日連金剛山
散策:2007年10月上旬
【低山ハイク】 日連金剛山
概 要 日連金剛山は藤野駅のすぐ南にある低山で、藤野町十五名山にも選ばれる信仰の山でもあります。 今回は日連金剛山から東側へ続く尾根を歩きます。 尾根からは陣馬山から生藤山へと続く山稜や、丹沢主脈方面を望む景色が広がっています。 日連山や宝峰を経て北側の日連地区に降って藤野駅へ戻っていきます。
起 点 相模原市 金剛山バス停
終 点 相模原市 藤野駅
ルート 金剛山バス停…新和田分岐…金剛山…展望地…423m峰分岐…杉峠…鞍部…展望地…日連山…宝峰…急坂…篠原川分岐…十字路…青田分岐…31番鉄塔…日連地区…日連神社…青蓮寺…日連橋…日連大橋バス停…日連大橋…藤野駅
所要時間 3時間30分
歩いて... 雲が少し出ていたものの、尾根道からは北側や南側に山並みを見渡せる景色が広がる所が何箇所かありました。 金剛山への直前の直登と、篠原川分岐へ降る急坂を除くと、比較的歩きやすい道になっていました。 道標は少なめながら、夏草が生い茂る季節にしてはしっかりと道を確認出来ました。
関連メモ 京塚山
コース紹介
金剛山(こんごうさん)バス停
藤野駅(JR中央線)から、[野05]奥牧野行きバス,または,[野11]やまなみ温泉行きバスにて6分、 便は少なくなっています。
 土曜 6:20 6:40 6:53 7:30 8:00 8:25 10:40 11:40...
 日曜 6:20 6:40 6:50 7:30 8:00 8:25 10:40 11:40...
バスを降りるとすぐ左手に赤い鳥居が立っています。 ここが金剛山の登山口になります。 鳥居の脇には「金剛山入口」と刻まれた石標や「金剛山入口419.8m」と書かれた白い板が立っています。 脇には小さな祠や石祠もあります。
藤野駅からの距離は2kmもないので、バスの便まで時間があるようなら歩いていきましょう。 正面の藤野駅前交差点を左折して、その先の藤野総合事務所前交差点を直進し、 日連入口交差点を右手へと降っていきます。 日連大橋を渡って、登り坂になった車道を進んでいきます。 追分の三叉路を直進していくと、藤野駅から20分もあれば歩いて来られます。
日連金剛山…
この地域には金剛山と呼ばれる山が多く、 今回登る金剛山は、この辺りの地区の名前「日連」を冠して「日連金剛山」と呼ばれているようですが、 ここでは単に「金剛山」として記しておきます。
美しい自然 君の手で
この道 あなたの道 美しい環境で出逢いたい
鳥居をくぐってその先に続く山道を進んでいきます。 左手に続く土止め柵に沿って緩やかに登っていくと、コンクリート打ちされた小さな沢を渡っていきます。 沢を過ぎて植林帯へ入り、急斜面をジグザグに登っていくと、 マジックで数字が書き込まれた鉄柱が点々と立っています。 最初にあったのが「23」で、以降1ずつ数字が小さくなっているようでした。 これは金剛山の山頂にあるTVアンテナへ続く電線のようです。
21番の鉄柱や「水源の森林28」の白い標柱を過ぎると、植林帯から雑木林へと変っていきます。 引き続き斜面をジグザグに登っていきます。 この道は金剛山の参道にもなっているようで、道端には里程を示す石標が点々と設置されていました。 最初に気が付いたのは「八丁目」でしたが、「一丁目」からあったのかも知れません。 以降、「九丁目」・「拾丁目」…と続いていました。 雑木林に入って4分ほどすると、ちょっとした分岐があります。 道標類はありませんが、どちらの道を進んでいってもすぐ先で合流します。 所々には岩盤が剥き出しになった所もあってコケ類が生えていたりもするので、 滑って転ばないよう注意しながら登っていきます。
神奈川県「水源の森林づくり」契約地(水源協定林)
水資源を大切にしましょう。
 (神奈川県環境農政部森林課、神奈川県北地域県政総合センター水源の森林推進課)
左斜面を進むようになって傾斜が緩やかになってくると、左手に植林帯が現れます。 バス停から18分ほど登っていくと、「山火事注意」の標識が括り付けられた樹木の先で、 直角に右手へと曲がっていきます。 先ほど別れてきた電線が左下から登ってきています。 防火帯になっているのか或いは電柱を設置するために切り開いたのかは分かりませんが、 かなり幅の広い帯が山頂へ向かって真っ直ぐに続いていました。 季節柄、夏草が生い茂ってはいたものの、道はしっかりと確認できました。 ここから金剛山の山頂を目指して直登が始まります。
山火事注意 火の用心!
たばこ・たきびは確実に消そう!
みどりとのふれあいでリフレッシュ
 (森林共済セット保険、神奈川県)
途中で、右手の森へ細い踏み跡が分かれているようでしたが、そのまま真っ直ぐに登っていきます。 最初は緩やかだった道も次第に登り傾斜が増してきて、岩がゴロゴロとした所もあったります。 真夏を過ぎて気温も下ってきたので大汗はかかないものの、汗が滲んできたりもします。 かなり傾斜がある山道で、とても参道のようには思えません。 この道で合っているのかと不安になりながら息を切らせて登っていくと、 6分ほどで「拾六丁目」の石標がありました。
振り返ると、秋山川の向こうに陣馬山から生藤山へと続く山稜を見渡せる景色が広がっていました。 眼下には日連大橋や秋川橋や街並みなどを見下ろすことが出来ました。 金剛山の山頂からは展望が得られないので、ここで休憩を兼ねて眺めを楽しんでいきましょう。
新和田分岐
ひと休みしたら、その先へと続く急坂を更に登っていきます。 時々振り返って景色を眺めたりしながらゆっくりと登っていきます。 石標から3分ほど登って傾斜が少しだけ緩やかになってくると植林帯へ入っていきます。 植林帯の道にも、先ほどから続いている電柱が点々と立っています。 植林帯を2分ほど登って緩やかになってくると、「拾八丁目」の石標が立つ分岐があります。 角には消えかかった道標が立っていて、左手へ分かれていく道は「新和田15分・鉢岡山30分」となっていました。 また倒れた道標もあって、正面の道は「赤沢バス停 ノンビリ30分」となっています。 日連山や宝峰や鉢岡山へは左手の道を行きますが、このすぐ先が金剛山の山頂なので、 そこまで往復してきましょう。
道標「新和田・鉢岡山」の時間の部分はほとんど消えかかっていて、 はっきりとは判読できなかったので、間違っているかも知れません。
金剛山 (標高419.8m)
新和田分岐を直進して数10m進んでいくと金剛山の山頂に着きます。 なだらかで小広い山頂には「金剛山頂」と書かれた板が取り付けられた祠が建っています。 金剛山バス停から30分ほどで登って来られました。 先ほどの新和田分岐の辺りからなだらかになっていて、この付近一帯が山頂部になるようです。 山頂の周りには樹木が生い茂っていて展望は得られませんが、 ここでリュックを降ろしてひと休みしていきました。
祠の脇には「藤野町十五名山 金剛山 標高410m」と書かれた標柱が立っていましたが、 標高の部分がマジックで「419.8m」に訂正されていました。 手元の地形図によると、ここは423m峰の南西250mほどの所にある高みで、標高は420mほどはあるようなので、 419.8mの方が正しいのだろうと思います。
小広くなった祠の裏手にはテレビの共同受信アンテナと思われるものが何本か立っていて、 麓から続いていてた電線はこのアンテナのためのもののようでした。 手前の新和田分岐にあった「赤沢バス停」の道標によると、この先へも道が続いているようですが、 この時には夏草が生い茂っていたためか確認できませんでした。 情報によると、アンテナのそばから山道が続いているようです。 手作りの道標も要所に設置されていて、かなり急坂ながら分かりやすくなっているとのことです。
ひと休みしたら先ほどの新和田分岐まで引き返して、 道標「新和田・鉢岡山」の指す山道を降っていきます。 笹竹が生い茂っていたりもしますが、道はしっかりと確認出来ました。 程なくして緩やかな尾根道になってくると、金剛山から5分ほどで道が左右に分かれています。 道標類は見かけませんでしたが、左手の道の先はちょっとした高みになっています。 確かめた訳ではありませんが、右手の道はその巻き道になっていて、この先で合流しているようでした。 ここは左手の道を進んでいきました。
展望地
分岐を左手へ進んでいくと、すぐに大きな岩があります。 その北側が開けた展望地になっていて、陣馬山から生藤山へと続く山稜を望む景色が広がっていました。 手元の地形図によると、423m峰の80mほど南西の標高410mの辺りになるようです。 ここで写真などを撮りながら、しばらく景色を眺めていきました。
423m峰分岐
展望を堪能したらその先へと進んでいきます。 手前にあった分岐を右手へ進んできたと思われる道を右手から合わせてその先へ進んでいくと、 展望地から1分ほどで道が二手に分かれています。 正面から左手へかけてはこんもりとした高みになっていて、 地形図の423m峰がこの近くにあるように思われました。 左手の道には笹竹が生い茂っていて、右手の道の方が広めで歩き易そうになっていました。 道標類がなくてどちらへ進んだものかと暫く辺りを伺っていると、 右手の道の先に赤いテープが巻かれた木があったので、ここは右手の道を進んでいきました。
423m峰
日連山や宝峰へはこの右手の道で合っていました。 後で知ったのですが、この分岐を左手へ2分ほど進んでいくと423m峰に着くようです。 素晴らしい眺めが広がっているとのことで、事前に知っていたら是非寄り道をしていきたい所でした。
少し登ってから左手の高みを巻くようにして続く道を降っていきます。 この辺りの道端にはキノコが沢山生えていました。 右下の林を歩いている人を見かけました。 竹籠を背負っていたのでハイカーではないようで、キノコ採りをされていたのでしょうか。 落葉の積もる坂を降っていくと、左右の樹間からは山並みを見渡せるようになります。 緩やかになった尾根道を真っ直ぐに進んでいくと、 先ほどの展望地から10分ほどで右手が開けて景色が広がってきます。 下には民家が幾つか建っていました。 手元の地形図によると新和田地区の集落のようでした。
尾根の右斜面に続く緩やかな道を、景色を眺めながら数分進んでいくと、 正面に見える植林帯の高みの手前で、右手へ降っていく道が分かれていきます。 道標類は見かけませんでしたが、下に見えている新和田地区へと降っていく道のように思えました。 ここはその道は見送って、正面に続く道を登っていきます。 植林帯までくると、小さな峠のような所を越えて、尾根の左斜面に続く道を進んでいきます。
杉峠
植林帯の左斜面に続く道を進んでいくと緩やかな尾根道になってきます。 小さな峠から1分ほどで尾根から分かれて、右斜面の雑木林を降るようになります。 再び植林帯が現れる道を降っていくと、浅い鞍部に着きました。 手元の地形図によると、368m峰と423m峰の間にある鞍部で、破線の道が通っている所になりますが、 実際の場所はもう少し東寄りになるようです。 ここは五叉路になっていて杉峠というようです。 金剛山から30分ほどで到着しました。
角に立つ道標によると、右手へ戻るようにして続く緩やかな道は「鉢岡山」、 左手へ戻るようにして降っていく道は「杉・藤野駅」、 左前方へ登っていく道は「日連山・宝山」となっています。 右前方へ続く道もしっかりとしていましたが、道標には何も示されてはいませんでした。 道標の袂には壊れた板が落ちていて、消えかかった文字で「この先行止り・危けんダョ」と書かれていました。 どの道を指しているのかは分かりませんでしたが、右前方の道なのかも知れません。 今回は道標「日連山・宝山」に従って、左前方の道を登っていきました。
後日にこの杉峠を越えていく左右の道を歩きました。(「京塚山」を参照)
現地で見かけた道標や標識では「宝山」と「宝峰」という表記がありましたが、 どちらも同じ「374.2m峰」を示しているものと思われます。 ここでは道標類の表記内容の説明箇所を除いて「宝峰」と書いておきます。
左前方の道を10mほど登った所に石祠があります。 その脇には「宝ノ峰」と書かれた道標が立っていて、その先へと続く道を指していました。 雑木林の中に続く山道を登っていきます。 右斜面を進んでいき、左手の高みから降ってくる道を合わせると、緩やかになった尾根道を進むようになります。
左手に植林された若木が続く緩やかな尾根道を進んでいくと、杉峠から4分ほどで北側の視界が開けてきます。 手前の樹木が少し邪魔をしていますが、藤野の街や陣馬山から生藤山へと続く稜線を見渡せました。 手元の地形図によると、この辺りに368m峰があるようですが、 緩やかな高みが続いていて、「ここがピーク」と言えるような所は明確ではありませんでした。
鞍部
雑木混じりの植林帯を緩やかに3分ほど降っていくと、再び稜線を見渡せる所がありました。 その先へ更に降っていくと、杉峠から9分ほどで、 「神奈川県森林公社 平成二年度植栽」の標柱が立つ浅い鞍部に着きます。 手元の地形図によると、368m峰の北東130mほどの所にある鞍部になるようです。 余り明瞭ではありませんでしたが、ここで左右に道が分かれて降っていっていました。 その昔には峠越の道が通っていたのかも知れません。 道標類は見かけませんでしたが、ここは正面の尾根道を進んでいきます。
緩やかになった尾根道を1分ほど進んでいくと、右手の樹木が低くなって山並みが広がるようになります。 そこを過ぎて森へ入って軽く登るようになると、鞍部から7分ほどで分岐があります。 尾根道は正面へと続いていますが、右手のすぐ先に展望地があるので立ち寄っていきましょう。
展望地
分岐から右手へ軽く登っていくと、20mほどでちょっとした高みに着きます。 杉峠から17分ほどで到着しました。 手元の地形図によると、ここは374.2m峰の西300mほどの所にある標高370mほどの高みになるようです。 南西側が開けていて、丹沢主脈方面を見渡せる景色が広がっていました。 手前には潅木で手作りされたベンチもあったりするので、ここで景色を眺めながら少し休憩していきました。
日連山 (標高384.8m)
展望地からは道が二手に分かれています。 右手へ降っていく道もしっかりとしていましたが、ここは左手の道を降っていきます。 程なくして手前の分岐を直進してきた道を合わせて、緩やかになった尾根道を進んでいきます。 雑木林の尾根に続く道を登り返していくと、 展望地から3分ほどで小高いピークになった日連山に着きました。 手元の地形図によると、ここは374.2m峰の西200mほどの所にある高みになります。
大きな松が倒れていて、脇に生えている樹木に「日連山384.8m」と書かれた板が括り付けられていました。 周りは樹木に覆われていて展望は得られません。 冬の晴れた日には富士山の山頂が僅かに見えるようですが、この時はまったく見えませんでした。 ここでもリュックを降ろして少し休憩していきました。
日連山からその先へと続く尾根道を降っていきます。 道はしっかりとして歩きやすくなっていました。 雑木林に続く尾根道を3分半ほど降っていくと浅い鞍部に着きます。 手元の地形図によると、374.2m峰の西南西70mほどの所にある鞍部になるようです。 そこから正面に続く尾根道を登り返していきます。 1分ほど登っていくと、桧が道に沿って直線的に生えていたりもしました。 何という名前なのかは分かりませんでしたが、道端には赤い花を咲かせた樹木がありました。 まだ蕾のものもあったので、これからが花の旬になるようでした。
宝峰 (標高374.2m)
梢越しに僅かに見える山などを眺めながら尾根を登っていくと、 日連山から6分ほどで小高くなった宝峰に着きました。 山頂にはほとんど埋れかかった三角点がありました。
(写真は反対側から振り返って写したものです)
左手の樹木には「宝峰374.2m」と書かれた板が括り付けられていました。 周りは樹木に囲まれていて展望は得られませんが、 樹間から微かに相模湖などが見えていました。 お昼にはまだまだ早かったのですが、この先からは降っていくばかりなので、 ここで早めの昼食タイムにしました。
たき火・たばこに注意
 (消防署・消防団、神奈川県)
15分ほど居た宝峰からその先へと続く道を降っていきます。 少し進んでいくと、幅が広くい横木の階段が現れます。 出来てから余り年月が経っていないのか、真新しくて歩きやすくなっていました。 そんな横木の階段も30秒ほどで終って、緩やかな尾根道が続くようになります。 軽く登ってちょっとした高みに着くと、右手が開けて山並みを見渡すことが出来ました。 宝峰から2分ほどの所になります。 写真を撮っていると、下から中年女性がひとり、普段着のような姿で登ってきました。 スーパー袋のようなものを手に持っただけの軽装備だったので、 一見して買い物帰りの主婦なのかと思いました。 すぐ下に人里があるのかと思っていると、まだまだ山道は続くのでした。
再び現れる真新しい横木の階段を降っていきます。 1分ほどで階段が終ると緩やかな尾根道になります。 軽く登ったりする所もあったりしますが、全体的には降り基調の道が続いています。 途中で5mほど左手へ迂回する所もあったりしますが、 地形図に載っていない道にしては歩きやすくなっていました。 降るに連れて、樹木の間からは次第に相模湖などがはっきりと見えるようになってきます。 運動会でも行われているのか、下の方からは進行役の女性のマイク声がしきりと聞こえてきました。
急坂
宝峰から11分ほど降っていくと、降りの傾斜が急に増してきます。 一旦は緩やかになったかと思っていると、その先で更に急な坂道になってきます。 黒色と黄色のトラロープが張られていたりもします。 普通に歩いていくことは出来ず、ロープや周囲の樹木に掴まりながら慎重に降っていきました。 宝峰からここまでの途中には分岐道はなかったので、先ほどの女性もこの急坂を登ってきたのでしょう。 買い物帰りでこんな道は選ばないように思うので、やはり山登りが目的だったようでした。
篠原川分岐
そんな急坂も2分ほどで終って、幅1mほどの広めの山道に降り立ちました。 宝峰から13分ほどで降りて来られました。 降り立った所には道標が立っていて、右手の道は「篠原川方面」、 左手の道は「日連・藤野駅」、今降ってきた急坂は「宝山・日連山」となっています。
右手にある岩壁の下には石仏が二つ並んで佇んでいました。 事前に得ていた少し前の情報では、右手の道は先の方で行止りになっているとのことでしたが、 道標を見ると篠原川からその先へと続いているように思われます。 近年になって道が整備されたのかも知れません。 ここは道標「日連・藤野駅」に従って、当初予定していた左手の道へと進んでいきました。
十字路
小広い山道を左手へと進んでいくと、すぐ脇の樹木に「←日連・藤野駅」と書かれた板が括り付けられています。 少し登り気味の道を進んでいくと、程なくして緩やかな道になってきます。 山襞に沿って幅1mほどの道が続いていました。 普通の山道にしては広い道幅になっていますが、 小型車が通っていけるほどの幅はないので、林道ではないように思われます。 その昔には日連地区と篠原地区とを結ぶ生活道路だったのでしょうか。 少し降り気味になってくると、篠原川分岐から6分ほどで、 宝峰から降る所にあったのと同じような幅の広い横木の階段が始まります。 1分ほどで横木の階段が終ってその先へと降っていくと、「No.18」と書かれた水切り棒の先で、 道が左右に分かれていく十字路があります。 右手へ降っていく道は夏草に覆われていてはっきりとはしませんでしたが、 左手へ登っていく道は真新しい横木の階段になっていました。 ここは左右の分岐道は見送って、正面の道を進んでいきます。
後日に得た情報によると、左手の階段は宝峰の山頂直下10mほどの辺りまで続いているようです。 降ってくる道にも真新しい横木の階段があったことを思うと、この付近の整備が進められているようです。 コース整備が進めば、この辺りは分かり易い散策コースになるように思えました。
青田分岐
十字路の先へ5mほど進んだ所から、広めの道が右手へ分かれていきます。 角の樹木に括り付けられた道標によると、右手の緩やかな道は「青田」、 左手へ降っていく道は「藤野駅」となっています。 先ほどの十字路とこの分岐を合わせて変則五叉路のようになっていました。 右手の道を進んでいくと送電線の鉄塔の先で車道に降りていけるようですが、 今回は道標「藤野駅」に従って左手へと降っていきました。
31番鉄塔
30秒ほど降って細い沢筋に着いて、小さな木橋を渡っていきます。 右斜面に続く緩やかな道を進んでいくと、青田分岐から3分半ほどで、 道のすぐ脇に送電線の鉄塔「八ッ沢線31」が立っています。 鉄塔の下からは相模川沿いを見下ろすことが出来ました。 良くは分からなかったのですが、手前の青い橋は日連大橋で、 その奥にある白い橋は弁天橋でしょうか。 いずれも大きなアーチ橋でした。 道を挟んだ鉄塔の左手の山際から細い道が分かれていて、その入口の所に石碑がありました。 風化していてはっきりとは読めませんでしたが、「昆羅王大権現」と刻まれているようでした。 年号らしき文字も刻まれていましたが判読出来ませんでした。
鉄塔の脇を過ぎてその先の植林帯へと入っていきます。 傾斜の増してきた道を降っていくと、鉄塔から1分半ほどの左上に「水源協定林」の看板が立っていました。 道はそこから右手へ曲がっていきますが、 曲がり角から左手へと分かれていく道があります。 試しに左手の道を覗いてみると、真新しい木橋が小沢に架かっていましたが、 ここは右手へと続く道を降っていきます。
日連地区
小さな砂防ダムのある涸れ沢沿いに降っていくと、沢に架かるコンクリート製の小さな橋を渡っていきます。 その先へ登り気味に進んでいくと、コンクリート壁の上に民家が建っています。 小橋を渡ってから30秒ほど進んでいくと舗装道路に出ました。 篠原川分岐から20分ほど、宝峰から35分ほどで降りて来られました。 これで山道は終りになります。 降り立った所は日連地区になるようです。 道標類は見当たらなかったので、こちら側から登る場合には、入口が分かり辛いように思えました。 正面には墓があり、右手は降り坂になっていて、左手は緩やかな道になっています。 手元の地図を頼りにして、藤野駅へ向かって左手へと進んでいきました。
右手の道の下の方に運動場が見えていて、そこで運動会が行われているようでした。 手元の地図によると日連運動場というようです。 宝峰から降ってくる辺りで、下の方から聞こえていた進行役の女性の声は、この運動会のもののようでした。 ちょっと寄り道をしてその運動場へ降りてみました。 小さなトラックでは4歳・5歳児の保育園の運動会が行われていて、 父母たちがビデオカメラで我が子の姿を撮っていました。 やがて最後の組対抗リレーが終って、運動会は閉会式になりました。
(この運動会の見学時間は所要時間には含めていません)
日連神社
民家の散在する日連地区の高台に続く舗装道路を左手へと進んでいきます。 右・左・右・左と道なりに曲がりながら降っていきます。 緩やかな道になって右手へ降っていく道を分けて道なりに進んでいくと、 日連地区に降り立った所から5分ほどで、右手の下に神社が見えてきました。 そのすぐ先から右手に分かれて降っていく道があったので、ちょっと立ち寄っていきました。 坂道を降っていくとすぐにブランコや滑り台などがある小さな広場があり、その奥に神社がありました。 裏手から回り込むようにして境内を進んでいくと、古くからある雰囲気の社殿がありました。 大きな拝殿とその後ろに本殿のある立派な姿をした社殿でした。 正面には赤い鳥居が立っていて、六脚のようになっていました。 神社の名前や由緒などを記したものはないかと探していると、境内の左手に「復興記念碑」がありました。 旧字体の漢文調で書かれていて無学の私には意味はよく分からないのですが、 碑文によると日連神社というようです。 応安7年(1374)に創建された当初は蔵王権現と称していたが、 明治の初めに神仏混淆が禁止されて日連神社と改称されたようです。 名前からすると、この日連地区の総鎮守なのでしょうか。
復興記念碑
村社日連神社往時稱蔵王權現據本地垂跡教義青蓮寺住職世兼別 當社頭掲鰐口刻曰相州日連村金峯鰐口應安七年甲寅八月藤原友 守村民深崇敬以為鎮守矣明治初官禁神佛混淆乃改稱日連神社社 地亦上知悉為宮民所有社殿荒壊無復行香者風俗頽廃教化穢夷為 識者所憂偶有社寺境内拂下令村民競醵出義金一朝忽得七百餘金 以四百餘金行拂下投餘金改修社殿廟貌改観然社寳鰐口終失所在 存否不明而境外民有地未得買救村民遺憾之期待回復焦慮歳久矣 既而鰐口知蔵上野博物館為帝室御物以所在得其處村民歓喜為吾 郷黨之誇焉本村青田人故鈴木梅吉君毎念公益抱経世之志夙出于 東都志事業弘需交友於先輩得其信用事業益進展平素之抱負既就 其緒一朝得疾終逝享年五拾五惜哉聞者無不嘆惜君曽歎本社境外 地久委民有蕪穢不治投資財五百餘金購之悉以寄附之於神社表敬 神之誠復得神城舊態村民深感激其義舉継君之素志損貲助役開神 苑為浄地為社地復興記念建碑録事蹟傅神社沿革於後世爾云
 (昭和六年辛未三月日 守屋幸太郎撰文、岡部俊三謹書)
青蓮寺
日連神社の鳥居を過ぎて左手へ進んでいくと県道520号に出ますが、 車道を歩いても赴きに欠けようというものなので、 先ほどの高台に続く道へ戻って、その先へと進んでいきました。 畑地越しに中央自動車道の陸橋などを眺めながら道なりに進んでいくと、 1分ちょっとでT字路に出ます。 そこを右手へ降っていくと、先ほどの県道520号に出ます。 その正面に「金胤山 青蓮寺」と刻まれた石柱が立っていて、その奥には山門やお堂が見えていました。 山門をくぐっていくと、すぐに青蓮寺の本堂がある境内になります。 本堂の右手には茶色い屋根をしたお堂があり、左手に庫裡がありました。 写真などを写していると、黒い喪服を着た人達が集まってきました。 綺麗な色の装束姿の和尚さんも登場して、これから法要が行われるところのようでした。
青蓮寺
・宗旨は高野山真言宗です
・御本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)
・御本尊の御真言は オン アミリタテイセイカラウン
・総本山は高野山金剛峯寺です
代官 守屋左太夫
徳川家康が江戸に幕府を開き、天下を平定すると同時に地方の直轄地に代官をおいて統治した。 津久井地方の統治には、旧日連村の出身、守屋左太夫を起用した。 従って、当地が代官所在地として津久井領内の政治・文化の中心であったと 相模風土記、守屋家の文献に記録されている。 さらに、この文献によると、青蓮寺大門から北西に約100mの「西が原」に屋敷跡(約13.5a)があり、 慶長13年(1608)より元和・寛永年間の末年に至る35年間、守屋行廣・行昌の父子が代官として幕府に仕え、 共に左太夫と呼んだ。子孫も当地に居住したが、後年湖底と化した勝瀬地区に移転したと伝えられている。 今、青蓮寺境内東側墓地に、五輪の墓石七基が立ち並んでいる。 これは守屋家代々の墓で、大きいもの二基が守屋左太夫父子のものと思われる。 風化しており文字が明らかではないが、寛・四とかすかに読みとれる。 守屋家の過去帳によれば、勝蓮院殿梅雲宗俊居士:守屋左太夫・寛永4年4月13日死とあり、 長岳院殿俊山良英居士:守屋左太夫・寛永21年7月7日死と記されている。 このことからこの二基は、代官を務めた左太夫父子のものであり、 その他は子孫のものであると思われる。
 (昭和62年3月 藤野町教育委員会)
日連橋
青蓮寺から戻って県道520号を進んでいきます。 2分ほど進んでいくと、左手には鉄塔「八ッ沢線28」と「桂川線31」が二つ並んで立っていて、 二つの送電線が並行して通っていました。 送電線の下を過ぎて道なりに進んでいくと、入り江に大きな橋が架かっています。 手元の地形図では車道はここから入り江の奥へと左手に迂回していくようになっていますが、 この時には入り江を真っ直ぐに渡っていく大きな日連橋が架かっていました。 迂回している道の方は「通行止」になっていました。 橋が架けられてから結構年月が経っているようにも思えましたが、地形図の更新が追いついていないようです。
日連大橋バス停
日連橋を渡って少し登り坂になってくると、右手へ分かれていく道があります。 そのまま県道を進んでいってもいいのですが、少し遠回りになりそうだったので、 今回は右手の道へ入っていきました。 緩やかな道を進んでいくと降り坂になってきます。 杉林の脇を過ぎて更に降っていくと、森の中のような雰囲気になってきます。 3分ほどで森を抜けていくと再び民家が建ち並ぶようになります。 道端に佇む石仏群を過ぎていくと、青蓮寺から8分ほどで県道76号に出ます。 その右手すぐの所に日連大橋バス停がありますが、 便は1時間に1本程度しかないし藤野駅まで歩いても10分ほどなので、このまま歩いていきましょう。
日連大橋
日連大橋バス停を過ぎていくと、すぐに青く塗られた大きな日連大橋が相模川にかかっています。 この辺りは相模湖のすぐ上流で川幅も広く、相模湖の延長のような感じになっています。
上流の方には白い大きな橋が見えています。 手元の地形図によると弁天橋というようです。 日連大橋を渡った所に「芸術の道」と題した案内板がありました。 藤野の町にある園芸ランド遊歩道・芸術の道コース・遊歩道コースなどが図示されていました。 また、コースに沿って設置されている野外環境アート31作品の場所とタイトルの一覧が 写真付きで紹介されていました。
園芸ランド
周辺には、さつまいも・じゃがいも堀り・きのこ採り・くり拾いなど、名倉地区の皆さんで運営する観光農園があります。 また随所で、取れたての新鮮野菜の直売も行われる日があります。
藤野(ふじの)駅
日連大橋を渡って坂道を登っていくと国道20号の日連入口交差点に出ます。 信号を左折して国道を進んでいくと、すぐに藤野総合事務所前交差点があって、 線路をくぐって北側から降ってくる県道522号と合流します。 国道をそのまま進んでいくと藤野駅前交差点があります。 そこを右折して坂道を登っていくと、正面に藤野駅(JR中央線)があります。 日連地区に降り立った所から50分ほどで到着しました。
以前には、駅舎へ登る階段の上には藤棚がありました。 藤野町の「藤」なのかと思って趣きを感じたりしていたのですが、 今では藤棚は取り払われて、味気ない屋根になってしまいました。