新林公園
散策:2005年07月上旬
【街角散策】 新林公園
概 要 新林公園は藤沢駅の南東1km足らずの所にある自然公園で、湿生植物や野鳥の宝庫になっています。 公園を取り巻く尾根筋には散策路も巡っていて、自然を満喫できる場所になっています。 今回は湘南深沢から柏尾川沿いの寺社を訪ねる文化財ハイキングコースを経て新林公園へと向かっていきます。
起 点 鎌倉市 湘南深沢駅
終 点 藤沢市 藤沢駅
ルート 湘南深沢駅…古館橋…六地蔵…宮前御霊神社…兜松…徳寿院…十二天王碑…弥勒寺…川名東橋…川名御霊神社…神光寺…神光寺横穴古墳群…富士見が丘交差点…新林公園…旧小池邸…山路中間点…南側休憩広場…湿性植物区分岐…冒険広場…鳥類観察所…湿性植物区…奥田橋…奥田公園…藤沢駅
所要時間 4時間50分
歩いて... 今回は文化財ハイキングコースの「村岡南部コース」から新林公園へと向かいましたが、 寺社を訪ねるルートにも予想以上に時間がかかってしまいました。 蒸し暑い季節だったこともあって汗を拭き拭きの散策になり、 新林公園へ着く頃には少々バテ気味になっていたのでした。
関連メモ 新林公園, 川名清水谷戸
コース紹介
湘南深沢(しょうなんふかさわ)駅
大船駅(JR東海道線)から湘南モノレールにて5分、1時間に8本程度の便があります。
駅を出て正面の道を100mほど進んだ所にある深沢小入口の信号を右折して、 小川沿いの歩道を進んでいきます。 右手にはJR東日本の大船工場の敷地があって、社宅が点々と続いていました。
途中にJR大船球場というのがありましたが、草茫々の状態でした。 そばには「国鉄清算事業本部」という看板もあったので、今は使われていないのだろうと思います。 狭い国土の中にあって、かなり広い場所が有効に使われていないのは何とももったいない気がします。 色々と事情はあるのでしょうが、何とか有効に使われるようになって欲しいものです。
古館橋
小さな公園を過ぎていくと、先ほどの深沢小入口の信号から600mほどで県道304号に出ます。 その先には柏尾川に架かる古館橋があります。 角にあるガソリンスタンドを過ぎて、古館橋を渡っていきます。
六地蔵
古館橋を渡ってすぐの所にある十字路を左折して柏尾川沿いに進んでいきます。 300mほど進んでいくと、行く手が三つに分かれています。 そのうちの真ん中の道を進んでいくと、右手の崖面を少しくり抜いた所にお地蔵さんが並んでいました。 左手に大きいのが1体、真ん中には二段に並んだ6体と6体、右手には石仏がありました。 六地蔵というのだそうですが、どのような謂れがあるのかは分りませんでした。
六地蔵を後にしてその先へと進んでいくと、古館橋を渡って直進してきた道に出ます。 そこを左折して100mほど進んでいくと十字路があります。 左手には町工場が、右手には日本塗料検査協会の検査所があります。 案内板などは見当たりませんでしたが、ここを右折した先に御霊神社があるので立ち寄っていきます。
住宅地の中を200mほど真直ぐに進んでいくと十字路があります。 角には曲がりくねった老木と石仏がありました。 そのまま十字路を真直ぐに進んでいくと鳥居があります。 鳥居をくぐった所に直径1mは優に超えそうな大きなタブノキがありました。 かなりの老木のようで、幹には大きな洞ができていました。
タブノキ(幹空洞)
幹回り4.81米。クスノ木科の常緑で大高木。 イヌグス(犬樟)ともいう。 樹の葉の粉末は水で練ると粘性が強いので線香の結合剤にもちいる。 藤沢市南部地区随一の大木である。 宮前御霊神社保存樹林。
 (藤沢市文化総合調査報告書、宮前御霊神社総代)
宮前御霊神社
宮前町内会館・御霊神社社務所の先にある石段を登っていくと、宮前御霊神社の本殿があります。 拝殿と本殿の造りになったかなり立派な社でした。 引きがなくて正面からでは全体が写らなかったので真横から写しました。 境内には、本殿以外にも小さな社が幾つかありました。
御霊神社
御祭神 本殿 五座 崇道天皇(光仁天皇第二皇子早良親王)、権五郎景政、葛原親王、高見王、高望王
境内副社 十二天王、疱瘡神、笹折矢竹稲荷、七面宮
祭日 毎年9月18日
由緒沿革 御祭神崇道天皇は桓武天皇が御宇延暦13年5月、現在の京都市に御霊宮として祀り給い、 其の後この村岡に五郎良文公が住し天慶3年に勧請し戦勝祈願をなしたるを始めとす。 のち鎌倉五郎景政を合せ祀り二柱たりしが、 北条時頼の命により葛原親王・高見王・高望王の三柱を加へ県下に十三の分社あり。 その後岡村五ヶ村総鎮守として現在に至っている。
十二天王社
境内の左手にある石段をほんの少し登っていくと十二天王社がありました。 細い木に注連縄が渡してあるだけの小さな祠で、その横には「十二天王」と刻まれた真新しい石碑もありました。
末社 十二天王社
十二天明神天神七代、地神五代を奉祭すると云う。 十二天王といって小名小山(現在の東海道線の陸橋南側階段上り口際)と云う所に元社があって、 旧鎌倉道添にほこらがあったと云う。 ところが十二天王の御御輿があらたかなのであり、 それを担ぐと荒れてしょうがないので村人達が当時の金森家の裏山に埋めてしまった。 それから現在も金森家(家号十二天又この付近も小字十二天と呼ぶ)のかたすみに元社ほこらが祀ってあり、 又開発前の塚は埋めたあとが檀のようになってそこだけの土の色が変わっていたと云う。 十二天王のお祭は7月14日。 この日、子供達は樽御輿を手づくりで作り担いで村中をねりあるきした。 今でもその行事が続けられている。
境内の森には沢山のアジサイの花が咲いていました。 この森のある山は旗立山というのだそうで、「旗立山 100m」の案内標識が立っていました。 試しに登っていってみましたが途中で道が途切れてしまっていて、頂上までは辿り着けませんでした。
旗立山(尊森)
慶長2年の神座記によると、前九年の役(1056)出陣にあたり源頼義がこの山に白旗を立て軍勢を集めたところといわれる。 又その子源頼家も後三年の役(1086)の時も同じことをしたと云う。 旗立山尊森(通称平台と呼んでいる)葛原親王を祀れし処の塚もあったと云う。 現在は雑木林と小竹が生えており又私有地です。 危険ですので入らないで下さい。
この鎌倉石は元神社正面の階段に使われていたものです。 万延年間の頃、現在鎌倉市今泉より切出したものだそうです。 材質が柔らかくて擦り減りがはげしいので、昭和60年神社改修後に取りはずし、 現在は白川石で林石材店が施工したものです。 又上の瓦は神社改修以前は茅葺でした。 その時のおむし瓦(棟瓦)に使用していたものです。
兜松
「兜松 200m」の案内標識も立っていたので立ち寄っていくことにしました。 標識に従って神社の森を越えていくと住宅地へ降り立ちました。 その先へ少し進んでいくと、金網で区切られた敷地内にひっそりと兜松がありました。 今では企業の敷地になっているようで、一般開放はされておらず近づくことはできませんでした。
兜松と八ッ嶋
この道は鎌倉の化粧坂から柏尾川を渡り、村岡城内に通ずる鎌倉街道の名残である。 八幡太郎義家が鎮守府将軍のとき、奥州に後三年の役があり、鎌倉権五郎景政も16歳で従軍した。 苦戦が続き新羅三郎義光も援軍にかけつけた。 特に仙北郡金澤棚の合戦には鳥海弥三郎に右の眼を射られ、その矢を射返して敵を討ちとったことは有名である。 凱旋のあと、かねて祈願した御霊神社に戦勝のお礼詣りした記念に、 岩上の松の根もとに兜を埋めたのが兜松の由来である。 またこの附近は新田義貞の鎌倉攻めの中心地で、鎌倉方は相模守赤橋守時で6万余騎の大軍で、 元弘3年(1333)5月18日は一日一夜のうちに65度の河川が行われた激戦地で、 世に州崎の戦といわれている。 その時の戦死者を葬ったのが八ッ橋である。
兜松から神社まで引き返して坂道を降っていくと、飾り付けられた樽御輿が社務所にありました。 祭りの日が近いのでしょうか。 樽形以外にも普通の形をした大小の御輿もありました。
宮前鎌倉囃子保存会
鎌倉ばやしは旧鎌倉郡一帯で行なわれているが、曲は一様である。 早山万吉は明治時代の宮司で、神楽を修業した人で、近在に祭りばやしを広めた人です。 今は宮前共同墓地(長崎山)に故早山万吉之墓と刻まれた墓がある。 門下の人々(戸塚・梶ヶ谷・大和・藤澤・町田)で建てたもので(村岡族の墓地内)、 昭和40年には門下が集り供養が行なわれた。 現在御霊神社では昭和56年に宮前鎌倉囃子保存会を結成、 会員約40名で、年間行事、元日の叩き初を初めとし、夏祭・十二天王祭・秋の御霊神社祭礼・ 市民まつり・村岡公民館まつりと参加しております。
明治以降の宮司 小坂左龍−村岡友衛−早山万吉−吉田正臣−吉田大−吉田正人(現在)
徳寿院(跡)
御霊神社の石段を下った所に右手へ入っていく道があります。 「徳寿院(跡)」の標識に従って進んでいくと、小広くなった草地がありました。 その昔に徳寿院があった所とのことです。
徳寿院跡
村岡山と号し、渡内天嶽院の末寺で曹洞宗の寺。大嶽院の隠居寺であったともいわれる。 本尊は聖観音を祀っていたようであるが、創建・来歴等については不明である。 明治中期まであり、今は廃寺となる。 開山以後12代の墓所あり、また石造り弘法大師像は江戸時代にはじめられた相模国準四国八十八箇所霊場中の 十六番目にあたる。
ただたのめ ふたたびとては あいがたき みのりをここに みやまへのてら
鳥居をくぐって御霊神社を後にします。 真直ぐに進んでいった所にある先ほどの十字路を右折していきます。 角にある老齢の樹木は幹よりも根元の方が細くなっていました。 幹が裂けたようにもなっており、その生い立ちが想われます。 自立できないのか、幹には支えがしてありました。 そばには石仏もあるし、何か謂れのある木なのでしょうか。
道なりに200mほど進んでいくと、正面に東海道線の線路が見えてきます。 そこを右手に曲がっていくと、線路を跨ぐ陸橋があります。 階段を登ってこの橋を渡っていきます。 右手にはスロープも設置されていて、小型車なら通っていけるようになっています。
十二天王碑
橋を渡っていくと、右手のスロープと左手の階段に分かれています。 どちらからでも道路へ降りて陸橋の正面の辺りへいくと、民家の周りにある植え込みの一部が開いている所があります。 民家の庭の一部なのでしょうが、そこに十二天王碑がありました。
十二天王碑
此處ハ相模国鎌倉郡宮前村ニテ相模風土記ニ建仁二年管スル村十六鎌倉七郷ノ 一村岡郷ト記ス村内五ヶ村総鎮守社アルガ故ニ村名起レルナリ民戸三十トアリ 御霊宮ニハ天慶三年今ヨリ千二十八年前村岡五郎良文ノ勧請ニシテ時頼ガ命ニ 寄リ三座ヲ加ヱ五座ヲ祀ルト同記ニ大永七年片目ノ魚トシテ十二天下ニ小池ア リ奥州ニテ景政左ノ目ヲ射ラン洗ヒ給ヒテ魚ニ移り目ハ平癒ス副社トシテ十二 天基有天神七代地神五代ヲ祀ルト記サレ今モ尚湧水アリ付近ヨリ多数ノかわら け出デタリ昔神前ニ供ヱシモノナラン此ノ十二天王ハ灼然ナ神ニテ神前ヲ馬ニ 横乗ニテ過ギレバ必ズ落サレ御輿モ荒ル事多キタメ山頂ニ埋メタリト其後御霊 宮境内ニ祀レルモノナラン又毎年七月十四日ニハ十二天王ト言ヒ男子十二才ヲ 頭ニ御輿旗等作リ余レリ小供十二天トユウ又金森家ヲ十二天広田高橋家ヲ宮田 ト呼ブ山頂ニ直径ニ米ニ及ブ猪落アリタリ今標高三十三米ニ及ブ山々ノ岩盤ヲ 切リ除キ漸ク五ヶ年ニシテ完成ヲ見ルニ至リ近ク東海道線増幅工事モ行ハン十 二天王ニマツハル遺跡モ其ノ影ヲ止メズ佛典ニ此ノ十二天王ヲ供養シ此ノ諸天 ヲシテ皆歓喜セシメバ一切衆生モ皆歓ヲ得ント幸ノ今日マデ語リ伝ヱラレタ古 人ノ信仰ト生活ノアトヲ傳ヱント我等四名ニテ小詞ヲ建テ之レヲ祀ルモノナリ   昭和四十三年一月
弥勒寺
十二天王碑を後にして東海道線の線路沿いに続く道を藤沢方面へと進んでいきます。 400mほど進んでいくと、国道312号の手前に弥勒寺があります。 古びた山門を入っていくと本堂がありました。 本堂は近年になって建替えられたのか今風の建物になっていました。 山門の前に解説板がありましたが壊れかけていて、読めない部分もかなりありました。
弥勒寺
東耀山と号し、このあたりの地名の由来ともなった古い寺で、 創立は鎌倉時代嘉禄2年(1226)、北条泰時が父義時の菩提寺・・・めに建てた寺です。 その後・・・あい、全山焼失し、弥勒菩薩像・・・窟に奉安されました。 何度か再建されて天正元年(1573)日蓮により日蓮宗に改宗したと伝えられております。 また村岡小学校創立当時の明治6年・・・にはこの弥勒寺が学舎となっていました。
 (藤沢青年会議所)
川名東橋
弥勒寺を後にして、国道312号の横に架かる弥勒寺歩道橋を渡って東海道線の線路を越えていきます。 歩道橋を降りると国道の下に道が続いています。 その道を真直ぐに進んでいくと、柏尾川に架かる川名東橋があります。 登りと降りで別々の橋になっていて、歩道はその真ん中にあります。 橋を渡ると川名交差点があります。 信号を右折して県道32号を進んでいきます。
県道32号を100mほど進んでいくと信号のあるY字路があります。 角にある酒店の先から左手に続く道があるので、その道へと入っていきます。 100mほど進んでマンションが見えてくると、その右手に「御霊神社」と刻まれた大きな石柱が建っています。 その先にある鳥居をくぐって正面にある御霊神社を訪ねます。
川名御霊神社
民家の横を通って石段を登っていくと、川名御霊神社の本殿があります。 比較的近年に建替えられたのか、小綺麗な社でした。 境内には稲荷大神を祀る小さな祠もありました。
御霊神社由来
創立 天慶4年8月(千有余年前)
祭神 早良親王、合祀 平景政
例祭 9月吉日
早良親王は相模平氏村岡良文の祖神なり。 良文は村岡郷に住し四辺を開拓して恩恵を垂れ、景政は良文の裔にして鎌倉時代武者を以て知られる。 因縁浅からず当所鎮護の神となす。 我々民族心の古里である。
 (川名御霊神社氏子中)
神社から元の路地まで引き返していくと、右手には「文化財ハイキングコース案内板」が設置されていて、 「村岡南部コース」というのが紹介されていました。 この少し先に神光寺と横穴墓群があるとのことなので訪ねていくことにしました。 これまで訪ねてきた所も載っているので参考にしましょう。 同じ「御霊神社」という字を書いても読み方は違うようで、川名御霊神社は「ごれいじんじゃ」、 宮前御霊神社は「ごりょうじんじゃ」なのだそうです。 右折していくとすぐに道が二手に分かれていますが、左手の道を進んでいきます。
村岡の歴史と文化財
村岡が歴史上注目されるようになるのは、坂東八平氏の祖として知られる桓武平氏の一族に生まれた 平良文(村岡五郎)がこの辺りに荘園を開いたとされる平安時代の中頃(10世紀前半)からです。 鎌倉幕府成立以後の村岡は鎌倉への交通の要所となり、元弘3年(1333)新田義貞による鎌倉攻めの際に 激戦地になったのをはじめ、室町・戦国時代を通して村岡周辺は幾度も戦場になりました。 やがて戦乱の世が鎮まり、徳川将軍による治世が確立すると、 村岡地区の7ヶ村(柄沢、渡内、高谷、弥勒寺、小塚、宮前、川名)は藤沢宿の助郷と定められ、 街道を往来する大名や武士などの荷物を運ぶための人や馬を提供することを義務づけられました。 明治時代になって助郷制度が廃止されるまで、それは村岡の農民にとって 大変重い負担となっていたようです。 現在の村岡地区は、武士が権勢を誇っていた頃の村岡とは地形もかなり変わっているようですが、 それでもこの地を歩くと、平良文の居城跡といわれる村岡城址をはじめとして、 二伝寺境内に伝わる良文の墓、良文が将門の乱鎮定にあたって勧請したと伝えられる御霊神社、 渡内村の名主であった福原家の長屋門など、村岡の地に生きたひとびとが遺した多くの歴史的遺産に 接することができるはずです。
【村岡南部コース】
川名御霊神社−神光寺−神光寺横穴墓群−弥勒寺−徳寿院跡−宮前御霊神社−六地蔵
 (藤沢市教育委員会)
神光寺
テニス場を過ぎていくと、右手に神光寺があります。 本堂はかなり大きな建物になっていましたが、お寺の謂れなどの解説板は見当たりませんでした。
木造虚空菩薩立像
木造一木造り、彫眼。表面剥落、右腕・左肘先・両手足欠如 (本来は、右手に宝剣、左手に宝珠を持っていたと推定される)。 像高108.7cm。 木像は、嘉永4年(1851)に神光寺に合併吸収された大勝寺・「新編相模国風土記稿」に 「大勝寺、川名山金剛院と号す。本寺前(鎌倉手広青蓮寺)に同じ。本尊は虚空像なり」とある虚空像菩薩と推定される。 風化が甚だしいが、古様の作風から製作年代は平安時代中期頃と推定され、市内屈指の古仏である。 また、立像の虚空菩薩像は全国的にも非常に希少な存在である。
 (藤沢市教育委員会)
神光寺横穴古墳群
神光寺を出て更にその先へ数10mほど進んで右手の道へ入っていくと、 こんもりとした小山に神光寺横穴古墳群があります。 その上には、神光寺の左手にある稲荷社が建っています。 そばまで行ってみると、小山の崖に穴が二つ開いていました。 これが古墳なのでしょうが、少し高い位置にあったので、内部までは確認できませんでした。
神光寺横穴古墳群(墓)
横穴墓(横穴古墳)は、丘陵の斜面に横穴を穿ってつくった墓室で、 日本では、五世紀後半から八世紀頃までの間に採用された墓の一つである。 基本的には遺骸を収める玄室と、玄室に通じる羨道、前庭部(墓前域)とからなるが、 その形態は、地域的にも年代的にもきわめて多様である。 又、玄室内には、造付石棺・棺座、排水溝、敷石等の施設が単独あるいは複合して認められるものもある。 片瀬丘陵には、100基を越える横穴墓の存在が知られている。 その中にあって、神光寺所在の横穴墓に対しては、昭和43年発掘調査が実施され、 七基の横穴墓が確認されている。 その形態から、それらの横穴墓は末期(八世紀)に比定される時期の造営と考えられている。 又、出土品には土師器片、須恵器片、砥石、骨片などが認められている。
 (藤沢市教育委員会)
富士見が丘交差点
元の県道32号まで引き返して、左折して藤沢駅方面へと進んでいきます。 500mほど真直ぐに進んでいくと富士見が丘交差点があります。 ここを左折して道なりに進んでいきます。
新林公園
藤沢高等職業技術校を過ぎていくと、新林小学校の校門のすぐ先に新林公園があります。 正面の並木を通って公園の中へと入っていくと大きな藤棚があります。 花の季節は過ぎていましたが、藤棚に花が一斉に咲くとさぞ綺麗なのだろうと思われます。 藤棚のそばでは、運がいいと多くの猫達に出会えたりします。
新林公園
公園をみんなで気持ちよく利用できるように次のことをまもってください。
1.公園内でゴルフや野球などのきゅうぎをしてはいけません。
2.落し穴やどうくつなどの危険な箇所があるので園路以外の山の中には入ってはいけません。
3.公園内の木や施設は大切にしましょう。
4.オートバイの乗り入れはやめましょう。
5.犬を公園内ではなしてはいけません。
6.ジュースのあきかんやゴミはかならず各自でかごにいれましょう。
7.花火やばくちくなどのあそびはやめましょう。
 (藤沢市役所 公園課)
公園利用についてのお願い
・犬は、必ずリード等でつなぎ、フンは飼い主がきちんと持ち帰りましょう。
・ゴルフ、野球、サッカー等の球技をするのは危ないのでやめましょう。
・花火、バーベキュー、たき火等、火の使用はやめましょう。
・ゴミ、ペットボトル、空き缶は必ず持ち帰りましょう。
・バイク等を乗り入れたり、乗りまわすのはやめましょう。
その他、人に危険なことやめいわくのかかるようなことはやめましょう。
 (藤沢市公園みどり課、藤沢市まちづくり協会)
新林公園の旧小池邸は、藤沢駅から江ノ島までの江の島道を訪ねるハイキングコースの一部にもなっていて、 その道を紹介する「文化財ハイキングコース案内板」が設置されていました。
片瀬旧道・江の島道コース
旧近藤邸…新林公園・旧小池邸…馬喰橋…岩谷不動…市指定・江の島弁才天道標…泉蔵寺…上諏訪神社…密蔵寺…一遍上人地蔵堂跡…本蓮寺…西行戻り松・市指定・江の島弁才天道標…市指定・寛文庚申塔…常立寺…龍口寺
片瀬旧道・江の島道を訪ねて
古来より弁財天信仰の聖地として、また江戸時代から、江戸より程良い距離にある景勝地として、 江の島は多くの参詣人で賑わいました。 江の島道とは藤沢宿から江の島へ至るまでに通った道のことです。 当時の道筋は現在の遊行通り、石上通りを経て石上の渡し(現在の上山本橋付近)で片瀬川を渡り、 泉蔵寺、密蔵寺、龍口寺へと続く片瀬旧道を経て洲鼻通り(江の島通り)へと向かいました。 現在でも馬喰橋を過ぎると「ゑのしま道」と刻まれた道標や、江の島への道案内を兼ねた庚申塔が数基建っており、 当時の江の島道の名残をとどめています。 また、片瀬地区は藤沢市の南東に位置し、鎌倉市と隣接しているので鎌倉幕府とも深いかかわりをもっています。 特に龍口寺付近は鎌倉幕府の刑場があった所で、大庭景親の斬首、源義経の首実験、元の使者杜世忠等の処刑がされました。 日蓮聖人もここで斬首されようとしました。 しかし、その時奇跡が起こり、首をはねようとした刃に稲妻があたり、 その刃が折れてしまったという伝説は有名です。 他に、一遍聖人が滞在し、踊り念仏を唱えたと伝えられる地蔵堂跡、西行法師が鎌倉への通りすがりに 道端の松の枝振りに目をとめ、都恋しさのあまり都の方角に枝をねじまげたと伝えられる西行もどり松等、 たくさんの伝説が残っています。 最近では、市民会館内に辻堂から移築された旧近藤邸、新林公園内に柄沢から移築された旧小池邸があり、 新たな見所が増えています。
 (藤沢市教育委員会)
旧小池邸
公園を奥へと進んでいくと、里の広場を流れる小川の向こう側に旧小池邸があります。 小さな木橋を渡り門をくぐって邸内に入っていくと、見事な茅葺屋根の古民家がありました。 昔は普通にあったのに、最近では茅葺屋根の家はほとんど見かけなくなりました。 それにつれて屋根を葺く技術も忘れられていくのでしょうか。 家の中に入ると土間があり、板の間には囲炉裏がありました。 自在鉤が天井から下がっていて鍋がかけられていました。
私が生まれて育ったのも茅葺屋根の家でした。 こんなに立派な家ではありませんでしたが、土間も囲炉裏もありました。 外から土間に入ってくるとヒンヤリとした感じがしたのを思い出します。 土間は、炊事をしたり稲の脱穀をしたり縄を綯ったりといった作業場として使われていました。 囲炉裏では炭などで煮炊きをしていました。 竈や囲炉裏からでる煙りで部屋の天井は真っ黒でしたが、虫除けになっていいのだそうです。 幼い頃に実家で屋根の葺替をした記憶があります。 地区の人たちが大勢手伝いにきてくれていたようでした。 昔は「地区」という単位での生活が沢山あったように思います。 夏休みになると地区でまとまって親子海水浴にも行きました。なんだか遠い思い出です。
旧小池邸
この家は、柄沢にあったもので、昭和58年にこの地へ移築しました。 天保12年の棟札がのこっており、二間半の幅広い式台(公式の出入口)、土間境の太い黷フ大黒柱、 床の間、ひら書院付の立派なおくの間(座敷)があり、 様式手法からみても江戸時代末の名主の家の風格をもっています。
旧所在地 藤沢市柄沢220番地
旧所有者 小池八郎氏
旧小池邸
旧小池邸は、江戸時代天保12年(1841)に棟上された建物で、 市の文化遺産として、昭和58年に新林公園内に移築されました。 建築面積171.4u(約52坪)で寄棟造の茅葺屋根、土壁、石基礎で土台は栗が使われています。 小池家の先祖は、足利尊氏に仕え、江戸時代になって柄沢に移ったと伝えられています。 江戸時代には代々柄沢村の名主でした。
 (藤沢青年会議所)
古民家(敷地内含む)で喫煙しないこと。 観覧のための古民家への立入は土間迄です。 利用時間は午前9時から午後4時30分迄です。 月曜日は休園日です。
散策路入口(山路:古民家口)
民家の裏木戸から外へ出ると、そこから公園の森を一周する1km強の散策路が巡っています。 そばには「新林公園案内図」があって、散策路が図示されてるので参考にしましょう。 山路を通って片瀬山北児童公園まで行き、そこから折り返して南側休憩広場を経て冒険広場へと続いています。 道標「山路1240m、北公園口へ670m」に従って、左手にある横木の階段を登っていきます。
公園内の植物をかってに採取し、持ち帰る行為は条例により禁止されています。 違反すると処罰されます。
 (藤沢市役所 公園課)
横木の階段を5分ほど登っていくと尾根に着きます。 街中にある森とあって訪れる人が多いのか、しっかりとした道が続いています。 尾根を右手へと進んでいくと3分ほどで道端に穴が開いていました。 落ちないようにと周りはロープが張られています。 中を覗いてみると、泥や落葉が溜まっている浅い穴でしたが、 底までは大人の背丈以上もあるとのことです。
獣落し(ししおとし)
この穴は、昔、猪や狸などの小動物を捕えるために堀られたもので、 上部に笹の葉などをかぶせ、落し穴として利用したものです。 すでに、明治時代には掘られていたようで、深さは大人の背丈よりも深かったようです。
緩やかな尾根道を進んでいきます。 小さなアップダウンもありますが、息が切れるほどの坂道もなくて快適に歩いていけます。 5分ほど進んでいくと、浅い鞍部で道が二手に分かれていました。 先ほどの散策路入口にあった案内図には分岐は描かれていなかったので、 どちらへ行ったものかと辺りを見回してみても道標などは見当たりません。 右手の道の両側にはロープが張られているのをみるとこちらが散策路なのだろうと思い、 右手の道を進んでいきました。
しっとりとした森の中を3分ほど進んでいくと、左手に道が分かれています。 辺りに道標はありませんでしたが、左手の道の先が明るくなっていたので、 ちょっと立ち寄っていくことにしました。
お願い
散策路周辺には、めづらしい草花があります。 園路柵(木杭ロープ)及び保護柵(竹製)の中には、立ち入らないで下さい。
 (藤沢市)
緩やかに登っていくと、すぐに丸太で出来たベンチのある所に出ました。 展望を楽しめるようにとのことなのでしょうが、 前方には樹木が生い茂っていて、僅かに街並みが見えているだけでした。
山路中間点
ベンチの右手へ続く道を進んでいくと、先ほどの分岐を直進してきた道とすぐに合流します。 そのすぐ先の小ピークへ着くと、道が二手に分かれています。 ピークの真ん中に立つ道標によると、左手の道は「北公園口へ60m」、 右手の道は「冒険広場口へ630m」、今歩いてきた道は「古民家口へ610m」となっています。 左手に降っていくと新林公園の外へ出てしまうので、ここは右手の道を進んでいきます。 しかし、右手へ続く道は、尾根筋へ続く道と谷筋へ降って行く道の二つがあって、 どちらへ行けばいいのよく分りませんが、どちらの道を進んでいっても少し先で合流します。 今回は谷筋へ降っていく道を進んでいくことにしました。
南側休憩広場
尾根筋を通ってきた道を合わせてその先へと進んでいくと、小ピークから3分ほどで南側休憩広場に着きます。 芝生の生えた小広い広場になっているのですが、 民家がすぐ傍まで迫って来ていて情緒は今ひとつといった感じです。
広場を後にしてその先へと散策路を進んでいきます。 「冒険広場口へ405m」の道標を過ぎていくと、広場から7分ほどで斜面を渡る木橋があります。 出来て間もないのか、真新しい感じの橋でした。
湿性植物区分岐
木橋を渡った先から横木の階段を登っていきます。 登り切ってピークに着くと、送電線の鉄塔が左右に建っています。 その先で道が二手に分かれています。 角に立つ道標によると、右手の道は「湿性植物区」、今歩いてきた道は「北公園口へ570m」となっています。 左手の道は特に何も示されていませんでしたが、 これまでにあった道標からすると冒険広場へ続いているものと思われます。 しばらく考えた末、今回は左手の道を進んでいくことにしました。
冒険広場(山路:冒険広場口)
歩き始めてすぐに急な横木の階段を降っていきます。 この散策路では一番の傾斜があるのだろうと思われますが、それも3分ほどで終わって、 冒険広場の最上部へ降り立ちます。 最初の古民家口から45分ほどで到着しました。 降りた所にも「新林公園案内図」があるので、これからの散策ルートを確認しておきましょう。 ここから冒険広場を通って、里の広場から湿地帯・鳥類観察所へと進んでいきます。
山火事注意
山歩く 心にいつも 火の用心
タバコの投げ捨てはやめましょう。
 (藤沢市)
鳥類観察所
湿地帯の脇を抜けて真直ぐに進んでいくと、突き当たりに鳥類観察所があります。 壁には小さな観察窓が沢山あいています。 この壁の向こう側には川名大池がありますが、野鳥のサンクチュアリーということで立入禁止になっています。 小窓からそっと覗くだけにしておきましょう。
次の理由により、ここより奥にはいることや魚釣をすることは禁止します。
1.この池のまわりはすべりやすく落ちやすいのであぶないため。
2.まむしがいて、かまれるおそれがあるため。
3.魚釣のハリを野鳥が飲んで死んだため。
4.大切な森林を、守っていくため。
 (藤沢市役所 公園課)
新林公園で見られる野鳥
ホオジロ 全長16.5cm。全国で繁殖する。冬にはやぶや林縁にいて、繁殖期には木の頂上でさえずる。ほおは雄では黒色、雌は褐色。昆虫や草の実を食べる。鳴き声は「一筆啓上仕り候」と聞こえるという。
カワセミ 全長17cm。藤沢でも繁殖し一年をとおして見られる。停空飛翔(ホバリング)をしてねらいをつけ、水中に飛込み魚を捕まえる。水辺の近くの土の崖に巣穴をつくる。チーと鳴く。
カルガモ 全長60.5cm。藤沢では一年をとおして見られるが、多くは春、北方へ移動する。雌雄同色。全身が褐色で、くちばしの先が黄色。池、川、水田に生息し、水草や草の実を食べる。グエッグエッと鳴く。
コサギ 全長61cm。留鳥として本州以南の干潟、川、水田に生息する。くちばしと脚が黒く、指は黄色。水中を歩いたり、岸で待ち伏せしたりして魚を捕まえる。グヮーと鳴く。
メジロ 全長11.5cm。留鳥として丘陵地から山地に生息する。全身が黄緑色、目の周りが白い。虫や木の実を好んで食べるほか、花の蜜も好む。チーとかチーチュルチーチュルチーと鳴く。
シジュウカラ 全長14.5cm。留鳥として市街地から山地に生息する。頭は黒く胸に黒いネクタイ状の帯がある。巣箱をよく利用し、昆虫等を食べる。ツツピーとかジュクジュクと鳴く。
アオジ 全長16cm。北海道と本州の山地で繁殖し、藤沢では主に冬に見られる。雄の頭は緑灰色、雌の頭は色が淡く目の上に黄色の斑がある。昆虫や草の実を食べる。下草の中でチッチッと鳴く。さえずりはチーチュルリーと美しい声。
エナガ 全長13.5cm。留鳥として丘陵地から山地の生息する。くちばしが短く、尾が長い。繁殖期以外は群れでいて、夜は体を寄せ合って寝る。木についた虫を食べる。ジュリジュリと鳴く。
ウグイス 全長:雄16cm、雌13.5cm。全国で繁殖する。低木の間やササなどのやぶで見られる。昆虫や木の実を食べる。冬はチャチャと、春から夏にかけてはホーホケキョと鳴く。
コゲラ 全長16cm。留鳥として山地から丘陵地に生息する。背は黒褐色で白い横縞がある。枯れ木に穴を掘って巣をつくる。幹や枝の割れ目で虫を捕まえる。ギーッと鳴く。
ヤマガラ 全長14cm。留鳥として丘陵地から山地に生息し、藤沢では冬に見られる。胸から腹にかけて赤茶色。虫や木の実を食べる。木の実を樹皮の割れ目などに隠す習性がある。ツーツーピーと鳴く。
湿性植物区
鳥類観察所から引き返して、湿地帯の真ん中にあるボードウォークを進んでいきます。 右手には水田が広がっています。 近くの小学校が「ふれあい田んぼ」として世話をしているようです。 湿地には蒲が生えていました。 茎の先端についた細長い円筒形の「蒲の穂」を久しぶりで見かけて、 子供の頃を懐かしく思い出したりしました。
公園内で見られる湿生植物
ここでは水中や水辺で生活する湿生植物が植えられています。 休耕田などで普通に見かける種類ですが、最近はこれらを観察できる場所も少なくなりました。 水際で暮らす葉や花の形など、知るほどに興味が深まる植物です。
スイレン 夏を彩る水生植物の代表です。 日本のヒツジグサの花は白色ですが、外来種には赤、黄などがあります。
コナギ 水田に生える一年草です。名は小形のナギ(ミズアオイ)のことです。葉よりも低く、青紫色の花をつけます。
オランダガラシ クレソンの名で知られ、食用とするために栽培したものが野生化し、今では各地の川に繁殖しています。
コガマ 沼のふちなどの湿地に生える多年草です。ガマと比べ、葉は幅が狭く、穂も短いなどの違いがあります。
ヒメガマ 湿地に生える多年草です。雄花の穂と雌花の穂の間に輪が見えているのがガマやコガマとの区別点です。
ガマ 湿地に生える多年草です。花の穂は下に雌花、上に雄花がつきます。雌花は秋には実になって茶色になります。
湿地に生える多年草です。たたみやござの原料になるのは本種の園芸品種です。「イ」は一番短い和名です。
ヤマイ 山に生え、イに似ているのでこの名がありますが、ちがう仲間の植物です。茎の先に小穂を一個つけます。
セリ 春の七草のひとつで、田や溝などの水分の多い所に生える多年草です。夏に白色の花を開きます。
ホタルイ 水田などに生える一年草です。ホタルのいるような所に生えるのでこの名がついたと思われます。
ハナショウブ 野生のノハナショウブから改良されました。多くの園芸品種があり、江戸、伊勢、肥後などの系統があります。
キショウブ 欧州原産で、もともと観賞用に輸入されたものですが、今では各地に野生化しています。花は黄色です。
イボクサ 水田や湿地に生える一年草です。淡紅色の小さな花を開きます。名はこの草をいぼにつけるととれることによります。
ハンゲショウ 初夏に葉の半分が化粧したように白くなり、そのわきに穂状の花をつけます。地下に根茎をのばしてふえます。
イヌビエ 湿地に生える一年草です。ヒエに似ていますが、食用にならないので、この名がついたといわれます。
ミソハギ 湿地に生える多年草です。夏には紅紫色の花をつけます。旧盆に仏前に供える花としてよく栽培されます。
セキショウ 流れのそばに生える多年草です。春に淡黄色の内穂花序をつけます。根茎は石菖根といい薬になります。
ミゾソバ 湿った所に生える一年草です。ソバに似て溝に生えるのでこの名があり、葉の形からウシノヒタイともよびます。
コウガイゼキショウ 水田によくみられます。こうがいとは日本髪に使った装飾具のことで、花茎や葉の平たい姿をたとえたものです。
ヘラオモダカ 水田などに生える多年草です。オモダカに似て葉がへらのような形をしているのでこの名がつきました。
アカバナ 湿地に生える一年草です。下の葉は対生しますが、花のもとの葉は小さく互生します。花は淡紅色です。
ススキ(カヤ) 日当たりのよい草地に見られる多年草です。オバナ(尾花)の名で、秋の七草のひとつとして知られています。
湿地帯の先には池があります。 家族連れがザリガニなどを獲ったりして遊んでいました。
奥田橋
新林公園を出て右手へ進んでいくと新林小学校の校門があります。 そのすぐ先の左手に路地があります。 その路地へ入ってクランク型に曲がっていくと、境川に架かる奥田橋があります。 奥田橋の上流側300mほどの所に新川名橋があり、 最初に歩いてきた柏尾川が境川へ合流している所が見えています。 そこから境川となって相模湾へと注いでいきます。
奥田公園
奥田橋を渡った先に奥田公園があります。 まさに街中にある公園という雰囲気です。 広くなった公園の中央にはクローバが一面に植えてありました。 公園の左手へと進んでいくと、国道467号へと続くプロムナードがあります。 道なりにプロムナードを進んでいくと、やがて突き当たりの左手にエスカレータがあります。 エスカレータで地上に降りて、その先へと真直ぐに進んでいきます。
藤沢(ふじさわ)駅
エスカレータを降りて150mほど進んでいくと十字路があります。 十字路を右折して真直ぐに300mほど進んでいくと、駅前のロータリーに着きます。 道路の上にある歩道を渡っていくと、藤沢駅(JR東海道線)の南口があります。