天照山
散策:2007年10月中旬
【低山ハイク】 天照山
概 要 天照山は箱根の南にある標高750mほどの山です。 今回は奥湯河原から天照山ハイキングコース・白銀ハイキングコース・幕山ハイキングコースを経て五郎神社へ至るルートを歩きます。 途中には滝があったり沢を渡る場面があったり見晴らしのいい所があったりと、変化に富んだコースになっています。
起 点 湯河原町 奥湯河原バス停
終 点 湯河原町 鍛冶屋バス停
ルート 奥湯河原バス停…紅葉橋…城ヶ尾橋…広河原林道…天照山神社入口…去来の滝分岐…去来の滝…天照山神社…白雲の滝…天照山バス停…椿ライン…箱根レーダー局前バス停…白銀ハイキングコース入口…土肥大杉跡分岐…土肥大杉跡…沢…沢…沢…白銀林道…沢…幕山分岐…大石平…クスノキの純林分岐…一の瀬…しとどの窟分岐…一の瀬橋…新崎川…幕山公園…五郎神社…鍛冶屋バス停
所要時間 5時間50分
歩いて... この時は前夜の雨上がりの日だったので、山からは雲が湧き出ていて、見晴らしは今ひとつでした。 全体的にはそれほど急な所はなくて、息が切れてしまうことはありませんでしたが、 特に白銀ハイキングコースでは笹や夏草などが生い茂っていたり蜘蛛の巣が張っていたりして、 煩わしい思いをする所が幾つもありました。 山道を歩いていて沢ガニに出合うというちょっとした楽しみもあったりしました。
関連メモ 白銀林道, 幕山
コース紹介
奥湯河原(おくゆがわら)バス停
湯河原駅(JR東海道線)から奥湯河原行きバスにて18分、1時間に4本程度の便があります。
藤木川に架かる梅園橋を渡った所にバス停があります。 金属網のゴミ置場の脇のブロックの囲いに「天照山ハイキングコース入口」と書かれた標識が取り付けられていて、 藤木川の右岸に沿ってに続く坂道を指しています。
湯河原駅から1時間に1本程度出ている大観山経由元箱根行きバスに乗って、 ひとつ手前の奥湯河原入口バス停で下車しても、150mほどの所にあります。
紅葉橋
藤木川に沿って続く坂道を登っていきます。 川の流れの音を聞きながらかなり傾斜のある坂道を登っていくと、 赤い温泉マークの付いたブロック製の八角形の設備があります。 温泉の汲み上げ設備なのでしょうか。 その設備を過ぎていくと紅葉橋が架かっています。 錆び付いたガードレールのような欄干で、橋という感じはあまりありません。 名前からすると、周囲には紅葉が沢山あるのでしょうか。
城ヶ尾橋
小さな竹林を過ぎて坂道を更に進んでいくと広河原バス停があります。 湯河原駅から元箱根方面への便が午前中に3本あるので、時間が合えば乗ってくるといいでしょう。 広河原バス停を過ぎていくと、奥湯河原バス停から10分ほどで分岐があります。 角には天照山ハイキングコースの道標が立っていて、右手に別れていく道は「天照山神社1500m・白雲の滝1850m」、 今来た道は「奥湯河原バス停700m」となっています。 正面の城ヶ尾橋を渡ってその先へと続く道路は何も示されてはいませんが、 湯河原パークウェイ有料道路への入口に続いているようです。 脇には記念碑が立っています。 ここは城ヶ尾橋の手前から右手へと曲がって藤木川に沿って続く道を進んでいきます。
広河原林道
小さな堰が幾つもある藤木川に沿って2分ほど進んでいくと、 道の脇に「広河原林道」の標識が立っています。 延長からすると、広河原林道はここから天照山神社入口までの区間のようです。 標識を過ぎて右手へとZ字形に折れ曲がって登っていくと、 壊れた道標が山際に落ちていて、「天照山バス停45分」となっていました。 今回はここから天照山ハイキングコースの終点である天照山バス停まで、 休憩なども含めて1時間45分ほどかかりました。 湯河原温泉観光協会のサイトにあるハイキングガイドによると、 この先の天照山神社入口からでも天照山バス停まで55分かかるようなので、 ここの道標の45分というのはどういう意味なのかはよく分かりませんでした。
広河原林道
全延長640m 幅員4.0m 設計速度20km/時
・落石には十分注意して下さい。
・カーブでは必ず徐行して下さい。
・路肩の走行は避けて下さい。
 (湯河原町)
道標を過ぎて土の道に変わった林道を2分ほど進んでいくと、 左手の藤木川に大きな砂防ダムがあります。 高さ12.0m、長さ64.8mあるのだそうです。 手元の資料によると城ヶ尾堰提というようです。 砂防ダムを過ぎていくとすぐに道が二手に分かれています。 左手の道はすぐ先で細い道になっていますが、ここは正面から右へと曲がっていく林道を進んでいきます。
天照山神社入口
護岸工事された沢に架かる橋を渡って左手へと道なりに進んでいきます。 橋を過ぎて3分ほど進んでいくと、道端に丸太が横たわっていてベンチのようになっていました。 その手前から左手の藤木川へ降りていく細い道がありました。 試しにちょっと降りてみると、すぐに土砂で埋まった砂防ダムの上流側の河原に降り立ちました。 河原から林道に戻ってその先へ進んでいくと、すぐに小広くなった所に着きます。 右手にはトイレがあって、その左手に鳥居が立っています。 ここがハイキングガイドにある天照山神社入口になるようです。 奥湯河原バス停から30分ほどで到着しました。 広河原林道はここで終わって、これから先は山道になります。 鳥居の脇に立つ道標「天照山神社850m・白雲の滝1250m」に従って、 その先へと続く山道を登っていきます。
保安林区域図
この区域は森林がもっているいろいろな働きを守るため、保安林に指定されています。 保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県西湘地区行政センター林務部森林保全課)
鳥獣保護区
この附近は鳥獣保護区内です。 狩猟は一切できません。
注意
カスミ網の使用は禁止!
 (神奈川県)
鳥居をくぐって山道を2分ほど進んでいくと、左手の河原に降りていける所がありました。 藤木川もこの辺りまでくると細い沢のようになってきます。 河原を流れる浅いせせらぎのようになっていて、暑い夏場ではひと息入れていくのに良さそうな所でした。
緑は森呼吸 山火事注意
たばこ・たき火はよく消そう!
 (神奈川県、森林国営保険)
沢から上がって山道をその先へ登っていくと植林帯に入っていきます。 今登ってきた道を指す道標「奥湯河原バス停25分」を過ぎていくと、横木の階段混じりの登りになってきます。 竹製の手摺が付けられていたりもします。 引き続き砂防ダムが続く藤木川沿いに進んでいきます。 道標「天照山神社500m」を過ぎていくと、岩壁の脇を通るようになります。 竹から金属管に変わった手摺の設置された道を進んでいくと、小さな沢に架かる2mほどの丸太橋を渡っていきます。 すぐ先にはその倍ほどの長さの丸太橋が架かっています。 その橋を渡って山道を登っていくと、更に倍ほどの長さの丸太橋が沢に架かっています。 下を流れているのは、藤木川の源流になるようです。 天照山神社入口から14分ほどの所になります。
たき火・たばこに注意
 (神奈川県)
去来の滝分岐
丸太橋を渡っていくと石段が始まります。 自然石を積んで造られた石段で、かなり以前に造られたもののようでした。 その昔には天照山神社の参道として整備されていたのでしょうか。 所々には横木の階段が混じっていたりもします。 植林帯から雑木林に変わった斜面をジグザグに登って緩やか道になると分岐があります。 天照山神社入口から24分ほどの所になります。 角に立つ道標によると、右手の道は「去来の滝」、 左手の道は「椿ライン・白雲の滝」、今登ってきた道は「湯河原駅」となっています。 左手の道を進んでいくとすぐに天照山神社がありますが、 去来の滝を訪ねていくことにしました。
去来の滝
分岐から広めの道を右手へ進んでいくと、斜面に沿って細い道を降るようになります。 分岐から1分半ほど降って沢筋に着くと、道が途切れていました。 段差が高くて沢まで降りていくことも出来ません。 以前には道があったのかも知れませんが、この時にははっきりしませんでした。 沢の上流の方を伺ってみると、森の中に小振りの滝が見えていました。 あれが去来の滝なのだろうかと思ってみても、傍まで行けそうな経路がありません。 仕方がないので遠くからズームアップして写しただけで引き返すことにしました。 解説板などは見かけませんでしたが、去来する人生の思いを忍ぶ山伏修行の滝なのだそうです。
沢から引き返してくると、先ほどの分岐の手前から細い道が右手へと分かれて登っていきます。 来る時には気がつかなかったのですが、ハイキングガイドに載っている分岐道のようです。 どちらへ進んでも天照山神社へ続いているようなので、ここは右手に登っていく細い道を進んでいきました。 来た道よりもかなり細い道を3分ほど登って緩やかになってくると、開けて小綺麗な所に出ました。 更に正面へ進んでいくと、左右に通る広めの道に出ました。 出た所には壊れた道標が落ちていて、右手の道は「天照山・白雲の滝」、 今来た道は「去来の滝」となっていました。 ここは天照山神社のすぐ前にある広場のような所になります。 先ほどの去来の滝分岐を左手へ進んできた参道のようで、左手には鳥居が立っていました。
天照山神社
両側に樹木が植えられて回廊のようになった参道を真っ直ぐに進んでいきます。 最後に短い石段を登っていくと天照山神社の社殿があります。 天照山神社入口から35分ほどで到着しました。 大きな拝殿とその裏手に白木造りの小振りな本殿がある立派な姿をしていました。 昭和6年の建立とのことで、神社としては新しい部類に入るのでしょうか。 右手には手水場があり、左手にはベンチやテーブルが設置されていました。 左手の社務所のような建物の前には、常に水が流れ出ている蛇口があったりします。 柄杓が置いてあるところをみると飲めるのだろうと思います。 暑い夏場には重宝しそうに思えました。 ここでベンチに腰掛けてひと休みしていきました。
天照山神社
昭和6年の建立。
祭神は天照大神・猿田彦命・大成大神。
例祭は5月22日、多くの信者の参詣がある。
 (湯河原町)
奉斎御神名
天照皇大神、猿田彦大神、大成大神、天善大神
 (天照山神社)
15分ほど居た天照山神社を後にして更に登っていきます。 右手の手水場の裏手に倒れた道標があって、 社殿の右手から続く道は「バス停天照山入口・白雲の滝」、 今来た道は「湯河原駅」となっていました。 ここは社殿の右手から斜面に沿って続く山道を進んでいきます。 3分ほど進んで道の谷側に手摺が現れると、小さな沢筋を渡っていきます。 その先の小さな木橋を渡って、引き続き手摺の設置された道を進んでいきます。 丸太が横になった階段のような橋もあったりしますが、特に危険という感じではありませんでした。 3分ほどで手摺がなくなった道をその先へ進んでいくと浅い谷筋に着きます。 その先の小さな沢に架かる桟橋のような木橋を渡っていきます。
木橋を渡ってその先へ進んでいくと、道端には笹が生い茂るようになりますが、 道の部分が覆われている訳ではないので煩わしくはありません。 木橋から1分ほどの所で道が二手に分かれています。 右手の道を降っていくとすぐに沢へ降りていけます。 沢には大きな石がゴロゴロとしていました。 道はそこではっきりしなくなっていたので引き返してきて、左手の道を登っていきました。
白雲の滝
手摺の設置された道を登っていくと、正面に滝が現れました。 左手には鳥居が立っていてその奥には石仏と小祠がありましたが、名前などは分かりませんでした。 鳥居の脇には道標が立っていて、正面の沢筋の先は「白雲の滝」、 鳥居の左手から続く道は「つばきライン」、今登ってきた道は「奥湯河原」となっています。 正面に見えているのが白雲の滝のようです。 天照山神社から10分ほどで到着しました。 滝は沢の少し上流側にあります。 滝までの明瞭な道はありませんが、先ほどの去来の滝とは違って、間近まで何とか沢を歩いて行けそうでした。 足元に注意しながら滝の真下まで行くと、 岩壁の上から水が勢いよく流れ落ち、飛沫がシャワーのように降り注いできて、 辺りはヒンヤリとした空気に包まれていました。 解説板などは見かけませんでしたが、落差は30mほどあるのだそうです。 浅い滝壺には薄っすらとながら虹がかかっていたりもしましたが、写真には上手く写せませんでした。 滝を写したりしながら、ここでもしばらく休憩していきました。
15分ほど居た白雲の滝を後にして、その先へと進んでいきます。 道標「つばきライン」の板が鳥居の奥を指していて不自然なのですが、 ここは鳥居の左手からその先へと続く道を登っていきます。 滝から離れて雑木林の斜面をジグザグに登っていきます。 横木の階段や手摺が設置された急傾斜の登りが続きます。 笹が生い茂る所もあったりしますが、道の部分は刈り払われていて分かり易くなっていました。
沢からかなり離れていると思われるのに、山道では沢ガニが歩いていました。 甲羅が2cmほどの小さなカニで、甲羅は青い感じで手足は淡い色をしていました。 一匹、暫くしてまた一匹と、離れた場所で数匹を見かけました。 沢で生まれてここまで登ってきたのでしょうか。 目的はよく分かりませんが、群れでいる感じではありませんでした。 近寄っていくと一丁前に鋏を振りかざして威嚇してきたりもしますが、 両足の外側から指で挟むと簡単に捕まえることができたりします。
やがて左手へ曲がっていくと、潅木が生えるようになって雰囲気が少し変わってきます。 樹木越しに山の上の丸いドームが見えるようになると、 緩やかな道の先に鳥居が立っていました。 脇には天照山ハイキングコースの道標が立っていて、 今登ってきた道は「白雲の滝350m・天照山神社750m」となっていました。 これで天照山ハイキングコースは終わりになるようです。 白雲の滝から18分ほどで登って来られました。
天照山…
「天照山」はこの辺りになるのでしょうが、 この先には県道が横切っていて、その向こうには山の斜面が続いているし、 ピークという感じは特にありません。 見落としたのかも知れませんが、山頂である旨の標識なども見かけませんでした。
天照山バス停
緩やかで広くなった道を数10m進んで県道75号(椿ライン)に出ると、 すぐ左手に天照山バス停があります。 湯河原駅と元箱根方面を結ぶ便が1時間に1本程度あります。 ここで散策を終えてバスに乗って帰ってもいいのですが、まだ時間に余裕があったので、 今回はこの先2kmほどの所から始まる白銀ハイキングコースを歩くことにしました。 バスの時刻までまだ20分以上あったので、このまま県道を左手へと歩いていきました。
歩いている途中でバスが追い越していったので、 バスを待って次の箱根レーダー局前バス停まで乗っていった方が早く着いたようです。
椿ライン
白銀ハイキングコースの入口へ向かって、軽く登り気味に続く県道75号(椿ライン)を歩いていきます。 自動車やオートバイが引っ切り無しに通っていくので、歩いていて快適という道ではありません。 特にエンジン剥き出しのオートバイはうるさくて、 ブロロロロ〜ンと耳を劈くような音をたてて通り過ぎていきます。 かなりスピードを出していたりして、道端を歩いていても身の危険を感じたりします。 道端にはススキが穂を出していたり、樹間から山並みを見渡せたりする所があったりもします。 大きく右へ曲がって正面に丸いドームが見えてくると右手が開けてきて、 山並みや海などを見渡せる景色が広がってきました。 あれが初島か、あれは手石島かと思ったりしながら眺めていました。 この時は雲が低い所に立ち込めていて眺めは今ひとつでしたが、 何度か立ち止まって写真を撮ったりしながらゆっくりと進んでいきました。
箱根レーダー局前バス停
やがて大きく左へ曲がっていくと、右手に戻るようにして道が分かれていきます。 その入口には鎖が張られていて「立入禁止」の札が下がっていました。 先の方に見えている丸いドームが乗っかったような建物は箱根レーダー局というようです。 分岐のすぐ先には箱根レーダー局前バス停があります。 先ほどの天照山バス停から歩いて28分ほどかかりましたが、バスに乗ると3分で来られるようです。
(写真はバス停から振り返って分岐を写したものです)
白銀ハイキングコース入口
箱根レーダー局前バス停を過ぎて県道をその先へと進んでいきます。 6分ほど進んでいくと、大きく左へ曲がっていく角から山道が右手へと分かれていきます。 この山道が白銀ハイキングコースで、 入口には「土肥の大椙跡」の石碑や道標などが設置されています。 天照山バス停から35分ほどで歩いて来られました。 白銀ハイキングコースを歩き始める前に、ここでひと休みしていきました。
史跡 土肥の大椙跡
治承4年(1180)、石橋山の合戦に敗れた源頼朝主従地元豪族土肥実平一族に僅かに七騎、 この辺りの大杉の伏木の空洞に隠れた所と伝えられる。 平家方・大庭景親の命により梶原平三景時は、伏木の中をうかがい、頼朝と目が合ったが、 助けようと決意し、蜘蛛の糸を鎧に付け出て来て、誰もいないと他の者の探索を許さなかった。 後に、景時は頼朝の家来になったという。 世に言う「土肥大椙の一件」まさに歴史の転機鎌倉幕府発祥の起源である。 大正6年大暴風雨で倒れるまで、大朽穴のある大杉があり、頼朝主従が隠れたと伝えられていた。
 (土肥会、湯河原町、神奈川県)
吉浜自然環境保全地域
379.1ha 自然を大切に
建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県西湘地区行政センター環境部、湯河原町経済建設部農林水産課)
緑は友だち 山火事注意
 (森林国営保険、神奈川県)
疲れも癒えたところで、白銀ハイキングコースを歩いていきます。 入口には白銀ハイキングコースの道標が立っていて、右手へ降っていく山道は「土肥大杉跡400m・白銀林道2400m」、 今歩いてきた県道は「レーダー局前バス停500m」となっています。 また「土肥の大椙.跡 北東へ約400米」の石碑や「土肥の大杉跡」の標識も右手の山道を指しています。 これらに従って、雑木林に続く細い山道を降っていきます。
土肥大杉跡分岐
笹などが生い茂る急坂を降っていくと、2分ほどで植林帯へ入っていきます。 小さな沢のような所を過ぎてV字谷の斜面に続く山道を降っていきます。 石がゴロゴロした涸れ沢に架かる短い木橋を渡って、軽く登り気味になった道を進んでいきます。 再び道端に笹が生い茂るようになった道を進んでいくと、県道から7分ほどで分岐があります。 角に立つ道標によると、右手の道は「土肥大杉跡」、今歩いてきた道は「レーダー局前バス停13分」となっています。 左手の道は何も示されてはいませんが、白銀ハイキングコースは左手へと続いています。 土肥大杉跡は右手の先のすぐ近くにあるので、ちょっと往復してくることにしました。
小さな火 まさかがおこす 山の火事
 (神奈川県)
土肥大杉跡
電柱の立つマウンドを越えてその先へ降っていくと、1分もしない所に石碑が立っています。 円い石積みの上に立つ石碑は谷側を向いていて、正面には「源頼朝公史蹟 土肥大杉」と刻まれていました。 よく読めませんでしたが、裏面にも何やら文字が刻まれていました。 僅かに読める文字を繋げてみると、土肥大杉の由来などが刻まれていたようでした。 脇には「土肥の大杉」と題した案内板が設置されていました。 源頼朝主従が隠れたという大杉は大正6年に倒れてしまったようですが、 この石碑のある場所に生えていたのでしょうか。 土台になっている円い石積みが大杉の根回りを表しているのだとすれば、相当に大きな杉だったようです。
土肥の大杉
治承4年(1180)8月、石橋山の合戦で平家に敗れた源頼朝は、 わずかな配下とともに土肥山中の杉山に落ちのびた。 追い詰められた主従はこの大杉の空洞で息を潜めていたが、 敵将の梶原景時はそれと知りつつ機智をもって頼朝をかばい、その命を救ったという(源平盛衰記)。 残念ながらこの大杉も大正6年(1920)の台風で倒れてしまった。
土肥大杉跡から先ほどの分岐まで引き返して、白銀ハイキングコースをその先へと進んでいきます。 笹の生える道を1分ほど降っていくと、小さな沢に架かる丸太橋を渡っていきます。 右下に続く沢に沿って進んでいくと再び植林帯を進むようになります。 沢から離れて笹の生い茂る道を進んでいきます。 笹が道を覆っている所が何箇所もあったりしますが、少し進んでいくとすぐに分かりやすい道になってきます。 土肥大杉跡から13分ほど降っていくと白銀ハイキングコースの道標が立っていて、 右へと曲がっていく道は「白銀林道1600m」、今降ってきた道は「土肥大杉跡800m」となっていました。 道標に従って右手の笹の生い茂る道を更に降っていきます。 笹を抜けていくと降り傾斜が少し増してきます。 再び笹が生い茂るようになると、右手に沢が流れる谷筋を降るようになります。
豊かな緑 山火事注意
たばこ・たき火は完全に消そう!
 (森林国営保険、神奈川県)
2分ほど降っていくと、小さな沢に架かる丸太橋を渡っていきます。 丸太の手摺が付けられていたりもしますが、 前夜の雨で滑りやすくなっていたので、注意しながら渡っていきました。 沢には角ばった大きな石がゴロゴロしていましたが、水は僅かしか流れていませんでした。
丸太橋を渡って植林帯に続く歩きやすくなった道を降っていくと、10分ほどで大きめの沢に降り立ちます。 土肥大杉跡から38分ほどで到着しました。 手元の地形図にこの沢は描かれていませんが、904.8m峰の北北東700mほどの所にある谷を流れる沢のようです。 沢に道のようなものは付いていませんが、沢の向こう岸を見ると道標のような物が見えていたので、 あそこへ行けばいいのだろうと見当をつけて沢を渡っていきます。 これまでにあったどの沢よりも広くて、大きな石がゴロゴロとしていて流れる水の量も多めでした。 石の上を選びながら何とか向こう岸へと渡っていきました。 正午を少し過ぎた時刻になったので、座り心地の良さそうな石を選んで、ここで昼食タイムにしました。 食事をしながら頭上を見上げると、周囲の樹木に囲まれてポッカリと開いた空間には青空が広がっていました。 何だか静かな時の流れを感じたりしながら、暫く佇んでいたのでした。
(写真は沢の上流方向を写したものです)
お腹も満ちて落ち着いたところで、沢から上がってその先へと進んでいきます。 沢の手前から見えていた道標を見つけると、その先の道は「白銀林道」、 沢の方は「土肥大杉跡」となっていました。 この道でいいと確認して、道標の指す道を進んでいきます。 植林帯を掠めていくと雑木林へと入っていきます。 細い木や草などが生い茂っている所もありますが、道はしっかりと続いていました。 道の両側に笹が生い茂っていたり大きな岩が頭を出していたりもしますが、 傾斜は緩やかで歩き憎くはありません。
たばこの投げ捨て!火事のもと
 (神奈川県)
やがて下草もなくなって明るい雑木林を降るようになると、先ほどの沢から3分ほどで再び沢に降り立ちます。 先ほどのよりも細い沢ですが、結構水が流れていたりもします。 ここでは道標を見かけませんでしたが、沢の向こう岸に踏み跡らしい所があったので、 そこを目指して沢を渡っていきました。 ゴロゴロする石もそれほど大きくなくて、渡るのに苦労はありませんでした。 沢の向こう岸へ着いて、雑木林に続く道を進んでいくと、幅1mほどの小さな沢を過ぎていきます。
白銀林道
少し登り坂になった歩きやすい道を進んでいきます。 所々で樹木が低くなって山並みを見渡せたりもします。 やがて夏草が生い茂る道を掻き分けて進んでいくと、急に広くなった道になります。 更にその先へ進んでいくと、すぐにしっかりとした白銀林道に出ます。 昼食をした沢から20分ほどで到着しました。 林道に出た所には白銀ハイキングコースの道標が立っていて、 右手の道は「しとどの窟5500m」、左手の道は「幕山3000m」、 今歩いてきた道は「土肥大杉跡2000m」となっています。 左右に通る白銀林道は、箱根湯本の小田原湯本カントリークラブの入口から湯河原の椿台まで続く延長26.731kmの林道で、 舗装路になったり砂利道になったりしながら幅4mほどの道が緩やかに続いています。 白銀ハイキングコースは、この白銀林道を斜めに横切るようにして左手へと続いています。 林道に出て左手へ数10m行った所から右手へ分かれていく道があります。 その角に白銀ハイキングコースの道標が立っていて、 右手に分かれて降っていく道は「大石ヶ平1400m」となっています。
(白銀林道については「白銀林道」を参照)
たき火・たばこに注意
 (神奈川県)
発砲危険!
近くにハイキング道路あり!危険!
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう。 建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県)
道標「大石ヶ平」に従って、白銀林道から分かれて白銀ハイキングコースを更に降っていきます。 歩き始めの所は幅も広くて歩きやすい道が雑木林に続いています。 これなら楽勝だと思って緩やかな道を進んでいくと、次第に笹や草などが生い茂るようになります。 もうこれ以上は進めないかと諦めたい気分になったりもしますが、 煩わしい所はそう長くは続かずに、草木を掻き分けるようにして10mも進んでいけば、 また分かりやすい道になってきたりします。 そんな所を幾つも過ぎながら、白銀ハイキングコースは雑木林の中に緩やかに続いています。 歩く人が少ないのか、蜘蛛の巣が何度も顔にかかったりもするので、 枯れ枝を拾って前に振りかざしながら歩いていきました。 このコースは冬枯れの季節に歩くのが良さそうに思えました。 樹木越しに山並みを見渡せたりする所もあったりしますが、どの山なのかはよく分かりませんでした。
白銀林道から煩わしい思いをしながら13分ほど進んでいくと、幅1m強の沢があります。 手元の地形図によると、幕山の北西1200mほどの所から二股に分かれている沢の東側の方の沢になるようです。 水はかなり流れていますが、小さな沢だからなのか、橋などは架かっていません。 渡っていけそうな石もなく、沢へ降りて渡っていくには落差が結構あるし…などとしばらく考えた末、 ここは思い切って、勢いをつけて飛び越えていきました。 疲れが溜まってきた足腰には辛い飛び越えで、危うく沢へ落ちそうになりましたが、何とか持ちこたえました。
沢を飛び越えて、笹の生い茂る広めで緩やかな道を進んでいきます。 やがて急に降るようになると、白銀林道から18分ほどで広い道に降り立ちました。 右手には金属柵があって「水道施設につき立入禁止」の看板がかかっていました。 手元の地形図によると、ここは沢が二股に分かれている所の南東100m付近になるようです。 これで山道は終わりになります。 道標類は見かけませんでしたが、林道のように広い道を左手へと進んでいきます。
(写真は左手へ出た所から振り返って写したものです)
幕山分岐
広くて緩やかな道を進んでいきます。 白銀林道から降ってきた山道の煩わしさから開放されて、歩いていても気持ちのいい道が続きます。 一旦簡易舗装された道になりますが、その先で再び土の道になります。 右手に流れる沢などを眺めながら進んでいくと、 広い道に降り立ってから8分ほどで、左手に山道が分かれていきます。 角には「幕山ハイキングコース」の道標が立っていて、左手へ分かれて登っていく道は「幕山1700m」、 正面の広い道は「五郎神社3200m」、今歩いてきた道は「白銀林道2500m」となっています。 白銀ハイキングコースはここで終わって、 ここから五郎神社の脇にある鍛冶屋バス停までの道は幕山ハイキングコースになるようです。
(左手の道は「幕山」を参照)
大石平
幕山への分岐を見送っていくと、すぐに白いガードレールが設置されたコンクリート製の橋を渡っていきます。 橋を渡った所に「大石平」の標識が立っていました。 「水道施設管理橋につき一般車輌の通行禁止」の立て札があったりもします。 「水道施設管理橋」というのが橋の名前なのでしょうか。
橋を渡った所から右手へと道が分かれていて、河原へ降りていけるようになっていたので、 試しにその道を降っていくと、右手からも小さめの沢が合流している所になっていました。 手元の地形図によると、この川は新崎川というようです。 土肥大杉跡の先から続いていた沢は、この新崎川の源流域にあたるようです。 ここで脇に腰を下ろしてひと休みしていきました。
大石平は「大石ヶ平」とも書くようですが、現地で見かけた「大石平」を使用しておきます。
クスノキの純林分岐
大石平を後にして広い道を1分ほど進んでいくと、舗装路になってきます。 路上では沢ガニが歩いていたりもしました。 藤木川の方にいた沢ガニと大きさはほぼ同じでしたが、色は全体的に茶色い感じになっていました。 正面に城山方面の山並みを眺めながら緩やかに降っていくと、植林帯へと入っていきます。 小さな沢を過ぎていくと、大石平から10分ほどで分岐があります。 角には道標が立っていて、右手に分かれて登っていく山道は「クスノキの純林」となっていました。 脇には「クスノキの純林」の解説板も設置されていました。 それに載っている「幕山周辺ハイキングマップ」によると、純林まで約20分とのことでしたが、 この時には「工事中のため歩行者通行止め 11月末迄」となっていました。
クスノキの純林(かながわの美林50選)
明治時代の終わりに植えられた約3ヘクタールのクスノキのもりです。 クスノキはむかしショウノウ(防虫剤)の原料としてたいせつだったので植えられました。
 (湯河原町、神奈川県)
一の瀬
クスノキの純林への分岐を見送って1分ほど進んでいくと、右手から大きめの沢が合流してきます。 その前後が綺麗に整備されていて公園のようになっていました。 手元の地形図によると、幕山の西南西700mほどの所にある道が二手に分かれている辺りになるようです。 この場所の名前を示すようなものは見かけませんでしたが、この辺りは一の瀬というようです。 沢の左右には同じ「吉浜財産区記念碑」と題した石碑がありますが、 設置された時期が違うようで、刻まれている文も異なった内容になっていました。 また橋の袂には、大きな岩を刳り貫いた所に小さな祠が安置されていました。 脇には「鍛冶屋山の神」と題した石碑もありました。 地元の方なのでしょうか、辺りの写真を写したりしていると、「山の神」にお参りをしていかれました。
吉浜財産区記念碑
この周辺は、古くから「土肥の椙山」と言われ、天然杉が生い繁っていたところである。 明治39年、足柄下郡が日露戦後の殖産政策として始めた当地の植林事業は、 大正12年の郡制廃止に伴って郡下の町村に引き継がれ、先人の努力によって成林した。 昭和30年、町村合併に際して関係町村は協議のうえ、植林地一帯の土地を所有する吉浜財産区を設けた。 昭和51年、70年に及んだ植林の地上権満了の折、財産区は地上権者の樹木所有権の一切を買取り、 念願であった財産の自主管理をすることとなった。 丹精をこめて樹木を育てる貴重な喜びを後世に伝えるとともに、 この美林の育成に貢献した事蹟を顕彰するため、 財産区設立30周年を記念して、この碑を建立する。
 (昭和61年3月 湯河原町吉浜財産区)
吉浜財産区記念碑
昭和31年の町村合併の際に吉浜財産区が設立されてから、はや50年が経過した。 先人の努力により、念願であった財産の自主管理を達成し、 地区内の人々が植林や下刈りなど丹精をこめて樹木を保護育成してきた。 この間、森林の役割は木材恐竜の生産林から、水資源のかん養や自然環境保全などの役割を担う環境林へ、 更には人々の癒しの場へとその意義も大きく変化したことから、 設立50周年を節目として財産区を廃止し、その財産を町へ移管することとした。 ここに、豊かな緑と水の輝きにあるれるこの美林を湯河原の素晴らしい自然とともに 後世へ確実に引き継いでいくことを決意しこの碑を建立する。
 (平成18年11月 湯河原町吉浜財産区)
鍛冶屋山の神
豊かな山の幸に感謝し仕事の安全をねがい、江戸末期から「山の神」が山仕事の仲間によって祭られました。 その後、毎年1月16日に鍛冶屋山の神講によって祭事が行われ、山の恵みや安全を祈願しています。 この「山の神」は、平成16年10月26日に山の中腹から現在地に移設されました。
 (平成18年11月)
しとどの窟分岐
沢を過ぎていくと、すぐに分岐があります。 角には道標が立っていて、右手へ登っていく道は「しとどの窟1200m」、 左手へ降っていく道は「五郎神社3000m」、今来た道は「幕山2000m」となっていました。 この右手の道にも「工事中のため歩行者通行止め 11月末迄」の看板が立っていました。 右手の道は菜畑林道というようで、その旨の標識も設置されていました。 看板によると菜畑林道の開設工事とのことでした。 ここは五郎神社へ向かって左手へと降っていきました。
(右手の道は「幕山」を参照)
菜畑林道
全延長385m 幅員3.0m 設計速度20km/時
・落石には十分注意して下さい。
・カーブでは必ず徐行して下さい。
・路肩の走行は避けて下さい。
 (平成3年4月 湯河原町)
一の瀬橋
坂道を1分半ほど降っていくと、左手を流れる新崎川に橋が架かっています。 名前を示すようなものは見かけませんでしたが一の瀬橋というようです。 橋の手前から右手へ道が分かれていて、 分岐点には「夫婦の桜の郷」と刻まれた石柱が立っていました。 この辺りには桜の若木が沢山植えられていました。 結婚記念の植樹なのでしょうか。 橋を渡った所から左手へ横木の階段が分かれて登っていきます。 登り口には「散策路」と書かれた標識が草に埋もれるようにして立っていました。 その散策路は見送って、正面に続く広い道をその先へと進んでいきます。
緩やかな舗装路を進んでいきます。 振り返ると、山から雲が湧き出ていました。 前夜に降った雨が蒸発して立ち昇っているようです。 道端にはちょっとした池があって、大きな鯉が沢山泳いでいたりもしました。
山火事予防
森は生きています…
マナーを守り、みんなの山を大切に
 (湯河原町消防本部)
新崎川
右手が広がってくると大きな砂防ダムがあります。 上流側は埋まっていて広い河川敷のようになっていました。 ダムを過ぎていくと道端に大きな岩があって、そこから右手へと幅の広い石段が分かれて降っていきます。 そのまま舗装路を進んでいってもいいのですが、 多少でも趣があるようにと、右手の石段を降っていきました。 すぐにちょっとした広場に降り立つと、先ほどの砂防ダムの下流側にもうひとつダムがあって、 水が勢い良く流れ落ちていました。 散策路は左折して新崎川沿いに続いています。 石畳になった散策路を緩やかに降っていくと、新崎川の畔に着きます。 川には飛び石があって、向こう岸へ渡っていけるようになっていました。
幕山公園
川辺からその先へと進んでいきます。 正面にある広場の前を道なりに左手へ進んでいくと、トイレや屋根付きベンチのある休憩所に着きました。 大石平から35分ほどで到着しました。 脇にある「幕山公園案内図」によると、先ほど舗装路から分かれてきた辺りから下流側が幕山公園で、 新崎川に沿ってシャクナゲ園・多目的広場・芝生広場・遊具広場・ショウブ園などがある細長い公園のようです。 ここはその上流端から1/4ほどの所になるようです。 トイレのある建物には「民話の館」が併設されていました。 正面には車道が来ていて、U字形に曲がっている角にあたっています。 この山側の一帯には湯河原梅林が広がっていて、花の季節には多くの観梅客で賑わう所です。 ベンチに腰を掛けて、ここで最後の休憩をしていきました。
(写真はベンチの先の車道から振り返って写したものです)
幕山公園利用の注意
1.施設を傷つけたりこわしたりしないでください。
2.植物を傷つけたり採取しないでください。
3.火気の使用は注意して行ってください。(たき火は禁止)
4.キャンプはできません。
5.ゴミは持ち帰りましょう。
6.人に迷惑となることはしないようにしましょう。
 (湯河原町)
お知らせ
湯河原梅林は、平成18年の「梅の宴」開催期間から入園料をお支払いしていただくこととなりました。 皆様からお支払いいただきました入園料は、梅林の整備育成など、 よりよい梅林公園にするための経費に使用させていただきます。 皆様方には、趣旨をご理解の上、ご利用いただきますようお願い申し上げます。
有料期間 :「梅の宴」開催期間
開園時間 :午前8時〜午後5時
入園料 :1人1回 200円 15才以上(中学生を除く)
 (湯河原町役場観光課)
辺りを少し歩いたりしながら15分ほど居た休憩所を後にして、バス停を目指してその先へと進んでいきます。 U字形に曲がっている道の右手へ進んでいくと、新崎川の右岸を経て診療所前バス停へ続いていますが、 今回は左手へ少し登って高台に続く道を鍛冶屋バス停へと向かっていきました。 左手の坂をひと登りすると、砂防ダムの先を直進してきた舗装路に登っていきます。 そこから緩やかな舗装路を降り気味に進んでいきます。 幕山浄水場を過ぎ、右手へ降っていく道を分けて道なりに真っ直ぐ進んでいきます。 両側にヒノキが立ち並ぶ所を抜けて黒石配水池を過ぎて更に降っていくと、小川に架かる橋があります。 その手前から右手へ分かれていく道は見送って橋を渡っていくと、広い道が右手へと分かれて降っていきます。 手元の地形図によると、右手の道は集落を抜けて鍛冶屋バス停と診療所前バス停の間の辺りへ出られるようですが、 今回は正面に続く高台の道を更に進んでいきました。 生垣がある坂道を軽く登ってその先へ進んでいくと、民家が次第に増えてきます。 道の脇のミカン畑の先には湯河原の街や海が広がっていました。 平らな姿をした初島もよく見えていました。 その左手の奥にぼんやりと見える尖った感じの大きな島影は伊豆大島でしょうか。
五郎神社
南郷山への道を左手へ分けて道なりに降っていくと、こんもりとした小さな森が見えてきます。 森の脇に続く道を進んでいくと五郎神社があります。 幕山公園の休憩所から30分ほどで歩いて来られました。 鳥居の脇には由緒書きがあるのですが、長年の風雨に晒されて文字が擦れ、 残念ながらほとんど読めなくなっていました。 その中の地名考によると、「鍛冶屋」という名前の由来はよく分らないようです。 しかし祭神が金山彦尊となっているので、「鍛冶」とは何らかの関連があるのだろうと思われます。 鳥居をくぐってその先の参道を進んで石段を登っていくと社殿があります。 歴史を感じさせる佇まいで、本殿と拝殿のある立派な社殿でした。 村社ということで、この地区の鎮守の森のようです。 拝殿の前には太い注連縄が張られていて、鈴を鳴らす房が二本下がっていました。 名前は分かりませんでしたが、社殿の両側には小振りの社が合祀されていました。 社殿の裏手の森には、根回りが10m以上はあろうかと思われる特大の樹木が生えていたりもします。
宗教法人「五郎神社」
鎮座地 湯河原町鍛冶屋715番地
祭神 金山彦尊、面足尊
由緒 元亀年間創立自…明治6年7月…村社に定められ…を合祀し… 昭和22年より神社制度の変革あり…郷氏の守護神として広く…崇敬を集めている。
例祭日 4月19日〜20日
地名考 鍛冶屋…と地名の付いている所はかつて鍛冶職が住んだことに由来しているといわれている。 しかし鍛冶屋については風土記によると…鍛冶屋村とあるが、鍛冶職についてはふれていない。 江戸初期の貞亨3年(1686)小田原藩に出されたこの村の差出帳からも鍛冶職の技術集団が住んだ事を 裏づけるものは何も見出せない。 差出帳に記録されているこの村の当時の軒数は54軒であり、その身分構成は…のようになっている。 鍛冶職は1軒もない。…は樋屋が3軒もあることである。
名主1軒、組頭2軒、弥宣2軒、本百姓25軒、村筒4軒、樋屋3軒、無田16軒、定吏1軒
鍛冶屋(かじや)バス停
五郎神社の前に鍛冶屋バス停があります。
湯河原駅(JR東海道線)まで、湯河原駅行きバスにて12分、1時間に2本程度の便があります。
玉垣奉献
元亀年間創立以来この郷の鎮守として郷民の崇敬を集めてきた当社に、 此の度氏子有志相はかり、境内玉垣一構を完遂いたしました。 この事業に寄せられました氏子各位の敬神の熱誠に深甚なる感謝を捧げ永く記念といたします。
 (五郎神社)