境川
散策:2007年07月下旬
【街角散策】 境川
概 要 境川は相模国と武蔵国の国境とされた二級河川です。 今回は長後駅から社寺などを訪ねながら境川沿いを散策して湘南台駅へと向かうコースを歩きます。 途中には長後南歩行者専用道があったり、 境川の土手道は藤沢大和自転車道にもなっていて、ゆっくりと散策するのにいい場所になっています。
起 点 藤沢市 長後駅
終 点 藤沢市 湘南台駅
ルート 長後駅…長後南歩行者専用道…上谷戸第二公園…上谷戸第三公園…さいかち西公園…高倉公園…稲荷大明神…子育地蔵尊…東勝寺…渡戸橋…左馬神社…境川…白鷺橋…琴平神社…東泉寺…今飯橋…藤沢大和自転車道…緑の広場…鯖神社…湘南台公園…湘南台駅
所要時間 2時間20分
歩いて... 畑の用水路の跡地に造られた長後南歩行者専用道には植え込みや樹木が続いていて、 雰囲気のいい散策路になっていました。 境川沿いには田んぼや畑が続いていて、昔懐かしい風景に出会うことも出来ました。 土手道の所々には川面に降りていける階段もあって、川と間近に接することも出来ました。
関連メモ 藤沢大和自転車道, 境川遊水地公園
コース紹介
長後(ちょうご)駅
長後駅(小田急江の島線)から歩いていきます。
改札を出て東口の階段を右手(南側)に降りるとバスターミナルがありますが、 今回は左手(北側)へと降りていきます。 降りた所は駐車場や駐輪場になっていますが、以前にはバスターミナルがあった所です。 少し先の踏み切りの所を右折して幅の狭い長後街道を進んでいきます。 以前にはバスが通る道だったのですが、今ではバイパスが出来て、この道にはバスが通らなくなりました。
小田急の快速急行が出来るまでは急行停車駅として賑わう駅でした。 その頃は長後駅から戸塚駅までのバスの便も多くありましたが、 今では直行便は無くなり、途中の立場までの便しかありません。 駅前の様子も随分と変わってしまい、 相模鉄道や横浜市営地下鉄が来ている湘南台にすっかりお株を奪われてしまったようです。 往時を知っている身としては何だか少し寂しい気もします。
長後南歩行者専用道
信号機のある交差点をふたつ直進していくと、 長後駅から7分ほどで長後小学校入口交差点があります。 そこを右折して国道467号を200mほど進んでいくと中高倉歩道橋があります。 歩道橋を過ぎた右手から細い道が分かれています。 ここが長後南歩行者専用道の入口になります。 入口には案内板や看板などが設置されていて地図も載っているので参考にしましょう。 長後南歩行者専用道は、ここから湘南台五丁目までの間に設置されていて、 畑地の灌漑用水路の跡地を整備した歩道とのことです。
歩こうわが街長後
畑地かんがい用水路の跡地を利用して造られた、木や花につつまれている歩行者のための道です。 この道をみんなで大事に使いましょう。
長後南歩行者専用道
この道路は、自転車、歩行者の道路です。 沿道の方の自動車以外は進入できません。 車止めは、はずしたら元の位置に戻しましょう。
 (神奈川県、藤沢市)
長後歩行者専用道…
「長後歩行者専用道」は大和市と藤沢市との市境から湘南台へと続く歩行者専用の道です。 周囲には住宅地が続き、沿道には樹木などが植えられ、所々にはベンチも設置されていて、 雰囲気のいい散策路になっています。 長後街道を境にして、北側が「長後北歩行者専用道」、南側が「長後南歩行者専用道」と呼ばれています。 今回歩くのは、その内の「長後南歩行者専用道」の部分になります。
細い道を横切りながら住宅地に続く歩道を進んでいきます。 一般道を横切る所には「長後南歩行者専用道」である旨の看板や車止めが設置されています。 降り気味の歩道を3分ほど進んでいくと、正面にトンネルが現れます。 上の方は住宅地になっているだけで、特に車道などが横切っている訳ではありません。 トンネルを抜けて階段を登っていくと、これまでよりも一段高い所にある住宅地に出ます。
・地下道の中で遊んだりさわいだりするのはやめましょう。
・地下道の中に自転車やオートバイを置くのはやめましょう。
上谷戸第二公園
正面に送電線の鉄塔を見ながら住宅地に続く歩道を進んでいくと、 道路を渡った先に上谷戸第二公園があります。 長後南歩行者専用道はこの公園を割るようにして、左手へと曲がりながら続いています。
公園利用についてのお願い
・犬は必ずくさり等でツナギ、フンは飼い主がきちんと持ち帰りましょう。
・ゴルフ、野球、サッカー等の球技をするのは危ないのでやめましょう。
・花火、ばくちく、たき火等、火の使用はやめましょう。
・ゴミ、吸い殻は必ず持ち帰りましょう。
・バイク等を乗り入れたり、乗りまわすのはやめましょう。
その他、人に危険なことやめいわくのかかるようなことはやめましょう。
 (藤沢市公園みどり課市民センター)
上谷戸第三公園
上谷戸第二公園を出て住宅地の間を進んでいくと、金網柵の先で広い車道に出ます。 左手には送電線の鉄塔「高倉線No.56」が立っていて、 その奥には東京電力の長後変電所があります。 横断歩道を渡った所に小さな上谷戸第三公園があります。 長後南歩行者専用道はその右手を掠めてその先へと続いています。
長後駅の東口から右手(南)に降りた所にあるバスターミナルを右手から回り込んで 広い車道を真っ直ぐに進んでくると、長後駅から400mほどでここまで来ることができます。 その方が近道ですが、今回は長後南歩行者専用道の最初の地点から歩くために長後街道を回ってきました。
引き続き、住宅地の中に歩道が続きます。 沿道には植え込みや樹木などが続いていて、雰囲気のいい歩道になっています。 所々にはベンチも設置されていたりもします。 青く塗られた横断歩道を渡ってその先へ進んでいくと、 送電線の鉄塔「高倉線No.55」の袂を過ぎていきます。
緑を大切に!
上谷戸第三公園から400mほど進んでいくと、県道22号(長後街道の高倉バイパス)に出ます。 その右手の数10mの所には高倉橋が架かっていて、そのすぐ先には小田急の線路が通っています。 県道はその線路の下をくぐるようにして半地下の掘割になった所を通っています。 正面に架かる名も無い小さな橋を渡って、その先へと続く歩道を更に進んでいきます。
さいかち西公園
住宅地の中に続く歩道へ入っていくと、すぐの所の左手にさいかち西公園があります。 砂場・滑り台・鉄棒などがある小さな公園です。 公園を過ぎてそのまま歩道を真っ直ぐに進んでいくと、すぐの所に舟の形をしたタイル張りの花壇がありました。 花は咲いてはいませんでしたが、情緒のある演出ではあります。
少し左手へ曲がって真っ直ぐに進んでいきます。 一般道を横切りベンチの設置された所を過ぎていくと、 県道22号に架かる橋を渡ってから500mほどで一般道の十字路に出ます。 この先の道には植え込みなどは見当たらなかったので、長後南歩行者専用道はここで終りになるようです。 国道467号の中高倉歩道橋の所の入口から25分ほどで歩いて来られました。 右手には「歩行者専用道」の看板がありました。 左手にもしっかりとした感じの看板がありましたが、 文字が消えてしまったのか何も書かれてはいませんでした。 ここを左手へと曲がっていきます。
(写真は一般道に出てから振り返って写したものです)
歩行者専用道
畑地かんがい用水路の跡地を利用して造られた、木や花につつまれている歩行者のための道です。 この道をみんなで大事に使いましょう。
この歩行者専用道は自動車税・ガソリン税等によって建設されました。
高倉公園
住宅地の中の道を200mほど進んでいき、 突き当たりの10mほど手前の所から右手に分かれていく道を降っていくと広い車道に出ます。 左折していくと、すぐに国道467号湘南台5丁目交差点に出ます。 交差点を直進して数10m先の分岐を左手へ入っていくと、右手に高倉公園があります。 半分ほどは草地になっていて、もう半分には砂場・滑り台・ブランコなどの遊具があります。 公園の端の十字路を右折して公園に沿って進んでいきます。
稲荷大明神
高倉公園に沿って150mほど進んで正面にこんもりとした森が見えてくるとT字路に出ます。 そのすぐ右手にもT字路があって、少しずれた十字路のような感じになっています。 道路を渡って右前方にある道を進んでいくと、程なくして左手に赤い鳥居が立っています。 鳥居の両側には「猿田彦大神」や「庚申塔」などと刻まれた石碑が幾つも並んでいました。 鳥居の先の石段を登った所に赤い色をした小祠がありました。 祠には「正一位 稲荷大明神」と書かれた扁額が掲げられていました。 祠の中を伺ってみると、白木の小さな祠があって、素焼きの狐像が狛犬のようにして控えていました。 どういう訳だか、「福徳」と書かれた招き猫も置いてあったりしました。
子育地蔵尊
稲荷大明神のすぐ先にある十字路を左折して坂道を登っていきます。 右手にある墓地などを過ぎていくとT字路があります。 左手には電話ボックスがあります。 T字路の右手の角にある祠には、赤い頭巾と赤い衣裳を身に纏ったお地蔵さんが安置されていました。 千羽鶴や熊のぬいぐるみなどで綺麗に飾られていました。 子供を想う親達の願いや子供たちの願いを書いた絵馬も沢山掛けられていました。 祠の中にあった貼り紙によると子育地蔵尊というようです。
子育地蔵尊
このお地蔵様はその昔より子育地蔵と呼ばれております。 そもそもお地蔵様は幼な子が皆健かに無事に成長するようにと、 いつでもどこでも見守り下されておるのであります。 子供の病気、やけど、切り傷、おできなどの時には、台座の小石でその悪い所をなでさすると早く治り、 「食べ初め」の時にはこの小石を歯固めの小石として用いると丈夫な歯が生え、 また初誕生日に背負わせて歩かせる一升餅(力持・立ち餅)にこの小石を添えると、 強い足腰が育くまれると言われております。 このほか、多くの願い事もかなえて下さる大変御慈悲に満ちたお地蔵様として、 近くの人々はもちろん、遠くの方々にまで深く信仰されております。 尚、お借りした小石は御礼の意味で二箇にして(倍にして) お返しするのが習わしであると言い伝えられております。
お地蔵様の日 毎月二十四日
 (東勝寺)
子育地蔵尊のあるT字路を右折して坂道を降っていきます。 民家や竹林を過ぎていくと、正面に田んぼが広がってきます。 脇には「いらっしゃいませ 営業中」と書かれた野菜直売所があったりもします。 道なりに降っていくと十字路があります。 コースは正面へと進んでいくのですが、右手すぐの所に東勝寺があるので立ち寄っていきましょう。
犬のみなさんへ
にんげんをおさんぽにつれていくときは、かならずスコップとふくろをもたせましょう!
まちをうつくしくしましょう!
背の低い石垣沿いに数10m進んでいくと、右手に石段があります。 脇には「臨済宗 東勝禅寺」と刻まれた大きな石柱が立っています。 ここが東勝寺への入口になります。
東勝寺
秋雄和尚によって600年前南北朝時代に創建された、阿弥陀仏を御本尊とする臨済宗円覚寺派の禅寺である。 執権北条高時一族が鎌倉の東勝寺で滅亡したのを悼み、密かにこの寺は建立されたという。 その為に山号を再び燈を点じる点燈山と呼ぶ。 後に中興の祖、天遊和尚(慶長14年1609没)により寺は一新されたが、 現在の山門(貞亨3年1686、鎌倉大工渋谷七郎兵衛)を残して焼失した。 その後、延亨3年(1746)に再建されたのが旧本堂であった。 4月第1日曜に花祭りと子育地蔵祭、8月1日に施餓鬼会が催される。
 (藤沢市)
東勝寺
梅の木などが生えている参道を真っ直ぐに進んでいくと石段があります。 左手の六地蔵に出迎えられながら石段を登って、「點燈山」の扁額の架かる山門をくぐっていくと、 東勝寺の境内になります。 正面には堂々とした立派な本堂があり、右手の方には庫裡がありました。
無霊燈
東勝寺は秋雄和尚によって南北朝時代(1300年代)に創建された阿弥陀仏を御本尊とする臨済宗円覚寺派の禅寺である。 執権北条高時一族が鎌倉の東勝寺で滅亡(1333)したのを悼み、密かにこの寺は建立されたと伝えられる。 その為に山号を再び燈を点じる点燈山と呼ぶ。 後に中興の祖 天遊和尚(慶長14年1609年没)により寺は一新されたが、 江戸時代後期に現在の山門(貞亨3年1686年鎌倉)大工渋谷七郎兵衛 造)を残して焼失した。 その後延亨3年(1746年現本堂の欄間)に再建されたのが旧本堂であったが、 老朽甚だしく平成5年(1993)に再建が発願された。 平成9年(1997)には仏祖の御加護の下に檀徒一同の悲願が結実し、 本堂客殿新築と山門修復(設計建築企画飛鳥 施工英社寺建築)境内整備は完成した。 ここに点燈山の法燈が尽きること無きを祈り、 更に檀徒の子孫は長久にして信力はいよいよ堅くして尽きること無きを願って、 無尽燈の碑を建立する。
 (円覚慈霊)
東勝寺から先ほどの十字路まで引き返して右手へ曲がり、 右手に畑、左手には田んぼが広がる中に続く道を真っ直ぐに進んでいきます。 田んぼには数10cmに育った稲が青々としていました。 畦の脇の水路には水が勢い良く流れていて、心地よい音を響かせていました。
渡戸橋
田んぼと畑の間に続く道を進んでいくと境川に架かる渡戸橋があります。 車道と歩道とに分かれていて、歩道に部分は板敷きになっています。 橋を渡って正面に続く道を更に進んでいきます。 右手にある建物は療護施設「よこはまリバーサイド泉」になります。 この境川の手前までが藤沢市で、川の向こう側は横浜市泉区になります。 その名の通り、まさに市境を流れる川です。
境川…
境川は町田市相原付近を水源として、 江の島の浮ぶ藤沢市片瀬海岸の相模湾へと流れ込む延長52kmほどの二級河川です。 かつては高座川(たかくらがわ)と呼ばれていましたが、 文禄年間の検地によって、この川が相模国と武蔵国の国境と定められたため、境川という名前になったようです。 なお、現在の横浜市の瀬谷区・泉区・戸塚区・栄区はこの境川の東側にありますが相模国の一部とされていて、 国境に定められたという境川との関係はよく分かりません。 国境は時代と共に移り変わってきたが、境川という名前は存続したということなのでしょうか。
右手への分岐を見送って登り坂になった道を進んでいくと車道に出ます。 その正面右手から樹木畑の中に続く細めの道へ進んでいきます。 次第に森の雰囲気がしてくると、 「左馬神社」の扁額が架かる大きなコンクリート製の鳥居が立っています。 左手には供養塔が立っていて、右手には横浜市泉消防団第5分団の車庫があり、 更にその先には、「下飯田会館」と「左馬神社社務所」の看板が架かる建物があります。 その先には木製の鳥居が立っていて、そちらの方から来る道が正規の参道のようでした。 今歩いてきた道はその参道を横切るようにして続いています。
左馬神社
左手の鳥居をくぐって参道を進み、短い石段を登っていくと広い境内に着きます。 大きな樹木が生えている境内の正面に左馬神社の社殿があります。 大きな拝殿の裏手に小振りの本殿がある構造になっていました。 由緒書きはないかと探してみましたが見当たりませんでした。 社殿の左手には小さな祠もありました。 名前は分かりませんでしたが、祠の中を伺ってみると狐の置物があったので稲荷社でしょうか。
境川
先ほどの渡戸橋の手前まで引き返してきて、左手へ続く境川沿いの土手道を進んでいきます。 療護施設を過ぎていくと、川辺へ降っていく坂道が分かれていました。 更に土手道を進んでいくと、今度は石段が川辺へと降っていく所がありました。 試しに川辺へ降りてみると、川の端に沿ってコンクリート製の道のようなものが続いていました。 土手まで引き返していってもいいのですが、どこまで続いているのかと川辺を歩いていきました。 明け方まで雨が降っていたので道は濡れていましたが、 川の水が道の上を洗っている訳ではないので、問題なく歩いていくことができました。 この辺りでは水深は浅いようで、石がごろごろした河原が続いていました。 向こう岸からは勢い良く水が流れ込んでいる所もあったりしました。
この川は雨が降ると急に水が多くなるので大変危険です
・雨の日は降りないようにしましょう。
・天気が良くても川の水が多いときは降りないようにしましょう。
・小さい子供だけで遊ばせないようにしましょう。
 (神奈川県藤沢土木事務所)
コンクリート道は次第に幅を狭めてきて先行きが不安になりかけた辺りで、 石段が土手の上へと続いている所がありました。 これ幸いとその石段を登って土手の上に出て、境川沿いの土手道をその先へと進んでいきました。 土の道が続く土手には夏草が生い茂ってはいますが、 歩く人が多いのかよく整備されていて、歩きやすくなっていました。 左手には田んぼが広がっていましたが、減反政策のためか休耕している田んぼもありました。 境川を見ると、川辺で釣り糸を垂らしている人を何人か見かけました。 何が釣れるのでしょうか。
白鷺橋
雰囲気のいい土手道を進んでいくと、やがて前方に赤く塗られた白鷺橋があります。 この橋を渡っていくと湘南台駅へと続いていますが、今回はこのまま土手道を進んでいきます。 すぐ先の所にある相模鉄道いずみの線横浜市営地下鉄の高架橋の下をくぐっていきます。
高架橋の下をくぐって境川沿いの土手道を更に進んでいきます。 左手へ分かれていく道をひとつ見送っていくと、二つ目の道が左手へと分かれていきます。 高架橋を過ぎて150mほどの所になります。 この田んぼの中に続く道を進んでいきます。 田んぼの端まで来ると水路を渡っていきます。 建ち並ぶ温室を右手に見ながら真っ直ぐに進んでいくと、軽く登った先で車道の通る十字路に出ます。
十字路を右折して車道を進んでいくと、道路の正面左手にこんもりとした森が見えてきます。 森の脇を過ぎて民家が増えてきた車道を道なりに進んでいくと、 十字路から300mほどの所に「琴平神社」と刻まれた石柱と石灯籠が立っています。 ここから琴平神社へと入っていきます。 参道の先の短い石段を登って「琴平神社」の扁額が架かる立派な鳥居をくぐっていきます。 神社の参道は鳥居の先へと続いていましが、右手は東泉寺の境内になっています。 東泉寺の入口は琴平神社の入口の少し先にありますが、中ではつながったような形になっています。
鳥居の前には狛犬が控えていましたが、その足の下には子獅子がいました。 毬などを足で押さえているのは時々見かけますが、子獅子は珍しく思いました。 台座には「唐獅子や みたまと共に とこしえに まもりつづけよ このみやしろを」 と刻まれていました。
琴平神社
東泉寺には後で向かうとして、先ずは正面へと参道を進んでいくと、 石段を登った所に琴平神社の社殿がありました。 社殿の左手には小さな祠があって「八阪神社」と書かれた扁額が掲げられていました。 右手にも小さな祠があって、その中に小さな白木の社が二つありました。 白山神社と稲荷神社というようです。 琴平神社を始めとして、これらの神社の由緒などを記したものは見かけませんでした。
琴平神社から車道まで引き返してその先へと進んでいくと、 元木会館の先に「禅 曹洞宗巨木山 東泉寺」と刻まれた石柱が立っています。 そこから続く参道へ入っていくと、 「相模国準四国八十八箇所之内 第五十九番札所」と刻まれた石碑の先に間隔の広い階段が続いています。 左右には立派な石灯籠が立っていて、綺麗な植え込みが参道を飾っていました。 片方には竹製の柵もあって何やら情緒を醸し出しています。 檀家の方なのでしょうか、この時には二人で植え込みなどの手入れ作業をされていました。
琴平神社の前から直接続くようにして東泉寺の本堂のある境内になっていますが、 正式な入口と思われる所から紹介しておきます。
東泉寺
石段を登って「巨木山」の扁額の架かる山門をくぐっていくと、正面に東泉寺の本堂があります。 その左手にある小振りのお堂は薬師堂です。 お堂の前には解説板のような立て札がありましたが、 長年の風雨に晒されていたためか、文字はすっかり消えていました。 本堂の左手の方には墓地が広がっていて、先ほどの琴平神社の向こう側まで続いていました。 東泉寺の境内の一部に琴平神社があるような形になっていて、両者の間には何か関係があるのでしょうか。 お寺の謂れなどに関するものは見かけませんでしたが、本堂再建記念碑がありました。 無学のため一部読めない文字もありましたが、参考までに載せておきます。
東泉寺本堂再建記念碑
噫大正十二年九月一日不_為震災本堂倒 潰焉憶測慄然矣爾来鋭意謀復興篤信協力 至誠奉仕堂宇完成可謂護法崇祖之結晶也 即録其芳志欲傅千古銘曰 巨木参天 法 燈連綿 伽藍新就 徳澤無邉 _念佛恩 高仰祖先 信心堅固 億萬斬年
 (昭和十年四月八日 龍寳三十一世宗勝和尚謹書)
今飯橋
東泉寺を出て車道をその先へと進んでいきます。 数10m進んでいくと、酒店の所に十字路があります。 その少し先には下飯田交差点の信号が見えていますが、手前にある十字路を右手へと進んでいきます。 右手に分かれる道を見送って左手へと曲がって緩やかな坂道を降っていくと車道に出ます。 そこを右折して車道を進んでいくと、すぐに元木バス停があります。 湘南台駅と立場を結ぶバスが1時間に2本程度通っています。 そのバス停を過ぎた先に、境川に架かる今飯橋があります。
藤沢大和自転車道
今飯橋を渡ってすぐに右折して、境川沿いに続く土手道を進んでいきます。 舗装されたこの土手道は藤沢大和自転車道になっていて、 国道1号の境川大橋から国道246号の大和橋まで続いている約18.5kmの道です。 サイクリング・ジョギング・散策と、思い思いの週末を楽しむ人たちを多く見かけました。 所々には川面へ降りていける階段があったりもして、川と間近に接することもできます。
(藤沢大和自転車道については、 「藤沢大和自転車道」を参照)
安全で楽しいサイクリングをするために
・自転車は自分のからだに合ったものを選び、各部分に故障がないか、よく調べてから乗りましょう。
・コースの左側を一列で走り、競争やスピードの出しすぎ、二人乗りは危険ですからやめましょう。
・雨の日や、風の強い日にコースを走るのは危険ですからやめましょう。
・一人で利用することはさけて、グループで利用するように心がけましょう。
・農耕車が出入りするところもありますので、十分気をつけて走りましょう。
・コースに来るまでの途中の道路やコースから一般道路への出口では車に注意して事故のないようにしましょう。
・みんなの施設を大切にしましょう。
 (神奈川県)
あぶない乗り方はやめましょう
・ならんで走ること ・二人乗り ・片手ハンドル ・両手はなし
今飯橋から100mほど進んでいくと左手の畑地へ道が分かれていきますが、そのまま土手道を進んでいきます。 更に100mほど進んだ所で再び左手の畑地へと道が分かれていきます。 標識などは立っていませんが、この道へと入っていきます。 両側には畑地が広がっていましたが、休耕でもしているのか、荒れ気味の畑が目立ちました。
緑の広場
畑地の中に続く道を真っ直ぐに200mほど進んでいくとT字路に突き当たります。 正面にはビニールハウスが建ち並んでいます。 手前の右手には藤沢市が制定する緑の広場があります。 市内の連番なのか「第396号」の文字も添えられていました。 この時には「自治会まつり」の準備が進められていました。 中央にやぐらを組んで、紅白の幕や提灯などで飾られていました。 盆踊りの会場なのでしょうか。 広場の周囲には幾つもテントが設営されていて、 ヨーヨー・ポップコーン・やきそば・フランクフルト・当てくじなどの看板が立っていました。
緑の広場の所のT字路を右折して100mほど進んでいくと、 左手にポールと鳥居が見えてきます。 ここが鯖神社への入口になります。 脇には「今田鯖神社掲示板」が設置されていて、鯖神社に関する活動などが紹介されていました。 「鯖神社」の扁額の架かる鳥居をくぐって、その先に続く道を真っ直ぐに進んでいきます。
玉蔵院ってなんでしょう?
鯖神社に残された棟札には「諏訪山玉蔵院」という名前が記され、護摩供養などを行っていたことがわかります。 でも、この名の寺は今田にはありません。 「新編相模国風土記稿」という書物によると、 境川を下っていった片瀬の上下諏訪神社の別当寺が玉蔵院で、宗派は修験でした。 今田に残された古文書からは、江戸時代にはお正月に玉蔵院へご祝儀を出していることもわかりました。 その後、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、交流が途絶えたのでしょう。 しかし、そもそもどういう謂れで鯖神社と関わるようになったのかは謎のままです。 …(以下略)
鯖神社
生垣やコンクリートの塀沿いの道を進んでいきます。 両側にある石灯籠を過ぎて坂道を登っていくと、 再びある石灯籠の先が鯖神社の境内になっています。 右手には社務所があり、社殿は正面の石段を登った一段高い所にあります。 両側に控える狛犬や玉垣も真新しく、本殿と拝殿から成る立派な社殿でした。 今の社殿は近年になって再建されたようで、まだ新しい建物でした。 社殿の左右には小さな祠がありました。 右手は赤い鳥居と狐の像があったので稲荷社でしょうか。 左手は石仏が安置されているようでした。 社殿の右手には「一回り出来ます」と書かれた標識が立っていました。 試しにその標識に従って社殿を一回りしてみましたが、 周囲の石垣が迫ってきていて少し狭苦しい感じがしました。
鯖神社再建之碑
二度の再建への努力を讃え、鯖神社及び氏子の繁栄を祈り、ここに記念碑を建立する。
今田鯖神社は氏子中の尽力により、元禄15年の創建から数度の社殿の再建を経て今日に到っている。 平成7年8月11日の放火により、昭和8年建立の社殿は失われたが、 氏子中は再建委員会を組織し復興工事を完成させ、平成9年3月には遷宮奉祝祭を執り行った。 同13年3月1にち、再度不審火により新築の社殿は御神体と共に灰虚と帰したが、 氏子中の再建への強い志は途切れることなく、同14年6月には新社殿に新たな御神体を納め、 再び遷宮奉祝祭を執り行なうに到った。 その成果を讃えると共に、二度とこのような災難がないよう、 末永い神社及び氏子各位の安寧を願い、氏子一同決意を碑に刻し、その記録を残すものである。
 (平成18年(2006)10月吉日 氏子中)
七夕に五色の短冊を吊るせば願いが叶う
この風習は、平安時代にわが国に伝わったようです。 赤・青・黄・白・黒の五色の糸から五色の布を織り、 それを飾って詩歌、管弦、書画などの芸事の上達を祈りました。 やがてこの風習は庶民に広まり、五色の布が五色の短冊になり、 読み書きそろばんが普及すると字の上達を願い短冊に書き込むようになりました。
ごしきのたんざく わたしがかいた おほしさまきらきら そらからみてる
 (神奈川県神社庁)
湘南台公園
鯖神社から引き返してきて、鳥居の先を左手へと進んでいきます。 民家を過ぎ畑地を過ぎていくと、 正面に横浜市営地下鉄相模鉄道いずみの線の高架橋があります。 その手前の十字路を左折して、高架に沿って続く坂道を登っていきます。 やがて線路が地下に潜っていくと、道もなだらかになってきます。 左手へと続く広い道を真っ直ぐに進んでいきます。 十字路を幾つか直進して住宅地に続く広い道を進んでいくと、 高架橋の袂を曲がってから400mほどの所に湘南台公園があります。 かなり広い公園で、左手には大きな石が幾つも置いてあってロックガーデン風になっていました。 右手の奥の方にはテニスコートがありました。 公園の中を真っ直ぐに進んでいくと、左手には雰囲気の良さそうな芝地と松林がありました。 若者達が太鼓などを叩きながらラテン風の音楽を奏でていました。
この公園は、北部第一土地区画整理事業によってつくられた、 面積2万6500平方米の日本式庭園を取り入れた市民の憩いの広場であります。 従来、この附近一帯はほとんど畑でしたが、昭和35年の総合都市計画に基づき、 良好な住宅環境づくりのため同事業が施行され、 昭和41年11月、湘南台駅が開設されて以来、この地域の湘南台と呼ばれるようになり、 本公園を湘南台公園と名付け、昭和46年に着工したものです。 この公園をつくりだした区画整理事業に対する関係各位の多大な援助ご協力に深く感謝し、 その成果を永く讃え記念するものです。
 (昭和48年4月1日 藤沢市)
湘南台(しょうなんだい)駅
湘南台公園を出た所にある湘南台駅入口交差点を直進して街中の道路を300mほど進んでいくと、 湘南台駅(小田急江の島線、相模鉄道いずみの線、横浜市営地下鉄)への入口があります。 ここから広い地下へ降りていくと、それぞれの改札口へと続いています。