玄岳
散策:2007年05月上旬
【低山ハイク】 玄岳
概 要 玄岳は熱海市と函南町の間に聳える標高800mほどの山です。 一面に笹が生い茂る山頂からは、 富士山などを見渡せる360度の大パノラマが広がっています。 今回は東側の登山口から玄岳に登っていきます。 山頂からは氷ヶ池を経て西側の丹那盆地へ降り、 丘陵地や谷筋などを通って函南駅へと向っていきます。
起 点 熱海市 玄岳ハイクコース入口バス停
終 点 函南町 函南駅
ルート 玄岳ハイクコース入口バス停…登山口…才鎚の洞…展望地…氷ヶ池分岐…玄岳…伊豆スカイライン…氷ヶ池…林道…熱函道路…最勝不動院…丹那断層…丹那盆地…記念碑…丘陵地…谷筋…冷川道路橋…函南駅
所要時間 5時間40分
歩いて... 玄岳から富士山を間近に眺めようと出かけたのですが、残念ながら雲に隠れていて見えませんでした。 それでも箱根連山・愛鷹連邦・沼津アルプスや真鶴半島・初島などを見渡すことができました。 玄岳の西側へ降りるとバスの便はなく歩程もかなり長くなるので、 登ってきた道を引き返すルートの方がいいようです。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
玄岳ハイクコース入口(くろたけはいくこーすいりぐち)バス停
熱海駅(JR東海道線)を出た左手にあるバスターミナルから、ひばりヶ丘行きバスにて18分、 1時間に2本程度の便があります。
 土日曜 6:35 6:55 7:15 7:30 8:05 8:35 9:05 9:35 10:05 10:35 11:05 11:35...
バス停から10mほど引き返した所から分かれていく坂道を登っていきます。 角には「玄岳ハイクコース入口」の標識が設置されているのですぐに分かります。 ここから玄岳の山頂までは約2時間とのことですが、もう少し短い時間で登れるようです。
玄岳ハイクコース入口
美しい高原 360°の大パノラマ 雄大な富士の展望 標高799.2m 所要時間 約2時間
和田山地区
和田山地区の集落の中に続く坂道を登っていきます。 かなりの傾斜があって脹脛が痛くなってきたりもするので、ゆっくりと登っていきます。 2分ほど登って「和田山町公民館」,「和田山町老人憩いの家」,「和田山町倉庫」のある所まで来ると、 左右の道と左手へ登っていく細めの道に分かれています。 道標類は見かけませんでしたが、左手の広い道を進んでいきます。 正面には、今回目指す玄岳と思われる山が見えてきます。
写真は分岐から左手方向を写したものです。 二つの道の左手の方を進んできます。
登山口
道の所々には玄岳の山頂から写したと思われる写真が貼られた看板が立っていて、 「玄岳山頂→」と書かれていました。 次第に住宅が少なくなって、浅い谷あいに続く急坂を更に登っていきます。 水道施設を過ぎていくと右手の雑木林へと道が分かれていきますが、そのまま広めの坂道を進んでいきます。 右手から緩やかに降ってくる道を合わせて更に登っていくと、 バス停から15分ほどの所の左手に建設会社の作業場があります。 ここで広い舗装道路は終って、ここから山道が始まります。
竹林に沿って広めの山道を登っていくと、程なくして玄岳ハイキングコースの標識が立っていました。 それによると、ここから頂上までは90分とのことです。 近年になって立て直されたようで、脇には古くなった標識が落ちていました。 同じような感じの標識は、この先にも幾つか立っていました。 地元の山愛好会が設置したのでしょうか、裏面を見ると「和田山一水会」との銘が書かれていました。
自然は友達
現在地 標高350m、 頂上まで2.5km、 所要時間 約90分
やがて竹林は終って雑木林の中を登るようになります。 若葉が萌え出ていて新緑の季節を迎えていました。 心なしか、和田山地区の坂道よりは傾斜が緩やかな感じがします。 よく歩かれているコースなのか、しっかりとして幅の広い道が続いています。 所々に横木の階段があったりもしますが、すぐに終わります。 「玄岳頂上」の道標を過ぎて更に登っていきます。 登山口から20分ほど登っていくと、 「緑の風は心の詩」と書かれた標識が立っていました。 ここでも古くなった標識が脇に落ちていました。 先ほどあった標識と同じ時期に立て直されたようでした。 左手には小さな沢が続いていましたが水は流れておらず、涸れ沢になっていました。
才鎚の洞 (標高534m)
沢から少し離れて、雑木林の中を更に登っていきます。 やがて正面が少し明るくなってきます。 道標「玄岳頂上」を過ぎて左手へと登っていくと、熱海新道の上に架かる陸橋の所に出ます。 バス停から45分ほどで到着しました。 橋を渡った所に「才鎚の洞」と書かれた標識が立っていました。 正面には目指す玄岳が見えていました。 ここでひと休みしていきました。
才鎚の洞(さいづちのほこら)
現在地 標高534m
昔この上に洞があり、その前の大石に才鎚が彫ってあったところからその名前がつけられたとされます。
ひと休みしたら、玄岳へと向っていきます。 左手からくる踏み跡を合わせて、その先へと更に登っていきます。 心なしか道が少し狭まって石がゴロゴロした感じで傾斜も増してきますが、 雑木林の中にしっかりとして分かりやすい道が続きます。 9分ほど登っていくと、玄岳ハイキングコースの標識が立っていました。 「帰る時 私は新品です」という言葉が印象的だったりします。 ここから右手へと大きく曲がって更に登っていきます。
緑のシャワーでリフレッシュ 身も心も元気じるし 帰る時 私は新品です!
展望地
樹木が低くなって山並みなどを見渡せる所もあったりしますが、 概ねは樹木が生い茂っていて見通しの利かない道を登っていきます。 やがて笹が生い茂るようになった道を登っていくと、才鎚の洞から30分ほどで小広くなった所に着きました。 玄岳の東300mほどにある標高730mほどの所になるようです。
右手の樹木が切り払われていて見晴しのいい展望地になっていました。 左手には真鶴半島が海に突き出ていて、正面には初島が浮んでいました。 眼下には熱海の街並みも見えていました。 景色をながめながらひと休みしていきましょう。
展望を楽しんだら、その先へと登っていきます。 次第に笹が増えてくる道を2分ほど登っていくと、笹が生い茂る広々とした緩やかな所に出ます。 左手にはこんもりとした玄岳の山頂が間近に見えていました。 玄岳の山頂とその周辺には一面に笹が生い茂っています。
氷ヶ池分岐
玄岳を左手に眺めながら笹の生い茂る緩やかな道を進んでいくと、少し降った所に分岐があります。 正面に立つ標識によると、右手の道は「氷ヶ池 約15分」、左手の道は「玄岳山頂」、 今来た道は「熱海市街 約2時間」となっています。 ここは道標「玄岳山頂」に従って、左手の道を玄岳の山頂へと向っていきます。
広い道を2分ほど進んでいくと、細い道が右手へと分かれていきますが、 その道は見送って、左手に見えている玄岳の山頂を目指して笹の生い茂る中に続く坂道を登っていきます。 振り返ると素晴らしい眺めが広がってはいますが、景色を愛でるのは山頂に着いてからということにして、 傾斜のかなりある坂道を登っていきます。 道は先ほどの展望地から北西へ向い、左手へ曲がって北東の方角から玄岳の山頂へと続いています。
玄岳 (標高799.2m)
笹の生い茂る傾斜の急な坂道を登っていくと、氷ヶ池分岐から8分ほどで玄岳の山頂に着きました。 才鎚の洞から45分ほど、玄岳ハイクコース入口バス停から1時間35分ほどで登って来られました。 笹が刈り払われた山頂には 「玄岳 頂上の視界360度 標高799.2m」と書かれた標識が立っています。 その脇には二等三角点も設置されています。 正午にはまだ少し時間がありましたが、景色を眺めながらここで昼食タイムにしました。
私が登ってきた時には既に二組のハイカーが食事などをしていました。 古くなって立て替えられたと思われる標識の板が脇に落ちていたので、 それに腰をかけて食事をしていると、後から何組かのハイカーが登ってきました。
手元の地形図によると、玄岳の山頂にある三角点は標高798.4mとなっていて、 標識に書かれている799.2mとは少し差があります。 三角点のある所よりもその脇の方が少しだけ高くなっているので、その差なのでしょうか。
標識にもある通り、 箱根連山・伊豆連山・愛鷹連邦などをぐるりと360度見渡せる素晴らしい大パノラマが広がっています。 北の方には箱根の外輪山や駒ヶ岳から神山にかけての中央火口丘もよく見えていました。 条件がいいと愛鷹連邦と箱根外輪山の間に富士山が大きく聳えているのが望めるのですが、 この時には生憎と雲に隠れていてまったく見えませんでした。
東の方には真鶴半島や初島がよく見えていました。 空を眺めていると、幾つかのパラグライダーが優雅に空を舞っていました。 少し風があったので落ちてくることもないのか、いつまでも上空を旋回していました。 この辺りはパラグライダーの人気スポットになっているようです。 広々とした景色を眺めながら空を舞う気分は最高なのだろうと思います。
西の方には沼津アルプスと思われるギザギザした異彩を放つ山並みも見えていました。 遠目にも低い山の割にはかなりのアップダウンがあるのが分かります。 2年ちょっと前に縦走して疲れ果てたことを思い出したりもしました。
お腹も満ちて景色も堪能したところで、玄岳から下山していきます。 西側へ降っていくとバスの便がないとの情報は事前に得ていたのですが、 まだ日も高かったので、西丹那にある丹那断層を見学してから函南駅へと歩いていこうと 北西側に延びる道を降っていきました。 正面には十国峠へと続く伊豆スカイラインが見えていました。 笹の生い茂る中に続くかなり傾斜のある道を降っていきます。 ロープが張られていたりもする道を降っていくと、細い道が右手へと分かれていました。 角には道標「玄岳」が立っていて、今降ってきた道を指していました。 氷ヶ池分岐の先にあった細い道のようでした。 その道を見送って更に降っていきます。 下の方には氷ヶ池が見えていました。
伊豆スカイライン (標高694m)
更に傾斜の増してきた坂道を降っていくと、背の低い雑木林の中へと入っていきます。 崩れやすい道になっていましたが、張られたロープに掴まりながら滑り落ちないよう注意しながら降っていくと、 玄岳の山頂から12分ほどで伊豆スカイラインに降り立ちました。 降り立った所には道標が立っていて、今降ってきた道は「玄岳登山道」となっていました。 左手50mほどの所に展望デッキがあるのでちょっと立ち寄っていきました。 道が少し膨らんで駐車場のようになっていて、「西丹那 標高694m」の標識もありました。 ここから見える景色の写真が載っている大きな案内図もあって、 愛鷹山・富士山・丹那・駒ヶ岳などが示されていました。 展望デッキからは、これから向っていく丹那地区が眼下に広がっていました。 新緑の萌える低い丘陵地になっているようで、何やら雰囲気が良さそうにみえました
展望デッキから引き返してくると、車道に降り立った所を過ぎたすぐ先にこんもりとした高みがあって、 そこへと山道が続いていました。 道標などは見かけませんでしたが、ここが氷ヶ池へ降っていく道になります。 こんもりとした高みを過ぎて左手へと降っていきます。 振り返ってみると、車道の向かい側はコンクリート打ちされていて、 玄岳から降ってきた尾根が伊豆スカイラインで分断されて切通しのようになっていました。 車道が出来る前までは尾根道がまっすぐに続いていたであろうことが伺えました。
氷ヶ池分岐
再び笹の生い茂る尾根にしっかりとした道が続くようになります。 右手の下に氷ヶ池が見える所を過ぎて更に進んでいくと、やがてロープが張られた急坂を降るようになります。 そこを過ぎていくと急に道幅が狭まってきます。 その前後は比較的広めでしっかりとした道ですが、何故ここだけが狭いのか不思議に思いながら進んでいきます。 笹の生い茂る中に続く細い道を降っていくと、車道から8分ほどで緩やかになった浅い谷筋に着きます。 ここで道が左右に分かれています。 角に立つ道標によると、右手の道は「氷ヶ池・玄岳」、左手の道は「熱函道路」、 今降ってきた道は「玄岳」となっています。 今回は丹那盆地を目指して左手の道を降っていくのですが、 右手の少し先に氷ヶ池があるので、ちょっと往復して来ることにしました。
氷ヶ池
再び広くなった道を進んでいきます。 背の高い笹竹の生い茂る道を2分半ほど進んでいくと、小広くなった草地に出ます。 左手の浅い谷あいには氷ヶ池が静かに佇んでいました。 草地をその先へと進んでいくと再び笹の生い茂る道になってきます。 細い流れに架かる木橋を渡った所で道が二手に分かれていました。 振り返ると氷ヶ池の全容を望むことが出来ました。 解説板のようなものはないかと探してみましたが、見当たりませんでした。 手元の地形図によると標高620mほどの所にある池のようです。 木橋の下の流れは池へと流れ込んでいるようでした。 自然に出来た池なのか人工的に造った池なのかは分かりませんでしたが、 厳冬期には水面が凍るのだそうです。 池の名前からすると、その昔には凍った氷を切り出して利用していたのでしょうか。
氷ヶ池からその先へと進んでいくと、玄岳へ登る途中にあった「氷ヶ池分岐」の所へ続いているようですが、 確かめた訳ではありません。 今回は先ほどの分岐まで引き返して、道標「熱函道路」に従って進んでいきました。 左右への細い分岐を見送って道なりに降っていくと、U字形に少し窪んだ感じの道になってきます。 背の高い笹竹の生い茂る回廊を降っていくと、氷ヶ池分岐から7分ほどで分岐があります。 道なりに左手へ曲がっていく道と、右手へ戻り気味に続く道になっていますが、 道標などはなくて迷う所です。 どちらへ行けばいいのか暫し辺りを伺っていると、 左手の先に赤いテープが巻かれていたし、右手の道には蜘蛛の巣があったので、 ここは左手へと降っていきました。
林道
程なくして笹竹は終って植林帯へと入っていきます。 植林帯の中を7分ほど降っていくと、簡易舗装された林道に降り立ちます。 右手へと1分ほど降っていくと、左手から簡易舗装された道が合流してくる所に降り立ちます。 角には道標が立っていて、今降ってきた道は「玄岳登山道 ←スカイラインまで1.0km」となっていました。 左右の道は何も示されてはいませんでしたが、右手から登ってくる向きに道標が立っていたので、 ここは右手へと降っていきました。
植林帯を更に降っていくと一旦は雑木林になりますが、またすぐに植林帯になります。 林道に降り立ってから8分ほど降ってくるとT字路があって、左右に簡易舗装された道が通っています。 正面には道標が立っていて、今降ってきた道は「玄岳登山道 ←スカイラインまで1.4km」となっていました。 左右の道は何も示されていませんでしたが、 手元の地形図によると、ここは371m峰の東側200mほどの所にある分岐のようです。 左手へ進んでいくと南箱根ダイヤランドへと続いているようですが、 ここは右手へと緩やかに降っていきます。
注意
ハンターのみなさん! ここは銃猟禁止区域です。 銃器による鳥獣の捕獲は禁止されております。
 (静岡県)
植林帯を進んで左手へと曲がっていきます。 日陰になっているのか、道の中ほどには苔が生えていたりもします。 苔の上に足を乗せて滑ったりしないよう注意しながら進んでいくと、やがて畑地に出ます。 左手には民家が建っていて、右手には畑が広がっていました。 何か植えられる前なのか、草のようなものが一面に生えていました。
熱函道路
畑地を過ぎていくとすぐに再び植林帯へと入っていきます。 小さな砂防ダムのある浅い谷筋を過ぎて右手へと曲がっていく道を降っていきます。 民家を過ぎて更に降っていくと熱函道路に降り立ちました。 林道に出てから18分ほど、氷ヶ池分岐から34分ほどで降りて来られました。 角には「玄岳登山道 スカイラインまで2.1km→」の道標が立っていて、今降ってきた道を指していました。 ここからは丘陵の畑地などの中に続く道を歩いていきます。 降り立った所はT字路になっていますが、正面の道を進んでいきます。 左右を見ても横断歩道は見当たらないので、行き交う自動車に注意しながら道路を渡っていきます。
最勝不動院
熱函道路を渡った所に赤い橋が架かっています。 その先には最勝不動院があります。 橋を渡って六地蔵や赤い鳥居を過ぎていくと、右手には最勝不動院御休み処、正面には今風のお堂がありました。 入口には2500文字ほどにも及ぶ長い縁起が記されていました。 難儀していた大弁財天稲荷大明神の眷属の白蛇稲荷を最勝様が助けたことから 稲荷を祀るようになった経緯が記されていました。
最勝大弁財天稲荷大明神縁起
函南「最勝不動院」 御降臨神儀
最勝様が毎日の御本殿本堂の「おつとめ」を終え、昨日の大雨のあとの晴々しい青天びよりのことでした。 久々にぶらりと散歩に出られ、 ふと"いつもは水量のない小川が昨日の大雨でどのようになっているだろうか"と気になされ、 "その小川の方に行ってみよう"と階段を降り小川まで行かれると、 なにやら不思議な光る小石のような物が水中にあるのが目に止まりました。 最勝様は"なんだろう"と思われジッと見ていると、その不思議な小石のような物を、 いつのまにか現われた白蛇が必死になってなんとか取ろうとする姿が最勝様の目に入り感… それがなんとも美しい光景に写りました。  …(以下略)
最勝不動院を後にして車道を緩やかに降っていきます。 竹炭販売所を過ぎていくと、右手の一段高い所に池がありました。 飲料水・防火用水・灌漑用水などに利用するための池のようです。 魚釣りは禁止のようですが、池を覗いてみると大きな魚が泳いでいました。
一、 この池は、丹那、畑、両区250戸の区民の飲料水に使用しているので、 衛生的にも関連の故、自然を守る為、魚釣は一切禁止する。
一、 この池は非常の場合、防火用水又は水田の灌漑用水として使用するので、 堤防強化を保護する為にも、堤防への車輌の乗入れ又は通り抜けは一切禁止する。
右二項目に違反した者は金貮万円以下の罰金を即時要求致します。
 (函南町町長、畑区区長、丹那区区長、交通安全委員長、衛生委員長、畑区消防団長)
右手に分かれていく坂道を見送り、水道施設を過ぎていきます。 左・右と道なりに曲がりながら車道を降っていきます。 竹林の脇を過ぎ牛舎の前を過ぎて民家が点在するようになるとT字路があります。 道路の上に設置された標識によると、右手の道は「丹那酪農王国0.8km」、 左手の道は「丹那断層0.3km」となっています。 正面の田んぼの中へも細い土の道が続いていて、 私の後からやってきたハイカーがその道へと進んでいきましたが、 ここは丹那断層に向って左手へと進んでいきました。
民家へ続く道を左手に分けて、車道は右手へと曲がっていきます。 少し行った所から、右手の田んぼの中に真っ直ぐな舗装道路が分かれていきます。 「酪農王国→」と書かれた板切れが括り付けられていてその道を指していました。 函南駅へはその道を進んでいくのですが、少し先にある丹那断層まで往復してきましょう。 函南駅への分岐を過ぎて少し進んでいくと、車道は右手へと曲がっていきます。 その角から左手に分かれていく道があります。 道路の上には「←丹那断層」の標識が掲げられています。
丹那断層
車道から分かれて左手の道へと入っていくと、 左手に架かる幅の広い橋を渡った先の山際に丹那断層があります。 最勝不動院から20分ほどで到着しました。 手前にはちょっとした駐車場があります。 この時には家族連れや若者たちが見学にやってきていました。
国指定天然記念物 丹那断層
昭和5年(1930)11月26日午前4時02分に北伊豆地震が発生しましたが、 その時に活動した丹那断層のずれの跡を示したものである。 円形の塵捨場、石積みの水路、石垣などのほぼ中央の横切って南北に断層が現れ、 断層の東側が西側に対しておよそ2.6メートル北へずれた「左横ずれ断層」の跡がよく残されている。 北伊豆地震の震央は丹那盆地付近、マグニチュードは7.3、伊豆半島北部一帯に大きな被害を与えた。 その時動いた丹那断層は箱根芦ノ湖から修善寺まで続く、長さ約30キロメートルの丹那断層帯の代表的な断層であり、 横ずれの最大は丹那盆地で2.7メートルである。 地震当時工事中だった丹那トンネルの壁面でも切断されてずれを生じた。 また地質学的には多賀火山や湯河原火山の噴出物もずれており、 約50万年前(第四紀更新世)から現在までに左横ずれ1キロメートル、西側地塊が100メートル以上隆起したと推定されている。 1982年におこなわれた丹那断層発掘調査では700〜1000年の周期で活動が繰り返されてきたことも明らかにされた。 したがって、この断層は地震断層であると同時に最近地質時代にも活動した活断層である。
 (文化庁、静岡県教育委員会、函南町教育委員会)
半地下になった断層地下観察室やこの付近のジオラマもありました。 断層地下観察室では実際に断層線を間近に見ることができます。 解説板も幾つか設置されていて、国の天然記念物に指定されているのだそうです。 これまで歩いてきた疲れを癒しながら、しばらく丹那断層を見学していきました。
丹那断層地下観察室
丹那断層は地表では丹那盆地を南北に貫き、この敷地を通っている。 地下ではどうなっているかを観察できるように、断層を東西方向に横切って、 深さ3メートル、床の幅3〜5メートルのトレンチ(溝)を掘った(平成8年)。 断層の様子がわかるように、北側壁面とそれにつづく床面の一部、 南側壁面と床面の一部のスケッチを描いてある。 主断層(F1)は南側壁面にはっきりと見える地層の境目で、 それは床面を横切り北の壁面につづいている。 これを境にして両側の地層は大きく異なっている。 断層面の傾斜はやや西側に傾くがほぼ垂直である。 この主断層は南壁面からまっすぐ来たへ延びずに北東方へ曲がっている。 また、いくつかの小さな断層を伴っていることがわかる。 地層を調べて見ると、最上部の0層は北伊豆地震後に埋めた盛土で、どの断層にも切断されていない。 I層は断片的に見られ、主断層に切られ人工的にも乱されているので、昭和5年より古い時代の表土と思われる。 II層は主断層の西側にのみ分布し、巨礫や火山砕屑物の塊を含む砂礫層である。 多賀火山斜面の崩落物(含まれる木片のC14年代は約5万年前)が、土石流などで運ばれて再堆積したものと思われ、 その堆積した年代は1万7千年前である(はさまれている腐植土のC14年代による)。 III・IV層は主断層の東側にのみ分布し、III層は大きな火山岩を含む軽石混じりの砂礫泥層、 IV層は軽石混じりの砂礫層となっている。 主断層は敷地内に見られる左ずれ断層の延長にあたり、断層面には水平な条痕が認められ、 床面に見られるIII・IV層が断層沿いに南へ引きずられたように曲がっているので、 この主断層は北伊豆地震の時の左ずれ断層であることは間違いない。 ただ、この断層がまっすぐ北へ延びないで北東に曲がっているので、 この断層はやがて終わって、別の断層が雁行状にこのトレンチの北方にあらわれると推定されている。 他の断層F2〜6はII層をずらしているが、主断層と同時に動いた可能性があり、 III層中のF7〜9は一部が主断層に切られているので、より古い時代の断層と考えられる。
丹那盆地
丹那断層から少し引き返して、「酪農王国→」と書かれた板切れが括り付けられている先ほどの分岐を曲がって、 田んぼが広がる丹那盆地に真っ直ぐに延びる舗装道路を進んでいきます。 丹那盆地の周囲にはぐるりと山が取り巻いていて、まさに「盆地」という名前に相応しい所でした。 山の中にあるにしてはかなり広い所になっていました。 正面の左右にはこんもりとした山があって、その間が少し低くなっています。 その辺りを越えて鬢の沢地区へと向っていきます。 振り返ると、先ほど登ってきた玄岳が聳えていました。
(写真は丹那盆地の中ほどから振り返って写したものです)
記念碑
小川に架かる短い橋を渡って更に真っ直ぐに進んでいくとT字路に出ます。 そこを右手へと進んでいくと、左手に道が分かれています。 角には「水源記念碑」がありました。 道なりに右手へと進んでいくと、すぐに右手に記念碑が幾つか並んでいる所がありました。 その前には函南中学スクールバス専用の記念碑バス停がありました。 丹那地区巡回バスというのも月・金曜日に運行されているようでした。 便は朝方に一本、昼過ぎに一本と非常に少なくなっていて、路線図も載っていました。
(写真は記念碑を過ぎて振り返って写したものです)
水源記念碑
丹那字西方・下丹那・びんの沢・奴多場地域に、東海道新幹線丹那トンネル工事に起因する渇水対策として、 トンネル湧水を水源とする簡易水道事業を経営してきたが、トンネル通過列車の増加と高速化により 水源が汚濁され、この水を生活飲料水としている地域住民に多大の脅威を与えた。 地元関係者は、この実情を日本国有鉄道新幹線総局に訴え続け、 補償問題は解決済との見解をとっていた当局を漸くその対策に乗り出させた。 国鉄・町並びに地元は一丸となって検討を重ね、水源を新しく田代に求めることとし、 田代地区と交渉の末、自然流下水の送水管工事を国庫補助事業として実施した。 また予備水源として深井戸とさく井し万一に備えた。 補償金の交渉は、国鉄と町との間で回を重ね、粟原祐章労働大臣の力添えもあり、 七千三百二十五万八千円で妥結をみた。 昭和51年来続いてきたこの困難な水道問題に当り、多大の尽力をされた函南町東部畜産農業協同組合、 町職員、地元町議会議員及び水道組合関係者各位の労を碑に刻して後世に伝える。
 (丹那地区水道組合)
丹那 畑 第二次構造改善事業記念碑
由来丹那畑地域は僅かな水田と急傾斜の畑を耕し農業を続けて来たが、 明治初年乳牛が導入され有畜農業を形成し、 乳牛の改良に取り組み優良種畜の産地として名声を天下に馳せた。 丹那盆地は玄嶽連山に囲まれ雨水は盆地に流入し、各河川は流出した砂礫が沖積され天井川となり、 台風時などには堤防の補強に当ってもどこかが決潰して大きな被害を出していた。 又水田は湿田不整形小区画の圃場が殆どで、一戸の耕作地も分散し道らしきものもなく、 運搬には困難を極めた。 加えて丹那トンネル彫る掘_後は水不足となり、残った唯一つの牧場水源を主な用水としていたが、 田植えその後の水管理も困難を極めた。 昭和39年、第一次農業構造改善事業が実施され、西方・新山地区の畑65_の基盤整備が実施され、 大型機械の導入がなされ、それに伴って農業の形態も機械化農業に変わりつつあった。 昭和44年、国は第二次農業構造改善事業の構想を打ち出した。 そこで地域の関係者は丹那盆地の基盤整備を決意した。 遂行に当り困難な問題が起り実施も危ぶまれたが、漸く実施に踏み切った。 基盤整備は昭和46年に着工、中途に大量の神代杉が出現。 工事は難工したが計画通り行はれ、昭和47年全工事が完成した。 この事業の成果による牛乳の増産に対応して函南東部農協の牛乳工場と施設が特認事業として認められ、 昭和46年3月完成、4月より操業を開始し、新たな流通を開拓した。 斯くして丹那畑地域は一次二次農業構造改善により甦った。 昭和58年9月、換地登記完了を期に記念碑を建立し、永く後世に伝える。
丘陵地
記念碑の先の小川に架かる橋を渡っていくとT字路があります。 そこを左折してすぐに右手に分かれていく坂道を登っていきます。 竹林の脇を過ぎて大きく右・左と曲がって登っていくと、T字路から6分ほどで畑地が広がる高台に出ます。 少し降って牛舎の横を過ぎて軽く登っていくと、 下丹那地区と鬢の沢地区を結ぶ二車線道路がカーブしている角に出ます。 そこから車道を左手へ緩やかに100mほど降った所から右手へと分かれていく道に入っていきます。 次第に左手へと曲がっていく道を丘に沿って進んでいきます。 周囲に広がる畑地には一面に麦が穂を出していて、陽を浴びて黄金色に輝いていました。
予定していた道はこの先で行き止まりになっていたので、 結果的には二車線道路に出た所から右手へ進んでいった方がよかったようです。 ルート図には青色で示しているので参考にして下さい。
左手に分かれていく道を二つ見送って道なりに進んでいくと少し登り傾斜になってきます。 道に沿って桧が生えている所を進んでいくと、道が二手に分かれています。 そのまま桧が生えた道を進んで鬢の沢地区へ行く予定でしたが、少し進んだ所で行き止まりになっていました。 一時的な通行止めという感じではなく、通れなくなってからかなりの年月が経っているようで、 金属板で仕切られたその先の道ははっきりとしない状態になっていました。 仕方がないので手前の分岐まで引き返して、右手へと続く笹竹の生い茂る道を進んでいきました。 道は簡易舗装されてはいるのですが、歩く人が少ないのか少々荒れ気味でした。 5分ほどで笹竹の生い茂る道を抜けると、少し広くなった道に出ました。 すぐに左手へと坂道が分かれていますが、そのまま真っ直ぐに進んでいくと、先ほどの二車線道路に出ました。 ここから左手へと車道を登っていきます。
左手へ分かれていく細い道を見送って車道を更に登っていきます。 高みに着くと細めの道が右手へと分かれていますが、そのまま車道を緩やかに降っていきます。 車道はすぐに右手へと曲がっていきますが、その角から左手へ分かれていく細めの道へ入っていきます。 坂道を降って水道施設を過ぎて緩やかな道になってくると十字路があります。 ここを右折していきます。 角に立つ電柱の脇に、箱に納められた円い時計があるので目印にしましょう。 動いているのかと思って確認してみると、キチンと正確な「時」を刻んでいました。
左手から登ってくる道を通ってこの十字路まで来るのが当初の予定ルートでしたが、 先ほども書いたように途中で行き止まりになっていました。
程なくしてある十字路を直進して坂道を降っていきます。 牛を飼っている民家の脇を過ぎて少し広くなった道を更に降っていくと、 先ほどの時計のあった十字路から5分ほどで車道に出ます。 道路の向かい側の左手すぐの所から分かれていく道へと入っていきます。
手元の地形図によると、左手に100mほど行った所から分かれるように描かれていますが、 現状とかなり様子が違っているので注意が必要です。 実際には斜めに降ってきた道の真正面に道が続いているような感じになっています。 地形図に従って車道を左手へ100mほど進んでいった所にも分かれていく道が実際にあるのですが、 その道はあらぬ所へ出てしまいます。 紛らわしい事この上もありません。 降ってきた道の他にも、100mほど右手の辺りに出る道があったのかも知れませんが定かではありません。
谷筋
ゴミ置場を過ぎて、舗装された道を緩やかに降っていきます。 民家を過ぎて更に降っていくと、赤い色をしたホース格納箱と消化栓が設置されたT字路があります。 そこを左折したすぐ先のT字路を右折していくと、竹林の中へと入っていきます。 竹林に入って左手へと曲がっていくと、浅い谷筋を降るようになります。 民家への門を過ぎて更に降っていくと、道の脇には細い流れが続くようになります。 林道にでもなっているのでしょうか、道は簡易舗装されていて小型車なら通っていけるほどの幅があります。 杉林になったり竹林になったり、それらが混じった林になったりする谷筋を進んでいきます。 先ほどまでの丘陵の畑地から一変して、しっとりとした雰囲気のいい道が続きます。 鬢の沢地区と奴田場地区との境界辺りに続いている谷筋のようです。
先ほど流れていた水は伏流水になってしまったのか、水が殆ど流れていない沢が谷筋に続きます。 大きな土管が埋められた橋を渡ったり渡り返したりしながら緩やかで歩きやすい道を進んでいきます。 谷筋に入って15分ほど進んだ所で、右手から降ってくる道が合流してきます。 その道を合わせてその先へと更に進んでいきます。 何処からともなく小鳥の鳴き声が聞こえてきたりもして、心も軽やかに歩いていきます。
左右から小さな沢が合流してくるのか、涸れていた沢にはいつしか水が流れるようになってきます。 更にその先へと進んでいくと、沢は浅いU字形にコンクリート舗装された姿になってきます。 その中を少なめの水が勢いよく流れていました。
やがて道は沢から離れて軽く登るようになってきます。 谷間にある送電線の鉄塔を眺めながら坂道を登っていくと、石垣の上に民家が見えてきます。 石垣に沿って続く坂道を登っていくと、谷筋に入ってから30分ほどで住宅地に出ました。 異空間を抜けていく束の間の旅のようでした。
冷川道路橋
石垣に沿って住宅地の道を更に進んでいくと、程なくして二車線道路に出ます。 左折して車道を降っていくと、右手には冷川地区が見えてきます。 車道を道なりに降っていくと、冷川に架かる冷川道路橋があります。 橋を渡った所にT字路があります。
函南(かんなみ)駅
角に立つ道標「函南駅」に従ってT字路を左折していきます。 すぐにある東海道新幹線と東海道線の高架の下を過ぎて右手へ曲がっていくと、 程なくして函南駅(JR東海道線)があります。 住宅地に出てから10分ほど、丹那断層から1時間50分ほどで到着しました。