鳶尾山
散策:2005年08月中旬
【低山ハイク】 鳶尾山
概 要 鳶尾山は、厚木市から愛川町にかけて続く低い丘陵地帯にある山で、 地元でも人気のあるハイキングコースになっています。 コースにある展望台からは360度の大パノラマを堪能することができます。 今回は、鳶尾山へ登ってから八菅山いこいの森を経て上荻野へと降るコースを歩きます。
起 点 厚木市 鳶尾団地バス停
終 点 厚木市 上荻野バス停
ルート 鳶尾団地バス停…天覧台公園…金毘羅宮跡…小鳶尾山…小ピーク…鳶尾山…やなみ峠…青年勤労之碑…大沢橋…八菅神社…お花見広場…やすらぎの広場…展望台の広場…ゴルフ場…上荻野バス停
所要時間 4時間10分
歩いて... 最高地点は鳶尾山の標高235mですが、歩き始めの天覧台公園が標高100mほどなので、 実質135mほどの丘陵地帯になります。 散策したのは蒸し暑い日でしたが、余り起伏もなくて大汗はかかずに済みました。 散策路もしっかりとしていて、家族連れでも楽しく安心して歩けるコースです。
関連メモ 鳶尾山
コース紹介
鳶尾団地(とびおだんち)バス停
本厚木駅(小田急小田原線)の北口から、[鳶06][鳶89]鳶尾団地行きバスにて25分、 1時間に3本程度の便があります。
[鳶06]と[鳶89]とではルートが少し異なるので、鳶尾団地バス停には逆の方角から到着します。 バス停のそばに「鳶尾山ハイキングコース案内図」があります。 今回歩くコースの途中までが載っているので参考にしましょう。 鳶尾団地バス停→(3分)→天覧台公園→(30分)→小鳶尾山頂・日清戦没者記念碑→(30分)→鳶尾山山頂→(30分)→まつかぜ台団地バス停、 となっています。 先ずはこの案内図にある天覧台公園を目指します。
天覧台公園
バス停の前の車道を左折して銀行を過ぎていきます。 [鳶06]では戻り方向、[鳶89]では進行方向になります。 厚木警察署の鳶尾駐在所の先の信号を渡って道路の右側を更に進んでいくと、 3分ほどで右手に小さな天覧台公園があります。 ここが鳶尾山ハイキングコースの起点になります。 路面近くに白地に黒色で「鳶尾山ハイキングコース→」と書かれています。 公園には「鳶尾山ハイキングコース案内板」も設置されているので参考にしましょう。
先ほどのバス停にあった案内図とは若干違い、この案内板には、 ここから鳶尾山へ登った後、一本松バス停へ降るコースと、 八菅神社を経て上荻野バス停へ降るコースが紹介されていました。 天覧台公園→(30分)→金毘羅宮跡→(5分)→日清戦没者記念碑→(30分)→鳶尾山山頂、となっていて、 その先は二つのルートに分かれて、一方は一本松バス停へ50分、 もう一方は八菅神社まで50分・上荻野まで更に60分、となっています。 今回はここから鳶尾山へ登り、八菅神社から八菅山を経て上荻野バス停へと降るコースを歩きます。
ルールは守りましょう
・たき火,たばこの投げ捨てはやめましょう。
・観光地はいつもきれいに。ゴミは持ち帰りましょう。
・自然は大切にしましょう。
案内図の脇には「緊急時位置確認表示板 鳶尾山コース No.1」と書かれた標識が設置されています。 同じような標識がハイキングコースに沿ってNo.11まで点々と設置されていて、 コース案内の役割も果たしているようです。 また、この辺りには野生のサルが出没するようで、 「野生ザルに対する心得(野猿と人間のかかわり方)」の看板も設置されていました。 文字による説明はなくて、すべて絵で示されていました。 サルに餌を与えない、サルを凝視しない、サルに触らない、サルに荷物などを盗られないように、 といった内容でした。
コースを確認したら、正面にある幅の広い石段を登っていきます。 両側に空色の手摺りが設置された急な石段で、歩き始めからの急な登りで少々疲れますが、 それも4分ほどで終わりになります。 登り着いた所には、どういう訳だか鳥居が立っていました。 近くに神社らしいものは見当たりませんが、この山の上の方にあった金毘羅宮の名残なのでしょうか。
山火事注意 火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
峯公園分岐
鳥居をくぐっていくと、植林帯と雑木林の間に続く広い尾根道が始まります。 やがて植林帯も終わって雑木林の中を行くようになると、鳥居から7分ほどで分岐があります。 角に立つ道標によると、右手の道は「鳶尾峯公園15分」、正面の道は「日清戦没記念碑13分」となっています。 道標にはNo.2の標識が括り付けられていました。 ここは正面の道をそのまま進んでいきます。
それほど傾斜のない広い尾根道が続き、軽快に歩いて行くことができます。 峯公園分岐から2分ほどで左手から道が合流してきます。 鳶尾五丁目辺りから登ってくる道のようですが、そのまま尾根道を真直ぐに進んでいきます。
お知らせ
厚木市制50周年記念事業の一つとして「鳶尾山に桜を植える会」が山頂付近に桜を植えました。 会では今後20年間継続して、春は花、秋は紅葉が皆様の心を癒す場となるよう植樹に努め、 自然を生かしたふるさとの山を目指してがんばってまいります。 どうか皆様の暖かいご支援ご協力をお願いいたします。 ゴミや空き缶等は各自でお持ち帰りください。
 (鳶尾山に桜を植える会)
峯公園分岐から7分ほど進んでいくと道が二手に分かれています。 角には道標が立っていて、No.3の標識も括り付けてあります。 それによると、左手の道は「日清戦没記念碑5分」となっていて、右手の道は何も示されてはいません。 右手すぐの所に木製の鳥居が見えていて、その先の高みにある金毘羅宮跡へと続いています。 左手の道はその巻き道になっていて、どちらの道を進んでいってもこの先で合流します。 今回は金毘羅宮跡へ立ち寄るために、右手の坂道を登っていきました。
金毘羅宮跡
木製の鳥居をぐぐりその先にある石段を登っていくと、1分ほどで金毘羅宮跡に着きます。 広くて平らな場所には小屋がひとつ建っていました。 以前にはここに金毘羅宮が建っていたようですが、昭和30年代の失火により全焼したのだそうです。 この小屋には、金毘羅宮に関わる物が保存されているのでしょうか。
金毘羅子世羅天由来記
鳶尾山金毘羅社は慶安3年(約350年前)、養徳寺心外悦和尚が建立。 この時代、この地域は伝染病が猛威をふるい、一度幹線すれば施すすべもなくバタバタと斃れていくだけである。 止むなく病人を山に捨てたのである。 これを深く憂えた心外悦和尚は鳶尾山頂に登り、連日連夜病魔を除くため祈念す。 10月9日、この日天地がピリピリ振動する事数回。夜に入り山に登る。 ひそかに御座松の下に到り、祈念趺座す。 又、神を送る響き、天地振動す。経を誦す。 新月繊々として星光天に満ち連山寂寥、急に一陣の微風萌颯として幽松の梢を吹いて首をあげて樹上をみれば、 老翁現れ、「吾は天竺王舎城の守護神金毘羅世羅天なり。そなたの衆生を思う念の厚きに感じて永くこの地あって 衆生済度の為につくそう」と言や、又連山鳴動す。 かつ然と眼が覚めて驚くべし。 大宝積経金毘羅授受記本一巻が置かれてあった。 翌10日は総本家讃岐の金毘羅宮の開創と同じである。 心外悦和尚の不惜身命の活動が一脈の光明と生気を興え、やがて病苦の悲泣は快癒の感謝に変り、 御座松を仰ぎ金毘羅の社と古松は近郷の人達の感謝して仰いだ祈念の標でもある。
享保10年、吉宗公病気快癒の為再興。 文化11年、家斉公厄年の為再興。
其の後も何度か建て替えられたが、昭和30年代に浮浪者の失火により全焼す。
大祭は1月10日、5月10日
 (養徳寺世話人)
鳶尾一丁目分岐
小屋の左手からその先へと進んでいくと、先ほどの巻き道に降り立ちます。 巻き道に降りて少し先の所に分岐があります。 角には道標が立っていて、No.4の標識も括り付けてあります。 それによると、右手の道は「鳶尾一丁目」、正面の道は「鳶尾山へ47分」となっています。 ここは道標に従って、正面の道をそのまま進んでいきます。
(鳶尾一丁目方面からの道は「鳶尾山」を参照)
小鳶尾山 (標高213m)
鳶尾一丁目分岐から150mほど進んでいくと、鳶尾山観光展望台と、 「征清軍人陣亡之碑」と刻まれた日清戦没記念碑がある小鳶尾山の山頂に着きます。 麓の天覧台公園から22分ほどで到着しました。 それほどの広さはない山頂ですが、先ずは展望台に登って素晴らしい眺めを堪能しましょう。 螺旋階段を登っていくと360度の大パノラマが広がっています。
東側には東京タワーや東京都庁や横浜ランドマークタワー、 南側には江ノ島灯台や厚木アクストメインタワーが見渡せるとのことです。 この日は遠くが少し霞んでいて余りはっきりとはしませんでしたが、 横浜ランドマークタワーと思われるものは見えていました。
西側には湘南平や大山をはじめとする丹沢山塊が見渡せます。 荻野地区の西側に連なる経ヶ岳・華厳山から高取山に至る山並みも綺麗に見えていました。
展望台からの眺めを堪能したら、日清戦没記念碑の裏手から続く尾根道を進んでいきます。 5分ほど進んでいくと、No.5の標識の立つ曲がり角があります。 そこを左へ鋭角に曲がって雑木林の中の尾根道を進んでいくと正面が少し開けて、 これから向かう鳶尾山へ続くと思われる山並みが姿を現します。 その先へ少し降っていくと、広めの草地に着きます。 シートを広げて弁当でも食べたくなるような広さがありました。 草地は右手の方へ広がっていますが、散策路は左手の方に続いています。
後日に来て見ると、分岐に小さな標識が立っていて、 右手の道は「棚沢・八菅橋・神工大グランド」となっていました。
小ピーク
草地から少し進んでいくと、「鳶尾山山頂20分」の道標が道端に立っています。 No.6の標識もその支柱に括り付けてありました。 樹木が途切れて丹沢山塊が見渡せる場所を過ぎていくと、小鳶尾山から15分ほどで小ピークに着きます。 そばには「鳶尾山山頂15分」の道標が立っていて、No.7の標識もその支柱に括り付けてあります。 ベンチがひとつ設置されているので小休止していきましょう。
ひと息入れたら、道標「鳶尾山山頂15分」に従って、その先へと進んでいきます。 「鳶尾山桜の名所づくり事業」の看板を過ぎていくと、 小ピークから10分ほどで分岐があります。 辺りを見回しても道標は見当たりませんが、 本来の散策路は左手の道で、右手の道はそのショートカットになっています。 今回は左手の道を進んでいきました。
少し進んでいくと、右手へ曲がっていく所で、左手から道が合流してきます。 角に立つ道標「鳶尾山山頂」が右手の道を指しています。 No.8の標識も支柱に括り付けてありました。 左手からの道は、麓にある県水道局の配水池から登ってくる道のようですが、 道標には特に何も示されてはいませんでした。
鳶尾山 (標高235m)
道標に従って右手へ曲がっていきます。 先ほどのショートカット道を合わせてその先へと緩やかに登っていくと、 4分ほどで小広い草地になっている鳶尾山の頂上に着きます。 小鳶尾山から30分ほどで到着しました。 周りは樹木に覆われていて展望は今ひとつですが、樹間からは下界の街並みが見えていました。 山頂には「桜の名所づくり事業 鳶尾山頂」と刻まれた石碑があります。 一等三角点やNo.9の標識のある山頂にはベンチも設置されているので、ここで小休止していきましょう。
石碑の横には歌碑もあって歌が十首ほど刻まれていましたが、達筆過ぎて全く読めませんでした。 どうもこの類の碑には達筆なものが多くて、人に意味を伝える文字としての役目を果たしていません。 芸術には多かれ少なかれ自己満足的な側面があって、分る人だけに分ればいいということなのでしょうか。 『文字の形も含めて芸術だ』などとは思いたくないし、何故読みやすい文字で書かないのでしょうか。 何だか一般人には門戸を閉ざしているようで、とても残念に思います。
桜の名所づくり事業
脚下の中津川に銀鱗がおどり、東に広がる中津台地、昭和の初めまで桑畑として村は養蚕業が盛んであった。 昭和15年戦雲急を告げ、ついにこの地、軍に接収され、陸軍飛行場と化し、 戦闘機の爆音の明けくれの日々が続いた。 終戦間際には、多くの特攻機が南の空へと消えて行った。 またの上空をグラマンが低空飛行で民家や飛行場を急襲したりした。 戦後農民の手により、元の麦畑・花菜畑へと平和がもどった。 昭和41年県企業庁により、公害のない緑の工業団地(総面積234万平方メートル)として内陸工業団地が完成した。 戦前戦後、有為転変の歴史をじっと見つめてきたこの鳶尾山頂一帯(総面積36万平方メートル)を 昭和62年から「鳶尾山(町有林)桜の名所づくり事業」として町が着手、 平成元年から桜の植栽、下草刈や肥培管理を中津鳶尾山組合に委託され、今日の修景を見るに至った。 この桜の名所づくり事業に、直接・間接に御協力を賜った各団体・企業を次に列挙し、石に刻して 後世に顕彰するものである。
愛川町森林組合、県央愛川農業協同組合、株式会社織戸組、(財)日本さくらの会、(財)自治総合センター
 (中津鳶尾山組合)
ふるさとの自然を後世につたえるのはあなた
 (鳶尾山対策協議会、厚木市、愛川町)
山火事注意
この附近で山いもを掘る方は、自然保護のため、アズを十五センチのこして穴を埋めて下さい。
 (荻野の自然を守る会)
鳶尾山の山頂からは、左手から続く尾根道を降っていきます。 解説板にあるように、鳶尾山の周辺には沢山の桜の木が植えられていました。 花の季節になると、この辺りはどのように彩られるのでしょうか。 4分ほど進んでいくと、「きずなの森整備事業」と記された標柱と、No.10の標識が立っていました。
鳶尾山桜の名所づくり事業(さくらの木10,000本植栽計画)
事業主体 愛川町
協力団体 中津鳶尾山組合
鳶尾山桜の名所
 (愛川町、中津鳶尾山組合)
やなみ峠
広くてしっかりとした尾根道を緩やかに降っていくと、 鳶尾山の山頂から8分ほどで、簡易舗装された林道に降り立ちます。 角には大きな「鳶尾山ハイキングコース案内板」と、No.11の標識が立っています。 図の雰囲気は違うものの、天覧台公園にあったのと同じ内容が書かれていました。 案内板によると、この場所は「やなみ峠」というようです。 この先にある別の案内板では「鳶尾山峠」となっていましたが、どちらが正しいのでしょうか。 道路の少し左手から向かい側へと山道が続いていますが、 「この先、行き止まり。ハイキングコースではありません。」となっています。 八菅山へは右手へと続く林道を進んでいきます。
【参考】
ここを左手に降っていくと、6分ほどでまつかげ台団地の一角に着きます。 住宅地に降りて道なりに右へ曲がっていくと突き当たりにT字路があります。 そこを左折して緩やかに降っていくと横断歩道のある十字路があります。 そこを右折していけば、まつかげ台中公園の手前にまつかげ台バス停があります。 本厚木駅(小田急小田原線)まで、1時間に2本程度の便があります。
青年勤労之碑
緩やかな林道を6分ほど降っていくと、左手の山際に青年勤労之碑がありました。 一部読めない文字もありましたが、先の大戦後に、 中津村の青年団が中心になってこの林道を建設したことが記されているようです。 碑文によると、この道は八菅山林道というようです。
青年勤労之碑改修移転のしるし
昭和二十九年、一之沢に建立された碑が地盤の不備等により崩れ落ち、 雨露にさらされてあったものを、故神奈川県会議員荻田忠長氏を偲ぶ近隣有志相界りて この地南台に移転再建する。
 (昭和四十七年六月之建)
青年勤労之碑
郷土ヲ愛シ正義ヲ重ンジ勤労ヲ尊ビ平和文化国家ノ建設ニ寄与セン トスルハ第二次世界大戦終焉後ノ昏迷セル社会情勢下ニ於テ夙ニ自主 性確立ノ革新的理想ニ志セル本村青年団ノ深ク意図スルトコロナリ 偶_八菅山林道開発ニ際シ社会福祉ヘノ貢献ト健全ナル青年団精神 ノ練成トヲ企図シ幸ニ村当局並ニ地元民有志ノ推委鞭撻ニ依リ全 団員挙ゲテ難工事ノ実施ニ当リ県撃熱誠各自其ノ責務ヲ盡 タシ勤労ニ_所期ノ目的達成ニ努力シ此所ニ本事業ノ完成 ヲ見タリ寄ッテ碑ヲ建テ記念トス
 (昭和二十九年五月一日 愛甲郡中津村青年団)
大沢橋
更に林道を緩やかに降っていきます。 浅い谷筋をU字型に回り込んでいくと、青年勤労之碑から8分ほどで大沢橋があります。 橋を渡ると道が左右に分かれています。 右の方にある道標によると、左手は「八菅山いこいの森」、右手は「八菅神社・八菅橋」となっています。 正面にも幅の広い横木の階段が山へと続いていますが、道標には特に何も示されてはいません。 左手の方にある「八菅山自然環境保全地域」の看板に記された図によると、 正面の階段は八菅山へと続いていて、八菅神社経由の道へ出られるようですが、 今回は道標に従って、右手の道を沢沿いに進んでいきました。
(左手の道は「鳶尾山」を参照)
八菅山自然環境保全地域
22.6ha
自然を大切に
建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県県央地区行政センター環境部、愛川町環境経済部環境課)
鳥獣保護区
ここは保護区域です。鳥や獣を守ってください!
 (神奈川県)
沢沿いの林道を5分ほど降っていくと、砂防ダムがありました。 暑い夏の渇水期とあってか、満水までにはまだまだ余裕があるようでした。
山火事注意
火の始末 山に来るたび 歩くたび
タバコの投げ捨てはやめましょう。
 (愛川町)
右手に竹林を見ながら進んでいくと、やがて集落に出ます。 集落の中をしばらく進んでいくと、大沢橋から8分ほどでT字路があります。 左手には大きな鳥居があり、その傍には「郷社 八菅神社」と刻まれた石柱が立っています。 歌人もここを訪れたのか、俳句の記された看板も立っていました。 T字路の少し手前には「八菅山いこいの森ハイキング案内」の大きな案内図がありました。 八菅神社のある八菅山いこいの森には、やすらぎの広場・みずとみどりの青空博物館・やすらぎの広場・ 展望台広場などがあって、その間に幾つかの散策路が巡っています。 今回は、八菅神社から森の中心部を抜けて上荻野へと向かっていきます。
蓬莱に きかばや伊勢の 初便 芭蕉
おちこちの 笠も八菅や 順の峯 五柏園丈水
 (愛川町教育委員会)
八菅山(はすげさん)
標高225米
八菅山は古名を蛇形山といった。 むかし日本武尊が坂本(現在の中津坂本地区)でこの山をながめられ、 山容が竜に似ているところから名付けられた。 そしてこの山中には蛇体の各部分にあたる池の名が今も残っている。 大宝3年修験道の開祖、役の小角(役の行者)が日本武尊の神跡をたづね、 この山に国常立尊ほか六神を祭り修法を行った。 そのとき八丈八手の玉幡が山中に降臨し、神座の菅の菰から八本の根が生え出たという。 そこで山の名を八菅山とよぶようになった。 これが八菅神社のはじまりであると伝えられている。 この八菅山を前にした丹沢山塊一帯は山岳信仰の霊地として修験者(山伏)たちの修業道場として盛んであった。 この連なる山々には幣山・法華山・経ヶ岳・華厳山・法論堂など、 今も残る名は巡峯の要所であったことを教えてくれる。
鳥居をくぐっていくと、すぐに社務所のある境内があります。 境内には宝物館や梵鐘などもありますが、本殿はずっと上の方にあります。
愛川町指定文化財 八菅神社の梵鐘
八菅神社は、もと八菅山七社権現といい、 別当寺光勝寺のほか院坊五十余をもふくめた修験の一大霊場として古くから続いていました。 明治の初め、神仏分離の際、光勝寺は廃され、院坊の修験は帰農し、権現は八菅神社となりました。 この梵鐘は、元和4年(1618)徳川二代将軍秀忠の武運長久を祈願して光勝寺に献じられたもののようです。 銘文によると、古い地名である「上毛利庄」のほか、鋳工者に下荻野の「木村太左衛門重次」、 上川入の「小嶋元重」の名もみえます。 地元における梵鐘のうち最古の故もあって、太平洋戦争のときにも供出をまぬかれ、 現在北相に残った数少ない貴重な梵鐘となっています。
 (愛川町教育委員会)
愛川町指定重要文化財のこの梵鐘は、昔の八菅山大権現(現八菅神社)の別当寺光勝寺の梵鐘だった。 長年八菅の森に鳴り響いたなつかしい梵鐘ではあるが、梵鐘の寿命にも限りがあることを思い、 ここに撞くことを止めて保存することとしました。 何卒御理解の程御願い申し上げます。
 (八菅神社氏子総代会)
宝物館の右手の坂を登っていきます。 ふるさとの木「八菅神社のケヤキ」を過ぎていくと正面に石段が現れます。 そばに立つ標識によると、正面の石段は「おみ坂」、左手の坂は「女坂」とのことです。 おみ坂は石段を登って本殿へと真直ぐに続いていますが、 女坂は左手から右手へと逆S字形に曲がって登っていきます。 今回は、正面の石段を登っていきました。 この辺りは「かながわの景勝50選 八菅山と八菅神社」や 「かながわの美林50選 八菅山のスダジイ林」に選ばれているようです。
神奈川県指定天然記念物 八菅神社の社叢林
中津川に面した八菅山の集落に続く丘陵の海抜100〜170メートルの南側斜面から東側斜面にかけて 八菅神社の森と称されるスダジイ林が発達している。 一部にスギやヒノキが植栽されているが、200段を越す階段の参道周囲は、 樹高15メートル以上のスダジイ林が自然植生として生育する。 高木層は、台地上でアカシデ・ヤマモミジ・ハリギリを混え、 スダジイが優占する森を形成している。 亜高木層以下はヒサカキ・サカキ・アラカシ・ツルグミ・クロガネモチ・アオキ・ビナンカズラ・ ベニシダ・イタチシダなどヤブツバキクラスの常緑の自然植生の構成種が多く生育する。 八菅山の森は、相模平野にそって海岸から比較的内陸まで生育するスダジイ林 (ヤブコウジ−スダジイ群集)が、25,000平方メートル以上もまとまって残存生育しており 極めて貴重な樹林である。
注意
この天然記念物を許可なく、伐採したり荒らしたりしますと罰せられますのでご注意ください。
 (神奈川県教育委員会、愛川町教育委員会)
歌碑を左手に見ながら、200段とも300段とも云われる石段を登っていきます。 神社参道の石段にはよくあることですが、 ここの石段も間隔が狭くて足全体が乗せられません。 少し斜めにしたりして踏み外さないように注意しながら登っていきます。 しばらく登っていくと、女坂が左から右へと横切っていきますが、 更に上へと続く石段を登っていきます。
ふるさとの木「八菅神社のクロガネモチ」を過ぎ、竹の菰を巻かれた杉の大木の間を抜けていくと、 御手洗所などのある本殿直下の小広い場所に着きます。 ここに、観光案内図の「愛川町イラストマップ」や下の境内にある宝物館の記念碑がありました。
八菅神社宝物館建設記念之碑
八菅神社はその昔日本武尊の御神跡を慕って役の行者が御来山御修法されたのに始まり、 和銅2年には勅命により行基菩薩社殿を建て、八菅山権現と称れ修験の霊場として栄えた。 源頼朝等武将の信仰も厚く、社殿は復興されたが永正2年兵火のため焼失し、 天文10年再建された後、幾度も建立修復されて今日に至った。 明治の御代、神道に復帰。郷社八菅神社となり、郷人の信仰の中心となる。 度重なる遭難にもかかわらず古い歴史を物語る遺品遺跡が数多く残されている。 明治以来すでに百有余年、これ等貴重なる文化財が徒らに滅びるのを憂うる氏子総代会にては、 相議り奉賛会を結成し、そのかみ修験者の諸国勧進に思いを馳せ、 会員心を一つにして日を重ね時を費やし西に東に巡り、 訪のひかくて地区内の総氏子を始め、県内外在住の崇敬者より多く額の御寄進を頂き、 ここに荘厳な宝物館の落成を見るに至った。 尊い遺品を後世に伝える事が出来るのは真に喜びに堪えない。 神社の弥栄を祈念して碑を建立し記念とするものである。
 (八菅神社氏子中)
スギ
スギは日本特産の樹木で、名前は幹がまっすぐに伸びる木、直木(すき)からきているといわれています。 長寿で、大木なることから、神社などに植えられ、神木として信仰の対象となっています。 樹高60メートル、樹齢千年の古木も知られています。 古代から利用されていたことが知られ、林業上も重要な樹木で、 建築材のほか、家具や酒樽、葉は粉にして線香などに利用されています。 (スギ科)
八菅神社
小広い境内から石段をひと登りすると八菅神社の社殿があります。 横に長い社殿のため、正面からではその全体を写すことができないので、斜め横から写しました。 境内には絵馬が沢山掛けてありました。 社殿の右手の森には「経塚の跡」があり、標柱と解説板が立っていました。
八菅山 経塚群
経塚とは経典を埋納したところで、十世紀末ごろ、末法思想を背景に作善業のひとつとして発生したといわれる。 のち、経典の書写とも結びつき、やがて、死者の冥福を祈るという追善的な性格をもつようになった。 八菅山の経塚群は、平安時代の末期から鎌倉時代にかけてのものといわれている。 昭和47年、神奈川県教育委員会による調査の際、経塚17基を確認したが、多くは盗掘されていた。 なお、そのおり納経容器の壺十五を出土、うち、和鏡を伴うもの六、そのひとつから 木造合子型念持仏(愛染明王−鎌倉初期)が発見された。
 (愛川町教育委員会)
注意
拝殿内に塩を投げ入れないで下さい。
床・直に置かない様、お願いします。
器等利用して下さい。
お花見広場
社殿の左手に「憩の森 登り口」と書かれた板が立っています。 そこから続く簡易舗装された広めの道を進んでいくと、すぐに八菅神社の裏手に出ます。 右手から登ってきた女坂を合わせて左手へと進んでいくと、背丈の低い道標がありました。 子供の背丈よりもずっと低く、そんなに低くしている理由はよく分りませんでした。 道標「展望台10分」と記されている広い道を進んでいくと、 程なくしてフィールドアスレチックの遊具が並ぶ広場がありました。 付近の案内図も設置されているので参考にしましょう。 全体図とこの付近の拡大図が描いてありました。 すぐ先にテーブルやベンチが幾つか設置されている場所があったので、 ベンチのひとつに腰を掛けて昼食タイムにしました。
豊かな緑 山火事注意
たばこ・たき火は完全に消そう!
 (森林国営保険、神奈川県)
注意
サルが出ることがあります。 かまったり、エサを与えないでください。
 (愛川町)
白山堂跡
お腹も満ちて疲れも癒えたところで、その先へと進んでいきます。 すぐの所にあるトイレを過ぎていくと、道は登り坂になってきます。 ここにも背丈の低い道標「展望台7分」が立っていました。 野外卓への分岐を過ぎていくと、右手に「白山堂跡」の解説板が立っていました。
白山堂跡
ここから20メートルほど奥にあった祠の跡をいう。 白山権現は、八菅神社の祭神七柱のひとつであるが、 なにかのわけがあって、とくに、ここにも祀られていたのであろう。
 (愛川町)
やすらぎの広場
白山堂跡から少し進んでいくと、道が十字に分かれています。 すぐ先にある案内図によると、ここはやすらぎの広場の端っこになります。 左手の道は、「カエデの小径」を経て「みずとみどりの青空博物館」へと続き、 右手の道は「やすらぎの広場」から「スギの小径」へと続いていますが、 今回は「展望台の広場」を目指して正面の道をそのまま真直ぐに進んでいきます。
(右手の道は「鳶尾山」を参照)
梵天塚
八菅山修験組織のひとつである覚養院に属する塚であった。 修験道で祈祷に用いる梵天(幣束)をたてたことにちなむ名であろう。 築造のころは不明である。
 (愛川町)
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう。
 (神奈川県)
展望台の広場
十字路を過ぎ梵天塚を過ぎて小広い道を真直ぐに進んでいくと、右手に展望台が見えてきます。 展望台の左手には東屋もありますが、先ずは展望台へ登って眺めを楽しみましょう。
教城坊塚
八菅山修験組織のひとつである教城坊(後に教城院となる)に属する塚であった。 築造のころは不明であるが、修験道特有の祭祀遺跡である。
 (愛川町)
施設や木や花を大切にしましょう。
 (愛川町)
小鳶尾山にある展望台からほどの広い範囲は望めませんが、 それでも展望台の下にある案内板によると、 中津川や相模川の向こうに、新宿高層ビル群や横浜ランドマークタワーなどが見渡せるようです。 この日は遠くが少し霞んでいて余りはっきりとはしませんでしたが、 横浜ランドマークタワーと思われるものは見えていました。
展望台から元の道へ戻ってその先へと進んでいきます。 八菅神社から続いていた簡易舗装道は土の道へと変わりますが、 よく踏まれていて歩きやすくなっています。 緩やかな尾根道を5分ほど進んでいくと、2mほどの鉄柱が立っている開けた場所に着きます。 丹沢の山並みを見ながら左手へと続く広い草道を降っていくと広い道に降り立ちます。 道標などはありませんが、ここを右手へと進んでいきます。
八菅山
2万5千分の1の地形図によると、 標高225.7mの三角点が設置されている八菅山の山頂がこの少し先の辺りにあるようなのですが、 結局は見つけることが出来ませんでした。 人知れず静かに佇んでいるのでしょうか。 八菅神社からここまではほとんど起伏のない丘陵地帯だったし、 八菅山いこいの森という名前からすると、この辺り一帯が「八菅山」なのかも知れません。
後日に三角点を確認しました。 広い道に出て1分ほど進み、道幅が広がる手前から右側の尾根に登っていくと、 僅かな高みに四等三角点がありました。 (「鳶尾山」を参照)
これからは、八菅山いこいの森につき、午後5時から午前8時まで車両通行止
 (愛川町、八菅神社)
ゴルフ場
左手にゴルフ場のコースを垣間見ながら広くて緩やかな道を進んでいくと、 6分ほどで左手の樹木が途切れて景色を見渡せる所がありました。 ゴルフコースの向こう側には丹沢の山並みが広がっていて、 しばらく足を止めて眺めていきました。
眺めを楽しんだら、その先へと進んでいきます。 2分ほど進んでいくとT字路があります。 正面の道端にある道標によると、左手はゴルフ場へ続く道で、 上荻野バス停方面の道は右手とのことなので、 右へと登り気味に曲がっていく道を進んでいきます。 送電線の鉄塔「佐久間東幹線403号」の袂を過ぎていくと、道は降るようになります。
2分ほど降っていくとh字形の分岐があります。 角に立つ道標「←上荻野バス停」に従って、左手に戻るようにして降っていきます。 ここからはゴルフ場を抜けていく広い舗装道路を道なりに進んでいきます。
4分ほど降った所にあるクラブハウスの前を直進して、更に道なりに降っていきます。 クラブハウスを過ぎて10分ほど降っていくと厚木市広報板のあるT字路がありますが、 左へ曲がっていく広い方の道を進んでいきます。
おぎの聖地公園を左手に見ながら進んでいくと、右手には田んぼが広がっていました。 その先へと道なりに進み、最後に大きく右手へ曲がっていくと、国道412号に出ます。 途中で細い分岐もありますが、広い方を道なりに進んでいけば迷うこともありません。
上荻野(かみおぎの)バス停
角にあるガソリンスタンドを左折して50mほど進んでいくと、 荻野公民館上荻野分館の前に上荻野バス停があります。
本厚木駅(小田急小田原線)まで、 厚木バスセンター行きバス,または,本厚木駅行きバスにて30分、 1時間に3本から4本程度の便があります。