大塚・歳勝土遺跡公園
散策:2006年07月上旬
【街角散策】 大塚・歳勝土遺跡公園
概 要 大塚・歳勝土遺跡公園は横浜市の北寄りにある公園で、大塚遺跡と歳勝土遺跡と都筑民家園が寄り集っています。 遺跡には竪穴住居や高床倉庫などが復原展示されている環濠集落や方形周溝墓があり、 民家園には江戸時代中期の旧牛久保村の住宅が移築復原されていて、悠久の歴史に出会えます。
起 点 横浜市 センター北駅
終 点 横浜市 センター南駅
ルート センター北駅…横浜市歴史博物館…大塚・歳勝土遺跡公園…竹林…休憩広場…弥生の樹木…大塚遺跡…歳勝土遺跡…都筑民家園…林間広場…竹林…歴史博物館脇交差点…バスターミナル…センター南駅
所要時間 1時間40分
歩いて... 竪穴住居の中から外を眺めていると、出入口が過去から未来へと続く扉のように思えてきたりもします。 古民家では篠笛も演奏されていて、昔懐かしい曲が流れていました。 遺跡公園への入口と出口には竹林が続いていて、雰囲気のいい散策を楽しむことができます。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
センター北(せんたーきた)駅
センター北駅(横浜市営地下鉄)から歩いていきます。
改札口を出た所に「センター北駅NAVICAマップ」という駅周辺の案内図があります。 今回訪ねる大塚・歳勝土遺跡公園も載っているので参考にしましょう。 出口1から駅を出ていきます。 「駅周辺案内図」も何箇所かに設置されているので、合わせて参考にしましょう。
出口1から駅を出てすぐに左手へと進んでいきます。 駅舎の下をくぐり、その先の細い道を横切っていくと、短い石段の先に車道があります。 「横浜市歴史博物館→」の案内標識に従って、車道を右手へと進んでいきます。
横浜市歴史博物館
車道をしばらく進んだ所にある十字路を直進していくと、正面に横浜市歴史博物館があります。 企画展示室・常設展示室・図書閲覧室・体験学習室などがあって横浜の歴史などを学ぶことができますが、 今回は博物館には立ち寄らずに、その前を左手へと進んでいきます。
横浜市歴史博物館ご利用案内
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休 館 日 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日〜1月4日
・ペットを連れての入館はご遠慮ください。
 (横浜市歴史博物館)
博物館の前を左手へと進んでいくと、正面に階段とスロープがあります。 その右手の階段から上階へと登っていきます。
大塚・歳勝土遺跡公園
階段を登って右手の陸橋を進んでいくと、正面に大塚・歳勝土遺跡公園があります。 陸橋を渡った所にある入口広場には、大塚・歳勝土遺跡公園の案内図があるので参考にしましょう。 この公園には大塚遺跡・歳勝土遺跡・都筑民家園が寄り集まっています。 入口広場には「港北ニュータウン地域の遺跡のうつりかわり」と題して、 この地域の先土器時代から中世までの様子が写真付きで紹介されていました。 また、「大塚ムラのむカシばなし」と題したマンガも掲載されていました。 公園を散策する前に、これらにざっと目を通しておくと参考になります。
大塚・歳勝土遺跡公園
大塚・歳勝土遺跡公園は地下に遺跡が眠っています。 弥生時代の大塚・歳勝土遺跡の真上に、当時のムラやお墓を復元しました。 また、東側に江戸時代の民家を移築しました。 緑に囲まれて遊びながら歴史を楽しみましょう。
 (横は真利緑政局、横浜市教育委員会)
港北ニュータウン開発事業と埋蔵文化財調査
昭和45年、港北ニュータウン開発事業に伴い開始されたこの地域の埋蔵文化財発掘調査は、 地域の方々のご協力のもとに20年間にわたって実施されました。 その結果、先土器時代から歴史時代までの268遺跡が調査され、 弥生時代の代表的な環濠集落・墓地である「大塚・歳勝土遺跡」が国指定史跡として保護されるなど、 学術的研究にも多くの成果をあげることができました。 このように明らかにされたこの地域の約15,000年間の歴史は、 横浜の歴史を物語る貴重な資料を私たちに与えてくれました。
約15,000年前
赤土の中の暮らし
およそ10数万年から1万年前、富士山や箱根山などの噴火によって降り積もった火山灰は、台地を厚くおおう赤土となりました。 この赤土の中に、先土器時代の人々の暮らしの跡が残されています。 発見された生活の場には、いろいろな遺物が残され、小さな集団が短期間居住した後、 他へ移動していった様子などがわかります。
約12,000年〜約10,000年前
縄文土器の誕生
先土器時代も終わりに近づくと、気候がだんだん暖かくなり自然も大きく変わりました。 海面は上昇し、数多くの入江ができて魚貝類が繁殖し、森には木の実が豊かに実り、 新しい狩りの道具として弓矢が、煮炊きの道具として土器が登場しました。
約8,000年〜約3,000年前
縄文のムラと暮らし
縄文時代の人々は、豊かな自然の中で一つの場所に長く住むようになり、ムラができました。 ムラには、中央に広場や墓地が設けられ、その回りには10軒ほどの竪穴住居や掘立柱建物が立ち並んでいます。 そこでの暮らしのようすは、当時のゴミ捨て場だった貝塚の中などから見ることができます。
約2,000年前
濠に囲まれた弥生のムラ
弥生時代は、農耕がはじまった時代です。 人々は、低地に水田を開いてコメをつくり、近くの台地上にムラを設けました。 鶴見川の川沿いにも、たくさんのムラがつくられ、中には大きな濠で囲まれた環濠集落があります。 環濠は、倉庫などに蓄えられた収穫物などをめぐって、戦いなどがおきたときに敵の攻撃からムラを守るためのものでした。
約1,500年〜約1,300年前
古墳と支配者
古墳時代になると、豪族が地域の人々の支配者となり、 耕地の開発を進めて大きなムラが次々とつくられるようになりました。 豪族たちは、自分の力を示すために古墳とよばれる大きな墓を築きました。 古墳時代の終わりのころになると、ムラの中の有力者やその家族は、横穴墓をつくるようになり、 この地域でも数多く見ることができます。
約1,000年前
古代の館
8世紀のはじめ、律令制度のもと都筑郡には郡衙という役所がおかれ、 中央政府によって役人が配置され、人々には税が課せられるなど、国家による一律の支配がおこなわれました。 その後、10世紀になると、中央政府の力は弱まり律令制度はくずれ、 かわって地域の有力者が力を強めて大きな館などを建てるようになりました。
約500年前
中世の都筑
中世は、力をもつようになった武士達の戦いの時代でした。 川沿いの丘陵上には城郭が築かれ、それらは自然の地形を利用しながら、 堀と土塁を巡らせ、その内側には居館が建てられていました。 中世は、また、さまざまな信仰が生れた時代で、墓地の埋葬の姿からその一端をみることができます。
竹林
入口広場からは右手と左手の両側から散策路が続いていますが、 今回は左手から竹林を通っていく道を歩いていきました。 両側に柵の続く散策路を進んでいくと、やがて竹林の中へと入っていきます。 右に左にとジグザグに折れ曲がりながら緩やかに登っていきます。
許可なく竹林の中に入って竹の子等を取ることを禁止。
 (横浜市北部公園緑地事務所)
竹林が終って更に折れ曲がりながら緩やかに登っていくと広い芝生の広場に着きます。 保母さんに連れられた保育園児たちが来ていて、かけっこなどをしていました。 周りには園児たちの親と思われる人達も来ていてビデオ撮影などをしていました。 野外での運動会だったのでしょうか。 また、説明員に先導された散策ツアー客も沢山訪れていました。
国指定史跡 大塚・歳勝土遺跡
大塚・歳勝土遺跡は、今から約2,000年前(弥生時代中期)にこの地方で稲作を始めた人々のムラ(大塚)と その墓地(歳勝土)を中心とした遺跡です。 大塚遺跡では、まわりに大きな溝をめぐらせた外周600mにおよぶ大規模なムラ(環濠集落)の全体が発掘され、 85軒の竪穴住居跡と10棟の高床倉庫跡などが発見されました。 竪穴住居跡の重なり合いや分布の様子から、ムラは10軒前後の竪穴住居に1〜2棟の高床倉庫をそなえた人々の集団が、 3つ集ってくらしていたと考えられます。 ムラのまわりには幅4m、深さ2mほどの溝をめぐらし、外側に土を盛った土塁をもうけて守りを固めていました。 歳勝土遺跡では25基の方形周溝墓が確認されましたが、西側にまだ調査されていない部分があり、 総数は30基前後と推定されます。 大塚・歳勝土遺跡はムラと墓が一体としてわかる貴重な遺跡として、昭和61年に国の史跡に指定されました。
犬を連れている方へ
公園内で犬を放すことは条例等で禁止されています。
◎犬を散歩させるときは引き綱をつけて下さい。
◎フンや抜け毛は持ち帰って下さい。
マナーを守って楽しい公園に!
 (横浜市北部公園緑地事務所)
休憩広場
芝生の広場から左手の方へ進んでいくと休憩広場があります。 そこに「大塚・歳勝土遺跡周辺地形模型」があります。 今回訪ねた大塚遺跡や歳勝土遺跡と、その周辺に点在する遺跡のある地形を立体的に再現した模型になっていました。 9.5m×8.3mの大きさで、ブロンズ(銅80%、珪素3%、亜鉛17%)で出来ているのだそうです。 水平は1/100、垂直は1/50の縮尺とのことです。 自由に登ったりできますが、夏期には模型が高熱になるようなので気をつけましょう。
大塚・歳勝土遺跡周辺地形模型
この模型は、大塚・歳勝土遺跡を中心に、東西920m、南北830mの地域内の遺跡と地形を再現したものです。 表現された遺跡は縄文時代から奈良時代までのものが含まれています。 大塚・歳勝土遺跡は、南北を大きな谷にきざまれた複雑な形の台形の上にあります。 全面には早渕川の流れる低地が広がり、川はそこから約6km下流で鶴見川の本流に合流します。 台地の標高は約50mで、大塚のムラでは北東の低地に水田を開いて稲作を行っていたと考えられています。
弥生の樹木
休憩広場から左手へと進んでいくと、右手には「弥生の樹木」がありました。 ちょっとした雑木林になっていて、遺跡から発掘された炭などから判断して、 大塚遺跡の周辺に生えていたと推定されるクヌギ・コナラ・カシなどが植栽されているようでした。
弥生の樹木
大塚遺跡からは竪穴住居の木材が炭になって残っていた例が数多く見つかりました。 住居の中から見つかる木材は、ムラの周辺に生育していた樹木の種類を知る有力な手がかりになります。 住居跡から見つかったおもな木材についてその種類を調べたところ、 当時大塚遺跡の周辺にはクヌギやコナラなどの落葉樹を中心に、カシなどの常緑樹、 カヤなどの針葉樹が混じるような木立が広がっていたことが推定できます。
大塚遺跡
弥生の樹木を右手に見ながら進んでいくと大塚遺跡があります。 木を立てた柵で周囲を囲われていて、何だか昔の雰囲気が漂ってきます。
大塚遺跡のご案内
開園時間 午前9時〜午後5時
休 園 日 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日〜1月4日
入 場 料 無 料
・火気の使用、喫煙等はご遠慮願います。
・空き缶、ごみ等はお持ち帰りください。
・遺跡内にペットを連れて入らないでください。
・遺跡内で飲食はしないでください。
大切な遺跡です。ご協力をお願いします。
 (横浜市歴史博物館)
門から大塚遺跡へと入っていくと、周囲を大きな溝と柵で囲まれた環濠集落が広がっていました。 入口から入って左手には再現木橋が架けられていました。 環濠集落には竪穴住居7棟、高床倉庫1棟が復元されていて、発掘時の竪穴住居跡も保存されていました。 竪穴住居の中には入っていくことができます。 入口には階段状に加工された材木が1本置かれていて、出入りに使われているようです。 突き固められた円い土間の周囲には溝が掘られていて、その外側から円錐形に柱が組まれて茅葺屋根を支えていました。 土間に土器が置かれている竪穴住居もありました。
大塚遺跡の保存整備
弥生時代中期の環濠集落を中心とした大塚遺跡は、港北ニュータウンの開発に伴う事前調査として、 昭和48年から51年にかけて発掘調査が実施され、 貴重な歴史的文化遺産として、その東側部分が保存されています。 保存整備は調査によって発見された弥生時代の遺跡を約1.5mほどの盛土によって保護し、 集落として生活していた様子を再現するため、遺構の直上に住居などを復元しました。
環濠・土塁・柵
環濠は台地の縁にほぼ地形に沿って掘りめぐらされ、外周600mでムラを囲んでいます。 水はけのよい赤土層(関東ローム層)に掘り込まれた空掘で、 環濠内に外側から多量の赤土が流れ込んでいることから、 掘った土を外側に積み上げて土塁をきずいていたことがわかりました。 土塁の上には木の柵をもうけていたとみられます。 環濠は1度うずまったあとに掘り直されており、北東側では谷を横断しています。 竪穴住居の半数近くが火災にあっていることからも、大きな争いのあったことがうかがわれ、 環濠をめぐらせてムラを守らねばならなかったのでしょう。
再現木橋
環濠の北西端から見つかった二対になった4個の穴は、出入口にかけられた橋の跡だと考えられます。 穴に柱を立てて枕木を乗せ、その上に丸太などの材木を渡して橋にしていたのでしょう。 一方、ムラの南東部には、歳勝土遺跡の墓地に通じる出入口があったはずです。 しかしその付近からは、橋の跡は見つかりませんでした。 南東部の橋は、再現した橋のように、数本の材木を渡すだけの、より簡単な作りのものだったと考えられます。
竪穴住居跡の発掘調査時の姿
この保存された竪穴住居跡は、発掘調査時の住居跡の構造や空間を体験できるように再生したものです。 竪穴住居跡は、大塚遺跡のほぼ中央部で発見されたY-17号住居跡で、2回の建て替えが行われています。 壁の一方には通路と考えられている溝がつくられています。 再生は、造形保存という方法で、発掘調査時に発見された住居跡の形や質、色合いを正確に保存するものです。 その方法は、次の順序で行われました。
(1) 関東ローム層を掘り込んでつくられている住居跡に、合成ゴムと石ロウを使用して、表面の型をとります。
(2) 型や発掘調査データを利用して、特殊加工をしたガラス繊維強化樹脂セメント(GRC)で住居跡の遺構面を再生します。
(3) 再生した表面には色の調整モルタル、保護樹脂の塗布を行い完成しました。
Y-39号住居
中型住居。大塚のムラの標準的な大きさの住居です。
竪穴住居の中から外を眺めていると、出入口が過去から未来へと続く扉のように思えてきたりもします。
復元高床倉庫
遺跡からは、住居跡とともに掘立柱建物跡が発見されました。 これは収穫した稲などを収めておく高床倉庫の跡だと考えられています。 穀物を湿気から守るために床を高くし、出入りには梯子を使ったことが銅鐸にも描かれています。 梯子は厚板や丸木に足掛けを刻んだ一本梯子で、これは竪穴住居の出入り口にも使われています。 柱には、ネズミの侵入を防ぐための「ネズミ返し」が取り付けられています。 大塚のムラでは、高床倉庫が一箇所に集まることなく、3つに分かれた住居群のそれぞれに分散しており、 数軒の住居群が1〜2棟の倉庫を共有していました。
Y-2号住居
小型の竪穴住居を掘り広げて、大型住居に建て替えたものです。
Y-11号住居
大型住居。床面積38.6uで、炉の両脇に寝起きしたとすると、居住人数は6人前後です。
Y-80号住居
大型住居。ムラ長のすまいで、集会所にも使われました。
Y-68号住居
小型住居を大型住居に建て替えたもので、この家では石器を作っていました。
Y-74号住居
中型住居。床面積27.0uで、八畳間2部屋分に当たります。
Y-71号住居
大型住居。床面積44.3uで、8・8・6・4畳半の4部屋に相当します。
歳勝土遺跡
大塚遺跡から引き返して芝生の広場の先の方へと進んでいくと歳勝土遺跡があります。 歳勝土遺跡は大塚遺跡で生活していた人々の墓地だったようです。 大塚のムラと歳勝土の墓地を結ぶ道は「墓道」と呼ばれているようです。
歳勝土遺跡の保存整備
歳勝土遺跡からは、昭和47年度の発掘調査によって多数の方形周溝墓が発見され、 出土した土器などから大塚遺跡で生活していた人々の共同墓地であることが明らかとなりました。 保存整備は、遺跡の全体を大塚遺跡と同じように約1.5mの厚さの盛土によって保護しています。 復元は、当時の墓の大きさや構造・配列などの様子が理解できるように、 発見された方形周溝墓のうち遺跡の北西部に分布する5基の方形周溝墓(S-1・4・10・16・17号)を対象に、 それらの遺構の直上に3種類の方法によって行い、 あわせて、大塚のムラから歳勝土の墓地までの「道」を表示しました。
墓道
大塚のムラと歳勝土の墓地とは約80mはなれ、この間にムラから墓地への道があったと思われます。 また、接し合うように整然と並んだ方形周溝墓の列の間に一定の隙間があり、 これが墓地の中の通路であったと考えられます。 古墳に並べられた埴輪には葬列をあらわしたものがあり、 大塚のムラでも亡くなった人を歳勝土の墓地へ送っていったのでしょう。
方形周溝墓の埋葬内部を復元した姿
方形周溝墓の中央付近には、四角い穴が見つかることがあります。 歳勝土遺跡でも、14基の方形周溝墓からこのような穴が見つかりました。 これは棺を納めた跡と考えられます。 棺そのものは土の中で腐ってしまい残っていませんでしたが、 穴の中の土の細かな観察によって、棺が納められていた痕跡が確かめられています。 水分の多い低地に作られた方形周溝墓では、木の棺が腐らずに残っていることがあり、 歳勝土遺跡の方形周溝墓の棺も、同じような木の棺であったと考えられます。
方形周溝墓の埋葬当時を復元した姿
方形周溝墓からは、多くの場合、四辺を囲む溝と中央の棺を埋めた穴だけが見つかります。 ただし、洪水で一気に地中深く埋もれた方形周溝墓などでは、 溝で囲まれた部分に低い壇のような盛り土が残っていることがあります。 歳勝土遺跡から見つかった方形周溝墓には、このような盛り土は残っていませんでした。 しかし、これは盛り土が長い間に崩れたり、耕作によって削られたりしたためで、 本来は溝を掘った土などを積んだ盛り土があったものと考えられます。 埋葬は、主に盛り土の中央に行われましたが、溝の中から子供用と思われる土器の棺や、 大きなくぼみが見つかることがあり、溝の中にも埋葬が行われていたことが考えられます。
歳勝土遺跡を後にして更にその先へと進んでいくと竹林が現れます。 そこで右手へと降っていく幅の広い横木の階段が分かれていきますが、その道は最後に歩くとして、 先ずは左手の舗装された道を進んでいきます。
右手に竹林、左手の雑木林の続く道を進んでいくと、都筑民家園へ降っていく階段が左手に分かれています。 ここに「都筑民家園」と題した解説板があるので参考にしましょう。
都筑民家園
【旧長沢家住宅が復原されるまで】
旧長沢家住宅は、港北ニュータウン整備に伴い、その部材が横浜市に寄贈され、復原した民家です。 かつては都筑郡牛久保村(現在の都筑区牛久保一丁目)にあり、18世紀の中頃〜後半に建てられたと考えられています。 その頃、この辺りは小高い丘が続き、大部分は畑か雑木林でした。 丘陵の谷あいや川筋では、湧き水などを利用して拓いた水田がありました。 長沢家はそうした丘陵の南側の裾に建てられていました。 今回復原した旧長沢家住宅(主屋、馬屋)は、約200年前の江戸時代の部材を使って建築当時の姿を基準に復原されています。
【利用案内】
利用時間9:00〜17:00
休 園 日毎月第三月曜日(祝日の場合は翌日)、12/28〜1/4
入 園 料無料
お 願 い都筑民家園は文化財です。火気には十分ご注意ください。
都筑民家園
階段を降っていって門から入っていくと、正面に復原された旧長沢家住宅があります。 主屋の右手に続く形で馬屋があり、少し離れて管理棟があります。 主屋の前には生垣や藤棚があり、左手には池がありました。 管理棟にはパンフレットや催し物の予定表などが置いてあるので貰っていきましょう。 この都筑民家園では昔懐かしい色々な催し物が季節毎に開かれているようです。
都筑民家園(旧・長沢家住宅)
長沢家は、横浜市歴史博物館から程近い、都筑郡牛久保村(現在の都筑区牛久保町)にあった旧家で、 江戸時代の一時期、村方三役の名主役や、組頭を勤めています。 旧長沢家住宅の建築年代は、新しい形式も取り入れられているものの、 柱の一部にチョウナ仕上げが見られること、土間境の柱が大黒柱となっていないこと等の古い形式を残しているため、 横浜に残っている民家の中では、かなり古いものであることが分かりました。
 (出典:パンフレットより)
都筑民家園(旧長沢家住宅)見学のてびき
都筑民家園には、江戸時代中期の茅葺き屋根の旧家が移築されています。 横浜に残っている民家の中ではかなり古いもので市の指定文化財となっており、 「いろり」「かまど」「土間」「馬屋」などは、当時の都筑の農家の風景をつくっています。 現在では、年中行事や文化事業のイベントを開催しており、 畑、庭には季節の野菜や草花が皆様のご来園をお待ちしております。
見学の際のおねがい
1.庭や主屋内で、走らないで、静かに見学してください。
2.玄関の敷居は大事な場所なので踏まないで、またいでください。
3.たんすやたたみ、いろりまわりの備品はさわらないでください。
4.いろりの灰で遊ばないでください。
 (大塚歳勝土遺跡公園都筑民家園管理運営委員会)
同好会や保存会などの方々だったのでしょうか、 主屋には尺八のような音色のする横笛を演奏する方が何人か来られていました。 楽器のことは何も知らないのですが「篠笛」というのでしょうか、 何やら郷愁を誘う昔懐かしい曲が流れていました。 古民家に音楽が加わると、また一段と雰囲気が盛り上がってこようというものです。 毎週土曜日の午前11時から「土曜しの笛の朝」というのが催されているようです。
主屋の中へと入っていくと、土間と板の間がありました。 土間には竈がありました。 板の間には囲炉裏があって、天井から自在鉤が垂れ下がっていました。 奥の間や中の間には畳が敷いてありました。 板の間では座布団に座って楽譜を見ながら横笛の練習をされていました。
ご見学の皆様にお願い
・主屋内は静かに見学して下さい。
 特に子供さんは板の間・縁側など走らない様にして下さい。
・囲炉裏の周りは特に気をつけて、灰で遊ばない様にして下さい。
・けがなどしない様に、皆様でお気をつけてご見学下さい。
 (都筑民家園)
林間広場
都筑民家園を後にしてその先へと進んでいきます。 右手へ曲がっていくと草地広場があり、その先に続くようにして林間広場があります。 広場では丁度草刈り作業が行われていて、刈り取られた草からいい香りが漂ってきました。 林間広場ではロープを張って滑車で滑っていく木製遊具があって、子供たちが遊びに興じていました。
竹林
都筑民家園の手前にあった分岐の所まで引き返して、竹林の中へと続く幅の広い横木の階段を降っていきます。 右折していくと、左手には柵が続くようになります。
タケノコをとらないでください。 窃盗罪となることがあります。
 (横浜市)
歴史博物館脇交差点
竹林から抜けると住宅地に出ます。 すぐ先のT字路を右手へと山沿いに降っていくと道路に降り立ちます。 そこを右折していくと県道13号に出ます。 その右手100mほどの所に歴史博物館脇交差点があります。 この信号を右手へ進んでいくと、最初の入口広場からセンター北駅へと戻っていけます。 今回は時間に余裕があったので、少し遠回りにはなりますが、信号を左折してセンター南駅まで歩いてみました。
バスターミナル
広い車道を300mほど進んでいくと、早渕川に架かる都筑大橋を渡っていきます。 更にその先に続く秋楡橋を過ぎていきます。 いずれも車道の一部のようになっていて、橋を渡っているという印象は余りありません。 ビルの横を過ぎていくと、道路の上に「センター南駅→」の標識が掲げられています。 標識に従ってビルの先を右折していくと、広いバスターミナルがあります。 そこを左手から回り込んでいくと階段が現れます。
センター南(せんたーみなみ)駅
階段を登りその先にある陸橋を渡っていくとエスカレータがあります。 エスカレータで登り着いた所の右手にセンター南駅(横浜市営地下鉄)があります。