油壺
散策:2007年10月上旬
【海辺散策】 油壺
概 要 油壺は三浦半島の先端部の西側にある小さな岬です。 西側は相模湾、南側は油壺湾と諸磯湾、北側は小網代湾に囲まれていて、海水浴場も三つあります。 油壺の岬は三浦一族の最後の砦となった所でもあります。 今回は岬に設定されている砂浜や磯浜を巡る油壺ハイキングコースを歩きます。
起 点 三浦市 油壺バス停
終 点 三浦市 油壺バス停
ルート 油壺バス停…油壺験潮場入口…油壺験潮場…油壺湾…油壺ハイキングコース入口…新井城址…田辺大愚句碑…荒井浜海水浴場…小網代湾…胴網海水浴場…横堀海水浴場…油壺験潮場入口…油壺マリンパーク…三浦道寸墓…油壺バス停
所要時間 1時間50分
歩いて... かなり波打ち際を歩く所もあります。 特に胴網海水浴場と横堀海水浴場の間は、かなり細い岩場の道になっています。 今回は干潮から潮が満ち始める時間帯だったので大丈夫でしたが、 満潮時には通っていけない感じがしました。 予め潮位情報を調べて、干潮の時間帯を狙って出かけるのがいいようです。
関連メモ 油壺・入江のみち
コース紹介
油壺(あぶらつぼ)バス停
三崎口駅(京浜急行久里浜線)から、[三4]油壺行きバスにて15分、 1時間に3本程度の便があります。
バス停は駐車場と一緒になったバスターミナルのような所にあります。 土産物店の前を過ぎて車道に出て、左手へと進んでいきます。 入口の脇には関東ふれあいの道「油壺・入江のみち」の案内板が設置されていて、 この油壺バス停はそのコースの起終点になっています。 どういう訳か、同じような内容で、環境庁の設置する案内板と、神奈川県の設置する案内板が、 並んで設置されていたりもします。 今回はその関東ふれあいの道の部分は歩かず、 油壺の岬に設定されている油壺ハイキングコースを歩きます。
関東ふれあいの道
関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)は、一都六県を巡る自然歩道です。 沿道の豊かな自然にふれ名所や史跡をたずねながら、ふる里を見なおしてみませんか。
油壺・入江のみち
このみちは、県下17コースのうちの2番目です。 ここから県道を東へ進み、途中から市道を南下し、 ヨットが並ぶ油壺湾、諸磯湾、歌舞島公園を通って三崎港バス停までの路線です。 歌舞島公園の高台からは遠望を楽しむことができます。 途中のみどころは海外のスランプ構造などです。 全線車道沿いを歩きますので注意してください。
 (神奈川県自然環境保全センター)
油壺験潮場入口
2車線道路を2分ほど進んでいくと、左手のこんもりとした森の手前から左手に分かれて降っていく階段があります。 入口には「油壺験潮場入口」と書かれた国土交通省国土地理院の看板が立っています。 また、右手に分かれて降っていく坂道もあります。 磯巡りの油壺ハイキングコースの入口はこのすぐ先にありますが、 「験潮場」とはどんな所なのかと思って、ちょっと立ち寄っていきました。
右手に降っていく坂道は油壺ハイキングコースを反時計回りに巡るときの入口になります。 今回はこのすぐ先にある入口からハイキングコースに入って、 時計回りに巡ってこの右手の坂道を登って帰ってくるルートを歩きます。
左手の階段を降っていくとすぐに坂道に変ります。 森の中を1分ほど降っていくと、柵で囲まれた「基準水準点No.26」がありました。 ここで道が二手に分かれているように思えますが、右手はすぐに行止りになっています。
基準水準点No.26
基準水準点 標高16.6905m
基準水準点は全国に83点設置されています。 この基準水準点は、昭和5年(1930)に設置されました。 標石上面が東京湾平均海水面からの高さ(標高)を表しています。 水準点は全国の高さの測量の基準になるものです。 繰返し測量することにより地盤の上下変動を知ることができ、 自身予知等の貴重な資料となります。
三角点・水準点をたいせつにしましょう
 (国土交通省国土地理院)
一等水準点
基準点を大切に
 (国土交通省国土地理院関東地方測量部)
油壺験潮場
水準点の左手から続く階段を1分ほど降っていって海辺に降り立つと、 手前の新しそうな建物と、その奥のレンガ造りの建物がありましたが、 両方とも「油壺験潮場」となっていました。 建物にはちょっとした説明文が掲載されていました。
油壺験潮場
この建物の中には、海面の上がり下がりを自動的に精密に記録する験潮儀が設置されています。 この記録は、高さの基準をきめたり土地の変動を調べるために非常に大切な資料となります。
 (国土地理院)
油壺湾
左手の油壺湾の奥の方にはヨットが沢山繋留されていました。 油壺湾の陸地側にあった解説板の内容を参考までに載せておきます。
三浦道寸父子と油壺湾
関東制圧をねらっていた北条早雲が大軍で新井城に攻めてきたため、 三浦道寸義同と子の荒次郎義意は城に立て籠もって3年も戦ったが、 ついに永正15年(1518)に城は落城し、道寸父子は自害したそうです。 この時、他の将兵も討死、または湾へ投身したと伝えられています。 そのため湾一面が血汐で染まり、まるで油を流したようになったので、 後世「油壺」といわれるようになったそうです。 今日では、油壺湾、小網代湾、諸磯湾はヨットハーバーとして、 また、油壺湾は台風等の大しけの時などは天然の入江を利用した漁船の避難所にもなってます。
 (環境省・神奈川県)
レンガ造りの建物の右手がちょっとした岩場になっていて、釣りをしている親子がいました。
油壺ハイキングコース入口
元の車道まで引き返してその先へ進んでいくと、すぐ左手に分かれていく道があります。 角には「油壺観光案内」と題した看板があって、今回歩くコースが図入りで紹介されています。 案内図によると、ここから左手の道へ入っていき、 岬の磯をひと巡りして先ほどの油壺験潮場入口の所の坂道へ戻ってくるルートになっていて、 延長3.5kmで60分ほどで巡ることが出来るようです。 どちら向きに巡ってもいいのでしょうが、 今回はここから油壺ハイキングコースへ入って、時計回りに歩いていくことにしました。
また「城ヶ島ゆき観光船のりば」の看板もあって、左手の道を指しています。 1時間に1本の便が出ているようでした。
油壺観光案内
■京急油壺マリンパーク
魚の国は、魚の知恵と神秘を探る水族館。 さまざまな魚たちの海の生活環境を再現しています。 世界最大規模の大回遊水槽では、大型魚の群泳やマリンガールによる魚の餌づけショーがみられます。 屋内大海洋劇場「ファンタジアム」は雨天でもOK、 イルカやアシカのゆかいなショーがくりひろげられます。
営業時間/9時〜17時 休館日/年中無休(ただし12月29日〜31日は除く)
■油壺ハイキングコース(3.5km、約60分コース)
波ひとつない鏡のような入江と緑の岬、自然のおりなす景観を楽しんでみませんか。
観光船発着場入口…(5分)…新井城址…(5分)…東海臨海実験場・荒井浜海岸・観光船発着場…(20分)…胴網海岸…(15分)…横掘海岸…(15分)…横掘海岸入口
■道寸まつり(荒井浜海岸/毎年5月の最終日曜日)
三浦一族の鎮魂際としておこなわれる行事。 特に「笠懸」は、三浦一族のお家芸であったもので、 流鏑馬、犬追物とならぶ三大古弓馬術のひとつとして有名です。
 (三浦市)
新井城址
すぐに東京大学理学部付属臨海実験所寄宿舎への道が分かれていきますが、そのまま道なりに進んでいきます。 幹がツルッとした感じの樹木が生い茂る森に、緩やかで広い舗装路が続いていました。 東京大学地震研究所油壺地殻変動観測所の門の前を過ぎていくと、 入口から4分ほどの右手に浅い谷があって、手前には柵がされていました。 その脇には「新井城址」の解説板が設置されていましたが、文字が消えかかっていて、 読めない部分もかなりありましたが、何とか読めた部分だけでも載せておきます。 この油壺は三浦一族の最後の砦になった所のようです。
新井城址
三浦一族滅亡の地、新井城は面積約1.18ヘクタールの__をそのまま利用した自然の要害でした。 すなわち、相模湾に突出したこの小半島は、小網代湾と油壺湾にはさまれて、 三方がいずれも海で、しかも切り立った断崖で、陸地に通ずる路は、 北方__キロメートルの大手の引橋で、この橋を切って落とせばどこからも攻めこまれないようになっていました。 引橋は後に地名になりましたが、ここで北条勢は、橋を引落されて渡ることができず、 一族は滅亡を免れています。 現在は、関東大地震による__往時の面影はうすらいでいますが、 当時にしては大軍をもってしても攻めがたく、わずかの__で三年間もちこたえたのですから、 三浦一族の執念もさることながら、城__もすぐれた構えであったのでしょう。 いずれにしても、室町期__しての新井城の名残りは、本丸を中心に__れている空堀に 往時を偲ぶことが出来ます。
 (三浦市)
油壺自然環境保全地域
5ha 自然を大切に
建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター環境部、三浦市都市整備部建設課)
新井城址を過ぎて1分ほど進んでいくと、道の脇に金網柵が続くようになります。 そこに「油壺湾」と題した解説板があって、 この湾が「油壺」と呼ばれるようになった謂れが書いてありました。 「油を引いたように波静かな入江」ということからではないようです。
油壺湾
油壺の名のいわれは、永正13年(1516)新井城(今の油壺一帯)を最後の居城として 立て篭もった三浦一族が北条早雲の大軍を相手に、三年間にわたって奮戦しましたが空しくついに全滅し、 一族の将三浦道寸義同をはじめその子荒次郎義意は自刃、他の将兵も討死、 または油壺湾に投身したと伝えられ、そのため湾一面が血汐で染まり、 まるで油を流したような状態になったので、後世「油壺」といわれるようになりました。 北条五代記には、三浦一族全滅の模様を次のように記しています。
「今も七月十一日には毎年新井の城に雲霧おおいて日の光りも定かならず、 丑寅の方と未申の方より雷かがやき出て両方光入乱れ 風猛火を吹き上げ光のなかに異形異類の物有りて干戈をみたし、 虚空に兵馬駆け散り乱れ天地をひびかし戦う有様おそろしきと言うばかりなり云々」
 (三浦市)
車両進入禁止
この道路は、進入許可書がなければ、車は進入することはできません。 ご注意下さい!
田辺大愚句碑
金網柵沿いに少し進んで左手が開けてくると、 「かながわの景勝50選 油壺湾」の石碑と、田辺大愚句碑がありました。 脇には白秋文学コースの解説板も設置されていました。
外海は 荒れゐて 月の油壺 八十翁 大愚
白秋文学コース(2) 油壺
油壺しんととろりとして深し しんととろりと底から光り
三浦一族の哀史を秘める油壺。 白秋のこの一首からも一族450年の秘話を聴くことができるようです。 大正のはじめ、この先海岸にある東京大学臨海実験所には 海水を汲みあげるための大風車がまわっていました。
夕焼小焼大風車のうへをゆく 雁が一列 鴉が三羽
油壺から諸磯みればまんまろな 赤い夕日がいま落つるとこ
このように油壺には歴史と自然の深いたたづまい、ハイカラさが同居していました。 自由律俳句の荻原井泉水も「旅の印象」で、 この頃の油壺の風情には詩の空気がこもっているようだと書いています。 白秋の三崎時代の短唱「真珠抄」が井泉水の自由律俳句に大きな衝撃を与えることになりますが、 共に油壺の水の色から出発して行ったのでした。
 (三浦市)
句碑の向こうには油壺湾と諸磯湾が広がっていました。 半島のように突き出た所を挟んで、左手が油壺湾、右手が諸磯湾になります。 いずれも波静かな入江になっていて、奥にはヨットなどが沢山繋留されています。 写真を撮ったりしながらしばらく眺めていると、ヨットが海へと出て行きました。
歌碑を後にしてその先へ1分ほど進んでいくと、右手へ降りていく坂道が分かれています。 脇には「観光船のりば」の看板があって、右手の坂道を指しています。 このまま尾根に続く舗装路を進んでいっても右手の坂道を降っていっても同じ所に降りていきます。 ここは近道になる右手の坂道を降っていきます。
正面には荒井湾が広がっていました。 写真を撮ったりしながら景色を眺めていると、城ヶ島からの観光船が丁度接岸するところでした。
荒井浜海水浴場
坂道を降っていくと、右手に荒井浜公衆便所があります。 その手前に「あぶらつぼ ちょっと見マップ」と題した案内図があります。 ハイキングコース入口にあった案内図と似た内容でしたが、これからのルートを確認しておきましょう。 案内図を過ぎていくと、すぐに砂浜に降り立ちます。 正面に広がる砂浜は荒井浜海水浴場で、常設のような海の家や民宿などもありますが、 季節を過ぎた浜辺はひっそりとしていました。 浜の左手には観光船のりばがあります。 ここから先は明確な道はなくなって、油壺の岬に続く砂浜や磯浜の波打ち際を歩いていきます。
油壺自然環境保全地域
この自然は県民共通の貴重な財産として、子孫に伝えるかけがえのない宝物です。 草や木や、野生の動物を大切に。 ゴミは必ず持ち帰りましょう。
 (神奈川県)
荒井浜海水浴場の砂浜を右手へ進んでいくと、やがて岩畳が続く磯浜になってきます。 この時は干潮から潮が満ち始める時間帯だったので、 海面は沖に遠退いていて、岩畳には潮溜まりがあったりもしました。 この油壺の辺りでは、干満の差が1m〜2.5mほどはあるようです。 満潮時には歩いていけなくなる箇所もあるようにも思えましたが、この時には余裕で歩いていくことができました。 このコースを歩く時には予め潮位情報を調べて、干潮の時間帯を狙って出かけるのがいいようです。 沖の方には白い帆を揚げたヨットが沢山浮んでいたりもしました。
沖の方からは時々白波が押し寄せてきたりもしました。 干潮時だったので危なくはありませんでしたが、満潮に近い時間帯では波飛沫を被ってしまうのだろうと思います。
海のルールのお知らせ
この海は漁業権が設定されています。 一般の方がアワビ・サザエ・トコブシなどの貝類や、ワカメ・ヒジキなどの海草類、 イセエビやタコなど、漁業権で指定された水産物は採ることが禁止されています。 また、指定のない水産物についても、次の行為は禁止されています。
1. 水中めがねをかけてイソガネやヤスを使用したり、水中銃・潜水具を使用して魚や貝・海草類を採ること。
2. 魚や貝・海草類に有害なものを海に捨てたり流したりすること。
3. 電流や薬品を使用して魚や貝・海草類を採ること。
違反した人は法令により処罰されることがありますので注意してください。
 (神奈川県横須賀三崎地域県政総合センター)
 (神奈川県警、海上保安庁、漁業協同組合)
荒井浜海水浴場から海辺を20分ほど歩いていくと、 岩が海まで突き出ていて海辺を通っていけなくなります。
正面の岩場を見ると、上に手摺の付いた道がありました。 そこまでの登り道ははっきりとしませんが、岩場に付けられた平らな所を選んで登っていきます。 程なくして草が生い茂る高みに着きます。 左手の方へ目をやると、相模湾の向こうには陸地が見えていました。 手前にあるのは三浦半島の海岸線なのでしょうが、その奥に横たわっているのは丹沢山塊でしょうか。 条件がいいと富士山も望めるようですが、この時には遠くは霞んでいて見えませんでした。
小網代湾
岩壁に沿って続く道を降っていくと岩畳の上に降り立ちます。 この辺りは油壺の岬の北側に当り、左手にあるのは小網代湾になります。
胴網海水浴場
岩畳の上を進んでいくと、正面に砂浜が現れます。 ちょっとした湾になっていて胴網海水浴場というようです。 ここにも海の家がありますが、季節を過ぎたこの時には閉まっていました。
胴網海水浴場から右手へ登っていく坂道があります。 海に突き出た高台を経て油壺マリンパークの入口へと続いています。 高台の先の方には三浦道寸墓がありますが、今回は最後に訪ねることにして、 この先へ続く海沿いを更に歩いていきました。
胴網海水浴場の砂浜を過ぎていくと、再び岩畳の磯になってきます。 この時には多くの人が海釣りを楽しんでいました。 波が打ち寄せる岩の先端まで行って糸を垂らしている人もいたりしました。 何が釣れるのでしょうか。
釣り客のいる岩畳を過ぎていくと、次第に幅が狭まってきて、 遂には岩壁に沿って僅かな幅になってしまいます。 踏み外して海へ落ちてしまわないよう注意しながら進んでいきました。
小さな入江のような所に出て少し幅が広がった海辺を進んでいくと、 その先で再び幅が狭まってきて、これはもう「道」という雰囲気ではありません。 岩壁に続く僅かばかりの幅の浸食層の上を、岩壁に手を添えたりしながら進んでいきます。 波打ち際まで降りて、波が引いた時を見計らって急いでその先の岩の上に登ったりしながら、 慎重に進んでいきます。 満潮時には歩いて行けそうにもないように思えました。
横堀海水浴場
そんな岩壁も終って砂浜が広がってくると横堀海水浴場に着きます。 ここにも海の家がありますが、季節を過ぎたこの時には閉まっていました。 海に突き出た岩場には小船が接岸できそうな所がありました。
海水浴場利用者遵守事項 横堀海水浴場
1. 他人の迷惑になることをしないこと。
2. 危険区域の標識のある区域内に入らないこと。
3. 遊泳区域を標示する標旗、うき等を移動し、又は、破損しないこと。
4. 遊泳区域内において、ボート等を使用しないこと。
5. もり、水中銃、その他人の身体に危害を及ぼすおそれのある器具を水浴場内において使用し、又は遊泳区域内において携帯しないこと。
6. 危険のおそれのある遊戯をしないこと。
7. 水浴場内においては、水浴場の設置者が遊泳する事が危険又は不適当と認める時及び水浴場の開場時間外においては遊泳しないこと。
8. 酩酊者及び伝染性の疾患に罹っている者は、水浴しないこと。
9. ビン、カン、その他の汚物を所定のごみ容器等以外のところに捨てないこと。
10. その他公衆の安全、衛生及び風俗をそこなうような行為をしないこと。
 (三浦市、三浦警察署、三浦保健所、油壺観光協会)
海水浴場内の砂浜でのバーベキューはお断りします
 (横堀海水浴場)
鉄パイプの手摺が付いた階段を見送って砂浜を進んでいきます。 横堀海水浴場の先へも磯伝いに歩いていけるのかと思って覗いてみましたが、 ちょっと見た感じでは、磯伝いに歩いていけそうなのはこの辺りまでで終りのようでした。 海の家の左手から上へ続いているかなり傾斜のある坂道を登っていきます。 坂の途中にある階段から降り返って、最後の眺めを楽しんでいきました。
油壺験潮場入口
急坂を登っていくと、最初の「油壺験潮場入口」の看板が立つ所に戻ってきました。 油壺ハイキングコースはこれで終りになります。 入口にあった案内図によると約60分とのことでしたが、 今回は入口からここまで1時間10分ほどで歩いて来られました。 写真を撮りながら歩いてきたことを思うと、ほぼ標準的な時間だったようです。 これで油壺バス停へと向かっていってもいいのですが、 最後に三浦道寸墓を訪ねていくことにしました。
油壺マリンパーク
車道を右折して油壺ハイキングコース入口を過ぎていいきます。 車道を道なりに4分ほど進んでいくと、 東京大学臨海実験所や大きな駐車場を過ぎた正面に油壺マリンパークの入口があります。 脇には「京急油壺マリンパーク園内図」があって、園内が紹介されていました。 この時にはキャラクターショーとして、園内の中央広場で「仮面ライダー電王ショー」が催されていたようでした。
油壺マリンパークの入口の前を右折していくと、黄緑色をした大きなタンクが幾つもあります。 その壁面には「給水タンク(ミネラル水)」と書かれていました。 その先へ進んでいくと、左手の森の中へ降っていく坂道があります。 角には胴網海岸の海の家を指す看板が出ています。 かなり傾斜のある左手の坂道を1分ほど降っていくと分岐があります。 道標類は見かけませんでしたが、三浦道寸墓へは右手へ進んでいきます。
(左手の坂道を更に1分ほど降っていくと、先ほどの胴網海水浴場へ降りていけます)
三浦道寸墓
緩やかになった道を真っ直ぐに進んでいくと、数段の石段を登った所に三浦道寸墓があります。 海に突き出すような岬の先端の小広くなった所ですが、 周りには樹木が生い茂っていて、海の眺めは樹間から僅かに望める程度でした。 礎石の上にある墓の周りは玉垣で囲まれていて、厳かな雰囲気が漂っていました。 真ん中の墓石には「准四位下 陸奥守道寸義同公之墓」と刻まれていましたが、 解説板などは見かけませんでした。
油壺(あぶらつぼ)バス停
三浦道寸墓を後にして、来た道を引き返していくと、8分ほどで元の油壺バス停へ戻ってきます。
三崎口駅(京浜急行久里浜線)まで、[三4]三崎口駅行きバスにて15分、1時間に3本程度の便があります。
バス停の脇には民家風の土産物店が二軒あります。 麦藁帽子や駄菓子や飲み物などを商っていて、年配の女性が店番をされていました。 似たような雰囲気の店は、私が子供の頃には沢山あって、 何だか遠い昔を思い出したりしたのでした。