平安鎌倉古道
散策:2006年11月上旬
【低山ハイク】 平安鎌倉古道
概 要 平安鎌倉古道は箱根から三島へと続く古道です。 官道だった足柄道が平安時代に富士山の噴火で塞がったのを契機にして開かれ、 江戸時代に箱根旧街道(東海道)が開かれるまでは多くの人々に利用された道でした。 今回は三島駅から芦ノ湖の手前へ向って、高台や尾根に続く古道を緩やかに登っていきます。
起 点 三島市 三島駅
終 点 函南町 芦ノ湖カントリー入口バス停
ルート 三島駅…三嶋大社…三嶋暦師の館…願成寺…小沢分岐…韮山辻…元山中関所跡…山神社…平安鎌倉古道…諏訪神社…扇平…北箱根山林道…林道合流点…芦ノ湖高原別荘地…管理事務所…茨ヶ平…芦ノ湖カントリー入口バス停
所要時間 5時間10分
歩いて... 途中までは市街地や住宅地を通りますが、中ほどを過ぎると土の道に変わってきて、古道の雰囲気が出てきます。 道幅も比較的広くて道標や石標なども点々と設置されていて分かりやすくなっていました。 横木の階段もあったりしますが、それ程苦労することもなく歩いていけました。 途中からは富士山も望める道なのですが、今回は生憎と山頂には雲がかかっていて裾野の辺りしか見えませんでした。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
三島(みしま)駅
三島駅(JR東海道線)から歩いていきます。 南口を出た所に「せせらぎルート全体案内図」があります。 これから向う三嶋大社への道もこの「せせらぎルート」に含まれていて案内図に掲載されているので参考にしましょう。 正面にあるバスターミナルを左手から回っていきます。 三島駅前交番や駐車場を過ぎていくと三島駅前交差点があります。 信号を渡って正面の左前方へと延びる道を進んでいきます。
【コースタイム】
三島市観光協会のホームページに古道の案内図が掲載されているので、 印刷して持参すれば大変に参考になります。 その案内図によると、今回歩くコースの所要時間は次のようになっていますが、 休憩時間などは含まれていないものと思われます。
[三島駅]→[カントリー入口]:4時間35分  [カントリー入口]→[三島駅]:4時間3分
せせらぎルート全体案内図
この案内図は、三島の街中に残る「富士山からの贈り物〜湧き水とせせらぎ空間」や 「三嶋大社や国分寺をはじめとする歴史的な施設」などを巡る散策ルートを紹介しています。 三島には旧来、至るところに富士山の雪解け水が湧き出し、幾筋ものせせらぎとなって流れ下っていました。 戦後の経済発展の中で地下水利用が進み湧水が枯れた時代もありましたが、 近年地域の皆さんや企業の協力によりかつての清流が戻りつつあります。 「街中がせせらぎ」はこうして復活しつつある「街のいいところ」を 地域ぐるみで守り育てていこうという活動の「合言葉」です。
散策する皆様へ
散策ルート周辺には「ホタルの幼虫」や「カワセミ」、「ホトケドジョウ」、 「三島梅花藻(バイカモ…水中花)」など環境に非常に敏感な動植物が生息しています。 散策の際にはこれらを傷つけないよう十分気を配って頂くようお願いいたします。
ルート中のせせらぎ空間周辺にはその性質上足元の悪いところもあります。 運動靴の着用などをしていただくと、より快適な散策が楽しめます。
 (三島市)
街中を左前方へと進んでいくと道が二手に分かれていますが、いずれを行っても同じ道に出ます。 突き当たりを右折して進んでいきます。 楽寿園前バス停を過ぎていくとT字路があります。 左手には白滝公園があり、角には昔懐かしい赤いポストが立っています。 道標「三嶋大社」に従って、T字路を左折していきます。 法被を着た子供達が押す昔の消火用手押しポンプの像を過ぎて、 「静岡県まちなみ50選」にも選ばれている水上通りを進んでいきます。
郵便差出箱一号丸型ポスト
明治4年に設置された日本最初のポストは「書状集め箱」と呼ばれていました。 その後、木製黒塗り「郵便箱」になり、明治34年鉄製赤色「俵谷式ポスト」が考案されました。 そして「丸型庇付ポスト」を経て、昭和24年から「郵便差出箱一号丸型ポスト」となり、 20世紀の郵便の象徴(赤いポスト)として人々に親しまれてまいりました。 今日、郵便取り扱い数量の増加、郵便物の大型化により、郵便ポストは大型のものに切り替わりました。
このポストは三島市が保存・管理するものです。 ご使用できませんので、ご注意ください。
 (三島市)
白瀧観音堂を過ぎていくと、左手には桜川が流れるようになります。 河川の改修工事が行われたのか、川底は平らで非常に浅くなっていました。 川にはカモが沢山泳いでいました。 透き通った綺麗な水なので、足元の様子がよく見えていました。 水深が非常に浅いので川底に足が着いているようで、 泳いでいるというよりも川を歩いているといった感じがしました。 桜川に沿って続く道には枝垂れ柳が並木を作っていて風情を醸し出していました。 川端に枝垂れ柳の景色…、絵になりますね。 私の故郷でも枝垂れ柳が並木を作っていたので、懐かしく思い出したりしました。 「水辺の文学碑」ということで、沿道には文学碑が点々と設置されていました。 無学の私でも名前は知っている著名な作家の碑が数多くありました。 この三島に因んだ作品の一節が記されていて興味を惹かれたりします。
白瀧観音堂
このお堂は平安時代末からここ水上の地に在って観世音菩薩がお祠りされている。 当時は現在地より北に位置し、堂のかたわらに白いしぶきを上げながら瀧が落ちていたところから、 白瀧観音と尊称されたと伝えられる。 江戸時代には此の地に移ったと言われ、 一時荒廃したものを常林寺十七世達玄大和尚これを見いだし寺内に拝し奉祠された。 これを機に町内でも有志が債権しお祠する様になり、 現在この縁をもとに毎月18日常林寺住職が出向し例祭を催している。
 (講中一同 謹誌)
桜川
普通河川 延長4,150m(市管理)
菰池や白滝公園を水源とする桜川は、三ヶ所用水とも呼ばれ、 旧三島宿・錦田村字中・旧中郷村字中島の三ヶ所の農業用水となっています。 桜川は、農業用水としての利用が主であるため、横浜ゴム付近で複雑に分水されていて、 それぞれ中、藤代町、森永製菓南の耕地などへ導水されています。 流末は、大場橋付近で暗渠になっており、梅名橋付近から御殿川に流れています。 また、白滝公園付近には"はや"が生息しており、川沿いを歩く人が思わず足を止めて 川の中をのぞき込んでいる風景に出くわします。 白滝公園は昔から「水泉園」と呼ばれ、富士の湧水にふさわしい地名として市民から親しまれています。
 (三島市)
枝垂れ柳の道が終わると、広い県道21号に出ます。 県道を右折していくと大社町西交差点があります。 交差点を左折していくと、すぐ左手に三嶋大社の大鳥居があります。 三島駅から20分ほどで到着しました。 大鳥居の両側にある灯籠は昔風の趣のある立派な形をしていました。 大鳥居をくぐって両側に広がる神池を見ながら真っ直ぐに進んでいきます。 右手には宝物館や芸能殿があり、弓道場との間には鹿が沢山飼われていたりもします。
三嶋大社
総門を過ぎ神門を過ぎていくと、華麗な姿をした舞殿があります。 その横から奥へと進んでいくと、三嶋大社の本殿・幣殿・拝殿があります。 「伊豆一の宮」とされるだけあって境内は広く、威風堂々とした立派な佇まいの神社です。 これからの散策の安全をお祈りしていきましょう。 辺りを見回しても神社の由緒などを記したものは見かけませんでしたが、 御祭神は大山祇命と積羽八重事代主神で、御二柱の神を総じて三嶋大明神と云うようです。 巫女さん達が何やら忙しそうに立ち振る舞っていました。 その内に神主さんが体列を組んで拝殿の方へと向っていきました。 朝のお祈りの儀が始まったようです。
神池
天長4年(827)神池の水が渇れ天下大旱し神官の訴えにより、朝廷は三嶋神殿於て澪祭(雨乞)を行わしめた。 6月11日から15日まで大雨が降る。 時の帝は当社に圭田を寄せ神官に禄金財帛を賜った。 元暦2年(1185)8月、源頼朝は神池に於て放生会を行い、その際、糠田郷・長崎郷を三嶋社の料と定めた。
総門
外構えの門。 建築中、伊豆震災にあったが、昭和6年3月竣功。 初めて台湾檜が使用された。 昭和の神社建築の代表的建物の一つに数えられ、格調の高さは有名である。 当時の内務省神社局技師角南隆氏の設計監督である。 旧総門は一部改修して芸能殿として保存。
神門
慶応3年(1867)8月10日竣功。 これより神様をお祀りする第一清浄区につき静粛に御参拝下さい。 御門内での喫煙・自転車などの乗り入れはご遠慮下さい。
舞殿
古くは祓殿と呼ばれ神楽祈祷を行ったが、後には主として舞を奉納したので舞殿と呼ばれるようになった。 現在は舞の他、田打ち神事・豆撒き神事・鳴弦式神事などの神事の他、祈祷・結婚式等も行う。 慶応2年12月18日の再建で、昭和5年の伊豆地震の復旧工事で一部改修を行ったものである。
三嶋大社 本殿・幣殿・拝殿
三嶋大社の創建は明らかではないが、鎌倉時代(1192〜1333)初期には関東総鎮守として、 源頼朝や多くの武将の尊崇を受けた名社である。 一遍聖絵の社頭と現在のそれとではかなり異なり、焼失記録をみると、 文永5年(1268)と永仁4年(1296)に焼け、また延享元年(1744)と安政元年(1854)の地震で倒壊している。 今の社殿は万延元年(1860)から明治2年(1869)にかけて再建されたものである。 本殿は流れ造(棟より前方の屋根が後方の屋根よりも長く反っている建築様式)で、 切妻屋根(本を半ば開いて伏せた様な形の屋根)、棟には千木・鰹木をつけている。 拝殿は入母屋造(上部を切妻屋根とし下部が四すみに棟をおろしている屋根をもった建築様式)で、 前面には三間の向拝をつけ、正面に千島破風と軒唐破風がつく。 両殿の間には軒下に納まるように相の間がつくられている。 この建築の様式は権現造といわれる。 全国的にみて拝殿の大きな神社は数多いが、本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級であり、 高さ23m、鬼瓦の高さ4mという豪壮なものである。 彫刻は伊豆国名工小沢希道、駿河国名工後藤芳治良がそれぞれ門人とともに技を競いあって完成した傑作である。
 (三島市教育委員会)
三嶋大社の社叢
三嶋大社の境内約5万uの内には、900本以上の樹木が生い茂っている。 これらの樹木は各建造物を囲むように配られ神域を形成し、 古くからの「鎮守の森」の景観をよく伝えている。 樹木の大部分は広葉樹が占め、広葉常緑樹と広葉落葉樹がほぼ半数ずつで混成林をつくっている。 イチョウなどの裸子植物が7科14種、欅やアラガシ、サクラなどの被子植物の鱗弁花類が23科40種、 ツツジやキンモクセイなどの被子植物の合弁花類が4科8種を数える。 東海の名社として多くの人々の信仰を集めてきたことから、 その社叢もよく保存されており、現在も市民から大社の森として親しまれている。
 (三島市教育委員会)
三嶋暦師の館
総門まで引き返して、 「街中がせせらぎ」の道標「三嶋暦師の館」の指す物産店の左手にある路地へと入っていきます。 駐車場を右手に見ながら進んでいくと、商店のある十字路に出ます。 そこを左折して三嶋大社に沿って進んでいきます。 三嶋大社の弓道場への入口を過ぎていくと、カーブミラーの立つT字路があります。 袂には「大宮町2」の消火器も設置されていました。 そこを右手へと進み、その先の十字路を直進していくと、右手に「三嶋暦師の館」があります。 この時には少し早い時刻だったので、まだ開いてはいませんでした。
三嶋暦師の館
三嶋暦師の館は、日本でも数少ない暦師の一人、河合氏の家でした。 この地は三嶋大社の神領域でしたが、三嶋大社と関係の深い社家の一人河合氏の先祖が暦師として 代々三嶋暦の印刷・販売を行ってきました。 また、古くは天文台もあったといわれており、徳川幕府が暦を編集するようになるまでは、 河合家が独自に暦を計算し、編集・印刷・販売を行ないました。 現在の建物は、安政地震(1854)によって前の建物が壊れた後に、 当時の韮山代官であった江川太郎左衛門が、十里木(現裾野市)にあった関所跡の建物をここに移したものです。 三嶋暦の始まりは、鎌倉時代かそれ以前であろうと考えられますが、 仮名文字で刷られた暦としては日本で最も古く、三島から発進され、 伊豆はもとより関東を中心に広く販売されていました。 三島市では、この三嶋暦の貴重な歴史を継承し、郷土の文化遺産として共有するために、ここに公開しております。
開館時間 午前9時30分〜午後4時30分  休館日 毎週月曜日(その日が国民の祝日の場合にはその翌日となります)
 (三島市)
願成寺
三嶋暦師の館を後にしてその先へと進んでいきます。 すぐにあるT字路を直進して緩やかに降っていくと、 加茂川町保育園の先に大場川に架かる下神川橋があります。 30mほどの下神川橋を渡って、その先へと真っ直ぐに進んでいきます。 少し左手へと曲がってこんもりとした森の手前まで来ると、願成寺へ続く坂道が右手に分かれていくので、 ちょっと立ち寄っていきましょう。 「天主君山」や「願成寺」と刻まれた石碑の間を過ぎてその先の坂道を登っていきます。 小さな社や大きなクスノキを過ぎて石段を登っていくと、願成寺の境内に着きます。 右手に墓地を見ながら進んでいくと、正面には観音堂があります。 右手の庫裡の前の藤棚をくぐってその先へと進んでいくと、石段を登った所に本堂があります。
源頼朝の宿願宿舎(願成寺)
源頼朝の宿願の宿舎として百日間この庵より三嶋大社に日詣し、のち宿願成就し、 天主君山願成寺と号を賜ったという。 寺の本尊阿弥陀如来像は藤原時代末期の作風が見られ、当地方の重要な仏体の一つである。
 (三島市)
願成寺のクスノキ
この寺へ上る参道の途中、クスノキは両側に対峙して生育している。 昔、山門のかわりに植樹されたものと思われるが、記録も伝承も残っていない。 北側のものは根廻り8m、目通り6m、樹高約30m、南側のものは根廻り85m、目通り4.4m、樹高約25mである。 南側のものは昭和57年9月の台風のため上部の一部が強折されている。 しかし双方とも樹勢は良好で、樹齢は300年余である。 クスノキは本来暖地に多く自生する常緑高木で、2本が1対となり良好に生育していることは希少価値が高い。
 (三島市教育委員会)
観音堂まで引き返してその左手から続く坂道を降っていきます。 先ほどの道へ降り立つと、右手の正面に登っていく坂道があります。 道路を横切って、かなり傾斜のある坂道を登っていきます。 坂を登りきると道が二手に分かれていますが、右手へと進んでいきます。 高台の住宅地の中を進んでいくと、白いガードレールに突き当たります。 道なりに右手へ曲がって100mほど進み、左手のJR東海道線の上に架かる陸橋を渡っていきます。 橋の老朽化のため、車両の通行は、車高1.9m・車幅2.0m・重量2.0t以内に制限されています。
伝 河原ヶ谷堡跡
「増訂豆州志稿」(1895)によれば、「河原ヶ谷村の北に城山と呼ばれる所があり、 本丸と二ノ丸の旧跡がある。伝えられるところによれば、延徳3年(1491)伊勢長氏が伊豆に攻め入った時、 高橋権守兼遠という者がこれに拠っていたのを、葛山惟定よく城の案内を知り、 山手から攻めてこれを抜いた」と記されている。 城域は願成寺境内を含む一帯を占めていたが、現在その遺構は、 旧陸軍墓地付近にその痕跡をとどめるのみである。 堡跡は箱根西麓の丘陵地に位置し、眺望も良く、推定平安鎌倉古道(古代・中世の東海道)も通過するなど、 往昔を偲ばせる風景となっている。
 (三島市教育委員会)
陸橋を渡っていくと、すぐ右手に加茂川町バス停があります。 その左手から続く道もありますが、今回は右手の線路沿いに続く道を進んでいきます。 少し進んで線路から離れて左手へと曲がっていくと、緩やかな登り坂になってきます。 右手への分岐を見送っていくと、クリーニング店の先に、 東海道新幹線の上に架かる陸橋「第二天神原B0」があります。 陸橋を渡って信号機のある十字路を直進して、その先へと続く坂道を登っていきます。
手元の地図によると、起点の三島駅から終点の芦ノ湖カントリー入口バス停までの標高差は約800mで、 直線距離は12kmほどですが、道程にするともっと距離があると思われるので、 平均斜度は3.5度ほどになるでしょうか。 緩やかな登り坂がこの先にかけてずっと続きます。
高台の住宅地に続く坂道を真っ直ぐに登っていくと、旭ヶ丘上バス停があります。 三島駅から1時間に2本程度の便があるようでした。 バス停を過ぎて更に進んで傾斜が少し緩やかになってくると、左手が開けてきます。 眼下には街並みが広がり、その向こうには箱根外輪山から愛鷹連峰にかけての山並みが広がっていました。 中ほどには富士山と思しき裾野が広がっていましたが、 上の方には雲が立ち込めていて、残念ながらあの美しい姿を望むことは出来ませんでした。 右手にある山田小学校老人福祉センターを過ぎていきます。
小沢分岐
山田中学校を過ぎていくと住宅地も終わになります。 6分ほど進んでいくと、大きな陸橋を渡っていきます。 名前はあるのでしょうが、橋に銘板が付けられていなかったので何という橋なのかは分かりませんでした。 陸橋を渡って左手へとS字形に曲がって更に進んでいきます。 竹林を過ぎてちょっとした切り通しのような所を過ぎていくと、右手に加々見園があります。 造園施工や苗木や野菜苗などを商われいるようでした。
ゴルフ場のグリーンを右手に見て更に進んでいくと、正面にこんもりとした森が見えてきます。 道は右手へと曲がって降っていくのですが、その角から左手へと分かれていく道があります。 「工事用車両出入口」の立て看板に隠れていて見えにくくなっていましたが、 角には「三島ハイキングコース」の標識と、道標が立っていました。 その道標によると、左手へと分かれていく道は「至 青少年小沢の里・元山中」、 これまで歩いてきた道は「至 旭ヶ丘」となっていました。 手元の地図によると、右手へと降っていく道は小沢地区へと続いているようでした。 三嶋大社から1時間ほどで到着しました。 ここは道標に従って、左手へ分かれていく道へと入っていきます。 三島駅からここまでは市街地や住宅地などを通ってきて「古道」の趣きはありませんでしたが、 ここから先は「古道」の雰囲気が残る道になってきます。
韮山辻
桧や雑木が生える森の中に続く緩やかな坂道を進んでいきます。 2分ほどで左手へ分かれていく道がありましたが、入口には柵がしてあって通行止めになっていました。 柵に付けられた看板によると、三島市清掃センターへ続いているようでした。 その分岐を見送って、熊笹や竹林もあったりする道を更に進んでいきます。 左手が少し開けた所を過ぎていくと、小沢分岐から8分ほどで、左手から道が合流してきます。 道標などは見当たりませんでしたが、ここが三島市観光協会の案内図に載っている「韮山辻」だと思われます。 手元の地図によると、左手の道は沢地地区や富士見台の住宅地へと続いているようです。 ここは正面に延びる道を更に進んでいきます。
写真は振り返って写したものです。 左側の道から手前へ向って歩いてきました。
1分ほど進んでいくと、右手へと道が分かれて降っていきますが、そのまま真っ直ぐに進んでいきます。 右手へ登っていく小道を分けて更に進んでいくと、韮山辻から3分ほどで、高台にある開けた畑地に出ます。 箱根の山々でしょうか、畑の向こうには山並みが続いていました。 雲がかかっていて山並みがはっきりしなかったのが残念ですが、 条件がいい日には富士山も見えるのでしょうか。
桧の木立を抜けていくと再び畑地が広がってきます。 左手の上に送電線の鉄塔が見えてくると、道が二手に分かれています。 ここは左手へと登っていく道は見送って、右手の緩やかな道を進んでいきます。
畑地が終わって桧林の中を進んでいきます。 引き続き緩やかな登り坂が続いています。 右手への分岐を分けて更に真っ直ぐに進んでいくと、右手に畑地が広がるようになります。 畑地を過ぎていくと、右手には竹林がしばらく続くようになります。 左手へ分かれていく土の道を二度ほど見送っていくと、やがて少し降り坂になってきます。
程なくして再び緩やかな登り坂になってきます。 左右への分岐道を分けて進んでいくと、高台にある広い畑地に出ます。 畑には野菜に混じって花などが栽培されているようでした。 左手にはビニールハウスが幾つか並んでいました。 右手は開けていて畑地の向こうには山並みが広がっていましたが、 生憎の空模様のため、遠くの方は霞んでいました。
十字路
右手に花を栽培している畑を見ながら進んでいくと、ビニールハウスの先に十字路があります。 正面の坂の上には豚舎が見えていて、その手前には小さな石仏も立っています。 道標などは見当たりませんでしたが、この十字路を左手へと曲がっていきます。
元山中関所跡
十字路を左折して畑地が続く道を緩やかに登っていくと、すぐに右手の森に沿って続く道が分かれています。 道標などは見当たりませんでしたが、その道へと入っていきます。 少し進んでいくと、正面にこんもりとした森が見えてきます。 豚舎の手前までくると、樹木の袂に「平安鎌倉古道 山中関所跡」と刻まれた石碑が立っていました。 小沢分岐から45分ほどで到着しました。 石碑だけしか残っていなくて、関所の解説板のようなものは見かけませんでした。 建物の跡のようなものも見当たらず、ここに関所があったという雰囲気はありませんでした。
元山中関所跡を後にしてその先へと進んでいきます。 豚舎の前を過ぎて貯水池を回り込むようにしてクランク型に曲がっていくと、 先ほどの十字路を左折してきた道に出ます。 そこを右折して坂道を登っていくと、 NTT DoCoMo東海の三島川原ヶ谷無線局の所で道が左右に分かれています。 三島観光協会の案内図によると、この辺りに道標があるとのことですが、見当たりませんでした。 ここは左手へと進んでいきます。
山神社
左手へ降っていく道を分けて森の中へと入っていきます。 左手にトタン塀が続く所を過ぎていくと、左手に道が分かれていく角に、 桧の林に囲まれて山神社が建っています。 そばには「平安・鎌倉古道」の解説板が立っていました。 それによると、官道だった足柄道が平安時代に富士山の噴火で塞がったのを契機にして開かれ、 江戸時代に箱根旧街道(東海道)が開かれるまでは多くの人々に利用された道だったようです。 脇には「推定平安鎌倉古道」と刻まれた石標も立っていました。 これと同じような石標は、この先にも古道に沿って点々と設置されていました。
山神社
鎮座地 三島市上下山中1248番地
御祭神 大山祇命(おおやまずみのみこと)
例祭日 1月17日
由緒 大山祇命は山を司どる神と仰がれ、山林農耕殖産の御神徳があり、正月には山霊・木霊にお餅を供える。 社地は平安・鎌倉古道の傍にあり、稲荷社と龍爪社を合祭す。 建武2年(1335)九州菊池一族は此の山中で尊氏勢と戦い撃破する。 天正18年(1590)小田原攻めの徳川軍が山中城を背後から攻むるに当り、この地に陣を着けた。 昭和55年、畑地総合整備事業を完成した。
復元された平安・鎌倉古道
平安時代、箱根越えの道は、現在の長泉町・裾野市・御殿場市をとおり足柄峠を越える足柄道でした。 延暦21年(802)正月、富士山の大噴火で足柄道がふさがり、 そのため三島大社から元山中をとおり芦ノ湖の南岸に出て箱根町へと抜けるこの「平安・鎌倉古道」が開かれました。 翌年、足柄道は復旧され再び官道として通行できたのですが、 「平安・鎌倉古道」は険しいが距離が短いなど便利なため多く利用されたようです。 鎌倉時代「十六夜日記」の作者は、「二十八日に三島の国府を出発。足柄越えは遠道になるので、 箱根路をとおることにして、山道にさしかかった」とこの道をとおったことが書いてあります。 江戸時代に箱根旧街道がつくられると、この道を利用する人はほとんどいなくなり、 地元の人々がとおるだけになりました。 平成2年7月、ゴルフ場建設にあたり元山中の山ノ神神社南側を発掘したところ、 中世の古銭や銅製品・漆器・陶器などが出土し、平安・鎌倉古道が確認されました。 この古道を歩きながら平安・鎌倉時代の旅を偲んでください。
 (三島市教育委員会)
山神社を後にしてその先へと進んでいきます。 右手へ降っていく道を分けて真っ直ぐに進んでいくと、ガードレールが途切れた所に 平安鎌倉古道の道標「←箱根・元山中→」が立っていて、右手の森へと入っていく道を指しています。 このまま舗装された道を進んでいっても3分ほどで合流するのですが、 古道を偲ぶべく、道標の指す右手へ分かれていく土の道へと進んでいきました。 「推定平安鎌倉古道」の石標に混じって、「平安鎌倉古道」の道標も、この先の要所に点々と設置されています。
この平安鎌倉古道の道標は、三島市観光協会の案内図に載っている写真とは少し違う形をしていました。 案内図にあるのは木製の道標のようにみえますが、 今回見かけた道標は文字の書かれた両翼の所が金属板のようでした。 最初に設置されてから立て替えられたのでしょうか。 石標は案内図に載っているのと同じような感じでした。
平安鎌倉古道
森の中に広めの緩やかな道が続いていました。 U字形に抉れているのは、長い年月を経て雨などで土が流されてしまったためでしょうか。 今ではほとんど歩く人もいないのか、其処此処に蜘蛛の巣が張っていて鬱陶しい思いをしたりもしました。 多くの人々が利用した往時はどんな感じだったのだろうかと思いを巡らしながら、 雑木林の中に続く古道を歩いていきました。
森の中を3分ほど進んでいくと、再び先ほどの舗装道路の脇に出ます。 道路との間には細いピアノ線のようなものが張られていました。 古道は舗装道路に沿って少し並行してから再び森の中へと入っていきます。 道路の向かい側の少し先の所から左手へと登っていく石段があります。 その石段を登った先に諏訪神社があるので、ちょっと往復してきましょう。
諏訪神社
「推定平安鎌倉古道」の石標の立つ石段を登っていきます。 鳥居をくぐってその先の桧林の中に続く坂道を登っていくと、短い石段の先に諏訪神社があります。 元山中関所跡から15分ほどで到着しました。 石灯籠を過ぎていくと、両脇には真新しい狛犬が控えていました。 社殿の中を覗いてみると、中には小さな社がありました。 お昼にはまだ少し早かったのですが、石段に腰を下ろして、ここで昼食タイムにしました。
三島市観光協会の案内図によると、諏訪神社からその先へと道が続いているようだったので、 祠の裏手へ回ってみました。 はっきりとした道は見当たりませんでしたが、僅かな踏み跡のようなものがありました。 その道から平安鎌倉古道へと続いているようなので歩いてみようかとも思いましたが、 余りにも頼りない様子だったので、元の舗装道路まで引き返すことにしました。
諏訪神社
鎮座地 三島市上下山中1248番地
御祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)
例祭日 10月20日
由緒 建御名方命は大国主命の御子神で、父神の天祖への国譲りに抗議して追われて信濃の諏訪に着き、 これより出ずと御柱を立つ、敗神が転じて後「日本第一武神」の額を上げられ崇拝される。 建武2年(1335)菊池千本槍の奮戦、天正18年(1590)山中城攻略に徳川の布陣など、 関東と西方との重要な関門で山中関守があった。 聚落は諏訪大神を奉じ、武田源氏の流れと伝える。
諏訪神社から元の舗装道路まで引き返して、その脇に続く平安鎌倉古道を更に進んでいきます。 幅の広い古道には横木の階段も付けられていたりしますが、 段差も低くて間隔も広いので、それほど苦にはなりません。 雑木林を抜けて桧が混じるようになった所を越えていくと、少し降るようになります。
T字路
古道を緩やかに降っていくと、古道に入ってから4分ほどで舗装された道に降り立ちます。 その左手すぐの所に、先ほどの舗装道路が通っていてT字路になっています。 ピアノ線のようなものと鎖を越えて舗装道路に出ると、 角には「←箱根・元山中→」の道標が立っています。 道標に従って舗装道路を右手へと進んでいくと、すぐ先の所から左手へ登っていく坂道が見えています。
左手へと続く舗装された坂道を登っていくと「←元山中・箱根→」の道標が立っています。 正面にも道が続いているようでしたが、道標に従って右手に続く古道を進んでいきます。 ここから先は土の道になります。
十字路
U字形に抉れた広めの緩やかな道を進んでいくと、やがて桧が混じるようになります。 「推定平安鎌倉古道」の石標を過ぎていくと、土の道に入ってから6分ほどで分岐があります。 左右に道が通っていて十字路になっていますが、左右の道には草が生い茂っていて、 あまり利用されてはいないようでした。 十字路のすぐ先の所には、石標と道標が並んで立っていました。
X字路
桧林を抜けていくと、先ほどの十字路から6分ほどで、左手から道が合流してきます。 すぐ先で右手へと道が分かれていて、X字路のようになっています。 道の両側には笹竹が生い茂り、桜の木も生えていました。 角に立つ道標に従って正面の道を真っ直ぐに進んでいきます。
扇平
笹竹の生い茂る道を更に進んでいきます。 「推定平安鎌倉古道」の石標を過ぎていくと、X字路から8分ほどで、右手から道が合流してきます。 周囲には笹竹が生い茂り、大きな桜の木も生えていました。 角には道標「←箱根・元山中→」が立っていて、 その後には「扇平コースF」と書かれた看板もありました。 先ほどのX字路からこの辺りにかけてが、案内図にある「扇平」という所なのでしょうか。 記念碑もあるとのことですが、今回は見落としてしまいました。 諏訪神社から30分ほどで到着しました。 樹木越しに富士山を望めるとのことですが、この時は雲がかかっていて、残念ながら見えませんでした。 道標に従って正面左手の道を進んでいきます。
北箱根山林道
笹竹が生い茂る所を過ぎていくと桧が混じるようになります。 間隔の広い横木の階段混じりの坂道を進んでいきます。 やがて少し降るようになると、扇平から6分ほどで舗装された道路に降り立ちます。 三島市観光協会の案内図によると、この道路は広域基幹林道「北箱根山線」というようです。 ここにも、山神社の所にあったのと同じ「平安・鎌倉古道」の解説板が設置されていました。 また、「←元山中・箱根→」の道標と「扇平コースE」と書かれた看板も立っていました。 この林道からも富士山を望めるようですが、この時は雲がかかっていて見えませんでした。
三島市観光協会の案内図によると正面へと道が続いているようにみえますが、それらしい道は見当たりません。 どうしたものかと左右を伺っていると、右手の少し先の所から道路の左手へと入っていく道がありました。 入口の所には木の柵がしてあって遠目には通行止めのように見えましたが、 近寄ってみると中ほどが互い違いになっていて、その間が少し開いていました。 車などが安易に入ってこないようにとのことなのでしょうか。 柵を抜けてその先へと続く古道を進んでいきます。
古道に入って、桧林の中に続く道を緩やかに登っていきます。 1分半ほど進んでいくと石標と道標が立っていました。 道標は、三島市観光協会の案内図に載っているのと同じ姿をしていて、 「推定平安鎌倉古道」となっていました。 すべての道標が立て替えられたという訳ではなさそうでした。 その道標によると、正面の道は「箱根海の平」、今歩いてきた道は「元山中」となっていますが、 「史跡山中城→」という板もあって右手を指していました。 しかし右手には笹竹が生い茂っているばかりで、それらしい道は見当たりませんでした。 無理やり分け入っていけば史跡があるのかも知れませんが、今回は正面に続く古道をそのまま進んでいきました。
桧林の中を更に登っていきます。 横木の階段やU字形に抉れた所ももあったりしますが、それほど歩き難いという状態ではありません。 石標を過ぎていくと、「平安鎌倉古道コースZ」と書かれた標識が立っていました。 その少し先には石標や同じような標識が立っていました。
林道合流点
山道の雰囲気が感じられるようになった道を登っていきます。 高みを越えて少し降り始めると、扇平から30分ほどで林道に降り立ちます。 脇には「林道合流点 歩行注意」の看板が立っています。 この林道は三島市観光協会の案内図には載っていなくて、何という名前なのかは分かりませんでした。 林道を横切って、正面から左手へと続く古道を更に進んでいきます。
横木の階段を登っていくと、横切ってきた林道の少し上を並行するようになります。 一旦森の中に入って再び林道の脇へ出ると、舗装されていた林道は土の道に変わっていました。 先ほどの林道と同じ道なのか、それとも途中で分かれてきた道なのかは分かりませんでした。 少し林道と並行してからまた森の中へと入っていきます。
道の真ん中に立つ石標を過ぎて登っていくと林道の上に出ます。 先ほどの林道合流点からここまでは、林道と付かず離れずに古道が続いてきたようです。 階段を降って一旦林道に降り立ち、その前にある階段を登って更に古道を進んでいきます。 桧林の中へと入っていくと、 三島市観光協会の案内図に載っているのと同じ姿をした「推定平安鎌倉古道」の道標が立っていました。 道標に従って、桧林の中に続く古道を登っていきます。
次第に傾斜も増してきて、山道の雰囲気がするようになります。 横木の階段があったり少し抉れた所もあって若干歩き難くなっていたりもしますが、 そんな箇所はそれほど長くは続きません。 普通の山道のように息を切らして登るような急傾斜の道が続くという訳ではないので、 大汗をかくようなことはありません。 小さな谷筋を進んだり尾根筋を進んだりしながら、桧林の中を登っていきます。
芦ノ湖高原別荘地
やがて緩やかな道になって馬の背のような所を過ぎていくと、再び傾斜が増してきます。 登りついた所には送電線の鉄塔「西−沼96号」が立っていました。 鉄塔の脇を過ぎて雑木林の中の緩やかな道を進んでいきます。 左上に民家を見ながら進んでいくと、横木の階段を登った先で舗装道路に出ます。 脇には「推定平安鎌倉古道」の石標と「鎌倉古道入口」と書かれた標識が立っていました。 これで「平安鎌倉古道」は終わりになります。 最後に林道を横切ってから20分ほど、扇平から65分ほどで到着しました。 ここは芦ノ湖高原別荘地になっていて、別荘が沢山建ち並んでいます。 ここから舗装道路を右手へと進んでいきます。
写真は振り返って写したものです。
二車線の道路を緩やかに進んでいくと、6分ほどで小文字のX字のような形の分岐があります。 道標などは見当たりませんでしたが、右手へと曲がっていく道を進んでいきます。 遠くには箱根の山々が広がっていました。 駿河湾でしょうか、右手の方には太陽の光を浴びて光る海も見えていました。 写真を撮ろうとしましたが、明るすぎるためか上手く写りませんでした。 周囲に広がる景色を眺めながら、気分も軽やかに舗装道路を進んでいきます。
管理事務所
やがて少し登り坂になってきます。 別荘地に出てから15分ほど進んで高みに着くと、左手に芦ノ湖高原別荘地の管理事務所があります。 その先で道がU字形に左右に分かれています。 どちらへ進んだものかと辺りを見回していると、右手の脇の生垣に「国1方面←」という標識があって、 右手の道を指していました。 舗装道路の横にも細い土の道があって、そちらを指しているようにも思えましたが、 ここは舗装道路の方を降っていきました。
茨ヶ平
少し降るようになると、芦ノ湖カントリークラブのゴルフ場のコース管理事務所への道が右手に分かれていきます。 分岐を見送って道なりに降っていきます。 送電線の巡視路を右手にみて緩やかに降っていくと、芦ノ湖高原別荘地の管理事務所から15分ほどで、 箱根旧街道が右手へ分かれていきます。 その角には道標が立っていて、正面の道は「箱根関所跡3km」、右手へ分かれていく道は「三島宿11km」となっていました。 また、「是より江戸二十五里」,「是より京都百里」の石標も立っていました。 傍には「箱根旧街道 茨ヶ平」と題した解説板も設置されていて、箱根から三島へと続く道が図示されていました。
入口には工事用のショベルカーや石材などがあったので、それらを避けて道へ少し入った辺りから写しました。
箱根旧街道 茨ヶ平(ばらがだいら)
慶長9年(1604)江戸幕府は江戸を中心として、日本各地へ通じる五街道を整備した。 中でも江戸と京都・大阪を結ぶ東海道は一番の主要街道であった。 この東海道のうち最大の難所は、小田原宿と三島宿を結ぶ、 標高845mの箱根峠を越える箱根八里(約32km)の区間であり、箱根旧街道とよばれる。 ローム層の土で大変滑りやすい道なので、最初は箱根竹の束を敷いたが、 延宝8年(1680)に幅二間(約3.6m)の石畳に改修された。 その他街道整備として風雪をしのぐための並木敷や、道のりを一理ごとにしめす一里塚がつくられた。 参勤交代や伊勢参りなど、江戸時代の旅が一般的になるとともに賑わった旧街道も、 明治22年(1889)東海道線の開通や、大正12年(1923)国道1号線の敷設によって衰退した。 このあたりは、い茨が生い茂っているので、付近の草原を茨ヶ平という。
 (三島市教育委員会)
箱根旧街道の分岐を過ぎて緩やかに降っていきます。 やがて正面には台形の姿をした山が見えてきます。 頂上には白い建物も見えていたので、ロープウェイのある駒ヶ岳のようでした。 右手にある「NTT箱根高原電話交換所」や NTT DoCoMo東海の「箱根高原無線局」の電波塔を過ぎていくと、国道1号線に出ます。 左手には「箱根エコパーキング」があります。 太陽光や風力を利用して発電されていて、地下には貯水タンクがあるようです。 ウッドチップの敷かれた歩道もあって、ちょっとした公園のようになっていました。 右手にはお食事処「峠茶屋」があります。 ホルモン焼き・ラーメン・定食などのメニューがあるようで、 お客を誘うかのように幟が旗めいていました。
芦ノ湖カントリー入口(あしのこかんとりーいりぐち)バス停
国道1号に出て右手へ50mほど行った所に、芦ノ湖カントリー入口バス停があります。 左右を見回しても横断歩道は見当たりませんでした。 みんな車でやってきて、こんな所を歩く人は少ないということなのでしょうか。 行き交う自動車に気をつけながら道路を横断していきました。 芦ノ湖高原別荘地の管理事務所から25分ほどで到着しました。
三島駅(JR東海道線)まで、三島駅行きバスにて40分、1時間に1本程度の便があります。
 土曜 ...12:58 13:58 14:58 15:58 16:58 17:58 18:48*
 日曜 ...12:58 13:58 14:28* 14:58 15:28* 15:58 16:58 17:58 18:48*
季節によって運休となる便もあるので事前に確認が必要です。(*印は12/1〜3/15の間は運休)
三島農兵節
バスで三島駅まで戻ってくると、駅の券売機の所で歌付きのビデオが流れていました。 三島と云えばあの唄、「♪三島女郎衆がノーエ…」というノーエ節です。 夏祭りにはパレードも出るという三島の名物なのだそうです。 ひと節を聞いてから改札口へと向ったのでした。
♪富士の白雪ノーエ 富士の白雪ノーエ 富士のサイサイ 白雪朝日でとける
♪とけて流れてノーエ とけて流れてノーエ とけてサイサイ 流れて三島にそそぐ
♪三島女郎衆がノーエ 三島女郎衆がノーエ 三島サイサイ 女郎集は御化粧が長い
♪御化粧ながけりゃノーエ 御化粧ながけりゃノーエ 御化粧サイサイ ながけりゃ御客がおこる
♪御客おこればノーエ 御客おこればノーエ 御客サイサイ おこれば石の地蔵さん
♪石の地蔵さんはノーエ 石の地蔵さんはノーエ 石のサイサイ 地蔵さんは頭が丸い
♪頭丸けりゃノーエ 頭丸けりゃノーエ 頭サイサイ 丸けりゃからすが止まる
♪からす止まればノーエ からす止まればノーエ からすサイサイ 止まれば娘島田
♪娘島田はノーエ 娘島田はノーエ 娘サイサイ 島田は情けでとける
 (出展:三島市観光協会)