聖峰
散策:2005年08月下旬
【低山ハイク】 聖峰
概 要 聖峰は丹沢の南側にある低い山で、不動尊の建つ信仰の山でもあります。 聖峰からは新宿副都心や房総半島までも望むことができる素晴らしい景色が広がっています。 今回は大山ケーブル駅から女坂を大山阿夫利神社下社まで登り、 蓑毛越から浅間山・高取山を経て聖峰へと降るコースを歩きます。
起 点 伊勢原市 大山ケーブル駅バス停
終 点 伊勢原市 神戸バス停
ルート 大山ケーブル駅バス停…宿坊街…雲井橋…男坂・女坂分岐…真玉橋…紅葉橋…来迎院…大山寺…無明橋…男坂・女坂出合…大山阿夫利神社下社…蓑毛越…浅間山…浅間山林道…不動越…栗原分岐…高取山…聖峰分岐…聖峰…九十九曲・女坂出合…山の神社…保国寺…比々多神社分岐…神戸バス停
所要時間 6時間10分
歩いて... 下社までの登りと聖峰への降りが急な道になっていますが、坂道が終わると素晴らしい眺めに出会えます。 高取山への登り道も傾斜が急ですが、それ以外は比較的緩やかな尾根道が続いていて、歩き易くなっています。
関連メモ 大山参り蓑毛のみち, 高取山, 大山南東尾根, 高取山, 高取山, 浅間山林道, 高取山, 丹沢大山, 浅間山
コース紹介
大山ケーブル駅(おおやまけーぶるえき)バス停
伊勢原駅(小田急小田原線)の北口から、[伊10]大山ケーブル駅行きバスにて28分、 1時間に3本程度の便があります。
「ケーブル駅」とは云っても、ケーブルカーの駅がすぐそこにあるという訳ではありません。 駅はバス停から続いている大山宿坊街の先にあります。 バスターミナルに独楽を彫った像があり、 ここから大山へ向かって続いている大山宿坊街についての解説が記してありました。
「大山ケーブル駅」バス停は、2008年10月に「大山ケーブル」バス停に改称されています。
かながわ古道五十選 大山宿坊街
昔、関東各地から大山参り石尊詣の人々がわらじを踏みしめた古道は、 その一端が大山に通じるものは皆大山街道と呼ばれた。 平成6年の「かながわ古道五十選」には大山道が七ヶ所も選ばれ、 そのどれもが合流するのが阿夫利神社大山寺の門前町「大山道宿坊街付近」である。 ここには各地の大山講と深い関係にある石の玉垣を巡らした先導師(御師)の旅館と土産店、 茶店等が石段道の両側に昔風の街並を残している。
 (伊勢原ロータリークラブ)
大山こま
大山の恵まれた木材と挽物技術が生んだ郷土玩具で、江戸時代中期に大山の信仰と結びついて発達しました。 昔からの技法が今も守られ、民芸的色彩と線模様が木肌とよく調和しています。
バスを降りて、やって来た方向へ進んでいきます。 鈴川に架かる阿夫利橋を見送って正面に続く坂道を登っていくと、 大きな「大山周辺ハイキングコース図」があります。 今回歩く「下社〜蓑毛越〜高取山〜聖峰」のコースも載っているので参考にしましょう。 今回はケーブルカーには乗らずに、女坂を下社まで登っていきます。 案内図の左手に続く鈴川沿いの坂道を登っていきます。
鈴川の砂防事業の概要(流路工について)
川の上流部(山間部)においては、流水により河道(川底や河岸)がけずられ、 河床が低くなり、山腹ののり面が崩れてきます。 そして、その土砂は下流へと運ばれ堆積していきます。 一方、中流部(台地部)・下流部(平野部)においては、 運ばれてきた土砂の為、河床が高くなり、川の流水断面が小さくなるので、 洪水時においては、川は氾濫して水害や土砂災害を引き起こします。 これらを防ぐ為、砂防では流路工(護岸工・床固工)を施工して、 河床勾配を緩やかにし、河道の浸食を防ぎ、流路を安定させ、 水害や土砂災害の危険から、人々の生命、財産を守っております。
 (神奈川県土木部)
少し登っていくと、橋のある所で道が二手に分かれています。 左手は坂道で、右手は石段になっています。 角に立つ看板によると、「阿夫利神社 大山寺不動尊参道 ケーブルまで550米、階段をお上りください」となっています。 案内に従って、右手の石段を登っていきます。
香りの街道
歴史と自然に満ちあふれた大山に、また一つ新しい魅力が加わりました。 大山参道の四季折々の香りをお楽しみ下さい。 いつ訪れても、花の香りが皆様をお迎えいたします。 思い出のひとつとしてこの香りをお持ち帰りください。
今まで植えた植物名:じんちょうげ(沈丁花)、やまゆり(山百合)、きんもくせい(金木犀)
 (大山観光青年専業者研究会)
宿坊街
石段の両側には食事処や土産物店などが軒を並べています。 TV番組の「くいしん坊万歳」で紹介されたというお店もあったりします。 石段の各所には独楽の絵が書いてあり、「コマ参道」とも呼ばれているようです。 独楽の絵は幾つめの踊り場なのかを示しているとのことです。 また、綺麗に飾られた神輿が何ヶ所かに据えてありました。 大振りなのと小振りなのが並んでいました。 大人用と子供用なのでしょうか。 祭りへの出番を今や遅しと待っているようでした。
コマ参道
大小のコマの絵が踊り場の数を示している。 この参道脇にはコマを挽く「木地師」の店が並んでいる。
 (大山観光青年専業者研究会)
大山こまを数えながら歩こう
大山の代表的なみやげ物「大山こま」をデザインしたタイルが、ここから大山ケーブル追分駅までの 各石段の踊り場27段にあります。
【こまの数え方】
大きい独楽が10の数を表し、以下、小さな独楽一個が1、二個が2、三個が3の数を表しています。 たとえば、「大きい独楽・小さな独楽二個・小さな独楽三個」は、大山モータプールから15段目の踊り場を示しています。 踊り場は、全部で27段ありますので、皆さんもこのタイルの大山こまの数を数えながら歩いてみてください。 どうぞ、お帰りに大山こまをお求めください。
 (伊勢原市)
雲井橋
途切れ途切れに続く店々を過ぎていくと、やがて雲井橋があります。 橋を渡った先に、大きな「自然との出逢い 国定公園 大山」の看板があります。 大山を中心にしてその周辺のハイクングコースが示されているので参考にしましょう。 正面の石段の途中から右手へ入っていくとケーブルカーの追分駅があります。 始発は通常は9:00ですが、時期によってはもう少し早くから動くこともあるようです。 ケーブルカーを利用する場合は事前に確認しておきましょう。 今回はケーブルカーには乗らずに歩いて登っていきます。
安全な登山(ハイキング)の心得
一、体力に見合った計画を立てましょう。
一、グループで登山する場合はリーダーを決めましょう。
一、リーダーは常にコースの徹底と人員を確認しましょう。
一、ゴミは必ず持ち帰りましょう。
 (伊勢原市、伊勢原警察署、伊勢原市山岳救援隊)
男坂・女坂分岐
雲井橋の先にある石段を登っていきます。 ケーブルカーの追分駅への道を右手に見送って更に上へと登っていくと石段が二手に分かれています。 ここが男坂と女坂の分岐になります。 角にある道標によると、右手は「きつ〜い男坂、下社35分」、 左手は「らくらく女坂、大山寺15分・下社40分」となっています。 今回は左手の女坂を登っていきます。 「女坂に七不思議あり」という真新しい看板も立っています。 「七不思議」を訪ねながら下社へと登っていきます。
「追分駅」は、2008年10月に「大山ケーブル駅」に改称されています。
女坂に七不思議あり
弘法水、子育地蔵、爪切り地蔵、逆さ菩提樹、無明橋、潮音洞、眼形石
七不思議を探そう!
 (大山観光青年専業研究会)
女坂を登り始めると、右手の男坂の広い踊り場に社がありました。 四隅に竹を立ててその間を綱で結んで白い御幣が下がっていて、周りには多くの人も待機していました。 何だろうと思って暫く様子を見ていると、男坂の上の方から「ドン、ドン!」という太鼓の音が聞こえてきました。 それに呼応するかのように、社の前の境内の太鼓が打ち鳴らされます。 どういうことなんだろうと思っていると、男坂を白木の神輿が降りてきました。 そして、竹で囲まれた神座の所に台を敷いて止まり、祭壇へと飾り付けをされていきました。
秋季大祭
あとで調べてみると、この日は3日間催される大山阿夫利神社の秋季大祭の丁度初日に当っていました。 祭りの初日の朝に御霊が下社から里へ降りてきたということでしょうか。 宿坊街で見かけた神輿もこの大祭のために準備されていたのでしょう。
真玉橋
社を後にして、沢沿いに続く石段を登っていきます。 少し登って行くと真玉橋を渡っていきます。 沿道にはアジサイが沢山植えられていて、 近くの小学校の生徒が書いた大山とアジサイに関する標語が所々に立っていました。
紅葉橋
更に石段を登っていくと、8分ほどで紅葉橋があります。 その手前には「弘法の水」が、橋を渡った所には「子育て地蔵」がありました。
【女坂の七不思議】 その一 弘法の水
「弘法の加持霊水」ともいい、弘法大師が岩に杖を突いたら、その跡から清水がこんこんと湧き出たという。 夏でも枯れることがなく、いつでも水の量が変わらないという。
【女坂の七不思議】 その二 子育て地蔵
最初は普通のお地蔵様として安置されたが、何時の頃からか顔が童あ(わらべ)に変わってした。 この地蔵に祈ると子供がすくすくと丈夫に育つといわれる。
 (大山観光青年専業研究会)
来迎院
紅葉橋を渡って更に石段を登っていきます。 「爪切り地蔵」や「逆さ菩提樹」を過ぎていくと、紅葉橋から4分ほどで広い境内に着きます。 柱には「来迎院」と書かれていました。 左手には小さなお堂、右手には大きな家がありましたが、 今では余り使われていないような雰囲気でした。
【女坂の七不思議】 その三 爪切り地蔵
弘法大師様が道具を使わず、一夜のうちに手の爪で彫刻されたと伝えられている。 何事も一心に集中努力すれば実現できるとの教えである。
【女坂の七不思議】 その四 逆さ菩提樹
上が太くて下が細く、逆さに生えたように見えることから逆さ菩提樹という。 現在は二代目である。
 (大山観光青年専業研究会)
大山寺
来迎院の左手に続く道を更に進んでいくと、ほどなくして道が分岐しています。 そばにある看板によると、正面の道は「大山ケーブル不動駅」、左手の急な石段は「大山寺本堂」となっています。 看板に従って、両側に童子などの像が立ち並ぶ左手の急な石段を登っていくと、大山寺の本堂があります。 境内は狭くて引きがなく、本堂の全体を写すことはできませんでした。
大山寺 真言宗大覚寺派
昔から「大山不動さん」と呼ばれた大山寺は、山号を雨降山といい、 天平勝宝7年(755)奈良東大寺の別当良弁僧正が、父母の孝養のために建てたといわれる。 赤子の時、大鷲にさらわれた良弁を捜して、日本国中を尋ね廻った父母が、 盲目の乞食になり果てていたのを、不動明王のみちびきで、親子の再会が出来たと、 大山寺縁起絵巻に書かれている。 良弁に帰依深かった聖武天皇は、良弁親子の再会に強く感動され、大山寺を勅願寺とされた。 寺はその後いくたびか災厄にあったが、鎌倉・足利・徳川幕府の保護をうけ、その都度再建された。 本尊不動明王・矜迦羅童子・制吁迦童子の三体は、珍しい鉄像で、 鎌倉時代(1270年頃)大山寺中興の祖、願行上人作と伝えられ、国の重要文化財である。 他に平安前期(782〜897)の木造不動像をはじめ多くの仏像がある。 この寺はかつて、日本古来の予言者から発展した山岳宗教の「修験道」の道場で、 大山不動信仰を世に広めたのは、この修験者たちであった。 今でもその象徴である天狗の面が土産店で売られている。 庶民が期待する大山不動尊信仰の特別の冥加は、農・漁・商・工・職人・技芸人等多くの人々の間で、 その子供達が親の職業を立派に引き継ぎ栄えるよう、加護を受けることであった。
 (伊勢原ライオンズクラブ)
無明橋
本堂の右手にある「女坂、阿夫利神社道」と書かれた看板に従って、本堂と庫裡の間を抜けていきます。 トイレの脇を登っていくと朱塗りの無明橋があります。 橋を渡った所には「無明橋」の案内板もありました。
【女坂の七不思議】 その五 無明橋
話をしながら通ると、橋から下に落ちたり、忘れ物や落し物をしたり、悪い事が起きたりするという。
 (大山観光青年専業研究会)
無明橋を渡っていくと、再び石段が始まります。 心なしか、これまでよりも急な感じのする石段を登っていきます。 この時は蒸し暑い季節だったので、何度も立ち止まっては汗を拭きながら登っていきました。 「潮音洞」や「眼形石」などを過ぎていくと、左手にケーブルカーの軌道が見えてきました。 丁度運転が始まるところだったのか、しばらく待っているとケーブルカーが通っていきました。
【女坂の七不思議】 その六 潮音洞
洞(ほこら)に近づいて心を鎮め耳を澄ませると遠い潮騒が聞こえるという。 この洞の中にどのような神秘が隠されているのであろうか?
【女坂の七不思議】 その七 眼形石
人の眼の形をしたこの石に、手を触れてお祈りすれば、 不思議に眼の病が治ると言い伝えられている。
 (大山観光青年専業研究会)
男坂・女坂出合
ケーブルカーのトンネルの上を越えるようにして続く石段を登っていくと、やがて道が二手に分かれています。 道標等は見当たりませんでしたが、左手の石段をひと登りすると、少し広くなった所に着きます。 右手からは男坂が合流してきます。 角に立つ道標によると、これまで登ってきた道は「女坂 大山寺15分、追分30分」、 右手からくる道は「男坂 追分20分」、左手へ登っていく道は「大山山頂、下社」となっています。
注意
男坂には電灯がありませんので、暗くなったら女坂を歩きましょう。
 (伊勢原市、伊勢原警察署)
ひと休みしたら、左手の石段を登っていきます。 両側に手摺りの付いた石段を登っていくと、広い場所に着きます。 ここは下社の直下にあたり、休憩処が何軒か並んでいます。 下社は正面の真新しい石段を登っていった所にあります。
ご参拝の皆様へ
神社参拝をされる方は、先ず此の手水舎にて手を洗い口をすすぎ清浄な心身を以ってご参拝下さい。
作法
一、先ず右手にて柄杓を持ち左手を洗う。
一、次に左手に持ちかえ右手を洗う。
一、更に左手に水を注ぎ口をすすいで下さい。柄杓には口をつけないでください。
 (大山阿夫利神社)
大山阿夫利神社下社
石段を少し登った所には、お清め所や参集殿休憩所があります。 その先へとひと登りしていくと、大山阿夫利神社の下社に着きます。 男坂・女坂分岐から丁度1時間で到着しました。 分岐にあった道標では40分とのことでしたが、 神輿を見たり風景やケーブルカーなどを写したりしていたこともあって、余計に時間がかかってしまいました。 下社の境内にはベンチは設置されていますが自動販売機などは設置されていません。 飲み物は下の参集殿休憩所や休憩処などで入手しておきましょう。
大山阿夫利神社
当阿夫利神社は海抜1,252mの山頂に本社があり、現在地の下社御拝殿は700mに位置し、 古くより信仰活動の中心霊場であります。 神仏習合時代には石尊大権現とも称せられ、堂塔は善美を尽くし、 その威容と盛観を誇った社殿でありましたが、安政元年12月晦日と明くる正月2日 再度にわたる山火事により一切を烏有に帰し、取敢えず仮殿が再建されました。 昭和33年に至り、時の内務大臣男爵末松謙澄の認可を得て下社御造営事業が 着手されましたが、諸般の事情から本殿のみが装いを新たにいたし、 遂に御拝殿は手がつかぬまま大正12年の関東大震災の厄に遭遇、 幸いにして倒壊は免れましたのでその災害の応急的修復をして今日に至りました。 昭和48年講社崇敬者の熱誠により御造営奉賛会が設立され、五ヵ年の継続事業として 御拝殿の建設が着手されました。昭和52年10月オイルショックと呼ばれる経済界の 一大難局をのりこえ、崇敬者の浄財が結集され、明治以来の悲願は見事に達成、 荘重優雅な流れ造り形式の社殿として清楚端麗、昔日の面影をしのぶ近代建築を 以て竣工を見たものであります。 山嶽幽遂の中、新拝殿は神気が満ち自ら身のひきしまるを覚えます。 皆様本日は遥々とよくご参拝下さいました。どうぞ俗界をはなれた当社の 境域より霊気と共に相模平野を一望し、遠く房総、伊豆七島の雄大な展望を 十二分に後満喫下さい。 ご一家の無事息災、ご家内の安全繁栄をお祈りいたします。
大山阿夫利神社の由緒
大山は、またの名を「あふり山」という。 あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすのでこの名が起こったといわれる。 標高は1251.7mで、関東平野にのぞんで突出している雄大な山容は、丹沢山塊東端の独立峰となっている。 阿夫利神社は、古代からこのあたりに住む人達の心のよりどころとなり、 国御岳(国の護りの山)・神の山としてあがめられてきた。 山野の幸をつかさどる水の神・山の神として、また、海上からは 羅針盤をつとめる海洋の守り神、さらには、大漁の神として 信仰をあつめると共に、庶民信仰の中心として、今日に及んでいる。 山頂からは、祭りに使ったと考えられる縄文時代(紀元前約1,000年頃)の 土器片が多く出土していて、信仰の古さを物語っている。 仏教が伝来すると神仏習合の山となり、阿夫利神社は延喜式内社として、 国幣の社となった。武家が政治をとるようになると、代々の将軍たちは、 開運の神として武運の長久を祈った。 引目祭・筒粥祭・雨乞い・納め太刀・節分祭・山開きなど、 古い信仰と伝統にまもられた神事や、神に捧げられる神楽舞・神事能・狂言などが、 昔のままに伝承されている。 全山が四季おりおり美しい緑や紅葉におおわれ、神の山にふさわしい風情で、 山頂からの眺望もすばらしい。都市に近いため、多くの人達に親しまれ、 常に参詣する人の姿が絶えない。
 (伊勢原ライオンズクラブ)
下社の境内からは素晴らしい景色が広がっています。 この日は生憎と霞んでいて、残念ながら余りはっきりとは見えませんでしたが、 条件がいいと、相模平野を始め、遠く房総や伊豆七島なども見渡せるようです。
大山阿夫利神社下社
祭神は、開運の大山祗神・雨を司る雷神・高おかみ(竜神)の三神のほかに、 航海の神、鳥石楠船神も祀られています。 いずれも山そのものを御神体とする古い土着の神々で、その原形は4000年程前の 縄文期にさかのぼるといわれます。 大山山頂に本社、中腹に下社があります。 四季を通じて参詣客が多く、白装束に身を固め、六根清浄の杖をついた人も見られたりします。 山頂からの眺めはすばらしく、相模野を眼下に房総半島、伊豆半島、大島も 見渡せ、「かながわの景勝50選」に選ばれています。
社殿の左手には大天狗の碑や雨降りの詩碑や菅原社などがあります。 その先の門をくぐった所に「片開きの登拝門」があります。 この門の先に続く急な石段を登っていくと90分ほどで大山の山頂へ到着するようですが、 今回は登拝門の左手にある「高取山2時間」や「大山山頂(カゴヤ道経由)1時間30分」に従って、 左手に続く山道を進んでいきます。
片開きの「登拝門」
大山は古くより霊験あらたかな神体山として崇敬を集めている お山でありましたため、明治初年の神仏分離までは、 この登拝門は夏の山開き大祭(7月27〜8月17日)期間以外は固く閉ざされ、 山頂への登拝は禁止されていました。 登拝門の鍵は遠く元禄時代より、280年に及ぶ長い間、 大山三大講社の一つである東京日本橋のお花講が保管し、 毎年7月27日の夏山開きには、お花講の手により扉は開かれる慣例となっており、 現在もその精神は連綿として継承されています。 その後、明治20年には登拝者の増加に伴い、春山開き大祭 (当時は4月5日〜15日)が新たに設けられ、この期間も 山頂登拝が出来得ることとなり、山頂登拝の規制は徐々にゆるめられました。 更に、みのげ、日向、ヤビツ峠方面等の表参道以外よりの 登山道が開かれると共に、昭和40年には国定公園に指定され、 登山者は急激に増加いたしましたので要望にこたえて、 現在では年間を通して常時庶民の山として登拝門は開かれるようになりました。 然し、その結果は、必然的に登拝門の伝統的意義と性格が失われてまいりましたので、 ここに往時をしのびつつ登拝門のもつ史跡としての重要性を考え合わせて、 一枚の扉のみを閉じて片開きといたし、その名残をとどめることといたしました。 よろしくご理解の上、ご登拝下さるようお願いいたします。 頂上参拝をされない方は、当所より遥拝して下さい。
登山者の皆様へ!!
最近、登山者の事故が多発しております。 左記事項を守り、安全登山にご協力ください。
・体調,装備等、登山計画を万全にする。
・時間に余裕を持って登山する。(午後三時以降は中止する)
・単独登山はしない。
・登山道以外、通行しない。
・落石,崩落等に充分注意してください。
※万一の場合、山中はケイタイ電話も送受信できない場所が多いので、 連絡・救援にも相当な時間を要します。 安全確保には各自の責任において対処願います。
 (伊勢原警察署、伊勢原市消防署、大山阿夫利神社)
1分ほど進んでいくと大山山頂への道が右手に分かれていきますが、 道標「蓑毛越え1.4km、蓑毛3.0km」に従って、正面の山腹に続く道を進んでいきます。 ここから蓑毛越までは山ヒダに沿って緩やかな道が続いています。 小さなアップダウンもあったりしますが、息が切れることもなく快適に歩いていけます。
(後日に大山山頂への道「かごや道」を歩きました。 「丹沢大山」を参照)
下社から5分ほど進んでいくと、小さな枯れ沢を渡っていきます。 更に5分ほど進んでいくと、再び小さな枯れ沢を渡っていきます。 沢へと降る道には鎖が設置されていて急坂になっていますが短いので、 それほど苦労することもなく通っていけます。
更に10分ほど進んでいくと、丸太で出来た短い梯子状の階段があります。 そこを過ぎていくと、左手の樹木が途切れていい眺めが広がる場所がありました。 右手から正面にかけて、これから向かう高取山への山稜が続いています。 小高くなった所には電波塔も見えていました。
蓑毛越
浅い枯れ沢を過ぎていくと10分ほどで尾根にある蓑毛越に着きます。 下社から30分ほどで到着しました。 そばの木に「蓑毛越」と書かれた板切れが括り付けてありました。 ここは峠にある十字路になっていてます。 そばにある道標によると、右手の尾根へ登っていく道は「大山山頂」、 峠を越えて正面へ降っていく道は「蓑毛バス停1.7km」、左手の尾根を降っていく道は「浅間山」となっています。 周りは樹木に覆われていて展望はほとんど得られませんが、 テーブルやベンチも幾つか設置されているので、ここで小休止していきましょう。
ここから奥は鳥やシカなどの動物たちを保ごしている場所ですから狩猟はできません。 皆さんもかわいがってください。
 (神奈川県)
緑は森呼吸 山火事注意
たばこ・たき火はよく消そう!
 (森林国営保険、神奈川県)
保安林区域図
この区域は森林がもっているいろいろな働きを守るため、保安林に指定されています。 保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県湘南地区行政センター農林部林務課)
汗が引いたところで、道標「浅間山」に従って、南へと伸びる緩やかな尾根道を降っていきます。 防火帯になっているのか、植林帯と雑木林の間に幅の広い道が続いています。 1分ちょっと進んでいくと、正面に植林帯が現れます。 広めの道は植林帯の中へと続いていますが、 その手前で細めの小道が左手の高みへと続いていました。 先ほどから塔のようなものが見えていたので、左手の道を登っていくことにしました。
浅間山 (標高679.6m)
林の中を少し登っていくと、そこには大きな電波塔がありました。 先ほどの蓑毛越の手前から見えていた電波塔だと思われます。 この時は作業員の方が何人か来ていて、パラボラアンテナのような物を設置する作業をしていました。 まだ建設中で完成していないということなのでしょうか。 あまりあれこれと写真を撮ったり、あるはずの三角点を探し回ったりするのは何だか気が引けたので止めておきました。 前後の様子からすると、ここが地図に載っている679.6m峰の浅間山のように思われますが、余り自信はありません。
(後日に来た時に三等三角点を見かけたので、679.6m峰で間違いないようです)
豊かな緑 山火事注意
たばこ・たき火は完全に消そう!
 (森林国営保険、神奈川県)
電波塔を過ぎてその先へと進んでいくと、やがて道は降るようになります。 道も工事中のようで、少々歩き難い状態になっていました。 3分ほど降っていくと、林道のような道に降り立ちました。 その右手からは、先ほど分かれてきた道が合流してきます。 先ほどの680m峰の巻き道になっていたようです。 作業員が乗ってきたのか、道には自動車が置いてありました。 ここからは更に広くなって傾斜もほとんどない歩き易い道が続きます。 電波塔の建設資材を運ぶために作られたのでしょうか、 それとも元々は林業のための道だったのでしょうか。
広い道を5分ほど進んでいくと、電波塔が二つ並んで建っている場所に出ます。 手元の地図によると、この左手辺りに636m峰の山頂があるようですが、 そこへ至る道も見当たらなかったので確認することはできませんでした。 金網に付けられた説明書きによると、左側の塔はNTTドコモの「秦野無線中継所」とのことですが、 右側の塔にはそれらしい説明書きは見当たりませんでした。
二つの電波塔の間の舗装道路を直角に曲がって降っていきます。 10mほど進んだ所の左手に「弘法山」と書かれた道標があります。 夏草に覆われていて、うっかりすると道標を見落としてしまいそうですが、 ここから左手に続く道へと入っていきます。 左手にある電波塔が出来るまでは、尾根道が真直ぐに続いていたのでしょうが、 道の真ん中に出来た電波塔を迂回していく形になっています。 電波塔の裏手に出て、先ほどまでの尾根道の続きを歩いていきます。
幅が広くて緩やかな尾根道が続いています。 夏草が生い茂っている所もありましたが、地面が見えないほどではありません。 数ヶ月前に草刈りが行われたのかも知れません。 5分ほど進んでいくと、再び電波塔がふたつ並んでいる脇を過ぎていきます。
たき火・たばこに注意
 (秦野市東財産区)
歩く人が多いのか尾根道はよく踏まれていて、大変に歩きやすくなっています。 自動車は見かけませんでしたが、小型車なら通れそうな幅がありました。 電波塔を過ぎて15分ほど進んでいくと、 伊勢原市消防署の設置した「山火事注意 通報番号27」の標識が立っています。
浅間山林道
標識を過ぎて進んでいくと正面に送電線の鉄塔「秦浜線No.9」が見えてきます。 鉄塔の袂を過ぎていくと、やがて道は降るようになります。 鉄塔を過ぎて3分ほどすると浅間山林道に出ます。 蓑毛越から50分ほどで到着しました。 降りた所にある道標によると、林道の向かい側の正面の山道は「高取山30分、聖峰1時間」、 これまで歩いてきた道は「下社1時間、大山山頂2時間」となっています。 これまで歩いてきた尾根道は伊勢原市と秦野市の市境になっているようで、 この左側が伊勢原市、右側は秦野市になります。 これから向かう高取山も市境にあります。
(左手の林道は「浅間山林道」を参照)
注意
ハンターの皆さん!! この付近は、鳥獣保護区になっています。 猟犬の訓練はしないでください。
 (神奈川県)
猟犬の訓練をする方へ
キャンプ場や登山道付近など不特定多数の方が利用する場所での猟犬の訓練は行わないようお願いします。 また、猟犬が野生鳥獣を殺傷するような訓練方法は鳥獣保護法違反となりますので、 絶対に行わないでください。
 (神奈川県湘南地区行政センター環境部、秦野市環境農政部、神奈川県秦野警察署)
不動越
林道の左右を見ても腰を掛けられそうな所が見当たらなかったので、 そのまま正面の山道へと進んでいきました。 これまでの広い尾根道から一転して、普通の山道に変わります。 「浅間山林道開通記念」と記された標柱の脇から山道へと入っていくと、 1分ほどで不動明王の石碑が立っていました。 その先すぐの所が不動越になります。 そばの樹木の幹に「不動越」と書かれた板切れが括り付けてありました。 ここはちょっとした鞍部になっています。 角に立つ道標によると、右手の道は「小蓑毛2km、野菊と信仰のみち」、 正面の道は「弘法山5km、鶴巻7km」、これまで歩いてきた道は「大山5.5km」となっています。 左手にも細い山道が降っていますが、道標には特に何も示されてはいませんでした。 後からやってきたパーティーにこの辺りに詳しい人がいて、 この左手の道は大山ケーブル駅へと続く道へ降りていけるのだそうです。 ちょっと覗いてみましたが、しっかりとした道のようでした。 丁度腰を掛けるのによさそうな倒木があったので、 これからの高取山への登りに備えて、ここで小休止していきました。
【野菊と信仰のみち】
関東ふれあいの道「弘法大師と桜のみち」の枝線で、 吾妻山から弘法山へと続く尾根から分かれて、念仏山・高取山を経て蓑毛まで続く6.3kmのコースです。
(左手の道は「高取山」を参照)
ひと息ついたところで、正面の道を高取山へと登っていきます。 かなり傾斜のある道で、間隔の広い横木の階段もあったりします。 登り始めて2分ほどした所に「高取山0.9km、聖峰2.0km、弘法山4.8km」と書かれた道標が立っています。 山頂までは25分ほどなので、焦らずにゆっくりと登っていきましょう。
注意
ハンターの皆さん! この付近に銃猟禁止区域があります。 狩猟に注意しましょう。
 (神奈川県)
栗原分岐
坂道を登り切って緩やかになった道をしばらく進んでいくと、不動越から15分ほどで道標の立つ分岐があります。 秦野市の設置した道標には、この正面の道は「弘法山、鶴巻」となっています。 伊勢原市消防署の設置した「山火事注意 通報番号39」の標識に、「栗原→」と引っ掻いてあります。 ここを左手へ降っていくと栗原地区へ降りられますが、高取山へは正面の道を進んでいきます。
(左手の道は「高取山」, 「浅間山」を参照)
高取山 (標高556m)
栗原分岐からその先へと進んでいき最後にひと登りすると、栗原分岐から8分ほどで高取山の山頂に着きます。 ベンチも幾つか設置されていて休憩するのにはいい所です。 丁度昼時になったので、ここで昼食タイムにしました。 山頂は日差しを遮るものがないので、夏場には暑い思いをしたりします。 周辺の木陰を見つけて腰を下ろしましょう。
自然と見晴
ようこそ高取山へ
 (栗原ふれあい里づくり研究会)
山頂は樹木に囲まれていて余り展望は得られませんが、樹間からは下界の街並みを見下ろすことができます。 山頂には二等三角点があり、右手すぐの所にはNHKの大山無線中継所の電波塔が立っています。 脇にある樹木の切り株に「高取山566.3m」と書かれた板切れが置いてありました。 以前に来た時には幹に括り付けてあったのですが、針金が切れてしまったようです。 手元の地図などには高取山は標高556mと書いてありますが、どちらが正しいのでしょうか。
聖峰分岐
汗も引いてお腹も満ちたところで、聖峰へと向っていきます。 道標「弘法山4km、鶴巻6km、聖峰」に従って、山頂の左手へ続く道を降っていきます。 いきなり始まる急な横木の階段を降っていくと、4分ほどで道標の立つ分岐があります。 正面の道は「弘法山3.8km」、左手の道は「聖峰25分、神戸バス停1時間20分」となっています。 脇には「眺望と自然、聖峰不動尊」と書かれた看板があり、左手の道を指しています。 道標などに従って左手の道を降っていきます。
(正面の道は「高取山」,「高取山」,「高取山」を参照)
いきなり始まる急な横木の階段を降っていきます。 傾斜は急ですが、土が流れ去って抉れてしまっているという訳ではないので、それほど歩きにくくはありませんが、 こんな急傾斜の階段を登りルートには選びたくない気がします。 しかし、ここを登ってくる元気な人も見かけたりして、体力があるなあと羨ましくなったりします。 4分ほど降っていくと、樹木が少し開けて見晴らしのいい場所がありました。
急な横木の階段を10分ほど降っていくと鞍部に着きます。 その先へ軽く登り返していくと、テーブルやベンチが設置されて小広くなった所に着きます。 急坂で疲れた足を癒しながら、ちょっと小休止していきましょう。 Tシャツに短パン姿でストレッチ運動をしている男性を見かけました。 地元の方のようで、この辺りには何度も来られているような雰囲気でした。
疲れが癒えたところで、その先へと進んでいきます。 ここからは緩やかな尾根道になります。 6分ほど進んでいくと、右手が盛り上がってきて道がその上へと分かれている所があります。 その上へ登ってみるとベンチが一つ設置されていましたが、 周りは樹木に囲まれていて特に展望がいいという訳ではありませんでした。 どちらの道を進んでもすぐに合流してその先へと続いています。
聖峰 (標高375m)
緩やかな尾根道を7分ほど進んで植林帯を抜けると、正面が開けた場所にある聖峰に着きます。 高畑山の山頂から35分ほどで到着しました。 左手には聖峰不動尊の祠が建っていました。
前方には遮るものが何もない素晴らしい景色が広がっていました。 ベンチも幾つか設置されているので、景色を愛でながらここで最後の休憩をしていきましょう。 広場に設置された方位盤によると、東側には、新宿副都心・横浜ランドマークタワー・伊勢原市・ 房総半島(鋸山)・江ノ島などが、南側には湘南平・伊豆大島・利島などが見渡せるようですが、 この日は遠くが霞んでいて、残念ながら余りはっきりとは見えませんでした。
聖峯
栗原の西方に群立する山々の中央に、お椀を伏せたような山が聖峯である。 標高375メートル。聖峯の名は古い伝説のなかで生まれた。 天平の頃、紀伊国、高野山のふもと天野郷に、阿字の長者とよばれる賢女がいた。 一夜一人の旅僧が夢枕に立ち、「私は世の中を救おうとする大願をもっているが、しばらく長者の胎を借りたい。」 と言うと長者の口の中へ入ってしまった。 やがて長者には立派な男の子が誕生し、長者は不思議な夢にちなみ、その子に「救世若」という名を付けた。 「救世若」は比叡山に登り、円仁慈覚大師について修行をつみ、当地に来たのは貞観のはじめ頃(859年頃)であった。 「救世若」は人々から「天野の聖」又は「子の聖」と呼ばれ、 当峰を選んで不動尊をまつり、また、自らの練行の場としたので、聖峰の名が起きた。 「救世若」は非常に長寿であったことや、足腰の病の神として人々にまつられている。
 「うもれ起」より (商工観光課)
九十九曲・女坂出合
聖峰からの降り道は、正面からジグザグに曲がりながら降っていく「九十九曲」と、 左手から続く広い道の二つがあります。 森から降ってきた所にある道標には「神戸バス停1時間」として左手を指していたので、 今回は左手の広い道を降っていきました。 小型車なら通れそうな幅のある広い道を10分ほど降っていくと十字路があります。 角には「参道九十九曲 登り口」と書かれた看板が立っていました。 また、聖峰不動尊までの道の案内図もありました。 それによると、いま降ってきた道は「女坂」となっていました。 右手からは聖峰から降ってきた「九十九曲」が合流してきます。 いま降ってきた道はそのまま正面へと続いていますが、 左手にも道が伸びていて先の方にはベンチも見えていたので、左手の道を進んでいきました。
山の神社
ベンチを過ぎていくと、すぐの所に、二本の木の間に「山の神社」と刻まれた石碑がありました。 木の間には綱が一本張ってありました。 石碑を過ぎて降っていくと、十字路を直進してきた広い道と合流します。 そこに「山の神社→」という看板が立っていました。
広くて緩やかな道を1分ほど進んでいくと道に柵がしてありました。 扉を開けて通っていきます。
お願い
この柵は有害鳥獣(鹿、猪等)の被害対策用の柵です。 開けたら必ず扉を閉めて縛って下さい。
 (地元鹿柵管理組合)
扉を閉めてその先へと進んでいくと、樹木が途切れて景色が広がる所があります。 眺めを楽しんでからその先へと降っていくと、柵から5分ほどで舗装道路に降り立ちます。 聖峰から20分ちょっとで到着しました。 これで山道は終わりになります。 角に立つ道標によると、今降ってきた道は「弘法山5.8km、高取山2.3km、聖峰1.2km」、 右手の道は「三之宮比々多神社1.5km、坪ノ内バス停1.9km」となっています。 左手の道は特に何も示されてはいません。 ここは道標に従って、車止めを抜けて舗装道路を右手へと降っていきます。
保国寺
畑地の向こうに広がる伊勢原の街並みを眺めながら道なりに降っていきます。 コスモス園を過ぎていくとT字路があります。 角に立つ道標「三之宮比々多神社1.0km」に従って左折し、舗装道路を更に進んでいきます。 2分ほど進んでいくとT字路があります。 角に立つ道標によると右手に分かれていく道は「坪ノ内バス停24分」となっていますが、 そのまま真直ぐに進んでいきます。 すぐに保国寺バス停があり、その左手の奥に保国寺があるので立ち寄っていきましょう。 六地蔵に出迎えられて境内へ入っていくと本堂があります。
本堂落慶記念
保国寺は永禄3年、今から440年前、開山布州東播大和尚により創建された。 天正・享保年間に幾多の災害に見舞われ、享保4年10月、当山第八世中興深渕玄龍大和尚により再建され、 約281年間、歴代住職により維持管理されてきたが、大正12年、関東大地震時に多大な被害を被り、 大修理を行なった。年月が進むにつれ更に老朽化も激しいため、平成7年4月、檀徒総会において 本堂再建の御賛同のもと、当山廿四世昌彦代に総代・世話人の他、建設委員会を組織し、 五ヶ年計画で着工にとりかかった。予定通り平成11年11月15日に完成し、 今回建設委員で記念としてこの水屋を建立する。
 (当山廿四世昌彦代)
三詩願
一人の祈りを万人の祈りに、 一人の願いを万人の願いに、 一人の夢を万人の夢に
  (タンポポ堂)
比々多神社分岐
保国寺を後にしてその先へと進んでいきます。 左右への分岐道を見送って200mほど進んでいくと十字路があります。 そこを右折して真直ぐに300mほど進んでいくと栗原大橋を渡っていきます。 橋を渡って左手からの道を合わせて100mほど進んでいくと、恵泉女学園前バス停があります。 伊勢原駅までのバスの便がありますが、朝と夕方と昼過ぎに1時間に1本の便しかありません。 うまく時間が合えば乗っていきましょう。 バス停のすぐ先で道が二手に分かれています。 左手の道を進んでいくと三之宮比々多神社がありますが、 今回は立ち寄らずに右手の道を進んでいきました。
道なりに真直ぐに500mほど進んでいくと、十字路の先に東名高速道路があります。 高速道路の下をくぐり、民家が建ち並ぶ道を真直ぐに進んでいきます。 400mほど進んでいくと国道246号に出ます。 信号を左折して100mほど進んでいくと、比々多小学校の信号の先に神戸バス停があります。
神戸(ごうど)バス停
伊勢原駅(小田急小田原線)まで、伊勢原駅北口行きバスにて12分、 朝夕は1時間に2本程度、日中は1時間に1本程度の便があります。