京塚山
散策:2007年11月上旬
【低山ハイク】 京塚山
概 要 京塚山(石山)は藤野駅のすぐ南側にある低山で、藤野町十五名山にも選ばれる信仰の山でもあります。 今回は石楯尾神社から京塚山へと続く尾根を歩き、秋川橋を渡って杉峠を越え、鉢岡山へと登るルートを歩きます。 尾根からは藤野の山や丹沢の山並みを望む景色が広がっています。
起 点 相模原市 藤野駅
終 点 相模原市 藤野駅
ルート 藤野駅…弁天橋…葛原分岐…石楯尾神社…登山口…石楯山…小ピーク…名倉峠…登山口…Y字路…こかげ山…坊主山…園芸ランド分岐…小ピーク…京塚山…スポーツ広場分岐…大刀地区…秋川橋…県道76号…杉地区…峠道入口…木橋…杉峠…新和田分岐…183番鉄塔…鞍部…田ヶ岡分岐1…田ヶ岡分岐2…鉢岡山…田ヶ岡分岐2…田ヶ岡地区…赤沢バス停…日連大橋…藤野駅
所要時間 5時間30分
歩いて... 石楯尾神社から名倉峠を過ぎて大刀地区へと続く尾根道には道標は少なめでしたが、 よく整備されて歩きやすい道になっていました。 午前中は前夜の雨による湧き上がる雲で眺めは今ひとつでした。 杉地区から杉峠を越えて鉢岡山へと続く道も道標は少なめですが、 当初予定していたルートを辿ることができました。
関連メモ 日連金剛山
コース紹介
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藤野(ふじの)駅
藤野駅(JR中央線)から歩いていきます。
今回は石楯尾神社を訪ねてから、藤野町十五名山の京塚山(石山)と鉢岡山へ登って、 再び藤野駅へと戻ってくるルートを歩きます。
藤野町の四季
は新緑の季節。 やさしい風に包まれながら遊歩道を歩くと、そこは森林浴の世界。 陣馬山や生藤山方面、石老山や石砂山周辺など、気軽に楽しめるさまざまなハイキングコースで、 小鳥のさえずりを聞きながらお弁当をひらいてみてはいかがでしょう。
は青い空と白い雲。 照りつける太陽。こんなまぶしい季節は、自然の中でおもいっきりキャンプをするのもGood。 昼はバーベキュー、夜は満天の星空を見上げながら、友人・家族と語り合うのもたまにはいいかも。
は味覚と芸術の季節。 山々の紅葉を目にしながら、栗ひろいやサツマイモ掘り、シイタケ狩りなど、 土のにおいと温かさをじかに感じてみてください。 芸術体験ができるのも藤野ならでは。 おいしさとアートをまるかじり、秋の一日を満喫すれば心身ともにリフレッシュ。
は丹沢の山並みを眺めながら露天風呂。 相模湖でワカサギ釣りを楽しんだあとは、冷えた体を温めたい。 白い綿帽子をかぶった山々を、湯気の向こうに望みながら温泉にユッタリつかるのもオツなもの。
駅前の階段を降りて正面の道を進み、国道20号藤野駅前交差点を右折していきます。 国道を50mも進んでいくと、左手へ降っていく坂道が分かれていきます。 脇には「自然と出会う・芸術と出会う・芸術の道(野外美術館)・藤野園芸ランド」の看板が設置されていて、 左手に降っていく坂道を指しています。 ここで国道と分かれて左手の坂道を降っていきます。 前方の下にはこれから向かう弁天橋が見え、左手には金剛山から日連山にかけての稜線がよく見渡せます。
駅前の階段を降りた所に「石楯尾山ハイキングコース」の道標が立っていて、 正面の道を指して「石楯尾神社へ50分・上野原駅へ1時間40分」となっていますが、 この先には同類の道標は見かけず、ルートはよく分かりませんでした。
弁天橋
民家が建ち並ぶ坂道を4分ほど降っていくと、相模川に架かる弁天橋があります。 大きなアーチ橋で、遠目には白く見えます。 橋の手前には、野外オブジェ「カナダ雁」があったりもします。 二羽並んでいて大きく翼を広げた姿をしています。 湖のように幅の広い相模川には釣り船が沢山浮かんでいました。 橋の上から釣り糸を垂らしている人達もいました。 下流の奥の方に見える青いアーチ橋は、藤野駅への戻り道で渡る日連大橋になります。
(写真は弁天橋の中ほどから下流方向を写したものです)
葛原分岐
弁天橋を渡った所から左手へ分かれていく道がありますが、そのまま正面から右手へと登っていく道を進んでいきます。 坂の上に出て左手へちょっと曲がると県道520号に出ます。 正面には幅広の金属性の額縁の中に「芸術の道」の案内板がありました。 それによると、左手の道は「芝田」、右手の道は「葛原」となっています。 ここは上野原方面へと続く右手の道を進んでいきます。 県道520号を300mほど進んでいくと、左手へ道が分かれていきます。 角には、先ほどと同じ幅広の金属性の額縁の中に「芸術の道」の案内板があります。 それによると左手の道は葛原へと続いているようですが、 今回は県道520号をそのまま真っ直ぐに進んでいきます。
左手の道は名倉峠を越えて葛原地区へと続いています。 今回は石楯尾神社から石楯山を経て名倉峠へ降っていきますが、 石楯山を省略する場合には、名倉峠へは左手の道の方がずっと近道です。
葛原分岐を見送って県道を真っ直ぐに進んでいくと、やがて降り坂になってきます。 緩くS字形に曲がって降っていくと、右手へ曲がるヘアピンカーブの角から細めの道が分かれていきます。 入口の両側には幟を立てる杭が設置されていて、脇には「総産土神 石楯尾神社 延喜式内」の看板が立っています。 ここで県道520号と別れて、細めの道を進んでいきます。
軽い登り坂になった道を進んでいきます。 やがて降るようになって小さな沢を過ぎていくと、右手に鳥居が立っています。 脇には「石楯尾神社の二本杉と社叢」の解説板と、 「延喜式内 石楯尾神社」と刻まれた石柱が設置されています。
神奈川県指定天然記念物 石楯尾神社(名倉)の二本杉と社叢
桂川に面している北向き山腹斜面のテラス状台地崖端に石楯尾神社がある。 桂川に沿った山腹斜面や土壌の浅い岩状立地には、 高木層にケヤキ、低木層にアラカシ、草木層にコカンスゲなどをともなっている。 社叢内のウラジロガシ林は群落としては幅がせまいが、林床は安定しており、 かつてこの地方を広く被っていた自然林のおもがけを残している。 このウラギロガシ林の斜面下部は、イロハモミジ−ケヤキ林が生育している。 社殿裏手の凸状の台地上はアラカシと混生するシラカシ林が認められる。 以上三つの植物群落の周囲には、北斜面にコナラの二次林が優占しており、 台地上や崖端にはアカマツやスギの高木が存在する。 境内の中央に二本杉が枝葉よく伸び姿整う典型的な兄弟杉となっている。 この二本杉を含む社叢を郷土景観的にも学術的にも重要なものとして天然記念物に指定する。
【注意】
この天然記念物の現状をみだりに変更し・滅失・き損・衰亡等保存に影響を及ぼす行為をしたものは 処罰されますから御注意下さい。
 (神奈川県教育委員会)
一、生きものをとる事
一、草や木をとる事
一、馬や車を乗入れる事
右の事を境内に於て禁止致します。
石楯尾神社
鳥居をくぐって石段を登っていくと朱色の柱の建物(門)があります。 その中をくぐっていくと石楯尾神社の境内に着きます。 藤野駅から30分ほどで到着しました。 本殿と拝殿から成る立派な社殿になっていました。 由緒書きによると長い歴史のある神社のようです。 惣社であることを示すかのように、 社殿の右手には稲荷神社・御嶽神社・春日神社・蔵祖神社・疱瘡神社・天満宮神社・住吉神社・榛名神社・日月両宮・浅間神社・ 大国主神など多くの祠が合祀されていて、それぞれ何処から遷されてきたのかも書き添えられていました。 「福の神大国様」と添えられた祠の中には石造の大国像が安置され、 鰹木と外削ぎの千木のある大きめの祠になっていました。 裏手には更に大きな八幡神社も合祀されていました。 左手には天然記念物の二本杉が聳えていました。
総産土神 石楯尾神社の由来
この御社は人の生命のもと水穂の気が地球の中心から出る産土地である神籬磐境の土地として神様がお定めになった所へ 総産土神社として今から2000年以上前に(崇神天皇より前)建てられたお社であります。 文徳天皇の天安元年5月には従五位下の神として官社に預った事が文徳実録にあります。 醍醐天皇の延喜の制では式内小社に列し、壽永元年・文亀3年の両度には勅宣による御造営があり、 更に源よりともの祈願所として七つの大鳥居が立てられて十五石余を寄進されました。 この地域の人々の生命をさづける神様であったので、 奥三保18ヶ村(津久井郡)河入7ヶ村(愛甲郡)都合25ヶ村の惣社(山梨県にも多くの氏子が居る)として、 近郷からの参拝で盛大な祭が行はれて明治の頃までつづきました。 永録12年武田信玄が三増役の帰途、火の矢を射て社殿を悉く消失し (この御神体を相模川下流で御祭りした社として与瀬神社、大島の諏訪神社の伝説も残っている) 現在の拝殿は享保9年の建立にして、文化5年、文化6年には神祇官から幣帛もあげられてあり、 明治6年郷社に列し、今は神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定されております。
御祭神 石楯尾大神
人々に生命を授け、人々の一生を守り、更に死後までもお守り下さいます。 産土大神様をはじめ、事代主命(えびす神)・日本武尊・守良親王・木花咲耶姫命・保食神・天村雲命・ 中筒男命・火産霊神外、私たちの清潔に直結している守神がまつられて居ります。 この世のつくられ更に栄え、いつまでもいつまでも反映して行くために御導き下さいます。 神の道(大自然の真理)を知る事が、神様のお守りを受けこの世が平和にそして幸福を進める大事な事です。
社殿の左手から奥へ進んでいくと、石楯尾祖霊社がありました。 その左手にも建物があり、対面には社務所がありました。 常勤されている社務所のようで、そこで飼われていると思われる人懐こい猫が出迎えてくれたりもします。
石楯尾祖霊社
昭和23年11月創立。 昭和23年7月優生保護法が出来て水子などの迷いの霊魂が出来て世の乱れのもとをつくった。 この迷いの霊魂を救うため神様のつくらせたもの。
みんな幸福になるには
誰もが幸福で平和である事を願って居るのになぜうまくゆかないのか。 それは私たちが何かを忘れているからです。 日本人の大きな忘れものは自分を生かしてる力(神の分霊の霊)を忘れてる事です。 この世の中で一番力のあるのは目に見えない力(霊魂)です。 神の分霊として生まれようとした霊が流産したりにんしん中絶したらどうなるか、 迷へる霊として此の世に迷ってしまってるのです。 こまるから助けてくれと取ついて六合通事故に障害を起したり侠霊として人について混乱させたり、 病気のもとをつくったりして居ります。 これを水子の霊と云います。 この水子の霊の迷ってるのが実に多く、之を導いてあげないと人々が幸福になれません。 この迷ってる水子の霊をすくって親神のもとに導いて幸福にし、 又生れ変れる様にして下さるのが幽世産土神でありまして、 この大事な幽世産土神がこのお社に鎮まりまして御働き下さる事を教えて下さいましたので、 毎月満月の午前9時より水子の霊の霊開のお祭をして居りますので、 関係者の方は御参列して水子の霊開きをして水子を幸福にすると共に、 あなたも幸福になり、よい世の中に直して下さい。
登山口
20分ほど居た石楯尾神社を後にして石楯山へと向かっていきます。 祖霊社の正面に続く坂道を降って先ほど歩いてきた道に出ると、正面の谷筋を切り開いたような駐車場があります。 その右手の上の方に大きな「石楯山案内図」があります。 そこに見晴台にもなっている石楯山の山頂までのルートが載っているので参考にしましょう。 正面の駐車場の右手と左手から登るルートがあって、山頂からは名倉峠へと続いているようです。 どちらのルートから登ってもいいのでしょうが、今回は右手の数10m先の階段から続く道を登っていくことにしました。
石楯山案内図
平成13年度コミュニティー助成事業
石楯山の植物は地域の人々により保護管理を行なって居ります。 つつじは此の地方に古くから生殖する在来種の貴重な群生です。 多くの人の憩いの場となるようご協力下さい。
 (櫻とつつじを育てる会)
石段を登ってその先のコンクリート製の坂道を進んでいくと、突き当たりに「見晴台を経て名倉峠」の道標が立っています。 そこを左に折れ曲がって土の道を登っていきます。 麓の駐車場から登ってきた道を合わせてジグザグに登っていくと、道の両側にはツツジの木が植えられていました。 花の季節ではないようにも思いますが、この時にはまだ花が咲いていました。 盛りの頃には綺麗な眺めなのだろうと思いながら、幅の広い横木の階段を登っていきます。 よく整備された道になっていて公園の散策路のような雰囲気の道が続いています。 樹木の解説板がいくつも設置されていたりもします。 所々にはベンチも設置されていて、振り返ると山並みなどを見渡せる眺めが広がっていました。
石楯山 (標高270m)
登山口から5分ほど登っていくと石楯山に着きました。 手元の地形図にある270m峰に当たるようです。 緩やかな尾根状になった細長い山頂にはベンチが沢山設置されていました。 登ってきた左手には「石楯山」と書かれた鉄柱に「しあわせの鐘」が吊り下げられていて、 鐘を叩く槌も添えられていました。 どんな音がするのかと試しにそっと叩いてみると、透き通ってよく響く音がしました。 また「高_神」と刻まれた石碑もありました。
(「高」と「神」の間の字は「雨」冠に「龍」と書きます)
藤野駅の前に「石楯尾山ハイキングコース」の道標がありましたが、 「石楯尾山」とはこの山のことなのでしょうか。
石楯山の西側が開けていて、桂川や街並みなどを一望できる景色が広がっていました。 石楯山は神奈川県にありますが、この西側に広がる所は山梨県の上野原市になります。 この時は前夜の雨上がりのため、山から湧き出てきた雲が低く立ち込めていて眺めは今ひとつでしたが、 条件がいいと素晴らしい眺めなのだろうと思ったりします。 奥の方にはずっと山並みが続き、左手にも山並みが続いていました。 右手の方を振り返っても山並みが続いていて、270度ほどの展望が得られるようでした。 標高が低い割にはいい眺めが広がっていました。 山の名前などは分かりませんでしたが、しばらく眺めを楽しんでいきました。
(神奈川県で相模川と呼ぶ川は、山梨県では桂川と呼ぶようです)
小ピーク
石楯山からの眺めの堪能したら、名倉峠へと向かっていきます。 「しあわせの鐘」の先へと続く広めの山道を降っていきます。 前夜の雨のためか、滑りやすくなっていたので、転ばないよう注意しながら降っていきました。 植林帯に入って鞍部に着くと、左手から登ってくる細い道が合流してきました。 その道を合わせて進んでいくと、幅の広い横木の階段を登るようになります。 金属製の道標らしきものが立っていたりもしますが、 板は錆び付き文字はすっかり消えてしまって全く読めませんでした。 横木の階段が終わってその先へと山道を登っていきます。 鎖が張られていたりもしますが、登っていく分にはそれほど必要ではありませんでした。 小高い尾根に出てその先へ進んでいくと、 石楯山から8分ほどで、ベンチがひとつ設置された小ピークに着きます。 手元の地形図によると、石楯山の東南東250m辺りにある標高300mほどの高みのようです。 樹木越しに僅かに藤野方面の山並みを望むことができました。 小ピークの10mほど先に分岐があります。 角に立つ道標によると、正面に続く尾根道は「駐車場」、 右手に戻るようにして降っていく道は「遊歩道・名倉峠」、 今来た道は「見晴台・石楯尾神社」となっています。 正面の尾根道は、案内板があった麓の駐車場へと降っていく道のようですが、 ここは道標「遊歩道・名倉峠」に従って、右手の道を降っていきました。
雑木林に続く山道を降っていきます。 道の右手にはトタン板の柵が続いていました。 鞍部に着いてその先へと続く広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。 小ピークから5分ほど進んでいくと、道の右手の林に「感恩之碑」の石碑が立っていました。 碑面には説明文がびっしりと刻まれていましたが、上手く写真に写せなくて内容はよく分かりませんでした。 その石碑を過ぎると、降りの傾斜が増してきます。 引き続きトタン板の柵が続く道を降っていくと、小ピークから7分ほどで林道のように広い道に降り立ちました。 手元の地形図によると、先ほどの小ピークの南東300mほどの所にある標高280mほどの浅い鞍部になるようです。 降り立った道の両側に赤いプラスチック製の道標が立っていて、 左手の道は「葛原」、今降ってきた道は「石楯尾神社」となっていました。 右手の道は何も示されてはいませんでしたが、向きからすると向原地区へと続いているように思えました。 ここは道標「葛原」に従って、左手へと続く広くて緩やかな道を進んでいきます。
名倉峠
林道のように広くて緩やかな道を2分ほど進んでいくと舗装道路に出ました。 この道路は、県道520号の所にあった葛原分岐から分かれてくる道になります。 この場所を示す標識などは見かけませんでしたが、前後から山が迫っている峠になっているので、 ここが名倉峠になるようです。 石楯山から20分ほどで到着しました。 道標類は見当たりませんが、右手へ降っていくと向原地区、左手へ降っていくと名倉地区になります。 ここから京塚山へ登っていく道は、左手へ少し降った所から始まっています。
石楯尾神社から名倉峠までの山道は幅が広くてしっかりとした道になっていました。 鎖が張られた傾斜の急な所も一部にありましたが、 それ以外は分かりやすくてとても歩きやすくなっていました。 地形図には載っていないルートですが、地元では散策コースとして整備しているようでした。
登山口
舗装道路を左手へ2分ほど降っていくと、右手に登っていく石段があります。 脇には道標が立っていて、右手の石段は「一本松・石山を経て大刀」となっていました。 その他にも金属製の道標らしきものもありました。 錆び付いていて文字はほとんど読めませんでしたが、 「名倉村三角点」という文字だけは読むことができました。 地形図によると、この付近にある三角点は337.1m峰のこかげ山しかないので、 「名倉村三角点」とはその山を指しているように思われます。 ここからこかげ山を経て、石山とも呼ばれる京塚山へと登っていきます。
現地で見かけた道標はすべて「石山」となっていましたが、 山頂にある標識だけは「京塚山(石山)」となっていました。 京塚山と石山という二つの名前を持つ山のようです。 ここでは「京塚山」として紹介しておきます。
Y字路
石段を登ってすぐに右へ曲がって植林帯に入っていくと、舗装道路から1分ほどで道が二手に分かれています。 道標類はありませんでしたが、正面に続く緩やかな道は谷筋の畑へ続いているので、 左手に登っていく道を進んでいきます。 すぐに左手に折れ曲がって植林帯を登っていきます。 山道にしてはしっかりとした道になっていました。 細い樹木が生い茂る所を過ぎていくと、舗装道路から3分ほどでY字路があります。 左手が開けていて、藤野の山並みを見渡すことができました。 角に立つ道標の内容が不可解なのでしばらく考えていましたが、 「石山を経て大刀」に従って、右手に続く広めの道を登っていきました。
ここの道標の表示は少し変な内容になっていました。 右手へ登っていく道が「石山を経て大刀」となっているのはいいとして、 左手に降っていく道は「こかげ山」、道がない正面は「葛原」となっています。 Y字路なので道は三つあって指示板も三つで、数としては合っているのですが、向きと内容が不可解でした。 左手→来た道、正面→左手と90度回転させて考えても、 左手が「葛原」というのも、今来た道が「こかげ山」というのも実情に合いません。 「こかげ山」はこの右手の道の先にあるので、どうにも不可解な道標に思えました。
こかげ山 (標高337.1m)
植林帯に続く広めの山道を緩やかに登っていきます。 木柵で囲まれたドラム缶の防火用水を過ぎていくと、Y字路から1分半ほどで、 細い道が右手に分かれて登っていきます。 道標類は見かけませんでしたが、右手の細い道がこかげ山へ続く道で、 正面の広めの道はその巻き道になっているようです。 ここはこかげ山の山頂を目指して、右手に分かれていく細めの道を登っていきました。 植林帯を過ぎて雑木林に変わってくると、広めの道から分かれて1分ほどで、 三等三角点のある小ピークに着きました。 手元の地形図によると337.1m峰になるようです。 舗装道路から7分ほどで登って来られました。 6畳ほどの広さのピークは草木が刈り払われていて、すっきりとした感じになっていました。 標識類は見かけませんでしたが、白く塗られた板切れが朽ち果てそうになって何枚も落ちていました。 その内のひとつを裏返してみると「こかげ山」の文字がありました。 どうやらここが「こかげ山」になるようです。 西側が開けていて、上野原方面の山並みを見渡せる景色が広がっていました。 ここで写真を撮ったりしながら5分ほど休憩していきました。
(「こかげ山」は「蚕影山」と書くようで、別名「一本松山」とも云うようです)
眺めを楽しんだら、こかげ山からその先へと降っていきます。 笹竹が生い茂ってはいたものの、道はしっかりと確認できました。 3分半ほど降っていくと、広めの山道に降り立ちました。 こかげ山の手前にあった分岐を直進してきた巻き道だと思われます。 広めの山道を右手へ20秒ほど進んでいくと、防火用水の先で斜めに通る道に出ました。 道標類は見当たらずどちらへ行ったものかとしばらく考えた末、 左手へと戻るようにして続く道を進んでいきました。
(写真は振り返って写したもので、左手の道から降ってきて右手の道へと曲がっていきました)
小鳥の食堂です
皆さんもかわいいお客さんにごちそうしてやって下さい。 小鳥の好きなものは、ヒエ・アワ・トウモロコシ・パンクズなどです。
 (神奈川県)
たばこの投げすて!火事のもと
 (神奈川県)
白い鉄製の手摺が続く道を進んでいきます。 右手へと曲がりながら小さな山襞を過ぎていくと、防火用水の先の分岐から3分ほどで再び分岐があります。 三つの道のそれぞれには道標の板切れが置かれていました。 壊れて落ちた様子ではなく、支柱に打ち付ける前の仮置きの状態だったようです。 正面の道は「石山を経て大刀」、左手の道は「一本松・こかげ山」、 今歩いてきた道は「葛原」となっていました。 脇には鉄製の道標のようなものも立っていましたが、例によって錆び付いていて文字は読めませんでした。 今こかげ山から降ってきたのに、左手の道が「こかげ山」というのも変に思いましたが、 ここは道標「石山を経て大刀」に従って、正面に続く尾根道を進んでいきます。
(写真は振り返って写したもので、左手の道から来て手前へ進んでいきました)
「葛原」の表示から考えると、 手前にあった防火用水の先の分岐を右手へ行くと葛原へ続いているように思われます。 先ほどのY字路の道標の表記といい、この辺りは道が込み入っているようです。 道標が正しかったとすれば、先ほどの三角点のあった小ピークはこかげ山ではなかったことになりますが、 「こかげ山」の文字が書かれた板切れが落ちてもいたし、何が何だかよく分からなくなってしまいそうです。
広くて緩やかになった尾根道を進んでいきます。 植林帯から雑木林へ変わった尾根を進んでいくと、先ほどの分岐から3分半ほどで、 左手の高みへと続く細い道が分かれていきます。 角には鉄製の錆び付いた道標が立っていますが、例によって文字は読めませんでした。 正面に続く広い道はピークの巻き道になっているように思えたので、 ここは左手に分かれていく細い道を登っていきました。
坊主山
細い雑木の生える坂道を1分半ほど登っていくと、岩が露出した小ピークに着きました。 脇に生える樹木に「坊主山」と書かれた黄色いテープが巻かれていました。 手元の地形図によると、ここは337.1m峰(こかげ山)の南東350m辺りにある標高320mほどの高みになるようです。 こかげ山から13分ほどで到着しました。 壊れたベンチのようなものもあったりしました。 小ピークの周りは樹木に囲まれていて展望は得られません。
園芸ランド分岐
坊主山から雑木林の中をその先へと降っていくと、1分半ほどで広めの道に降り立ちました。 手前の分岐から巻いてきた道だと思われます。 右手からの道を合わせて、広くて緩やかな尾根道を左手へと進んでいきます。 防火用水を過ぎて少し登り気味に進んでいくと、坊主山から4分ほどで、尾根にある分岐に着きました。 左右に通る尾根道と、今来た道の先へと続く道がX字形に交わっている所になります。 手元の地形図によると、坊主山の南東120mほどの所にある破線の道が分かれている辺りになるようですが、 その50mほど東側にある尾根筋になるようです。 テーブル状のベンチが設置されていたりもします。 角に立つ道標によると、右手の道は「石山を経て大刀」、 左手の道は「園芸ランド事務所」、今来た道は「葛原」となっています。 ここは道標「石山を経て大刀」に従って、右手へ登っていく尾根道を進んでいきます。
小ピーク
防火用水を過ぎて広い山道を真っ直ぐに登っていくと、2分ほどで土管が立てられた尾根に着きます。 尾根道は左手へと曲がっていくのですが、その角から細い踏み跡が右手へ分かれていました。 その踏み跡は見送って、左手へと曲がっていく広い尾根道を進んでいきます。 次第に登り坂になっていく道を進んでいくと、細い道が右手へと分かれていきます。 正面には高みがあって、その巻き道になっているように思えたので、 正面に続く広い道を更に登っていくと、園芸ランド分岐から6分ほどで小ピークに着きました。 横たわった土管と「水源の森林」の標柱などがありました。 手元の地形図によると、337.1m峰(こかげ山)の南東600m辺りにある標高350mほどの高みになるようです。 周りは樹木に囲まれていて展望は得られません。
京塚山 (標高358.7m)
小ピークの先へ続く広い尾根道を1分ほど降っていくと、左右に通る道に降り立ちました。 手前から分岐してきた巻き道だと思われます。 その道に降りて、左手へ続く広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。 少し降って浅い鞍部から登り返していくと、鎖の設置された登り坂になります。 多少は急になっているものの、登っていく分にはそれほど鎖が必要な感じはしませんでした。 1分ほどかけて坂道を登っていくと、先ほどの小ピークから4分ほどで京塚山の山頂に着きました。 園芸ランド分岐から10分ほど、こかげ山から30分ほどで到着しました。 手元の地形図によると、337.1m峰(こかげ山)の東南東700m辺りにある高みになるようです。
八木沢(ヤンシャア)記念碑
ヤンシャアトハ人々ガ集ッテエボシ岩ヲオガミ神マツリシタ神聖ナ所。 ココガ人々ノ生活ノハジマッタ機動力、正シイ動キノハジマッタ所デアル。 ココニ榛名神社ガオ鎮マリニナッテタ。ソノ場所ハ今グランドノ中ニナッテ シマッタノデ記念碑ヲココニ建テル。 榛名神社ヲ崇メマツリ、永遠ノ平和ト栄ヲ祈ロウ
 (昭和六十三年四月吉日 石楯尾神社宮司)
山頂には「京塚山(石山)」や 「藤野町十五名山 京塚山 標高358.7m」の標識が設置されていました。 またテーブルやベンチが幾つか設置されていて、石祠や石碑などもありました。 脇にはこの付近のイラスト図も設置されていました。 石祠の先へ出てみると、前夜の雨のために遠くがモヤっていたものの、 藤野の山の奥には丹沢の山並みを遠望することができました。 ここで景色を眺めながらひと休みしていると、私より年配と思われる3人連れが後から登ってきました。 写してくれと頼まれたので、山頂の標識と一緒に皆さんの写真を撮ってあげたのでした。
ちょっくら散策路
丹沢・小仏の峰々が眺望。 その昔、大きなエボシ岩がありました。
 (ふじの町)
烏帽子岩(エボシイワ)記念碑
ココニ大自然ノツクッタ人ノカブルエボシソノママノ大キナエボシ岩ガ北ニ向イテ空高ク ソビエテ居て、威厳ガアリ遠ク与瀬ノ方カラモオガメタ。神々ガ国ノ鎮メトオクダリニ ナッタ神聖ナ場所デ、コノ岩磐ガ西ニノビテ桂川ニセマリ、アタカモ楯ノヨウニ切立ッタ偉大ナ 岩磐トシテソソリ立チ、上ニ岡ガアリ、コノ地ガ地球内部カラ人霊魂ヲ地上ニ送リ出ス産 土地(ウブスナジ)デ斎庭(ユニハ)トシ、天ツ神御導キデ本社ガ建テラレ之ガ石楯尾神社デアル。 明治三十四年中央線開通ノトンネルノノ口カラタニコノ大事ナエボシ岩ヲ砕イテシマッタ コノ大事ナ事ガ忘レラレテタガ、昭和五十一年ニ倉田重郎サンガ神ノ使トシテノ宮司ニ伝エテ由緒 アル事ヲ明ラカニシテ事ヲ知ッテタ杉ノ森久保一サンガ確カナ証言ヲシテ實体ニ伝エル事が出来タ。
 (昭和六十三年四月吉日 石楯尾神社宮司)
スポーツ広場分岐
15分ほど居た京塚山からその先へと進んでいきます。 植林帯と雑木林の間に続く幅の広い尾根道を緩やかに降っていくと、2分ほどで平らなベンチがありました。 脇には京塚山にあったのと同じような「ちょっくら散策路」の標識が立っていて、 そのイラスト図によると「休憩所」となっていました。 「相模湖が一望のもと」とのことですが、手前の樹木に邪魔をされて、眺めは余り良くありませんでした。 休憩所を過ぎてすぐの所にある防火用水の先で道が二手に分かれています。 角には赤いプラスチック製の道標が立っていて、左手に戻るようにして降っていく道は「スポーツ広場」、 今降ってきた道は「石山」となっています。 先ほどのイラスト図によると、この左手が「桜の山」になるようです。 桜の木が沢山植えられているということなのでしょうか。 正面の道には何も示されていませんでしたが、今回は正面に続く道を降っていきました。
ちょっくら散策路
町の中心部相模湖が一望のもと。 これから桜の山に!
 (ふじの町)
植林帯に続く広くて緩やかな道を降っていくと、程なくして降り傾斜が増してきます。 右手からの僅かな踏み跡を合わせていくと、再び緩やかな道になります。 雑木林に変わった道を進んでいくと、再び降り傾斜が増してきます。 左手には緑色の手摺、右手には白いガードレールが設置され、 階段状の部分と坂道の部分になった道を降っていきます。 前夜に降った雨で道が濡れていて滑りやすくなっていたので、階段の部分を降っていきました。 それでも若干は傾いていたので、滑って転ばないよう足元に注意しながらゆっくりと降っていきました。 左手の樹木が途切れると、下の方には広いスポーツ広場が見えてきます。 運動している人達の歓声などを聞きながら、手摺やガードレールの設置された道を更に降っていきます。
みどりを守り育てよう
 (津久井地区みどりのまち・かながわ運動推進協議会)
大刀地区
道の左脇にある墓地の前を過ぎて幅が狭まってきた道を進んでいきます。 小屋の横を過ぎて更に降っていくと、畑地や墓地が広がる開けた所に出ました。 眼下に見えている家並みは大刀地区になるようです。 正面には、金剛山から杉峠へと続く山並み、その奥には鉢岡山へと続く山並み、 更にその奥には石老山と思われる山も見えていました。 スポーツ広場へと続く道路に降っていく道を左へ分けて真っ直ぐに進んでいくと、 道は次第に畑地の中へと消えていきます。 散策路はどこなのかと考えながら、よく歩かれていそうな所を選んで正面へと降っていくと、 程なくして舗装路に降り立ちました。 正面へと進んで一線に並ぶ石仏群の右手を過ぎていくと、二車線になった県道520号に出ました。 京塚山から18分ほどで降りて来られました。 ここを左手に進んでいくと、弁天橋から登ってきた所へ続いていますが、 今回はここから鉢岡山へ登るべく、大刀地区に続く県道520号を右手へと進んでいきました。
保安林区域図
この区域は森林がもっているいろいろな働きを守るため保安林に指定されています。 保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県津久井地区行政センター農林部林務課)
県道520号を降り気味に進んでいきます。 大刀バス停を過ぎて左手に視界が広がってくると、 秋山川の対岸には、双耳峰になった金剛山が間近に聳えていました。 景色を眺めながら県道を更に進んでいくと、ヘアピンカーブがあります。 その角から芝田地区へと続く道が分かれていきますが、左手へと曲がっていく県道を更に進んでいきます。 曲がり角には円錐形の野外オブジェ「両側の丘の斜面」があったりもします。 「芸術の道」と題した案内板もあって、野外環境彫刻の場所と作品名の一覧が載っていました。 全部で31個の作品があるようでした。
ふたつの名前を持つ山々
ここの案内板の図には「名倉峠」の名前が載っていて、 先ほど「名倉峠になるようだ」と紹介した峠の場所を示していました。 また名倉峠の東側には「一本松山」と書かれていました。 「こかげ山」の名前は書かれていませんでしたが、こかげ山は一本松山とも云うようです。 京塚山と石山の例といい、同じ山を別の名前で呼ぶというのは、 例えば、交流の少なかった地区で別々の名前で呼んでいた山が、 時代が進んでひとつの地区として合併しても山の名前だけは昔のまま残されたというような、 この地区が歩んできた歴史的な経緯によるものなのでしょうか。
秋川橋
芝田バス停を過ぎて緩やかになった県道520号を進んでいくと、 県道に降り立ってから15分ほどで、秋山川に架かる秋川橋を渡っていきます。 しっかりとした造りのアーチ橋です。 下を流れる秋山川は相模湖の延長のようになっていて、幅がとても広くなっていました。 釣り客がボートに引かれて帰っていくのを見下ろしたりしながら橋を渡っていきました。
相模湖での禁止事項
相模湖は、私たちの飲み水になる大切な水がめです。 お互いに湖やそのまわりをよごさないよう心がけましょう。
来てよかった相模湖、また来たい相模湖に皆さんのご協力をお願いします。 湖岸や湖面で、危険な遊びや禁止されている行為はやめましょう。 危険な遊びやごみを捨てる人を見かけた人は一言ことばをかけてやって下さい。
相模湖で次の行為をすることは条例により禁止されています。 これに違反した時は罰せられることがあります。
1.水泳、水浴又は水上スキーをすること。
2.舟艇、いかだ、その他これに類する物を運航し、けい留し、又は浮遊させること。
ただし前2項について特に知事の許可したものを除きます。
 (神奈川県)
あぶない
橋上での釣はやめましょう。
 (津久井土木事務所、津久井警察署)
県道76号
秋川橋を渡って左手へと緩やかに登っていきます。 秋山川の東側は杉地区になるようです。 秋山川の畔へ降っていく坂道を左に分けて県道520号をその先へ登っていくと、 秋川橋から3分ほどで県道76号に出ます。 山をふたつ登ってきたので、ここで散策を終えて藤野駅へ戻っていってもいいのですが、 まだまだ時間に余裕があったので、この近くにある鉢岡山へ登ることにしました。 金剛山を経ていってもいいのですが以前にも登っているので、 今回は金剛山から日連山や宝峰へと続く尾根の中ほどにある杉峠を越えて鉢岡山へ向かっていくことにしました。
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