荻野の里
散策:2005年07月上旬
【里山散歩】 荻野の里
概 要 荻野の里は丹沢の東側にあって、荻野川や真弓川が流れています。 その昔には神奈川県の政治の中心地だったとも云われる荻野には、 田んぼや小川や小山などの昔懐かしい里山風景が残されています。 今回は荻野川沿いに設定されているウォーキングコースを歩きながら、古民家や寺社などを訪ねていきます。
起 点 厚木市 公所バス停
終 点 厚木市 上荻野車庫前バス停
ルート 公所バス停…戒善寺…広町公園…荻野川…本郷橋…鷺坂橋…荻野運動公園…権現堂橋…無道橋…銅座橋…荻野神社…金山橋…横林橋…古民家岸邸…下清田谷橋…上清田谷橋…源氏橋…松石寺…華厳山登山口…高木競走馬育成牧場…岩倉ダム…上荻野車庫前バス停
所要時間 4時間20分
歩いて... 田んぼには50cmほどに育った稲が青々とした葉を元気に伸ばしていました。 牛や馬もいたりして、昔懐かしい光景に出会えたのでした。 この荻野には今回訪ねた所以外にも多くの史蹟などがあるようです。 散策路が巡っている公園などもあったりして、ゆっくりと時間をかけて訪ねてみたい所です。
関連メモ 華厳山
コース紹介
公所(ぐじょ)バス停
本厚木駅(小田急小田原線)の北口から、 [厚01][厚02][厚14]半原行きバス,[厚05][厚12]まつかげ台行きバス、[厚06]鳶尾団地行きバス、 または,[厚04][厚10][厚11]上荻野車庫前行きバスにて18分、 1時間に5本から6本程度の便があります。
厚木バスセンターから…
新宿寄りへ少し行った所にある厚木バスセンターが始発の便もかなりあるので、 バスが混みそうなら、そこから乗るのも検討してみましょう。
バス停からその先へと進んでいきます。 すぐ先の信号のある十字路を直進していくと、国道412号に出ます。 交差点の左手にある横断歩道を渡った先の路地へと入っていきます。 横断歩道が斜め方向についているので、渡ってから少し左手の所にあります。 角には「戒善寺」の看板が立っているので目印になります。
戒善寺
路地を緩やかに1分ほど降っていくと、角に「戒善寺」の石柱が建つ坂道が現われます。 山門は左手の道を少し行った先にあるのですが、その坂を登っていくとすぐに戒善寺の境内に着きます。 歴史のありそうな立派なお寺です。 「自由民権の里」と刻まれた石碑もありました。 それによると、神奈川県の当時の政治の中心地はこの荻野だったのだそうです。
戒善寺沿革
当山は平安期天台宗の寺として草創された。 治承4年(1180)源頼朝は源氏再興の旗挙げを決行した。 万一陸路敗走の場合はこの荻野から甲州への道であった。 「我亡きあとはこの持仏釈迦如来を守り源氏再興を計ってくれ」と頼み、 持仏を授けて家来を荻野へ駐屯させた。 それが現在の源氏河原である。 釈迦如来像は近くの戒善寺に釈迦堂一宇を建立して安置された。 文永8年(1271)依知郷に滞在中の日蓮大上人は、戒善寺に釈迦堂のある事を知り、 親しく巡錫参詣された。 住転日相は大上人の教化に浴し、師日源を開山に仰ぎ、山号を満星山とし日蓮宗に改宗した。 日源上人は弘安5年(1282)王子原より現在地へ戒善寺と釈迦堂を改築移転した。 慶安2年(1649)三代将軍家光より「先規に任せ釈迦堂領五石」の御朱印を賜り葵を寺紋としている。 明治初期頃までは鐘楼堂、三十番神堂それに飛地の外宮数社があったが、 廃仏毀釈により寺領と共に現在では寺の所有でなくなっている。 又境内には多くの民権家達の墓がある。 大矢正夫・難波春吉・佐伯十三郎の墓が仲よく並んでいる。 三人が「死後もいっしょに」と申し合わせていたからである。 五十三世日明上人のはからいである。 上人は大矢・佐伯らと共に山中学校の教師をしていた。 森甚太郎は豪農民権家として山中学校の学務委員や、のちには村長にも就任しているが、 それ以上に俳句の宗匠として知られている。 裏門近くの墓石にも「月も花も世は火宅なりさようなら」の辞世の句がある。 五十二世日巌上人は森甚太郎ら民権家達の俳句の師匠で、 「行先は都へ近き花野かな」が辞世の句である。
自由民権の里
当時、神奈川の政治の中心は愛甲郡であり、愛甲郡の政治の中心は荻野村であった。
(明治32年戒善寺における天野政立演説より)
広町公園
戒善寺の山門を出て左手に少し進んでいった所にある分岐を右手に戻るようにして降っていきます。 降り切った所には広町公園がありました。 ブランコやすべり台のある小さな公園です。 その右手には水田が広がり、50cmほどに育った稲が青々とした葉を伸ばしていました。 何だか懐かしい風景に、しばらく時の経つのも忘れていたのでした。
大きな声であいさつをしよう。
 (本郷青少年健全育成会)
荻野川
広町公園の右手に続く道を進んでいくと、すぐに荻野川に出ます。 そばには「健康の道」の案内板がありました。 この少し下流にある十二天橋から上流の上荻野分館にかけて、 この荻野川沿いに続くウォーキングコースです。 歩程は7.4km、120分とのことです。 十二天橋・上使橋・山中陣屋跡史跡公園・広町公園・横林橋・ふれあい橋・竹林・下清田谷橋・源氏橋・柄沢橋などを経て、 荻野公民館上荻野分館へと続いていて、今回歩くコースと重なる部分がかなりありそうでした。
本郷橋
右折して、荻野川の左岸に続く土手道を進んでいくと、すぐに本郷橋があります。 手頃な大きさの川があり、両岸には田んぼが広がり、 その向こう側には小山もあって、昔懐かしい里山風景が広がっています。
私の故郷にも同じような風景がありました。 周囲を小山が取り囲み、狭い平地には小川が流れ、その側には田んぼが広がっていました。 少し深くなった所で泳いだり、下流から上ってくる川魚を網ですくったり、 カニやヤゴを捕ったりと、子供達の遊び場になっていました。 今回は遊んでいる子供は見かけませんでしたが、 まだまだ里山風景が残っているようで、何だか嬉しくなったりします。
橋を見送って更に荻野川沿いに進んでいくと、土手では草刈りが行われていました。 今では円盤に刃が付いた器具で事も無げに刈っているようですが、 昔は腰を落として鎌でひとつひとつ刈っていたものです。 刈り取られた草が芳ばしい里山の香りを一面に漂わせていました。
土手に寝転んで、青空を流れていく白い雲を見るともなく眺めている…。 色んな形の雲があったり、時々刻々形を変えていく雲を眺めながら、 この雲はアレに、あの雲はアレに似ている、などと空想を楽しんだのでした。 物の乏しい時代でしたが、心は豊かだったのかも知れません。
鷺坂橋
川や田んぼを見ながら土手道を進んでいくと、右手へ曲がっていく辺りに牛舎がありました。 中では多くの牛が飼育されているようでした。 牛舎を過ぎていくとすぐに鷺坂橋があります。 土手道はこの先へと続いていますが、 左手へ少し行った所に荻野運動公園があるのでちょっと立ち寄っていきましょう。
鷺坂橋を渡って左折して荻野川の右岸を引き返していくと、右手に小さな水門があります。 この右前方に荻野運動公園があります。 川沿いの道はこの先へも続いていて、少し先で川から離れて荻野運動公園の脇を通り、 細い道になって谷戸を経て宮の里へと続いています。 道は公園のすぐ脇を通りますが、柵がしてあって公園の中に入ることはできません。 今回は、ここから右手に分かれていく田んぼ沿いの道を進んで、公園の入口へと向かいます。
荻野運動公園
田んぼ沿いの細い道を進んでいくと、ほどなくして車道に出ます。 左折して少し進んでいくと、バス停の先に荻野運動公園の入口があります。 入口にある大きな駐車場の先から公園へと入っていきます。 体育館・競技場・テニスコート・プール・多目的広場・花原・野草園などがある広い公園です。 この時には競技場で子供達がサッカーの練習試合をしていました。 5月から10月にかけての水曜日の夕方には、生産者が直売する「夕焼け市」が開催されているようです。 雨天決行とのことで、地場農畜産物や加工食品が販売されているのだそうです。
ここは皆さんの公園です。 だれもが気持ちよく、楽しく利用できるようにお互いにルールを守って、 楽しいきれいな公園にしましょう。
○次のことは、守りましょう。
1.ゴミは必ず持ち帰るようにしてください。
2.公園内は禁煙です。指定場所以外での喫煙はしないでください。
3.火気等の使用はしないでください。
4.公園内に犬などのペット類を連れて入ったり、放したりしないでください。
○次のことは、許可が必要です。
1.有料施設を利用するとき。
2.物品の販売又は募金等をすること。
3.営利を目的として写真又は映画撮影等をすること。
4.興業を行うこと。
5.競技会、展示会、集会等で一部又は全部を独占して使用するとき。
○次のことは、禁止されています。
1.公園内の物をこわしたり、よごしたりすること。
2.木や草花等を折ったり、採ったり、傷つけたりすること。
3.鳥や動物等を捕まえたり、いじめたりすること。
4.はり紙やはり札又は広告を表示すること。
5.ゴミ、その他の汚物を捨てること。
6.立入禁止区域に立ち入ること。
7.指定場所以外に自動車や自転車を止めたり、乗り入れたりすること。
8.その他危険なことや他人に迷惑となるようなことをすること。
 (厚木市荻野運動公園事務所)
権現堂橋
荻野運動公園から引き返して車道を進んでいくと権現堂橋があります。 先ほどの鷺坂橋を渡らずに荻野川の土手をそのまま進んできた道が右手から合流してきます。 権現堂橋を渡って左折し、荻野川の左岸に続く土手道を更に歩いていきます。
右手には田んぼが続いています。 荻野川の所々には堰があって、その上流には水が貯えられています。 取水扉のようなものがあったので、田んぼへの取水のために設置されているのでしょう。
田んぼは水が命です。 どこの農村でも田んぼへ水を引くために共同で水路などを整備しています。 私の故郷には川の途中に直径100mほどもある大きな池があって、田んぼへの水瓶になっていました。 池からその先へ流れ出る所には堰があって、横土手と呼んでいました。 大雨が降ったり塩水が上がってきたりすると、その水門を開けたり閉めたりして調節していたようです。 水門の横には小舟が越せるようにとスロープがありました。 大きな川の中洲にある田んぼから刈り取った稲を小舟に積んで、 その水門の横を越えて帰ってきました。 その時には両親とも川の中に入り、舟を一生懸命押したり引いたりして越したものです。 子供だった私は稲を舟に積み下ろししたり稲木に干したりするのをちょこっと手伝ったりしたのでした。
コイはつらずにそだてましょう。
 (荻野地区ふるさとづくり推進協議会)
犬のふんでみんなが迷惑しています。 飼主が必ず持ち帰ってください。
 (厚木市)
無道橋
少し進んでいくと無道橋があります。 川向こうの山裾に何やら案内板のようなものが見えたので、橋を渡ってちょっと確認に行ってみました。 そこには「都市公園区域」という案内板があったのでした。 荻野川のこの辺りの右岸の森は「都市公園区域」になっているようで、 散策路が巡っていて、展望広場や休憩広場などもあるようです。 何だか興味を引かれたのでちょっと足を伸ばしてみようかとも思ったのですが、今回は止めておくことにしました。
元の土手道まで引き返して、更にその先へと進んでいきます。 休耕田でしょうか、草や水草がびっしりと生えている田んぼも見かけました。 この荻野の里にも減反の波が押し寄せているのでしょうか。 川辺では水鳥の番いが寄り添い、道端では白い蝶がひらひらと舞っていました。 この蝶は二匹が繋がっているようで、後からもう一羽がやってきましたが、 お取り込み中と判ったのか、他の方へと飛んでいってしまいました。 鳥や蝶にも熱い季節がやってきたようです。
銅座橋
右手にカーブしていく土手道を更に進んでいくと銅座橋があります。 橋を見送って十字路を直進していきます。 そのまま土手道を進んでいってもいいのですが、右手の先に荻野神社があるので立ち寄っていきましょう。 十字路の先へと進んでいき、右手に分かれていく二つ目の道を曲がって、荻野川から離れていきます。
小川を越えて正面の道を緩やかに登っていきます。 道なりに左手へ曲がっていくと、赤い祠の中にお地蔵様が祀ってありました。 そばにはお供のようにして、幾つもの庚申塔などが並んでいました。 そこを道なりに右へ曲がって真直ぐに進んでいくとT字路があります。 ここを左折して100mほど進んでいくと荻野神社があります。
荻野神社の入口には大きな「あつぎの文化財獨案内板」があり、 荻野神社・自由民権運動・新四国八十八箇所石仏群・松石寺・井上五川・ 歌川国経・島崎旦良・蟹殿洞々・鳶尾遺跡・東谷戸遺跡・古民家岸邸などが紹介されていました。 この辺りには甲州道が通っていて、少し厚木寄りには小田原道も通っていたようです。
甲州道(津久井道)
江戸時代の地誌「新編相模国風土記稿」は 「東海道平塚辺よりの道なり、大住郡岡田村より厚木村に入、妻田、荻野等を過ぎ、 半原村より津久井県長竹村に達す、道程凡四里半道幅九尺より二間半に至る」と記しています。 現在は国道412号がほぼこれに沿っています。
小田原道
この道は、武州八王子(現東京都八王子市)から小田原へ向かいます。 「上依知村にて八王子道より南に分れ、川入、荻野辺を通じ、岡津古久村より大住西富岡村(現伊勢原市)に達す、 道程四里許、道幅八尺より二間に至る」(「新編相模国風土記稿」)。 相模原大磯線がほぼこれに該当します。
荻野神社
大きな鳥居をくくって境内へと入っていくと、立派な社殿がありました。 脇には舞殿などもあって、この荻野地区の総鎮守なのだそうです。 もとは石神社といい、ご神体は大きな自然石なのだそうです。 拝殿の奥の本殿は有形文化財にも指定されているようです。
荻野神社の由来
当神社は旧荻野村の中央に位置し、祭神は大己貴命、配祀は素盞嗚命である。 創立年は不詳。貞享4年(1687)再興し、自然石をご神体とし牛頭天王を合祀し、 石神大明神と称したが、明治3年(1870)に荻野神社と改称された。 天正19年(1591)徳川家康より社領三石の朱印を附せられ、 明治6年(1873)に郷社に指定された。 例祭は毎年7月に行い、大祭は60年に一度丙子の年に行なう。 境内は約700坪で御神木の大公孫樹を中心に構成する一大高森は荻野郷総鎮守に相応しい様相を呈している。
厚木市指定有形文化財 荻野神社本殿
形式一間社流造
規模桁行2.49m 梁間2.04m
屋根本瓦様銅板葺
母屋組物拳鼻付出組
母屋中備蟇股
旧荻野三村の鎮守で、旧称は石神社。 一間社流造としては市内で最大、県内でも有数の規模を誇ります。 寄進札によって、貞享4年(1687)に建立したことがわかります。 これは市内で最古の社殿になります。 本殿の内部は前後二室に分かれ、前室は板敷、後室は土間になっています。 規模の大きな本殿のためか覆殿を持たず、本殿を外部に露出しています。 細部の作りは先進的で、装飾もたいへん豊かです。 17世紀の最新の作風を見事に表現した建築として高く評価されています。
 (厚木市教育委員会)
社殿の横には、幹の直径が2mほどにもなる巨大なイチョウの木があります。 外側は何本もの木が寄り添ったような姿をしていて、何やら威厳がありそうです。 落雷などの災害にも遭ったことがあるのだそうです。
市指定天然記念物 荻野神社のイチョウ
このイチョウは、神社の神木として氏子の敬愛を受けてきました。 この木は、県内でも数少ないヒコバエの成育した樹勢の美しさで知られています。 樹高28メートル、主幹回り目通し6.19メートル、雄株で樹齢は600年と推定されています。 主幹は地上13メートルのところで折れていて、幹の中央部は空洞になっています。 主幹外周のヒコバエは、勢いがよく成育していて、主なもので25本が認められています。
 (厚木市教育委員会)
金山橋
荻野神社を後にして再び荻野川へと戻っていきます。 神社のそばにある商店の右手にある道へと入っていきます。 緩やかな坂道を道なりに降っていくと、田んぼが広がる荻野川の土手に着きます。 正面には金山橋が架っています。 その先のこんもりとした里山の麓には立派な竹林がありました。 以前には塀の材料にしたり籠を編んだり物干し竿にしたりと、竹はどこにでも見かけられたものですが、 最近では余り見かけなくなりました。 竹は木なのか草なのかと学者の間でも意見が分かれると云われる不思議な植物です。
私の実家の山にもちょっとした竹林があって、子供の頃には親に連れられて筍掘りによく行きました。 地面に頭を出すか出さないか程度のものがいいのだそうで、見つけるのに苦労したものでした。 鍬よりも細身の道具で掘っていきますが、 余り近くを掘ると筍が途中で切れてしまうので、少し先の方へグザッと差して掘り起こします。 しかし余り離れた所を掘ると筍には届かないし、このサジ加減が何とも微妙で、なかなか習得できずにいました。
竹とは…
イネ科タケ亜科の多年生常緑木本の総称。タケ群とササ群に大別。 独立のタケ科とする場合もある。茎は木質化、隆起した節があり、地上茎・地下茎に分れる。 地上茎は直立叢生、多くは中空で、地下茎は節部から根および筍を生ずる。 葉は狭長扁平で先端がとがり、短柄。稀に稲穂状の黄緑花をつけるが、開花後は多く枯死。 東南アジアを中心に、世界に約40属6百種、日本ではおよそ12属150種を産する。 タケ群はマダケ・ナリヒラダケ・ホウライチク・オカメザサなどの各属を含む。 建築・器具製作・細工物・竿などに重用し、筍は食用。
 (出典:広辞苑第五版)
荻野川の左岸を進んでいくと、真弓川が左手へ分かれていきます。 真弓川の上流の方には松石寺がありますが、それは後で訪ねることにして、 先ずはこのまま荻野川沿いに進んでいきます。 宮郷スポーツ広場を過ぎて行くと弁天橋がありますが、そのまま土手道を真直ぐに進んでいきます。
横林橋
田んぼや畑地を見ながら土手道を進んでいくと横林橋があります。 ここはT字路になっていて土手道が途切れています。 舗装された道を右折していくと信号のある荻野尾崎交差点があります。 その先の国道412号を越えた所に古民家岸邸があるので、立ち寄っていきましょう。
古民家岸邸
信号を左折したすぐ先にあるT字路を右手へと入っていくと国道412号に出ます。 左折して国道を200mほど進んでいくと久保バス停があります。 その手前にある横断歩道を渡って向かい側へ行き、その先にある道へと入っていきます。 右手にある湘南厚木病院の先に「厚木市古民家岸邸利用者駐車場」があります。 その手前を右手へ入っていくと、その先に古民家岸邸があります。 門をくぐって邸へ入っていくと和風の庭がありました。 係りの人が二人玄関へ出てきて、「いらっしゃいませ」と並んでお辞儀をしています。 それじゃぁ何だかちょっと敷居が高くて…。
厚木市指定有形文化財 旧岸家住宅一棟(附薬医門及び土蔵二棟)
主屋 形式:瓦葺寄棟造、木造、二階建て 建立年代:明治24年(1891)5月上棟
薬医門 形式:銅板葺 建立年代:明治19年(1886)
部屋は全部で15室あり、建築面積は約120坪です。 この建物の特徴は次の三点があげられます。
一、 使用されている木材の質が極めて高く、仕上げも入念である。
一、 各部の意匠は通り一遍でなく、十分な手間がかけられ、随所に凝った意匠を展開している。
一、 近世以来の伝統的な農家の間取である六間取を基本にしながら、 本格的な二階座敷を持ち、しかもこの時期には珍しかったであろう瓦葺とするなど、 時代の転換期の先端的な様式を併せ持っている。
厚木市古民家岸邸のご案内
平成10年3月、主屋、薬医門及び土蔵二棟が岸重郎平氏から市に寄贈され、 平成11年4月から一般公開を始めました。
【開館時間】 4月1日〜9月30日:午前9時〜午後6時 10月1日〜3月31日:午前9時〜午後5時
【休館日】 12月29日〜1月3日 ただし、施設整備のため、臨時休館することがあります。
【入館料】 無料
 (厚木市教育委員会)
古民家からはまた荻野川沿いへと戻っていきます。 国道412号まで引き返して先ほど渡った横断歩道のそばにある道へと入っていきます。 降り気味の道を進んでいくと十字路に出ます。 正面の材木店の左手に続く細めの道を道なりに進んでいくと、 民家の門の先で荻野川の土手道に出ます。 そこを右折して荻野川の左岸を更に上流へと進んでいきます。 この辺りまで来ると、荻野川の川幅もかなり狭くなってきます。 上流の辺りが何となく少しモヤっている感じがしました。 心なしか川を流れる水も白くて少し泡立っているような感じもします。 昼を過ぎた頃だったので川霧ではないのでしょうが、何だったのでしょうか。
少し進んでいくと、土手道にはアジサイが沢山植えられていました。 訪れた時には花の季節は過ぎていましたが、まだ咲いているのも結構あったりしました。 川には草が生えた木橋が渡されていたりして、懐かしさを覚えたりします。
下清田谷橋
材木店を過ぎて更に進んでいくと、右手から舗装道路が合流してきます。 その少し先に木製の下清田谷橋があります。 この先にも道は続いていそうだったのですが、橋を渡って荻野川の右岸に続く道を進んでいきます。
上清田谷橋
畑などを眺めながら400mほど進んでいくと上清田谷橋があります。 「かみせいたかやとばし」と読むのだそうです。
源氏橋
上清田谷橋を見送って更に土手道を進んでいくと、舗装道路に出た所に源氏橋があります。 橋のそばには「源氏河原」と刻まれた石柱と「源氏河原の伝説にちなみて」の石碑がありました。
源氏河原の伝説にちなみて
弘法大師に 里芋あげて 村の息災 祈りたい
陸奥七郎が 館の跡は ここらあたりか 源氏橋
左折して舗装道路を少し進んでいくと、信号の手前の左手に 「八十八箇所」と刻まれた大きな石柱と大振りのお地蔵様が立っています。 小さな「延命尊」の祠もありました。 この道へと入っていくと畑地の中に十字路があります。 そこを右折していくと松石寺へと続く舗装道路に出ます。
舗装道路を緩やかに登っていきます。 登りついた所にある「大厚木CCコース管理棟」への道を見送って更にその先へとS字形に降っていくと、 真弓川にかかる橋の先に十字路があります。 ここにも先ほどと同じような石柱とお地蔵様がありました。 「大厚木CC」と書かれた大きな看板が右手の道を指していますが、 松石寺へは正面の道を真直ぐに進んでいきます。
砂防指定地 真弓川
この土地の区域内において、掘さく、盛土、立木の伐採その他一定の行為をする場合は 県知事の許可が必要です。
正面の道を進んでいくと、やがて道が二手に分かれていますが、右手の道を進んでいきます。 少し傾斜が増してくると、道の両脇には石灯篭が並んでいました。 蝋燭で火を灯すのかと思って中を覗いてみると、何と電球がひとつ収まっていました。 電池で灯るのでしょうか。それとも 電線が燈籠の中にあって、ここまで電気がきているのでしょうか。
山火事注意 火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林国営保険、神奈川県、厚木市消防本部)
松石寺
坂道を登り切って右手にある真弓川に架かる短い華厳橋を渡っていきます。 六地蔵などが出迎えてくれる参道を進んでいくと、石門の先の境内に松石寺の本堂があります。 かなり大きな建物ですが、今では余り使われていないのか、少し荒れた感じの佇まいでした。 境内にある鐘楼堂は昭和の末に造り直されたようで、綺麗になっていました。 お寺の謂れなどに関する解説板は見当たりませんでした。 本堂の裏手にある林は35,000uの広さがあり、樹齢300年といわれる大木も生い茂っているのだそうです。
神奈川県指定天然記念物 松石寺の寺林
松石寺の寺林は樹高が20メートルに達するスダジイを主とする常緑広葉樹林で本堂裏手に壮大な景観を形成している。 林床は墓地のため下刈りなどの人為的干渉もあるが、 残存林面積、樹冠の密度、樹高などで県下でも有数のスダジイ林である。 20メートルに達するスダジイの下層植物として、亜高木層以下にアラカシ、ウラジロガシといった常緑のカシ類や、 マユミ、モミ、シキミ、ツルグミ、モチノキ、ヒイラギ、クスノキ、ベニシダ、ジャノヒゲ、 テイカカズラ、ヤブコウジ、ビナンカズラなどヤブツバキクラスの種も多数生育している。 この寺林は面積的にも広く、内陸に残されたヤブコウジ−スダジイ群集の数少ない郷土の森として 学術的にも極めて重要である。
 (神奈川県教育委員会、厚木市教育委員会)
松石寺から、来た道を引き返していきます。 「大厚木CCコース管理棟」への道を見送って降っていくと、畑地の中から出てきた所にある十字路に着きます。 ここを左折して民家が点在する畑地の中を進んでいきます。
1分ほど先にあるT字路を左へ進み、その先で右・左と小さくクランク型に曲がっていきます。 畑にはキュウリやトマトなどが植えられていました。 茎や蔓の支柱を立てたり下草を取ったり虫除けをしたりと、畑仕事は結構手間がかかります。 右手に分かれていく道を見送って真直ぐに進んでいくと、左手に分かれていく道があります。 ここを左折して道なりに進んでいきます。
華厳山登山口
右へ曲がった先で道が二手に分かれていますが、右手へ登っていく道を進んでいきます。 やがて竹林の所にT字路がありますが、左手へと進んでいきます。 道なりに進んでいくと森の中へ入っていきます。 荻野川に架かる橋を渡っていくとすぐに森から出ます。 右手に分かれる道を見送った先のT字路を左折して真直ぐに進んでいきます。 畑地を過ぎ、集落の間を過ぎていきます。 敷地内に小さな祠のある家や庚申塔を過ぎていくと、小さな橋の先で道が二手に分かれています。 荻野川はこの少し手前で左手へと曲がっていきます。 この川はその支流で、岩倉沢というようです。 今回は右手の道を進んでいきました。
華厳山登山口
橋の袂に「華厳山登山口」の案内板が立っていました。 それによると、ここを右手にいくと経ヶ岳で、左手にいくと華厳山とのことです。 華厳山への途中にある堰堤から道が三方へ分かれていて、一つは経ヶ岳への道、 あとの二つは華厳山への沢コースと尾根コースです。 華厳山からは、左は高取山へ、右は経ヶ岳へと続いているようです。 いつか機会を得て登ってみたい所です。
砂防指定地 岩倉沢
この土地の区域内において宅地造成、家屋の新築、土採取等の行為をする場合は 神奈川県知事の許可が必要ですから、厚木土木事務所にご相談下さい。
 (厚木土木事務所)
民家も途絶えると次第に山へと入っていく雰囲気が強まってきます。 先ほどの分岐から4分ほど進んでいくと、道が二手に分かれています。 左手すぐの所には高木競走馬育成牧場があるので、ちょっと立ち寄っていきます。
高木競走馬育成牧場
坂道を少し進んでいくと高木競走馬育成牧場があります。 しかし、道には竹竿がしてあって、関係者以外は入れないようになっていました。 竿越しに覗いてみると、右手には馬舎があり、馬が何頭も飼育されていました。 正面の坂の先には馬場があるものと思われます。 競走馬を扱っているということで、立入禁止にしているのでしょうか。
岩倉ダム
先ほどの分岐まで引き返して、短い一ノ橋を渡ってその先へと進んでいきます。 最期の民家の手前にある右手への別れ道を見送って岩倉沢沿いの道を更に真直ぐに進んでいきます。 小さな橋を渡り返していくと森の中へと入っていきます。 次第に水音が大きくなってくると、 「この先Uターンできません」の看板を過ぎた先に岩倉ダムがあります。 昭和50年に完成した砂防ダムとのことです。 上流側は土砂で埋まっていて細い流れがあるだけです。 先ほどの看板によると、この先は経ヶ岳へと続いているようですが、 今回はここまでで終わりにしました。
私の故郷にも同じような砂防ダムがありました。 この岩倉ダムよりも若干大きめで、下流側は50cmほどの深さに水が溜まっていて広くなっていました。 底はコンクリートだったり自然石だったりしましたが、子供達の格好の泳ぎ場となっていました。 里山の奥にあるのでちょっと水が冷たいのですが、仲間たちとよく泳ぎに来たものです。 今でもまだダムなどは当時のままにありますが、 寂しいことに、そこで遊ぶ子供達の姿は余り見かけなくなりました。
発砲注意!
この付近は人家などあり 注意!
 (神奈川県)
ゴミを捨てないよう
美しい環境はみんなの財産 一人一人の手できれいにしよう
 (厚木市)
岩倉ダムから、来た道を引き返していきます。 華厳山登山口の橋を渡っていくと、荻野川の側まで来た所に、カーブミラーのあるT字路があります。 ここを左折して畑地の中に続く道を進んでいきます。 やがて右手にバス会社の操車場が見えてきます。 その側を通り金網の間に続く道を過ぎていくと、国道412号に出た所に上荻野車庫前バス停があります。
上荻野車庫前(かみおぎのしゃこまえ)バス停
本厚木駅(小田急小田原線)まで、 厚木バスセンター行きバス,または,本厚木駅行きバスにて30分、 1時間に2本程度の便があります。 道路の向かい側にあるバス会社の営業所の前からも始発バスが出ています。 14時から16時過ぎまでの時間帯にだけ沢山便がありますが、 道路沿いにあるバス停は経由していかないので注意が必要です。