藤沢大和自転車道
散策:2006年01月下旬
【街角散策】 藤沢大和自転車道
概 要 藤沢大和自転車道は、太平洋岸自転車道から藤沢市鵠沼海岸で分れ、 引地川と境川に沿って北上して大和市下鶴間に至る自転車道です。 一般道を通る所も一部にはありますが、概ねは川沿いに舗装された道が続いています。 今回はその中の境川沿いの道を通って、藤沢駅から鶴間駅まで歩いていきます。
起 点 藤沢市 藤沢駅
終 点 大和市 鶴間駅
ルート 藤沢駅…藤沢橋…遊行寺…御殿橋…境川大橋…鷹匠橋…大清水橋…立石橋…市水道局用水路橋…東西橋…金沢橋…俣野橋…上俣野橋…遊水地橋…休憩所…今飯橋…境川橋梁…白鷲橋…渡戸橋…高飯橋…高鎌橋…境川橋…新緑橋…緑橋…東海道新幹線橋梁…ふれ逢い橋…下分橋…宮久保駐輪場…上和田2号橋…上和田1号橋…宮久保橋…新道大橋…境橋…鹿島橋…入村橋…境川親水広場…深瀬橋…中島橋…東名高速道路橋梁…上瀬谷橋…大和橋…鶴間駅
所要時間 6時間10分
歩いて... 今回は藤沢駅の近くにある遊行寺を訪ねてから境川沿いに歩いていきました。 国道1号の境川大橋から国道246号の大和橋までの約18.5km、 最寄駅との道も合わせると合計で約22kmになる長丁場の道程です。 田んぼが続いていたり川で水鳥が泳いでいたりと、自然と出会えるコースでもあります。
関連メモ 上和田の里, 天王森泉公園, 境川, 藤沢宿, 境川遊水地公園
コース紹介
藤沢(ふじさわ)駅
藤沢駅(JR東海道線)から歩いていきます。
改札口を出た所に「藤沢駅周辺案内図」があるので参考にしましょう。 北口の歩道橋を渡って、先ずは藤沢橋へと向っていきます。
広い歩道橋の突き当たりにあるパチンコ&スロット店の前を右手へ降っていきます。 車道に降りて柳通りを進んでいくと、「駅北口 柳通り」の小塔が立っています。 横面には「藤沢やなぎ小唄」が刻まれていました。 七七七五調のなかなか色っぽい都々逸です。
藤沢やなぎ小唄
一、 逢いに来たやら 東京の風も 柳通りを そよそよと
(囃)柳なよなよ 燕がすいすい 恋の藤沢 三味の音 ええ 三味の音
二、 橋をかけよか 江の島ほどの 好きなお方の あの胸へ
三、 あの娘どこゆく 遊行寺さまへ 恋のいろはの 手習いに
四、 つばめ可愛いや また来るときは 街の柳を 目じるしに
 (西沢爽作詞、米山正夫作曲、島倉千代子)
藤沢橋
小塔のすぐ先にある信号を左折して遊行通りを暫く進んでいくと、右手から国道467号が合流してきます。 角には「建造物 江の島弁財天道標」が立っていました。 こちら側には「一切衆生」、向こう側には「二世安楽」と刻まれた石標です。 信号を渡って道路の右側を進んでいくと県道30号に出ます。 右手には境川に架かる藤沢橋があります。 藤沢橋交差点の信号を直進していくと藤沢橋自動車排出ガス測定局があります。 その前には「東海道 藤沢宿 昔話のある町」の立看板がありました。
藤沢橋自動車排出ガス測定局
藤沢橋交差点は交通の要所であり交通量も多い場所のため、 この測定局では、自動車排出ガスの主成分である窒素酸化物(NOx)や浮遊粒子状物質(SPM)等の測定を行い、 環境への影響を調べています。
 (藤沢市)
浄化のしくみ
土にはいろいろなものを捕まえる力(土壌粒子の吸着・吸収現象)や、 分解する力(土壌中微生物の代謝作用)があり、空気をきれいにする能力があります。 この施設は、道路沿いの汚れた空気を歩道内の土壌にゆっくりと押し込み、 土壌を通って外に出します。この間に汚れた空気は浄化されます。
藤沢橋自動車排出ガス測定局の先を右折して、朱色の遊行寺橋を渡っていきます。 この辺りは以前には藤沢広小路と言われ道幅の広い所だったようで、その解説板が立っていました。 解説板を過ぎていくと、正面に遊行寺の黒門があります。 脇には「境内案内図」があるので参考にしましょう。 右に「時宗総本山」、左に「清浄光寺」と書かれた柱の間を過ぎて、石畳の参道を進んでいきます。
日本三大広小路
広小路とはもともと《火除地》を意味する。 江戸ではたびたびの火災で多くの人家が焼失したので、幕府は1657年の大火前から火除地を計画していたが、 護持院の焼失を契機に八代将軍吉宗は、この地を火除地とし、さらに各所に設定した。 この頃江戸には、中橋広小路、長崎町広小路、大工町広小路、両国広小路などができたが、 その後各地の重要社寺等の門前に設けられた。
上野広小路 現在の上野公園全域が寛永寺境内であり歴代将軍の廟所だった、その門前町としては賑やかであった。 アメ横あたりまでをいう。
名古屋広小路 名古屋城正門前、現在広小路通り。
藤沢広小路 遊行寺前、東海道五十三次の中でここは3曲がりとして有名であった。(藤沢橋は関東大震災後つくられた)
広小路は類焼を防ぐとともに被災者の避難所にあてた。 なお火消の発達とともに廃止された広小路もあった。 藤沢の広小路の名は江戸時代の文書にたびたびでてくるが、 おおよそ現在の大鋸「小字大鋸」の範囲を広小路としている。 藤沢広小路は大鋸広小路とも言われていた。 かつて日本三大広小路と呼ばれていたのは、実際に広かったこともあるが、 時宗総本山遊行寺の繁栄時代、門前町として商家が櫛比し、人の往来繁く、 各地に知れ渡っていたためと思う。 大鋸広小路の範囲は古絵図を参照すると、ほぼイイジマ薬局から旧労働基準監督署の一帯と考えられる。 古絵図から見ると道巾も現在よりかなり広かった様に思える。 これは江戸時代中期までのことである。
 (大鋸広小路会)
黒門と「いろは坂」
遊行寺の総門の冠木門で、日本三大黒門のひとつといわれます。 参道の石段は四十八段あることから、「いろは坂」と呼ばれています。
遊行寺
並木の続く参道を真っ直ぐに進んでいきます。 途中には真徳寺や真浄院があるので立ち寄っていきましょう。 大きなコンクリート製の柱の間を通っていくと境内に着きます。 とても広い境内になっていて、本堂の他にも、 書院・宝物館・放生池・藤嶺記念館・小栗堂長生院・宇賀神・梵鐘などがあります。 境内には幹の直径が2mを優に越えそうな「大イチョウ」があります。 何とも立派な姿に圧倒されてしまいそうです。
時宗総本山 遊行寺(ゆぎょうじ)
清浄光寺(しょうじょうこうじ)が公式の寺名ですが、 遊行上人の寺ということから広く一般に遊行寺と呼ばれます。 宗祖は一遍上人(1239〜1289)で南無阿弥陀仏のお札をくばって各地を回り、 修行(遊行といいます)念仏の宗門です。 この遊行寺は正中2年(1325)遊行四代呑海上人によって藤沢の地に開かれ、時宗の総本山となっています。 宝物として、国宝「一遍聖絵」、国重要文化財「時衆過去帳」など多数があります。 境内には日本三大黒門の一つである総門、銀杏の巨木、中雀門、 市指定文化財の梵鐘、国指定の藤沢敵御方供養塔、小栗判官と照手姫の墓、 板割浅太郎の墓、有名歌人の句碑などもあります。 また、桜・ふじ・花しょうぶの名所で、観光百選の一つにもなっています。
遊行寺の宇賀神
遊行寺の宇賀神は、徳川家の祖先、有親公の守り本尊といわれています。 有親公は、遊行十二代尊観法親王の弟子となり、名を徳阿弥と改めました。 応永3年(1396)徳阿弥は、宇賀神に子孫繁栄を請い自筆の願文を添えて当山に勧請しました。 宇賀神は、天女の様で頭上には白玉と白蛇を刻した宝冠をのせていました。 のちに、徳川幕府により神殿を奉納されましたが、明治13年遊行寺が類焼にあった時に焼失し、 現在の神殿はのちに再建されたものであります。 宇賀神には賊施の意味があり、この宇賀神を供養尊信する者は、金・衣・食・住・田畑・豊饒の福を授かり、 徳に金福の徳を授かると伝えられています。 寛政6年(1794)11月に当山が焼失した際に宇賀神も類焼し、 徳川幕府より白銀参拾枚を再建費としていただいております。
 (時宗総本山 遊行寺)
藤沢市指定重要文化財(天然記念物) 大イチョウ
神奈川県の県木がイチョウであるように、昔から県内にはイチョウの木が多く、 ことに古い寺社の境内や街路樹にはなじみのある樹木である。 落葉の高木で葉の形が扇状であり、秋の黄葉はひときわ美しい。 イチョウは雌・雄株が別株で、銀杏がなるのは雌株だけである。 この大イチョウは雄株で、清浄光寺(遊行寺)の象徴として境内にそびえており、 かっては樹高約31メートルにおよぶ雄大な姿を誇っていたが、 昭和57年8月の台風で上部が折損してしまった。 樹齢は諸説かr、300〜700年と幅があるが、市内随一の巨木の姿は変わらず、 この辺りでは鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の大イチョウ(県指定天然記念物)と共に屈指のものといえる。
樹高16メートル、幹回り6.83メートル
 (藤沢市教育委員会)
境内では蚤の市が開かれていました。 毎月2回催されているようで、この日も沢山の出品者が思い思いの品物を並べていました。 古陶磁器・古布・古時計・古カメラ・アンティーク・古民具・骨董など等が敷物の上に広げられていました。 何だか懐かしい物ばかりで、しばらく眺めていたのでした。 中雀門の先には書院や僧堂や遊行会館などがあります。 会館の前には放生池があって、絶滅危惧種であるメダカが育てられているのだそうです。
放生池
この池は一名放生の池とも称し、江戸幕府の記録である「徳川実紀」元禄7年10月の日記によれば、
金魚、銀魚等を放生せんと思わば清浄光寺(遊行寺)道場の池へと命され、 かつ放生の際は、その員数をしるし目付へ届出づべし
と記録されている。 古来より由緒あるこの池に金魚、鯉等を放生すれば、その功徳により 家内の繁栄は勿論のこと長寿を保つとされている。
藤沢メダカの由来
有名な童謡「めだかのがっこう」の発祥の地である神奈川県のメダカは、 1999年に環境省の絶滅危惧種II類に認定されていたのです。 この時、野生のメダカは藤沢市内の自然環境の水辺や水田にも境川や引地川にも、 鵠沼にある蓮池にもいなくなっていたのです。 しかし、当時、神奈川県水産総合研究所内水面試験場長の城条義興さんがメダカ探しに奔走し、 鵠沼桜が岡の池田正博さんの庭池に40年間、蓮池から採取してきたメダカが生息していることを知り、 池田さんのご好意でメダカをいただくことができました。 このメダカを藤沢メダカと呼び、子どもたちに見せて、育て、増やし、いつの日か水辺に返せるようにしたいとの願いで、 現在市内小・中学校等で育てられております。 幸いここ遊行寺の放生池は江戸幕府五代将軍徳川綱吉の時代(1680〜1709)に、 生類憐れみの令によって、江戸中の金魚をあつめて放された所であります。 いま「藤沢メダカをまもる会」によって、藤沢メダカがこの池に放生されました。 この池でたくさんのメダカが増え、川に返してやりたい、メダカの楽園になって欲しいと思います。 そしてみんなで自然環境に目を向け、美しい地球を守り続けたいと思います。 そのためにも藤沢メダカ以外のメダカを放さないでください。
御殿橋
遊行寺の黒門を出て右手へと進んでいきます。 民家の間の道を真っ直ぐに3分ほど進んでいくと、境川に架かる御殿橋があります。 橋を渡って、境川の右岸に続く道を進んでいきます。
境川大橋
3分ほど進んでいくと、柵に囲まれた一角に道祖神や庚申塔が左手に沢山ならんでいました。 その先へと更に進んでいくと、4分ほどで国道1号の境川大橋があります。 この先から始まる藤沢大和自転車道には、 この境川大橋の架かる国道1号からの距離を示す標識が500mおきに点々と設置されていて、 歩く時の目安になります。
鷹匠橋
境川大橋の下にあるトンネルを抜けて100mほど進んでいくと鷹匠橋があります。 橋を過ぎた先に車止めがあり、そばには「一般県道 藤沢・大和自転車道案内図」があります。 藤沢大和自転車道の起点から終点までのコース図が載っているので参考にしましょう。 案内図によると、藤沢大和自転車道は、 この境川の2kmほど西側を流れる引地川河口の「湘南・海のちか道」を起点として、 引地川沿いに引地橋まで4kmほど続き、 そこからこの境川の鷹匠橋まで飛んで、終点の大和橋まで18.7kmほど続いています。
一般県道 藤沢・大和自転車道案内図
鷹匠橋…0.4k…大清水橋…0.7k…立石橋…1.0k…東西橋…0.6k…金沢橋…0.9k…俣野橋…0.7k…上俣野橋…1.5k…今飯橋…0.7k…白鷲橋…0.7k…渡戸橋…0.7k…高飯橋…0.7k…高鎌橋…0.5k…境川橋…0.9k…新緑橋…0.5k…緑橋…1.1k…下分橋…0.7k…上和田2号橋…0.5k…宮久保橋…0.7k…新道大橋…1.1k…境橋…0.6k…鹿島橋…0.9k…深瀬橋…0.9k…中島橋…0.9k…上瀬谷橋…0.8k…大和橋
終点の大和橋にあった案内図によると総延長は24.5kmで、 起点は引地川の河口付近の稲荷橋で、そこから引地川沿いに引地橋まで行き、 そこから県道43号を通って境川の境川大橋まで来て、境川沿いに終点の大和橋まで続いています。
大清水橋
鷹匠橋を過ぎて2分ほど進んでいくと、左手にベンチが幾つか設置された所があります。 説明板などは見かけませんでしたが、このコースのための休憩所なのでしょうか。 大清水橋を過ぎていくと、「国道1号から0.5km」の円い標識が立っています。 ここから先には同類の標識が500mおきに設置されているので、目安にしながら歩いていきましょう。 民家が途切れると、左手には畑地が続くようになります。 境川の所々には小さな堰のような所があって、流れる水が心地よい音を響かせています。 何もない静かな流れよりも新鮮な空気が水に溶け込み易くなって、生物も棲み易くなるのでしょうか。 この辺りから、境川は藤沢市と横浜市との市境を流れるようになります。 その名の通り、「さかい」を流れる川です。
車に注意!!
農耕車が出入りすることがありますので、十分気をつけましょう。
立石橋
「国道1号から1.0km」の標識を過ぎていくと立石橋があります。 この日は天候にも恵まれたためか、コースには沢山の人出がありました。 ヘルメットにぴったりスーツで決めた本格的なロードランナーを始めとして、 サイクリング車にジャンパー姿の人、ママチャリでのんびり気分の人、 ダッシュ・トレーニングをする人、ジョギングをする人、 元気に手を振ってエクササイズ・ウォークをする人、のんびりウォークの人など、 様々なタイプの人々がこの道を利用していました。 私の場合は景色を眺めたり写真を写したりしながらゆっくり歩いているので、 差し詰め「のんびりウォーク」のタイプになるようです。
市水道局用水路橋
立石橋を過ぎて少し進んでいくと、 境川の両岸の先にある小高い丘の間を真っ直ぐに結んでいる高架が横に通っています。 かなり幅はありますが道路のようでも線路のようでもないようだし、一体何だろうと思ってしまいました。 後で地図で調べてみて水路橋と分ったものの、何だか周囲の風景から少し浮いた感じがしたりします。 その水路橋の下をくぐっていきます。
「国道1号から1.5km」の標識を過ぎていくと、左右の景色が広がってきます。 先の方には旧横浜ドリームランドに建っている高層ホテルの姿が見えてきます。 道の両側には白い柵が続いています。 歩くだけなら不要なのでしょうが、自転車道ということで安全性を考慮したのでしょうか。 所々で柵が途切れていて、川辺まで降りていくことができます。 護岸工事がなされて小綺麗になってはいますが、生き物の棲みにくそうな感じは否めません。
東西橋
「国道1号から2.0km」の標識を過ぎていくと東西橋があります。 この辺りから、左手には田んぼが続くようになります。 稲藁が円錐状に沢山並んでいました。 翌年の肥料にしようというのでしょうか、地方によって色々なやり方があるようです。
金沢橋
田んぼの向こうに見える高層ホテルが次第に近づいてきます。 「国道1号から2.5km」の標識を過ぎていくと金沢橋があります。
金沢橋を過ぎて少し進んでいくと、右手からは宇田川が合流してきます。 横浜市泉区を源流域にして戸塚区を流れている川です。 上流へ進んでいくと、横浜市民の森のひとつ「まさかりが渕市民の森」へと続いています。 境川は左手の川になります。
俣野橋
「国道1号から3.0km」の標識を過ぎていくと、やがて県道403号の俣野橋があります。 バス道路にもなっていて交通量が多いためか、手前で自転車道が分かれて車道の下をくぐっていきます。 トンネルの入口の所に「国道1号から3.5km」の標識が立っています。 サギの仲間でしょうか、川辺に白い鳥が二羽佇んでいました。 コンクリート護岸された川ですが、餌になる物でもいるのでしょうか。
上俣野橋
県道403号の下をくぐって更に進んでいきます。 「国道1号から4.0km」の標識を過ぎていくと、左手に民家が続くようになります。 民家が途切れると青く塗られた上俣野橋があります。
この川は雨が降ると急に水が多くなるので大変危険です。
・雨の日やその後は上流から大量の放流がありますので、降りないようにしましょう。
・天気が良くても川の水が多いときは、降りないようにしましょう。
・小さい子供だけで遊ばないようにしましょう。
 (神奈川県藤沢土木事務所)
この道路は、字電車歩行者専用道路です。 オートバイの乗り入れはできません。
 (藤沢北警察署、藤沢土木事務所)
遊水地橋
「国道1号から4.5km」の標識を過ぎていくと、左手に集合住宅が建っています。 右手からは和泉川が合流してきます。 横浜市瀬谷区を源流域にして泉区を流れている川です。 すぐそばには「天王森」もあります。 境川は左手の川になります。 この辺りでは河床工事をやっていて、ショベルカーやキャタピラ付きダンプカーが忙しそうに作業をしていました。 合流地点のすぐ先には、薄緑色をした遊水地橋が架かっています。
六会 くらし、まちづくり
六会地区くらしまちづくり会議では、境川の土手で、 毎月第一土曜日と第三月曜日の午前中に、草取りや花を植える作業をしています。 どなたでもお手伝いいただける方はご参加下さい。 お待ちしています。
 (六会市民センター)
休憩所
「国道1号から5.0km」の標識を過ぎていくと、左手に林が迫ってきます。 林に沿って進んでいくと、トイレや東屋のある休憩所に着きます。 遊行寺を出てから1時間20分ほどで到着しました。 ベンチに腰を掛けてひと息入れていきましょう。
先ほどの和泉川との合流地点の手前からこの休憩所の少し先までの左岸は境川遊水地になっていて、 その奥側には県立境川遊水地公園(仮称)が建設されるようです。 遊水地や公園はまだ工事中ですが、設置されていた完成予想図によると、 多目的広場などもできて憩いの場所になるようです。 東屋のそばには「一般県道 藤沢大和自転車道案内図」があるので参考にしましょう。 鷹匠橋の先にあった案内図とはかなり様子が違うものになっていました。
境川遊水地
遊水地は、左下の計画断面図のように、河川堤防の一部を低くして河道からあふれた洪水を一時的に貯留することで、 洪水被害を軽減させるためにつくられる池のことです。 境川遊水地は、俣野遊水地、下飯田遊水地、今田遊水地の3つの遊水地によって構成され、 合わせて約30haの広さを有し、約90立方メートル/sの洪水調整を行います。 平成2年度から総合治水対策特定河川事業等により工事に着手し、 現在、俣野遊水地と下飯田遊水地を暫定提供しています。
県立境川遊水地公園(仮称)
境川遊水地公園は、境川遊水地の上部空間を県立公園として整備するもので、 平成16年度から事業を進めています。 公園内には、境川の自然豊かな水辺空間を活かし、様々な生き物が生息できるビオトープを整備しており、 環境学習などが体験できる場を提供します。 また、多目的広場などレクリエーションの場も提供します。
一般県道 藤沢大和自転車道案内図
一般県道藤沢大和自転車道(通称、境川自転車道)は、太平洋岸自転車道から藤沢市鵠沼海岸で分岐し、 引地川及び境川に沿って北上して、主に河川敷を利用しながら大和市下鶴間に至る自転車道です。
注意事項
●快適で安全なサイクリングを楽しむために
 ・自転車は自分のからだに合ったものを選び、各部分に故障がないかよく調べてから乗りましょう。
 ・コースの左側を一列で走り、競走やスピードの出しすぎ、二人乗りは危険なのでやめましょう。
 ・車道と交差しているところや、道路への出口では、車に十分注意して事故のないようにしましょう。
●快適で有効に駐輪場を利用するために
 ・ベンチ、運動施設等は、みんなが利用するものですから大切に扱いましょう。
 ・ゴミは必ず各自で持ち帰りましょう。
 ・サイクリング前には、運動施設を使って準備運動しましょう。
 (神奈川県藤沢土木事務所)
休憩所を後にして更にその先へと進んでいきます。 先日の雪が凍って残っている道を林沿いに進んでいくと、やがて林から離れていきます。 左手に果樹園が見えてくると道が二本に分かれていますが、並行して続いていてその先で合流します。 左手の道を進んでいくと、途中に「国道1号から5.5km」の標識が立っています。
今飯橋
やがて横浜市泉区の下飯田町を経て和泉町へと続く道に出ます。 バス通りにもなっていて交通量が多いのですが、俣野橋のように下をくぐっていくトンネルはないので、 車に注意しながら横断していきます。
安全で楽しいサイクリングをするために
・自転車は自分のからだに合ったものを選び、各部分に故障がないか、よく調べてから乗りましょう。
・コースの左側を一列で走り、競争やスピードの出しすぎ、二人乗りは危険ですからやめましょう。
・雨の日や、風の強い日にコースを走るのは危険ですからやめましょう。
・一人で利用することはさけて、グループで利用するように心がけましょう。
・農耕車が出入りするところもありますので、十分気をつけて走りましょう。
・コースに来るまでの途中の道路やコースから一般道路への出口では車に注意して事故のないようにしましょう。
・みんなの施設を大切にしましょう。
 (神奈川県)
境川橋梁
左手に農地を見ながら進んで「国道1号から6.0km」の標識を過ぎていくと、 正面に白い高架橋が見えてきます。 二つ並行して通っていて、手前側は横浜市営地下鉄1号線、向こう側は相模鉄道いずみ野線です。 歩いている間にも何度となく電車が通っていきました。 この左手の1kmほど先にある湘南台駅(小田急江ノ島線)まで続いています。
白鷲橋
境川橋梁を過ぎて100mほど進んでいくと、赤く塗られた白鷲橋があります。 湘南台の住宅地がすく側まで迫ってきています。
住宅地を左手に見ながら進んでいくと、大きな桜の木が並木を作っています。 花の季節には綺麗に彩られる所です。 並木の途中に「国道1号から6.5km」の標識が立っています。
渡戸橋
川向こうに「横浜なしの木学園」や「よこはまリバーサイドとつかホーム」が見えてくると 渡戸橋があります。 舗装された橋の横には木製の橋も架かっていて、何だか心暖かい印象がしたりします。
あぶない乗り方はやめましょう
・ならんで走ること ・二人乗り ・片手ハンドル ・両手はなし
高飯橋
渡戸橋を過ぎていくと、左手には再び田んぼが続くようになります。 川向こうにビニールハウスを望みながら進んでいきます。 河床にコンクリートブロックでも埋められているのか、 心地よい音を響かせながら水が白く波立っていたりします。 「国道1号から7.0km」、「国道1号から7.5km」の標識を過ぎていくと高飯橋があります。
「国道1号から8.0km」の標識を過ぎていくと、次第に民家が増えてきます。 この辺りでも河岸工事が進んでいました。
高鎌橋
堰を過ぎていくと、県道22号(横浜伊勢原線)の高鎌橋があります。 戸塚駅(JR東海道線)から西へ向って相模川の向こうまで続く幹線道路です。 交通量が多いので、ここにも車道の下にトンネルが設けられています。 高倉地下道という名前のトンネルをくぐって車道の向こう側へ出た所に 「国道1号から8.5km」の標識が立っています。 その手前には「一般県道 藤沢大和自転車道」の案内図があるので参考にしましょう。 それによると、この自転車道は鵠沼橋から大和橋まで総延長24.5kmとなっていて、 終点の大和橋まではあと10kmほどになります。 藤沢駅から鶴間駅までの今回のルートのほぼ中間地点になります。 先ほどの境川遊水地の休憩所から45分ほどで到着しました。
一般県道 藤沢・大和自転車道
鵠沼橋…2.3km…富士見橋…0.4km…東海道本線下…1.3km…引地川下…1.7km…国道1号線鷹匠橋…3.5km…俣野橋…5.2km…高鎌橋…2.3km…新幹線下…2.4km…新道大橋…1.1km…境橋…1.0km…相鉄線下…2.5km…東名下橋…0.8km…大和橋
長後駅
この橋から左手へ1kmほど進んでいくと長後駅(小田急江ノ島線)があります。 以前には戸塚駅から長後駅行きのバスが真っ直ぐに通っていたのですが、 県道22号の高倉バイパスができてからは、その運行ルートも変わってしまったようです。 新たにできた小田急の快速急行は止まらないし、かつての急行停車駅の賑わいも少し色褪せたような感じがします。
境川橋
高鎌橋をくぐって更に先へと進んでいきます。 左手の住宅地の奥には冠雪した富士山が頭を覗かせていました。 「国道1号から9.0km」の標識を過ぎていくと境川橋があります。 両側の柵には19世紀の自転車の絵が点々と掲げられていました。 前輪が大きくて後輪が小さな自転車など、色々な形のものがありました。
「国道1号から9.5km」の標識を過ぎていくと、堰の上に架かる小さな橋があります。 県営いちょう団地が近づいてくると、自転車道は暫くの間、一般道が並行して続くようになります。 この辺りから大和市になり、境川も大和市と横浜市の市境を流れるようになります。 それを示すかのように、「これより下流神奈川県藤沢土木事務所管轄、 これより上流神奈川県相模原土木事務所管轄」の標柱が立っていました。
新緑橋
いちょう団地に沿って進んでいくと新緑橋があります。 いちょう団地は大和市と横浜市にまたがるように続いていて、境川の両側に集合住宅が建ち並んでいます。 幾つも幾つも並んでいて、何だか圧倒されそうな感じがしたりします。 新緑橋を過ぎていくと、「国道1号から10.0km」の標識が立っています。 これまでとは違って「国道246号まで8.5km」の標識も併設されています。 ここから終点まではこれら二つの標識が併設されています。 境川大橋のある国道1号から大和橋のある国道246号まで、合わせて18.5kmの道程ということになります。
緑橋
渋沢中学校を過ぎて大和市側の団地が途切れてくると、その先には緑橋があります。 横断歩道を渡って更に境川沿いに進んでいきます。 所々に川辺へ降りていく階段があります。 これは緊急時に取水するために使うもののようで、通常は柵がしてあります。
地震等災害時の取水施設
この階段は地震や火事など緊急時に川の水を取るときに使うものです。 あぶないですから注意して下さい。
 (神奈川県相模原土木事務所)
東海道新幹線橋梁
「国道1号から10.5km」の標識を過ぎていくと、東海道新幹線の下をくぐっていきます。 いちょう団地に入ってから車道の左側に続いていた自転車道は、 トンネルを抜けていくと境川寄りの右側へと変わります。
クリーン境川
川にゴミを捨てないでください。
 (神奈川県相模原土木事務所)
ふれ逢い橋
東海道新幹線橋梁を過ぎていくと公団上和田団地があります。 団地沿いに進んでいくと、「国道1号から11.0km」の標識を過ぎた先に、ふれ逢い橋があります。 橋の欄干の継ぎ目が人を模した形になっていて、それらが橋に沿って幾つも並んでいます。 両手を広げて左右の欄干を持った姿が、手をつないでいるようにも見えてきます。 「ふれ逢い」という意味が込められているのでしょうか。
下分橋
ふれ逢い橋を過ぎていくと、川面ではカモが数羽浮かんでいました。 優雅に泳いでいるようですが、水面下では橙色の水掻きを一生懸命に動かしているのでした。 カモを眺めながら進んでいくと、空色の塗られた下分橋があります。 橋の直ぐ先に「国道1号から11.5km」の標識が立っています。 その先で道が分かれていますが、車止めの先へと続く右手の川沿いの道を進んでいきます。
宮久保駐輪場
下分橋を過ぎていくと、道脇の柵がこれまでの白色から橙色に変わります。 何か意味でもあるのでしょうか。 3分ほど進んでいくと、道の左手に植込みやベンチが設置された所があります。 そばには「県道藤沢大和自転車道案内図」があるので参考にしましょう。 案内図によると、ここは宮久保駐輪場というようですが、自転車は置いてはありませんでした。 駐輪場とは云っても休憩所というような意味なのでしょうか。 高鎌橋から50分ほどで到着しました。
お知らせ
この道路は自転車、歩行者専用道路です。 緊急社領及び道路、河川管理用車両以外は通行できません。 自動車、原付バイク通行禁止。 今後、車両の進入を防止する措置を実施します。
 (神奈川県相模原土木事務所)
宮久保駐輪場を過ぎていくと、右手からは相沢川が合流してきます。 横浜市瀬谷区を源流域にして泉区まで流れてくる川です。 境川は左手の川になります。
上和田2号橋
「国道1号から12.0km」の標識を過ぎて林に沿って進んでいくと上和田2号橋があります。 左手からは道が降ってきて再び左前方へと登っていきます。 川向こうには、宮久保公園・市営宮久保球場・大和市宮久保スポーツ広場などがありますが、 そのまま境川沿いの自転車道を進んでいきます。
上和田1号橋
高い崖面に沿って進んでいくと上和田1号橋があります。 橋の名前が書かれたものは見当たりませんでした。 以前に来た時には橋の欄干にマジックで書かれていましたが、今回はそれも見当たりませんでした。 左手には宮久保2号公園があります。 公園の広場では爆音を轟かせながらラジコンカーを走らせている人がいました。 余りにも煩く縦横に疾走しているので、だれも近くに寄ろうとはせず、 橋の前後に続いている公園の先の方で迷惑そうにしていました。 何だか広い処を独り占めされているようで、余りいい感じは持てませんでした。
公園では次のことをまもり、みんなでたのしくつかいましょう。
一、公園はきれいにつかいましょう。
一、花や木を大切に育てましょう。
一、ボール遊びはやめましょう。
一、自転車、バイクの乗り入れはやめましょう。
一、火をつかう遊びはやめましょう。
一、犬のフンはもちかえりましょう。
 (大和市公園管理事務所)
宮久保橋
公園を後にしてその先へと進んでいきます。 この辺りでも川面にカモ達が浮かんでいました。 川上に向って一生懸命に水掻きを動かしていましたが、 動かすのを止めた途端に川下の方へとスーっと流されていきました。 優雅に泳いでいるように見えても、水面下では相当の努力をしているようです。 「国道1号から12.5km」の標識を過ぎていくと宮久保橋があります。 自転車道に沿って続いていた橙色の柵はここで終わり、ここから一般道を進むようになります。 約2.8kmとあるので、相模鉄道の線路が通っている辺りまでのようです。 その間は「国道1号から…km」の標識は設置されていませんが、川沿いに続く道を進んでいきます。
ここから一般道(市道)です。自動車に注意してい下さい。 一般道(市道)を経由して約2.8km先より藤沢大和自転車道です。
この先一方通行等の交通規制がありますので、交通標識に従って通行してください。
新道大橋
宮久保橋を過ぎて川沿いに続く一般道を進んでいきます。 宮久保1号公園を過ぎて更に進んでいくと、県道45号(中原街道)の新道大橋があります。 信号を渡った所にバザール前バス停があります。 大和駅(小田急江ノ島線、相模鉄道)まで1時間に3本程度の便がありますが、 そのまま境川沿いの道を進んでいきます。
境橋
川向こうに特徴的な形をした建物が並ぶ団地が見えてくると、大和市中部浄化センターがあります。 その中の一つの建物の屋上が一般に開放されていて憩いの広場になっています。 広場に立ち寄ってからその先へと進んでいくと、県道40号(厚木街道)の境橋があります。 左手には尖塔の付いた建物がありました。 橋の手前にちょっとした茂みがあり「かしま緑地」という標柱が立っていましたが、 緑地というほどの広さはありませんでした。
注意
この川は深くなっています。 危ないので、川に降りるのはやめましょう。
 (神奈川県相模原土木事務所)
鹿島橋
境橋の信号を渡って川沿いの道を更に進んでいくと鹿島橋があります。 宮久保駐輪場から55分ほどで到着しました。 その直ぐ先には相模鉄道の橋梁が見えています。 川沿いの道はここで途切れています。 左右のどちらへ行ったものかと道標などを探してみましたが見当たりませんでした。 しばらく悩んだ末、これまでに見かけた案内図を思い出して、ここは左手へと進んでいきます。
川へゴミを捨てないよう
みんなの手でみんなの川を美しく
この附近にゴミを捨てると法律により処罰されます。
 (神奈川県相模原土木事務所)
観光農園を左手に見ながら車道を進んでいくと、ほどなくして「藤沢大和自転車道」の案内板が立っていました。 この付近の道順が図示されています。 同じ設置するのなら、鹿島橋のそばに設置しておけば悩まずに済むのにと思ったりします。 このまま真っ直ぐに1kmほど進んでいくと大和駅(小田急江ノ島線、相模鉄道)がありますが、 この先のガード下を抜けていきます。
入村橋
ガード下を抜けていった所にあるT字路にも同じような案内図があります。 案内に従って右手へ曲がっていくと、舗装された道は左手へと曲がっていきます。 砂利道が線路沿いに分かれていきますが、そのまま舗装道路を進んでいくと、入村橋の袂に出ます。 振り返ると、境川沿いには土手道のようなものが続いていました。 もう少しという所で建物に阻まれて鹿島橋から迂回することになっているようです。 車止めの先から再び藤沢大和自転車道が続いています。 ここにも宮久保橋の所にあったのと同じ「一般道を通る」旨の説明板がありました。 迂回路の図も併せて設置されていたので、こちら側から藤沢方面へ行く場合には悩まずに済みそうです。
境川親水広場
しばらく橙色の柵が続いてから白色の柵に変わります。 「国道1号から15.5km」の標識を過ぎていくと、自転車道の脇にちょっとした植込みとベンチが設置された所があります。 境川親水広場とのことですが、広場というほどの広さはありません。
境川親水広場
境川は、長さが52.1km、県内では相模川につぎ2番目に長い川で、 水源は城山湖をかこむ標高200m級の山間より発し江ノ島付近の相模湾に注ぎます。
この公園は水源から約30.1km、河口から約22kmの位置にあたります。
洪水のない安全なまちづくりのために河川改修工事を進めていますが、 この親水広場はみなさんが水に親しめるようにつくりました。
この広場を利用されるみなさんは、次に注意して自由にご利用下さい。
・雨が降って来ましたら危険です。すぐにあがりましょう。
・川底に深い所もありますので足元に気をつけましょう。
 (神奈川県相模原土木事務所)
川にすんでいる生物
《きれいなところにいる生物》 ヘビ、トンボ、プラナリア、サワガニ、カワゲラ、ハヤ、アユ
《ややきれいなところにいる生物》 ヒラタドロムシ、トビケラ、カゲロウ、コイ、フナ
《ややよごれたところにいる生物》 ミズムシ、ヒル、ハゼ、ドジョウ
《よごれたところにいる生物》 サカマキガイ、イトミミズ、ユスリカの幼虫
きれいな川はみんなの願い
 (大和市相模原土木事務所)
保護者の皆様にお願い
この親水広場は、皆様方が水辺に親しんでいただける施設ですが、 子供は保護者の皆様が見守って、事故の無いように遊ばせて下さい。 特に川の水が増水しているときや、雨が降っているときなどは、川に近づけないようにお願いします。
川をきれいにしましょう
『美しい 心が育つ きれいな川で』 ゴミをすてないで!! 川は泣いています。
 (神奈川県相模原土木事務所)
深瀬橋
境川親水広場を後にして少し進んでいくと深瀬橋があります。 橋の袂には「国道1号から16.0km」の標識が立っています。 自転車道はそのまま川沿いに続いていますが、 深瀬橋を渡った所に境川と周辺の改修に関する記念碑が建っていました。
境川激甚災害対策特別緊急整備事業竣工記念碑
この境川は、過去幾度かの豪雨により、地域住民の皆さんに甚大な被害をおよぼしておりました。 昭和30年代に境川沿岸北部土地改良事業の一環として河川改修が行われ、 一時、流域の安定が図られておりました。 しかし、その後の流域の急速な開発に伴う洪水の流出量の増大により、 再び、浸水被害が生じるようになりました。 特に、昭和57年9月12日の台風18号により、相模鉄道線の上下流沿岸で約2.2キロメートルにわたり 852戸の床上・床下浸水の被害が発生しました。 このため県では、こような災害の防止を計画し、昭和58年度から激甚災害対策特別緊急整備事業(県単事業)として 約20億円の経費を投入し、地域の皆さんの御協力を得て、改修の促進に努めてまいりました結果、 短期間に完成することができました。 この事業が地域の安全と発展に寄与することを願い、この記念碑を建立いたしました。
 (神奈川県相模原土木事務所)
境川改修 並 土地改良事業竣工記念碑
境川は横浜市瀬谷区と大和市深見の境を南流して、下流は藤沢市に至る。 古来この川は川幅狭く、且屈曲甚しく流域の耕地は僅かの降雨にも氾濫、洪水数日に及び、 其の被害は甚大なるものがあり、而も之を灌漑に利用する手段、施設に並々ならぬ苦労があった。 年毎の旱害の面積も又多く、我等の父祖は宿命として泣く以外に手段はなかった。 昭和28年沿岸の農民は躍起して団結し、この川の徹底的改修と土地改良事業を企画し、 境川改修並土地改良事業実施促進委員会を結成し、当局に嘆願陳情数十回に及んだが、 久田堰以北は準用河川の取扱もなく、又莫大なる国費の支弁と利用面積の比較から、 容易に目的を達成することは出来なかった。 尚横浜市と大和市との行政区割を異にすることも大なる障害であった。 茲に於て我等は政界の実力者河野一郎代議士にこの苦哀を訴え、 河川改修に伴う用地は悉く無償提供し、之に併行して区割整理、土地改良事業を実施することを以てし、 遂に建設省河川局長以下県関係官の現地視察となり、 昭和33年度から其の最悪区間即ち本郷堰附近より改修に着工し、 順次上・下流に改修を加えられ、八幡耕地北端から相模鉄道線延長約三粁は幅員を拡大し、 完全なる護岸工事は全額国庫支弁によって施行されることとなり、 之に伴い取水堰の整備を当局の方針に基き、竹村堰を城山堰に本郷堰を島津堰に統合し、 鹿島堰・大門堰を撤廃し、昭和37年10月境川沿岸北部土地改良区を設立するに至った。 区域は最初の計画は組合員2128名1508筆46町1畝29歩であったが、 東名高速道路の建設により上瀬谷・二ノ堰耕地の一部除籍と大門耕地の脱退により、 昭和44年11月には農道・用排水路を整備した実換地面積は33町5反9畝4歩組合員202名を数うるに至り、 更に用水路は悉くコンクリート水路とし、暗渠排水・機械揚水も実施し、 空前の大事業である河川改修土地改良事業は完成したのである。 前記に用したる費用は河川改修は全額国庫支弁であるが、 土地改良事業及附随経費総額金4900万円也は、国県及び両市の助成金を含めて組合員の負担であり、 この長期間に亘る年月を終始指導助成せられた県当局並に両市関係官の撓まざる御協力に深甚なる感謝を捧ぐるものであり、 常に一致協力組合の運営にあたった役員諸氏の誠意と組合員の努力に対しては讃嘆哀心より敬意を表するものである。 茲にこの世紀の大事業を完成するに当り、諸氏の功績を後昆に伝えんとして記念碑を建立するものである。
 (神奈川県境川沿岸北部土地改良区 理事長)
中島橋
深瀬橋を後にして更に進んでいきます。 小学校や高等学校を過ぎ「国道1号から16.5km」の標識を過ぎていくと中島橋があります。 川の向こう岸には「大・切・な・か・わ」と書かれたタイルが嵌め込まれた場所があります。 道から階段が付いていて川面へ降りていけるようになっているようです。
「国道1号から17.0km」の標識を過ぎていくと、左手には林が続くようになります。 やがて林が遠退いていくと田んぼが続くようになります。 取水口の設備を過ぎていくと、柵が途切れている所がありました。 そこから急な階段が川面まで続いていて、降りていくことができます。
東名高速道路橋梁
「国道1号から17.5km」の標識を過ぎていくと、正面には東名高速道路の橋が見えてきます。 「国道246号まで1.0km」の標識を見ると、藤沢大和自転車道もまもなく終点になると実感が沸いてきます。 橋の下のあるトンネルをくぐって道路の向こう側へと進んでいきます。
上瀬谷橋
トンネルを出て右手へ曲がりながら進んでいきます。 作業場のような建物の脇を過ぎていくと上瀬谷橋があります。 「国道1号から18.0km」の標識を過ぎて更に境川沿いに進んでいきます。
やがて正面には赤と白に塗られた送電線の鉄塔が見えてきます。 番傘のような形をした東屋を過ぎていくと、 日陰になっている所では、先週に降った雪がまだ残っていてカチカチに凍っていました。 滑らないように注意しながら進んでいきます。
大和橋
鉄塔を過ぎていくと、最後の「国道1号から18.5km」の標識が立っています。 ここには「国道246号まで…km」の標識は併設されていません。 標識を過ぎていくと、すぐに国道246号の大和橋があります。 これで藤沢大和自転車道は終りになります。 鹿島橋から50分ほどで到着しました。 そばには「一般県道 藤沢・大和自転車道」の案内図があります。 相模湾から大和橋までの全コース図が載っているので、これまで歩いてきた道を振り返ってみましょう。 左折して国道246号を進み、大和橋から1.5kmほど先にある鶴間駅へと向っていきます。
下鶴間長堀遺跡
この場所は一般国道246号線建設に先立ち、昭和54年に発掘調査が実施され、 その結果、境川に面した崖線上に旧石器時代の遺跡が発見されました。 関東ローム層、いわゆる赤土の中から1万数千年前の氷河時代に生きた狩人達が 製作・使用・廃棄した石の道具が多量に得られました。 使用された狩猟具には変遷が見られ、ナイフ形石器・尖頭器・細石刃へと変化していきました。 旧石器時代終末の細石刃を主な狩猟具としていた時代の資料には、 加工具である大型なスクレイパー、伐採具である礫器・石器製作道具であるハンマーストーンがあり、 当時の石器装備が明かになっています。 こうした石器の石材には珪質凝灰岩・玄武岩といった石が好んで使われています。 細石刃を製作するための中間製品として細石刃石核を作りますが、 その形態の組み合わせには特色が認められ、西南日本の影響を色濃く反映したものと考えられます。
 (大和市教育委員会)
鶴間(つるま)駅
大和橋交差点を過ぎた先の山王原東交差点で道が三方に分かれていますが、 横断歩道を渡って右手の道を真っ直ぐに進んでいきます。 山王原・長堀公園前・下鶴間三丁目・鶴間の交差点を過ぎていくと、 右手からの道を合わせた先に小田急江ノ島線の踏切があります。 その手前の右手すぐの所に鶴間駅(小田急江ノ島線)があります。
矢倉沢往還と下鶴間宿
矢倉沢往還は、江戸時代の東海道の脇往還で、 港区青山を起点とし、南足柄市関本−矢倉沢−足柄峠へ至る道です。 また大山道とも呼ばれ大山参詣に利用されました。 「宿」地区は、その宿駅「下鶴間宿」として公用通行人のための人馬が継立していました。 天保2年(1831)には、洋学者・南画家として知られる渡辺崋山が江戸から早川村(綾瀬市)へ向う途中、 下鶴間塾に一泊しています。 その様子は崋山の著書「遊相日記」に記されています。 初め崋山は、下鶴間村長谷川彦八あての紹介状を持ち訪れたが、 長谷川家はその日客寄せで多忙であった。 そこで、角屋伊兵衛、俗にまんじゅう屋といわれる家に泊まったと記しています。 現在、角屋(瀬沼家)とまんじゅう屋(土屋家)は別の家で、 崋山が宿泊した家は、まんじゅう屋です。
深見城址
境川に面する斜面を自然の要害とし、二重の空堀により本郭を区画して、土塁を築いています。 城の構造からは戦国時代後期の築城と考えられます。 城内への通路は馬の背状の土橋となっています。 入口となる2箇所の虎口には門があったことが発掘調査により分かっています。 城主は、山田伊賀入道経光とする伝承があります。 経光の名は妙光寺(横浜市瀬谷区)の梵鐘の追刻(1452)や「新編相模国風土記稿」(1841)に みられますが、詳細は分かっていません。 城というと、水をたたえた堀、石垣、天守閣といったイメージが強いかもしれません。 こうした特徴は、16C後半〜17C初頭にかけて普及した近世城郭のものです。 対して、深見城はそれ以前の中世城郭です。
 (大和市教育委員会)