剱崎
散策:2007年04月中旬
【海辺散策】 剱崎
概 要 剱崎は三浦半島の先端部の東側にある岬です。 岬の上には剱崎灯台が立っていて、東京湾の玄関口になっています。 東側に続く海岸には岩礁の磯や静かな砂浜などがあって、変化に富んだコースになっています。 今回は小浜バス停から高台の畑地を経て海岸へ降り、浜辺に沿って剱崎へと向っていきます。
起 点 三浦市 小浜バス停
終 点 三浦市 剱崎バス停
ルート 小浜バス停…小浜漁港…浜辺1…浜辺2…戸津浜…大浦海岸…間口地区…間口漁港…剱崎無線方位信号所…剱崎灯台…矢の根井戸…剱崎…浜辺3…剱崎バス停
所要時間 2時間30分
歩いて... 今回は満潮が近い時間帯だった上に前夜の低気圧の影響で波が高い状況でした。 海沿いの磯に続く道では波しぶきがかかる場面もあったりしました。 関東ふれあいの道の一部ルート変更により、大浦海岸から間口漁港へと続く海沿いの道は通行止になっています。 また間口漁港の工事のために、間口漁港から剱崎へと続く磯の道も通行止になっていました。 今回のコースは、干潮の時間帯を選んで出かけるのがよさそうでした。
関連メモ 三浦・岩礁のみち
コース紹介
小浜(こはま)バス停
三浦海岸駅(京浜急行久里浜線)の改札口を出た右手にあるバスターミナルから、 [海34]剱崎行きバス,または,[海35]三崎東岡行きバスにて14分、 1時間に2本程度の便があります。
三浦海岸駅のバスターミナルには「三浦市ハイキングコース」と題した大きな案内図があります。 そこに今回歩くコースの一部である関東ふれあいの道「三浦・岩礁のみち」の情報が載っていて、 「大浦海岸は海岸の崩落により通り抜けできません。迂回(市道を直進)して下さい」となっていました。 海岸沿いの道を歩くのが少し減りますが止むを得ません。
小浜漁港
バス停のすぐ先から左手へと分かれていく道があります。 その道をほんの少し降っていくと、左手に小浜漁港があります。 幾艘もの船が陸揚げされていました。 海面や突堤にはカモメが群がっていて、沖の方には対岸の房総半島がよく見えていました。 ここから磯に沿って浄化センターまで道が続いているのですが通行止めになっているので、 今回はバス道路(県道215号)をその先へと進んでいきます。
お知らせ
この附近の海では共同漁業権が設定されており、 魚・貝・海草類は漁協の組合員以外の方が採捕することはできません。 違反者は法令により処罰されます。
 (みうら漁協金田湾支所、三崎警察署)
緩やかに右手へと曲がりながら登っていく車道を4分ほど進んでいくと、左右に道が分かれている所があります。 道標などはありませんがここを左折して、戻るようにして続く緩やかな坂道を登っていきます。 ほんの少し登っていくと、右手に道が二つ分かれていてK字路のような所がありますが、 そのまま正面に続く道を進んでいきます。
(写真は振り返って写したものです)
高台に出ると畑地が広がっていました。 大根の収穫時期は終ったようで、余ったと思われる大根が畑の脇に放置されていたりしました。 替わりにキャベツ栽培の季節になったようで、畑には一面にキャベツが植えられていました。 高台の畑地の中を150mほど進んでいくと、道は右手へと曲がっていきます。 左手には金田湾が広がり、その向こうには津久井浜から野比にかけての半島部が見えていました。
十字路
軽く降るようになると、左手が少し盛り上がってきます。 樹木が茂る所を抜けていくと十字路がありました。 左手には金網の扉があって「関係者以外立入禁止」の看板が立っていました。 柵の奥には三浦市の東部浄化センターの建物があります。 右手の道は畑地の中へと続いていましたが、 ここは正面に続く鉄板の塀に沿って進んでいきます。
最初の小浜バス停から海沿いの道を進んでくると、この浄化センターに来ることができます。 その敷地を通ってくるとここまで来られるのですが、 先述の通り通行止めになっています。
十字路までは簡易舗装されていましたが、その先は土の道になります。 塀沿いに進んでいくと、前夜の降雨のために水溜りが出来ている所もあったりしました。 左右は塀や樹木が生い茂っていて見通しの得られない道を進んでいきます。 軽く降るようになってくると、左手から細い道が合流してきます。 方角からすると、先ほどの浄化センターから続いてきた道のようでした。 そのまま真っ直ぐに降って簡易舗装された道になってくると、再び畑地が広がる所に出ました。 左手には青々とした所が広がっていて、一瞬早苗を植えた田んぼかとも思いました。 それにしては青々としすぎているし季節も早すぎるようだし何だろうと思っていると、 畑一面に長ネギが植えられていたのでした。 右手へ分かれていく道の先にはキャベツ畑が続いていましたが、正面へと進んでいきます。
左手に分かれる小径を見送って、正面のこんもりとした森の脇に続く坂道を登っていきます。 左手の谷の畑にはおびただしい数の大根が放置されていました。 何処からともなくウグイスのさえずりが聞こえてきたりして、 春がやってきたことを感じながら緩やかな坂道を登っていきました。 鳴き声の主をこの眼で見てやろうと梢の辺りを見回してみましたが、見つけられませんでした。
Y字路
右手に分かれていく道を見送って坂道を更に登っていくと高台の畑地に出ました。 緩やかになった道を進んでいくと、道端にはタンポポが沢山咲いていました。 黄色い花をつけたのがあったり白い綿毛を出したものがありました。 綿毛が既に飛んでいって額の部分だけになっているのもあったりして、 季節が着実に進んでいることを感じたりもしました。 少し進んでいくと道が左右に分かれるY字路がありました。 コースは右手へと進んでいくのですが、左手のこんもりとした森に窪みのある壁面が見えたので、 ちょっと立ち寄っていくことにしました。
Y字路を左手に少し進んでいくと、こんもりとした森のように見えていたのはコンクリート製の建物でした。 旧日本軍の軍事施設だったのでしょうか、かなり以前に造られたもののようで、 周囲や上には草木が生い茂っていて、遠目には森のように見えました。 今ではそれほど使われていないのか、穴の中には特別なものはなく雑然としていました。 木の桟のようなものがあったので、 暑い夏場では農作業の間に休憩するのに日陰として利用されているのかも知れません。
この先にも道が続いていて、手元の地図によると雨崎の方角へ伸びているようだったので、 ちょっと探ってみることにしました。 道は簡易舗装されてはいるのですが、土で覆われている所もあって、 前夜の降雨のために大きな水溜りが出来ていました。 靴をどろんこにしながら進んでいくと、突き当たりの畑地の所で行き止まりになっていました。 どうやら雨崎には降りていけないようだったので、引き返してきました。 浄化センターの方からなら行けそうな感じもあるのですが、通行止めになっているので、 残念ながら雨崎を訪ねるのは諦めることにしました。
Y字路まで引き返してその先へと進んでいきます。 軽く登ってから緩やかに降るようになります。 右手の浅い谷筋にはキャベツ畑が広がっていました。 この時は天気のいい日で日差しもかなりあって暑いくらいでした。 ゆっくりと歩いていても額に汗が滲んできたりもしました。 タオル地のハンカチで汗を拭いながら歩いていきました。
左手への分岐をひとつ見送っていくと、再び左手へと戻るようにして降っていく道が分かれています。 下の方からはザーザーという波の音が聞こえてきました。 海辺へ降りていけそうな予感がしたので、高台の畑地の道はこの先にも続いていましたが、 左手の坂道を降っていくことにしました。
浜辺1
樹木の木陰を抜けて坂道を降っていくと右手へと曲がっていきます。 キャベツ畑や収穫の終った大根畑を過ぎて突き当たりのT字路を左手へ曲がっていくと、 簡易舗装された道はそこで終っていました。 樹木の間に細い道が続いていたので分け入っていくと、すぐに海辺に出ました。 手元の地図によると、雨崎の南方にある二つめの浜のようでしたが名前は分かりませんでした。 正面は砂浜になっていて、左側や右側は岩場になっていました。 岩場では釣りをしている人を見かけたりもしました。 ここから海辺沿いに左手へ進んでいくと雨崎へ行けるのかも知れませんが、 今回は確かめるのは止めておきました。
浜辺2
砂浜を右手の方へと進んでいくと海に突き出た岩場があって、砂浜はそこで終っています。 岩の一部が低くなっていて、手前には踏み台になりそうな大きな岩があります。 ロープも付けられているので、それにつかまりながら岩場の上に出ると草地になっていました。 正面には岩場があり、右手の方には砂浜が続いていました。 海の中には岩があったりする砂浜を右手へと進んでいきます。 前日の低気圧が通り過ぎた直後ということもあってか、海はかなり波立っていました。 そんな状況でも岩場の先の方で釣りをしている人達を何人も見かけました。
浜の端までくると、砂浜には草が生えるようになります。 海に突き出た岩場の陸側にはこんもりとした所があって、その周りには薄紫色をした花が沢山咲いていました。 その陸側には自動車が何台か止まっていました。 ここまで車で来られる道がついているということのようです。 手前には海抜を示す青い標柱が立っていたりもします。 どうやらここはよく知られた浜のようですが、名前は分かりませんでした。
この地点の標高は海抜2.7メートルです。地震を感じたら津波に注意しましょう。
 (神奈川県、三浦市)
戸津浜
こんもりとした所の左手の草花が生えている間を抜けていくと、小屋の先には砂浜が広がっていました。 浜辺の名前を記したものは見かけませんでしたが、手元の地図によると戸津浜というようです。 家族連れが何組か水遊びにやってきていて、子供達が波打ち際で戯れていました。 手元の地図には「海水浴場」の旨の記載はありませんが、海水浴が出来そうな雰囲気の浜辺ではあります。
海のルールのお知らせ
この海は漁業権が設定されています。 一般の方がアワビ・サザエ・トコブシなどの貝類や、ワカメ・ヒジキなどの海藻類、 イセエビやタコなど、漁業権で指定された水産物は採ることが禁止されています。 また、指定のない水産物についても、次の行為は禁止されています。
1 水中めがねをかけてイソガネやヤスを使用したり、水中銃・潜水器具を使用して、魚や貝、海藻類を採ること。
2 魚や貝、海藻類に有害なものを海に捨てたり流したりすること。
3 電流や薬品を使用して魚や貝、海藻類を採ること。
違反した人は法令により処罰されることがありますので注意してください。
 (神奈川県横須賀市三浦地区県政総合センター、神奈川県警、海上保安庁・漁業協同組合)
ちょっと陸側に行ってみると、自動車が通っていけるだけの幅のある土の道が続いていました。 道端には薄紫色の花と黄色い菜の花が咲いていて、雰囲気のいい所でした。 漁船でしょうか、小型の船が砂浜に揚げられていたりもしました。 道は右手の陸の方へと続いていましたが、再び砂浜に戻ってその先へと進んでいきました。 砂浜では、ビーチパラソルを広げて椅子を置きビニールシートを敷いて休んでいる家族も見かけました。 少し気温の高い日だったこともあって、夏が待ちきれずに出かけてきたのでしょうか。
海には岩場もあって、波が岩に当って砕け散り、心地よい音をたてていました。 心なしか、時間が経つにつれて波が高くなってくるように思えました。 海辺を歩くのには余り適した日ではなかったようです。 沖の方には対岸の房総半島の山が連なっていました。 名前は分かりませんでしたが、尖った山や双耳の形の山などがよく見えていました。
砂浜の右端まで来ると岩場になってきます。 その岩壁に沿って細い道が付けられていました。 この時は満潮が近い時間帯だったようで、かなり潮が満ちていました。 歩き出しの所の岩を越えて進んでいきます。 岩に付けられた踏み場を登っていくと岩場が続いていました。 「←順路」と書かれた板切れが岩に貼り付けられていて 「下へ回って下さい」と添えられていたりもしました。 歩けそうな所を選んで進んでいきますが、波が打ち寄せてきて渋きがかかったりもします。 波が引いたタイミングを見計らって急ぎ足で過ぎていく場面もありました。
途中で入り江になった所を過ぎていくのですが、大きな木が道を塞いでいたりもして、 一瞬、道を見失いかけたりもしました。 階段状になったり緩やかになったりしながら、岩場に道が続いていました。 今回のコースではスリルが一番味わえる所でした。 干潮時ならばもっと歩きやすかっただろうと思われます。 どうも干潮時を狙って出かけて来るのが良さそうです。
落石注意!!
このさきのがけは風化が進みくずれやすくなっています。 通行する場合は、落石や倒木に充分注意してください。
 (神奈川県横須賀土木事務所)
大浦海岸
「落石注意」の看板を過ぎていくと、岩場が終って砂浜になります。 戸津浜から8分ほどで岩場を通過することができました。 正面には海水浴場にもなっている大浦海岸が続いていました。 手前の砂浜には柵がしてあって 「あぶないからはいってはいけません!」 と書かれた鉄板が括り付けられていました。 向こう側からこちら側へと進む向きに付けられていたので、 今歩いてきた道は「入ってはいけません」ということだったのでしょうか。 戸津浜の方には同様の注意書きはなかったのに、 大浦海岸の方にだけあるのはどういうことなのだろうと思いながらも、 柵を越えてその先へと浜辺を進んでいきました。 打ち寄せる波が砂浜を洗うように「寄せては返し寄せては返し」という動きを繰り返していました。
砂浜にはボートが何艘も揚げられていました。 夏の海水浴シーズンには活躍するのでしょうか。 陸側の草地に鳥居が見えたので、ちょっと立ち寄ってみました。 木製の鳥居の先には小さな石祠がありましたが、名前などは分かりませんでした。 この海の守り神なのでしょうか。
大浦海岸の端の方まで来て岩場になってくると、海抜を示す青い標柱が立っていました。 この先は海岸の岩場伝いに間口漁港まで歩いていける道が続いています。 関東ふれあいの道「三浦・岩礁のみち」のコースになっていて以前にも歩いた所ですが、 三浦海岸駅の案内板にもあったように、ここから間口漁港までのルートは通行止になっているようです。
この地点の標高は海抜1.2メートルです。地震を感じたら津波に注意しましょう。
 (神奈川県、三浦市)
歩き出しの所には通行止の旨の標識は見当たらなかったので、解除されたのかと思って少し歩いてみました。 海のすぐ側に続く道には木の橋や円筒形の飛び石などもあって、かなりスリリングな岩場が続きます。 以前に歩いた時にも、両手で岩にしがみついて海に落ちないよう注意しながら進む箇所もあったように記憶しています。 少し進んでいった所に「通行止」の看板が立っていました。 満潮が近い時間帯だったし波高い日でもあったので、 これ以上進むのは諦めて大浦海岸まで引き返していきました。
間口地区
先ほどの海抜を示す青い標柱の所まで引き返して左手の草むらへ入っていくと、 すぐに海岸に並行している道があります。 戸津浜方面へと戻る向きに崖沿いに続く道を進んでいきます。 数箇所から砂浜へ降りて行かれる所があったりもします。 突き当たりから左手の坂道を登り、民宿などが建つ道を進んでいくと、 間口地区を通る車道に出ます。 崖際には「大浦海水浴場入口」の看板が立て掛けられています。 また関東ふれあいの道の道標も立っていて、 左手の道は「間口漁港(直進)0.2km」、右手の道は「松輪バス停(直進)1.3km」、 今来た坂道は「大浦海岸へ」となっています。 その脇に関東ふれあいの道の路線変更の案内が掲げられていました。 以前はここから大浦海岸に出て海岸沿いの岩場を間口漁港へと進んでいくルートでしたが、 集落の中に続く車道を通って間口漁港へ向うルートに変更されたようです。 ここは道標に従って車道を間口漁港へと進んでいきます。
(写真は車道に出て左手の進行方向を写したものです)
お知らせ
長距離自然歩道「関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)」の路線の一部変更について
大浦海岸から間口港にかけての区間は潮位が高く落石の危険も多いため、市道への迂回をお願いしていました。 しかし、状況の改善が見込めないので、平成17年4月1日に「関東ふれあいの道」のこの区間は、 海岸沿いから市道を通る路線に変更します。 この先は、この指導標識の方向に従って進んでください。
 (神奈川県自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課)
間口漁港
左手のこんもりとした小山の脇にある猿田彦大神の石碑や庚申塔などを過ぎて、 民宿などが建ち並ぶ集落に続く車道を道なりに3分ほど進んでいくと間口漁港があります。 入り江になった漁港には沢山の漁船が停泊していたり陸揚げされていたりしました。
第2種 間口漁港(間口地区)
所在地:三浦市南下浦町松輪地先
管理者:三浦市経済振興部水産課
所管庁:水産庁
以前に「三浦・岩礁のみち」を歩いた記憶によれば、港の突き当たりまで車道を進んで行って、 そこから岩礁伝いに剱崎まで行けたはずだと思って、 松輪漁村センターの手前から右手に分かれていく道を見送って港の端へと進んでいきました。 正面のこんもりとした森の手前まで来て、確かこの辺りから海沿いに道が続いていたはずだがと周囲を見回していると、 森の左手の海沿いに関東ふれあいの道の道標が立っていました。 その道標によると、海沿いの岩礁に続く道は「剱崎へ0.5km」、今来た道は「松輪バス停へ1.8km」となっています。 しかし、その手前には無粋な看板が立っていて、「漁港建設工事のため立入禁止」となっていました。 残念ながらここでも行く手を阻まれてしまいました。 雰囲気のいい道なのに残念だと心残りに思いながらも、迂回していくことにしました。
工事関係者以外立入禁止
この先、漁港建設工事のため、工事関係者以外は立入禁止とさせていただきます。 工事期間中は御迷惑をお掛けしますが、ご協力をよろしくお願いします。
 (三浦市経済振興部水産課)
どの道を通っていこうかと手元の地図を広げて考えてみるに、 先ほどの松輪漁村センターの所から分かれていく車道は剱崎へはかなりの遠回りになりそうでした。 少し南側にある道が近そうだったので、その道を進んでいくことにしました。 港に続く道を少し引き返していくと、コンクリート舗装された細めの道が丘へと分かれていました。 角には「松輪F 急傾斜地崩壊危険区域」 の看板が立っているので目印にしましょう。 畑地へと分かれていく道を左手に見送って民家の脇を抜けていくと、小さな谷戸にはキャベツ畑が続いていました。
剱崎無線方位信号所
山際に続く緩やかな道を進んでいくと、程なくして畑地は終って森の中へと入っていきます。 背の高い笹竹が生い茂るようになると、土の道になって道幅も狭まってきます。 笹竹の中の坂道を登っていくと、右手にコンクリート壁が続くようになります。 壁に沿って登っていくと、間口漁港から5分ほどで高台に通る舗装された農道に出ました。 正面の金網柵で囲まれた中には剱崎無線方位信号所のアンテナが立っていました。 どちらへ行ったものかと左右を伺っていると左手の先に灯台が見えたので、 高台に続く農道を左へと進んでいきました。
左折してすぐの所から右手へと降っていく道が分かれていますが、 そのまま高台に続く道を緩やかに降っていきます。 なだらかになった道を少し進んでいくと、降り坂になる手前から右手へと道が分かれていきます。 道標などはありませんが、右手にある車止めの脇を抜けて、その先に続く石畳になった坂道を登っていきます。
剱崎灯台
樹木の生い茂る所を過ぎていくと周囲が明るくなってきます。 農道から2分ほど登っていくと岬の高台にある広場に着きます。 閉じられることもなさそうな様子の門を過ぎていくと、正面に白い剱崎灯台があります。 灯台には扉もありますが、閉ざされていて中へは入っていけません。
入口の門の脇には灯台の解説板がありましたが、 薄い板が貼り付けられて訂正されている部分がありました。 以前に来た時の情報と見比べてみると、経度が1秒小さくなっていました。 実際のところは、小数点以下の僅かな変化が四捨五入の結果、1秒の差になって現れたと考えるのが妥当なのでしょう。 北緯35度辺りの1秒というのは距離にすると25mほどになるので、 実際の変動が0.1秒程度だったとしても2mは移動したことになります。 計測されたのがいつなのかは分かりませんが、その間にかなり移動したようです。 日本列島全体なのかこの灯台のある岬だけのことなのかは分かりませんが、 プリュームテクトニクス説で云うように地球は生きているのだと改めて認識したりもします。
剱崎灯台 〜東京湾の入り口にある灯台〜
この灯台は、慶応2年(1866)の江戸条約に基づき、明治政府が明治4年(1871)に 設置したもので、三浦半島の南東端に位置し、対岸の房総半島にある洲埼灯台と対で 東京湾の入り口を表しています。 晴れた日は灯台から、房総半島の館山から伊豆大島、新島さらに伊豆半島までを 展望できます。 剱埼の名称は、萬治(1660)の頃、徳川幕府の灯台管財を積んだ船が岬の沖で 難破した時、岬の突端から海南神社の神主が剣を海に投じ、竜神の怒りを鎮めたことから 生じたといわれています。
位置北緯35度08分29秒 東経139度40分37秒
光り方30秒毎に白光を2閃光と緑光を1閃光(複合群閃白緑互光)
光の強さ48万カンデラ
光の届く距離17.5海里(約32キロメートル)
高さ地上から灯台頂部:17メートル 水面から灯火:約41メートル
管理事務所第三管区会場保安本部 横須賀海上保安部
 (海上保安庁)
灯台の裏手へ出てみると、正面には東京湾が広がり、その向こうには対岸の房総半島が横たわっていました。 手前の左手には先ほど立ち寄ってきた間口漁港の入口や三浦半島の沿岸部が見えていました。 「漁港建設工事」とのことでしたが、確かに港の突堤にはクレーンが見えていました。 港の先には大浦海岸から続く岩場が見えていました。 遠目にはそれ程危険なようには見えませんが、その場へ行くと波が打ち寄せていて通れそうにもありませんでした。
剱崎灯台から石畳の道を引き返してくると、すぐに左手へと細めの道が分かれて降っていきます。 その道も石畳になっていました。 海辺へ降りるべく、その道へと入っていきました。 右手からの道を合わせて左手へと曲がって更に降っていくと、海辺へと続く谷筋に降り立ちます。 右手からは高台の農道から分かれてきた道が降ってきていました。 左折して降っていくと、行く手の先には高台に挟まれた海が見えていました。
矢の根井戸
草花などが咲く石畳の道を少し進んでいくと、右手の山際に矢の根井戸があります。 コンクリートで蓋がされていて今では使われることもなさそうな様子でしたが、伝説の伝わる井戸のようでした。
矢の根井戸
源為義の第8子、源為朝は幼少より傍名無人で、 13歳のとき、父為義により九州へ追放されたほどですが、 その九州でも武威を大いに発揮、土地の豪族を征服して、 みずから鎮西八郎為朝と称して勢力を振るいました。 しかし、その為朝も「保元の乱」では、藤原頼長の判断力の欠如から作戦の策を用いられず、 これがもとで敗退、ついに平清盛の武将平家貞の捕えるところとなりました。 ただし、その武勇を惜しむ声により、死一等を減じられて伊豆大島に流罪となりました。 きのうの威とはうって変わったきょうの悲運、為朝は流人の島から「わが弓勢昔に変らずや」と、 鎌倉に向かって矢を放ち、せめてものうさ晴らしをしたと伝えられていますが、 その矢が誤ってここに落ち、その矢の立ったこの地点から泉がこんこんと湧きでて井戸となったので、 矢の根井戸と呼ばれるようになったと伝えられています。
 (三浦市)
矢の根井戸の前を左折して木板が敷かれた細い道を進んでいくと海辺に出ます。 波打ち際へと進んでいくと関東ふれあいの道の道標が立っていて、 右手の道は「江奈湾へ1.5km」、左手の道は「剱崎へ0.2km」、 今降ってきた道は「剱崎燈台へ(登る)300m」となっています。 当初はここから海沿いの岩礁を江奈湾まで歩いていく予定にしていたのですが、 満潮が近くて波も高い日だったので諦めて、剱崎灯台のある岬をひと巡りしてから家路に着くことにしました。 道標「剱崎」に従って左手に続く岩場を進んでいきます。
剱崎
崖際にある小さな鳥居と石祠を過ぎていきます。 海の方には小山のような大岩がふたつ並んでいます。 歩きやすい岩畳になった磯を進んでいくと、 崖際に「かながわの景勝50選 剱崎」と刻まれた石碑が立っていました。 その脇には剱崎の由来を記した解説板も設置されていました。
(写真は岩場の先の方から振り返って写したものです)
剱崎の由来
剱崎の名の起りは、徳川時代の菓治年間であるといわれている。 幕府の官材を積んだ五百石船が、この沖で暴風のため難破し、木材もろとも船は海底に沈んだ。 そこで海南神社の神主が海に剣を投じて龍神の怒りを鎮めてもらおうと祈ると、 すぐに風波が静まり、沈んだ官の木材がことごとく浮び出たという。 それをくり船で磯に運んだという。 これにより、この地を剱崎というようになったと伝えられている。 また、断崖の上に立つ灯台は、明治4年に点灯、震災で破損後、 大正15年に再建され、千葉県野島崎灯台とともに東京湾の重要な灯台です。
 (環境省、神奈川県)
剱崎は岩場が海の方へと広がっています。 この時は満潮が近い時間帯でしたが、海水のない所を選んで行ける所まで歩いていきました。 白波が岩に激しく打ち寄せてドーンという音を立てて砕け散っていました。 海が少し荒れ始めたようですが、磯辺では海釣りをしている人を見かけたりもしました。 振り返ると、剱崎灯台のある岬が一望できる眺めが広がっていました。
浜辺3
「かながわの景勝50選」の石碑を過ぎてその先へと岩場を進んでいくと、こじんまりとした砂浜がありました。 岩場も少しあったりして子供達の絶好の遊び場になっているようでした。 この時も家族連れが何組かやってきていました。 この季節にしては気温が高い日だったこともあってか、 小学生と思われる兄と幼い妹が一糸まとわぬ姿になって岩場で遊んでいました。 この浜がかなり気に入ったようで、「ここが一番好き」とか親に言っているのが聞こえてきたりもしました。 岩場の袂には関東ふれあいの道の道標が立っていて、 正面の道は「間口漁港0.4km」、今来た道は「剱崎0.1km」となっていました。 陸側には自動車が何台か止まっていました。 高台からこの浜へ降ってくる道があるようです。
「海のルールのお知らせ」の看板の脇から続く土の道を緩やかに登っていくと、すぐに舗装された道になってきます。 畑地などを過ぎて道なりに高台へと向っていきます。 山に突き当たって、山際に続く傾斜の増した坂道を右手へと登っていくと、程なくして高台の上に出ます。 剱崎灯台への道を左手に見送っていくと、少し登り坂になる所から左手へ分かれていく道があります。 その道も見送っていくと、すぐに間口漁港から迂回してきた道との合流地点に戻ってきます。 そこを直進していくと、右手へと曲がっていく所に駐車場とちょっとした休憩所があります。 駐車場を過ぎて、高台の畑地に続く緩やかな農道を進んでいきます。 左右にコンクリート舗装された道が分かれていたりもしますが、舗装道路を道なりに進んでいきます。 振り返ると、高台のキャベツ畑の向こうには、剱崎無線方位信号所や剱崎灯台が小さく見えていました。
剱崎(つるぎざき)バス停
右手から来る道(松輪漁村センターの所から分かれてくる道)を合わせていくと、 右手へ曲がっていく所から二車線の道路になってきます。 道なりに道路を進んでいくと県道215号に出ます。 その右手100mほどの所に剱崎バス停があります。 浜辺から20分ほどで到着しました。
三浦海岸駅(京浜急行久里浜線)まで、[海34][海35]三浦海岸駅行きバスにて20分、 1時間に2本程度の便があります。