長尾の里
散策:2005年09月下旬
【街角散策】 長尾の里
概 要 長尾の里は川崎市が選定した「長尾の里めぐり」という遊歩道にあります。 公園のように広々とした緑ヶ丘霊園や東高根森林公園を訪ねてから長尾地区の寺社などを巡り、 緑化センターを経て二ヶ領用水沿いの道を散策します。 見事な桜並木や多くの草花にも出会えるコースになっています。
起 点 川崎市 津田山駅
終 点 川崎市 宿河原駅
ルート 津田山駅…緑ヶ丘霊園…善養寺…噴水広場…緑ヶ丘霊堂…東高根森林公園…湿生植物園…自然観察広場…花木広場…古代植物園…古代芝生広場…高根橋…等覚院…五所塚第一公園…長尾神社…妙楽寺…緑化センター…二ヶ領用水…宿河原橋…宿河原駅
所要時間 4時間10分
歩いて... コースの各所には「長尾の里めぐり」の案内板が設置されていて、歩きやすくなっていました。 今回は津田山駅から歩きましたが、宿河原駅にはコース全体の案内図があるので、 宿河原駅から歩き出すと道順が分りやすくていいかも知れません。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
津田山(つだやま)駅
津田山駅(JR南武線)から歩いていきます。
改札口を出た所の道路の向かい側に「長尾の里めぐり」の案内板があるので参考にしましょう。
このような案内板がコース沿いに点々と設置されていて、迷うことなく歩いていけるようになっています。 設置場所もコースに沿って記載されているので、その次にある案内板を目当てにして進んでいきましょう。 コースの各ポイント間の距離も記載されています。 それによると、合計で約5.5kmのコースになります。 先ずはこの図に記されている緑ヶ丘霊園へと向かいます。 改札口を出てすぐ左手にある津田山第一踏切を渡って真直ぐに進んでいきます。
長尾の里めぐり
宿河原駅…850m…緑化センター…1,300m…妙楽寺…100m…長尾神社…50m…五所塚第1公園…400m…等覚院…750m…東高根森林公園…1,900m…緑ヶ丘霊園…150m…津田山駅
(約5.5キロ 3〜4時間)
車に注意して歩きましょう
緩やかな坂道を進んでいくとすぐに十字路があります。 その角には「緑ヶ丘霊園 川崎市」と刻まれた大きな石柱が立っています。 その先からは沿道に大きな桜の木が沢山植えられていて、見事な桜並木になっています。 この桜並木は緑ヶ丘霊園の中にも続いていてかなり長い並木道になっています。 花の季節にはさぞ綺麗なことでしょう。
縁日なのでしょうか、道に沿って露店が並んでいました。 そう云えばこの日は彼岸の中日なのでした。 この先にある緑ヶ丘霊園への墓参客を目当てにしているのでしょうか。 たこやき・あんず飴・ジャガバター・フランクフルト…。 いい匂いに釣られて食べてみようかとも思いましたが、まだ歩き始めたばかりなので止めておくことにしました。 「逆コースにしていたら帰り際に食べていけたのに」なんて思ったりもしました。
延命地蔵尊
祠に入った「延命地蔵尊」が道の脇にありました。 お地蔵さんの前には綺麗な花や紅白の団子が供えられていました。
地蔵菩薩尊之由来
お釈迦様が此の世に在り日頃幾度か彼岸の国に行来きしたが余りにも遠い道のりに、 なんの案内標識も無く困惑して居たが其の没後、お釈迦様の付託を受けてインドにおいて誕生した無佛の世界に居て、 六道・地獄・餓鬼・畜生・阿修羅「悪」・人・天「善」・衆生佛・道導をする様になった。 日本には仁寿2年(1132年前)西暦852年、京都(法雲寺)に六地蔵が作られ安置されたが、 350年後の保元2年に平清盛が京都への入口に分置したと記録されて居る。 彼岸の国への道案内を役目とし村々のわかれ道等に祀られ道導地蔵尊とも呼ばれた、 胎蔵界曼荼羅地蔵院主尊は左手に如意宝輪(蓮華)右手に宝珠(月輪)をもつ。
健康十訓
健康は、嬉しい美しい素晴らしい 何はなくてもやっぱり健康
一 少肉多菜 お肉ほどほど、野菜たっぷり、健康もうもう
二 少塩多酢 塩分摂りすぎは高血圧のもと、酢は健康のもと
三 少糖多果 甘いものは果物から、砂糖は肥満への直通切符
四 少食多噛 腹八分目でよく噛みゃ、幸せも噛みしめられる
五 少衣多浴 薄着で風呂好きの人は、健康を身につけている人
六 少言多行 べらべら喋っている間に、行動を開始せよ
七 少欲多施 自分の欲望のために走らず、他人のために走れ
八 少憂多眠 くよくよしたって同じ、とっとと寝てしまおう
九 少車多歩 自動車は確かに早い、でも歩けば健康への近道
十 少憤多笑 怒った時でもニコニコしていれば忘れてしまう
長寿の勧め
人の世は山坂多い旅の道 節目の齢にお迎えが来たら
還暦 六十才 これからが人生おもしろい
古稀 七十才 やりたいことが山ほどある
喜寿 七十七才 そう急ぐな騒ぐな慌てるな
傘寿 八十才 なんのまだ世間の役に立つ
米寿 八十八才 もう少しお米を食べてから
卒寿 九十才 卒業するには修行が足りぬ
白寿 九十九才 百のお祝いが済むまでは
茶寿 百八才 まだまだお茶が飲み足らぬ
皇寿 百十一才 あと一息がんばれば日本一
花も咲かせよう 実もならせよう
緑ヶ丘霊園
「緑ヶ丘霊園」と刻まれた石柱の門を過ぎて霊園へと入っていくと、道が二手に分かれています。 その角に霊園事務所があり、そばには大きな「緑ヶ丘霊園案内図」があります。 この霊園を抜けるまでの道が載っているので参考にしましょう。 噴水広場から緑ヶ丘霊堂を経て東名高速の脇へと進んでいきます。 右手の道を少し進んだ所に「花と緑と歴史のおりなす長尾の里めぐり」のイラストマップがありました。 この緑ヶ丘霊園はサクラ、東高根森林公園はシラカシ林、等覚寺はツツジ、妙楽寺はアジサイと、 季節によって色々な花を楽しめるコースのようです。 しかし今回は秋口だったので、彼岸花を少し見かけた程度でした。
善養寺
少し進んでいくと車止めがありました。 「これから先 自動車 通行禁止」とのことです。 その脇に「善養寺」と刻まれた石碑があり案内標識も立っていたので、 ちょっと寄道をしていくことにしました。 右手へ続く緩やかな坂道を降って登り返すと善養寺がありました。 彼岸の中日に併せて法要でも行われるのでしょうか、 本堂には白い幕が張られていました。 境内には車が何台も止められていました。 寺院と自動車、もう見慣れた光景にはなりましたが、何となくそぐわない感じがします。 駐車場は少し離れた所に設けるようにして、本堂のある境内には駐車しないように出来ればいいのでしょうが、 諸般の事情により、それができない場合も多々あるのでしょう。
元の道へ戻ってその先へと桜並木の道を進んでいきます。 直径が1mもあろうかという大きな木もあって見事な並木道です。 「ほんと凄いねぇ、これなら100年や200年は大丈夫だよね」などと話ながら歩いていく年配の方もいたりしました。 春には花見も催されるのでしょうか。 墓地のそばでの花見というのも趣きに欠けるようですが、 この見事な桜はそれを打ち消すだけの価値がありそうです。 それにしても広い霊園です。どの位の広さがあるのでしょうか。 余りに広いためなのか、各所に休憩所やトイレが設置されていたりします。 霊園という暗いイメージは余りなくて、何だか公園のような雰囲気のする所です。
噴水広場
やがて少し開けた場所に着くと、真ん中には噴水がありました。 噴水の周りにはベンチが幾つかあって休憩している方もたくさんいました。 広場の手前には川崎市公園協会の直営売店があってドリンク類を売っていました。 天ぷらうどんやアメリカンドッグの立喰コーナーもありました。 美味しそうな誘惑にもじっと耐えて、食べるのはここでも止めておきました。
駅前にあった案内図によると、ここに「長尾の里めぐり」の案内板があるはずです。 どこにあるのかとしばらく捜してみましたが、結局見つけることはできませんでした。 もっと捜せばあったのか、それとも一旦は設置されたが都合により撤去されたのでしょうか。 霊園事務所の脇にあった「緑ヶ丘霊園案内図」もよくは覚えていないし、 この先どう行けばいいのか不安になったりしましたが、 まずは真直ぐに進んでいくことにしました。
緑ヶ丘霊堂
「緑ヶ丘霊堂(納骨堂)まで400メートル」の看板を過ぎていくとT字路があります。 角に立つ道標「緑ヶ丘霊堂・長尾口」に従って、広い桜並木の道をそのまま真直ぐに進んでいくと、 広くなった場所が右手にあります。 「民生委員・児童委員碑」を過ぎていくと緑ヶ丘霊堂がありました。 沢山の人たちが霊前に線香などをお供えして手を合わせていました。
それにしてもこの緑ヶ丘霊園には交通整理の係員がやたらと多くいました。 霊園事務所の辺りからこの先までの道の分岐箇所などには必ず何人か立っていて、 墓参に訪れる乗用車の案内をしていました。 やはり彼岸の中日だから特別だったのでしょうか。
緑ヶ丘東高根鳥獣保護区区域図
この区域は鳥獣の捕獲が禁止されております。 鳥獣の保護にご協力をお願いします。
鳥獣を愛しましょう。
 (神奈川県)
霊堂を後にして広い道を更にその先へと進んでいきます。 「津田山駅口からは出られません」という看板が各所に設置されていました。 やがて道が少し降るようになってくると、桜並木も終わって正面が開けてきます。 送電線の鉄塔も二つ見えています。 浅い鞍部に着くと、道が二手に分かれています。 噴水広場にあるはずだった案内板を見落としたので、 ルートをよく覚えていなくてどちらへ行けばいいのか分りません。 「久地口」の案内標識が右手の道を指していたりしますが、 そもそもこの道でいいのかもよく分りません。 どうしたものかと左右をキョロキョロしていると、 分れ道の角に「長尾の里めぐり」の案内板を発見しました。 それに載っている図によるとこの道でよかったようで、ホッと胸を撫で下ろしたのでした。 この図でも先ほどの噴水広場に案内板があるように描かれています。 そこに案内板があればこんなに不安にならずに済んだものを…と思ったりします。 振り返ると、最初の霊園事務所の脇にあったのと同じ「緑ヶ丘霊園案内図」もありました。 こちら側から入ってくる人への案内のようで、向こう側を向いて設置されていました。 これらの案内図を参考にして、左の方の道を真直ぐに進んでいきます。
園内において、次の行為をしないでください
・営利を目的とした商品販売の営業をすること
・はり紙又は広告を表示すること
 (霊園事務所)
緑ヶ丘霊園長尾口
緩やかな坂道を登っていくとT字路があります。 その左手には東屋が建っていました。 正面には送電線の鉄塔「境-新49号」が立っています。 「川崎市緑ヶ丘霊園長尾口」の標柱も立っていました。 そこを左手へ曲がっていけば霊園の出口になります。 霊園を出た少し先に「長尾の里めぐり」の案内板が立っています。 それに従い、この道を真直ぐに進んで東名高速道路の手前の十字路を左折し、 その先にある東高根森林公園へと向かっていきます。 ここからは要所要所に案内板が設置されているので、迷うことなく歩いていけます。
立派な門構えの家や蔵などの建つ住宅地を200mほど真直ぐに進んでいくと十字路があります。 正面には東名高速道路に架かる喜津根橋がありますが、 カーブミラーの袂にある案内板に従って左折していきます。
ブロック塀や生け垣などを見ながら150mほど進んでいくと、 高速道路の板塀の右手に東高根森林公園の入口があります。 道の右手には「長尾の里めぐり」の案内板も立っています。 散策路はこの道を真直ぐに続いてますが、東高根森林公園へ立ち寄っていきましょう。
東高根森林公園
「県立 東高根森林公園」と書かれた標柱を見ながら公園へと入っていきます。 坂道を少し下った所に「総合案内図」があるので参考にしましょう。 ここは公園の北口になり、すぐ下には子供広場があります。 公園の真ん中にある古代芝生広場を取り巻くようにして、湿生植物園が細長く続いています。 南側にはけやき広場・ピクニック広場・花木広場・古代植物園などがあります。 今回はけやき広場とピクニック広場を除き、古代芝生広場とその周りを中心に散策してみました。
公園の概要
この公園は、川崎市のやや西寄り、東名高速道路と市営緑ヶ丘霊園に隣接した位置にあります。 現在、古代芝生広場になっている場所は、昭和43年から昭和44年の住宅地の開発によって、 弥生時代から古墳時代にかけて営まれた竪穴住居跡が発見され、 また、周囲のカラカシ林(推定樹齢150〜200年)が、学術上非常に価値の高い植物群落であることが判明しました。 そこで県では、これら集落跡とシラカシ林を文化財として保護するため、 昭和46年12月、史跡及び天然記念物に指定する一方、 これら文化財を含む周囲を一体として県立都市公園として整備することになり、 昭和48年度から工事に着手しました。
公園面積:10.6ha(昭和53年4月25日)
文化財:県指定史跡「東高根遺跡」(1.3ha)、県指定天然記念物「東高根のシラカシ林」(2.8ha)
お願い
・ゴミは持ち帰りましょう。
・火は使わないでください。
・野球などの球技はできません。
・湿地に入るのはやめましょう。
・犬は鎖につなぎましょう。
・植物を大切にしましょう。
・自転車,バイク及びローラースケート等の園内乗り入れは禁止!
・公園管理員,パトロール員の指示,注意に従って下さい。
自然観察スタンプめぐり実施中(無料)
実施日時:4月から11月まで 第1日曜日 午前9時より(雨天の場合中止)
園内八箇所のスタンプボストにスタンプが置いてあります。 ご希望の方は公園入口の受付で収集用紙をさしあげます。
(受付時間:午前9時から12時まで)
自然観察をしながらスタンプを収集してみましょう。
 (神奈川県川崎治水事務所、神奈川県公園協会、東高根森林公園)
湿生植物園
子供広場を抜けて緩やかなスロープをジグザグに降って谷筋へと降りていくと、湿地には木道が続いています。 すぐの所に「湿生植物園」と書かれた柱が立っています。 そばには「湿生植物園案内図」もあります。 それによると、この湿生植物園には、 梅林ゾーン・湿生野草ゾーン・湿生樹林ゾーン・湿生花園ゾーン・稲作田ゾーンがあるようです。
湿生植物園案内図
この湿生植物園は、長さおよそ350メートル、幅はおよそ20メートル、面積7,000平方メートルあり、 左の図のようにそれぞれ特徴をもった5つのゾーンに分かれています。 この谷戸(たにあい)では、かつて上の台地に住んでいた弥生時代の人々が稲を作っていたと思われ、 稲作田ゾーンでそのことを紹介しています。 梅林ゾーンを除くほかのゾーンでは、湿生地(水中からじめじめした所まで)を好む樹木や きれいな花が咲く草など多くの植物が植えられています。 これら植物たちとカエルやヘビなどの動物たちも、いっしょになって生きています。 みんながいつまでも楽しめるよう、動植物を大切にしましょう。
ご注意
木桟道が滑りやすくなっています。 足元に充分お気を付けて下さい。
 (東高根森林公園)
自然観察広場
木道を少し進んでいくと、樹木が生えた広場がありました。 テーブルやベンチも幾つか設置されていて、ひと休みするのにいい所です。 ここに住み着いているのか、猫たちも沢山見かけました。
東高根森林公園の植生 −ふるさとの森、シラカシ林−
シラカシ林は、むかし関東地方の土壌の厚い台地や丘陵を広く被っていた本物のふるさとの森です。 開発が進んだ今日では、ほとんど失われてしまいました。 この東高根森林越えんのシラカシ林は、県下でも珍しい自然林に近い形で残されています。 20m以上になる常緑広葉樹のシラカシが高木層まで優占し、 亜高木層、低木層にはシロダモ・ネズミモチ・アオキなど、草本層にはジャノヒゲ・ヤブラン・イノデ・ベニシダ・ ヤブコウジなど、各層とも冬も緑の常緑植物優占しています。
自然観察広場の先には湿生野草ゾーンがあります。 湿地には多くの植物が植えられていて、小さな池には鯉が沢山泳いでいました。 やがて小さな竹林があり、「自然観察スタンプめぐり」の可愛らしいポイントが立っていたりします。 合掌形になった屋根が付いていて、杉などの樹皮で葺かれていました。 何だか郷愁を誘う昔懐かしい形をしていました。 竹林を過ぎていくと湿生樹林ゾーンがあります。 東屋のある小広い場所を過ぎていくと湿生花園ゾーンや稲作田ゾーンがあります。
湿生野草ゾーン
このゾーンは、湿地や水辺を好む草花が四季折々に多く見られるゾーンです。 湿地花園ゾーンと比べると花が小さかったり、目だたない花をつけるものが多いのですが、 よく見るとエンコウソウ・キツリフネ・ツリフネソウなどが 変わった形や色をした葉や花をつけているのに気づくと思います。
湿生樹林ゾーン
このゾーンは、水辺を好むハンノキ・コブシ・ミズキなどの林です。 そして、これら木々の下にも水湿地を好むコオニユリ・チダケサシ・キツネノカミソリ・オドリコソウ・ ヒトリシズカ・フタリシズカなどの多くの野草が早春から見られます。
湿生花園ゾーン
このゾーンは、私たちがよく知っているハナショウブ・アヤメなど美しい花の咲く植物がたくさん集められています。 その他コバギボウシ・オモダカ・サワギキョウなどが見られ、 これらの植物にはそれぞれ適する水深・水質・水温があります。 そこでせきなどを使って色々な環境を作っています。
稲作田ゾーン
弥生時代(今から約2千年前)、上の台地(現在の古代芝生広場付近)に住んでいた人々が、 シラカシなどの木で作った農耕具を使って、この谷戸で稲を作っていたと思われます。 稲作は、直播式(直接田に種籾を播く方法)から、 現在の田植え(別の場所で育った苗を田へ移植する方法)に変わりました。
田んぼの先には、湿生植物園の入口にあったのと同じ柱と案内図がありました。 柱の間を過ぎていくと、左手には東屋や小さな池があります。 ここで散策路が左右に分かれています。 左へ行くと、けやき広場などを経てパークセンターのある正面入口へと続いていますが、 今回は右手の谷筋を更に進んでいきました。 この公園は、かながわの景勝50選やかながわの美林50選にも選ばれているようです。
花木広場
沢沿いの道を進んでいくと広くなった所があります。 花木の植え込みの先へと進んでいくと石段があり、その上には東屋が、 更にその上には立派な藤棚のある見晴台があります。 辺りには沢山の花木が植えられていますが、季節外れのためか、花の咲いているものはありませんでした。
東高根の四季
ここは"風物詩"の宝庫です。 植物や生きものたちは、はるか昔と変わることのないリズムで一年を刻んでいます。 そして公園に訪れる私たちも、そのときの表情で出迎えてくれるのです。
古代植物園
見晴台からその奥へと進んでいくと古代植物園があります。 古来から私たちの生活に密接に関係してきた植物が テーマ毎に植えられています。 「春の七草」や「秋の七草」もひと所に寄せ植えされていたりします。 植物を詠んだ句なども幾つも掲示されていました。
古代植物園について
日本の風土は温暖湿潤で、植物の生育に適したところであります。 また、日本の国土は南北に長く連なり、山地も多いので、 その広さの割に植物相は変化に富んでいて、その複雑さは世界でも有数であります。 日本の文化もこの豊かな植物相の中でつちかわれてきたものであります。 日本の伝統的文化の原型が形成された古代(縄文−平安時代)には 植物がどのように生活にかかわっていたのでしょうか。 この古代植物園は食料・衣料・染料・建物・薬・木製品・親しまれた植物の7つの部門にくぶんして、 それぞれに代表的植物を植栽してあります。 日本文化と植物のかかわりあいの一端を読みとってみて下さい。
 (神奈川県川崎治水事務所)
古代芝生広場 (標高55m)
古代植物園から右手へ進んでいくと古代芝生広場に着きます。 小高い丘になっていて、その周りを湿生植物園などが取り巻いています。 東高根森林公園の中心にある広い場所になっていて、周囲は樹木で囲まれています。 解説板を見ていると、コツン・コツンと音がしました。 何だろうと思って暫く様子をみていると、 そばにあるシラカシの大木からドングリの実が地面に落ちてたてている音なのでした。 地面の下には遺跡が埋蔵されているとのことで、 それが影響しているのか、よく響く大きな音がしていました。 落ちてきたドングリは直径2cmはある丸くて大きな実でした。
弥生時代の土地利用」や 「ふるさとの森・シラカシ林」の解説板もありました。
この広場では「犬の学校体験教室」が開かれるようです。 「お散歩」クラスや「まて」クラスがあって、NY流のトレーニング方法を体験できるそうです。
東高根遺跡
古代芝生広場には弥生時代後期(3世紀頃)から古墳時代後期(6世紀頃)にかけて営まれた集落が埋蔵されています。 この遺跡は昭和43年から昭和44年の住宅地の開発によって発見されました。 その後、昭和44年から昭和45年の調査では約60軒の竪穴住居跡が確認され、 広場全域では約100〜150軒の竪穴住居跡があると推定されています。 神奈川県はこの貴重な遺跡とその周囲に広がるシラカシ林を保護するために、 昭和46年12月21日、東高根遺跡を神奈川県指定史跡に、 東高根のシラカシ林を県指定天然記念物に指定しました。
弥生時代の人々の生活
紀元前3〜4世紀、弥生時代になると、大陸の影響を受けた新しい文化がおこり、 稲を栽培し、土器・石器のほかに銅や鉄で作った道具を利用する生活が始まりました。 弥生時代の人々はこの台地(古代芝生広場)に竪穴住居を備え、集落を形成していました。 周囲の谷(湿生植物園付近)では湧水を利用して稲を栽培し、 台地の周辺に広がるシラカシ林では農業に必要な鋤・鍬の柄や木製品の材料の収集、 あるいはどんぐりなど食料となる木の実の採集が行われていたと考えられます。 このように東高根森林公園には弥生時代の一集落が生活する上で必要な住居跡・農耕の場所・採集の場所が保存されており、 古代の人々の生活を知るうえで、貴重な公園となっています。
古代芝生広場の左手の端を回り込むようにして続く道を進んでいくと、最初の子供広場の上の所まで戻ってきます。 ゆっくりと散策していたこともあって、東高根森林公園の散策には1時間30分ほどかかりました。 北口から公園を出て、「長尾の里めぐり」のコースを進んでいきます。 出た所の正面にある案内板でもう一度コースを確認してから歩き出しましょう。
高根橋
右手にある馬頭観世音を過ぎて高速道路の板塀沿いの道を進んでいきます。 すぐの所にある下原橋を見送って少し降り気味に進んでいくと、 東高根森林公園のグランドの入口が左手に見えてきます。 そこで道がH字形に分岐していますが、東名高速道路に架かる右手の高根橋を渡っていきます。 橋のそばに「長尾の里めぐり」の案内板があるのでコースを確認しておきましょう。
高根橋を渡った所にも案内板らしきものがありましたが、 表面に書かれた部分が取れてしまっていて、のっぺらぼう状態でした。 先ほどの案内板を思い出して左手へと進んでいきます。 携帯電話の電波塔「CV向ヶ丘東」の袂を過ぎて住宅地を真直ぐに進んでいくと、 正面に長尾小学校が見えてきます。 道が左右に通っていて「どちらへ行けばいいのか」と考えていると、正面に案内板がありました。 それに従って左手へと進んでいきます。
車道を道なりに進んでいきます。 案内板をひとつ過ぎていくとT字路があります。 ここにも案内板があります。 散策コースは真直ぐこの先へと続いていますが、左手の下に等覚院があるので、ちょっと立ち寄っていきましょう。
表面に円い輪の窪みが付けられたコンクリート舗装の道を降っていくと車止めがあります。 短い石段を降ってその先の森の中へと入っていくと、雑木や竹林の中に広い道が続いています。 緩やかに降っていくと、やがて横木とコンクリートブロックが混じった階段になります。
竹林の養生中です。立入りをお断りします。
 (神木山)
階段を降りきって住宅地へ降り立ち、回り込むようにして左手へと進んでいくと、 等覚院の立派な山門があります。 両側に立つ仁王のそばには、何故だかワラジが掛けてありました。 仁王様が履いて歩けるようにとのことなのでしょうか。
緑地保全協定地(等覚院)
この保存地域は、川崎市が自然環境を守るため、等覚院所有の約2.5ヘクタールの自然山林を、 昭和48年10月より保全地として指定したところです。 この区域は、ケヤキ・クヌギ・コナラ・シイ等の落葉・常緑混交林で、 四季の変化に富み、すぐれた自然山林です。 みなさん、この「緑」を大切にするとともに、保全に協力された所有者に感謝しましょう。
次のことは守りましょう
・区域内での喫煙はやめましょう。
・野鳥や樹木を大切にしましょう。
・区域内はいつもきれいに。
 (川崎市)
等覚院
山門をくぐると、左手には絵馬が奉納されたお堂がありました。 お堂の壁全体にびっしりと貼り付けられていました。 神社などでよく見かける小振りの五角形の絵馬ではなくて、大きな四角形のものでした。 山門の先の石段を登っていくと、等覚院の本堂があります。 関東三十六不動霊場第六番札所にもなっていて立派な建物でした。 ここに安置されている薬師如来像は東京の智泉院のもので、 この等覚院へは戦禍を避けて移って来て、現在でもそのままになっているのだそうです。
しおり
山号を神木山と言い、寺号は等覚院と称す。 御本尊不動明王にして薬師如来を合祀す。 天台宗に属し比叡山延暦寺末なり。
縁起
昔、日本武尊、東夷征伐のおり、疲労困憊し、はげしき渇を覚えたり。 とき、たまたま鶴の舞い降りるを見たまえり。 鶴は水辺を好むものなれば、探ねて、その冷泉を飲む。 疲労、忽ちに癒えて、英気まことに漲りたりと。 武尊は、深く神助の霊水ならんと感じ、一本の木を植えしといふ。 代々その木を神木と崇めたり。 後に、智証大師円珍(811〜891)その神木を以て、當本尊不動明王を彫みたりと伝ふ。 通称この地を神木と言ふは、以上の因縁によるものなり。
開基と建物
現在の本堂は安政3年(1856)の建築ですが、明治の廃佛毀釈によって、 一時、無人となり、寺宝は勿論、欄間や建具から古文書のすべてまで持ち出されて、 寺に関する資料は何もなく、残念ながら不詳です。 ただし、位牌に、元亀4年(1573)中興開山栄傳の記るしがあります。 また、武尊、泉水で渇を充した所は、鶴が舞いおりたので、鶴ヶ谷戸といっていますが、 その周辺から、鰐口の半分が発掘され、国の文化財保護委員の方々より、 室町後期のものと鑑定されている点からみましても、 400年前には、現在地より西方300メートルの地にあったことが想定されます。
薬師如来
薬師如来は、東京日本橋茅場町智泉院の御本尊ですが、 戦禍を避けて當山に合祀して、智泉院は仮堂のままになっております。 智泉院の薬師如来は、江戸時代は、茅場町のお薬師さまで市民から親しまれ、 江戸における縁日の最初は、葛飾 木下川の万助が、 お薬師さまの縁日に植木を路端に列べたのが、はじまりだそうです。 後世その場所を植木店といい、植木店の親分、盗賊鼠小僧次郎吉が住んでいました。 境内は広く、現在の大相撲も最初は薬師堂の境内で催され、焼けて回向院の境内に移り、 戦後は蔵前に変りました。
絵馬奉納について
當山では佛天のご加護と佛縁への感謝の意味を込めて、 絵馬の奉納をお願いしております。
詳しくは寺務所迄お問合せ下さい。
 (神木山)
五所塚第一公園
「無垢水」と刻まれた手洗い場の先から続く細い飛び石の道を進んでいくと、 先ほど降ってきた階段の途中に出ます。 そこから森を抜けて元の道まで引き返してその先へと進んでいくと、 高い所に設置されている特徴的な水道施設が見えてきます。 何だか空中に浮かぶUFOのようだと思いながら右手へ曲がっていくと、五所塚第一公園があります。 こんもりとした古墳のような塚が五つ並んでいる所です。
所塚と権現台遺跡
五所塚は、直径4メートル・高さ2メートル前後の五つの塚が南北に並んでいることから、 地元では古くから、こう呼ばれてきました。 外観は古墳時代の円墳に似ていますが、実際は、中・近世に村境や尾根筋に築かれた十三塚などと同様の、 民俗信仰に基づく塚であると考えられています。 この五所塚から長尾神社境内につづく舌状台地上の平坦部は、権現台遺跡と呼ばれる縄文時代中・後期の集落跡です。 昭和33年(1958)に実施された発掘調査では、竪穴住居跡4軒、炉跡2基、配石遺構1基が発見されました。 なかでも、平面形が五角形という特異な形状をした縄文中期の竪穴住居跡や、男根を模した2本の石棒が据えられ、 狩猟にまつわる祭りを行ったと思われる縄文後期の配石遺構は重要な発見でした。 ここ五所塚第一公園には、地上に中・近世の信仰塚が、 地下には狩猟祭祀をした縄文時代のムラの跡が重複しているのです。
 (川崎市教育委員会)
長尾神社
五所塚第一公園のすぐ先にあるT字路を直進して少し下った所に「長尾の里めぐり」の案内板があります。 そこから左手に続く急な石段を登っていくと長尾神社の境内に着きます。 鳥居をくぐった先に社殿があります。 本殿と拝殿の形をした神社でした。
長尾神社
この神社は、五所権現社と赤城社が合祀されたもので、 豊作を祈る射的祭が今も伝えられ毎年1月7日に行われています。 これは、氏子から選ばれた稚児2人が鳥帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)を着飾り、 的に向って矢を射る(実際には付添人が射る)もので、 みごと的の鬼の字を貫くとその年は豊作といわれています。 境内のクス・イヌシデ・シラカシなどの樹木は保存樹林に指定されています。 これらのみどりを守り、神社にめいわくのかからぬよう、 ゴミを散らかしたり、火を使うことは絶対にやめましょう。
御祭神 国常立命・大巳貴命・大日霊貴命(天照皇大神)
祭典日 元旦祭:1月1日、的祭:1月7日に近い日曜日、例大祭:9月第2日曜日、七五三大祓祭・11月5日に近い日曜日
諸祭事 初宮詣り・交通安全祈願・厄年祈願・安全祈願祭・地鎮祭・竣工祭・その他
 (宮司)
保存樹林
主な樹種 マツ、シラカシ、イヌシデ
所有者の御厚意により、保存樹林の指定をしました。 貴重な緑を大切に育てましょう。
 (川崎市)
境内はみんなできれいに保ちましょう
必ず守っていただきたいこと
一、紙屑・空かん・空びん等は各自持ち帰ること。
一、犬のふんは飼主が始末すること。
一、建造物・樹木等の傷つけないこと。
 (長尾神社奉賛会)
長尾神社を後にして坂道を降り、妙楽寺を経て緑化センターへと向っていきます。 ここから坂道の下までしばらくは案内板がないので、 長尾神社の石段を降った所にある案内板でコースをよく確認してから歩き出します。 坂道を降っていくと、ほどなくして妙楽寺があります。 「天台宗 妙楽寺」と刻まれた石柱とお地蔵さんの間の門から入っていくと、 左手に立派な梵鐘がありました。
梵鐘由来
長尾の山に鐘の音が帰って来ました。 帰って来るまで実に50年余りの年月を経て。 新編武蔵風土記によると、当寺の鐘は江戸時代 享保年中(1716〜1734)に造られ、 昭和19年(1944)までの約200有余年に亘り、時を告げる鐘として、 又ある時は法縁の鐘として長尾の山々に鳴り響いていました。 しかし、太平洋戦争という大きな国事により昭和19年応召されて以来、 長尾の山には鐘の音は聞えなくなってしまいました。 今回、宮前区土橋社 永井啓司氏の多大なる篤心により、 この様な素晴らしい鐘楼堂が建立されました。 人々の心に慈悲の心を育み、真の世界平和の到来を祈念しながら、 この鐘を隅々まで鳴り響かせたいと思います。 合掌
 (長尾山 薬王院 妙楽寺 第25世 光運、鐘楼堂建立 篤心者 永井啓司)
妙楽寺
赤い帽子や前掛けをした六地蔵(大堅固地蔵・大清浄地蔵・清浄無垢地蔵・大光明地蔵・大徳清浄地蔵・大定智悲地蔵)を 見ながら綺麗な植え込みの中に続く石畳の参道を進んでいきます。 立派な山門をくぐっていくと妙楽寺の本堂があります。 この妙楽寺は鎌倉時代にあった威光寺の旧跡とのことです。
天台宗
総本山 比叡山 延暦寺
高祖 天台大師 智
宗祖 伝教大師 最澄
立教開宗 桓武天皇・延暦25年(平安時代の初期)
本尊 法華経に説かれている久遠実成の釈迦如来と、すべての諸佛・諸菩薩等は同類一体である。 よって、それぞれの縁に随って奉安敬信する。
教義 法華経の述べられている一乗真実の教説を根本として、密教・禅法・念佛等をその実践門とする。
経典 法華経に示されている諸法実相の立場を基本として、ひろく大乗経典を讃仰・読誦する。
当山本尊 阿弥陀如来
本堂のご本尊さまに先ず合掌
妙楽寺の文化財
天台宗長尾山妙楽寺所蔵の木造薬師如来及び両脇侍像(寄木造)のうち、 薬師如来坐像は胎内背面の墨書から永正6年(1509)9月の制作で、 顔の表情・寄木の構造も室町時代末期の特徴がよく表れています。 日光菩薩像は胎内の墨書から、薬師如来像よりおくれて天文16年(1547)に制作されたことと、 妙楽寺が長尾山威光寺の旧跡であることがわかりました。 威光寺は、文徳天皇の仁寿年中(851〜4)の創建と伝えられ、源氏代々の祈願寺として保護されてきました。 とくに頼朝が弟全成(幼名今若丸)をこの寺の住職にしたこともあり、 鎌倉時代初期におけること寺の隆盛は吾妻鏡(鎌倉幕府の記録からも知ることができます。 同じく当寺所蔵の五趣生死輪図は、明治25年(1892)に描かれた大型の肉筆彩色画で、 仏教の示す輪廻転生の思想とこの世の無常が難解な経典によらずわかりやすい画像で表現されています。
 (川崎市教育委員会))
妙楽寺を後にして坂道を更に降っていきます。 やがて正面に街並みが広がるようになるとT字路に降り立ちます。 この辺りに「長尾の里めぐり」の案内板があるはずだが…と探してみましたが見当たりませんでした。 見落としたのかも知れません。 長尾神社の所にあった案内板を思い出して左折していくと、すぐに信号があります。 信号を渡って二ヶ領用水(新川)に架かる小さな豊年橋を渡り、川沿いに右手へと進んでいきます。 橋を渡った所の左手に、向こう側を向いて案内板が設置されていました。 何だか逆向きに設置されているようにも思えます。 緑化センターまでの道は少し入り組んでいるので、この案内板でよく確認しておきましょう。
長尾の天然氷
陽のあたらない山裾に溜め池をつくり、二ヶ領用水を利用した天然氷がつくられていた。 氷倉に入れて夏まで貯蔵し、東京方面に出荷したもので、大正初期まで続いた。
 (川崎歴史ガイド・二ヶ領用水)
川沿いに少し進んでいくと、道は左へ曲がって畑地の中へと続いています。 果樹園の先でY字路があります。 角にある案内板に従って右手の道を進んでいきます。 梨・ぶどうの即売場を過ぎていくと、小さな十字路があります。 その先の細い道を抜けて突き当たりのT字路を左折していくと広い車道に出ます。 道路の手前に案内板があるので確認しておきましょう。 川崎市緑化センター南側交差点の横断歩道を渡ると道が二つありますが、右側の道を進んでいきます。 道の入口の所にも案内板があります。
緑化センター
150mほど進んでいくとT字路があります。 角には案内板があり、正面には「川崎市緑化センター→」の看板もあります。 案内に従って右手へと住宅地を進んでいくと、左手に「川崎市緑化センター」と書かれた西門があります。 そこから入っていてもいいのですが、その先すぐの所に正門があるので、そこまで進んでいきます。 西門を見送った少し先で道は左へ曲がっていきます。 二ヶ領用水に架かる宿之島橋を渡った先に正門があります。 橋を渡った右手にも「長尾の里めぐり」の案内板があります。 正門から緑化センターへと入っていくと大きな「緑化センター案内図」があるので参考にしましょう。
入園あんない
一、園内は毎日午前9時30分より開門し、閉門は4月1日〜8月31日は4時30分、9月1日〜翌年3月31日は4時とします。
二、休園日は月曜日(休日に当たるときは翌日)及び年末年始とします。
三、花と緑に関するご相談はお気軽に職員にお申し出下さい。
四、自転車の乗り入れや犬の連れ込みはしないで下さい。
五、その他は園内職員の指示に従って下さい。
 (総合警備保障)
緑化センターは二ヶ領用水を挟んで二つに分かれていて、その間を「緑の吊橋」が結んでいます。 正門のある方には、緑の相談所・噴水池・温室・育苗棚などがあり、赤色や紫色の花が咲いていました。 西門のある方には、野草の小道・芝生広場・休憩広場・水車・東屋などがあります。 日本庭園や洋風庭園の見本としての小振りな庭園コーナーもありました。 「緑の吊橋」のそばでは「五ヶ村堀」が二ヶ領用水の上を交差して流れていました。
和風見本庭園
落着きのある和風庭園は、私たちの心をなごませてくれます。 ここでは自然風な植栽を中心とした作庭例を三面展示してあります。 また、石灯篭(5種)・つくばい(3種)・竹垣(5種)や、園路敷石等の造園材料、 工法のいろいろもありますので参考にして下さい。
洋風見本庭園
生活にとけ込んだ庭は、憩の場として、また子どもの遊び場としての実用面だけではなく、 生活に潤いを与えてくれます。 ここでは、ヨーロッパ風の中庭(パティオ)と芝庭の作庭二面を展示してあります。
五ヶ村堀と八幡下の堰
五ヶ村堀はこの地点で本用水と立体交差をし、堰方面の田畑を潤す。 近くにある八幡下の堰は、白秋の多摩川音頭で有名な「堰の長池」から多摩川に通じ、 排水路の役割を果した。
 (川崎歴史ガイド・二ヶ領用水)
「緑の吊橋」から二ヶ領用水沿いに進んで緑化センターの外へ出ると、少し曲がった様子の八幡下橋があります。 その角に「八幡下圦樋」の石碑がありました。
八幡下圦樋について
八幡下圦樋とは、この二ヶ領用水の水を堰止め調整したものである。 当時の工事請負人関山五郎右衛門という人により、明治43年4月に完成した。 その昔(年号不明)、現在の宿河原2丁目24番地(宿河原幼稚園)附近を起点に、 東は高津区宇奈根まで多摩川の旧堤防が築かれていたが、 洪水により下流の水害を防ぐためにここに圦樋を造り、 その上流三千米の八幡堀より多摩川に放流して水を調整したものである。 最近この圦樋が逆に堰となり、洪水の度に近隣の住宅に水害を起こすことにより取壊されたのである。
 (宿河原町会長 関山秀夫 記す)
二ヶ領用水
二ヶ領用水に沿って進んでいきます。 水辺は整備されて小奇麗になっています。 道路よりも一段低い所に小道がある所もあって、バーベキューなどをしているグループを幾つか見かけました。 沿道には桜の木が並木を作っていて、春には綺麗な眺めなのでしょう。
水辺に生える植物
アヤメ 山野に生える多年草。和名は文目の意味で、外花被の基部に稜になった目があることからつけられたという。
カキツバタ 水湿地に群生する多年草。
シャガ 山地の湿った林下、斜面などに大群生する常緑多年草。
コウホネ 浅い池や沼などに生える多年草の水草。和名は河骨で、川に生え、根茎が白骨のように見えることによる。
ミズオオバコ 水田や溝に生える1年草。葉は根生し、水中にオオバコに似た長さ10〜30センチの葉を広げる。
ミキショウブ 明治のなかごろ渡来し、栽培されているが、非常に強健なので、現在では各地の水田の溝や池畔湿地などに繁殖し、 あたかも自生のように見える。和名は黄菖蒲で、花が黄色であることから名づけられた。
ハス 古い時代に中国から渡来した多年草の水草。原産地はインドといわれる。池沼や水田に栽培される。 和名は蜂巣の略で、果実の入った花床がハチの巣に似ていることによる。
宿河原橋
仲之橋、緑橋と過ぎていくと、やがて宿河原橋があります。 橋の手前に「長尾の里めぐり」の最後の案内板があります。
二ヶ領用水
多摩川の水を取り入れ、わたしたちの先祖が汗水たらす苦労と、十数年の歳月を費やし、 稲毛領から川崎領にいたる二ヶ領(現在の多摩区から川崎区まで含む地域)にわたる農業かんがい用の水路として、 慶長16年(1611)につくられたものです。 別名<次大夫堀>とも呼び、工事を指揮・監督した小泉次大夫の功績を今に残しています。 その後、享保9年(1724)に田中兵庫が行った大改修工事をへて、今日の用水路の基礎が完成しました。 この用水は多摩川流域ではかんがい面積の最も大きな用水で、最盛期で約2850ヘクタールにも及びました。 そして農業用水及び、飲料用水のほか工業用水としても利用され、 日常生活などに欠くことのできない大切な水路として管理されてきました。 わたしたちも、このように歴史的に由緒ある<二ヶ領用水>を子孫にすえながく引き継いでいきたいものです。
宿河原橋付近
この前を流れている用水は、二ヶ領用水の一部で通称「宿河原用水」と呼ばれています。 ここから800mほど上流にある「宿河原堰提取水口」から多摩川の水を取り入れ、 1200mほど下流の南武線久地駅附近で、もう一つの取水口である「上河原堰提取水口」から取り入れた用水と合流しています。 二ヶ領用水は、途中いくつかの堀に水を分け、広くかんがいできるように作られていますが、 その堀の一部は、再び二ヶ領用水に流入し、大切な水を有効に使うようになっています。
宿河原の桜並木
用水沿いの桜は昭和33年、地元有志の手で植えられた。 今では宿河原の取入れ口からおよそ3キロ、両岸に続く400本あまりの桜並木が保存会の人々により守られている。
 (川崎歴史ガイド・二ヶ領用水)
一、桜の木を大切にしましょう。
一、川をきれいにしましょう。
一、たき火・ゴミ捨ては止めましょう。
 (宿河原提桜保存会、宿河原町会)
宿河原(しゅくがわら)駅
宿河原橋の所を右手に曲がって真直ぐに100mほど進んでいくと宿河原駅(JR南武線)に着きます。
駅前には「宿河原駅周辺案内図」があり、今回の「長尾の里めぐり」コースが示してありました。 また、「多摩川の散歩道・長尾の里めぐり案内図」もあって、コースのイラストマップが描いてありました。 今回の起点に選んだ津田山駅にはこのような案内図はありませんでした。 こちらを起点とする方が一般的なのでしょうか。