吾妻山公園
散策:2008年01月上旬
【街角散策】 吾妻山公園
概 要 吾妻山公園は二宮町にある低い山を利用した公園です。 広場には菜の花が咲き、展望台からは丹沢・箱根・伊豆・相模湾などを一望できる眺めが広がっていて、 条件がいいと富士山を望むこともできます。 今回は吾妻山公園を訪ねてから一色地区までの道を散策して再び吾妻山公園へ戻ってくるルートを歩きます。
起 点 二宮町 二宮駅
終 点 二宮町 二宮駅
ルート 二宮駅…知足寺…曽我兄弟の墓…大応寺…中里口…小動物園…吾妻山…東屋…梅林…中里交差点…明星神社…打越川緑道…緑が丘中央公園…浅間神社…神明神社…南の上橋…二宮高区配水池…団地中央バス停…遊歩道…梅林…浅間神社…二宮駅
所要時間 4時間40分
歩いて... 吾妻山公園の山頂には菜の花が綺麗に咲いていてほぼ満開の状態でした。 空気も澄んでいて、冠雪した富士山を望むこともできました。 吾妻山公園の近くの部分は若干違ってしまいましたが、 それ以外は二宮町のサイトで紹介されている散策ルートに沿って歩きました。
関連メモ 吾妻山公園, 吾妻山公園, 吾妻山公園, 吾妻山公園, 吾妻山公園, 吾妻山公園, 吾妻山公園, 吾妻山公園, 台山,
大磯鷹取山
コース紹介
二宮(にのみや)駅
二宮駅(JR東海道線)から歩いていきます。
北口のバスターミナルの中の横断歩道を渡った所に「吾妻山公園のご案内」の看板があります。 正面にある二宮町公民館の右手から公園入口までの道が図示されています。 入口まで3分、頂上まで20分とのことですが、 今回は二宮町のサイトで紹介されている「吾妻山菜の花ウォッチング散策ルート」を歩きます。
駅前の車道を渡って、二宮町公民館と二宮小学校の間にある狭い路地を進んでいくと、横断歩道のある道路に出ます。 吾妻山公園へはここを左手に進んでいくのですが、 今回はその前に知足寺や大応寺を訪ねるべく、道路向かいにある歯科医院の左手に続く路地へ入っていきます。
高いコンクリート壁沿いに進んでいきます。 少し登り気味になった道を進んでいくと右手へと曲がっていきます。 その先で右手からの道を合わせて左手へと曲がって住宅地を進んでいきます。 右手への分岐を見送り、左手へ分かれていく道を見送っていくと、 二宮保育園の先で、道は右手へ曲がっていきます。 その角に「浄土宗知足寺」の表札の掛かる大きな門柱が立っています。
知足寺
門柱を抜けて六地蔵に出迎えられながら石段を登っていきます。 「塩海山」の扁額の架かる山門をくぐっていくと知足寺の境内になります。 正式名は「塩海山花月院知足寺」というようです。 正面には立派な本堂があり、右手には真新しそうな鐘楼がありました。 今時の鐘楼らしく、自動で鐘を突く装置が取り付けられていたりもしました。 左手には小振りの「山内社」という祠があり、 貴船大明神・稲荷大明神・八釼大明神・秋葉大権現・熊野大権現・山王大権現・津嶋天王宮・毘沙門天王・北野天満宮が 合祀されているようでした。
私たちの宗旨
名称 浄土宗
宗祖 法然上人[源空](1133〜1212)
開宗 承安5年(1174)
ご本尊 阿弥陀仏(無量寿仏)
称名 南無阿弥陀仏
教え 阿弥陀仏を深く信じてひたすら南無阿弥陀仏と称えるだけで、 どんな罪深い人でも必ず救われて明るい毎日を送り、浄土に生まれることができる教えです
お経 お釈迦さまが説かれた無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の三部経をよりどころとします
本堂のご本尊に先ず合掌
知足寺の御詠歌
日にみたび さとに流るる 鐘の音は 足るを知れとの 弥陀のおん声
曽我兄弟の墓
本堂の左手にある石仏群の脇に「曽我兄弟の墓 順路→」の立て札があったので、 立ち寄っていくことにしました。 立て札に従って、本堂の左手に続く墓地の中の道や石段を進んでいきます。 少し登って細い竹が生える脇を過ぎて軽く降るようになると、 角が取れて丸まった墓石が道の脇に四つ並んでいました。 それらと向き合うようにして、文字を刻んだ石碑がありました。 謂れなどが刻まれていたようですが、かなり風化していてよく読めませんでした。 脇には「曽我兄弟の墓(伝)」と書かれた標柱も立っていました。
大応寺
知足寺から門柱まで引き返して左手へと進んでいきます。 真っ直ぐに200mほど進んでいくと葛川に出ます。 そこに架かる橋の手前を左折して、住宅地に続く道を更に進んでいきます。 左手へ分かれていく道を見送っていくと、梅花保育園の横に山門があります。 山門の柱には「曹洞宗(禅)大応寺・梅花保育園」の表札が掛かっています。 大応寺と梅花保育園は同じ敷地にあるようだったので、 お寺さんが経営している保育園なのだろうと思われます。 門のすぐ先に本堂がありましたが、 この時には施錠された鉄製の扉で閉ざされていて、境内の中へは入っていけませんでした。 参考までに二宮町郷土史で紹介されている内容の一部を載せておきます。 山門の手前の右側には、赤い頭巾と前掛けをした六地蔵が並んでいて、 六地蔵の謂れが刻まれた石碑もありました。
大応寺(二宮)
妙見山盛唇庵という。 曹洞宗、豆州加茂郡宮上村最勝院末。 開山は麟正(本寺五世、天文8年3月29日寂)が、天文7年正月に高遁斎道応(当時、小田原城主)が 当所内の蔵屋敷ならびに山林、田畑を寄付した。 そのため、この人の法号、大森道応居士冠踏の二字を取って大応寺と改めたものであるという。 …(中略)… 本尊は釈迦、元禄2年に万年佐左衛門宗頼の寄付したものである。 寺宝の古文書三通のうち一通は前に記した。 一通は永禄元年10月の北条氏政が発した伐木禁制の掟書、一通は北条氏政の書翰。 鐘楼には元禄3年銘の鐘がかけてあったが、戦時中、鉄回収のため現存しない。
 (出典:二宮町郷土史)
六地蔵さま縁起
人間には六つの心がかわるがわり起り苦しみ悩みます。 さらにこの世の行ないのむくいとして死んだ後に六つの世界に生れかわるといわれる。
地獄道 自らおかした悪のむくいとしておちいる者の世界
餓鬼道 むさぼりほっして満足することを知らない者の世界
畜生道 本能の命ずるとおりおこなう者の世界
修羅道 ねたみの心がさかんで常にとうそうしている者の世界
人間道 常に迷って苦しんでいる者の世界
天上道 お金もたくさんありひまもあると何かしたい気持ちがおこり不満がでてくる者の世界
六地蔵さまはいろいろの教えを聞き修養することにより、 苦しみや悩みをとり除き願いごとをかなえて下さると同時に、 死んでいった後の世までも慈悲の手をさしのべて下さると言われます。 合掌
中里登り口
大応寺を後にしてその先へと進んでいきます。 2分ほどして広めの車道に出て左手へ進んでいくと、道が左手へ分かれていきます。 右手には道標が立っていて、正面の道は「せせらぎ公園約1.5km」、 今来た道は「二宮駅約1.2km」となっていました。 左手にある電柱に巻きつけられた標識によると、左手に分かれていく道は「吾妻山公園」となっていました。 今回はここから左手の道に入って吾妻山公園へと向かっていきます。
Y字路
住宅地を道なりに進んでいくと、やがて少し登り気味になってきます。 畑地などを過ぎていくと直角に左手へと曲がっていきます。 坂道を更に登っていくと、道が二手に分かれているY字路があります。 角には道標や案内図があって、吾妻山公園の中里口は左手の道であることを指しています。 案内に従って左手の道を進んでいきます。
中里口
Y字路を過ぎていくと民家は終わって、浅い谷筋に畑が続くようになります。 緩やかな坂道を登っていくと、正面のこんもりとした森の所に門があります。 ここが吾妻山公園中里口になります。 脇には「吾妻山公園案内図」や「吾妻山公園利用のご案内」が設置されています。 舗装路はここで終わって、この先からは土の道になります。 右手のゲートを抜けていきます。
吾妻山公園案内図
現在地から展望台まで約15分
・許可車両以外の車および自転車、
 オートバイの通行はできません。
・自然を大切にしましょう。
・園内は禁煙です。
・ゴミは各自持ち帰りましょう。
・犬の散歩は必ず鎖でつないで。
・他の人の迷惑になるようなあそびはやめましょう。
 (二宮町公園緑地課)
吾妻山公園利用のご案内
開園時間
午前8時3分から午後5時まで
小動物園は午前9時から午後4時30分まで
利用者へのお願い
・自然を愛し、草や木を大切にしましょう。
・ゴミは各自持ち帰りましょう。
・犬の散歩をする時は、必ず鎖でつなぎましょう。
・芝生広場でのボール遊び、芝そり等はやめましょう。
・アスレチックや遊具は定員を守り大切に使いましょう。
・炭火、コンロ等の使用を禁止します。
・許可車両、緊急車両以外の車両(自転車、オートバイ含む)は進入できません。
・園内での営業厚意は禁止します。
※園内には売店はありません。
 (二宮町公園緑地課)
小動物園
中里口のゲートを過ぎて、雑木林に続く広くて緩やかな道を進んでいきます。 2分ほど進んでいくと東屋が建っています。 その奥から谷筋に続く散策路があったのですが廃止になったのか、 今では柵で封鎖されて通れなくなっています。 東屋を過ぎてその先へ進んでいくとコンクリート舗装された道になります。 吾妻山の頂上まで続くこの道は概ね土の道ですが、傾斜が急な部分については舗装されています。 1分ほど進んでいくと、道の右手に小動物園があります。 その手前から入口へと続く道が分かれていますが、今回は訪ねるのは省略して、 広い道をそのまま進んでいきます。
山も木も地球も泣きます森林火災
 (二宮町消防署)
釜野分岐
小動物園への道を見送って更に2分ほど進んでいくと、右手に戻るようにして土の道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、右手の道は「釜野トンネル10分」、 正面の道は「吾妻山頂上6分」、今登ってきた道は「旧県道12分」となっています。 今回は吾妻山を訪ねてからここまで引き返してきて右手の道を降っていくとのですが、 先ずは正面に続く広い道を吾妻山の頂上を目指して進んでいきます。
土の道になった坂道を進んでいくと、右手に横木の階段が分かれていきます。 広い道は左手から回り込むようにして続いています。 どちらの道を進んでいってもすぐ先で合流します。 この吾妻山公園の森は「かながわの美林50選」に選ばれているようで、 その旨の標柱が立っていたりもします。 緩やかになったりしながら続く広い道を登っていくと、ちょっとしたのような所に着きます。 正面の道を降っていくと吾妻山公園の管理事務所へ続いていますが、 道標「展望台」が示す右手の道を登っていきます。 参考までに管理事務所の脇にある解説板の内容を載せておきます。
吾妻山公園の沿革
戦前までこの吾妻山は、二宮町民の暮らしのよりどころであり、 食料や燃料を生産する場でありました。 戦後社会構造の変化にともない、就職の変遷や、豊かな生活になるにつれ、 日毎に住民とのかかわりが少なくなり、荒廃が進むのを憂えた町民をはじめ、 時の首長・町職員が、この自然の恵みを町の財産として末長く維持活用するために、 長寿の里湘南二宮にふさわしい高齢の方々の散歩道、草花の観賞の場、緑の保全をと、 昭和57年(1982)に着工、昭和62年(1987)5月1日、65名の地主さんのご理解のもと、 湘南二宮吾妻山公園として開園しました。
吾妻山 (標高136.2m)
道の左右にはツツジの木が並木を作っていて、その両側にはアスレチック器具が点々と設置されています。 ロープ製の吊橋の下を過ぎていくと左右に道が分かれる所に出ます。 その右手の道進んでいくと吾妻山の頂上に着きます。 二宮駅から1時間ほどで到着しました。
山頂は広い芝生広場になっていて日当たりがよく、ピクニックには最適な所です。 広場には「吾妻山公園の由来」と題した大きな石碑や「山頂136.2m」の標識もあります。 山頂の西側には菜の花が植えられていて、満開に近い状態の花が綺麗に咲いていました。
吾妻山公園の由来
相模路の淘綾の濱の真砂なす 児らは憂しく思はるるかも 萬葉集第十四 東歌
(さがむじの よろぎのはまの まなごなす こらはかなしく おもはるるかも)
万葉の昔から淘綾の里二宮の美しい海浜と、それを眼下に一望できる吾妻山は、人々のふるさとでありました。 しかし、第二次世界大戦後の激動する社会情勢の中で、山は顧みられることもなく、 次第に荒廃が進んでいきました。 町はこれを深く憂え、子孫に誇れる山として残したいと思い、 地権者65名の協力と5年の歳月をかけて整備し、昭和62年7月18日に吾妻山公園として開園しました。 現在では健康づくりと自然とふれあうやすらぎの場として人々に喜ばれています。 この公園は名誉町民第17代柳川賢二町長の尽力により完成しました。
 (顕彰会)
淘綾の濱とは、ゆるぎ・こゆるぎの浜ともいい、二宮を中心に国府津から大磯あたりまでの白砂青松の海浜をいいます。
吾妻山の山頂には「展望台」と呼ばれる円形状の石積みがあります。 北側には丹沢山系、西側には箱根連山、南西側には小田原から伊豆にかけての海、 南東側には相模湾から三浦半島などを見渡せる素晴らしい景色が広がっています。 この時には条件がよくて、冠雪した富士山が綺麗に見えていました。 すでに多くの人達が登ってきていて、菜の花や富士山の眺めを楽しんでいるようでした。 咲き誇る菜の花を前景に入れた富士山を写真に収めようというのか、 地面に這うようにして写している人達も大勢いました。
ここはみんなの広場です。 次のことを守りましょう。
・芝生内、犬の立入は御遠慮ください。
・ゴルフ等、他の人の迷惑になること並びに芝を滑ることはできません。
東屋
菜の花と富士山を堪能したら、「吾妻山菜の花ウォッチング散策ルート」に沿って、 一色地区の辺りまで散策することにしました。 先ほどの釜野分岐まで引き返して、道標「釜野トンネル」が指す山道を降っていきます。 横木の階段が続く道を降っていくと、正面に小動物園が現れます。 少し登って小動物園の裏手を過ぎていくと右手にこんもりとした高みがあって、そこに東屋が建っています。 どんな様子なのかと思って登ってみました。 周りにある雑木林に邪魔されて展望は今ひとつでしたが、眼下にある小動物園を見渡すことができました。 また、東屋の脇には「浅間大神」と刻まれた石碑と「磐長姫大神」と刻まれた石柱もありました。
山道分岐
東屋を後にして、雑木林に続く山道を降り気味に進んでいきます。 開けた感じの果樹園を回り込むようにして進んでいくと、 少し降り始めた途中から道が右手へと分かれていました。 先ほどの東屋から2分ほどの所になります。 釜野トンネルへは正面の横木の階段を降っていくのですが、 散策ルートの略図によると、その途中から右手へ曲がっていく道が分かれているようなのです。 ここがその分岐なのかどうかはよく分かりませんでしたが、今回は右手に分かれていく道を進んでいきました。
(結果的には散策ルート略図に載っている道とは違う道のようでした)
梅林
両側に笹竹の生い茂る道を降っていくと、先ほどの果樹園の下辺に出ました。 その先の雑木林の斜面を横切って降っていくと、開けた所の脇に出ました。 先の方には梅の木が沢山植えられていたので梅林になっているようでした。 左手に続く竹柵に沿って真っ直ぐに進んでいくと、細い道が左手へと分かれて降っていました。 その道を見送ったすぐ先で道が二手に分かれています。 切通しのような正面の道を見送って、 柵沿いに右手へと曲がりながら降っていくコンクリート舗装になった道を進んでいきます。
左手へ分かれて降っていく道は、一色地区まで散策してから戻ってきた時に登ってくる道になりました。 また、切通しのような道は送電線の鉄塔「西湘線56」へと続いています。 その先は急な降り坂になっていて、最終的には「中里登り口」の少し手前の民家の脇に降り立ちます。
Y字路
梅林の下辺に続く柵沿いの道を進んでいくと、道幅が次第に広くなってきます。 やがて降り傾斜が増してくると民家が現れます。 民家の間を降っていくと、何やら見覚えのあるY字路に出ました。 ここは吾妻山へと登っていった時に通った道標や案内図のある分岐なのでした。 手元の散策ルート略図によると、登っていく道とは合流することはないように描かれているので、 どうやら違う道を降ってきたと気がついたのでした。 しかし引き返していって道を探すのも面倒なので、当初予定していた向きとは逆回りになってしまいますが、 このまま進んでいくことにしました。
中里交差点
「中里登り口」まで引き返して左手へと曲がっていきます。 すぐに細めの坂道が左手に分かれていきますが、車道をそのまま進んでいくと、 葛川萬年橋が架かっています。脇には「萬年堰跡」の標柱が立っていて、 簡単な解説文も載っていました。 萬年橋を渡って少し進んでいくと、道が左手に分かれていきます。 角には「天社神」と刻まれた丸まった石碑がありました。 その分岐を見送って車道を先へ進んでいくと十字路があって、 そのすぐ先に東海道新幹線の高架が通っています。 十字路を直進して高架の下を過ぎていくと、県道71号中里交差点があります。 交差点を渡った所に道標が立っていて、 左手の道は「せせらぎ公園 県道北上約1.3km」、 右手の道は「生涯学習センター・ラディアン・二宮駅方面」となっています。 その袂には「軽便鉄道 中里停留所跡」の解説板が設置されていました。
萬年堰跡
今から約300年前、時の代官萬年氏はここに堰を作り、葛川の水をせき止め、 内輪・勝負前・倉田新田等に水を送りました。 この堰の特徴は、水田と堰の高低差が少ない上に通水の距離が長いことです。
 (二宮町教育委員会)
軽便鉄道 中里停留所跡
馬車鉄道・軽便鉄道・湘南軌道の沿革
通称「けいべん」は、明治39年(1906)に湘南馬車鉄道株式会社が 吾妻村(現在二宮町二宮)〜井ノ口村(現在中井町井ノ口)〜秦野町(現在秦野市本町3丁目)間の 道路9.6kmに幅2尺5寸(76.2cm)の軌道を敷設した馬車鉄道の運行が始まりとなっています。 馬車鉄道は、一頭の馬が小さな客車、または貨車を引くものでしたが、 大正2年(1913)には動力を馬から無煙炭燃料汽動車(蒸気機関)に代え、 社名も湘南軽便鉄道株式会社とし、運転を開始しました。 当時の沿線は、わら葺屋根の民家がほとんどで火の粉の飛散を防ぐため、 独自に開発したラッキョウ型の煙突を付けた機関車が、客車や貨車を牽引していました。 二宮駅からの乗客は、大山への参拝者が多く、シーズンになると駅は活気にあふれ、 貨物ホームには葉たばこ、落花生、雑穀、肥料などがうず高く積まれていました。 特に二宮特産の落花生は、全国に名が知られていました。 この付近には中里停留所があり、もう少し北側には退避線の施設が設けられていました。 二宮には、このほか、湘南軌道株式会社本社の上屋が、今も当時の面影をのこしている二宮駅と、 一色停留所がありました。 その後、軽便鉄道は、大正7年(1918)には湘南軌道株式会社へ軌道特許権が譲渡され、 大正10年(1921)に秦野自動車株式会社が秦野〜二宮間の営業を開始、 大正12年(1923)の関東大震災による軌道の損害、昭和2年(1927)の小田急開通などにより鉄道の経営が厳しくなり、 昭和8年(1933)に旅客運輸を、昭和10年(1935)には軌道全線の営業を休止し、 昭和12年(1937)に軌道運輸事業を廃止しました。 明治、大正、昭和の時代を走り抜けた「けいべん」の歴史は100年の時を経て、今も人々の胸の中に生き続けています。 私たちは今、この地点に立ち、当時、勇姿に走っていた「けいべん」に思いを馳せ、後世に歴史を継承します。
 (秦野市・中井町・二宮町 軽便鉄道歴史継承事業実行委員会)
明星神社
中里交差点を直進したすぐの所から右手へ分かれていく道へ入っていくと、 打越川に架かる堂の下橋があります。 橋の手前を左折して打越川沿いに進んでいきます。 やがて川から少し離れるようになると、左手に鳥居が立っています。 鳥居をくぐって短い石段を登っていくと、広い境内の奥の一段高い所に明星神社があります。 社殿の左手には「中里神輿蔵」があり、その中には大きめの神輿と小さめの神輿が格納されていました。 境内は「子どもの広場」にもなっているようで、ブランコや滑り台などの遊具が幾つか備え付けられていました。
祭神 天香々背男命(星の神)
慶長6年 岩間藤七祈願に依り再建す(徳川時代1601年)
寛永21年 地頭伏見勘七本殿を造営す(徳川時代1643年)
延宝3年 再修す(徳川時代1675年)
例祭日 7月23日
この御神体は、昔は打越の若宮にあったと伝えられている。 ある年の7月23日に洪水があり、その時白馬にまたがり弓を持った八幡様の御神体が流れてきたのを農家の人がみつけ、 何処へ祀ろうかと思案していたところ、天の一角に暁の明星がキラキラ輝いていたので、 その星の位置に向かってこれを祀ったと伝えられている。 その場所が現在地で、その時の「暁の明」に因んで、「明星神社」と名づけられた。
打越川緑道
明星神社から出てその先へと進んでいきます。 鳥居を出ると、すぐに右手を流れる打越川に宮ノ窪橋が架かっていますが、 その橋は見送って川沿いに進んでいきます。 すぐに道が二手に分かれていますが、正面の川沿いの道は民家へと続いているので、 左手へ登っていく坂道の方を進んでいきます。 その先には民家があって、左手の道も民家へ続いているように思えますが、 道はその前を過ぎていきます。 少し降るようになって道が少し膨らんた形のちょっとした駐車場を過ぎていくと、 小田原厚木道路の高架があります。 高架の下を過ぎて突き当たりを右折して打越川に架かるシドミ原橋を渡った所から、 打越川に沿って左手へと続く打越川緑道が始まります。
打越川沿いに続く緑道を進んでいきます。 沿道には花木が植えられていました。 この時には花の季節ではなかったのであまり咲いてはいませんでしたが、 時期を過ぎたツバキの花がまだ残っていました。 車道の下をふたつくぐっていくと車道に登る階段がありますが、そのまま緑道を進んでいきます。 道沿いに細い水路が続くようになった緑道を更に進んでいくと、 緩やかな斜面に広がる緑が丘中央公園に着きます。 吾妻山公園から50分ほどで到着しました。
園内の中ほどには池があって、その周囲にはネットクライム・ロックビレッジ・ヨット・日時計・パーゴラなどがあります。 公園の上の方にいくと案内図があるので参考にしましょう。 ここでベンチに腰を掛けてひと休みしていきました。
注意
・公共のしせつを壊さないように。
・花や木を傷つけないように。
・鳥や動物をつかまえないように。
・火を使用しないように。
・立入禁止区域や危険な場所に入らぬように。
・ごみをちらかさないように。
ひと息入れたところで、緑が丘中央公園からその先へと進んでいきます。 パーゴラの左手に架かるなぎさ橋を渡ってすぐに右折して、川沿いに進んでいきます。 真っ直ぐに200mほど進んでいくと車道に突き当たります。 右手には一色橋が架かっていますが、左折していきます。 緑が丘西バス停を過ぎたすぐ先から右手へと分かれていく道があります。 角に立つ電柱には葬儀会館への道を示す看板が立て掛けられていて、右手の道を差しています。 右手の道を進んでいくと軽く登るようになります。 左手に分かれていく道を見送っていくと、薄紫色をした葬儀会館があります。 左手の上には祠があって、中に石仏がふたつ納められていました。 その脇から左手へ続く道や、葬儀会館沿いに右手へ続く道が分かれていますが、正面に続く道を進んでいきます。
(左手の道は「台山」、 右手の道は「大磯鷹取山」を参照)
葬儀会館を過ぎて更に道なりに真っ直ぐ進んでいくと、 民家が少なくなってきて畑が続くようになってきます。 「赤帽」の貨車を過ぎていくと正面に谷筋が現れます。 道は谷筋の前を右手へ曲がっていきますが、その角から正面の谷筋へ道が分かれていきます。 また左手に戻るようにして続く細い山道もあって、角には「鉄砲田横穴墓群」の標柱が立っていて、 その道を指していました。 どんな所なのか興味はありましたが今回は訪ねるのは省略して、 軽く登り気味に続く正面の道を進んでいきました。
浅い谷筋に続く簡易舗装された道を緩やかに登っていきます。 正面に見えるこんもりとした森へ入っていくと道が二手に分かれていますが、 左手へと続く道を進んでいきます。 植林帯の森を進んでいくと土の道になった所も一部にありました。 坂道を登って少し降るようになると、竹林の脇を過ぎていきます。 竹林が終わって高台に出ると十字路があります。 角には円筒形の水溜めがありました。 左右にも道が続いていましたが、正面の道を進んでいきます。
後日に十字路の左手へ続く道を歩きました。(「台山」を参照)
浅間神社
程なくして降りの傾斜が増してくると、右手へ曲がっていく角に小さな祠がありました。 正面に回り込んでみると浅間神社というようでした。 祠の中には「奉鎮祭浅間神社木花之佐久夜毘売」と書かれた札が納められていました。 祠の脇には「木花開耶姫命 村中安全」と刻まれた丸まった石碑があって、 文字の上には富士山と思われる線も刻まれていました。
浅間神社
ここの祠内に書かれてある木花之佐久夜毘売命、及び石碑に書かれている木花開耶姫命は、 いずれも「このはなさくやひめのみこと」と読み、富士山浅間神社の祭神で、 御神体は八合目以上の富士山そのものです。 江戸時代、各地で富士山信仰が盛んになり、当地一色村でも富士詣でが盛んに行われたものと思われます。 その当時、地域の安全祈願と富士詣でのできない人々のために、富士山がよく見えること地に 信仰の厚い人達が建てたものと思われます。 祠については、いつ頃から建てられていたか明確ではありませんが、 この石碑に書かれている安政七年は1860年で江戸時代末期に当たります。
神明神社
浅間神社の正面に続く坂を降っていくと、すぐに神明神社の境内に降り立ちます。 緑が丘中央公園から25分ほどで到着しました。 社殿はそれほど大きくはありませんが境内は結構広く、脇には大きな神楽殿のような建物がありました。
神明神社
鎮座地 二宮町一色宮根千五拾八番地
御祭神 大日_貴命(おおひるめのみこと) (三文字目は「雨」冠の下に「四」と「女」を書きます)
例祭日 七月十六日
由緒沿革 一色は鎌倉時代(1192〜1333)盛んに武具の鋳造が行われていたと伝えられ、 神社の近くに「金クソ」と言う地名も現存する。 その工人達によって一色は開かれ、そして土地の鎮守として創祀されたのが神明神社であると言われている。 戦前は毎月1日・15日には、平和と氏子の健康、出征兵士の武運長久を祈る祈願祭が行われ、 住民や近郷からの参拝者も多かった。
社殿の正面の石段を降っていきます。 鳥居の立つ所で左右に道が分かれていますが、そのまま真っ直ぐに降っていきます。 正面の坂道を降って短い石段を降っていくと、右手には畑、左手には細い竹の生垣が続くようになります。 程なくして生垣が終わると、右手から正面へと続く住宅地の道路に出ます。 正面へ更に降っていくと、すぐに道が二手に分かれています。 右手へ続く道は一色バス停の近くに降りて行けますが、 今回の散策ルートはここを左手へと曲がっていきます。
緩やかな道を1分ほど進んでいくと、傾斜の増した坂道を右手へ曲がりながら降るようになります。 数匹の犬に吠え立てられながら坂道を降っていくと、神明神社から5分ほどで車道に降り立ちます。 右手の民家の前には「橘川果樹園」の看板や自動販売機がありました。 そこを右折して20mほどの所から左手へと分かれていく道があります。 角には「二宮町ふるさとの家」の標識があって、左手の道を指しています。 標識に従って左手の道へ入っていくと、すぐの所で葛川に橋が架かっています。 橋を渡っていくと、すぐ先で道が二手に分かれています。 先ほどの「ふるさとの家」へは正面の坂道を進んでいくのですが、 散策ルートは左手へ分かれていく道を進んでいきます。
南の上橋
民家の間を抜けて葛川沿いの高台に出ると、カーブミラーのあるT字路があります。 そこを右折して坂道を登っていくと県道71号の脇に出ます。 道はそこから右手へ曲がって緩やかな坂道を登っていきます。 車道に架かる南の上橋を渡って左手へ曲がっていきます。 丁度、「コの字」に車道を越えていく形になっています。
緩やかに降っていって登り坂になってくると、右手に戻るようにして登っていく坂道(*)が分かれていますが、 そのまま正面に登っていく道を進んでいきます。 大きな木が生える所を過ぎていくと、道端に建つ小屋を過ぎていきます。 畑が広がるようになった高台に続く道を進んでいくと、 南の上橋から7分ほどの所に、電話会社の電波施設「中里B.S.」があります。
*後日に右手の道を歩きました。(「台山」を参照)
ふるさとの家分岐
電波施設を過ぎて坂道を更に登っていくと、こんもりとした森の所で、道が大きく右へ曲がっていきます。 正面には道標が立っていて、右手に登っていく坂道は「ふるさとの家」、 今登ってきた道は「一色インター・せせらぎ公園」となっています。 神明神社から20分ほどで到着しました。
振り返ると、街並みの向こうに相模湾が見えていました。 ベンチも設置されているので、景色を眺めながらひと休みしていきました。
ふるさとの家分岐の角から左手の金網沿いに、細い土の道が分かれています。 散策ルートはその左手の道を進んでいきます。 すぐに左へ直角に曲がって、両側に金網柵が続く道を進んでいきます。 高台は果樹園になっていてミカンなどが栽培されているようでした。 ここは小田原市と二宮町の市町境の尾根になっています。 箱根の山々でしょうか、それとも伊豆の山々でしょうか、 右手の樹木越しには山並みが広がっていました。
程なくして金網柵は終わって、正面に電波塔を眺めながら果樹園の脇を真っ直ぐに進んでいきます。 最後に笹竹などの生い茂る所の抜けて坂道を降っていくと、舗装路に降り立ちます。 左手にはちょっとした駐車スペースがあって、舗装路は正面へと降っています。 手前には鎖がされていましたが、跨いで坂道を降っていきます。
二宮高区配水池
先ほどから見えていた電波塔を右手に見ながら、両側に鉄柵の続く坂道を降っていくと、広くなった道に出ます。 その右手には神奈川県企業庁水道局の二宮高区配水池がありますが、 正面に続く広くなった道を更に降っていきます。
二宮高区配水池
構造 鉄筋コンクリート造
大きさ 旧池 16.0m×16.0m×4.0m、 新池 32.0m×16.0m×4.0m
有効水深 4.0m
満水時水位 123.0m
容量 3,072立方m
この配水池は、寒川浄水場から送られてきた水を貯えて、 二宮町・小田原市の皆様に供給するために築造されたものです。 また、この配水池は、地震など災害が発生した場合に応急給水に必要な飲料水を確保する配水池に指定されています。
 (神奈川県企業庁水道局二宮営業所)
一色小学校
右へ分かれていく道を見送っていくと、小広くなった所に電話会社の無線設備があります。 そこを過ぎて更に降っていきます。 正面に二宮の街並みや相模湾を眺めながら降っていくと、百合が丘三丁目の道路に降り立ちます。 左手すぐの所から正面に続く道を更に進んでいきます。 2分ほど進んだ所のY字路を左手へ進んでいきます。 左下に百合が丘長畑公園を見ながら真っ直ぐに進んでいくとT字路に突き当たります。 左折して1分ほど進んだ所に四角いカーブミラーが立っています。 そこから右手へ分かれていく道を進んでいくと、すぐに急な階段を降るようになります。 階段を降り切ると、正面には一色小学校があります。
団地中央バス停
車道に降り立って左手へと進んでいきます。 大磯警察署一色駐在所を過ぎていくと、右手に広い駐車場があります。 奥には農産物直売スーパー「わくわく広場」があり、その前には団地中央バス停があります。 ふるさとの家分岐から25分ほどで降りて来られました。 二宮駅(JR東海道線)や秦野駅(小田急小田原線)へのバスの便が数多くありますが、 今回は二宮駅まで歩いていきました。
遊歩道
団地中央バス停を過ぎていくと、葛川に架かる清水橋があります。 橋を渡ってすぐ右手から葛川沿いに遊歩道が続いています。 桜の老大木が並木を作っていて、花の季節には綺麗に彩られそうな感じの所でした。 葛川に沿って遊歩道を進んでいきます。 所々にはベンチが設置されていたりもします。
葛川橋
小田原厚木道路の高架の下を過ぎていくと、「二宮町清水土地区画整理完成記念」と刻まれた石碑がありました。 石碑を過ぎて更に川沿いに続く遊歩道を進んでいくと、青い水路橋の所で遊歩道は終わりになります。 葛川に沿って更に道は続いています。 理髪店の右手から先へ進んでいくと車道に出ます。 右手には葛川橋が架かっていて、 左手には四ツ谷バス停があり、その奥には大型スーパーがありましたが、 車道を横切って、正面に続く葛川沿いの小径を更に進んでいきます。
細くなった土の道を進んでいくと、東海道新幹線の高架の手前に緑色をした歩行者用通路が架かっています。 そこを渡って左手へ曲がって高架の下を過ぎていくと車道に出ます。 その右手すぐの所から左手へと分かれていく道へ入っていきます。 住宅が建ち並ぶ道を進んで右手に浅い谷筋が現れると、右手へ分かれていく道があります。 標識などはありませんが、散策ルート略図に描かれている道のように思えたので、 ここから右手の道へと進んでいきました。
程なくして住宅はなくなって、浅い谷筋に畑地が続くようになります。 畑地に続く土の道を進んでいくと、ビニールハウスを過ぎた先で、右手の森に鳥居が立っていました。 散策ルート略図では右手へ曲がっていくように描かれているので、試しにその鳥居へ向かって行ってみました。 しかし、鳥居をくぐって石段を登った所に小振りの祠はありましたが、その先に続く道はありませんでした。 仕方がないので引き返してきて、谷筋を更に奥へと進んでいきました。 そろそろ谷筋も終わりになるという辺りまで来ると、道が左右に分かれていました。 どちらへ進んだもとかと考えてみてもよく分からないので、 今回は左手から回り込むようにして続く道を登っていきました。
梅林
登り始めて程なくすると左手に道が分かれていきますが、そのまま真っ直ぐに進んでいきます。 竹林を過ぎて山の斜面に続く細い道を登っていくと、畑地から3分ほどで竹柵の脇に続く道に出ました。 何やら見覚えのある所だと思っていると、最初に吾妻山公園から降ってきた時に歩いた道なのでした。 柵の先には梅林が広がり、右手には小動物園が見えています。 左手のすぐ先で、切通しのような道とコンクリート舗装された道に分かれている所になります。 散策ルート略図ではよく分かりませんが、右手に曲がっていくように描かれているので、 もしかしたら略図に描かれている通りの道なのかも知れません。 いずれにしても、元来た道を吾妻山の頂上の手前にある峠まで進んでいくことにしました。
常緑樹や笹竹の生い茂る道を登って果樹園の下辺を過ぎていくと、幅の広い横木の階段に出ます。 そこを左折して更に登っていきます。 果樹園の上辺を回りこんで東屋への階段を見送っていくと小動物園の裏手に出ます。 少し降ってから横木の階段を登っていくと釜野分岐の道標の立つ所に登り着きます。 そこからは広くなった道を峠へと進んでいきます。 に着いてその先へ降っていくと、すぐに広い土の道が左手に分かれています。 簡易舗装された道は右手に曲がり気味に管理事務所のある広場へと続いていますが、 今回は左手の道を進んでいきました。
浅間神社
広くて緩やかな道を進んでいくと、ちょっとした高台に浅間神社が建っています。 団地中央バス停から40分ほどで到着しました。 周りは樹木が生い茂っていますが、東側は花木園の上辺になっていて、散策路が降っていました。 社殿の裏手から正面へ回り込んで、その先に続く幅の広い横木の階段を降っていきます。 正面に相模湾を眺めながら横木の階段を降って鳥居をくぐっていくと、 管理事務所のところから続く散策路に降り立ちます。 脇には神社の由緒が記された解説板が設置されています。
浅間神社
祭神は木花咲耶媛、二宮町上町地区の祭神で、 土地の人には浅間さんとして親しまれ、本社は富士浅間神社です。 木花咲耶媛はその名のとおり、咲く花の匂うような美女で、良縁を得られたので 縁結びの神様として信仰されています。 今からおよそ八百年の昔、源頼朝が富士の巻狩りを催した時、 曽我兄弟は父の仇、工藤祐経を討取りました。 この時、二宮の花月尼はその成功を富士浅間神社に祈りました。 後、花月尼は大願成就に感謝の意をこめて自分の住いの前のこの山上に、 浅間神社をまつったと言います。
 (二宮町二宮・上町町内会)
左手の花木園に続く散策路を降っていきます。 園路にはツツジの木が沢山植えられていますが、この時には花の季節ではなかったので咲いてはいませんでした。 3分ほど降っていくと、道の左手の先に藤棚があります。 季節柄藤の花は咲いていませんでしたが、二宮の街並みを一望できるので、ちょっと立ち寄っていきました。
二宮(にのみや)駅
藤棚を後にして横木の階段を降っていくと、中央に手摺の設置された石段に変わってきます。 一旦緩やかになりますがその先で再び現れる石段を降っていきます。 急な石段を降っていくと、「吾妻山公園」と書かれた門があります。 その先の車道を降っていくと横断歩道があります。 そこを右折して二宮町公民館と二宮小学校の間にある狭い路地を進んでいくと、 最初の二宮駅(JR東海道線)に戻ってきます。 浅間神社から15分ほどで到着しました。