東生田自然遊歩道
散策:2005年10月上旬
【街角散策】 東生田自然遊歩道
概 要 東生田自然遊歩道は川崎市の北西部に広がる多摩丘陵に続く遊歩道です。 自然を感じながら公園や寺社や史跡などを巡るコースで、鉄道の駅から駅へと歩くルートに設定されています。 雑木林が続く東生田緑地の散策や枡形山展望台からの360度の展望も楽しみです。
起 点 川崎市 読売ランド前駅
終 点 川崎市 向ヶ丘遊園駅
ルート 読売ランド前駅…お稲荷さん…寺尾台緑地…寺尾第1公園…寺尾第2公園…八角堂跡…生田寒谷公園…土渕不動院…生田東高校…東生田緑地…根岸稲荷歩道橋…三峯神社…広福寺…天神社…戸隠不動堂…枡形山…飯室山…長者穴横穴古墳群…向ヶ丘遊園駅
所要時間 4時間40分
歩いて... 歩く距離はそれほど長くはありませんが、景色などを眺めながら散策していると、意外と長い時間がかかりました。 住宅地を歩く部分もありますが、雑木林や緑地などもあって、森林浴も楽しめるコースになっています。 開発が進む中にも、まだまだ自然が残されていました。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
読売ランド前(よみうりらんどまえ)駅
読売ランド前駅(小田急小田原線)から歩いていきます。
南口を出て左手に進んでいきます。 直ぐの所にある大作歩道橋を渡って階段を降りると、右手に「東生田自然遊歩道案内図」があります。 ここから向ヶ丘遊園駅まで続く遊歩道のルートが載っているので参考にしましょう。 案内図によると、約6.5km、4〜5時間とのことです。
東生田自然遊歩道
向ヶ丘遊園駅…750m…長者穴古墳群…150m…飯室山…150m…枡形山…200m…戸隠不動堂…350m…天神社…100m…広福寺…750m…根岸古墳…50m…三峰神社…100m…東生田緑地…800m…生田東高校…900m…土渕不動院…750m…生田寒谷公園…50m…八角堂跡…300m…寺尾第1公園…350m…寺尾台緑地…640m…お稲荷さん…100m…読売ランド前駅
お稲荷さん
歩道橋を降りてその先へ真直ぐに進んでいくと、すぐに左手に分かれていく坂道があります。 そこを左折して緩やかに登っていくと、程なくして右手のこんもりとした所にお稲荷さんがあります。 大きなモミの木の間の石段を登っていくと鳥居があり、その先の数段の石段の上に小さな祠がありました。 この時は扉が開いていて、中を見ることができました。 両側の「奉」と「納」と刻まれた石の上には狐の像が座っていました。
お稲荷さんを後にして、坂道をその先へと登っていきます。 坂道を登り切って民家の前を右へ曲がっていくと、道が二手に分かれています。 道標などはありませんが、そこを右手に降っていきます。 横の畑にはザクロが植えられていて、丸くて大きな赤い実をつけていました。
坂道を緩やかに降っていくとT字路があります。 ここにも道標はありませんが、突き当たりを右手へと降っていきます。 樹木に覆われた坂道を降っていくと車道に降り立ちます。 降りた所に道標はありませんが、左手へ進んでいきます。
ちょっと違う…
川崎市のホームページにある遊歩道MAPでは、 ここを右手に行った先にあるY字路を左折していくように描かれていて、 このMAPを参考にして右手へと進んでいってもY字路はなく、読売ランド前駅の歩道橋の所へ戻ってしまいます。 Y字路は右ではなくてすぐ左手にあります。 坂の上にあった分岐を左手へ進んでいくと、MAPどおりの場所に降りてこられたのかも知れませんが、 その分岐を右手に進むように読み取れる書き方になっていました。 家に帰ってから地図を見てみると、坂の上の分岐は、やはり左手へ進んでいけばよかったようです。
寺尾台住宅入口
左折して直ぐに道が二手に分かれています。 左手へ登っていくのは日本女子大学への道で、右手にある寺尾台住宅入口の信号のある車道の方を進んでいきます。 道はまたすぐに二手に分かれています。 そこにある横断歩道の手前に四角い「東生田自然遊歩道案内図」があるので参考にしましょう。 横断歩道を渡った所にも遊歩道の案内板があります。 案内板の設置場所も描かれているのでそれを目当てにして歩きましょう。 横断歩道を渡って緩やかな登り坂を進んでいきます。
寺尾台緑地
左手に街並みを見下ろしながら並木道を真直ぐに登っていくと、左手の斜面には樹木が生えていました。 これが寺尾台緑地なのかと思いながら進んでいくと、坂道を登りきった辺りに遊歩道の案内板が立っていました。 その先には「寺尾台緑地」の看板も立っていました。 4613uの広さがある緑地なのだそうですが、柵がしてあって中に入ることはできません。
コソドロが まわれ右する 近所の和
 (寺尾台自治会)
寺尾台第1公園
道は坂を越えて降るようになります。 右への分れ道を二つ見送っていくと、寺尾みどり幼稚園の先に十字路があります。 右前方の角には遊歩道の案内板が立っています。 その十字路を右折して坂道を登っていくと、左手には寺尾台第1公園が続いていました。 4415uの広さだそうで、樹木に覆われた広場や遊具などがありました。 公園の先の十字路を左折していくと、また遊歩道の案内板があります。
ゴミは持ち帰りましょう。
 (川崎市北部公園事務所)
公園を後にしてその先へと真直ぐに進んでいくとT字路があります。 角には遊歩道の案内板がありましたが向こう側を向いていて、こちらから歩いてくるとよく分りませんでした。 この遊歩道は、どうも向ヶ丘遊園駅から歩いてくるようにできているようです。 そこを右折して、生け垣の続く坂道を降っていきます。 突き当たりを道なりに左へ曲がってその先へと進んでいくと、 右手の遠くには街並みが見えてきます。
寺尾台第2公園
寺尾台団地の外側を回るようにして続く道を進んでいくと、左手へ曲がった所に寺尾台第2公園があります。 手前の小さな車止めのある入口から公園へ入っていくと、 金網で囲まれた所があり、そこから右下へ急な階段が降っていきます。 そこに遊歩道の案内板も立っていてコースはこの階段を降っていくのですが、 公園の左手の奥に八角堂跡があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。 公園には大きな「東生田自然遊歩道案内図」もありました。
・みんなでなかよくあそびましょう。
・みんなできれいにしましょう。
・施設や木を大切にしましょう。
・犬のはなしがいはやめましょう。
・犬のフンは飼い主がかたづけましょう。
・野球やサッカーをするのはやめましょう。
・きけんなあそびやよその人にめいわくのかかることはやめましょう。
 (川崎市北部公園事務所)
八角堂跡
公園の奥には八角形に石積みされた八角堂跡がありました。 柱が立っていたと思われる所はコンクリートで埋められていました。 八角堂跡の中ほどには石造の記念碑もありました。 団地造成のために、当初にあった位置からここへ移設したのだそうです。
寺尾台八角堂跡
この遺蹟は、平安時代初期に建てられた東日本では数少ない八角形の仏堂であることがわかりました。 それは、この場所より13.5mも高い山林中にありましたが、 団地造成によって建立当時の位置に保存することができなくなりましたので、 ここに基檀を復原し、永く保存いたします。
 (川崎市、日本住宅公団)
寺尾台廃堂跡
寺尾台廃堂跡は、昭和26、27、43年の三ヶ年にわたって発掘調査されました。 その結果、基檀の上に建てられた堂宇の存在が推測されました。 基檀の平面形が直径約9メートルの八角形であることから、建物も小型の八角円堂で、 その建立の時期は、屋根を葺いた瓦の年代から、平安時代初期(9世紀前後)と推定されます。 この八角堂は、付属の建造物が伴わないところから、寺院というよりは、 山林中にひっそりと祀られた供養堂のような性格であったと考えられ、 東国における数少ない遺跡として貴重です。 この八角堂基檀は、発掘調査の成果をもとにして復元されました。
 (川崎市教育委員会)
生田寒谷公園
ヒガンバナの咲く階段を降っていくと、正面には小振りの生田寒谷公園があります。 階段を降りた所と公園に遊歩道の案内板が立っています。 これから向う土渕不動院へのルートを案内板で確認しておきましょう。 ここを左手に行った直ぐのT字路を更に左手へと進んでいきます。
少し右手へ曲がってから緩やかに降っていく坂道を300mほど進んでいくとT字路に出ます。 小さな山下川を渡った先には広い生田浄水場があります。 橋を渡った所にも遊歩道の案内板があるので参考にしましょう。
橋を渡って、浄水場と山下川に挟まれた右手の道を進んでいきます。 浄水場の裏門を過ぎていくと、分岐から5分ほどでT字路があります。 角には遊歩道の案内板も立っています。
土渕不動院
右手に架かる橋を渡ったすぐ先に土渕不動院があります。 入口には「瀧本山土渕不動院」と刻まれた大きな石柱が立っています。 その先の短い石段を登っていくと本堂がありました。 境内には柵がされた横長の祠の中に沢山の仏像が並んでいました。 閻魔堂というのだそうです。
瀧本山土渕不動院本堂落成記念碑
當瀧本山土渕不動院の御本堂不動明王は霊験灼かにして、遠き昔より祖先の尊崇厚く、 祭祀は共有地の収益と私共の奉仕によって維持され、今日に至った。 明治24年4月1日、土渕居住の49名は盟約を結び、土地の共有関係を明確にした。 其後時代の変遷に伴い、他に転ずる者も多く、土地の管理に支障を来し、本堂は甚だしく荒廃した。 私共はその再興を計り、十年の歳月と努力を重ねて、共有地一部の処分をなし、 昭和39年3月12日、土渕不動院組合を結成し、その資金をもって漸く今日本堂の建立に及んだ。 私共は本院の隆昌と人々の福祉、親睦、並びに子孫の繁栄を希い、 本碑を建て本堂の落成を記念するものである。
 (土渕不動院組合)
閻魔堂
中央の閻魔様より左右に五体づつ十王様が並んでおり、前に脱衣婆像(地獄で衣類をはぎとってしまうという)、 鬼卒、但生神があります。 人頭杖は不明です。
土渕不動院を後にして、右手に続く道を進んでいきます。 すぐの所にある生田土渕公園を過ぎて坂道を緩やかに300mほど登っていくと、 山の手会館の先で、道が右手に分かれていきます。 道路の左側には「生田ふれあいの森」の案内図がありました。 この案内図を参考にして、右手の道を、ふれあいの森へと進んでいきます。 入口には金網の扉がしてありますが、その横から入っていくことができます。 また、入口には「生田ふれあいの森」の道標も立っています。 文字が消えそうになっていますが、何とか読むことができました。 広い道は生田浄水場に作られた散策道になっていて、 入ったすぐの所から左手の民家の崖沿いに細い道が続いています。
当散策路は、川崎市水道局生田浄水場配水し池用地東南の山の斜面部分を散策道として、 市民の皆様に開放するものです。 配水池は、市民の皆様がいつでも安心して飲んでもらえる飲料水を溜めておくところなので、 周囲を汚さないように、皆様で気をつけて御利用ください。
 (生田浄水場)
ススキの生い茂る崖下の道を登っていきます。 草むらには「生田ふれあにの森」の道標がひっそりと立っていました。 更に進んでいって短い石段を登り、民家の裏手を回り込むようにして進んでいきます。 道は左へと曲がっていきます。 道なりに進んでいくと十字路があります。 そこを右折して坂道を登っていくと、右手に生田ふれあいの森があります。 茶色のトタン板のある所にある道標「生田ふれあにの森」に従って、横木の階段を登っていきます。
この附近でたき火・喫煙をすると、枯草火災の危険がありますので注意して下さい。
 (多摩消防署)
生田ふれあいの森
横木の階段を登った先は小広くなっていて「生田寒谷緑地保全地区」の標柱がポツンと立っていました。 その奥にこんもりとした高みがあり、そこへ登っていく道があるので、右手から周っていきました。 散策路の両側には杭がしてあり、ロープが張られていました。 登り着いた所は草のない小さな所になっていて、野鳥の解説板が設置されていました。 周りは樹木に覆われていて展望はありませんが、ここから降っていって、 降り口にある木組みの階段の所からは街並みを見わたすことができました。
生田ふれあいの森
この森は、土地所有者のご厚意により市が借り受けふれあいの森として整備したものであります。 おたがいに自然を大切にし、林内の立入り・動植物の採取、また他人の迷惑となる行為や 喫煙・ゴミの投げ捨てはやめましょう。
 (川崎市)
この付近で見られる野鳥
みんなで見つけてください
カワラヒワ 河原や林などで普通。スズメ大の鳥で、オリーブ色の丸味をおびた体形。飛ぶと翼に黄色の帯が目立つ。キリリコロロ。その合間にビィーンビィーンとさえずる。
イカル 林にすむ。スズメより大きくムクドリ位。くちばしは黄色く太い。冬は平地に降りることもあり、群れで行動する。キョコキー、キョコキーとさえずる。木の実を好む。
シジュウカラ 林に普通の鳥で、巣箱をよく利用する。スズメ大で、よく動きまわる。黒い頭に白いほお、胸から腹に黒いネクタイ状の模様。ジュククジュ、ツーピーツツピーなどと鳴く。
メジロ 全国に普通に見られ、常緑広葉樹林に多い。スズメよりやや小さい黄緑色の体で、目のまわりが白い。甘いものが好きで、ウメやツバキの花の蜜を吸う。チー、チーと鳴く。
キジバト ヤマバトとも呼ばれる。明るい茶色で首に黒と青白いしま模様がある。デデッポーとのんびりした声で鳴き、地面をのこのこ歩いて餌をとる。
ヤマガラ 全国の広葉樹の森にすむ、スズメ位の小鳥。腹の栗色とはほのクリーム色が目立つ。樹洞に巣をつくり、エゴの実やシイの実を木のうろなどに貯える。ツーツーピーと歌う。
ヒヨドリ 全国に分布し人家付近や林で最も普通。スズメの2倍位の大きさで、尾が長く灰色の体。春、秋に群れで移動する。ピーヨピーヨと騒がしく鳴く。
ホオジロ 全国で見られ、明るい林や草原を好む。スズメ大の鳥で茶色の体。顔は黒と白の斑(雌は褐色と白)。チチッチチッと鳴き、木のてっぺんで胸をそらせてさえずる。
オナガ 低地から山地の村落や木の多い市街地に普通。灰色の体、水色の長い尾に黒の頭。10羽ほどの群れで生活し、雑食性。グェーグェー、キュイキュイと鳴く。
木組みの階段を降りて、元の金網のある扉の所まで引き返していきます。 そのまま山下川の所まで舗装道路を降っていってもいいのですが、 せっかくなので、生田浄水場の散策道を経ていくことにしましょう。 金網の手前から左手へ登っていく広い道を進んでいきます。
配水池
大きな木の生えている坂道を緩やかに登っていくと、正面に電波塔が見えてきます。 その先に配水池の門があります。 門には柵がしてあって中には入れませんが、柵の合間から中を伺うことができます。 広い場所になっていて、公園のような雰囲気のする所でした。
ここは配水池といって、下の浄水場から送られた飲料水を溜めておく池であります。 いつでも市民の皆様に安心してご使用いただけるよう周囲を汚さないためにも、 中に入らないようにしてください。
 (生田浄水場)
配水池からは、右手にある長い階段を降っていきます。 何段あるのでしょうか、かなり長くて登りには選びたくないと思いながら降っていきます。 道路に降りて左手へ進んでいきます。
生田土渕公園・土渕不動院を過ぎて、元の山下川沿いの道へ戻り、右手へと進んでいくと、 ほどなくして十字路があります。 正面に遊歩道の案内板がありましたが、心ない者がマジックで落書きをしていて分りにくくなっていました。 左手には生田浄水場の正門がありますが、右手に架かる短い土渕山下川橋を渡っていきます。 橋を渡った所にも遊歩道の案内板があるので参考にしましょう。
橋を渡って、その先の坂道を登っていきます。 意外と傾斜のある坂なので、急いで登っていくと息が切れそうになります。 途中で右への分岐も何箇所かありますが、左手の山沿いの道を登っていきます。 6分ほど登っていって坂道の頂上辺りにくると、道が二手に分かれています。 角に立つ遊歩道の案内板に従って、左手へ曲がっていきます。 「生田東高等学校→」の看板も立っています。
生田東高等学校
なだらかになった道を進んでいきます。 やがて少し降るようになると、左手に生田東高等学校の門がありました。 校門を過ぎて更に降っていきます。
降り着いた所に十字路があります。 その右前方の角から続く細い石段を登っていきます。 登り口には遊歩道の案内板が立っているので参考にしましょう。 石段を登って民家の前を通り小さな坂を越えていくとT字路があります。 正面には遊歩道の案内板が立っています。 そこを左折して進んでいきます。
集合住宅を過ぎていくと、正面にまた集合住宅があります。 その手前で道が二手に分かれていますが、右手の道を進んでいきます。 普通の民家が建ち並ぶようになると、登り坂になってきます。 この辺りから東生田緑地になります。 このまま真直ぐに坂道を登っていってもいいのですが、 ここから左手ひ降りていく細い道を降っていきました。
真ん中に小さな階段のついた坂道を降っていくと、右手が広くんなってきます。 その中へと入っていくと「多摩区市民健康の森」の看板が立っています。 その脇から散策道が始まっています。 「日向山の森」ともなっていました。
山の斜面に雑木林が広がり、その中に歩きやすい散策路が続いています。 横木の階段を登った所で、先ほどの坂を直進してきた道からの入口に着きます。 そこから左手へ続く散策路を進んでいきます。 広くて緩やかな道を快適に歩いていきます。 ベンチも設置されていたりして、森林浴をしながら休憩するのにも良さそうな所です。
日向山うるわし会では、美しい雑木林の再生と野生動物の保護や成長を願って森の管理作業を行っています。 里山は人の手が入ることにより成り立っている植生であり、 アズマネザサ等を刈ることによって林床に陽が当るようになると、 長い期間休眠していた沢山の野生植物が芽生え、豊かな植生層が再生されます。 そうした野生植物は美しい花を咲かせ、実をつけ、 私たちを楽しませてくれるのと同時に、さまざまな植物の命も育みます。 また、この区域は、小学校の総合演習や大学の野外学習のほか、 植物のアマチュア研究グループなどの活動場所でもあります。 こうして芽生えてくる野生植物や生物をみんなで楽しむために次のことを守ってください。 また、利用者がお互いに注意し合い、貴重な野生動植物を盗掘や捕獲から守りましょう。
・動植物の捕獲、採取はやめましょう。
・在来の植生を守るため、外からの植物の持ち込みはやめましょう。
・花火、爆竹など鳥や動物が驚く行為はやめましょう。
・タヌキなどの野生動物を守るため、犬などのペットを放さないでください。
・野生生物を伝染病などの病気から守るために糞は必ず飼い主が始末しましょう。
 (日向山うるわし会、川崎市北部公園事務所)
東生田緑地
森の中の十字路を直進して緩やかに登っていくと、左手が開けて、街並みを見わたすことができるようになります。 そこを過ぎて横木の階段を登っていくと、石畳になった頂上に着きます。 頂上とはいってもほんの少しこんもりとした程度です。 この辺りには散策路が幾つか通っていて、右手の方からも道がきています。 テーブルやベンチが幾つか設置されているので、ひと休みしていきましょう。 ここにも大きな「東生田自然遊歩道案内図」がありました。 「日向山掲示板」というのもあって、ここは日向山とも云うようです。 多摩区市民健康の森と東生田緑地と日向山はどういう関係なのでしょうか。 掲示板には「日向山の森(東生田緑地)」と書かれていました。
日向山うるわし会
日向山うるわし会って?
「次代に残そう多摩の里山」を理念に、市民と行政のパートナーシップで誕生した活動組織です。 市民のボランティアが中心になって、日向山の森(東生田緑地)の管理活動をしています。
 ・野鳥や昆虫、植物などの自然を尊重し、自然と共生を目指す。
 ・自然と人間との歴史的な関わり合いを背景に森を整備していく。
 ・子供からお年寄りまで誰もが楽しめる森を目指す。
どんなことをやっているの?
日向山の森は長いこと手入れができず、竹が侵入し、笹が生い茂っていました。 その竹や笹を刈るのが第1の仕事です。 3年余にわたる作業の結果、今では珍しい野草や鳥が観察されるようになりました。
一緒にさわやかな汗を流しませんか
「日向山うるわし会」の活動は毎月1回。奇数月は第3土曜日、偶数月は第3日曜日です。 雨天の場合は翌週の同じ曜日になります。 帽子、手袋を用意し、動きやすい服装でお出かけください。
集合場所:日向山頂上、集合時間:午前9時30分(作業は11時30分まで)
 (日向山うるわし会事務局)
根岸稲荷社
日向山の頂上から正面の横木の階段を降っていきます。 やがて十字路があります。 道標等は見当たりませんでしたが、そこを左手へと進んでいきます。 森の斜面に続く緩やかな道を少し進んでいくとT字路があります。 そこを右折して横木の階段を過ぎていくと、左手の上に祠が見えてきます。 道をそのまま進んで正面へと回り込んでいくと県道13号の上に出ます。 「正一位根岸稲荷大明神」と書かれた赤い幟が幾つも立っていました。 左手へ曲がった所にある石段を登り、赤い鳥居を二つくぐっていくと、根岸稲荷社の小さな祠がありました。
根岸稲荷歩道橋
石段まで引き返して左手へと坂道を降っていくと根岸稲荷歩道橋があります。 その手前には遊歩道の案内板があるので参考にしましょう。 根岸稲荷歩道橋を渡って左手に降り、直ぐに右手の細い石段を登っていくと、 東生田遊歩道橋の先に出ます。 そこを右手に曲がって坂道を登っていきます。 民家を挟むようにして二つの道がありますが、その右側の方の道を進んでいきます。
東生田遊歩道橋
根岸稲荷歩道橋を見送ってそのまま正面の坂道を降っていっても同じ所に出ます。 県道13号の横に降りて、そこからまた坂道を登っていくと東生田遊歩道橋があります。 そこにも遊歩道の案内板があります。 案内板の示すルートはその東生田遊歩道橋を渡っていきます。 どちらを歩いても同じような距離ですが、東生田遊歩道橋経由の道の方が広くて歩きやすくなっています。 東生田緑地には散策路が幾つか通っているので、 歩くルートによっては東生田遊歩道橋を渡る方が近道になるかも知れません。
三峯神社
坂道を登って左へ曲がっていくと、正面に竹林が現れます。 その入口の所に赤い鳥居が立っています。 そばには遊歩道の案内板もあります。 鳥居をくぐったすぐ先に、三峯神社の小さな祠がありました。 遊歩道の案内板には「三峰神社」とありますが、この神社には「三峯神社」と書かれています。
三峯神社由緒
当社の由緒は古く、景行天皇が国を平和なさろうと、皇子日本武尊を東国に遣わされた折、 尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て碓氷峠に向われる途中、当山に登られました。 尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、その昔伊弉諾尊・伊弉冊尊が我が国を お生みになられたことをお偲びになって、当山にお宮を造営し二神をお祀りになり、 この国が永遠に平和であることを祈られました。 これが当社の創まりであります。 その後、天皇は日本武尊が巡ぐられた東国を還幸された時、上総国(千葉県)で、 当山が三山高く美しく連なることをお聴き遊ばされて「三峯山」と名付けられ、 お社には「三峯宮」の称号をたまわりました。 降って聖武天皇の時、国中に悪病が流行しました。 天皇は諸国の神社に病気の平癒を祈られ、三峯宮には勅使として葛城連好久公が遣わされ、 「大明神」と神号を奉られました。 又、文武天皇の時、修験の祖役の小角が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられています。 この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。 …(中略)… この様に天台修験の関東総本山として繁栄した当山も、宝永7年(1710)山主覚雄没後、 山主に恵まれず十年間も無住となり、宝物も散逸し、社殿・堂宇も破損が見られるようになりました。 やがて、享保5年(1720)日光訪印という僧によって、当山も次第に復興され、 以後六里四方を支配し、今日の繁栄の基礎が出来ました。 「お犬様」と呼ばれる御眷属信仰が遠い地方まで広まったのもこの時代であります。 以来隆盛を極め信者も全国に広まり、三峯講を組織し、三峯山の名は全国に知られました。 その後明治2年の神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至っています。
神社の先には竹林が続いています。 散策路の両側には竹で柵がしてあって、その外側の竹林へは入らないようにとのことです。 次第に降り坂になる道を進んでいくと、5分ほどで竹林から出ます。
根岸古墳は…
これまでにあった遊歩道の案内板によると、三峰神社の先の右手辺りに根岸古墳があるはずです。 少し離れた所にあるのかと思って分岐道を捜してみましたが見当たりませんでした。 竹林の中の散策路の右手にこんもりとした墳墓らしき形のものはありました。 これが根岸古墳かなと思ってもみましたが、解説板のようなものは見かけませんでした。
通行の皆様へ
ここから多摩警察署方面までの路は、土地所有者の金子様のご厚意により、 「多摩区の散歩道」として通行が出来ます。 散歩の方は、絶対に通路外の竹林等には入らない様にお願いします。
 (多摩区役所)
住宅地に降りた少し先にT字路があります。 そこにも遊歩道の案内板があるので参考にしましょう。 T字路を左折し、その先の突き当たりを右折していくと県道3号に出ます。 すぐ左手にある多摩警察署南側交差点の信号を渡って、道路の向かい側にある道へと入っていきます。
饅頭屋やフラワーショップを過ぎていくとT字路があります。 そこを右折し、五反田川に架かる松本橋を渡ってその先へと進んでいくと、 小田急線の向ヶ丘遊園4号踏切があります。 踏切を渡ると道が二手に分かれています。 コースは右手へと続いているのですが、左手の坂道を少し登っていくと広福寺があるので、 ちょっと立ち寄っていきましょう。
広福寺
踏切を渡って左折すると道が二手に分かれています。 線路沿いの道は見送って、右手へ登っていくくらやみ坂を進んでいくと、ほどなくして広福寺があります。 「稲毛城主菩提所寺 稲毛館跡」と書かれた板の架かる柱を抜けて境内へと入っていきます。
鐘楼を過ぎて石段を登っていくと本堂があります。 付け替えられたのか、そばには古くなったギボシが置き去りにされていました。 「廣福寺縁起」が書かれた石碑もありましたが、字が読みにくくなってました。 周りは樹木に囲まれていて静かな佇まいでした。 ベンチが設置されていたので、腰をかけてひと休みしていきました。
川崎歴史ガイド【津久井道と枡形城址】 広福寺と稲毛三郎
平安時代に開かれた真言宗広福寺は、鎌倉時代、この地の領主稲毛三郎重成により中興されたと伝わる。 境内にはその墓といわれる五輪塔もある。
廣福寺の文化財
当寺は、真言宗豊山派に属し、慈覚大師(円仁)により、平安時代承和年間(834〜848)に 創建されたと伝えられています。 当寺の本尊木造聖観世音菩薩立像は、寄木造、玉眼入で、 制作年代は鎌倉時代末期から南北朝時代初期ごろと思われます。 当初は、全身布張りの上に彩色したものと思われますが、現在は下地塗りのみが残り、 一見、素木造のように見えます。 また、木造地蔵菩薩立像は、寄木造、彫眼の量感にあふれた仏像で、 制作様式は平安時代後期の特色をもっています。 現在は全身布張りの上に彩色されておりますが、これは江戸時代に修理を加えた際のもと思われます。 これらの仏像は、昭和41年7月19日、神奈川県重要文化財に指定されました。
 (川崎市教育委員会)
天神社
広福寺から踏切の所まで引き返して、その先へと進んでいきます。 「専修大学国際研修館→」の看板のかかる分岐を見送ってその先へと進んでいくと、 右手に石造の鳥居が立っています。 鳥居の先の石段を登っていくと、天神社の本殿があります。
川崎歴史ガイド【津久井道と枡形城址】 天神社と韋駄天
天神社はこの辺り一円の氏神。 古く「江戸名所図会」には韋駄天社と記されている。 足の速い神として知られる韋駄天の像は、今も広福寺の守護神として祀られている。
天神社を後にしてその先へと進んでいきます。 1分ほど行った所にあるY字路を左手へ進んでいくと、右手に石段があります。 そばには遊歩道の案内板も立っています。 「生田緑地」と刻まれた石柱を見ながら、幅の広い石段を登っていきます。
戸隠不動尊跡地
広い石段を登っていくと「ホタルの里」への分岐があります。 そばには「ホタルの里案内図」もありましたが、 今回は訪れるのは見送って、その先の桜並木の道を進んでいきました。 東屋のある小広い所を過ぎていくと、柱が何本も立っている戸隠不動尊跡地に着きます。
戸隠不動尊跡地
由緒・沿革
鎌倉時代、稲毛三郎重成の居城があったといわれる枡形山に、昭和2年秋、一堂が建てられました。 本尊不動明王(像高39.5cm)と二童子は、明治初年まで信州戸隠神社の実道院の仏像で、 その後、東京本所堅(立)川の法樹院に奉安されていましたが、 昭和5年、現在地に本堂が建立され、安置されました。 昭和40年、武相不動尊霊二十八札所の第二十六番札所となり、酉年には多くの参詣者が訪れましたが、 平成5年冬焼失し、現在跡地が生田緑地として整備せれています。
川崎歴史ガイド【津久井道と枡形城址】 戸隠不動跡と自然探勝路
この地には、信州戸隠神社より招来した不動明王をまつる戸隠不動堂があった。 かつての参道は自然探勝路として生まれ変わったが、山桜の並木に往時の姿を偲ぶことができる。
戸隠不動尊跡地の右手奥から雑木林の中に続く横木の階段を登っていきます。 横木の階段が途切れた所に着くと「谷間の自然探勝路」が右手に分かれていきますが、 道標「枡形山広場」に従って、その先に続く横木の階段を更に登っていきます。
植物採取はかたく禁ずる
 (北部公園事務所)
枡形山 (標高84m)
横木の階段を5分ほど登っていくと広い枡形山広場に着きます。 休日とあって、多くの家族連れで賑わっていました。 広場の中ほどには「枡形山山頂 海抜八十四米」の石柱が立っています。 広場の奥には枡形山展望台があります。 エレベータの周囲を何度も回るようにして階段が続いています。 展望台の上へ登ると360度の眺めが広がっています。 東側には新宿方面・向ヶ丘遊園、 南側にはMM21地区・専修大学、 西側には富士山・丹沢山系・よみうりランド、 北側には東生田緑地・多摩水道橋が見わたせる素晴らしい眺めが広がっています。
枡形城址と多摩丘陵
鎌倉時代、多摩川沿いの丘陵地には山城や丘城がいくつも連なっていた。 この枡形城をはじめ、小沢城、作延城、亀井城、有馬城、井田城、加瀬城。 多摩丘陵の突端にあって、いずれも関東平野を一望できる格好の地につくられ、 鎌倉幕府の北の守りを固めていた。 とりわけ稲毛三郎重成が本拠を置いたこの枡形城は要所で、 重成の没後、幾度となく争奪が繰り返されている。 城址の一隅にある「馬場あとも…」の碑は伊藤韋天が自作の句を刻んだもの。
枡形城址
枡形山は約七アールのほぼ正方形の平地を山頂としその四方は刀をもって削り去ったような絶壁で眺 望もよく天然の要害をなしている。その名も形が枡に似たところに由来するのであろう。 源頼朝開幕の頃領主稲毛三郎重成がここを居城としたと相伝え下って永正元年扇谷山内両上杉氏の抗 争に際し扇谷方に味方した北條早雲は立川に陣する山内軍を攻めるため伊豆から進軍して途中ここに布 陣し駿河の今川氏親もこれに駆け参じたことが当時の記録に残されている。また永禄十二年甲斐の武田 信玄が小田原へ乱入したとき土地の豪族横山式部少輔弘成は類をここに築いて北條氏のために守ったと の古伝もある。 これらのことからこの枡形山が山城としてしばしは戦国の武将に利用されていたことが推考さる。
 (昭和35年3月 川崎市)
火気厳禁
火災予防のため、たき火・花火等はやめましょう。
ここの公園はクズカゴを置いていません。 ゴミは持ち帰りましょう。
 (川崎市北部公園事務所)
飯室山 (標高80m)
枡形山展望台の右手からその先へと進んでいきます。 木製の門を抜けて横木の階段を降って鞍部に着き、その先の横木の階段を登っていきます。 やがて石畳の道に変わってなだらかになると、小広くなった飯室山の山頂に着きます。 枡形山の広場よりもずっと狭い山頂には「飯室山山頂 海抜約八十メートル」の道標が立っています。 ここで道が二手に分かれています。 正面の道は「稲田登戸病院」となっていますが、右手の道には特に何も示されてはいません。 右手の先に小さな展望舎があって、街並みを見わたすことができます。
飯室山の展望舎の右手から続く横木の階段を降っていくと、やがてボードウォークに変わります。 途中にはデッキがあって、四角いベンチが設置されていました。 雑木林に囲まれながらちょっと休憩していくのにはいい所です。
長者穴横穴古墳群
谷間に続く道を降っていくと、道が二手に分かれています。 左手にある小さな橋を渡って降っていくと、左手に長者穴横穴古墳群があります。 崖の下に穴が幾つか開いていました。
長者穴横穴古墳群
多摩川や矢上川、谷本川に面する丘陵裾部には、数多くの横穴古墳が分布しておりますが、 それは古墳という字義が示すとおり、古代のお墓であります。 一般的に古墳時代の墳墓としては高く土を盛りあげた高塚古墳が知られておりますが、 横穴古墳は、その高塚古墳よりも約三世紀ほど送れて、市内では七〜八世紀ごろに多く築かれました。 そして、江戸時代から長者穴とよばれ親しまれてきたこの穴こそ、じつは最も典型的な横穴古墳であります。 横穴古墳の構造は、出入口武からの細い道《羨道》を経て、遺骸を安置する広い部屋《玄室》に至ります。 通常、玄室には河原石が一面に敷かれ、出入口部《羨門》も河原石を高く積み上げて閉塞しますが、 もし家族などに新らたな死者がでたばあいには再度、出入口部を開けて追葬しました。 つまり、横穴古墳は、追葬がでる"家族墓"であり、それが群在しているのを最大の特徴としております。 この長者穴横穴古墳群は、昭和43年以降たびたび発掘調査され、すでに30基(穴)以上が確認できています。 そのおり、古人骨とともに金環・銅釧・刀子・勾玉・管玉・土師器・須恵器などの副葬品が発掘され、 多摩川右岸下流域の古墳文化研究に多大な後見をしております。
 (川崎市教育委員会)
長者穴横穴古墳群を過ぎてその先へと降りていくと、すぐに道路に降り立ちます。 ここに、生田緑地の案内図と「東生田自然遊歩道案内図」があります。 これで向ヶ丘遊園駅までのルートを確認しておきましょう。
向ヶ丘遊園(むこうがおかゆうえん)駅
道路に降りて右手へと進んでいくとT字路があります。 角に立つ遊歩道の案内板を参考にして、左折して真直ぐに進んでいきます。 稲生橋交差点を渡り、その先のY字路を左手に進んでいくと、正面に向ヶ丘遊園駅(小田急小田原線)があります。