には立ち入らないでください。
 (神奈川県、三浦市)
手摺の設置された傾斜の急な階段を登っていきます。 折りしも風の強い日で、登るにつれて益々風当たりが強くなってきます。 吹き飛ばされそうに感じながらも、手摺に捉まりながら何とか登っていきました。 右手には馬の背洞門の「背」の部分が間近に見えていましたが、 眺めを愛でている心の余裕はありませんでした。
左手へ曲がっていく道を進んでいくと、ススキや常緑樹などが生えるようになります。 それらに遮られて風当たりが弱まり、何だかホッとした気持ちになったりもしました。 海辺へ降っていくらしい小径を右手に分けて、広くなった横木の階段を緩やかに登っていくと、 笹竹が生い茂るようになった先で道が二手に分かれていました。 道標などは見当たりませんでしたが、右手の石段を登っていきました。
赤羽根
笹竹の生い茂る広くて緩やかな道を進んでいくと、1分もしない所で道が二手に分かれています。 脇には青い標柱が立っていて「赤羽根」と書かれていました。 袂にある案内板によると左右の道は水仙ロードというようで、 左手の道は「灯台」、右手の道は「県立城ヶ島公園」となっています。 この辺りから広くて緩やかな道が続くようになります。 道端にはスイセンが植えられていて、まさしく「水仙ロード」になっていました。 左手の道は高台を通って先ほど訪ねた城ヶ島灯台方面へ続いているようですが、 今回は右手の道を城ヶ島公園へと向かっていきました。
後日に左手の道を歩きました。 両側に背丈の高い笹竹が生い茂る広くて緩やかな道が続いていました。 途中には、海側の笹が刈り払われて展望が得られる所が何箇所かありました。 最後に石段混じりの急坂をひと降りすると、「かわや長津呂」の脇に降り立ちました。
お知らせ
城ヶ島八重水仙は貴重な観光資源であり、城ヶ島のシンボルでもあります。 毎年心ない人によって推薦を摘み取られる被害が発生しています。 草花は生きています。 皆で大切にしましょう。
 (城ヶ島観光協会、城ヶ島区、三崎警察署)
山火事防止
たばこの投げ捨て やめましょう。
 (城ヶ島観光協会、三浦市消防本部)
1分ほど進んでいくと再び道が左右に分かれていますが、 脇に立つ小さな道標「県立公園」に従って右手へと進んでいきます。 「県立公園0.5km・白秋碑0.9km」の道標を過ぎていきます。 両側に背の高い笹竹の生い茂る中に、広くて緩やかな道が続いています。 沿道にはスイセンが沢山植えられていて、白い花を咲かせていました。
赤羽根海岸
先ほどの馬の背洞門のあった海に突き出た岩場を赤羽根崎と云い、 そこからウミウ生息地になっている岩壁の辺りまでの湾を赤羽根海岸と云うようです。
ウミウ展望台
程なくして両側の笹竹の背丈が低くなってくると、展望デッキがあります。 ここがウミウ展望台になります。 馬の背洞門から8分ほどで到着しました。 南東側に突き出た岩壁が白くなっているのは、鵜などの鳥のフンの為のようです。
城ヶ島のウミウ・ヒメウ及びクロサギの生息地
神奈川県指定天然記念物(地域指定)
赤羽根海岸の東側に続く本のしたの断崖は、幅約300m、高さ30mにわたり、 波打ち際からの垂直の崖が人を寄せつけないことから、ウの群れのよい生息地となっており、 冬季の生息地として、その地域が指定されています。 ウミウ、ヒメウはウ科に属する海鳥で、海上を泳ぎ、潜って魚を捕り餌としています。 ウミウはこの修正を利用して鵜飼に使われていることで有名です。 両種とも冬鳥として渡来し、4月以後に本州北部、北海道以北に渡り繁殖します。 繁殖期に近づくと足の付け根に白斑が見られます。 クロサギ(サギ科)は、留鳥として生息し、磯や干潟で餌をとります。 城ヶ島でも繁殖が確認されており、本種の分布の北限と考えられています。
白秋文学コース(17) ウミウ展望台
三崎城ヶ島は 鵜の島島よ 潮のしぶきで 鵜が育つ
展望台より望む、赤羽根海岸東側の崖には、毎年10月下旬になると、 ウミウ、ヒメウが飛来し、翌年の4月まで見ることができます。 約千羽にも及ぶ鵜の乱舞は、冬の城ヶ島の風物詩であり、 白秋もまた野生の瑞々しさに深い関心を寄せ、その足跡が島中にあり、多くの詩作活動をみることができます。
城ヶ島の 白百合の 花大きければ 仰ぎてぞあらん あそびの舟は
 (三浦市)
ウミウ展望台からの眺めは、三浦半島八景のひとつ「城ヶ島の落雁」としても選ばれているようです。
三浦半島八景 城ヶ島の落雁
「三浦半島八景」は、神奈川県が三浦半島地区の4市1町と協働して、 この地域の"うるおい","にぎわい"づくりをめざし、 半島をぐるっとまわれるような新たな「八景」をつくるため「三浦半島八景」選定委員会を設置し、 県民の皆様のご意見を参考に平成13年11月に選定したものです。
・大塔(鎌倉宮)の夜雨
・灯台(燈明堂)の帰帆
・大佛の秋月
・長者ヶ崎の夕照
・神武寺の晩鐘
・猿島の晴嵐
・城ヶ島の落雁
・建長寺の暮雪
「八景」の考え方は15世紀に中国から日本に移入されました。 「近江八景」や「金沢八景」が有名ですが、 三浦半島地域でもこれまでにたくさんの「八景」が残されています。 伝統的な「八景」は次の八つの景色を基本形につくられ、 それぞれ次のような情景を表わすのではないかと言われています。
・夜雨…水辺の夜の雨
・帰帆…港に帰る漁船
・秋月…水辺に映える秋の月
・夕照…夕日に照らされた遠くの山
・晩鐘…山寺の晩鐘
・晴嵐…朝もやに煙る松林
・落雁…干潟に降り立つ雁の群れ
・暮雪…夕暮れの雪景色
 (神奈川県横須賀三浦地域県政総合センター)
ウミウ展望台からは赤茶色のコンクリート舗装された道になります。 道に沿って植えられているスイセンも、強風のために少し萎れた様子でしたが、 冬枯れの季節に華やいだ雰囲気を醸し出していました。
コンクリート舗装された水仙ロードを歩いていきます。 やがて左手へ分かれていく道を見送った先で、左右に通る車道に出ます。 角に立つ道標によると、右手の道は「城ヶ島公園」、左手の道は「白秋記念館・碑、白秋碑前バス停」となっています。 別の道標も立っていて、今歩いてきた道は「天然記念物 ウミウ展望台 約200m」となっています。 車道への出口にもスイセンが沢山植えられていて、ちょっとしたスイセン畑のようになっていました。 鵜の像が数羽休んでいる標柱がその真ん中に立っていて、 「県立城ヶ島公園」と書かれた看板も添えられていました。 ここから右手へ続く車道を通って、城ヶ島公園へと向かっていきます。
スイセン畑
車道を進んでいくと、右手の一面に八重水仙が植えられていました。 上の方には松の木も植えられていて、何やら雰囲気の良い所でした。
スイセン情報No3
「水仙球根の植え付け」作業を10月11日(木)、多くの島民の皆さんや、城ヶ島観光協会、 県の土友会の皆さん約70名様の御協力で無事出来ました。 御協力ありがとうございました。 1月中旬には、可憐な美しさと甘い香りの八重水仙が県立城ヶ島公園を包み込みます。 是非是非お越し下さい。 お待ちしています。
 (県立城ヶ島公園管理事務所職員一同)
神奈川県指定天然記念物 城ヶ島のウミウ、ヒメウ及びクロサギの生息地
城ヶ島の南側、太平洋の荒波を受ける断崖は高さ約30m、幅2kmに及び、 自然景観もよく残されている。この崖の中ほどやや東に位置する赤羽根海岸周辺には、 崖面の岩棚や割目にウミウとヒメウ、それにクロサギが生息することでよく知られている。 ウミウとヒメウはウの仲間で、夏期は北日本などの冷涼な地域で繁殖し、 冬季には温暖な地方へ南下して冬を過ごす。城ヶ島においては、例年10月末頃から渡来し、 小数のヒメウのほか、最盛期のウミウは千数百羽を数え壮観を呈するが、やがて春になると 北へ帰っていく。一方、クロサギは南方系のサギで、太平洋側では房総半島や城ヶ島を 生息の北限域とする。体は黒く見えるが、くちばしと足が長くて黄色がかるので、 全体黒色にみえるウミウやヒメウと区別できる。 城ヶ島赤羽根海岸周辺は、往時よりもウミウの渡来数が減少しているが、 なお関東地方最大規模の渡来地として重要であり、またクロサギの太平洋側分布北限地の 一つとして学術上きわめて貴重である。
 (神奈川県教育委員会、三浦市教育委員会)
左手に駐車場を見ながら進んでいくと、スイセン畑の先の方には松本たかし句碑がありました。
松虫に ささで寝る戸や 城ヶ島 たかし
秋の夜、松虫が鳴いている。島の漁家は戸締りをしないまま、松虫の鳴く声に つつまれて安らかな眠りに入っている。「ささで」は「戸締りをしないで」の意。
この俳句は、松本たかし昭和13年の作。 当時この城ヶ島に大橋はなく、三崎との渡し舟が唯一の便であった。 更に東京湾防備の要塞地帯で、島へ渡るのには軍の制約があり、 殊に夜に渡る人など稀なこと、初秋の夕べには虫の鳴きこぞる島となった。 たかしは三崎の友の案内で虫を探ねることができた。 島の漁家のいとなみは、素朴そのもの。松虫の鳴く頃は、涼をとるため蚊帳を吊って、 雨戸を聞けたままで寝ている。このような島の抒情が、たかしの高い詩心によってうたいあげられた。 松本たかし=子規、虚子の写生を根本にした俳人。三崎の風光を愛し、 しばしば来遊。昭和31年没。その墓も三崎本瑞寺にある。
 (三浦市、俳誌「笛」同人会)
城ヶ島公園
歌碑を過ぎていくと、正面に城ヶ島公園の入口があります。 入口の左手には「県立城ヶ島公園案内図」があります、 また入口の脇の公園事務所にはパンフレットが置いてあるので貰っていきましょう。 この城ヶ島公園は「かながわの公園50選」にも選ばれているようです。 門をくぐって、正面に続く松並木の道を真っ直ぐに進んでいきます。 並木道を歩き出したすぐの所にも「県立城ヶ島公園案内図」があります。 今回は、うみのね広場やピクニック広場を経て安房崎灯台まで往復してくることにしました。
公園利用者の皆様へ
みんなの公園です。 次のことを守って楽しく過ごしてください。
・施設をこわしたり、落書きをしないでください。
・花や木を採ったり、折ったりしないでください。
・鳥類をとったり、害を与えたりしないでください。
・柵の外や危険なところには入らないでください。
・ごみはくずかごに入れるか家へ持ち帰ってください。
・キャンプ、バーベキュー、たき火をしないでください。
・行商、物品販売をしないでください。
・おたがいに迷惑をかける行為はしなでください。
 (神奈川県横須賀土木事務所)
この公園は、大蔵省(関東財務局横須賀出張所)所管の国有地を借り受け整備したみなさんのための施設です。 園内では規則を守って大切に利用して下さい。
 (神奈川県)
うみのね広場
松の並木道を真っ直ぐに1分ほど進んでいくと開けた所に出ます。 ここが広い芝地になったうみのね広場になります。 周囲にはスイセンの花が咲いていて、小綺麗になっていました。 南側を廻って来た道が右手から合流してくる所に角川源義句碑があります。
火の島へ 一帆目指すよ 芋の露 源義
この俳句は、角川源義 昭和39年の作。 城ヶ島より望む伊豆大島への願望です。 帆をいっぱいに追風をはらんだ帆掛船が大島に向って走っている情景、 芋の露(季語=秋)は、成長した里芋の業に夜露や雨が溜ってきらきらとかがやいているようす。
角川源義(俳号・源義)、大正6年、富山県生れ、折口信夫・武田祐吉を慕い 国学院大学に学ぶ。文学博士、国学院大学講師。慶応義塾大学大学院講師。 昭和20年角川書店を創立し、27年総合雑誌「俳句」、翌年「短歌」を創刊、 33年俳句の叙情性を目指し、俳誌「河」を創刊して俳句の指導に当る。 ことに三浦半島の風光を愛し、しばしばこの地を訪れている。 昭和50年10月27日没。この日を「秋燕忌」と名付く。昭和51年建立。
 (三浦市、俳誌「河」同人会)
うみのね広場にある第一展望台へ登ってみると、まるで台風のような強い風が吹いていました。 吹き流されないように立っているのが精一杯でした。 屋上にはここから見える場所を示した四角推の解説板がありました。 それによると、南には房総半島や伊豆大島、 西には伊豆白浜・天城山・天城公園などの伊豆半島や熱海や富士山、 北には大楠山・武山・三浦富士・松輪・宮川公園・剱崎、 東には剱崎・鹿野山・鋸山・富山・館山などの房総半島が見渡せる360度の眺めが広がっているようですが、 この時には遠くが霞んでいて、残念ながら富士山は見えませんでした。 ものすごい風のために、景色を愛でている余裕もなくて、そそくさと展望台から降りてきたのでした。
第一展望台から降りてピクニック広場へと向かい出した所から右手へ降っていく石段がありました。 公園案内図によると第一階段というようで、海辺まで降っていくことが出来ます。 脇には「→海岸」と書かれた小さな標識も立っているので、試しに海辺まで降りてみました。 一旦テラスのような所に着いて、 両側に笹竹の生い茂る所を過ぎて石段を曲がりながら降っていくと、岩畳が広がる海辺に降り立ちました。 強風のため海面はかなり波立っていて、時々飛沫がかかったりもするので、 長居は無用と元の道まで上がってきたのでした。
城ヶ島の植物について
ここ城ヶ島は海洋の影響を直接うけるため、潮風や波しぶきに対して抵抗力の強い植物が多く見られます。
岩場タイトゴメ、ラセイタソウ、ハマボッス、イソギク
崖地トベラ、シャリンバイ、ハマヒサカキ、ハチジョウススキ
台地ハチジョウススキ、マツ、ツワブキ、アシタバ、ボタンボウフウ
北側斜面タブ、ヤブニッケイ
注意
1. この付近の海(漁業権区域内)で貝類(あわび、さざえ等)や海藻類をとらないでください。
2. 水中銃・アクアラング等を使って魚・貝・海藻類をとってはいけません。
3. 薬品を用いて餌むし(いそめ、ごかい等)をとってはいけません。
違反者は法令により処罰されます。
 (神奈川県、三崎警察署、城ヶ島漁業協同組合)
ピクニック広場
道端にある展望デッキを過ぎていくと、立派なトイレ設備の先に、 広い芝地になったピクニック広場があります。 先ほどのうみのね広場よりも広いようで、 ベンチなどもあって、暖かい季節には弁当などを広げてゆっくりと休憩したくなる所です。 広場の脇には宮柊二句碑があります。
先生の うたひたまへる「通り矢のはな」の さざ波光る 雲母のごとく
昭和59年秋、宮柊二先生が病中を押して城ヶ島を訪ねられ、 北原白秋先生を偲んでこの地で詠まれた作である。 「雲母」は「きらら」と読むが、ちなみに白秋先生の三崎歌集の題名は「雲母集」という。 白秋先生生誕百年に当り、「城ヶ島に白秋柊二師弟の詩歌碑を」という野上三浦市長の提唱に賛同し、 コスモス短歌会有志、三浦市有志相計り、宮柊二先生の歌碑をここに建立したものである。
 (宮柊二歌碑建立協賛会)
ピクニック広場には第二展望台があります。 屋上まで登ってみると、ここでも強風が吹いていました。 ここからも360度の眺めが広がっています。 これから向かう安房崎灯台も眼下に見えていました。
城ヶ島大橋や三浦半島の海岸線も間近に見えていました。 振り返ると、笹竹の生い茂る島の高台がずっと先まで続いていました。
公園利用者の皆様へ
みんなの公園です。次のことを守って楽しく過ごしてください。
・施設をこわしたり、落書きしたりしないでください。
・花や木を採ったり、折ったりしないでください。
・鳥類をとったり、害を与えたりしないでください。
・柵の外や危険なところには入らないでください。
・ごみはくずかごに入れるか家へ持ち帰ってください。
・キャンプ、バーベキュー、たき火をしないでください。
・行商、物品販売をしないでください。
・お互いに迷惑をかける行為はしないでください。
 (神奈川県横須賀土木事務所)
安房崎
第二展望台から降りてその先へ進んでいくと、右手から第二階段が海辺へと降っていきます。 今回はその道は見送ってその先へ進んでいくと、笹竹の生い茂る間から第三階段が降っていきます。 手前には道標が立っていて、「安房崎灯台」の板がその階段を指しています。 笹竹から雑木林へと変わっていく斜面に広い石段が続いています。 樹間からは安房崎灯台がよく見えていました。 階段を1分半ほど降っていくと、岩畳が広がる安房崎の海岸に降り立ちました。 水垂れは左手の方にありますが今回は訪ねるのは省略して、 正面に見えている安房崎灯台を目指して岩畳の上を進んでいきました。
安房崎と州の御前
安房の国といえば当地より望見する南房総一帯をいいますが、 その安房に向く岬という意味から安房崎の地名がついたといわれています。 海のかなたにあこがれる人の心は昔も今も変わりありまえんが、 往時この岬に立って海越しに安房の国を眺めた人の想いはどのようであったでしょうか。 州の御前社は三崎の海南神社の祭神藤原資盈の家臣四郎を祀ったといわれていますが、 この祭神は、石を噛み砕き鉄を爪で切るほどの勇猛大剛なので、始め州荒御前と称したといわれます。 境内には、源頼朝が州の御前社参詣の折に催した宴に使った楊子を挿したのが育って、 周囲3メートル余にもなった「びゃくーん」の大樹がありましたが、 貞亨3年(1686)4月台風の日、自然発火して焼失したと伝えられています。 安房崎の「はな」は海中に突出した磯のため浅瀬が多く、航行する船舶の難所であったため、 昭和37年現在ある白亜のスマートな無人灯台が設置されました。
 (三浦市)
安房崎灯台
この地点の標高は海抜4.6メートルです」の標柱の右手から、 幅30cmほどのコンクリート製の小径が岩畳の上に続いています。 灯台へと続く道になっているようなので、その上を歩いていきました。 灯台の先は海になっていて、強風が吹く磯には白波が打ち寄せていました。
(写真は、安房崎灯台から振り返ってピクニック広場のある高台を写したものです)
尾根道入口
安房崎灯台から城ヶ島公園へ引き返していきます。 公園事務所から出て駐車場の脇を過ぎていくと、 水仙ロードから車道に出てきた所に戻ってきます。 ここから水仙ロードを引き返して、 「赤羽根」の標柱の所から城ヶ島灯台へと続く水仙ロードを歩いてみようかと思っていたのですが、 このすぐの所から右手へ分かれていく広めの土の道があったので、その道を歩いていくことにしました。
右手へ分かれていく道は、公園事務所に置かれているパンフレットには載っていませんが、 最初の城ヶ島バス停の脇にあった「城ヶ島観光案内」には実線で載っています。 「赤羽根」の標柱の所から続く道は破線で載っていますが、 片方しか歩いていないので、どちらの道が歩きやすいのかは分かりませんでした。 角に立つ道標には水仙ロードの方しか書かれておらず、右手の道は何も示されていないので、 今回歩いた方の道はマイナールートなのかも知れません。
最初のうちは幅の広い道になっていますが、程なくして畑地の脇を過ぎていく辺りから細い道になってきます。 道の両側には背の高い笹竹が生い茂ってはいますが、道はしっかりと続いていました。 背の高い笹竹の生える高台の所々には畑があって、 その脇を通ったり、畑への小径が左右に分かれていたりもしますが、道なりに真っ直ぐ進んでいきます。 尾根道入口から4分ほど進んでいくと、畑地の先にT字路があります。 どちらへ行ったものかと辺りを見回していると、 道端に壊れた道標のようなものが落ちていました。 壊れていたので元々はどちらを向いていたのか分かりませんが、 僅かに残っている文字によると、 城ヶ島灯台へはこのT字路を左折してすぐの所にあるT字路を右折していくようでした。
引き続き背の高い笹竹の生い茂る道を進んでいきます。 黒塗りのトタン小屋を過ぎていくと、畑地の先からちょっとした石段を降っていきます。 降り切った所で道が左右に分かれていますが、道標類は見当たりません。 尾根道入口から7分ほどの所になります。 最初のバス停で写した「城ヶ島観光案内」の写真を見ながら考えるに、 右手の道は常光寺の辺りへ降っていくように思えたので、 ここは左手へと続く道を進んでいきました。 畑に設置された竹垣の脇を過ぎ、その先の小屋を過ぎていくと、 再び背の高い笹竹が生い茂る道になってきます。
先ほどの分岐から1分半ほど進んでいくと、 青い金属製の手摺の付いた石段が右手に戻るようにして分かれていきます。 ここでも道標類は見かけませんでしたが、正面に続く道を進んでいきました。
引き続き背の高い笹竹の生い茂る道を進んでいくと、1分もしないうちに広めの畑地に出ます。 これまで背の高い笹竹に覆われた道が続いていたので、何だかホッとした気持ちになったりもしました。 畑の脇に続く道を真っ直ぐに進んでいきます。
尾根道出口
笹竹の生い茂る道を更に進んでいきます。 畑地を三つほど過ぎて笹竹の生い茂る道を進んでいくと、やがて幅の広い石段が現れます。 その石段を1分ほど降っていくと民宿の前に降り立ちました。 これで尾根道は終わりになります。 尾根道入口から15分ほどで歩いて来られました。
尾根道を歩いて…
城ヶ島の中ほどにある高台は背の高い笹竹に覆われていて、その所々が畑として開かれているようでした。 尾根道はその畑の脇を通ったりしながら緩やかに続いていました。 左右に分かれる道もかなりありましたが、予定した所まで何とか歩いて来ることができました。 「城ヶ島観光案内」の地図によると、途中の何箇所かに、水仙ロードへと続く小径があるようです。
城ヶ島(じょうがしま)バス停
舗装路に降り立って右手へ1分ほど降っていくと、 最初に通り抜けてきた土産物店などが建ち並ぶ路地に出ました。 左手すぐの所に城ヶ島灯台へ登っていく階段が見えていますが、 右手に続く路地を抜けて、最初の城ヶ島バス停へと戻っていきました。
三崎口駅(京浜急行久里浜線)まで、[三9]三崎口行きバスにて26分、 1時間に2本程度の便があります。
丁度昼時になったので、バスの発車時刻を確認してから、 近くのお店に入って磯料理などを頂きました。 「これはサービスですが」と云って、明日葉の御浸しを添えてもらえたりもしました。