滝山丘陵
散策:2005年09月中旬
【里山散歩】 滝山丘陵
概 要 滝山丘陵は八王子の北側にある低い丘陵で、多摩川やその支流の秋川に沿って続いています。 雑木林の中に緩やかな尾根道が続く丘陵は、滝山城跡のある滝山公園になっています。 里に降りると田んぼが続く風景が広がっています。 今回は小宮駅から続くかたらいの路の途中から東秋留駅までのコースを歩きます。
起 点 八王子市 左入バス停
終 点 あきる野市 東秋留駅
ルート 左入バス停…滝山丘陵入口…滝山街道分岐…古峯ヶ原園地…都立滝山公園…信濃屋敷跡・刑部屋敷跡…滝山城址下分岐…中の丸跡…本丸跡…霞神社…金毘羅社…生態系保持空間…秋川…東秋川橋…落合坂せせらぎ通り…久保熊野神社…東秋留駅
所要時間 3時間20分
歩いて... 滝山丘陵の尾根道は広くて緩やかに続いていて、森林浴をしながらのんびりとした散策を楽しめます。 里にある田んぼでは黄金色に実った稲が頭を垂れていて、刈り取りの時期をむかえていました。 田んぼ沿いの道にはバッタやトンボなどが沢山いて、昔懐かしい里山風景に出会えました。
関連メモ 今のところ、関連メモはありません。
コース紹介
左入(さにゅう)バス停
八王子駅(JR中央線)の北口から、[左40]拝島駅行きバス、[左41]サマーランド行きバス、[左42]戸吹行きバス, または,[左43]純心学園行きバスにて20分、 土曜日は1時間に2本程度、日曜日には1時間に1本程度の便があります。
バスを降りて進行方向へ進んでいくと左入町交差点があります。 そこの信号を渡って国道16号を真直ぐに進んでいきます。 少し登り坂の車道を進んでいき峠を越えて降り始めた所に、左手に戻るようして登っていく坂道があります。 そばには「←滝山城址」の標識も立っています。 坂道の入口辺りには「かたらいの路〜滝山コース〜」の解説板が立っていました。
かたらいの路〜滝山コース〜
かたらいの路を歩くときに守って欲しいこと
このコースは、農家の人たちが耕作している畑や田んぼの中なども通っています。 決まったコースを守って歩きましょう。
このコースにはゴミ箱はありません。 自分で出したゴミは家まできちんと持ち帰りましょう。
このコースのまわりの野山の自然は生きています。 草木だけではなく動物も昆虫もその場所を住みかとしています。 楽しく観察したら、そっとそのままにしておいてください。
このコースでは車道を渡る場合もあります。 きちんと決められたコースや横断歩道を渡るようにしましょう。
コース上には道案内がありますが、それは道路に埋め込んでる場合や立っている場合などがあります。 注意して見てください。また要所には小さな案内板もあります。
 (東京都多摩環境事務所)
滝山丘陵入口
坂道を2分ほど登って森の中へと入っていくと、車止めの手前に、右手へと登っていく横木の階段があります。 角に立つ道標「古峯ヶ原園地」に従って、この階段を登っていきます。 ここにも「かたらいの路〜滝山コース〜」の解説板が立っていますが、 先ほどのとは違って、コース全体とこの付近の地図も載っています。 案内図によると、この「かたらいの路」は小宮駅(JR八高線)から 東秋留駅(JR五日市線)まで続いていて約9.5kmの道程のようです。 今回歩くのはその途中から東秋留駅までのコースになります。 解説板では「この地点までしか整備されてはおりません」となっていましたが、 森を抜けて里に降りるまでの間、広くて緩やかな尾根道が続いていて、とても歩きやすくなっていました。
かたらいの路〜滝山コース〜
※本かたらいの路・滝山コースは現在のところ、この地点までしか整備されてはおりません。
※西武滝山台バス停まで約3分、左入バス停まで約8分、宇津木台バス停まで約25分、JR小宮駅まで約50分ほどです。
 (東京都多摩環境事務所)
ご注意
最近、体長5センチほどのオオスズメバチが寄ってきます。 振り払うなどの刺激を与えると大変危険です。 静かにしていると、すぐに飛んで行ってしまいます。 園内散策にあたっては、黒い服装や匂いの強い化粧品などもハチを刺激しますので注意してください。
 (小宮公園管理所)
雑木林の中に続く階段混じりの山道を登っていきます。 山道を2分ほど登って最後に真直ぐな横木の階段を登っていくと、平らになった丘陵に着きます。 角に立つ道標「古峰ヶ原園地」に従って、斜め右前方へと続く広い尾根道を進んでいきます。 ここからはアップダウンのほとんどない緩やかで幅の広い尾根道が雑木林の中に続いています。 「スズメバチに対する注意書き」がここにもありました。 この先にも点々と設置されていましたが、幸運にも今回はハチに出会うことはありませんでした。
散策路に沿って設置されている道標には、「古峯ヶ原園地」と書かれているものと、 「古峰ヶ原園地」と書かれているものとがありました。 「峯」と「峰」の漢字の部分が違っていましたが、どちらでも意味は同じなのだろうと思います。
♪演奏
(2分20秒)
雑木林の丘陵に続く広くて緩やかな尾根道を歩いていきます。 起伏も殆どなくてとても歩きやすくなっています。 樹木が道の上を覆っていて緑の天井が続いています。 気分も軽やかに、思わず歌を口ずさみそうになります。
♪歩こう 歩こう 私は元気 歩くの 大好き どんどん行こう
  坂道 トンネル 草っ原 一本橋に でこぼこジャリ道 くもの巣くぐって 下り道
♪歩こう 歩こう 私は元気 歩くの 大好き どんどん行こう
  ミツバチ ぶんぶん 花畑 日なたにトカゲ へびは昼寝 バッタが跳んで 曲がり道
♪歩こう 歩こう 私は元気 歩くの 大好き どんどん行こう
  きつねも たぬきも 出ておいで 探検しよう 林の奥まで 友達たくさん うれしいな
  友達たくさん うれしいな
 (C)二馬力・徳間書店 「さんぽ」より
7分ほど進んでいくと、道が左手に分かれていきます。 左手の道はどこへ続いているのかは分りませんでしたが、道標「古峯ヶ原園地」に従って真直ぐに進んでいきます。
分岐を過ぎて少し進んでいくと植林帯の中を行くようになります。 植林帯に入って3分ほど進んで行くと、道が右手に分かれていきます。 右手の道はどこへ続いているのかは分りませんでしたが、 道標「古峯ヶ原園地」に従って、緩やかに左手へ曲がって行く道を進んでいきます。
植林帯も程なくして終わり、再び雑木林の中を行くようになります。 先ほどの分岐から2分ほどで再び分岐があります。 右手の下には畑地が見えていました。 ここでも右手の道はどこへ続いているのかは分りませんでしたが、 道標「古峯ヶ原園地」に従って、左手へ曲がって行く道を進んでいきます。
雑木林の中の尾根道を更に進んでいきます。 6分ほど進んで青いトタン塀を過ぎていくと、道の両側には笹竹が生えていました。
滝山街道分岐
笹竹の生える尾根道を進んでいくと、程なくしてT字路に出ます。 正面にはこんもりとした小山があります。 そばには大きな「かたらいの路〜滝山コース〜」の案内板がありました。 それによると滝山城跡まではあと1.5kmとのことですが、 道標は見当たらないし、案内図にも詳しくは載っていないので、どちらへ行けばいいのか悩んでしまいます。
帰宅してから調べてみると、左手の道は少林寺を経て国道411号(滝山街道)の滝山二丁目辺りへ降っていく道のようで、 滝山城跡へは右手の道を進んでいきます。
かたらいの路〜滝山コース〜
かたらいの路とは多摩の丘陵地に位置する国立公園や国定公園、都立自然公園などを結んで、 子供からお年寄りまで、都民の皆さんが楽しめる野外レクリエーションのための施設です。 滝山コースには自然や史跡などがいっぱいつまっていて、次のような見所があります。 さぁ、お弁当と水筒を持って、みなさんで出かけましょう。
雑木林
私たちが雑木林と呼んでいる林は、コナラやクヌギなどの落葉広葉樹を主とした林の総称です。 昔、人々は薪や炭を燃料として利用していましたが、これらの燃料として使われていたのが雑木林の木々でした。 かつての武蔵野には特にこの雑木林が広く分布し、作家国木田独歩は小説「武蔵野」の中でその様子を描いています。 雑木林を構成している木々は切り株から芽を吹く力が強く、 15年〜20年の間隔で何度も伐採されながら利用されてきました。 従って、雑木林は人の手によって管理されてきた林であるともいえます。 燃料として薪や炭が使われなくなってから、各地の雑木林は次々と、伐採や管理をされなくなってしまいました。
滝山城跡
滝山城は、武蔵野の国の守護代であった大石定重が築城したとされる典型的な山城で、 大石氏と小田原北条氏の一族の居城でした。 城郭の大きさや掘割の規模など戦国時代の城郭の遺構としては日本有数の規模を誇っています。 現在でも本丸跡、中の丸跡、空堀や土塁などを見ることができ、 空堀の底に下りることもできます。 また、滝山城跡を周遊するルートも設けてあります。 現在の滝山城跡はサクラの名所としても知られており、 ソメイヨシノやヤマザクラなど5,000本のサクラが植えられています。
秋川と多摩川
秋川の上流部は、三頭山に源を発する南秋川と、倉掛山付近から流れ出す北秋川の2本に別れています。 これらが檜原村本宿付近で合流、あきる野市を通って、八王子市・昭島市との境界付近で多摩川に合流します。 浅川と並んで多摩川の大きな支流の一つとなっています。 本流である多摩川は、山梨県丹波郡に源を発する丹波川と小菅川とが奥多摩で合流しひとつになったもので、 東京都を代表する河川です。上流から中流にかけては日原川や秋川、浅川などの支流を合わせて流下し、 下流では神奈川県との県境となしています。 秋川、多摩川ともに上流部には数多くのキャンプ場や釣り場があり、 都民に貴重なレクリエーションの場を提供しています。
 (東京都多摩環境事務所)
古峯ヶ原園地
試しに右手へ少し行ってみると、「古峯ヶ原園地」と書かれた標識が立っていました。 そこから高みへと続く横木の階段を登っていくと、すぐに小広くなった丘に着きます。 案内板の脇にある横木の階段を登っていっても同じ所に着きます。 ここが古峯ヶ原園地で、周りは樹木に囲まれていて展望は得られませんが、 テーブルやベンチが幾つか設置されているので休憩するにはいい所です。 最初の滝山丘陵入口から25分ほどで到着しました。
火気に注意
 (東京都)
ちょっとまって!! 花どろぼうにならないで
 (公園管理所)
写真以外は採らないで下さい
足跡以外は残さないで下さい
 (滝山観光協会)
都立滝山公園
古峯ヶ原園地から尾根道に戻って、右手へと続く緩やかな道を進んでいきます。 道沿いには桜の木が沢山植えられていました。 「消火用水」のドラム缶を過ぎ、道標「滝山城跡・高月町」を過ぎていくと、 園地から5分ほどで「都立滝山公園」と記された大きな標柱が立っています。 その少し先には「公園案内図」もありました。 古峯ヶ原園地から滝山城跡にかけての地図が載っているので参考にしましょう。 公園内には二の丸跡・三の丸跡・千畳敷跡などへ続く道もありますが、 今回は本丸跡を目指して進んでいきます。
都立滝山公園
都立滝山公園は多摩川と秋川の合流点の南側に広がる加住丘陵にあり、 都立滝山自然公園の中ほどに位置しています。 園内の多摩川を望む標高約160mの丘一帯は滝山城跡となっています。 城跡は遺構の保存状態がよく、周辺は豊かな雑木林に覆われています。
滝山城址概要
国指定の史跡滝山城跡は、戦国時代の中頃1521年(大永元年)に、 武蔵国守護代であった大石定重が築城したとされ、 後に北条氏の居城となった典型的な丘山城です。 城郭の大きさや掘割りの規模など、戦国時代の城郭の遺構としては日本有数の規模を誇っています。 園内には遺構毎に説明版が設置されており、現在でも本丸跡、中の丸跡、空掘や土塁などを見ることができます。
おねがい
・ゴミは持ち帰りましょう
・たき火、バーベキュー等は禁止です
・タバコの火の始末には気を付けましょう
・人の迷惑になることはやめましょう
・生き物を大切に
 (小宮公園管理所)
左手からの道を合わせてその先へと進んでいくと、左手に柵が続くようになります。 「八王子乗馬倶楽部クロスカントリーコース」と記された標識も立っていました。 この広くて緩やかな尾根道は馬も通っていくようです。
お願い
時には咬む事があります。 馬にエサを与えたりふれたりしないで下さい。
 (八王子乗馬倶楽部)
お願い
この地区は「近郊保全緑地地域」です。 この地区の緑の保護と環境保全に皆様のご協力をお願い致します。
山火事防止について
たばこの投げすてやたき火は山火事の原因となりますので、絶対にしないようご協力をお願いします。
 (東京都)
雑木林の中の尾根道を3分ほど進んでいくと、谷筋に架かる短い木橋を渡っていきます。
滝山近郊緑地保全区域
この地域内で下記の行為は東京都知事への届出が必要です。
1.建築物、工作物の新築・増築・改築。
2.広告物、その他これに類するものを提出・もしくは設置・広告物・その他これに類するものを
  工作物に表示すること。
3.木竹の伐採。
4.宅地の造成・土地の開墾・土石の採取・鉱物の掘採等土地の形質変更。
5.水面の埋立て又は干拓。
なお詳細は下記事務所にお問い合わせください。
 (東京都多摩環境事務所 管理課自然公園係)
信濃屋敷跡・刑部屋敷跡
木橋を渡りベンチなどがある広場を過ぎていくと、右手に「信濃屋敷跡・刑部屋敷跡」があります。 滑りやすい2mほどの坂を登ると、その先は広い場所になっていました。 奥の方には多くのテーブルやベンチも設置されていました。
信濃屋敷跡・刑部屋敷跡
城跡の曲輪は大まかに城郭の中心となる要害部と、それを取り巻く家臣屋敷は分けられるが、 この曲輪は後者である。 南側に一段低く通路が設けられ、曲輪内部は四つに区分されている。
 (東京都)
ゴミを捨てないで下さい。環境美化に御協力を…
 (滝山観光協会)
元の道に戻って更にその先へと進んでいくと、道は大きく右へと曲がっていきます。 その角から左手へと道が続いているようでしたが、道標は見当たりませんでした。 先ほどあった案内図によると、馬出し跡・千畳敷跡・三の丸跡などへと続いているようにも思えますが、 踏み跡のしっかりしている右手へと曲がる道を進んでいきます。
喰違い虎口
城の出入口である虎口(こぐち)は防御と攻撃の両方の機能を備えたもので、中世において発達した。 喰違い虎口の特長は掘と土橋により通路がS字型となっていることである。 他に本城址では、直角に折れ曲がって曲輪に入る枡形虎口が本丸などで見られる。
 (東京都)
滝山城址下分岐
雑木林の中の広い道を4分ほど進んでいくとT字路があります。 角に立つ道標によると、正面の道は「滝山城跡・滝山荘」、左手の道は「滝山城址下(バス停)」となっています。 先ほどあった案内図によると、左手の道は千畳敷跡・三の丸跡などへと続いているようにも思えますが、 このまま滝山城跡へ向かって正面の道を進んでいきます。
さくらの名所
5,000本の桜をめでながら、中世の山城を歩いてみませんか、 戦国武将息吹きが聞こえてくるかもしれません。
山火事に注意
燃やすまい、みんなくる山、あるく山
 (八王子消防署、八王子市消防団、八王子山火事防止協会)
1分ほど進んで左下に開けた広場が見えてくると分岐があります。 角に立つ道標によると、左手の道は「東秋川橋」、右手の道は「滝山城跡・滝山荘・中の丸」となっています。 左手の道を進んでいっても本丸跡へと続いていますが、 今回は右手の中の丸跡を経て本丸跡へと訪ねていきました。
中の丸跡
右手の坂道をひと登りすると中の丸跡に着きます。 開けた場所になっていてテーブルやベンチも設置されています。 奥の方に大きな建物がありましたが閉まっていて、何の建物なのかは分かりませんでした。 道標にあった「滝山荘」なのでしょうか。
史跡・滝山城跡
滝山城は、武蔵国の守護代大石氏(定重・定久)と小田原北条氏の一族(氏照)の居城であり、 規模の大きさ、縄張りの複雑さ、遺構の保存状態の良さなどからみて、 戦国時代の城郭遺構としては日本有数の遺跡である。 永正18年(1521)に大石定重が築城し、高月城から移転したと伝えられており、 その後永禄元年(1558)前後に定久の養子として入城した北条氏照によって大改修が行われたと考えられている。 浸食の進んだ加住丘陵の一角に占地し、複雑な自然地形を巧みに利用した天然の要害であり、 特に北側は多摩川との比高50〜80mの断崖をなしていて、 北から侵入する敵に対しては鉄壁の備えとなっている。 城内は空堀と土塁によって区画された大小30ばかりの廓群が有機的に配置され、 外敵の侵入に備えた心くばりは実に美事である。 大石氏時代には、現在本丸と呼ばれている主廓を中心として、 二の丸と呼ばれている廓付近までであったと考えられており、 小宮廓などその他の廓群は北条氏照時代に拡張されたものと言われている。 永禄12年(1569)、甲斐の武田信玄が小田原後略の途中に、二万の兵で本城を囲み、 二の丸まで攻め寄せるほどの猛攻を加えたが、 城主氏照を中心に城方もよくこれに耐えて守り抜き、落城をまぬがれたという。 しかし、この戦闘の後、氏照は武田に備える戦略上の利点から八王子城を築き、 天正12〜15年(1584〜87)ごろに、その居を移した。
建物の裏手も広場になっていて、展望所のような設備がありました。 樹木に遮られながらも、多摩川越しに昭島市の街並みが見渡せました。 展望所では、若者が大きな声で唄いながらフォークギターの演奏練習をしていました。 う〜ん、青春ですね。
引橋
建物の手前にある道標「本丸」に従って左手へと進んでいくと「引橋」があります。 先ほどの分岐を左手へ降っていく道に架かる橋で、中の丸跡から本丸跡へと続いています。 本丸跡へは先ほどの分岐を左手へ降っていった所からも登っていくことができます。
国指定 滝山城跡・枡形虎口
この場所は、中の丸から引き橋を渡って本丸に入る虎口(城の出入り口)という部分に当たります。 虎口は、防御と攻撃の両方の機能を備えたもので、周囲を土塁で方形に囲った枡形虎口と呼ばれるもので、 北条流の築城の特徴の一つと言われています。 滝山城跡は都立公園として整備されていますが、東京都では、平成8年11月5日〜12月28日にわたって、 枡形虎口の発掘調査を行いました。 調査は東京都教育委員会・八王子市教育委員会の指導の下に行われ、 現在は元通りに埋め戻してあります。
調査の結果、現状の地表から深さ約1.2mのところに、30〜40cmの扁平な川原石を敷きつめた通路が発見されました。 その幅は引き橋側で5.4m、右に直角に曲がると約3.0m、さらに左に曲がると約2.0mとだんだん狭くなっていました。 引橋側には、南側と西側にL型状に側溝がつき、その先は一部暗渠となって土塁の中につながっています。 また、土塁の断面からは、赤土(ローム)と黒土を交互に突き固めた版築も確認されました。
本丸跡
引橋を渡っていくとすぐに本丸跡に着きます。 周りは樹木に覆われていて、二の丸跡よりも少し狭い感じがします。 周りが樹木に囲まれているためなのかどうか分りませんが、 本丸跡には蚊がやたらに多くて、 出している腕に何匹も寄ってきて、追い払うのに苦労しました。
本丸跡
曲輪(くるわ)は南北二段に分かれ、土塁により囲まれている。 南側の低い段には出入口と推定される枡形虎口が二箇所確認でき、 その一つは引橋を通じて中の丸へ、もう一つは堀底へと通じている。 当時の井戸跡も良好に現存している。 北側は一段高く、多摩川方面が一望のもとに見わたせる配置である。
 (東京都)
本丸跡の左手の方には「史蹟 滝山城跡」の石碑が立っています。
瀧山城本丸址の碑
此の城は関東の名城といわれ、天文5年(1536)北條氏康、同21年(1552)上杉謙信、 永禄12年(1569)武田信玄の諸豪からの猛攻を受けている。 大永元年(1521)始めて大石定重之を築き、定久之を受けついで北條氏照の居城となった。 尚この城の城下町は八王子の発祥地である。
 (八王子市長 野口義造)
霞神社
本丸跡の右手の短い石段を登っていくと霞神社があります。 近年に建替えられたようで、真新しい白木の社でした。
霞神社由緒
明治37・8年戦役(日露戦争)に、武勲を樹て散華された英霊を奉斉せん為、 明治45年5月1日、當時の在郷軍人会加住村分会の首唱によって、 史蹟である北條氏照の居城滝山城跡本丸跡をトし、神社を創建して霞神社と称した。 この時に奉斉の英霊は十五柱で、爾後、毎年盛大な慰霊顕彰の祭典が奉仕され来った。 昭和の御代となり、満州事変、支那事変及び大東亜戦争に出征し、 戦功を挙げて戦没された壱百二十九柱の英霊を更に合祀して今日に至った。 今回、八王子市合併を機とし、加住地區遺族会が発起して設立された滝山霞神社銘碑建設協賛会により ここに碑を建て、霞神社御祭神芳名を録し、その勲功を永久に伝へんとするものである。
霞神社改築記念碑
霞神社は創建以来八十有余年の長い歳月、よく風雪に耐えて現在に至ったが、老朽化が進み改築を望まれていた。 戦争終結から五十年を期に、豊かで平和な日本の礎となった、旧加住村出身の戦没者を祀る当神社の改築に有志が集い、 改築委員会を結成して地区有志四百四十名の浄財の寄進により完成した。 過去の大戦の事実を教訓として、平和の尊さを永遠に願うものである。
 (霞神社改築委員会)
金毘羅社
霞神社の裏手は広くなっていて、先の方には金毘羅社がありました。 金毘羅社の先からは、手前の樹木に邪魔されながらも多摩川越しに街並みを見下ろすことができます。 ベンチも設置されているので、景色を眺めながら休憩していきましょう。
金毘羅社再建之碑 由来
国史跡滝山城本丸櫓台に鎮座する金毘羅社は、今を去る二百年余り前、 天明(1781〜)年代に滝村持ちで造営されたと武蔵風土記に記載されています。 江戸時代から本丸一帯は麓の滝村(現八王子市高月町滝地区)持ちで年貢の免除地として受け継がれており (地区の氏神駒形神社境外地)、滝の城山とも呼ばれ広く滝山城の名を後世に伝えております。 戦国の乱世は去り、当時滝村では広い水田の米、豊かな薪炭、川魚等を産物とし豊かな村として栄え、 多摩川の漁協は御本丸御用地に指定され、将軍へ鮎の献上を行ったと記録されています。 農閑期には多摩川、秋川が合流する地の利を生かして、江戸の繁栄に伴う需要増から森林材の中継地として、 材木筏を組み物資を乗せて多摩川を下り、江戸への輸送を村ぐるみで生業とし、 その成果は拝島、熊川へ農地を拡大して栄えて来ました。 江戸文化華やかなりし頃、村人たちが水運の安全と事業の繁栄を願って、 多摩川を一望できる当所に海運(開運)の神様として名高い金毘羅様を祀ったのであります。 以来、農業、殖産に家内安全、無病息災などの願いごとを叶えて下さる神様として、 近郷近在より多くの信者が参詣して賑わいを見せていたと語り継がれています。 地域の文化、産業の発展に多大な貢献を先祖の残した貴重な遺産であり、八王子市の名所、 都立滝山公園内にある「神社」として、文化、経済の発展と無病息災、永遠の平和を祈願し、 金毘羅社の氏子、加住地区有志の御奉賛により、創建二百年事業として社殿の再建を行いました。
 (金毘羅社再建委員会)
金毘羅社の正面にある鳥居の先に続く急な石段を降っていきます。 中の丸跡の手前から引橋の下をくぐってきた道に降り立って、左手へと降っていきます。 これまでの緩やかな尾根道から少し傾斜の増した降り坂になっています。 石畳になっていて、雨が降った翌日などには滑りやすいので注意しましょう。 古峯ヶ原園地の先にあったのと同じような「都立滝山公園」と記された大きな標柱を過ぎ、 「東秋川橋」の道標を過ぎていくと、金毘羅社から4分ほどで正面が開けてきます。 石畳から簡易舗装された道へ変わり、左折して山裾を進むようになると、 右手には多摩川沿いの風景が広がっていました。
右手に分かれていく道が幾つかありますが、山裾に続く道を進んでいきます。 竹林を過ぎ作業場を過ぎていくと、小さな橋を渡っていきます。 せせらぎを右手に見ながら進んでいくと、程なくして民家が見えてきます。 民家の間を進んでいくとT字路があります。 角に立つ「東秋川橋→」の標柱に従って右手へと進んでいきます。 右手には赤い前掛けをしたお地蔵さんも立っているので目印になります。
最後の民家を過ぎていくと左右には田んぼが広がっていました。 程なくして十字路があります。 左右の道は簡易舗装されていて自動車も通っていました。 角に立つ道標によると、右手の道は「拝島橋・滝ヶ原グランド」となっています。 今歩いてきた道を指す部分もあったようですが外れてなくなっていました。 左手の道には何も示されていませんでした。 正面の草地に向けても土の道が続いていました。 多摩川べりに着くのかと思って、今回は正面の道を進んでいきました。
どこへ続いているのだろうと少々不安になりながらも進んでいくとT字路がありました。 その角には道標が立っていて、今歩いてきた道は「都立滝山公園」、 左手へ曲がっていく道は「東秋川橋」となっています。 右手にも道らしきものがありましたが、余りはっきりとはしない道でした。 この道で良かったようです。 ひと安心して左手へと続く道を進んでいきました。 この向こう側には多摩川が流れているはずなのですが、 川辺まではまだ少し距離があるようで、水面は見えませんでした。
生態系保持空間
道端には草が生い茂っていました。 歩いていくとバッタ類がキチキチキチと羽音を立てて一斉に飛び立ちます。 頭上にはアカトンボも沢山飛んでいました。 何だか昔懐かしい光景の中に続く道を歩いていきます。 この辺りは「生態系保持空間」になっているようで、 立入制限のためか杭が打ってある所もありました。 両側に杭の続く道を進んでいきます。
生態系保持空間
多摩川では、豊かな自然環境を保ちながらみんながきちんと河川を利用できるように、 「多摩川河川環境管理計画」及び「多摩川水系河川整備計画」を策定し、 それに基づき多摩川の河川を8つの機能区間に分けて管理しています。 そのひとつが「生態系保持空間」で、むやみな立ち入りを禁止し、貴重な生物などを守っています。 この付近一帯は、その「生態計保持空間」という広域的にみた貴重な生態系を保護していくための空間であり、 自然生態系の調査研究のフィールド、種の保存の場としての意味を持つ空間として位置付けられています。 都市区域に残された貴重な自然空間です。 マナーを守り河川の自然形態を人為的に変状させる次のような行為はやめましょう。
・草刈(除草剤等の使用)
・ラジコン飛行機場の設置
・工作物(小屋等)の設置
・モトクロス等による自然地の踏み荒らし
・ゴミ投棄、放置
・焚き火(タバコの投げ捨て、その他火気の使用)
・駐車、車両の乗り入れ
・耕作(栽培種、外来種の持ち込み)
・多摩川に本来存在しない種類の魚の放流(ブラックバス、ブルーギル等)
・犬の放し飼い、狩猟訓練等の行為
・その他自然環境を阻害する行為
 (国土交通省、東京都、神奈川県、流域市町村)
道端にはエノコログサ(ネコジャラシ)が太陽の光を浴びて金色に輝いていました。 穂の部分を握ったり緩めたりすると少しずつ前進するように動く様子が 何処となく毛虫に似ていたりして、子供の頃にはよく握って遊んだものでした。 当然「猫じゃらし」としても使ったりしました。
エノコログサ(ネコジャラシ)
道端や荒れ地にふつうに生える一年草。茎は高さ20〜80cm。 花序は長さ3〜6cmの円柱形で、直立またはやや垂れる。 小穂は緑色の卵形で、基部に約1cmの剛毛が数個つく。 葉は長さ10〜20cmの線形で、基部は長い葉鞘となり、縁には毛が並ぶ。 果実は楕円形のえい果。
名前の由来:狗尾草。花穂を子犬の尾に見立てて、犬の子草。
 (出典:日本の野草・雑草、成美堂出版)
自然にやさしい多摩川に愛を…
この付近一帯の河川敷には、現在、一般では見られないような特徴ある自然生態系が残っています。 この自然を将来に渡って保全していくために、みなさまのご協力をお願いします。
お願い/バイクや自転車など乗り入れはしないでください。 植物などの採取など、自然に手をつけることはしないでください。
 (多摩川生態系保持空間、建設省京浜工事事務所)
「多摩川 右岸 海から48km」の標識を過ぎていくと、道の左手には田んぼが広がっていました。 そろそろ刈り取りの時期のようで、田んぼの稲は黄金色の穂を垂れていました。
秋川
田んぼが途切れて少し進んでいくと、右手には秋川の流れが近づいてきます。 秋川は檜原村の三頭山を源とする全長33kmほどの河川で、 この写真の右端の辺りで多摩川へ合流しています。 対岸には大型の水鳥もいたりして、長閑な景色が広がっていました。 ここから秋川の上流に向けてバーベーキュー場や秋川渓谷などもあって、 都民の憩いの場所になっています。
川沿いの土手道を進んでいくと、白い杭が幾つか並んで立っていました。 河川管理境界とのことで、ここまでは国土交通省の多摩川上流出張所、 これから先は東京都の南多摩西部建設事務所の管轄なのだそうです。
告示
1.遊漁の際は、遊漁承認証を必ずお求め下さい。
2.東京都内水面漁業調整規則及び当組合で規定する漁法以外は出来ません。
  主な例として
    イ)アユ、ヤマメ、ニジマス、イワナは解禁日まで遊漁禁止。
    ロ)体長制限 アユ10cm以下、ヤマメ・ニジマス・イワナ12cm以下は採捕禁止。
    ハ)蛍光針の使用禁止、等です。
3.日没から日の出までの夜間は遊漁を禁止します。
4.監視員又は指導員が遊漁承認証の提示を求めたら提示してください。
5.規則に違反した場合、遊漁の中止を命じ、とれた魚1尾につき300円の割で増殖費として買い上げて頂きます。
お互いに規則を守り楽しく釣りをしましょう。
よごすまい 明日もみんなが 来る釣り場
 (秋川漁業協同組合)
杭を過ぎて1分ほど進んでいくと車止めがあり、その先からは簡易舗装された道になります。 道の両側には田んぼが続いていて、既に刈り取りが終わった田んぼもありました。 刈り取った稲は田んぼの中の稲木に干してありました。 竿を幾段にも並べた高い稲木に干す地方もありますが、ここのは一段だけの稲木でした。 道端には「野鳥を観察するポイント」の案内板が立っていました。
滝山合戦記 北條氏照VS武田信玄
戦国時代、東国は上杉、北條、武田氏らの諸豪が互いにその勢力を競い合っていた。 永禄12年(1569)武田信玄は挙兵し、北條氏の拠城である小田原城を目指して進軍した。 その途中に北條方の重要な拠点の一つである滝山城を攻撃したのである。 信玄は本陣を拝島大師に構えたが、一方別動隊が小仏峠を越えて滝山城の背後に攻め入ってきた。 その数合わせて約二万人。 城を守る滝山城主(のちに八王子城主)北條氏照は籠城作戦を取り信玄の軍と対峙した。 「甲陽軍鑑」によると、氏照自らが旗を振って城兵を指揮したという。 先陣をきった信玄の嫡子、武田勝頼が北條方の侍大将・師岡山城と一騎打ちをして槍を交わすこと三度に及ぶ程 激しい戦いであったと伝えられている。 三日間の攻防の後、氏照はこの攻撃をはねのけた。 やむなく信玄は本陣を小田原へと向けるのであった。 今、みなさんの前方に見える滝山城はこのように天然の地形を生かして、 武田の大軍さえも拒む城であったと言われている。
 (東京都西部公園緑地事務所)
彼岸花の咲く田んぼの中の道を進んでいくと、正面にこんもりとした林があります。 ここで道が左右に分かれています。 左手の道は東秋川橋への近道のようですが、今回は右手の道を通って川沿いを進んでいきました。
右手には秋川の流れが続き、左手には田んぼが広がっていました。 田んぼでは実った稲の刈り取り作業をしている農家の方を見かけました。
水がなくなって干上がった田んぼでは刈り取りも比較的楽ですが、水が抜けない状況の場合は大変です。 そんな場合、私の故郷では小振りの田舟を田んぼに浮かべて刈り取った稲を乗せ、 ある程度積んだら土手の方へと運んでいきました。 田舟を引いたりするにしても、ぬかるむ田んぼは歩き難くて大変です。
東秋川橋
河川敷に広がる芝生の広場を過ぎ作業小屋のような建物を過ぎていくと、正面に東秋川橋が見えてきます。 小さな橋を渡っていくと東秋川橋南交差点があります。 交差点の左手すぐの所に東秋川橋バス停があります。 拝島駅(JR青梅線)までは1時間に1本から2本程度、 福生駅(JR青梅線)までは1時間に1本程度の便があるので、 ここからバスに乗って帰ってもいいでしょう。 今回は、車両用の橋に並んで架かる人道橋を渡って、東秋留駅まで歩いていくことにしました。
落合坂せせらぎ通り
橋を渡っていくと道標「東秋留駅」が左手の道を指しています。 車道は真直ぐに続いてますが、道標に従って左手に続く道を進んでいきます。 川沿いの道もありますが、その右手の田んぼの中へと続く道を進んでいきます。 横断歩道がないので、行き交う自動車に気をつけながら道路を渡っていきます。 道路を渡った所に「落合坂せせらぎ通り」の標識が立っていました。 「せせらぎ」と云うのですから小川沿いの道なのだろうと期待しながら進んでいきます。 左右には田んぼが広がり、黄金色に実った稲が頭を垂れていました。
田んぼの中に続く広い道を進んでいくと、正面に森が見えてきます。 広い道は真直ぐにその森の中へと落合坂を登っていきますが、 左手に神社の幟が見えたので、ちょっと立ち寄っていくことにしました。 落合坂の手前から左手に入る道を少し進んでいくと、鳥居の前に幟が二つ立っていました。 その前には綺麗に飾られた花傘もありました。 この西多摩の辺りでは祭りになると花傘を作って道沿いに沢山飾るのだそうです。
久保熊野神社
鳥居の先へ続く石畳の参道を進んでいくと再び鳥居があります。 その先にある石段を登っていくと久保熊野神社の社殿がありました。 訪れた日の翌日が秋祭りのようで、舞台や雪洞の飾り付けなどの準備が進められていました。 祭りの当日には、小学生の絵画展や奉納芸能大会などが催されるようです。 境内には絵が描かれた団扇が沢山並んでいました。 これが「小学生の絵画展」ということなのでしょうか。
神社を出て落合坂を登っていくと変則的な十字路があります。 斜め右前方へと続く住宅地にある道を進んでいきます。 十字路を直進していくとY字路があります。 そこを右手へと進んでいきます。 豆腐店を過ぎていくと、左手に曲がっていく角から右手へ分かれていく道があります。 左手の角にある民家の車庫の柱に道案内板が貼り付けてありました。 それによると、今まで歩いてきた道は「東秋川橋 秋川ふれあいランド、至(滝山城址公園)方面」、 右手の道は「JR五日市線 東秋留駅、駅まで徒歩約8分」となっています。 駅までの地図も載っているので参考にしましょう。 この案内に従って、右手へ分かれていく道を進んでいきます。
せせらぎ…
最初に「落合坂せせらぎ通り」とあったので「せせらぎ」があるのだろうと期待していたのですが、 何の変哲もない住宅地の中の道で、「せせらぎ」はありませんでした。 何故こんな名前が付いているのでしょうか。
東秋留(ひがしあきる)駅
住宅地の中の道を進んでいくと広い車道に出ます。 横断歩道を渡り、コンビニの左手に続く道をそのまま真直ぐに進んでいきます。 200mほどで再び広い車道に出ます。 横断歩道を渡り、すぐ右手にある東秋留駅入口交差点を入っていくと200mほどで踏切があります。 その踏切を渡ると右手に東秋留駅(JR五日市線)があります。 上り線と下り線それぞれ別々に踏切があって、その間に挟まれるようにして駅があります。 余り見かけない配置なので珍しく思いました。