石砂山
散策:2007年08月中旬
【低山ハイク】 石砂山
概 要 石砂山は中央線沿いにある藤野町十五名山のひとつです。 標高は600mに満たない低い山ですが、山頂からは丹沢の山並みを見渡せる景色が広がっています。 枝道もかなりあるようですが、 今回は、東海自然歩道にもなっている菅井地区から石砂山へ登って篠原地区へと降るルートを歩きます。
起 点 相模原市 菅井下バス停
終 点 相模原市 ピクニックランド前バス停
ルート 菅井下バス停…Y字路…登山口…伏馬田城趾分岐…伏馬田城趾…伏馬田城趾分岐…364番鉄塔分岐…伏馬田分岐…鉄塔…鞍部…石砂山…山道分岐…篠原川…坂下橋…佐野川橋…篠原バス停…石老山登山口…中村橋バス停…やまなみ温泉分岐…切通し…ふるさとの森分岐…蓑石橋…鼠坂…ピクニックランド前バス停
所要時間 5時間20分
歩いて... 交通の便が悪いのが難点で、今回はひとりのハイカーとも出会わない静かな散策になりました。 石砂山の山頂の前後に長い横木の階段がある以外はそれほどの急坂はなくて、 歩きやすい道が続いていました。 余裕があれば、今回の石砂山の隣にある石老山と併せたコースを歩くのもいいかも知れません。
関連メモ 石老山, 高塚山, 石老山
コース紹介
菅井下(すがいしも)バス停
藤野駅(JR中央線)から、バスを乗り継いで来ます。
藤野駅からやまなみ温泉バス停まで、[野11]やまなみ温泉行きバスにて10分、 便は多くはありません。
 土日曜 6:40 7:30 8:00 10:40 11:40...
やまなみ温泉バス停から菅井下バス停まで、[や01]東野行きバスにて6分、 午前中には2便しかありません。
 土日曜 7:15 8:18...
藤野駅8:00発の便に乗って、やまなみ温泉で8:18発の便に乗り継ぐのがいいようです。 東野行きバスは小振りの可愛らしいバスで、座席は10人分ほどしかありません。 運賃は現金前払いのみとなっています。 なお、やまなみ温泉バス停から菅井下バス停まで歩くと40分ほどかかります。
バスを降りて県道76号を10mほど引き返すと、左手へ曲がっていく角から細い道が分かれていきます。 角には東海自然歩道の道標が立っていて、正面に分かれていく細めの道は「石砂山・伏馬田入口バス停」、 今来た道は「青根」となっています。 脇にはバカンス村入口の大きな看板も出ていて、その下には藤野町立菅井小学校の標識もあります。 大型車の進入を制限するためなのでしょうか、入口の両側には紅白の縞模様のH鋼が立っています。 ここから道標の指す細めの道を降っていきます。
すぐの所にある菅井小学校の前を過ぎていくと、降りの傾斜が少し増してきます。 右手が開けて山並みを見渡しながら民家が点在する坂道を降っていくと、正面にこんもりとした山が見えてきます。 手元の地形図によると、伏馬田城趾のある536m峰のようです。 右手の方の高みに城趾があるようです。
Y字路
程なくして傾斜が緩やかになってくると、菅井下バス停から6分ほどの所で道が二手に分かれています。 角には「伏馬田城趾」と題した解説板が設置されています。 どちらへ行ったものかと辺りを伺っていると、左手の道の壁に道標が取り付けられていて、 「石砂山・伏馬田入口バス停」となっていました。 また「菅井の花街道」の標識も並んでありました。 手元の地形図によると、右手の道は伏馬田地区へと続いている道路のようでした。 ここは道標に従って左手の道を進んでいきます。
伏馬田城趾(烽火台)
この城山は、北條氏(小田原)の家臣で津久井衆の一人、日連村の尾崎掃部助が守っていました。 このことから、この山を尾崎趾、この平地を尾崎原と呼んでいます。 江戸期に入ってその子孫は、又野村(津久井町又野)に移住し代々名主を努めておりました。 幕末の頃、彦四郎行正は、土佐の断金隊に加わり、後に三重県令となりました。 その行正の子、行雄が「憲政の神様」と言われた尾崎咢堂であります。 咢堂は昭和9年5月、この地を訪れ城趾に登り、次の歌を詠んでいます。
中奥の 祖という人の 城の跡 尋ね来にけり 風薫る日に
新編相模国風土記稿には、「尾崎掃部助城趾、尾崎峰と呼べり、遺構僅に存し草樹深し」と書かれています。 城趾は眼下の道志川に沿って甲斐に通じる往来を監視する絶好の場所であり、 東方には津久井城を指呼の間に望むことができます。 又、妙法寺記には、天文5年(1536)小山田の部将・小林刑部左衛門が秋山口から侵入 「アオネのカラヲチラシ足弱百人ばかり御取候」とあり、 甲斐国志には「青根の郷を誅しと読む」とあり、これらはいづれもこの城のことと思われます。 このように、城山は相模、甲斐の国境にあって、烽火台と警備の拠点として利用されてきました。
 (藤野町教育委員会)
次第に傾斜が増してくる坂道を4分ほど登っていくと、左手に景色が広がる所がありました。 右手に聳えている山は、2ヶ月ほど前に登った峯山のようです。 左手へ目を移していくと、稜線に送電線の鉄塔が立っていました。 峯山から菅井地区へ降るルートにあったなと懐かしく思い出しながら、暫く眺めていきました。
登山口
植林帯に沿って続く道路をその先へと登り気味に進んでいくと、 先ほどのY字路から5分ほどの所から左手へと山道が分かれていきます。 脇に立つ道標によると、左手の山道は「東海自然歩道 石砂山2.6km」、 今歩いてきた道は「東海自然歩道 菅井(県道)青根」となっています。 その脇にある「佐久間東幹線No.362」と書かれた電源開発の標識もその道を指していました。 手元の地形図によると、実線の道から破線の道が分かれていく分岐に当るようです。 また「東海自然歩道」と題した大きな案内板も設置されていて、 神奈川県内の自然歩道の地図などが記されていました。 ここから石砂山を目指して山道を登っていきます。
東海自然歩道
建設省が計画する長距離自然歩道のひとつが東海自然歩道です。 長距離自然歩道は、国土を縦断、横断又は循環し、 多くの人々が四季を通じて手軽に楽しくかつ安全に国土の優れた風景地等を歩くことにより、 沿線の豊かな自然環境や自然景観、さらには歴史や文化に触れ、国土や風土を再認識し、 併せて自然保護に対する意識を高めることを目的としています。 東海自然歩道は、全国初の長距離自然歩道として昭和45年に路線決定されました。 明治の森高尾国定公園(東京都八王子市)を起点に、神奈川・山梨・静岡・愛知・岐阜・三重・奈良・京都をつないで 明治の森箕面国定公園(大阪府箕面市)に至る1687kmの路線です。 神奈川県内は、東京都県境の城山から県立陣馬相模湖自然公園・丹沢大山国定公園・県立丹沢大山自然公園を通って 山梨県境高指山出合までの127.5kmです。 一部区間は本格的な登山道と比較的歩きやすい林道等を歩く道の複路線になっています。 中山間部が中心ですが、途中は里や沢など変化に富んだ風景に出会い、豊かな自然に親しむことができます。 東海自然歩道は本格的な登山道を含みますので、十分な装備を用意し、 無理をせず、健康に気をつけ体調を整えて歩きましょう。
※避難小屋について
避難小屋は緊急時に非難するために設置しています。常時開放していますのでご利用ください。
 (神奈川県自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課)
植林帯に続く山道を2分ほど登っていくと、右手へと道が分かれていきます。 周囲を見回してみても道標類はありません。 どうしたものかと暫く考えた末、右手の道は見送って、 斜面を横切るようにして続く正面の道を進んでいきました。 程なくして少し降るようになると、夏草が生い茂るようになりました。 この先大丈夫なのか、先ほどの分岐を右手へ行った方がよかったのではないか… などと少々不安になりながら夏草の間を進んでいくと、 草深い所はすぐに終って、山襞の小沢に架かる金属製の小橋を渡っていきます。 左手へと曲がりながら斜面に沿って緩やかに登っていくと、 登山口から10分ほどで、正面が明るくなった所に道標が立っていました。 それによると、右手へ曲がっていく道は「石砂山2.0km・伏馬田入口バス停3.5km」、 今登ってきた道は「菅井1.1km」となっていて、この道でよかったのだとひと安心したのでした。 また電源開発の佐久間東幹線の標識も立っていて、右手の道は「No.364」、左手の道は「No.362」、 正面の道は「No.363」となっています。 正面や左手にも細い道が続いていたようですが、夏草に覆われていて余りはっきりとはしませんでした。 ここは道標に従って、右手へと曲がっていく山道を更に登っていきます。
地形図に描かれている破線の道は、登山口から2分ほどの所にあった分岐を右手へと登っていく道のようで、 伏馬田城趾へと続く尾根の途中に出るようです。 今回はその道ではなくて、左手から回り込むようにして続く道を進んでいきました。 地形図には示されていない道になりますが、東海自然歩道のルートになっています。
伏馬田城趾分岐
植林帯の中に続く山道を登っていきます。 朽ち果てそうになった倒木を避けてその先へと進んでいくと、先ほどの道標から3分ほどで再び道標が立っていて、 右手へ分かれていく道は「城跡」、正面の道は「石砂山・伏馬田入口バス停」、 今登ってきた道は「菅井小学校」となっていました。 石砂山へは正面の道を進んでいくのですが、せっかくなので伏馬田城趾へ立ち寄っていくことにしました。 歩き始めの所は夏草が生い茂っていましたが、すぐに植林帯の中のはっきりとした道になりました。 1分もしない内に左手へと曲がって横木の階段を登っていきます。
菅井小学校分岐
横木の階段は程なくして終りますが、その先で再び現れます。 1分ほどかけて階段を登りきって30秒ほど進んでいくと、道が二手に分かれていました。 手元の地形図によると、破線の道が合流している所に当るようです。 辺りには道標類は見当たりませんでしたが、左手の道は降っていくようだったので、右手へと進んでいきました。 程なくしてまた横木の階段が現れます。 先ほどの階段よりは長くなっていて2分半ほどかけて登り切ると、テーブル状のベンチが設置されていました。 そこから緩やかになった尾根道をその先へと8分ほど進んでいくと分岐がありました。 角に立つ道標によると、右手へ降っていく道は「菅井小学校」、 正面の道は「城跡」、今登ってきた道は「東海自然歩道」となっています。 ここは正面に続く尾根道を更に進んでいきます。
登山口から2分ほどの所にある分岐からもこの尾根へ登ってこられるようですが、 ここの分岐はその道ではないようで、登山口の辺りへと降りていく別の道のようです。
伏馬田城趾 (標高536m)
緩やかに1分ほど進んだ所で現れる横木の階段をひと登りしていくと、こんもりとした高みに着きました。 ここが伏馬田城趾で、手元の地形図にある536m峰に当るようです。 伏馬田城趾分岐から18分ほどで到着しました。 山頂には「伏馬田城趾」の標柱が立っていて、 その脇には「秋葉山大権現」などと刻まれた石碑が5つほどありましたが、 城趾らしきものは特に見かけませんでした。 麓のY字路の所にあった解説板によると、ここには烽火台があったようで、 「城趾」とは云ってもお城が建っていた訳ではないようです。 周りは樹木に覆われていて展望は得られませんが、樹木が切り払われると見通しが良かったのかも知れません。 「咢堂桜」の解説板などを見ながら、脇の倒木に腰を掛けて10分ほど休憩していきました。 カンザンとフゲンゾウという品種の桜が植えられているのだそうですが、 花の季節ではないのでよく分かりませんでした。
咢堂桜
ここ、伏馬田城跡は、甲斐武田氏と後北条氏とが勢力を分つ要衝の地でした。 往時の城主は、本町日連に居を構えた尾崎掃部介でした。 その後裔にあたるのが「憲政の神様」と言われた尾崎行雄(咢堂)翁です。 咢堂翁は、明治45年2月、当時東京市長を務めておられ、日米友好の証として、 荒川提の桜3000本(12品種)を米国に贈りました。 この桜は首都ワシントンのポトマック公園に植えられ、世界的にも有名な桜の名所となっています。 この由緒ある桜を足立区では、区制50周年(昭和56年2月)にあたり、3000本の里帰りを実現させました。 そしてそのうち32本(4品種)が咢堂翁の生誕の地である津久井町に寄贈(平成4年2月)されました。 当地のサクラは「尾崎行雄を全国に発進する会」の好意で、2種類の「咢堂桜」を植樹することができました。 今後、地域の方たちと共に大切に育てていきたいと思います。
 (藤野町教育委員会、伏馬田自治会)
364番鉄塔分岐
先ほどの伏馬田城趾分岐まで引き返していきます。 休憩も含めて45分ほどで戻って来られました。 道標「石砂山・伏馬田入口バス停」に従って山道を進んでいきます。 斜面を横切るようにして続く道を進んでいくと、すぐに山崩れになった所がありました。 しかし、金属製の橋が架けられていて難なく通っていけました。 岩壁の脇を過ぎていくと尾根筋を進むようになります。 雑木林に緩やかで広い道が、尾根の右側になったり左側になったりしながら続いていました。 馬の背のような尾根道を進んでいくと、伏馬田城趾分岐から7分ほどの所で、細い道が左手へと分かれていきます。 角に立つ電源開発の佐久間東幹線の標識によると、 左手に戻るようにして降っていく道は「No.364」、右手の尾根道は「No.365」、今歩いてきた道は「No.363」となっています。 また東海自然歩道の道標も立っていて、右手の尾根道は「石砂山・伏馬田入口バス停」、 今歩いてきた道は「菅井」となっています。 ここは右手へと曲がっていく尾根道を進んでいきます。
程なくして雑木混じりの植林帯を進むようになります。 引き続き、尾根の右側になったり左側になったりしながら、傾斜も緩やかで広い道が続いています。 細くなった馬の背のような尾根を過ぎていくと、先ほどの分岐から7分ほどで再び分岐があります。 角に立つ道標によると、左手へと戻るようにして降っていく道は「石砂山1.2km・伏馬田入口バス停2.7km」、 今歩いてきた道は「菅井1.9km」となっています。 また電源開発の佐久間東幹線の標識も立っていて、左手へと戻るようにして降っていく道は「No.365」となっていました。 尾根道は右手の先へと続いているようでしたが、両方とも何も示されてはいませんでした。 ここは道標に従って左手へと折れ曲がって降っていきます。
V字型に右手へと折れ曲がって斜面に沿って緩やかに降っていきます。 樹間からは、目指す石砂山の稜線が見えるようになります。 双耳峰になっているようで、二つの高みが並んで聳えていました。 下の方にはゴルフ場のコースが見えていました。 やがて斜面から尾根を進むようになってくると、樹木の間から山並みを見渡すことが出来る所もあったりします。
双耳峰の石砂山
標高588mの石砂山の北西350mほどの所に572m峰があって、 二つのピークが並んだ双耳峰になっています。 今回歩いたコースからその様子が良く分かりましたが、 手前に樹木が生い茂っていて、綺麗な写真を写すことはできませんでした。 今回はその中間にある鞍部から石砂山へと登っていきます。
伏馬田分岐
植林帯の中を降るようになると、364番鉄塔分岐から12分ほど、 伏馬田城趾分岐から20分ほどで分岐があります。 角に立つ東海自然歩道の道標によると、正面の道は「石砂山1.1km」、 右手から合流してくる道は「伏馬田入口バス停2.6km」、今歩いてきた道は「菅井」となっています。 手元の地形図によると、468m峰の東方250mほどの所にある分岐のようですが、 実際には地図に描かれた地点よりも北東に100mほど寄った辺りにあるようです。 ここにも「東海自然歩道」の大きな案内板が設置されているので参考にしましょう。 ここで水分補給をしたりしながら5分ほど休憩していきました。
鉄塔
ひと息入れたところで、石砂山を目指して更に進んでいきます。 雑木林に広くて緩やかな道が続いています。 笹竹の生える馬の背のような尾根を過ぎていくと、 伏馬田分岐から2分半ほどで、送電線の鉄塔が立つ明るい所に出ます。 手元の地形図にある、山道と送電線が交わっている地点になるようです。 日当たりがいいのか、この辺りだけは夏草が生い茂っていましたが、道はしっかりと確認できました。 尾根道から左手に分かれていく道を5mほど登っていくと鉄塔の袂に着きますが、 鉄塔の名前を記したものは見当たりませんでした。 これまでにあった電源開発の標識から推定すると、 「佐久間東幹線No.365」の鉄塔ように思われますが、よくは分かりません。
鉄塔から元の尾根道に戻って、夏草が生い茂る緩やかな道を進んでくと、 すぐに右手が開けて景色が広がるようになります。 良くは知らないのですが、方角からすると丹沢の山々のように思えました。 歩みを止めて5分ほど眺めを楽しんでいきました。
送電線の鉄塔を過ぎて草深い道を進んでいくと植林帯へと入っていきます。 そこに道標が立っていて、正面の道は「東海自然歩道 石砂山0.9km」、 今来た道は「東海自然歩道 伏馬田入口バス停2.8km・菅井2.3km」となっています。 ここから右手へ細い踏み跡程度の道が分かれていましたが、道標には何も示されてはいませんでした。 手元の地形図によると、送電線の鉄塔の北東100mほどの所にある破線の山道の分岐のように思われます。 ここは道標に従って、正面に続く道を進んでいきます。
植林帯の中に続く道を緩やかに2分半ほど登っていくと、東海自然歩道の道標が立っています。 正面の道は「石砂山0.7km」、今来た道は「伏馬田入口バス停3.0km・菅井2.5km」となっています。 道標の袂に「H11-寄-1-8.9 →」と書かれた小さな板が括り付けられていて、右手を指していました。 「水源の森林を大切に」とも書かれていました。 はっきりとした道はありませんでしたが、何処かへ続く細い道が分かれていたのでしょうか。 この道標を過ぎると植林帯から雑木が混じるようになり、登り傾斜も少し増してきます。
鞍部
尾根道を10分ほど登っていくと傾斜が緩やかになって、斜面に沿って左手へと緩やかに進むようになります。 短い横木の階段をひと登りしていくと、左右に通る尾根に着きます。 手元の地形図によると、ここは石砂山とその北西にある572m峰の間にある鞍部で、 標高520mほどはあるようです。 登り着いた所には道標が立っていて、右手の尾根道は「東海自然歩道 石砂山0.2km」、 今登ってきた道は「東海自然歩道 伏馬田入口バス停3.5km・菅井3.0km」となっています。 左手にも尾根道が続いていましたが、道標には何も示されてはいませんでした。 572m峰から499m峰などを経て日向地区へと降りて行かれるようですが、 今回は道標「石砂山」に従って、右手へと尾根道を進んでいきました。
緩やかな尾根を1分ほど進んでいくと、幅の広い横木の階段が現れます。 かなり長い階段で、暑い夏場には息が切れてきたりもします。 今回のコースの中では一番の難所になります。 何度も立ち止まって汗を拭いたり呼吸を整えたりしながらゆっくり登っていくと、 4分ほどで緩やかな尾根道になってきます。 その先へ進んでいくと1分ほどで再び横木の階段が現れますが、間隔が広くて1分もすれば登り切ります。
石砂山 (標高588m)
緩やかになった尾根道を進んでいくと、夏草が生い茂った所を過ぎていきます。 夏草が少なくなって最後に横木の階段をひと登りすると石砂山の山頂に着きます。 鞍部から9分ほど、伏馬田分岐から40分ほど、 麓の登山口から2時間ほど(伏馬田城趾への往復時間も含む)で登って来られました。 山頂には「石砂山 標高588米」の標柱と、「藤野町十五名山 石砂山 標高588m」の標柱が立っています。 またこれまでに見かけたのと同じ「東海自然歩道」と題した大きな案内板も設置されています。 テーブル付きのベンチが二組あって、休憩するのにはいい場所になっています。 お昼にはまだ少し早かったのですが、長い階段を登ってきて大汗もかいたので、 休憩を兼ねてここで昼食タイムにしました。
石砂山の標高について
手元の地形図によると、石砂山の標高は578mとなっていて、山頂にある標柱と10mの差があります。 地形図は三角点などのある位置の標高を示しているようなので、 実際の山頂から少し降った辺りに測量点があるのかも知れません。
石砂山の山頂は南西側が開けていて丹沢の山並みを見渡すことができました。 よくは知らないのですが、手前から右手の奥へと延びている尾根は、 焼山から蛭ヶ岳・丹沢山・塔ノ岳へと続く丹沢主脈でしょうか。 左手の奥の方にはギザギザした特徴的な形の稜線が見えています。 方角からすると丹沢三峰のように思われます。 いずれも日帰りでは登ることができない遥かな山ではあります。
注意
藤野町一帯は「ギフチョウとその生息地」として神奈川県指定天然記念物に指定されています。 ギフチョウ(卵・幼虫・蛹も含む)を採集したり、許可なくして生息に影響を及ぼすことは禁止されています。 貴重な天然記念物を大切に守りましょう。
 (神奈川県教育委員会)
山火事注意 火の用心!
たき火・たばこは確実に消して!!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
お腹も満ちて疲れも癒えたところで、30分ほどいた石砂山から下山していきます。 登り着いた所に道標が立っていて、これまで登ってきた道は「伏馬田入口バス停3.7km」、 「東海自然歩道」の案内板の左手から続く尾根道は「篠原バス停2.2km」となっています。 「石砂山」の標柱の先の方にも踏み跡があったようですが、夏草が生い茂っていてはっきりとはしませんでした。 今回は道標「篠原バス停」に従って、案内板の左手から続く尾根道を進んでいきました。 広くて緩やかな尾根道を3分ほど進んでいくと横木の降り階段が現れます。 かなり長い階段で、降り切るのに4分半ほどかかりました。 石砂山の山頂付近は、登りも降りも長い横木の階段があって、どちらの向きに歩いても大汗をかきそうです。 横木の階段が終ると、雑木林に続く馬の背のような尾根道を緩やかに進んでいきます。
石砂山自然環境保全地域
113.2ha(うち特別地区16.6ha)
自然を大切に
建築物の新改増築、土地の形質変更等には許可が必要です。 また、規則で定める動植物を採取・捕獲等したときは罰せられます。
 (神奈川県津久井地区行政センター環境部、藤野町産業課)
広めの山道を緩やかに降っていきます。 それほどの傾斜もなくて快適に歩いていけます。 1分ほど進んでいくと、「←石砂山0.3km・篠原バス停1.9km→」の道標を過ぎていきます。 東海自然歩道にもなっているこの道は、広くて歩きやすくなっています。 小さな瘤を右や左に巻いたりしながら、雑木林の尾根に沿って緩やかに降っていきます。 道が広くてよく整備されているためか、夏草は煩わしくありません。 「自然環境保全地域」や「山火事注意」の看板などを過ぎていくと、 先ほどの道標から4分ほどで再び道標が立っていて、「←石砂山0.5km・篠原1.7km→」となっています。
山火事注意 火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
山道分岐
「自然環境保全地域」の看板を過ぎていくと、山頂から20分ほどで植林帯が現れます。 引き続き、瘤を右や左に巻くようにして尾根道が続いています。 植林帯になって8分ほど進んでいくと、正面に小さな高みが現れ、 その手前で道が左右に分かれている所があります。 どちらへ行ったものかと周りを見回してみても道標類は見当たりません。 左手の方には、山頂にあったのと同じギフチョウに関する注意書きや「自然環境保全地域」の看板が立っているし、 左手の道の方がよく踏まれているような感じだったので、ここは左手の道を進んでいきました。
手元の地形図によると、ここは石砂山の北北東800mほどの地点で、 破線の道が北北東から北北西へと曲がっていく辺りになるようです。
高みの左斜面に続く道を進んでいきます。 やがて降りの傾斜が少し増してきます。 浅い鞍部に着いてその先の高みを越えて更に降っていきます。 「自然環境保全地域」の看板を過ぎていくと、先ほどの分岐から6分ほどで、 「神奈川県森林公社分収造林地」の看板が立っています。 看板を過ぎていくと傾斜が更に急になってきます。 道標「←石砂山0.9km・篠原1.3km→」を過ぎて、右・左とジグザグに曲がりながら降っていきます。
篠原川
やがて樹間から左下に民家が見えるようになってきます。 最後に左手へ曲がって真っ直ぐに進むようになると、正面が明るくなってきます。 空色の金網の小さな小屋を過ぎていくと、小さな川に架かる橋に出ます。 脇には道標が立っていて、正面の橋は「東海自然歩道 篠原バス停0.7km」、 今降ってきた道は「東海自然歩道 石砂山1.5km」となっています。 また「石砂山自然環境保全地域」の看板も設置されています。 その看板によると、正面に流れている川は篠原川というようです。 これで山道は終りになります。 石砂山から40分ほどで降りて来られました。 正面には民家が建っています。 名も無い橋を渡って、右手へと舗装道路を緩やかに降っていきます。
汚さない 荒らさない みんなで守ろう 自然の美
 (神奈川県)
たばこの投げすて!火事のもと
 (神奈川県、消防署・消防団)
坂下橋
この辺りから先の方にかけての集落が篠原地区になるようです。 民家が点在する舗装道路を降っていきます。 篠原川から離れて畑地の中を進んでいきます。 公衆トイレを過ぎ、ちょっとした竹林を過ぎていくと、篠原川に架かる坂下橋を渡っていきます。
石砂山のギフチョウ保護のためのお願い
藤野町における県指定天然記念物ギフチョウ(卵、幼虫、蛹を含みます)の採取は、 神奈川県文化財保護条例により禁じられています。 当地域でギフチョウを捕獲又は殺傷した者は、県文化財保護条例により罰せられます。 また、自然環境保全地域特別地区内でギフチョウを捕獲又は殺傷した者は、 県自然環境保全条例により罰せられます。 なお、これらの指定地域において、ギフチョウ(産地を問いません)を放つ行為(放蝶)をすることは、 当地域の個体群を保護する観点から、絶対にしないでください。
 (神奈川県教育委員会、相模原市教育委員会)
坂下橋を過ぎて2分ほど進んでいくと、左手へ曲がっていく角から川辺へと降りて行かれる所がありました。 蒸し暑い中を降ってきて汗をかいたので、 川辺へ降りて顔を洗ったり、水に浸したタオルで首筋を拭いたりして、暫く休憩していきました。 この川は、先ほどの篠原川の支流のようで、この少し先の所で合流しているようです。 よくは分からないのですが、この先にある橋の名前からすると佐野川というのでしょうか。
佐野川橋
川辺から道路に戻ってその先へと1分ほど進んでいくと佐野川橋が架かっています。 その手前にはギフチョウの解説板が設置されていました。 この藤野町はギフチョウの生息域の東限にあたるようです。 佐野川橋を渡っていくと県道518号に出ます。 車道の左手の先に東海自然歩道の道標が立っていて、左手の道は「ねん坂6.7km・石老山2.6km」、 右手の道は「牧馬」、今来た道は「石砂山1.8km」となっています。 ここは道標に従って、車道を左手へと進んでいきます。
神奈川県指定天然記念物 ギフチョウとその生息地
ギフチョウはアゲハチョウ科に属する本州特産のチョウで、 春に出現、その美しく可憐な姿から「春の女神」と称されている。 成虫はあたたかな日中に活動し、日当りのよい斜面を地上低くゆるやかに舞い、 またスミレやサクラの花を求めて吸蜜する。 真珠のような卵はカンアオイの仲間(藤野町ではカントウカンアオイ)にまとめて産み付けられ、 ほぼ20〜25日後に幼虫がふ化する。 幼虫はカンアオイの葉を食べて成長し、約40日で蛹化、初夏から翌春までの長い期間を蛹で過す。 かつて神奈川県では、表丹沢と東丹沢の山麓から津久井郡にかけて広く分布していた。 しかし、これらの生息地の多くは1960年以降に相次いで消滅し、 現在では藤野町の一部で少数の自然発生が確認されているにすぎない。 神奈川県に生息するギフチョウは、分布上太平洋側の東限をなし、 独特の形質をもつ個体群を形成していることで、その自然誌的価値はきわめて大きい。 絶滅に瀕した県下のギフチョウを後世に永く残すため、県指定天然記念物として保護するものである。
 (神奈川県教育委員会)
篠原バス停
県道518号を左手へと進んでいきます。 篠原川に架かる釜戸橋を過ぎていくと、 先ほどの佐野川橋から2分ほどで篠原バス停があります。 やまなみ温泉行きの便が出ているのですが、週末には16時台の1本しかありません。 バスの便まではまだまだ時間があったので、 ここからやまなみ温泉バス停かピクニックランド前バス停まで車道を歩くことにしました。 距離的にはほぼ同じ位のようでしたが、今回はピクニックランド前バス停まで歩いていくことにしました。 すぐ先の清水橋を渡ってその先へと進んでいきます。
 平日 7:40 8:40 11:45 13:34 15:15 15:53 17:17 18:20
 週末 16:35
石老山登山口
篠原バス停を過ぎていくと次第に民家が増えてきます。 福寿院への道を見送り篠原小学校を過ぎていくと、 篠原バス停から6分ほどで、農産物直売所の先に、 これまでにもあった「東海自然歩道」の大きな案内板が設置されています。 その少し先のカーブミラーの脇に東海自然歩道の道標が立っていて、 右手へ分かれていく細い道は「石老山2.2km・ねん坂6.3km」、 今来た道は「石砂山2.2km・西野々5.8km」となっています。 当初はここから石老山へ登ろうかとも思っていたのですが、 時間的にはまだ余裕があったものの暑い季節で大汗をかいて疲れてもいたので、 今回は登るのは止めて、このままピクニックランド前バス停へと向かっていきました。
中村橋バス停
谷戸入沢に架かる中村橋を過ぎていくと、 石老山登山口から1分ほどで中村橋バス停があります。 その右手の松林の中に「篠原大割目遺跡」の解説板がありました。 縄文時代から平安時代にかけての竪穴住居などが発掘された所なのだそうです。
篠原大割目遺跡
大割目遺跡は、篠原川の支流のひとつである谷戸入沢の形成する河岸段丘に広がる 西向斜面(標高290〜300m)に所在する遺跡であります。 本遺跡の性格確認調査は、本年7月より1ヶ月余を使用し、相武考古学研究所に委託し実施しました。 発掘現場は、藤野町牧野2676番地の畑836uの一部を行いました。 狭い範囲の調査にもかかわらず、縄文時代中期中葉(約4,500年前) 後期初頭(約4,000年前)の竪穴住居址各1軒づつ、 平安時代中期(10世紀後半〜11世紀初頭)の竪穴住居址2軒が検出され、 当時の「ムラ」の一端をかい間見ることができました。 平安時代の住居址からは、南武蔵・相模地域の土器とともに、甲斐地域の土器が出土するなど、 平野部には見られない様相を呈しており、 古代における藤野町の「位置」を考える上で興味深い資料を私たちに提示してくれました。
 (昭和63年12月 藤野町教育委員会)
やまなみ温泉分岐
中村橋バス停を過ぎて5分ほど進んでいくと、車道が二手に分かれています。 左手に分かれていく道はやまなみ温泉へと続いていますが、 今回はこのまま正面の道をピクニックランド前バス停へと向かっていきます。 県道518号はここで終って、正面から左手へと続く道は県道517号になるようです。 正面に見えている山は鉢岡山でしょうか。 藤野町十五名山にもなっているようなので、いつか機会を得て登ってみたいと思ったりします。
車道を更に進んでいくと、沿道の所々には花木などが植えられたコーナーがあったりもします。 「フラワーロード」というようですが、季節柄、花などは咲いていませんでした。 花木の中にはひっそりと「平和記念碑」が建っていたりもしました。
「フラワーロード」
美しく正しく使おう みんなの道
 (神奈川県津久井土木事務所)
平和記念碑 碑文
この地は、明治5年に国軍が創設されてから70年余りの間、国の守りにつく兵士たちと、 見送りに来た親族や村人たちが、最後の別れを告げた所である。 それ以来、人々はこの地を「兵隊送りの地」と呼ぶようになった。 命をかけて出兵して行く人、その兵士の武運を祈って見送る人、 きびしい時代に生きた人々にとって忘れ得ない因縁の地である。 そこで、私たちは大戦の反省から永遠の平和を祈念するとともに、 当地の歴史の一頁を後世に伝えるため、ここに平和記念碑を建立する。
 (篠原・牧野平和祈念碑建立者一同)
切通し
姥平沢に架かる姥平橋を過ぎていくと、道路は少し登り気味になってきます。 樹木が頭上を覆って陽射しを遮ってくれるようになると、 丸い石が積まれた石垣が続く切通しに着きました。 切通しを過ぎて1分ほど降っていくと、右手に山道が分かれて登っていく所がありました。 手前に立つ電力会社の黄色い標柱によると、鉄塔「都留線189」への巡視路のようでした。 県道518号に出てから炎天下を45分ほど歩いてきて、疲れも少し溜まってきたので、 道端に腰を降ろして、水分補給などをしながらひと休みしていきました。
ふるさとの森分岐
山襞に沿って曲がりながら緩やかに降っていきます。 切通しから8分ほどして少し登り坂になってくると、道が左手へと分かれていきます。 角に設置された看板によると「相模湖ふるさとの森キャンプ場」への道のようです。 オートキャンプやバーベキューなどが出来るようです。 左手の道を見送って、右手へ曲がりながら登っていく道を進んでいくと左手に広場がありました。 広場への入口には大きな「相模湖自然公園ふるさとの森案内図」が設置されていて、 「歓 ふるさとの森」と書かれた大きな標柱も立っていました。 その道路向かいの右手からは細い山道が分かれていました。 角に立つ道標によると「大明神展望台入口」となっていました。 その山道を見送って車道をその先へと進んでいくと、降り坂になってきます。
蓑石橋
鉄塔への巡視路を見送って車道を降っていくと、正面に池が見えてきます。 手前には「相模湖休養村」と書かれた標柱が立っていました。 池のすぐ先には蓑石橋が架かっています。 先ほどの切通しから18分ほどの所になります。 蓑石橋を渡った所から沢に沿って右手へと林道が分かれていきます。 角には東海自然歩道の道標が立っていて、 右手の林道は「大明神山1.4km・石老山3.0km」、左手の道は「ねん坂1.0km」となっています。 右手の林道を進んでいくと、大明神山を経て石老山へと登っていけますが、 今回はこのまま車道を左手へと進んでいきます。
交通規制
この林道は指定車・許可車以外の通行が禁止されています。 事故が発生しても責任を負いません。
 (相模湖町役場)
保安林区域
保安林内で知事の許可なく次の行為をすることは禁止されています。 立木竹の伐採、立木の損傷、家畜の放牧、下草落葉落枝の採取、土石樹根の採掘、 開墾その他土地の形質を変更すること。
(注)これに違反した場合は森林法の規定により処罰されます。
 (神奈川県)
鳥を大切に
野鳥を捕るには知事の許可が必要です。あなたは?
 (神奈川県)
緩やかな車道を5分ほど進んで小さな関川橋を過ぎていくと、景色が開けてきます。 丘の上に続く畑地には民家が点在するようになります。 「大明神・石老山 500m先左折」の道標の立つ分岐を道なりに左手へ降っていくと、 右手の畑地の向こうには山並みが続いていました。 方角からすると、中沢山から小仏城山・景信山へと続く尾根でしょうか。
鼠坂
「相模湖線8」の鉄塔の袂を過ぎ、鼠坂ポンプ所を過ぎていくと、 道路の両側には「鼠坂関址」や「甲州路」と刻まれた石碑や「鼠坂」の標識が立っています。 その左手から渡し舟の乗り場への細い道が分かれていきます。 湖の上を舟で行くのもいいかも知れないと思いましたが、 残念ながら「本日運休」の札が下がっていました。 更に1分ほど進んでいくとT字路があります。 角に立つ道標によると、右手の道は「顕鏡寺2.2km」、正面の道は「城山7.0km・嵐山2.4km」、 今来た道は「篠原」となっていました。 T字路を直進していくと、程なくして左手に細い路地があります。 角に立つ道標によると「嵐山2.5km」とのことですが、そのまま真っ直ぐに車道を進んでいきます。
ピクニックランド前(ぴくにっくらんどまえ)バス停
祭礼でも近いのか、沿道には雪洞が吊り下げられていました。 八幡神社を過ぎて国道412号に出ると、ピクニックランド前バス停があります。 篠原バス停から1時間20分ほどで到着しました。
相模湖駅(JR中央線)まで、相模湖駅行きバスにて11分、 1時間に2本から3本程度の便があります。 この時は道路が渋滞していて、相模湖駅まで1時間もかかりました。 距離は3kmほどなので、渋滞がひどいようなら、歩いていった方が速いかも知れません。
バス停の右手には「鼠坂関址」の解説板と「鎌倉街道」と刻まれた石碑がありました。
2010年3月に、「ピクニックランド前」から「プレジャーフォレスト前」に名前が変更されました。
鼠坂(ねんざか)関址
この関所は、寛永8年(1638)9月に設置された。 ここは、小田原方面から甲州に通じる要塞の地で、地元民の他、往来を厳禁し、 やむを得ず通過しようとする者は、必ず所定の通行手形がなければ通れなかった。 慶安4年(1651)には、由井正雪、丸橋忠弥の陰謀が発覚し、一味の逃亡を防ぐ為、 郡内の村人が総動員し、鉄砲組と共にこの関を警固したという。