舞岡公園
散策:2007年12月下旬
【里山散歩】 舞岡公園
概 要 舞岡公園は横浜市の戸塚区から港南区にかけて広がる自然公園で、 舞岡ふるさと村や舞岡ふるさとの森とも隣接しています。 谷戸田を取り巻くようにして森や丘が続いていて、 小谷戸の里を中心として保存活動が続けられている里山です。 今回は谷戸から尾根筋に出て、明治学院大学方面へと進んでいきます。
起 点 横浜市 京急ニュータウンバス停
終 点 横浜市 明治学院大学南門バス停
ルート 京急ニュータウンバス停…舞岡公園詰所…けやき広場…こぶし広場…おおなばの丘…もみじ休憩所…五叉路…舞岡ふるさと村…薬師堂…さくらなみ池…宮田池…北門…きざはし池…やとひと情報館…小谷戸の里…旧金子家住宅主屋 …中丸の丘…尾根道…明治学院大学南門バス停
所要時間 1時間40分
歩いて... 戸塚駅へと向かうバスから外を眺めていると、以前は畑地や森だった所が切り開かれてしまい、 宅地や道路へと変わっていました。 公園の周りのすぐそこまで開発の波が押し寄せてきていますが、園内は辛うじて以前のままに残されていました。 今後も開発の波に飲み込まれることなく保存されていくことを願うばかりです。
関連メモ 舞岡ふるさと村, 舞岡ふるさとの森, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園,
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コース紹介
京急ニュータウン(けいきゅうにゅーたうん)バス停
戸塚駅(JR東海道線)の東口から、京急ニュータウン行きバスにて14分、1時間に4本程度の便があります。
東戸塚駅(JR横須賀線)、上永谷駅(横浜市営地下鉄)、港南台駅(JR根岸線)からも、 1時間に1本程度の便があります。
舞岡公園詰所
バスを降りて道路を先へ進んでいきます。 左へ別れていく道を見送って真っ直ぐに進んでいくと、すぐにT字路があります。 正面の道路向かいには「舞岡公園 小谷戸の里 約10分」の標識があって左手を指しています。 T字路を左折して、道路の右側にある「大型バス等臨時駐車場」を見ながら進んでいくと、 すぐに「舞岡公園」と書かれた大きな柱が立っています。 その先の左手に舞岡公園詰所があります。 傍には「舞岡公園周辺案内図」があるので参考にしましょう。
舞岡公園憲章
私たちは横浜市の原風景である谷戸を愛する市民です。 舞岡公園は、水や土、それに私たち人間をはじめとする生きとし生けるものの調和によって 成り立ってきた谷戸の景観をとどめています。 この緑あふれる谷と丘を良好に維持保全し、ながく後世に引き継ぐことを目的として ここに憲章を定めます。
・私たちは、舞岡講演で自然とふれ合い、様々な生き物たちと共にあることを大切にします。
・私たちは、谷戸で受け継がれてきた文化や農体験を大切にします。
・私たちは、舞岡公園を市民の手づくりによる市民のための公園にします。
舞岡公園には散策コースがいっぱい!
いつかどこかで見たなつかしい風景が目の前に広がっています。 田んぼや雑木林がそのまま残された舞岡の谷戸にふれてみませんか? 春は木々の芽吹きにカエルの声、夏の青々とした稲、秋には黄金色の稲穂と刈り入れの賑わい、 そして動植物たちが眠っている冬の静けさに出会えます。
田園体験区域】 公園内には、市民による水田耕作・雑木林の維持作業・畑づくりなどが行なわれている区域があります。 年間を通して水田耕作を中心に、雑木林・畑の作業やイベント活動を行っています。
保護区域】 ここは、小動物の大切な「すみか」になっています。 動物たちの生活を守るため、立ち入り禁止となっています。
小谷戸の里】 公園内の「小谷戸の里」へどうぞお立寄りください。 移築された古民家を中心に田園体験区域でも水田耕作や雑木林の維持、畑耕作、自然観察会、 「谷戸学校」の開校から古民家の運営など、様々な活動を行う「管理運営委員会」の事務局があります。 「舞の里だより」などの情報誌もこちらで配布しています。
けやき広場
右手へ分かれていく横木の階段を見送って真っ直ぐに進んでいくと、すぐにけやき広場があります。 草野球が出来そうなほどの広さがあります。 この時には家族連れがキャッチボールをしていました。 猫に関する貼り紙もありました。 時間帯によるのかも知れませんが、 何度となく来ている舞岡公園ですが、この公園で猫に出会ったことはほとんどありません。
公園で猫の世話をされている方へ
公園はみんなが使用する公共の場所です。 誰もが快適に過ごせるよう、いろいろな配慮が必要です。
1 無責任なえさやりは迷惑です。絶対にやめてください。
2 猫の家やダンボールなどは設置しないでください。
3 今世話をしている猫をこれ以上増やさないために、必ず不妊去勢手術をしましょう。
 (中部公園緑地事務所、戸塚福祉保健センター生活衛生課)
こぶし広場
けやき広場の左手の方にはこぶし広場があります。 少し窪んだ遊水池になっていて、周りを散策路が巡っています。 ここでも親子連れがキャッチボールをしていました。 臨時の駐車場としても利用しているのでしょうか、 自動車が降りていけるだけの幅のある坂道が付けられていたりもします。
舞岡公園遊水池
この広場は遊水池になっており、大雨のとき雨水を一時貯水して下流へ少しずつ流し、 河川の氾濫を防ぐ大切な役目をします。
貯水量510.0立方m 水深0.30m 貯水面積1678.0u
 (横浜市緑政局、中部公園緑地事務所)
おおなばの丘
けやき広場へ引き返して左手に架かるおおなば橋を渡っていくと、 こんもりとした丘になったおおなばの丘があります。 中ほどには東屋もあって、周囲には桜の木が沢山植えられています。 花の季節には丘全体が淡い桜色に染まる所でもあります。 舞岡公園のほとんどは横浜市戸塚区に属していますが、 これまで訪ねた公園詰所・けやき広場・こぶし広場・おおなばの丘がある区域は横浜市港南区に属しています。
おおなばの丘からコンクリート製の階段を降っていくと、三叉路になった道路に降り立ちます。 脇には「小谷戸の里・瓜久保 古民家約600m」と書かれた標識が立っていて左手の道を指しています。 左手のすぐ先から南門を経て田んぼや小谷戸の里のある谷戸へと続いていますが、 今回は道路向かいに設置された「舞岡公園案内図」の横から続く道へと入っていきます。
もみじ休憩所
ばらのまる橋を渡ってくる道を右手から合わせてその先へ進んでいくと、 東屋のある小広くなったもみじ休憩所に着きます。 東屋の左手から続く尾根道を緩やかに降っていくとばらの丸の丘へと続いていますが、 今回はもみじ休憩所の手前から右手(北側)へと続く道を進んでいきます。
五叉路
右手には熊笹などが生い茂り、左手には擬似木の手摺が続く階段を降っていくと、 五叉路になった分岐があります。 脇に立つ道標によると、右手の道は「バス停0.2km・駐車場」となっています。 それ以外の道は何も示されてはいませんが、 右手の道は舞岡公園詰所の手前にあった臨時駐車場から分かれてくる道、 左手に降っていく道はさくらなみ池へと続く道、 左手から降って合流してくる道はもみじ休憩所の先から来る道、 正面の道は畑地へと降っていく道になります。 今回は保護区域になっている左手の谷筋に沿って続く道を降っていくのですが、 その前に、まだ歩いたことのない正面の尾根道の行く末を確かめようと、正面へ進んでいきました。
火気厳禁
森は生き物たちのすみかです。
 (戸塚消防署、南部公園緑地事務所)
舞岡ふるさと村
五叉路から正面に続く尾根道を進んでいきます。 左手にある作業場のような所を過ぎていくと森の中へと入っていきます。 森の中を少し進んでいくと急な降り坂になってきます。 右手には生垣などが続いていてその先は畑になっています。 坂道を更に降っていくと民家の前に降り立ちました。 右上にある竹林を見ながら緩やかになった道を進んでいきます。 脇には農家が営む直売所があって、喫茶店にもなっているようでした。 右手には畑が、左手には民家がある道を進んでいくと、舗装道路に出ました。 この道は坂下口バス停から舞岡公園詰所方面へ続いている道になります。 正面にあるこんもりとした高みは薬師堂のある森になります。 この辺りは舞岡公園に隣接する舞岡ふるさと村になっていて、 角には小振りの「舞岡ふるさと村総合案内板」がありました。 舞岡ふるさと村は、この辺りから地下鉄舞岡駅の先の辺りまで続いていて、 その中ほどには総合案内所になっている「虹の家」があります。
薬師堂
舗装道路に出て左手10mほどの所から分かれていく階段があります。 脇には手製の道標「薬師堂入口」が立っていてその階段を指しています。 道標に従ってその階段を登っていくと道が二手に分かれていますが、 左手の方の石仏が並んだ道の奥に薬師堂があります。 「東光寺薬師堂」と書かれた大きな扁額の架かる小振りのお堂には、 小さな箱に収められた仏像が沢山安置されていました。
薬師堂は、元は東光寺の一部分としてありました。 東光寺には住職がいなくなってしまったため、この薬師堂を建て薬師様をあんちしました。 この薬師堂では、毎年10月12日1時ごろから薬師様が入っている箱のとびらが開きます。 この薬師様は、目のわるい人がおがむとよいといいといわれているそうです。
 (南舞岡小学校6年)
先ほどの五叉路まで引き返してきて、谷筋に続く道を降っていきます。 間隔の広い横木の階段が続いていて歩きやすくなっていました。 木製の手摺が設置された横木の階段を降っていきます。 手摺の左手の谷筋は保護区域になって立入禁止になっています。 公園詰所にあった案内図によると、左手の谷筋は宮田保護区というようです。 横木の階段は程なくして終わって、緩やかな道になってきます。
生物保護のため、立入り、動・植物の採取を禁止します
 (横浜市)
やがて笹竹が道の両側に生い茂るようになります。 道の上にまで覆い被さるような所もありますが、道ははっきりとして歩きやすくなっていました。 右手の山際に小屋のような物がある所を過ぎていくと明るい雑木林のようになりますが、 その先で再び笹竹が生い茂る道になってきます。
さくらなみ池
笹竹の背が低くなって雑木林のようになってくると、さくらなみ池の前に出ます。 ここで道が左右に分かれています。 右手の道を進んでいくと、舞岡ふるさと村を経て地下鉄舞岡駅へと続いていますが、 今回は左手の道から小谷戸の里へと向かっていきました。 ここにも「舞岡公園案内図」が設置されているので参考にしましょう。 この舞岡公園では要所に案内図が設置されていて、分かりやすくなっています。
宮田池
さくらなみ池の反対側に宮田池があります。 池面には冬枯れた葦が沢山生えていました。
小魚などを採らないで下さい。 つりはやめましょう。
さくらなみ池や宮田池を後にしてその先へ進んでいきます。 ばらの丸の丘へ登っていく道を見送って、その先の葦原に渡された板道を進んでいきます。
脇の田んぼでは枯れ木などの整理作業が行われていました。 来年の農作業の下準備が着々と進められているようでした。
北門
板道から上がると、舞岡公園の谷戸に続く広い道に出ます。 角には道標が立っていて、右手の道は「舞岡駅1.8km」、左手の道は「小谷戸の里」、 今渡ってきた板道は「ばらの丸の丘」となっています。 道標に従って左手へと進んでいくと、すぐに中丸の丘への道が右手へ分かれて登っていきます。 その道を見送ってすぐの所にある北門を過ぎていきます。
お知らせ
ここより先は野生動植物の保護及び自然環境を維持して行くため、 犬(補助犬を除く)等を連れての立入りはできませんので、ご協力をお願い致します。 また前記の保護及び維持のため、公園門の開閉を下記の時間で行います。
公園門(東・南・北)内の利用時間
夏期間(4月〜10月)… 8:30〜19:00
冬期間(11月〜3月)… 8:30〜17:00
 (横浜市環境創造局南部公園緑地事務所、舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会)
愛犬家のみなさんへ
舞岡の谷戸はやしは市民に残された数少ない野生動物たちの貴重な生息地の一つです。 このため、これより先へは愛犬と一緒には入場できません。 タヌキ・ノウサギ・キジなど、ふるさとの動物たちが安心して暮らすための環境作りにご協力下さい。 家族一員の愛犬に社会のルールを教え守らせることも飼い主の責任の一つです。
きざはし池
北門を過ぎてすぐの所にあるきざはし池の道脇には、 超望遠レンズを付けた一眼レフカメラやデジスコを三脚に乗せた人達がずらりと並んでいました。 バードウォッチングをしていたようで、池の奥の林にいる小鳥を見つけてはシャッターを押していました。
やとひと情報館
きざはし池のすぐ先にやとひと情報館があります。 舞岡公園の一年の移り変わりや作業などが紹介されています。 また1993年から毎年恒例になっている「案山子祭り」の優賞作品の写真が展示されていました。
やとひと情報館
「雑木林」や「里山」と言った言葉が最近流行っている。 農的な営みの中で成立してきた人の手の入った自然−雑木林−は、 その分だけ「親しみ」や「懐かしさ」を感じることが出来る等、 雑木林の魅力については様々な方面で論陣が張られ讃歌されている。 ここ舞岡公園での雑木林の価値も、田んぼの水の水源として、 生き物の生活の場として、その他いろんな必要性・魅力があげられるのは言うまでもない。 しかし、あえて一言で言うなら「それがあることで、自分が、地域が、世の中が元気になる」存在なのである。 例えば、1年間の雑木林活動を示した図「雑木林の曼荼羅」を見れば、 この公園での市民の元気さが伝わってくるはず。 今、夢でも幻でもなく現実のものとして見事な曼荼羅が広がっているこの雑木林に、 市民が始めて鎌をいれたのはいつのころか。 改めて雑木林の持つ「関わり続けていく面白さ」を感じないわけにはいかない。
さあ、胸を張って謂おう! 「雑木林はわたしたちのまちの恋人!!
谷戸ってな〜に?
横浜市やその近辺には、小さな丘に囲まれた小さな谷がたくさんあり、 この谷を谷戸と呼びます。そこでは、雑木林に育まれた湧水が小川となり、 人々は田んぼや畑をつくって、ホタルやトンボ、タヌキやノウサギなど、 生き物たちと共にくらしていました。 都市化の前の横浜ではあちこちで見られた原風景です。
舞岡公園は谷戸の公園
この自然と農文化の息づく風景を残したいと願う市民が、 横浜市緑政局とともに試行錯誤を重ね、谷戸を中心にした公園が生まれました。 現在、市民団体「やとひと未来(舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会)」が 市からの委託を受け、市民の手で公園の田圃体験区域を運営しています。
あなたもいっしょに…
田んぼ、畑、雑木林、古民家、広報などなど、赤ちゃんからお年寄りまで、 好きなこと、得意なことで力を出しあい、楽しみながらこの公園をささえています。 詳しくは、小谷戸の里 事務局へ、ぜひいちどお立ち寄りください。
やとひと情報館の隣にある水車小屋の先に続く谷戸には田んぼが広がっています。 田植えの時期には青々とした苗が風になびき、収穫の時期には黄金色の稲穂が頭を垂れる所ですが、 この時は冬枯れの季節だったので、殺風景な眺めになっていました。
小谷戸の里
小谷戸池を過ぎていくと、右手へ道が分かれていきます。 脇にあるウサギやフクロウの石碑を見ながら右手へ進んでいくと、 「小谷戸の里」の表札の掛かる門があります。
"小谷戸の里"休館日
毎月第3月曜日(祝日の場合はその翌日)
開館時間 : 午前9時〜午後5時
年末年始の休み : 12月29日〜1月3日
 (舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会)
「舞岡公園へようこそ」
ここ舞岡公園は、市内でも残り少なくなった昔ながらの田園風景が残され、 横浜の特徴的な景観である谷戸の地形をいかした公園です。 田んぼや畑、雑木林などの農的自然を四季折々に育み続け、 そこに息づく生きものたちへの心配りも大切にし、 さまざまな生きものが織りなす豊かな自然の営みが末永く続くことを願って開設されました。 ここで多くの市民の汗と創意が何よりも重んじられています。 横浜市環境創造局と市民団体が、1993年6月の開園までの約10年間、 他にほとんど例のない公園の維持と運営に向けて少しずつ試行錯誤を重ね、 その成果が実りさまざまな工夫と知恵が活かされて現在にいたっています。 公園内の「田園体験区域」では、田や畑の農作業、雑木林の維持作業、自然観察会、炭焼き、わら細工、 季節の行事などが行われています。 ここの管理運営を行っているのが「舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会」です。 指定管理者としてさまざまな事業を行っており、作業参加のボランティアの方々や、 散策の市民の歓声や笑い声がいつも絶えない日常です。 茅葺き屋根の古民家では、竃の煙が立ち上り、敷居を一歩またぐとそこにはもう明治・大正時代にタイムスリプ! 囲炉裏や太い大黒柱がピカピカに黒光りしている佇まいは、そこにいるだけで身体全体が「ほっ!」とします。 ボランティアとして会の活動を支えている登録者は約400口。登録内容も多種多様。 登録関連諸経費として年間2000円と3000円のどちらかを選択し、登録時に支払います。 他に主に資金面で協力してくださる登録もあります。 内容は、田んぼ・雑木林・畑・古民家・農芸・会報編集・生物環境・谷戸学校・こども谷戸教室・親子自然教室などがあります。 谷戸学校は、会の運営を担うスタッフ(指導員)の養成を目的にした1年間の講座で、座学と実習があります。 作業を共にして一緒に流す汗は、それだけで心をなごませ会話が弾みます。 老若男女どなたでも参加できます。 お気軽に声をかけてください。
小谷戸屋
小谷戸の里の門から中へ入っていくと、 舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会事務所の前に小谷戸屋があって、 ボランティアの方々が作られた品物が売られています。 この時には、米ぬか・草木灰・もみ殻・竹炭・竹トンボ・わら馬・ポックリ・草鞋などが販売されていました。 季節柄、藁で作ったミニ門松も売られていました。 千両や水引きを飾って自分でアレンジするのだそうです。 また、舞岡公園開園15周年記念の手ぬぐいも販売されていました。 古民家・鳥類・昆虫類・魚類・稲・狸・蛙・草花などの絵があしらわれた図柄になっていました。
小谷戸屋はこんな店
私達は、横浜の原風景である谷戸を愛し、いつまでもこの姿を残し育んでいきたいと考えておりますが、 現実の自然環境保全の活動は大変です。 当店では、ボランティアの方々の苦心作を取り扱っておりますので、 皆様のカンパによるご利用が頂ければ幸いです。 ご厚志は、全額当公園の維持運営の一助とさせて頂きますのでよろしくお願い申し上げます。
−お知らせ−
小谷戸屋の品は、ボランティアが作製しております。 また、公園内の産物は園内の行事や整備等に使うことを基本としており、 余った物を小谷戸屋の品の材料としています。 そのため、ご好評の品がいつも揃えられるとは限りませんので、どうぞご了承ください。
小谷戸屋の品物(竹細工・ワラ細工・竹炭焼き・などなど)を作るボランティア募集中
継続的に作る意思のある方なら、初心者でもお教えします。 詳しくは事務所まで。
旧金子家住宅主屋
小谷戸屋を過ぎて奥へ進んでいくと、古民家「旧金子家住宅主屋」があります。 この春に葺き替えられて真新しい淡い色をしていた茅葺き屋根も、この時にはすっかり落ち着いた色になっていました。
古民家 懐かしい明治後期の古民家「旧金子家住宅主屋」
明治後期に建築されたと思われる旧金子家住宅主屋は、戸塚区品濃町にあったものを平成7年6月に 納屋なども含めて舞岡公園小谷戸の里に移築し、復元したものです。 建築様式は、木造平屋建て、寄棟茅葺屋根で、平成7年度に横浜市認定歴史的建造物に指定されました。 間取りは整形四間取りと呼ばれ、8畳の部屋を4室、田の字に並べたもので、 間仕切りにはすべて戸・障子が用いられて開放的になっています。 こうした間取りは、江戸時代末期から明治初期にかけて座敷で蚕の飼育をしたために、 間取りの壁を取り払った結果できたものと考えられています。
人生は七十才より
七十才にてお迎えあるときは 今留守と言へ
八十才にてお迎えあるときは まだまだ早いと言へ
九十才にてお迎えあるときは そう急がずともよいと言へ
百才にてお迎えあるときは 時機を見てこちらからボツボツ行くと言へ
主屋へ入っていくと、板の間の囲炉裏の上には天井から自在鉤が下がり、鉄瓶が掛けられていました。 土間にはカマドやミノなどがあって、その昔の生活の一端を偲ぶことが出来ます。 壁には、舞岡公園開園10周年を記念して、2002年9月に古民家で行われた結婚式の写真が掲げられていました。 白い角隠しをした和服姿の花嫁行列の写真でした。
カマドとスギ葉
私の実家にもカマドがありました。 土台の上にカマドが二つ並んだ形をしていました。 カマドに鍔のついた大きな鍋を乗せてご飯を炊いたものです。 焚き付けはスギの葉を使っていました。 すぐ近くの山に行くと幾らでもスギの枯れ葉が落ちていました。 そんな葉を拾ってきて、1m立方ほどの大きさの置き場に溜め込んでいました。 最初は徳用マッチで火を付けた新聞紙をスギの葉と一緒に入れて燃やしました。 それから割木を少しずつ入れていって段々と火を大きくしていきました。 いきなり太い割木を入れると火が消えてしまうので、 空気の通り道を確保しながら入れていくのには少々コツが必要でした。 割木の燃え残りは「消し炭」として、後で利用しました。 炭焼きで作った本格的な炭と比べると火力などは劣りますが、利用価値は結構あったように思います。 その昔には自然の恵みを上手く利用した無駄の少ない暮らしがあったように思います。
ミニミニ博物館
古民家の一角にミニミニ博物館があります。 この辺りに生息している鳥や小動物や昆虫などが展示されていました。 また金子家の所蔵品の日記や高等小学読本や高等小学国史などもありました。 高等小学読本をちょっとめくってみると、難しい漢字が並んでいました。 よくは知らないのですが、「高等小学校」というのは現在の中学校に相当するのでしょうか。 「巻三」とあったので、今の中学三年生の国語の教科書に相当するということでしょうか、 かなり難しい読本のようでした。 参考までに、その最初の部分を載せておきます。 東京から汽車に乗って京都まで旅をする情景などを記した内容のようでした。 高等小学国史の最初のページには天照大神から今上天皇へと続く系譜が載っていました。
第一課 春晴千里
春晴千里、山又山、水又水。 近き水は澄みて山の緑を浮かべ、遠き山は霞みて水に藍を流す。 東京を発せし我が汽車は、此の間に一線を引きて、今や東海道を下りつゝあり。 海に面して窓に倚る客、筆と紙とを手にして寫し出せるは、歌か、詩か、そもそも繪か。 七砲臺(品川菖砲臺)邊波穏やかにして、高く低く群れぶ鴎、落花の風にひるがへるに似たり。 帆を半ば張りて出で行く舟あり、櫓を繰りて横ぎる舟あり。 房總二州の山は霞に消えて探れども見えず。 松き處、色どり添ふるに桃の紅なるを以てす。 自然は是等の美を贈りて旅客を慰め、詩人は其の美を詠じて春に謝せんとす。 藤澤の野、山北の谷、人々唯美しと叫ぶ。 三保の磯に砕けて折れかへる波、波路の末に浮立つ雲、何ものか造化の妙筆に濡れん。 近き舟は行けども、遠き帆影は動かんともせず。 遠くかすかに横たはれるは伊豆なるべし。 富士は水彩もてゑがかれたるが如く、窓の右に立ち、又左に現る。 平原十里、麥は緑に、菜の花は黄なり。 熱田の社を左に見て春風に吹かれ行けば、名古屋の城はまがはぬ影を見せ初めたり。 彦根去り、草津来り、瀬田川を渡れば、京都も早近くなりぬ。 朝日将軍の遺蹟は何れの處ぞ。 霞に包まるゝ遠近の山影、或は淡く或は濃く、鳰の浦風波に眠りて、粟津の松原濁り昔に似たり。
古民家の前には藁で作った寒さ避けの囲いがありました。 雪国だった私の故郷ではよく見かけたもので、懐かしくなってしばらく眺めていました。
雪囲い
冬になると、庭木や花木などに、藁を編んで作った雪囲いをしていました。 雪が降るまでに雪囲いをしておかないと、1m以上も積もる雪のために枝や茎などが折れてしまいます。 藁で編んだ菰で囲って竹を立てて支柱してしっかりと固定していました。 農家では自分の家で作りますが、街中の家では買ってきたもので囲っていたようでした。 植物たちはその中で雪解けの春が来るまで静かに時を過ごしたのでしょう。
中丸の丘
小谷戸の里から北門まで引き返していきます。 北門を出ると、すぐに左手へ登っていく幅の広い横木の階段があります。 雑木林に続くその階段をひと登りしていくと、小広くなった中丸の丘に着きます。 振り返ると、田んぼが続く谷戸を見下ろせる景色が広がっています。 以前には菜の花が一面に咲く丘だったのですが、松原越休憩所への道が出来たりして整備が進んでからは、 まったく見かけなくなりました。
中丸の丘からは道が三方に分かれています。 丘の中ほどから右手へ降っていく道は松原越休憩所への道、 丘の奥から右手へ降っていく道は狐久保への道ですが、 今回は丘の奥から真っ直ぐに続く道を尾根へと向かっていきました。
尾根道
「至 狐久保」の道標の立つ分岐を見送って緩やかな道を進んでいきます。 斜面から尾根筋へと変わっていく道は広くてしっかりとして歩きやすくなっています。 やがて少し登り坂になってくる道を進んでいくと、左右に通る広い尾根道に出ます。 角には「舞岡公園」の標柱が立っていて、正面にある明治学院大学の敷地とは鉄柵で仕切られています。 この尾根道は舞岡公園の外周に続いている道で、 地下鉄舞岡駅の少し西側から明治学院大学まで続いています。 北の部分は「舞岡ふるさとの森」にもなっています。 今回は明治学院大学方面を目指して、左手へと進んでいきました。
広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。 開発の波に押されながらも、尾根にはまだ自然が残されていました。 崖崩れでもあったのか、道の片側が少し崩壊していて、青いシートが掛けられている所もありました。 送電線の鉄塔「吉田線23」を過ぎていくと、正面に明治学院大学の校舎が見えてきます。 幅の広い階段を降っていくと広い車道に降り立ちます。
明治学院大学南門(めいじがくいんだいがくみなみもん)バス停
車道を左手へと進んでいくと道が二手に分かれていますが、正面の道はまだ工事中で封鎖されています。 緩やかな登り坂になった車道を右手へと進んで明治学院大学の校門を過ぎていくと、 左手に明治学院大学南門バス停があります。
戸塚駅(JR東海道線)まで、戸塚駅行きバスにて12分、週末には1時間に4本程度の便があります。