横浜みなとみらい21
散策:2006年11月下旬
【海辺散策】 横浜みなとみらい21
概 要 横浜は日本のほぼ中央に位置する神奈川県の県庁所在地で、東京23区に次いで日本で2番目の大都市です。 開国時代の面影も随所に残っていて雰囲気のある街です。 今回は、近年になって新しくなった「みなとみらい21」の新港地区から山下公園を散策し、 ベイブリッジのスカイウォークからの展望を楽しみます。
起 点 横浜市 桜木町駅
終 点 横浜市 スカイウォーク前バス停
ルート 桜木町駅…日本丸メモリアルパーク…汽車道…赤レンガ倉庫…山下臨港線プロムナード…山下公園…山下ふ頭入口バス停〜横浜ベイブリッジ〜スカイウォーク前バス停…スカイウォーク…スカイウォーク前バス停
所要時間 3時間10分
歩いて... この日は生憎の曇天とあって、残念ながらスカイウォークからの眺めは霞んでいましたが、 天気のいい日には房総半島や三浦半島を始め、丹沢山塊・箱根連山・伊豆半島や富士山までも眺められるようです。 展望ラウンジでは定期的にライブ演奏会も催され、大切な人と一緒にひと時を過ごすのにも良さそうな所でした。
(横浜ベイブリッジのスカイウォークは、2010年9月を以って閉鎖されました)
関連メモ 横浜中区, 横浜中区, 横浜中区, 横浜中区, 港の見える丘公園, 横浜みなとみらい21
コース紹介
桜木町(さくらぎちょう)駅
桜木町駅(JR根岸線)から歩いていきます。
改札口を出て左手(海側)へ真っ直ぐに進んでいくと、信号の手前に周辺案内図があるので参考にしましょう。 その脇には以前この地にあった「東横浜駅」についての解説板が立っています。 駅に纏わる歴史を読むと、時代の流れを感じずにはいられません。 ここから「開港の道」として整備された散策路が続いています。 開港の道は桜木町駅から港の見える丘公園までの3.2kmに渡って続いていますが、 今回はその中の桜木町駅から新港地区を経て山下公園までを歩いてきます。
移転した横浜駅と消えた神奈川駅
新橋-横浜間に日本初の鉄道が走った1872年当時の横浜駅は現在の桜木町駅でした。 現在の東神奈川駅と横浜駅の間、京急神奈川駅と青木橋を挟んだ反対側の辺りに神奈川駅がありました。 1915年に横浜駅は現在の地下鉄高島駅付近に移り、それまでの横浜駅は桜木町駅となりました。 1928年に東海道線のルート変更に伴い、横浜駅は現在の位置へ移動しました。 それに伴い、神奈川駅は距離が近すぎるということで廃止になりました。(参考:横浜市ホームページ)
ここに駅があった
大きな貨物駅だった
往時は65万トンが発着し
多くの人が働き汗を流した
ある時代は生糸だった
ある時代は疎開荷物であった
ある時代は進駐軍輸送
それに輸入食料だった
そしてこの駅はいつの時代も
市民の生活とともにあった
1979年10月この駅の使命は終った
かつて日本の鉄道開業の
栄えをになった駅
追憶のなかに永遠
東横浜駅
東横浜駅について
明治5年、汽笛一声新橋を発した日本初の鉄道の終着駅「横浜」はこの地でした。 時を経て横浜駅は現在の位置に移り、この地の駅は客貨の機能を分離して、 桜木町駅、東横浜駅となりました。 さらに幾星霜、国運いよいよ隆昌に向う我が国現代史の過程において、 鉄道の果たした役割はかぎりなく大きいものがありました。 この間、市民生活の一部としてその責めを全うした貨物駅東横浜は昭和54年、その終焉を迎えました。 いまこの地は新しい都市「みなとみらい」として秀麗かつ壮大な偉容をととえつつあります。 古より世のため人のために日々営まれる活動に支えられて、暮らしが、社会が、 街並みが時代に応じて生き生きと発展するさまは無量の感慨を私たちに与えてくれます。 この碑文は東横浜駅廃止に際し、往時ここに汗となみだをながした人びとの意をうけて書かれたものです。
 (東日本旅客鉄道株式会社 横浜支社)
日本丸メモリアルパーク
信号を渡って正面から左前方へと続く道を進んでいきます。 再度信号を渡っていくと正面から汽車道が続いていますが、 左手に日本丸メモリアルパークがあるので立ち寄っていきましょう。 旧横浜舟渠株式会社第一号船渠に帆船日本丸が係留されています。 この時には園内にある横浜マリタイムミュージアムで 「客船クイーンエリザベス2と横浜港の30年」と題した企画展が開かれていました。 館内へ入ってみると、嘉永6年(1853)6月9日創刊号の「横濱開港新聞」が置いてありました。 新聞の形をした案内書といったもので、12ページに渡って開港当時の様子が紹介されていました。 第一面は『浦賀沖「黒船」現る』とのタイトルで飾られていました。
日本丸について
昭和2年3月、練習帆船霧島丸999総トンが千葉県銚子沖で暴風のため沈没、 乗組員及び学生全員が船と運命を共にしました。 この惨事をきっかけに昭和3年の国の予算において、大型練習帆船2隻の建造費182万円、 1隻当り91万円が認められました。 当時我が国の一般会計予算は、軍事費、国債費を除くと8億7千万円程度に過ぎず、 2隻の建造費のしめる割合は2/1000に及ぶ巨費でした。 建造は神戸の川崎造船所が当りました。 昭和5年、田中隆三文部大臣は日本の海の王者のふさわしい船にしたいとの期待から 1月27日に進水した第一船を「日本丸」、2月14日に進水した第二船を「海王丸」と命名しました。 日本丸は昭和5年3月31日竣工し、同年横浜からカロリン諸島のポナペ島へ初の遠洋航海に出帆しました。 昭和18年には第二次世界大戦激化のため残念ながら帆装を撤去し、 戦争中の緊急物資輸送や戦後の引揚者25,423人の輸送などにも従事しました。 その後昭和27年に帆装を復旧し、現在の姿に戻ることができました。 建造以来昭和59年9月16日の退役までの半世紀余のあいだに地球45.5周に相当する約183万キロメートルを航海し、 約11,500人の海の男を育てました。 また、主機関ディーゼルエンジンの稼動年数54年半は舶用機関として現在世界最高記録です。 退役後の誘致運動は全国10都市に及び、その中で保存、公開、活用の計画に優れていた横浜市に払い下げが決まり、 公開のための整備をした後、昭和60年4月28日より、ここで公開されています。
汽車道
企画展や日本丸などを見学したら、汽車道を進んでいきます。 明治末期から昭和60年代まではこの地に東海道線の貨物支線があって、 東京駅とここにあった横浜港駅の間に、 外国航路へ接続する旅客列車「ボート・トレイン」も運行されていたようです。 現在、その廃線跡地がこの遊歩道「汽車道」として整備されていて観光名所にもなっています。 その頃の線路が残されていて、周りには木板が敷き詰められて木道のようになって続いています。 右も左も海になっていて、その中を砂州のように延びています。 規模は小さいながら日本三景のひとつ「天の橋立」を想わせる雰囲気もあったりします。
左手にランドマークタワーやクイーンズスクエアなどのビル群やコスモワールドの観覧車などを 眺めながら汽車道を進んでいくと、港一号橋梁があります。 橋には「AMERICAN BRIDGE COMPANY, OF NEW YORK, U.S.A. 1907」の銘板が貼り付けられていました。 脇の解説板によるとこの橋はアメリカ製のようでした。
港一号橋梁
この橋は、明治42年(1909)に鉄道院によって架設されました。 2連の30フィート鈑桁橋と100フィートの鋼プラット・トラス橋(クーパー型トラス橋)からなっています。 100フィートのトラス橋は、明治40年(1907)にアメリカン・ブリッジ・カンパニーで製作され、 港二号橋梁と同形のももです。
港一号橋梁を過ぎていきます。 道端には樹木も植えられていて遊歩道の雰囲気がする道が続きます。 この時は生憎の曇天でしたが、休日とあって多くの人がやってきていました。 人波が途切れるタイミングを見計らって写真を写したりしていると、結構時間がかかったりもします。
汽車道を更に進んでいくと、港二号橋梁があります。 港一号橋梁とほぼ同じ感じの鉄橋になっています。 この橋もアメリカ製のようで、同じ銘板が貼り付けてありました。
港二号橋梁
この橋は、明治40年(1907)にアメリカン・ブリッジ・カンパニーで製作され、 明治42年(1909)に架設された100フィートの複線トラス橋です。 重量機関車の出現により、それまでのイギリス製トラス橋にとってかわり、 明治30年代から主流となったアメリカ系トラス橋の遺構として貴重なものです。
港二号橋梁を過ぎていくと、港三号橋梁があります。 この橋は元々ここにはなくて他所から移設されたようで、線路はその右側を通っています。 更に進んでいくと、線路は正面に見えるナビオスヨコハマの中を抜けていきます。 この線路のために、わざわざ下の部分を空洞にして開けてあります。 木道はその手前で終わっていて、その先は石畳の中に線路が続いています。
港三号橋梁(旧大岡川橋梁)
大岡川橋梁は北海道の夕張川橋梁(明治39年架設)と武蔵鉄道江戸川橋梁(明治40年製作)を転用し、 3連の100フィート・ポニー形ワーレン・トラス橋として、昭和3年(1928)に旧生糸検査所引込線に架設されました。 この橋は、そのうちの旧夕張川橋梁の橋長を短縮し、平成9年(1997)に移設したもので、 イギリス系トラス橋の遺構として貴重なものです。
ビルの中を抜けていくと万国橋交差点があり、線路はその手前で終っています。 信号を渡って、正面の広場の先に見える赤レンガパークへと進んでいきます。 この「開港の道」の各所には案内図や道標が設置されていて、分かりやすくなっていました。
赤レンガ倉庫
広場を過ぎていくと赤レンガ倉庫交差点があります。 信号を渡っていくと、赤レンガ倉庫の1号倉庫と2号倉庫が並んで建っています。
赤レンガ倉庫(1号倉庫及び2号倉庫)
「はまの赤レンガ」と呼ばれ、市民に親しまれている港ヨコハマの最も著名な歴史的建造物。 当時の最先端技術を使い、鉄と煉瓦がみごとに組み合わされた構造で、 我が国の代表的な煉瓦造建築の一つでもある。 当初は、2棟とも同規模だったが、1号倉庫は震災で壊れ、現在は2号倉庫のおよそ半分の長さとなっている。
赤レンガ倉庫
赤レンガ倉庫はわが国最大級のレンガ造り倉庫で、「ハマの赤レンガ」の愛称で親しまれてきた建物です。 大型船が接岸できる岩壁や陸上輸送手段である鉄道などを備え、最新鋭の港湾施設として整備された新港ふ頭にあって、 赤レンガ倉庫は荷物を安全に効率よく保管するため、 当時の最先端の設備であるエレベーターやスプリンクラーなどを備えた模範倉庫として建設されました。 レンガ壁の中に帯状の鉄を積み込むことなどにより耐震性を高めた碇聯鉄構法が用いられていますが、 これはレンガ造建築の技術としての最終段階のものと言われています。
この時には、「日本ロールス・ロイス&ベントレーオーナーズクラグ」の創立10周年記念の 「2006ロールス・ロイス&ベントレー大集合」と題した催しが開かれていて、多くの人出で賑わっていました。 1号倉庫と2号倉庫の間にある広場には往年の名車がズラリと数十台並んでいました。 どれがロールス・ロイスでどれがベントレーなのかはよく知らないのですが、 名自動車それぞれに威光を放っていました。 今でも現役で動くようで、この時も列の後尾に横付けする車を見かけました。 エンジンも味わいのある音を立てていました。
横浜港駅
横浜港駅は明治44年(1911)に横浜税関構内の荷扱所として設けられましたが、 その後、大正9年(1920)には、東京駅から初の汽船連絡列車が乗り入れることとなりました。 さらに、昭和初期の華やかな海外航路時代には客船ターミナルに沿ってプラットフォームが設けられ、 列車が横付けされていました。 赤レンガパークの整備にあたり、プラットフォームの一部を保存することとし、 傷んだ屋根などの修復を行い、現在は休憩所として利用されています。
赤レンガ倉庫の間の広場を奥へと進んで海辺まで行ってみると、 沖の方には横浜ベイブリッジが見えていました。 今回はこのベイブリッジに併設されているスカイウォークを歩くことにします。
赤レンガ倉庫交差点まで戻ってその先へと進んでいくと新港橋梁があります。 大正元年(1912)に建造された橋のようで、橋の部分にだけ線路が敷かれていました。 先ほどの汽車道だけではなく、この辺りにも貨物の引込線が通っていたということなのでしょう。
山下臨港線プロムナード
新港橋梁を渡っていくと道が二手に分かれています。 脇には周辺図があるので参考にしましょう。 角には「開港の道・山下臨港線プロムナード」の標識が立ってます。 案内図によると、ここから山下公園へとプロムナードが続いているようなので、 左手に続くプロムナードを進んでいきました。 先ほどの新港橋梁には線路が敷かれていたことを思うと、 「山下臨港線」という名前の引込線がこの辺りに通っていたと云うことなのでしょうか。
高架になったプロムナードを進んでいくと、左手には大さん橋があります。 海の方にはベイブリッジも間近に見えていました。 振り返るとみなとみらい21地区を見渡せる景色が広がっていました。
山下公園
突き当たりを左手へと降って折り返していくと、山下公園に着きます。 海辺に沿って続いていて、幅100m・長さ800mほどの細長い小振りな公園です。 園内には「赤い靴はいてた女の子」や「かもめの水兵さん」などの記念碑を始め、 インド水塔・ZANGIRI・水の守護神・沈床花壇・ガールスカウトの像・せかいの広場などもあり、 すぐ側には展望の得られるマリンタワーもあって、市民の憩いの場所になっています。 外国人が多く訪れる街とあって、この時も「水の守護神」の噴水花壇の前では、 入れ替わり立ち替わりポーズをとって写真に納まっている外国人のグループを見かけました。
記念碑には「美しのサンディエゴ」の歌の楽譜と歌詞の一節が載っていました。 明瞭に見えない部分もあったので間違っている所もあるかも知れませんが、MIDIファイルにしてみました。
横浜サンディエゴ姉妹都市提携二十五周年記念碑
アメリカ合衆国カリフォルニア州の南の端にあるサンディエゴ市と横浜市は、 昭和32年10月29日に姉妹都市として有効の契りを結びました。 その後、横浜からは「友好の鐘」と「茶室」が贈られ、サイディエゴからは「ミッションベル」と 「水の守護神」の像が寄贈されたほか、 学校交換や児童画展の開催など多くの交流が幅広い市民の参加によって続けられ、今日に至っております。 このたび、友好親善の発展に寄与された市民の皆さんに対し、深い感謝の念をこめるとともに、 今後ますます両市間の友好関係が増進しますよう祈念し、 ここに「美しのサンディエゴ」の歌を刻みます。 また英訳した歌碑をサンディエゴへ贈ります。
 (横浜サンディエゴ姉妹都市提携25周年記念歌碑をつくる会一同)
美しのサンディエゴ
おおサンディエゴ サンディエゴ 美し港
水青く 花赤く 何か倖せ 知らせるように
鳴るよ 鐘の音 空高く 空高く
おおサンディエゴ サンディエゴ 美し港
おおサンディエゴ サンディエゴ 愛の町
♪演奏
 (佐伯孝夫 作詞、 吉田正 作曲、 渡辺はま子 歌)
氷川丸
沈床花壇の先には氷川丸が係留されています。今では現役を引退し、船内は一般公開されています。 氷川丸のすぐ側からは横浜港を一周する遊覧船が出ているので、乗ってみるのもいいでしょう。 海の側とあってカモメが沢山飛んでいました。 人から餌を貰おうというのか、地上のすぐ近くへ集まってきていました。
氷川丸
氷川丸は、日本郵船のシアトル航路の新鋭船として1930年4月、 三菱重工業横浜造船所で建造されました。 太平洋戦争中は病院船、戦後は引き揚げ船等として従事の後、 1953年7月我国唯一の外航客船として、シアトル航路に再デビューしました。 本船は戦前戦後を通じて248回太平洋を横断しています。 1961年5月、横浜開港100年記念事業の一つとしてこの地に係留されて以来、 マリンタワーと共に、山下公園の、そして横浜港のシンボルとして市民に親しまれています。
氷川丸の歴史
氷川丸は、日本郵船の社船として、三菱横浜造船所において建造され、 1930年(昭和5年)4月25日に竣工、ただちにシアトルに向け、処女航海の途につきました。 「氷川丸」の船名は、氷川神社(埼玉県)から授かりました。 本船には、最新の大型・高出力ディーゼルエンジン(デンマーク・B&W社製)や、 当時未発効であったSOLAS(海上人命安全の為の国際条約)を先取りした水密区画構造が採用されました。 また、一等船室など船内の随所に、1925年パリ万国博で発表されたばかりのアール・デコ様式の インテリアも採り入れられました。 オーシャンライナー全盛期の優美な船型と、一流シェフの料理をはじめとする最高のサービスが相まって、 本船は「北太平洋の女王」と呼ばれました。 1932年(昭和7年)には喜劇王チャーリー・チャップリン氏が、 1937年(昭和12年)には英国皇帝ジョージ6世の載冠式に出席された秩父宮ご夫妻が、 横浜港まで乗船されました。 1941年(昭和16年)、太平洋戦争勃発とともに本船は日本海軍に徴用され、 主として南太平洋海域において、病院船としての使命を果たしました。 1945年、終戦を迎えた後も、大勢の同胞を家族の待つ日本へ送り届けるため、復員輸送に従事しました。 1953年(昭和28年)には、再び改装工事が行われ、太平洋を横断する唯一の本格的客船として シアトル航路に復帰、母港横浜を出航しました。 このシアトル航路では、戦後の日本復興において、アメリカとの交流を促進するために始められた、 フルブライト交換留学生の方々が多数乗船されました。 また、「宝塚歌劇団」が北アメリカ、カナダ公演の為、本船に乗船されたのも話題となりました。 戦前、戦後を通じ、北太平洋を238回横断し、延べ25,000人余の乗客を運んだ氷川丸は、 1960年(昭和35年)10月、現役生活を引退し、横浜市の「横浜港開港100周年記念事業」の一環として、 1961年(昭和36年)生まれ故郷の横浜港・山下公園に係留されました。 係留後は、国際都市横浜を訪れる観光客の方々に、当時の豪華客船の優雅な船旅気分を 味わっていただけるよう、船内を見学していただいております。
 (氷川丸マリンタワー株式会社)
氷川丸を過ぎて山下公園を更に進んでいくと、横浜人形の家へと続く階段がありますが、 その手前を右手へ進んで、公園から道路の方へ出ていきます。 道路を渡ってマリンタワーの左手を過ぎ、最初の十字路を左折していきます。
山下ふ頭入口バス停
100mほど進んでいくと高速道路の高架に突き当たります。 そこを右折していくと、すぐの所にある横浜地方合同庁舎の前に山下ふ頭入口バス停があります。 ここからバスに乗って横浜ベイブリッジを渡り、大黒ふ頭側にあるスカイウォークへと向っていきます。 [109]スカイウォーク前行きバスにて25分、1時間に2本から3本程度の便があります。
ヘボン博士邸跡
開港とともに来日した宣教師の1人で神奈川成仏寺に3年仮寓、文久2年(1862)冬、横浜居留地39番に移転、 幕末明治初期の日本文化の開拓に力をつくした。 聖書のほんやく、和英辞典のへんさん、医術の普及などがそれである。 昭和24年(1949)10月記念碑が邸跡に建てられた。
横浜ベイブリッジ
バスに乗って横浜ベイブリッジを渡っていきます。 左右には海や街並みなどを見渡せる景色が広がっていますが、 橋には防護用の柵がしてあって視界を遮っているのが残念ではあります。
(写真はスカイウォーク前バス停の側にある大黒ふ頭西緑地から写したものです)
横浜ベイブリッジ
横浜ベイブリッジは、本牧ふ頭から横浜航路を横断し大黒ふ頭に至る全長860mの上下2層構造の斜張橋です。 横浜ベイブリッジは、塔から斜めに張ったケーブルで橋桁を支える斜張橋という橋梁形式を採用していますが、 横浜航路をまたぐ2本の主塔の間隔は460m、主塔の高さは海面から175m、ケーブルの数は176本、 橋を支える基礎は海面下84mに達しており、世界最大級の斜張橋です。 2層構造のうち上層は首都高速道路・高速湾岸線が、下層は将来竣工となる国道357号線が各々6車線で計画されました。 高速湾岸線は、東京湾環状道路の一部として首都圏の交通混雑を緩和することを目的として、 昭和56年の着工から8年の歳月を無事故無災害で工事を終え、横浜市制100周年、横浜開港130周年にあたる 平成元年9月27日に開通しました。 また、横浜ベイブリッジにはわが国で初めての本格的な展望施設「スカイウォーク」(横浜市管理)が 橋梁に取り付けられています。 このように横浜ベイブリッジは、二本の表玄関横浜港のシンボルとして、ウォーターフロントの幹線道路として、 さらに国際都市・横浜の新しい観光名所として、多くの期待を寄せられている橋梁です。
ヨコハマベイブリッジ
横浜ベイブリッジは、横浜・東京・千葉などを結ぶ東京湾環状道路の一部として建設され、 首都圏内陸部の交通量を緩和するだけでなく、臨海工業地帯の産業・経済に大きく貢献します。 横浜ベイブリッジは、大黒ふ頭と本牧ふ頭をひとまたぎする上下2層構造で、 上層は高速湾岸線、下層は将来国道357号が通ります。 橋の構造は斜張橋と呼ばれるもので、海面上に高さ175mの主塔を2基建ててケーブルを張り橋桁を支える形式で、 白鳥が翼を広げたよな美しい橋です。 全長860m、2基の主塔の間は世界でもトップクラスの460mで、横浜のシンボルです。 (補注:国道357号は平成16年に完成しました)
上部構造 本橋の構造形式は、吊橋案、ゲルバートラス案、斜張橋案などを比較した結果、 現地の条件において最も有利な斜張橋案が選ばれました。 主桁はトラス形式のダブルデッキで、上下層の道路はそれぞれ6車線となります。 主塔は、横梁が2つある矩形断面のラーメン構造で、景観を配慮して内側に傾斜させてあり、 その高さは、海面上175mになります。 ケーブルは、主塔かあら主桁の両側に2面11段に張られ、 その張り方は力学的に有効な扇状(ファン)形式となっています。
下部構造 本橋を支える4基の橋脚基礎は多柱基礎と呼ばれるものです。 その構造は、直径10mのコンクリートケーソンを主塔基礎では9本、端部橋脚基礎では6本用い、 その頭部を厚さ9m〜12mのコンクリート板(フーチング)で連結しています。 架橋地点では、支持層(土丹層)が深く、コクリートケーソンの最大長さは75mにもなります。
スカイウォーク前バス停
横浜ベイブリッジを渡り、ループ道を2度ほど回って地上に降りていきます。 バス停は地上へ降りてすぐの所にあるのですが、 海釣り公園などを経ていくので随分と遠回りをしていきます。 バス停のすぐ脇にスカイタワーが建っています。 「スカイウォーク」と書かれたゲートの先へ続く階段を登っていきます。
スカイウォーク
スカイタワーの階段を登っていった所にある2階ロビーへと入っていきます。 料金を払って中へ入り、エレベータで4階へ登っていくよう指示をされます。 スカイウォークはベイブリッジの港内側と港外側の両側に続いていて、一方通行になっています。 港内側の往路は4階から出発し、港外側の復路は3階へと戻ってきますが、散策路はいずれも橋の同じ高さの所に続いています。 大黒ふ頭寄りの主塔の下に展望ラウンジがあります。
スカイウォークご案内
【施設概要】
スカイウォークは、「海から見た横浜の展望」を楽しむことができる空中散策路で、 横浜港を一望できる《展望ラウンジ》と《プロムナード》を横浜ベイブリッジに併設した道路施設です。 良く晴れた日には富士山や新宿副都心が望め、美しい夕暮れや素晴らしい横浜の夜景もご覧いただけます。 また、橋の構造や港の施設、行き交う船舶などを間近に見て、学習することもできます。
【営業時間】
4月〜9月 月〜木・日曜日 10:00〜20:00(最終入館19:30)
金・土曜日 10:00〜21:00(最終入館20:30)
10月〜3月 月〜木・日曜日 10:00〜18:00(最終入館17:30)
金・土曜日 10:00〜20:00(最終入館19:30)
休館日 火・水曜日(祝日の場合は翌営業日)
但し、下記の期間は無休で営業いたします。
4月29日〜5月5日、7月25日〜8月25日、12月23日〜1月6日、3月25日〜4月3日
港内側プロムナード
エレベータを降りて港内側のプロムナードを進んでいきます。 周囲は金網で囲まれいますが、所々小さく開いている所があったりします。 カメラのレンズをそこから出して写真を撮れるようにとの配慮なのでしょうか。 プロムナードの所々にはベンチの設置された休憩所のような所があり、 クイズ形式でベイブリッジに関する解説をした紙が貼り付けてありました。 港内側と港外側のプロムナードに6問ずつ、合計12問がありました。 各問は同じような紙がふたつに分かれていて、一つでは設問とヒントを、 もう一つでは解答と補足説明がなされていました。
Q1.みんなが今立っているスカイウォークの高さはどれくらいかな
  A. 33m B. 44m C. 55m
Q2.みんなが歩いてるスカイプリムナードの片道の長さはどれくらいかな
  A. 32m B. 320m C. 3200m
Q3.横浜港に来たことがある船で、ベイブリッジをギリギリで通過するほど大きな船はどれかな
  A. 飛鳥 B. シーバス C. クイーンエリザベスU世
Q4.スカイウォークの誕生日はいつかな
  A. 6月2日 B. 8月10日 C. 9月27日
Q5.ベイブリッジの工事の期間はどれくらいかな
  A. 4年 B. 9年 C. 35年
Q6.スカイラウンジから見える日本で一番高いビルの名前は
  A. ランドマークタワー B. インドマークタワー C. サンドマークタワー
港内側には横浜港や横浜の街並みが広がっていました。 天気がいいと丹沢なども見えるようですが、この日は生憎の曇天とあって遠くの方は霞んでいました。 いつもは陸側から海を眺めるのですが、こうして海側から陸を眺めてみると、 普段見慣れた街も何だか新鮮に感じたりします。
各休憩所には大きな双眼鏡が設置されています。 動かすのがかなり重くなっていて、なかなか思うように位置合わせが出来ませんでした。 何とか照準を合わせて覗いてみると、横浜の街並みを間近に見ることができました。 どんな感じに見えるのかが分かるように、双眼鏡の接眼レンズにカメラを押し当てて写してみました。 左手の写真はマリンタワー、右手の写真はランドマークタワーになります。 少し霞んだように写っていますが、実際にはもっとはっきりと見えていました。 天気がいい日にこれで富士山を眺めるとどんな風に見えるのだろうと想像したりもします。
展望ラウンジ
やがて降り階段が現れます。 階段を降って左手へ曲がっていくと扉があります。 扉から入っていくと「展望ラウンジ 階段をお降りください」の案内が左手の階段を指しています。 案内に従って左手へと階段を降っていくと展望ラウンジがあります。 円形になった展望ラウンジの窓際には、 そこから見える景色の写真と建物や山などの名前を書いた看板が幾つも掲げられていました。 天気がいいと、房総半島や三浦半島を始め丹沢山塊・箱根連山・伊豆半島や富士山までも眺められるようですが、 この日は生憎の曇天とあって、遠くの方は霞んでいました。 展望ラウンジにはJAZZライブ演奏をするための楽器などが置かれているコーナーがあり、 夕刻になると定期的に演奏会が催されているようでした。 月に一度は趣向を変えてラテン音楽が演奏されるのだそうです。 クリスマスイブには20時まで営業されるようで、 大切な人と一緒にひと時を過ごすのにも良さそうな所です。 また一角には売店もあって軽食などを販売しています。 自販機もあって飲み物などが売られています。 トイレや公衆電話なども設置されています。 お昼を少し回った時刻だったので、ここで軽く飲食していきました。
展望ラウンジには、横浜港やベイブリッジなどを解説したパネルも展示されていました。 横浜港を運行するシーバス・マリーンシャトル・マリーンルージュを始め、 横浜港を訪れた客船などが写真入りで紹介されていました。 また、横浜港の姉妹港・友好港・貿易協力港として、 ハンブルク港・上海港・オークランド港・バンクーバー港・大連港・メルボルン港などが紹介されていました。 日米和親条約締結からの横浜港の歴史なども紹介されていました。
横浜港の役割
横浜港は東京湾の西岸に位置し、風向、風力、潮流、水深等最適な条件に恵まれた天然の良港です。 また、政治、経済の中心、かつ巨大消費地でもある東京都心まで約30kmという至近距離にあり、 物流拠点としてわが国を代表する商業港のみならず、 京浜・根岸湾工業地帯を擁する工業港としての顔も持つ総合港湾です。 1996年の取扱貨物量は1億2,645万トンで、その主な貨物は輸送機械、金属機械等、付加価値の高い工業品です。 また、貿易には外国貿易と国内だけで行う内国貿易があり、 横浜港は両方に重要な役割りを果たしています。 横浜港から世界各国へくまなくはりめぐらされた航路網は北米、ヨーロッパ航路ばかりでなく、 東南アジア・中近東・アフリカ・中南米航路等世界の殆どの主要国と結ばれ、 取引相手国は150ヶ国を越えています。 更に、横浜港は、コンテナ・自動車・プラント・鉄鋼・木材・石油・青果・食品等あらゆる種類の貨物を 取扱える施設を有し、輸出入・移出入・定期・不定期貨物量のバランスも良く、 港に望まれるオールラウンドな機能を有しています。 コンテナバース等近代的な港湾施設が本牧ふ頭、大黒ふ頭を中心に整備されています。 また、船舶・貨物・施設等の利用情報がコンピューターにより一元的に処理されています。 ふ頭は以後には荷さばき地、保管の拠点となる上屋、倉庫が立ち並んでおり、 長い伝統に培われた優秀な技術と豊富な経験を持った層の厚い港湾関係者が、 荷役・荷さばき・通関・配送といったサービスを安全・確実・迅速に提供しています。 また、横浜港は、外国から来る客船の乗客や旅行客にとってはわが国の海の玄関でもあります。 さらに市民にとっては、レクリエーションや憩いの場でもあります。 横浜港はこのような性格を持ち、多くの人々に親しまれています。
スカイウォーク
スカイウォークは、ベイブリッジからの港の風景を楽しんでただくために日本で初めて、 橋に設けた展望施設です。 スカイラウンジ・スカイプロムナード・スカイタワーの3つの部分から構成される歩行者専用道路です。 展望ラウンジからは、横浜港に出入りするいろいろな船を間近に見たり、 空中360度の大パノラマが手に取るように眺められ、夜景もまたすばらしいものです。
港外側プロムナード
展望ラウンジを後にしてロビーへと引き返していきます。 「おかえりみち」、「港外側遊歩道へ」の案内に従って階段を登っていきます。 「出口」の扉から出て階段を登っていくと、港外側プロムナードが続いています。 こちら側にも所々にはベンチの設置された休憩所のような所があり、 クイズ形式でベイブリッジに関する解説をした紙も貼り付けてありました。 休憩所の色が港内側(深緑色)と港外側(青色)では微妙に異なっていました。 陽の当り具合の差による変色の違いという訳でもなさそうだし、何か理由でもあるのでしょうか。
Q7.すぐ横を走っている道路は国道何号線かな
  A. 三五七 B. 五七五 C. 六三四
Q8.スカイウォークがあるふ頭は何ていうふ頭かな
  A. 大赤ふ頭 B. 大青ふ頭 C. 大黒ふ頭
Q9.本牧ふ頭はコンテナの積み下ろしが多いが、コンテナを動かすクレーンの名前はどれかな
  A. ガントリークレーン B. タンドリークレーン C. サントリークレーン
Q10.ベイブリッジにつかっているケーブルを全部つなげるとどれくらの距離になるかな
  A. 横浜〜東京 B. 横浜〜大阪 C. 横浜〜京都
Q11.ベイブリッジにつかった鉄の量は東京タワーいくつ分かな
  A. 7基 B. 13基 C. 15基
Q12.次の三つの橋で一番長いのはどの橋かな
  A. お台場レインボーブリッジ B. 横浜ベイブリッジ C. 鶴見つばさ橋
港内側と違って、港外側プロムナードには、クイズ以外にも色々な解説板が設置されていました。 下記以外にも、「横浜ベイブリッジの橋長は860m,斜張橋としては世界最大級」、 「横浜ベイブリッジに使用されたケーブルの断面」、「ヨコハマベイブリッジ スカイウォーク事業の経緯」、 「港の安全を守る交通整理信号」、「船と船、船と陸上の通信、国際信号旗」と題した解説板がありました。 後で読み返してみると、知らないことが多くて勉強になったりします。
横浜ベイブリッジは国際都市・横浜の21世紀への架け橋です
首都圏道路網の中核となる高速湾岸線、横浜を一周し各高速道路を相互に連絡する横浜環状道路を、 横浜の未来を支える交通ネットワークの強化に必要なキーポイントといえるのが この横浜ベイブリッジです。 高速湾岸線は東京湾横断道路とも接続、臨海部の交通緩和と各都市への通過交通の対応を目的とし、 合わせて横浜の都市機能の強化、東京へのアクセス強化を果たすもの。 横浜環状道路は横浜を一周し、周辺地域の活性化を促すとともに放射状にのびる各高速道路を相互に連絡し、 高速湾岸線や首都圏中央連絡自動車道にもつながる重要な環状道路です。
国際貿易港・横浜
1853年浦賀に黒船来航、1858年日米修好通商条約調印、そして1859年横浜港開港。 当時の横浜は戸数約100戸の小さな漁村でしたが波止場や外国人居留地、日本人街、そして道路が新設され、 一躍商業都市、貿易港として二本の経済活動の中心地になりました。 また電信・電話・上下水道・鉄道・ガス燈などいずれも"日本で最初"の技術が導入され、 近代都市づくりが急速に進みました。 いまやオランダのロッテルダム港、アメリカのニューヨーク港に並ぶ世界有数の国際貿易港に発展、 日本の外国貿易の中枢として日本経済にとって非常に大切な役割を果たしています。
突き当たりまで戻ってくると階段を降っていきます。 左手に曲がって扉を過ぎていくと、スカイタワーの3階のエレベータホールに着きます。 ここにも解説板が設置されていて、 横浜ベイブリッジに続くような位置にある「鶴見つばさ橋」が紹介されていました。 横浜ベイブリッジと対比するような形で紹介されています。 全長は1,020m、海面上の高さは183mで、横浜ベイブリッジよりも少し大きい橋のようです。
スカイウォーク前(すかいうぉーくまえ)バス停
エレベータで2階ロビーまで降りていきます。 ロビーから出て元の階段を降っていくと、すぐの所にスカイウォーク前バス停があります。
鶴見駅(JR京浜東北線)まで、[17]鶴見駅前行きバスにて24分、 1時間に2本から3本程度の便があります。
桜木町駅(JR根岸線)まで、[109]桜木町駅前行きバス,または,[109]横浜駅西口行きバスにて40分、 1時間に2本から3本程度の便があります。