酒匂川
散策:2006年04月上旬
【街角散策】 酒匂川
概 要 酒匂川は小田原市の東部を相模湾へと流れこんでいる二級河川です。 土手道は酒匂川青少年サイクリングコースにもなっていて、河川敷にはスポーツ公園などもあり、 休日には多くの人々で賑わう所です。 今回は二宮尊徳記念館を訪ねてから酒匂川の川沿いに出て、土手道を歩いて開成駅へと向っていきます。
起 点 小田原市 富水駅
終 点 開成町 開成駅
ルート 富水駅…光明寺…若宮八幡宮…尊徳記念館…二宮尊徳誕生の家…善栄寺…二宮総本家屋敷跡…栢山神社…松苗碑…酒匂川…報徳橋…霞提…栢山頭首工…開成駅
所要時間 3時間10分
歩いて... 酒匂川の土手道には松並木が続き、土手沿いには田んぼが続いていて、昔懐かしい風情を味わうことができました。 訪れた時には桜の花が丁度満開を迎えていて土手には菜の花も咲き、華やいだ雰囲気で散策することができました。 土手沿いにはスカンポが若芽を出していて酸っぱい味を楽しんだりもしました。
関連メモ 開成あじさいの里
コース紹介
富水(とみず)駅
富水駅(小田急小田原線)から歩いていきます。
東口を出た所に「二宮尊徳遺跡案内図」があるので参考にしましょう。 「二宮尊徳先生誕生地・尊徳記念館下車駅」と記された標柱も立っています。 今回は尊徳記念館を訪ねてから酒匂川の土手の上を歩いていきます。
小田原警察署富水駅前交番の右手の道を進んでいくと、スーパーの先に十字路があります。 正面に設置された「尊徳記念館500m」の標識が左手の道を指しています。 標識に従って左折して、街中を流れる水路沿いの道を進んでいきます。
光明寺
少し進んでいくと、左手に光明寺があります。 「南無阿弥陀佛」と刻まれた石碑を先頭にして石仏が並んでいます。 山門の手前には赤い帽子と前掛けをした六地蔵が出迎えてくれます。 山門の左手にはシダレザクラの若木が植えられていて、今を盛りに花を咲かせていました。 春と秋に花が咲く「四季桜」と云うのだそうで、地元では「十月桜」とも呼ばれているそうです。 山門をくぐっていくと本堂があります。
あなたが笑うだけで 幸せになる人がいます。
夫婦とは一生涯の修行の相手、師になったり弟子になったり。
若宮八幡宮
光明寺から更にその先へと進んでいきます。 左・右へ分かれていく道を見送って真っ直ぐに進んでいくと、正面に若宮八幡宮があります。 「若宮八幡宮」の扁額の架かる鳥居をくぐっていくと社殿があります。 社殿の両側には大きな桜の木があって、今を盛りと綺麗な花を咲かせていました。 また、境内には小田原市指定保存樹に指定されている大きなケヤキやムクノキがあったりします。
若宮八幡宮から更にその先へと進んでいくと十字路があります。 正面には集合住宅があって、その裏手にあたる道を回り込むようにして進んでいくと、 県道720号の十字路があります。 押しボタン式の横断歩道を渡って正面の路地を進んでいきます。 さくら餅や草もちの店を過ぎていくとクリーニング店があります。 その先を左手へと曲がっていきます。
民家の間の道を真っ直ぐに進んでいくと広い車道に出ます。 横断歩道を渡って正面に続く道を更に進んでいくと、小川沿いの道に突き当たります。 そこを右手へと川沿いに進んでいくと、すぐに尊徳記念館の裏手に着きます。 記念館の裏手の川辺は小綺麗になっていて、桜が今を盛りと咲き誇り、枝垂れ柳が可憐な若芽を垂らしていました。
川と枝垂れ柳…
私の故郷の街の真ん中を流れる川沿いにも枝垂れ柳が並木を作っていました。 かなり昔から植えられていたようで、大きな老木も沢山ありました。 春になると新芽を出して、垂れた枝に新しい命が吹き込まれます。 その下には川が流れ、何とも言えない風情を感じたものでした。 そんな川と枝垂れ柳の組み合わせに出会うと、子供の頃に故郷で親しんだ景色をふと思い出したりします。
小川に架かる石橋を渡っていくと「二宮先生誕生地」と刻まれた大きな石碑が建っています。 裏面に何やら文字が書かれていたようですが、かなり風化していて読めませんでした。 更に進んでいくと青銅製の「二宮尊徳先生回村の像」が建っています。 脇差をして胸を張って堂々とした姿をしていました。
尊徳記念館
尊徳記念館の表側へ回って玄関から中へと入っていきます。 受付では『来館調査しているのですが何処から来られましたか』なんて聞かれたりします。 館内では二宮尊徳の子供の頃からの歩みなどが紹介されていました。
実際の人間かと見間違うほどよく出来た人形もあったりして、一瞬ドキッとしたりもしました。 係りの方でしょうか、篤い口調で来館者へ説明をされていました。 二宮尊徳(金次郎)の一生をわかりやすく解説した全5話のアニメビデオもあったりします。
習字手習
二宮金次郎は小さいころからよく学び、よく働く人でした。 天明7年(1787)小田原近くの栢山村の農民の子として生まれたかれは、 父利右衛門に人間として必要な知識を教えられました。 その時代には「読み・書き・そろばん」といって、文章を読んで書くことができ、 その上そろばんができればじゅうぶんだとされていました。 勉強ずきな金次郎は、「読み・書き」を学ぶため、箱に砂を入れ、指で書いては消すことをくり返しました。 家が特に貧しかったからではなく、ごくふつうの学びかただったのです。 しかし村の中の多くの人は勉強する機会のなく、ただ働くだけで一生を終えました。 その点働くことよりも読書が好きだった父親であったため、 小さいころから勉強することができた金次郎は、知らず知らずのうちに、学ぶことの喜びと、 これを生活に応用する方法を身につけました。
二宮尊徳誕生の家
尊徳記念館の隣には二宮尊徳の生家があります。 土間や板の間があって土壁と藁葺屋根の江戸時代の中流農家の住宅です。 板の間には囲炉裏があり、天井からは自在鉤が下がっていました。 天井には太い柱が縦横に組まれていました。
二宮尊徳誕生の家
二宮尊徳は、天明7年(1787)7月23日この家で誕生した。 この家の税所の建築年月は明確ではないが、おそらく尊徳の祖父銀右衛門が、 兄の万兵衛から分家してその南隣に建てたもので、 それは寛保2年(1742)か、それより数年前と推定される。 尊徳の父利右衛門が銀右衛門から家督を譲られた頃の二宮家は、二町三反六畝余の田畑を所有する中流農家で、 この家は江戸時代の中流農民の住宅の典型的なものと言うことができる。 尊徳が書いた「田地請戻之事」によると、父母をなくして一家離散の秘境に陥った際に、 居宅・家財・諸道具・衣類まで売り払って金にかえたとあるので、その時この家は人手に渡ったものと思われる。 昭和34年、尊徳記念館建設第2期事業として、当時この家を所有していた渡辺家から譲渡を受け、 昭和35年9月20日、横浜国立大学教授工学博士大岡実氏の指導によって、この誕生地に元の姿で復元した。 昭和38年、神奈川県重要文化財に指定されている。
 (小田原市教育委員会)
貧富
遊楽分外に進み、勤苦分内に退けば、則ち貧賎、其の中に在り。
遊楽分内に退き、勤苦分外に進めば、則ち富貴、其の中に在り。
 (嘉永壬子仲春 七十互翁 筒井憲)
元の石橋を渡って正面の路地を進んでいくと、すぐに十字路があります。 角には「二宮先生誕生地通路」と刻まれた石柱が立っています。 そこを左折して、右手に水路の流れる住宅地の道を進んでいきます。 少し曲がった十字路を直進していくと、道の左手に水路が流れるようになります。 小田原市消防団第14分団器具置場や東栢山公民館を過ぎていくと、左手に善栄寺があります。 石橋を渡った先に山門があります。 橙色の斑の頭巾と前掛けをした六地蔵が出迎えてくれます。
七仏通戒偈
諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教
諸々の悪を作すこと莫れ 衆々の善を奉行すべし 自ら其の意を汲めよ 其れ諸仏の教えなり
お寺まいりのすすめ十箇条 積徳
一、辺と過ぎて詣ずべし ただし寄道は要せず
二、暇をつくりて詣ずべし ただし無理を要せず
三、思いたてば詣ずべし ただし家業を欠くを要せず
四、迷いあらば詣ずべし ただし望外を望むべからず
五、憂きわまって詣ずべし ただしすべてを委すべし
六、志たたば詣ずべし ただし加護を信ぜざるべからず
七、喜びありて詣ずべし ただしこれ信心のおかげなり
八、忌日命日に詣ずべし ただし自発的な心を持ってなり
九、招かれて詣ずべし ただしこれ願ってもなき好機なり
十、正法を求めんとて詣ずべし 人たるのつとめと心得べし
善栄寺
山門をくぐっていくと善栄寺の境内になります。 境内は樹木で囲まれていて落ちついた雰囲気が感じられます。
善栄寺縁起
寺伝によれば、今から780余年前の建保3年(1215)巴御前が木曽義仲と和田義盛一族の菩提のために 律宗の僧、善法真栄上人を勧請して創建されたものと伝える。 次いで南北朝の頃、延元3年(1336)に鎌倉円覚寺第十世東明恵日禅師が足柄の地に隠棲忠、 臨済宗に改めて再建し、一時大いに繁栄した。 しかし、中世の末に酒匂川のたびたびの氾濫をうけて寺地が流失し、伽藍も荒廃してしまった。 戦国時代に至って、小田原北条氏が関八州の覇者として隆盛したとき、 三代太守北条氏康夫人として賢婦のほまれ高かった瑞渓院が、巴御前開基の寺という因縁によって当寺に帰依し、 名僧悦叟宗忻和尚(透源大通禅師)に招請して再興し、自ら資財を投じて堂宇を完成した。 時に天文23年(1554)で、この時より宗派を曹洞宗に改めた。 以来四百四十余年法統を継承、護持して今日に至ったのである。 この栢山の里は二宮尊徳先生の生誕地であるので、父母兄弟みな当寺の境内墓地に眠り先生の墓も存する。 そして寺には尊徳先生の多くの遺品を逸話とを伝えている。 金次郎16才のある日、まだ伯父万兵衛宅に寄食中のことですが、 朝早く野良仕事に行こうとして善栄寺の門前を通ると、 一人の少年が手習いのために寺門に入って行くのを見て呼び止めて、手習い草紙の上に、 「一日に一字づつ習えば一年には三百六十五字となるぞこの小僧」 と即座に書いて少年を激励したという逸話が残っている。
境内には弁財天堂や二宮金次郎の「少年勉学の像」もありました。 山門には「社会福祉法人 報徳保育園」の看板も掛かっていました。 このお寺の一角で保育園を経営されているのでしょうか。
お寺と保育園…
私も子供の頃にはお寺に併設された保育園に通っていました。 今のように送迎バスが回ってくる訳ではないので、 家から1kmほどの道を川辺の枝垂れ柳や桜並木を愛でながら歩いていきました。 親は送り迎えをしないのが普通で、いつも一緒に遊んでいた近所の親しい友達と二人で通ったものでした。 卒園して私は幼稚園へ、彼は小学校へと進みました。 その時になって、彼の方がひとつ年上だったことを知ったのでした。
二宮金次郎「少年勉学の像」
金次郎が享和3年(1803)16歳の頃、伯父の万兵衛宅に寄食中、 一日の仕事を済ましてから、夜遅くまで書物を読んでいるのを見て、 万兵衛は「百姓には学問は無用じゃ!」と、行燈の油を無駄に使うなと厳しく叱った。 そこで、友人から菜種五勺(一握り)を借りて、仙了川の土手に蒔き、 それが翌年の春になって七升以上の収穫となり、使いきれない程の油ができた。 このことが「積小為大」の貴重な体験になったといわれる。 この銅像はその16歳の頃で、刻苦勉励して「小を積んで大と為す」の自然界の真理を深く学んだ姿である。
おともなく香もなくつねに天地は書かざる経をくりかえしつつ
この碑文は二宮尊徳道歌で、曽孫二宮四郎氏の揮毫である。 銅像製作者は、鋳金家四代目慶寺丹長氏である。
 (如意山善栄寺)
二宮総本家屋敷跡
善栄寺を後にして、水路沿いの道をその先へと進んでいきます。 1分ほど進んでいくと、右手に二宮総本家屋敷跡の石碑が建っています。 その脇には「二宮先生総本家屋敷跡」の標柱も立っていました。
二宮総本家屋敷跡
二宮総本家は永正年間(北条早雲の頃)、初代二宮伊右衛門がこの地に定住して以来の名家で、 万治元年(1658)には田地六町四反一七歩(6.4ヘクタール)を持つほどであったが、 次第に家運が傾きはじめ、寛政12年(1800)に当主儀兵衛がなくなると総本家は絶えてしまった。 一九歳のときに総本家再興を志した尊徳はまず総本家の敷地内で竹を育てこれを売ってその再興資金とした。 後年、この資金をもとに田地等を次々と買い入れていき、 嘉永年間(1848−1853)にはその復興を完成した。 この間、約50年といわれている。
 (小田原市教育委員会)
栢山神社
二宮総本家屋敷跡を過ぎていくと、道の右手に栢山神社があります。 境内には小田原市指定保存樹に指定されている大きなクスノキやエノキやイチョウなどがあります。 この神社との関係は分りませんでしたが、社殿の左手には「浅間大神」や 「浅間大神木花開耶姫尊」と刻まれた石碑がありました。 社殿の中を覗いてみると、矢細女命、武内宿祈命(白髪身)、倉穂魂命(稲穂)、水波之女命(水神)と 書かれた板が掲げられていました。 この神社に祀られている神々なのでしょうか。
社殿の前には20cm前後の爪形の絵馬が沢山納められていて、人々の色々な願いが綴られていました。 五角形をした普通の絵馬とは違って、珍しく思いました。
栢山神社絵馬作り
氏子の皆様、日頃栢山神社を大切にしていただきありがとうございます。 御家族、皆様の健康と幸福を願い自由な絵、詩に表して絵馬に書きませんか? この絵馬は神主さんによる有難いおはらいをしています。 ご希望の方は申込み用紙(裏面)にご記入下さい。 自作の絵馬は12月31日栢山神社へお持ち下さい。 恒例の甘酒を夜8時30分より用意してます。 自由参加です。お待ちしています!
 (栢山神社世話人、栢山自治会役員)
栢山神社を後にして進んでいくとすぐにY字路があります。 左手には双体のお地蔵さんが並んでいました。 角に立つ道標によると、正面の道は「栢山駅300m、報徳掘800m」、 右手の道は「松苗栽植地(坂口提)250m」、 今来た道は「小田原市尊徳記念館700m、善栄寺500m」となっていますが、 向きが60度ほどズレて立っていて、ちょっと分りにくくなっていました。 ここは右手の道を進んでいきます。
すぐ先で道が再び二手に分かれていますが、右手の生け垣沿いの道を進んでいきます。 民家の間の道を真っ直ぐに進んでいくと、右手に田んぼが広がってきます。 田んぼの中には円筒形に積まれた稲藁も見えていました。 その先の土手には松の木が点々と続いていました。
十字路を直進していくと、道の真ん中に「栢山散策路」と書かれた標識が立っていました。 その先の短い橋を渡っていくと、酒匂川の土手の下がちょっとした公園のようになっています。 何という名前なのかは知らないのですが、入口には白い顎の先に小さな黄色い花と赤い花をつけた木がありました。 その左右には桜の木が何本も植えられていて、今を盛りと満開の花を咲かせていました。 正面の土手の上には「報徳橋放流警報所」があります。
報徳橋放流警報所
この施設は、上流の三保ダムで洪水調節のための水を流すときに、 下流の住民や河原にいる人にサイレンやスピーカーで増水を知らせる設備で、 三保ダムから無線で操作しています。 「ダム放流中」の電光表示や回転灯が点灯しているときは増水に注意して下さい。
川をきれいにしましょう!!
 (神奈川県三保ダム管理事務所)
松苗碑
左手へと曲がっていくと小さな広場になっています。 そこに二宮尊徳ゆかりの「松苗碑」が建っていました。 石碑に刻まれていた文字は擦れていてよく読めませんでした。
二宮尊徳の生涯
二宮尊徳(金次郎)は、1787年(天明7年)7月23日小田原市東栢山(当時の相模国足柄上郡東栢山村)の農家に生まれました。 尊徳は没落した一家を再興し、また栢山村の農業改革のため尽くしました。 その後、豊富な農業知識、独特の政治力を備えた農政家として世に認められ、 栃木県桜町(当時の小田原藩領下野桜町領)の荒れ地を改良したのを初めとして、諸藩諸村の農業改革復旧につとめました。 1843年幕府にめされ利根川水路建設工事計画をたて、ついで日光神領八九ヶ村の復旧工事中、 1856年安政3年71才をもって偉大な生涯を終わりました。 なお、この堤防を坂口提といい、少年金次郎が暇のある時、この提に来て読書をしたり、 物思いにふけった所です。 又、父にかわり土手の工事の労役に出たり堤防補強のために松苗を植えた所であります。
 (小田原市教育委員会)
酒匂川
横木の階段を登って土手の上に出ると、目の前には酒匂川の流れが広がっていました。 その向こうには曽我丘陵が横たわり、その奥には丹沢の山稜も続いていました。 広々としていて清々しい気持ちになれる良い眺めでした。 そんな素晴らしい景色を眺めながら、土手の上に続く道を左手へと歩いていきます。
報徳橋
土手の脇には桜の木も植えられていて、満開の花を咲かせていました。 「水神」と刻まれた石碑を過ぎていくと、道が二手に分かれています。 正面の道は県道714号へと続いていて、右手に降っていく道は酒匂川に架かる報徳橋の下をくぐっていきます。
右手には小さな堰のようなものがあり、その向こうの河原には菜の花が綺麗に咲いていました。 河原まで降りていけるので、ちょっと川辺まで行ってみました。 堰を流れる水が心地よい音をたてていました。 元の土手道に戻って、右手の道を通って報徳橋と酒匂川水管橋の下をくぐっていきます。
橋をくぐっていくと、県道714号を横切ってきた道と合流します。 土手の斜面には菜の花が綺麗に咲いていて、甘い香りを辺り一面に漂わせていました。 土手の脇ではスカンポが若芽を出していました。 子供の頃を思い出しながら一本採って薄皮を剥いて食べてみました。 昔懐かしい酸っぱい味がしました。
土手には点々と松が植えられています。 かなりの樹齢とみえて大きな木が並んでいます。 この土手道は「酒匂川青少年サイクリングコース」にもなっています。 この日は天気も良かったので、 サイクリングをしたりジョギングやウォーキングを楽しんだりする人たちを多く見かけました。 所々に「青少年サイクリングコース2km」のような標識が設置されています。 この数値はコース起点からの距離だと思われます。
霞提
高校を過ぎていくと、土手道が左手へと曲がっていきます。 土手の一部が途切れていて、川面から畑地が続いていました。 その先の方にはまた土手道が続いていました。 土手の一部が上流に向って開いている形になっていて、霞提(かすみてい)と云うのだそうです。 洪水時に河川の水が流入してくるようにして、堤防が決壊するのを防ぐ仕組みなのだそうです。 繰り返される水害から土地を守るための先人の智恵なのでしょう。 遊水地は普段は田畑として利用されているようです。
左手には田んぼが広がり、その向こうには箱根の山々が広がっていました。 あの尖った山は金時山なのだろうかと思いながら眺めていました。 箱根の山々の奥には富士山があるはずなのですが、 この時は春霞がかかっていてまったく見えませんでした。
霞堰の内側の方の土手道をその先へと進んでいくと、路傍に石碑がありました。 擦れて読めない字も一部にありましたが、水害で沼沢と化した土地を干拓して美田にする工事の完成を 記念して建てられた石碑のようでした。 そのような歴史を経て、今では立派な田んぼが広がる豊かな土地になったようです。 早くも粗起しの作業が始まっている田んぼもありました。
此處土年間約一町歩の水田は昭和13年の水害により沼沢地と化し、十余年徒に釣魚にまか全く顧みられなかった。 それが戦後食糧事情の緊迫につれ、堤塘路傍に一歩の空地を求め争って耕作する有様となり、 暫く村民の眼は此地に向けらるるに至った。 時の区長米山要助氏は熱心に干拓の必要を力説し、村民亦よくこれに協力し、 農繁期を目前に控えながら、誰一人不平を洩らす者なく涙ぐましい努力が続けられ、遂に工事は完成した。 _の沼沢忽にして美田と化し、地主は土地の甦生を喜び、村民は食糧事情の明るさを悦びあい、 其筋よりはこれを表彰せられた。 よって茲に工事完成を記念して碑に刻する。
 (櫻井村曽比)
松並木の続く土手道を進んでいくとT字路に出ます。 そこを右手へ曲がって工場の前を過ぎていくと、再び土手へと登っていきます。
みんなで川を大切に!!
川はみんなの大切な財産です。 次のことがらに気をつけて大事に利用してください。
ゴミは捨てないで、持ち帰りましょう。 川やその付近で土を掘ったり盛ったりすることや、工作物を作ることが、法令で制限されています。 これらのことを行おうとするときは松田土木事務所までお問い合わせください。
 (神奈川県松田土木事務所)
右手の酒匂川の流れや、左手に続く田んぼなどを眺めながら土手道を進んでいくと、 やがて田んぼが途切れて住宅が続くようになります。 集合住宅の手前にある「栢山放流警報所」を過ぎていくと、階段が左手へと降っていきます。 酒匂川沿いの土手道はこの先も続いていますが、今回歩くのはここまでとし、 左手の階段を降りて開成駅へと向っていきます。
釣りをする皆さんにお願い
釣りをする人は、遊漁券を購入して釣りをして下さい。
現場日釣り券1,400円、現場雑魚券800円、売店日釣り券1,000円、売店雑魚券500円
*小学生以下は無料です。
ごみは必ず持ち帰りましょう。
お願い
空ビン、空カン、ゴミ類は、捨てずに各自お持ち帰り下さい。 遊漁券(釣り券)は、必ず見やすいところへ取り付けて下さい。
 (酒匂川漁業協同組合)
栢山頭首工
階段のそばにある建物の先には栢山頭首工があります。 道の脇には「頭首工の碑」も建っていて、頭首工の建設にまつわる話が刻まれていました。
頭首工の碑
酒匂川は往時より、流域一帯に限りない恩恵を与えている。 とりわけ両岸七箇所の堰から取り入れる農業用水は 足柄平野の農業経営に大きく貢献してきた。 しかし度重なる洪水等のよって河床に激変を来し、各堰ともその都度 多額の費用と夫役をかけて応急工事を施し、幸うじて取水している状態であった。 そしてついには取水可能堰が三箇所のみとなり、それすらも 毎年多額の維持費を要するため、管理が極めて困難となり、 200ha余の水田が危機にさらされきた。我々農民はかかる状況を 諸宮庁に訴え安定取水を強く要望した結果、昭和42年県営用水障害対策事業として 国の採択を得、翌43年頭首工建設に着手、4年の歳月と5億円余を投じ、 昭和46年度に完成した。長年の幸苦が報われたことは、 ひとり農民のみならず万余の住民の喜びとなった。 以来400戸余の農家と住民が一体となり用水管理を円滑に実行している。 この事業を偲び当時御尽力を頂いた先駆者及び関係官庁にあらためて 感謝するとともに、取水開始5周年を期してここに記念の碑を建立し、 永く後世に伝えるものである。
注意
1.栢山頭首工えん提上流端から下流へ85mまでは禁猟区です。魚などをとってはいけません。
2.次の期間中は、アユをとってはいけません。
  1月1日〜5月31日まで、及び10月15日〜11月30日まで
3.禁猟区域以外で、アユ、コイなどの釣りをする場合は、遊漁承認証を遊漁券販売所で購入して下さい。
 (神奈川県、松田警察署、酒匂川漁業協同組合)
階段の脇には道標が立っていて、正面の土手道は「開成水辺スポーツ公園、酒匂川ふれあい館」、 左手の階段の先へ続く道は「開成駅」となっています。 階段を降りた所に「開成町案内図」があって、この付近の寺社や公園などが紹介されていますが、 階段の先に続く車道を真っ直ぐに進んでいきます。
車道の脇の歩道は赤レンガが敷き詰められていて、沿道には桜の木が植えれて並木になっています。 この時は丁度満開の頃で、綺麗に咲いた桜の花を愛でながら開成駅へと向っていきます。
開成駅前第2公園
開成駅の前には開成駅前第2公園があり、 その一角に小田急の往年の特急電車ロマンスカー3100系が展示されています。 公募して「ロンちゃん」の愛称がついています。 毎月、第2・第4日曜日には車内が一般公開(10時〜15時)されています。 2年半ほど前に来た時には後ろ側には何もなくて見通しが良かったのですが、 この時にはすぐ傍に集合住宅が建っていました。
開成(かいせい)駅
「ロンちゃん」のすぐ目の前に開成駅(小田急小田原線)があります。