久野の里
散策:2005年12月中旬
【里山散歩】 久野の里
概 要 久野の里は小田原市の北部の丘陵にあって、古墳などの遺跡も残る古い歴史のある里です。 実り豊かな狩川沿いを散策してから一面にミカンが栽培されている丘を登って久野の里へと向います。 正面に箱根外輪山を望みながら、悠久の歴史が流れる里の史跡や寺社などを訪ねて歩きます。
起 点 小田原市 蛍田駅
終 点 小田原市 飯田岡駅
ルート 蛍田駅…狩川…蓮正寺橋…水道橋…水源地入口交差点…清水神社…穴部球場…五叉路…久野四号古墳…久野15号古墳…フラワーガーデン入口…総世寺…小田原フラワーガーデン…諏訪神社…正應寺…府川交差点…飯田岡交差点…飯田岡駅
所要時間 3時間20分
歩いて... この日は天候に恵まれ、箱根外輪山の上には薄っすらと雪化粧をした富士山が頭を出していました。 狩川では多くの水鳥を見かけ、丘ではミカン畑が広がっていました。 開発が進む中にあっても、まだまだ豊かな自然が残されている里でした。
関連メモ 久野の里, 狩川
コース紹介
蛍田(ほたるだ)駅
蛍田駅(小田急小田原線)から歩いていきます。
改札口を出て、直ぐに右手へと曲がっていきます。
道は直ぐに左へ曲がっていきます。 100mほど先にある十字路を直進していくと分岐があります。 薄っすらと雪化粧した富士山が、正面の箱根外輪山の上にちょこっと頭を出していました。 「この先150m車巾1.4m以上の車両通り抜け不能」と書かれた幅員減少の道路標識が立っているので目印にしましょう。 ここを左折して真っ直ぐに進んでいきます。
頭を出した富士山を右手に眺めながら田畑が続く道を進んでいきます。 風避けのためなのでしょうか、ビニールハウスを取り囲むようにして稲藁の塀が出来ていました。 余り見たことがない物だったのに何故だか郷愁を感じて、しばらく眺めていました。
稲藁と云えば、農業をしていた私の実家にも毎年秋になると沢山出来ました。 刈り取った稲を稲木に干して、乾いたら家の中の土間で脱穀します。 ゴーという脱穀する音を今でも思い出します。 電動モーターからベルトで脱穀機に力を伝え、 周囲に金属製の輪が沢山ついたドラムを回転させます。 稲の穂先を入れる度にゴーと音をたてて脱穀していきます。 その時に細かい棘のようなものが沢山飛び散り、戸を閉めていても隣の居間まで入ってきて、 チクチクとして体中が痒くなったものでした。 そんな夜には即温泉へ入りに行くのでした。 脱穀して出来た稲藁は軒下などにうず高く積み上げていました。 それらを買い取る業者も回ってきていました。 縄をなったり田畑の肥やしにしたりと使い道はかなりあったように思います。 私の実家では余り見かけませんでしたが、もっと昔には稲藁で筵を編んだり蓑を作ったりしたようです。 お盆の送り火の時には稲藁で作った小さな舟にお供え物や蝋燭などを添えて川へ流したものでした。 そんな稲藁の塀に囲まれて、ビニールハウスも温かそうでした。
小川に架かる短い橋を渡って民家の間を進んでいきます。 少し行くと舗装道路は右手へと曲がっていきますが、 その角から真っ直ぐに続いている土の道へ入っていきます。
狩川
やがて道は左へ曲がり、狩川の左岸に続く土手道になります。 土手を歩き始めると「狩川散歩道」と書かれた標識が立っていました。 川沿いの土手が散歩道になっているようです。 右手には狩川の流れが続いていて、その向こうの箱根外輪山の上には富士山も頭を覗かせていました。 矢倉岳でしょうか、お椀を伏せたような急峻な山がその右手に見えていました。
川をきれいにしましょう
花を大切にしましょう
 (蓮正寺ほたるの会)
蓮正寺橋
小田原厚木道路の橋の下をくぐっていくとすぐにある蓮正寺橋を渡っていきます。 狩川はこの先500mほどの所で酒匂川と合流して相模湾へと流れていきます。 川が合流した辺りには小田急の鉄橋が見えています。 川の中に入って長い釣竿を伸ばしている人を見かけたりもします。
蓮正寺橋を渡ると、左には「松田線No.11」、右には「西-平13号」の送電線の鉄塔が立っています。 この地区ではこれ以外にも多くの送電線の鉄塔を見かけました。 橋を渡ってすぐに右へ曲がり、狩川の右岸に続く土手を歩いていきます。 先ほどの小田原厚木道路を再びくぐって上流へと進んでいくと、左手には田んぼが広がっていました。 刈り取られて脱穀して残った稲藁が田んぼに幾つも立てかけてらていました。 雪が降る地方だということもあってか、私の故郷ではこのような光景は余り記憶にありません。 細かく切って撒いていたように思います。
しばらく土手を歩いていくと、大きな松の木が1本生えていました。 根元には菰が撒きつけられていました。 この土手にはアジサイが沢山植えられていて「狩川あじさいロード」という名前もあるようです。 季節になると、綺麗な花で土手が彩られるのでしょうか。 カモの仲間でしょうか、川面では沢山の水鳥が泳いでいました。 箱根外輪山の奥には雪化粧した富士山が頭を覗かせ、その右手にはお椀を伏せたような金時山が見えています。 更に右手の方へと目をやると、丹沢の山稜が広がっていて、何だか気分も大きくなってきます。 このような環境に育つと「人間」の器も大きくなろうというものです。 この辺りからは頭を少しだけ覗かせている富士山ですが、 国府津駅から鴨宮駅へ向う辺りからはもっと下の方まで見えていて、 意外と近くにあるような感じがしたりします。
お願い
空ビン・空カン・ゴミ類は、捨てずに各自お持ち帰り下さい。 遊漁証(釣り券)は、必ず見やすいところへ取り付けて下さい。
 (酒匂川漁業協同組合)
ここは河川用地です。畑などの耕作を禁止します。
 (神奈川県小田原土木事務所)
水道橋
やがて送電線の鉄塔「二-湯56号」が近づいてくると水道橋があります。 橋のすぐ先の上流で、仙了川が流れ込んできています。 サギの仲間でしょうか、水面には白い水鳥が沢山いました。 狩川沿いの土手道はこの先も続いていますが、今回はここを左折して久野の里へと向っていきます。
水源地入口交差点
土手を降って伊豆箱根鉄道大雄山線の水道橋踏切を渡っていくと、 県道74号の「水源地入口」の交差点があります。 この信号を渡って、すぐ右手の脇から続く石段を登っていきます。
清水神社
右手に竹林を見ながら石段を登って民家の脇を過ぎ、鳥居の先の石段を更に登っていくと、 こんもりとした丘の上にこじんまりとした清水神社があります。 社殿の中を覗いてみると、「ふるさと清水新田若宮八幡神社御祭礼」の幟や、 「若宮八幡神社」と書かれた堤燈がありました。 正確には「清水新田若宮八幡神社」というようです。 この里の方でしょうか、後からやってきて手を合わせていかれました。
私の故郷にも八幡神社がありました。 この清水神社よりも高い所にあって、多くの石段を登っていった山の中腹にありました。 秋祭りの前夜には村の子供たちが集って、社殿の中で一夜を明かします。 「こもる」といっていました。 境内で焼き芋などをして暖をとったりしながら体を温めてから寝ます。 焼き芋をしている間は大人も付き添っていましたが、寝る時になると子供たちだけになります。 一人だけだととても夜明かしはできそうにもありませんが、みんな一緒なので心丈夫に感じたものです。 夜明けの少し前になるとみんな起き出して、 鉦や太鼓など叩いて「東の空が白〜んだ」と言いながら村中をふれて歩いたものです。 祭りの日がやってきたことを知らせる意味があったのでしょう。
敬神生活の綱領
一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
一、大御心をいただきてむつび和ぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること
 (神社本廳統理 徳川宗敬)
穴部球場
清水神社の左手から降っていくと、すぐに道路に降り立ちます。 正面には相洋高校の穴部球場があります。 球場の右手に続く坂道を登っていくと、 練習をしていた高校生が「おはようございます」と元気な声で挨拶をしてくれました。 若々しくて何とも羨ましい限りです。 グランドの上まで登っていくと、道が二手に分かれています。 左手には室内練習場がありました。 マネージャーでしょうか、女子高生と思われる女性が2人ほど、グランドで練習する部員を見つめていました。 専用球場もあって、さぞ伝統のある高校の野球部なのでしょう。 室内練習場の先は行き止まりなので、ここは右手に続く坂道を更に登っていきます。
坂道を少し登っていくと、山の斜面にはミカン畑が続いていました。 木には黄色くなった実が沢山ついていました。 次第に山道の雰囲気がしてくる道を進んでいきます。 振り返ると、小田原の街並みの向こうには丹沢の山稜が、手前には先ほどの球場が見えていました。
森を抜けていくとT字路があります。 正面には送電線の鉄塔が聳えています。 そこを右手へと進んでいきます。 すぐの所にある左手へ分かれていく道を見送って、丘の上に続く道を進んでいきます。 道の両側にはミカン畑が続きます。 防風林なのでしょうか、平たく刈り込まれた高さ1m強の樹木が道に沿って並んでいました。 家族ぐるみでミカンの収穫作業をしている姿も見かけたりしました。
やがてカーブミラーのあるT字路があります。 そこを左手へ曲がり、坂道を軽く登っていきます。 樹木の切れ間からは小田原の街並みが広がっていました。 先ほどよりも標高が少し高くなって、相模湾の向こうには房総半島や三浦半島らしい影が見えていました。
なだらかになった道を進んでいきます。 資材置き場を過ぎていくと広い舗装道路へ出ます。 丘の上だというのに、何だか場違いが感じがしたりします。 ここを右手へと進んでいきます。
正面に箱根外輪山を望みながら、丘の上の広い道路を進んでいきます。 右の方には何やら円筒形の白い建物が見えています。 道路の左右には、造園業の畑やミカン畑などが続いていました。 普段はせせこましい街中で暮らしているためか、 このような広がりのある場所へ来ると、何だか心までも広々としてくる気がします。 この日は快晴で空には雲ひとつない天気だし、気分も軽やかに歩いていきます。
五叉路
「南無観世音菩薩」と刻まれた石碑を過ぎて2分ほど進んでいくと分岐があります。 左手へ道が二つ分かれいて、右手には先ほどから見えていた円筒形の建物へと続く道が分かれています。 この建物は新久野配水池の施設のようです。 右手の角の上には「諏訪塚林場塚神」や「六塚供養塚」と刻まれた石碑がありましたが、 その謂れなどは分りませんでした。 左手の上には「道路改築紀念碑」が立っていました。 角に立つ道標によると、正面の道は「久野古墳(4・15号)、フラワーガーデン700m、総世寺1000m」、 これまで歩いてきた道は「久野1号古墳1600m、五百羅漢2500m」となっていました。 久野1号古墳や五百羅漢にも興味を感じたりしますが、このまま真っ直ぐに進んでいきます。
道路を2分ほど進んでいくと、再び道標があります。 それによると、正面の道は「久野15号古墳200m、フラワーガーデン600m、総世寺900m」となっています。 支柱には「久野4号古墳入口」と記されていました。 「久野遺跡巡りコース」とも記されていて、古墳などを巡る散策コースになっているようです。
久野四号古墳
道標に従って左手へ入っていくと、すぐに久野四号古墳があります。 こんもりとした古墳の手前には「小田原市指定史跡 久野諏訪ノ原四号古墳」と記された柱が立っていました。 解説板はないものかと捜していると、奥の畑の方に向って立っていました。 そばには「古墳の霊を弔う」と刻まれた石碑もありました。
小田原市指定史跡 久野四号古墳
この古墳は、古墳時代後期(6〜7世紀)に築かれた円墳で、 昔から久野百塚とか九十九塚等と呼ばれてきた久野諏訪の原古墳群の一基です。 昭和26年秋、小田原市は、この古墳の発掘調査をしました。 この結果、古墳の構築法がわかったほか多くの副葬品も出土して、 古墳群の研究に貴重な資料を得ることができました。 この円墳の大きさは、直径20メートル、高さ3.5メートルで、 本来の形は、お供え餅を二つ重ねたような二段式の円墳であったようです。 内部は、幅1.5メートル、長さ約7メートルの横穴式石室が南に向って開口しています。 また、玄室には、二体以上の人骨が認められ、装飾の勾玉・管玉・丸玉、 その他鉄製の鏃・直刀、土師器等が副葬されていました。 なお、出土品は、小田原市郷土文化館に展示されています。
 (小田原市教育委員会)
四号古墳を後にして、広い道路をその先へと更に進んでいきます。 茶畑も広がる道2分ほど進んでいくと、道標が立っています。 正面の道は「総世寺700m、敷石住居跡2100m、フラワーガーデン400m」となっています。 左手に細い道があって「久野15号古墳50m先」となっています。
久野15号古墳
両側に樹木の壁ができて狭い回廊のようになっている所を抜けていくと、道の脇に久野15号古墳がありました。 石積みをした舟型の石室が復元されていました。
久野15号古墳
久野古墳は、俗に「久野百塚」「九十九塚等」などと呼ばれ、 いずれも横穴式石室をもつ高塚式円墳で、県下でも有名な古墳である。 戦後かなり破壊されたが、現存する物約数10基、 これはいずれも古墳時代の後期に属するものである。 小田原市ではこれら古墳のうち、比較的保存状態の良いものの中から 丘陵上の先端にある大円墳を1号とし、これより西へ順番に番号を付しており、 この古墳が15号に当たるわけである。 この古墳は、昭和33年8月に、日本大学教授軽部慈恩博士を発掘担当者とし、 日本大学考古学会が久野遺跡調査会の協力を得て学術発掘した。 調査の結果「舟型古墳」の代表的骨格を残していることを確認したので、 土地所有者のご厚意により永久保存することとし、 ここに見られるように石室のみを復元して古墳の石組構造が見られるようにした。
フラワーガーデン入口
15号古墳から道路に戻って、その先へと進んでいくと3分ほどでT字路があります。 角に立つ道標によると、右手の道は「フラワーガーデン200m」となっていますが、 正面の道は「総世寺、敷石住居跡」となっています。 「フラワーガーデンへは右手へ曲がっていくのですが、 総世寺まで500mほどなので、ちょっと立ち寄ってきましょう。
すぐの所で道が左手へ分かれていきますが、そのまま真っ直ぐに進んでいきます。 諏訪ノ原下バス停を過ぎていくと、正面に大きな木が見えてきます。 「総世寺」と刻まれた石碑を見ながら短い石段を登り、 その先の石門から入っていきます。 大きな木や石灯篭が立ち並ぶ参道をまっすぐに進んでいきます。
総世寺
山門をくぐっていくと総世寺の境内になります。 謂れを読んでみると、かなり歴史のある有名なお寺のようです。
総世寺
総世寺は、阿育王山と号し、曹洞宗小田原三山の一つに数えられる寺で、 室町時代中期の嘉吉元年(1441)の創建である。 開山は、小田原城主大森信濃守頼明の子安叟宗楞禅師で、 開基は、禅師の甥で小田原大森氏第4代の信濃守氏頼である。 この寺は、数多くの歴史的な事件が起っている。 その中でも明応2年(1493)相模の豪族三浦導寸義同が、義父時高と家督相続について争った時、 この総世寺に一時身を隠した事件は、 天正18年(1590)の小田原戦役の際、豊臣軍の司令官羽柴中納言秀次が陣を張った所として有名である。 この様な長い歴史を持つ当寺には、数多くの文化財を所蔵している。 この中で開山安叟禅師画像と、羽柴秀次寄進の撞鐘は、それぞれ小田原市の重要文化財に指定されている。 また境内にあるカヤの木は、目通り4.8メートルあり、小田原市の天然記念物に指定されている。
お寺まいりのすすめ十箇条 積徳
一、辺を過ぎて詣ずべし、ただし寄道を要せず
二、暇をつくりて詣ずべし、ただし無理を要せず
三、思いたてば詣ずべし、ただし家業を欠くを要せず
四、迷あらば詣ずべし、ただし望外を望むべからず
五、憂きわまって詣ずべし、ただしすべてを委すべし
六、志たたば詣ずべし、加護を信ぜざるべからず
七、喜びありて詣ずべし、ただしこれ信心のおかげなり
八、忌日命日に詣ずべし、ただし自発的な心を持ってなり
九、招かれて詣ずべし、これ願ってもなき好機なり
十、正法を求めんとして詣ずべし、人たるのつとめと心得べし
総世寺の山門の脇には、根回りが2mを優に越えそうな巨大なカヤの木があります。 これほど大きいと、その存在感に圧倒されてしまいそうになります。 このお寺と共に、永い悠久の歴史を見つめてきたのでしょうか。
かながわの名木100選 総世寺のカヤ
幹はまっすぐに高く伸び、根元が大きく四方に広がり堂々とそびえる美しい巨木である。 小田原市の天然記念物に指定されている。
樹高23メートル 胸高周囲5.3メートル 樹齢約250年(推定)
カヤは、宮城県から屋久島の山地に生える常緑高木で、幹は直立し、よく分枝し、横枝は水平に出る。 樹高35メートル、胸高周囲8メートル、樹齢約1000年に達するものもあると言われている。
 (神奈川県)
総世寺から先ほどのT字路まで引き返して、フラワーガーデンへと向っていきます。 工場のような建物や諏訪原バス停を過ぎていくと、左手に大きな煙突の建つ清掃工場があります。
小田原フラワーガーデン
突き当たりを右手へ曲がって100mほど進んでいくと小田原フラワーガーデンがあります。 多くの花の苗などが植えられてた玄関から中へと入っていきます。 正面入口の前には小田原フラワーガーデンバス停があって、小田原駅まで1時間に2本程度の便があります。
トリピカルドームという円筒形の温室へ入っていくと、暖かくて南国ムード漂う雰囲気が広がっていました。
この温室は、亜熱帯植物(花木・果樹)を主に植えられ、 一年中南国ムードが楽しめ、植物の生態も学べます。 暖房は、ごみの焼却施設の余熱を再利用しております。
直径40m
高さ22m
面積1265u
最低温度15℃
平均温度25℃
この時は1階の展示コーナーでシクラメン展示即売会が催されていました。 微妙に色合いの違う鉢植えが沢山並んでいました。
よい株を見分けるチェックポイント
・花弁の幅が広く素直に反転している×成長ホルモンの使用によってねじれた花弁
・花色があせていない×色の褪せた花が交じっている
・大小たくさんの蕾がある×中小の蕾がないものや、鉤が発生していたり茶褐色になって痛んでいる
・葉に適度な硬さがある×全体に水っぽく軟らかい
・葉の色つやがよい×葉が黄色く変色していたり艶がない
・葉の数が多く、きれいに並んでいる×飛び出した葉がある株は肥料が効きすぎている
・葉のつけ根にカビが発生していない×根元にカビが発生してたり蕾の茎が腐って折れたり枯れている
・値段が同じなら小さな鉢サイズを選ぶ
フラワーガーデンを後にして、更にその先へと進んでいきます。 道路は桜並木になっています。 メモリアルロード事業として、 各木には、名前と私的な記念名の書かれたプレートが掲げられていました。 少し進んでいくと十字路があります。 正面の先にある「諏訪神社」と書かれた小さな看板に従って直進していきます。
諏訪神社
道なりに左へ曲がっていくと、産業廃棄物処理の事業所への入口があります。 そこを右折して進んでいくとT字路があります。 角にある「諏訪神社」と書かれた看板に従って左手へ曲がっていくと造成中の公園へ出ます。 その正面の森の中に見えている鳥居を目印にして進んでいくと、諏訪神社があります。 鳥居をくぐっていくと植林帯に囲まれるようにして社殿がありました。 右手には御神木の立札の立つ大きな木も生えていました。 左手には馬頭観世音と刻まれた石碑もありました。 時代の変化なのか、訪れる人も少ないようで、少し寂れた佇まいでした。
諏訪神社を後にして左手へ進んでいきます。 右手に電話会社の電波塔を見ながら進んでいくとT字路があります。 ここから左手の森の中へと続く坂道を降っていきます。
森の中の坂道を降っていくと、やがて正面が開けてきます。 小田原の街並みの向こうに丹沢の山々が続く景色が広がっていました。
正面に街並みを見下ろしながら更に降っていきます。 再び樹木が生い茂る中を降っていくとT字路があります。 道標はありませんが右手へと降っていくと、やがて集落へと降りていきます。 竹製の垣根のある民家を過ぎて更に降っていくと分岐があります。 右手の石垣の上にある「曹洞宗正應寺」の案内板が右手の道を指しています。 飯田岡駅へは左手へ降っていくのですが、ちょっと正應寺へ立ち寄っていきましょう。
正應寺
T字路を右折してすぐの所にある分岐を直進して道なりに進んでいくとT字路に出ます。 そこを右折して坂道を登っていくと正應寺があります。 近年に建て替えられたのか、本堂は真新しくなっていました。 境内の入口には地蔵堂があって、赤い前掛けをした小さなお地蔵さんがびっしりと並んでいました。
府川交差点
先ほどの分岐まで引き返して、その先へと降っていきます。 左右に田畑が点在する集落の中を降っていきます。 T字路を直進し、十字路を直進していくと、理容室を過ぎた先にT字路があります。 角には「正應寺入口」の看板が立っています。 そこを右折していくと、ガソリンスタンドの先に府川交差点があります。
飯田岡交差点
府川交差点を鋭角に左へ曲がって県道74号を300mほど進んでいくと飯田岡歩道橋があります。 そのすぐ先に飯田岡交差点があります。
飯田岡(いいだおか)駅
飯田岡交差点を右折していくと、踏み切りの右手に飯田岡駅(伊豆箱根鉄道大雄山線)があります。
小田原駅まで、1時間に5本程度の便があります。