湘南平
散策:2007年04月下旬
【低山ハイク】 湘南平
概 要 大磯の北側に標高200m足らずの低い丘陵が連なっています。 湘南平はその西端の山の上にあって、かつては千畳敷とも呼ばれていた広い場所になっています。 湘南平の展望台からは、360度の素晴らしい大パノラマが広がっています。 今回は湘南平から浅間山を経て楊谷寺谷戸横穴群へと降るコースを歩きます。
起 点 大磯町 大磯駅
終 点 大磯町 大磯駅
ルート 大磯駅…島崎藤村邸…妙大寺…御嶽神社…稲荷神社…白岩神社…善兵衛池…湘南平…浅間山…楊谷寺谷戸横穴群…大磯駅
所要時間 3時間20分
歩いて... 湘南平は駅から程近い所にあって誰でも気軽に登ることができます。 麓の善兵衛池から20分もあれば山頂に立つことができます。 北側には車道が来ていて車でも登って来られます。 この日は曇り勝ちで遠くの方は霞んでいましたが、 山頂の展望台からは、雪化粧した富士山を薄っすらとながら望むことができました。
関連メモ 大磯・高麗山のみち, 湘南平, 湘南平, 湘南平, 湘南平
コース紹介
大磯(おおいそ)駅
大磯駅(JR東海道線)から歩いていきます。
改札口を出て、すぐ右手の線路沿いに続く小道を二宮駅方向へと進んでいきます。 改札口を出た左手は工事中でした。 そのフェンスにこの付近の案内図が貼り付けられていました。 これから訪ねる島崎藤村邸・御嶽神社・稲荷神社・白岩神社・善兵衛池・湘南平・楊谷寺横穴群などが載っているので、 位置を確認しておきましょう。 特に白岩神社への道は少し入り組んでいるので、手元に控えるなどしておくと安心です。
大磯ガード(大磯架道橋)
JR東海道線の線路沿いの小道を200mほど進んでいくと、 大磯小学校のある十字路があります。 角に立つ道標によると、正面の道は「島崎藤村邸0.3km」、 右手のガードをくぐっていく道は「高田公園0.6km、湘南平2.2km」となっています。 湘南平へは右手のガードをくぐっていくのですが、その前に島崎藤村邸を訪ねていきます。
島崎藤村邸
二宮駅方向へと線路沿いの道を更に進んでいきます。 薬局を過ぎ富士見橋を過ぎて赤い色をしたクリーニング店の所まで来るとT字路があります。 角に立つ道標「島崎藤村邸0.1km」に従って左折していくと、 程なくして左手に竹垣で囲まれた島崎藤村邸があります。 庇に草の生えた門をくぐって中へと入っていきます。
藤村邸
開場時間 9時〜16時(入場は15時45分までです)
休場日 月曜日、12月29日〜1月3日
門を入って右手の方へいくと、庭や母屋を見ることができます。 書斎・広縁・居間などがあって、日本瓦葺・銅板葺・平屋の落ち着いた佇まいの和風建築です。 「母屋」以外にも「離れ」もあって、 これらを合わせて「旧島崎藤村邸−静の草屋−」と呼ばれているようです。 パンフレットも置いていあるので一部貰っていきましょう。 この時には説明員に連れられた数人のグループも訪れていました。
島崎藤村邸
藤村は、明治3年(1872)2月17日、筑摩県第八大区五小区馬籠村(現在、木曽郡山口村神坂区馬籠)の 本陣の家に生まれ、本名を春樹という。 昭和16年(1941)1月14日、大磯のドンドン焼を見に来て珍らしい郷土行事であるのをよろこばれ、 これを左義長と良い初められた。 大磯の温暖な地をこよなく愛し、その春、大磯町東小磯のこの地に住まれ、「東方の門」の筆を起したのであった。 藤村は「一葉舟」,「夏草」などの詩集を刊行して日本近代詩史に不滅の名を刻み、 他に文明批評随筆、旅行児童文学など数多くを残している。 昭和18年(1943)8月21日、静子夫人が「東方の門」の原稿を朗読中頭痛を訴え急に倒れた。 8月22日午前零時35分、「涼しい風だね」という言葉を残して木曽の生んだ大文豪は行年71才で永眠され、 本人の希望により大磯地福寺に葬られた。
妙大寺
大磯小学校の所まで引き返して、線路下の大磯ガードをくぐっていきます。 湘南平は「かながわの景勝50選に選ばれた景勝地」とのことで、期待しながら進んでいきます。 ガードを抜けると、右手へと道が分かれていますが正面へと進んでいきます。 50mほど進んでいくと、右手に妙大寺があります。 「慈意妙大雲」と書かれた扁額の架かる山門をくぐってツツジの咲く参道を進んでいくと、正面に本堂があります。 お寺の謂れなどを記したものは見かけませんでしたが、山号は乗勝山というようです。
妙大寺の本堂の左手は墓地になっていて、その一角に初代陸軍軍医総監である松本順氏の墓があります。 日本で最初の海水浴場を大磯の海岸に誕生させるのに貢献された方なのだそうです。
松本順先生の墓誌
松本順先生は天保3年(1832)東京は芝の生れ、もと徳川将軍家の御殿医、 後、明治新政府に請われて初代陸軍軍医総監となる程の医学界の第一人者であった。 明治18年(1885)一切の公職を退いて閑地に就かれ、縁ありて大磯に来たり。 「この地の潮水は病を治し空気は保生の効あり」と唱え、照ヶ崎海岸こそ海水浴の好通地と認定。 町の有識者と相はかり、ここに日本最古の海水浴場が誕生した。 折りしも交通革命とも申すべき鉄道の開通により、東海道五十三次の宿場であった大磯の町が 衰微を免れた上に日本国中の各界の名士が競って当地に別荘を設け、その殷盛は旧に倍するものとなった。 これ偏に先生の先見の明によるものである。 その繁栄を町民と共に楽しみながら明治40年(1907)3月、先生は当地にてご他界。 御年76才。この大恩に報ゆるため、時の有志者挙って先生遺愛の当山に墓碑を建立したものである。
 (往見 駅前ロータリー内記念碑及照ヶ崎海水浴場謝恩碑)
御嶽神社
妙大寺を後にして更に先へと進んでいくと、すぐにカーブミラーのあるT字路があります。 以前には角に「湘南平2.0km」の道標が立っていて右手に分かれていく道を指していたのですが、 どういう訳だか、この時には道標がなくなっていました。 高田公園を経て湘南平へ登る道はそのT字路を右折していくのですが、 今回は善兵衛池を経て湘南平へ登っていくので、そのT字路を直進していきます。 左右の分岐を見送って道なりに真っ直ぐ進んでいくと、 程なくして右手に「御嶽神社」の扁額の架かる石造の鳥居があります。 その鳥居をくぐって真っ直ぐに進み、更にその先にある鳥居をくぐって石段を登っていくと 御嶽神社の境内に着きます。 御神木なのでしょうか、 根を四方にしっかり伸ばした大きなイチョウの木には注連縄が掛けられていました。 石段の左右には竣工記念碑などが幾つも並んでいて、 本殿の左手には小振りの稲荷社が合祀されていましたが、 御嶽神社の由緒などを記したものは見かけませんでした。
御嶽神社から元の道に戻って、住宅地に続く道をその先へと進んでいきます。 右手へ分かれていく道を見送っていくと、広めの道が左手へと分かれていきます。 角には道標が立っていて、正面の道は「湘南平1.5km」、 左手の道は「こゆるぎの浜0.6km」となっています。 道標に従って直進していくと、道は右手へと曲がっていきます。 その角に立つ関東ふれあいの道の道標によると、右手へ曲がっていく道は「湘南平・浅間山」、 今来た道は「大磯駅・小淘綾ノ浜」となっています。 また、明治のまちコースの道標も立っていて、右手へ曲がっていく道は「善兵衛池0.5km」、 正面に分かれていく細い道は「白岩神社0.6km」となっています。 善兵衛池を経て湘南平へ登っていく道は右手の道ですが、 その前に白岩神社まで往復してくることにしました。
稲荷神社
小川沿いに続く細い土の道を50mほど進んでいくと、左手に分かれていく小道があります。 道標などはありませんが、最初の大磯駅前にあった案内図にある稲荷神社への道になります。 そこを左折して細い路地を100mほど進んでいくと、左手の林の中に稲荷神社があります。 二重になった木製の鳥居の奥には、四角い石積みの上に小振りの社がありました。 社の前には小さな狐の素焼き人形が雛壇のように並んでいました。
(様子が分かりやすいように斜めから写した写真を載せておきます)
稲荷神社の樹木(町指定)
狭い境内には、大小百数十本におよぶ樹が自生・献植されています。 このなかで特徴ある樹は、7本の古いキズタと、樹齢300年を超えていると思われ、 玉瘤状の地表根が広い範囲にわたって露出している二本立の株をもつタブの木です。 このように、古いキズタの自然植生が生残っていること、 さらに玉瘤状の地表根等は、他にあまり例のない貴重な植生といえます。
小川沿いの道に戻ってその先へと進んでいきます。 竹垣のある民家が続いていて雰囲気のいい道になっています。 程なくして小川は右手へと分かれていきます。 ブロック塀から竹垣に変わっていく細い路地を真っ直ぐに進んでいくと、 程なくして住宅地にある舗装された広い道に出ます。 左手への道を見送って真っ直ぐに進んでいくと、右手へ曲がった所で道が二手に分かれています。 右手へ曲がった所に道標が立っていて、右手の道は「白岩神社0.3km」となっています。 この辺りから道が複雑になってきます。 左右どちらの道を進んでいっても白岩神社へ着きますが、道程は300mよりもう少し長いように感じました。 道標に従って右手の道を100mほど進んでいくと変則的な五叉路があります。 そこには道標がなくて迷う所ですが左折して真っ直ぐに進んでいきます。
白岩神社
左右の分岐や十字路を見送って道なりに真っ直ぐ進んでいくとT字路に突き当たります。 そこを左折して50mほど先の十字路を右折していくと、正面に背の高い樹木が見えてきます。 突き当たりのT字路まで来ると、左右には白岩神社の参道が通っています。 参道を右手へ進んでいくと真新しい石段が現れます。 両脇に大きな樹木が生える石段を登っていくと白岩神社の社殿があります。 例祭の日には流鏑馬も行なわれるようですが、 「歩射」とあるので馬に乗って射る形態ではないようです。
T字路の左手の先には立派な鳥居があるので、そちらの方が正規の入口なのかも知れません。 先ほどの道標のあった所を左手に進んでくると、鳥居の所まで来られます。
白岩神社のあらまし
祭神 伊弉諾尊(イザナギノミコト)、 伊弉冉尊(イザナミノミコト)、 若宇加能売命(ワカウカノメノミコト)
神徳 五穀豊穣、交通安全、開運長寿
社格 西小磯の鎮守
由緒 遥か昔、西小磯に一人の童が現われて、跳びはねるような仕草をしながら 『我は大和の広瀬の神なり この地を鎮守する 崇め奉れ』と言って地面にひれ伏した。 人々は言われた通り、大和の国にある広瀬神社の御祭神『若宇加能売命』を勧請し、 この地に社を建ててお祀りした。 後の山が、海の方から眺めると白く光って見え白岩山と呼んでいたので、白岩神社と称えた。 その後、白岩権現社と称えたが、付近を通る人が落馬したり災難が降りかかるため、 現在の場所に社を移し、社名も十二所権現社と改めた。 以来災難は無くなった。 明治の神仏分離政策により、ふたたび白岩神社と称するようになった。
祭事 1月1日 元旦祭、 3月7日 例祭、 11月23日 新嘗祭、 12月31日 除夜祭
例祭当日は参道にて流鏑馬(歩射)が奉納される。 また、前日には宵宮があり、直会の神事がある。 例祭の神事は、世襲で社人とよばれる人たちにより執り行われており、民俗学的に注目される。 大磯町指定民俗資料(無形民俗文化財)に指定されている。
社殿 往古は、現在より東の方に鎮座されていたと伝えられている。 現在の地に移ってから、明治32年頃焼失、同36年に再建された。 昭和から平成にかけ、たびたび修復が行われてきたが、老朽はなはだしく、 平成9年10月、氏子崇敬者の浄財により現在の社殿を竣工した。
資料 新編相模国風土記稿
『十二社権現社 村の鎮守なり、神体白馬に乗り弓矢を持り、往古は白岩権現と号せしと言、 白岩は所在の字なり、例祭は正月7日、流鏑馬式あり、村民八右衛門是を勤むと言、 天正19年11月、社領一石の御朱印を賜ふ、…(中略)… 鐘楼 天保4年の鋳鐘を掛く』
 (抜粋)
白岩神社から元来た道を車道まで引き返して、道標「善兵衛池0.5km」に従って進んでいきます。 大磯町の設置する「標高23.013m」の水準点のある宮ノ上公園を過ぎていくと、 車道に戻ってから250mほどの所にあるこんもりとした森の手前で道が左右に分かれています。 「この先ハイキングコース 車は通り抜け出来ません」の看板が立っていて、 左右の道は行き止まりであることを示していますが、 丁度中ほどに立っていて、どちらの道がハイキングコースなのかが分かりません。 どちらへ進んでいったものかと辺りを見回していると、 目線よりも高い正面の崖の上で分かり難いのですが、関東ふれあいの道の道標がありました。 それによると、左手の道は「湘南平1.2km、高麗山2.5km」、 今来た道は「大磯駅1.0km、小淘綾ノ浜1.2km」となっています。 ここは道標に従って左手の道へと進んでいきます。
右手の道は、山あいの奥まった処にある茶亭「大磯園こいずみ」へ続いています。 その脇から湘南平と浅間山の間にある鞍部へ登って行けます。 「湘南平」を参照。
善兵衛池
ツツジや八重桜の咲く住宅地の道を進んでいくと、右手へと坂道が分かれていきます。 角に立つ道標「湘南平へ」に従って、右手へ分かれていく坂道を登っていきます。 民家を過ぎていくと左手には畑地が続くようになります。 右手の山際に沿って進んで畑地が終わりになると、左手に格子戸がポツンと立っています。 その横の浅い谷戸にひっそりと佇むようにして善兵衛池があります。 袂には解説板が設置されていました。 右手の山際の一段高い所には善兵衛池に関する石碑も立っていましたが、 旧字で書かれていて無学の私には読めませんでした。
善兵衛池
この辺りは水が乏しく荒れた山田であった。 土地の人望があった善人善兵衛はその困窮を聞いて農地の開発を志し、すべて自分で事業を行った。 1600人の労力をかけて東西24m−南北16m−深さ4.5mの用水池をつくり、 水利を整えて2年後に立派な良田とすることが出来た。 文政2年(1819)この功を賞して老中から白銀5枚がおくられ、苗字帯刀を許され三宅姓を名乗った。 池畔の石碑はその記念に建てられた後に二宮金次郎もこの事蹟を調査したことがある。 池のある宝山周辺は当時の景観がよく保存されている。 土手の両側にある善兵衛池横穴は大磯に多くある古墳墓のひとつである。
善兵衛池を過ぎたすぐ先で、狭い石段が右手へと分かれていきます。 ここから湘南平を目指して山道を登っていきます。 角に立つ関東ふれあいの道の道標「湘南平0.7km、浅間山1.1km」に従って、その石段を登っていきます。 脇の電柱には「イノシシに気をつけて」と書かれた張り紙がありました。 この辺りの山にはイノシシが出るようですが、幸いにも今回は見かけませんでした。
石段はすぐに終わって緩やかな道になります。 コンクリート壁に沿って進んでいくと再び石段が現われます。 石段を登っていくと、途中に大きな樽のようなものに屋根の乗せた形のものがありました。 柵があって近づけませんでしたが、上の方には窓のようなものがあるし、 中に入れるようにも思えますが、何に使うものなのかは分かりませんでした。 石段を登りきって左手へと進んでいくと、目指す湘南平にあるテレビ塔が見えてきます。
やがて森の中へと入っていきます。 幅が広くてよく踏まれた道が続きます。 傾斜もそれほど急ではなくて息が切れるようなことはありません。 雑木林の中をジグザグに折れ曲がりながら登っていきます。 季節がら樹木の若葉が芽吹いていて、新緑の中を爽やかに登っていきます。
私たちの自然を守りましょう
たばこの投げ捨てやめましょう。
残そう緑!なくそう山火事。
 (大磯町消防本部)
善兵衛池から15分ほど登っていくと、なだらかな道に出ます。 ここは湘南平のすぐ下の所で、ここからは山道というよりも、 公園内の歩きやすい散策路という感じの道になってきます。 角に立つ道標「湘南平・浅間山へ」に従って左手へ進んでいくと、すぐに大きな駐車場があります。 その手前から右手に登っていく道があり、角に立つ道標「湘南平・浅間山へ」がその道を指しています。 また「テレビ塔付展望台」や「高麗山公園レストハウス(レストラン・売店・管理事務所)」の道標もその道を指しています。 これらの道標に従って広い道を登っていきます。
ハイキングコースは自然を利用したさんぽみちです。 注意しながら歩きましょう。
 (平塚市)
少し登っていくと「湘南平フィールドアスレチックコース全体概念図」と題した大きな看板が立っています。 湘南平の山頂近くの山腹はフィールドアスレチックコースになっています。 山腹にはツツジが一面に植えられています。 チラホラと花が咲き始めている所もありましたが、見頃はまだこれからのようでした。
湘南平 (標高181m)
広い道を真っ直ぐに登っていくと広場に着きます。 その左手の短い石段を登ると、千畳敷とも呼ばれる湘南平に着きます。 善兵衛池から20分ほどで登って来られました。 湘南平は山の上とは思えないほどの広い場所になっています。 「かながわの景勝50選」にも選ばれていて、五つの石柱で造られた碑も立っています。
湘南平
湘南平は海抜181m。 古くは阿波多羅山(アワタラヤマ)と呼ばれ、江戸時代の末ごろから 千畳敷山と呼ばれ、桜の名所として著名であったが、 昭和16年以後高射砲陣地となり戦後はいたく荒廃した。 昭和32年、平塚市はこの地を自然公園とする計画をたて、 逐次施設を整備して今日に至った。 湘南平の名は、当時の市長戸川貞雄氏の選によるものである。
 (昭和44年秋 平塚市長)
お願い
皆さんの公園です! お互いにルールを守って、楽しい、きれいな公園にしましょう。
次のことは許可が必要です。
1.露店商、行商、又は、募金等をすること。
2.利益を目的として写真、又は映画撮影をすること。
3.興業、展示会、又は集会等で独占して使用すること。
4.火気を使用すること。
この公園で野球、ゴルフ等はできません。
 (平塚市)
次のことは禁止されています。
1.公園内の物をこわしたり、よごしたりすること。
2.木や、草花等を折ったり、取ったりすること。
3.鳥や動物等を捕まえたり、いじめたりすること。
4.はり紙、はり札、又は広告を掲示すること。
5.ゴミ、その他の汚物をすてること。
6.決まった場所以外に、車等を乗り入れること。
展望台
広場の左手には見晴らしのいい展望台があります。 階下にはレストランや売店が併設されています。 展望台は幾階かになっていますが、その最上階まで登って、 死角のない360度の素晴らしい大パノラマを堪能しましょう。
展望台利用時間(管理人勤務時間) 9:30〜21:30
展望台の南側には相模湾、西側には伊豆半島や箱根連山、北側には丹沢山塊、東側には三浦半島まで見渡せます。 それ程高い山でもないのに、相模平野とその周囲を一望できる素晴らしい景色が広がっています。 天気がいい日には富士山も大きく見えるのですが、この日は残念ながら雲がかかっていました。 しかし風がかなり吹いていて雲の流れるのが速かったので暫く待っていると、 雪化粧した姿を薄っすらとながら望むことができました。
東側を見下ろすと、湘南平の全景を見ることが出来ます。 正面に立っているのは登ってくる時にも見えていたテレビ塔です。 左手には丹沢山系、右手には相模湾や江の島を見渡せる景色が広がっています。 南の方には大磯港や旧東海道の松並木もよく見えていました。
NHK平塚テレビ中継放送所
展望台を降りてテレビ塔へ向っていきます。 この塔はNHK平塚テレビ中継放送所とのことで、空中線地上高218mなのだそうです。 テレビ塔は途中の展望階まで登っていくことができて眺め自体は素晴らしいのですが、 金網が張り巡らされている上に一面に鍵が取り付けてあったりして、感慨も今ひとつといった感じです。 景色を眺めるなら先ほどの展望台の方がお勧めです。
展望階の金網には鍵がびっしりと取り付けられています。 二人の絆もこの鍵のようにしっかりとしたものでありたいと願う若い男女の気持ちのようです。
東側には浅間山から高麗山へと続く山並みがよく見えていました。 高麗山へは何度か行っているので、今回は浅間山までにしておきます。
テレビ塔の左手からツツジの木の生える道を降っていくと、 左手の樹木が開けていて丹沢の山並みを見渡すことの出来る所がありました。 何という名前なのかは知りませんが、手前には薄紫色の花も咲いていて彩りを添えていました。 真ん中に聳えているのは丹沢大山でしょうか。 その右手の方には大山三峰と思われるキザギザの形をした山も見えていました。
高田公園分岐
横木の階段を降っていくとなだらかな道に降り立ちます。 角に立つ道標「浅間山・高麗山」に従って左手へと降っていきます。 ベンチがポツンと設置された所を曲がっていくと、すぐに鞍部にある分岐に着きます。 角に立つ道標によると、右手へ分かれていく道は「高田公園1.3km、楊谷寺谷戸横穴群0.4km」、 正面の道は「高麗山1.1km」、今降ってきた道は「湘南平0.2km」となっています。 今回は楊谷寺谷戸横穴群へ向うべく右手の道を降っていくのですが、 その前にすぐそこにある浅間山まで往復してきましょう。
幅の広い横木の階段を登っていきます。 各段の間の土が流れ出てかなり抉れていたりして歩きにくくなっていましたが、 2分ほどで登り切ることができます。 左手へ曲がって緩やかになった道を進んでいくと、先ほどの分岐から3分ほどでなだらかな高みに着きます。 正面には「ハイキングコース」と題した真新しい大きな案内図があって、 「湘南平霧降り渓流のみち」と「虎女が遊んだみち」が紹介されていました。 ここで道は右手へと曲がっていきます。 関東ふれあいの道の道標はその右手の道を指していますが、左手の高みが浅間山になります。
平塚高麗山自然環境保全地域
この自然は、県民共通の貴重な財産として、子孫に伝えるかけがえのない宝物です。 草や木や、野生の動物を大切に。 ゴミは必ず持ち帰りましょう。
 (神奈川県)
浅間山 (標高181m)
浅間山にはテーブルが二つ設置されていますが、周りに樹木が生えていて、残念ながら展望は余り得られません。 アヤメの仲間でしょうか、テーブルの脇では綺麗な白い花が沢山咲いていました。
浅間社
江戸時代、雲をぬいて天高くそびえる富士山を神とした浅間信仰が広まりました。 白い衣裳をまとい、口々に「懺悔懺悔、六根清浄」と唱えながら登る。 六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意のことで、「六根清浄」が登山の精神であり、富士山は信仰登山のあこがれでした。 しかし、富士登山は費用と日数がかかり、女人禁制でもあったため、 浅間社を富士山の見える高台や山頂にまつり、そこにおまいりすることにより願いが富士山に通じると、 庶民の間にひろまり厚い信仰を集めました。 浅間社は木花佐久夜毘売命を主神とし、美しい富士山を桜の花にたとえた名前と伝えられ、 浅間社を祀った山であることから浅間山と呼ばれるようになりました。
 (環境庁・神奈川県)
浅間神社
浅間山の右手には浅間神社が建っています。 金属製の鳥居の先に、小さな石の祠が柵に囲まれて鎮座しています。 すぐ裏手には三角点があって、側には「一等三角点 建設省国土地理院」の標識も立っています。 以前に来た時には三角点は四角い礎の上に石標が立つ形をしていたのですが、 整備し直されたのか、三角点の石標の周りは綺麗な板で囲まれていて中には土が入れられ、 石標は半分ほど埋っていました。 石標の脇には「浅間山181.2m」と書かれた白い標識が新たに立てられていました。 以前には三角点に関する解説板もあったのですが、今回は見当たらなくなっていました。 その時には既に相当老朽化していたので撤去されたのかも知れません。 その解説板には次のように書かれていました。
浅間山一等三角点と浅間神社
浅間山の名称は、浅間信仰−浅間社の尊信から賜わられたといわれている。 浅間社は富士山への信仰を母体とし、祭神は木花咲耶姫である。 この浅間山の浅間社は江戸後期に鎮座せられたと思われ、 流造りの形の石祠である。古来からおまつりしていたところ、 富士山の噴火などにより、農耕神の意味を持つ富士山信仰−浅間社の神徳に対し、 崇敬と祈願のため社を勧請したもので素朴な信仰である。
  浅間山一等三角点
  位置 東経139度18分15秒 北緯35度19分7秒
  標高 181.28m
  標高の名称 浅間山
全国的にわたる広い地域に統一した測量を行なうため、精密な天文測量により 経度・緯度及び方位を定め、一等三角点を原点とし、これにもとづいて、全国的な地図の 作成や地勢の調査その他各種の測量の重要な基準になっている。 戦前は視準のための三角塔があったが今はなく、石祠の傍に古びた標識石に、一等三角点と刻してあるにすぎない。 三角点について補足すると、丹沢山・浅間山・大島を三角形の 頂点とし、丹沢・浅間山の距離が判っているとき、丹沢と浅間山の 二つの角を測ると、丹沢・大島、浅間山・大島の距離を数学的に 求めることができる。このように、三角形の角のみを測ることによって 三角形の網を全国的に広げ、測量を進めていくことを三角測量という。 三角測量には基の長さが必要で、この長さは相模原基線であり、 この相模原基線を測量的に増幅したのが、浅間山一等三角点である。
 (平塚市)
三角点について
三角点は一等から四等まであって、全国に10万個以上が設置されています。 一等三角点は2006年3月末現在で972個あって、この浅間山にある三角点もその中の一つになります。 三角点は「盤石」の上に「柱石」が乗る形になっていて、地上に出ているのは「柱石」の一部だけです。 等級によって大きさが異なり、地上に出ている部分の大きさは、 一等が18cm角、二等と三等が15cm角、四等が12cm角となっています。 一等三角点の「柱石」の長さは地上部21cm・地下部61cmで、 その下に厚さ12cmの「盤石」があり、更にその下30cmの所に小振りの「下方盤石」が埋められています。 地上に出ている部分よりも地下に埋っている部分の方がずっと大きくなっていますが、 周囲の土砂流出などによって「盤石」までむき出しになった三角点も見られるようです。 三角点のこのような構造からすると、以前に来た時に見たのは「盤石」までむき出しになった姿だったのでしょうか。 しかし、上に乗っている部分は21+61=82cmもなかったように記憶しているので、 下にあった四角い礎は「盤石」ではなかったのかも知れません。 一等から四等以外にも五等三角点・小三角点・準三等三角点というのもあるようですが、 数はそれほど多くはないようです。
浅間山から先ほどの高田公園分岐まで引き返して、道標「高田公園・楊谷寺谷戸横穴群」に従って降っていきます。 すぐに左へ鋭角に曲がって緩やかな山道を降っていきます。 周りの樹木も若葉を出し、道端の草も芽を伸ばしていて、爽やかな新緑に包まれながら降っていきます。 道もしっかりとしていて歩きやすくなっています。
山火事注意 火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
楊谷寺谷戸分岐
分岐から4分ほど降っていくと横木の階段が現われますが、 道幅も広く段差も低くて土も抉れてはいないので、とても快適に降っていけます。 横木の階段を1分半ほど降っていって浅い鞍部に着くと分岐があります。 角には道標が立っていて、正面の尾根に登っていく道は「高田公園1.1km、大磯駅1.1km」、 左手の斜面に沿って緩やかに続く道は「楊谷寺谷戸横穴群0.2km、大磯駅」、 今降ってきた道は「湘南平0.4km、高麗山1.3km」となっています。 右手にも道が分かれていますが道標には何も示されてはいません。 ここは道標「楊谷寺谷戸横穴群」に従って左手の道を進んでいきます。
右手の道の歩き出し部分はかなりしっかりとしていたので、試しに少し歩いてみました。 少し降っていくとすぐに浅い谷筋になります。 道なりに左手へ曲がっていくと竹林に沿って細めの道が続いていました。 その竹林の脇の道を降っていくと「大磯園こいずみ」へ降りていけます。
(正面の道は「湘南平」, 「湘南平」、 右手の道は「湘南平」を参照)
シダ類の生える植林帯の斜面を横切っていくと、程なくして尾根を降るようになります。 左手には植林帯、右手には雑木林が続く尾根道を降っていくと横木の階段が現われます。 この階段も先ほどあった階段と同じく道幅が広くて段差も低く、とても快適に降っていけます。 左手に続いていた植林帯は程なくして雑木林へ変わって、新緑の中に続く横木の階段を降るようになります。
楊谷寺谷戸横穴群
横木の階段を4分ほど降って右手へ曲がっていくと、山の斜面に横穴が幾つも開いていました。 左・右と折れ曲がって一段低い所に降りていくと「楊谷寺谷戸横穴群」の解説板がありました。 四段に渡って分布していて沢山の穴があるようでした。 解説板によると墓として利用されていたようです。
神奈川県指定史跡 楊谷寺谷戸横穴群(古墳時代)
この横穴群は楊谷寺谷戸奥で山裾を大きく左にまわり、 さらに右にまわって左折し、千畳敷山への登り路になる部分の左側山腹に四段にわたって穴が分布している。 現在、左側の七穴は流入土によって埋没してわずかに存在がわかる程度である。 この横穴群は切妻造家形に表現された十一号穴からはじまり、 ついで四方の壁の上にながしを表現し、 その上に寄棟造の天井が退化して低いドーム形になった屋根を表わす五号穴が特殊な構造を示している。 また、切妻造屋根が退化してアーチ形断面の筒形になった四、七号穴など、 横穴が年代とともに形が簡略化してゆく過程をみることができる。 内部から発見された遺物は必ずしも、造営当初のものばかりでなく、それ以降のものも出土する。 この横穴群を中心に、古代においてこの谷が「墓場の谷」になっていたことがわかる。
 (神奈川県教育委員会)
横穴群の先の横木の階段を降っていくと、程なくして緩やかな道になってきます。 よく歩かれている道なのか、しっかりとして歩きやすくなっていました。 道を横切っている小さな流れを過ぎて谷戸に続く道を更に進んでいきます。
高麗山自然環境保全地域
建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県湘南地区行政センター環境部、平塚市公園緑地課、大磯町環境清掃課)
小さな火 "まさか"がおこす 山の火事
 (神奈川県)
やがて雑木林から植林帯へと変わってくると、横穴群から4分ほどで住宅地に出ます。 これで山道は終りになります。 湘南平と浅間山の間の鞍部にあった高田公園分岐から18分ほどで降りて来られました。 脇には「高麗山公園」と書かれた看板が設置されていました。 車止めを抜けて、住宅地に続く舗装道路を降っていきます。
谷筋の住宅地に続くかなり傾斜のある坂道を6分ほど降っていくと、左手から道が合流してきます。 左手からの道を合わせてその先へ降っていくと、道路の左手には小川が流れるようになります。 程なくして右手へ道が分かれてきます。 角には道標が立っていて、正面の道は「大磯駅0.8km」、 今降ってきた道は「紅葉山0.9km、湘南平1.7km」となっています。 右手の道には何も示されてはいませんが、正面の道を大磯駅へと向っていきます。 看板などによると、この辺りは神明地区というようです。
紅葉山…
紅葉山とは「横穴古墳で有名な楊谷寺谷戸への登山道左側(降ってくると右側)の山」とのことです。 今回は見落としてしまったようですが、 手元の地図によると、住宅地を降ってくる途中に右手へ分かれていく道があったようです。 その道を進んでいくと高田公園から湘南平へと登っていく道に続いているようなので、 その辺りに紅葉山があるのかも知れません。
小川沿いの道を更に進んでいきます。 道路の一部のようになった短い橋を過ぎて、小川の左岸に沿って進んでいくと、 左手から降ってくる坂道を合わせた先で右手へと曲がって、小川に架かる王城橋を渡っていきます。
突き当たりのT字路を左折して坂道を降っていきます。 右手からの道を合わせてその先へと進んでいくと十字路があります。 道は左右へと分かれていますが、正面のJR東海道線の神明架道橋をくぐっていきます。
大磯(おおいそ)駅
線路の下をくぐってすぐの所を右折し、線路沿いの道を300mほど進んでいくと、大磯駅(JR東海道線)に戻ってきます。 住宅地に降り立ってから20分ほどで到着しました。