野毛山公園
散策:2007年09月上旬
【街角散策】 野毛山公園
概 要 野毛山公園は桜木町の西側の小高い丘にある公園です。 公園内は三つの区域に分かれていて、 動物園では、獣や鳥などの多くの動物と出会うことができます。 広場にある展望台の上に登ると、桜木町から関内にかけての街並みを見渡せる景色が広がり、 散策地区には顕彰碑や歌碑などもあります。
起 点 横浜市 野毛山動物園前バス停
終 点 横浜市 桜木町駅
ルート 野毛山動物園前バス停…野毛山配水池…展望台…サンクガーデン…芝生広場…ロケット広場…野毛のつり橋…野毛山動物園…散策地区…佐久間象山碑…ラジオ塔…中村汀女句碑…桜木町駅
所要時間 2時間10分
歩いて... 1951年に開園した当初は「野毛山遊園地」と呼ばれていたようです。 遊園地の地下に配水池が出来たため、今では遊戯機械はなくなって静かな広場になっています。 散策地区もあって、都会の中のオアシス的存在の公園です。 公園にある解説板では、横浜の近代史に触れることもできました。
関連メモ 野毛山公園
コース紹介
野毛山動物園前(のげやまどうぶつえんまえ)バス停
桜木町駅(JR根岸線)のバスターミナルから、[89]一本松小学校前行きバスにて10分、 1時間に2本程度の便があります。
バスを降りた所に「野毛山公園案内図」があるので参考にしましょう。 野毛山公園は、野毛山遊園地・野毛山動物園・散策地区の三つから成っています。 正面の車道の上には野毛のつり橋が架かっていて、野毛山遊園地と野毛山動物園とを結んでいます。
野毛山遊園地…
1951年に開園した当初は、現在の配水池からロケット広場にかけては遊戯機械などがある児童遊園になっていて、 それと動物園を併せて「野毛山遊園地」として開園したようです。 1964年の新たな地下配水池の建設に伴って児童遊園は閉鎖されて広場に変わりましたが、 ここでは児童遊園のあった地区を「野毛山遊園地」として紹介しています。 含まれる範囲からすると、野毛山公園 ⊃ 野毛山遊園地 ⊃ 野毛山動物園 となるようです。
野毛山配水池
先ずは左手にある野毛山遊園地へと向かいました。 遊園地とは云っても今では遊戯機械などはなく、展望台や広場があるだけの静かな所です。 野毛のつり橋の下から左手へ進んでいきます。 トイレを過ぎて橋から降ってくる道と合流すると、左手には鉄柵がされた門があって、 「係員以外の者の立入りを禁ず」となっています。 門柱には「野毛山配水池」と書かれた表札が掲げられています。 その奥の小高くなった広い敷地には、丸い屋根をした円柱状のものが二つありました。 この下に配水池があるということなのでしょう。
横浜市水道局野毛山配水池
旧配水池
鉄筋コンクリート造
形寸 円形、直径41.254m
2池
有効貯水量 11,500立方m
しゅん功年度 昭和2年
新配水池
鉄筋コンクリート造
形寸 長方形、長さ170m 幅54m
2池
有効貯水量 40,000立方m
しゅん功年度 昭和42年
配水池を過ぎて坂道を緩やかに登っていくと、高台にある広場に着きます。 左手には「ヘンリー・スペンサー・パーマー」の胸像があります。 創設水道建設の顧問技師長で、横浜の水道建設に貢献された方のようです。
近代水道発祥の地(野毛山貯水場跡)
明治20年(1887)10月、日本最初の近代水道は横浜に誕生した。 当時の横浜は、埋立地が多く良い水が得られないため、 長い間飲み水や伝染病に苦しみ、また大火事にも悩まされていた。 いつでもどこでも安全で良い水が欲しいという人々の夢は、この近代水道の完成によって実現された。 横浜の水道は、英国人H・S・パーマーの設計・監督によるものであるが、 沖守固県知事をはじめ三橋信方(後に市長となる)、三田善太郎など多くの日本人の努力も忘れることはできない。 パーマーは、横浜のほかにも大阪・神戸・函館・東京などの水道計画に貢献した。 さらに、横浜築港工事や横浜ドックの設計など港湾整備の面でも業績を残したほか、 天文台の建言やロンドンタイムスへの寄稿など広い分野で活躍し、 明治26年(1893)54才で没し東京青山墓地に眠る。 横浜水道創設100周年を迎えるにあたり、パーマー像をこの地に建て、 先人の業績を讃え、明日への発展を願いたいと思う。
 (昭和62年4月 横浜市長 細郷道一)
広場の左手へ進んでいくと、東京オリンピックの記念碑があります。 横浜で行われた競技を示す凸像が各面に彫られていました。
GAMES OF THE XVV OLYMLIAD 1964
横浜市は1964年・第18回オリンピック競技大会に際し、 蹴球・バレーボール・バスケットボール(予選)の競技会場地として、 世界の人々と友好をはかることができました。 ここに、その感動を永久に記念します。
 (1966.10.10 横浜市長 飛鳥田一雄)
展望台
記念碑を過ぎていくとすぐに展望台があります。 展望台とは云っても高い塔ではなくて、三階建てのテラス状の建物です。 一階部分にはベンチもあって、日陰でひと休みするのに良さそうでした。
階段で最上階へ登ると、標高は低いものの周囲をグルリと見渡すことができました。 みなとみらい地区の高層ビルや観覧車もよく見えていました。
サンクガーデン
展望台から降りて石畳になった園内を進んでいくとサンクガーデンがあります。 円形に形造られた庭のようになっていて、円い道から放射状に周辺へと道が延びています。 この時には一部が手入れ中だったようで、土がむき出し状態になっていました。 手前には「公園内トリムコースご案内」の看板が立っていました。 案内図が消えかかっていましたが、 野毛山遊園地を巡るAコースと、散策地区を巡るBコースが紹介されていました。
公園内トリムコースご案内
トリムとは傾いた船が自分の力でもとの状態にもどろうとすることです。 あなたのからだにもとの健康をとりもどすよう、歩いたり、走ったり、途中で休憩したりしていただくために、 設けられたのがこのトリムコースです。 じょうずにムリしないで、自分の体力にあった使い方をしましょう。
Aコース 700m、 Bコース 634m
 (野毛山動物園、横浜市)
芝生広場
サンクガーデンからその先へと進んでいきます。 歩道の両側には芝生が一面に生えていて芝生広場というようです。 歩道にはソロバン玉の形をした花壇が点々を設置されていましたが、 花の季節ではなかったのか、何も咲いてはいませんでした。 この芝生広場とサンクガーデンの地下には野毛山地下配水池があるのだそうです。 野毛山配水池にあった看板の「新配水池」に当るのでしょうか。 歩道を真っ直ぐに進んでいくと、コの字形になった藤棚がありました。 中央部には夏草が生い茂っていましたが、花の季節には綺麗な眺めなのだろうと思います。 コの字形の藤棚の奥にも藤棚がありました。
ロケット広場
芝生広場の先の階段を降った一段低い所にロケット広場(遊具広場)があります。 中央にはロケットの形をした遊具があって、その周囲にも多くの遊具がありましたが、 この時にはロープが張り巡らされていて「使用禁止」になっていました。 何か事故でもあったのか、「安全を確認するため詳しい点検を予定しています」との貼り紙がありました。 周囲は樹木に囲まれていてベンチなどもあって、雰囲気のいい公園になっていました。
お願い
1 ゴミはお持ち帰りください。
2 花火やたき火等の火気使用は禁止です。
3 オートバイや自転車の乗り入れは禁止です。
4 野球・ゴルフ・テニス等は他の公園利用者の迷惑になるので禁止です。
5 公園内での物品販売は禁止です。
6 犬等ペット類の放し飼いは禁止です。引きづななどに繋ぐようにしてください。
 (横浜市)
野毛のつり橋
最初の所まで引き返してきて野毛のつり橋を渡っていきます。 ケーブル線で吊る斜張橋になっていて、横浜ベイブリッジの原型なのだそうです。 支柱は中央に一組しかありませんが、そう云われれば横浜ベイブリッジのような雰囲気もしてきます。 橋を渡った所で道が左右に分かれています。 右手は野毛山動物園前バス停へ降りていく道ですが、左手の道から野毛山動物園へと向かっていきます。
野毛のつり橋
昭和45年6月28日「一万人集会」が開催された。 その時、野毛山動物園分会場で、一老人が「交通量が増えている折り動物園と遊園地は遊び場が二分されている状態で 子供達には危険だ。地下道か歩道橋を設置してほしい」と訴えた。 これを本会場の横浜文化体育館で開いた当時の飛鳥田市長は、清水、塩田の両助役と相談、 「さっそく実行いたしましょう」と確約、即刻工事にとりかかり、翌年3月に完成したのがこの橋である。 橋の名称は、市内の小中学生から募集し「野毛のつり橋」と決定した。 中央にある高さ18.2メートルの支柱2本からケーブル線でつり上げ、長さ59メートル、幅4メートルのこの橋は、 斜張橋(しゃちょうばし)といわれる当時としては最新の構造でできている。 市街地の高台に架けた横浜市内初のこの斜張橋は、 その後横浜港に完成した横浜ベイブリッジの原型と云える「ミニ・ベイブリッジ」であり、 美しい形状は附近の緑とよく調和がとれている。 当時の総工費は5,200万円。
 (野毛山動物園)
野毛山動物園
野毛のつり橋から左手へ降りていくと野毛山動物園があります。 入口には動物園の園内マップが置いてあるので一つ貰っていきましょう。 園内は24のコーナーに分かれていて、 ライオン・トラ・シマウマ・キリン・猿・熊・鹿・ペンギン・鳥・ワニ・カメ・ヘビ等など、 多くの動物が飼育展示されています。 50年以上もこの動物園にいたインドウ象の「はま子」は2003年に亡くなり、 それ以降、動物園の定番であるゾウはいないようです。 雉などは放し飼いになっていて、園内を自由に歩き回っていました。 近寄っていっても逃げていくこもなく、人馴れしているようでした。 なかよし広場では、モルモット・ネズミ・ヒヨコなどと直に触れ合うことができます。 また、ひだまり広場・大池・や四季の滝などもあります。 全体は小高い森になっていて、散策気分で巡ることができます。
横浜市には動物園が4つあって、野毛山動物園以外には、 よこはま動物園(ズーラシア)・金沢動物園・万騎が原ちびっこ動物園があります。
野毛山動物園へようこそ
野毛山動物園は1951年(昭和26年)4月1日に開園した動物園です。 園内にはキリンやライオンなど親しみのある動物をはじめ、は虫類や鳥類を展示しています。 また、動物との距離が近く、動物の体のつくりや動きを細かいところまで観察できます。 園内は散歩感覚でひと周りできるほどの広さです。 小さなお子様からお年寄りまで、家族連れでお楽しみください。
開園時間 9:30〜16:30(入園は16:00まで)
休園日 毎週月曜日(月曜日が休日の場合はその翌日)、12月29日〜1月1日
入園料 無料
 (出典:パンフレットより抜粋)
動物園の4つの役割
自然環境の破壊が進み、野生動物を取り巻く状況が悪化する中で、 動物園は次の4つの役割を担うようになりました。
・レクリエーションの場 くつろぐことのできる憩いの施設として
・調査・研究の場 野生動物の生態や生理を調べ、保護に貢献する施設として
・自然保護の場 動物を絶滅から守るため、「種の保存」をはかる生息地域外の保護施設として
・社会教育の場 動物やその動物の生息する環境に関心をもつきっかけとなる施設として
最後の24番目のコーナーには、神奈川県のため池から発見されたミヤコタナゴが飼育されていました。 今年生まれた稚魚・前年度・前々年度というように、年度毎に幾つかの水槽を分けて飼育されていました。 数年経ったものはヒレが綺麗なオレンジ色をしていました。 淡水魚は地味な色のものが多いと思っていたのですが、熱帯魚に負けないような綺麗な彩りをしていました。
ミヤコタナゴ(コイ科)
学名 Tanakia tanago
英名 Metropolitan bitterling
丘陵地や平地部の湧水のある池やそこから流れ出る小川、田んぼの水路などに棲んでいます。 河川改修工事や水田周辺の整備事業、都市化などにより激減し、 東京・神奈川・群馬では絶滅しました。 4〜7月の繁殖期になると体色に変化が現れます。 オスはお腹やひれが赤とオレンジ色になり白や黒の斑も出てきます(婚姻色)。 メスは貝に卵を産むための産卵管が伸びてきます。 水槽横にあるパネルを見るとよくわります。
野毛山動物園前バス停
野毛山動物園から出て野毛のつり橋の下を過ぎていくと野毛山動物園前バス停があります。 桜木町や横浜駅までの便が1時間に2本程度ありますが、 今回はバスには乗らず、この先すぐの所にある散策地区へと向かっていきました。
散策地区
坂道を数10m降っていくと信号機のある十字路があります。 その左正面から高みへと登っていく階段があります。 角には背の高いモダンな道標が立っていて、正面の道は「桜木町駅」、 左手の階段は「遊具広場」となっています。 道標「遊具広場」に従って左手の階段を登っていきます。 階段はすぐに終わって、小高い森に緩やかな散策路が続いています。
佐久間象山碑
散策路の左手の小高い所には佐久間象山碑があります。 碑文によると、横浜開港に貢献のあった方のようです。
横浜開港の先覚者 佐久間象山の碑
安政元年1854年米国の施設ペリーが来朝のおり、 松代藩軍議役とし横浜村にいた佐久間象山先生は、 当時の新思想家であり、また熱心な開国論者であった。 先生は日本が世界の先進国からとり残されることを憂え、 幕府の要路に対して、しばしば欧米諸国との通商交易の必要なことを献策した。 またその開港場として横浜が最適地であることを強く主張し、 幕府の決意を促して、国際港都横浜の今日の発展の緒を作った。 不幸にも先生はその後京都に遊説中、攘夷派刺客の兇刃のために木屋町三條で客死した。 時に元治元年1864年7月11日のことであった。 本年はたまたま開国百年の記念すべき年に当るので、われわれ有志相はかり、 その功績をたたえるためにここに顕彰の碑を建て、永く後世に伝えることとした。
 (昭和29年10月1日 佐久間象山顕彰会 横浜市長 平沼亮三書)
ラジオ塔
佐久間象山碑を後にして散策地区を緩やかに降っていくと、道が二手に分かれています。 左手にある小高くなった斜面にラジオ塔があります。 単なる記念碑で、ラジオ電波を発信していた塔という訳ではないようです。
ラジオ塔
このラジオ塔はラジオの聴取契約者が百万人を越えた記念に、 日本放送協会が昭和7年に全国の著名な公園や広場に建てる計画が進められ、 昭和7年度から昭和8年度中に41ヶ所が完成して、その中に野毛山公園も選ばれ建塔されたものです。
正式名 公衆用聴取施設
全高 三メートル
建塔 昭和7年11月19日
中村汀女句碑
ラジオ塔の道路向かいに芝生の広場があって、そこの一角に中村汀女句碑があります。 背後には竹塀もあったりして、何やら日本庭園の雰囲気も漂う上品な場所になっていました。
中村汀女句碑
明治33年熊本市生れ、本名破摩子。 「ホトトギス」属し、高浜虚子の指導を受けたのち、句誌「風花」を創刊主宰した。
蕗のたう おもひおもひの 夕汽笛
かってこの地に住み、この句をはじめこの公園からの情景など数々の俳句を詠んだ。
竜のひげ 夕方落葉 やみにけり 汀女
噴水の ましろにのぼる 夜霧かな 汀女
船影が つつじの上に ふとくなる 汀女
横浜に 住みなれ夜ごと 夜霧かな 汀女
文化功労者 日本芸術院賞受賞者
中村汀女先生は、明治33年熊本に生れ、江津湖畔に育ち、高浜虚子に師事、 昭和22年俳誌「風花」を主宰、句集「紅白梅」ほか多数の著書あり。 昭和5年より西戸部税関官舎に住まわれ、良き時代の横浜をこよなく愛され、幾多の名句を詠まれた。 ここにゆかりの句を戴き、風花湘南支部一同、これを句碑として此処に残す。
 (昭和48年5月30日)
芝生の広場から出て、間隔の広い階段状の坂道を降っていきます。 手摺付きの坂道を1分ほど降っていくと、T字路になった車道の角に降り立ちます。 降り立った脇には「野毛山公園」と題した大きな解説板が設置されていて、 野毛山や横浜開港などに関する近代史が連綿と記されていました。 正面の横断歩道を渡って、車道を右手へと降っていきます。
(写真は車道に降りて振り返って写したものです)
野毛山公園
野毛山公園は日本の公園発祥の地である横浜で横浜公園や掃部公園に次ぐ長い歴史を持つ公園です。 明治時代の野毛山は豪商たちの屋敷が立ち並ぶ住宅地でした。 現在の散策地区には生糸貿易で財を築いた原善三郎の邸宅が、 現在の野毛山動物園の区域には茂木惣兵衛の別荘がありました。 1923年(大正12年)9月1日、関東大震災の際に野毛山も大きな被害を受けました。 震災後、被災地復興事業の一環で、都市防災の要地、また市民の憩いの場として、 野毛山に公園を建設することになりました。 横浜市が買収した民有地、復興局が買収した茂木別邸跡地と市水道浄水場、 市長公舎を含む市所有地をあわせ公園用地を取得し、 1925年(大正14年)に着工、翌1926年(大正15年)に一般公開されました。 開園当時は回遊式日本庭園(現在の野毛山動物園)・西洋庭園(現在の配水池地区)・ 折衷庭園(現在の散策地区)の三つの様式を持っていました。 その後、第二次大戦中は陸軍が使用し、戦後は1947年(昭和22年)まで米軍に接収され、 公園として利用できない時期が続きました。 米軍の接収解除後、1949年(昭和24年)に横浜で日本貿易博覧会が開催されました。 第一会場に野毛山公園、第二会場に反町公園を利用して開催された博覧会は 野毛山公園を現在の形に整備する契機となりました。 日本庭園だった部分は動物園になり、様式庭園部分には噴水池が設けられました。 噴水池は博覧会終了後、競泳用プールに改築され、 同年開催された第4回国民体育大会夏季水泳大会の会場となりました。 さらに1951年(昭和26年)には様式庭園だった部分に児童遊園が造られ、 児童遊園と動物園をあわせて「野毛山遊園地」として開園しました。 児童遊園には豆電車、メリーゴーランドなどの遊戯機械や横浜の街並みが見渡せる展望台が設けられ賑いました。 この頃、様々なイベントや集会、映画のロケなどが園内で開かれ、 まさに横浜市の中央公園の役割を担っていました。 1964年(昭和39年)明治時代に作られた野毛山配水池の老朽化により、 水道配水池整備工事によって配水池を地下に新設することになり、 児童遊園を閉鎖して整備をすることとなりました。 地下配水池整備後は地上部を公園とし、動物の広場、子供の広場が設けられ、現在の野毛山公園の形になりました。
野毛山歴史探訪
野毛山は明治、大正、昭和と、市民の文化の中心地として、歴史にたくさんの足跡を残してきました。 横浜は日本の文明開化のスタート地点です。 江戸の末期に開港して以来、開港場(中区関内地区)を軸として街づくりが進められました。 戸部・野毛山には神奈川県奉行所が置かれ、当時の官庁街でした。 1899年に外国人居留地が廃止されるまで、横浜は現在の県庁の場所にあった運上所を境にして、 西に外国人が、東に日本人が分かれて住んでいました。 山手は外国人の住宅地になったのに対して、野毛山は成功した日本人の住宅地になり、 横浜の行政の中心地になりました。 山手の外国人墓地に対するように野毛山の久保山墓地があり、 英仏領事館に対するように神奈川奉行所がおかれ、山手フランス山庭園に対するように野毛山がありました。 …(以降は「野毛山歴史探訪」にて)
桜木町(さくらぎちょう)駅
横浜市中央図書館を過ぎていくとすぐに野毛坂交差点があります。 交差点を渡って正面の坂道を200mほど降っていくと野毛3丁目交差点があります。 背の高い道標が角に立っていて、右手は「京急日ノ出町駅280m」、左手は「桜木町駅340m」となっています。 どちらへ行っても鉄道の駅に着きますが、 今回は桜木町駅へ向かうべく左手へと曲がっていきました。 野毛2丁目交差点・音楽通り交差点・花咲町2丁目交差点を過ぎていくと、 桜木町2丁目交差点の先に桜木町駅(JR根岸線)があります。 野毛山公園の解説板の所から12分ほどで着きました。