大山南東尾根
散策:2006年02月中旬
【低山ハイク】 大山南東尾根
概 要 大山南東尾根は丹沢大山から見晴台を経て南東方向へと伸びている尾根です。 今回はその麓から北西方向へ向って尾根を登っていきます。 名もないピークを幾つか過ぎて見晴台まで登り、 そこから大山阿夫利神社の下社を経て宿坊街へと降るコースを歩きます。
起 点 伊勢原市 明神前バス停
終 点 伊勢原市 大山ケーブル駅バス停
ルート 明神前バス停…宗源寺…金毘羅大権現…259m峰…326m峰…林道…仁ヶ久保林道…473m峰…日向林道…エボシ山…日向薬師分岐…ふれあいの森分岐…見晴台…二重滝…大山阿夫利神社下社…男坂・女坂分岐…万国忠霊塔…男坂…追分社…追分駅…宿坊街…大山ケーブル駅バス停
所要時間 5時間30分
歩いて... 日向薬師分岐までのルートは一般登山道として整備されている訳ではないので 多少分りにくい部分もありますが、それほど難しいコースではありません。 エボシ山への登り道が少し傾斜がある以外は、それほど苦労することもなく歩いていけます。 関東ふれあいの道に出てからは、広くて快適な尾根道が続くようになります。
関連メモ 大山参り蓑毛のみち, 聖峰, 丹沢大山
コース紹介
明神前(みょうじんまえ)バス停
伊勢原駅(小田急小田原線)の北口から、[伊10]大山ケーブル駅行きバス,または, [伊12]大山駅行きバスにて15分、1時間に3本程度の便があります。
明神前…
明神前というバス停の名前は、このすぐ先にある比々多神社が 「子易明神」と呼ばれていることに由来するように思われます。
比々多神社
バス停の前の道祖神に手を合せてから、県道611号をその先へと100mほど進んでいくと、 正面右手に比々多神社の鳥居が立っています。 「安産守護 比々多神社」と刻まれた石柱を見ながら鳥居をくぐっていくと、 短い石段の先に比々多神社の本殿があります。 境内にはケヤキの老大木もあって古い歴史のある神社のようです。 これからの散策の安全をお祈りしていきましょう。
比々多神社…
この神社の南方1.5kmほどの所に「三之宮比々多神社」という名前の神社があります。 この神社と同じ「比々多神社」と云うのですが由緒も違うし、 祭神も「豊国主尊、天明玉命、雅日霊命、日本武命、大酒解神、小酒解神」となっていて違っています。 たまたま名前が同じというだけで無関係な神社なのでしょうか、 それともどこかで関連があるのでしょうか。
子易明神 比比多神社由緒
鎮座地 伊勢原市上粕屋字子易一七六三番地一
御祭神 神吾田鹿葦津姫命 又の御名 木花咲耶姫命
例大祭 七月十五日
御神徳 「天平の頃、当国守護の任にありし染谷太郎時忠(藤原鎌足の玄孫で関東総追捕使)が 当国安土・小宝を願い勧請す。 後、その内室懐胎に及び、信仰益々篤くひたすら安産の祈祷奉るに忽ち霊験現る。 依って、社頭以下設備怠りなく造営す。」と伝う。 後に醍醐天皇の勅願所となり、神階・御告文その他旧記等宝殿に蔵せられしが、 天正18年小田原落城の折り惜しくも亡失す。 爾来神号を「易産大明神」又は「子易明神」として称え、 朝野の別なく尊信極めて篤く安産守護神として崇敬される。
御社殿 創立年月不詳 ただ天平年間とのみ。 以後、寛文2年修築、神官鵜川権太夫直積代。 享保2年再建(現在の社殿、工匠は荻野の宮大工)神官従五位下行鵜川大隅守藤原朝臣直賢代。
御神木 欅の老樹一株、椰(なぎ)一株、共に市指定保存木。 当神社の肌守には椰の葉が入っている。
向拝の柱 往年より参拝者が子宝安産の符として削り持ち帰ったため細りしもので、現在の柱は三代目と言う。 現在は社殿保持のため削るのを禁止、神供米を配布。
底抜柄杓 妊婦が安産を祈願し納めしもの
美人図絵馬 歌川国経筆、享和2年12月吉日、荻野住人神崎氏等三名納。 昭和35年11月4日付、県指定重要文化財
解除の次第と祝詞 国学の四大人の一人、伏見稲荷の神官荷田宿弥信満が宝永4年、 その門人鵜川直積に与えしもので、貴重な文献である。
謹言
当神社に御参拝下さる皆様方に謹んで申し上げます。 御祭神は大山阿夫利神社のご祭神大山祇の命の御娘ご天孫瓊瓊杵命の妃木花咲耶姫の命様です。 境内の欅の老樹(御神木)に起縁の昔が偲ばれると思います。 子宝を授け安産をお守り下さる神様子易明神として昔より信仰篤く、 大山の往きに帰りにと数多の人々の御参拝が続いて居ります。 向拝の左右の欅柱の細った姿拝殿内の古い絵馬、天井に張られた信者札等、 心願の多いことがうかがわれます。 而し勿ら当神社をお守りする氏子数は少なく、神社の修復には苦慮して参りました。 篤志者の寄進竝に数多の御参拝者のお賽銭の累積と合せ、 昭和59年より屋根銅板葺替工事に着手し、昭和63年をもちまして完了致しました。 慈に改めて参拝の皆様方に氏子一同深く感謝申し上げます。敬白。
 (子易明神比比多神社宮司、氏子一同)
宗源寺
比々多神社の社殿の左手から奥へと進み、鳥居をくぐって短い石段を登るとT字路があります。 「曹洞宗宗源寺入口」の看板に従って右手へ曲がって坂道を登っていきます。 民家が途切れて畑地を両側に見ながら進んでいくと、こんもりとした山の手前で道が二手に分かれています。 右手へ行くと企業の立派なセミナーハウスが建っていますが、 左手へと曲がりながら登っていく坂道を進んでいきます。 祠に納められたお地蔵さんを見ながら坂道を登っていくと、右手に石段が現れます。 その石段を登っていくと宗源寺があります。 境内には円錐形に沢山の地蔵を積み上げた「無縁塔」がありました。 赤い前掛けをした六地蔵や、可愛い小僧さん達のいる「わらべの庭」というのもありました。
招實山 宗源寺
天にも地にも仏あり あなたの心の中にも…
宗源寺の本堂の左手から続くコンクリート舗装の道を進んでいくと、 すぐに道が二手に分かれています。 上の方へ登っていく坂道を見送って、左手へ曲がる道へ入っていきます。 左右に墓地を見ながら真っ直ぐに山へ向って進んでいきます。 前方に見えている山は、これから向う小ピークのようです。 ここから北西方向に丹沢大山の頂上まで尾根が続いています。 何という名前の尾根なのかは分りませんが「大山南東尾根」と呼ぶことにしました。 今回はその尾根を通って見晴台まで登り、そこから大山阿夫利神社の下社へと向っていきます。
墓地の端まで行って山際に着くと登り坂になってきます。 大きく右へ曲がりながら登っていくと、コンクリート舗装が終って土の山道になってきます。 ほどなくすると鹿避け柵が右手に続くようになります。 柵沿いに進んでいくとすぐに道が二手に分かれています。 「秦浜線17号に至る」の黄色い標柱が左手の道を指していますが、 右手にある鹿避け柵の扉を開けてその先へと進んでいきます。 扉は畳の縁に使われていたと思われる硬い生地の紐で縛られていました。 開けたらまた閉めておきましょう。
お願い
この柵は有害鳥獣(鹿、猪等)の被害対策用の柵です。 開けたら必ず扉を閉めて縛って下さい。
 (地元鹿柵管理組合)
山道を1分ほど登っていくと細い竹の林を抜けていきます。 道の上には落葉がかなり積もっていて分りにくくなっている所もあるので、踏み跡を見失わないようにしましょう。 逆S字に曲がりながら3分ほど登っていくと十字路があります。 細い道が左手へ降っていき、正面の高みに向っても広めの坂道が続いています。 上の方には赤い鳥居も見えていますが、右手に続くしっかりとした道を登っていきます。 雑木林から植林帯へと入っていくと、先ほどの十字路から2分ほどで分岐があります。 祠などに使われていたものでしょうか、そばには壊れた小さな屋根が落ちていました。 山頂へは右手へ進んでいくのですが、左手のすぐ先に祠があるので往復してきましょう。
金毘羅大権現
分岐から10mほど登っていくと平らになった場所に着きます。 小さな祠や先ほどの十字路から見えていた赤い鳥居が建っていました。 石碑や祠に掲げらた扁額によると金毘羅大権現というようですが、 どういう謂れの社なのかは分りませんでした。 鳥居の正面には先ほどの十字路から真っ直ぐに広めの道が登ってきていました。 どうやらこの急坂が参道のようですが、落葉が積もっていて滑りやすそうな状況でした。
259m峰
先ほどの分岐まで引き返してその先へと登っていきます。 植林帯から雑木林へと変わる山道を4分ほど登っていくと、左右に通る尾根道に出ます。 ルートは右手へと尾根道を進んでいくのですが、左手すぐの所に三角点があるので往復してきましょう。 尾根道を1分ほど進んでいくと、大きな木が生えて小高くなった所に着きます。 この先すぐの所に四等三角点があります。 場所を示す標識等は見当たりませんでしたが、ここが地形図に書かれた258.9m峰なのだと思われます。 周りは樹木に覆われていて展望は得られません。
259m峰の先へも尾根道が伸びているようで、そのまま里へと降っていく雰囲気もありましたが、 先ほどの所まで引き返して、その先へと尾根道を進んでいきます。 歩きやすくなった尾根道を進んでいくと、大きな木を過ぎた所に短いTVアンテナが立っていました。 雑木の間からは、右手には伊勢原など街並みが広がり、 左手には大山とこれから向う大山南東尾根の稜線が見えるようになります。
326m峰
緩やかな尾根道を進んでいくと、259m峰から8分ほどで正面が盛り上がってきます。 尾根道はその小ピークを巻くように左手へと続いています。 はっきりとした道はありませんがその高みへと植林帯を登っていくと小ピークに着きます。 場所を示す標識等は見当たりませんでしたが、ここが地形図に書かれた326m峰なのだと思われます。 ここも周りは樹木に覆われていて展望はあまり良くありませんが、樹木越しに街並みが広がっていました。
林道
小ピークから尾根道に戻ってその先へと進んでいきます。 植林帯に続く尾根道を2分ほど進んで少し登っていくと林道に出ます。 この林道の名前はよく分りませんでした。 手元の地形図によると、U字形に曲がったこの辺りから山道が続いているはずなのだがと左右を伺っていると、 林道に出た左手すぐの辺りからススキの間を登っていく細い山道がありました。 このまま林道を左手へ進んでいってもいいのですが、せっかくなのでこの山道を登っていくことにしました。
枯れススキの生い茂る植林帯を登っていくと、右手の樹木が途切れて見晴らしのいい所がありました。 しばらく眺めを楽しんでいきましょう。
展望を楽しんだら植林帯に続く山道を更に登っていきます。 5分ほど登っていくと小ピークに着きます。 そこから少し降るようになると熊笹の生い茂った所を過ぎていきます。 再び軽い登り道を進んでいくと、左手には大山とその周辺の山稜が広がるようになります。 少し降るようになると、山道に入ってから15分ほどで先ほどの林道に降り立ちます。
仁ヶ久保林道
林道に降りてその先へと緩やかに登っていくと、3分ほどで広めの林道に出ます。 辺りには説明板などは見当たりませんでしたが、 この先の方にあった保安林区域図によると、この林道は「仁ヶ久保林道」というようです。 車止めのゲートが左脇にありましたが、今ではあまり使われていないような感じでした。 左手の奥の方には大山が頭を覗かせていますが、この林道を右手へと進んでいきます。
「落石注意」や「10%勾配」の標識を見ながら仁ヶ久保林道を右手へと6分ほど進んでいくと、右手の視界が開けてきます。 遠くの方が霞んではいたものの、相模平野の向こうには相模湾までも見えていました。 形からすると江の島なのでしょうか、細い砂洲で陸続きになった島も見えていました。 相模湾にある陸続きの島と云えば江の島くらいしか思い浮かばないので、たぶん江の島なのだろうと思われます。
473m峰
伊勢原市消防署の設置した「山火事注意 通報番号42」の標識のある辺りで、 林道は大きく左手へと曲がっていきます。 正面にはこんもりとした山が迫ってきます。 地形図に載っている472.5m峰だと思われます。 三角点があるとのことなので頂上まで登ってみたい気持ちもしますが、 林道を通すために削り取られて崖のようになった所が続いていて、 とても登っていけるような感じではありませんでした。 右手の奥には大山が聳え、その右手には尾根が続いていました。 日向山へと続く梅ノ木尾根やその奥にある尾根のようでした。
小ピークを回り込むようにして続く林道を進んで 「山火事注意 通報番号43」の標識を過ぎていくと、左手の視界が開けてきます。 大山から左手の海の方へ向って伸びる稜線が見渡せます。 浅間山を経て高取山や念仏山へと続く尾根だと思われます。 稜線には電波塔やアンテナと思われる鉄塔が点々と続いていました。
「山火事注意 通報番号44」や「10.5%勾配」の標識を過ぎていきます。 右手に続く削り取られた崖が一旦低くなって再び高くなっていく所に、 道幅が少し広がった退避地点があります。 「退避場所」の標識の立つ道向かいの崖面に細い階段が続いていました。 手元の地形図と見比べると、どうやら林道と並行するようにして続く尾根道のようです。 このまま林道を進んでいってもいいのですが、今回はこの階段を登って山道を歩いていくことにしました。
階段を登り切って左手へと尾根を登っていきます。 最初は幅の狭い急坂ですが1分ほどで緩やかになり、道幅も広がってきます。 振り返ると先ほどの473m峰から続く尾根が見えています。 こうして眺めると、林道を造る前にはこの稜線に尾根道が続いていたものと思われますが、 林道建設によって通れなくなってしまったようです。
広くて緩やかになった道が植林帯の中に続いています。 道の両脇には自動車の轍の跡が付いていました。 しばらく進んでいくと林業関係の車が1台止まっていました。 どうやら自動車が入ってこられる道のようで、傾斜も緩やかでとても快適に歩いていけます。
快適な尾根道が10分ほどで終わりになると、再び林道に降り立ちます。 正面に見えている山が、これから登るエボシ山になります。 左手には相模平野へと続く山並みが広がっていました。 林道に降りた所に「保安林区域図」があります。 その図によると、これまで続いてきた林道は仁ヶ久保林道で、 この先すぐの所で日向林道に出るようです。
保安林区域図
この区域は森林がもっているいろいろな働らきを守るため、保安林に指定されています。 保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県湘南地区農政事務所森林保全課)
日向林道
仁ヶ久保林道に降りてその先へほんの少し進んでいくと日向林道に突き当たります。 車止めのゲートの脇から日向林道へと入っていきます。 手元の地形図にはこの辺りからエボシ山へ登る道があるように書かれていますが、 左右を伺ってみても崖が続いているばかりで、それらしい道は見つけられませんでした。 仕方がないので南側のルートから登っていくことにして、日向林道を左手へと進んでいきます。
許可車両以外通行禁止
(林道の通行には許可が必要となります)
この林道は、林業経営のためにつくられたものです。 一般道路とは異なり、急カーブや落石の危険がありますので、 許可車両以外の通行を禁止致します。 なお、許可車両は次の事項を守り、通行願います。
1.制限速度 20km/h以下
2.制限重量 14t以下
3.台風、集中豪雨、地震、積雪、路面凍結時通行禁止
 (日向林道管理者 神奈川県償還地区農政事務所長、伊勢原警察署長)
「日向林道 起点から2km」の標識を過ぎていきます。 左手にはこれまで歩いてきた尾根が続いているのが見渡せます。 なだらかな林道を進んでいくと、右手に続く崖が次第に低くなってきます。 笹竹の生える所を過ぎていくと、二つ目の山ヒダの辺りで道路と同じほどの高さにまで下がってきます。 「山火事注意 通報番号11」の標識や防火用水の設置された所までくると、 右手の斜面に僅かな登り道がありました。 あまりはっきりとした道ではありませんが、そこから尾根へと登っていくことにしました。
緑は友だち 山火事注意
自然を守りましょう。
 (森林国営保険、神奈川県)
植林帯の中を2分ほど登っていくと、右手から鹿避け柵が現れ、直角に曲がって上の方へと伸びています。 その柵沿いに急斜面を真っ直ぐに登っていきます。 踏み跡が僅かにある程度で余りはっきりとした道ではありませんが、 柵から離れないようにして上へ上へと登っていけば迷うようなことはありません。 やがて植林帯が遠退いて雑木林になります。 大きなモミの木の下を過ぎていくと、樹木が少なくなった所があります。
エボシ山 (標高653m)
ひと呼吸入れたら、その先の植林帯へと入っていきます。 次第に踏み跡がしっかりとしてきて傾斜も緩やかになってくると、 林道から18分ほどで、四等三角点のある小ピークに着きます。 ここにも場所を示す標識等は見当たりませんでしたが、ここが地形図に書かれた653.4m峰なのだと思われます。 地形図には名前は記載されていませんが、Webサイトなどを見ると「エボシ山」と呼ぶようです。 傍には神奈川県造林公社の「山火防止」と書かれた標識も立っていました。 周りは樹木に覆われていて展望は得られませんが、 急坂を登ってきて息も切れたので、ここでひと休みしていきましょう。 お昼にはまだ少し時間があったので、この先の見晴台まで行ってから昼食にすることにしました。
疲れが取れたところで、その先へと進んでいきます。 根元から枝別れした潅木の生えた所を過ぎて緩やかに降っていきます。 熊笹の生い茂る所を抜けていくと植林帯へと入っていきます。 エボシ山から4分ほど進んでいくと、右手の樹木が途切れて見晴らしのいい場所がありました。 大山から東側へと続く山稜が続いているのが見渡せました。 奥の方には三つの尖った山が並んだ特徴的な姿をした大山三峰山も頭を覗かせていました。
日向薬師分岐
浅い鞍部を過ぎていくと緩やかに登るようになります。 樹木の途切れた所から伊勢原などの街並みを眺めながら進んでいくと、 エボシ山から15分ほどで、「山火事注意 通報番号4」の標識の立つ分岐に着きます。 正面には赤い帽子と前掛けをした大きなお地蔵さんが立っています。 右手の先に道標が立っていて、 右手の道は「日向薬師1時間25分」、左手の道は「大山1時間25分」となっています。 右手の道は九十九曲から「日向ふれあい学習センター」へと降っていく道です。 左右に続くこの道は関東ふれあいの道「大山参り蓑毛のみち」の一部にもなっています。 道標「大山1時間25分」に従って、お地蔵さんの右手から続く道を進んでいきます。
山歩く 心にいつも 火の用心
山火事注意。
 (神奈川県)
ふれあいの森分岐
しっかりとして歩きやすくなった道を進んでいきます。 歩き始めてすぐの所に関東ふれあいの道の里程標があります。 それによると「日向3.5km、蓑毛5.2km」となっています。 里程標を過ぎて2分ほど進んでいくと分岐があります。 角に立つ道標によると、右手に分かれていく道は「ふれあいの森 日向キャンプ場」、 正面の尾根に続く道は「関東ふれあいの道 見晴台・蓑毛」となっています。 また「ふれあいの森 つづら坂」という道標も右手の道を指していました。 ここはそのまま正面の尾根道を進んでいきます。
道幅もあって緩やかな尾根道を快適に進んでいきます。 人気のあるコースとあって、多くのハイカーとすれ違いました。 日陰になった所では、道に霜柱が続いていました。 その上を踏んで歩くとサクサクサクと心地よい音をたてていました。
日向薬師分岐から10分ほど進んで少し登るようになってくると、左手が開けて見晴らしのいい場所があります。 柵越しにはなりますが、大山から南へと続く尾根が一望できました。 前方の下には大山阿夫利神社の下社が見えていました。 やがて横木の階段が現れますが、 横幅が広くて段差もそれ程はないので、あまり苦労することもなく登っていけます。
見晴台 (標高769m)
横木の階段が終ると平らになった見晴台に着きます。 エボシ山から35分ほどで到着しました。 東屋の先にテーブルやベンチが幾つも設置されています。 東屋の脇には「山岳安全」と刻まれた石碑が建っています。 丁度昼時になったので、ベンチに腰をかけて昼食タイムにしました。
山岳安全
平成4年11月1日午後2時20分に発生した落雷により、この地で藤沢市の利根歓三氏が死亡、 多数のハイカーが負傷しました。 ここに故人の冥福を祈り、山岳安全を願っていしぶみとする。
 (伊勢原市観光協会)
見晴台の正面には丹沢大山の山頂が聳えています。 手前のススキが少し邪魔をしていますが、右手には梅ノ木尾根や伊勢原の街並みが広がっています。 大山三峰山も頭を覗かせていました。
山火事に注意しましょう
山林内でのたき火やたばこのなげ捨ては火事のもとです。 ご注意下さい。 緑の山をみんなで守りましょう。
 (神奈川県、伊勢原市)
あきかんは「もちかえろうね」があいことば
 (伊勢原ライオンズクラブ)
見晴台で道が二手に分かれています。 そばにある道標によると、正面の尾根道は「大山山頂2.25km」、 東屋の左手から続く道は「関東ふれあいの道、下社1.4km・蓑毛4.5km」となっています。 また、今歩いてきた道は「関東ふれあいの道、日向薬師4.2km」となっています。 今回はここから大山阿夫利神社の下社へと向っていきます。 道標「下社30分」が植林帯に続く山道を指しています。 「森林整備工事中 通行注意」の看板が立っていました。 昨年12月から今年3月末までの期間、台風などで荒れてしまった下社までの道の工事が進められているようです。
(後日に正面の道を歩きました。「丹沢大山」を参照)
この先、落石や滑落に十分注意してください
特に冬期は降雪、凍結により道が滑りやすいので、お子様連れ・高齢者・軽装の方は歩行に気をつけてください。 この道は、天然記念物のモミ原生林の自然に親しむ探勝歩道として整備したものです。 途中には急斜面や道幅の狭いところがありますが、 自然景観をまもるために柵などの施設整備は最小限にとどめてあります。
 (神奈川県自然環境保全センター、伊勢原市)
植林帯の中に続く緩やかな道を5分ほど進んでいくと雑木林へと変わっていきます。 「落石注意」の標識を過ぎていくと、谷側には鉄輪に通された真新しい鎖が続くようになります。 過日の台風の影響なのか、大木が根こそぎ倒れていたりします。 崖崩れの箇所もあったりしてかなり荒れていたようですが、復旧作業がかなり進んでいるようでした。 まだ崖崩れの箇所も残ってはいましたが、それほど苦労することもなく歩いていくことができました。 「山火事注意 通報番号16」の標識を過ぎていくと、右手に短い石段があります。 その先には巨大な木が聳えていました。
天然林育成事業地
大山(モミ・ブナ)林の減少を守る目的の為、幼木及び苗木の育成研究を人工的に保育育成する施業地です。 健康的山づくりにご協力下さい。
 (伊勢原市、伊勢原市林業組合)
この先、滑落注意
この先には急斜面や狭いところがあります。 十分注意してください。 登山装備していない方の通行は危険です。
二重滝
やがてジグザグに降るようになります。 道が緩やかになってくると、見晴台から20分ほどで二重滝に着きます。 過日の台風の影響なのか、それとも復旧工事のため一時的に流れが変えられているのでしょうか、 この時には滝からは水がまったく流れ落ちてはいませんでした。 二重滝のあるこの沢は南沢と呼ぶようです。
ここは鳥やシカなどの動物たちを保ごしている場所です。 皆さんもかわいがってください。
 (神奈川県)
滝のそばには二重社があり、「二重社 八大龍王」と書かれた赤い幟が沢山立てられていました。
二重社について
二重社は阿夫利神社の摂社で、高おかみ神が奉祀されております。 御祭神は殖産、灌漑、雨乞いの守護神で、霊験のあらたかさは、 よく知られているところであります。特に万物の生命の根源である「水」を つかさどり、俗に龍神にもたとえられて、広く根強い信仰と崇敬が集められています。 真摯なる祈りを捧ぐとき神威炳乎(輝やくの意)諸願は成就すと言われております。
二重の瀧
大山川の源流をなし、大自然の巨岩が二段にわかれ、上段の断崖(ハケ)より突如として 湧水し水場(ヤツボ)を形成、二段の岩壁に流れ出ずる所により二重の瀧と 言われております。神聖にして清浄なる所から浄めの瀧とも呼ばれ、 修験者の契の行場でありました。 又、江戸時代には、新年早々大工、鳶、左官職等の代表者が数日間下社に篭り、 二重の瀧に打たれ、心身を浄めてその年の賃金を決議したといわれています。
呪いの杉
震災前までは、二重の瀧つぼのほとりに、樹齢千年をこす老杉がありました。 この杉は、呪いの杉とよばれ、神秘的棲槍の伝説が伝えられております。 毎夜「丑の刻」に参り、呪いの相手を形どった人形を杉の木に うちつけて呪いをはらしたといわれておりますが、現在は参道、道下の 二本の杉がその面影を伝えております。
 (大山阿夫利神社)
南沢に架かる二重滝橋を渡ってその先へと進んでいきます。 一旦は途切れた鉄輪通しの鎖が再び続くようになりますが、それほど危険という感じではありませんでした。 この辺りは「かながわの美林50選 大山のモミ林」や「かながわの探鳥地50選 大山」として選ばれているようです。
神奈川県指定天然記念物 大山の原生林
大山の南東斜面一帯には、針葉樹のモミを中心として下部 (雷山・標高340m付近)は、アラカシ、ウラジロガシ、アカガシなど 常緑のカシ林の構成を含み、上部(天下一・標高800m付近)は、 ツガヤブナ林の構成を含む連続した原生林が見られる。 自然のモミ林は、よほど地形のきびしい尾根や急斜面をのぞけば 完全な純林を形成しないので、常緑広葉樹林のカシ林から 夏緑広葉樹林のブナ林への移行帯付近に不連続的に分布し、森林を形成する。 ここでは、その典型的なモミの原生林として対比することができ、 県下では大山付近に限られて自生しており、学術上からも、大山の景観上からも価値が高い。 植物や植物の群落は、自然性のものであればあるほどわずかな人間の手が 加わっても影響を受けやすいので、この地域においては厳正な保護が必要である。 この天然記念物は神奈川県文化財保護条例により指定したものであります。 みだりに現状を変更して滅失、損壊、滅亡、その他保存に影響を及ぼす行為は 禁止されております。
 (神奈川県教育委員会)
小さな沢筋を過ぎ石垣が積まれた所を過ぎていくと、次第に道幅が広がって歩きやすくなってきます。 赤い鳥居と小さな祠を過ぎていくと右手に石段があります。 角に立つ道標「関東ふれあいの道、大山山頂・ケーブル駅」がこの階段を指しています。 正面に続く平坦な道は特に何も示されてはいませんが、 男坂や女坂を経て麓の追分へと降っていく近道になります。 今回は石段を登って下社を訪ねてから下山することにしました。
登山者の皆様へ!!
最近、登山者の事故が多発しております。 左記事項を守り、安全登山にご協力ください。
・体調・装備等、登山計画を万全にする。
・時間に余裕を持って登山する。(午後3時以降は中止する)
・単独登山はしない。
・登山道以外、通行しない。
・落石・崩落等に充分注意してください。
※万一の場合、山中はケイタイ電話も送受信できない場所が多いので、 連絡・救援にも相当な時間を要します。 安全確保には各自の責任において対処願います。
 (伊勢原警察署、伊勢原市消防署、大山阿夫利神社)
大山阿夫利神社下社
石段を登っていくと飲食店が建ち並ぶ広場に出ます。 そこから右手に続く幅の広い階段を登っていくと大山阿夫利神社の下社に着きます。 二重滝から10分ほどで到着しました。 振り返ると、眼下には相模平野から相模湾へと続く景色が広がっています。 左手には三浦半島や江の島が、右手には大島や箱根連山などが眺められます。
大山阿夫利神社下社
祭神は、開運の大山祗神・雨を司る雷神・高おかみ(竜神)の三神のほかに、 航海の神、鳥石楠船神も祀られています。 いずれも山そのものを御神体とする古い土着の神々で、その原形は4000年程前の 縄文期にさかのぼるといわれます。 大山山頂に本社、中腹に下社があります。 四季を通じて参詣客が多く、白装束に身を固め、六根清浄の杖をついた人も見られたりします。 山頂からの眺めはすばらしく、相模野を眼下に房総半島、伊豆半島、大島も 見渡せ、「かながわの景勝50選」に選ばれています。
大山阿夫利神社の御祭神
当神社は海抜1,252mの山頂に本社があり、現在地の下社御拝殿は700mに 位置し、古くより信仰活動の中心霊場であります。 神仏習合時代には石尊大権現とも称せられ、堂塔は善美を尽くし、 その威容と盛観を誇った社殿でありましたが、安政元年12月晦日と明くる正月2日 再度にわたる山火事により一切を烏有に帰し取敢えず仮殿が再建されました。 昭和33年に至り、時の内務大臣男爵末松謙澄の認可を得て下社御造営事業が 着手されましたが、諸般の事情から本殿のみが装いを新たにいたし、 遂に御拝殿は手がつかぬまま大正12年の関東大震災の厄に遭遇、 幸いにして倒壊は免れましたのでその災害の応急的修復をして今日に至りました。 昭和48年講社崇敬者の熱誠により御造営奉賛会が設立され、五ヵ年の継続事業として 御拝殿の建設が着手されました。昭和52年10月オイルショックと呼ばれる経済界の 一大難局をのりこえ、崇敬者の浄財が結集され、明治以来の悲願は見事に達成、 荘重優雅な流れ造り形式の社殿として清楚端麗、昔日の面影をしのぶ近代建築を 以て竣工を見たものであります。 山嶽幽遂の中、新拝殿は神気が満ち自ら身のひきしまるを覚えます。 皆様本日は遥々とよくご参拝下さいました。どうぞ俗界をはなれた当社の 境域より霊気と共に相模平野を一望し、遠く房総、伊豆七島の雄大な展望を十二分に後満喫下さい。 ご一家の無事息災、ご家内の安全繁栄をお祈りいたします。
大山阿夫利神社
大山は、またの名を「あふり山」という。 あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすのでこの名が起こったといわれる。 標高は1251.7mで、関東平野にのぞんで突出している雄大な山容は、丹沢山塊東端の独立峰となっている。 阿夫利神社は、古代からこのあたりに住む人達の心のよりどころとなり、 国御岳(国の護りの山)・神の山としてあがめられてきた。 山野の幸をつかさどる水の神・山の神として、また、海上からは 羅針盤をつとめる海洋の守り神、さらには、大漁の神として 信仰をあつめると共に、庶民信仰の中心として、今日に及んでいる。 山頂からは、祭りに使ったと考えられる縄文時代(紀元前約1,000年頃)の 土器片が多く出土していて、信仰の古さを物語っている。 仏教が伝来すると神仏習合の山となり、阿夫利神社は延喜式内社として、 国幣の社となった。武家が政治をとるようになると、代々の将軍たちは、 開運の神として武運の長久を祈った。 引目祭・筒粥祭・雨乞い・納め太刀・節分祭・山開きなど、 古い信仰と伝統にまもられた神事や、神に捧げられる神楽舞・神事能・狂言などが、 昔のままに伝承されている。 全山が四季おりおり美しい緑や紅葉におおわれ、神の山にふさわしい風情で、 山頂からの眺望もすばらしい。都市に近いため、多くの人達に親しまれ、 常に参詣する人の姿が絶えない。
 (伊勢原ライオンズクラブ)
大山名水
社殿の右手にある御祈祷受付所の右下に「大山名水入口」の看板が架かっています。 「御本殿巡拝道」とのことで、神泉・お燈明奉献殿・願かけ絵馬殿・双体道祖神・おみくじ殿などがあります。 「ご自由にお入り下さい」と書かれているので入ってみましょう。 社殿の下を半周するようにして通路が続いていて、その一角に大山名水があります。 柄杓も置いてあって「飲用出来ます」とのことなので、 龍の口から流れ出ている水を汲んで飲んでみました。 冷たくて美味しい水でした。
大山名水 神泉
清き明き直さを象徴する神の恵の泉で、湧き出るお水は山内只一ヶ所の貴重な水源より引水いたしました。 最も清らかな尊いお水です。 水は萬物の生々発展の原動力であります。 殖産の泉、長命延寿の泉として御愛用下さい。
神泉について
飲用又はお持帰りは龍の口からの「神水」をご利用下さい。
男坂・女坂分岐
下社の左手から蓑毛へ降る道や大山山頂へ登る道がありますが、 今回はこのまま麓の追分まで降っていきます。 ケーブルカー乗り場への道を見送って正面の階段を降っていくと、男坂と女坂の分岐があります。 角に立つ道標によると、右手に降っていく道は「女坂、大山寺15分・追分30分」、 正面の道は「男坂、追分20分」となっています。 男坂には電灯がないので暗くなったら女坂をあるいた方がいい旨の看板も立っていますが、 まだまだ陽は高いので、今回は男坂を降っていくことにしました。
注意
男坂には電灯がありませんので、暗くなったら女坂を歩きましょう。
注意
暗くなりますが男坂は危険ですので、必ず女坂をご利用下さい。
 (伊勢原市、伊勢原警察署)
万国忠霊塔
男坂への道を少し進んでいくと、東屋やベンチが設置された小広くなった場所があります。 そこの小高くなった所に万国忠霊塔があります。
万国忠霊塔の由来
この万国忠霊塔は、世界のすべての国の遠い昔から今に至るまで、 その国のために忠節を尽くしてたおれていった勇士の霊を慰めようとはかって来た大日入来不動明が、 皆様の理解あるご支援と絶大なるご協力により建立したものであります。
 (大日入来不動明)
御鎮座35周年を祈念し、菊水の金銀箔押しの大修理と境内整備、休憩舎の新設、成る。
 (七曜会理事長)
男坂
万国忠霊塔の先から男坂が始まります。 四角い石段だけではなくて自然の岩を削って平らにした箇所もあったりします。 かなりの傾斜がある上に石段の奥行きが狭い所もあったりして、かなり歩きにくい思いをしながら降っていきます。 確かに日が暮れると歩くのは危ないように思われます。 所々で少し平らになった所もありますが、概ねは急な降り階段が続いています。 二箇所ほどにある鉄製の階段では、石段と比べてとても歩きやすく感じたりします。
追分社
男坂を16分ほど降っていくと、正面に緑色の金網が現れます。 金網に沿って右手へと降っていくと追分社の境内に降り立ちます。 扁額には「追分社 八意思兼神社」と記されていました。 これで山道は終わりになります。 無事に下山できたことを報告していきましょう。 右手からくる女坂を合わせた所に道標が立っています。 「らくらく女坂、下社40分・大山寺15分」と「きつ〜い男坂、下社35分」となっています。 女坂は「らくらく」とはなっていますが、以前登った時には結構息が切れた記憶があります。 男坂は文字通り「きつい」登りになりそうです。
追分駅
階段の先の竹林を過ぎていきます。 民家の先の階段の途中に、大山ケーブルカーの追分駅へ行く道が分かれています。 角には大きな「大山ハイキングマップ」があり、追分駅から大山山頂までのルートが図示されていました。 分岐の左手すぐの所に追分駅があります。 9:00〜16:30まで、約20分間隔で運行されています。 所要時間は、大山寺までは3分で、下社までは更に3分とのことです。 駅舎の前には小振りの根之元神社もあったりします。
「追分駅」は、2008年10月に「大山ケーブル駅」に改称されています。
根之元神社の由来
御祭神 磐折神(イワサクノカミ)、根折神(ネサクノカミ)、石筒之男神(イワツツイオノカミ)
古事記によると、伊邪那美命(イザナミノミコト)が火迦具土神(ヒノカグツチノカミ)の災難により、 この世を去られた時、その夫、伊邪那岐命(イザナギノミコト)は火迦具土神をお切りになりました。 その御佩刀(ミハカセ)の先より生まれられたのが、当神社に祭られる三神です。 悪縁・邪念を断ち切る、開運・病魔退散のご神徳あらたかと、広く崇敬されております。
 (坂本町鎮守社世話人)
宿坊街
追分駅から引き返して鈴川に架かる雲井橋を渡り、物産店や食事処などが建ち並ぶ宿坊街を降っていきます。 とうふ料理・いのしし鍋・こま煎餅といった名物などが商われていました。 TV番組の「くいしん坊万歳」で紹介されたというお店もあったりします。 道の各所には独楽の絵が書いてあり、「コマ参道」とも呼ばれているようです。 独楽の絵は幾つめの踊り場なのかを示しているとのことです。
コマ参道
大小のコマの絵が踊り場の数を示している。 この参道脇にはコマを挽く「木地師」の店が並んでいる。
 (大山観光青年専業者研究会)
大山こまを数えながら歩こう
大山の代表的なみやげ物「大山こま」をデザインしたタイルが、ここから大山ケーブル追分駅までの 各石段の踊り場27段にあります。
【こまの数え方】
大きい独楽が10の数を表し、以下、小さな独楽一個が1、二個が2、三個が3の数を表しています。 たとえば、「大きい独楽・小さな独楽二個・小さな独楽三個」は、大山モータプールから15段目の踊り場を示しています。 踊り場は、全部で27段ありますので、皆さんもこのタイルの大山こまの数を数えながら歩いてみてください。 どうぞ、お帰りに大山こまをお求めください。
 (伊勢原市)
香りの街道
歴史と自然に満ちあふれた大山に、また一つ新しい魅力が加わりました。 大山参道の四季折々の香りをお楽しみ下さい。 いつ訪れても、花の香りが皆様をお迎えいたします。 思い出のひとつとしてこの香りをお持ち帰りください。
今まで植えた植物名:じんちょうげ(沈丁花)、やまゆり(山百合)、きんもくせい(金木犀)
 (大山観光青年専業者研究会)
大山ケーブル駅(おおやまけーぶるえき)バス停
宿坊街が終って鈴川沿いに道なりに降っていくと、 正面のロータリーの所に大山ケーブル駅バス停があります。
伊勢原駅(小田急小田原線)まで、[伊10][伊17]伊勢原駅行きバスにて28分、 1時間に3本程度の便があります。
「大山ケーブル駅」バス停は、2008年10月に「大山ケーブル」バス停に改称されています。
かながわ古道五十選 大山宿坊街
昔、関東各地から大山参り石尊詣の人々がわらじを踏みしめた古道は、 その一端が大山に通じるものは皆大山街道と呼ばれた。 平成6年の「かながわ古道五十選」には大山道が七ヶ所も選ばれ、 そのどれもが合流するのが阿夫利神社大山寺の門前町「大山道宿坊街付近」である。 ここには各地の大山講と深い関係にある石の玉垣を巡らした先導師(御師)の旅館と土産店、 茶店等が石段道の両側に昔風の街並を残している。
 (伊勢原ロータリークラブ)
大山こま
大山の恵まれた木材と挽物技術が生んだ郷土玩具で、江戸時代中期に大山の信仰と結びついて発達しました。 昔からの技法が今も守られ、民芸的色彩と線模様が木肌とよく調和しています。