鷹落場
散策:2007年03月中旬
【低山ハイク】 鷹落場
概 要 鷹落場は箱根連山と丹沢山塊に挟まれた所に聳える山です。 この辺りでは矢倉岳に次ぐ標高がありますが、地形図にも名前が載っていない静かな山です。 尾根筋からは丹沢や富士山も望むことができます。 今回は酒水の滝から21世紀の森を経て山伏平へ登り、矢倉岳まで往復してから鷹落場へと向っていきます。
起 点 山北町 山北駅
終 点 山北町 山北駅
ルート 山北駅…足柄橋…常実坊…酒水の滝…林道分岐…テレビ塔分岐…森林館分岐…セントラル広場…展望所…防災無線塔…浜居場城跡…694m峰…21世紀の森分岐…山伏平…矢倉岳…山伏平…鷹落場分岐…鷹落場…押立山…大窪…鳥手山…近野山分岐…林道終点…瀬戸分岐…山道分岐…瀬戸地区…安戸隧道…山北駅
所要時間 7時間40分
歩いて... 少し雲が浮かんではいたものの、矢倉岳や鷹落場の尾根からは冠雪した綺麗な姿の富士山を望むことができました。 山伏平から林道へ出るまでの間はハイキングコースとして整備されている訳ではありませんが、 テープやペンキで樹木に目印が付けられているので、それを頼りに歩いていけます。 方向を確認するためにも磁石を持参した方がいいようです。 また草に覆われてしまうと踏み跡が分かり難くなってしまうので、夏草が生い茂る季節は避けた方が無難です。
関連メモ 酒水の滝, 矢倉岳, 矢倉岳, 鷹落場, 矢倉岳
コース紹介
山北(やまきた)駅
山北駅(JR御殿場線)から歩いていきます。
改札口を出て左手に続く山北駅前大通りを進んでいきます。 山北町商工会館のある十字路を「←河村城址」の矢印に従って左折していきます。 すぐに突き当たるので右折して、左下を走る御殿場線の線路に沿って真っ直ぐに進んでいきます。
山北橋
線路沿いに1分ほど進んでいくと細い橋が架かっています。 角にある看板や道標「河村城址」がその橋を指していますが、 今回は道標「酒水の滝・大野山」に従って線路沿いの道を更に直進していきます。 中橋人通橋を見送って真っ直ぐに進んでいくと、 山北駅から10分ほどで山北橋バス停がある県道76号に出ます。 角に立つ道標「酒水の滝1.5km・大野山5.2km」に従って、 左手に架かる山北橋側道橋を渡って県道を進んでいきます。
樋口橋バス停
国道246号を掠めていくと、皆瀬川に架かる樋口橋を渡った先に樋口橋バス停があります。 横断歩道を渡った所に「川村土功之碑」があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。 皆瀬川の治水工事で功績のあった方なのだそうです。 バス停の手前から左手へと降っていく道が分かれています。 「酒水の滝へ 歩道」の看板や「酒水の滝」の道標がその道を指しています。 このまま県道を進んで国道246号を横断してもいいのですが、 今回は左手の道を通って国道の下をくぐっていきます。
川村土功之碑
碑は、明治26年7月建立、大磯の漢学者伊藤希元氏が撰文、裏面に発起人6人、賛成人89人の 氏名が刻まれている。元禄16年(1703)の大地震、宝永4年(1707)の富士の噴火で山北地方潰滅状態に陥った。 その救済・訴願に鈴木、湯山両名主の働きは言語に絶した。 湯山氏は訴願を重ね、皆瀬川の瀬替が実現した。しかし、その為水不足が生じ、 堅岩に斧さくして川入堰が完成、また幕府の許可で川村関所遣水・付堰の御普請も成った。 瀬替より70年後の安永8年(1779)瀬戸堰工事開始、寛政年間に岸村分水も成り、水田造成も一段と進んだ。 今堅岩に斧さくの跡を見、酒匂川左岸に遺る素堀・取水口も移り、 皆瀬川を渡る大架槽も堅固な鉄管に変わり、それ等の堰を流れる水は、山北の灌漑・生活用水として利用されている。 湯山氏祖孫七世、140余年に亘り災害復旧に、灌漑用水の整備に心血を注いだこの工事が いかに困難を極めたかを知ると同時に、その恩澤を永久に記念する為、川村土功之碑が建立された。
 (山北町教育委員会)
足柄橋
国道246号の下をくぐって坂道を登っていくと、国道から分かれてきた県道726号に出ます。 その先には酒匂川に架かる大きな足柄橋があります。 酒匂川の流れなどを眺めながら足柄橋を渡っていきます。
足柄橋について
この橋は古くは木造の吊橋でした。 昭和24年(1949)には鋼製のワーレン式トラス橋となり、その後40年以上経過して老朽化が進み、 交通量の増加や車輌の大型化により、平成11年(1999)に架け替えられました。 新しい橋は、橋長125mの本橋と130mの取付け橋から成り、川に架かる部分は、 周囲の地形や景観との調和をはかるため、アーチ型の中路式鋼ローゼ橋を採用しました。 橋梁は、夜間の照明により、近くにある「酒水の滝」の水が飛び散るイメージを演出するなど、 地域の新たなシンボルとしての役割を担っております。
周辺の史跡
山北町は古くから「河村郷」と呼ばれ、江戸時代には相模国に属し、大井庄川村山北、苅野庄平山村など14か村に分かれていました。 当時は近くに、駿河・甲斐への奥山家古道が開かれて、東海道の箱根関所の裏関所として「川村関所」が置かれました。 元禄16年(1703)の大地震による土砂崩れと宝永4年(1707)の富士山の大噴火による降灰で、皆瀬川が氾濫をくりかえし、 瀬替えをするため「山を堀割る」治水工事が行われました。 のちにその功績を後世に伝えるため、「川村土砂功之碑」が建てられました。
 (神奈川県松田土木事務所)
足柄橋バス停松田警察署共和駐在所平山バス停(酒水の滝入口)と過ぎていくと、 滝沢川に架かる短い橋を渡った所に大きな「酒水の滝」の看板が立っていて、右手の道を指しています。 看板に従って右折して、滝沢川沿いに進んでいきます。 左手にある「みっちゃん食堂」を見送って酒水橋の脇に架かる茶色に舗装された小橋を渡っていきます。 木肌の残る看板には「全国名水百選 酒水の滝 散策道入口 徒歩10分」と書かれています。 川沿いの散策道の側には薄紫色の花や黄色い菜の花などが咲いていました。
砂防指定地 滝沢川
この土地の区域内において掘さく、盛土、立木の伐採、その他一定の行為をする場合は、 神奈川県知事の許可が必要です。
酒水の滝分岐
小橋を渡って滝沢川の右岸を緩やかに登っていくと、右手からきた車道から伸びる橋の袂に出ます。 その左手のすぐ先の所に分岐があります。 角に立つ道標によると、正面の道は「酒水の滝」、左手の道は「21世紀の森」となっています。 脇には「やまきた観光案内」と題した大きな看板があって、この付近の案内図が載っているので参考にしましょう。 21世紀の森へ向う前に、先ずは酒水の滝まで往復してきましょう。
常実坊
酒水の滝への道には茶店や売店などが幾つか建っていますが、朝早めの時刻だったのでまだ開店していませんでした。 1分ほど進んでいくと、左手に幅の広い階段があります。 脇には「丹沢山別院最勝寺」と刻まれた標石が立っています。 階段を登っていくと広い境内の先に最勝寺の本堂があります。 その手前には風車のようなものを持ったお地蔵さんが無数に並んでいました。 最勝寺の右手の赤い橋の先には不動尊常実坊があります。 これからの散策の安全をお祈りしていきましょう。
平山酒水の滝不動尊常実坊
酒水の滝傍にあり滝堂とも呼ぶ。 龍王山誓源寺と号し天台宗なり。 古くは平山原480にあり、明治21年頃、平山の住人古瀬喜作氏の寄進である現在地に建立さる。 往昔、文覚上人百日の荒行をなせし時の御作、不動明王を安置すと伝う。 これより酒水の滝不動尊と呼ぶようになり。 霊験あらたかにして足柄地域はもとより、遠く京浜地域までその信者多く集うようになる。 明治2_年6月、時の大僧正、桜井敬徳、元老院議官、町田久成氏の紹介により、 滋賀県大津の円城寺(三井寺)の山中より常実坊を遷座奉る。 これより平山酒水の滝不動尊常実坊と呼ぶようになる。 …(以下略)
山北町指定重要文化財 春日舎利厨子附不動明王両脇侍童子像
常実坊の本尊不動明王を納める春日厨子は、明治21年に滋賀県の三井寺から招来されたもので、 間口、奥行ともに二尺(約60cm)の中型春日厨子で、背面を除く三面を観音開きの板扉とし、 内部には春日宮曼荼羅および法相八祖図が描かれている。 外部は黒漆塗仕上げで細部の覆輪面等には朱漆を施すとともに床も漆仕上げであり、 扉、長押には鍍金の金具が打たれている。 内壁すべてに板絵が描かれており、図柄としては、背面板絵の上部に春日宮曼荼羅、 下部には仏舎利を納めた三面宝珠を中心として、その周りに四十八の五輪塔が整然と描かれている。 この構成は春日厨子としては極めて異例なことで、本厨子絵の最も特徴的なことである。 制作年代は建築などの様式年代からおよそ十四世紀末頃と考えられる。 県内で室町朝までさかのぼる完形に近い春日厨子は大変貴重な存在である。 不動明王両脇侍童子像は同じ岩座上にあり、背部に大きな火焔光背を背負っている。 不動明王像は、面相はふくよかな丸顔で、両目を見開き下向きの牙を見せる相で、 その表情は不動明王としてはまことに穏やかで、洗練された作風から近世前期(17世紀)頃の制作と考えられる。 両脇侍童子のうち矜羯羅童子像は、作風的に不動像と共通する洗練性があり、同時代の作と思われるが、 制咤伽童子像は別作で、時代の下る補作と思われる。 しかしながら、本不動三尊像は鎌倉彫刻に範をとった技量の高い近世彫刻として評価されている。
 (山北町教育委員会)
常実坊の右手の坂道を降って先ほどの道へ合流して、その先へと進んでいきます。 茶房を過ぎていくと「名水百選 酒水の滝」の標柱が立っていて、その脇には水が流れ出ていました。 「酒水泉 此の水は岩清水です」と書かれた板もありました。 「この水は消毒してありません」との注意書きがあったので飲むのは止めておきましたが、 側には柄杓が幾つか置いてあったので飲めるということなのでしょう。 この時には大きなポリ容器に水を汲んで持って帰る人も見かけました。
名水百選認定書
名水の名称 酒水の滝・滝沢川
所在地 神奈川県足柄上郡山北町
右は水環境の保全状況が極めて優良であるため、ここに「名水百選」の一つとして認定します。
 (環境庁水質保全局長)
酒水の滝
名水百選の碑から先は先年に起きた崖崩れのために通行止めになっています。 赤い橋の奥の方には岩壁から流れ落ちる酒水の滝が見えていましたが、 通行止めで側までは行けないので、遠くからズープアップして写しました。 三段になって流れ落ちていて、ここから見えているのは69mほどの高さがある「一の滝」のようです。 この酒水の滝は「かながわの景勝50選」にも選ばれていて、関東屈指の名瀑とのことです。
注意書きには「昨年」となっていますが、何年なのかは不明です。 2006年6月にはすでに通行止めになっていたので、少なくとも2005年の夏か、それよりも前からということになります。 復旧作業がはかどらないのか、かなり長い間通行止めになっているようです。
神奈川県指定名勝 酒水の滝
洒水の滝は足柄上郡山北町にあって、平山の滝、又は灑水の滝といわれていたが、いまは一般に洒水の滝と呼ばれている。 その水源は西北を限る800メートル及び500メートルの連嶺の東南方山地の水を集めて流れるものである。 附近一帯の地質はよく磨かれた大小の礫を含む礫岩層で第三紀の足柄層と呼ばれている。 この足柄層の隆起に伴って生じた裂線を浸蝕する瀑流が、 標高300メートルから200メートル位の間で三段の瀑布となっている。 その高さは三の滝29.7メートル、二の滝16メートル、一の滝69.3メートルあって、以下滝沢川となって酒匂川に合流する。 浸蝕谷の入口平山から滝壷までの間には礫岩層が至る所に横たわって滝沢川不断の浸蝕によって滝口が後退し、 現在の絶壁に東面してかかっている滝は関東屈指の名爆である。
 (神奈川県教育委員会)
日本の滝百選 洒水の滝
森と水と山の国日本には、いたるところに名爆があります。 深緑の断崖から落下する純白の滝を先人たちは「神」とあがめ、 かけがえのないふるさとの遺産として残してくれました。 その清く尊い御地の滝が、全国から公募した「日本の滝百選」の 一つに撰ばれました。美しい日本の自然を象徴するこの名爆が いつまでも汚れることなく、子孫に継承されるよう祈念いたします。
 (緑の文明学会、グリーンルネッサンス、緑の地球防衛基地)
 (後援 環境庁、林野庁)
お願い
昨年、この先で大規模な落石があり、調査の結果周辺の山肌が非常に危険な状況であることがわかりました。 そのため、これより先への進入は固くご遠慮いただいております。 現在、安全確保のための方策を各方面と調査、検討中ですので何卒、事情をご理解いただきご協力をお願いいたします。 観光客の皆様には大変ご迷惑をお掛けしますが、皆様の安全を第一と考えますので、 よろしくご協力いただきますよう重ねてお願いいたします。
 (山北町、平山自治会)
先ほどの酒水の滝分岐まで引き返して、道標「21世紀の森」に従って舗装された道を進んでいきます。 林道になっているのか、車が通っていけるだけの道幅はあるようでした。 2分ほどして右手に大きく曲がっていくと、石垣に沿って竹林が続くようになります。 やがて植林帯へと入っていくと、酒水の滝分岐から7分ほどの所に作業小屋が建っています。 ここで道が二手に分かれています。 右手の道もかなり広くなっていますが車止めがしてありました。 ここは左手へと折れ曲がって登っていく舗装道路を進んでいきます。
坂道を登って植林帯を抜けていくと、 左手の樹木が途切れて丹沢の山々を一望できる眺めが広がる所がありました。 方角からすると大野山から高松山にかけての山並みでしょうか。 左手の方には山頂付近の樹木がなくなって広々とした感じの山も見えていました。 山頂が牧場になっている大野山だろうと思われます。 右手へ折れ曲がって更に進んでいくと、谷底には先ほど訪ねた酒水の滝が見えていて、 流れ落ちる水音も聞こえていました。
作業小屋を過ぎて左手へと折れ曲がっていきます。 植林帯を抜けて左手に広がる山並みを眺めながら更に進んでいきます。 右・左と折れ曲がって舗装道路を更に登っていくと、 作業小屋を過ぎた所に足柄上消防組合の設置する「山火事用心!」の標識が立っています。 酒水の滝分岐から23分ほどの所になります。 舗装道路はここで終わりになって、これからは道幅も少し狭まった土の山道になります。 標識の前を過ぎて右手へと曲がっていきます。
林道分岐
竹混じりの植林帯を登っていくと、左手から右手へと緩やかに登っていく広めの土の道に出ます。 先ほどの標識から4分ほどの所になります。 正面に道標が立っていて、右手の道は「21世紀の森→」となっていて、 マジックで「30分」と書き込まれていました。 左手にも広めの道が続いていましたが、道標には何も示されてはいませんでした。 林道にでもなっているのでしょうか、小型車なら通っていけるほどの道幅があります。 ここは道標に従って、右手に続く緩やかな広い道を進んでいきます。
手元の地形図によると、 酒水の滝分岐から南方向へジグザグに曲がりながら延びている実線の道が先ほど歩いてきた舗装道路で、 そこから少しの所にあるこの分岐は、その実線の道の途中から破線で分かれていく地点になるようです。 地形図では舗装道路がそのまま南へと続いているように見えますが、 実際には途中に4分ほどの山道の区間があって地形図とは少し様子が違っています。
樹間から時々覗く山北町などの景色を眺めたりしながら、緩やかな道を進んでいきます。 「神奈川県森林公社分収造林地」や「水源の森林づくり契約地」の看板を過ぎていくと、 林道分岐から14分ほどの所で、細めの道が右手へと分かれていきます。 角に立つ古びた道標によると、正面の道は「足柄峠3時間5分」、 今来た道は「酒水の滝50分」となっていて、右手に分かれていく道は何も示されてはいません。 ここは正面へと続く広い土の道を進んでいきます。
道標は無言の案内人 落書などはやめよう
 (神奈川県、神奈川県観光協会)
道標の文字を故意に消すような落書きはよくありませんが、 情報を補足するような書き込みはハイカーにとっては役立つことが多々あります。 行き先や所要時間を書き込んだものをよく見かけますが、 相当に健脚な人だけにしか当てはまらないようなルートや時間ではなく、 普通の人が普通に歩けるような内容であることを願うばかりです。
テレビ塔分岐
道幅が少し狭まって傾斜の増してくる坂道を登っていきます。 5分ほどして傾斜が緩やかになった植林帯を進むようになると分岐があります。 林道分岐から20分ほどの所になります。 角に立つ道標によると、左手へ分かれて登っていく道は「テレビ塔」、 正面に続く緩やかな道は「セントラル広場」、今歩いてきた道は「酒水の滝」となっています。 道標にマジックで書き込みされた情報によると、テレビ塔まで15分、セントラル広場まで30分となっていました。 道標の脇には「神奈川県立 21世紀の森」と書かれた看板が設置されていました。 この辺りからが21世紀の森になるようです。 今回は21世紀の森の散策が目的ではないので、セントラル広場を目指して正面の道を進んでいきます。
みんなの緑を大切に
ごみは持ち帰りましょう
手元の地形図によると、この地点は531.4m峰から北西に伸びる浅い谷筋の辺りになるようです。
森林館分岐
等高線に沿うようにして斜面に続く広めの土の道を進んでいきます。 セントラル広場にあった案内板によると、この道は滝脇林道というようです。 常緑樹の生い茂る所を過ぎて再び植林帯になってくると、 先ほどのテレビ塔分岐から5分ほどの所に、谷側と山側が石垣になった分岐があります。 角に立つ道標によると、左手の植林帯へ登っていく山道は「森林館」、 右手へと曲がっていく緩やかな道は「セントラル広場」となっています。 別の道標も立っていて、右手へと曲がっていく道は「21世紀の森・矢倉岳・足柄万葉公園」となっていました。 ここでもセントラル広場を目指して右手へと続く緩やかな道を進んでいきます。
細久保林道
次第に道幅が広がってきて、自動車が楽に通っていける程の幅になってきます。 左手に石垣が続くようになると、右手の谷向いに山が幾つも見えるようになります。 今回の目的地である鷹落場から鳥手山へと続く尾根のようです。 鎖が横に渡されていて車止めのようになっている所を過ぎていくと、 森林館分岐から13分ほどで舗装道路に出ました。 正面に立つ道標によると、左手へと続く道路は「森林館・セントラル広場」となっています。 右手にも道が続いていましたが、少し先で「この先行き止まり」の札が立っていて、行き止まりになっていました。 ここは左手へと緩やかに登っていく舗装道路を進んでいきます。 セントラル広場にあった案内板によると、この道は細久保林道というようです。
(写真は道路の右手から左手を向いて写したものです)
手元の地形図によると、 この地点は560m峰の西側の少し南にある所で、広めの道と破線の道が合流している地点になるようです。
広くて緩やかな舗装道路を4分ほど進んでいくと、右手へと曲がっていく角の手前から右手の植林帯へ登っていく横木の階段があります。 脇に立つ道標「セントラル広場」がその道を指しています。 このまま舗装道路を進んでいってもセントラル広場に着くようにも思えましたが、 ここは道標に従って、右手の横木の階段を登っていきました。 横木の階段をひと登りして植林帯の中を登っていくと、左右に通る緩やかな道に出ます。 左手には「生産の森」の看板が立っていましたが行き止まりになっていました。 道標などは見かけませんでしたが、右手へと続く緩やかな山道を進んでいきます。 植林帯を抜けて少し降り気味になった道を進んでいくと浅い鞍部に着きます。 そこから少し傾斜の増した登り道を進んでいきます。 大きく左・右と曲がって登っていって次第に雑木が混じるようになると、 舗装道路から8分ほどで小広くなった所に着きます。 道標「セントラル広場」に従ってその先へと進んでいくと、すぐに道が二手に分かれています。 左手の道を進んでいくと1分ほどで舗装道路に出てセントラル広場へと続いていますが、 今回は正面の道を更に進んでいきました。
セントラル広場
植林帯に続く緩やかな道を3分ほど進んでいくと、 広くなった21世紀の森セントラル広場に着きます。 林道分岐から55分ほど、酒水の滝分岐から1時間25分ほどで到着しました。 広場には東屋が一つとベンチが幾つか設置されています。 急登の所はありませんでしたがかなり歩いてきたので、ベンチに腰を下ろしてひと休みしていきました。 広場には「21世紀の森 施設のご案内」や「21世紀の森ごあんない」と題した大きな案内板が設置されているので参考にしましょう。 21世紀の森の面積は107haで、標高は230m〜650mとのことです。
手元の地形図によると、ここは606m峰の北東側で、破線の道が二手に分かれている辺りになるようです。
かながわ水源の森林づくり
森林から流れだす水は、私たちだけではく、多くの生き物をはぐくむ命の水となっています。 県では、森林を森林所有者や県民のご協力を得ながら、保水機能の高い豊かな森林に整備する 「水源の森林づくり」事業を行っています。
1 森林は緑のダム
森林に降った雨は、森林が作り出したやわらかい土にしみこんで蓄えられ、ゆっくりと時間をかけて徐々に、 しかも絶えず湧き水や沢の水となって流れだします。 森林は、このような働きをすることから緑のダムと呼ばれています。
2 水源の森林づくり
「水源の森林づくり」は、私たちの生活に欠かすことのできない良質な水を安定的に確保するため、 水源地域の森林を保水機能の高い100年生以上の巨木林、高い木と低い木から複属林、 針葉樹と広葉樹が混じった混交林、そして活力のある広葉樹林に整備していきます。 また、「水源の森林づくり」は、森林ボランティア活動への参加や寄付など、 県民の皆さんの参加と協力をいただきながら進めています。
 (神奈川県水源の森林推進室、地区行政センター、農政事務所森林保全課、かながわ森林づくり公社)
ひと休みしたら、セントラル広場から浜居場城跡へと向っていきます。 広場の奥へ進んでいくと道が三方に分かれています。 脇に立つ道標によると、右手の広くて緩やかな道は「山伏平50分」となっています。 浜居場城跡へは真ん中の簡易舗装された坂道を登っていくのですが、 その前に左手のすぐ先にある展望所まで往復してきましょう。
保安林区域図
保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県足柄上地区行政センター農林部林政課)
つけた火は ちゃんと消すまで あなたの火
あなたです 山を守るも 火を出すも
 (南足柄市消防本部)
展望所
左手の緩やかに降る疎林への道を進んでいくと、すぐに道が二手に分かれています。 角に立つ道標「展望所」に従って右手の道を進んでいきます。 木片チップが敷き詰められていてフワフワとして感じのいい道を登り気味に進んでいきます。 緩やかな道を1分ほど進んだ所に「展望所」の標柱が立っていて、そのすぐ先にベンチが一つ設置されています。 小田原から国府津にかけてでしょうか、平野部には街並みが続き、その奥には相模湾が広がっていました。
防災無線塔
セントラル広場まで引き返して、真ん中の坂道を登っていきます。 簡易舗装されているのはいいのですが、かなり傾斜があっったりします。 道幅は広くて、自動車が通っていける程度はあるようでした。 植林帯の中に続く坂道を5分ほど登って傾斜が緩やかになった所に電波塔が立っています。 名前などは確認できませんでしたが、セントラル広場にあった案内板によると防災無線塔とのことです。 その先には、両側の樹木に黒色と黄色のトラロープが渡されていて通行止めのようになっていました。 車止めと解釈して、その先へと進んでいきます。 この先からは土の道になりますが、引き続き道幅はかなり広くなっています。
浜居場城跡
植林帯に続く広い道を1分ほど進んでいくと、道が二手に分かれています。 どちらへ行ったものかと辺りを見回してみても道標類はありませんでしたが、今回は左手の道を進んでいきました。 かなり傾斜があって脹脛が痛くなってきます。 休み休みゆっくりと登っていくと、防災無線塔から10分ほどで緩やかな道になってきます。 ここが山頂かと思えるなだらかな所まで来ると「史蹟 浜居場城趾」の標柱が立っています。 道の左手10mほどの所に案内板らしいものが見えたので行ってみると浜居場城跡の解説板でした。 どういう訳か、解説板は外側を向いて設置されていました。 読めなくなっている部分もかなりありましたが、読める範囲でその内容を載せておきます。 ただ解説板があるだけで、城跡を思わせるような遺構は見られませんでした。 ベンチも二つほど設置されていますが、周りは樹木に囲まれていて展望は得られません。
手元の地形図によると、 この地点は606m峰と694m峰の間にあるなだらかな高みの丁度真ん中辺りになるようです。
浜居場城跡
はまいばの地名は古代の占いに起源しており、神事や占いごとに関係した場所をいいます。 ここに城塞が出来たのは1495年大森氏によって築かれたが、北条早雲の・・・き 敗走した大森一族がここに立籠り戦った場所でもあります。 その後北条氏の筆頭家老であった松田氏の家臣、小沢孫七郎がこの城を守りました。 この左下内山集落に末裔の小沢家が現存しています。 又この浜居場城・・・足柄城は1563年、武田信玄の戦力に対応するため、 北条氏はここを重要な城・・・った訳です。 普請に係る古文書や掟が残されてます。
694m峰
浜居場城跡から先ほどの広めの道まで引き返して、その先へと進んでいきます。 最初は緩やかな降り道ですが、次第に傾斜の増した降り坂になってきます。 5分ほどで鞍部に着くと、左手が開けていて展望が得られました。 道幅が広いのは鞍部の手前までで、それから先は狭くなった山道になります。 鞍部から植林帯に続く古びた横木の階段を登っていきます。 かなり傾斜があって息が切れたりもするのでゆっくりと登っていくと、2分ほどで小ピークに着きます。 手元の地形図にある694m峰にあたるものと思われます。 左手が開けていて、国府津辺りの街並みや、明神ヶ岳と思われる箱根外輪山の山並みが広がっていました。
21世紀の森分岐
ピークを越えて少し右手へと降っていきます。 植林帯の尾根を2分ほど降っていくと、右手から道が合流してきます。 角に立つ道標によると、右手の道は「21世紀の森・酒水の滝」、 正面の道は「矢倉岳・足柄万葉公園」、今降ってきた道は「21世紀の森・酒水の滝 浜居場城跡経由」となっています。 少し先には壊れかけた丸太のベンチがあり、側には道標が立っています。 それによると、右手の道は「酒水の滝方面 約70〜80分」、 正面の道は「矢倉岳へ 約35分〜50分」となっています。 右手から登ってきて正面へと続く道は、セントラル広場から道標「山伏平」の指す右手の道から続く道になります。 ここは矢倉岳を目指して、広くなった正面の尾根道を進んでいきます。
(今回はここから矢倉岳まで40分ほどかかりました)
沢出合
広くてよく踏まれた尾根道を進んでいきます。 起伏もそれ程なくて歩きやすい道が続きます。 緩やかな尾根道を10分ほど進んでいくと、右手へと傾斜の増した細い降り道になります。 小さな涸れ沢を過ぎて岩を越えていくと、右下に沢が見えてきます。 「←酒水の滝2時間20分・足柄峠1時間15分→」の道標を過ぎていくと、尾根から2分ほどで沢筋に着きます。 右と左からくる二つの沢が合流している所ですが、水は僅かしか流れていません。 涸れ沢を渡った所にも道標が立っていて、 左右の沢の間にある尾根道は「矢倉岳・足柄万葉公園」、今来た道は「酒水の滝」となっています。 道標に従って、左右の沢の間にある尾根道を登っていきます。 最初のうちはV字形に抉れていますが、3分も登っていくと普通の尾根道になってきます。
山伏平
V字形の抉れがなくなってくると、傾斜も緩やかになって道幅も広がり、ぐっと歩きやすくなってきます。 植林帯に続く道を緩やかに登って、道標「矢倉岳・足柄万葉公園」を過ぎていきます。 左手に青緑の金網が続く道を進んでいくと、沢出合から10分ほどで分岐があります。 角に立つ道標によると、正面に降っていく道は「万葉公園・足柄峠」、 左手に登っていく道は「矢倉岳」、今来た道は「21世紀の森・酒水の滝」となっています。 また、左手の方には壊れかけた道標があって、「矢倉岳ハイキングコース・山伏平ハイキングコース」となっています。 この場所を示す標識は見当たりませんでしたが、ここが山伏平という所のようです。 セントラル広場から50分ほどで到着しました。 「・・平」という名前からは開けてなだらかな場所を想像しますが、そんな感じの所ではありません。 今回の目的地である鷹落場は正面の道を進んでいくのですが、 今回はここから矢倉岳の山頂まで往復してくることにしました。
鹿避け柵沿いに続く尾根道を緩やかに登っていきます。 3分ほどで鹿避け柵から離れて雑木林の尾根道を登るようになると、少し傾斜が増してきます。 根元から枝分かれした樹木の生えた所を過ぎていくと、横木の階段が始まります。 途中で階段が途切れて見晴らしのいい所もあったりしますが、 展望を楽しむのは山頂に着いてからということにして、 横木の階段が途切れ途切れに続く尾根道を更に登っていきます。 急傾斜というほどではないにしても結構息が切れてきます。 休み休み登っていきます。 この時には前夜の冷え込みで出来た霜柱が日差しで融け出したようで、道はぬかるんでいました。 滑って転ばないよう気をつけながらゆっくりと登っていきました。
矢倉岳 (標高870m)
横木の階段を登って「水源の森林」の標識を過ぎて緩やかになった道を進んでいくと、 坂道の先で急に目の前が開けて矢倉岳の山頂に着きます。 山伏平から18分ほどで到着しました。 山頂には「矢倉岳頂上 標高870米」の標柱が立っています。 小さな石の祠などもある山頂は広い草原状になっていて、すでに多くのハイカーが登ってきていました。
神奈川県「水源の森林づくり」契約地(水源協定林)
水資源を大切にしましょう。
 (神奈川県農政部水源の森林推進室、神奈川県足柄上地区行政センター森林保全課)
先ずは木組みの見晴台に登って、素晴らしい眺めを満喫しましょう。 階段が付いていないので落ちないように注意しながら台の上に登ると、 北側が少し樹木で隠れているものの、270度ほどの展望が広がっています。 この時は天候に恵まれて 北東には丹沢山塊が、南東から南西にかけては箱根外輪山が、西側には裾野まで広がる富士山が望めました。 少し雲が浮かんでいましたが、しばらく待っていると流れていって、 冠雪した綺麗な姿の富士山を望むことができました。 丁度昼時になったので、景色を眺めながら昼食タイムにしました。
矢倉岳見晴台
気をつけてお登り下さい。 責任は負いかねます。
 (南足柄ライオンズクラブ)
山伏平
矢倉岳の山頂に立つ道標によると、正面へ降っていく道は「矢倉沢80分」、 今登ってきた道は「足柄峠60分」となっていますが、 今回は矢倉岳から山伏平まで引き返して鷹落場へと向っていきます。 先ほど登ってきた尾根道を降っていきます。 息を切らせながら登った時にはかなり傾斜があると感じましたが、 降りではそれほどの傾斜を感じることもなく軽快に降っていけます。 この時には道がぬかるんでいたので滑らないよう気をつけながら慎重に降っていきました。 正面に富士山を眺めながら13分ほど降っていくと山伏平に着きました。 ここから道標「万葉公園・足柄峠」に従って左手の道を降っていくと、 5mほどの所に道標が立っていて、左手へ曲がって降っていく道は「足柄峠・地蔵堂」となっています。 その脇から右手へと降っていく細い尾根道が分かれていきます。 道標などはありませんが、この右手の道が鷹落場へと続く尾根の入口になります。
道標の脇から続く小道を右手へと降っていきます。 多少のアップダウンはあるものの、息が切れるほどの急傾斜の所はありません。 1分ほど降っていくと浅い鞍部に着きます。そこから緩やかに登っていきます。 ハイキングコースとして整備された道ではないので道標などは設置されていませんが、 踏み跡もしっかりとしているし、要所要所には樹木の幹や枝に桃色テープや赤ペンキで目印が付けられているので、 それを頼りにして尾根に沿って進んでいけば大丈夫です。 最近にハイキング大会でもあったのか、かなり短い間隔でテープが付けられていました。 中には「←タカオチバ」と書かれたテープもあったりしました。 これほど点々と付けられていると、迷う心配などまったくありません。 山伏平から8分ほど進んでこんもりとした高みの辺りまでくると、根元から枝分れした樹木が茂るようになります。
根元から枝分れした樹木の茂る尾根道は5分ほどで終りになります。 冬枯れの季節とあって、足元の踏み跡はしっかりと確認でしました。 更に2分ほど進んでいくと、道の右手には熊笹が生い茂るようになります。 熊笹の脇を過ぎて冬枯れの雑木林に続く緩やかな尾根道を進んでいきます。 浅い鞍部を過ぎて登り返していくと、道の両側に熊笹の生い茂る道が4分ほど続きます。
鷹落場分岐
熊笹の生い茂る道を抜けて雑木林の尾根を更に進んでいきます。 広くなった冬枯れの尾根を緩やかに登っていくと、熊笹が終ってから10分ほどでなだらかな高みに着きます。 ここはT字路になっています。 角に生えている樹木に赤色や黄色のテープが巻きつけてあり、「タカオチバ→」と書き込まれていました。 尾根道はこの正面へと続いていますが、 ここを右手へ進んでいくと鷹落場の山頂があるので往復してきましょう。
鷹落場 (標高819.2m)
なだらかな道をほぼ真っ直ぐに1分ちょっと進んでいくと鷹落場の山頂に着きます。 山伏平から30分ほどで到着しました。 山頂には二等三角点が設置されています。 「大切にしよう三角点」の木柱・「水源の森林」の標柱や 「神奈川県水源の森林づくり契約地」の看板も設置されていて、 「鷹落場」の名前も載っていました。
前回来た時には見かけませんでしたが、 今回は看板の脇の樹木に「鷹落場」と書かれた板切れが括り付けられていました。 山頂の東側にも山道が降っていました。 かなりはっきりとした道になっていましたが、どこへ続いているのでしょうか。 また南側にも僅かな踏み跡がありましたが、歩く人がほとんどいないのか藪っぽい状態でした。
神奈川県「水源の森林づくり」契約地(水源協定林)
所 在 地南足柄市内山字鷹落場2945
土地所有者南足柄市・山北町・開成町・一部事業組合
森林整備者神奈川県
契 約 面 積9.63ヘクタール
水資源を大切にしましょう。
 (神奈川県環境農政部水源の森林推進課、神奈川県足柄上地区行政センター森林保全課)
基本測量 二等三角点 大切にしよう三角点
 (建設省国土地理院)
鷹落場の山頂の周りは樹木に囲まれていて展望は余り良くはありませんが、 北側の樹木越しには西丹沢の峰々と思われる山並みを見渡せました。 東側の下の方には松田辺りの街並みが広がり、その奥の山の向こうには大磯辺りと思われる街並みも見えていました。 また南へほんの少し降った所からは、樹木に邪魔をされながらも冠雪した富士山の頂きを望むことができました。
鷹落場はこの付近では矢倉岳(870m)に次いで2番目に高い山で、足柄平野からもよく見えるようです。 丹沢山塊と箱根連山に挟まれた所にあって、一般には余り知られた山ではないようです。 この一帯は万葉集の時代には「八重山」と呼ばれていたそうです。 現在では国土地理院の地形図には「鷹落場」の名はなく、 この山の少し北側にある「鳥手山(665m)」が記載されているだけです。
押立山
先ほどの鷹落場分岐まで引き返して、その先へと進んでいきます。 「水源の森林」の標柱を二つほど過ぎて雑木林の中を緩やかに降っていくと、 鷹落場の山頂から5分ほどで正面に植林帯が現れます。 少し右へ曲がって、雑木林と植林帯との間に続く道を更に降っていきます。 2分ほど降っていくと浅い鞍部に着きます。 軽く登り返していくと、すぐに左手の雑木林に赤いペンキで印が付けられた樹木が何本も生えています。 そこが鳥手山へと続く山道の入口になるので、見落とさないようにしましょう。
鞍部の先へ続く道をそのまま緩やかに登り返していくと、2分ほどでなだらかな高みに着きます。 そこが押立山になります。 手元の地形図によると標高770mほどはあるようで、鷹落場の北東350mほどの所に位置しています。 押立山の山頂から先は道がはっきりとはしなくなっています。
雑木林の斜面に続く山道を進んでいきます。 樹木に付けられた桃色テープや赤ペンキを目印にして進んでいきます。 尾根は東の方向へと伸びていますが、山道はしばらく東へ向ってから北の方角へと降っていきます。 そのまま東の方向へと続く踏み跡もありますが、あらぬ方へ行ってしまうので注意が必要です。 磁石で「北」へ向っていることを確かめて、 要所要所にある桃色テープやペンキの目印を確認しながら降っていくのがいいように思います。 雑木林の斜面に続く細い踏み跡を右・左と曲がりながら2分ほど降っていくと、小道が合流している所がありました。 角の樹木には「7」と書かれた白いゴムの板切れが赤いテープで付けられていました。 そこを過ぎて少し降っていくと道がはっきりとはしなくなってきます。 崩れやすい腐葉土の斜面を北へ向かって更に降っていくと、程なくして歩きやすい緩やかな尾根道になってきます。 幅の広い緩やかな尾根に続く雑木林を進んでいくと、西側には富士山が頭を覗かせていました。
緩やかな尾根を進んでいくと、押立山から12分ほどで尾根の先端部に着きます。 手元の地形図によると、押立山と鳥手山の中間辺りにある緩やかな肩になるようで、標高670mほどはあるようです。 正面にはこれから向かう鳥手山が聳えています。 その東側に続くようにして延びる高みは「立山」と呼ばれているようです。 それらの奥には丹沢の山並みが広がっていました。 ここから傾斜の増した坂道を降っていきます。
大窪
雑木林の中を数分降っていくと鞍部に着きます。 ここが大窪という所で、鳥手山の南西200mほどの所にある鞍部になります。 押立山から18分ほどで到着しました。 太めの樹木に「たき火・たばこに注意」の看板が括り付けてありました。 ハイカーのために設置されているのでしょうか、 一応は「道」として認められたルートを通っているように思えて、何だかホッとした気分になったりもします。 鞍部を過ぎてその先へと登り返していきます。
たき火・たばこに注意
 (神奈川県)
鳥手山 (標高665m)
右手の植林帯と左手の雑木林の間に続く道を登って笹竹の生い茂る中を抜けると、 大窪から3分ほどで植林帯へ入っていきます。 右手にあるこんもりとした高みが鳥手山になりますが、山道は山頂へとは続いておらず、 西斜面を巻くようにして続いています。 右手の明るい植林帯の上の方には青空が見えていました。 山頂までそれほどの距離はないように思えたので、植林帯の中を無理やりに登っていきました。 かなり傾斜があるので休み休み登っていくと、6分ほどでピークに着きました。 ここが鳥手山の山頂になります。 押立山手前の山道入口から28分ほど、鷹落場から38分ほどで到着しました。 周りは植林帯になっていて展望は得られません。 樹木の幹に「鳥手山」と書かれた板切れが括り付けられていました。 先ほどの鷹落場にあったのと同じ感じの板切れだったので、同じ人が取り付けたように思われます。 三角点もあるようなので少し探してみましたが見つけられませんでした。
近野山分岐
鳥手山から引き返して、西斜面を巻くようにして続く道を進んでいきます。 やがて雑木林になってくると、鳥手山から9分ほどで、左手が開けて富士山を眺められる所がありました。 更に進んでいくと常緑樹の生い茂る道になってきます。 道幅は意外と広くて傾斜も緩やかで歩きやすくなっていました。 植林帯を掠めて更に進んでいくと、やがて植林帯へと入っていきます。 引き続き広めの道を降っていくと、鳥手山から20分ほどで「造林地」の看板が立っていました。 この辺りの右手から近野山(595m)へと登っていけるようですが、 はっきりとした道は見当たりませんでした。 今回は近野山へ登るのは諦めて、正面に続く山道を進んでいきました。
近野山は、山北町史では「金比羅山」と仮称されているようです。
南足柄市山北町開成町一部事務組合官行造林地
一、森林を愛しましょう。樹木は皆んなの資源です。
一、山ではたき火に注意しましょう。
一、たばこは歩きながらすわないようにしましょう。
一、山のエチケットを守りましょう。
 (平塚営林署)
近野山分岐から1分ほど進んでいくと、左手の樹木が途切れて見晴らしのいい所がありました。 西丹沢の山並みが幾重にも折り重なるようにして続いていて、 山頂に雲が少しかかっていましたが富士山も綺麗に見えていました。 「水源の森林づくり契約地」の看板を過ぎて植林帯を掠めています。 雑木林の斜面を進むようになると、次第に細い道になってきます。 崩れやすい土になっていて、道を踏み外すと下まで転落してしまいそうな感じの所もあったりします。 夏草が生い茂る季節に歩く場合は要注意の箇所になります。 斜面の左手には丹沢の山並みが広がっていました。 山頂が牧場になっている大野山も間近に見えていました。
神奈川県「水源の森林づくり」契約地(水源協定林)
所 在 地足柄上郡山北町平山字長坂895-1外15筆
森林整備者神奈川県
契 約 面 積10.53ヘクタール
水資源を大切にしましょう。
 (神奈川県環境農政部水源の森林推進課、足柄上地区行政センター森林保全課)
林道終点
見晴のいい所を過ぎていくと、道は次第にしっかりとしてきます。 植林帯の中を進んでいくと、程なくして林道の終点に着きます。 近野山分岐から12分ほど、鳥手山から32分ほどで到着しました。 右手からは山道が降ってきていました。 先ほどの近野山から降ってきた道だと思われます。 左手には作業小屋が建っていました。 ここで山道は終って、ここからは小型車1台が通っていける幅のあるしっかりとした林道になります。
瀬戸分岐
林道の左手にある作業小屋を過ぎていきます。 植林帯の中に歩きやすい林道が続いています。 最初はなだらかな道ですが、次第に少し降るようになります。 林道終点から7分ほど進んでいくと、左手へ降る道が分かれていく所があります。 林道をこのまま進んでいくと平山地区へと降っていきますが、 今回は左手へ分かれていく道を瀬戸地区へと降っていきます。
手元の地形図によると、 595m峰(近野山)の辺りから東方の平山地区へ向って延びる破線の道の途中で、 破線の道が北へ分かれている所になるようです。
山道分岐
最初は小型車なら通っていけそうな幅があって林道のような感じがしますが、 少し先へいくと次第に狭まって普通の山道になってきます。 背の低い常緑樹が生い茂る雑木林を3分ほど降っていくと、樹木が伐採されて明るくなった所に出ます。 道なりに右手へと降って伐採地の下まで来ると、道が二手に分かれています。 道標はありませんが、斜面を道なりに左手へと横切っていく道を進んでいきます。 植林帯へ入って良く踏まれてしっかりとした山道を降っていきます。 林道から降ってくるこの道にも桃色テープが点々と取り付けられていました。 番号が書かれたテープもあったりするので、ハイキング大会でもあったのかもしれません。 テレビの集合アンテナを過ぎて植林帯を更に降っていくと、瀬戸分岐から10分ほどで雑木林になってきます。 程なくして細めの竹林の中を降るようになると、林道から13分ほどで、 道が左手へと戻るようにして分かれている所があります。 角の竹には「T.137」と書き込まれた青色テープが括り付けられていました。 左手の道を見送って正面の道を進んでいくと、すぐ先で再び道が二手に分かれています。 道標などはなくてどちらへ行ったものかと暫く考えた末、今回は左手へ降っていく方の道を進んでいきました。
手元の地形図によると、林道から北へ延びる破線の道の途中から 破線の道が西へ分かれている所になるようです。
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう。
 (神奈川県)
左手の竹林と右手の植林帯の間に続く道を緩やかに降っていきます。 2分ほどして竹林が終る頃になると、下の方に道路などが見えるようになります。 道幅が少し広がって歩きやすくなった道を右・左と大きく曲がりながら降っていくと、 先ほどの山道分岐から5分ほどの所で、左手へと細い道が分かれていきます。 その入口には頭を赤く塗られた短い杭が何本か並んでいて、その道の先にはテープが沢山取り付けられていました。 広めの道をそのまま降っていってもいいのかも知れませんが、 今回はこの左手へ分かれていく細い道を降っていきました。
植林帯に続く細い山道を降り、その先の竹林を抜けていくと水道施設があります。 そこから右手へと植林帯を降り、竹林と常緑樹の間を過ぎていくと畑地に出ました。 右手からは広めの道が降ってきていました。 確かめた訳ではありませんが、先ほどの道をそのまま降ってくると、ここに来るのかも知れません。 角には足柄上消防組合の設置する「山火事用心!」の標識が立っていました。 これで山道は終わりになります。 林道終点から30分ほどで降りて来られました。 ここからは舗装された道を正面へと降っていきます。
瀬戸地区
民家の脇を過ぎて坂道を降って、JR御殿場線の平山踏切を渡っていきます。 この辺りは瀬戸地区というようで、酒匂川と山に挟まれた所に民家が点在していました。 線路沿いには菜の花が咲いていて、いい香りを漂わせていました。 踏切を渡った所で道が左右に分かれていますが右手へと進んでいきます。 酒匂川に架かる永安橋を渡って右手へと坂道を登っていくと国道246号に出ます。 左手へ行くと谷峨駅、右手へ行くと山北駅になります。 山北駅の方が若干遠いようにも思いましたが、今回は山北駅へと向っていきました。
今回は歩いていきましたが、 国道に出た所に四軒屋バス停があるので、時間が合えばバスに乗っていってもいいでしょう。 週末の夕方には1時間に1本程度の便があります。
安戸隧道
二軒屋バス停を過ぎていくと、大野山入口バス停の先で左手へ道が分かれていきます。 今回は民家の間に続く左手の道を進んでいきました。 民家の間を抜けて再び国道246号の脇に出ると、左手に安戸隧道があります。 このトンネルは旧道が通っていて、国道246号はその右手にある新安戸隧道を通っています。 安戸隧道の手前からは大野山へと続く道が分かれていますが、そのままトンネルを抜けていきます。 トンネルを抜けた所に「川村関所跡」の解説板が設置されていました。 箱根を越える旧東海道の脇往還の関所として、この辺りに川村関所が設置されていたようです。
川村関所跡
徳川幕府は、江戸の守りを固めるため、「入鉄砲」「出女」の監視に、全国の重要な街道に関所を置いた。 なかでも東海道の箱根関所は「重キ関所」として脇往還にも根府川関所、仙石原関所、矢倉沢関所、 川村関所、谷ヶ関所の五つの関所が置かれていた。 天保12年(1841)幕府によって編纂された新編相模国風土記稿の川村山北に「御関所西方にあり、 川村恩関所と云、奥山家及び駿州への往来なり、小田原藩の預る所にして、 警衛の士藩頭一人、定番二人、足軽二人を置けり、建置の年代詳ならず」と記されている。 その場所がこの周辺である。この関所への道は、 小田原からの甲州道を南足柄市向田で分かれ、北上して当町の岸から山北に入り、 関所を越えて共和・清水・三保地区を結ぶ奥山家への道と、途中で分かれて駿州への「ふじみち」として 信仰の人々の往来にも供された道である。しかし、小田原藩領民以外の女性は通行できなかった。 なお、通行にあたって村内で扱う山物(薪炭など)に十分一銭という通行料を徴収したことも知られている。 関所の規模は、正徳3年(1713)河村御関所掛村々諸色之帳に「柵惣間合貮百六拾壱間半」(約476米)と記され、 相当の敷地を有していたと思われる。 また、関所の普請、柵木、番衆居宅修理、人足の差出などを御関所守村・要害村として、 明治2年まで近隣の十四ヶ村に割当てられたなどの記録も残っている。
 (山北町教育委員会)
山北(やまきた)駅
樋口橋交差点を左折して県道76号を進んでいくと樋口橋バス停があります。 そこからは元来た道を山北駅へと戻っていきます。 瀬戸地区へ降り立ってから40分ほどで山北駅(JR御殿場線)に到着しました。 国府津駅方面へ、夕方には1時間に2本程度の便があります。