王禅寺の里
散策:2005年12月下旬
【街角散策】 王禅寺の里
概 要 王禅寺の里は川崎市の北西部の多摩丘陵にあります。 かつては王禅寺村と呼ばれた里は鶴見川の支流の真福寺川や早野川の源流域にあります。 開発の波に押されながらも、丘陵地帯の谷戸や森には往時の面影がまだ残されています。
起 点 川崎市 柿生駅
終 点 川崎市 柿生駅
ルート 柿生駅…茶臼山緑地…むじなが池公園…白山神社…島田生長の森緑地…王禅寺ふるさと公園…王禅寺…金子稲荷大明神…琴平神社…琴平神社儀式殿…神明社…稲荷森稲荷社…籠口ノ池公園…月讀神社…王禅寺源内谷南公園…おっ越し山ふれあいの森…秋葉大権現…浄慶寺…柿生駅
所要時間 4時間20分
歩いて... 全体で8kmほどですが変化に富んだコースです。 訪れたのは冬枯れの時期で樹木は色付いてはいませんでしたが、花の季節には美しい姿を見せてくれそうです。 多くの寺社などもあるので、悠久の歴史に触れながらゆっくりと歩いてみましょう。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
柿生(かきお)駅
柿生駅(小田急小田原線)の南口から歩いていきます。
改札口を出た先にバスターミナルがあります。 その脇に「川崎歴史ガイド・王禅寺ルート案内図」があります。 紹介されているルートは、今回の散策ルートと一部重なる所もありますが、 かなり違ったルートになっています。
旧王禅寺村
川崎市域の北西部に位置する旧王禅寺村の村域は、ほぼ現在の麻生区の王禅寺・白山・虹ヶ丘地区にあたる。 王禅寺村は、江戸時代の初期頃までには、麻生郷から独立して一村となった。 初めは二代将軍徳川秀忠の夫人であるお江与の方に、嫁入りの際に与えられた領地(御化粧領)であったが、 寛永9年(1632)からは、徳川家の菩提寺である芝・増上寺の領地(御霊屋領)となった。 村内は、ほぼ東側を表郷(入口谷戸・谷戸・日吉谷戸)、ほぼ西側を真福寺谷戸といった。 農業の自然条件には恵まれず、余業として柿が栽培され、禅寺丸と呼ばれて江戸(東京)にも出荷された。 旧王禅寺村も、昭和40年代から大規模な宅地開発が進み、 かつての農村的な風景が近代的な都市景観へと大きく変貌しているが、 残された谷戸田や畑、山林などが今なお昔の面影を残している。
バスターミナルの先を左手に進んでいきます。 柿生警察署柿生交番や柿生保育園を過ぎていくと、道路の左手に造立稲荷大明神と刻まれた石柱が立っていて、 鳥居の先には小さな祠がありました。 やがて線路へ近づいてくると、バス折返所の先にT字路があります。 「美山台住宅入口」の看板が右手の道を指していますが、そのまま線路沿いに進んでいくと再びT字路があります。 ここを右折していきます。 右手にはそば屋があるので目印になります。
右折して坂道を登っていくと、すぐに坂道が左手へ分かれていきます。 角には「茶臼山・日光台へ」と書かれた標識が立っています。 どちらの道を指しているのかはよく分りませんが、ここは左手の坂道を登っていきます。
茶臼山緑地
かなり急な坂道を3分ほど登っていくと丘の上に着きます。 右手には住宅が続いていますが、左手には雑木林が続いています。 緩やかになった道を1分ほど進んでいくと、右手がこんもりと高くなった所に着きます。 ここに「茶臼山緑地」の解説板がありました。 丘の上の道の左手に沿って続く雑木林が茶臼山緑地のようです。 右手の高みには馬頭観世音の石碑が立っていました。 地元の方でしょうか、向こう側からやってきて手を合わせていかれました。
茶臼山緑地
旧王禅寺村日光と道一つ隔てて、旧上麻生村山口の小高いここを茶臼山という。 慶長19年大坂冬の陣、翌元和元年夏の陣に、徳川家康が大阪城攻略の本陣を天王寺村茶臼山(大阪市天王寺区)においた。 後年、家康は江戸幕府に近いこの丘で鷹狩りに興じ、天下人の感慨に耽ったと云われる。 「茶臼山緑地」の伝承である。
この緑地はみなさんの緑地です。つぎのことを守りみなさんで大切にしましょう。
・施設や木をたいせつにしましょう。
・たばこの吸いがらや、ゴミの投げ捨てはやめましょう。
・ガードレールをのりこえて出入りするのはやめましょう。
・きけんなあそびや、よその人にめいわくのかかることはやめましょう。
 (川崎市北部公園事務所)
王禅寺地区急傾斜地崩壊危険区域
この区域内での、のり切り・掘さく・伐採等を行う場合は、知事の許可が必要ですから、左記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県川崎治水事務所)
高みのある所の先で道が三方に分かれていますが、一番左手の道を進んでいきます。 少し進んでいくと再び「茶臼山緑地」の解説板が立っています。 解説板を過ぎて1分ほど進んでいくと車止めが現れます。 その先の短い石段を降り、突き当たりを道なりに左折していきます。 突き当たりを右折して更に進んでいくと、再び車止めがあります。 左右にも道が分かれていますが、車止めの先の階段を降っていきます。
階段を降り切ると車道に出ます。 右手には日光隧道バス停がありますが、左手へと進んでいきます。 直ぐにあるT字路を見送っていくと、信号の手前に再びT字路があります。 そこを右折して、左手にテニスコートを見ながら進んでいきます。 下の方を流れる細い真福寺川を越えてすぐの所にある十字路を左折していきます。
民家の脇を抜けていくと、右手に「新ゆりグリーンタウン北調整池」があります。 池を回るようにして進んでいきます。 突き当たりを右折していくと集合住宅が現れます。 その裏手へと続く階段を真っ直ぐに登っていきます。
新ゆりグリーンタウン北調整池
この施設は、大雨の時、雨水を一時貯水し、 下流に影響をあたえないよう少しずつ流す大切な役目をします。
貯水容量:2,412立方m、水深:2.00m、貯水面積:1,397平方m、流末河川名:真福寺川
 (川崎市麻生土木事務所)
階段を登り切ると広い敷地へ出ます。 左手のすぐ先にあるT字路を右折していきます。 右手の林には「白山西緑地」の看板が立っているので目印にしましょう。 突き当たりの少し右手から更に真っ直ぐに進んでいきます。 左手の高みには送電線の鉄塔が聳えています。 道路の下をくぐっていくと、「むじなが池公園」の一角に着きます。 ガードを出た所に案内板が立っていますが、かなり擦れていてほとんど分らなくなっていました。 降り坂になっていく道を進んでいくと、次第に森の雰囲気がしてきます。 森の中といっても簡易舗装された広い道になっているので、歩きやすくなっています。
むじなが池公園
降りきって左手へ曲がっていくと、東屋のある所に出ます。 左手には小さな池もあって、カモの仲間が数羽泳いでいました。 池の奥の方へと散策路が続いているので少し歩いてみましょう。
この公園は降雨時の調整池を公園として利用しているものです。 みなさん大切に利用しましょう。
 (川崎市北部公園事務所)
小さなせせらぎに沿って浅い谷筋に続く散策路を進んでいくと、行き止まりになっています。 奥には泉が湧き出ていて、その水がむじなが池へと流れこんでいます。 ベンチも幾つか設置されているので、ひと休みしていきましょう。
お知らせ
保健所の指導により、この水は飲料水には適しておりません。 飲まないでください。
 (川崎市北部公園事務所)
東屋の右手にある広い階段を降っていきます。 階段を降りきってその下へ行くと広場がありますが行き止まりになっています。 階段の途中から左手へ分かれていく青い金網沿いに道を進んでいきます。
金網沿いに進んでいくと「むじながばし」の下をくぐっていきます。 右手には細長い「新ゆりグリーンタウン南調整池」が続いています。 池に沿うようにして続く道を進んでいくと、次第に道幅も広がってきます。
新ゆりグリーンタウン南調整池
この施設は、大雨の時、雨水を一時貯水し、 下流に影響をあたえないよう少しずつ流す大切な役目をします。
貯水容量:29,680立方m、水深:6.50m、貯水面積:9,427平方m、流末河川名:真福寺川
 (川崎市麻生区役所建設センター)
白山神社
桜並木の道を進んでいくと車道に出ます。 その左手に白山神社があります。 狛犬の先の赤い鳥居をくぐって石段を登っていくと社殿があります。 引きがなくて正面からは全体が収まらないので、横の方から写しました。
白山神社
御祭神 白山姫命
年中行事 元旦祭・例大祭・七五三祭
諸祭事 初宮詣・学業祈願・厄除祈願・長寿祈願・地鎮祭・上棟祭・竣工祭・交通安全祈願・方位除・冠婚葬祭
 (白山神社宮司)
白山神社本殿
白山神社は旧王禅寺村真福谷の鎮守で、宝永3年(1706)の王禅寺村絵図にはその名がみられるため、 江戸時代初期には創立していたものと思われます。 また、文政11年(1828)に記された「新編武蔵国風土記稿」には、 南面する三間四方の社の存在が記録されており、その中に本殿を祠っていたと考えられます。 現在の拝殿及び本殿は、王禅寺の志村家に伝わる文書によれば江戸時代末期、 嘉永3年〜4年(1850〜51)にかけて再建されたときのもので、 文書には造営を受け持った地元真福寺谷の大工、助之丞・幸右衛門の名が記されています。 なお、この拝殿の建物は、造営当時は本殿の覆殿として造られたものでしたが、 昭和41年(1966)の改築に際して拝殿に転用されました。 本殿は総欅・素木造りで、向拝柱・木鼻などには躍動的な獅子や龍の彫刻が、 また脇障子や壁面は仙人や鶴などの彫物でふんだんに飾られています。 このような豊かな装飾は、関東の幕末期社寺建築の特徴でもあります。 本殿は平成8年(1996)1月25日に、市重要歴史記念物に指定されています。
川崎歴史ガイド◎王禅寺ルート 白山神社
白山神社は、修験道とつながりの深い加賀国(石川県)の白山神社の末社として勧請され、 祭神は白山姫命である。 王禅寺村の鎮守五社のひとつである。 社殿は嘉永4年(1851)に再建され、そこに納められている本殿は、方一間の流造であるが、 側面の組物は三手先斗きょうで、いくつもの力強い龍が取り巻き、 特徴ある装飾的な建築様式を生み出している。 また、白山神社は虫歯をなおす神として古くから信仰され、 萩の枝で作った箸を供えて祈願する習慣がある。
島田生長の森緑地
白山神社の先のT字路の左手すぐの所から入っていく道があります。 集合住宅の右手に続く坂道を登っていくと、左手に「島田生長の森緑地」の看板が立っています。 そこから続く道へと入っていきます。 細い緑地に続く道を進んでいきます。 右手に民家が続くようになるとT字路があります。 角には入口にあったのと同じ看板が設置されています。 そこを右手へと曲がって住宅地の中を真っ直ぐに進んでいきます。
・みんなできれいにしましょう。
・施設や木をたいせつにしましょう。
・犬のフンは飼い主がかたずけましょう。
・野球をするのはやめましょう。
・きけんなあそびやよその人にめいわくのかかることはやめましょう。
 (川崎市北部公園事務所)
住宅地を真っ直ぐに3分ほど進んでいくと、王禅寺中公園の十字路があります。 角には付近の「住居表示街区案内図」があります。 これから向う「王禅寺ふるさと公園」までの道も載っているので参考にしましょう。 公園を右手に見ながら十字路を直進していきます。 左手の生け垣越しにテニスコートを眺めながら進んでいくと、 生け垣が終った所に横断歩道のある十字路があります。 ここを右折していきます。
十字路を右折して住宅地の中を真っ直ぐにに進んでいくと広い車道に出ます。 正面にある王禅寺般若面調整池を見ながら左折していくと、ほどなくして裏門坂交差点があります。 この正面に見えているのが「王禅寺ふるさと公園」になります。
王禅寺般若面調整池
この施設は大雨の時、雨水を一時貯水し、 下流に影響をあたえないよう、少しずつ流す大切な役目をします。
貯水容量:20,300立方m、水深:4.5m、貯水面積:5,200平方m、流末河川名:早野川
 (川崎市麻生土木事務所)
王禅寺ふるさと公園
横断歩道を渡って右手へと進んでいくと、王禅寺ふるさと公園の入口があります。 入口には浅い池と東屋があります。 入口の所に「川崎市制60周年記念総合公園案内板」があるので参考にしましょう。 ここから正面の公園の中へと続く軽い登り坂を進んでいきます。 左右の雑木林の中にも散策路が続いています。 暖かい頃にはのんびりと出来そうな広い公園ですが、今回は公園内は余り散策せずに、 中ほどを横切っていきます。
麻生の自然と歴史を遊ぶ路
今あなたの立っている道にあるマンホールのふたをみてください。 そこには麻生区の自然と歴史にちなんだモザイク絵がはめこんであります。 あなたはどこくらい麻生区について知っていますか。 絵にはグー・チョキ・パーのどれかと数字がついています。 あなたのアイデアで楽しい遊び方を考えてください。 この作品は地元の人々の御協力で作られました。みんなで大切に使いましょう。
公園内で見られる動植物
公園内の花暦
早春の花(2月〜3月) マンサク、ネコヤナギ、キブシ、ウメ、コブシ、フサアカシア、ヒュウガミズキ
春の花(4月〜5月) ヤマザクラ、ツツジ、アンズ、ドウダンツツジ、ヤマフジ、ハナミズキ、エゴノキ、ソメイヨシノ、ヤマブキ、ウグイスカズラ、ボケ
夏の花(6月〜8月) ガクアジサイ、ブラッシノキ、ビョウヤナギ、ヒメシャラ、ネムノキ、クサギ、クチナシ
秋の花(9月〜11月) サザンカ、リョウブ、キンモクセイ、ハマハギ、ハマヒサカキ
その他公園内にはたくさんの野草等が見られます。
公園内で見られる鳥
シジュウカラ、メジロ、ウグイス、キジバト、ヒヨドリ、スズメ、 ムクドリ、ハシブトカラス、コジュケイ、カルカモ、サギ等
公園内で見られる昆虫類
カミキリムシ、キリギリス、モンシロチョウ、アゲハチョウ、アブラゼミ、ヒグラシ、オニヤンマ、 コオロギ、テントウムシ、スズメバチ、カナブン等
その他の生き物
タヌキ、アマガエル、アメリカザリガニ、サワガニ、シマヘビ、アオダイショウ等
緩やかな斜面に続く公園の道を進んでいくと、開けた場所に多目的広場があります。 王禅寺ふるさと公園の中で一番広い所になります。 その左手から周るようにして更に進んでいくと、小高い所にある見晴らし広場に着きます。 正面が開けていて、公園を見渡すことができます。 ベンチも設置されているので、景色を眺めながらひと休みしていきましょう。
公園利用についてお願い
当公園利用について、最近ルールを守らない状況が目にあまっております。 特に犬の散歩にたいしては多くの批判を受けております。 今後も清潔で明るい公園となるよう利用者の皆様で努力しましょう。
◎犬の散歩について
・放しての散歩はいけません。
・フンの後始末は責任を持ちましょう。
・水の中に入れないで下さい。
・蛇口から直接見ずを与えないで下さい。
・ワンワン条例を守って下さい。
◎その他
・公園施設を破損、汚損しないで下さい。
・焚き火、火遊びをしないで下さい。
・ゴミは各自持ち帰りましょう。
 (川崎市北部公園事務所)
見晴らし広場の裏手にある出口から公園を出て右手へと進んでいくと、 左手に「星宿山」、右手に「王禅寺西門」と記された石柱の門があります。 ここから先が王禅寺になります。
昆虫さいしゅう・植物さいしゅう、絶対しないで下さい。 虫取りあみ・スコップなどの持込みはかたくおことわりします。 セミやトンボなど自然の中の小さな命を大切にしてください。
 (王禅寺)
寺用以外 車のり入れ禁止。 犬の散歩おことわり。 火の用心。
王禅寺
少し進んでいくと、右下から左上へと続く石段が横切っています。 左手の上には聖観世音菩薩を安置した大きなお堂があります。 正面の道の先へ進んでいくと王禅寺の本堂があります。 「関東の高野山」とも呼ばれているようです。 この時には庭の手入れ作業が行われていました。
禅寺丸之記
抑々当山者星宿山蓮華蔵院王禅寺ト称シ真言宗豊山派ニ属ス延喜二十一年高 野山三世無空上人ノ開山ニシテ関東ノ高野山ト称セラレ東國鎮護ノ勅願寺ト ナル然ルニ元弘三年新田義貞鎌倉進攻ノ戦乱ニヨリ一山悉ク烏有ニキス暫ク テ応安三年久良岐郡金沢称名寺塔頭延命院住僧等海上人勅命ニヨリ際光セン トシテ資材探索中寺領ノ山中ニ於テ紅熟セル柿ノ果実ヲ発見其ノ甘味豊潤ニ シテ他ニ類例ヲ見ズ依テ寺庭ニ移植シ更ニ近在ノ人々ニ栽植ヲススメ王禅寺 丸ト命名セリ下ツテ江戸幕府創立後ハ市場ニ多ク出荷サレ競売ノ砌王ヲ略シ テ禅寺丸ト称スルニ至ツタノハ元禄時代ノ事ト伝エラレル処ニヨツテハ丸柿 或ハ黒熟トモ云イ隔年結果ノ習性ヲ持ツテイル明治三十六年求メニ応ジ広島、 岐阜、静岡、福島ノ各県ニ苗木ヲ送ツタガ福島デハ結果セルモ渋柿ニ変ツタ ト報告サレテイル明治四十二年秋柿生村々会議員一同ハ都築郡々長ヲ通ジ王 禅寺二000番地森七郎氏ノ栽培品二百個ヲ陛下ニ献上サレタ 尚当寺ハ柿寺トモ云ハレ庭前ノ原木ハ今尚多クノ着果ヲ見セテイル
旧小机領三十三石観音霊場 第廿二番星宿山蓮華蔵院王禅寺
ほしやどる寺は しんにょのくもりなく ふだらくやまの じょうどなるらん
王禅寺の境内には禅寺丸という柿の原木があり、神奈川の名木100選にも選ばれています。 その近くには「禅寺丸」と題した像もありました。 頭には曲がった角を二本生やして何やら厳つい顔をしてます。 左手には杖を持って褌姿で腰掛けた像です。 柿の禅寺丸とはどういう関係なのかは分りませんでした。
かながわの名木100選 王禅寺のカキの原木
「禅寺丸」というカキの品種の原木で、現在の木はそのひこばえが育ったものである。 また「柿生」という地名はこの「禅寺丸」にちなんで付けられたものと言われている。
樹高6メートル 胸高周囲0.5〜2.0メートル 樹齢約450年(伝承)
カキノキは、北海道をのぞく全国で栽培されている落葉高木で、 実は、大きさ、形などさまざまであるが、甘柿と渋柿があり、干し柿など食用として喜ばれている。 樹高20メートル、胸高周囲3メートル、樹齢約450年に達するものもあると言われている。
 (神奈川県)
先ほどの石段の所まで引き返して石段を降っていくと、すぐに大きな山門があります。 両側には阿吽の姿をした仁王像が安置されていました。 山門をくぐって竹林のそばを進んでいきます。 本堂の脇から降ってきた道を合わせて、その先へと進んでいきます。
小さな池を過ぎていくと、石柱の門があります。 向こう側から見て、右手に「星宿山」、左手に「王禅寺」と記されていました。 これが王禅寺の正門になるようです。 門を出て、右手に続く坂道を登っていきます。
川崎歴史ガイド◎王禅寺ルート 星宿山王禅寺
真義真言宗豊山派の古刹で、室町時代には真言密教の道場となり、「東国の高野山」と称されました。 多くの末寺を持っていた王禅寺は、この地域で古い由緒を持つ寺院のひとつである。
2分ほどで坂道を登り切ると、右手の山際に「柿生の里散歩道案内図」が立っています。 「柿生の里散歩道」として、柿生駅から王禅寺ふるさと公園までの約6kmのコースが紹介されています。 ここからは、この散歩道にほぼ沿うようにして柿生駅まで戻っていきます。 散策路の要所には案内図が設置されていて、迷うことなく歩いていくことができます。
柿生駅…(500m)…おっ越し山ふれあいの森…(1100m)…月読神社…(700m)…籠口の池公園…(1000m)…子ノ神社…(900m)…五郎池…(800m)…虹ヶ丘こども文化センター…(400m)…琴平神社…(700m)…王禅寺ふるさと公園
案内板の先にある王禅寺ふるさと公園へ向って石段と山道が続いていますが、 今回はそのまま坂道を越えて先へと降っていきます。 降り始めた所の右手に開けた所がありました。 斜面にある広場になっていて、デッキやベンチも設置されていました。 正面の樹木越しには遠く丹沢の山並みが続いていました。
金子稲荷大明神
送電線の鉄塔「鴨志田線NO.14」を過ぎて更に降っていくと、 右手のこんもりとした高みに金子稲荷大明神があります。 「正一位金子稲荷大明神」と書かれた赤い幟が沢山立てられていました。 鳥居をくぐり石段を登っていくと、赤い小さな祠がありました。
記念碑
正一位金子稲荷大明神御神木に就いて
樹齢約四百年余りに渡り風雪に耐えぬいた老杉が昭和41年秋の台風被害に依り消失せり。 茲に改めて苗木を植樹する。 大正12年9月関東大震災の折、大破せし鳥居を昭和48年春再建復興併せて一族の繁栄を永遠に 祈願するものなり。
 (復興責任者)
琴平神社
金子稲荷大明神からその先へと進んでいくと、琴平神社の裏手から境内へ出ます。 社殿には大きな酒樽が沢山捧げられていました。 正面の急な石段を降って車道に降り立つと、脇には「琴平神社本殿」と刻まれた石柱が立っています。 ここにも「柿生の里散歩道案内図」があるので参考にしましょう。
川崎歴史ガイド◎王禅寺ルート 琴平神社
王禅寺村の名主であった志村文之丞が、文政9年(1826)に讃岐の金刀比羅宮の分霊を勧請し、 神明社と合祀したものである。 現在は「柿生のこんぴらさん」と呼ばれ人々に信仰されている。
この境内地は公園として地域の皆様に利用して戴いております。 ゴミは各自持ち帰り清掃奉仕にご協力をお願い申し上げます。
 (琴平神社社務所)
琴平神社儀式殿
車道を右手に進んでいくと琴平神社交差点のT字路があります。 角には道祖神や馬頭観世音の石碑が立っています。 信号を渡って左手へと進んでいくと、超特大の赤い鳥居が立っています。 境内には福寿稲荷大明神・多賀大明神・塩釜大明神などもありました。 琴平銭洗弁財天もあり、鎌倉にある弁財天と同じく、此処でお金を洗うと財が増えるのだそうです。 初宮のお参りでしょうか、産まれて間もない赤ちゃんを抱いた家族連れがお参りに来ていました。
武州柿生 琴平神社縁起
当神社に代々伝わる古文書によると、正徳元年(1711)以前に伊勢山の地に神明社があった事が記されています。 その文によると「崇源院様(徳川二代将軍秀忠の正室)ご繁栄の砌、祈祷所として当村鎮守大神宮を勧請致し、 これまで年々伊勢踊り、神事祭礼、湯立神楽等仕え来たり当村の鎮守に御座候」と記されており、 その後(文政9年1826)伊勢山の地に当村名主志村文之丞によって四国金刀比羅宮祭神をこの地に勧請し、 神明社・琴平社の合社が再建された。これが琴平神社の起りです。 昭和55年氏子崇敬者による金刀比羅大神の崇敬の思潮が強く打ち出され社名を琴平神社と改称されました。 祭神は大物主命(別名を大国主命とも称す)であるが、神明社と琴平社の合社相殿のお宮であったため、 右側に天照皇大御神を、左側に琴平大神をお祀り申し上げ、神座は別々の神座となったものであります。 社殿には僧上坊と鴉天狗の石像が安置されており、これは神仏混交の影響を受けたものです。 本殿の境内の手水舎を担った山伏姿の石像は「がまんさん」と呼ばれ、地域の人々の信仰をあつめています。 天神殿の天井には渡辺華山筆と伝えられる63枚の花鳥山水を描いた板絵が嵌めこまれています。
琴平銭洗弁財天由来
志村家古文書に拠ると、 「是は当村弁天巳待講中之有、講毎に江之嶋百味代参金積立の代参以来、 同所(王禅寺)蓮沢(嶋形)に之を築き石宮建立す(講中)」とある。 弁財天石宮が造営されましたのは文化元年(1803)頃と推察されます。 此処でお金を洗うと財が殖えると言われています。 又弁財天神は才智芸能の女神として有名でございます。
神明社
儀式殿を後にして更に車道を進んでいくと横断歩道があります。 そこから右手に道が分かれていきます。 角には麻生消防団の器具置場があるので目印にしましょう。 そこを右手へ曲がっていくと「柿生の里散歩道案内図」があるので参考にしましょう。 道なりに1分ほど進んでいくと、右手の高みに神明社があります。 鳥居をくぐって石段を登っていくと社殿があります。
川崎歴史ガイド◎王禅寺ルート 神明社
神明社は、王禅寺村の鎮守五社のひとつである。 祭神は天照大神・大国主命で入口谷戸の鎮守となっている。 初めは、後北条氏の家臣であったといわれる吉垣氏の社であった。
鳥居まで引き返して右手へと進んでいきます。 緩やかな坂道を登っていくとT字路があります。 角には「柿生の里散歩道案内図」があるので参考にしましょう。 T字路を右折して進んでいくと、生け垣のある民家の手前に、右側へ続く細い道があります。 道標などはありませんが、ここを入っていくと稲荷森稲荷社があるので、ちょっと往復してきましょう。
稲荷森稲荷社
民家の脇の細い道を進んでいくと石段が現れます。 間隔の狭い石段を登っていき鳥居をくぐって更に石段を登っていくと、 こんもりとした高みに社殿があります。 境内には大きな木があり、左手には竹林が広がっていました。
川崎歴史ガイド◎王禅寺ルート 稲荷森稲荷社
稲荷社は王禅寺村の鎮守五社のひとつで、入口谷戸の鎮守である。 江戸時代初めに久保倉氏の先祖が、村の安穏と五穀の豊饒を祈願し、 京都の伏見稲荷から勧請したものである。
元の道まで戻って民家の生け垣に沿って進んでいきます。 生け垣の先で道が分かれていますが、生け垣に沿って民家を周るようにして右折していきます。 坂道を登っていくと竹林が現れます。 やがてジグザグに曲がりながら階段を登っていくと、稲荷社の裏手の高台に出ます。 道路に出て真っ直ぐに進んでいくとT字路があります。 正面には「籠口ノ池公園」が広がっています。 ここにも「柿生の里散歩道案内図」があるので参考にしましょう。
籠口ノ池公園
T字路を右折して民家と森の間の道を進んでいくと、T字路の所に公園の入口があります。 ここにも「柿生の里散歩道案内図」があるので参考にしましょう。 公園へ入ってすぐ右手に降っていく横木の階段があります。 森の中に続く広い階段を降っていきます。
階段を降っていくと前には籠口ノ池が広がっています。 そばには東屋もあります。 ここは桜の名所で、春には一面が桜色に染まるようです。 左手へと続く道を降っていくと住宅地へ降り立ちます。 ここにも「柿生の里散歩道案内図」があるので参考にしましょう。
籠口ノ池調整池
この施設は、大雨の時、雨水を一時貯水して、 下流に影響をあたえないよう、少しずつ流す大切な役目をします。
貯水容量:14,000立方m、貯留水深:2.2m、常時水深:2.4m、貯水面積:6,192平方m
 (川崎市麻生土木事務所)
公園を出て左手へと進んでいきます。 小川の上に蓋をして通れるようになっている道を進んでいきます。 畑や民家の間を進んでいくと、くだもの直売をされている民家もあったりします。 クイフルーツ・レモン・花ゆずなどが販売されていました。 野菜の直売はは春になってからのようでした。 今年はみかんの収穫量が少なくて直売はできなかったとの断り書きもあったりしました。 そんな畑を見ながら進んでいくとT字路があります。 角には「柿生の里散歩道案内図」があるので参考にしましょう。 ここは変則的な四叉路になっていて、この直ぐ右手に東柿生小学校交差点があります。 横断歩道を渡って、民家の裏庭に続いていそうな細い道へと入っていきます。
細い道を通っていくとすぐに広い道に出ます。 そこにも「柿生の里散歩道案内図」があるので参考にしましょう。 道なりに民家の中の道を進んでいくとT字路があります。 正面には下麻生花島公園があります。 ここにも「柿生の里散歩道案内図」があるので参考にしましょう。 案内図に従って左手へと進んでいきます。
左折して1分ほど進んでいくと、真福寺川に架かる不動橋を渡っていきます。 朱色の擬宝珠が目立つ橋を渡って坂道を緩やかに登っていくとT字路があります。 正面の石垣の上に「月讀神社入口」の標識と「柿生の里散歩道案内図」があります。 何だか民家の庭先へ続く道のようにも思えますが、この正面の坂を登っていきます。
民家の植込みの間を抜けていく細い道を進んでいくと、竹林の中の横木の階段を登るようになります。 小さな石造の祠を見ながら登っていくと、道幅も少し広がってきます。 次第に竹は減って雑木や杉などが増えてくると、緩やかな道になります。
月讀神社
緩やかになった道を進んで鳥居をくぐっていくと、月讀神社の境内に着きます。 「月讀神社」という名前は全国的にも非常に珍しいようです。 日本神話によると、同じ神から生まれた天照大神や須佐之男とは違ってとてもマイナーな存在になっています。 同じ兄弟だというのにこの違いは何処からくるのでしょうか。 何か歴史的に重要なことを伝えているようにも思えてきます。
伊勢皇太神宮別宮 麻生総鎮守 月讀神社
初詣、家内安全、交通安全、厄除、安産、受験・就職、地鎮・上棟・竣工祭、方位除、七五三祝、各祈願
月讀神社由緒
祭神 月夜見尊(日本國の天照大神と共に夜の國をしろしめし給う)
配祀神 伊弉諾尊・伊弉冉尊、大日霊貴尊、白山媛命、猿田彦命
祝祭事 元旦祭1月1日、合祀記念祭7月11日、例大祭9月29日、七五三祭11月15日
当社は約450年前、武蔵國都築郡麻生郷の領主小島佐渡守が打続く 応仁戦乱の苦悩にあえぐ領民のため、天下泰平五穀豊穣を祈願して、 伊勢皇大神宮別宮月讀宮の分霊を勧請、天文3年9月29日亀井城の 卯の方に社殿を建立し、1尺1寸8分の尊像を奉安したのが創始である。 宝永5年の富士山噴火、又天保3年の大飢饉等に際し、上麻生三井・ 下麻生安藤の両領主を始め領民挙げての発願により、しばしば社殿を 修復、領内安穏子孫繁栄の祈祷を行った。 明治43年4月内務省神社局は神社の合併を奨めたので大正5年7月 11日上麻生熊野神社・白山社、下麻生日枝神社を合祀、同時に指定村社 麻生神社となったが、昭和8年2月月讀神社の社号は全國にも極めて稀な ところから再び元の月讀神社を称えることになった。 その後、第二次世界大戦等幾多世情の変転を経て、社殿の荒廃が甚だし くなったため、復興の議が高まり、昭和40年後半年以来450戸の氏子及び 崇敬者等相集い相謀り、総工費金4500万円也を以て、同49年9月 29日、鉄筋コンクリート神明造の新社殿が落成遷宮、引続き玉垣社務所等 51年3月、総誇示を竣成した。
月讀神社の左手の鳥居を出た所に「柿生の里散歩道案内図」があるので参考にしましょう。 鳥居を出て真っ直ぐに進んでいきます。 1分ほど先にT字路がありますが右折していきます。 左右に分かれていく道もありますが、道なりに真っ直ぐに進んでいきます。 集合住宅を見ながら進んでいくと再びT字路があります。 そこを右折して緩やかに降っていくと車道に出ます。 出た所の角に「鎮守 月讀神社 西参道」の看板が立っています。 右手に曲がった所に「柿生の里散歩道案内図」があります。 散歩道はそのまま車道を進んでいくようになっていますが、 案内図の立つ道路向かいにある坂道を登っていきます。 突き当たりまで登っていくとT字路になっています。 そこにも「柿生の里散歩道案内図」があります。 案内図に従って左手へと坂道を登っていくと、道は右へと曲がっていきます。 その角にも「柿生の里散歩道案内図」があります。
王禅寺源内谷南公園
民家の横に続く坂道を更に登っていきます。 民家が途切れると森の中へと入っていきます。 雑木林から竹林へと変わっていく森を進んでいきます。 やがて現れるT字路を左折して、竹林に沿って進んでいきます。 右手に街並みを眺めながら進んでいくと、「王禅寺源内谷南公園」の看板が立っていました。 公園とは云っても、竹や雑木の生える森です。
森に入って5分ほどすると分岐があります。 道標などは見当たらず、うっかりしていると気づかずに通り過ぎてしまいそうです。 浄慶寺へはここを左折していくのですが、 このまま真っ直ぐに進んでいくとおっ越し山ふれあいの森があるので、ちょっと往復してきましょう。
おっ越し山ふれあいの森
1分ほど進んでいくと「おっ越し山ふれあいの森」と書かれた看板が石の上に架かっています。 その裏手から続く山道を登っていくと、小高い所に着きます。 輪切りにした丸太がベンチ代わりに幾つか設置されていました。 周りは樹木に覆われていて余り眺めはよくありません。 「柿生の里散歩道」は看板の所からその先へと続いていましたが、 先ほどの分岐まで引き返して浄慶寺へと向います。
緑地は火気厳禁です。 たき火など、みかけたら通報してください。
 (川崎市北部公園事務所)
秋葉大権現
少し登ってから降っていくと、道の右手に秋葉大権現があります。 引きがなくて正面からだと全体が収まらないので、斜め横から写しました。
秋葉大権現縁由
當山鎮守三尺坊秋葉大権現は遠江国大居村なる太登山秋葉寺の三尺坊大権現の尊像と 同木同作にて行基菩薩の彫刻し給いしなり。 其始の同国域釣の郡比邑に鎮座し奉りて総鎮守なりしなり。 然るに此の麻生村に支配(知行)せらるる三井家にて領地せられたればなりけり。 其辺は同国相良に因たる地なれば公より命令ありて宝暦12壬午年相良の城主田沼候に賜へり。 三井家には駿河国の岡部と藤枝の駅の北へ替へ地を賜へりしなり。 暫て當時は此の村を三井家天正年中より領地せられて祖先寿光院殿を葬りて菩提寺とし 開基造営せられしなりければ、其地替の時しも秋葉大権現を遷座し奉られしなりけり。 因にいう三井家後に菩提寺の増上寺なるは忝くも東照神祖の異なる思慮おはしまして二代なる 見樹院殿乃命を蒙りてなり。 其の後祖先寿光院殿は永禄12巳己年3月神祖小牧山に出陣し給いし時、 長湫の従に敵とし開戦し粉骨砕身して遂に自刃せられたり。 然武功を立られたる跡なればなりけり。 爾当山に秋葉大権現を鎮座し奉られしは三井家領知の村に火防厄難消除五穀豊穣庶民安穏の為也。
 (武蔵国都築郡小机領上麻生村麻生山浄慶寺現住)
浄慶寺
正面の石段を降って鳥居をくぐった所の右手に浄慶寺があります。 ここはアジサイと山桜の名所のようで、花の季節にも訪れてみたい所です。 酒を酌み交わすもの、お茶を嗜むもの、尺八を吹くもの、何やら相談をしているもの、将棋を指しているもの等々、 境内には一風変わった姿の石仏が沢山ありました。 足の裏に小僧さんが彫られた石仏(?)もあったりしました。
麻生山浄慶寺 本堂屋根修復事業 瓦寄進のお願い
当山は、383年前の元和7年(1621)に創建された浄土宗の寺院です。 現在の本堂は、関東大震災で破損された後、昭和8年(1933)に再建されたものです。 以来71年間、風雪に耐えて、自然環境に恵まれた"柿生の里"にふさわしい『庵』の面影を保ちながら、 現在に至っております。 屋根の寿命は50年といわれていますが、既に71年経っております。 この度、雨漏りや傷みが激しいので、本堂屋根の修復工事を行うことになりました。 ご参詣の皆様や、当山にご縁のある方々のご協力をいただきながら、 浄財勧募をしていく所存でございます。 ここに広く、ご縁のある皆様におよびかけをして、屋根瓦のご寄進を仰ぐ事になりました。 どうか一枚でも多くのご協力を賜りまして、法縁を結ばれますようにお願い申し上げます。 合掌
 (麻生山浄慶寺 住職)
大きな石柱の門から出て坂道を降っていきます。 駐車場を過ぎて降っていくと車道に出ます。 右折して車道を道なりに進んでいきます。 上麻生バス停を過ぎていくと十字路があります。 そこにも「柿生の里散歩道案内図」があります。 おっ越し山ふれあいの森を抜けてきた「柿生の里散歩道」が合流しています。
柿生(かきお)駅
十字路を直進していくと、程なくして元の柿生駅(小田急小田原線)に着きます。
バスターミナルの角にも「柿生の里散歩道案内図」があります。