小仏城山
散策:2007年03月上旬
【低山ハイク】 小仏城山
概 要 小仏城山は高尾山から陣馬山へと続く奥高尾縦走路にある低い山です。 山頂は広くなっていて、丹沢や道志の山々や富士山などを見渡せる素晴らしい眺めが広がっています。 今回は旧甲州街道から小仏峠を経て小仏城山へ登っていきます。 山頂からは東海自然歩道にもなっている道を相模湖へと降っていきます。
起 点 八王子市 小仏バス停
終 点 相模原市 相模湖駅
ルート 小仏バス停…宝珠寺…駐車場…林道終点…小仏峠…巻き道分岐…小仏城山…小広場…山神…富士見茶屋…牛鞍神社…底沢公園橋…弁天橋…嵐山登り口…相模ダム…相模湖駅
所要時間 4時間20分
歩いて... 今回歩いた旧甲州街道や東海自然歩道は、幅が広くてしっかりとした歩きやすい道になっていました。 傾斜も緩やかで距離もそれほど長くはないので、気軽に出かけられるコースになっていました。 条件がいいと山頂からは富士山の綺麗な姿を望めるのですが、今回は春霞のためぼんやりとしていました。
関連メモ 湖のみち, 鳥のみち, 嵐山, 小仏城山, 堂所山, 小仏城山, 小仏城山, 景信山, 小仏城山, 景信山
コース紹介
小仏(こぼとけ)バス停
高尾駅(JR中央線)の北口から、[高01]小仏行きバスにて17分、 休日の朝には1時間に3本程度の便があります。
 土日曜 7:12 8:12 8:32 8:52 9:12 9:32 9:52 10:12 10:32 10:52...
バス停の前にある道標「小仏峠・影信山」に従って、バス停の先へと延びる舗装道路を進んでいきます。 今回は小仏峠から小仏城山へ登り、相模湖へと降る比較的短いルートを歩きます。 バスには沢山のハイカーが乗っていました。 何処へ行くのかは分かりませんでしたが、小仏峠から高尾山や陣馬山方面へ歩いていくのでしょうか。 私と前後して舗装道路を歩いていきました。
ここにある道標には「影信山」と書かれていましたが、 この先で見かけた道標ではすべて「景信山」となっていました。 ここのだけが「影」の漢字になっていましたが、そのままの字で載せておきます。
道路沿いには小川が流れていて、小さな段差を流れる水が心地よい音をたてていました。 4分ほど進んでいくと、川を渡る道が左手へと分かれています。 角には「小佛山 寶珠寺」と書かれた看板が立っていました。 小仏峠へは舗装道路を真っ直ぐに進んでいくのですが、 左手の橋を渡ったすぐの所に宝珠寺があるのでちょっと立ち寄っていきましょう。
手前には「一級河川 みなみあさかわ 上流端」の標識がありました。 手元の地図を見ると、小仏城山から東へと向かう流れと、 小仏峠から東へと向かう流れとが日影バス停の付近で合流して東へと流れていきます。 小仏城山からの流れの方に「南浅川」と書かれています。 こちらの方に「上流端」の標識があるということは、両方ともが南浅川ということなのでしょうか。
注意
イノシシによる農作物被害のため、東京都知事の許可を得て、 この付近に、捕獲のための罠を仕掛けてあります。 充分注意して下さい。
 (八王子市農林課)
橋を渡るとすぐ右手に石段があります。 角に立つ「都天然記念物 小仏のカゴの木 石段の中程の左側です」の看板に従って、その石段を登っていきます。 幾つか並んだ石仏を過ぎていくと、一際大きな石仏があります。 その左手の少し上に「小仏のカゴノキ」があります。 かなり大きな枝ぶりをした古木でした。
都天然記念物 小仏のカゴノキ
宝珠寺本堂左わきの崖上にあり、主幹は枯れてその周囲を枝幹がとりまいて一株をなしている。 目通り幹囲は約4メートル、高さは約23メートル、根もとから1.3メートルのあたりから多くの枝が分岐している。 一部の根が約3.1メートル崖下の通路に露出し、樹幹を中心に南北約22メートル、東西約17メートルある。 カゴノキはコガノキともいい、暖地性常緑樹で雌雄異株。 樹勢はきわめて旺盛で、関東地方における大樹である。
 (東京都教育委員会)
宝珠寺
石段を更に登っていくと宝珠寺の本堂があります。 その右手の奥に不動堂があり、「小佛大聖不動明王尊」と書かれた赤い幟が沢山並んでいました。 これからの散策の安全をお祈りしていきましょう。
(写真は不動堂です)
景信山分岐
宝珠寺から引き返して、舗装道路をその先へと進んでいきます。 高速道路の施設への道を右手に分けて更に進んでいくと、 宝珠寺から5分ほどで道は右手へとS字に曲がって登っていきます。 傾斜が増してきた道の途中から細い道が近道として分かれていました。 その道を登っていく人もいましたが、私は愚直に舗装道路を進んでいきました。 高速道路へのゲートを分けてその先へと進んでいくと、 右手に戻るようにして登っていく細い山道が分かれていきます。 角に立つ道標によると、右手の道は「景信山」、正面の道は「小仏峠」となっています。 右手の道はかなりの傾斜があるようでしたが直接に景信山へ登っていけるようで、 この時にも何人かのグループが登っていきました。
(右手の道は「堂所山」を参照)
野も山も 人の心も美しく ゴミは持ち帰りましょう
駐車場
緩やかになった舗装道路をその先へと3分ほど進んでいくと、小さな駐車場に着きます。 駐車場の左手からは幅の広い石段が上へと続いていました。 更にその左手にも坂道が続いていましたが、それらの道は見送って、正面の植林帯へと進んでいきます。 舗装道路はここで終りになり、この先からは土の道になります。
駐車場から植林帯へと入る手前に、右手の沢へ降りていく小道がありました。 すぐの所が沢なので試しに降りてみました。 ここは左右からの沢が合流している所で、小さな橋の先に大きな石と小屋がありました。 その奥には小振りの滝があり、右手には小さな祠がありました。 それらの手前には注連縄が渡されていました。 小屋に掲げられた看板によると滝行をする所のようで、小屋はその時に使用する更衣室のようでした。
滝行をする皆様に
一. 皆様の川です。常に清潔を心がけましょう。
二. 真の道の組手の方は必らず奥宮にて拝神し、更衣室のカギを受取って下さい。 行の後は必らず再び神前に拝神しカギを返して下さい。 帰りがけ来たついででは滝行になりません。
三. 火の始末は完全に。 使用後のローソク、線香は確実に消火し、更衣室内のカンに始末して下さい。
 (真の道)
滝から引き返して植林帯へ入っていくと、すぐに道が二手に分かれています。 左手の沢筋と右手の沢筋に土の道が続いていました。 どちらへ行ったものかと辺りを見回していると、左手の先に道標が立っていました。 それによると、左手の道は「小仏峠、高尾山・景信山」となっていました。 ここは道標に従って、左手の道を進んでいきました。 手前の樹木の幹に「一般車進入禁止」の板切れが括り付けられていたのをみると、 林道になっているのでしょうか、小型車なら通っていけるほどの幅がありました。 小仏峠を越えていく道は旧甲州街道になっているようで、 この道もその一部だったのでしょうか、緩やかでしっかりとした道になっていました。
後日に右手の沢筋の道を歩きました。谷筋や植林地を経て景信山の直下へ続いています。
(「景信山」を参照)
火災の芽 摘んで緑の 八王子
 (八王子消防署、八王子市消防団、八王子山火事防止協議会、東京営林局)
水場
谷筋に流れる沢を渡ったり渡り返したりしながら林道が続いています。 沢の途中に設けられた石積みの堰を流れ落ちる水が木霊して心地よい音を響かせていました。 傾斜も緩やかで歩きやすい道を5分ほど進んでいくと、道の脇に管から水が流れ出している所がありました。 この水は飲めるようで、脇には柄杓も置いてありました。 後から来たハイカーも一口飲んでいきました。 甲州街道として利用されていた頃にも染み出していたのでしょうか。 小仏峠へ登る途中にはここにしか水場がないようなので、貴重だったことでしょう。
林道終点
水場を後にして緩やかな林道を4分ほど進んでいくと、正面に草地が現れます。 ここで幅の広い林道は終りになります。 小仏バス停から40分ほどで到着しました。 細い流れの先には砂防ダムが見えていて細い踏み跡がそちらへと続いていましたが、 右手へと曲がっていく細くなった道を登っていきます。 最初のうちはコンクリートで補強された道になっていますが、2分ほどで土の道になります。
生きものの 生きるいのちを 大切に
旧甲州街道の名残なのでしょうか、これまでの広い林道と比べると狭くはなりますが、 普通の山道と比べると幅も広くてしっかりとした道になっています。 傾斜もそれほど急ではなくて「街道」として利用されていたのが頷けます。 植林帯の尾根筋を右・左と曲がりながら登っていきます。 所々にはショートカットの踏み跡が出来ていたりもします。
旅人を導くかのように、コンクリートブロックの台に乗せられた短くて青い標識が設置されていて、 「61」,「62」,「63」と番号がふられていました。 何処から何処まで続いているのでしょうか。 「63」の標識を過ぎていくと、正面が明るくなってきます。
小仏峠 (標高560m)
広くて歩きやすい山道を登っていくと、林道終点から13分ほどで広くなった鞍部に着きます。 ここが小仏峠になります。 ベンチも幾つか設置されているので、景色を眺めながらひと休みしていきましょう。
北高尾山稜でしょうか、左手には山並みが広がっていました。 ここに「高尾・小仏峠案内図」や「小仏峠周辺図」が設置されているので参考にしましょう。
小さな火 まさかがおこす 山の火事
 (神奈川県)
小仏峠には「小仏峠 頂上 560m」と記された標識が立っています。 どういう訳か周りにはタヌキの置き物が幾つかあったりもします。 また赤い前掛けをしたお地蔵さんと庚申塔もあって、前には綺麗な花束が手向けられていました。 「小仏峠」という名前は一寸八分の小さな石仏が安置されていたことに由来するようですが、 このお地蔵さんはそれに比べてかなり大柄なので、名前の由来になった石仏とは別物なのでしょうか。
由来
このお地蔵様は、昔この地に関所があった頃、道行く人の安全を願って建てられたものです。 三百余年を経て近年修復されました。 右側は同年代の庚申様です。 時代は変わってもお地蔵様はいつも此の地に立って道行く人々の安全を守ってくれています。 合唱
お地蔵様の管理と供養は関係有志と小仏茶屋主の奉仕によって行われています。
小仏峠には茶店が二軒ありますが、この時には営業していませんでした。 周辺図には「茶店跡」となっていて、店が破線で描かれているところをみると、 もう随分と長い間、営業していないように思われます。 一軒目の茶店の中をくぐってその先へ出ると二軒目の茶店があります。 茶店の脇には「明治天皇小佛峠御小休所阯及野立所」と刻まれた石碑と、三条実美の歌碑が建っています。 東屋もあってベンチが沢山設置されてはいるのですが、こちらの茶店も営業していませんでした。 東屋の柱には赤いペンキで「小仏峠 旧甲州街道 関所跡」と書かれていました。 また、竹製の花瓶も括り付けられていて、綺麗な花が挿されていました。 お地蔵さんの解説にもあるように、その昔にはここに関所が設けられていたようです。 東屋の脇には「相模湖観光案内図」や「神奈川県の自然公園」と題した看板が設置されているので参考にしましょう。
歴史の散歩道40 甲州道・小仏峠
江戸時代の五街道の一つ「甲州道中」。 現在の国道20号線の旧道である。 この街道の難所として知られた小仏峠は、標高548メートル、武蔵国と相模国を結ぶ国境の峠であった。 その名は、一寸八分の小さな石仏が峠に安置されていたことが由来ともいわれている。 時代は下り、明治21年(1888)に、輸送力を強化するため大垂水峠を通る新道が整備。 それ以降は、人びとや物資が行き交うことはなくなった。 現在、小仏峠の頂上には、明治天皇聖蹟碑や太政大臣・三条実美の歌碑が建っている。 これらは明治13年(1880)の山梨巡幸の際、明治天皇の通行を記念して建てられたもの。 歌碑の和歌は、三条実美が命を受けて高尾山薬王院に詣でて詠んだものといわれる。
来てみれば こかひはた織 いとまなし 甲斐のたび路の 野のべやまのべ
「こかひはた織」は「蚕飼ひ機織り」である。 当時、生糸は高騰しており、これは多摩や甲州が養蚕や製糸、織物業でにぎわう様子を歌っている。 峠を行くハイカーたちは、当時の情景を知る由もない。
 (郷土資料館ガイドボランティア)
鞍部になった小仏峠からは道が四方に分かれています。 先ほどの石仏の脇からは景信山や陣馬山への道が、二軒めの茶店の先からは、 右手に底沢バス停や相模湖への道が、左手に小仏城山や高尾山への道が分かれていきます。 旧甲州街道はここから底沢バス停や相模湖へと降っていきますが、 今回は道標「城山0.8km、高尾山3.1km」に従って左手の道から小仏城山に登っていきます。 階段の道と坂道の二つがあり、更にその左手にも道らしいものがありました。 最も左手の道の行き先は調べていませんが、 右手の階段と真ん中の坂道のどちらを登っていっても少し先で合流します。 今回は竹林を左手に見ながら坂道を登っていきました。
(底沢バス停へ降っていく道は「小仏城山」を参照)
神奈川県の自然公園
自然公園は、すぐれた自然の風景地を保護するとともに、その利用を通じて国民の保健、 休養、教化に役立てることを目的に指定されています。 ここ県立陣馬相模湖自然公園は、富士箱根伊豆国立公園箱根地区を始めとして、 丹沢大山国定公園、県立丹沢大山自然公園、県立真鶴半島自然公園、県立奥湯河原自然公園についで 県内で6番目に指定された自然公園です。
おもな山と標高
陣馬山857.0m 景信山727.1m 嵐山405.9m 生藤山990.6m 城山670.6m 石老山694.3m
自然を大切にしましょう。
 (神奈川県)
竹林の右手に続く坂道を登っていきます。 左手に分かれていく細めの道を見送って少し登っていって尾根に着くと、 石段を登ってきた道が右手から合流してきます。 その道を合わせて左手へ尾根を登っていくと、小仏峠から4分ほどで緩やかになった所に着きます。 ここにも茶店があってベンチも沢山設置されていましたが、営業はしていませんでした。 中程には小さな石の祠がありました。 茶店の右手の樹木の間からは、山並みなどを見渡せる景色が広がっていました。 冠雪した富士山も見えていましたが、春霞のためにぼんやりとした姿でした。 条件さえ良ければ綺麗な姿が望める場所のようでした。 写真を撮ったりしながら少し休んでいきました。
巻き道分岐
茶店を後にして、緩やかになった植林帯に続く広い尾根道を進んでいきます。 関東ふれあいの道の里程標を過ぎていくと、茶店から6分ほどで分岐があります。 角に立つ道標によると、左手の広くて緩やかな道は「一丁平・高尾山」、 右手の横木の階段は「城山・高尾山」となっています。 左手の道は小仏城山の高みの巻き道になっているようですが、 今回は右手の階段を小仏城山へと登っていきます。 階段を少し登った所に「これより明治の森高尾国定公園」と題した案内図がありました。 それによると、ここから東側で、北はJR中央線、南は国道20号、 東は高尾山口駅(京王高尾線)にかけての一帯が「明治の森高尾国定公園」になるようです。 案内図の横には解説板もありました。
後日に左手の道を歩きました。(「景信山」を参照)
ここから明治の森高尾国定公園
国定公園は優れた自然の風景地の保護と利用をはかるため、 環境庁長官が、関係都道府県の申出により指定するものです。 この公園は、明治100年記念事業の一つとして昭和42年12月に、約770haが指定されました。 高尾山国有林や、古刹薬王院の社寺林には、大杉並木や、 モミ・ブナ・カシ等の針葉樹と広葉樹が混在した高齢巨木の自然林があり、 東京近郊ではまれに見る自然状態を保有しています。
公園内の自然は、自然公園法により保護されています。
1.樹木を傷つけないようにしましょう。
2.山野草の採取はできません。
3.動物や昆虫を大切にしましょう。
4.たき火はできません。
5.ゴミは家まで持ち帰りましょう。
 (東京都多摩環境事務所)
幅の広い横木の階段はほどなくして終り、植林帯に続く坂道を登っていきます。 これまでの道よりも傾斜はあるものの息が切れるほど急ではありません。 高尾山から陣馬山へと続く奥高尾縦走路は人気のあるハイキングコースになっていて、 この時にも多くのハイカーが歩いていました。 よく踏まれていてしっかりとした道が続いています。
分岐から4分ほど登っていくと、道端に熊笹が生い茂るようになりますが、 この時には刈り払われてスッキリとしていました。 そこを過ぎていくと傾斜が緩やかになってきます。 植林帯の中を進んで最後に軽く登っていくと、城山無線中継所の脇に出ます。
小仏城山 (標高670m)
城山無線中継所の脇を過ぎて千秋崇学舎の前を左手へと曲がっていくと、広くなった山頂に着きます。 ここが小仏城山の山頂になります。 小仏峠から22分ほどで到着しました。 「小仏城山 670.3(米)」の標識が立つ山頂の真ん中には茶店「城山茶屋」があり、 その周囲にテーブルやベンチが数多く設置されています。 ここの茶店は営業していて、軽い食べ物や飲み物類などが商われています。 名物は「おでん」と「なめこ汁」とのことでした。 お昼にはまだ時間がありましたが、ここで昼食タイムにしました。
城山(標高670m)
山頂が東京都と神奈川県の境界で、東京都側は明治の森高尾国定公園、 神奈川県側は県立陣馬相模湖自然公園であり、 東海自然歩道の神奈川県内64.7kmの基点となっています。 神奈川県内コースは東海自然歩道全コースを通じて、もっともけわしいところとされていますが、 広大な景観やさわやかな小鳥のさえずりなど自然の姿が歩く途中でじゅうぶんたん能できるでしょう。 又歩道の土地周辺の樹木等はすべて個人の所有する財産であり、 これらを善意により無償で利用させて頂いておりますので、 樹木等を損傷させたり、タバコの不始末による火災発生のないよう注意して利用して下さい。
 (神奈川県)
小仏城山の山頂は西側と東側が開けていて、すばらしい眺めが広がっています。 条件が良ければ富士山も綺麗に見えるのですが、この時は春霞がかかっていて、 冠雪した山頂付近がぼんやりと見えていた程度でした。 山頂には「高尾・小仏城山案内図」や「小仏城山周辺図」があるので参考にしましょう。 また、関東ふれあいの道「鳥の道」や東海自然歩道のルートにもなっていて、 それらの解説板も設置されているので、併せて参考にしましょう。
東海自然歩道
建設省が計画する長距離自然歩道のひとつが東海自然歩道です。 長距離自然歩道は、国土を縦断、横断又は循環し、 多くの人々が四季を通じて手軽に楽しくかつ安全に国土の優れた風景地等を歩くことにより、 沿線の豊かな自然環境や自然景観、さらには歴史や文化に触れ、国土や風土を再認識し、 併せて自然保護に対する意識を高めることを目的としています。 東海自然歩道は、全国初の長距離自然歩道として昭和45年に路線決定されました。 明治の森高尾国定公園(東京都八王子市)を起点に、神奈川・山梨・静岡・愛知・岐阜・三重・奈良・京都をつないで 明治の森箕面国定公園(大阪府箕面市)に至る1687kmの路線です。 神奈川県内は、東京都県境の城山から県立陣馬相模湖自然公園・丹沢大山国定公園・県立丹沢大山自然公園を通って 山梨県境高指山出合までの127.5kmです。 一部区間は本格的な登山道と比較的歩きやすい林道等を歩く道の複路線になっています。 中山間部が中心ですが、途中は里や沢など変化に富んだ風景に出会い、豊かな自然に親しむことができます。 東海自然歩道は本格的な登山道を含みますので、十分な装備を用意し、 無理をせず、健康に気をつけ体調を整えて歩きましょう。
※避難小屋について
避難小屋は緊急時に非難するために設置しています。常時開放していますのでご利用ください。
 (神奈川県自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課)
関東ふれあいの道 鳥の道
このコースは景信山・明王峠・陣馬山と尾根道をたどり和田峠にくだって陣馬高原下バス停まで歩きます。 高尾山からの縦走路として四季を通じて利用者も多く、奥多摩・丹沢・道志方面の眺望にすぐれています。 また雑木林から杉・桧の職隣地まで植生の変化に富んでいるため、 生息する野鳥の種類も多く、四季折々にその姿・鳴き声が楽しめます。
 (環境庁・東京都)
お腹も満ちて景色も堪能したら小仏城山から下山していきます。 山頂からは、一丁平を経て高尾山への尾根道、日影バス停へ降っていく道、相模湖へ降っていく道などが分かれていますが、 今回は東海自然歩道にもなっている相模湖への道を降っていきます。 道標「弁天橋3.0km、相模湖5.8km」や「東海自然歩道 相模湖4.3km」に従って、 横木の階段混じりの幅の広い道を降っていきます。
同じ東海自然歩道の道標でも、相模湖までの距離が1.5kmも違っていました。 道標の様子からすると設置されてからの年月が少し違うようだったので、 どこまでの距離を表わしているのかも違っているのかも知れません。
ひろげよう 森への感謝と 防火の輪!
山火事注意
 (森林国営保険、東京都、東京消防庁)
山火事注意 火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
2分ちょっと降って「←高尾山・相模湖→」の道標を過ぎていくと、植林帯へと入っていきます。 引き続き幅が広くてしっかりとした道が続いています。 所々には角柱の横木の階段もあったりします。 段差が高い所には輪切りにした丸太が踏み台として置いてあって、とても歩きやすくなっていました。 山頂から7分ほど降っていくと、尾根を降る道と左斜面を降る道に分かれています。 角には道標「弁天橋2.7km、相模湖5.5km」が立っているのですが、どちらを指しているのかよく分かりません。 どちらへ降っていったものかとしばらく考えた末、今回は左手の横木の階段を降っていきました。
横木の階段はすぐに終わって緩やかな道になってきます。 浅いU字形に抉れた所もあったりしますが、歩きにくくはありません。 やがて左手に植林帯、右手に雑木林が続く馬の背のような尾根を過ぎていくと、 先ほどの分岐から7分ほどの道端に赤い頭巾を被った50cmほどのお地蔵さんが立っていました。 同じようなお地蔵さんはこの先にも幾つか立っていて、 自然歩道を歩く人々を見守っているように思えました。 お地蔵さんの前には1円玉や5円玉がお供えされていました。 その脇には注意書きもありましたが、お地蔵さんとは直接関係なさそうな内容でした。
もう一度 タバコの火に 注意する心が 緑をまもる
 (神奈川県)
お地蔵さんを過ぎていくと少し降るようになりますが、 少し先で緩やかな馬の背のような尾根を進むようになります。 「←城山・弁天橋→」の道標を過ぎて少し右手へと降っていくと、再びお地蔵さんが立っています。 お地蔵さんを過ぎて更に降っていくと、左右に通る道に降り立ちます。 角に立つ道標によると、右手の道は「弁天橋」、今降ってきた道は「城山」となっていて、 左手の道には何も示されてはいません。 ここは道標に従って右手へと降っていきます。
作業路分岐
若木が植えられた植林帯に沿って降っていきます。 やがて横木の階段が現れますが、段差も低くて歩きにくくはありません。 先ほどの道標のあった所から2分ほど降っていくと分岐があります。 角に立つ道標によると、右手の道は「作業路」、左手の道は「弁天橋」となっています。
ここは左手に続く横木の階段を降っていくのですが、 相模湖や相模川などを一望できる景色が広がっていたので、 眺めを楽しんだり三角点を探したりしながら、しばらく止まっていました。
右手の道を進んでいくと…
この辺りの上には送電線が通っており、 手元の地形図によると、この辺りに標高461.5mの三角点があるようです。 右手の道の先に三角点があるかも知れないと思ってちょっと探ってみましたが、 送電線の鉄塔「新多摩線65」の袂の辺りで行き止まりになっていました。 辺りには三角点らしいものは見当たりませんでした。 この分岐点よりも手前の方にあったのかも知れません。
小広場
6分ほど居た分岐からその先へと降っていきます。 左手の樹木が低くなって見晴しがいい所を過ぎて植林帯へと入っていくと、 岩がむき出しになっている所があります。 黒色と黄色のトラロープが張られていたりもしますが、特に必要な感じではありませんでした。 道が二手に分かれていたりもしますが、すぐ先で合流します。 岩場を過ぎていくと、幅の広い横木の階段が始まります。 角の取れた丸い石が敷き詰められていて土が抉れないようになっているのはいいのですが、 上に足を乗せた感じが落ち着かなくて、これはこれで歩きにくい感じがしました。 赤頭巾のお地蔵さんを過ぎて横木の階段を更に降っていくと、 尾根が膨らんでちょっとした広場のようになった所に降り立ちました。 小仏城山の山頂から40分ほどで到着しました。 ちょっとした売店のような建物がありましたが、営業はしていませんでした。
鞍部
小屋の右手から1分ほど降っていくと、浅い鞍部に着きます。 ここから左手へと広めの道が分かれていました。 送電線の巡視路のようで、電力会社の設置する黄色い標柱が立っていました。 角に立つ道標によると、正面の道は「弁天橋1.6km」、今降ってきた道は「城山1.4km」となっています。 ここは正面の尾根道を進んでいきます。
山神
鞍部の左手には石積の上に小さな祠があって、尾根道の外側を向いて建っていました。 その脇には「山神」と書かれた板切れがありました。 今でもきちんと祀られているようで、 祠の中を伺ってみると、二つに仕切られた前の間には竹製の「御神酒」がお供えされていて、 後の間には「山神」の御神体と思われる木彫りの頭像がありました。 祠の両脇に生えている大きな樹木には、細い竹で作った弓が取り付けられていました。 邪気を祓うとか、武勇の象徴であるとか、何かこの祠の由緒に関る物なのでしょうが、 どのような謂れがあるのかは分かりませんでした。
植林帯に続く幅が広くて緩やかな道を進んでいきます。 3分ほどして木の根が少しむき出した坂道を降って再び傾斜が緩やかになってくると、 道端にまた赤頭巾のお地蔵さんが立っていました。 ここのお地蔵さんもこれまでのと同じような形をしていましたが、少し新しい感じがしました。 この辺りから次第に雑木が目立つようになってきます。 やがて杉・桧がなくなって雑木林になってくると、降り傾斜の道になってきます。 冬枯れの樹木の間からは相模湖や道路などが見えるようになってきます。 程なくして道が二手に分かれている所が二回ほどあります。 一見して広めの左手の道の方を進んでいくと、そちらの方が枝道だったりしますが、 その先で合流するので安心です。 正規の道はそれらの分岐を右手へと進んでいく方になるようでした。 右・左と小刻みに曲がりながら降っていくと、やがて幅の広い横木の階段が現れます。
富士見茶屋
横木の階段を降っていくと、程なくして竹林が現れます。 竹林を抜けてコンクリートの階段を降っていくと、舗装道路に降り立ちました。 売店のような建物のあった小広場から20分ほど、小仏城山の山頂から1時間ほどで降りてこられました。 降り立った所には富士見茶屋があって、下山してきたハイカーを誘っていました。 なつかしの味「こがしたくあん」が名物なのだそうです。 角に立つ道標によると、左手の道は「弁天橋0.8km(相模湖・嵐山)」、 今降ってきた道は「城山2.3km」となっていました。 脇には、山頂にもあった「東海自然歩道」の大きな案内板がありました。
小仏峠のものがたり
千木良村の北方南多摩との境をなす峠で、昔は武相二州の国境で、 頂上に関所があり小佛関または富士見関と呼ばれた。 徳川時代、参勤交代の大名はこの険阻な峠を往復したのである。 往時は『ひばりより上にやすろう峠かな』の芭蕉の句碑があった。 小佛の地名は奈良時代に行基菩薩が今の小佛峠に寺を建て小さな佛を安置したことから 小佛といわれるようになったという。 展望はよく、北西に景信山・陣馬山の頂上を望み、南に与瀬・相模湖を俯瞰しつつ、 甲斐の山々・富士嶽を望んでおり、まさに絶景である。
茶屋の前を過ぎて左手に少し進んだ所にカーブミラーの立つ分岐があります。 「相模湖→」,「弁天橋→」の標識や道標「弁天橋(相模湖・嵐山)」が、 右手に分かれていく細い路地を指しているので、その道を降っていきます。 民家の間に続く坂道を降っていくとすぐに緩やかな道になってきます。 小さな十字路の角には石祠とお地蔵さんが四体あり、脇の石には「妙観寺」と刻まれていました。 これが妙観寺ということなのでしょうか、それとも以前ここにお寺があったということなのでしょうか。 右手の田んぼの奥に寺院が見えていました。 それが妙観寺なのかと思って確かめに立ち寄ってみると善勝寺という名前のお寺でした。 「津久井の名木」に選ばれているシダレザクラや、 み仏にするために持ち帰って植えたとされる高野槇の老大木があったりもするので、 時間があれば立ち寄っていきましょう。
牛鞍神社
お地蔵さんを過ぎて真っ直ぐに進んでいくと国道20号に出ます。 国道を横切って更にその先へと進んでいくとT字路があります。 角に立つ東海自然歩道の道標「弁天橋」に従って左折していくと、千木良公衆トイレに突き当たります。 その裏手に牛鞍神社があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。 広めの境内には、本殿のほかにも合祀されている小祠が幾つかありました。 無事に下山できたことを報告していきましょう。
牛鞍神社
祭神 素盞鳴命
例祭 八月二十六日
由緒 鎮座の年代は詳かでないが慶長12年末菊月の棟札を現存している。 其後、寛文・享保・宝暦及び天保の数回に本殿・覆殿或は拝殿等を改修せしこと、其都度の棟札によって立証される。 例祭には二台の山車が運行され、昔ながらの伝統を守り神前行事を現今も厳かに斎行される。
 (文化財保存委員会)
道路は千木良公衆トイレの左手へと続いていますが、手前から道が分かれています。 角に立つ道標「弁天橋」や「相模湖」の指す坂道を降っていきます。 民家の脇を過ぎていくと土の道になってきます。 左手の視界が開けていて、相模川やこれから向かう弁天橋などを見渡せる景色が広がる所もあるので、 眺めを楽しみながら降っていきます。 雑木林の斜面を右・左と曲がりながら降るようになります。 道はしっかりとしていて歩きやすくなっていました。 路傍に立つお地蔵さんを過ぎていくと、保安林区域図のある左へ曲がる角から細めの道が分かれていましたが、 その道は見送って更に降っていきます。 保安林区域図には今歩いている道が破線で載っていました。
保安林区域図
保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県津久井地区行政センター農林部林務課)
あぶない!!
ダムのみずをながし かわのみずがふえることがあるから きをつけよう
ダムの放流による増水に注意
この川の上流1.0キロメートルのところに相模ダムがあり、ときどきダムに貯まった水を流し、 この川の水が急に増えることがありますから注意して下さい。 また、ダムに貯まった水を流すときは、下記のとおりサイレンを鳴らしたり、 スピーカーでお知らせしますので、そのときは危険ですから河原に降りないで下さい。
 サイレン 1分…(5秒)…1分…(5秒)…1分
 (神奈川県企業庁利水局相模川水系ダム管理事務所)
底沢公園橋
砂防ダムを流れ落ちる水音が間近に聞こえるようになると、板が横に敷かれた橋を渡っていきます。 牛鞍神社から7分ほどの所になります。 橋を渡った所に大きな「東海自然歩道附近案内図」があります。 この付近の地図が載っているので参考にしましょう。 その地図によると、この橋は底沢公園橋で、下を流れているのは底沢川というようです。 橋を渡った所で道が二手に分かれています。 角に立つ道標によると、正面に続く道は「小原宿本陣」、左手の石段は「相模湖・弁天橋」となっています。 ここは道標に従って、左手の短い石段を降っていきます。
短い石段を降って小広くなった所に降り立つと、余り使われていない様子の建物が二つありました。 先ほどの案内図によると弁天島茶屋と云うようですが、 営業されなくなってからかなりの年月が経っている雰囲気でした。 茶屋の前は小広くなっていて、先の方の岩場からは相模川の流れを一望できました。 茶屋の前を過ぎて道標「弁天橋」の指す坂道を登っていきます。
沼本調整池での禁止事項
沼本調整池は私達の飲み水になる大切な水がめです。 お互いに湖やそのまわりをよごさないよう心がけましょう。 「来てよかった沼本、また来たい沼本」に皆さんの協力をお願いします。 湖岸や湖面で危険な遊びや禁止されている行為はやめましょう。 危険な遊び、ごみを捨てる人を見かけた人は一言ことばをかけてやって下さい。 沼本調整池で次の行為をすることは条例により禁止されています。 これに違反した時は罰せられることがあります。
1.水泳、水浴又は水上スキーをすること。
2.舟艇、いかだその他これに類する物を運航し、けい留し、又は浮遊させること。
ただし前2項について特に知事が許可したものを除きます。
 (神奈川県)
道標に従って自然石の階段を登っていくと、右手に曲がっていく角に「旧弁天橋記念史」の石碑が建っていました。 道は等高線に沿うようにしてその先へと緩やかに続いていますが、 その石碑の建つ角から右手の尾根に登っていく細い道が分かれていました。 道標などはありませんでしたが試しに登っていくと、程なくして石段が現れます。 石段の先の「弁天尊」の扁額の架かる赤い鳥居をくぐって小さなピークに着くと、 赤く塗られた小振りの祠がありました。 石碑から1分ほどの所になります。 祠の名前や由緒などを記したものは見当たりませんでしたが、 先ほどの案内図には「弁天大明神」と書かれていました。 祠のあるピークからは弁天橋を見下ろすことができました。
弁天橋
石碑の所まで引き返してその先へ進んでいくと、すぐに相模川に架かる弁天橋があります。 富士見茶屋から35分ほどで到着しました。 吊橋ですがしっかりとしていて、渡っていても揺れる感じはありませんでした。 この弁天橋は「かながわの橋100選」にも選ばれているようです。 橋の下には幅の広い相模川が渓谷を流れ、下流側の河川敷には弁天島キャンプ場があります。 橋を渡った所には弁天島休憩所があります。 先ほどの弁天島茶屋とは違って、こちらは営業をしていました。 休憩所の前には、これまでにあったのと同じ「東海自然歩道」と題した大きな案内板が設置されています。
旧弁天橋記念史
−旧弁天橋掛替記−  昭和22年相模湖完成、下流の弁天橋は昔の桂川渓谷の残る唯一の処である。 昭和27年此処に観光を目的に発起人始め部落民の全面協力を得て部落共有林を売却し吊橋が完成した。 橋番を置き三十余年多くのハイカーと町民の協力を頂き有料橋で維持し今日に至るも 軽量鋼材使用の為老化が進み管理に心痛苦慮した代表者が県に配慮を願っていた。 これが時代の恵み「新神奈川計画地方の時代」で認められダム建設地に例を見ない有料橋を無償県移管が出来た。 江戸の頃より部落民に維持されて来た原下の渡船もダムの為消えさり四十年が過ぎた。 今それに代り待望の贈物公共の吊橋が出現。 多くの方々に長い歳月旧弁天橋を愛し利用頂戴しこと深く感謝すると共に新吊橋の安全と渡橋者の幸運を祈念。
 (旧弁天橋代表)
「至る 相模湖駅 徒歩30分→」の道標に従って弁天島休憩所の前を過ぎていくと、 幅の広い横木の階段が始まります。 1分ほどで階段が終って、その先の舗装された坂道を登っていきます。 道なりに右手へと曲がっていくと高台にある津久井養護学校の前に出ます。 舗装道路はそこから左手へと曲がっていきますが、 角に立つ古びた金属板の道標「相模湖駅」の指す畑の中に続く土の道を進んでいきます。
嵐山登り口
程なくしてある小さな車止めの支柱を過ぎ、その先で左手に分かれていく道を見送って真っ直ぐに進んでいくと、 津久井養護学校の所から3分ほどで車道に出ます。 車道を右手へと進んでいきます。 資材置き場になっている所を過ぎていくと、道は緩やかに降るようになります。 車道をその先へと進んでいくと、程なくしてモダンな感じの休憩所があります。 ベンチに腰を掛けて少し休憩していきました。
すぐ先の左手には嵐山への登り口があり、 脇には「産靈宮水上神社参道」と記された標柱や灯籠などが建っています。 また「かながわの景勝50選 嵐山からの相模湖」と刻まれた石碑や 「東海自然歩道附近案内図」と題した看板もあります。 「嵐山0.8km」の道標も立っていて、 小仏城山から降ってきた東海自然歩道は、ここから嵐山へと登っていきます。
嵐山への登り口を見送って車道をその先へと進んでいくと、すぐに相模発電所があります。
神奈川県企業庁 相模発電所
最大出力31,000キロワット
使用水量毎秒85.00立方メートル
有効落差43.50メートル
発電開始昭和22年2月
相模発電所のおいたち
相模発電所は、相模川河水統制事業として昭和20年2月に2号機が、また、 昭和22年7月に1号機が完成し、最大出力28,700KWのダム式発電所としてスタートしました。 その後、昭和36年に最大出力31,000KWの発電所に増強され、 県営発電所の中でも重要な発電所として働き続けてきました。 しかし、運転を開始してから40年余りを経過し、水車や発電機をはじめ水路設備、建物など 発電所の各所に劣化現象が目につくようになりました。 そこで、神奈川県企業庁電気局では発電所を新しくするための相模発電所改造事業を計画し、 昭和61年4月から工事に着手しました。 そして、昭和63年4月1日に2号機が、平成元年7月1日に1号機がそれぞれ運転を開始し、 相模発電所は新しく生まれ変わりました。
相模ダム
相模発電所を過ぎたすぐ先に相模ダムがあります。 ダムの上は築井大橋になっていて歩いていくことができます。 堰き止められて出来た上流側の相模湖には相模湖大橋が架かり、 下流側の深い渓谷には相模川が流れています。
神奈川県企業庁 相模ダム
型式重力式コンクリートダム
高さ58.40メートル
長さ196.00メートル
利用目的発電、水道
総貯水量63,2000,000立方メートル
完成昭和22年5月
相模ダムにようこそ
この相模ダムによってできた相模貯水池は相模湖と呼ばれ、親しまれています。
相模川(山梨県内は桂川)  相模川は、その源を富士山麓山中湖に発し、笹子川、葛野川等の支流を合わせ、山梨県東部を流れます。 そして相模湖・津久井湖・神奈川県中央部を経て、相模湾に注ぐ流路延長約114kmの一級河川です。
相模ダムのはたらき
(1)電気を起こす(発電)  相模ダムによって貯められた水は、相模ダムとすぐ下の相模発電所との高さの差を利用して電気を起こしています。 その電気は、各家庭や工場などの電気として役立っています。
(2)水道の水を貯める(水道用水)  相模湖の水は相模ダムから放流したあと、下流で取水され、神奈川県営水道をはじめ、 横浜、川崎、横須賀の各市営水道の浄水場から、各家庭や工場などに届けられています。
(3)洪水を減らす(洪水調節)  川の上流で大雨がふると下流では洪水になり水害が起きるおそれがあります。 台風や大雨のときにはその一部を貯めるため、下流の洪水が小さくなります。 相模ダムは下流の水害のおそれを少なくするはたらきをしています。
(4)湖を使う(湖面利用)  船遊びや魚釣りなど、レクリエーションの場所として親しまれています。
 (神奈川県企業庁利水局津久井事務所)
築井大橋を渡って左手へと道なりに進んでいきます。 短い月夜野橋を渡った所から右手に急な階段が登っていきます。 その階段を登っていってもいいのですが、 今回は少し先にある相模湖大橋の右手から分かれていくスロープ付き階段を登っていきます。 登り口の所には「駅近道」の看板があるので目印にしましょう。 階段を登り切って車道に出たすぐ右手にちょっとした広場があって、相模湖大橋の全景を望めます。
相模湖
わが国最初の河川総合開発事業としてつくられたこの人造湖を相模湖と命名しました。 相模湖は豊富な水道用水やかんがい用水を県内各地へ供給するとともに、発電、こう水調節等に利用され、 また風光明美な観光地として、産業の発展と県民福祉の増進に大きな役割を果たしています。
 (神奈川県知事)
相模湖エリアご案内
相模湖を中心にハイキングコースやキャンプ場、釣り場など自然と調和したレクリエーション施設と、 古い旅籠の名残や、由緒ある社寺などがある緑ゆたかな「ふれあい」と「やすらぎ」のリゾート地です。
【相模湖】  昭和22年に完成した水道用水、農業用水の確保と発電、そして洪水調整を目的とした日本最初の多目的ダムで、 ダムの高さ58.4m、長さ196mの重力式コンクリートダムである。 ダムとともに誕生した相模湖は神奈川県最初の人造湖で、面積は約3.26ku、総貯水容量は63,200,000立方mである。
【美女谷伝説】  浄瑠璃や歌舞伎で知られる「小栗判官と照手姫」の物語。 照手姫は小仏峠の麓の「美女谷」に生まれたと伝えられ、その美貌が地名の由来になったともいわれています。 北面の武士だったという父と優しい母から生まれた照手姫は、美しい娘に成長し、 美女谷川上流の七ッ淵で豊かな黒髪をすくその姿は、まばゆいばかりの美しさを放ち、 里の若者を魅了していたといいます。 然し不幸にも両親が相次いでこの世を去り、いつしか照手姫の姿は美女谷の里から消えてしまいました。 その後、数奇な運命をたどった照手姫は、相州藤沢宿で小栗判官満重と劇的な出会いをしますが、 満重は盗賊に毒殺されてしまいます。しかし、姫の必死の想いが通じたのか、 遊行上人という名僧のお陰で蘇生し常陸の国の小栗城に帰り、照手姫を迎え末永く幸せに暮したといいます。
【石老山の伝説】  今から千百年あまり前のこと、当時の宮人三条貴承卿の若君が、八条殿の姫君と恋に落ち、 二人は都を出て相模川上流の巨岩を屋根にした巌窟「道志巌窟」に愛の巣をいとなんだ。 やがて一女一男が生まれた。男の子は巌窟にちなんで岩若丸と名付けられた。 若君は子どもの再会の証として、もっていた「銀鏡」を切断し一片を渡し、 「道志法師」となって諸国行脚に出た。 その後、成長した岩若丸は、残された鏡を手がかりに父母を探す旅に出て、 苦労の果てに父母と再会し、幸せな生活を送った。 父母の死後、岩若丸は名を「源海」と改め、再び相模の「道志巌窟」にもどり、851年(仁寿元年)に寺を建てた。 古い石の山から寺の号を石老山といい、鏡から顕鏡寺と呼んだという。 寺の号をとってその山を石老山と呼ぶようになったといいます。
相模湖(さがみこ)駅
広場から車道を右手へと緩やかに登っていきます。 相模川流域下水道の与瀬ポンプ場や神奈川県企業庁の相模ダム管理所の前を過ぎて道なりに進んでいきます。 地域作業場「やまのべ館」を過ぎ、桂北小学校の裏門を過ぎていくと国道20号に出ます。 国道を左手へと進んでいき、相模湖駅前交差点を右折していくと、 正面に相模湖駅前のバスターミナルがあり、その左手に相模湖駅(JR中央線)があります。 弁天橋から40分ほどで到着しました。
相模湖駅開業百年の歩み
与瀬駅(現相模湖駅)が誕生したのは明治34年8月1日であり、 神奈川県の北門といわれ、津久井の北玄関とまで称されるほどでした。 位置は現在と同じ与瀬町1385番地にあり、以前は附近一帯、一面の溝田であった所に駅が構築されました。 当時は老婆など切符のことをお札様と呼び、 汽車が通行中でも手を上げれば止めてくれたほどであったといわれています。 現在においては、相模湖の出現に伴い、観光の駅として一躍内外に知られるようになりました。
 (津久井郡勢誌より)