大船植物園
散策:2006年06月上旬
【街角散策】 大船植物園
概 要 大船植物園はJR大船駅のそばにあって、昭和37年に開園されたフラワーセンターです。 約5000種・品種と云われる園内の植物が四季折々の美しさを見せてくれる所です。 今回は大船駅の近くにある大船観音などの寺社を幾つか巡ってから、大船植物園へと向っていきます。 コースの途中には史蹟もあったりします。
起 点 鎌倉市 大船駅
終 点 鎌倉市 大船駅
ルート 大船駅…黙仙寺…大船観音寺…玉縄交番前交差点…竜宝寺トンネル…竜宝寺山門…旧石井家…竜宝寺…諏訪神社前交差点…諏訪神社…植谷戸西公園…フラワーセンター分岐…久成寺…円光寺…真宗寺…玉縄中学校入口交差点…大船植物園…山崎線跨橋北交差点…玉縄首塚…大船駅
所要時間 4時間30分
歩いて... 大船植物園ではバラが今を盛りと綺麗に咲いていました。 「しゃくやく」は見頃を過ぎたところでしたが、「はなしょうぶ」はこれから見頃を迎えようとしていました。 築山や森の小道もあったりする広い植物園で、ゆっくりとしたひと時を過ごせました。 途中にある玉縄城跡を訪ねる場合には事前に許可を得ておきましょう。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
大船(おおふな)駅
大船駅(JR東海道線)から歩いていきます。
西口の階段を降って駅を出ると、「鎌倉市観光案内図」があります。 今回歩くルートが載っているので参考にしましょう。
玉縄城跡
案内板によると、玉縄城跡は 「見学には事前に学校の許可が必要。土・日・祝日・学校行事のある日は不可。」 となっていて、この日は残念ながら見学できませんでした。 「学校」というのは、玉縄城跡のある清泉女学院を指していると思われます。
大船駅の位置
JR大船駅は鎌倉市と横浜市をまたがる位置にあります。 ホームの戸塚駅寄りは横浜市に属しますが、藤沢駅寄りは鎌倉市に属します。 東口と西口は鎌倉市、この春に新たにできた笠間口は横浜市に属するという何とも微妙な位置にありますが、 今回は西口から駅を出たので、「鎌倉市の大船駅」ということにしておきます。
大船駅を出てすぐ右手を流れる柏尾川に架かる大和橋を渡っていきます。 大和橋を渡った所の大船駅前交差点のすぐ右手に「大船観音入口」の案内標識が出ています。 案内に従って、この路地へと入っていきます。
路地へ入っていくと、すぐにT字路があります。 角にある案内板「大船観音入口」が左手の道を指していますが、 右手のすぐの所に何やら石段があって入口の扉が開いていたので、ちょっと立ち寄っていくことにしました。 右手に立つ石柱には「無我相山」や「金剛経道場黙仙寺」と刻まれていました。
黙仙寺
石碑などを見ながら石段を登っていくと、正面に民家風の建物があります。 その前には「曹洞宗無我相山 黙仙寺」と記されていました。 このお寺の庫裏なのでしょうか。 その家の左手から続く石段を更に登っていくと、 石段の脇には赤い前掛けや帽子を被ったりする石仏が立ち並んでいました。 長年の風雨のためなのか、石段が少し傾いていたりもします。 そんな石段を登っていくと本堂のある境内に着きます。 朝のお勤めなのでしょうか、女性の方が本堂に雑巾がけをされていました。 お寺の謂れなどを書いたものは見当たりませんでした。
黙仙寺からT字路まで戻って大船観音へと向っていくと、 30秒も経たない所に大船観音への入口があります。 両脇には立派な燈籠が立っていて、「大船観音参道」の文字も刻まれていました。 ここから右手の坂道を大船観音へと登っていきます。
開門 午前九時
閉門 午後五時
 (大船観音寺)
大船観音寺
竹林の脇の坂道を登っていきます。 地下茎が伸びているのか、道の彼方此方が盛り上がってひび割れが出来ていました。 そんな坂道を登って右手へと曲がっていくと、大船観音寺の門があります。
境内には先の大戦で被爆された方々の慰霊碑などが沢山建っています。 正面の子育地蔵尊や厄除地蔵尊のある道からも登っていけますが、 「かんのんさま参拝順路」の案内板に従って、右手から続く広い石段を登っていきます。 石段の上には大船観音のお顔が見えています。
観音像の由来
昭和4年、当時の日本は第一次世界大戦後の布教や飢饉など、不安定な社会情勢の中にありました。 そこで、観音信仰によって国民の平安と国家の安寧を祈願しようと、護国大船観音建立会を設立。 昭和9年には観音様の輪郭まで完成したのですが、日中戦争・太平洋戦争に突入し資金や資材不足となり、 観音像は未完成のまま放置されました。 昭和32年に放置された観音像を完成させようと、 曹洞宗管長高階瓏仙、吉田内閣国務大臣安藤正純、東急会長五島慶太等を中心に財団法人大船観音協会が設立され、 修仏工事が着工されました。 そして昭和35年、現在の観音像が完成されたのです(胎内にはこの修仏工事の写真が展示されております)。 その後、昭和56年、大船観音協会は宗教法人大船観音寺と改称し、 曹洞宗大本山総持寺の末寺として現在に至っております。
観音像
「南無観世音菩薩」と書かれた赤い幟が立ち並ぶ石段を登っていくと、観音像が立っています。 この観音像は、高さ25.39m、巾18.47m、奥行12.73mの大きさで、重さは1915tonあるのだそうです。 境内には藤棚やベンチもあって休憩するのには良さそうな所です。 この時には観音像の周辺の前庭の修復作業が行われていました。
白衣観音
世を救う 慈悲に掉さす 観世音 深き誓に 運ぶ大船
 (大船観音寺)
縁結び めおと桜
御前に 結ぶゑにしや 紅しだれ
「順路」の標識が右手の道を指しています。 何処へ続いているのかと思って少し歩いていくと、 「縁結び めおと桜」を過ぎていくと観音像の裏手へと続いていました。 裏手へと回り込んでいくと鉄製の階段があります。 その階段を登っていくと左手に扉が開いていて、観音像の胎内に入ることができます。 胎内には観音像と祭壇がありました。 また、石段の下にあった「由来」にも記されているように、修仏工事の様子などが写真展示されていました。 胎内を出て階段を少し登ると、観音像の右肩の横から大船の街を見渡すことができます。 階段は更にその上にある多實塔(納骨堂)へと続いていますが、 「関係者以外の方の立入はお断りします」の看板が出ています。
玉縄交番前交差点
大船観音入口まで戻って右手の路地を進んでいくと、1分ほどで車道に出ます。 左手のすぐ先には柏尾川に架かる新富岡橋が見えていますが、右折して車道を進んでいきます。 緩やかな坂道を越えてコンビニを過ぎていくと、玉縄交番前交差点があります。
竜宝寺トンネル
交差点を左折して、玉縄地区に続く車道を真っ直ぐに進んでいきます。 玉縄児童公園を過ぎを過ぎていくと、 玉縄小学校前交差点の先に玉縄小学校があります。 校門を過ぎ体育館の横を過ぎていくと、玉縄交番前交差点から600mほどで県道402号に出ます。 右折して県道を100mほど進んでいくと、信号の先に竜宝寺トンネルがあります。 上下線で別々になっていて、延長43.7m、幅7.5mの短いトンネルです。 歩道も付いているので安心して歩いていけます。
竜宝寺山門
竜宝寺トンネルを抜けて石垣沿いに車道を緩やかに降っていくと、 程なくして右手に竜宝寺の山門があります。 長い歴史を感じさせる茅葺の屋根の立派な山門です。 手前には「曹洞宗 陽谷山 龍寶寺」と刻まれた石柱が立っています。 ここから竜宝寺の境内へと入っていきます。
竜宝寺
陽谷山 龍宝寺と号する曹洞宗のお寺で、開山は泰絮、本尊は釈迦如来です。 寺には源実朝、北条綱成、氏繁、氏勝の位牌と荒井白石の碑があります。 また境内にある民家は国指定重要文化財石井家です。
陽谷山 龍寶寺 案内
禅・曹洞宗
本尊釈迦牟尼佛
脇佛文殊菩薩、普賢菩薩
開山泰絮宋栄大和尚
開基玉縄城主 北條綱成、北條氏勝
本堂木造銅葺、重層入母屋造、昭和35年建立
山門木造、江戸時代元禄年間造
鐘楼欅一本造、面山瑞方禅師の銘文あり
荒井白石の碑、金比羅宮、子育地蔵、源実朝の位牌、玉縄城主三代(北條綱成・氏繁・氏勝)の墓後方山頂にあり
重要文化財 旧石井家住宅、玉縄幼稚園、玉縄民俗資料館、弁天堂
石井家
山門から境内へ入っていくと、正面には石畳の広い参道が続いています。 左手には玉縄幼稚園、右手には玉縄民俗資料館があります。 その先へと石畳の道を進んでいくと、右手に石井家があります。 土塀・茅葺屋根の農家です。 中に入ってみると、竈のある土間と囲炉裏のある板の間があり、 天井からは自在鉤が下がっていました。 何だか、建替えられて今はない故郷の実家を思い出したりしました。
重要文化財 石井家
石井家は後北條時代の地侍から発したと伝えられる旧家で、近世はこの地の名主をつとめてきたと云う。 この住宅は桁行七間半、梁間五間の規模をもった農家で、「四方下家造り」の構造からなり、 平面は「ひろま」の奥に「でい」と「へや」が配される「三間取り」である。 「ひろま」の全面にしし窓を付け、「でい」「へや」廻りも土壁塗りで閉鎖的で古式が感ぜられ、 恐らく江戸中期の初頭を下らない頃(元禄時代)建立であろう。 石井家住宅は鎌倉から甲州に至る甲州街道筋である鎌倉市関谷1575(倉骨)にあったが、 近年に至り建物が老朽化し取こわし建替することを菩提寺である龍寶寺現住職がこれを惜しみ、 同寺に寄贈をうけて境内に移築保存となったものである。 この住宅は神奈川県下に例の多い、「三間取り四方下家造り」の農家の典型で、 様式手法より見て17世紀の後半頃のものと推察される。 建築後の経過については明らかでないが、後世は生活の便宜から諸々に改造の跡も見られたが、 しかし側柱、内部柱等の主要材のほとんどは当初のまま遺存して今日に至ったものである。 昭和44年6月20日重要文化財に指定されて、昭和45年1月1日修理の工を起し、 国庫補助金及び県費竝に市費の補助金を得て工期9ヶ月をもって修理を行なった。 前述移築工事のため重要な建設位置の設定を初め、建物の解体と同時に入念に実測調査を行ない、 更に修理に先だち解体材の調査と後世改変の痕跡調査をして明確な資料にもとづいて文化庁の許可を得て 現状変更を行ない、出来る限り当初の様式に復原整備した。
竜宝寺
「見ザル・聞かザル・言わザル」の三ザルが控えた馬頭観音などを見ながら参道を進んでいくと、 石段を登った先に竜宝寺の本堂があります。 堂々とした立派な建物で、何だか威厳が感じられます。 石段の手前にある畑には、赤・桃・黄・青・白など様々な色の可憐な花が一面に咲いていました。 極楽浄土を表しているいるようにも思えて、しばらく観賞していったのでした。
諏訪神社前交差点
竜宝寺を後にして県道402号をその先へと進んでいくと、200mほどで諏訪神社前交差点があります。 今回はこの交差点から左手に戻るようにして続く道を進んでいくのですが、 その前に諏訪神社を訪ねていきます。
交差点とすぐ先の植木歩道橋との間に、右手へ入っていく路地があります。 そこが諏訪神社への入口になります。 路地へ入って真っ直ぐに進んでいくと、数段の短い石段の先に、立派な石燈籠と青銅の鳥居が立っています。 左手に社務所を見ながら鳥居をくぐっていくと、左手の坂道と正面の石段とに別れています。 どちらを登っていっても諏訪神社の本殿に着きますが、今回は正面の石段を登っていきました。
諏訪神社
両側に手摺りの付いた幅の広めの石段を真っ直ぐに登っていくと、諏訪神社の本殿があります。 右手には壁のない神楽殿もありました。 社殿には「諏訪 御霊 両大神」の扁額が掲げられていて、 その脇には「奉納 大船町 玉縄村 合併記念」と記された額も掲げられていました。 昭和8年4月1日に合併されたようで、「玉縄村村会議員一同」の銘が入っていました。 8月27日に例大祭が催されるのだそうです。
由緒
この神社は、今からおよそ420年前、当時の玉縄城主北条綱成公が、 軍神の称ある信州諏訪の建御名方富命・八坂刀売命二座の神霊を玉縄城内の諏訪檀に勧請したものと伝えれている。 その後、神社は元和年間、玉縄城の廃城、さらに幾星霜を経て現在のこの位置に移された。 この時すでに鎌倉権五郎景政一門の霊を祀った御霊神社があり、 この神社と諏訪神社と合祀され、村民の両大社への崇敬あつく、 五穀豊穣、村内安全と繁栄を祈願する祭典が毎年行われている。 ちなみに北条綱成公は、黄八幡といわれた有名な武将であったが、天正15年、73才で没した。 公一門の墓は社殿脇の山頂にある。
 (昭和63年12月吉日 諏訪神社)
植谷戸西公園
諏訪神社から諏訪神社前交差点まで戻って、左手の細めの道へと進んでいきます。 100mほど進んでいくとT字路があります。 そこを右折して道なりに進んでいくと、やがて右手に大きな集合住宅が見えてきます。 その手前で集合住宅への道が右手に分かれていますが、 そのまま正面にある「植木子ども会館 うえき子どもの家(さわがに)」を左手から巻くようにして進んでいくと、 左手には駐車場が、右手の先には植谷戸西公園があります。 公園に入っていくと「玉縄城跡」の解説板がありました。
実際の玉縄城跡は、この集合住宅の裏手にあるこんもりとした丘の上にあるようです。 大船駅を出た所にあった案内図によると、県道402号を諏訪神社前交差点からその先へと進んでいき、 玉縄トンネルを抜けた先にある分岐を左手に曲がって清泉女学院へと続く道からしか行けないようです。 「事前許可制で平日のみ見学可」とのことなので、今回はこの公園にある解説板だけで済ませることにしました。 解説板には第2面の全景と全測図も載っていました。
玉縄城跡
戦国時代の山城で、永正9年(1512)、伊勢新九郎長氏(北条早雲)の築城といわれている(「寛永系図伝」)。 西側背後の丘陵上は、玉縄城本丸と伝えられ、関谷、城宿方面から本丸に至り、 七曲坂を経て植谷戸に至る道が東西に走っている。 当遺跡は本丸に至る七曲坂の登り口に接する小支谷に位置している。 当遺跡は平成11年3月18日から同年5月31日まで848uの調査が行われ、2期の生活面が検出された。 図示した第2面は15世紀の後半から16世紀の前半と推定される。 石垣より北は谷奥ほど大規模な掘建柱建物が建ち、石垣の近くでは小屋程度の建物や井戸がみられる。 石垣の南(外側)では池状の落ち込みや土壙、土間に囲炉裏のある建物が検出された。 第1面は16世紀後半と推定され、第2面同様に谷奥と入り口付近を分割する空間の利用を行っており、 谷奥の建物位置は踏襲されている。 一方、谷の入り口付近には柱穴列が集中し、井戸が点在する。 「やぐら」が存在することから寺院跡とも想定されるが、なお検討の余地があろう。 第1面の堀建柱建物はその年代と立地条件から城に関連した根小屋とも考えられる。 遺物は、明染付を含む舶載陶磁器、瀬戸、常滑などの国産陶磁器、かわらけ、鉄釘や銭などが出土している。 17世紀代と考えられる小田原様式のかわらけも含まれていた。
 (鎌倉市教育委員会)
植谷戸西公園と駐車場の間に細い道があって、小さな流れに沿って続いています。 今回はここから玉縄城跡のある丘を越えて久成寺へと向っていきます。 よく利用されている道なのか、幅は狭いものの簡易舗装されていて歩きやすくなっています。 右手のこんもりとした丘は「玉縄城址緑地保全地区」に指定されているようです。
玉縄城址緑地保全地区
この緑地は都市緑地保全法に基づいて指定された玉縄城址緑地保全地区です。 地区内での建築行為や宅地造成、木竹伐採等は法律により制限されています。 なお、緑地保全地区は良好な環境を保全するものであり、 公開緑地ではありませんので、無断立ち入りはご遠慮ください。  面積 約2.5ha、 指定日 平成15年6月17日
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター環境調整課、鎌倉市役所みどり課)
フラワーセンター分岐
簡易舗装された狭い道を登っていきます。 大きく左手に曲がっていくと樹木が切り払われた所を過ぎていきます。 その先で右・左・右と曲がって登っていくと、麓から3分ほどで丘の上に出ます。 玉垣のある民家を過ぎていくと住宅地になります。 降り気味になった住宅地の道路を道なりにまっすぐに進んでいくと、3分ほどで分岐があります。 角に立つ道標によると、左手の道は「フラワーセンター」、今来た道は「玉縄城跡周辺」となっています。 正面の道には何も示されてはいませんが、今回は正面の道を少し行った所から久成寺へ向います。
分岐から軽く登り気味に2分ほど進んでいくと、工務店の先にカーブミラーのあるT字路があります。 道標などはありませんが、そこを左折して緩やかな坂道を越えていきます。 生け垣と石垣の間を越えて少し右手に曲がっていくと、 滑り止めの円い輪が刻まれたかなり急な簡易舗装道を降っていきます。 町工場を過ぎて左上に竹林を見ながら切り通しのような所を過ぎて降っていきます。
左手に曲がりながら急坂を降っていくと民家の脇に降り立ちます。 左手にも道が分かれていますが、正面に続く道を右手に曲がりながら降っていきます。 民家の間を進んでいくと、すぐに県道302号に出ます。 角にある石碑を見ながら右折していきます。 小さな相模陣ふき公園を過ぎていくと、久成寺前バス停の先に久成寺の入り口があります。
久成寺
山門を過ぎて石段を登っていくと、久成寺の本堂があります。 近年に建替えられたのか、白木の真新しい感じのお堂でした。
當山縁由 北條義澄公臣秀長公邸址
創立永正17年(1520)春3月
開山常光院日舜上人
開基松田尾張守秀長公
中興第4世佛乗院日トウ上人
賜朱印天正19年(1592)11月、徳川家康公来駕ノ砌寺領三石ヲ賜フ
本堂 文政5年(1822)正月池魚ノ災ニ罹リ、昭和30年當山草創450年ヲ記念シ、庫裏玄関ト共ニ修築改造。 更ニ昭和56年宗祖700遠忌奉讃ノ為内陣ヲ拡張シ荘厳ヲ完備ス
山門 往昔、大阪ノ豪商鴻池家夫人本山龍口寺ニ寄進セルヲ明治ノ初メ移築シ、 昭和46年聖誕750年ヲ記念シ銅葺ニ改ム
宗祖御銅像 宗祖第700遠譚追貰報恩ノ萬分ニ資センガタメ鎌倉開教ノ尊像(御年32)ヲ造顕シ三大誓願ノ聖文ヲ奉奠ス
忠魂碑 明治維新以降郷土應召戦死病歿ノ芳名ヲ刻シ後昆ニ傳エタルモ戦後命ニ依り玉縄校ヨリ移ス
史蹟 上杉謙信公ノ祖長尾新六定景一族ハ法華ノ信徒ナリシ故ヲ以テ、昭和32年4月長尾城址ヨリ移シ霊ヲ祀ル
 (三十世 日康識)
久成寺の境内には「松平甚之助兵衛内室の墓」がありました。 前には綺麗な花束がお供えされていました。
松平甚之助新兵衛内室の墓
天正18年(1590)4月、玉縄城が落城した後、徳川家康はこの地玉縄領を代官松平甚之右衛門正次におさめさせた。 その居蹟は今の植木「陣屋」にあると伝えられる。 その子松平甚之助新兵衛(駿河大納言忠長卿に仕えた人)の内室妙秋院日種の霊とその一族の祖霊を供養のため 後裔にあたる松平甚之助久勝が元禄7乙戌年5月朔日ここに墓を建てたものである。
 (相中留恩記略より 卅一世 日慈識)
円光寺
久成寺から県道302号を少し引き返すと、道路の向かい側に、逆方向の久成寺前バス停があります。 その脇から続く路地へと入っていきます。 正面に見える石段の手前で左折して住宅地の中の道を進んでいきます。 すぐにあるY字路を右手へと進んでいきます。 笹竹の生け垣の先のT字路を直進していくと十字路があります。 そこを右折していくと、正面に石段が見えています。 「真言宗 城護山 圓光寺」と刻まれた石柱を観ながら石段を登っていくと円光寺の境内に着きます。 正面には本堂があり、右手には薬師堂がありました。 謂れなどを記した解説板の類は見当たりませんでした。
円光寺を出て先ほどの十字路を右折していくと、変則的なY字路があります。 その左手の道を進んで、その先にY字路を左手に進んでいくと、正面に茶色の建物のあるT字路に出ます。 そこを右折していくと、電柱に「浄土宗 真宗寺→」の看板がくくり付けられている分岐があります。 案内に従って右手の道を進んでいきます。
真宗寺
両側に立つ大きな石柱を過ぎて坂道を道なりに右手へと曲がっていくと、 庭木の樹木を抜けていった先に真宗寺があります。 ここにも謂れなどを記した解説板の類は見当たりませんでした。
玉縄中学校入口交差点
先ほどの看板のある分岐まで引き返して、右手へと進んでいきます。 小さな相模陣あひる公園を左に見ながら進んでいくと駐車場があります。 その先のT字路を直進して、小さな流れに沿って進んでいくと車道に出ます。 そこを左折していくと県道302号のT字路に出ます。 右折して、大きな鎌倉大船モールを眺めながら県道302号を進んでいきます。 公会堂前バス停を過ぎていくとY字路がありますが、左手正面に続く県道を真っ直ぐに進んでいきます。 信号のあるX字を直進していくと玉縄中学校入口交差点があります。 右手前方には大船植物園にある大きな温室が見えています。 交差点を直進していくと、 「神奈川県立フラワーセンター大船植物園 入口 約100m先」の案内板が塀にくくり付けられています。
大船植物園
「入園者入り口は50m先です」の案内板を過ぎていくと、 フラワーセンター前歩道橋の所で県道402号から県道302号へと続く道が左右に通っています。 そこを右手に曲がったすぐの所に「県立フラワーセンター大船植物園」の入り口があります。 園内は6.4haほどの広さがあって、色々なコーナーがあります。 今回は左手から時計回りにゆっくりと散策していきました。
入園ご案内
開園時間 植物園 午前9:00〜午後5:00
温  室 午前9:30〜午後4:30
展示場 午前9:00〜午後4:30
休園日 ・毎週月曜日(月曜日が祝日等の場合は開園)
・祝日等の翌日(その日が土曜日,日曜日,祝日等の場合は開園)
・年末年始(12月28日から1月4日まで)
次の方は、植物をいためたり他人の迷惑にもなりますので、入園をご遠慮いただきます。
・でい酔していると認められる者
・風俗を害し、又は秩序を乱すおそれのある者
・他の入園者に危害又は迷惑を及ぼすおそれのある者
・行商・募金その他これらに類する行為を行うおそれのある者
・その他植物園の管理上支障があると認められる者
(例)・動物を連れこむこと
   ・ボール遊び、フォークダンス、たこあげ等をすること
   ・混雑しているとき及び室内(温室、展示場等)で脚使用の写真撮影・写生を行うこと
 (神奈川県立フラワーセンター大船植物園)
花時計
アーチ型をした石造の「肩車の門」をくぐっていくと、左手に花時計があります。 円い形の植込みの中には赤・桃・黄・白などの花が咲き、白い長針と短針が回っていました。 花時計の後ろ側にある丸く剪定された樹木の表面には微妙な凹凸が付けられていて、 じっと見ていると何だか人の顔のようにも思えてきます。
花時計
〜フラワーセンターの歴史を刻む花時計〜
世界初の現代型花時計は、明治36年(1903)にイギリスで誕生しました。 日本では昭和32年(1957)に神戸市に設置されて以来、200以上の花時計が作られました。 当園の花時計は国内では所期のもので、開園から4年後の昭和41年(1966)に、 当時横浜駅の屋上に設置されていた花時計を譲り受けて設置され、 フラワーセンターの歴史と共に時を刻みつづけています。
レストハウス
花き即売所の左手にはレストハウスがあって、売店や軽食・喫茶などが営まれています。 昼を少し過ぎてちょっと小腹が空いたので、ここで山菜ソバとアイスクリームを食べたのでした。
展示場
つばき園やサツキなどが植えられた所を過ぎていくと、第一展示場と第二展示場があります。 この時には両方の展示場では「さつき盆栽展」が開かれていて、 植木鉢に植えられた見事な盆栽が沢山展示されていました。 幹は本来の姿のまま小さくなった感じがして風情もあるのですが、 それに似合わず、葉や花は本来の大きさとほとんど変わらないので、 何だか不自然な感じがするのは否めませんでした。
つばき(椿)
日本には太平洋側に「やぶつばき」(やまつばき)があり、東北地方の山岳地帯に「ゆきつばき」が自生している。 この二つが親になって現在の多様な園芸品種が生まれてきたと考えられている。 かいがいに渡った「つばき」がそこで改良されて現在では「つばき」は世界の花になっている。 開花期は品種によって異なり9月から5月までであるが、最盛期は3月から4月である。 栽培の要点としては、 (1)直接霜にあたらない場所に植える、 (2)つぼみの数を制限し開花後、油かす、骨粉などの肥料を与える、 (3)カイガラムシやチャドクガの発生(7〜9月)に注意する。 当園では在来種250種、肥後種30種、外国種50種を保存している。
ツツジ類 ツツジ科
ツツジ類には多くの種類があり、ヤマツツジ、モチツツジ、サツキツツジなどは最も普通に知られている。 ツツジという和名は「新選字鏡」(898〜900年)に載せられているが、 それより以前「万葉集」に《つつじ、いはつつじ、じらつつじ》などの名が現われている。
【栽培のあらまし】 毎年きれいな花を咲かせるには7月頃できる花芽を害虫から守ることです。 花後から9月中旬位まで「「シンクイ虫」「ダニ類」「グンバイ虫」「チュウレンジハバチ」などの予防に スミチオン乳剤とケルセン乳剤などを混合散布します。 肥料は油かすと精霊ずつ置き肥にするのが安全です。 時期は2月〜10月(7月すぎの多肥には注意!)。剪定は花後早めにすませましょう。 ツツジは一般に陽樹で日当りの良い場所に植えるとよい。日陰では花つきが悪くなります。 ただし真夏は西日を避けてあげるとよいです。 特にレンゲツツジ、ミツバツツジ、ウンゼンツツジなどは夏の直射日光を嫌うので、 強い日射を避けると良いです。
バラ園
赤・黄・白などの花をつけたスイレンの咲く池を眺めながら進んでいくとバラ園があります。 淡い桃色の小さな花が一杯咲いた門をくぐってバラ園へと入っていきます。 赤・桃・黄・白・紫・橙など様々な色のバラの花が今を盛りと咲いていました。
ばら
ばら園は中央の休憩所を中心に原種、オールドローズ、四季咲きのモダンローズ、つるばら約1200株、 360品種を系統ごとの特徴を生かしつつ景観を重視した立体的な植栽をしています。 神奈川のバラなどいくつかのコーナーがあり、芳香種が多いのも特徴です。 見ごろは5月中旬から7月上旬、10月中旬から11月中旬です。
 (出典:フラワーセンター大船植物園パンフレットより)
バラ園の真ん中には休憩所があり、三箇所の入り口の門はつる性のバラの花で飾られていました。 バラの花の観賞には丁度いい時期とあって多くの人が訪れていました。 一眼レフカメラを花のそばまで近づけて写真に納めている人も沢山いました。 バラ園の奥にはしゃくやく園がありますが、 訪れたのが丁度花の時期が終った頃だったので、花はまったく咲いてはいませんでした。
しゃくやく
中国北部からシベリア東南部、朝鮮半島北部に分布するボタン科の多年草で、 中国では紀元前から薬草として栽培されていたようですが、 その後、観賞用としても栽培されるようになりました。 我が国には奈良時代に薬用として渡来しましたが、観賞用としても栽培され、 江戸時代中期には多くの栽培品種が育成されていたと伝えられています。 明治の末から昭和の初めにかけて、かつてこの地にあった神奈川県農業試験場で品種改良が行われ、 数多くの品種が育成され、現在、大船系としてこのしゃくやく園で栽培しています。 また、高座郡寒川町の生産者大谷応雄氏が育成した大谷系品種のほか、 18世紀に中国からヨーロッパに渡り、イギリスやフランスで育成され、 その後我が国に導入された品種や、 近年アメリカで他のボタン属との種間交配によって育成された新品種も栽培しています。 花の見頃は5月上旬から中旬で、現在、約200品種2000株を栽培しています。
森の小道
バラ園の右手の雑木林には、小さな流れに沿って「森の小道」が続いています。 飛び石が点々と設置された小道を歩いていくと、せせらぎの水面が何やら騒がしい様子です。 何だろうと思って眺めてみると、アメンボの大群が泳いでいたのでした。 それにしてもこの数は何としたことでしょう、ものすごい大群でした。 この森の小道の右手は数m高くなっていて花の築山になっています。 その上は樹木に囲まれた空間になっていて、小さなテーブルとベンチが設置されています。
森の小道
昔ながらの里山の雰囲気がある小道です。 小川に沿った雑木林には里山を代表するコナラ・クヌギ・クリ・ガマズミ・ミズキなどの樹木や、 県の花ヤマユリ・カタクリ・ニリンソウ・シュンラン・スミレなどの草花を含め、 多くの植物を四季折々観賞することが出来る人気のコーナーです。
はなしょうぶ園
バラ園を抜けていくと、細長い溝のような所に「はなしょうぶ」が植えられています。 この時には花の時期には少し早かったのでチラホラ咲きでしたが、 紫や白の花を咲かせた株もかなりありました。
はなしょうぶ
はなしょうぶは「のはなしょうぶ」から花の色や形が様々に改良されたものです。 当園で栽培している大船系は明治の末から昭和初めにかけて、この地で改良された独自の系統です。 その他に、江戸系・肥後系・伊勢系があり、現在の栽培数は約200品種,1300株です。 見頃は6月中旬から下旬です。
 (出典:フラワーセンター大船植物園パンフレットより)
観賞温室
はなしょうぶ園を過ぎて左手の方へ進んでいくと、花壇のある広い芝生広場の先に観賞温室があります。 温室はドーナツ型になっていて、左手からぐるりとひと巡りするようになっています。 ラン室・ハイビスカス室・花木室・ツル性植物室・スイレン室・花鉢室に分かれて続いています。 熱帯特有の高温多湿の温室へ入っていくと、 ハイビスカス室ではハイビスカス・ブーゲンビリア、 花木室ではカエンボク・ベニヒモノキ・コエビソウ、 ツル性植物室ではツンベルギロミリレンシス・メディニラ・マグニフィカ・バナナなどが、 今を盛りと色とりどりの綺麗な花を咲かせていました。
観賞温室
「花」をテーマに熱帯・亜熱帯の花の美しい植物を通年楽しめるよう植栽展示しています。 ドーナツ型のユニークな温室は、風通しが良く、光をたくさん採り入れられるよう設計され、 植物の種類や性質にあわせ、6室に分けられています。 また円型の中央部をオーストラリア園としてオーストラリア、ニュージーランド特有の珍しい植物を集め、 さらに温室の周りには世界各地の植物園との交流で集めた海外の植物を国際交流園として植栽展示しています。
 (出典:フラワーセンター大船植物園パンフレットより)
山崎線跨橋北交差点
大船植物園を1時間ちょっと散策してから、最初の大船駅へと戻っていきます。 植物園の入り口を出て、正面の県道302号を右手へと進んでいきます。 200mほど進んでいくと、柏尾川とJR東海道線を跨いでいく山崎線跨橋の手前に山崎線跨橋北交差点があります。 路上に掲げられた道路標識「大船駅西口」が左手の道を指しています。
玉縄首塚
山崎線跨橋北交差点を左折して、柏尾川沿いの車道を大船駅へと向っていきます。 鎌倉岡本郵便局を過ぎ戸部橋を見送っていくと、交差点から800mほどの所で、細めの道が左手へと分かれています。 大船駅へはそのまま真っ直ぐに進んでいくのですが、左手すぐの所に玉縄首塚があるので、 ちょっと立ち寄っていきましょう。 民家の前にある玉縄首塚跡には、六地蔵や石碑などがひっそりと建っていました。 由来が記された石碑もありましたが、無学のため一部読めない字もありました。
玉縄首塚由来
今を距る四百四十余歳、大永6年(1526)11月12日、南総の武将里見義弘鎌倉を攻略せんと欲し、 鶴岡八幡宮に火を放ち府内に乱入せるを知るや、時の玉縄城北條氏時(早雲の孫)豪士大船甘糟・ 渡内福原両氏と倶に里見の軍勢を此_戸部川畔に_撃し合戦数合之を潰走せしめ、鎌府を兵_より護る。 この合戦に於て甘糟氏以下三十有五人は戦禍の華と散り、福原氏は傷を負ひ、里見勢の死者その数を知らず。 干戈_て後、城主氏時彼我の首級を交易し之を葬り塚を築き塔を建て、 以て郷関死守の霊を慰の怨親平等の資養と為し玉縄首塚と呼称す。
 (玉縄史蹟顕彰会建之)
大船(おおふな)駅
玉縄首塚を後にして柏尾川沿いの道をその先へと進んでいくと、 すぐに柏尾川に架かる新富岡橋があります。 橋を渡って左手に少し進んでいくと、最初の大船駅(JR東海道線)に戻ってきます。