臼杵山
散策:2006年05月上旬
【低山ハイク】 臼杵山
概 要 臼杵山は東京都の檜原村とあきる野市の境に聳える山で、市道山と刈寄山とを併せて「戸倉三山」と呼ばれています。 山頂近くの臼杵神社のあるピークからは、富士山も望むことができる眺めが広がっています。 今回は元郷から臼杵山へ登り、そこから荷田子峠を経て盆堀山や城山へと続く尾根コースを歩きます。
起 点 檜原村 元郷バス停
終 点 あきる野市 沢戸橋バス停
ルート 元郷バス停…鞍部…尾根の肩…中継アンテナ…中継アンテナ…臼杵神社…荷田子峠分岐…臼杵山…小ピーク…鞍部…ぐみ御前…荷田子峠…411m峰…小祠…盆堀山…十里木分岐…十字路…城山…出合…堀切…光厳寺…沢戸橋バス停
所要時間 5時間50分
歩いて... 臼杵山までは割りと速く登ることができましたが、城山へと続く尾根道を降るのに意外と時間がかかってしまいました。 人気のあるコースとみえて、多くのハイカーを見かけました。 荷田子峠から城山へと続くルートは各所に道標が設置されていて、 ガイドブックなどにある「難路」という感じはあまり受けませんでした。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
元郷(もとごう)バス停
武蔵五日市駅(JR五日市線)から、払沢の滝入口行きバス、小岩行きバス、藤倉行きバス,または, 数馬行きバスにて20分、便はあまり多くはありません。
 土曜 ...7:10 7:40 8:01 9:00 9:27 9:59 10:55 ...
 日曜 ...7:03 7:05 7:32 7:58 8:35 9:00 9:24 9:44 9:57 ...
バス停の脇に「臼杵山登山口」の標識が立っていて、すぐに登山道が始まります。 民家の間に続く坂道を登っていきます。
山火事注意
 (秋川消防署、桧原村消防団)
畑の脇を過ぎて谷筋へと進んでいきます。 青い金網で仕切られた導水路に沿って進んでいくと砂防ダムがあります。 右手からダムを越えて森の中へと続く山道へ入っていきます。 植林帯に続く道を少し進んでいくと再び砂防ダムがあります。 その左手に続く横木の階段を登っていきます。
山火事注意
火の用心!
たばこ・たき火は確実に消そう。
 (檜原村)
鞍部
登り始めて少し行った辺りにある左手に分かれていく細い道を見送って、谷筋に続く山道を登っていきます。 砕石が敷かれた所もあったりしますが、呼吸が乱れないようにゆっくりと登っていきます。 山道に入ってから15分ほど登って正面の樹間から青空が見えるようになると、峠のようになった鞍部に着きます。 切り倒された樹木がベンチ代わりに横になっていて、腰を掛けるのには具合がよさそうです。 それほどの急登ではなかったものの、ここで呼吸を整えていきましょう。 右手には小ピークが聳えていますが、ロープが張ってあって行き止りになっています。 正面へ降る道ははっきりとはしていません。 道標などはありませんが、左手に続く道を進んでいきます。
尾根の肩
尾根を回り込むようにして植林帯の斜面に続く道を進んでいくと、2分ほどで小尾根に着きます。 植林帯と雑木林を分ける尾根に続く道を左手へと登っていきます。 振り返ると、谷の向かい側には馬頭刈山や鶴脚山などが高く聳えているのが樹間から見えています。 ちょっとしたピークの先にある岩場を過ぎていくと登りが始まります。 後ろを振り返って樹間からの景色を眺めながら5分ほど登っていくと、 先ほどの鞍部から20分ほどで尾根の肩に着きます。 そこには枯れた樹木がオブジェのように立っていました。
ここから暫くは緩やかになった尾根道を軽いアップダウンを繰り返しながら進んでいきます。 周囲の雑木からは新緑が萌え出ていて、何だか空気までも新鮮な感じがしてきます。 風が吹いてくると、梢からは山桜の花びらが舞い落ちてきました。 道の上に落ちた花びらが綺麗な絨毯のようになっていたりもします。
中継アンテナ
雑木林の中を登るようになると、尾根の肩から10分ほどで中継アンテナの立つ所に着きます。 バス停から50分ほどで到着しました。 手元の地形図にある654m峰のように思われます。 少し切り開かれてはいるものの、展望は得られません。 樹間から馬頭刈山や鶴脚山などの稜線を垣間見られる程度です。 腰をかけられそうな所も見当たらなかったので、立ち止まってひと休みしたら、その先へと進んでいきます。
(写真は振り返って写したものです)
自然を大切に
 (戸倉小 野鳥保護委員会)
緩やかになった尾根道をその先へと進んでいくと、少し降るようになります。 中継アンテナから3分ほど進んでいくと、「桧原村ハイキングコース」の道標の先で分岐があります。 「桧原村テレビ中継所、ハイキングコース」と書かれた大きな道標が正面の道を指していました。 山頂までのイラストも書き込まれていて「約0.8km」となっていました。 右手に戻るようにして道が分かれていますが、道標に従って正面の道を進んでいきます。
緩やかな尾根道を降り気味に進んでいくと、やがて植林帯と雑木林を分ける鞍部に着きます。 そこから横木の階段の続く登りが始まります。 かなり前に設置された階段のようで朽ち果てる寸前の状態でしたが、 土が流れ出て抉れている訳でもないので歩き難くはありません。 横木の階段を2分ほどで登り切ると、石がごろごろした先で再び横木の階段が始まります。
横木の階段を6分ほどかけて登り切ると緩やかになります。 少し進んでいくとまた横木の階段が現れます。 土が流れ出るのを防ぐためなのか、段の所にコンクリートがしてあって歩きやすくなっている所もあったりします。 1分ほどかけて横木の階段を登っていくと、緩やかになった植林帯へと入っていきます。 林床には背の低い笹が生い茂るようになります。
中継アンテナ
登り気味に進んでいくと、その先で少し降るようになります。 馬の背のような鞍部を過ぎていくと、再び登りになってきます。 古くなった横木の階段を登っていくと、中継アンテナが立っている小ピークに着きます。 先ほどの中継アンテナから30分ほどで到着しました。 手元の地形図にある798m峰のように思われます。 施設の壁には「檜原テレビ中継放送局」と書かれた板がついていました。 周りは樹木に覆われていて、樹間から僅かに稜線を望める程度の展望しか得られません。 腰を掛けられそうな所はここでも見当たらなかったので、 立ち止まってひと休みしたら、施設を取り巻く金網の右手に続く道をその先へと進んでいきます。
集う森 声かけ合って 火の始末
 (森林国営保険、東京都、東京消防庁)
ピーク
中継アンテナを過ぎていくと、正面にはピークが見えてきます。 これから目指す臼杵山なのでしょうか。 少し降るようになって鞍部を過ぎていきます。 石がごろごろした所もあったりする坂道を登っていくと、 中継アンテナから10分ほどで、小広くなったピークに着きます。 バス停から1時間40分ほどで到着しました。 手元の地形図によると、標高840mほどはあるようです。 登り着いたすぐの所に白塗りの道標が立っていて、 今登ってきた道は「元郷バス停」、正面の道は「臼杵山頂」となっています。 バスの時刻表なども付いていましたが、風雨に晒されて文字が消えかかって読めなくなっていました。
臼杵神社
ピークには小振りの臼杵神社が鎮座していました。 脇には「臼杵神社」と書かれた白い垂れ幕もあって、「柏木野氏子」との銘も入っていました。 祠の前には平たい石や水受けのようなものが置いてあって、 一円玉・五円玉・十円玉などがお供えされていました。
祠の手前の両側には真新しい犬とも狐とも思える像がありましたが、 祠の両脇にも何だかよく分らない古くなった像が控えていました。 猫の像だという説もあるようですが、口の尖り方からしてもとてもそんな風には見えません。 向って左手のは口を閉じ気味で、右手のは口を開けていました。 狛犬によくある「阿吽」を表しているようでした。
祠の右手の樹木が切り開かれていて、西側の見晴らしが良くなっていました。 幾重にも重なる山並みが広がっていました。 よくは知らないのですが、浅間峠から三頭山へと続く笹尾根なのでしょうか。
左手の方に眼をやると、稜線の上には冠雪した富士山が頭を覗かせていました。 臼杵山の山頂はこの少し先になりますが展望は得られないようなので、 お昼にはまだ早かったのですが、景色を眺めながらここで昼食タイムにしました。
荷田子峠分岐
小広くなったピークの先へと進んでいくと、すぐに分岐があります。 角に立つ道標によると、左手に降っていく道は「荷田子峠・盆掘方面」、 今来た道は「本宿(上元郷バス停)」となっています。 その柱には、左手から見て「右スグ 臼杵神社、左5分 臼杵山頂へ」とマジックで書き込まれていました。 また、「←市道山に至る・荷田小峠,盆堀に至る→」と書かれた道標も落ちていました。 今回はここから荷田子峠へと降っていくのですが、 ここを真っ直ぐに進んでいくと臼杵山の頂上まで5分とのことなので、 ちょっと往復してくることにしました。
バス停に付いていた路線図には「上元郷バス停」という名前のバス停は見当たりませんでした。 名前が変更になったのかも知れません。
自然を大切にしましょう
臼杵山 (標高842m)
少し降ってから植林帯と雑木林を分ける尾根道を登り返していきます。 岩がごろごろした所を過ぎて登っていくと、分岐から5分ほどで、三等三角点のある臼杵山の山頂に着きます。 周りは樹木に覆われていて展望はほとんど得られません。 山頂には「臼杵山 標高842.1m」と書かれた立派な標識が設置されていました。 そばには道標も立っていて、この先の道は「市道山80分」、今来た道は「元郷70分、荷田子峠75分」となっています。 最近になって造り直されたようで、標識も道標も真新しいものでした。 脇には古くなった標識などが刻んで置いてありました。 臼杵山の先へと進んでいくと、この臼杵山と併せて「戸倉三山」と呼ばれている市道山や刈寄山へと続いていますが、 今回は先ほどの分岐から荷田子峠へと降っていきます。
山と人命を大切に
美しい自然を壊す戦争に反対。 空き缶・ゴミ・良心は持ちかえろうね。
荷田子峠分岐まで引き返して、道標「荷田子峠・盆掘方面」に従って、 植林帯と雑木林を分ける尾根筋の急坂を降っていきます。 歩き始めは細い道で少々心細い気になりますが、すぐにはっきりとしてきます。 急坂を3分ほど降っていくと緩やかになってきます。 右手に稜線を垣間見ながら降っていきます。 臼杵山から25分ほど降って植林帯へと入っていくと、右手が開けて眺めの広がる所がありました。 臼杵山から市道山や刈寄山にかけての稜線なのでしょうか。
多摩森林育成事業伝名沢都行造林地
この森林は都行造林地です。 許可なく林内の立入及び林産物の採取等の行為は出来ません。
 (東京都西多摩経済事務所林務課)
小ピーク
斜面を過ぎて軽く登っていくと、植林帯に入ってから2分ほどでこんもりとした小ピークに着きます。 「五日市町」と刻まれた石標がありました。 このピークの名前なのか、そばの樹木の幹には白ペンキで「ユズリハクボ」と書かれていました。 ここで道が左右に分かれています。 右手は急坂を降っていく道、左手は緩やかな降り道です。 どちらも同じくらいの幅があって、どちらへ行けばいいのか分りません。 道標などは見当たらなかったので、どうしたものかと手元の地図と睨めっこしながら考えました。 所要時間などからすると、ここは手元の地形図にある737m峰の辺りになるのでしょうか。 そうだとすると、右手の道は盆堀川の方へと降っていくように思えたので、 ここは意を決して左手の道を進んでいきました。
五日市町…
(旧)五日市町は、10年ほど前に(旧)秋川市と合併して現在の「あきる野市」になりました。
すぐに正面が盛り上がってきます。 踏み跡がその高みへと続いていましたが、その手前から右手に続くのが巻き道だろうと思って進んでいきました。 1分ほどで高みから降ってくる踏み跡と合流したので、やはり巻き道だったようです。 更に6分ほど緩やかに降っていくと、再び正面が盛り上がってきます。 ここでも高みへと踏み跡が続いていましたが、手前から右手へと続く道を緩やかに降っていきました。 斜面を横切るようにして続く道を進んでいくと、1分ほどで高みから降ってくる踏み跡と合流しました。 その先でまた正面が盛り上がってきますが、ここでも右手に続く巻き道を進んでいきます。 ここの角に生える樹木の幹にも白ペンキで「ユズリハクボ」と書かれていました。 どうやら「ユズリハクボ」というのは、先ほどの小ピークの名前ではないようです。
鞍部
斜面の植林帯に続く道を進んでいきます。 大きな岩をひとつ越えていくと、巻き道も3分ほどで終わって鞍部に着きます。 左右にはこんもりとした高みがあって、道は鞍部を横切るようにして正面へと続いています。 右手の高みへと踏み跡が続いていましたが、ロープが張られていました。 その先の樹木には黄色いペンキで「ヒゲスリ山」と書かれていました。 この右手の高みの名前なのでしょうか。
ぐみ御前
鞍部を越えて正面の斜面に続く道を更に進んでいきます。 3分ほど進んでいくと、先ほどの右手にあった高みから降ってくる道と合流します。 左手へと続く尾根道を進んでいくと、少し降るようになります。 鞍部から10分ほど降っていくと分岐があります。 樹木に打ち付けられた道標によると、左手に降っていく道は「荷田子峠・盆堀方面」、 正面の道は「山道」、今降ってきた道は「臼杵山・市道山方面」となっています。 分岐には「戸倉山茱萸御前」と刻まれた石碑が建っていました。 樹木を挟んだ反対側には小さな石の祠もありました。 ここが「ぐみ御前」という所のようです。 臼杵山の山頂から55分ほどで到着しました。 「五日市町」の石標のある分岐で左手の道を選んでから、 「この道で合っているのか」との一抹の不安を抱きながら歩いてきましたが、 どうやらこの道で正しかったようです。
生植物を持ちかえらぬよう
 (秋川の自然と文化を護る会)
ひと休みしたら、左手に続く植林帯を降っていきます。 掘削でもしているのでしょうか、右手の下からは何やらダダダダダダッという音が聞こえてきました。 ぐみ御前から6分ほど降って傾斜が緩やかになってくると、右手から道が合流してきます。 倒れてしまった道標によると、左手の道は「荷田子・盆堀・城山」、右手に道は「行き止まり」、 今降ってきた道は「臼杵山」となっています。 右手の道もしっかりとしていましたが、ここは道標に従って左手の道を進んでいきます。
細い尾根道を進んでいくと、雑木混じりの降りになります。 右手の樹木の途切れた所からは、頂上の近くまで削り取られた山が見えていました。 先ほどから聞こえていたのは、この採石場で作業する音だったようです。 手元の地形図によると、右手の奥に見えているのが刈寄山で、 何とも痛ましい姿の手前の山は、刈寄山の北側にある629m峰のように思われます。
植林帯の中を更に降っていくと、樹木が伐採されて見晴らしのいい場所がありました。 最初の登りの時に振り返りながら眺めてきた馬頭刈山や鶴脚山などの山々だと思われます。
荷田子峠
突き出た尾根の手前から右手へと降っていくと、正面が切り払われて明るくなってきます。 ここで道が左右に分かれています。 角に立つ道標によると、左手に降っていく道は「荷田子・ふるさと工房五日市」、 右手の尾根道は「城山」、今降ってきた道は「臼杵山1.5時間」となっています。 この場所を示す記載は見当たりませんでしたが、ここが荷田子峠のようです。 ぐみ御前から25分ほど、臼杵山の山頂から1時間25分ほどで降りてこられました。 このまま荷田子へと降っていってもいいのですが、時間にはまだ余裕があったので、 城山まで歩いていくことにしました。
荷田子峠から道標「城山」に従って右手の尾根道を進んでいきます。 樹木が伐採されて見通しが大変よくなっています。 高みの手前で巻き道が右手へと分かれていますが、絶景を眺めるために巻かずに尾根を登っていきます。 高みに着くと、左手には素晴らしい眺めが広がっていました。 左手の奥に聳えるのが今登ってきた臼杵山、右手の方に見えるのが馬頭刈山や鶴脚山などの山々だと思われます。 しばらく足を止めて素晴らしい眺めを楽しんでいきましょう。
411m峰
高みからその先へと降っていくと、右手から巻き道が合流してきます。 角に立つ道標によると、正面の尾根道は「城山」、右手の巻き道は「臼杵山」、 今高みを越えてきた道は「荷田子・臼杵山」となっています。 巻き道を合わせてその先にある尾根道を進んでいきます。 切り払われた尾根道を進んでいくと急坂を降るようになります。 小さな鞍部に着いて登り返していくと、切り払われた所にある最後の高みへ着きます。 手元の地形図にある411m峰のように思われます。 振り返ると、先ほどとは少し角度が違うものの、ここからも素晴らしい眺めが広がっていました。
小ピーク
展望を楽しんだら、その先へと進んでいきます。 道標などは見当たりませんでしたが、 この先にも続いているように思える尾根道は見送って、 高みの右手から雑木林の中へと降っていく道を進んでいきます。 少し降っていくと緩やかな尾根道になってきます。 6分ほど進んで少し登っていくと小ピークに着きます。 ここで道が二手に分かれていますが、道標「城山」の指す右手の道を進んでいきます。
小祠
一旦降って小ピークを越えて鞍部に着くと道が二手に分かれていますが、 道標「城山」の指す正面の道を登っていきます。 登り着いた小ピークには祠が建っていて、その中には木製の小さな社がありました。 何という名前の社なのかは分りませんでした。
盆堀山 (標高391m)
小祠を過ぎて、木の根が張り出した尾根道を2分ほど登っていくと小ピークに着きます。 ピークに立つ道標によると、ここは盆堀山というようです。 標高は記されてはいませんでしたが、手元の地形図にある391m峰がこの盆堀山に当るものと思われます。 荷田子峠から35分ほどで到着しました。 ここで尾根道は左手へと曲がって降っていきます。 道標によると、左手に降っていく道は「城山」、 今歩いてきた道は「荷田子・ふるさと工房五日市」となっています。 小さなアップダウンを繰り返してきて少々疲れたので、 展望は得られませんが、ここでひと休みしていきました。
十里木分岐
急な坂道を少し降っていくと緩やかになってきます。 雑木の混じる植林帯を小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいきます。 小ピークを越えていくと、盆堀山から10分ほどで鞍部に着きます。 ここで道が左手へ分かれていきます。 角に立つ道標によると、左手へ分かれていく道は「十里木」、正面の道は「城山」、 今歩いてきた道は「臼杵・荷田子」となっています。 道標「城山」に従って正面の高みへと登っていくと、すぐに特大の送電線の鉄塔(名称は不明)があります。 その下を横切るようにして真っ直ぐに登っていくと、植林帯に入る所に再び道標「城山」が立っています。
短い植林帯を抜けていくと、再び特大の送電線の鉄塔(名称は不明)があります。 先ほどの鉄塔と並ぶようにして立っているようです。 植林帯を抜けた所に標柱が立っていて、「←新所沢線NO.9に至る、新所沢線NO.8に至る→」と記されていました。 これらの鉄塔の名称なのでしょうか。 鉄柱が邪魔をしていますが、振り返ると山並みを見渡すことができました。 ここでも鉄塔の下を横切って真っ直ぐに登っていきます。
十字路
道標「城山」に従って植林帯へと入っていくと、横木の階段が現れます。 途切れ途切れに続く横木の階段を登っていくと、道標の立つ小ピークに着きます。 道標「城山山頂」に従って左手へと曲がって緩やかに進んでいくと十字路があります。 角に立つ道標によると、左手の道は「西戸倉」、右手の道は「光厳寺」、 正面へ登っていく道は「城山山頂」、今歩いてきた道は「荷田子・臼杵山」となっています。 ここは、道標「城山山頂」に従って、正面の横木の階段を登っていきます。
城山 (標高434m)
トイレやテーブル・ベンチなどを過ぎて、その先の横木の階段を登って石垣を回り込んでいくと、 三等三角点のある城山の山頂に着きます。 盆堀山から30分ほどで到着しました。 山頂はあまり広くはありませんが、テーブルやベンチも設置されていて小綺麗になっています。 真新しい「城山 標高434.1m」の標識も立っていました。 また大きな「都立秋川丘陵自然公園 多摩自然情報地図」も設置されていて、 この付近の山々の登山道が紹介されています。
手元の地図では、臼杵山から荷田子峠までは実線ですが、 荷田子峠から城山までは破線になっていて「難路」ということになっています。 しかし実際に歩いてみると、どちらも同じ程度の道になっていて、区別するほどの違いはないように感じました。 「城山」という新しい道標も点々と設置されているし、 近年になってコース整備が進んで歩きやすくなったものと思われます。
城山の山頂では正面が開けていて、五日市の街並みなどを一望することができるので、 景色を眺めながらひと休みしていきましょう。 山頂には「戸倉城想像図」というのも設置されていて、往時の城の外観図が載っていました。 その図によると、この城山の山頂には「本丸」があり、 この先へ降って「堀切」を過ぎた先の高みに「出丸」があったようです。
戸倉城
戸倉城は、標高434メートルの城山山頂を中心にして東西の峰に築かれた中世の山城である。 東方の峰に城の中心となる曲輪(削平地)を設け、その下に数段の曲輪を備え、 虎口(出入口)は枡形風に方向転換してから出入する防衛上効果的な形態がとられている。 山頂近くには現在でも水のわき出る水の手(城内の飲料水としての井戸)が残る。 西方の峰を中心として築かれた部分は出丸に相当する。 この峰上からは西方に桧原城が眺望できる。 出丸のある山腹には堀切や竪堀の遺構が認められる。 戸倉城の築城時期は明らかではないが、土着の地侍と考えられる宮元氏や網野氏らが構成員となった 南一揆衆の活躍時期に使用されたものと思われる。 尚、宮本家には南一揆に関する文書が残っている。
 (五日市町)
出合
城山からは、手前にあった十字路まで戻って、西戸倉か光厳寺への道を降っていけばいいのでしょうが、 今回は山頂の正面に続く道を降っていきました。 いきなりの急坂が続きます。 岩がごろごろしていたり手摺りが設置されていたりして、歩き難い思いをしながら降っていきます。 古くなった石積みの階段も残っているので、その昔にはよく利用された道だったのでしょうが、 今では歩く人は少ないようです。 戸倉の山々を右手に見ながら降っていきます。 次第に傾斜が緩やかになってくる道を降っていくと、山頂から15分ほどで右手から道が合流してきます。 角に立つ道標によると、右手から来る道は「城山山頂」、正面の道は「光厳寺」、 今降ってきた道は「城山山頂(急坂)」となっています。 山頂手前にあった十字路から道標「光厳寺」の指す右手の道を降ってくると、ここに降りて来られるようです。 今回降ってきた道はかなり急傾斜で荒れ気味なので余りお薦めできません。 どういう状況の道なのかは確かめていませんが、十字路まで戻って降ってくる方がいいように思います。
堀切
2分ほど進んでいった所で、また右手から道が合流してきます。 小さな標識「城山←→戸倉」が道端に落ちていて、正面の道を指しています。 そのまま緩やかな尾根道を1分ほど進んでいくと、道が抉れた所があります。 城山の山頂にあった「戸倉城想像図」に載っていた「堀切」なのでしょうか。 ここで道が二手に分かれています。 角には「←戸倉方面」と書かれた道標が立っていて、左手の道を指しています。 尾根道はこのまま正面にも続いていますが、この先の小ピークを越えた先で藪漕ぎ状態になります。 ここは道標に従って、左手の谷筋へと続く道を戻るようにして降っていきます。
植林帯の斜面に続く道を緩やかに降っていきます。 小さな沢を過ぎてU字形に曲がっていくと、正面の上の方に民家が見えてきます。 その下の石垣の脇を過ぎて竹が少し生えた所を進んでいきます。 切り開かれて広場のようになった所を右手に見ながら進んでいくと、 堀切から7分ほどで畑地の脇に出ます。 ここで道は左手へと曲がっていきます。
光厳寺
道標「至 戸倉・五日市方面」に従って畑地の前を左折していくと、すぐに光厳寺の山門の前に出ます。 これで山道は終わりになります。 城山の山頂から25分ほどで降りてこられました。 山門の前には記念碑などが建っていて、桜の老大木も生えていたりします。 赤い帽子と前掛けをした六地蔵に出迎えられながら山門から境内へと入っていきます。 境内には天満宮や長福稲荷なども祀ってありました。 また市指定文化財の「ところ芋の碑」というのもありました。
ところ芋の碑
この碑は天保の飢饉(天保3年〜天保8年(1832〜1837))に際し、ところ芋(飢饉食料)を堀りにきた他村の 人々を追い払う村人を押さえ、掘るにまかせた名主の徳をたたえたもの。 天保7年は被害最大の年。 栢岩は当時の光厳寺住職。 天保飢饉の実態とエピソードを伝える貴重な資料。
◎碑文の読み
その言にいわく、もと戸倉郷、散地(無税の荒地)多し。 山卑解(ところ芋)を生ず、郷人、他を禁ぜんと欲して、 亭長(名主)萩原恵亮なる者に告ぐ、 亭長あえて依らず、而して末句(拙い詩)に及ぶ。(以下詩文)
卑解は天作に因る。 倉山活命の秋。(戸倉の山が人命を救う時) 星を引いて拝島到り、 暁を侵して熊川投ず。 河崎(羽村)は他に随って力め、 福生は腕に任せて頭す。 邑長かって止めず。 積善は余裕を弘む。
天保七申霜月吉日 鷲峰(光厳寺の山号) 栢岩記
 (あきる野市教育委員会)
戸倉城跡
戸倉城は15世紀頃に武州南一揆(秋川谷から南多摩地域にかけての農村の武士集団)の一員として 秋川谷に君臨した小宮氏が居城したことから小宮城とも呼ばれていた。 その後、天文15年(1546)頃北条氏照に滝山城の名跡を譲った大石定久の隠居城としても使われていた。 定久が晩年を送った場所は城山山頂ではなく、この山城の山麓周辺であったと推定されている。 後北条氏時代の戸倉城は、甲斐の武田氏への押さえである檜原城との中継城の役割を持ったと考えられており、 天正18年(1590)八王子城の落城とともの廃城となった。 発掘調査はされていないが、枡形虎口や竪堀などの遺構がよく保存されている。 この地域は、昭和28年に指定された都立秋川丘陵自然公園の一部に含まれている。
 (東京都教育委員会)
光厳寺の山門を出て左手の坂道を降っていきます。 東京都水道局の戸倉給水所を過ぎて降っていくとT字路があります。 そこを右折して、民家が建ち並ぶようになった坂道を降っていきます。 あきる野市立戸倉小学校の校門を過ぎて石垣の続く道を進んでいくと、再びT字路があります。 そこを右折していきます。 あきる野市戸倉会館を過ぎていくと、両側に石垣が続く先で道は右手へと曲がっていきますが、 その角から左手へと分かれていく道を降っていきます。
沢戸橋(さわとばし)バス停
山並みや畑などを眺めながら降っていきます。 民家の間に続く道を道なりに降っていくと車道に出ます。 右折して車道を50mほど進んでいった所に沢戸橋バス停があります。 光厳寺から13分ほどで着きました。
武蔵五日市駅(JR五日市線)まで、五日市駅行きバスにて6分、1時間に3本程度の便があります。