天王森泉公園
散策:2006年09月上旬
【街角散策】 天王森泉公園
概 要 天王森泉公園は横浜市泉区にある公園です。 明治末期の製糸場を再生した館などもあって往時を偲ぶことができます。 今回は六会日大駅から寺社などを訪ねながら境川を越えて天王森泉公園まで歩いていきます。 沿道には田んぼや畑が広がっていて小さな牧場もあって、里山風景に出会えるコースでもあります。
起 点 藤沢市 六会日大前駅
終 点 藤沢市 六会日大前駅
ルート 六会日大前駅…地神の森公園…地神社…花應院…飯田牧場…俣野橋…俣野観音堂…俣野神社…明神社…天王森泉公園…天王森泉館…境川俣野遊水地…上俣野橋…唐池公園…三屋道公園…六会日大前駅入口交差点…六会日大前駅
所要時間 3時間40分
歩いて... 飯田牧場では絞りたての牛乳で作ったジェラートなどの乳製品が売られていました。 人気のある店のようで、この時も多くの買い物客で満員になっていました。 天王森泉公園へと向かう途中、田んぼでは稲穂が頭を垂らし、道端ではススキが穂を出していて、 秋の訪れを感じさせる風景が広がっていました。
関連メモ 天王森, 藤沢大和自転車道, 境川遊水地公園
コース紹介
六会日大前(むつあいにちだいまえ)駅
六会日大前駅(小田急江ノ島線)から歩いていきます。
東出口から出て右手へと進んでいきます。
藤沢警察署六会日大駅前交番の先を右折して、すぐに左へと曲がって線路沿いに続く道を進んでいきます。 六会日大前1号踏切を見送り、線路向こうに見える「日本大学生物資源科学部」の看板を過ぎていくと、 駅から6分ほどでT字路があります。 左手に「亀井野2丁目21」、右手に「亀井野2丁目34」の住所表記のある左手の道へと入っていきます。
地神の森公園
十字路を直進していくと、正面にこんもりとした小さな森が見えてきます。 次の十字路の所まで来ると、左手の階段の脇に「地神の森公園」の看板が立っています。 短い石段を登ると整地された広場に大きな樹木が沢山生えていました。 右手にも樹木の生えた広場があります。 地神の森公園は左右に分かれているようです。 右手の広場の入口は右手の先の方にあります。
この公園は公園愛護会で清掃など美化活動を行っています。 公園を大切に利用しましょう。
 (六会市民センター、六会地区くらし・まちづくり会議)
地神社
左右の広場の間の先にあるT字路を右折して公園に沿って進んでいくと、鳥居が立っています。 そこから公園の中へと入っていきます。 右手へ曲がっていくと、鳥居や両脇の狛犬の先に社殿がありました。 それほど大きな社ではありませんが、屋根の上には千木が聳えていて鰹木も並んでいる立派な姿をしていました。 境内には「地神社」や「山之神」と刻まれた石碑もありましたが、 神社の謂れなどを記したものは見当たりませんでした。 神社の境内は「地神の森公園」にもなっていて、 その一角にはちょっとした遊具やベンチも設置されていました。 境内には大きな樹木が沢山生えていて森のようになっていました。 この地区の鎮守の森なのでしょうか。
社殿の正面の先にある出入口から公園を出て、左手へと進んでいきます。 左右の分岐を見送ってまっすぐに200mほど進んでいくと国道467号に出ます。 右手の自動車買取店の先に亀井野小学校南側交差点のT字路があります。 横断歩道を渡って県道403号へと入っていきます。 左右に広がる畑などを眺めながら道なりに進んでいくと、民家の建つ所から右手へと道が分かれていくので、 その道へと入っていきます。
すぐに道が二手に分かれているので、左手の道を進んでいきます。 畑地の脇を過ぎ生垣のある民家を過ぎていきます。 少し左手へ曲がっていく道を進んでいくと車道に出ます。 信号機はありませんが、横断歩道を渡って、正面に続く道を進んでいきます。
再び左右に畑地が広がる道を進んでいきます。 石垣のある民家を過ぎていくと緑色の網で囲まれた畑があります。 中を覗いてみると、葉っぱを広げた樹木が棚に枝を伸ばし、果実には白い紙が被せてありました。 梨畑だったのでしょうか。 この畑を過ぎていくと降り坂になります。
左手への分岐を見送って竹林の脇を降っていきます。 民家の脇を過ぎて緩やかな道になると、右手にはビニールハウスがありました。 何が栽培されているのかと思って中を覗いてみると、キュウリが栽培されていました。 黄色い花を沢山つけていて、美味しそうな実も沢山生っていました。
キュウリ…
新鮮な瑞々しいキュウリには周囲に棘々が沢山ついています。 大きくなりすぎると棘も少なくなってきますが、 若々しいのを握ると少し痛い感じがしたものです。 スーパーなどで売られている最近のキュウリにはあまり棘がありません。 品種が違うのか、流通していく過程で無くなってしまうのか分かりませんが、 その昔のキュウリを知っている身としては、何処となく新鮮味が感じられません。 畑に生っているキュウリを取ってきて、両端を落として縦半分に切って塩をまぶしてよく食べたものでした。
ビニールハウスを過ぎて1分ほど進んでいくと、竹の垣根のある所に突き当たります。 少し曲がってはいますが十字路になっています。 右手へと曲がっていくと、すぐに道が二手に分かれています。 「花應院墓苑」の看板が右手の道を指していますが、そのまま垣根沿いに進んでいきます。
花應院
竹の垣根沿いに緩やかに降っていくと分岐があります。 右手には「曹洞宗」や「西嶺山 花應院」と書かれた銘板の貼り付けられた石がありました。 そこから入っていきます。 花應院寺務所を過ぎていくと、すぐに本堂のある境内になります。 境内にはお地蔵さんなどが並んでいました。
藤沢市指定重要文化財 石造閻魔大王坐像
本像はもと閻魔堂(正しくは法王院十三堂といい、花応院の北方100mに「閻魔堂跡」として現存)の 本尊である木造閻魔大王坐像の"おまいだち"として安置されていたが、 天保11年(1840)のお堂の火炎の際に、村の若者の手によって危うく難を免れ、花応院に移されたものである。 本尊の閻魔大王坐像は本造彩色坐像で、像高104.0cm、袖張104.5cmと大型像ながら、丁寧な彫刻が施されており、 一説には、平安時代の漢学者、歌人である小野篁の作と伝えられている。 他方、市指定重要文化財の石造閻魔大王坐像は、前記の木造閻魔大王坐像の胎内仏で、 像高24.0cm、袖張25.0cmと小像ながら、安山岩製の硬質な石材を巧みに彫りこなして、 大王の風貌を遺憾なく表現した秀作で、造立年代は室町後期か桃山期と推定されている。
 (藤沢市教育委員会)
本堂の正面に大きな樹木が並んで生えています。 そこから続くのが参道で、こちらが正面の出入口になるようです。 樹木の脇には赤い前掛けをしたお地蔵さんが1体ずつ立っていて、そばには六地蔵も並んでいました。 参道の先の短い石段を降ってお寺を出て行きます。
小栗判官・照手姫、縁起の寺
品川越して大森や鶴見、神奈川後にして、 行くは横浜その次は程ヶ谷越して戸塚宿や大坂上りて二番坂女殺しと早過ぎて、 藤沢宿へと着きぬれば此処に旅路の疲れをば、直して北に一里哉、 今、其場所をと尋ぬれば、西の俣野は御所ヶ谷と字を為す。 乾の御門前ゑと来りける。
(西俣野・小栗判官一代記より)
ここ花應院には、小栗判官照手姫縁起絵巻と地獄変相十王図が伝来し、 例年1月・8月の2回閻魔祭りを行い、時代絵巻のご開帳と共に、 貴公子小栗・美女照手姫の奇想天外な物語と、地獄の様子が花應院と西俣野史跡保存会により絵解きされます。 この地、西俣野は「小栗・照手ゆかりの地」として多くの史跡・地名が残されています。
 (藤沢市教育委員会)
飯田牧場
花應院を出ると正面に飯田牧場があります。 この牧場は「日本一小さな牧場」とのことです。 少し右手から中へと入っていくと、「MILK HOUSE 飯田牧場」の看板の架かる販売所では、 牧場で搾りたての牛乳で出来た、 低温殺菌牛乳・ジェラート・ソフトクリーム・ヨーグルト・チーズなど、色々な乳製品が売られていました。 休日とあって店内は多くの客で満員でしたが、私も並んでソフトクリームを買って食べてみました。 ミルク味になっていてとても美味しい味がしました。
販売所の裏手には牛舎があって、茶色の毛をした乳牛が10数頭飼育されていました。
営業時間
AM10:00〜PM6:00 水曜定休
飯田牧場を後にして右手(花應院からみると左手)へ進んでいくと、すぐに十字路があります。 そこを右折して飯田牧場の牛舎の脇を過ぎていくと、 道が左手へ曲がっていく所から分かれて正面へと降っていく坂道を進んでいきます。 町工場の前を過ぎて左手へと道なりに曲がっていくと、田んぼが広がっていました。 道なりに進んでいくとT字路があります。 そこを左折して、田んぼやビニールハウスの間に続く道を水路沿いに進んでいきます。 水路には水が音をたてて勢いよく流れていました。 田んぼでは青々とした葉が伸びて黄金色の実が育って、頭を垂れ始めていました。 間もなくやってくる収穫の時期を控えて、最後の仕上げが行われているようでした。
あぶない!!
・水が深いので、ここで遊んだり、魚などをとったりしないようにしましょう。
・これは、お米や野菜をつくるための大切な水路です。ゴミを捨てたりしないようにしましょう。
 (藤沢市、西俣野土地改良区)
田んぼの中に続く道を進んでいくと、こんもりとした竹林があります。 中へと続く細い道があったので入っていってみると、竹林の中に赤い鳥居と小祠がありました。 祠の中には小さな社が安置されていて、榊や水などがお供えされていました。 この地区に関わる神様なのでしょうか。
俣野橋
竹林から引き返して、田んぼの中に続く道をその先へと進んでいきます。 県道403号の下をくぐって200mほど進んでいくと、ビニールハウスの先に十字路があって、 右手の土手へと登っていく細い土の道が分かれています。 その道から境川の土手へ登って右手へと進んでいきます。 この土手道は「藤沢・大和自転車道」になっていて、自転車・歩行者専用道路になっています。 土手道を通って県道403号まで引き返してくると、自転車道は道路の下をくぐっていきますが、 今回は県道へ出て左手にある俣野橋を渡っていきます。
俣野観音堂
俣野橋を渡って県道403号を100mほど進んでいくと、観音堂前バス停の先に俣野観音堂前交差点があります。 その交差点を左折するとすぐの所に俣野観音堂があります。 源平の合戦の時に平家側に組した俣野景久が最期に臨んで、 故郷であるこの俣野村へ観音像を送ったという史実に関係するお堂のようですが、 その当時からここに建っていたのかどうかは定かではないようです。
俣野五郎景久と観音堂
治承4年(1180)8月23日、伊豆に配流中の源頼朝が平家政権打倒のため石橋山に挙兵すると、 平家側の総大将として是を襲ったのは藤沢の大庭景親であったが、 弟俣野五郎景久は家臣長尾兄弟(上杉謙信の祖)と源氏の先陣佐奈田与一を打ち取り、 源頼朝は敗走辛うじて房総に逃れた。 頼朝が源家累代の家臣、千葉一族の協力を得て勢力を恢復し、10月鎌倉に入府すると大庭景親を片瀬川畔で梟首し、 五郎景久を遠く京都に敗走させて石橋山の報復を遂げた。 寿永2年5月、俣野景久は平宗盛軍の将とし、頼朝の従弟木曽義仲の軍と加賀の篠原で対戦したが、 平家の敗色濃厚で、武将の間から、いっそ源氏に鞍替えしてはとの話が出ると景久は強く反対し、 「武士としていさぎよく討死」の覚悟を示し、守護仏の観音像を家臣に託して、 母の待つ故郷、相模国俣野村に送って自らは壮烈な最期をとげた。 いま篠原には景久の戦友で共に討死した斎藤実盛の墓はあるが、景久等の墓はない。 推うに実盛はまだ三歳だった義仲が殺されるのを救けた生命の大恩人であるが、 是に反し景久は徹底した反源氏の将なるが故に、その墓の建立が憚られたものに相違ない。 景久に由緒のある観音堂は、茲、鎌倉街道西の道に接しているが、 治承の昔からこの地に建立されていたかは定かではない。
 (大正地区歴史散歩の会)
俣野観音堂を後にして、俣野観音堂前交差点を左手へと進んでいきます。 左手への分岐を見送って緩やかな坂道を進んでいくと、大きな樹木の生えている民家の先に右手への分岐があります。 そこを右折して塀に囲まれた路地を進んでいきます。 やがて生垣が続くようになると十字路があります。 その左手に鳥居が立っていて、その先にはこんもりとした森が見えています。
俣野神社
鳥居をくぐって正面に見える森へと進んでいくと、正友会館の先に俣野神社があります。 短い石段を登った先に社殿があり、その手前右手には鐘楼と思われるものもありました。 天井には鐘を吊るす鉤のようなものがついていましたが、鐘は吊るされてはいませんでした。 石段の脇には大きなイロハモミジの木が生えています。 手書きの説明書きによると、樹齢120年で横浜市の神社お寺の名木全集でも紹介されているのだそうです。 また、説明書きには「上俣野神社」とあるので、この神社の正式な名称なのでしょうか。
俣野神社の手前の石段の左脇から続く道を進んでいきます。 左手への分岐を見送って民家の間を直進してくとT字路があります。 そこを左折して緩やかに降っていくと、舗装道路に出ます。 そこを左折していくとすぐに小さな祠にお地蔵さんが安置されています。 赤い帽子や服を身に着けていました。 前には文字が刻まれたブロックがありましたが、無学のため意味はほとんど分かりませんでした。 このお地蔵さんのすぐ先にある右手に分かれていく道へと進んでいきます。
畑地の中に続くなだらかな道を進んでいくと、道端の草叢からは虫の鳴き声が聞こえてきました。 秋の虫なのでしょうか、何処となくもの悲しい調べで鳴いていました。 背の高い生垣のある民家を過ぎていくと分岐があります。 角には、「道祖神」と刻まれた石碑と「農地環境整備記念碑」が並んで建っています。 ここを左手へと進んでいきます。
農地環境整備記念碑
農業生産基盤の整備を実施し生産性の向上と農村環境の改善を図るため、 昭和47年度より二ヶ年に亘り本事業を実施せり。
事業内容
一、境渠排水事業 3.2ヘクタール
一、用排水事業 600メートル
 (俣野農地環境整備組合)
明神社
生垣の間を進み、左手への分岐を見送って道なりに進んでいくと、正面にこんもりとした森が見えてきます。 小さな公園のような所を過ぎていくと、右手に青銅と石製の鳥居が寄り添うように並んで立っています。 それらの鳥居をくぐっていくと、明神社の境内になります。 両脇の狛犬の先には小振りの社殿がありました。 神社の謂れなどを記したものは見当たりませんでした。
明神社を後にしてその先へと進んでいくと、すぐにT字路があります。 正面に「横浜市戸塚消防団第5分団第3班」の車庫を見ながら右折して、生垣が続く道を進んでいきます。 「なかよし幼稚園」の看板を過ぎて更に進んでいくと、カーブミラーのある十字路があります。 ここを右手へと曲がって、緩やかな坂道を登っていきます。
少し左手へ曲がって民家の中を進んでいくと畑地が現れます。 右手の作業場のような所に続く塀と左手の生垣の間を進んでいくと十字路に出ます。 角には「庚申塔」や「庚申供養塔」と刻まれた石碑と凸型に彫られた石像が立っています。 石碑などの台になっている四隅には「東・西・南・北」の文字が刻まれていました。 脇には野菜等の無人直売所があって50円コーナーや100円コーナーがありましたが、 訪れたのが昼近くだったからなのか、ほとんど売れてしまっていました。
心痛む料理より 正しい会計 楽しい食卓
十字路を直進して「スクールゾーン」と書かれた道を100mほど進んでいくと坂道が右手へと分かれていくので、 その坂道を登っていきます。 右手にある竹林の脇を過ぎて傾斜のある坂道を登っていくと、やがて左手にも森が現れます。 なだらかになった道を森に沿って進んでいくと、住宅の手前から左手の森へと入っていく道が分かれています。 ここが天王森泉公園の散策路の入口になります。
近所の人の迷惑になりますので、早朝・夜間、静かにして下さい。
 (中部公園緑地事務所)
ご協力ください
豊かな自然の育成・保護の為に
・動植物を採集しない。
・柵内に入らない。
 (横浜市環境創造局南部公園緑地事務所、天王森泉公園運営委員会)
天王森泉公園
車止めを抜けていくと、雑木林の中へと入っていきます。 右手へと曲がって、綺麗に整備された雑木林の中を進んでいきます。 この森は天王森泉公園の中の「くわくわ森」になります。 道路からの道を合わせて、雑木林の中に続く舗装された散策路を更に進んでいくと、 円いテーブルが設置された少し広くなった所があります。 脇には「雑木林の話」と題した解説板が設置されていました。
雑木林の話
本公園の斜面緑地の大半は、クヌギやコナラなどの落葉広葉樹で構成される 雑木林で占められ、かつてはどこにでも見られる樹林でした。 石油やガスが行きわたるまでは樹木の成長に応じて数年から十周年ごとに伐採し、 薪や炭などに活用したことから薪炭林と呼ばれることもありました。 伐採後の切り株からは新たな芽(「ひこばえ」と呼びます)が生え成長し、 十数年たち再び伐採の時期を迎えます。これが繰り返されました。 雑木林はこの他にも多様に利用され、特に農地との関わりも密接でした。 林床の笹などを刈り取る「下刈り」や「落ち葉かき」によって集められた落ち葉や 枯れ枝を、家畜の糞と混ぜ合わせて発酵させ堆肥を作り田畑にまきました。 さらに、幹はシイタケのホダ木に、ツル植物は籠細工に、木の実やキノコは食用に、 というように人の暮らしと深い関わりを持っていました。さらに、雑木林に特有の 多種多様な動植物が四季を彩り、春の野草や夏の昆虫、秋の紅葉、冬場の野鳥というように 身近な生き物の宝庫とも言えます。 雑木林は人がつくりあげた貴重な自然環境です。
食用 雑木林の中には微妙な地形や土壌、日照、水分の変化に対応して多種多様な植物が見られます。 ドングリやキノコをはじめ新芽や葉、根に至るまで、食べられるものがたくさんあります。 但し、公園内の植物はひとり占めせず、みんなで大切にしましょう。
肥料 「落ち葉かき(落ち葉を集める作業)」と「下刈り(低木や草を刈取る作業)」により 集められた有機質を、家畜の糞などと混ぜ合わせて発酵させ、 堆肥を作りました。その結果手入れの行き届いた雑木林の地面は 低い草花だけが見られます。
燃料 成長の早い樹木を植えた雑木林を、数年から十数年の間隔で定期的に伐採して 薪や炭を作りました。樹林全体をいくつかに分け、順に伐採することで 常に安定した量をまかないました。燃やした灰は肥料やアク抜きに用いるなど、 最後まで無駄なく活用しました。
工芸 下刈りで集めた笹やツルを利用して籠を編む「目籠作り」や草花の煮汁で 糸や布を染める「草木染め」など、雑木林は工芸材料の宝庫です。
雑木林の木の実
コナラ 木肌は灰色で、縦に太いしわが不規則に走ります。 太い部分はキノコのホダ木に用い、細めの部分は炭に加工します。 1年に80cmほど成長し、春に花を咲かせ秋には長楕円の実をつけます。
クヌギ コナラに比べて灰褐色で、網目状の凸凹のある樹皮を持ち、曲がりが少なくスマートに伸びる木です。 成長はコナラより早く、炭にもホダ木にも適します。 木の実は丸く、「ドングリマナコ」の語源です。
エゴノキ 木肌は紫褐色で、縦に不規則な褐色の細い筋が見られます。 冬、すでに枝の先端には芽(冬芽)が見られます。 5月頃、白い花を枝一杯に咲かせる様子は森のシャンデリアとも呼ばれます。
舗装された散策路は解説板の先へと続いていますが、左手へ分かれて降っていく道へと進んでいきます。 舗装された道から平たい横木の階段へと変わります。 雑木林の斜面に続く階段を降っていくと、左手への分岐があります。 そのすぐ先には、ベンチが設置されて少し広くなった所があります。 この先にある案内図によると「日だまり広場」という名前のようです。 ここが「くわくわ森」の中心になるようで、四方から散策路が続いてきていました。
ご来園の皆様へ
天王森泉公園は、緑豊かな樹林の中に数多くの草花や昆虫が生息しています。 ご来園の皆さんが楽しく散策出来る様、ご協力をお願いします。
一、公園の柵内には入らない。
一、草花や昆虫は取らない、持ち帰らない。
一、公園内で大声を出さない。(特に夜間)
一、火気は厳禁。(タバコの投げ捨てなど)
一、ゴミは捨てない。
一、ハチやヘビにも気をつけて。
 (天王森泉公園運営委員会、中部公園緑地事務所)
元の分岐まで戻って、木製の階段を更に降っていきます。 脇には背もたれの付いたベンチが設置されていたりします。 右手へと曲がっていくと、程なくして舗装道路へ降り立ちます。 その降り口に「天王森泉公園くわくわ森」と題した案内図があるので参考にしましょう。 天王森泉公園は、今回散策した「くわくわ森」の他にも「湧水の森」や「見晴らしの丘」などがありますが、 以前にも散策しているので、今回はこの「くわくわ森」の散策だけに留めておきました。
天王森泉公園くわくわ森
夏は涼しく冬は明るい雑木林。 クヌギやコナラの樹液を求めてたくさんのクワガタムシが見られ、「くわくわ森」と呼び親しまれてきました。 身近な自然を大切に、森の空気を味わって下さい。
舗装道路へ降りて右手へと進んでいくと、すぐに道が左手から合流してきます。 六会日大前駅へはその左手の道を進んでいくのですが、 正面の道のすぐ先に天王森泉館があるので立ち寄っていきましょう。 左手には田んぼが広がっていて、稲穂が頭を垂れ始めていました。 田んぼの上には鳥害避けの網が張られていて、収穫の時期が近づいてきているようでした。
天王森泉館
舗装道路を少し進んでいくと天王森泉館があります。 ここで公園のパンフレットを貰えるので参考にしましょう。 この辺りには綺麗な湧水を利用した製糸場が沢山あったのだそうで、 この天王森泉館もそれらを再生したものとのことです。
天王森泉公園あらまし
和泉川沿いに広がる水田、それを縁どる斜面緑地が昔懐かしい農村の面影を今に伝える泉区の南部。 台地の崖線から湧く豊富な湧水をいかして、流域には20に上る製糸場が営まれた歴史を持ちます。 清冽な湧水にはホタルも棲息し、かつては谷戸中を乱舞したと聞きます。 その一角に雑木林を主体とした面積約35,000uの本公園があります。 正面には製糸場の本館が再生され、涸れることのない湧水が自慢です。
旧清水製糸場本館 天王森泉館
この建物は、1911(明治44)年5月に清水一三氏によって興された 清水製糸場の本館として建設されました。その後、昭和6年頃に 本館の左側半分が約500m北から現在の敷地に移築され、個人の住宅として 利用されていました。平成9年に公園整備に際して、製糸場本館当時の姿を再現し、 「天王森泉館」として名づけ拠点施設として活用しています。 清水製糸場は、大正7年には釜数128を誇り、神奈川県下45社の中でも5番目の規模の 製糸場でした。和泉川沿いには豊富な湧水を活かして20に上る製糸場が営まれ、 中和田村(現在の泉区)には市内最古で規模も大きい持田製糸場をはじめ8社がありました。 しかし、大正時代にピークを迎えた製糸産業は関東大震災(1923年)や大恐慌(1929年)で 打撃を受け、ナイロンの開発も重なりその勢いは急速に衰えました。 建物の一階の間取りは明治期の横浜近在の農家に見られた四ツ間取りの流れをくんでいますが、 玄関を入った所にある帳場が商いの場として特徴的です。当時はこのような本二階建てが 好まれ、二階には接客の場として使われた三ツ間続きの座敷があり、 総掃き出しの開放的な作りです。晴れた日には富士山も望めます。 豊富な湧水と、農業生産力を背景に成り立った旧清水製糸場の本館は、 当時の新興産業資本家層の住宅の典型を示しています。 平成10年1月、横浜市歴史的建造物に認定されました。
 (出展:パフレットより)
開館時間のご案内「天王森泉館」「湧水の森」
開館時間 午前9時〜午後5時
休館日 毎月第4火曜日(祝日の場合はその翌日)
 年末年始(12/29〜1/3)
 (天王森泉館、中部公園緑地事務所)
天王森泉館の中は自由に見学できるようになっています。 2階に上がると、板の間の展示コーナーには落語会の様子が写真で紹介されていました。 表側には畳の部屋が三つ並んでいて、そこで開催されたようです。 今年も9月下旬に「笑いの御殿 寄席」が開催され、4人の落語家が出演される予定なのだそうです。 また、この天王森泉公園の模型なども展示されていました。 裏側には「湧水の森」が広がっていて、そこから小さな池へと水が流れ落ちていました。 西瓜の彩色を施されたビニール製ボールが水に当たってクルクルと回っていました。
ご協力お願いします
この建物は遊び場ではなく、古く時代の思い出、歴史的建造物として保存しているものです。 今から約95年前の建造物であり、使用材にも歴史を感じる貴重な横浜市の歴史的財産です。 丁寧な扱い、管理に心がけております。 宜しくみなさまがたのご理解をお願い致します。
 (天王森泉公園運営委員会事務局)
境川俣野遊水地
天王森泉館から引き返して、田んぼの中に続く舗装道路を道なりに進んでいきます。 突き当たりを右・左と折れ曲がり、送電線の鉄塔「香川線27」の袂を過ぎていきます。 右手には遊水地が広がっていますが、まだ整備の途中のようでした。
この遊水地の中は整備中ですので、関係者以外の立入はご遠慮ください。 大雨の際には川の水が入るため大変危険です。
 (神奈川県藤沢土木事務所)
上俣野橋
突き当たりを左折して境川の左岸を進んでいきます。 川面へ降りていく道を見送っていくと、青色に塗られた上俣野橋があります。 橋を渡って左折し、境川の右岸に続く「藤沢・大和自転車道」を進んでいきます。 道端ではススキが穂を出していて、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていました。
「国道1号まで4.0km」の円い標識のすぐ先の所から、右手の道路へと降りていきます。 森や民家の脇を過ぎていくと分岐があります。 正面にある「西俣野上町内会館」の前を右折して、坂道を登っていきます。
森の中に続く坂道を3分ほど登っていくと畑地に出ます。 民家の脇を過ぎていくと、正面に東京電力の六会変電所があります。 そこを右手から回り込むようにして進んでいくと十字路があります。 十字路を直進して工場や民家の並ぶ道を進んでいくと、信号のあるT字路に出ます。 その右手のすぐ先にある亀井野バス停の所の路地を左手へと入っていきます。
唐池公園
ビニールハウスの先を右手へと曲がって突き当たりを左折していくと、商店の加工所があります。 その先の分岐を右手へ進んでいくと、右手に細長い形をした唐池公園があります。 「唐池公園」の標識のある所から公園へと入っていくと、広場やベンチなどがあります。 大きな樹木も生えていて、涼しそうな木陰を作っていました。
三屋道公園
唐池公園の入口の手前から続く道へと進んでいきます。 鳥居のある「白旗大明神」の石碑を過ぎて二つ目の十字路までくると、角には亀井野小学校があります。 その十字路を右折して民家の間に続く道を進んでいきます。 小さな果樹園の先の十字路の左手に三屋道公園があります。 住宅地にある静かな公園で、角には道祖神などの石仏が三体並んでいました。
藤沢市計画事業六会東部土地区画整理事業の為、亀井野大久保1723番地所在の道祖神を復建移転安置せり。
 (亀井野中組講中)
六会日大前駅入口交差点
三屋道公園に沿って進んでいくと国道467号に出ます。 右折して100mほど進んでいくと、歩道橋の手前に六会日大前駅入口交差点があります。 ここを左手へと進んでいきます。
六会日大前(むつあいにちだいまえ)駅
街中に続く道を300mほど進んでいくと、「MUTSUAI PARK STREET」のゲートの先に、 最初の六会日大前駅(小田急江ノ島線)があります。