台峯緑地
散策:2007年11月下旬
【低山ハイク】 台峯緑地
概 要 台峯緑地は北鎌倉の西側にある標高90mほどの尾根筋と浅い谷戸で形成された緑地です。 湿地のようになった谷戸の奥には溜め池もあって、近年まで水田が作られていたような雰囲気も残っています。 今回は尾根筋の途中にある北鎌倉女子学園グランドから源氏山公園へと続くルートを歩きます。
起 点 鎌倉市 北鎌倉駅
終 点 鎌倉市 鎌倉駅
ルート 北鎌倉駅…十王堂橋…北鎌倉女子学園前交差点…北鎌倉女子学園入口…山道分岐…北鎌倉女子学園グランド…山道入口…谷戸ノ池分岐…山道出口…山ノ内配水池…源氏山公園…葛原岡神社…日野俊基墓…広場…十字路…化粧坂分岐…源頼朝像…かがやきの森…寿福寺分岐…正宗稲荷…巽神社…ホテルニューカマクラ…鎌倉駅
所要時間 2時間50分
歩いて... 台峯緑地に続く尾根道は山崎小学校の辺りから続いています。 今回はその途中から歩きましたが、全体を通して歩くのもいいかも知れません。 今回歩いた山道の部分は10分ほどの短いコースですが、 街の近くにありながら山歩きの雰囲気が味わえる歩きやすい道が続いていました。
関連メモ 六国見山, 化粧坂, 台峯緑地, 鎌倉回峰, 源氏山公園, 台峯緑地, 鎌倉中央公園, 常磐山緑地, 大仏切通
コース紹介
北鎌倉(きたかまくら)駅
北鎌倉駅(JR横須賀線)から歩いていきます。
改札口を出た先にある北鎌倉駅前交差点を右折して、県道21号を進んでいきます。
十王堂橋
コンビニを過ぎていくと、少し左手へ曲がっていく辺りに十王堂橋があります。 「鎌倉十橋」のひとつなのだそうですが、今では道路の一部のようになっていて「橋」という雰囲気はほとんどありません。 鎌倉十橋のひとつに数えられた往時にはもっと立派な姿をしていたのでしょうか。 橋の左側に欄干が残っていて「十王堂橋」と刻まれていましたが、 右側の欄干はなくなっていて、うっかりしていると通り過ぎてしまいそうになります。
鎌倉十橋とは…
鎌倉十橋とは昔から鎌倉に伝わる「鎌倉の名数」のひとつです。 新編鎌倉志では、 琵琶橋・筋違橋・歌の橋・勝の橋・裁許橋・針磨橋・夷堂橋・逆川橋・乱橋・十王堂橋として紹介されているようで、 この十王堂橋もその内のひとつになっています。
北鎌倉女子学園前交差点
十王堂橋を過ぎて県道21号を進んでいくと、北鎌倉駅から300mほどの所に北鎌倉女子学園前交差点があります。 角の塀には「北鎌倉女子学園 入口」の看板が立っています。 ここを左折して北鎌倉女子学園方向へ進んでいきます。
北鎌倉女子学園入口
すぐの所に小袋谷川に架かる藤源治橋を渡っていきます。 橋を渡っていくとコンクリート舗装された登り坂になります。 かなり傾斜のある坂道になっていて、脹脛が痛くなってきたりもします。 十字路を直進しその先のY字路を左手へ道なりに登っていくと、右手へ道が分かれていきます。 正面の道路をそのまま進んでいくと北鎌倉女子学園になりますが、 今回はここを右折して、北鎌倉女子学園の敷地を右手から回り込むようにして進んでいきます。
緩やかになった道を進んでいきます。 道なりに左手へ曲がっていくと再び傾斜が増してきます。 北鎌倉女子学園の外側に沿うようにして坂道を登っていくと、大きな松の木の先に裏門があります。 そこから右手へ続く道を進んでいくと、すぐに道が二手に分かれています。 道標類はありませんが、そこを左折して更に登っていきます。 「この道路は行き止まり 通り抜けできません」 の看板が立っていたりもしますが、自動車に対する看板のように思われ、歩く分には特に支障はありません。 かなり傾斜がある道を登っていくと北鎌倉女子学園から離れていきます。 竹林の脇を過ぎていくと住宅地になってきます。 左右への分岐を見送って上へと登っていって民家が途切れると、生垣を過ぎた先に車止めの柱が立っています。 脇には「この道路は無余地のため駐車禁止」の看板が立っています。 舗装路はここで終わって、この先からは土の道になります。
山道分岐
左手に木製の手摺が続く広くて緩やかな道を進んでいきます。 急な坂道を登ってきたのでホッとした気持ちになったりもします。 2分半ほど進んでいくと、細い山道が右手へ分かれていきます。 右手の山道はさくら青少年広場山崎小学校の間から台峯緑地に続く尾根道になりますが、 今回はこのまま正面に続く広い道を進んでいきます。
台峯緑地
この辺りの丘陵地と西側の谷戸を含めた一帯が「台峯緑地」と呼ばれているようです。
(「台峯緑地」を参照)
北鎌倉女子学園グランド
右手の山道を見送っていくと、すぐに正面の下に北鎌倉女子学園グランドが広がっています。 北鎌倉駅から22分ほどで到着しました。 グランドにはテニス場やハンドボール場などがあるようでしたが、この時には誰も利用していませんでした。 グランドの奥の樹木越しには藤沢の街並みが広がっていました。 条件がいいと、丹沢や箱根の山並みの奥に富士山も見えるのでしょうか。 広い道はグランドの上に沿って左手へと続いています。
関係者以外のグランドへの進入を厳禁する。
 (北鎌倉女子学園)
山道入口
右手に戻るようにしてグランドへ降っていく道を見送っていくと植林帯が現れます。 植林帯に沿って真っ直ぐに進んでいくと、すぐに森へ突き当たります。 ここで道が左右に分かれています。 右手の道はグランドへ降っていきますが、森の中へと続く左手の道を進んでいきます。 広い道はここで終わって、これからは普通の山道になります。
日当りが悪いのか沿道にはシダ植物が生い茂っていましたが、雑木林に続く道はしっかりとしています。 程なくして左斜面から尾根の背を越えて右斜面を進むようになります。 それ程長い道ではありませんが、山歩きの雰囲気が感じられる道になっていました。
広めで歩きやすい道を進んでいくと、左手の高みへ登っていく道が分かれていました。 コースは正面の道を進んでいくのですが、試しに左手の高みへ登ってみました。
すぐに草地のようになった所に出ると、輪切りの丸太がベンチ代わりに幾つも置いてありました。 その向こうには幾重にも折り重なるようにして山並みが続いていました。 方角からすると、六国見山から鎌倉アルプスにかけての山並みでしょうか。 遠くには送電線の鉄塔が点々と立っていました。
谷戸ノ池分岐
草地から元の道に戻って尾根道をその先へと進んでいきます。 笹竹の生い茂る道を1分ほど進んでいくと分岐があります。 左手の道の方が広めで、右手の道は細めになっています。 右手の道は以前にも歩いたので、今回は左手の広めの道を進んでいきました。
右手の道
右手の山道は、谷戸ノ池のある倉久保ノ谷戸へ降っていく道で、 更にその先へ進んでいくと山崎小学校へと続いています。 (「台峯緑地」を参照)
笹竹が終わって雑木林に変わった山道を登り気味に進んでいきます。 1分ほどすると緩やかに降るようになります。 歩く人が多いのか、道はしっかりとして広めになっています。 この時にも向こう側から歩いてくる人とすれ違いました。 リュックを背負った姿だったので、私と同様に、台峯緑地の散策に来られた方のようでした。
鳥獣保護区 鳥を大切に
野鳥を捕るには許可がひつようです。あなたは?
 (神奈川県)
山道出口
山道を緩やかに降っていくと、先ほどの谷戸ノ池分岐から2分ほどで、 道の脇が少し膨らんだ駐車場のような所に出ました。 これで山歩きの雰囲気のする道は終わりになります。 北鎌倉女子学園グランドを過ぎて森へ入ってから9分ほどの短い「山歩き」なのでした。 ここで左手からも同じような山道が合流してきました。 北鎌倉駅方面の西瓜ヶ谷地区から登ってくる道だと思われますが、その行く末は確かめていません。
(後日に左手の山道を歩きました。「鎌倉中央公園」を参照)
左手からの道を合わせて自動車が通れる幅になった道を進んでいくと、左右の見晴しが良くなってきます。 畑などもあって近くには民家も建っていました。 道端には花壇があって、赤や白の綺麗な花が咲いていました。 傍には輪切りの丸太がベンチ代わりに幾つか置かれていたりもしました。 花や山並みを眺めながらひと休みしていくのに良さそうでした。 小屋(簡易倉庫?)の辺りから右手へ分かれていく細い山道(*)もありましたが、広くなった道をその先へと進んでいきます。
*右手の山道は、谷戸ノ池がある倉久保ノ谷戸へ降りて行かれます。
(「台峯緑地」, 「鎌倉中央公園」を参照)
広くて緩やかな道を進んでいきます。 民家の脇を過ぎてこんもりとした森の手前まで来ると、左手の森へ細い山道(*)が分かれていきますが、 森の右手に続く広い道をそのまま進んでいきます。 少し登り坂になった道を進んでいくと舗装された道に出ました。 ここから左手へと曲がっていく道を金網沿いに進んでいきます。
*左手の山道は、西瓜ヶ谷地区の住宅地へ降りて行かれます。 (「台峯緑地」を参照)
山ノ内配水池
少し降るようになって工事柵が続くようになると、右手に平らになった所が見えてきます。 これが山ノ内配水池になります。 池とは云っても上部が覆われているので、水面を見ることは出来ません。
山ノ内配水池(災害用指定配水池)
この配水池は、寒川浄水場から送られてきた水を貯えて、 鎌倉市の皆様に供給するために築造されたものです。 また、この配水池は、地震など災害が発生した場合に応急給水に必要な飲料水を確保する配水池に指定されております。
構造鉄筋コンクリート造
大きさ36m×32m×1池
有効水深4m
満水時水位標高80m
容量4,608立方m
 (神奈川県企業庁水道局鎌倉営業所)
そのまま坂道を降っていくと二車線の車道に降り立ちました。 北鎌倉女子学園グランドから17分ほどで歩いて来られました。 この車道は山ノ内地区から梶原地区へと続く道で、丁度この辺りが峠になっているようです。 山ノ内配水池の正門はこの右手にありますが、 今回は車道を左手へ少し進んだ所から源氏山公園へと向かっていきます。
山ノ内配水池の正門には「山ノ内加圧ポンプ所」とも書かれていました。 一旦ここに水を溜めて、圧力を高めてから各家庭へと送水しているようです。
降り気味に車道を3分ほど進んでいくと、坂道が右手へ分かれていきます。 左手には「北鎌倉駅」の道標があって、左手へと曲がっていく車道を指しています。 それ以外に道標類は見かけませんでしたが、源氏山公園へはこの右手の坂道を進んでいきます。
緩やかな登り坂が続く道を2分ほど進んでいくと、幅の広い石段が右手へと降っていきます。 その石段を見送っていくと民家が建ち並ぶ所に出ました。 「梶原五丁目6」の標識のある電柱の脇には「梶原五丁目7」の標識のあるタンク塔がありました。 その下から降っていく道もありますが、 その道もやり過ごして、住宅地に続く道を道なりに進んでいきます。 車道から4分ほど進んでいくと、道が分岐しています。 角には桜の若木があって、 傍には「大機山展嶽楼」と刻まれた石標が立っていました。
鳥獣保護区
ここは保護区域です。 鳥や獣を守ってください!
 (神奈川県)
源氏山公園
分岐を直進して民家の脇を緩やかに登っていきます。 民家を過ぎて降り坂になった道を進んでいくと、右手の下の方に広場が見えてきました。 芝生の広場になっていて、シートなどを広げたグループを沢山見かけました。 この辺りからが源氏山公園になるようです。
広場に沿って続く道を進んでいくと、坂道にあるT字路に出ました。 そこを左手に曲がって登っていくと、源氏山公園の背骨に当たる広い広い尾根道に出ます。 脇に生えている大きな木に 「ここから富士山が見えます!!」と書かれた紙が貼り付けられていました。 振り返ってみると、樹木越しに山並みが広がっていましたが、 遠くの方は霞んでいて、残念ながら富士山は見えませんでした。 ここから左手へ進んでいくとすぐ先に葛原岡神社があるので、ちょっと立ち寄っていきました。
尾根に続く広い道を左手へ進んでいくと、すぐに大きな鳥居が立っていて、 その脇には「葛原岡神社」と刻まれた石柱があります。 右手には「魔去ル石」という丸い石があり、左手には神輿庫や御朱印授与所などがあります。
葛原岡神社 鎌倉市山の内東瓜ヶ谷
本社祭神 SAIZIN 日野俊基朝臣 HINOTOSHIMOTOASON 文章博士 従三位 蔵人右少弁
建武の中興A.D.1333年(元弘3年)を計画し、不幸にも1331年鎌倉幕府の 北条高時に捉えられ、其の完成に会はず中途で悲愴な最期をこの葛原が岡で遂げられた忠臣(A LOYAL)である。 社殿は、明治天皇の思召により、地元有志の方々の骨折で、全国の崇敬者の協力を得て、 明治21年に創建された。 例大祭は、御命日の6月3日、神前祭、墓前祭が行われる。 この6月3日に近い土曜日に氏子区域になっている由比が浜で、宵宮祭が行なわれ、 日曜日には、大御輿、子供御輿が氏子地域を巡るお渡り神事が行なわれる。 御祭神は学業成就、除災招福、交通安全などの神として崇められて居る。
摂社祭神 報徳豆大黒天 福福恵比須神 健康と繁栄を招く神
御神体の木像は、二宮尊徳翁邸内の樟で作られたと伝えられる。
魔去ル石
魔が去るように願いを込め、盃をこの石に当てて幸せを勝ち取りましょう。 「魔が去る」が転じて「勝(まさ)る」ということで幸せを勝ち取る石です。
 (社務所)
この時には美容と健康に良いという名物の「玉こんにゃく」や 「むくろじ(無患子)守り」が路上販売されていました。 「玉こんにゃく」は煮詰めた3〜4cmの丸い団子状のコンニャクを竹の串に三個刺したもので、一見してジャガイモなのかと思えたりもします。 多くの人が買っていたので、どんな味がするのかと思って、私も列の後尾に並んでひと串買って食べてみました。 ゴム毬のような弾力があってよく味がしみていて、食べ応えのあるコンニャクなのでした。
むくろじ(無患子)守り
好評につき頒布再開。 かごの中にある実は、神社の境内で採れた「むくろじ」の実です。 中の種子は昔、羽根をつけて羽子板遊びの時に使用されてきました。 また、外側の皮の部分は、洗剤(石鹸)として利用されました。
葛原岡神社
鳥居をくぐって左手へと曲がっていく石畳の参道を進んでいくと、玉垣の奥に葛原岡神社の社殿があります。 2年前の夏に来た時には大きくて歴史を感じさせる社殿でしたが、 今年の1月に来た時には真新しい小振りの本殿だけに建て替えられていました。 今回は本殿の前に屋根だけのような形の建物が追加されていました。 拝殿ということなのでしょうが、壁はなくて何だか風通しのよさそうな建物でした。 5本の鰹木と外削ぎの千木の聳える姿をした本殿は、 少し色が濃くなって落ち着いた雰囲気になってきていました。 「十月桜」が社殿の左下の方に咲いていると云うので覗いてみましたが、 既に花が散ってしまったのか、それらしい木は見かけませんでした。
葛原岡神社
御祭神 日野俊基卿
例大祭 六月三日
お渡り神事 六月三日に近い日曜日 於 鎌倉由比ヶ浜
御由緒 鎌倉幕府の執政を北条氏から後醍醐天皇の親政にしようとして幕府に捕えられた元弘2年(1332)、 この葛原が岡で露と消えられた。 太平記 俊基朝臣再び関東下向の事に名文が綴られている。
辞世の頌 秋を待たで葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや世に残るらん
古来、一句無死無生萬里雲蓋長江水清
御墓所 参道大鳥居の手前約五十米左手の小高い処にあり史蹟に指定されている
 (宮司 小松行好 記)
葛原岡神社から引き返してきて源氏山公園の広い道を進んでいきます。 沿道の樹木が綺麗に黄葉していて良い眺めになっていました。 真っ白なツバキが咲いていたりもして、黄葉に彩りを添えていました。
歴史的風土特別保存地区指定図
昭和63年6月17日から、この地区は歴史的風土特別保存地区になりましたので、 建築物・工作物の新築・改築・増築、土地形質の変更、木竹の伐採、土石の類の採取、 建築物・工作物の色採の変更、屋外広告物の表示又は提出及び水面の埋立又は、 干拓の現状変更行為をするときは許可があいます。 違反すると刑罰に処せられます。 なお行為の申請・質問等の申出は下記へ。
 (神奈川県横須賀市三浦地区行政センター環境部、鎌倉市役所)
日野俊基墓
登ってきた分岐を過ぎていくと、すぐに「日野俊基墓入口」の標柱が立っています。 そこを右手へ入っていくと日野俊基の墓があります。 先ほどの葛原岡神社の祭神とされる人の墓で、玉垣で囲まれた一段高い所になっていました。
国指定史跡 日野俊基墓
日野俊基は鎌倉時代末期の朝臣、後醍醐天皇につかえ討幕計画に参加した。 正中の変(1324)に捕えられ許されたが、元弘の乱(1331)の時再び捕らえられ、 鎌倉に送られて、翌年ここ葛原岡で処刑された。
 (鎌倉市教育委員会)
日野俊基墓所
日野俊基朝臣ノ朝権ノ快復ヲ図リテ成ラ ズ元弘ニ年六月三日北條高時ノ害ニ遭ヒ 秋を待たで葛原岡に消ゆる身の露の恨や 世に残るらんト永キ恨ヲ留メタルハ此ノ _ナリ
 (鎌倉町青年会)
広場
日野俊基の墓を後にして、広い道に並行する少し高い所を進んでいくと広場があります。 その広場を越えて縦杭の階段を降っていくと、東屋のある広場に降り立ちました。 広場の樹木が紅や黄に一斉に色づいていて綺麗な眺めでした。 名前は知らないのですが淡い桃色の八重の花も咲いていました。 ここで持参した弁当などを食べながら、黄葉や紅葉などをしばらく鑑賞していたのでした。 上空を見上げるとトビが旋回していました。 「先ほども食べ物をとられた人がいた」とか「ほら狙っている狙っている!」などという話し声が聞こえてきたりもして、 上空を気にしながら、すばやく食べ終えてしまったのでした。
トビ(とんび)に注意!
食べ物を狙ってきます。 特にお食事の際はご用心下さい。
 (鎌倉市公園協会)
十字路
黄葉を愛でてお腹も満ちたところで、広場を後にしてその先へ進んでいくと、 すぐの所に十字路があります。 角に立つ道標によると、右手に登っていく道は「大仏ハイキングコース・高徳院(大仏)へ2km,60分」、 左手に降っていく道は「化粧坂切通し200m・寿福寺600m」、正面に降っていく道は「銭洗弁財天100m」、 今歩いてきた道は「葛原岡神社300m・葛原岡ハイキングコース・浄智寺へ1.2km,30分」となっています。 ここは大仏ハイキングコース葛原岡ハイキングコースが連絡している所になっています。 左手の角にはちょっとした展望地のような所があり、樹木越しに逗子マリーナの辺りを見渡すことができました。 ベンチも設置されていて、景色を眺めながらひと休みしていくのに良さそうな所でした。 今回はここから左手に続く坂道を降っていきました。
(写真は十字路の中ほどから左手を向いて写したものです)
坂道を降っていくと、銭洗弁財天から登ってきた坂道(大坂)が合流してきます。 道なりに左手へ進んでいくと、道が二手に分かれています。 角に立つ道標によると、右手の道は「化粧坂切通し150m・寿福寺600m・源頼朝像200m」、 左手の道は「葛原岡神社250m・葛原岡ハイキングコース・浄智寺まで1.2km」、 今歩いてきた道は「銭洗弁財天100m・大仏ハイキングコース・大仏まで2km」となっています。 ここに「源氏山公園案内図」があるので参考にしましょう。 葛原岡神社から続く尾根道を真っ直ぐに進んでくるとここまで来られます。 今回はここを右手へ曲がって、源頼朝像のある広場を経て寿福寺方面へと進んでいきます。
この附近で見かける野鳥
トビ、サシバ(秋)、キジバト、ホトトギス(春)、フクロウ、アオゲラ、コゲラ、 ツバメ(夏)、ヒヨドリ、ツグミ(冬)、ウグイス、エゾビタキ(秋)、シジュウカラ、メジロ
 (公園課)
化粧坂分岐
右手に続く広い尾根道を進んでいきます。 源氏山詰所を過ぎて馬の背のような浅い鞍部に着くと、化粧坂が左手に分かれて降っていきます。 このすぐ先から右手へ降っていく「七曲」と呼ばれる細い踏み跡もあります。 参考までに、化粧坂の下にある石碑の内容を載せておきます。
七曲
七曲は今ではほとんど歩かれていないようで、案内図にも載ってはいませんが、 その昔には化粧坂から尾根を越えて七曲を降るのが正規のルートだったようです。 尾根筋から銭洗弁財天の入口へと降っていく道は現在では広い道になっていますが、 以前には「大坂」と呼ばれる細い道で、この七曲の方が主要な道だったようです。 七曲という名前の通り、右・左と小刻みに折れ曲がりながら急坂を降っていきます。
化粧坂
仮粧坂(けわいざか)は鎌倉より梶原・藤沢を経て関戸・分陪方面へと抜ける鎌倉街道の一つで、 いわゆる上の道へと通じる鎌倉の出入口の一つである。 この仮粧坂の上にある源氏山は、八幡太郎義家が奥州へ出陣に際して、源氏山の山上に旗を立てたことから、 旗立山又は御旗山とも呼ばれたといわれている。
 (新編鎌倉志)
源頼朝像
右手に曲がりながら続く坂道を登っていくと、すぐに芝生が植えられた広い場所に着きます。 広場の中ほどには源頼朝の銅像があります。 像の前で記念写真を撮っている人々もいました。 ここにはタイムカプセルが埋められているのだそうで、2050年に開封予定とのことです。
源頼朝公銅像
この銅像は治承4年(1180)10月源頼朝公が鎌倉入りして以来八百年目に当る年を記念し、 よりよい鎌倉づくりに市民が心を通い合わせることを誓い合った証しとして 有志の方々から寄せられた尊い浄財によって建立されたものです。 この像が中世日本の政治経済文化の中心地として栄えた鎌倉の歴史と郷土鎌倉の象徴として 永遠に守り継がれることを願うものです。
 (源頼朝公銅像建立実行委員会)
21世紀へのタイムカプセル
ここに埋められているタイムカプセルには、1999年に「源頼朝公没後800年記念事業」として実施した 小中学生作文コンクール『21世紀の鎌倉のまち』入選作品15点、及び2000年に市民から広く募集した メッセージ『21世紀・鎌倉への想い』が納められています。 21世紀の鎌倉に想いを馳せながら、平和で海と山の美しい風格のある文化都市として 発展することを願い、メッセージに託しました。 2050年に開封し公開します。
 (源頼朝公没後800年記念事業委員会、鎌倉市企画部文化推進課)
公園内で犬を放すことを禁止します。 リードを取らないで下さい。
 (鎌倉市)
源頼朝像のある広場を後にしてその先へ進んでいくと、立派なトイレ施設があります。 そこで道が二手に分かれています。 寿福寺方面へは正面の道を進んでいくのですが、右手の先に何やらありそうな予感がしたので、 今回は右手へと進んでいきました。 散策路は100mほど続いていて、そこからU字形に曲がって引き返してくるルートになっています。 その先端までやってくると、果たして横木の階段が右手へと分かれていました。 このまま散策路を戻っていっては芸がないので、今回は右手の横木の階段を登っていきました。
かがやきの森
ロープ柵が付けられた横木の階段を2分ほど登っていくと、こんもりとした高みに着きました。 正面には「かがやきの森」と書かれた看板が立っていました。 そこから緩やかになった尾根道を右手へ進んでいくと、 「七福尊神」と刻まれた石祠や五輪塔のある高みに着きました。 正面が開けていて、樹木越しに山並みを見渡すことが出来ました。 切り倒された大きな樹木がベンチ代わりに置いてあったりもします。
歴史的風土保存用地
地番 鎌倉市扇ヶ谷1丁目39-1,77,78,79,80
面積 15,677u
この土地は「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」にもとづき、 歴史的風土を長く保存するため、昭和61年3月、神奈川県が買上げたところです。 この時をたいせつに保存していきましょう。
 (神奈川県藤沢土木事務所)
かがやきの森の高みからその先へと進んでいきます。 縦杭の階段を降っていくと植林帯へ入っていきます。 途中に何度か緩やかな所もある階段を降っていくと、広い道に降り立ちました。 この道は先ほどのトイレ施設の所を直進してきた道になります。 左手には芝生の広場が見えていますが、寿福寺へ向けて右手へと進んでいきます。
「源氏山公園 寿福寺→」の道標に従って、その先にある石畳の広い階段を降っていくと、 英勝寺の墓地の裏手に出ます。 柵がしてあって墓地に入ることはできませんが、手前から右手へと続く道を降っていきます。 これまでの広い道は墓地の所で終わって、その先からは山道になります。 玉垣で囲まれた石柱を過ぎていきます。 「この先通行注意」の看板も立っていますが、 かなり歩かれているのか、しっかりとした道になっています。 左下に墓地を見ながら降っていくと、樹木が途切れて見晴らしのいい場所がありました。 山道を5分ほど降っていくと墓の前に出ました。 ここで道が二手に分かれています。 左手に戻るようにして降っていく階段は寿福寺の墓地へ続いていますが、 正面に続く山道を更に進んでいきます。
墓を過ぎていくと1分もしない所に、岩がV字形に開かれた切通しのような所があります。 長年歩かれてきたためか、真ん中には靴の幅程度の溝が出来ています。 その中に足を踏み下ろしながら切通しを抜けて墓地の脇に出ると、 寿福寺の墓地から続いてきた道に降り立ちます。 降り立った所に道標が立っていて、右手の道は「鎌倉駅800m」、 今歩いてきた道は「源氏山公園250m」となっています。 道標が指しているところをみると、この切通しのような所は正規の散策路になっているようです。
寿福寺分岐
道標「鎌倉駅」に従って右手へ進んでいくと、程なくして道が二手に分かれています。 角に立つ電柱の上の方に道標が付いていて、右手の道は「鎌倉駅」、正面の道は「寿福寺」となっています。 右手の岩壁にはトンネルが開けられていて、道標はその道を指しています。 寿福寺へは正面へ進んでいくのですが、今回はここを右折してトンネルを抜けて鎌倉駅へと向かっていきます。
(写真は右手のトンネルの方を向いて写したものです)
正宗稲荷
岩壁に掘られたトンネルを抜けて、生垣が続く住宅地を真っ直ぐに進んでいきます。 振り返ると岩壁には四角く刳り貫かれた所があったりもします。 鎌倉に多いと云われる「やぐら」なのでしょうか。 突き当たりを左折して住宅地を更に進んでいきます。 竹垣を過ぎて右折して道なりに進んでいくと、道の脇に石祠がありました。 石祠の前には石造の狐像が控えていました。 脇には道標が立っていて、正面の道は「寿福寺200m」、今歩いてきた道は「興禅寺址300m」となっていて、 この地点は「正宗稲荷」となっていました。 脇には「稲荷社 正宗屋鋪焼刄渡」と刻まれた石柱が立っていましたが、 謂れなどを記したものは見かけませんでした。
巽神社
正宗稲荷を後にしてその先へ進んでいくと、横須賀線の西側に沿って続く車道に出ます。 出口の脇には「北条政子の墓・源実朝の墓・源氏山 近道」と書かれた看板があって、 今歩いてきた道を指していました。 車道を右手へ曲がっていくと、すぐの所に巽神社があります。 社殿の右手には小振りの「諏訪神社」も合祀されていました。
巽神社「巽荒神」由緒
鎮座地 鎌倉市扇が谷1-9-7
祭神 奥津日女命、奥津日子命、火産霊命
例祭 11月28日
由緒 御祭神は寵の神、火の神として御神徳あらたかな神で、 延暦20年、坂上田村麻呂東夷鎮桙フ際、葛原岡に勧請したと伝えられる。 永承4年に源頼朝が社殿を改築する。 その後(年代不詳)現在の地に遷座された。 古くは寿福寺の鎮守神として崇敬され、その位置が寿福寺の巽の方に当たるので巽荒神と称された。 天正19年に社領1貫文を賜った。 近世に至って浄光明寺の持ちとなり、明治6年に村社に列格された。
ホテルニューカマクラ
巽神社から200mほど進んでいくと、自動車販売所の先に十字路があります。 そこを左折して数10m進んでいくと、横須賀線の小町踏切があります。 踏切の手前から右手へと線路沿いに続く路地を進んでいきます。 駐輪場を過ぎていくと、駐車場の奥にホテルニューカマクラがあります。 大正時代の文壇のロマンが伝わる古いホテルとのことです。
鎌倉市景観重要建築物 ホテルニューカマクラ
ホテルニューカマクラは、大正13年(1924)に建てられたもので、木製の上げ下げ窓が整然と並ぶ外観が特徴です。 内部も当初の意匠を良く残しており、戦前のホテル建築として大変貴重な存在です。 震災前この地には文人たちがしばしば滞在した料亭・貸別荘(平野屋)があったと伝えられ、 岡本かの子の小説「鶴は病みつき」にも綴られています。
 (鎌倉市)
古都かまくら湘南浪漫野物語
かの子と龍之介 −御成町での出会い−
ここは、かって京都の料亭「平野屋」の支店跡地です。 当時は立派な門構えで平屋建てでした。 大正12年、当時文壇の花形であった芥川龍之介と避暑の為、 一家で鎌倉を訪れた岡本かの子が運命的な出会いを果たしたのもこの場所でした。 このホテルニューカマクラの建物も築80年にはなる古いもので、 戦前には「山縣ホテル」として営業されていました。 鎌倉で最初のホテルでもあります。
古都かまくらレトロ浪漫
かの子の処女小説「鶴は病みつき」の題材となったのが、ここ平野屋での出来事とその印象でした。 ここはかって、京都の料亭「平野屋」の支店があった所です。 このホテルニューカマクラの建物も築80年にはなる古いもので、 戦前には「山縣ホテ」として営業されていたという、鎌倉で最初のホテル跡でもあります。 そして、大正12年、当時文壇の花形であった芥川龍之介と避暑に訪れた岡本かの子が、 運命的な出会いをはたしたのもこの場所です。
鎌倉(かまくら)駅
駐輪場を過ぎて突き当たりを右折していくと、左手に鎌倉駅(JR横須賀線、江ノ島電鉄)があります。