岩倉の里
散策:2006年03月下旬
【里山散歩】 岩倉の里
概 要 岩倉の里は、丹沢山塊の南側にある低い丘陵地帯の浅い谷間に佇む里です。 岩倉川に沿って田んぼが続く里山風景が広がっています。 今回は岩倉の里から東名高速道路をくぐって北側へ抜け、寺社などを訪ねながら震生湖へと向います。 震生湖で休憩してから丘を通って秦野駅へと向っていきます。
起 点 中井町 比奈窪バス停
終 点 秦野市 秦野駅
ルート 比奈窪バス停…比奈窪中屋敷横穴群跡…台田橋…新道橋…岩倉の里…中井美化センター…境コミュニティセンター…宗玄寺…須賀神社…震生湖…金井場配水場…明星橋…秦野駅
所要時間 3時間50分
歩いて... 岩倉の里では田んぼの畦道などの花もまだ咲き始めた程度で、本格的な春はもう少し先のようでした。 田んぼのある風景や祖母と孫達とのふれあいなど、この里には昔懐かしい暖かな心が流れているようでした。 この日は天候にも恵まれて、丘の上からは綺麗な丹沢の山並みを望むことができました。
関連メモ 雑色の里, 渋沢丘陵, 渋沢丘陵, 震生湖
コース紹介
比奈窪(ひなくぼ)バス停
二宮駅(JR東海道線)の南口のバスターミナルから、 [二30]比奈窪行きバス, または,[二31]比奈窪経由高尾行バスにて20分、1時間に2本程度の便があります。
本数は少ないですが、朝夕には国府津駅(JR東海道線)からもバスの便があります。
秦野駅(小田急小田原線)からも、1時間に1本から2本程度の便があります。
バス停から少し引き返すと中村川沿いの道に出ます。 その右手のすぐ先には岩倉川に架かる松本橋があります。 その手前の所に、民家の間へと続く細めの道があります。 角に立つ双体の地蔵さまにお参りをしてから、この道を進んでいきます。
比奈窪中屋敷横穴群跡
比奈窪自治会館を過ぎていくと、右手に傾斜地があります。 手前には「比奈窪中屋敷横穴群跡」と刻まれた石柱が立っていました。 崖は石積みされていて今では横穴は見られませんが、 往古の様子が彫られた銅製の板が幾つも嵌め込まれていました。 比奈窪中屋敷横穴墓群の様子や、そこから出土したと思われる鉄剣・動物・勾玉・土器などが描かれていました。
急傾斜地崩壊危険区域 比奈窪B地区
この区域において土地の形状変更をする場合には知事の許可を要しますのでご注意下さい。
 (神奈川県)
横穴群跡を過ぎていくと、すぐに道が二手に分かれています。 道標などはありませんが、左手の道を進んでいきます。 右手の竹林沿いに登っていく道は、中井中学校や中井中央公園へと続いているようです。
台田橋
左手の道を進んでいくと、左手の岩倉川の向こうにはこんもりとした小山が見えていて、 その手前には田んぼが広がっていました。 土手には小さな白い花が咲き乱れていました。 何という名前なのかは知らないですが、三枚の花びらが60度ずれて二重に重なった形をしていました。 民家の点在する里を緩やかに降っていくと、岩倉川に架かる台田橋があります。 橋を渡っていくと左手にある舗装道路へ続いていますが、 今回は正面の川沿いの道を真っ直ぐに進んでいきます。
砂防指定地 岩倉川
この土地の区域内において掘さく、盛土、立木の伐採、その他一定の行為をする場合は、 神奈川県知事の許可が必要です。
枯れススキが残る畑の中の道を進んでいくと、堰の先で川が二手に分かれています。 右手の道の方が広いのですが何だか先の方で行き止りになっていそうな感じがしたので、 短いコンクリート製の橋を渡って左手の岩倉川沿いを更に進んでいきました。
春を待つ田んぼの脇に続く川沿いの細い道を進んでいくと、金属製の小さな橋が架かっています。 この橋を渡った先でも舗装道路へ続いていますが、 橋はやり過ごして、その先の笹竹の間に続く細い道を川沿いに更に進んでいきました。
田んぼの脇の細い道を川沿いに進んでいきます。 川にある段差を流れ落ちる水が心地よい音を響かせていました。 道幅が広がってくると、青く塗られた水道橋の先に小さな橋が見えてきます。 梅の花でしょうか、袂には淡い桃色の花が咲いていました。 この先にも道は続いているようにも思えましたが、この橋を渡って岩倉川の右岸に続く舗装道路を進んでいきます。 日当りのいい土地なのか、茶畑もあったりします。
新道橋
舗装道路を川沿いに進んでいくと、少し登っていった先に新道橋が架かっています。 橋の正面には民家などがありますが、左手に続く岩倉川沿いの道を進んでいきます。 「足柄東部清掃組合 中井美化センター」の看板が左手の道を指しています。 ここからしばらくの間は、この中井美化センターの看板に従って進んでいきます。
岩倉川沿いに進んでいきます。 一旦川から離れますがすぐに近づいていきます。 「農道やまゆりライン」の高架をくぐって少し登り気味に進んでいくと、 川沿いには田んぼが広がっていました。 「農道やまゆりライン」へ続くT字路を見送って、 「中井美化センター」の看板の指す左手の道を進んでいきます。
川沿いの舗装道路を進んでいくと、民家が増えてきます。 岩倉の里へと入ってきたようです。 立派な構えの民家の庭先では、大声をたてながら子供達が遊んでいました。 その昔にはどこにでも見られた光景ですが、 コンクリートジャングルの最近の都市部では見られなくなってしまいました。 「岩倉橋」を渡って、サイロのある農業施設を過ぎていきます。
遊び…
民家の庭先や集落の道は子供達にとって格好の遊び場でした。 道に四角や八の字を書いて陣取りをやったりしました。 釘を道に刺しながら相手を囲っていく遊びもやりました。 浅い穴を四つ開けてビー球で周っていくのもありました。 馬飛びやゴム飛びなどもありました。 電柱の間をかけっこしたことも度々ありました。 メンコもチャンバラもやったし、鬼ごっこなどもやりました。 紙鉄砲や杉玉鉄砲も作りました。 小川ではカニ獲りや魚獲り、里山では虫捕りもしました。 昔はみんな自然の中で遊び、無いものは自分達で作って遊びました。
岩倉の里
庚申塔を見ながら進んで進んでいくと、右手には田んぼが続いていました。 田んぼの脇の畦道では、おばあちゃんが数人の子供を引き連れて草花などを採取していました。 「これはxxx、これはyyy」と言って子供達に教えているようでした。 何だか懐かしい光景に出会えたような気がしました。 田んぼの先には「岩倉集落センター」がありました。 この辺りが岩倉の里の中ほどになるようです。
親・子・孫…
その昔の大家族社会では、親から子へ、子から孫へと、普段の生活を通して文化が伝えられてきたのだと思います。 核家族化が進み、更にはその核家族でさも崩壊して個人化が進んだ現代では、 文化の伝承も次第に難しくなってきているようです。 西洋化が進んだ現代の日本人は、何か大切なものを忘れてしまったように思います。
岩倉集落センターを過ぎていくと、作業小屋がありました。 中には稲藁が山のように積んでありました。 子供の頃にはよく見かけたものですが、最近の都会生活ではトンと見かけなくなりました。
稲藁…
稲藁は米を収穫した後に残った不要物かと思うととんでもありません。 これで使い道は結構あるのです。 立てかけたり細かく切って撒いたりして田んぼの肥料になります。 畑の片隅に積み上げておいて堆肥にしたりもします。 また縄や蓑や筵などを作る材料にもなります。 お盆の精霊流しに使う舟を作ったりもします。 土の壁材に混ぜて「つなぎ」として使ったりもします。 雪国では長靴の中に敷いて暖をとるのに使ったりもします。 燃えやすいので焚きつけにも使えそうですが勿体無いので、 焚きつけには落ちた杉葉を拾い集めてきて使っていました。
作業小屋を過ぎていくと、川向こうには竹林があり、その奥には蔵がありました。 作業小屋・竹林・蔵など、みんな懐かしいものばかりです。 なんだか遠い昔の子供の頃に戻ったような気がしてきました。
土蔵…
私の実家に蔵はありませんでしたが、前隣には古いのと新しいのと土蔵が二つありました。 どちらの蔵も壁は土でしたが、古い方の蔵の壁には穴が一面に開いていました。 何の穴かというと蜂の穴でした。 「危ないから近づくな」と親から言われたようには記憶していないので、 スズメバチのように危険な蜂ではなかったように思います。 ミツバチの類だったのでしょうか。 中に巣があったのか、季節になるとひっきりなしに蜂が出入りしていました。 そんな蜂を捕まえてはよく遊んでいたものでした。
次第に細くなっていく岩倉川沿いに更に進んでいくと、道が二手に分かれています。 角には双体の地蔵様が立っていて、その前にはミカンがひとつお供えされていました。 右手の家崎橋の先には数軒の民家がありますが、 「中井美化センター」の看板の指す左手の道を進んでいきます。 登り気味に進んでいくと、またすぐに道が二手に分かれています。 ここでも「中井美化センター」の看板の指す左手の道を進んでいきます。
右手の道を進んでいくと…
右手の道には「この道路は通り抜けできません」との看板が立っていますが、 どうなっているのかと試しに歩いてみました。 竹林の脇を過ぎていくと岩倉一般廃棄物最終処分場があります。 その先の大堰橋を渡って小さな丘を越えていくと小さな橋があります。 橋を渡った先の竹林を抜けていくと畑地に出ます。 すぐ先には東名高速道路が走っていますが、柵がしてあって行き止りになっています。 竹林の手前の橋を右手へと進んでいくと、岩倉川は二手に分かれていきます。 その辺りが岩倉川の源流域になるのでしょうか。
中井美化センター
民家の脇を過ぎて、畑地の脇に続く坂道を緩やかに登っていきます。 小さな切り通しを過ぎていくと、右手に「足柄東部清掃組合 中井美化センター」があります。 センターの前には大きな窪地がありました。
発砲危険!
近くに住宅・学校・農耕地等あり、危険!
 (神奈川県)
中井美化センターを後にしてその先へと進んでいくと、東名高速道路をくぐるトンネルがあります。 入口には「厚木42」と書かれた標識が付いていました。 トンネルを抜けていくとT字路があります。 そこを右折して東名高速道路沿いに進んでいきます。
禁止!
ゴミを捨てたり農作物を盗むのはやめましょう。
 (中井町農業委員会)
ドラム缶が沢山置いてある所を過ぎていくと、左手が開けてきます。 手前のゴルフ場の向こうには丹沢の山並みが続いていました。 ゴルフ場へと降っていく道を左に分けて、高速道路沿いに進んでいきます。
扉で閉められた道を右手に分けていくと、道は森の中へと入っていきます。 竹林の脇を過ぎていくと、飼料置場のような建物があります。 その建物を回り込むようにして右手へとU字形に曲がって緩やかに登っていきます。 道端には薄紫色の小さな花が沢山咲いていました。
境コミュニティセンター
先ほどの竹林を右下に見ながら緩やかに登っていくとT字路に出ます。 正面には「中井町境コミュニティセンター」があります。 センターの建物や多目的広場があります。 広場の脇にはテーブルやベンチの設置された東屋があります。 歩き始めて1時間40分ほど経ったので、ベンチに腰をかけてひと休みしていきました。
広場の手前のT字路を左折してコミュニティセンターを右手に見ながら進んでいくとT字路があります。 正面には「宗玄寺」と書かれた道標が左手を指しています。 道標に従って左手へと進んでいくと、すぐに坂道が右下へと分かれていきますが、 そのまま広い車道を進んでいきます。 ほどなくして道が二手に分かれています。 どちらの道を進んでいっても宗玄寺へ着きますが、今回は右手の細めの道を進んでいきました。
細めの道を緩やかに降っていくと、道が二手に分かれています。 角には本境バス停があります。 秦野駅行きのバスが通っていますが、便数は1日に6便程度と非常に少なくなっています。 この分れ道の手前の左手に宗玄寺への参道が続いています。
宗玄寺
両側に植込みが続く参道を登っていくと、すぐに宗玄寺の境内に着きます。 境内では赤い前掛けをした六地蔵が出迎えてくれます。
宗玄寺由来
神奈川県足柄上郡中井境1738番地に所在し、埼玉県入間郡越生龍穏寺末である。 開山洪洲禅寮大和尚、開基曲渕助之丞吉明、天正文禄年間(1590年代)光言寺と称す。 寛永年間(1637)宗玄寺として開山。 元禄17年(1704)地震にて崩壊、嘉永2年七世峰山逢が再建。 大正12年関東大震災にて崩壊、昭和40年二十二世大量正憲再建す。
須賀神社
参道を引き返して、本境バス停のある分岐を左手へと進んでいくと、 正面の高みへと続く石段があります。 鳥居をくぐって石段を登っていくと須賀神社の境内に着きます。 両側に植え込みが続く参道の先に社殿があります。
須賀神社
一、由緒沿革 江戸時代の中期、元禄15年(1702)11月に当地の地頭 曲渕市左衛門によって開基され、 後、嘉永6年(1853)に再建された。 江戸時代は「大六天」とよばれていたが、明治2年6月、須賀神社と改め、祭神を素戔嗚命とした。 其の後、明治11年7月、村内の大神宮神社祭神 大日留貴命、諏訪神社祭神 建御名方命、 日枝社祭神 大山咋命の三柱を当社に合併願済した。 其の後、大正12年9月の大震災によって社殿が全潰したが、仝15年に復旧元した。
一、社殿 千鳥破風造
一、境内坪数 三三八
一、祭礼 毎年4月の第1日曜
石段を引き返して左手へと進んでいくと、 コミュニケーションセンターの先のT字路から続く広い車道に出ます。 右折して車道を緩やかに降っていきます。 境別所自治会館を過ぎ本別所バス停を過ぎていくと、道が二手に分かれています。 道標はありませんが、右手に登っていく細めの方の道を進んでいきます。 道端にはアジサイや草花が植えられていました。 アジサイの枝からは新芽が出ていました。 地域の老人クラブの方々が植えられたようです。
花いっぱい運動
草花を大切にしよう。
 (老人クラブ 境老友会)
坂道を登ってその先へと降っていくと、道が二手に分かれています。 角には水無窪バス停がありました。 どちらへ行ったものかと辺りを見回していると、右手を指している「震生湖」と書かれた道標がありました。 道標に従って右手へと進んでいきます。
坂道を登っていき突き当たりを左手へと曲がっていくと、民家も途切れてきます。 両側に樹木が続く坂道を緩やかに登っていくとT字路があります。 正面にある道標「震生湖」に従って、左手へと進んでいきます。 すぐの所にある後窪バス停を過ぎて緩やかになった道を進んでいくと、 右手には丹沢の山々が横たわっているのが見渡せるようになります。 畑地の向こうに広がる山並みを眺めながら進んでいくと、 畑地が終った辺りから細い道が右手の分かれています。 角に立つ道標「震生湖」がその道を指しています。
戻るようにして右手へと降っていきます。 梅林を左手に見ながら降っていくと、道は右手の森の中へと入っていきます。 森へ入るとすぐに震生湖を取り巻く散策路に合流します。 樹木の間からは震生湖の湖面が見えるようになります。 左手に湖面を垣間見ながら森の中に続く小径を右手へと進んでいきます。
震生湖
少し登ってから降っていくと、震生湖の畔に降り立ちます。 右手には湖に突き出した桟橋があり、多くの人達が釣り糸を垂らしていました。
湖水浄化に協力を
へらぶな釣りのため湖水汚染が著しく進行しています。 撒き餌・バラケ等は最小限にとどめるようお願いします。
 (秦野市)
告 震生湖釣愛好者へ
日本ヘラブナ研究会から毎年、当震生湖へ多数のヘラブナを放流しております。 ブラックバス以外は持ち帰らないようお願いします。 また、夜釣は危険ですので禁止しております。 ご協力をお願いします。
 (秦野市観光協会、震生湖開発地主組合)
釣りをする人へ
震生湖は釣堀ではありません。 にもかかわらず、最近、自分本位の釣人が増え、 ハイキングの人やボート遊びの人に暴言をはく人まで出ています。 ルアーによる事故も増えています。 震生湖は「みんなの公園」です。 他の観光客のことも考え、楽しく過ごせるよう協力をお願いします。
 (秦野市観光協会)
湖に架かる橋を渡っていくと売店があります。 家の佇まいからすると住居を兼ねているのでしょうか。 そばには藤棚や東屋もあったりします。 運がいいと、多くの猫たちに出会えたりもします。 「吉田寅彦の句碑」もありましたが、達筆過ぎて読めませんでした。 他のWebサイトなどによると、 「山さけて 成りける池や みずすまし」 と刻まれているのだそうです。 そうは云われてもまだ読めない字もありました。
震生湖
この湖は、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の時、渋沢丘陵の一部が崩壊し、 その土砂が谷川を堰き止めてできた堰止湖で、自然湖では日本で最も新しい湖であるといわれ、 北西部の主湖盆と南東部の副湖盆の二つから形成されている。
海抜150メートル
面積13,000平方メートル (最大巾85メートル、長径315メートル)
周囲1,000メートル
平均水深4メートル
最大水深10メートル
 (秦野市)
釣り人の皆様へ
この震生湖は「かながわの探鳥地50選」に入選している湖です。 野鳥たちの生活を守って行くために、釣人のマナーとして下記の事を守ってください。
投げ釣りをする人は、前後、左右、木のある所では上にも注意しましょう。 木の枝に釣糸をからませないようにしましょう。
生餌さは放置すると腐ります。 プランクトンの発生につながり、魚も死滅してしまいます。
釣り糸、釣り針、おもり、ウキ、ルアー、餌などは、必ず持ち帰る習慣を身につけましょう。 (鳥にからまってしまうことがあります)
ジュース等の缶、弁当箱、ビニール袋など、ゴミは必ず持ち帰りましょう。 また、自分の周辺のゴミも持ち帰るように心掛けましょう。
 (秦野市観光協会)
左手の湖面では小舟を浮かべて釣りをしている人が何人もいました。 また岸辺から釣糸を垂らしている人も沢山いました。 水鳥も優雅に泳いでいて、なんだかゆっくりとした時間が流れているようでした。 湖畔を一周するようにして散策路が巡っていたり福寿弁財天もあるので、 時間があればひと巡りしてみるのもいいでしょう。 福寿弁財天にお参りすると、学問・技芸・音楽の発達が促され、 女人には愛嬌授け美人になり良縁を得、子宝が授かるのだそうです。
かながわの探鳥地50選
カルガモ(カモ科) 雌雄とも同じ黒褐色で黒いくちばしの先の黄色が目立つ。夏も見られる唯一のカモ。
キセキレイ(セキレイ科) 特に尾が長くスマートで、腹は鮮やかな黄色。チチンチチインと鳴いて波形に飛ぶ。
カワラヒワ(アトリ科) 全身緑褐色で、肉色の太いくちばしと羽の黄色が目立つ。キリキリコロコロと鳴く。
この付近で見られる野鳥 年間約50種
年中見られる野鳥 ハシブトガラス、ハシボソガラス、ヒヨドリ、ムクドリ、メジロ、シジュウカラ、エナガ、ヤマガラ、ホオジロ、 スズメ、イカル、カワラヒワ、モズ、セグロセキレイ、キセキレイ、コゲラ、キジバト、コジュケイ
春から夏に見られる野鳥 サンコウチョウ、サンショウクイ、ツバメ、サシバ
秋から冬に見られる野鳥 アオジ、カシラダカ、エゾビタキ、ウグイス、ツグミ、シロハラ、ルリビタキ、ジョウビタキ、 ハクセキレイ、コガモ、マガモ、カルガモ、ホシハジロ、カケス
 (鳥もすめる環境都市 秦野市)
ゴルフ練習場を右手に見ながら坂道を登っていくと丘の上に出ます。 角に立つ道標によると、右手は「秦野駅2.5km」、左手は「渋沢丘陵1.3km」となっています。 今回は右折して畑地が続く丘の上を進んでいきます。 ゴルフ場の金網の横を過ぎていくと、左手には丹沢の山並みが広がっていました。 雲もほとんどかかっていなくて綺麗な景色を眺めることができました。
丘の上をしばらく進んでいくと、道が二手に分かれています。 左手へ降っていく道(*)は白笹稲荷神社や今泉湧水池を経て秦野駅へと続いていますが、 今回はそのまま丘の上の道を進んでいきます。 左手に見える高取山から権現山にかけての山並みが近づいてくると十字路があります。 角に立つ道標によると、右手の道(*)は「池窪の大悲観音」、左手の道は「秦野駅」となっています。 右手へ進んでいくと牧場などが幾つもあるようですが、今回はこのまま真っ直ぐに進んでいきます。
(*左手の道は「渋沢丘陵」、 右手の道は「渋沢丘陵」を参照)
金井場配水場
坂道を緩やかに登っていくと、右手に秦野市水道局の金井場配水場があります。 門が閉ざされていて入っていくことはできません。
配水場を過ぎていくと、道は緩やかに降るようになります。 振り返ると、箱根の山々が見えていました。 更に進んでいくとT字路があります。 前の下側には車道が通っていて、その向こう側には秦野南が丘高校や南が丘中学があります。 広めの道は右手からその車道へと降っていきますが、今回は左手の道を歩いていきます。
少し登っていくと降るようになります。 林を抜けて降っていくと目の前には秦野の街が広がるようになります。 正面には丹沢の山稜が間近に見えるようになります。 住宅地に降り立つ手前にゲートボール場のような広場がありました。 その前が開けていて秦野の街や丹沢の山並みを一望できました。 本コース最後の眺めを楽しんでいきましょう。 右手の方には権現山にある展望台や、その右奥にある吾妻山も見えていました。
坂道を降り切ると県道62号の小原台交差点に出ます。 右手にはガソリンスタンドがあります。 この信号を渡って正面の道を進んでいきます。 直ぐに道が二手に分かれていますが、右手の坂道を緩やかに登っていきます。
明星橋
住宅地の中を進んでいくとやがて降るようになります。 今泉台調整池を過ぎていくと室川のそばに出ます。 川に沿って右手へと進んでいくと、すぐに「いまいずみ保育園」があります。 その前の室川に架かる明星橋を渡って右手へと進んでいきます。
秦野(はだの)駅
すぐに広い道に出るので、右手へと進んでいきます。 信号機のある十字路を左折して、その先の二つ目のT字路を右折していきます。 広い通りに続く「せせらぎ」を見ながら真っ直ぐに進んでいくと、 正面に秦野駅(小田急小田原線)があります。
「荒井湧水からのせせらぎ」について
ここ尾尻・今泉地区は地名のとおり地下水の豊富な地区であり、 昔からあった水路には荒井湧水から湧き出した水が一年中流れ、地域の人たちに親しまれてきました。 そこで、街が整備されても昔の名残を残し、いつまでも親しまれるよう、区画整備事業の中でせせらぎを作り、 昔からある自然を活かすために、水路から水を取り入れたものです。 この湧水は、せせらぎを流れた後、自然に水無川へ流しております。
この水は水道水ではありませんので飲めません。
 (秦野市)