大倉山公園
散策:2007年04月下旬
【街角散策】 大倉山公園
概 要 大倉山公園は横浜市の北東側にある公園で、大倉山記念館や梅林などがあります。 桜やツツジなどの木も沢山植えられていて、花の季節には綺麗に彩られます。 今回は大倉山公園とその周辺の寺社などを訪ねながら、太尾見晴らしの丘公園へと向っていきます。
起 点 横浜市 大倉山駅
終 点 横浜市 新羽駅
ルート 大倉山駅…大倉山公園…入口広場…記念館前広場…展望広場…大乗寺…八幡神社…長光寺…龍松院…梅林…展望広場…花木園…雑木林…大倉山記念館…歓成院…太尾神社…太尾見晴らしの丘公園…竹林…鶴見川…新羽橋…新羽駅
所要時間 3時間40分
歩いて... 公園のツツジには満開に近い株もあったりして、そろそろ花の見頃が近づいてきているようでした。 街中にある公園なので思い立ったらすぐに出かけることができます。 それほど遠くない所に鶴見川も流れているので、土手道を散策しながら新羽駅へと向っていきました。
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コース紹介
大倉山駅()
大倉山(おおくらやま)駅
大倉山駅(東急東横線)から歩いていきます。
改札口を出た右手に坂道があります。 坂の登り口には「不滅への飛翔」と題した彫像があります。 アテネ市との姉妹提携を記念して造られた道標なのだそうです。 黄色い道標も立っていて「大倉山記念館 右側の坂をのぼる300m 大倉山公園(梅林)方面」となっています。
本像は"不滅への飛翔"と題し、1988年、ギリシャ共和国アテネ市と姉妹提携の横浜大倉山エルム通りの 末永い友好善隣の街づくりを記念し、当地域を象徴する記念館への道標として建設した。
 (横浜市、大倉山商店街振興組合)
大倉山公園
道標に従って渋谷方向へと線路沿いに続く坂道を登っていきます。 駅前にしてはかなりの傾斜があります。 道端には大きな桜や松の木が生えていたりもします。 程なくして道は左手へと曲がっていきます。 住宅地を更に登っていくと「大倉山公園」と刻まれた石碑があります。 ここからが大倉山公園になるようです。 大倉山駅から4分も歩いてくれば着きます。 ツツジの花が咲き始めていて、もう少しで見頃を迎えるようでした。
入口広場
花を愛でながら道沿いに進んでいくと入口広場に着きます。 ここに「大倉山公園」と題した案内板があるので参考にしましょう。 公園には、この入口広場の他に、 ピクニック園地・記念館前広場・大倉山記念館・展望広場・花木園・雑木林・梅林などがあります。 案内板の右手の階段を登っていくと大倉山記念館へと続いていますが、 先ずは左手の林を経てピクニック園地へと向っていきます。
記念館前広場
ツツジの咲く道から左手へと入っていくと、右手に幅の広い横木の階段があります。 林の中へとその階段を登っていくと記念館前広場に着きます。 何か貰えるとでも思ったのでしょうか、 写真などを撮っているとハトが私を目指して何羽か集まってきました。 歩き出すとトコトコとついてきたりして、何とも愛らしいハト達なのでした。 正面には大倉山記念館が見えていますが、左手に続く林の中を進んでいきます。
守ろう・大切な自然
横浜市では自然と生き物にふれあう事業を進めています。
ムクドリ 白い顔に黒っぽい体。オレンジ色のくちばしと足。飛ぶと腰と尾の先の白がよく目だつ。
ヒヨドリ ヒーヨ、ヒーヨという鋭く大きな声でよく鳴く。尾が長く体つきはスマート。
シジュウカラ 白と黒のコントラストがきれいな小鳥。白い腹にはネクタイのような模様が目だつ。
メジロ スズメより小さな黄緑色の小鳥。名前のように目に白い輪がある。動きは早くすばやい。
キジバト デッポッポポーと、のどかに鳴く。翼にはウロコ模様。首筋に青い斑点が目だつ。
ツバメ 光沢のある濃紺の背と白い腹のコントラストがきれい。細く2つに分かれた燕尾が特徴。
ミズキ 荒れ地にまっさきにはえてくる木。花期5〜6月、果期10月〜11月。
ケヤキ ホウキ形の雄大な樹形。花期4〜5月、果期10月。
クヌギ 日本一りっぱなドングリ。花期4〜5月、果期10月。
コナラ 雑木林の代表種。秋の紅葉が美しい。花期4〜5月、果期10月〜11月。
カントウタンポポ
セイヨウタンボボ
春の代表的な野草であるタンポポには、日本在来の種類(カントウ・カンサイなど)と ヨーロッパから帰化した種類(セイヨウ・アカミ)があります。 セイヨウタンポポは、他の株の花粉がなくても実を結び、一株だけでも増えていくことができますが、 カントウタンポポは、虫などが他の株から花粉を運んでくれないと実がつきません。 ここには、カントウタンポポの群落があります。観察してみましょう!
 (横浜市緑政局、監修(財)日本野鳥の会)
展望広場
林の中を進んでいくと展望広場に着きます。 広場の周囲には桜の大木が生えていました。 花の季節には綺麗な眺めになるのでしょう。 「展望」となっているので先の方へと進んでいってみましたが、 かなり樹木が生い茂っていて樹間から街並みが少し見える程度でした。 朝早めの時間帯だったこともあってか、犬を連れて散歩に来ている人が何人もいました。
大倉山緑地保全地区
大倉山緑地保全地区は、大倉山公園、梅園等に隣接した市街地の中の自然景観に優れた樹林地です。 この自然環境を保全するため都市緑地保全法に基づいて指定しました。 従ってこの地区の建築物・土地の形質変更・木竹の伐採等はできません。
 (横浜市緑政局緑政部緑政課)
大倉山記念館へ向っていくと、朝早めの時刻だったのでまだ開館していませんでした。 それでは公園の周辺にある寺社などを訪ねてみようと、その先へと進んでいきました。 公園の散策路以外は立入禁止になっていて、柵などで囲われていたりします。 坂道を降っていくと、右手に戻るようにして分かれていく道があります。 梅林などへは正面の道を進んでいくのですが、手元の地図では右手の方に大乗寺があるようなので、 右手へと曲がっていきました。
大倉山公園
自然を保全する区域について
大倉山公園は市街地に残された貴重な緑です。 人間だけではなく、植物や生き物のオアシスとなっていますので、守り育んでいきましょう。 この区域は自然を保全する区域にしておりますので、人や飼い犬の立ち入りはご遠慮下さい。
 (北部公園緑地事務所)
大乗寺
公園詰所を過ぎて坂道を降っていきます。 左へと曲がりながら降っていくと道が左右に分かれていますが左手の道を更に降っていきます。 傾斜が緩やかになってくると、左手に大乗寺があります。 山門の前は広い駐車場になっていました。 「転法輪山」の扁額の架かる山門をくぐっていくと正面に本堂があります。 お寺の縁起によると、江戸末期から明治初期にかけて、ここで寺子屋が開かれていたのだそうです。
転法輪山大乗寺縁起
大倉山梅林に隣接する当寺は正式な寺名を転法輪山箕谷峰院大乗寺といい、 天正4年(1576)に後の三世(三代目住職)となる生外東鐵大和尚が当時の盟主・妻木傳蔵の母 「宝珠院殿華窓智栄大姉」を開基として創立された曹洞宗のお寺です。 生外東鐵大和尚は自らの先師である英顔麟哲大和尚を招じて開山(最初の住職)とし、 さらに師である玉珊智存大和尚を二世(二代目住職)とし、自らは第三世になったのです。 本寺は相模三ヶ寺の著名なる名刹の一つである。 厚木市三田の東福山清源院であり、開山である英顔麟哲大和尚は本寺、天巽慶順系の名僧でありました。 本尊は釈迦牟尼仏であり脇士に寅年御開帳の薬師如来が安置されております。 江戸時代には寺領五石を拝領し、慶安2年(1649)当時の将軍徳川家光から朱印證状を付与されたのをはじめ、 現在九通の朱印證状が現存しています。 また江戸時代終わりごりから明治の初めにわたって、寺子屋を開いていた歴史があります。 本堂は昭和20年の空襲で焼失してしまい、同25年に再建されましたが、 その時、ほとんどの寺宝を焼失してしまいました。 山門には開基の供養塔と江戸時代近隣の信仰を集めた子育て地蔵が祀られています。 謹白
八幡神社
大乗寺を出てその先へと住宅地を進んでいきます。 大曽根保育園がある十字路を左折して100mほど進んでいくと、 左手に横浜市港北消防団の消防器具置場があります。 その横に「八幡宮」の扁額の架かる石造の鳥居があります。 鳥居をくぐって石段を登っていくと八幡神社の境内に着きます。 社殿には袱紗の着いた太い注連縄が渡されていました。 稲藁で出来ているのかと思いましたが、側でよく見るとビニールで出来ていました。 永くもつようにとのことからなのでしょう。 正面の扉の枠のひとつがくり抜かれていて、 「おさいせんはこちらから」と書かれた板がその穴を指していました。 穴の先を覗いてみると、よく見かける賽銭箱が社殿の中にありました。 盗難防止ということなのでしょうが、「心を込めて」と言われても、 何だか有り難味も薄らいでしまいそうに思えたりしました。 神社の由緒などを記したものは見かけませんでした。
参拝の作法
心を込めてお参りしましょう。
二拝(深い礼を二度します
二拍手(拍手を二度します)
一拝(深い礼を一度します)
 (神奈川県神道青年会創立50周年記念)
東横神社
八幡神社から元の道に戻ってその先へと進んでいきます。 100mほど進んでいくと、米屋・クリーニング店・商店を過ぎた所に十字路があります。 そこを左折して民家の建ち並ぶ中を進んでいきます。 小さな祠に納められた「稲荷社」を過ぎた先にあるY字路を左手へと進んでいくと山に突き当たります。 そこから右手へ続く坂道を登っていきます。 かなりの傾斜の坂道を登り切って右手へと曲がっていくと、 右手から左手へと登っていく階段状の坂道の途中に出ます。 その坂を左手へと登っていくと大倉山公園に戻ってきます。 車止めの先の右手には東横神社がありますが、一般公開はされておらず扉は閉ざされています。 境内は公園の中の山襞の奥の方へと続いていて、奥まった処に社殿があるようでした。
長光寺
車止めの手前から東横神社に沿うようにして土の道が森へと続いていたので、その道へと進んでいきました。 大倉山公園の散策路の一部になっているようで、広くてしっかりとした道になっていました。 少し登って高みに着くと、左手には東横神社の社殿らしいものが樹間から少しだけ見えていたりもしました。 そこから傾斜の急な横木の階段を降っていきます。 階段から坂道に変わって左手へと曲がっていくと、広めの道に降り立ちました。 そこから左手へと進んでいくと墓地があります。 墓地の中に続く道を降っていくと、左手に長光寺がありました。 赤い前掛けをした六地蔵や観音堂の先に本堂がありますが、お寺の縁起などを記したものは見かけませんでした。 山号は「晴雲山」というようです。 「弘法大師」と刻まれた石柱が立っていたので関連があるのでしょうか。
良寛さんのいましめ
一、おのが意地を言いとおす
一、人にものを呉れぬ先に、なになにやろうと言う
一、人のことをよく聞かずして語る
一、よく知らぬことをはばかりなく言う
一、憂えある人のかたわらに歌をうたう
一、親切らしくもの言う
一、人をおだててなぐさむ
一、人の言葉を笑う
一、じまんばなし
一、ものしり顔に言う
一、学者くさきはなし
一、茶人くさきはなし
一、問わず語たり
一、さしでぐち
一、ことばの多き
一、かえらぬことを幾度も言う
一、さしたる事もなきことをこまごま言う
一、腹立たる人に向って道理を言う
一、客の前にて人を叱る
 (青葉山松屋寺)
たった一言が人の心を傷つける たった一言が人の心を暖める
長光寺を後にしてその先へと進んでいくとT字路があります。 そこを左折して50mほど進んでいくと再びT字路があります。 そこも左折して住宅地の中を進んでいくと、やがて登り坂になってきます。 傾斜の増した坂道を登り切ると左右に道が分かれています。 左手は大倉山公園の梅林北口になりますが、正面に続く坂道を降っていきます。
梅林に沿うようにして続く坂道を降っていくと、程なくして右手に白壁が続くようになります。 突き当たりのT字路を右折して白壁に沿って進んでいくと山門があります。 「曹洞宗 龍松院」と刻まれた大きな石柱の脇には、赤い帽子と前掛けをした七地蔵がありました。 真ん中の地蔵だけがどういう訳か一段高くなっていました。 前には薄桃色をした花束が手向けられていました。 刻まれた文を読んでみると水子地蔵のように思われます。
浮びて小さき泡一つ はなかく水に消え行きぬ
 面影さえもありなしの 追うに術無き哀れさよ
  南無や能化の地蔵尊 南無や能化の地蔵尊
育ちてあれば微笑みて 母とし呼びて縋りつかん
 その名を呼べば顔上げて 聲も明るく驅け寄らん
  南無や能化の地蔵尊 南無や能化の地蔵尊
龍松院
山門は閉ざされていましたがその脇の通用門が開いていたので、 そこから境内へと入っていくと龍松院の本堂がありました。 改修作業でも行われていたのか、作業用車両が何台か止まっていました。 山号は「大倉山」というようです。
龍松院由来
開創 大順宗用和尚 永禄3年示寂
開基 小机城二代目城主(所領拾萬石)笠原能登守康勝公
開山 小机雲松院明山宗鑑大和尚
縁起 當院は笠原能登守龍松院殿外権禅眼庵主(天文年間歿不詳)が霊夢により文殊堂を建立。 其の後六代を経て雲松院9世明山宗鑑大和尚、萬治4年(1661)示寂を請じて開山とした。 寛政八年出火炎上、天保2年十六世元明祖享和尚再建したが老朽したので、 昭和54年25世禅県憲雄和尚改築、現在に至る。
 (虎山龍松院廿五世憲雄代 建立)
文殊堂智恵院
鯉などが泳ぐ小さな池に架かる石橋を渡ってその先の石段を登っていくと、 左手に樹木に囲まれるようにして文殊堂智恵院があります。 その前には「学業成就 卯年生守本尊 福徳文殊菩薩」と書かれた赤い幟が幾つも立っていました。
文殊堂知恵院
文殊堂知恵院には、小机城主笠原能登守康勝公が陣中常に胸に掛け奮戦せる不動尊像(文安3年1446年作)と、 主君北条早雲公より拝領の文殊菩薩像を霊感により合祀して堂宇を建立した。 慶安3年(1643)徳川三代将軍家光公は此の由来を聞し召され、文殊堂領として九石余の御朱印を賜り、 代々将軍家より下賜さる。 爾来、出世文殊、怪我除け不動と近郷の者より深い信仰を集めた。 是れ龍松院の起源なり。
 (龍松院廿五世憲雄代 建立)
梅林
龍松院を出て右手へ進んでいくと太尾見晴らしの丘公園へと続いていますが、左手へと曲がっていきます。 先ほど坂を越えてきた所のT字路の角の「大倉山公園梅林」と刻まれた石のある梅林西口から梅林へと入っていきます。 浅い谷筋には小さな池があって鯉も泳いでいました。 池の脇には東屋も建っていて、いい雰囲気の所でした。
正面の谷筋と左手の山手に散策路が続いていますが、今回は山手の道へと進んでいきました。 石畳になった散策路の両側には梅の木が沢山植えられていました。 各々の木には品種を示す札が括り付けられていました。 若葉が伸びる新緑の季節とあって花は咲いてはいませんでした。 階段状の坂道を登りきるとメタセコイアの大木がありました。 その左手には梅園北口がありますが、右手へと続く散策路を進んでいきます。
メタセコイア
日本人によって化石が発見され、 アメリカ合衆国西海岸に自生する世界一の樹高(平均80m)を誇るセコイアに似ていることから、 メタセコイア(和名アケボノスギ)と命名されたようです。 絶滅したと思われていましたが中国に同種が現存することが確認され、 日本に持ってこられたようです。 本家のセコイアほどの大きさにはなりませんが、最終的には30m〜40mの高さにもなるようです。 葉はモミの木に似ている落葉樹です。
山際に続く道を進んでいくと、やがて谷筋の道と合流します。 谷筋にも梅の木が沢山植えられていました。 袂には黄色い花を咲かせたタンポポや綿毛になったタンポポなどが群生していて、 春の彩りを添えていました。 奥の方の小高い所にも東屋があります。
大倉山公園梅林の由来
東横線開通直後、旧梅林敷地約3ヘクタールを東京急行電鉄が乗客の誘致を目的として用地を買収して整備し、 昭和6年梅林として公開したのが始まりです。 昔からこの辺りは太尾と呼ばれ、梅林も太尾公園と呼ばれていましたが、 昭和9年に東横線の駅名が太尾駅から大倉山駅に改名されたのを機に大倉山公園となりました。 最盛期の昭和12年ごろには白梅を中心に14種1000本を越える一大梅林があったとされていますが、 第二次大戦中は燃料用のたきぎを取るため伐採されたり食料不足のためイモ畑化するなど荒廃しました。 戦後、昭和25年頃から復活し、昭和40年代までは梅祭りなども行われ大いに賑わいました。 しかしその後は施設の老朽化や梅の木の衰退が目立ってきました。 そこで昭和62年に現在の梅林の大部分を横浜市が東京急行電鉄から買収したのを機に、 四阿や池、園路整備、梅の補植などを行い、 現在は1.1ヘクタールの敷地に紅梅白梅合せて約20種150本となり、 草花や他の花木も植えて四季を通して楽しめる公園となりました。
 (横浜市緑政局)
展望広場
東屋の脇の幅の広い階段をひと登りすると、先ほどの東横神社の先から続く道に出ます。 右手から戻るようにして続く舗装道路の左手に東屋が見えたので立ち寄ってみました。 尾根筋をほんの少し進んだ所が少し広くなっていて東屋が建っていました。 その先にはちょっとした遊具もあって「子供の遊び場」になっているようでした。 ここに「大倉山公園」と題した案内図があるので参考にしましょう。
大倉山緑地保全地区 大倉山〜鶴見川
都市化により失われていく緑を守るため、昭和60年8月、大倉山記念館南側を中心に、 横浜市最初の緑地保全地区が指定されました。 面積約5.4haのうち半分は大倉山公園内にあります。
花木園
広場の先へ続く広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。 先ほどの案内図によると、この辺りは花木園とのことですが、 この時はツツジが僅かに咲いていた他は特に花は見られませんでした。 季節が進んでくると「花木園」の名に相応しい眺めになるのかも知れません。 花木園の先へと進んでいくとやがて横木の階段が現われ、 龍松院と梅林の間のT字路の角へと降りて行かれます。
太尾宮前中地区急傾斜地崩壊危険区域
この区域内で、のり切り・掘削・伐採等を行う場いいは県知事の許可が必要ですから、 横浜治水事務所へお問い合わせください。
 (神奈川県)
雑木林
梅林から階段を登ってきた所まで引き返していくと、 その左手の高みの雑木林の中に散策路が続いています。 広くて緩やかな道をその先へと進んでいくと、樹木が切り開かれて街並みを見渡すことが出来ました。 そのから引き返してくると、大倉山記念館から降ってきた道に降り立ちます。 開館される時刻は過ぎていたので、大倉山記念館へと向っていきました。
大倉山記念館
坂道を登っていって左手から正面玄関へと廻り込んでいくと大倉山記念館があります。 記念館の中には会議室・ホール・ギャラリー・図書館などがあります。 ホールでは午後から開催される「スプリングコンサート2007」に向けて最後のリハーサルが行われていました。 親に連れられた子供たちを沢山見かけたので、子供達の演奏発表会なのでしょうか。 また毎週のように「大倉山水曜コンサート」も催されているようです。
横浜市大倉山記念館
大倉山記念館は、実業家大倉邦彦(1882〜1971)が東西性信文化の研究を目的に昭和7年に建設しました。 設計者は長野宇平治(1867〜1937)で、旧北海道銀行や旧日本銀行広島支店など 古典主義建築の一人者として有名です。 ギリシャ風神殿のセイヨウと、木組み内装の東洋と、東西文化の融合を理念とした大倉邦彦氏の考えが具現されています。 昭和56年(財)大倉精神文化研究所敷地を横浜市が買収した際、建物が寄贈されました。 横浜市では大規模な改修工事を施し、建物の保存をはかるとともに、 昭和59年10月27日に「大倉山記念館」として開館しました。 平成18年4月からは、指定管理者制度の導入にともなって、特定非営利活動法人 アートネットワーク・ジャパンと大倉山水曜コンサートの共同の管理運営にかわりました。 民間組織の特徴を生かしたより柔軟な運営をめざしていきます。 大倉山記念館は、音楽界や美術の展示など市民の文化活動の場として活用されるほか、 映画やテレビなどの撮影の場としても積極的に利用する計画です。
 (大倉山記念館館長)
大倉山記念館 開館時間 9:00〜22:00
(財)大倉精神文化研究所図書館 思想・歴史・文学を中心に9万冊 開館日 火曜〜土曜日、開館時間 9:30〜16:30
大倉山記念館の両側には大きな樹木が植えられています。 左手がカヤ、右手がヒマラヤスギとのことです。 それらの袂には赤色・黄色・白色などのチューリップや、 桃色・海老色・青色などの花が綺麗に咲いていました。
季節がら、鯉のぼりが泳いでいたりもします。 正面の広場の石畳には解説文が記されていました。
横浜市大倉山記念館
この建物は、銀行などに数々の名建築を残した建築家の長野宇平治(1867〜1937)の設計にもとづき、 大倉邦彦(1883〜1971)が設立した大倉性信文化研究所の本館として、昭和7年に建設されたものです。 外観にはミュケナイ文明の建築様式に素材をとり、内部には東洋の様式も用いることにより、 独特の雰囲気をつくり出しています。 横浜市では、この建物を市民の文化遺産として受け継ぐために、保存・利用にむけた改修工事を行い、 昭和59年10月より「横浜市大倉山記念館」として一般に開放しています。
 (横浜市)
歓成院
大倉山記念館から再度坂道を降っていきます。 右手へ分かれていく道を見送っていくと、階段が左手へと分かれていきます。 雑木林の中に続く階段を降っていくと住宅地に降り立ちます。 右手へ曲がって住宅地を更に降っていくと石仏の納められた小祠のある分岐があります。 そこを左手へと進んでいき、大倉山アソカ幼稚園の裏門の脇を過ぎていくと十字路があります。 そこを左折した先に歓成院があります。
寺歴・由来之碑
当院は弘法大師空海を祖師とする高野山真言宗に属し、 室町時代の永禄3年に善通法印により開創された寺院である。 本尊十一面観世音菩薩坐像は鎌倉期の運慶の作と伝えられ、 また旧本尊とも言われる不動明王立像は江戸の元禄期の作である。 山門は江戸時代に建立、本堂は明治30年に再建、庫裡・客殿は昭和48年、 鐘楼堂は昭和59年に建立されたものである。
 (妙智山法華寺歓成院 第廿五世摩尼之法代)
山門から境内へと入っていくとすぐ右手には鐘楼があります。 正面には本堂があり、その前には藤棚のような感じに仕立てられた樹木が枝を伸ばしていました。 白い花を沢山咲かせていて、いい香りが辺り一面に充満していました。 かなり強い香りで遠くまでも匂ってきました。
太尾神社
歓成院から車道を引き返していきます。 先ほど出てきた十字路を直進して200mほど進んでいくと、信用金庫の所から右手に分かれていく道があります。 脇には「太尾神社」と刻まれた石柱が立っています。 その道へ入って十字路の先の石造の鳥居をくぐって石段を登っていくと太尾神社の境内に着きます。 本殿は拝殿の中から階段を登った上の方にあります。 拝殿の中を伺ってみると、その階段の登り口が見えていました。 遠めには神社が二つ重なっているように見えたりもします。 また、太陽・松・梅・鶴・亀などをあしらった絵も掲げられていました。
由来記
太尾には古来、天満宮・神明社・八幡宮・杉山社・熊野社・神明社の六社が在り、 歓成院がこれを維持した歴史もあった。 昭和33年、各社の祭神を合祀して太尾神社とした。 古来の氏子70戸余りが都市化の進展により7000戸を越えたので、 全住民が産土神として親しむ為に、平成元年太尾神社運営協議会を創設し、 2万人の住民の中から有志が神社委員に就任した。
 (宮司 石川正人代)
敬神生活の綱領
一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
一、大御心をいただきてむつび和ぎ、國の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること
 (神社本廳統理 徳川宗敬)
T字路
太尾神社から引き返してその先へと進んでいきます。 鳥居を過ぎてすぐに右折していきます。 十字路を過ぎて真っ直ぐに進んでいくとT字路に突き当たります。 T字路を右折して道なりに進んでいくと再びT字路に突き当たります。 龍松院の所から大倉山記念館とは逆向きに進んでくるとここに来ます。 正面には茶色に塗られた祠があります。 中を伺ってみると、石碑と赤い前掛けをしたお地蔵さんが安置されていました。 ここを左折して民家の間に続く道を更に進んでいきます。
畑には菜の花やツツジが咲いていたり、民家の前の藤棚では淡紫色の藤の花が垂れ下がっていたりしました。 左右に分かれる道を見送って道なりに進んでいきます。 白壁の民家の手前で右手に分かれていく道を見送っていくと、正面にこんもりとした森が現われます。 その手前で道が左右に分かれています。 左手すぐの所には県道140号が見えていますが、そこを右折していきます。
50mほど先のY字路を左手へと進んでいくと、階段が左手へと分かれていきます。 森に沿って続くこの階段を登っていきます。
太尾見晴らしの丘公園
階段を2分ほどかけて登りきると太尾見晴らしの丘公園に着きます。 登りついた所に公園の案内図があるので参考にしましょう。 公園には自由広場や草地広場があって、かなりの広さがあります。 簡単な遊具などが設置された児童コーナーや幼児コーナーもありますが、 都心部の公園のようには人手が掛けられ過ぎてはおらず、荒削りながらも雰囲気のいい場所になっていました。 近所の親子連れが沢山来ていて、休日のひと時を楽しんでいました。
公園は子供たちが遊んだり、地域の方々の憩いの場となるだけでなく、 災害時には避難場所として利用できる場所です。 利用者のみなさんも公園の快適な環境を保てるようご協力お願いします。
・夜間等に騒ぐのはよしましょう。
・ゴミは持ち帰りましょう。
・犬には引き綱をつけて散歩しましょう。
・犬のフンは飼い主が責任をもって持ち帰りましょう。
・自動車・バイクの乗り入れは禁止です。
・ロケット花火などの危険な花火はやめましょう。
・危険なボールあそびはやめましょう。
・その他、他人の迷惑となる行為はやめましょう。
 (港北土木事務所)
竹林
公園に登り着いた所から右手へと柵がされた道が続いていたので試しに歩いてみました。 突き当たりまで進んで右折していくと竹林の中へと入っていきます。 公園は竹林の手前までで、その先は私有地になっていました。 道の両側には柵がしてあって立入禁止になっていますが、道は自由に通ってもよさそうな雰囲気でした。 竹林の中に続く道を緩やかに登っていって高みに着くと、 送電線の鉄塔「大倉山線No.9」と「北浜線No.68」が並んで立っていました。 その脇からは降り坂になっていて住宅地へと降っていけました。 先ほどの白壁の民家の手前の分岐を右折してきた所のようでした。 大倉山公園と太尾見晴らしの丘公園の間は大曽根台という地区のようです。
大曽根台緑地保全地区
この地区は、良好な自然環境を保全し、快適で住み良い街づくりのために、 都市緑地保全法に基づき、緑地保全地区に指定しました。 この地区では、土地の形質変更、木竹の伐採等、現状を変更する時は許可が必要です。
 (横浜市緑政局緑政課)
太尾見晴らしの丘公園の先の方へと進んでいくと眺めの広場があります。 正面には鶴見川が流れる景色が広がっていました。 テーブルやベンチも幾つか設置されているので、腰を掛けてひと休みしていきましょう。
遊具案内板
ルールを守って楽しく遊ぼう!
ターザンロープ・ザイルクライミング・回転遊具・三段低鉄棒
・うえの4つの遊具は小学生向きです。
・マフラー、ランドセル、カバンなどをしたままあそばないでください。
・ほかの人のうごきにちゅういしましょう。
・おしあったり、とびおりたりしないでください。
保護者の方へ 幼児の利用には必ず保護者の方が付き添ってください。
6さいまでのおともだちへ ゆうぐはおとなのひとといっしょにあそんでください。
 (港北土木事務所)
鶴見川
遊具などがある所まで引き返してきて、集合住宅の建ち並ぶ中の広い道を降っていくとT字路があります。 そこを左折していき、突き当たりを右手へ曲がっていくと県道140号に出ます。 横断歩道のある十字路を直進して道なりに進んでいきます。 右手への分岐を見送って菜の花の生い茂る脇を過ぎていきます。 突き当たりの所から分かれた細い階段をひと登りすると鶴見川の土手の上に出ます。 土手の上と一段低い所と二つの道が通っていますが、いずれも舗装されていて幅が広くなっています。 左手の方に見えている新羽橋へ向って、土手道を鶴見川の上流へと歩いていきます。
新羽橋
少し進んでいくと、道の脇に「河口から11.0km 鶴見川」の標識が立っていました。 同様の標識は鶴見川の両岸の土手道に点々を設置されています。 その標識を過ぎていくと、土手道に出てから300mほどで、青く塗られた新羽橋があります。 下を流れる鶴見川や河川敷に咲く菜の花などを眺めながら橋を渡っていきます。
(写真は新羽橋を渡りながら下流方向を写したものです)
新羽(にっぱ)駅
新羽橋を渡った所にある新羽橋際交差点を直進していきます。 新羽橋バス停・東急住宅前バス停を過ぎて新羽駅東側交差点を直進していくと、 新羽橋を渡ってから400mほどで新羽駅(横浜市営地下鉄)に着きます。
地下鉄ですが、この付近では高架の上を通っています。
(写真は高架を過ぎて振り返って写したものです)
新羽駅周辺地区まちづくり協定
「新羽駅周辺街づくり協議会」は、新羽駅周辺地区が近年、地下鉄や道路が整備され、 今後、様々な建物等の立地が進むことが予想されることから、平成4年に設立し、 駅周辺の計画的な街づくりへの取り組みを行なっております。 当協議会では、新横浜都心の一部を担う新新羽駅及び都市型住宅の立地を図るとともに、 住宅、工場が共存し、調和のとれた良好な環境を創造することを目的にしてきました。 そして、平成13年に第一地区、平成16年に第二地区において地区計画を定め、 平成17年にはより良いまちづくりを推進するため地区計画の一部手直し(都市計画変更)を行ないました。 また、これらの都市計画決定と併せて、地元の街づくり協議会では 地区計画を補完するルールとして「新羽駅周辺地区まちづくり協定」を定めました。 今後とも、調和と魅力のある商業環境と住工共存環境の創出に向けたまちづくりを進めてまいります。
 (新羽駅周辺街づくり協議会)