大平山
散策:2007年05月下旬
【低山ハイク】 大平山
概 要 大平山は伊東の西側にある標高600mに満たない低山ですが、 山頂やその先の展望地からは伊豆の山々を望む景色が広がっています。 周囲には「大平の森ハイキングコース」が設定されています。 今回は丸山公園から尾根コースを大平山へと登っていき、 その先から北側の開拓道路へと降るコースを歩きます。
起 点 伊東市 伊東駅
終 点 伊東市 伊東駅
ルート 伊東駅…出来湯権現…八幡神社…十字路…小沢川…丸山公園…尾根コース入口…石切丁場跡…展望地…大平山…592m峰…展望地…渓谷コース分岐…495m峰…沢口地区…沢口峠…開拓道路…竜神下踏切…伊東駅
所要時間 4時間50分
歩いて... 歩き始めの標高が低いので、低山の割りには結構登らなければなりません。 汗を拭き拭き登り着いた山頂からの眺めは、遠くの方が霞んでいました。 山頂付近では早くもセミの鳴き声が聞こえてきました。 伊東駅へと向う開拓道路には、初島や手石島が浮ぶ相模湾を見渡せる所もありました。 今回は592m峰から北側の尾根を開拓道路まで降りていきましたが、 途中から分かれる渓谷コースを丸山公園へと降る方が、道は分かりやすいように思いました。
関連メモ 大平の森
コース紹介
伊東(いとう)駅
伊東駅(JR伊東線)から歩いていきます。 駅を出た正面に「めおと椰子」があります。 伊東駅の開業に合わせてここに移植された雌雄同株のヤシなのだそうです。 駅舎を出て右手に続く湯の花通りを進んでいきます。
めおと椰子
学名[フェニックス・カナリエンシス]通称カナリーヤシ(原産地・カナリア諸島)。 この椰子は昭和13年12月15日、国鉄伊東線開通の記念樹として故岡見聞多氏より寄贈されたものです。 明治38年大の植物愛好者であった聞多氏の父、千吉郎氏がアメリカ・カリフォルニア、 リバーサイド市より種を取り寄せ、10個の種を蒔き発芽させた内の2本です。 伊東駅開業一ヶ月前、駅付近にあった岡見別荘より移植しましたこのカナリーヤシは、 雌雄同株に自生しているので雌株に果実を有します。 伊東観光協会では縁起の良い樹として毎年12月に種を採取、 お正月にご遊覧のお客さまに進呈しています。
 (伊東ライオンズクラブ)
出来湯権現
物産店などが建ち並ぶ湯の花通りを2分ほど進んでいくと、左手の建物の間に出来湯権現がありました。 小さな祠が二つと、伊東市の名木に選ばれている大きなエノキが生えていました。 祠は小さいながらも、真新しい御幣が下がった太い注連縄が渡されていて、榊なども供えられていました。 エノキにも注連縄が巻かれ、現在も手厚く祀られているようでした。
出来湯権現由緒のこと
この附近には江戸時代の初期から天然の熱い温泉が豊かに湧き出ていて「出来湯」と呼ばれていました。 大きな浴場の中に湯坪がいくつもあって、里人や近在の人々が入浴するだけでなく、 樽詰された湯は遠く江戸へも送られ、「豆州の薬湯」の名で府民にもてはやされました。 この温泉のあふれてできた20坪ほどの池は「馬の湯」といって、 一日の労役を了えた馬や牛が飼い主と共にこの池にひたり、湯煙りの中で疲れを癒していました。 明治の終りごろまではこの界隈に温泉宿が集まり、 「松原温泉場」といわれて伊東の繁華街の一中心地をつくっていました。 出来湯権現はこの温泉の守護神として古く(江戸中期)から祀られ、 馬湯のほとりで多くの人々を見守って来られたのです。
 宮司 島田千秋之記す (松原区)
八幡神社
出来湯権現を後にして湯の花通りを更に3分ほど進んでいくと、右手の上の方に大きな鳥居があります。 石段の上の方に八幡神社があるようなので、ちょっと登っていきました。 鳥居をくぐって急で長い石段を登って小広くなった境内に着くと八幡神社がありました。
八幡神社由緒
祭神 誉田別尊(応神天皇)
母后・神功皇后の胎中に在した時の北九州の鎮定や新羅出兵から武神として崇められたが、 和平の後、国際交流や大陸文化の移入につとめて、日本文化興隆の基を開かれた文武の神である。
由緒 ・創祀 文治年中(1180)時の地頭伊東祐継が天下泰平国土鎮護の神として松原村長田に創祀し、やがて村の産土神となった。
・遷宮 後年湯川村境に移り、更に遷宮の工を起し、昭和22年秋社殿の竣成と共に遷座を果した。
・社殿 現社殿は類焼後、昭和40年2月再建した。
例祭 毎年10月14、15日
天文3年(1534)以来見越しの渡御が行われる海岸渡御と十数台の屋台の引廻しは、伊東温泉秋の風物詩である。
追記 平成2年(1990)5月此の丘に鎮座した杉崎神社(祭神・宇迦之御魂神)を合祀した。
当神社は昭和21年秋総桧造り桧皮葺の宏壮なる殿舎を営み旧鎮座地より遷座ありしも、 同38年3月朔岡区発生せし火災により社殿を失うに至れり。 当日烈風荒んで大事の将に氏子氏家に及ばんとせしも本社殿の焼失をもって熄む。 時の人災禍の区民に至らさるは之祭神の加護によるものなるべしと言えり。 依って直ちに復建の事業を計画し更に社殿再建委員会を結成、全氏子総代区議会議員町内会長を 各種委員に充て広く浄財の寄進を_め、同39年6月初その工を起し翌40年1月末現社殿の竣成を見るに至れり。 是則ち同委員会不朽の功績にして特志氏子崇敬者の芳名と共に永く後世に伝えんとするものなり。
 (昭和40年2月 八幡神社)
八幡神社から石段を引き返してきて湯の花通りをその先へと進んでいくと、 左手に分かれる道を見送ったすぐ先の所で、道が二手に分かれています。 角に立つ柱の上の方に小さな標識が取り付けられていて、 正面の道は「大平の森」、右手の道は「丸山公園」となっていました。 正面の道は「大平の森」の南側の谷筋へと続く道で、 今回は丸山公園から尾根コースを大平山へと登っていくので、 ここは右手の道を進んでいきます。
十字路
坂道を緩やかに登って右手へと曲がっていくと伊東2号踏切があります。 踏切を渡って坂道を更に進んでいくと、すぐに小川に架かる橋の先に十字路があります。 道標がなくて迷う所ですが、ここは右手へと小川沿いに坂道を登っていきます。
小沢川
緩やかな坂道をしばらく登っていくと、小川の右岸から左岸を進むようになります。 小川から少し離れて登るようになると登り傾斜が増してきます。 竹林の下を過ぎ、リゾートマンションへの分岐を見送って真っ直ぐに登っていきます。 再び小川に近づいていくと左手へと道が分かれていきますが、 その道は見送って小川沿いに更に登っていきます。 川底は石畳になっていて、その上を浅く水が流れていました。 先ほどの十字路から8分ほど進んでいくと、枝垂れ柳の袂に「小沢川」の標識が立っていました。 どうやらこの小川は小沢川というようで、ここが起点とのことです。 しかし川はこの先の上流へとまだまだ続いています。
二級河川 伊東大川水系 小沢川 起点
 (静岡県)
土石流危険渓流
伊東大川水系小沢川
土石流が発生する恐れがありますので大雨の時などは十分注意して下さい。
 (静岡県、伊東市)
丸山公園
小沢川の標識を過ぎて更に1分ほど進んでいくと、川に橋が架かっています。 その橋を渡った所が丸山公園になります。 伊東駅から25分ほどで到着しました。 山の斜面には剪定された樹木で「丸」,「山」,「公」,「園」の文字が作られていました。 橋を渡った所に「丸山公園」と刻まれた石標があり、 山際には「大平の森ハイキングコース」と題した大きな案内図がありました。 健康回復公園「大平の森」を中心として、その周囲を山が取り巻いていて、 それらを巡る散策路やハイキングコースが設定されているようです。 この丸山公園は大平の森の東側にあって、公園部分の拡大図も載っていました。 それによると、山の斜面にショウブ・ウメ・サクラ・モミジなどが植えられた公園のようです。 今回登る大平山は大平の森の北辺に位置しています。 この丸山公園からは尾根コースと渓谷コースが設定されていますが、 今回は丸山公園の西端から始まる尾根コースを登っていきます。 「ハイキングコース入口」も載っていて、そこまでの道も図示されています。 案内図では丸山公園から大平山山頂までは110分となっていました。
案内図にある「大平」という文字には「おおびら」と振り仮名が書かれていました。 それから類推するに、今回登る大平山は「おおびらやま」と読むのでしょうか。
きれいな川、楽しい川、みんなの川
心をあわせて住みよいまちをつくりましょう。
 (静岡県)
今回は丸山公園の散策は省略して、ハイキングコース入口を目指していきます。 案内図に従って、「丸山公園」の石標の右手から続く階段を登っていきます。 公園内の散策路とあって幅が広くて歩きやすい道になっていましたが、 傾斜がかなりあって結構疲れたりします。 間隔の開いた横木の階段状になっていますが、歩きやすく整備されていました。 「みんなの広場」の左手を過ぎて「大平の森ハイキングコース 尾根コース→」の標識に従って登っていきます。
「もみじの広場」への分岐を過ぎて更に登っていくと、 右手の谷向かいの斜面には鉄骨の状態のまま放置されたものがありました。 2棟あって、10階ほどの集合住宅になる予定だったもののようでした。 建設を始めたものの途中で頓挫してそのまま廃墟のようになっているのでしょうか。
尾根コース入口
丸山公園の入口の所から12分ほど登っていくと、 左手へと曲がっていく散策路の角から「尾根コース」が始まります。 角には「大平の森ハイキングコース 尾根コース→」や 「健康回復公園 大平の森ハイキングコース」の標識が立っていました。 ここまでかなりの傾斜があって疲れたので、左手にある広場でひと休みしていきました。
(写真は左手の広場から尾根コースの入口を写したものです)
ひと休みしたら標識「尾根コース」が指す山道を登っていきます。 公園内の歩きやすい散策路から一変して、雑木林に続く普通の山道になりますが、 公園内の散策路よりも傾斜が緩く、踏み跡もしっかりと続いていました。 咲き残ったツツジが彼方此方にまだ咲いていて、散策路に彩りを添えていました。 赤っぽい若葉も伸びていたりして、一瞬秋のモミジかと思ったりもしました。 数分進んでいくと、左手に張られた黒色と黄色のトラロープが続くようになります。 何かの工事中だったのか、「あぶないからはいってはいけません」と書かれた看板が点々と設置されていました。 コースの所々には楕円形の標識が設置されていて、 「健康回復公園 大平の森ハイキングコース」である旨を示していました。 特に分岐もなくて分かりやすい尾根道なのですが、こんな標識を見つけると安心したりします。
石切丁場跡
丸山公園から28分ほど登っていくと植林帯が現れます。 植林帯を掠めて雑木林へ入ってから再び植林帯へと入っていくと標識が立っていて、 「江戸城築城用石丁場跡と刻印石の分布地」と書かれていました。 標識の左手のすぐ先に大きな石があって、その奥には解説板も設置されていました。 手元の地形図にある386m峰の辺りになるようです。 丸山公園から33分ほどで到着しました。 解説文を読んだりしながら、ここでひと休みしていきました。 解説文にある「刻印」というのでしょうか、ここにある石にも何やら印が刻まれていました。
江戸城築城《石切丁場跡》
伊豆東部地域は、慶長10年に始まった江戸城築城の石材供給地として、約半世紀に及ぶ採石の歴史がある。 ここは小川沢の上部にあたり、相模の小松石と並ぶ良質な石の産地であると共に、 江戸城築城のための採石が行われた場所である。 慶長19年の頃「福知山城主・有馬家」が採石した記録もあり、 また、今も随所に残る刻印石や遺構から、「加賀前田家」の石切丁場が分布していたとも考えられる。 ハイキングコース近くの多いしに残された印は、他藩と区別するための印(刻印)で、 採石にあたった大名を知ることができる。 築城石の切り出し・運搬は主に西国大名があたり、石高十万石に付き百人持ちの石、1120個の提供が課せられた。 大名達はノルマを達成するため優れた石材を求め、競って相模・伊豆・駿河に採石地を設け、 採石し、膨大な数の巨石を石船に積み江戸へ運んだ。 これに要した船舶の数は3000隻にも及ぶと伝えられる。 豊富な石材と開運の便の良さから、伊豆東海岸は中心的採石地となり、多くの丁場が営まれた。 伊東市内の海岸や山中には、現在、34箇所の石切丁場跡が確認されている。 江戸城築城の歴史を知る遺産として、きわめて貴重な遺構である。
 (監修 鈴木茂)
石切丁場跡を後にして、尾根道を更に登っていきます。 1分ちょっとで植林帯から出て雑木林の中を登るようになります。 石切丁場だった時の名残のように、尾根道の彼方此方には大きな石があったりしました。
比較的緩やかで歩きやすい尾根道が続いていましたが、 この季節にしては気温が高い日だったので、後から後から汗が吹き出てきました。 何度も立ち止まって汗を拭きながらゆっくりと登っていきました。 時折吹き上がってくる谷風が涼しさを運んできてくれました。 このまま吹き続いていればいいのにと思ったりもしますが、いつの間にか止んでしまいます。 何処からともなくセミの鳴き声が聞こえてきました。 ミンミンミン…というように聞こえましたが、 鳴く間隔が短かったのでミンミンゼミではないように思いました。 何という名前のセミだったのでしょう、初めて聞く鳴き方でした。 思い出した頃に一匹、また一匹という程度でしたが、何匹も鳴いているようでした。
少し尾根が広がって開けた感じの所を過ぎていくと、次第に登りの傾斜が増してきます。 心なしか息が切れてきたりもしました。 何度も立ち止まって汗を拭ってひと息いれながら登っていきました。
そんな時に所々に咲き残ったツツジに出会ったりすると心が和んだりもします。 この先でも何度も見かけたので、この山にはツツジの木がかなり生えているようでした。
展望地
息を切らせながら雑木林の中を登っていって小高い所に着くと、展望地になっていました。 先ほどの石切丁場跡から30分ほど、丸山公園の端の尾根コース入口から65分ほどで到着しました。 丸山公園の入口にあった案内板では110分となっていましたが、 休憩なども含めて丸山公園の入口から85分ほどで登って来られました。 ゆっくりしたペースで登ってきたので、110分というのはかなり余裕をみた時間のようでした。 登り着いた所にはベンチがひとつ設置されていて、その脇には「大平の森案内図」がありました。
ここは大平山の山頂のすぐ東側にある展望地で、南側が開けていました。 遠くの方が霞んでいたのが残念ですが、いい眺めが広がっていました。 お昼にはまだ時間がありましたが、尾根道を登ってきた疲れも少し溜まっていたので、 伊豆の山々などを眺めながらここで昼食タイムにしました。
大平山 (標高577.7m)
展望地から道が左右に分かれていて、今回登ってきた尾根コースよりも広い道になっていました。 道標によると、左手へ降っていく道は「トイレ・芝生広場を経て展望ゾーンへ(25分)」、 右手の緩やかな道は「柏峠・馬場の平方面 展望ゾーン(10分)」となっていました。 右手に続く広くて緩やかな道を進んでいくと、すぐに大平山の山頂になります。 「大平山山頂577.7m」の標識が立っていて、その前には三等三角点も設置されています。 標識には小さな「大平の森案内図」が取り付けられていて「現在地」も記されていました。 周囲は樹木に囲まれていて展望は得られないので、休憩するなら先ほどの展望地の方がお勧めです。 山頂部は尖った感じではなくて、東西の方角に緩やかに続いていて、 先ほどの展望地からこの先にかけての一帯が山頂という雰囲気でした。
「大平山山頂」の標識を後にしてその先へと進んでいきます。 大平山まで登ってきた尾根コースから一変して、緩やかで広い尾根道が続いています。 道端には大きな樹木が並木を作っていたりもします。 まだ花を付けているツツジを何本も見かけました。 快適な尾根道を緩やかに降り気味に歩いていきます。
大平山の山頂から2分半ほど進んで浅い鞍部に着くと、幅の広い横木の登り階段が現れます。 縦二段に積まれた横木の上面は平らに削られていて、 土も抉れていなくて段差も低く、とても歩きやすくなっていました。 1分ちょっとで階段を登り切って、その先に続く尾根道を緩やかに降っていきます。 引き続き広い道が続いていて快適に歩いていけます。
592m峰
程なくして軽く登るようになると、大平山の山頂から6分ほどで小さなピークに着きました。 手元の地形図にある592m峰になるようです。 ここで道が左右に分かれています。 角に立つ「大平の森ハイキングコース」の道標によると、右手の道は「丸山公園渓谷コース」、 左手の道は「馬場の平」となっています。 今回は右手の道から開拓道路へと降っていくのですが、その前に左手のすぐ先に展望地があるので、 ちょっと往復してきましょう。
展望地
軽く降り気味に続く広い尾根道を進んでいくと、1分ほどで展望地があります。 ベンチが幾つか設置されていて「展望ゾーン」と書かれた標識も立っていました。 ここの標識にも小さな「大平の森案内図」が取り付けられていて「現在地」も記されていました。
展望地の北側が開けていて、遠くの方が霞んでいたものの、伊豆の山並みを見渡すことができました。 空気が澄んだ日には、奥の方には富士山や南アルプスまでも見渡せる素晴らしい眺めが広がる所です。
(後日に来た時には富士山が見えました。「大平の森」を参照)
広い尾根道は展望地の先へと降り気味に緩やかに続いていてましたが、 592m峰の分岐まで引き返してきて、道標「丸山公園渓谷コース」に従って、 北側の雑木林に続く尾根道を降っていきます。 道端の樹木には白・緑・黄などのテープが巻かれていたりして、ハイキングコースを示しているようでした。 大平山から592m峰へと続く尾根道と比べると道幅は狭くなりますが、 傾斜もそれほど急ではなくて分かりやすい道になっていました。 セミの鳴き声やウグイスの鳴き声が聞こえてきたりして、雰囲気のいい尾根歩きが続きます。
渓谷コース分岐
緩やかな道を降っていくと4分ほどで植林帯が現れます。 植林帯の中へと入って更に降っていくと、592m峰から5分ほどで分岐があります。 手元の地形図にある592m峰の北北東200mほどの鞍部付近で、標高550mほどの所になるようです。 手前には「大平の森ハイキングコース」の道標が立っていて、 今降ってきた道は「馬場の平・大平山山頂」となっていました。 その反対側は「丸山公園」となっていましたが、 正面の尾根道を指しているのか、右手に分かれて降っていく道を指しているのか不明確でした。 角に生えている大きな桧の幹に、 尾根コースに点々と設置されていたのと同じ「健康回復公園 大平の森ハイキングコース」と書かれた 楕円形の標識が括り付けられていました。 右手の道をほんのちょっと降った所にある細い木にも標識が括り付けられていたので、 右手に分かれて降っていく道が「渓谷コース」への入口のようでした。 「大平の森ハイキングコース」として整備されていると思われる渓谷コースを降っていく方が分かりやすいとは思いましたが、 今回はここでハイキングコースから分かれて尾根を直進し、 北側にある開拓道路まで降っていくことにしました。
(後日に右手の道を歩きました。「大平の森」を参照)
ここからは「大平の森ハイキングコース」ではないので、道標類は設置されていません。 道には枯れ枝が落ちていたりして整備が行き届いた状況ではありませんでしたが、踏み跡は何とか確認できました。 すぐに小広い所に出て右手へと進んでいきます。 道端の樹木には黄・赤・緑・青・白などのテープが巻かれていて目印になります。 特に分岐らしいものもなかったので、樹木に巻かれたテープを頼りにして尾根から外れないように進んでいけば大丈夫です。 小さな起伏はあるものの緩やかに続く尾根道を12分ほど進んでいくと、僅かな高みを過ぎていきます。 手元の地形図によると、592m峰の北東600mほどの所にある標高500mほどの緩やかな高みのようです。
495m峰
大きな倒木が道を塞いでいたりもしましたが、難なく乗り越えていきました。 小さな枯れ枝が落ちていたりもするので、踏み跡を見失わないよう注意しながら進んでいきます。 急傾斜の所がないだけ救われます。 時折見かけるツツジの花に励まされながら進んでいくと、 渓谷コース分岐から25分ほどで植林帯が現れます。 植林帯の中を緩やかに登っていくと僅かなピークに着きました。 大きな岩が頭を出している所を過ぎた少し先からは降りになってくるので、 この辺りが手元の地形図にある495m峰のようです。 渓谷コース分岐から27分ほど、592m峰から33分ほどで到着しました。 大きな岩を過ぎた先で踏み跡が左右に分かれていました。 角には赤いテープが巻かれた木がありましたが倒れていました。 分岐の丁度真ん中にある木だったので、左右どちらの道を指しているのか分かりませんでした。 右手に少し進んでみましたがテープは見かけなかったので、 暫く考えた末、左手の植林帯の中を降っていきました。
結果的には、右手の道を降っていけば沢口峠へ降りて行かれたようです。 今回は沢口峠の300mほど西側の沢口地区へ降りてしまいました。
傾斜の増した植林帯の中を降っていきます。 尾根らしい所を外れないように下へ下へと降っていきます。 やがて雑木が混じるようになると、左手に金網やトタンで作られた柵が続くようになります。 柵の向こう側は草地になっていました。 この辺りで尾根道がはっきりしなくなりました。 右手の斜面の下の方に畑地らしいものが見えていたので、そこへ向って斜面を降っていきました。
はっきりした道は見当たらなかったものの下へ向って降っていくと、2分半ほどで畑地の脇に降り立ちました。 左右どちらへ進んだものかと辺りを見回していると、左手の竹林に沿って続く道があったので、 その道を進んでいきました。
沢口地区
畑地の脇に続く道を1分ほど進んでいくと沢口地区の舗装道路に出ました。 これで山道は終りになります。 495m峰から11分ほど、592m峰から45分ほどで降りて来られました。 舗装道路を左手へ進んでいくと伊豆スカイラインに出られますが、 ここは右手へと進んでいきます。
告知
ここは中伊豆町沢口地区です。 沢口地区のささやかな、しかしかけがえのない財産である自然の恵み、 山菜(わらび・ぜんまい・たらの芽・山芋等)を取ることを禁止します。
 (沢口区長、沢口区部農会)
沢口峠
右手へ進んでいくと、すぐの所に小さな橋があります。 橋を渡った先で道が左右に分かれていますが、右手の道を進んでいきます。 畑地を過ぎていくと左右から次第に尾根が迫ってきます。 森の中へと入って舗装道路を緩やかに登っていくと、 沢口地区に出てから5分ほどで沢口峠に着きました。 ここで道が二手に分かれています。 正面の道は南東方向へ延びる林道のようで、今回は左手の道を伊東駅へと向っていきます。 その前に、道端に腰を降ろしてひと休みしていきました。
水分補給などをしながら辺りを確認していると、細い踏み跡が右手の斜面から降ってきていました。 確かめた訳ではありませんが、先ほどの495m峰から右手の道を進んでいくと、 ここへ降りて来られたのかも知れません。 今回歩いたルートは道も余りはっきりとはしなかったし距離的にも遠回りになったので、 右手の道を降っていく方が良かったようでした。
開拓道路
伊東駅へ向って、沢口峠から左手の道をひたすら歩いていきます。 現地では道路の名前を示すものは見かけませんでしたが、 後で調べて見ると開拓道路というようです。 若干登り気味の所もあったりしますが、概ねは等高線に沿うようにして緩やかな道が続いています。 舗装された道で自動車もほとんど通っていかないし、とても歩きやすくなっています。 植林帯を過ぎていくと、沢口峠から12分ほどで右手が開けてきて展望の広がる所があります。 汐吹崎の沖合いにある手石島もよく見ていました。 残念ながら写真ではぼんやりと写っていますが、実際にはもっとはっきり見えていました。 緩やかな道はこの辺りまでで、この先から伊東の街に着くまでは、軽い降り坂が続くようになります。
2分ほど進んでいくと、右手に曲がっていくヘアピンカーブがあります。 手元の地形図によると408.2m峰の西方350m辺りになるようです。 防火水槽を過ぎていくと竹林が現れます。 その下の方には水の流れる音がしていました。 道端の看板に載っている荒ヶ沢というのでしょうか。 竹林が終って左手へ曲がっていく角から右手へ細い道が分かれていました。 谷筋に見えていた民家へと続く道のようでしたが、そのまま開拓道路を左手へと進んでいきます。 1分半ほど進んでいくと、右手に戻るようにして道が分かれています。 その道の入口の辺りには「この先行止まり」の看板が立っていました。 手元の地形図によると、408.2m峰の南東250m辺りから分かれていく実線の道になるようです。 沢口峠から25分ほどの所になります。 この先には民家が幾つかあるようで、道の入口には集合郵便受けが設置されていました。 普通サイズの郵便受けが12個(4×3)並んでいて、各々には各家の名前が書かれていました。
水源林をつくる公団造林 荒ヶ沢造林地
火気に注意しましょう。
 (森林開発公団静岡出張所)
右手の道を見送って正面へと進んでいきます。 1分ほどして左手へ曲がっていく角から土の道が分かれていますが、そのまま左手へと進んでいきます。 右手には竹林が続き、上の方には樹木が生い茂っていて、雰囲気のいい道が続いていました。 花の蜜を求めて集まっていたのでしょうか、木の上の方を沢山の白い蝶がヒラヒラと舞っていました。
「遊々庵」の木戸を見送って更に進んでいくと、右手に戻るようにして道が分かれています。 角には郵便受けのような物が一つあって、「回覧」と書かれていました。 沢口峠から35分ほどの所で、 手元の地形図によると、408.2m峰の東南東400m辺りから分かれていく実線の道になるようです。 地形図ではその道の方が伊東駅へは近そうに思えましたが、そのまま開拓道路を進んでいきました。
右手の道を見送って5分ほど進んでいくと右手が開けてきて、相模湾を見渡すことができました。 ここからは手石島だけでなく伊東港や初島も見えていました。
眺めが広がる所がしばらく続きます。 沢口峠から50分ほど進んでいくと、道が左右に分かれていました。 辺りを見回しても道標類も見当たらないし、どちらへ行ったものかと暫く考えた末、 今回は左手へと進んでいきました。
(結果的には正解だったようです)
6分ほど進んでいくと左手へ登っていく細めの道が分かれていきますが、 その道は見送って開拓道路をそのまま進んでいきます。 ヘアピンカーブを過ぎて小さな沢を渡っていくと、左手の谷筋には民家が点在するようになります。 そのまま更に進んでいくと、先ほどの分岐から20分ほどで左手に道が分かれていきます。 角には温泉付貸別荘への看板が立っていますが、右手へと曲がっていく開拓道路を進んでいきます。
竜神下踏切
1分ほど進んでいくと左手が開けてきます。 かなり標高が下がってきて、海が近くになった感じがします。 眼下には伊東サンライズマリーナが見え、左手の沖の方には初島、右手には手石島が見えていました。 ガスタンクでしょうか、丸い大きな建造物もありました。 更に進んでいくと、伊東港や伊東の街並みが近づいてきます。 やがて、左下にJR伊東線の線路が並行するようになると竜神下踏切があります。
伊東(いとう)駅
竜神下踏切を渡って右手に進んでいくと国道135号に出ます。 湯川4丁目バス停・湯川3丁目バス停と過ぎていくと、 国道に出てから5分ほどで伊東駅入口交差点があります。 交差点を右折して200mほど進んでいくと伊東駅(JR伊東線)に戻ってきます。 沢口峠から1時間25分ほどで到着しました。