祇園山
散策:2007年09月下旬
【街角散策】 祇園山
概 要 祇園山は鎌倉市にある低い山で、八雲神社から東勝寺跡まで続く「祇園山ハイキングコース」も設定されています。 街中で手軽に山歩きの雰囲気を味わうことができる短いコースです。 今回は旧ルートの一部だったと云われる大蔵稲荷から続く山道を登ってハイキングコースに出て、祇園山展望台へと向かっていきます。
起 点 鎌倉市 岐れ道バス停
終 点 鎌倉市 鎌倉駅
ルート 岐れ道バス停…大蔵稲荷橋…大蔵稲荷…高時腹切りやぐら分岐…妙本寺分岐…八雲神社分岐…祇園山見晴台…八雲神社…常栄寺…妙本寺…蛇苦止明神…夷堂橋…本覚寺…若宮大路…鎌倉駅
所要時間 2時間20分
歩いて... この日は霧雨が降る生憎の天候で、傘を差しながらの散策となりました。 旧ルートは最初の急階段を過ぎると緩やかな尾根道が続いていて、 夏草が生い茂る季節にしてはしっかりと道を確認できました。 山道には笹竹が生い茂っていて、葉に溜まった雨水でズボンがびっしょりと濡れてしまいました。
関連メモ 祇園山, 鎌倉回峰, 衣張山, 名越切通, 鎌倉七福神
コース紹介
岐れ道(わかれみち)バス停
鎌倉駅(JR横須賀線)から、[鎌20]大塔宮行きバス、[鎌23]鎌倉霊園正門大刀洗行きバス、 [鎌24]金沢八景駅行きバス,または,[鎌36]ハイランド循環バスにて5分、便は頻繁にあります。
バス停の鎌倉駅寄り5mほどの道路向かい(鎌倉駅から来ると道路の右側)から分かれていく路地へ入っていきます。
祇園山ハイキングコース
現在の祇園山ハイキングコースは、八雲神社から高時腹切りやぐらを経て東勝寺跡まで続くルートになっていますが、 以前は高時腹切りやぐらへ降らずに尾根を直進していくルートだったのだそうです。 その頃の正確なルートは知らないのですが、 今回は旧ルートの一部だったと云われる大蔵稲荷から続く尾根道を歩きます。
大蔵稲荷橋
海老茶色の集合住宅を過ぎていくと「この先行きどまり」の看板が立っていますが、 細くなった路地をそのまま進んでいきます。 生垣の間の細い路地を進んでいくと、岐れ道バス停から2分ほどで、滑川に架かる大蔵稲荷橋があります。 滑川は朝比奈峠を源流とする全長5.6kmの川で、 「川床をなめるように流れている」というのがその名前の由来のようです。
大蔵稲荷橋を渡っていくと、すぐに赤い鳥居が立っています。 道標類はありませんが、ここが大蔵稲荷への参道入口になります。 鳥居の先に続く坂道を登っていくと、左手には庚申塔が沢山並んでいました。 ほとんどは「庚申塔」となっていましたが、「猿田彦太神」や「妙見大菩薩」と刻まれたものもありました。 左手に続く植林帯に沿って坂道を登っていくと、簡易舗装路が終わって石段を登るようになります。
大蔵稲荷
再びある赤い鳥居をくぐって植林帯に沿って続く石段を登っていきます。 左手へ曲がって、コンクリート製の階段も混じる石段を更に登っていきます。 古びた鳥居を過ぎていくと、赤い鳥居の先に大蔵稲荷があります。 岐れ道バス停から7分ほどで到着しました。 正面には「大蔵稲荷」の扁額が掛かり、御幣の下る注連縄が渡されていました。 中を伺ってみると、赤い小振りの祠が安置されていて、狐像も幾つかありました。 由緒書きなどは見かけませんでしたが、鎌倉時代からある神社のようです。 社の裏手は岩壁になっていて、そこに2m立方ほどの四角い穴が開けられています。 中には石祠の屋根の部分と小さな狐像がありました。 また入口にも石祠があって小さな狐像が納めてありました。 今では囲いのような社に安置されている小祠ですが、 その昔には裏手にある岩窟に安置されていたのでしょうか。
大蔵稲荷の左手から巻くようにして登っていく山道があります。 道標類はありませんが、その道を登っていきます。 いきなりの急階段を登っていきます。 道の谷側には鉄パイプの手摺が設置されていたりもします。 手摺が終って山の斜面を登るようになると太いロープが張られていて、かなり傾斜のある階段が続きます。 手摺の辺りではあまり必要ありませんでしたが、ロープに掴まりながら登る場面もありました。 降る時には大いに役立つように思えます。 そんな急階段も2分ほどで終って、その先には緩やかな尾根道が続いています。
雑木林の尾根に、軽く登ったり降ったりしながら緩やかな山道が続いています。 道沿いには笹竹が生い茂っていましたが、夏草が生い茂る季節にしては道をしっかりと確認できました。 今ではあまり使われていない道のようですが、 以前には祇園山ハイキングコースの一部にもなっていたようで、しっかりとした道が続いていました。 この時は霧雨が降る生憎の天候で、傘を差しながらゆっくりと進んでいきました。 道端の笹竹の葉に溜まった雨水で、ズボンがびっしょりと濡れてしまいました。 緩やかな尾根道を2分ほど進んでいくと、左手に青緑色の金網柵が続くようになります。 上部には有刺鉄線が張られていて、近づき過ぎると顔が有刺鉄線に触れてしまいそうです。 道幅は広くはないので気をつけながら歩いていきました。
3分ほどして金網柵が終ってその先の小さな高みを越えていくと、窪んだ所がありました。 以前には左右に道が通っていたのか、峠のような雰囲気のする所でした。 右手には黒色と黄色のトラロープが張られていて、 「関係者以外立入禁止」と書かれた板切れが付いていました。 右手の先に道があったのかどうかは確認を漏らしてしまいました。
窪みを渡ってひと登りしていくと、引き続き笹竹の生い茂る尾根道が続きます。 樹間からは鎌倉の住宅地が見える所もあったりします。 次第に尾根が広がってきて、ハイキングコースの旧ルートであったことを思わせるしっかりとした道になってきます。
高時腹切りやぐら分岐
やがて少し降るようになると、しっかりとした道に降り立ちます。 右手から登ってきて鋭角に折れ曲がって正面へと登っていくこの道は祇園山ハイキングコースになります。 大蔵稲荷から12分ほどで歩いて来られました。 角には道標が立っていて、右手に降っていく道は「高時腹切りやぐら50m」、 正面に登っていく道は「八雲神社1.5km・見晴台1.2km」となっています。 今回は正面に続く尾根道を見晴台へと向かっていきます。
(高時腹切りやぐらへの道は「祇園山」, 「鎌倉回峰」を参照)
手前には「この先危険!通り抜け出来ません」と書かれた標識があり、 「立入禁止 入らないでください」と書かれた黄色いテープも張れていました。 どうやら今回歩いてきた道は通行止めになっていたようです。 しかし大蔵稲荷の方にはその旨の標識はなくて、片手落ちのように思いました。 以前には見かけなかったので、最近になって設置されたのでしょうか。 危険な所として思い当たるのは最初の急階段だけでしたが、 傘を差して登っていくことが出来たくらいなので、 通行止めにするほどの危険な状態ではなかったように思えました。 それ以外に該当しそうな所はありませんでした。 事前に得ていた情報では、大蔵稲荷からここまでの途中に分岐があって、 大御堂橋の近くへ降りていく道があるようです。 「危険」とはそちらの道のことなのかも知れませんが、今回はその分岐には気が付きませんでした。 こちら側から歩いていくと分岐がよく分かるのかも知れません。
これまでの道に比べて、祇園山ハイキングコースは幅も広めでしっかりとした道が続いています。 岩盤がむき出しになったり木の根が張り出したりしている所もあったりしますが、 概ねは緩やかで歩きやすい尾根道になっています。 小さなアップダウンもありますが、息が切れるような所はありません。 鎌倉の街のすぐ脇にあるハイキングコースですが、 霧雨が降る生憎の天候だったためか誰にも出合うことはなく、静かな散策が出来ました。
祇園山ハイキングコースを5分ほど進んでいくと、左手のすぐ近くに住宅が何軒か建っています。 そこを過ぎて軽い登り坂になってくると、 道の左手に青緑色の波形板と金網が組み合わされた柵が続くようになります。 金網には近郷の小学校の児童が書いた鳥の写真付きの解説板が括り付けられていたりもしました。 1分ほどで金網柵が終って、緩やかな尾根道を更に進んでいきます。 ちょっとした切通しのような所で、左手へ道が分かれて降っていきますが、 右手へ登っていく尾根道を進んでいきます。
自然がいっぱい シジュウカラ(しじゅうから科)
背中は青みがかった灰色で、黒い頭に白い頬、胸には黒くてネクタイのような模様があります。 群れで行動しています。
妙本寺分岐
小さな高みを越えていくと、木の根が張り出した急坂を降っていきます。 急坂が終って緩やかになった尾根道を進んでいくと、 祇園山ハイキングコースに出てから12分ほどの所に道標が立っています。 正面の道は「八雲神社850m・見晴台650m」、今歩いてきた道は「高時腹切りやぐら650m」となっていて、 見晴台までの道程の丁度中ほどになるようです。 ここから細い山道が右手へ分かれて降っていきます。 道標には何も示されてはいませんが、妙本寺の祖師堂へ降っていく道になります。 少し覗いてみましたが、かなり傾斜のある道で草などが生い茂っているようでした。 今回は見晴台を目指して正面の尾根道を更に進んでいきました。
後日に右手の山道を歩いてみました。 かなり傾斜のある細い道が植林帯に続いていました。 日陰の斜面なのかシダ植物が繁茂していましたが、 夏草が生い茂る季節にしてはしっかりと道は確認できました。 尾根から3分ほど降っていくと、真ん中に手摺の設置された石段の途中に降り立ちました。 そこから石段を左手へ降っていくと、妙本寺の祖師堂の脇に降りていけました。
持ち帰ろう 古都の香りと あなたのゴミを
 (鎌倉市観光協会・鎌倉史跡パトロール隊)
少し進んでいくと左手に鉄線柵が続くようになります。 柵が終って小さな高みを越えたりしながら、広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。 よく歩かれているコースのようで、大変に歩きやすい道が続いていました。 大きな木が生えていたり木の根が張り出していたりする所もありますが、歩きにくくはありません。
八雲神社分岐
植林帯の脇を過ぎていくと、道端にポツンと彼岸花が咲いていたりもします。 少し時期を過ぎていたようですが、まだまだ綺麗な花を付けていました。 少し登り坂になってくると、先ほどの山道分岐から8分ほどで小さな高みに着きます。 鎌倉市の設置する「一級基準点No-125」がある高みからは道が二手に分かれています。 道標によると、左手の道は「見晴台50m」、右手の道は「八雲神社350m」、 今歩いてきた道は「高時腹切りやぐら1.2km」となっています。 右手の道を行くと八雲神社へと降っていけますが、左手のすぐ先に見晴台があるので、 往復してくることにしました。
祇園山見晴台
八雲神社分岐から左手の道を降っていくと、右手に戻るようして降っていく道が分かれていきます。 道標類はありませんが、その道も八雲神社へ降っていく道になります。 その20mほど先のちょっとした高みが祇園山見晴台になります。
高みには「祇園山見晴台」と書かれた真新しい標柱も立っていました。 祇園山ハイキングコースに出た所の高時腹切りやぐら分岐から24分ほど、岐れ道バス停から47分ほどで到着しました。 余り広くはない祇園山展望台にはコンクリート製の四角い囲いがあって、頭の取れた石仏が2体あります。
見晴台から見える四方の名前を記した案内盤によると、 北には横浜港・東京・相模湖、西には丹沢山塊・富士山・箱根・真鶴・伊豆半島、 南には伊豆大島・城ヶ島、東には木更津・房総半島・横須賀と記されていますが、 周りは樹木に覆われていて余り展望はよくありません。 しかし西側が開けていて、鎌倉の街や海などを見渡すことができます。 条件がいいと、奥の方には箱根や丹沢、更には富士山も見える所なのですが、 この時は霧雨の降る生憎の天候だったのでまったく見えませんでした。 脇には彼岸花がひっそりと一株だけ咲いていて、季節を演出していたりもしました。
祇園山見晴台から八雲神社へと降っていきます。 手前の20mほどの所から左手へ分かれて降っていく道の方が近道ですが、 今回は先ほどの八雲神社分岐まで引き返して、道標「八雲神社」に従って降っていきました。 分岐から坂道を降っていくと、すぐに広めで緩やかな所があります。 そこを過ぎて岩がむき出しになった所から左手へと降っていきます。 手摺の付けられた細い坂道を降っていくと、 祇園山見晴台の20mほど手前にある分岐から降ってきた道に降り立ちます。 ここを右折して、これまでの広めの尾根道に比べると細くなった山道を降っていきます。
すぐに左手へ曲がって階段を降るようになります。 太い木の手摺に沿って進んでいくと金網柵が現れます。 先ほどの祇園山展望台よりも低い所にあるものの、 正面には鎌倉の街や海を間近に一望できる景色が広がっていました。 左手の方へ目をやると、逗子マリーナの辺りも見えていました。 海には白い帆を揚げたヨットが沢山浮んでいました。
左手へと曲がって、金網沿いに階段を降っていきます。 縦杭で出来た歩きにくい階段を降っていくと、岩壁の脇を進むようになります。 突き当たりを右折して緑色の網沿いに更に降っていくと、柵の向こう側に社が見えてきます。 これは八雲神社の境内に合祀されている三峰神社と御嶽神社になります。 柵に沿って左手へと続く石段を降っていきます。
三峰神社 御嶽神社 勧請沿革
抑三峰大神ハ文政年中初代山本久左ヱ門当所ヘ勧請シタル者ニシテ当時講金五 両アリ菅埜松兵衛之ヲ預リ其利子二分二朱ヲ以テ代参日待シ神符ヲ配附シテ講中ノ安全 ヲ計ルコト久シ而ルニ明治十六年村内ニ火災頻発シ人心安カラズ依リテ十七年五月ニ菅埜松太郎等 世話人トシテ御嶽山柳都講ヲ作リ火防盗賊除ヲ為ス以後出火等ノ災厄減少セリ講中ヨリ年 年三円宛ヲ集メテ二人ノ代参ヲ出セリ二十年村内一般ヨリ十四円七十銭ノ寄附ヲ得テ二十八年三月菅埜友 蔵外数名発起トナリ四十円ノ頼母子講二口ヲ作リ三峰講ト合併シ基金九十九円七十銭ヲ得同人金扱 トナリ利殖ヲ計ル大正十四年五月ヨリ代参者ヲ四名ニ改メ講中村内ノ安全ヲ計リ現今ニ及ビ講員四 十余名ニ達ス昭和四年五月講中信徒ヨリ寄附ヲ乞ヒ社祠ヲ新築シ石階ヲ改造セリ叉頼母子講ヨ リ新築記念トシテ金廿五円宛ヲ三峰御嶽両本社奉納シ金百円ヲ基金ヘ組込ミタリ菅埜松兵ヱ ノ時僅少ノ基金ヲ三十余年間丹精シテ今ヤ金壱千円ノ講金ヲ積ミ得タル菅埜友蔵ノ敬神 努力ノ功モ亦大ナリト云フベシ茲ニ碑ヲ建テテ之ヲ記念ス
 (皇紀2591年昭和6辛未年5月 建碑発起人)
物を投げない・捨てない
歩行禁煙
 (八雲神社)
八雲神社
「開運 厄除け祈願」と書かれた赤い幟が並ぶ道を進んでいくと、八雲神社境内に降り立ちます。 祇園山見晴台から10分ほどで降りて来られました。 降り立った所には「祇園山ハイキングコース登山口」の看板が立て掛けられていて、 その横には「祇園山ハイキングコース」と題した案内図もありました。 案内図にはこの八雲神社から高時腹切りやぐらを経て東勝寺跡へと至るコースが図示されていました。 また「祇園山ハイキングコース 祇園山0.3km」の道標もあって、今降ってきた道を指していました。 社殿の左手には諏訪神社・稲荷神社・於岩稲荷社が合祀されていました。
八雲神社略記
祭神 須佐之男命、稲田比賣命、八王子命、佐竹氏の霊
由緒 永保年中、新羅三郎源義光公の勧請と伝う。 室町時代、関東官領足利成氏公は公方屋敷に渡御した当社の神輿に奉幣を行うを例とした。 戦国時代、小田原城主北條氏直公は祭礼保護の「虎印禁制状」を下賜し、 慶長9年、徳川家康公は永楽五貫文の朱印地を下賜された。 古くは祇園天王社と称したが、明治維新に八雲神社と改称された。
祭礼 祭礼の神輿渡御に伴う「天王唄」や「鎌倉ばやし」の神事芸能を伝え、正月6日には「湯花神楽」が行はれる。
ご参拝の作法(二拝二拍手一拝のしかた)
まず、拝礼(90度に腰を折り頭を下げる)を二回繰り返す。
次に、両手を胸の高さで合わせ、二回拍手して祈る。
おわりに、もう一度拝礼を行う。
境内の左手には宝蔵殿があり、中には神輿四座が鎮座しています。 きらきらと輝く神輿で、祭りなどで担げるように棒が通されていました。 「自由拝観」となっていますが、建物の中へ入っていくことは出来ず、 ガラス窓を通して中を眺めるようになっています。 両脇には、ケヤキ一本造の大幟の根メの昇竜と降竜もありました。 また境内には大木の袂に「新羅三郎 手玉石」というものあり、 卵型をした50cmほどの丸い石が二つありました。
みこし祭りが最高潮に達すると自然に四社のみこしが一つになって 他に例のない豪壮な「みこしぶり」を展開するのが特色である。 この祭りには「天王唄」と「鎌倉囃子」の神事芸能とともなう。 「みこしぶり」は七月第二土曜日午後七時より行はれる。
常栄寺
立派な鳥居を二つくぐって八雲神社から出ると十字路になっています。 そこを右折して住宅などが建ち並ぶ路地を1分ちょっと進んでいくと、 右手の短い石段の先に赤い門があって、右手の門柱には「ぼたもち寺」、 左手の門柱には「たつのくち くびのおんざを ふしおがむ 婆のまごころ ぼたもち常栄寺」と書かれています。 門から中へ入っていくと、正面に常栄寺の本堂がありました。 左右には絵が掲げられていて、歌も何首かありました。 お寺の謂れによると、尼が日蓮聖人にぼた餅を捧げたことで法難をまぬがれたためにぼたもち寺と言われるのだそうです。
『ぼたもち寺』のいわれ
恵雲山常栄寺は俗に『ぼたもち寺』という。 日蓮聖人(1222〜1282)は当時の仏教の誤りを正し、国の乱れを救わんとして 『立正安国』を主張してやまなかったので幾多の迫害を受けた。 文永8年(1271)9月12日、龍の口法難に際し、この地に住んでいた桟敷の尼が、 日蓮聖人に胡麻のぼたもちを捧げたことは有名な美談物語である。 仏天の加護奇蹟により聖人は龍の口法難頸の座をまぬがれたので、 後には『頸つぎのぼたもち』と言われ、 700年後の今日においてもなお毎年9月12日御法難会に際し、 当寺より侍従、信徒威儀を正して唱題のうちに片瀬龍口寺の祖師像に胡麻の餅を供えるのを 古来よりの例としている。 『ぼたもち寺』といわれるのはこのためである。
 (出典:パンフレットより抜粋)
合掌しましょう
本尊に合掌すれば信心となる
父母に合掌すれば孝養となる
お互に合掌すれば和合となる
長上に合掌すれば敬愛となる
事物に合掌すれば感謝となる
日常の五心
ハイという素直な心
スミマセンという反省の心
オカゲサマという謙虚な心
ワタシガシマスという奉仕の心
アリガトウという感謝の心
たつのくち 首の御座をふし拝む 老婆のまごころ ぼたもち常栄寺 慎子
首つぎの おはぎを祖師に 供養せし 信と勇とを 仰がんいざや 妙子
これやこの 法難の祖師に はぎのもち ささげし尼が すみにしところ 妙子
常栄寺を出て路地を右手へと進んでいくと、1分半ほどで山門があります。 「妙本寺」の扁額の架かる山門をくぐって、正面に続く道を進んでいきます。 右手には八角形のお堂を改造した比企谷幼稚園があります。 道の左右には民家などがあり、ちょっとした店もあったりします。
(写真は左手に回って山門の正面から写したものです)
少し進んでいくと左手へと道が分かれています。 「妙本寺方丈」と書かれた門があって、その先には石段が続いていますが、 その道は見送って真っ直ぐに進んでいくと森の中へ入っていきます。 風致保安林になっているようで、静かで雰囲気のいい道が続いています。 しばらく進んでいくと階段と坂道とに分かれていますが、 どちらへ進んでも大きな山門の所に着きます。
方丈とは…
(天竺の維摩居士の居室が方1丈であったという故事から) 禅宗などの寺院建築で、長老・住持の居所。 本堂・客殿を兼ねる。 転じて住持・住職。 また師への敬称としても用いる。
 (出典:広辞苑第五版)
日蓮聖人鎌倉開教聖地
鎌倉の地たる洵に聖地なるかな 宗祖この山に憩ひこの町に叫びこの海より流さる 潮騒耳を打てば今猶此経難持の聲あり 街_塵を揚ぐれば杖木瓦石の響あり 嗚呼この地を過ぎこの地に住む者其れ 宗祖當年の忍苦を偲び粛然奮然 信仰を増進せよや  塚本抑齋
風致保安林
保安林内で知事の許可なく次の行為をすることは禁止されています。
立木等の伐採・立木の損傷・家畜の放牧・下草落葉落枝の採枝・土石樹根の採掘・開墾その他 土地の形質変更すること。
(注)これに違反した場合は森林法の規定により処罰されます。
 (神奈川県自然保護課)
妙本寺
両側に仁王像が立つ大きな山門(二天門)から妙本寺の広い境内へ入っていくと、 正面の奥には長い歴史が感じられる立派なお堂があります。 このお堂は祖師堂というようです。 お寺の謂れにある「法華堂」というのに当るのでしょうか。
祖師堂の左手から祇園山ハイキングコースへ登っていける山道があります。 左手の墓地の奥から続く石段を30秒ほど登っていくと、途中から山道が右手へ分かれていきます。 角には「ハイキングコース→」と書かれた手製の道標が立っていて、その山道を指しています。 道標に従ってその山道を3分ほど登っていくと、尾根にある前記の「妙本寺分岐」の所に出ます。
妙本寺
宗派日蓮宗
山号寺号長興山妙本寺
建立文永11年(1274)
開山日蓮聖人
開基比企大学三郎能本
この寺一帯の谷を比企谷といい、源頼朝の重臣・比企能員らの屋敷がありました。 比企一族は二代将軍・頼家の後継者争いの際、北条氏を中心とした軍勢にこの地で滅ぼされました(比企の乱)。 その後、乱から逃れていた末子能本が日蓮聖人に帰依し、 一族の屋敷跡であるこの地に法華堂を建てました。 これが妙本寺の始まりといわれています。 4月から8月にかけて、桜・カイドウ・シャガ・ノウゼンカズラなどが鮮やかな花をつけ、 静かな境内を彩ります。
 (鎌倉市)
妙本寺の境内の右手には墓石が幾つも並んでいました。 その奥の方には「比企能員公一族之墓」と刻まれた石標の立つ墓石群がありました。 これらが比企一族の墓のようです。
比企能員邸址
能員ハ頼朝ノ乳母比企禅尼ノ養子ナルガ 禅尼ト共ニ此ノ地ニ住セリ此ノ地比企ヶ 谷ノ名アルモ之ニ基ク能員ノ女頼家ノ寵 ヲ受ケ若狭局ト称シ子一幡ヲ生ム建仁三 年頼家疾ムヤ母政子関西ノ地頭職ヲ分チ テ頼家ノ第二幡ニ授ケントス能員之ヲ憤 リ密ニ北條氏を除カント謀ル謀泄レテ卻 ッテ北條氏ノ為一族此ノ地ニ於テ滅サル
 (大正12年3月 鎌倉町青年団建)
祖師堂から引き返して、右手(来た方角からは左手)に続く坂道を降っていきます。 右上にある鐘楼を眺めながら坂道を降っていくとお堂があります。 こちらが妙本寺の現在の本堂になるようです。 左手には庫裡と思われる建物も併設されていました。 先ほどの祖師堂は今ではあまり使われていないのか、ひっそりとした雰囲気でしたが、 こちらの本堂は現役のようで綺麗になっていました。 庫裡の前を過ぎて手摺のある石段を降っていくと、先ほどの「妙本寺方丈」と書かれた門の所に降り立ちます。
蛇苦止明神
門の脇には「蛇苦止堂」と書かれた札が立っていて、右手の道を指しています。 その立て札に従って右手へ進んでいくと、 民家の先の石段を登った所に「蛇苦止明神」の扁額の架かるお堂がありました。 右手には地蔵や井戸などが屋根が付けられて丁寧に祀られていたりもします。 何やら歴史のありそうなお堂でしたが、謂れなどを記したものは見かけませんでした。 「ご用の方は妙本寺寺務所へおいで下さい」と書かれた札があったので、妙本寺が所有するお堂なのでしょうか。
夷堂橋
蛇苦止明神から引き返してきて、最初の山門から妙本寺を出て行きます。 正面に続く道を真っ直ぐに進んでいくと、滑川に架かる夷堂橋があります。 橋の向こうには本覚寺の山門と夷尊堂が見えています。 袂にある石碑によると、滑川には色々な名前が付けられているようです。
夷堂橋
鎌倉十橋ノ一ニシテ此邊ハ往昔夷堂ア リシトイフ此川ハ上流ニテ胡桃川ト云 ヒ浄明寺前ニ至リ滑川ノ名アリ文覚屋 敷ト傳ヘラルル邊ハ坐禅川ト唱ヘ此邊 ハ夷堂川ト呼ビ延命寺ノ傍ヨリすみう り川ト名ツケ閻魔堂址ノ邊ニテハ閻魔 川トイフ
 (昭和7年3月建 鎌倉町青年団)
本覚寺
「えびす神」と書かれた大きな提灯が下る立派な山門をくぐって境内に入っていくと、正面に本覚寺の本堂があります。 境内には、鎌倉・江の島七福神のひとつ「夷尊神」が祀られている大きな夷尊堂や、 立派な鐘楼や日蓮上人の御分骨堂などもあります。 また一角には赤い頭巾と前掛けをした小さなお地蔵さんが佇んでいて、 その前には綺麗な花がお供えされていたりもします。 本覚寺のすぐ横にも道路はあるのですが、境内が地元の人々の通路のようになっているのか、 お寺への参拝という様子ではない人も多く通り過ぎていきます。
鎌倉・江の島七福神
「七福神」と云えば普通は七つの社寺ですが、 「鎌倉・江の島七福神」はどういう訳だか八つの社寺から成っています。 弁財天を祀る神社が二つ含まれていて、何か謂れがあるのかも知れません。
鶴岡八幡宮(弁財天)、浄智寺(布袋尊)、宝戒寺(毘沙門天)、妙隆寺(寿老人)、 本覚寺(夷尊神)、長谷寺(大黒天)、御霊神社(福禄寿)、江島神社(弁財天)
本覚寺
妙巌山本覚寺と号し、往古夷堂の跡地に建てられました。 日蓮上人はこの夷堂に留場し、ここから身延山に行かれました。 開山は日出上人、二代目は日朝様として知られています。 境内に政宗代々の墓、及び応永時代の梵鐘があります。
若宮大路
本堂の右手から本覚寺を出て左手へ続く坂道を降っていくと鎌倉郵便局前交差点に出ます。 そこを右折して若宮大路を進んでいきます。
国指定史跡 若宮大路
若宮大路は寿永元年(1182)、源頼朝によって造られた鶴岡八幡宮の参詣道です。 中世鎌倉の都市づくりの中心とされた鶴岡八幡宮から由比ヶ浜に至るまで一直線に造られ、 都市づくりの基軸線となりました。 「吾妻鏡」によれば、頼朝は日頃鶴岡八幡宮の参道を造りたいと願っていましたが、 妻北条政子の安産祈願として道造りを始めました。 頼朝自らが指揮し、北条時政以下の御家人たちが土石を運んだといわれています。 現在は県道となり、鎌倉のメインストリートとしての役割を果たしています。 車道の両側には松並木が整備され、往時をしのばせてくれます。 二ノ鳥居以北の道路中央の一段高い道は段葛と呼ばれ、国指定史跡鶴岡八幡宮境内の一部です。 一ノ鳥居は国指定重要文化財(建造物)に指定されています。
 (鎌倉市教育委員会)
日本の道100選 若宮大路
8月10日は道の日です。 記念事業の日本の道100選に若宮大路が選定され、建設大臣から顕彰を受けましたので、 碑を建てて記念するものです。
 (昭和62年8月1日 神奈川県)
日本の桜名所100選 若宮大路
若宮大路の桜は、大正7年、鶴岡八幡宮の段葛に植えられたのを手始めに、 かまくら緑の会がその帯を伸ばし、神奈川県・鎌倉市の協力を得てきました。 遠い昔から春毎に、桜は日本の人々の心に語りかけてきました。 若宮大路を訪れる人にこの桜が喜びとやすらぎをもたらしますように。
 (昭和48年10月 安西篤子)
鎌倉(かまくら)駅
すぐの所にある大巧寺への入口まで来ると鎌倉駅入口交差点があります。 交差点を渡っていくと、鎌倉駅(JR横須賀線)に着きます。