散在が池
散策:2007年06月上旬
【低山ハイク】 散在が池
概 要 散在が池は鎌倉アルプスの北側にある森の中に佇む池で、通称、鎌倉湖ともいいます。 散在が池森林公園として整備され雑木林に囲まれた静かな湖です。 今回は散在が池を経て鎌倉アルプスを越えていきます。 尾根の下にある朱垂木やぐらを訪ねてから大覚池ハイキングコースに出て、建長寺へと向っていきます。
起 点 鎌倉市 今泉不動バス停
終 点 鎌倉市 北鎌倉駅
ルート 今泉不動バス停…散在が池森林公園北口…せせらぎの小径…散在が池…馬の背の小径…パノラマの小径…散在が池森林公園南口…緑道…今泉台六丁目公園…覚園寺分岐…天園ハイキングコース…十王岩…朱垂木やぐら…大覚池ハイキングコース…回春院…半僧坊分岐…建長寺…北鎌倉駅
所要時間 2時間30分
歩いて... 天園ハイキングコースから朱垂木やぐらを経て大覚池ハイキングコースへ降る道はマイナールートですが、 私の後からも人がやってきたので、歩く人は結構いるようでした。 道はしっかりとしていて迷うこともなく歩いていけましたが、 夏草が生い茂ると煩わしくなりそうな所もあったので、夏場は避けた方がいいかも知れません。
関連メモ 散在が池, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉回峰, 鎌倉アルプス, グリーンコース, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス,
六国見山, 鎌倉アルプス
コース紹介
今泉不動(いまいずみふどう)バス停
大船駅(JR東海道線)から、鎌倉湖畔循環バスにて13分、1時間に6本程度の便があります。
今回はここから散在が池森林公園の谷筋や尾根道を経て鎌倉アルプスへと向っていきます。
散在が池森林公園北口
今泉不動バス停のすぐ先にT字路があります。 角に立つ道標によると、正面の道は「称名寺200m、天園ハイキングコース1km」、 右手の道は「散在が池森林公園100m」となっています。 道標に従って右手のバス道路を進んでいきます。 緩やかな坂道を登っていくと、程なくして砂押川に架かる不動橋を渡っていきます。 鎌倉湖墓苑への入口を見送っていくと、右手に散在が池森林公園北口があります。 ここから公園へと入っていきます。
散在が池森林公園
利用時間 午前8時30分から午後5時まで
休園日  12月29日から1月3日まで
 (鎌倉市公園緑地課)
雑木林の中に続く傾斜のある坂道を降っていくと、程なくして、右手に細い道が分かれています。 角に立つ道標によると、正面の道は「管理事務所 約180m」、右手の道は「せせらぎの小径 約250m」となっています。 散在が池へは正面の道をそのまま進んで行けばいいのですが、 今回はちょっと回り道をして、右手のせせらぎの小径を経ていくことにしました。
せせらぎの小径
細い山道を戻るようにして降っていきます。 左手へ曲がって更に降っていくと、1分ちょっとで谷筋に着きます。 湿地になった谷筋には木道が渡されていて散策路になっています。 細い小川も流れていて、川面ではアメンボが円い波紋を幾つも立てていました。 まるで雨でも降っているように賑やかな感じのする川面でした。
解説【池沼の植物】
地球上には水分条件をめぐって植物にとってはいろいろと異質な環境が存在しています。 乾燥の甚だしい砂漠地帯から、植物の生育に充分な水が存在する湿潤地帯、 そして淡水域や海水域も広く分布しています。 日本に生育する淡水域の水生植物は、約百種余りで、生育方法は左の図のように、 水深に応じて帯状に棲み分けていることが古くから知られていました。 水生植物は陸生植物に比較すると遥かに広い生態領域にわたって分布しています。 例えば、ヨシ、ガマなどはユーラシア大陸や南北のアメリカ大陸にも分布しています。 このように広範な自然分布が考えられるのは、第一に水域が陸上に比較して環境の変化が 穏やかなこと、第二に水鳥、特にカモ類が種を飲み込んだり体に付着させて運んだりするという 遠距離分布に適した分布のシステムを持っていることがあげられるでしょう。 あなたの目の前であるヨシ、ガマなどは、もしかするとアメリカやヨーロッパから 運ばれてきたものかも知れません。
木道が終わって小川沿いの土の道を暫く進んでいくと、再び木道が現れます。 右手へと曲がっていく木道を進んでいくと、右手に岩壁が現れます。 「せせらぎの小径」はここで終って、 その突き当たりから左手に戻るようにして続く横木の階段を登っていきます。
解説【雨と森林】
森林に降り注いだ雨は、一旦木の葉や枝に受け止められてから、ゆっくり地面に落ちてきます。 また、森林の中の土は、スポンジのように柔らかくて、水を含みやすい状態になっています。 これは木の葉が厚く積もっているのと、ミミズやトビ虫などの土の中に棲んでいる昆虫たちが、 土と腐りかけた落ち葉を混ぜ合わせ、畑を耕したのと同じようにしているからです。 地面に届いた雨は、こうして土にしみ込む量が多く、少しずつしみだすので、 一度に流れ出してしまうことはありません。 ですから、森林があると、その下流の川では洪水になることが少なく、 また、長い間、雨が降らなくても、水が涸れることもありません。 また、森林は気温を和らげ、風や音を防ぎ、酸素を生産したり、動物たちの棲みかとなったり、 私たちの心を和ませ、楽しませてくれるなどの働きをしています。
植林帯から雑木林へと変わっていく斜面に続く横木の階段を1分ほど登っていくと、 先ほどの「せせらぎの小径」への入口を直進してきた道に出ます。 その右手すぐの所に散在が池が広がっています。 池の手前で道が左右に分かれています。 角に立つ道標によると、左手の道は「のんびり小径 約800m」、右手の道は「馬の背の小径 約700m」となっています。 散策路は池を取り巻くようにして続いていますが、今回は右手の「馬の背の小径」を歩いていきます。 脇には散在が池森林公園の案内図もあるので参考にしましょう。
道標に書かれている数値は「道標から目的地までの距離」を表しているのが普通ですが、 ここにある道標の「約800m」や「約700m」はどうもそれとは違うようです。 南口の手前にある道標などと合わせて考えると、 目的地である「のんびり小径」や「馬の背の小径」自体の長さを表しているように思えます。 先ほどあった「せせらぎの小径 約250m」も同様だと思われますが、 「管理事務所 約180m」は道標から管理事務所までの距離を表しているようで、 同じ公園内にある道標なのに統一されていなくて紛らわしい限りです。
みなさんこんにちは
散在が池森林公園にようこそ。 この森林公園はみなさんの憩いの森として、また鎌倉の自然のしくみを理解する場所として、 整備したものです。散在が池を中心に東西に広がるこの公園は、小面積ながら、 起伏にとんだ地形と静かな森、そして四季折々に姿をかえる自然のさまは、 都会の生活に疲れた心を、きっと癒してくれることと思います。 市と県では、この残された貴重な森の利用を図ると同時に、未来の子供達に残したいと考え、 荒廃した林地などへ植栽を行うとともに、みなさんが安心して利用できる必要最小限の 施設を整備しました。 都市化が進んでいく中で残された貴重な森を、大切に守っていけるよう、 みなさんのご協力をお願いいたします。 それでは、この自然と心静かに心ゆくまで語り合ってください。
 (鎌倉市)
あしたくる友達のためにも次のことを守りましょう
この森林公園には、約900種の植物による様々な森の姿が見られ、 約50種の鳥類や若干の魚類、は虫類、両生類、その他多数の昆虫などが 生息しています。これらは相互に影響し合いながら自然を作っています。 利用されるみなさんは、この自然のしくみを壊さないよう、 次のことを守ってご利用ください。
禁止されている行為
一、竹や木草などの植物を採ったり、切ったり、傷つけたりすること。
二、土地の形質を変えたり、土石を採取すること。
三、施設を汚したり、壊したりすること。
四、魚、鳥等を捕ったり、傷つけたりすること。
五、立札、張紙、広告等を行うこと。
六、立入禁止区域への立入をすること。
七、キャンプを行うこと。
八、管理用車両以外の車両(車椅子、乳母車を除く)を乗り入れること。
九、その他公演を用途以外に使ったり、管理に支障を与えること。
十、その他の禁止されていること。
  ・夜は木も鳥もみんな眠ります。自然のリズムに従って夜間の利用は禁止します。
  ・誰でもゴミは見たくありません。ゴミは持ち帰るか、出口のゴミ箱に捨ててください。
許可を必要とする行為
一、業として写真又は、映画を撮影すること。
二、露店商、行商又は、募金などに類する行為を行うこと。
三、花火等火気を使用すること。
その他守ること
管理事務所職員の指導や注意されたことは必ず守って、快適な利用を心がけてください。 なお、これらのことに違反したり、守ってもらえない場合は、法律により処罰されたり、 園内の利用を禁止することがあります。
散在が池
散在が池の畔にはベンチが幾つも設置されていました。 錦鯉が沢山泳いでいたりもして、周りを小高い尾根に囲まれた谷筋にある静かな佇まいの池です。 池の右手の道を真っ直ぐに進んでいくと、突き当たりから馬の背の小径が始まります。
散在が池のいわれ
江戸、明治の時代、今の大船、岩瀬の一帯は、大船千石という大水田が広がっていました。 しかし、その水田に必要な水は近くの砂押川だけしかなく、 雨の少ない年など水争いが多くあったようです。 明治2年、小菅谷村の名主、梅沢与次右衛門という人が、耕地用水の確保のため、 岩瀬村の栗田源左衛門と話し合い、当時、参勤交代などで江戸にのぼる大名の馬の 草刈場として、今泉、岩瀬、大船の3か村に分散開放されていた称名寺の山(入会林)の谷あいに、 土俵などで堰をつくり水をためたのが、散在が池です。 散在が池という名は、3か村の持山がこの辺りに分散して在ったため名づけられたものです。 また、当時の池は非常に小さく、その後も水争いが絶えなかったため、 昭和に入って、大船、岩瀬の水利組合が改めて造り直したものです。 なお、この池は当時から湧水が多く、中心辺りは急に深くなっているため、 昔から子供の水死事故が多く、近くの部落では「神次の話」という悲話をつくって、 子供たちがこの池に近づかないようにしていたそうです。
保安林区域図
この区域は森林がもっているいろいろな働きを守るため保安林に師弟されています。 保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター農林部林務課)
馬の背の小径
散在が池の畔から縦杭の階段を登っていきます。 鎖が張られていたりもしますが、それほど危険な感じはありません。 階段をひと登りすると緩やかな尾根道になります。 この散在が池森林公園の散策路には自然に関する解説板が各所に設置されているので、 勉強しながら散策していきましょう。
解説【耳をすませてみよう】
ここでは、園内の代表的な野鳥と鳴き声を紹介しましょう。
【地鳴き】年中鳴いている地味な声  【さえずり】メスを呼び寄せたり縄張りを示すため鳴くよい声
鳥名地鳴き(鳥の言葉)さえずり(鳥の歌)
コジュケイクッ、クッ、クッチョットコイ、チョットコイ
キジバトグルル・・・デデッポッポー、デデッポッポー
カケスジェーイッ、ジェーイッ
サンコウチョウギッ、ギッツキヒホシ、ホイホイホイ
エナガジュリリリ・・・ツィシシシ・・・ツリリリ
シジュウカラチッ、チッ、ジュクジュクツツピー、ツツピー
キセキレイチチチッチチン、チチン
コカワラヒワキリリ、コロロチュン、チュン、ビーッ
オオルリジジッ、ジジッホイヒーピピ、ヒリリ
メジロチィーチー長兵衛、長兵衛、長兵衛
ウグイスチャッ、チャッホーホケキョ、ケキョケキョ
ヒバリビルルッ、ビルルッピーチク、ピーチュク
カワセミチーッ、チーッ
モズキチ、キチ、キチキィー、キィー
コゲラギー、キキキキギィー、ギィー
ホオジロチチッ、チチッ一筆啓上仕り候
ルリビタキヒッ、ヒッキョロ、キョロ、キョロリ
解説【強い虫と弱い虫】
蜜の沢山ある花や甘い樹液の出る植物には、沢山の昆虫が競って集まります。 そのでは強いものが良い場所を占め、弱いものはそこから追い出されます。 このように昆虫が集まるところには、その占める場所に順位ができます。 こんな小さな昆虫の社会にも野生の世界があるのです。 園内にもこのように昆虫が好む木(クヌギ、コナラ、ヤシャブシ、ハンノキ、スダジイなど)が 沢山あります。これらの木のうち、樹液の出ている木を見つけて、そこに集まっている 昆虫を観察してください。昆虫が集まってきたら、昆虫同士で争いをしないか、 勝った昆虫、負けた昆虫を記録して、強いものから順位をつけてみましょう。 こうすると、一番早くやってくるもの、次に集まってくるもの、また、 昆虫の世界での強いもの、弱いものなどがよく分かります。 また、樹液の出ている木などがないときは、蜜にお酒を加えたものを木に塗っておけば、 昆虫は集まってきます。
木柵が続く緩やかな尾根道を進んでいくと、ふたたび鎖の付いた縦杭の階段が始まります。 岩盤がむき出しになっていたりして滑りやすい所もあるので注意しましょう。 坂を登りきってその先へと進んでいくと横木の階段が現れます。 土が抉れている訳でもなくて歩きやすくなった階段を登っていくと、 ベンチがひとつ設置された緩やかな所に着きました。
解説【雑木林の成り立ち】
雑木林とはクヌギ、コナラ、ヤマザクラ、クリ、エゴノキ、イヌシデなどの落葉広葉樹を 主体とした林のことで、植物生態学的には代償植生のひとつで二次林ともいいます。 雑木林は、昔、薪や炭などの燃料や、堆肥用の落ち葉をとるなど、 人間生活にはなくてはならない林でした。 そのため、林の中にはたえず人手が加わっていました。 しかし、今では燃料革命により、薪や炭やほとんど使われなくなり、 雑木林には人手が入らなくなって、元の自然の林へと変わりつつあります。 林の中に常緑樹の芽生えが見られるのも、自然林へと植生が移っていく途中の段階だからなのです。 (植生遷移といいます) このまま放っておけば、この雑木林も数百年後には、タブノキやスダジイ、アラカシなどの 常緑樹の林(自然林)に変っていくことでしょう。
浅い鞍部を過ぎて横木の階段を更に登り返していきます。 右下にベンチが設置された所を過ぎていくと、送電線の鉄塔「大-田17号」の袂を過ぎていきます。 小さな起伏を繰り返しながら次第に登っていきます。 道はしっかりとしていて歩きやすくなっていました。
解説【陽樹と陰樹】
木には陽樹と陰樹があります。陽樹とは大きくなるために強い陽光を必要とする木で、 陰樹とは非常に弱い陽光のもとで大きくなることができる木です。 植物は【裸地→一年生草の草原→多年草の草原→陽樹の低木林→陽樹の高木林→陰樹の高木林】 というように移りかわっていきますが、このように木によって求める陽光の量が違うことが、 植物の移りかわりの主な理由です。
園内の陽樹で代表的なもの
 コナラ、クヌギ、エゴノキ、サクラ類、キブシ、ウツギ類、スギ、マツなどがあります。
また、陰樹で代表的なもの
 シイ類、タブノキ、クスノキ、カシ類、シロダモ、ヤブニッケイ、アオキなどがあります。
解説【森の冬じたく】
10月のはじめは衣がえの季節です。 野や山の木々も人間と同じように冬の遥か前のそれぞれ定まった時期に、厳しい冬を越す準備をしています。 いろいろな準備のうちで、冬芽をつくることは、木々にとってたいへん重要な仕事です。 大抵の木は、夏の終わりか、遅くても秋の初め頃までには冬芽をつくり終えて、 やがて来る春を待っています。 まだ冬の気配の遠いこの時期に、どうして訪れる寒い冬のことを知ることができるのでしょうか。 それは植物が夜と昼の長さの違い(日長)を敏感に感じとる能力を持っているからなのです。
冬芽の仲間たち
・主芽(春に伸びようとしている茎となる芽)
・副芽(主芽が虫や鳥などに食べられ、伸びることができないときに、ピンチヒッターとして伸びる芽)
・花芽(春早く花を咲かせる植物で、丸くて大きな花をつける芽)
・葉芽(花芽より小さくて細長い葉になる芽)
横木の階段混じりの尾根道を更に進んでいくと、ちょっとしたピークを越えていきます。 岩盤がむき出しになっていたりするので、滑らないよう注意しながら降っていきます。
解説【落ち葉のゆくえ】
毎年秋になると木の葉が落ちます。あのたくさんの落ち葉はどうなったのでしょうか。 落ち葉の積もっている所を上から順にめくっていくと、葉が湿ってボロボロになり、 落ち葉は腐って土の中の養分となり、植物が生長するのに使われているため、 落ち葉で山が埋まることがないのです。 それでは、このように落ち葉を腐らせるのは一体何なのでしょう。 腐りかかった落ち葉を観察してみてください。 ミミズ、ワラジムシ、ササラダニ、トビムシ、それにカビもありますね。 こういった土の中に棲む生き物が、植物の養分となるくらいまで細かく分解しているのです。 昔は、落ち葉やゴミや人畜のフンは、堆肥などの肥料として利用し、 土に戻していましたが、今のゴミは、プラスチックやガラス、カンなど肥料にもならず、 腐りもしないものが多くなり、その処理に困っています。 ものが腐るということは、大変大事なことなのです。
解説【森の移り変わり(1)】
ここでは、木が切られてから自然林に帰るまでの過程を考えてみましょう。
(1) 木が切られた跡は、まもなくススキ草原になります。 そのうちにクズやノイバラ、ヌルデなどの陽樹も生えてくるようになります。
(2) ヌルデ、キブシ、カラスザンショウなどの低木林は、やがてコナラ、クヌギ、ヤマザクラなどの 落葉樹の高木の林になり、アラカシ、タブ、シロダモ、アオキなどの常緑の幼樹もみられるようになります。
(3) コナラ、クヌギなどの落葉高木(二次林)の間にみられたアラカシ、タブ、シロダモなどの 常緑高木も育ってきて、やがてその幼樹も多くみられるようになります。 そしてその林床はアズマネザサで覆われるようになります。
この辺りには、スダジイ、アラカシなどの常緑樹の林が見られます。 このような林ができるのには約150年以上の年月がかかります。 さらに1000年以上たつと、スダジイの林になるといわれ、 このスダジイの林は特別のことがない限りいつまでも変ることはありません。 このような状態の林を極相林(クライマックス)と呼んでいます。
のんびり小径分岐
岩盤がむき出し気味の尾根を降っていくと分岐があります。 角に立つ道標によると、左手に戻るようにして降っていく道は「のんびり小径 約800m」、 今来た道は「馬の背の小径 約700m」となっています。 道標には右手へ登っていく道は何も示されてはいませんが、 脇の大きな樹木に「南口への出口」の標識が括り付けられていました。 左手の道は散在が池の東側に続くのんびり小径で、 散在が池の入口の所へと続いていますが、今回は右手の道を南口へと向っていきます。 分岐の手前に公園の案内図があるので参考にしましょう。
山歩く 心にいつも 火の用心
 (神奈川県)
パノラマの小径分岐
右手の道をひと登りした所にあるベンチを過ぎて左手へと曲がって横木の階段を登っていくと、 すぐに道が分かれています。 角に立つ道標によると、正面の階段は「至 天園ハイキングコース 約400m」、 右手に分かれていく道は「パノラマの小径 約100m」となっています。 公園の南口は正面の階段を登っていくのですが、 今回は右手のパノラマの小径を進んでいきました。
パノラマの小径
緩やかな道を1分ほど進んでいくと、左手に横木の階段が現れます。 階段を真っ直ぐに登っていくと小高い所に着きます。 「パノラマの小径」という名前からすると眺めが広がる所のようですが、 手前の樹木が育っていて、右手の樹木越しに僅かに山並みが見える程度でした。 冬枯れの季節だともう少し眺めがいいのかも知れません。
たき火・たばこに注意
 (大船消防署)
横木の階段を登り切った所から左手へと進んでいくと、すぐに送電線の鉄塔「北鎌倉線No.14」が立っています。 その脇を右手から廻り込んでその先へと進んでいくと、大きな岩が頭を出した所があります。 ベンチも設置されていて、ひと休みするには良さそうな所でした。
解説【森の移り変わり(2)】
森林を人手の加わらない自然の状態にしておいた場合、 森林は時間とともに構成する植物が変わり、ついにはある限定された植物による 安定した林となります。この状態を極相林といっています。 鎌倉では、暖帯林特有の常緑広葉樹林がこれに当たりますが、 気象、地形、土壌などの条件によって、構成する樹種に違いがみられます。 海岸線から市街地にかけての平地や谷筋ではタブノキ林が、 鎌倉山や今泉、源氏山辺りの乾燥した台地斜面ではスダジイ林が、 そして大船以北にかけても内陸部ではシラカシ林が鎌倉の極相林といれるでしょう。 みなさんの目の前にみられるシダジイのうっそうとした林は、この辺りの極相林として、 永い時間生長していくことでしょう。
散在が池森林公園南口
横木の階段を降っていくと、先ほどの分岐を直進してきた所に降り立ちます。 そこから右手へと進んでいきます。 緩やかな所を過ぎていくと再び横木の階段が現れます。 階段を降っていくと今泉台の住宅地に降り立ちます。 ここが散在が池森林公園南口になります。 今泉不動バス停から40分ほどで到着しました。 脇には散在が池森林公園の解説板が設置されていましたが、 散在が池の手前にあったものと同じ内容でした。 天園ハイキングコースまでのルートも載っているので確認しておきましょう。
(写真は住宅地に出て振り返って写したものです)
緑道
散在が池森林公園の南口の脇に立つ道標「天園ハイキングコース」に従って右手へと進んでいくと、 すぐに緑道があります。 角には「天園ハイキングコース」の道標が立っています。 左右に樹木などが植えられた道になっています。 黄色い花も咲いていたりして、住宅地の中のオアシス的な存在のように思えました。
緑道を2分ほど進んでいくと車道に出ます。 右手には半僧坊下バス停がありますが、車道を横切ってその先へと続く緑道を更に進んでいきます。 2分ほど進んでいくと山際の道に出ます。 角に立つ道標「天園ハイキングコース」に従って左手へと進んでいきます。 すぐの所にある左手への分岐を見送って正面の道を緩やかに降っていくと、1分ほどの所で右手へと道が分かれています。 山際に道標が立っていて、 右手へ分かれていく道は「天園ハイキングコース 建長寺1.5km45分、瑞泉寺3.2km75分」となっているので、 この道へと入っていきます。
今泉台六丁目公園
右手の道へ入っていくと、すぐに右手の斜面から細い山道が降ってきていました。 その道をやり過ごして先へと進んでいくと、すぐに今泉台六丁目公園があります。 山際にある小広い公園で、草地の広がる静かな公園になっていました。 左手の方へと進んでいくと「今泉台六丁目公園」の標識がありました。 車止めを過ぎて公園へ入っていくと、「天園ハイキングコース→」の標識が立っていました。 今泉台町内会の「防災備品倉庫3号」の前を過ぎて山際へ進んでいくと、 「天園ハイキングコース→」の標識の右手から縦杭の階段が続いています。 天園ハイキングコースはすぐ近くにあるようで、コースを散策する人々の声が上の方から聞こえてきました。
覚園寺分岐
コンクリートで固められた縦杭の階段を1分ほど登っていくと、 天園ハイキングコースになっている尾根の十字路に出ます。 散在が池森林公園の南口から10分ほどで到着しました。 中ほどに立つ道標によると、 左手の道は「天園 約1.2km、瑞泉寺 約3.1km」、正面の道は「覚園寺 約1.2km」、 右手の道は「建長寺 約1.9km」、今登ってきた道は「今泉台住宅地」となっています。 今回は右手の道を十王岩へと向っていきます。
歴史的風土建長寺浄智寺八幡宮特別保存地区
この区域内において天地区物の新築・改築・増築・土地形質の変更・木竹の伐採等の行為をするときには許可がいります。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター)
No.14 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部)
天園ハイキングコース
ちょっとした岩場を越えて、その先へと続く天園ハイキングコースを進んでいきます。 人気のあるコースとあって、道幅も広くてよく踏まれてしっかりとした尾根道が続いています。 1分半ほど進んで登り坂になってくると、ちょっとした岩場があります。 ここで道が左右に分かれています。 左右の道を示す道標はなく、今来た道を指す道標「覚園寺・天園」だけが立っています。 どちらへ行けばいいのか迷う所ですが、ハイキングコースは岩場を登って左手へと続いています。
右手の細い道を進んで高みに着くと、送電線の鉄塔「北鎌倉線No.15」が立っています。 更にその先へ進んでいくと、傾斜の急な降り坂が現れます。 手摺の付いた坂道を降っていくと、先ほどの今泉台六丁目公園の手前に降り立ちます。
吸いすて食べすて 日本の恥だ
 (鎌倉市観光協会、鎌倉史跡パトロール隊)
岩場に続く尾根道を登っていきます。 層状になった岩が続く脇を過ぎていくと、2分ほどで再び岩場が現れます。 先ほどの岩場よりも段差が高くなっていますが、 岩が階段状に削られていて登りやすくなっています。
岩場を登って岩が露出した道を左手へと更に登っていくと、 正面にこんもりとした高みが現れます。 左手へと続く尾根道を進んでいくと、その高みへと続く崩れかけた石段があります。 その左手の岩には四角い穴が開けられていて、中には石碑が幾つか安置されていました。 石段をひと登りしていくと、小高い高みの真ん中に石仏がありました。 周りには「石川某」と刻まれた墓石のようなものが二つありました。 石仏の台座には「第八十八番 本尊薬師如来 讃岐国 大窪寺」と刻まれていて、 その下には沢山の名前が刻まれていました。 四国霊場の「第八十八番大窪寺」とどういう関係があるのかは分かりませんでしたが、 それらの方々が四国霊場八十八箇所巡りをした時に、 ここに薬師如来像を造ったということなのでしょうか。 それとも脇にあった石川某という方が造られたのでしょうか。
石仏の台座には「鷲峰山」とも刻まれていましたが、ここは鷲峰山ではなくて、 先ほどの覚園寺分岐から天園方向へ100mほど行った所にある大きな岩の脇の高みが鷲峰山になるようです。
十王岩分岐
高みから尾根道に降りてその先へと進んでいきます。 「歴史的風土建長寺浄智寺八幡宮特別保存地区」の標識を過ぎていくと、 正面の高みへ登っていく道が右手に分かれていきます。 その道は十王岩へ続いていますが、尾根道は高みを巻くようにして左手へと続いています。 左手からも十王岩へいけるので、今回は左手の尾根道を進んでいきました。
朱垂木やぐら分岐
分岐を見送って尾根道を進んでいくと、すぐの所から左手へと山道が分かれて降っていきます。 左手の道の脇の樹木に縦棒が括り付けられていました。 以前には文字が書かれた板も付いていたようですが、この時にはなくなっていました。 ここが朱垂木やぐらを経て西御門へと降っていく道になります。 今回はここから左手へと降っていくのですが、 その前に、このすぐ先に十王岩があるのでちょっと立ち寄っていきましょう。
十王岩
朱垂木やぐらへの分岐を見送って10mほど進んでいくと、右手に岩場があります。 尾根道のすぐ先には「かながわの景勝50選 鎌倉十王岩の展望」と刻まれた石碑があります。 岩場を登っていくと左手に十王岩があります。 薬師如来像のある高みの4分ほどの散策も含めて、覚園寺分岐から20分ほどで到着しました。 十王岩には、かなり風化が進んでいるものの、三体の像が彫られています。 判りにくくはなっていますが、閻魔大王をはじめとする冥府の十王が彫られているのだそうです。
十王とは
十王経に説く「冥府で死者を裁くという王」、すなわち、 秦広王・初江王・宋帝王・伍官王・閻魔王・変成王・太山府君・平等王・都市王・五道転輪王のことです。 中有の死者が冥府に入り、初七日に秦広王の庁に至り、 以下順次に、二七日・三七日・四七日・五七日・六七日・七七日・百箇日・一周年・三周年に 各王の庁を過ぎて娑婆でした罪の裁断を受け、これによって来世の生所が定まるようです。
 (出典:広辞苑第五版)
十王岩の手前の岩場からは、石碑にもある「鎌倉十王岩の展望」が広がっています。 鎌倉の街や材木座海岸から由比ヶ浜にかけての海を見渡せますが、 手前の樹木が少し邪魔をしているのが残念です。 以前には樹木がもっと低くて、今よりも見晴らしが良かったのでしょうか。
この美しい自然をいつまでも大切に
ごみは持ち帰りましょう。
 (鎌倉市観光協会)
朱垂木やぐら
先ほどの分岐まで引き返して山道を降っていきます。 ハイキングコースになっている尾根道から一変して、普通の細い山道になります。 左手へと折れ曲がって植林帯を降っていくと横木の階段が続くようになりますが、 段差も低くて歩くやすくなっていました。 植林帯が終って雑木林の中を降っていくと、尾根から2分ほどで道が二手に分かれています。 西御門へは右手に降っていくのですが、左手のすぐ上に朱垂木やぐらがあるので訪ねていきましょう。 短い坂をひと登りすると、尾根の下の岩壁に穴が開いていました。 岩壁に沿って右手の方へと続く細い道を進んでいくと、穴が幾つもありました。 先ほどの薬師如来像のある高みの下の辺りまで道が続いていました。 「やぐら」の穴は全部で20個ほどあるのだそうです。
屋根を支える建材である「垂木」のような形の彫り跡がはっきり分かる穴もありました。 神社仏閣の屋根などでよく見かける垂木ですが、 巌窟の墓である「やぐら」をお堂などの建物の墓に見立てていたのでしょうか。 鎌倉では朱色が残る唯一のやぐら群なのだそうで、「朱垂木やぐら」と呼ばれる由縁とのことですが、 この時には「朱色」は確認出来ませんでした。 すべてのやぐらを調べた訳ではないので、色が残っていると云うやぐらは外にあったのかも知れません。
垂木(たるき)とは
屋根の裏板または木舞(こまい)を支えるために棟から軒にわたす材。
 (出典:広辞苑第五版)
後日に訪ねたところ、道から入って最初にあるやぐらの入口の天井に朱色の筋が沢山残っていました。 そのやぐらしか確認しませんでしたが、他のやぐらにもあるのかも知れません。
手前にあった分岐まで引き返して、雑木林の中に続く山道を降っていきます。 傾斜もそれほど急ではなくて歩きやすくなっていました。 そろそろ夏草が生い茂る季節でしたが、踏み跡もしっかりと確認することができました。 2分ほど降って右手に植林帯が現れるようになると、細い道が左手へと分かれていました。 しかし入口には木が積まれた柵がしてあって通行止めのようになっていました。 その道を見送って、植林帯の左手に続く道を更に降っていきます。
軽く登り気味になったりしながら次第に降っていきます。 笹竹が生い茂るようになるとU字形に窪んだ道を降るようになりますが、 横木の階段が設置されていて歩きやすくなっていました。 2分ほど降っていくと、平らになった広場のような所に降り立ちました。 朱垂木やぐらから8分ほどの所になります。 植林地になっていますが、疎らに植えられていました。 左手の山際の岩壁には「やぐら」と思われる穴がひとつ開いていました。 幅が広くなった道が広場の左手に沿って続いていました。
広場を過ぎてその先へと進んでいくと、左手の樹木が低くなっていて展望の得られる所があります。 左手から前方へ続く街並みは西御門地区になるようです。 その先には鎌倉の海も見えていました。
大覚池ハイキングコース
展望の得られる所を過ぎていくと横木の降り階段が始まりますが、 30秒もしないうちに降り切ります。 緩やかになった道を真っ直ぐに進んでアジサイの木が沢山生えた所まで来ると、 竹で柵がされていて通れなくなっていました。 しかし左手にしっかりとした踏み跡が幾つかありました。 その踏み跡を抜けていくと、すぐに大覚池ハイキングコースに出ました。 朱垂木やぐらから12分ほどで降りて来られました。 左手の数m先は西御門の住宅地になっています。 大覚池ハイキングコースは西御門から回春院の大覚池へと続いています。 ハイキングコースを渡った先にも細い山道が続いていて、降り立った所は十字路になっています。 今回はここから右手へと続く大覚池ハイキングコースを進んでいきます。 右手へとひと降りすると、幅の広がった浅い谷筋に続く植林帯の中を緩やかに進むようになります。
谷筋には細い流れが続いていました。 その流れに架かる小さな木橋を渡ったり渡り返したりしながら緩やかに降っていきます。 少し谷筋が狭まってくると横木の階段を降るようになります。 階段が終って緩やかになった道をその先へと進んでいくと、正面が開けてきます。 少し大きくなってきた流れを渡って左手へと進んでいきます。
回春院
広い草地のようになった谷戸を左手へと進んでいくと、四角いブロックが敷かれた道になってきます。 右手には小さな大覚池があり、その向こうには回春院が建っていました。
回春院
建長寺廿一世玉山徳施(1255〜1334)仏覚禅師の塔所本尊の文殊菩薩座像は南北朝から室町時代の作とされる。
大覚池復興賽銭箱
大覚池(建長寺開山蘭渓道隆禅師号大覚禅師) 「新編鎌倉誌」によると大亀常に居すというと伝えられています。
ブロック道を更に進んでいくと、右手に山門があります。 これで山道は終りになります。 大覚池ハイキングコースに降り立ってから6分ほどで到着しました。 ここからは舗装された道になります。 山門からは左手へと石段を降り、その先の墓地の脇に続く道を進んでいきます。
半僧坊分岐
小川を渡って真っ直ぐに進んでいくと、回春院から2分ほどで、竹林の前のT字路に突き当たります。 脇に立つ道標によると、右手の道は「半僧坊・勝上嶽展望台・天園ハイキングコース」、 今来た道は「回春院」となっていますが、左手へと降っていきます。 この辺り一帯は建長寺の境内に含まれていて寺院などが沢山ありますが、 今回はそれらを訪ねるのは省略して出口へと向っていきます。
建長寺
左右にある寺院などを見送って道なりに6分ほど降っていくと、左手に建長寺があります。 お堂や庵や庫裡などが沢山建ち並んでいて規模の大きな寺院です。 この時には法堂が特別公開されていて観音像を拝むことができました。 半僧坊の上の勝上献展望台の脇にある解説板に書かれている建長寺縁起を参考までに載せておきます。
法堂(国重陽文化財)
"はっとう"と読みます。 昔は、建長寺全体が修業道場であり、僧侶全員がこの法堂に集まって、 住持の上堂説法を聞き、修行の眼目としました。 388人の僧侶がいた記録があります。 現在の道場は、開山堂のある西来庵に移っています。 この建物は江戸時代・文化11年(1814)に再建されたものです。 関東最大の法堂で、現在は千手観音を本尊としています。 天井の雲龍図は創建750年を記念して、小泉淳作画伯によって描かれました。
建長寺縁起
建長寺は、臨済宗建長寺派の大本山であり、鎌倉五山の第一位に位する。 建長5年(1253)後深草天皇の勅を奉じ、 北条時頼(鎌倉幕府五代執権)が国の興隆と源氏三代並びに北条家の菩提の為に建立し、 中国の名僧蘭渓道隆を招き開山とした。 創建当時は中国宋の時代の禅宗様式七堂伽藍を有し、一時は四十九院の塔頭を擁する厳然たる天下の禅林であった。 度重なる火災によりその威容を今日見ることはできないが、 梵鐘(国宝)開山蘭渓道隆頂相(国宝)など数点が今に伝えられ、当時を偲ばせる。 現在の伽藍は江戸時代以後、将軍家の寄進等により復興されたものである。 また、建長寺は日本で初めて純粋禅の道場を開き、 往時は千人を越す雲水が修行していたと伝えられる我が国初の禅寺である。
「建長興国禅寺」の扁額のかかる特大の「三門」や、 「巨福山」の扁額の架かる「総門」をくぐっていくと県道21号に出ます。 左手へ行くと鎌倉駅、右手へ行くと北鎌倉駅ですが、今回は右手の道を北鎌倉駅へと向っていきました。
(写真は振り返って写した三門です)
三門(国重要文化財)
三解脱門の略。 空・無相・無作を表し、この三門をくぐることによってあらゆる執着から解き放たれることを意味します。 開山様の言葉に「福山は揮て松関を掩じず無限の清風来たりて未だ已まず」とあり、 建長寺はあらゆる人々(修行者)に門を開放している事を表しています。 楼上には、五百羅漢(修行を完成された人)を安置しています。 この建物は江戸時代・安永4年(1775)に万拙碩誼和尚などの努力によって再建されました。 創建当初は三門後方左右に大坐禅堂、大食堂がありました。
総門
建長寺は今から750年前、鎌倉時代、建長5年(1253)、禅によって国の興隆をはかるため、 執権北条時頼公の発願により、中国の禅僧・大覚禅師(蘭渓道隆)を開山として創建された、 日本で最初の純禅の大道場です。 建築は、総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に連なる中国の禅宗洋式にもとづいています。 今の総門は、江戸時代、天明3年(1783)に京都・般舟三昧院で建立されたものを昭和15年に移築しました。 額「巨福山」(大きな福をもたらす寺)は、中国僧、一山一寧(一山国師)禅師(建長寺第十世)の筆です。
北鎌倉(きたかまくら)駅
茶房や物産店などが並ぶ県道21号を500mほど進んでいくと、横須賀線の踏切があります。 踏切を渡って県道21号を更に400mほど進んでいくと北鎌倉駅(JR横須賀線)に着きます。 半僧坊分岐から30分ほどで到着しました。