七国山
散策:2006年07月下旬
【街角散策】 七国山
概 要 七国山は町田市にある標高130mほどの丘陵で、町田ダリア園・町田ぼたん園・薬師池公園などが集っています。 その昔には7つの国が眺められたことから「七国山」と名付けられたようです。 高台の雑木林の中には鎌倉から高崎へと至る鎌倉古道「上ノ道」や鎌倉井戸なども残っていて、 往時を偲ぶことができます。
起 点 町田市 今井谷戸バス停
終 点 町田市 薬師池バス停
ルート 今井谷戸バス停…町田ダリア園…鎌倉井戸…鎌倉古道分岐…鎌倉古道…七国山緑地…山崎見本園見晴台…こころみ農園…七国山ファーマーズセンター…町田ぼたん園…町田市ふるさと農具館…野津田神社…民権の森…ハス田…薬師池公園…薬師堂…旧永井家住宅…旧荻野家住宅…萬葉草花苑…水車小屋…花菖蒲園…薬師池公園裏門…薬師池バス停
所要時間 3時間40分
歩いて... ぼたん園は花の時期は過ぎていましたが、ダリア園は七分咲き、ハス田はほぼ満開の頃で、 綺麗な花々に出会うことができました。 今回訪れた範囲が「七国山(ななくにやま)」と呼ばれているようです。 森や植物園や公園などがあって、変化に富んだ自然に触れ合うことのできるコースでした。 近くには町田リス園や町田えびね苑などもあるので、時間があれば合わせて訪ねてみましょう。
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コース紹介
今井谷戸(いまいやと)バス停
町田駅(小田急小田原線)の北口から、[町53]鶴川駅行きバス,または, [町55]野津田車庫行きバスにて12分、1時間に5本程度の便があります。
町田バスターミナル
町田駅にはバスセンターとバスターミナルがあります。 今井谷戸への便が出るのはバスターミナルからですが、乗り場は駅舎から少し離れた所にあります。 「北口」から駅を出て、線路沿いの道を新宿方面へと進んでいきます。 100mほど先にある踏切の所を左折していくと、今井谷戸方面へのバス乗り場[21]があります。
バス停から少し引き返していくと、三叉路に架かる歩道橋があります。 その手前から右手へ分かれていく道へと入っていきます。 入口には「町田ダリア園」の看板が幾つか設置されていて、この右手の道を指しています。 円弧を描くようにして右手へと曲がっていく道を1/4周ほどしていくとT字路があります。 ここにも「町田ダリア園400m」の看板が設置されています。 看板に従ってT字路を左折して真っ直ぐに進んでいきます。
「町田ダリア園280m」の看板を過ぎていくとY字路があります。 左手へ分かれていく道は見送って、正面右手に続く坂道を緩やかに登っていきます。 クリーニング店を過ぎ、「町田ダリア園200m」の看板を過ぎていきます。 左右への分岐道は見送って道なりに緩やかな坂道を登っていくと、 左手に「町田ダリア園」と書かれたアーチがあります。 このアーチをくぐっていくと町田ダリア園があります。
町田ダリア園
「まちだ福祉作業所」を過ぎて真っ直ぐに進んでいくと、 小さな駐車場の先の一段高い所に町田ダリア園の入口があります。 入口の手前にダリア園の案内板があるので参考にしましょう。
町田ダリア園
町田ダリア園は、障がい者の働く場として町田市が設置し、まちだ福祉作業所が運営しています。 本園は、昭和60年6月開設し、現在、約15,000uの園内に500品種、4,000本のダリアを栽培しています。 開設にあたっては、柳田友輔先生、亀井潔先生のご指導を受け、 日本一のダリア園である山形県川西町の「川西ダリア園」からは、球根の寄付を受けるなどのご協力をいただきました。 ダリアは、キク科に属し、メキシコ原産で、比較的冷涼な高原に自生していました。 日本には、江戸時代末期オランダから持ち込まれ、独自の改良が加えられて、夏の花として親しまれています。 ダリアの最大の魅力は、花色、花型、花の大きさ、草丈、葉型、葉色などに無限の変化が見られることです。 本園では、ダリア独特の花色である二色咲き、絞り咲き、ブレンド(ぼかし)など美しさを楽しむ品種や、 花径30cmを超える巨大輪から3cm程のポンポン咲き品種までを一堂に集めています。 みごとな花の競演を、ゆっくりお楽しみください。
開園期間:6月20日〜11月3日、 開園時間:9時30分〜16時30分(最終入園16時)
 (まちだ福祉作業所、町田市)
ダリア愛好家の皆様へ
一、ダリアの花にさわらないで下さい。
一、花の支柱はぜったいに抜かないで下さい。
一、花、葉、枯葉等にさわり別の品種にふれると、ウイルス病が広がり大変な事になります。
 (町田ダリア園所長)
入口のゲートをくぐっていくと、浅い谷筋には一面にダリアが植えられていました。 中ほどには噴水があって涼しさを演出していました。 丁度ダリアの花の時期だったようで、 赤・桃・橙・黄・紫・白などの色とりどりの花が綺麗に咲いていました。 蕾のものもあったので七分咲きといったところでしょうか。 菊のようにぎっしりと詰まった感じの花や、朝顔のようなあっさりとした感じの花など、 一口に「ダリア」と云っても、色々な形をしたものがありました。
一見してヒマワリかと思うほどの大輪の黄色い花を咲かせたものもありました。 各々の花には名前を書いた小札が立てられていました。 魅力的な名前がつけられていましたが、花に疎い私には知った名前はありませんでした。
みどりの動物広場
噴水を過ぎて谷筋の上の方までダリアが植えられています。 園内には所々休憩所もあって腰を掛けて観賞している人も沢山いました。 一番上まで行って右手にあるゲートをくぐっていくと、「みどりの動物広場」があります。 樹木を動物などの形に仕上げたものが点々と植えられていました。 門の形をしたものや、象・キリン・馬など色々な動物を模ったものがありました。 亀の上に鶴が乗ったのもありました。
みどりのどうぶつ広場
この広場にあるツゲの木で作られた動物や門は、20年以上もかけて丹精込めて作られた作品です。 これを、製作者の浅沼さん、石川さんからご寄贈をいただきました。 また、地域ともふれあいと奉仕を行っている国際ソロプチミスト町田からは移設・整備のご協力をいただいて、 この広場が作られました。 市民の皆さんの憩いの場所として、ご利用下さい。
「みどりの動物広場」から谷筋へと降りていくと、テント張りの下でちょっとした食べ物が売られていました。 近所の奥さん達でしょうか、エプロン姿で元気良く販売されていました。 餡子や黄粉の白玉・いそべ焼・きなこ餅・じゃがいも・お茶などが売られていたので、 その中から「じゃがいも」を買って食べてみました。 丸い形のままで蒸かした小振りのジャガイモが、大から小へと五つ串に刺されていました。 この「じゃがいも五兄弟」、塩が適度に効いていて昔懐かしい味がしたのでした。
「町田ダリア園」を出て更に坂道を進んでいきます。 坂の頂上辺りまで来ると、道が二手に分かれています。 その間に「こころみ農園」と書かれた道標が立っていて、右手に登っていく道を指しています。
鎌倉井戸
道標に従って右手に続く坂道を登っていきます。 右手へ曲がって森の脇を過ぎていくとT字路があります。 そこを左折して森の中へと進んでいくと、 程なくして「七国山 鎌倉街道の碑」と刻まれた石碑と「鎌倉井戸」があります。
町田市指定史跡(通称)鎌倉井戸
鎌倉時代に掘られたものと言われ、新田義貞が鎌倉攻めの軍を進める途中、 ここに井戸を掘り、この水を軍馬に与えたと語り伝えられている。 井戸の深さは約4メートルあり、表土の部分は永い年月の間に崩れ落ちているが、 地表から約1.5メートル下のローム層の部分には、 下方に直径約70センチメートル程の円筒形の井戸が原型のまま保存されている。 この層から、汗の様に滲み出た水が溜るものと考えられている。
 (町田市教育委員会)
鎌倉古道分岐
「鎌倉井戸」を過ぎていくと道が二手に分かれています。 舗装道路は右手へと登り気味に続いていて、左手には降り気味に土の道が続いています。 角に立つ案内板によると、左手の土の道は、鎌倉から高崎へと続く「鎌倉古道」とのことです。 今回の散策コースは右手の道を進んでいくのですが、 その前に左手の「古道」を少し歩いてみることにしました。
鎌倉古道 鎌倉街道 上ノ道
鎌倉−七国山−府中−所沢−高崎
 (七国山自然を考える会、東京都多摩環境事務所)
香ぐわしき 七国山の コナラの巣 守り育てて 次の世代に
 (七国山自然を考える会)
七国山緑地保全地域
ここは緑地保全地域です。 自然を守り育てるため、ごみを捨てたり草をつんだりしないようご協力ください。
 (東京都、町田市)
この先車両の通行はできません
 (町田市役所、町田警察署)
鎌倉古道
雑木林の中に広くて緩やかな道が続いています。 所々にフクロウの形をした「七国山緑地保全地域」の注意書きが立っていたりします。 樹木が緑の葉を伸ばしていて、夏の暑い日差しを遮ってくれます。 4分ほど進んでいくと、右手から道が合流してくる所があります。 角には「七国山緑地保全地域案内図」があるので参考にしましょう。 右手からくる道は、先ほどの分岐を右手へ行った先から分かれて森の中へと入ってくる道のようです。
七国山緑地保全地域案内図
七国山緑地保全地域は、町田市のほぼ中心部に位置しています。 小高い丘陵地のほぼ全域にコナラ・クヌギの雑木林が広がっています。 区域の西部には鎌倉古道が南北に走り、鎌倉井戸の遺構が残されています。 東京都では「東京都における自然の保護と回復に関する条例」に基づき、昭和50年に緑地保全地域に指定し、 町田市とともにこの自然を守り次世代に伝えていく努力を続けています。
みんなの自然はみんなで守りましょう
・動植物などの採取、盗掘などはおやめください。
・たき火やたばこ、ゴミの投げ捨ては絶対にしないでください。
・ペットは放さずに、ひもにつないで散歩しましょう。
・その他、自然に対して影響を与えるような行為はおやめください。
 (東京都、町田市)
七国山緑地
右手から降ってくる広めの道の他にも、雑木林の森の中へと入っていく道が分かれていました。 案内図にもそれらの道が描かれていました。 今回は歩きませんでしたが、七国山緑地の森の中へと続く道を散策してみるのもいいかも知れません。
武蔵野の雑木林と萌芽更新
武蔵野の雑木林は15〜25年に1回根元から切り倒し、まきや炭、シイタケのほだ木等に利用してきました。 切株からは新しい芽がのび15〜25年でまた切ることをくり返します。 この方法を萌芽更新といい、これにより武蔵野の雑木林は今日まで残っています。
【伐採】炭やき・まき
【萌芽】この芽を萌芽といいます。この年の夏から下草刈りを始めます。
【もやわけ】必要のない木などを切ります。2〜3本に整理する。
【毎年の下草刈りと落葉掃き】たいひづくり
 (東京都環境保全局多摩環境保全事務所自然保護課)
鎌倉古道を更に進んでいくと、「鎌倉古道」の標識のある所で、 尾根筋の道とその少し下側を通る道とに分かれています。 道標などはありませんでしたが、どちらの道を進んでいっても同じ畑地へと続いているようでした。 今回は広めの右手の道を進んでいきました。
町田のみどりは 市民の財産 みどりの管理は 市民ぼくたち わたしたち
 (七国山自然を考える会)
1分ほど進んでいくと、左手の畑地へと分かれていく道があります。 その道へちょっと入ってみるとすぐに畑地がありました。 左手からは細い山道が降ってきていたので、さきほどの分岐から分かれてきた道だろうと思われます。 畑地への分岐道を見送って真っ直ぐに進んでいくと竹林があります。 この竹林を過ぎていくと、鎌倉井戸の先にあった鎌倉古道分岐から10数分で新興住宅地へ降り立ちます。 その辺りで、昔の面影の残る「古道」は途切れています。
七国山緑地保全地域
ここは自然を守っていくために保全地域として指定されている場所です。 動植物の採取は禁止されています。 タケノコ等は取らないでください。
 (東京都、町田市)
山崎見本園見晴台
元の鎌倉古道分岐まで引き返して、右手の道を登り気味に進んでいきます。 坂を登って畑地の脇に出ると、「見晴台順路」の標識が立っていました。 どんな所だろうと思いながら標識に従って右手にある畑地沿いに進んでいくと、 森の端にベンチがひとつ設置された所がありました。 ここが「見晴台」のようで、脇には解説板もありました。 正面の畑地の先には町田の街並みが広がっていました。 天候に恵まれると新宿辺りまでも見えるようです。
山崎見本園見晴台
この山崎見本園見晴台は、地権者の好意により町田市が借り受け、 (社)町田シルバー人材センターに花の栽培管理を依託しています。 ここで栽培されているマリーゴールドは、初夏から秋にかけて見頃をむかえ、 一面に色あざやかな花を楽しんでいただけます。 また、天候に恵まれた時には、ここから新宿副都心等を望むことができます。 この他、七国山周辺では春には菜の花・水仙、夏にはひまわり・やまゆり、 秋にはそばの花と、季節ごとに花を楽しむことができます。
最期に七国山散策を楽しむ秘訣をひとつ。
とっていいのは写真だけ。のこしていのは思い出だけ。
 (町田市役所環境・産業部農業振興課)
見晴台から元の道に戻ってその先へと進んでいきます。 少し降り気味に進んで低い石垣が現れると、左手の森の中へと分かれていく道があります。 すぐの所に、鎌倉古道で見かけたのとほぼ同じ「七国山緑地保全地域案内図」があるので参考にしましょう。 森の中へと続く道が図示されていて、鎌倉古道にあった案内図の所へと続いているようでした。
こころみ農園
案内図の右手には門のような大きな石柱が立っていて、 「七国自然苑」や「汎蒼庵」の表札が掲げられていました。 石門の間から続くコンクリート道を進んでいくと、 左手の小高くなった所に「町田市こころみ農園」の看板の掛かる家がありました。 周りは小奇麗な庭のようになっていました。 キノコ栽培をしているのでしょうか、ほだ木が井桁状に沢山積まれていたりしました。
こころみ農園から石門まで引き返して、その先へと坂道を降っていきます。 民家が建ち並ぶようになった道を進んでいくと、 右手へと曲がっていく所にあるカーブミラーに「町田ぼたん園→」の道標が付いていました。 道標に従って道なりに右手へと曲がっていくとすぐにT字路がありますが、左手へと降っていきます。 民家が途絶えて再び農地が広がるようになります。
七国山ファーマーズセンター
ガードレールに取り付けられた「←ぼたん園」の標識を過ぎていきます。 右手からの道を合わせて更に降っていくと、右手の階段の下に七国山ファーマーズセンターがありました。 地元農家が作った安全・安心な野菜を販売する日曜朝市が紹介されていました。 教育センター校庭にて7月末に開催されて、以降は毎月第一日曜日の朝7時から実施されるのだそうです。 トマト・キュウリ・ナスなどの夏野菜のほか、シイタケ・卵・花・植木なども取り扱われるようです。
七国山ファーマーズセンターを後にして更にその先へと進んでいくと、道が二手に分かれています。 道標などは見当たりませんでしたが、町田ぼたん園へは右手の道を降っていきます。
CAFE GARDEN 風見鶏
左手に「CAFE GARDEN 風見鶏」の案内板がありました。 大正・昭和初期のステンドを使用したレトロな雰囲気の店で、 古レンガでできたイギリス風庭園のカフェ・ガーデンとのことです。 ハイキング・散歩の途中にお立ち寄りくださいとのことです。 左手の道を70mほど降った所にあるので、時間があれば立ち寄ってみましょう。
11月〜1月 9:30am〜5:00pm(火・金曜定休日、祝祭日の場合は翌日)
2月〜10月 9:30am〜6:00pm(火・金曜定休日、祝祭日の場合は翌日)
町田ぼたん園
大きな木の下を過ぎていくと、道が二手に分かれています。 その真ん中に町田ぼたん園があります。 正面の門の左手には町田ぼたん園の案内図があるので参考にしましょう。 また手前には「周辺案内図」があって、 七国山周辺にある七国山自然苑(汎蒼庵)・ふるさと農具館・町田ぼたん園・自由民権資料館・ 町田リス園・町田えびね苑・町田ダリア園・薬師池公園・萬葉草花苑などが紹介されていて、 それらを巡る散策路も図示されているので参考にしましょう。
開園時間 午前9時30分より午後4時00分まで(入園は午後3時30分まで)
立派な門をくぐって中に入ると、左手には管理事務所があり、 右手にはぼたんが植えられた花壇が続いていました。 この時には花の時期が過ぎていたので咲いてはいませんでした。 園内には「御休み処」もあるので、汗を拭きながらひと休みしていきました。
牡丹の由来と歴史
名称の由来 「牡丹」は中国名「牡丹」の日本読みです。 中国で「牡丹」と名前がついたのは、一説によると、明の時代は赤色の花が最高級品と評されていたので、 赤色を示す「丹」と、種子は出来ても実生は必ずしも親と同じ赤花にならないので、 子が出来ない牡と考えて「牡丹」と名づけたと言われています。
牡丹と芍薬 牡丹と芍薬は、ボタン科・ボタン属の植物で、性質も似た所が多く、木本性が牡丹、草本性が芍薬です。
牡丹の原産地 木本性のボタンの原種は、世界中に三種しかなく、全て中国が原産地であります。
牡丹の歴史 古代、中国の原産地方では、牡丹を薪として利用していましたが、 3世紀頃から、根は薬用(鎮痛・消炎など)に利用されています。 隋の時代(5〜6世紀)には、多くの人々に広まると共に、品種改良も進みました。 牡丹が日本に渡来したのは奈良・平安時代で、遣唐使・留学生・僧侶などが中国から持ち帰ったと言われています。 鎌倉、室町、桃山と受け継がれ、江戸時代には、我が国の美意識に沿う様に品種改良が重ねられ、隆盛をみるに至り、 明治以降は、生産園芸としても発展し、今日に至っています。
園内の奥の方へと進んでいくと、芝生の広場や「自由民権の碑」などがあります。 その先の門を過ぎた所には雰囲気のいい「奥庭」もあったりします。 自由民権の碑の脇から細い道が山へと続いていて、 「石阪昌孝の墓」や「民権の森 石阪昌孝先生墓所」の標識がその道を指しています。 案内に従ってその道を登っていくと、金属性の柵の先に墓石がありましたが、 柵は閉ざされていて中へは入っていけませんでした。 芝生の広場には「幻の桜」が植えられていました。
自由民権の碑
自由民権運動に参加した文学者、天才詩人北村透谷は、明治18年(1885)の夏、 三多摩民権運動の最高指導者である石阪昌孝の長女、美那子とはじめてここ石阪邸で出会った。 民権壮士とは異なった思索型の青年に、美那子は強い印象を抱いた。 二人は2年後に東京で再会し、"全生命を賭けた恋愛"から結婚へと突き進んだ。 透谷文学に大きな影響を与えたキリスト経への入信も、この出会いがあったからである。 自由民権と透谷文学に深くかかわるゆかりの地を顕彰するため、この碑を建立する。
幻の桜・カタオカザクラ
この「カタオカザクラ」は、昭和20年5月に長野県塩尻市片丘の山林で発見されたものです。 その後、片丘の自生地が山火事に遭い焼失し、幻の桜となりました。 東大理学部付属植物園日光分園に移植されていた1本の木から、 片丘ザクラ保存会の皆様の永年におよぶ努力により、百数十本がふる里の地に蘇りました。 この貴重な「カタオカザクラ」は町田市と桜でつなぐ友好のために、塩尻市より寄贈されたものです。
 (町田市)
民権の森
これから向う野津田神社の脇から山道を登ってくると、柵の向こう側へ行くことができます。
町田市ふるさと農具館
町田ぼたん園を出て左手へと曲がっていくと、すぐに町田市ふるさと農具館があります。 二つの建物から成っていて、往時の農業や農機具などが展示されていました。 昔懐かしい赤い円筒形の郵便ホストもあったりします。 七国山散策マップが置いてあるので貰っていきましょう。 今回の散策ルートがすべて載っているので、これから先の散策の参考にしましょう。
開館時間 11月〜1月 午前9時30分から午後4時まで
2月〜10月 午前9時30分から午後4時30分まで
休館日 月曜日(国民の祝日の場合はその翌日です)、年末年始 12月28日〜1月5日
入館料 無料
郵便差出箱
この赤い丸形ポストは正式名称を「郵便差出箱」と言い、昭和24年(1949)から各地で使用されるようになりました。 現在では、丸形ポストはじゅんじ、角形に変更されてきております。 このポストは最近まで使用されていたもので、平成12年(2000)2月、鶴川郵便局から寄贈を受けたものです。
建物の一角には当時の農家の家の中を再現したコーナーもありました。 下駄・藁草履・囲炉裏・自在鉤・板の間・火鉢・箱膳・米櫃などがあって、昔懐かしいものばかりでした。 農機具や生活用品なども沢山展示してあって、各コーナーには解説文も添えられていました。
町田市ふるさと農具館
町田市ふるさと農具館を後にして、町田ぼたん園との間に続く坂道を降っていくと、 七国山ふれあい会館の先にT字路があります。 T字路を左折していくと森へ突き当たるので、森に沿って右手へと降っていきます。 T字路を二つほど直進していくと、少し登り坂になってきます。 竹林の側を過ぎて少し左手へ曲がっていくと、「暖沢の片側町 ボタンの里」の標識の掛かる家があります。 道路の左手には小さな祠があります。 小祠の右手の石段の先には、木製の鳥居と「野津田神社」と刻まれた石柱があります。
野津田神社
鳥居をくぐってその先へと進んでいくと、もうひとつ鳥居があります。 その鳥居の先の左手にある短い石段を登っていくと、野津田神社の社殿があります。 日本神話に登場する有名な神々が御祭神とされていました。
野津田神社
鎮座地 町田市野津田2319番地
御祭神 伊邪那岐命、伊邪那美命、国常立尊、天照大神、天津児屋根命、日本武尊
由緒 創建元禄13年9月28日。 明治42年、春日社・幸山社・御嶽社・御霊神社に合社する。 現社殿は大正15年10月2日に造営する。
例祭日 8月27日
境内面積 631坪
氏子数 400戸
神拝詞(となえことば)
祓え給い 清め給え 神ながら 守り給い 幸え給え  (はらえたまい きよめたまえ かむながら まもりたまい さきわえたまえ)
神拝詞三唱 二拝 二拍手 一拝
社殿の左手に「民権の森入口」の道標が立っていて、脇から細い山道が森へと続いていました。 雑木林の中に続く緩やかな道を1分ほど進んでいくと、石の小祠がありました。 その10mほど先には赤く塗られた小祠もありました。
民権の森
小祠を過ぎて2分ほど進んでいくと、道端にベンチが二つ設置された所がありました。 雑木林の中に続く山道を更に進んでいくと、先ほどの「町田ぼたん園」の裏山に着きました。 樹木が切り開かれてベンチも設置された所の先に「正五位石阪昌孝之墓」と刻まれた墓石がありました。 そばには「民権の森」の案内板が立っていました。 野津田神社から5分ほどで来ることができました。
民権の森
今から百年ほど前、国民の基本的権利と自由を求めた自由民権運動が全国各地におこりましたが、 町田や三多摩の最高指導者といわれたのが、ここ野津田出身の石阪昌孝です。 石阪を中心に学習会や演説討論会が開かれ、新しい思想に目覚めた村の青年達を中心に、 村落ぐるみで活発な政治活動を行いました。 この運動に自分の財産を注ぎこんで"井戸塀"政治家となった石阪の屋敷跡は、 この森に続く南にありました。 町田市では北村透谷と石阪の長女美那子とが出合ったゆかりの場所でもあるこの地を"民権の森"と名づけ、 歴史と文化が刻みこまれた豊かな緑を永く守っていくことにしました。
 (町田市)
野津田神社まで引き返して、鳥居をくぐって石段を降り左手へと進んでいきます。 すぐの所の左への分岐は見送って坂道を降っていくとT字路があります。 右折して更に降っていきます。 ガソリンスタンドが見えてくると府中町田線に出ます。
T字路を右折して車道を進んでいきます。 国本学園前バス停を過ぎ、北第二駐車場・北第一駐車場を過ぎていくと、 薬師ヶ丘バス停の先に薬師ヶ丘交差点があります。 その右手の蓮見橋の手前に、「←薬師池公園(ハス田)」の道標が立っています。
七国山の由来
昔、この山頂から七つの国が見えたことから、この名で呼ばれるようになったといわれています。 その七つの国とは、武蔵・相模・甲斐・駿河・下総・上総・安房。 現在でも見晴台からは、天気がいい日には新宿副都心や東京タワーなど望むことが出来ます。
七国山の景観作物について
町田市では豊かな自然に恵まれた七国山の景観を保全し、また市民の憩いの場として永く楽しんでいただけるよう、 七国山周辺の農家さんで構成する七国山ふれいの里組合と(社)町田市シルバー人材センターに 景観作物の栽培管理を依託しています。
景観作物と見頃について
 菜の花:4月中旬から下旬、そばの花:9月中旬から下旬、ヒマワリ:7月下旬から8月中旬、
 スイセン:3月下旬から4月上旬、マリーゴールド:7月下旬から9月下旬
七国山ではこの他に梅、桃、桜、ヤマブキ、ユリなど季節によって たくさんの草花を楽しんでいただけます。
七国山の歩き方
七国山にはたくさんの私有地があります。
・畑の野菜や山林の山菜、また沿道に咲く花などを勝手に取っていかないこと。
・ごみは必ずもって帰ること。タバコの吸殻はそれ以前の問題です。
たくさんお方が暮らし、また農業が営まれています。
・地元の方や来訪された方と挨拶をしましょう。
・自動車は薬師池公園駐車場に停めましょう。
ハス田
短い階段を降っていくと、池にハスが一面に植えられていました。 池の中ほどに木道が設置してあって、ハスを間近に見られます。 背丈ほどはあったでしょうか、夏が来てみんな大きく成長していて、向こう側が見えないほどでした。 丁度花の時期だったこともあって、桃色の大きな花を咲かせているのもありました。 ザリガニ釣りかカエル釣りでしょうか、細い木の枝に糸をつけて水面に垂らしている親子を見かけたりもしました。
大賀ハス
「大賀ハス」は、故大賀博士が1951年、千葉県検見川遺跡で2000余年前のハスの実三個を発掘し、 そのうちの一個だけ発芽に成功したものです。 その大賀ハスを株分けしたものが、市内相原町の円林寺と大蔵町の柏木常吉氏のところにあります。 このハスは、それをさらに株分けしていただいたものです。 町田市は、縄文遺跡の宝庫、その縄文時代の名花をぜひご観賞下さい。 開花時期は7月下旬から8月下旬です。
薬師池公園
「自由民権の像」や椿園などを過ぎていくと薬師池があります。 ここに薬師池公園の案内図があるので参考にしましょう。 薬師池を中心にして、薬師堂・古民家・花菖蒲園・萬葉草花苑や茶屋などがあります。 池の中ほどには丸い太鼓橋が架かっています。 この公園は「新東京百景」にも選ばれているようです。
東京都指定名勝 福王寺旧園地(薬師池公園)
薬師池公園周辺は、戦国時代には北條氏照の支配領域であった。 野津田薬師といわれている薬師堂は、天平年間(729〜749)行基の開基と伝えられており、 現存する薬師堂は明治16年(1883)の再建である。 薬師池は野津田薬師のほとりの池の意味であり、江戸時代には福王寺溜井といわれていた。 福王寺溜井は長さ70間(126m)横28間(50.4m)の規模で耕地を潰して溜井にしたといわれ、 その成立は寛永年間(1624〜43)と伝えられている。 宝永4年(1707)富士山の噴火による降灰で埋まり、宝永5年から三年間にわたって浚い普請が行われた。 文化14年(1817)に再び泥砂に埋まり浚い普請が行われたという。 薬師池公園は、昭和36年(1961)に風致地区に指定され、 公園周辺は「七国山周辺観光施設整備計画」の七つの里計画のひとつとして位置づけられ保全整備が行われている。 薬師堂周辺のクヌギやコナラの雑木林は、古くから郷土の誇りとなる原風景として親しまれており、 武蔵野の雑木林の面影をよく残している。 炭焼きも行われており、薪炭林としての機能も認められ、都内では数少ない二次林の一つとして重要である。 郷土景観として名勝に相応しい地域であり、 二次的自然景観の価値を文化財として評価された最初の自然地理的名勝である。
 (東京都教育委員会)
薬師池の由来
薬師池は戦国時代の天正5年(1577)に、当時このあたりを支配していた北條氏照(滝山城主)から 許可をもらった農民たちが、農業用水池として十数年かけて開拓したものです。 その後、池は江戸時代の宝永4年(1707)に、富士山の噴火の砂で埋まってしまいましたが、 周辺の村々から農民たちが出て、三年もかけて土砂をさらっています。 しかし、文化14年(1817)に再び土砂で埋まり、一面にアシなどが生い茂る状態になってしまいましたので、 野津田村の農民たちは七町歩(約7ha)余りの水田の水を得るために、掘り直しています。 このように、薬師池は長い間、水田耕作のための用水池として農民たちの生活を守る重要な役割を果たしてきました。
薬師池の右手の森へと進んでいきます。 「薬師堂旧参道」の立て看板を過ぎて緩やかに登っていきます。 沿道の桜並木を眺めながら進んでいくと、道が二手に分かれています。 その間には「薬師堂参道」の石柱が立っています。 左手の道は森の奥へと続く散策路のようですが、 今回は「奉納 秘佛薬師如来」の赤い幟が続く正面の石段を登っていきます。
薬師堂
1分ほどで階段を登り切るど境内に着きます。 左手へと進んでいくと、大きな樹木の先の一段高い所に薬師堂があります。 本尊は薬師如来で、右に日光菩薩、左に月光菩薩が祀られていて、 更にその右側と左側に六体ずつ12の神像が祀られているようです。 本尊は秘佛で、12年に一度開帳されて拝観できるようです。 天井には墨絵の龍と彩色された二人の天女が描かれているようです。 現在の御堂は明治16年に再建された総欅造りで、獅子の彫り物が15体彫られているようです。 境内には薬師堂の他に「采女霊神」の石碑もありました。
野津田薬師堂
開山:行基菩薩、開創:天平年間
縁起
普光山福王寺と号し、聖武天皇御宇天平年間の草創にして、本尊薬師如来は開山行基菩薩が勅を奉じて作る所なり。 その時に華厳経一部と若干の封戸とを賜り勅願所となり幾星霜を経た。 光厳帝の正慶2年、殿宇寳経、兵火にかかって_有となり、唯勅書と_王大士、夜叉神の尊躰のみを残す。 その後柏原帝の永正3年、越国の軍卒、寳閣に乱入して勅書と華厳経を奪却、廃寺果せし時、 正親帝の元亀4年、密乗の師興満阿闍梨、寺を修し佛躰の損せるを補い、法器の廃せるを興し漸く本に自営の功を遂く。 その後、霊像を尊奉じ秘佛となし、寛文10年より33年毎に開扉を行ない、現在では武相寅歳開扉霊場である。 現在の建物には狩野信矩筆による龍と天人の天井絵が描かれている。
旧永井家住宅
薬師堂から引き返して石段の先から右手へと降りていくと梅林があります。 その脇の方に旧永井家住宅が復原展示されています。 中に入ると、土間には竈や農具などが置かれていました。 植えた訳ではないのでしょうが、茅葺屋根の上には草が一列になって生えていて、 可憐な橙色の花を咲かせていました。
重要文化財 旧永井家住宅
永井家は多摩丘陵で代々農業を営んでいた。 この建物は、現在位置の北方約3.3キロメートルのところにあったが、 多摩ニュータウンの建設にともない町田市に寄贈され、昭和50年(1975)にこの薬師池公園に移築された。 建築年代については資料を欠くが、構造手法からみて17世紀末ごろと推定される。 桁行15.0メートル、梁間8.8メートル、寄棟造、茅葺で、 正面に土庇、土間側面に突出部を設け、屋根を葺き下ろしている。 平面は広間型三間取りで下手を土間とし、床上にはヒロマ、デイ、ヘヤが配されている。 デイは板敷、ヒロマとヘヤは竹簀子で、天井は三室とも簀子天井となっている。 ヒロマ正面は袖壁付の格子窓(しし窓)となっており、ヒロマ、ヘヤ境には押板が設けられている。 側回りは開口部が少なく、閉鎖的である。 この住宅は都内では最古に属するもので、広間型三間取りの平面、四方下屋造の構造、 しし窓や押板など、神奈川県の古民家と類似点をもち、その分布を知るうえで重要な遺例である。
 (東京都教育委員会)
国指定重要文化財 永井家住宅
この民家は、もと町田市小野路町瓜生3631番地(現多摩市永山)にあった永井卓実氏の住宅で、 同家は農業を営むその地域の旧家であったが多摩ニュータウン建設区域内にあった為、取りこわされることになった。 町田市では、この住宅を文化財として保存することに決定し、 昭和49年永井氏から同住宅の寄贈を受けたので、当公園内に移築復原修理工事を実施した。 建築年代についての文献史料はないが、構造様式等に注目する点があり、 土間の独立性や前面の格子窓および竹簀子床などからみて、17世紀末を降らないと推定される。 建築後、増築や補修および間取りの変更があったが、主要部材の大部分は当初のまま遺存していた。 なお同住宅は、昭和48年7月18日に東京都の重要文化財に指定され、 昭和53年1月23日に国の重要文化財に指定された。
 (町田市教育委員会)
旧荻野家住宅
せせらぎの脇の階段を降っていくと旧荻野家住宅があります。 江戸末期の医家だったようです。 家の中へ入っていくと、土間や藁や土塀などの香りが漂っていました。 何だか昔懐かしい雰囲気に包まれていました。
東京都指定有形文化財 旧荻野家住宅
桁行11.67メートル、梁間8.1メートル、一重、入母屋造、妻入、カヤ葺、建築面積145.53平方メートル。 建築主は明治元年には没した荻野衛門である。 表の向って右の六畳とその奥の九畳は調剤、診察の用に供し、他は居住部であったと思われる。 もと町田市三輪町にあったが、昭和48年5月、町田市所有となり、現地に移築された。
 (東京都教育委員会)
旧荻野家住宅
この家はもと町田市三輪町1601番地にあった荻野磯吉氏の住宅であり、 荻野家より町田市に寄贈され、昭和49年移築復元された。 荻野家は笠間藩の医家を出自とし、当地に移り幕末まで医家であった。 現在、旧所在地付近は閑静な農村であるが、屋敷前の道はもと町田に抜ける往還として人通りが多かった。 萱葺入母屋屋根のこの家は桁行六軒半、梁行四軒半の大きさで、 後方に杉皮葺の風呂場と便所を突き出しているが、家の向きは農家と違って妻入りであり、 内部の間取りも町屋と似た所がある。 すなわち、前側二間が町屋風の土間と「調合座敷」、その後方には左手に二室の座敷、 右手に家族生活のための「中の間」と台所土間となる。 また前側の土間の戸締りには町屋の揚戸が使われている。 家の年代は幕末期と推定されるが、外観、内部とも整い、 町屋の造りを取入れた農村部の医家の建物として類例の少ない民家である。
旧荻野家住宅の裏手には「板倉」と呼ばれる板の壁で囲まれた倉がありました。
板倉
この建物は板倉と言い、農家の屋敷内で日当りの良い場所に建てられ、米や雑穀を籾のまま保存する為使われました。 この板倉は、町田市相原町の渋谷十三氏宅にあったもので、江戸時代末期に建てられたものと思われます。 昭和58年12月に解体し60年1月に復元しました。 構造は五つの室からなっており、各室とも三方の壁、床、天井を板で囲い、前面は揚げ板となっていて、 この揚げ板を引き上げて穀物を出し入れするようになっています。 地方によっては、揚げ板の下部に穀物の取り出し口を設けたものもあります。 堀っ建て柱の上部に付いている板は「ねずみ返し」と言い、ねずみの侵入を防ぐ為に付けられています。
 (町田市)
萬葉草花苑
立派な雰囲気の薬医門をくぐっていくと、すぐ左手に萬葉草花苑があります。 草花70種の他、野草260種ほどが植えれています。
薬医門
この門はもと大和市下鶴間1850番地の瀬沼靖枝家の門でしたが町田市で寄贈を受け、昭和49年この場所に移築しました。 この手手者の制作年代は昭和12年で欅材が主体になっています。
萬葉草花苑
開苑期間4月〜10月
開園時間午前9時〜午後4時半
休苑日毎週火曜日(祝祭日の場合は翌日)
入苑料無料
やくし茶屋
萬葉草花苑の前隣には「やくし茶屋」があります。 町田市母子福祉会の店とのことです。 店の脇にはテーブルなどが幾つも設置さているので、正面に広がる薬師池を眺めながらひと休みしていきましょう。 店では、ところ天・みつ豆・あんみつ・抹茶などの甘味ものや、 アイスクリーム・昆布茶・ココア・コーヒー・ジュースなどが販売されています。 「薬師だんご」も商われているようですが、この時には売り切れになっていました。
来園者の皆様へお願い
池水の汚れを防ぐために、油分の含まれたお菓子類を池の中の生き物にエサとして与えないよう、 御協力お願いいたします。
 (町田市公園緑地課)
水車小屋
茶屋を出て池の右手を進んでいくと分岐があります。 角に立つ道標によると、正面の道は「町田フォトサロン」となっていますが、 道標「裏門・水車」に従って、右手に戻るようにして続く道を進んでいきます。 すぐに右の山へと道が分かれていきまますが、浅い谷に続く道を進んでいくと、 程なくして左手に水車小屋があります。 建物の脇で大きな水車が上から流れ落ちる水を受けて元気よく回っていました。 また、そばには「釣瓶井戸」もありました。 釣瓶を長い竹の先に吊るし、竹の撓る力を利用して水を汲み上げる仕組みのようでした。
水車について
水車には、上掛け・胸掛け・下掛けの三種類がありますが、これは上掛け式です。 昭和の初め頃までは市内の小川のほとりに地域住民の共用や精米業のものを見ることが出来ましたが、 電気の普及と精米機の発達により、現在では殆んど見ることは出来ません。 この水車で搗ける米の量は、一つの臼で約30キログラムですが、 現在の精米機とちがい途中で数回糠とりをして搗き上げます。 この水車は、市内大蔵町在住の水車の名工金沢留吉翁が青少年の教育に資し、 まつ薬師池公園に風情をそえる目的をもって制作寄贈されたものであります。
釣瓶井戸
この井戸は「撥ね釣瓶」と言います。 水を汲み上げる時、天秤を応用したもので、手動・電動ポンプが普及する以前は、 一般的に家庭で使われていました。
花菖蒲園
浅い谷筋には一面に花菖蒲が植えれていますが、 花の季節(5月下旬から6月下旬)は過ぎていたので咲いてはいませんでした。 肥後系62種、伊勢系19種、江戸系82種など、合わせて2200株が植えられているのだそうです。
薬師池公園裏門
東屋を過ぎて谷筋の奥まで行って左手へと曲がり、坂道を登って薬師池公園の裏門へと向っていきます。 ここにも公園の解説板などが幾つか設置されていました。
町田市薬師池公園
開園時間 午前6時より午後6時まで
夏期間(6月7月8月)については午後7時まで
※開園時間外の立入は関係者以外禁止いたします。
利用上
の注意
・みなさんの公園です。きれいに利用しましょう。
・酒類の持込み及び火の使用を禁止します。
・立入禁止区域内に入らないようにしましょう。
・団体等で利用する場合は、当管理事務所に申請してください。
 (薬師池公園管理事務所)
薬師池(やくしいけ)バス停
薬師池公園の裏門を出て左手へ降っていくと、すぐに府中町田線に出ます。 右折して車道を少し進んでいくと、薬師池交差点の先に薬師池バス停があります。
町田駅(小田急小田原線)まで、[町25][町35]町田バスセンター行きバス,または, [町53][町55]町田駅行きバスにて15分、1時間に5本程度の便があります。