日陰道
散策:2006年09月下旬
【里山散歩】 日陰道
概 要 日陰道は、鎌倉時代には日向薬師への参道として利用された道です。 今では坊中集落を通る車道が出来て、日陰道はひっそりとした裏道になっています。 日向川が流れる浅い谷筋には田んぼが続いていて、畦道には彼岸花が咲きほこる所となっています。 今回は日陰道から藤野地区を経て玉川へと歩いていきます。
起 点 伊勢原市 日向薬師バス停
終 点 厚木市 玉川農協前バス停
ルート 日向薬師バス停…白髯神社…薬師林道分岐…神明橋…日陰道…漁場…高橋バス停…藤野入口バス停…行人橋…薬師入口バス停…水車小屋…神明橋…玉川農協前バス停
所要時間 2時間50分
歩いて... 訪れたのが彼岸の頃とあって、畦道には多くの彼岸花が綺麗に咲いていて丁度見頃を迎えていました。 またススキも穂を出していて陽の光を浴びてキラキラと輝き、コスモスも可憐な花を咲かせていました。 谷あいの田んぼでは稲刈りが始まっていて、収穫の秋がやってきたようです。
関連メモ 太田道灌・日向薬師のみち, 大山参り蓑毛のみち
コース紹介
日向薬師(ひなたやくし)バス停
伊勢原駅(小田急小田原線)の北口から、[伊20][伊22]日向薬師行きバスにて23分、 1時間に2本から3本程度の便があります。
この日向薬師バス停は、関東ふれあいの道の「太田道灌・日向薬師のみち」と「大山参り蓑毛のみち」の終点であるとともに、 「巡礼峠のみち」の起点にもなっていて、バス停の側に「関東ふれあいの道」の案内板が設置されています。
関東ふれあいの道
関東ふれあいの道は一都六県を巡る自然歩道です。 沿道の豊かな自然にふれ名所や史跡をたずねながら、ふる里を見なおしてみませんか。 この地点は、県内17コースのうち、「巡礼峠の道」・「大山参り蓑毛のみち」並びに 「太田道灌・日向薬師のみち」の分岐点です。 みどころは、白山・巡礼峠・日向薬師・日向渓谷・二重の滝・阿夫利神社・大田道灌の墓・三ノ宮比々多神社など 各コースとも他にいろいろあります。
【大山参り蓑毛のみち】 蓑毛バス停…蓑毛越え…下神…見晴台…青年の家…日向薬師バス停
【太田道灌・日向薬師のみち】 坪ノ内バス停…長福寺…三之宮比々多神社…伯母様橋…上粕屋神社…太田道灌の墓…上粕屋神社…産業能率大学…鎧塚…諏訪神社…日向薬師入口…日向薬師バス停
【巡礼峠のみち】 日向薬師バス停…日向薬師…展望台…七沢神社…巡礼峠…物見峠…むじな坂…白山御門橋分岐…御門橋バス停
 (環境庁、神奈川県)
白髯神社
バス停から20mほど引き返した所から日向薬師への道がありますが、 何度か訪れているので、今回は紹介を省略します。 バス停の左手のすぐ先に鳥居が立っています。 石段を登って鳥居をくぐっていくと白髯神社があります。 この神社は茅葺き屋根の社殿になっていて大変に珍しく思いました。 何だか古くからある神社のように思えますが、由緒などを記した解説板は見当たりませんでした。 茅葺き屋根の民家が少なくなってきた現代にあって、 このような立派な屋根のある社殿を維持していくのは大変なことなのだろうと思います。
バス停の谷戸側に「彼岸花見学コース入り口」の看板が立っていました。 看板に従って坂道を降っていくと、テント張りでダンゴなどを販売していました。 その前を右手へと進んでいくと、浅い谷筋には田んぼが広がっていました。 黄金色に実った稲穂が重そうに頭を垂れていましたが、 既に刈り取りが終わった田んぼもありました。
今年も日向の棚田に彼岸花の季節がやってきました。 この彼岸花は、自治会をはじめ地権者、関係各方面のご協賛のもと管理しておりますが、 今年からいつまでも自然で美しい棚田の彼岸花を維持していくため、 彼岸花募金を実施しますので御協力をお願いいたします。
希望募金額 一人当たり一口(百円)
 (坊中高橋自治会)
畦道の両側にはロープが張られていて、「田んぼには決して入らないでください」との注意書きがありました。 また狭い畦道で混乱しないようにという配慮からなのか、「散策路は一方通行です」との表示もありました。 バス停の脇から谷筋の奥へと向かって進んでいくようになっていました。
そんな畦道を進んでいくと、丁度彼岸花の時期とあって、赤い彼岸花が沢山咲いていました。 少し萎みはじめた株やまだ蕾の株などもありましたが、丁度花の見頃を迎えていたようでした。 休日とあって、多くの人が見学に訪れていました。 重そうな一眼レフカメラで花の写真を写している人を多く見かけました。
薬師林道分岐
彼岸花の咲く田んぼの畦道を進んでいくと、バス停から登ってくる舗装道路に出ます。 左折して緩やかに登っていくと、薬師林道が右手へと分かれていきます。 「日向薬師」の標識が右手の林道を指していて、 「日向ふれあい学習センター1.75km先」の看板が左手の道を指しています。 道標も立っていて、左手の道は「見晴台1時間25分、大山山頂2時間35分」、 今歩いてきた道は「七沢50分、日向薬師15分」となっています。 また、関東ふれあいの道の道標も立っていて、左手の道は「下社5.3km、蓑毛8.4km」、 今歩いてきた道は「日向薬師バス停0.3km」となっています。 ここは薬師林道は見送って、左手へと曲がっていく道路を進んでいきます。 振り返ると、田んぼ越しには横浜のビル群までも見通せる景色が広がっていました。 少し霞んではいたもののランドマークタワーも見えていました。
林道 薬師線(終点)
この林道は林業形成のためにつくられたものです。 一般道路とは異なり、急カーブや落石の危険がありますので、 林業関係者及び地元関係者以外の通行を禁止致します。 なお、利用に際しては承認等が必要になりますので、ご注意願います。
標準幅員 W=4.0m 全体延長 L=3,061m
 (神奈川県湘南地区農政事務所森林土木課)
お知らせ
有害鳥獣捕獲実施中
銃器に依る鳥獣捕獲を行っております。 被害の緊急対策にご理解・ご協力をお願い致します。
 (伊勢原猟友会猪狩班、JAいせはら営農部)
神明橋
日向川沿いの道を進んでいきます。 渓流の爽やかな水音を聞きながら2分ほど進んでいくと、左手に神明橋が架かっています。 脇に立つ「日陰道1km20分」の標識がこの神明橋を指しています。 ここから神明橋を渡って山裾に続く日陰道を歩いていきます。 橋を渡っていくと道が左右に分かれていますが、左手へと進んでいきます。
神明橋を渡った所から右手へ分かれていく道もしっかりとしていたので、 その先はどうなっているのかと気になって少し歩いてみました。 川沿いに進んでいくと程なくして小さな堰があって、流れ落ちる水が心地よい音を響かせていました。 左手へ曲がり田んぼの脇を進んでいって山際に突き当たると、鉄柵がしてあって行き止まりになっていました。
植林帯や竹林が続く広めの道を2分ほど進んでいくと、小さな流れを渡った先で道が二手に分かれています。 左手の道には柵がしてあって「立入禁止」の標識が付けられていました。 角に立つ道標「日陰道」の指す右手の細い道を進んでいきます。 田んぼの脇を進んでいくと左手へと曲がって、山際を進むようになります。
大切な農地です。 空カン・ビンを捨てないで!
 (JAいせはら農政対策委員会)
日陰道
道端に咲く彼岸花を見ながら進んでいくと、やがて細めの竹林の中へと入っていきます。 竹林を過ぎて植林帯が現れると、右手には柵が続くようになります。 細い水路の流れが右側に続く道を柵沿いに進んでいくと、やがて道は柵から離れて左手へと降るようになります。
お願い
この柵は有害鳥獣(鹿、猪等)の被害対策用です。 開けたら必ず扉を閉めて縛って下さい。
 (地元鹿柵管理組合)
V字形に抉れた所を過ぎていくと左手に小さな小屋があります。 右手に民家を見ながら植林帯の中を進んでいくと分岐があります。 角に立つ道標によると日陰道は正面の道を進んでいくのですが、 左手のすぐ先に釣堀があるので、ちょっと立ち寄っていきます。
漁場
小さな墓地を過ぎていくと、日向川に小さな橋が架かっています。 その右手には釣堀がありました。 休日とあってか、釣り客が何人も糸を垂らしていました。 「あんみつ」を商っているテント張りの店も出ていて、釣りの合間に利用されているようでした。 川の脇では不用になった板切れなどを燃やしていて、白い煙が立ち昇っていました。 焚き火もままならない都市部ではもう見られなくなった光景でした。
遊漁上の注意
一、此の釣場で遊漁される方は必ず相模川漁業組合連合会の発行する遊漁券をお求め願います。
二、遊漁券を所持しない者又は他の遊漁券の場合は改めて正規のものをお買い求め願います。
三、本魚場は特別漁区につき、漁業組合員でも遊漁券をお求め下さい。
四、遊漁者は道徳を重んじ、他人の迷惑になるような行為をしてはなりません。
 (相模川漁業協同組合連合会)
元の道に戻って、道標「日陰道」に従ってその先へと進んでいきます。 民家への道を右手に見送っていくと、田んぼの脇に出ます。 右手から廻り込んで進んでいきます。 小さな流れを渡っていくと、道端には彼岸花が沢山咲いていました。 網が設置されている田んぼの脇を過ぎていくと、道が二手に分かれています。
日陰道は右手の道を進んでいくのですが、左手の道を緩やかに降った所にも彼岸花が沢山咲いていたので、 ちょっと立ち寄っていきました。 振り返ると、彼岸花の奥には丹沢大山が聳えていました。
元の分岐まで引き返して、畑地の脇をその先へと進んでいきます。 右手へと曲がっていくと、舗装された道に出ます。 角に立つ「日陰道」の道標に従って左手へと曲がり、民家や田んぼなどが続く道を緩やかに降っていきます。 左・右とクランク型に曲がっていくと、道の脇の土手には彼岸花が咲いていました。
高橋バス停
やがて広めの舗装道路に突き当たります。 そこを左手へと降っていって車道に出ると、すぐ右手には高橋バス停があります。 角には「日陰道1km20分」の道標が立っていました。 これで日陰道は終りになります。 道標では20分とのことですが、 寄り道をしたり写真を写したりしていたこともあって、神明橋からここまで40分ほどかかりました。 脇には関東ふれあいの道の路傍サインや道標も立っていて、 左手の道は「日向薬師へ」、右手の道は「鎧塚へ」となっています。 また、日陰道の解説板も設置されていました。 鎌倉時代にはこの道が日向薬師へ参詣する時に歩く道だったようですが、 今では田んぼの脇に続く道になっていて、農業関係者以外には通らないひっそりとした道になっていました。
日向の日かげ道
小字馬場から高橋を通り、神明橋に出る道のことである。 この道名は、日なたに対して日かげという意である。 源頼朝や正子・実朝婦人など、日向薬師の参詣した時、通った道はこの日かげ道であり、 またこのころ大山参詣者もこの道を通った。 馬場から12神橋を渡らず、左西方に進み神明橋を渡り、そこから白髭神社脇まで下がって衣裳場へと出た。 この日かげ道は現在は人家も少ないし農作業道で昔のおもかげはない。 普通、薬師参詣者は立派にかけられた12神橋を渡り、坊中集落を通り大門より登っている。
藤野入口バス停
右手へと車道を進んでいくと、7分ほどで藤野入口バス停があります。 その左手には「駒つなぎの松」があります。 旧来の松は枯れてしまったようですが、二代目となる苗木が新たに植えられていました。 そばには石仏などもありました。 関東ふれあいの道の道標も立っていて、今歩いてきた道は「日向薬師0.9km」、 右手へと曲がっていく道は「鎧塚1.4km」となっています。 「藤野地区 彼岸花自生地」と書かれた看板も立っていて左手の道を指していたので、 その道へと降っていきました。
駒つなぎの松
霊山寺(日向薬師)は勅願寺である。 源頼朝公が参詣の折り、駒をつないだ松である。 この時より駒つなぎの松と言うようになった。
 (二代目松)
左手へ降り始めてすぐに道が二手に分かれています。 右手の道は薬師入口バス停へと続く道ですが、まずは左手へと降っていきます。 坂道を降っていくと、崖の上にはコスモスが咲いていました。 派手な彼岸花とは違って、大人しくて優しい感じがする花です。 白色・桃色・赤紫色・黄色など様々な色の花がありました。
民家の脇を過ぎて坂道を更に降っていくと、「彼岸花自生地 散策順路」の看板が立っていて、 左手の道を指していました。 正面には田んぼが広がっていましたが、案内に従って左手へと進んでいきました。
耕作地には、立ち入らないでください。
 (高部屋みどりの里振興会)
彼岸花の咲く土の道を進んでいくと、ススキが穂を出している群落がありました。 台風の余波による強い風に吹かれてサワサワと波打っていて、秋の訪れを感じさせる光景でした。 その奥には丹沢大山の頂きも見えていました。 こんな様子を写真に収めようと、三脚を据えて狙っている人が何人もいました。
ススキの群落の脇を過ぎていくと、道は細くなっていきます。 川沿いに少し進んでいくと、川面へと降りていく細い道があります。 川面に渡された金属製の板を二つ渡って向こう岸へと進んでいきます。 上流には小さな堰があって、流れ落ちる水が心地よい音を響かせていました。
川から上がって右手へと川沿いに引き返していくと、道端には彼岸花が咲いていました。 左手に続いているのは休耕中の田んぼのようでした。
行人橋
畑地の脇を進んでいくと住宅地に出ます。 その中を少し進んでいくと、「下藤野公園」のあるT字路に出ます。 その右手には行人橋が架かっています。
行人橋を渡っていくと、畦道には彼岸花が咲き、 黄金色に実った稲穂が頭を垂れる田んぼの奥には丹沢大山が聳えていました。 いい光景とあってか、多くの人が写真に収めていました。
行人橋を渡ってその先の坂道を登っていくと、藤野入口バス停のある車道に出る手前に、 左手に戻るようにして分かれていく道があるので、その道へと進んでいきます。 簡易舗装された道が山際に続いています。
山際にある畑地の脇を過ぎていきます。 やがて畑地が途絶えて狭い植林帯の中へと入っていくと、緩やかに降るようになります。 左手に日向川沿いに続く田んぼを見下ろしながら進んでいくと、 分岐から5分ほどで、丘の上にある畑地に出ます。 ペットボトルで作った風車が、台風の影響で吹く強い風でカラカラと音をたてながら元気よく回っていました。 すぐに田んぼも混じるようになります。 川からかなり高い所になるのですが、道の脇の水路には水が勢いよく流れていました。
道端には彼岸花が点々と咲いていました。 稲の刈り取りが終わって既に稲木に干してある田んぼもありましたが、 今まさに刈り取り作業を行なっている田んぼもありました。
両親と子供たちでしょうか、一家総出で作業しているようでした。 大きくなった子供は稲を運ぶ手伝いをしていました。 まだ幼い子供は稲木に腰をかけて母親に写真を撮ってもらっていました。 何だかほほえましい光景で、家族の絆がしっかりと確保された家庭のようでした。
田んぼが続く丘を降っていきます。 道端にススキが群生している脇を過ぎて民家を過ぎていくと、車道に降り立ちます。 角には擬宝珠のようなのと馬頭観音のような石碑がありました。 よくは読み取れませんでしたが、側面には「右・・・、左・・・」と刻んであって、 道しるべのようでした。 ここはK字路になっていますが、正面の車道を進んでいきます。
行人橋の所から左手へと進んで旭橋を渡ってきても、ここまで来ることができます。
コスモスや彼岸花などが咲く道を進んでいくと、両側には田んぼや畑が広がるようになります。 小型の稲刈り機がポツンと田んぼの中にありました。 刈り取った稲を田んぼに横倒しに置いたままになっていて、刈り取り作業の真っ最中という感じでしたが、 丁度休憩時間だったのでしょうか、作業をしている人は見かけませんでした。
畦道には彼岸花も咲き、振り返ると丹沢大山が聳えていました。
この辺りのように完全に水を落とすことが出来る場合にはいいのですが、 川沿いの田んぼのように水を落とすことができない場合には稲刈りは大変な作業になります。 長さ2m幅70cmほどの「田舟」を浮かべて刈り取った稲を積み、一杯になると土手まで運んでいきました。 ぬかるんだ田んぼはとても歩きにくくて、大変な作業だったことを思い出します。 よいしょっと足を引き抜いてはその先へ踏み出すという風に一歩一歩進んでいったものでした。
薬師入口バス停
右手に畑、左手に田んぼを見ながら真っ直ぐに進んでいくと県道64号に出ます。 角には「神奈川県内広域水道企業団 伊勢原浄水場 入口」の大きな看板が立っていました。 右手すぐの所の食堂の前に薬師入口バス停があります。 伊勢原駅(小田急小田原線)までのバスが通っていますが、便は多くはありません。
 土日曜 ...13:09 14:29 15:49 17:09 17:49 18:29 19:09 20:24 20:59
当初はここからバスに乗って帰ろうと思っていたのですが、バスが来るまでまだ時間があったので、 もう少し散策を続けることにしました。
県道64号に出た所を左手へ少し進んでいくと、右手の田んぼの中へと続く道が分かれていました。 道端には彼岸花が咲いていて、振り返ると丹沢大山の姿が広がっていました。
水車小屋
田んぼの中に続く道を進んでいくと、やがて舗装された道に出ます。 左手へと曲がって田んぼの続く道を進んでいくと、T字路の角に水車小屋がありました。 樋から流れ落ちる水を受けて水車が元気よく回っていました。 道に沿って流れる水路は上堤水路と呼ぶようで、その解説板もありました。 断面図も描いてあって、玉石積みや溶岩プロック(生態系多孔質ブロック)による護岸が施され、 魚巣ブロックや土砂による水路底面になっている多自然型工法が用いられているようです。
上堤水車のしくみ
まだ電気やモーターがなかった頃、水車に様々な仕掛けを施し、人々の暮らしに役立たせていました。 上堤水路では日本の農家でよく使われていた「上掛け水車」を復元してみました。 上堤水車の仕組みは、「とい」から水が落ち水車がまわると水車軸が回転します。 すると、その軸に取り付けられた「なで棒」が「杵」の「はご板」を持ち上げて「杵」を上昇させ、 「はご板」から外れると「杵」は自重で落下し、石製の「つき臼」をつくようになっています。
環境に配慮した上堤水路
この水路は、伊勢原市日向地区内における洪水時の氾濫及び耕地への潅水防止を目的として 整備された農業用水路(延長約160m)です。 また、この水路内には絶滅危惧種に指定されているホトケドジョウ等の生息が確認されており、 在来の水生生物の保護・保全を目的とした生息域を確保する生態系保全(多目的型)水路としても機能しています。
【この水路に生息している生物】 ホトケドジョウ、アブラハヤ、ドジョウ、ミズカマキリ、カワニナ、サワガニ
 (伊勢原市)
おねがい!
水路に棲む生き物をとらないで!
上堤水路に棲む生き物たち
ホトケドジョウ(絶滅が心配されている生き物)、ドジョウ、サワガニ、アブラハヤ、カワニナなど…
水車小屋の先を右手へと曲がっていきます。 民家の間を抜けて山際の畑地の手前までくると、「実蒔原古戦場」の解説板が立っていました。
伊勢原市指定史跡 実蒔原古戦場
文明18年(1486)太田道灌が糠屋館で扇谷上杉定正に謀殺されてから2年後の長亨2年(1488)2月5日、 武州鉢形城(埼玉県寄居町)から出兵した山内上杉顕定は軍兵一千騎をもって扇谷上杉氏の本拠地、相模国糠屋に押し寄せた。 これに対し定正は急きょ武州川越城から手兵二百騎で出撃し、実蒔原(市内日向・西富岡)で両軍は激突した。 顕定の軍勢は背後の七沢城(厚木市七沢)を攻め、城主朝昌は戦死した。 しかし定正はかろうじて顕定を撃退することができた。 「伊東文書」から伊東・狩野といった伊豆国の軍勢も同国守護を兼ねた顕定の陣に加わり、 さらに越後国勢も支援したことがわかる。 また、定正はその「定正状」の中で、 この合戦について敵の大軍の様子から七沢城を引払って川越城へ退くべきところを、 七沢城主は「急ぐべからざる処を急ぎ」凶事(討死)となったのは、「労して功なき様」である。 定正が川越城から数百里を一日一夜で、わずか二百騎を率いて馳せつけ、千余の寄手に「大利」をえた。 向後に比類ないことだが、「二度と学ぶべからざる行い」と評価した。
 (伊勢原市教育委員会)
畑地の中に続く農道を緩やかな丘を登っていきます。 丘の上には畑が広がり、農道や畑の中に続く道端には彼岸花が咲いていました。 何処となく長閑でゆっくりとした時間が流れているようでした。 この辺りが伊勢原市と厚木市の市境になっています。
ブロックで出来た祠に入ったお地蔵さんを過ぎていくと、竹林の中へと入っていきます。 少し傾斜のある簡易舗装された坂道を降っていきます。 狩猟をする人が多いのでしょうか、沿道にはその注意書きの看板が幾つか掲げられていました。
注意
ハンターのみんさん! この附近に人家・農耕地があります。 狩猟に注意しましょう。
 (神奈川県)
発砲危険!
近くに住宅・学校・農耕地等あり。 危険!
 (神奈川県)
竹林を抜けて更に降っていくと左手へ道が分かれている所がありますが、そのまま正面の道を降っていきます。 やがて民家が立ち並ぶようになるとT字路があります。 そこを右手へと曲がっていくと、ちょっとした十字路のようになっています。 石段の前を過ぎて左手へと曲がっていきます。 立派な門構えの民家の前を過ぎていくと、厚木市消防団第6分団第4部の車庫があります。 その前のT字路を左手へと曲がっていきます。
神明橋
少し降って軽く登り返していくと、すぐに玉川沿いの車道に出ます。 正面には青く塗られた神明橋が架かっていました。 奇しくも、日陰道の始まりの所にも同じ「神明橋」という名前の橋があったのでした。
玉川農協前(たまがわのうきょうまえ)バス停
車道に出た左手の角にあるJAあつぎ玉川支所の前に玉川農協前バス停があります。
本厚木駅(小田急小田原線)まで、厚木バスセンター行きバスにて16分、 1時間に2本から3本程度の便があります。 また、愛甲石田駅(小田急小田原線)まで、愛甲石田駅行きバスにて16分、 1時間に1本程度の便があります。