曽我丘陵
散策:2006年02月下旬
【低山ハイク】 曽我丘陵
概 要 曽我丘陵は国府津駅から北西に伸びる御殿場線の東側に続く低い丘陵です。 丘の上からは、相模湾・伊豆半島・箱根連山・富士山・丹沢山塊などが広がる素晴らしい展望が得られます。 今回は、国府津駅からミカン畑や梅林の続く丘を通って不動山や浅間山へ登り、 いこいの村あしがらを経て上大井駅へと降るコースを歩きます。
起 点 小田原市 国府津駅
終 点 大井町 上大井駅
ルート 国府津駅…吾妻神社…菅原神社分岐…桜の馬場分岐…風外窟分岐…風外窟…別所梅林分岐…一本松…六本松跡…忍石…登山口…不動山…古怒田分岐…浅間山…古怒田分岐…赤田配水池…いこいの村あしがら…上大井駅
所要時間 5時間20分
歩いて... 不動山の前後を除けば、簡易舗装された歩きやすい農道が続いています。 丘の上に出るまでは少し傾斜のある登り坂になりますが、 その後は緩やかな丘陵地に続く道を暖かな陽射しを浴びながらのんびりと歩いていけます。 丘には梅の木も沢山植えられていて、早春にはいい香りに包まれます。
関連メモ 山田の里, 曽我丘陵, 不動山, 曽我丘陵, 曽我丘陵, 曽我丘陵
コース紹介
国府津(こうづ)駅
国府津駅(JR東海道線)から歩いていきます。 これから向う曽我丘陵は国府津駅の北側にありますが、改札口は南側にしかありません。 改札口の少し平塚寄りにトンネルがあるので、そこを通って北側へ抜けていきます。 改札口を出るとバスやタクシー乗り場がありますが、左手へ曲がって線路沿いに進んでいきます。
国府津駅は明治20年7月11日開業とのことで、駅前には「国府津駅開業100周年記念」の石碑が建っています。 東海道線の花形として活躍した蒸気機関車が富士山を背景にして描かれていました。
国府津駅開業100周年記念
国府津おるれば馬車ありて 酒匂小田原とをからず 箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より
 (鉄道唱歌より)
小さな駐車場の脇を過ぎて突き当たりを少し左手へ曲がり、 集合住宅と駅ホームの間を緩やかに降っていくとT字路があります。 左手には駅ホームの下に続く「国府津架道橋(国府津ガード)」があります。 このトンネルをくぐって国府津駅の北側へと抜け、 突き当たりを右折して坂道を登り、線路沿いの道を進んでいきます。 すぐに道が二手に分かれています。 どちらの道を進んでいってもその先で合流しますが、線路沿いの道の方が少し近道なので、 そのまま真っ直ぐに進んでいきます。
ガードをくぐって左折していく道からも曽我丘陵へ登っていけます。 (「曽我丘陵」を参照)
2分ほど進んでいくと、小さな広場やLPGガスタンクの先で、先ほど分岐した道が合流してきます。 左手の道に降りて、その先の坂道を緩やかに登っていきます。 右手にある集合住宅の端の辺りまでくると分岐があります。 そばには西二区自治会防災器具庫や郵便ポストがあります。 ここを少し戻るようにして鋭角に左折して民家の間の坂道を登っていきます。
民家が終ると坂道の傾斜が増してきます。 小田原市の掲示する団体営農道整備事業の看板を過ぎていくと、山の斜面にはミカン畑が続くようになります。 簡易舗装された農道を曲がりながら登っていきます。 脇に馬頭観世音のある小屋を過ぎていくと、左手には相模湾が広がっていました。 太陽の光を浴びて海面がキラキラと輝いていて素晴らしい眺めでした。 写真に撮ろうとしましたが輝度差があり過ぎるためなのか、残念ながらうまく写せませんでした。
吾妻神社
ミカン畑の続く農道を10分ほど登っていくと、右手に「吾妻神社入口」の石板が架かっています。 その案内に従って、右手に続く幅1mほどの急坂を登っていきます。 ミカン畑を過ぎて作業小屋を過ぎていくと、「吾妻神社」の扁額の架かる鳥居があります。 鳥居をくぐっていくと小振りの吾妻神社がありました。 境内の手前からは箱根連山や小田原の街が一望できました。 箱根の高嶺には薄っすらと雪が積もっていました。
吾妻神社由来
今からおよそ千八百年前、第十二代景行天皇の皇子日本武尊は 東国の蝦夷を討ったために舟で房州に渡る際、海が大いに荒れた。 尊の后弟橘姫は、竜神の怒りを静めるため、荒れ狂う海の中に身を投じた。 暴風雨は収まり、尊は無事房州に着くことができた。 東国を平定した尊は、帰路足柄峠から、こよろぎに立つ白浪を見下して、 姫の哀れを思い、恋しさの余り、「あづまはや」と呼んだ。 「あづまはや」とは、「あヽ恋しい我が妻よ」ということである。 これから後、東国を「あづま」というようになった。 弟橘姫は前川の生まれという伝説もある。 姫の小袖を祀る吾妻神社は、海の安泰を祈る社として毎年七月十六日は地元の参詣が絶えない。
菅原神社分岐
吾妻神社から農道に戻ってその先へと8分ほど進んでいくと、左手に道が分かれていきます。 カーブミラーの袂にある道標によると、正面の道は「六本松跡」、 左手の道は「国府津駅、菅原神社」となっています。 また「曽我梅林へ」の案内標識も正面の道を指していました。 小田原市観光課の設定する「国府津・曽我丘陵ウォーキングコース」は、 国府津駅から西側を経てここへ登ってくるようです。
後日に左手の道を歩きました。(「曽我丘陵」を参照)
分岐のすぐ先に「西山団体営農道建設記念碑」が建っていました。 この丘に続く簡易舗装された道は西山団体営農道というようで、 出来てからまだそれほどの年月は経っていないようです。
西山団体営農道建設記念碑
小田原市東部に位置し相模湾を一望。 湘南江ノ島・房総半島、南には大島、西に伊豆半島・富士山また小田原市内が一望。 この地には昔からの伝説弟橘姫を祀った吾妻山もあり、現況農道では道幅も狭く急勾配のため、 農産物・資材の搬出入及び通行にも支障をきたしており、 二十一世紀プランの一環として国農林水産省関東農政局に陳情し国家予算に計上され、 団体営農道整備事業として総工費三億一千八百万円、全長一千二百米、幅五・五米(排水施設含む)、 平成五年度着工〜平成十二年度に完成。
 (神奈川県西湘地区行政センター、小田原市農政課)
左手の眼下には小田原の街が広がり、その向こうには伊豆半島から箱根にかけての山々が連なっていました。 箱根連山の頂きには薄っすらと雪が積もっていました。 その奥には冠雪した富士山が綺麗な姿を見せていました。 しばらく足を止めて眺めを楽しんでいきましょう。
山火事注意 火の用心!
たばこ・たきびは確実に消そう! みどりとふれあいでリフレッシュ
 (森林共済セット保険、神奈川県)
記念碑を過ぎていくと道の傾斜は緩やかになってきます。 箱根や富士山を眺めながらその先へと進んでいくと右手が開けてきて、 丹沢の山々を見渡せるようになります。 こちらの頂きにも薄っすらと雪が積もっていました。 伊豆半島・箱根・富士山・丹沢と、素晴らしい眺めの広がる丘に続く広い道を進んでいきます。
桜の馬場分岐
緩やかになった道を6分ほど進んでいくと、防災行政用無線所の先に十字路があります。 ここで西山地区の延長1200mの農道は終わりになるようです。 角に立つ道標によると、正面の道は「六本松跡3200m50分」、 右手の道は「桜の馬場」となっています。 今まで歩いてきた道は「国府津駅、菅原神社」となっています。 ここは道標「六本松跡」に従って正面の道を進んでいきます。
西山地区の農道よりも狭くなってはいますが、簡易舗装された道が続いています。 3分ほど進んでいくと「五國峠農道記念碑」が建っていました。 昭和27年に建てられたようで、その頃にこの農道が竣工したようです。 「五國峠」とは先ほどの分岐のあった所なのでしょうか、 それとももう少し先の方にあるのでしょうか。 左手には冠雪した富士山が箱根連山の奥に綺麗な姿を見せていました。
緩やかな道をその先へと進んでいきます。 周囲にはミカン畑が点々と続いています。 畑で獲れたミカンがテーブルに並べられて一袋100円で売られていたりします。 美味しそうだったので一袋買ってみましたが、 リュックに入れると結構かさ張るし意外と重かったりします。 仕方がないので、少しずつお腹の中に仕舞い込むことにしたのでした。 記念碑から5分ほど進んでいくと道が左手へと分かれていきますが、 道標「六本松跡」に従ってまっすぐに進んでいきます。 すぐに送電線の鉄塔「西湘線42」を過ぎていきます。
風外窟分岐
右手には丹沢山塊、左手には箱根や富士山を眺めながら6分ほど進んでいくと十字路があります。 角にたつ道標によると、正面の道は「六本松跡2800m45分」、左手の道は「風外窟」となっています。 右手に戻るようにして続く道は「私有道路に付き侵入禁止」となっています。 また「風外禅師岩窟450m先」の手製の道標も左手の道を指していました。 六本松跡へは正面の道を真っ直ぐに進んでいくのですが、 450mとのことなので、風外窟までちょっと往復してきましょう。 要所には手製の道標が設置されていて、迷うことなく風外窟へと導いてくれます。
緩やかな道を進んでいくと、道標「風外禅師岩窟300m先」の立つ分岐があります。 道標に従って右手へと進んでいきます。 少し降るようになって小屋を過ぎていくと竹林の所で分岐があります。 道標「風外禅師岩窟200m先」に従って、右手に戻るようにして続く道を進んできます。 小屋を過ぎてその先へと進んでいくと、道標「風外禅師岩窟30m先」が左手の竹林の方を指しています。
風外窟
道標に従って竹林の脇に続く細い道を進んでいくと風外窟があります。 植林地の岩崖面に穴が点々と空いていました。 「風外窟 横穴古墳群(11穴)」との看板が出ていて、1号・2号…と順に札が掲げられています。 10号までは確認できましたが11号は見落としてしまいました。
風外慧薫禅師穴居洞
風外禅師は江戸時代初期(元和8年頃)この横穴古墳群跡に穴居した。 1568年群馬県碓氷郡に生まれ曹洞宗の各寺を修行し、しばらく当市の成願寺に籍を置き、 やがてこの洞窟に移り住んだ。 洞の上方より2〜3の洞窟に入り、優れた書画を描き、付近の村人を訪れ食べ物と交換した。 その作品は達磨画・布袋画等が多く、禅画として優れた貴重な墨画である。 幕末の画家・渡辺崋山も注目したと言う。 現在、当田島に数点の作品が保存されている。
 (田島歴史同志会)
風外窟から尾根まで引き返して、緩やかな丘に続く農道をその先へと進んでいきます。 TVアンテナの立つ所を過ぎていくと、風外窟分岐から5分ほどで、左手へ道が分かれていきます。 この下には車道が通っていて、左手の道はその道へと降って上町隧道の脇へ降り立ちます。 山の中の道にしては交通量がかなり多くなっていますが、 今回はこのまま正面の道を進んでいきます。
少し登りになった坂道を進んでいくと分岐があります。 ガードレールに「六本松跡1700m30分」の道標が括りつけられていました。 右手へ降っていく道は下を通る車道へと続いていますが、 今回は道標「六本松跡」の指す左手の道を登っていきます。
たばこの投げ捨て!火事のもと
 (神奈川県)
相模湾や伊豆半島などを眺めながら5分ほど進んでいくと分岐があります。 正面と左手へも道が続いていますが、角に立つ道標「六本松跡」に従って、 右手に続くかなりの傾斜の坂道を登っていきます。 ミカン畑に続く坂道を5分ほど登っていくと、登りきった辺りで道は左手へと曲がっていきます。 その辺りが地形図にある標高246.1mの高山のようです。 三角点もあってその上を送電線が通っているように書かれているので辺りを少し探ってみました。 しかし「西-平41号」の鉄塔はありましたが三角点は見つけられませんでした。
左折して少し進んでいくと道は降るようになります。 赤い屋根と青いトタン壁の小屋の先で道が二手に分かれています。 正面には小田原の街や相模湾から伊豆半島や箱根の山々が広がっていました。 右手の方には富士山も頭を覗かせていました。 歩き始めてから2時間ほど経って、少し雲が出てきたようです。 角に立つ道標「六本松跡」に従って右手へと進んでいきます。
別所梅林分岐
正面に富士山や丹沢の山並みを眺めながら進んでいくと、少し降るようになってきます。 この辺りから梅畑が続くようになります。 白梅が中心ですが、所々には紅梅もあって彩りを添えていました。 日陰の所ではまだ蕾がかたいようでしたが、日当りのいい畑では満開に近い状態でした。 道標「六本松跡」の立つ分岐を右・左と曲がりながら進んでいくと、 先ほどの小屋から7分ほどで十字路があります。 角に立つ道標によると、正面の道は「一本松、六本松」、左手の道は「見晴台を経て別所梅林へ」となっています。 今歩いてきた道は「国府津駅4700m80分」となっていて、右手の道は何も示されていません。 道標に従ってこのまま真っ直ぐに進んでいきます。
(後日に左手の道を歩きました。「曽我丘陵」を参照)
一本松 (標高185m)
左手に箱根や富士山を眺めながら4分ほど進んでいくと分岐があります。 角には松の幼い木が植えられていて「一本松」の標識が添えられていました。 道標によると、左手の道は「別所梅林(近道)」、右手の道は「六本松400m6分」となっています。 今歩いてきた道は「見晴台を経て別所梅林へ」となっています。 左手には富士山が見えていましたが、真っ白な山肌に灰色の雲がかかっていました。
六本松跡
一本松から右手へ3分ほど進んでいくとT字路があります。 角に立つ道標「六本松跡」に従って右手へと進んでいくと、ほどなくして六本松跡に着きます。 桜の馬場分岐から80分ほどで到着しました。 道標では50分となっていましたが、風外窟に立ち寄ったり景色を眺めたりしていたので少し長くかかりました。 ここは5本の道の分岐になっています。 角々にある道標によると、右手に戻るようにして続く道は「桜の馬場、広済寺」、 正面の道は「忍石300m5分」、 左のトンネルをくぐって降っていく道は「祐信宝筺印塔700m15分、城前寺2000m35分、宗我神社2000m35分」、 今歩いてきた道は「一本松、国府津駅」となっています。 手前から左前方へと登っていく道には何も示されていません。 ここは曽我と中村を結ぶ古道の峠である旨を記した「六本松」の標柱も立っていました。 そばには「ウォーキングコース案内図」があって、 国府津・曽我丘陵ウォーキングコース、国府津・曽我の里散策コース、 曽我の里散策コースの見晴らしコースや里コースなどが紹介されています。 今回はこの手前から左前方へと続く坂道を進んでいきますが、 これからは小田原市の設定するウォーキングコースからは外れるようです。
六本松跡
古代千代大地は師長国の府中で、この地方の文化の中心地であったので、 西からの旅人は皆ここに寄って、この道を、目指す坂東や奥州へと向ったと推定(弓削道鏡等)される。 その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、上洛や富士の巻狩などにこの道を通り、 いまも鎌倉山、将軍山また豪族中村氏がお出迎えした所を「大迎え」などの地名が残っている。 また、この地の豪族が鎌倉に馳せ参じた鎌倉街道でもあり、坂東三十三番観音の五番勝福寺から 六番長谷寺に詣る巡礼道でもある。 戦国乱世のころ、京の聖護院准后道興は 「答えする 人ほそなけれ 足曳の 山彦山は嵐吹くなり」を詠み、 降って元禄のころ、松尾芭蕉は 「ほととぎす 鳴き鳴き飛ぶぞ いそがわし」、 門人の白雄は 「人の知る 曽我中村や 青嵐」、 その後、蕪村も 「雨ほろほろ 曽我中村の 田植えかな」と詠んだ。 この、六本松の地名となった最後の松の大樹は、明治の終わり頃惜しくも長い一生を終わっている。
忍石
その前に300mとのことなので、正面の道を忍石まで往復してきましょう。 梅畑を眺めながら坂道を登っていくと土の道へと変わっていきます。 更にその先へと進んでいくと六本松跡から5分ほどで、小さな祠に入った忍石がありました。 石の前には石仏が佇んでいました。
(後日に忍石の先へ続く道を歩きました。「曽我丘陵」を参照)
伝曽我十郎・虎御前の「忍石」
「曽我物語」によれば、曽我十郎祐成は仇討ちに旅立つ前の日、 恋人の虎御前と曽我でひとときを過ごした後、虎を馬で大磯へ送り返した。 その時、人目を忍んで通った「山彦山の中村道」と伝承される道筋が二、三あり、この大山路もそのひとつ。 そして、この「忍石」の辺りで二人は涙ながらに別れを惜しんだとされているが、 「忍石」の意味は定かではない。 「曽我物語」は二人の嘆きを、万葉時代新羅に征く夫を山頂から見送り、 そのまま石になってしまったという松浦佐用姫になぞらえている。 この忍石にも、その様なイメージを重ねた後の村人の思いがこめられているようでもある。 また、石の中央には手形に似たくぼみがあり、十郎が力を試した力石だともいわれている。 歴史物語のスーパーアイドルであった曽我兄弟の伝承は、多様で興味はつきない。
六本松跡まで引き返して、トンネルの上に続く坂道を登っていきます。 やがて緩やかなな道になると、右手には相模平野や相模湾が望める景色が広がってきます。 正面に電波塔を見ながら進んでいくと、やがてT字路があります。 道標は見当たりませんでしたが、 左手は先ほどから見えていた神奈川県防災行政無線の曽我中継所の脇を経て曽我の里へと降っていく道で、 これから向う不動山は右手の道を進んでいきます。
ゴミを捨てるのはあなたですか!!
海・山・川 この自然を大切に!!
小田原市では「ごみの持ち帰り運動」を行っております。
 (小田原市環境部)
登山口
ごみ捨て禁止の看板がやけに目立つ道を4分ほど進んでいくと分岐があります。 簡易舗装された道は左右へ分かれていますが、その間から山道がその上へと続いています。 これが不動山への登山口になります。 道標などは見当たりませんでしたが、山火事注意の看板が入口に立っていました。 ここから不動山の先にある浅間山の手前までは土の道になります。
山火事注意
ポイ捨てしないで!
火災・救急等発生時には119番して下さい。
ここは曽我谷津1172(六本松から北へ0.8km地点)です。
 (小田原市消防本部、消防署、消防団)
植林帯の中に続く広めの急な山道を登っていくと梅畑がありました。 右手が開けていて、その向こうには丹沢の峰々が続いていました。 緩やかになった山道をその先へと更に進んでいくと少し降るようになります。 浅い鞍部に着いて登り返していくと、左手の高みに向って続く細い尾根道が分かれています。 道標などは見当たりませんでしたが、これが不動山の山頂へと続く尾根道になります。 今回は初めてということでよく分らず、そのまま通り過ぎてしまいました。
植林帯の中の道を少し登っていくと、再び緩やかな道になります。 里に近いコースとあってか、幾組ものハイカーとすれ違いました。 やがて黒地に白色で「不動山山頂入口」と書かれた標識が左手に立っていました。 その横には大きな杉の木が二本生えていて、その間から山道が高みへと続いています。 赤いテープも巻かれていて目印になります。
不動山 (標高327.7m)
かなり急な山道を2分ほど登っていくと、突如として小さく刈り取られた所に着きます。 ここが不動山の山頂になります。 六本松跡から30分ほどで到着しました。 「不動山327.7m」の標識と三等三角点がありました。 周りは樹木に覆われていて展望は得られません。 そばにある倒木に腰を掛けて休んでいると、後から壮年の4人グループが登ってきました。 そして標識と三角点を入れて記念写真を撮ったら、さっさと降っていきました。 手元の地形図によると、農道からこの不動山へと続く山は曽我山とも呼ぶようです。 山頂の先に細い尾根道が続いていたので試しに歩いてみると、先ほどの鞍部の先にあった分岐に出ました。 今回登った道よりも距離は長いですが傾斜は緩やかで歩きやすい道でした。 踏み跡もしっかりとしていて迷うこともないので、 こちらにも標識を設置しておけばいいのにと思ったりしました。
(後日の2010年7月に来てみると、三角点の頭部はなくなっていました)
先ほどの「不動山山頂入口」の標識のある所まで戻ってその先へと進んでいきます。 1分ほど進んでいくと、樹木が少なくなった所があります。 ここで道が左右に分かれていました。 「梅の里 曽我丘陵日だまりハイキング 六本松跡へ」の看板が今歩いてきた道を指していました。 それ以外には道標は見当たりませんでしたが、正面の植林帯へと続く道を登っていきます。
(左右に通る道は「不動山」を参照)
山を緑に 山火事注意
 (神奈川県)
たき火・たばこに注意
 (神奈川県)
銃猟禁止区域
 (神奈川県)
植林帯に続く広めになった道を2分ほど進んでいくと、樹木が少なくなった小高い所に着きます。 道はこの先へと続いてますが、左手へ分かれていく道があったのでちょっと確かめに行ってみました。
植林帯の中をほんの少し進んでいくと開けた場所に出ました。 ミカン畑のようですが、手前側には植えてなくて、ちょっとした広場のようになっていました。 ミカンの木はまだ背が低かったこともあって、 正面には小田原の街や相模湾などを見渡すことのできる景色が広がっていました。 お昼にはまだ少し早かったのですが、脇に腰を下ろして景色を眺めながらここで昼食タイムにしました。
尾根道に戻ってその先へと進んでいきます。 この辺りから道幅が更に広がって、小型車なら通っていけそうな幅になります。 広くて緩やかな道を5分ほど進んでいくと白い建物がありました。 上には小さなアンテナが沢山設置されていて、壁には「NHK Y-FM」と書かれていました。 何故だか「Y」の字だけが黄色になっていて、何処となく可愛らしい感じがしました。 裏手に回ってみると、「日本放送協会 小田原FM中継放送所」や、 「横浜エフエム放送 小田原FM中継送信所」という銘板が貼ってありました。
古怒田分岐
中継所から更にその先へと進んでいくと、少し広くなった所に車が一台止まっていました。 やはり中継所の辺りまで車で入ってこられるようです。 広くて緩やかな道を6分ほど進んでいくと、少し降り気味になった所に十字路があります。 ちょっとした浅い鞍部になっていて、古怒田地区から曽我地区へと抜ける道が通っているようです。 角にある道標によると、右手の道は「菅原神社」とのことです。 また、仮設看板が「工事迂回路 古怒田方面」として右手の道を、 「工事迂回路 いこいの村方面」として正面の道を示していました。 左手の道は特に何も示されてはいませんでした。 右手の道はすぐ先で二手に分かれているようでしたが、 「いこいの村方面」の看板に従って、正面の道を進んでいきます。 土の道はここで終って、ここからは再び簡易舗装された道になります。
浅間山 (標高317m)
十字路から緩やかな道を2分ほど登っていくと浅間山に着きます。 不動山から30分ほどで到着しました。 山とはいってもなだらかな尾根道になっていて、 道に沿って3つ並んでいる電波塔などがないと、うっかり通り過ぎてしまいそうな感じがします。 最初は左手に「移動無線センターの浅間山無線中継所」、 その次に貯水槽と思われる円筒形の設備を挟んで「神奈川県内広域水道企業団の浅間山無線中継局」、 最後は右手に電波塔がありましたが設備名などは確認できませんでした。 3つ目の電波塔の横を登って建物の裏手に出ると、 江戸時代末期に建てられた「仙元塔」という石柱とその説明板があるようですが、 残念ながら今回はそれに気づかずにやり過ごしてしまいました。
(後日に仙元塔を訪ねました。「曽我丘陵」を参照)
浅間山無線中継局
この設備は皆様の大切な水道を制御するコンピューターのデータ通信をマイクロ電波で中継しています。 昨日に影響しますので、柵内への立入を禁止します。 異状があったら下記へ御知らせ下さい。
 (神奈川県内広域水道企業団浄水部施設課電機係)
古怒田分岐
3つ目の中継所の前で左手に戻るようにして道が分かれていますが、 そのまま真っ直ぐに進んでいくと、程なくしてT字路があります。 角に立つ道標によると、右手の道は「至 中井町古怒田」、 今歩いてきた道は「至 小田原市梅の里」となっています。 また道標「菅原神社」も今きた道を指していました。 この右手の道の先は工事中とのことで、「工事迂回路 古怒田方面」の仮設看板も今きた道を指していました。 浅間山の手前にあった分岐とこの分岐の両方から古怒田方面へ降っていけるようです。 左手の道は何も示されていませんでしたが、左手の少し先に「至 いこいの村」の道標が立っていました。 梅畑の脇を降っていく道も分かれていましたが、道標「至 いこいの村」に従って進んでいきます。
坂道を緩やかに3分ほど降っていくと右手が開けてきて、 丹沢の峰々を一望することができるようになります。 朝方には雲ひとつない晴天でしたが、この頃になると雲がでてきて、 稜線の辺りはぼんやりとしてきました。
簡易舗装された農道を更に進んでいきます。 小さな分岐もあったりしますが、脇道には入らずに真っ直ぐに進んでいきます。 やがて左手が開けてきて、箱根や富士山が望めるようになります。
赤田配水池
左右の景色を眺めながら丘の上の緩やかな道を進んでいくと、 浅間山から15分ほどで赤田配水池があります。 右手にはミカン畑が続いていました。 取れすぎたのか、畑には多くのミカンが捨てられていました。 まだ十分に食べられるとのことですが、もう売れないので捨てるのだと農家の方が言っていました。 何だか勿体無いような気もしますが、 畑の栄養になってまた来年の実りに繋がるからと思うことにしましょう。
明るい雑木林の中に続く広い道を緩やかに降っていくと十字路があります。 ここが地形図に書かれている219.3m峰の辺りかと思われます。 道標などは見当たりませんでしたが、ここを直進していきます。
緩やかに登っていくと、やがて左前方に「いこいの村あしがら」が見えてきます。 左手には冠雪した富士山が大きく見えていました。 左手が斜面になって開けた所があったので、切り株に腰を下ろして、 途中の無人販売所で買ったミカンなどを頬張りながら、最後の眺望を楽しんでいきました。 地図で見ると遠そうに思えましたが、浅間山から20分ほどで来ることができました。
左手には箱根や富士山を、正面から右手には丹沢の山々を眺めながら緩やかに降っていくとT字路があります。 角には石仏が佇んでいて、多くの小石がお供えしてありました。 道標「上大井駅、いこいの村」に従って、ここを左折していきます。 左折していくと、すぐに道が二手に分かれています。 右手へ曲がっていった所に「いこいの村あしがらバス停」があって新松田駅行きのバスの便がありますが、 本数が極めて少ないので、乗るのは余り期待しない方がよさそうです。
 土曜 12:31 15:38 17:09
 日曜 (運休)
いこいの村あしがら
右手には農産物直売所や郷土資料館などがあり、左手の駐車場の先に「いこいの村あしがら」があります。 会議室・レストラン・テニスコート・プールなどがある研修施設で、宿泊することもできるようです。 1階ロビーにはパンフレット類がいくつか置いてあります。
バスに乗るのは諦めて、ここから上大井駅まで歩いていくことにします。 玄関のそばに付近の案内図があるので参考にしましょう。 道標「プール・テニスコート」が指す左手の道を進んでいきます。
林の中に続く広くて緩やかな坂道を8分ほど降っていくと山田配水池の前を過ぎていきます。 道なりに更に降っていくと、右手から細めの道が合流してきます。 角に立つ道標によると「富士見塚5.5km、いこいの村(歩道)1.1km」となってますが、 道標「上大井駅2.1km」に従って、正面の道をそのまま降っていきます。 その少し先で道が二手に分かれていますが、左手に曲がっていく道は見送って、 正面の林の中へと続く道を進んでいきます。
林を抜けていくと「上大井駅1.9km、了義寺0.5km」の道が右手へ分かれていきますが、 道標「上大井駅1.3km(車道)」に従って、そのまま真っ直ぐに進んでいきます。 小さな分岐道もありますが、畑や民家などが続く道を道なりに進んでいきます。 「大巳貴」や「猿田彦」と刻まれた石碑の立つ角を過ぎていくと、 右手へ曲がっていった所に分岐があります。 角に立つ道標「上大井駅1.2km」に従って左折して、田んぼの中に続く道を進んでいきます。 すぐに広めの道に出ますが、角に立つ道標「上大井駅1.1km」に従って左折していきます。 道の左右には田んぼが広がっていて、円錐形に高く積み上げられた藁束が幾つもあったりします。
やがて田んぼが終ると車道に出ます。 道標「上大井駅0.9km」に従って右折して、その先の菊川に架かる大縄橋を渡っていきます。 すぐに車道に突き当たるので、角に立つ道標「上大井駅0.8km」に従って左折して、車道を進んでいきます。 下庭入口バス停の先で左手から道が合流してきますが、 道標「上大井駅0.6km」に従ってそのまま真っ直ぐに進んでいきます。
下庭入口バス停を過ぎていくと、道は緩やかに降るようになります。 4分ほど進んでいくと、道の左手のガードレールが途切れた所があります。 そこから階段状に降っていく広めの土の道が分かれています。 そのまま車道を進んでいってもいいのですが少し遠回りになるので、この道を降っていきます。 右手からきた車道へ降りて左手へと進んでいくと、すぐに県道72号に出ます。 そこを右折していきます。
上大井(かみおおい)駅 (標高35.34m)
角にある上大井駅入口バス停を過ぎていった先にある上大井駅前交差点の信号を左手へ曲がっていくと、 正面に上大井駅(JR御殿場線)があります。 「いこいの村あしがら」から40分ほどで到着しました。
ひょうたん
昭和45年にJR東海(当時は国鉄)御殿場線上大井駅の構内へ駅員が西日除けにとひょうたんを植えたのがきっかけで、 以後上大井駅は『ひょうたん駅』として有名になり、昭和56年の時刻表の表紙も飾りました。 その後、駅構内のひょうたんの管理は地元商店街や町商工振興会に引き継がれ、 ひょうたんまつりの開催など盛り上がりを見せました。
 (出典:大井町ホームページ)
上大井駅開設50周年記念碑
明治22年2月東海道線、上大井を走る
昭和9年12月丹那トンネル開通に伴い御殿場線と改称される
昭和21年8月曽我・金田村長・上中村山田村組合長、上大井駅設置請願を運輸大臣に提出
昭和23年2月運輸政務次官より曽我村長に上大井駅設置の許可が下りる
昭和23年3月上大井駅建設に着手
昭和23年5月上大井駅完成、工事費約百萬円
昭和23年6月上大井駅、開設される
昭和56年8月愛称「ひょうたん駅」と呼ばれる
 (大井町、上大井自治会)